銀の龍の背に乗って 中島みゆき &マッキ― cover






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好きな歌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/05/04 21:14

In deep Self Love



  



  このところ、僕の関心は北○○・・・ではなく「自分を愛する」ということにまた向いています。

  きっかけはこの「自分を愛せなくなってしまった人へ」というちょっと重たいタイトルの本を読んだことでした。






  著者のティール・スワンは人間のサトルボディが見えたりする、超感覚的知覚者です。
  一番上の動画のお姉さん。

  しかし、僕がこの本を読んでみたのはその理由ではなく、彼女の人生体験があまりにヘビーで過酷なものだったからなのです。

  帯に書いてありますが

  「私の6歳から19歳までの経験を簡単にまとめてお話ししましょう。

  私はカルト的な儀式で性的、肉体的に苦しめられ、レイプを受け、食べ物を取り上げられ、三回の中絶を強いられました。

   さらに、電気ショックを与えられ、縛られた状態でアイダホ州南部にある溶岩洞の中に一晩中置き去りにされました
。」

 とあります。なんだかもう意味不明なレベルですが

 これらの虐待は、彼女が超感覚をもっていたために両親から引き離されて預けられた、ある男性によりくわえられたようです。

 彼女は幼い頃からずっとこの男性のもとで半洗脳状態にあり、支配されていたと言います。

 3回の中絶というのも、この男性の子供を何度も妊娠してしまったからなのでした。

 沸騰させたヘロインを無理やり注射されるようなこともされています。(それによるフラッシュバックの後遺症も)

 普通ならトラウマの影響により、生涯立ち直れなかったり、命を絶ってしまってもまったく不思議ではない生い立ちです。 

 実際、現在でも依存症をはじめとしてまだこれらの影響は残っているといいます。
 しかし、それでも人生を愛し、希望を感じられるようになったという、彼女が困難を克服した道というのがとても気になって、読んでみたのでした。

 いやーだって、まったく順風満帆な人が語る『自分を愛する』話しよりも、これだけの困難を経験した人が語る「自己愛」の方がやっぱり気になるじゃないですか。

 今回はこの本の紹介は軽くとどめたいと思いますが、彼女の過酷な経歴と、自分を愛するための方法論に主にページがさかれています。

 この本を読んで、「あっ そうだ僕ののテーマも<自分を愛する>だった」と思い出しました。っていうか、ある意味誰しもが・・・というテーマですが。

僕は過去世、修道院みたいなところで自分の背中をムチでぶったたき続けていたらしいので、今回は自分の頭をなでなでしつつ
喜びの道を行きたいと思います。

 一度、酔っぱらった時に、その情報を思い出し試しに自分のベルトで背中を叩いてみましたが大変なじみある感覚でした。

 あっ、なんかのプレイじゃないですよ。別に気持ちよくはなかったですね(笑)

 まあ、これがテーマとなるタイプをあえてあげるとするならば、激しい自己嫌悪とか自己不信とか、罪責感、そして孤独感のある人と言えるかもしれません。そしていろいろな意味でマイノリティ的性質を持つ人・・かな(社会的に自分を肯定しにくいため)。

 この本を読んで、「自分を愛する」とはとても広範囲に及ぶことなんだとあらためて気づきました。

 例えば、「楽しいこと、わくわくすることをする」もそうです。
 「鏡に向かって愛してると言う」もそうです。
 そして「自分に感情や肉体をしっかり感じる」ということもそうだし
 「部屋をきれいにする」とか
 「人と自分との境界線をしっかり守る」ということもそうなのです。

 「自分を愛する」言うは簡単ですが、実はかなり奥が深く、また多方面にわたる、生涯続くワークなのかもしれません。

 そして「人にやさしくする」もまた「自分を愛する」ということなのです。

 この本の趣旨を簡潔に言うと、行為や思考の出発点を「自己愛」とすることのススメと言えるでしょう。 

 自己愛っていうとしばしばエゴイズムとか幼いナルシズムと混同されがちですが、これは明白に違います。

 本文中にも説明があるように、利己主義というのは「自己愛」の不足と言えると思います。
 愛が不足してることにより、自分のことしか考えられなくなってしまうような感じでしょうか。 

