HSPのライフスタイルに関して(SEセッションでの会話)  

 2017-03-28
  先日、Hさんのトラウマ解放セッションでの会話。

  トラウマ解放にはウォーキングなどのエクササイズがとても有効という話しから・・・の展開で

  「・・・なんか展覧会が見たい、みたいな時にそこまで歩いていくとか、そういうのもいいかもしれない

灰  「そうですね。ただ街中が疲れちゃう部分がちょっとあって、いいなと思ってもかなり躊躇するんですよね。労力っていうか、受けるダメージとか考えると、

 「そっか、やっぱり街中の光とか、音とか、人とかそういうのが・・・

灰 「電車の混み具合とか、ですかね。たまプラーザ(セッションルーム最寄)来るのって結構好きなんですけど、ルートによっても違うし、街の雰囲気とかによっても違うんですけど」

 「なるほど、じゃあ雑踏みたいなのが苦手?

灰 「そうですね、渋谷とかホントダメ

 「ああ、わかります!私も渋谷行くと具合悪くなっちゃうの。

灰 「そういう方結構多いみたいですね。

 「やむを得ず用事があっていかなきゃいけない時はしょうがないけど。なんかダメね~、高円寺とか(笑)あっちの方の緑がある方なら大丈夫なんですけど

灰 「中野とか(笑

 「中野とかね~

 てな感じで渋谷苦手話しで少し盛り上がりました。

 中野って言いましたけど、確かに中野は渋谷よりはしんどくないけど、わざわざ行く感じでもないなあ、とあとになって気づき。

 じゃあ、どの辺ならいいのか。中央線の三鷹より西か?いや、単に西って言っても立川なんてまあまあしんどいし、武蔵小金井も南口のセコイアの木の広場は好きだけど、駅周りはなんだかごちゃごちゃしてるし、と考えてると今の最寄駅西武線花小金井くらいがちょうどいいかも?と思います。

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 花小金井駅 ランドマークはいなげやビル!


 今の生活スタイルは、基本地元で、用事があればやむを得なく「三鷹」や「吉祥寺」、「国立」(勤務先)などに行くって感じであることに気づきました。
 新宿とか、渋谷、六本木、上野、池袋、そのあたりの山手線まわりや内部の街には一年に数回、行くか行かないかです。 

 人込みや物音に敏感なのはおそらく、生まれついてのものだと思いますが今回のセッションではそういう「敏感さ」について話すことがありました。 

 「Kさんはがちゃがちゃしたところが本当にダメなんだね。静かな環境が必要なんだ。ある意味、普通の人には聞こえない騒がしさもすごく聞こえちゃうとかね。それつらいですよね。

灰 「(騒がしい人たちが)異質な生き物に思えてしまうことが・・・

 「まあ、それに名前をつけるとすればちょっと解離気味なのかなと。あまりにも騒がしく不快なので、ちょっと(からだから)離れるのかなーって

 子供時代も大変だったんじゃないですか?みんなうるさくて。

 
灰 「そうですね。電車とか乗ってて、自分の近くで2、3人で喋られてるだけですごく嫌で

 「うん、うん、わかるわかる。私はそれほどでもないんだけど、Gさんが結構音過敏で。彼も、静かな環境じゃないと絶対我慢できないって。

 なんでもH先生のパートナーのGさんも僕と似たような体質だとのこと。

灰 「僕だけじゃなくてよかったです(笑

 「音過敏の人いるのでね~。ほんとつらいと思うんですよ。私は娘がいるんですけど、私が娘と喋っててもGさんちょっといやなのね。その話し声が。で、それは私たちが嫌いなんじゃないの。

灰 「あーわかります

 「そうそう、私たちが旅行に行くと一緒に行きたがるし、そうなんだけど、でも~、彼も本も読みたいし、そうやって普通にしてる時にここら辺で話されるともうダメなのね。

灰 「集中できないんですよね

 「そうそう、私もそのへんのことが最近になってわかってきて、ホント、デリケートなひとってつらいんだなって

灰 「H先生も、でもデリケートな方じゃないですか?

