卵の中の黄身

我もなく うつし世もなくなにもかも  神の中なる 神のあらわれ  BYダンテス・ダイジ

瞑想する!・・・かも。

  夜に黙想タイムをつくることになった目的のひとつは、情報シャットアウトだったのけど、そろそろその中に別の要素もちょこっと入れてもいいかなと瞑想を取り入れてみることに。

 今年の8月以来、なんもしなくてもバッドトリップする癖がついてしまっていた。
 とにかく不安がうごめいているときだと、どんなきっかけでもいやな方向性に跳べる(´゚д゚`;)

 一度は、テレビでアフリカの部族のみなさんが唇にわっかをはめていて、インタビュアーが
 「なんでそんなことしてるんですか?」と聴くと
 わっかをはめて下唇が飛び出したお姉さんが「きれいになるために決まってるでしょ
 と答えるのを聴いて

 o┤*´Д`*├oエェーっと思い、そのあと

 うわーっ(||OдO||)となぜか冷たい恐怖に襲われたりした(笑)

 もうそこまで過敏な時期は終わったようだが、なかなかきつかった(-´ω`-)シュン
 パニック障害の方とかは、まあ、こんなもんではないと思うが。

 だから夏以降、トランスするのが怖くなって、神様に祈るのも怖くなって、瞑想も怖くなってという悪循環が続いたが、涼しくなって徐々に落ち着きを取り戻した。
 一日に電話百本かけてアンケートするバイトも出来るようになったので、まあまあだと思う。

 そして毎晩の静かな時間がとても楽しみになってきた。

 とりあえず余計なものをシャットアウトすること、そしてみこころを考えるということが必要だとアドバイスをもらったのでそのまま、静かな時間だけを続けても悪くないと思うのだが、最近I先生の勉強会のCDをきかせてもらっていると瞑想のやり方とか、瞑想の意味とか、ふかく集中する方法などの話しが入ったものを偶然(じゃないと思うけど)続けて聴くことが多かったので、あー瞑想も取り入れるべきかと思った。

 瞑想をいくらやっても、神の恩寵と祝福がなければ覚醒は起こらないと、I先生は言う。
 じゃあ、瞑想が意味がないかというとそうではなく、基本的に瞑想はこころを強くすることや、集中力を強化すること、パワーをチャージすることなどの意味を持っているらしい。(読経するとかもそう)

 なぜ、こころを強くする必要があるかというと、たとえ神を知っていても、そのこころの器が虚弱なままだと外部との接触によってすぐにマーヤにやられるからだという。
 だから呼吸法や、気功なども含め瞑想的エクササイズは、こころの強化や、マーヤを迎撃するようなエネルギーのよろいをまとうことにあるようだ。

 腹が出来た禅のお坊さんみたいな人は、新宿歌舞伎町の路上でも瞑想が出来そうだけど、それもエネルギーを跳ね返すような強さを持っているからだろう。

 ちなみに、僕は混んだ電車は大の苦手だし、人がいっぱいいるようなところではとかくやられやすい。本当は、東京とかに住むべき人間ではない気がする。

 調子が悪くなると「波動がわりいんだよね〜(*`З´*)

 と周りのせいにすることも出来るが、そう思ってもやられることはやられるので、ちょっとパワーチャージの練習も積極的に取り入れてみようと思った。
 今までやってたのは、ただ座ってこころが静かになるのを待つ、考えを見つめる、というような方向性の瞑想だったが、今回はイメージを積極的につかってやってみようと思う。

 そのほうが「楽しそうだ」というのはあるが、パワーチャージや、やられにくくなるための瞑想にはイメージを使ったほうがいいように思う。
 自分が菩薩や観音様になってるのをイメージしつつマントラを唱える、「本尊のヨーガ」というのがあることを先生から聴いたことがある。
 これは、自分がそのように慈愛や知恵にあふれた存在と一体化することのイメージを繰り返すことで、それに近づいていくという昔からある方法論のようだ。

 こんな話しも、CDの中に入っていた。
 レモンにかぶりつくことをイメージすると、口の中一杯に唾液があふれることから考えても、イメージがこころや肉体に及ぼす力は大きい。だから、いつも、罪悪感や自己否定のイメージが強いと、自分自身もそれに近づいていってしまう。
 だからなるべくポジティブな自分に近づいていけるようなイメージをすることが大事だという話し。

 あと集中力を強化するためには、なるべく自分の好きなものをイメージすることがポイントだという話しもあった。仮面ライダーが好きな人だったら、仮面ライダーのバイクの後ろに乗って、自分の内面深くに降りていくとか、そんなのでぜんぜんOkだという。 
 とにかくその集中する対象が大事というより、意識の空白を経験するために、深く集中するということの方が大事だかららしい。人間好きなことの方が、容易に集中できる。