 面白かったのは無私無欲の人、と利己主義者は波動的に一致しているとティール・スワンが書いてることです。

 無私無欲の人も、利己主義者も愛が有限だという思いを抱いており、利己主義者はそれをむさぼり、無私無欲の人はそれを与えねばならないと思うとスワンは言います。だから、この二つのタイプはよく出会ってしまう。
 そして被害者と加害者になります。
 どちらも本当の自己愛が足りていません。
 
 だからボランティア的なことをしたり、援助職をする場合、不足した自己愛の埋め合わせのためにやっていないかどうか?ということを確認するのがすごく大事なんじゃないかと僕なんかは思います。
 そういう場合はたやすく本来あるべき、人と人との境界線がぐちゃぐちゃになるようなことが起こりますからね。 

 さて、この「自分を愛する」の自分とは何か?ということを僕なりに図にしてみました。

 僕のイメージでは簡単に書くとこういう感じになります。

 self.png

 ハイヤーセルフ(魂)は、肉体を越えた僕らのエッセンスです。
 これはこの世界で表現したいこと、与えたいことの青写真を持っています。そして直観という形で自我にメッセージを送る場合もあります。このメッセージは感情を通じて送られることもあります。

 インナーチャイルドは僕らの中に眠る子供心です。 
 否定的、肯定的、自分自身についての様々な信念を保持しています。多くの人は大人の仮面の下に、未熟なインナーチャイルドが潜んでいます。そして、ある状況などによってトリガーがひかれると、インナーチャイルドのなすがままの子供のようなリアクションをしてしまうことになります。恋愛関係でよくありますね・・・
 この子供は叱るのではなく十分愛情を持って、育てる必要があります。

 一方でインナーチャイルドはとってもイノセント。遊び心や、原初的宗教心、豊かな想像力を持っています。
 もともとはハイヤーセルフと直結する部分なのです。
 イエスの言う「幼子のようにならねば天国へは入れない」、そういうピュアな性質です。

 環境とか他者は自分の内面が反転した感じで、これもある種の「自己」になると思います。
 だから「人にやさしく」も「自己愛」。

 魂としての自己、内なる子供としての自己、他者としての自己、感情としての自己、肉体としての自己・・・・

 自己愛とは、自己の多面性を知り、そのすべての部分を受け入れ、愛することだと思います。
 僕らはこんなにも多重的な、素晴らしい存在なんですね。

 僕らの目に映るのは、鏡に映る自分だけですが、本当はもっともっと広い。

 ハイヤーセルフの上に「神」と書きましたが、「神」は超自分です。

 個々の人々が葉っぱだとすると、神様は木の全体、あるいは幹や根っこにあたります。

 だから葉っぱからすると、木は自分自身でもあり、一種の親分でもあります。

 葉っぱが深く深く自分を愛するならば、木自体も愛さずにはいられない。
 「神への愛」と「自己愛」はそのようにつながるのかもしれません。


 今後もしばらく、自分を愛することについての記事を時々書いてみようと思います。

 







セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/29 20:47

世界で一番KIMIが好き!




  先日、カラオケで歌っていた歌に「君は世界中で一番だ・・・」みたいな歌詞がありました。

  ドラマや映画でも「君を世界一愛している」、とか「あなたは世界一素敵」みたいなセリフがまれにあります。

  僕はちょっとひねくれていましたころ、

  「世界一好きって、世界中の人間を知らないくせに、なんで世界一って言えるわけ?」と心の中でひそかに難癖をつけたりしておりました。

 いちいち漫画みたいなセリフにそう真剣に突っ込まなくてもいいのかもしれないですが、「なんかおかしいなー」といつも思ってたんですね。こんな嘘みたいなセリフが感動的なんだろうかと。

 あまりにも「永遠のラブソング」的JPOPが氾濫してますので、まあそうも言いたくなります。

 逆にハイロウズの「千年メダル」という歌の歌詞のように

 「永遠に君を愛せなくていいか?十字架の前で誓わなくてもいいか?たとえば1000年、1000年じゃ足りないか?」

 っていうような言葉は「カッコいいなー」と感じていました。

 だって簡単に「この愛は永遠」とかって言っちゃうより「永遠に愛せなくていい?」って言う方が永遠の愛を意識してませんかね~。




 まあ、でも歌うんですけどね僕も、「世界中の誰よりも・・」的などんだけくさいセリフがある曲も。
 誰でもトータルの雰囲気で良いと感じた曲であれば、好きになって口ずさむと思います。