 「うーん、まあまあ。でも私に輪をかけてGさんの方がデリケートで(笑)だからKさんもAランクって言うか、Gさん並みっていうか。

 電車なんかでもちょっとでも嫌だと思うと彼は乗ってられなくて、ほかの車両に移動しちゃわないと


灰 「あーわかります!すごいわかります

 「そうそうそう、私に、「わかる?」って言って、確かにあの人私もいやだけど全然ここに座ってても平気なんだけど、でも彼は、「悪い、ちょっと移動してもいい?」みたいな感じで(笑) うーん、いいよ、せっかく座れたんだけどなーみたいな(笑)

灰 「それは人が嫌って感じなんですか?

 「うん、人もだし、騒音全体が。蘭(コーギー)が吠えるのもちょっとダメだし。とにかく静かな環境じゃないと。ずっと子供のころからそういうデリケートさをかかえてね。でも周りからは理解されないし、神経質だなーって言われるだけでね。

 

 こういった「敏感さ」に関しては「ささいななことにもすぐ動揺してしまうあなたへ。」という本を読み、かなり理解が進んだ部分がありました。 

 それまでは、「敏感さ」を「心の弱さ」や「性格の歪み」「(対人恐怖症などの)病気」あるいは「トラウマ」と考えて、

 特に、「心の弱さ」としか考えてなかった20代の頃は「根性叩き直してやろう」的に、からだを鍛えたり水をかぶったりすれば強くなれると思ったりしていました。

 現在では、もう少し自分に優しく、感受性や共感力という「強み」として理解できるようになった部分はあります。

 でも、スーパーに行くのもコンディションによっては結構疲れるくらいなので「生きづらさ」というのはやはりずっとあり、この体質でどのように生きていくのがベストかというライフスタイルの模索は今も続いている感じです。 

 H先生からも、これを「治す」のではなく、それにあった「ライフスタイルをみつける」という提案がありました。

 「やっぱりそういう方って音の静かな田舎の方に越して、農業やってたりとかそういうパターン多いですよね。例えばすっごい静かなところに住んで、週二回くらいはちょっと車ででかけて介護をして、あとは畑を耕したり本を読んだり・・・みたいなね。

 で、そういう生き方で共鳴してくれるようなパートナーとかがいればいいですよね


灰 「そうですね。一人でやるとイメージするとどうしても寂しい感じがするので、パートナーか、グループとかが一緒だといいなっていう感じでしょうか

 「Gさんも自然農のグループに入っていて、月に何回か手伝いに行ってんですよね。手伝いに行ってもお金はもらえないんですけど、野菜をもらえるので(笑) 自然農なので、草むしりとかも手でやるし、農薬も使わないので

 で、そういうのに来てる方ってそんなに人なつっこくはなくて、みんなもそっと来て、もそって帰るみたいなそういう感じで(笑)べたべたしないし、でも、野菜の話ししたり・・


 もそっと来て、もそっと帰る(笑)、なんか癒される。いい表現だ~



 こんな風に標準以上に敏感なタイプの人々をHSPと呼びます。

 誰にでもセンシティブな部分はあるので、はっきりと二分できるものではないですが。 

 HSP、非HSPという分け方をするなら、非HSPは戦士タイプ、HSPは茶坊主タイプみたいな感じでしょうか。

 エヴァで言えば 鈴原トウジ と 碇シンジ 
 ドラゴンボールで言えば 子供の悟空 と 子供の悟飯

 いわゆるいつでも元気飯がうまいぜタイプと いつも食細びくびく悩み多きタイプです

 だいたい一昔前のアニメの主人公って前者ですが、最近は後者だったり全般的に繊細になってきてる気はしますね。
 あーのび太君はどっちかな、
 3秒で眠れるのは、絶対HSPではないと思うのだが、感じやすいところもあるし、出木杉君の方が繊細な気もするし、ちょっとわからない(笑) 
 
 


 
 ↑最近では東京ぐーるのカネキ君(文学少年)とか↑
 これは明らかにシンジ系の血脈ですが

 関係ないですが、おととし東京グール読んでてヘッセの「デミアン」の一節が登場し驚いたことがありました。
 「生まれようとするものはひとつの世界を破壊せねばならない」っていうあれですね。

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 あ~なんかかなり脱線してきた。

HSPについて詳しくは、この本で 
 HSPの特徴や どう生きればよいかなどが詳しく書かれています。


 