 そういうのを聴いてると、面白そうで、俄然やる気が出てきたのでちょっとやってみようかと(*゚∀゚*)

 というわけで僕はI先生の誘導瞑想のCDを聴きながら
 自分がリラックスできる場所をイメージする時に

 まず森の中に、切り株のテーブルと、椅子
 その上に載っている、アイスコーヒーと、灰皿、よみかけの本
 木の葉がざわざわする音と、木漏れ日と、初夏の風
 花の上に蝶がとまり、小さなリスが、僕の肩にのぼってくる
 という非常に自分に都合のいいイメージを作り上げてみた

 そこから地下へと続く階段をおり、やがて自分のこころの本質である
 湖の岸辺へと向かうという風に、誘導瞑想は展開する
 最初は誘導の音声が入ってるほうがやりやすいかも。

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   I先生の自己の根源への瞑想
 

 最初の段階で思い切り、都合のいいイメージでそれに酔うくらいのほうが、そのあとの乗りが違うように思う。最初の集中が持続するからだろう。僕は結構動物になつかれたい願望が強いので、リスが向こうからなついてくるとかはアガる(*゚∀゚*)なんならきれいなおねいちゃんに囲まれたハレム状態でもいいのかもしれないが、瞑想中興奮してもしょうがないので、そいつは却下した方がよいかも(´∀`)

 あまりなにかを達成しようと必死にやらなければ、瞑想は面白いし、気持ちがよい。

 続けられるかな(。-`ω´-)ンー



 

無為の効用

  そろそろ、夜にぼけーっと゚+。(o´ェ`o)。+゚し始めてから、一月になろうとしている。

  うーん・・・時間の経つのが速い(゚∀゚ ;)タラー

  二時間も三時間も、音楽を聴いて過ごしてたらいい加減ヤになってくるかと思ったが、これがなかなか嫌にならない。それどころか、この魅力がはっきりとわかり始めたので、日常の中で不可欠のものになりつつある。

 これが続くのは、ひとつには部屋のクリーニングとか、緑化とか、照明を変えたという下準備があって可能になったような気がする。特に照明の影響は大きく、蛍光灯だったら僕の場合は無理だったかもしれない。
 どうも精神的に落ち着かなくさせる作用があるようで、あの白々した光の下だと、なに畳の上に植物置いてんだよβακα_φ(゚∀゚ )アヒャという白けたムードになるのに、間接照明だとそういう突込みが入れる気にあえてならないくらい癒し的雰囲気になる。

 とりあえず、8月からの不調の期間は、この穏やかな時間のクリエイトに結実したということになる。
 
 で、そういう夜の時間になにをしているのかというと、一日を回想してマーヤ解きをしていたり、ここのところの出来事の意味を解析しようとしたり、自分の考えを楽しんだりしている。
 最後には、神様にお祈りをして、黙想タイム幕となる。。゚(゚^∀^゚)゚。

 BGMは最初からクリムゾンコレクションかけたりすると、恍惚方面にいっちゃいそうな感じがするので、最初はピアノ曲とかからはじめて、最後は神様チックな曲でしめる。

 というのは神様は、僕に自分の頭で考えることをさせたいということだったようなので、考えるってーのは大事みたいなんすね。
 情報がたくさん入ってきてるときは、自分の頭で考えているようで、他からのエネルギーが頭をかく乱させていたことにようやく気づいた(。>д<。)ゞ
 いやー普通に思考することは、静かにしてないとできないもんなんだな。

 自分の頭の中で展開するものを見ているのは、あくまで自分の考えなのでテレビのように他者のスピードに強制的に従わせられることはない。
 ネットを長時間見てたときも、今思えば何か駆り立てられていたような感じがする。

 本もいいメディアだと思うけど、本だけ読んでて考えてる時間がないと、もったいない。

 一日はやいスピードで仕事してる人は、けたたましい番組を見ると、ある種の疲労が蓄積されるのではないだろうか。というのは、スローダウンが必要なときに、さらに加速化したリズムの中で休養する時間を過ごすからだ。

 だがテレビを消して、瞑想とまではいかないまでも、じっとしてると自然なリズム回復機能がその人自身のリズムへと連れて行ってくれる。
 しかし現代ほど人を一人にさせてくれない時代もない。
 家に引きこもっていても、テレビをつけると見知らぬ他人が話しかけてくるのだから。

 そして僕らも、静寂を恐れている。
 僕も調子が悪いとき、不安を紛らわせようと、テレビやネットを過剰につながっていた。
 でも今思えばそれが逆効果だったのだろう。
 でも、得体の知れない不安に襲われているときに、やっぱり静かな空間に自分を放り込むという選択は出来なかった。
 しかしそこで自分自身を取り戻すことが回復の鍵だったようだ。