 「世界に一つだけの花」も「Heal the world」も好きですよ~^^
 
 ところでスピリチュアルな世界で言うところの「無条件の愛」というものがあります。

 これは「神さまの愛」と言い換えてもいいと思いますが、人間の一感情ではない、宇宙に遍満する「愛」のことで、「無条件」という通り「あれをしたからご褒美に愛してあげよう」とか「いい子だったからほめてあげよう」とかいう条件付きの愛ではなく、怠け者も悪い子にも関係なく降り注いでいる愛のことです。

 これは僕のイメージですが、「無条件の愛」というのは宇宙的なもの、元素記号にあるH<水素>とかO<酸素>とかいうレベルのものであると理解しています。人間より先にあるものなのです。
 愛が人間の文化などにより生まれているという発想は、「脳が神をつくった」という発想と同じように転倒しているのです。

 「無条件の愛」の世界では、より愛されてる人も、より愛されてない人も、より愛情に恵まれてる人も、より孤独な人もいません。

 何をしていても、男でも女でも、貧乏でも豊かでも、ノーベル賞をもらっても、刑務所に入っていても、オリンピックに出てても、ホームレスをしていても、毎日テレビに出ていても、一生引きこもっていても関係ないようです。

 「差異」というのは意識が肉体・この世界と結びついているところから仮に発生しているもので、

 本当はすべて同じ人間であり、同じ神の子であり、同じ意識の部分です。

 「無条件の愛」において「特別な存在」はないと言います。


 ところで、話しはまたさっきの「世界中で一番好き」に戻りますが。

 これって親→子の間では「世界中で一番好き」というのはまったく成立するんですね。

 そこんとこ見逃してたなー。

 例えば、ママ→子 への世界中で一番好きってのは 「ほかにもっと好きな子がいるかどうか世界中を見て回る必要がない」ってことですね。なんというか、その場合の好きっていうのは、いろいろな対象を検討したうえでの相対的「好き」ではなく、比較検討する必要のない絶対的「好き」なんですね。

 その親の絶対的「好き」により、

 子供は自分は「とっても、とっても特別な存在」という感覚を持つわけですね。
 「僕・私はスペシャルなんだ」「誰かにって世界一」なんだという。

 そこに考えが至った時、僕は

 「あ、違う、世界一好きって、きれいごとなわけじゃないわ。人間にとって必要な感覚なのでは?」と思いました。

 だって「ねーママ、僕と、隣のケン君とどっちが好き?」って尋ねて

 「そうねえ、おんなじ位に大好きかな(^∇^)」と答えられたら。

 (。Д゚; 三 ;゚Д゚) うごごご

 きっと凹みますよ。トラウマ級です。
   
 だから大切なのはきっとここなんです。「同じじゃない」ってことなんです。この段階においては。

 「無条件の愛」の本質は、確かに万人に等しく・・・なのですが、哺乳動物としての人間が成長するプロセスにおいては「同じじゃない」「誰よりも」「スペシャル」「世界一」というような感覚がどうも必要なのではないかと思うんです。

 で、それの延長上として、この「世界一」感を持っているならば、パートナーに対しても私にとって世界一という感覚がおのずと生まれることがある。ほかの対象を比較検討することなく、「世界一特別だ」と言えるという。

 なるほどなー、そう考えれば「あなたが世界一好き」というセリフもありだなーと一人納得したりしていました。

 もしも「誰かにとって世界一特別」なんて感覚自分にはないなーという場合は

 よくセルフラブのセオリーで勧められているミラーワークなんかをしながら、

 「愛してるよ、世界で一番大好き!君が誰よりも大事だよ」と思い切って言っちゃうのもいいのかもしれません。

 ちょっとわがままなセリフにも聞こえるかもしれませんが、親が子供に言うセリフならそれほど違和感ありませんよね。  

 だから自分が自分自身を育む親になり、

 それを自分の中のインナーチャイルドに言ってあげるのは、アリなのではないかと思うのです。

 もしかすると、「私はみんなと一緒」は「私は特別」を経ないと生まれてこないのです。

 miror.jpg
 


セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/27 16:05


 



  ボイトレ記事、ちょっと復活しまーす、はい。

 そろそろ来月で1年になるので、不特定多数の方に歌ってるところをさらしておきます。
 先月までレッスンで課題曲にしていたhide さんの「Misery」カラオケで動画撮影しました。
 言い訳なし、現在のレベルこれくらいっす。

 hide Misery 原キー
 
 あと10代~20代まで好きだった。TMNを

 Spanish blue 原キー

 Erectric prohet (電気仕掛けの予言者) ♭2


*すんません。DAMtomoに登録しないとみれないみたい。カラオケ好きのかたはよろしくですう(無料)