 上の本にもありますが、HSP的傾向がある方は、毎日の暮らしの中で「安全地帯」がとっても大事になります。

 これゆっくりと一人くつろげるような静かで、心地よい波動(音、匂いなど)に満たされた快適な空間、時間です。

 自室、緑豊かな公園、布団の中、お風呂 どこでもいいのですが、自分を取り戻せる場所。
 そのような空間で、音楽を聴く、読書をする、瞑想をする、神様タイムをする、そのほかなんでも心穏やかにくつろげるようなことをします。もちろん、疲れ切ってる時は、布団の中でうとうと夢の世界をさまようのもいいかもしれないですね。

 どうして「安全地帯」が必要かというと、たいていの場合、HSPの人は過剰な刺激に疲弊気味だからです。
 自分オリジナルの安全地帯が確保できれば、一日の生活の中で疲れた神経をほぐして、エネルギーを充てんすることができます。

 まあ、なんでも好きなことをすればいいのですが、個人的にはテレビ、スマホ、PCなどのデジタルに触れる時間とは別に、落ち着けるアナログな安全地帯を確保するのがいいんじゃないかと思います。(デジタル機器は脳への負荷が大きいため)

 HSPの傾向のある人は、とても環境の影響を受けやすいので、芸術や自然などからなるべくよいバイブレーションを自分自身に転写することが大事です。

 こんな風に「安全装置」をうまく使いつつ、都会での生活を乗りこなしてゆくというのも一つの方法です。

 でも、今回のセッションでのH先生のアイデアのように、ライフスタイル自体をなるべく「安全装置」に近づけるという選択肢もあり、これが本当は理想かもしれません。
 今後、田舎に住んだり、自給自足に携わるということはとても重要な流れになっていく予感がします。

 そういう意味では、都会生活に適応しようと心身に無理をしていた人たちが、よりフィットする生き方にシフトしていくことが結果として、世の中のためであるとも言えるのかな?と思います。

 


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ネロリにハマる

 2017-03-25



ここのところ、アロマテラピーのエッセンシャルオイルに興味がでてきていろいろ試したりしています。

 きっかけはトラウマ解放セッションでお世話になってるセラピールームの最寄り駅に、結構大きめのアロマショップがあり、何気に立ち寄ったところあまりにもいい匂いが立ち込めているので参ってしまいました。

 最初たまたま手に取ったフローラルウォーター(エッセンシャルオイルを水とエタノールで希釈したもの)が、ものすごくいい匂いで、嗅いだ瞬間お花畑が広がるというか、そういう感じでずっと記憶に残っていました。

 なので次に訪れた時に購入。

 

 これが「ネロリ」のウォーターで、ビターオレンジの花が香りのもとのようです。

 枕元において、寝る前にちょっと匂いを嗅いでみたりすると、結構一瞬で気分がリラックスしたりして。

 気分とか、思考を転換するために瞑想だとか、何か唱えるだとか、いろいろやってきましたが「香り」ってすげーなとあらためて思いました。

  マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」には、紅茶にひたしたマドレーヌ菓子の匂いが主人公を一瞬で幼い頃の記憶に引き戻すというシーンがあるようです。

 芳香は脳の比較的古い部分にダイレクトに働きかけるので、影響力が強いのかも。 

 たとえば夜中に不安な夢で目覚めたりすると、相当バカバカしい内容でもその夢の波動世界というかリアリティに心臓をつかまれてる感じがする時があります。いや、ホント、人形がしゃべりだしたとかB級ホラーみたいな内容でもかなり怖いですよね。

 それって無意識の奥から立ち上がってくるので、どんなにくだらない内容でもパワーがあるんですが
 また真夜中や寝起きなど理性の力が弱まってる状態では、潜在意識にある悩み事のパワーも増します。

 XJAPANの「FOREVER LOVE」に「夜明けに震える心を抱きしめて」という歌詞がありますが、まさにそういう状態のムードなんじゃないかと。




 太陽の光を浴びて、からだを動かせばそういうのも追い出せますが、夜中だと電気をつけるくらいが精いっぱい。しかも周りはしーんとしてる。そのため無意識化のパワーは目を覚ましてもなかなかおさまりません。