 なにかしてないとダァー(゚ω゚)bメッ!!という強迫観念も現代人には多い。
 しかし実はなにもしてない時間というのはとても豊かな時間ではないかと思う。
 意味のあるものごとは、そこから生まれてくると言ってもいい。
 それは治癒と、創造の場だ。 

 なんか妙なくらーい感情や、ネガティブなものがじっとしてると沸いてくるから、他のものに走りたくなるというのもある。
 でも、よく考えてみると、それと向かい合うということが、他のものに走るよりも、とてもとても意味のあることかもしれない。
 たとえば「恐れ」という感情がある。
 「恐れ」が沸き起こって来たときに、他のものに逃げることも出来るし、ひどい場合は薬で封じ込めるということもできる。
 それは、「恐れ」と同じリングにあがることを拒絶することだ。
 リングにあがると(つまり他に逃げないと)ぼこぼこにされるかもしれない。でもそれは、リングにあがらないボクサーよりも勇気のある選択だと言える。
 そして、たとえぼこぼこにされるとしても「恐れ」とのスパーリングをしていると、彼が放ってくるパンチの癖だとか、そのタイミングというようなこともわかってくる。
 と、すれば次はこいつを避けて、こっちに回り込めばいいんだなというようなこともわかってくる。
 じっと彼を見ていると、

 「あれ、こいつ、なんか時々スケスケしてるし、ほんとはいないんじゃないの?」みたいな感覚も感じたりする。

 でもやっぱり、恐れが実在しないということをわかるとすれば、それはやっぱりリングに上がってからのあとだろうと思う。敵前逃亡をするのは、恐れがリアルであることを前提としているからだ。
 そして、恐れをパンドラの箱に押し込めると、その中で、それはどんどん増殖しふたを突き破って、うわーっとヽ( `皿´ )ノ飛び出してくる。

 スパーリングを積んでないから、ぼこぼこにされる。(これは僕の実経験をもとにしてます(´-∀-`;)
 だからこまめに、スパーリングをしていくことが恐れを克服するこつではないかと思う。
 ひとりになって、嫌な気分になる時は、いいチャンスということだろう。
 
 もちろん嫌な感情を敵とみなさずなぜなぜしてあげるというセラピー的手法もあるけど、どちらにしてもそれらと時を共有することを恐れないというのは、重要な点ではないかと思う。

 あともうひとつ、無為の効用としては、なんでもないことを楽しめる余裕が生まれるというのがある。
 なんかその情報がない時間というのが白紙のスクリーンのようになって、そこにいろいろなものの姿をクリアに映し出してくれるようだ。

 情報付けだと、情報によって快楽を感じる回路?みたいなものが出来上がってくるので、さらにさらにより興味深くて、過激な情報を追い求めてしまう。(実経験である(´-∀-`;)
 それはたとえばこういうイメージで言うと、白紙のスクリーンが何かの色で塗りつぶされて、さらにそこに意味あるメッセージを描くにはさらにどぎつい色を使うしかなくて、さらにさらに色を重ね、わけがわからなくなる感じだ。こうなると一回リセットして白紙のスクリーンに戻すほかない。(実経験(´-∀-`;)

 で、そういう白紙の感じをベースにしてると、あー空が青いなとか、きれいだなという感覚がクリアに入ってくる。今日もあるいていると、柿がいっぱいなっていて、「いやー柿って柿色だねー」と実感した。

 去年の今頃はドトールに入って、近くの女性たちが世間話をしてると

 「この世界が崩壊しかけているご時世になにのんきに話してるんだぁ!NYダウがどれだけ暴落したか知ってるのか!このアマ(*`此*)」

 と叫んでコーヒーをぶっかけそうな危ない気分だった。

 またこれからさらに暴落しても、出来るだけ、柿は柿色、空は青の世界にいたいもんだと思う。

 あ、時間だ過ぎてしまった。

 黙想タイムへGOβуё★ (o'ω'o)ノ ★ βуё


Holy night

夜、照明に照らされてる花にスプレーで水をかけてやると、宝石をまとったようにきれいに見える。
 
 店で買うときに「どれくらい持ちますか?」とたずねると

 「涼しくなってきたので4、5日は大丈夫ですよ」という返事が返ってきた。

 あと何日もつんだろうか。
 きれいに咲いてるほど、しおれていくときのことを考えると悲しくなる。

 携帯カメラにでも残しておきたくなる。

 なるべくきれいな姿を撮ろうと何回もシャッターを押していると、
 「聖夜」という言葉が浮かぶ。  


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