 次回はまた女性曲に戻り、AIの「Story」にすることに決定。



 音域は下がmid1D(下のレ)~トップがhic(上の上のド)なので、女性曲にしてはそんな高くなく、低音部はもしかすると女の子だと歌いにくいかもしれない低さです。

 これをふたつキー下げて、2♭で練習します。
 するってーと、トップがhiA♯(上の上のドの手前のラ)、さすがにhiAはまだ安定して出ないのでちょっと厳しいところはあります。

 scale-story.gif

このキーだと歌いだし「限られた~」は mid1Fスタート サビ部分はmid2Fあたりとなり、フェイクやブリッジ部で2Gが頻出します。

 今までは4♭で歌っていました。
 これだと一応Aメロ~サビ~ブリッジまで音域的にはカバーできるけど・・・
 でもAメロは低いから、2♭の方がむしろ歌いやすいんですよね。

 2♭で歌ったのがこっち、ブリッジ部分で苦しくて半笑いになってます(汗) そしてラストの転調で息も絶え絶えに。なんとかしたいですね~。まだ音程、符割も理解が不正確でstoryらしき・・・歌ですが。

AI story ♭2
 

 4♭で歌うとこうなります。余裕はあるけど、、、ちょっとやはりこれだと低すぎるかな

AI Story ♭4  

 ↑これは一応レッスン前ってことで、3か月後くらいにレッスン後の結果をまた公開したいと思いまーす。↑

 いや、こんなことすると、誰が見てるかわからないので適度なプレッシャーがかかっていいかなって(笑) 

 プレッシャー源セット完了、

 よーし、それじゃ頑張りま~す♪ 

 あ、あとヴォイトレ先生の本が本日発売されました!
 一応宣伝。購入するとYOUTUBEからフォロー動画も見れて、お得です。
 ↓英語の歌唱法はまだレッスン受けてないですが、予習のためにも買って読んでおくつもりでいます。↓



 
 



耳と声日記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/24 19:55

雨のウォーキングは、インナーチャイルドと


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  インナーチャイルドとは、僕らの中に住んでいる幼子です。

  どんなくそ真面目な大人でも、またお年寄りでもふとした瞬間に遊び心やイタズラ心が顔をのぞかせる時がありますが、それは僕らの中のインナーチャイルドが生き生きとしている時だと思います。

  インナーチャイルドは創造性や、無垢な感受性を持っています。
  大人心の代表となるような効率性や、合理性、社会性、習慣などとはまた違った目で世の中を眺めているのです。

  この子供は生涯にわたり、僕らの心の中に住み続けます。
  
  インナーチャイルドとお散歩に出かけて見るのはとても楽しいことです。
  雨の中、彼と出かけてみました。

  ○○君、○○ちゃん、お散歩に行こうか、そんな風に声をかけてから近所を歩いてみます。
  横に小さな自分自身が歩いているようなそんなイメージです。

  ○○君、きれいな花が咲いてるね!○○君、どこに行きたい?

  そんな声掛けを行いながら歩きます。

  最初はちょっと照れくさかったり、バカバカしく思えるかもしれませんが、ゲームのつもりでやっていると、そのうちインナーチャイルドからの反応が返ってきます。

 歩道のへりをバランスを取りながら歩いてみたくなったり、街路樹に触ってみたくなったり、いつもと違うことをしたくなるかもしれません。

 ウォーキングは「運動」ですが、インナーチャイルドにとっては「探検」なのです。

 インナーチャイルドは感覚的なことが大好きです。雨粒を顔で受けたり、木の肌の匂いを嗅いでみたり、せまいところをくぐってみたり、、、

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 DVDショップに入ったら、「○○君、何見たい?」と彼の意見も聞いてあげます。
 スーパーやお総菜屋さんに入ったら、「○○ちゃん、おなか減ってる?食べたいものはある?」と尋ねてあげます。

 子供っぽいアニメや、ハンバーグ、オムレツをインナーチャイルドが欲しがったら、時にはそれを買って一緒に楽しみます。

 体にいいからでも、栄養があるから、太りにくいから、そんな理由で食べ物を選ぶことを少しやめて、インナーチャイルドが望むものを食べてみます。

 そういえば僕は子供の頃、やたらとハンバーグが好きだったのでした。
 あまり食べなくなったのは牛を聖なるものとあがめるインド人に洗脳されたからでしょうか(なんでやねん)