 こういう時僕は、いつもだいたい神様に祈ったり、般若心経を唱えたりします(それはそれではたから見ると怖いかも)。

 でも、それに加えて匂いという五感から→古い脳へのアプローチはかなりパワフルであるということに気づきました。  
 言語中枢からのアプローチとは違う次元で落ち着かせてくれます。

 フローラルな香りの微粒子が、鼻を通して、夢の波動世界に力を持たせている脳の箇所にダイレクトに働きかけるような、そんな感じがします。

 アロマ辞典によると「ネロリ」は次のような効用があるそうです。

 「心が乱れ、つらい感情にあふれている日に。ストレスが体の奥まで入り込んでしまった感覚があり、何らかの不調が現れてしまったときに。日々過ごすことに精いっぱいで、意欲的に何かに取り組むことなど到底できないと感じているときに」

 ●うつ状態 喪失感 悲嘆 過度の攻撃性 ペットロス 不眠 動悸 自律神経のアンバランス 便秘 腸内ガス 食欲不振

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 また別の書籍によると
 
 安心 回復 復活 というキーワードで

 「ネロリという名は、ローマ近郊のネロリ公国の公妃アンナ・マリア・デ・ラ・トレモイルと関わりがあるようです。17世紀にこの精油をイタリア社会に紹介したアンナ・マリア妃は手袋や文房具、スカーフに至るまであらゆるものにネロリの香りをつけていました。

 ネロリはまたマドリッドの娼婦がつけた香でもあり、この香りが目印でした。その一方で、オレンジの花は純粋性と処女性を象徴し、花冠として花嫁の頭を飾ったり、ブーケが作られました


 というように、甘くて少し官能的香りでもあります。

 この香りが、B級ホラー的夢から、お花畑へとシフトさせてくれるのもうなづけます。
 
 ネロリに始まり、直観的に気になった精油を少しづつ集めることにしました。

 現在、イランイラン、ユーカリグロブルス、ベルガモット、ラべンダー&ティートリー(ミックス)、ゼラニウム などと触れ合っています。

 

 現在はゼラニウムがかなり気に入っています。
 これもどちらかというとフローラルなかなり甘い香りです。
 香りがそこそこ強く、半身浴程度ならほんの1滴バスタブに入れるだけで、入浴後もからだにわずかに匂いが残るくらいパワーがあるので驚きました。

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 ゼラニウム


 キーワード 安心 受容性、親密さ

 「感情が意識を圧倒するタイプの人にはラベンダー油が適するのにくらべ、ゼラニウム油は理性と自己の動機が、感情や感動を否定するタイプに向いています。この精油は私たちを情緒豊かな人生と再び結び付けます。感受性や気軽な自発性、喜びや楽しみを求める健康的な欲求を回復させるようにします

 どうも、選ぶ精油に共通の性質や効果があるような気がするので、現在必要なバイブレーションを持つものに引き付けられてゆくのかもしれません。

 精油をセットで購入しようかな?とも思ったのですが、一本づつ気になるものを入手するというやり方でよかったかも。

 それぞれの植物のエネルギーをひとつづ感じてゆくのは楽しいですね。

 オイルには天然の化学成分がたくさん含まれており、抗炎症作用、抗菌、鎮咳作用(咳を鎮める)、筋肉弛緩作用、血圧降下作用、催淫作用、神経強壮、多幸作用、解毒、など様々な効果があるようです。

 アロマテラピーというと、いい匂いでぼーっとリラックスするみたいなイメージしか持っていなかったですが、植物にこれだけの様々な化学物質が含まれているので、医療の現場で心身の治療に生かされているんですね。
 
 しかし、パワーのある化学物質はもちろん、人体にとって毒性となることもあるので使用方法や濃度にある程度の注意が必要となるようです。オイルの原液をそのまま肌につけない、(医療アロマをのぞいては)飲用しないなどの基本的な注意点がいくつかあります。

 家庭でできるアロマテラピーとしては、ディフューザーを使ったり、ろうそくでオイルを揮発させるアロマポッドなどが有名です。
 今、うちにはそれらはないのですが、簡単な芳香浴としては、ティッシュに1、2滴たらして机においておく、とかお湯を入れたカップに数滴いれておいておくとかでも十分香りが立つことを知りました。 