 インナーチャイルドは思わぬ発見も与えてくれます。

 真っ直ぐに、最短距離で、次にすることを考えながらせかせかと家路をたどるのではなく、子供心の趣くままに・・・

 いつもは行かないような木が生い茂った公園のはしを導かれるままに歩いていると、フェンスの向こうにウサギ小屋があって、何匹もウサギたちが丸くなっているのが見えました。

 「あー○○君、うさぎいるねー」

 じっと見ていると、こちらに気づいた一匹がはねながら少し興味を持った様子で近づいてきます。
 かわいい~

 インナーチャイルドと散歩しなかったら、これに気づかなかったなぁ、こんな公園のはしっこなんかに来なかったなあ

 と思いつつ、しばらくうさぎたちを眺めていました。

 ところが、このフェンスの向こうはどうやら小学校の模様。

 公園の警備員らしきおじさんが、さりげない様子で、あきらかに不審そうにこちらを見ているのに気付いた僕は、見えないチャイルドの手を引いてそそくさと立ち去ったのでした。

 今読んでいる、ティール・スワン著の「自分を愛せなくなってしまった人へ (Shadows before Dawn)」にこんな文章がありました。


 「自分を愛するとは、与えてもらえなかったものを、自分に対して与えるということです


 


 さて、あなたの内なる子供が欲しがってるものはいったいなんでしょうか?

 承認でしょうか、夏の旅行でしょうか、愛情のこもったハグでしょうか、飛行機の模型?ドールハウス?
 あるいは、イチゴの乗ったショートケーキやデミグラスソースたっぷりのハンバーグである可能性も高いですね^^

 
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セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/22 18:24

平沢進 TOWN-0 PHASE-5

 




 この世の人 気は確かか 賢者がまた飛び降りている

 ゆこうすれ違おう 愛はいかが?と

 今夜真実の街角で



好きな歌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/15 22:31

「身体はトラウマを記録する」 足し算と引き算




今日は雨で、外出時はストールでも巻かないと寒いです。

  部屋でこの前トラウマセラピストさんに教えてもらった本を読んでいます。

セラピストのH先生、こと花丘先ちぐさ生のブログはこちら

  ベッセル・ヴァン・デア・コークの「身体はトラウマを記録する」という本です。


 


  教えてもらってすぐ「これは読まねば」センサーが反応しましたが、やや高めの本なのでカードの支払いが翌月分になってから購入。

 著者はボストン大学医学部の精神科教授のシブいおっさん(失礼)です、若いころからベトナム帰還兵などへの診療をおこない、その当時からPTSD反応に関しての探求を始め、事故・戦争などによるPTSDを始め、虐待、ニグレクトによる発達トラウマ、愛着障害なども含むとても網羅的な本になっています。

 トラウマとはどのような状態なのか、その時脳と神経系はどのようになっているのか、MRIの脳画像なども豊富にちりばめられてあらゆる角度からトラウマの正体に肉迫しています。

 その治療法としても、EDMR、EFT(タッピング)、ヨーガ、マインドフルネス、音楽、演劇、武道、気功・太極拳、内的家族療法、ライティング、など非常に多くの技法が紹介されています。

 プロザックや今離脱症状が問題となっているのベンゾジアゼピン系の薬物(デパス、ソラナックス)、メジャートランキライザーであるリスパダール、ジプレキサーなどを使用する薬物療法ももれなく含まれ、その問題点と効用に関して知ることができます。

 デパス使ってる方気を付けてくださいね~
 もと同居人も飲んでたのでちょっと心配してるんですが

 ヴェン・デア・コーク氏はソマティック・エクスペリエンスのピーター・リヴァイン氏の盟友でもあるようなので、僕が受けているSEも有効な方法として登場していました。SEはこれ↓





 また技法の持つ有効性の範囲、これは事故トラウマには効果的だが、一方児童虐待にまつわるものにはそれほど友好的ではないなどの情報も知ることができます。
 トラウマ治療に関しては特定の理論・方法に固執するべきではないということですが、まったくその通りだと思いました。

 僕がこれを読んで、あらたに認識が深まったのは、こころの機能不全には「引き算」でよくなるものと、「足し算」が必要なものがあるのではないかということです。その混合もあり得ます。

 たとえば事故トラウマだけの場合、これは「引き算」ではないかと思うんです。
 TFR タッピング などの身体的技法、そしてSEもこれに対応していると思います。
 これは大きな衝撃により、凍りつき反応あるいは過覚醒に陥っている脳を落ち着かせていく方法論だと思います。

 しかし、愛着障害、児童虐待による発達性トラウマとなると、これは明らかに「引き算」ではありません。
 人を信頼するという回路ができてなかったり、、注目と承認の不足、それによる圧倒的な愛情飢餓感、空虚感、不安感などがあるからです。
 いかにして、サポートや学習により新しい回路を形成して、ハートを開いてゆけるかという「足し算」の作業になってゆくと思います。
 関係性の問題は、おそらく関係性の<場>でしか解消しないのです。

 表層的には同じような機能不全であっても、問題の根を見極め、「足し算」が必要か「引き算」が必要か知る目がセラピストには必要となるのでしょう。
 まあ、セラピスト側からの理解や愛情が状態をよくしていく基盤であるという意味では、おしなべて「足し算」でなければならないとは思うんですけどね。

 いやーそれにしても、、、結構悲惨なケースがたくさん書いてあって、一気に読むと具合が悪くなりそうなところもありますが。

 それでも、これだけ多くの治療法があって、トラウマのメカニズム解明が進んでいるという希望をもたくさん得ることができるという意味では必読!の一冊かもしれません。特に、セラピストを志す方、現職の方には読んでいただきたい本です。

 特にトラウマって自分に関係ないなーという人でも、心身をさらによい状態に、wellnessからsuper wellnessへと飛躍させる秘密もたくさん書いてあるので結構ためになると思いますよ。

 トラウマの癒しには「体感覚を認識できる」ことやからだとのつながりがとても重要だとなんども本の中で強調されています。

 去年から興味が出てきたヨガや、ヴァーカルレッスンはそういう部分で役に立っててくれたのか~!な?




セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/11 11:50

Of Monsters And Men

 
 



 アイスランドのバンドの曲。

 この曲、ヴォーカルが入ってるの前半2分で、後半2分同じ演奏が続く感じですけど、、、

 普通のJポップとかだったらこんな間って絶対つけないような。不安でなんかで埋めたくなりますよねたぶん。

 その辺に悠久の大自然とバイキングの余裕を感じるというか(笑)


 アイスランドの曲、いくつか聴いてみたのですが、全般的に落ち着き系な感じがしました。

 もちろんへヴィメタやってる人とかもいるんだと思うけど。

 なんだろ、しんしんと雪が降り積もる感じです。

 好きかも!

 


  






好きな歌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/06 21:56

太陽フレアとアーシング



  ここ数日ずっと静かだった太陽活動が、まあまあ活発でM6クラスのフレアを数回放出しています。

   これは4月1日くらいから始まった流れのようです。

   黒点数もずっと0だったのが現在75まで増加。Xクラスがたびたび起こっていた2011年ごろと比べると、めっちゃ激しいというほどでもないけど、現在は太陽は静穏期だけにちょっと珍しい状態?なんでしょうか。

  何回か記事でも書いていますが、Mクラス以上のフレアは微妙に心身にエフェクトしてくる感じがします。

  2,3日前ちょっとウツ傾向がひどかったので、3時間くらいウォーキングしたら、帰り道から微妙にのど鼻が痛くなり風邪ひいてしまいました。

 2日ほど寝たら、だいたい治って、今に至る。

 特にこれといった原因もなく感情をかき乱されたら、「太陽?」と疑う習慣があり、結構な確率で的中します。

 なぜ、こうなるのか科学的知識があまりないのでよくわかりませんが、やっぱり電気とか磁気とかに関することなんでしょうか。
  
 太陽からの影響を感じやすい人と とりたてて感じない人がいるようです 

 これはまったく僕の推測なんですが、

 トラウマ体験などで大脳辺縁系が常時覚醒状態にあるタイプの人、というのは、いわば脳が帯電しているようなそんな状態のような気がします。交感神経活性 Fight or Flight モード。いつも「ぴりぴり」している。 