 ちょっとづついろんなことに取り入れてみたいなぁと思います。


 ■参考文献■

 

 




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Beyond the sky サラ・オレイン

 2017-03-20




 



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これはあなたの人生です AKIRA

 2017-03-18

  AKIRAマスターの新曲ができたらしい♪

  


  


 

 ↓神降臨↓【 Life is beautiful 】 AKIRA

  この歌はAKIRAさん自身にしか歌えないよなーといつも思う。 

 


アルバム「 家族 」収録曲
AKIRA ALBUM 販売ページ ≪ http://akiramania.thebase.in/


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ウォーキング・ウォーカー

 2017-03-14


引っ越しで舞い戻ってきたこのあたり、多摩湖まで伸びるグリーンロードがあり、朝夕には犬を散歩する人、ランナー、ウォーカーがたくさんいます。

 もーこういうのが いっぱいなんです!

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 あ、すみません、嘘です。
 こういうのはまだ近所では見たことはありません。
 つーかそんなとこ住みたくないわ。
 これは海外ドラマ『ウォーキングデッド』のウォーカーでした。(人肉を噛むのでバイターとも言う)

 デカくてグロい写真を張り付けてごめんなさい。
 
 現在シーズン5まで見ているので、ついついこっちのウォーカーを思い浮かべてしまいます。
  
 万が一どこかでであった時は、問答無用で顔とかを噛み千切ってきますので、迅速に脳を破壊してください!

 動きは遅いですが、大群で来られると非常にやっかいです。そういう時は、遠くに爆竹とか投げて気を引くと (もういいか)


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 ↑そうそう、こういうさわやかな方のウォーキングについて書こうと思ったのだった。

 本日うどん屋さんで昼食をとっていたところ、近くに座ったおばさんが

 「私毎日12キロ歩くのよ~、もう80なんだけどね。ちょっと前まで世界の山を登っていたの」

 なんて話してるのを聞いて、思わずまじまじと見てしまいました。ピンク系のウエアを着ててとてもその年齢には見えないので、ちょっとびっくり。まったくよぼよぼしてません。さすが70代でカンチェンジュンガにアタックするだけのことはあります。(そうは言ってないけど・・・) 

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 12キロっていえば、まあ、ゆっくり歩くと2時間以上かかりますよね。
 それ毎日って結構スゴイ。

 僕も一昨年、ロングウォーキングにはまっててたまに20キロ~30キロくらいよく歩いてたんですが、日々の日課としてはだいたい一時間未満くらいでした。そして、日によってはそれを30分くらいのランニングに置き換える感じ? 

 登山の経験薄で丹沢山系を縦走して、死にそうになったりもしてました。

 とろこが昨年はあまり、歩くことはなかったのですが・・・

 理由はわかりませんが、結構幹線道路が多い場所で、少し空気が悪かったのもあるかもしれません。

 しかしそんな話しをしてるのを隣の席で聴いていると、久しぶりにウォーカーとしての血がふつふつとわき立つのを感じました。 
 はためにはうどんを黙々と食っているようにしか見えませんが、静かに沸いているのです。

 1970年代生まれ♂が、1930年代生まれ♀に負けてなるものかと、気合を入れなんと本日は1時間歩きました。

 ・・・約半分やんって。いやいや、ウォーミングアップです。徐々に、徐々に

 ちょっと長めに歩くといつも気づくのですが、だいたい僕の場合、30分以降~調子がよくなってきます。

 最初はダルクても30分くらいすぎると体も慣れてきて、気分も程よく高揚した状態で、思考も心地よく回転するような状態になってきます。

 だいたい30分すぎると、そのあと、2時間くらいまではすーっと行けますかね。

 2時間~3時間くらいすぎると、なんとなく感覚がワイルドになってきます。
 うーん、これうまく言えないんですけど、「わしはちっちゃなことは気にせんきに!」みたいななんかそういう土佐の男みたいな感覚が出てくるんですよね。(あくまでも個人の感想)

 20キロくらい(4時間弱)になると、さすがにちょっと体が疲れたとかっていうよりも、足の裏とかが痛くなってきます。
 信号灯や、コンビニ、街角の風景がなんだか抽象的に見えてきます。21世紀都市型文明の典型的一風景のように見えてくるというか(説明が難しい感覚)
 