 で、その常に帯電している脳が、太陽からの磁気だかなんだかに反応して機能がおかしくなるのではないかと。

 3・11の前なんかはXフレアが連発して、僕もはりつめたそんな状態がずっと続いていて、 太陽の影響というのはわかっていたのですが「もういい加減にしてほしい・・・」とヘタリかけてたのは覚えています。(地震に直接関係あるかどうかはしりません)

 こういう天体現象への心身の反応は結構やっかいで、特に「フレアと感情の相関性」とかは自分のリアリティマップにない人がほとんどなので。
 そういう場合、金銭問題なら金銭問題、パートナーシップ問題ならそれ、上司がむかつくならそれ、という風に常日頃ある微妙な心のでこぼこが異常に拡大されてしまいます。
 だから、僕らは「それ」でムカついてると思うんですが、そうじゃないんですよね。

 それを堪えがたいまでにしている、別のなんらかの「エネルギー」がある可能性は常に覚えておきたいと思っています。

 僕はまあ、すごく気が滅入ったら「二日酔いになるくらい呑みすぎてしまう」くらいが関の山なんですけど、人とか自分とかを傷つけてしまうケースが、結構こういうエネルギーの作用で起こってる気がするんですよね。ぎりぎりまで脳が帯電している人の場合、特に。

 だからもし、種々の気象、天体現象がメンタルに及ぼす作用がもっと明らかになれば、かなり社会の平和に貢献すると思うのですが・・・。

 昨日くらいから、体調回復してきたので、公園や河原にいって、2,30分裸足で歩き回っています。

 大地からエネルギーをもらうアーシングです。




 今くらいの時期は寒くないし、暑くないし、裸足気持ちいいです。
 もうちょっと暑くなると、蚊とかいろいろ出てきて裸足だとちょっとうっとおしくなります。

 アーシングには、家電製品などから体に帯電した余計な電荷を大地に放出するという作用もあると言います。
 
 理想的なのは土や、芝生の上で裸足で立つこと(2~30分)、
 アスファルトの上はダメ、コンクリートはOK
 
 電気が放出されてるかどうかはわかりませんが、足裏で大地の様々な感覚を感じながら歩くのはとっても気持ちがよく元気になった感じがします。

 フレア時に、アーシングしたらネガティブな影響をカットできればいいんですけどねー
 どうなんでしょうか。そういう効果あるかな?

 本日は河原に座って裸足で、ハミングしつつ、あったかい日差しをあびていました。
 自分の声のバイブレーションがからだをかすかに振動させ、大地から、日光から、緑から、たくさんプラーナが入ってきたような気がします。
 
 休養中に、このアーシングを普及に力を注いでいるエハン・デラヴィさんのレクチャー動画を何本かみました。
 この二つがよかったです。ハンコックの新作読んでみようかな。
 
 下のは、ルパート・シェルドレイクの形態共鳴場について
 
 


 









セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/05 20:07

見えない糸 愛はエコーする声

  SE(Somatic experience)のセッションを受けつつ、体感や読書で学んだことのアウトプットになります。

  最近気づいたのは、インナーチャイルドの癒し、アダルトチルドレン、愛着障害などと呼ばれる領域において、重要なことは「癒し」というよりも「再学習のプロセス」と言った方がよいということでした。

 癒しあるいは修復という言葉は、完成した構造体がなんらかの理由で破損したときに、そのもとの形態に復元するというイメージです。

 しかしそもそも、構造体ができあがっていないものを修復することはできない。

 アダルトチルドレン、愛着障害という状態は、幼少期に関係性形成に必要な学習が行えなかったことにより、構造体が未完成のまま放置されてる状態と定義できるかもしれません。

 建物だとすると、一階部分の土台がちゃんとしてないのに、二階部分をつくり始めてしまっていたり、材料だけが建築現場で野ざらしになって雨に打たれているようなそんな感じではないかと。

 だから、この領域では再学習によって、脳‐神経系を正しく再構造化していくということ。

 だから「癒し」という言葉よりも、インナーチャイルドの「育て直し」「生き直し」と言った方がよいのかもしれません。

 人を愛する、信じる、理解する、共感する(自分をと置き換えても良い) 

 といった能力は基本的に経験による学習によって積み上げられていくのだと思います。

 もっとも初期の段階では、赤ちゃんが笑い声や泣き声をあげる、その時にリアクションとしての「声」をこちらも反響させてあげる。

 これは「エコーイング」と言うそうです。

 すると乳児は自分の存在が認識されているのを感じ、安心します。
 シンプルですが、学習の基本はこのようなことではないかと。

 でも、ニグレクト的な環境では、いくら泣いても環境からの反応が全くありません。
 あるいは、叱られたり、叩かれたりというネガティブなフィードバックが返ってきます。

 すると、必要な学習が行われずに、発達が凍結してしまうというようなことになります。
 関係性ニューロンの発達が凍結する一方で、不安や怒り、攻撃的な感情が大脳辺縁系に蓄積されます。

 誰かの発言に対して、「うんうん」「ええ、ええ」「なるほど」などの相槌をうつことは、「聴いてますよ~」というサインですが、ルーツをたどれば「エコーイング」がその起源なのかもしれません。

 大人になっても、僕らは互いに存在を確かめ合うことを必要としているのです。

 そして、こちらから「こんにちは」とあいさつをして、まったく無視されると誰でも嫌な気持ちになるというのは礼儀とかそういうこと以前に、 「エコーイング」が成立しないことによる根源的な不安を引き起こすからではないかと思います。

 自分の存在が認識されていること、『声』を出すと、『声』が返ってくること、これは関係性の中で生きる哺乳動物ホモサピエンスとして根本的に必要なことなのです。「声」逆から読めば、エコー(笑)

 「エコーイング」のようなシンプルな学習を基本として

 やがて長ずるにつれて

 ほめられた経験
 痛みや喜びに共感してもらえた経験
 仲間の中で楽しく遊んだ経験
 喧嘩したけど、仲直りした経験
 時間を忘れて会話に花を咲かせた経験
 誰かに優しさを表現できた経験
 愛し合いお互いを大事に思えた経験

 などを得て、人の脳‐神経、あるいはハートとマインドは健やかな状態になっていくのでしょう。

 カウンセリングなどでクライアントさんの話しを傾聴することが、特に重要視されるのは、やはり「聞いてもらう」こと自体がコミュニケーションに必要な神経系の発達を促すからなのでしょう。

 僕が最近、気づいたこと。

 ちょっと気分が低迷してたり、寝起きでテンションがいまいちだったりするとき、

 仕事や趣味の場で誰かとしたコミュニケーションがふと頭をよぎると、心身が微妙に活性化したり、やる気スイッチが入ることに気づきました。それはもちろん、自分にとって楽しかったり、うれしかったり、成功したと思われるコミュニケーションのワンシーンです。

 面白いことを言えて、ちょっと場が盛り上がったとかそういうのも含め・・・ 

 SEセッションで体の感覚を感じることが習慣になっていたのもあるのか、

 人間の心身っていうのは 話が通じると 活性化し 話しが通じないとフリーズする というのが実感としてわかります。

 そして、こういう体験の積み重ねがおそらく、自信とか自己価値観に結びついていくんですね~ 

 この世界にはもちろん、コミュニケーションによらない自己価値観を感じるケースもたくさんある。 

 成績がよいとか、特異な能力があるとか、何かで名声を得るとか、権威により認められる とか

 それはそれでよいことなのですが、そういう自己価値観だけだとある意味もろい。

 土台がガタガタの家の二階天井部に設置された、キラキラしたシャンデリアにアイデンティティーを置くようなものなのです。 

 そしてインナーチャイルドの問題があると、そういうコミュニケーションを介さない自己価値観に惹かれていきやすいような気もします。傷ついて、愛されることはもうあきらめちゃっているんですね。

 僕自身も、もともとコミュニケーション回避的な傾向があり、本読んだり、自然の中に出かけたり、思索したり、一人で酔っぱらってる方が人と絡むより楽、って思うこともあります。それで、部屋でできる仕事で稼げればいいなーなんて夢想したり。

 でも、どういうわけかどっぷり人と関わり、体に触れる仕事をすることになり、その中でいろいろな感情を感じることになりました。
 これは僕にとってはSEセッションと同じように、コミュニケーション脳を育てなおしていくプロセスでもあったような気がします。 

 昨日Aさんとばったり道で会ったとき、優しい言葉をかけてもらったな、昨日Bさんと話してて何気に言ったギャグがウケたな、とかそういう記憶のひとつひとつが 僕の生きるスイッチを押してくれることがある。

 たくさんの人との間につながる見えない糸、たくさんのコミュニケーションの中でできたニューロンネットワーク、それらが僕を生かしていると思う、今日この頃です。

 見えない糸が宝と思えるような人生を生きたいですね


  
セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/01 12:12
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