 30キロ~すぎるともう疲れてるのかなんなのか、なんだかよくわかりません。
 倒れそうとかほどではないけど、気持ちよくもない。少し頭がぼーっとしてくる。
 結構な確率で足の裏が水ぶくれています。

 今のところ、1日に歩いた記録としては40キロくらい。

 気持ちいのはやっぱり30分~2、3時間くらいがリミットかも。
 長く歩けばいいってもんじゃないと思いますが。
 でも15分、20分でやめるのは明らかにもったいないですね。

 僕は高知大学出身なのですが、かの大学には毎年冬に空手部が主催する「室戸貫歩」なるイベントがあります。
 これは大学から室戸岬まで、およそ90キロの道のりを一晩かけて歩くというもので、一般の人でも参加可能です。
 ただし翌日は寝込むらしい。
 あいにく僕は薄暗い部屋でヘルマン・ヘッセとか読んでることが多かったので(笑)、参加したことはありませんが。
 一回くらいやっとけばよかったかなと。 
 しかし、一晩で、90キロ。上には上があります。
 逆言えば、人間、それくらいはできちゃうってことですね~。
 完歩率はそんなに低くなかったかと。

 
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  ウォーキング・メディテーションというか、からだや意識の状態の変化を観察しつつ歩いていると意外と、長時間でも飽きずに楽しめたりします。 なんかたぶん、セロトニンとかそういうのが出てくるんでしょうね。

 40キロ越えの向こうにももしかしたら、第二、第三のウォーキングハイポイントがあるのかもしれません。

 去年時々お世話になったSE(ソマティックエクスペリエンシング)のH先生は、ウォーキングは地味にトラウマ解放にも役立つとおっしゃっていました。

 トラウマの問題は、逃走・闘争反応が固まっていることにあるので、それを解凍して生命力をよみがえらせていくためには、確かに足を動かすのは理にかなっていると思います。

 そんなこんなで、今日は、また長距離ウォーキングをやってみるきっかけを見知らぬ方からいただいた一日でした。

 ウォーキングデッドのウォーカーの恰好で、森の中をウォーキングするイベントとかあったら参加してみたいです。(ないか・・)



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マップ・オブ・ヘブン

 2017-03-13



  最近、かなり更新頻度が落ちていますが、実はまた引っ越しでバタバタしていました。

  去年の一月に引っ越したばかりですが、ちょっと諸事情あり。。。一年ほどでまた大移動。

  考えてみると2012年以降で、もう3回目になりました。

  ある意味変化が多いというか、路頭に迷ってるというかそんな感じもなきにしもあらずですが。

  3年半ほど暮らした都立小金井公園近辺にまた舞い戻ってきました。

  今、窓から見える東の方向には西東京スカイタワーが水色に光っています。明日は雨なのでしょうか。(これ天気によって色が変わるらしい)

  まだ一週間ほどですけど、やっぱりこの辺の環境が落ち着くな・・と。

  どうも近くに広い空間やグリーンが多くないとダメみたい。   

  そんなんで、引っ越しにともないネットもしばらく使用停止して、昔買った本を何冊か読み直したりしています。

  今はエベン・アレクザンダー氏の「マップオブヘブン」。




  臨死体験記として有名になった「プルーフオブヘブン」の続編です。
  前作に比べて体験記的な色合いは薄く、どちらかというと臨死体験や古今東西の神秘体験の意味するところの考察という感じです。

 それと、前作を読んでエベン氏のもとに寄せられた読者からの手紙が多数掲載されています。
 その多くは、自分もおなじような体験をしたという内容なのですが、これが結構興味深く、かつ心打たれるものが多い。  

 今回そのひとつを引用、紹介したいと思います。

 本文第6章 喜びの贈り物 より 読者からの手紙

 アレグザンダー先生

 娘のヘザーは1969年に、重度の脳性小児まひを患って生まれてきました。身体を起こすことも、話すこともできませんでしたが、周りのことすべてに興味を示し、笑い声もあげていました。本当によく笑っていたものです。長く生きられても12歳くらいまでだろうと言われていたのですが、娘は20歳まで生きて1989年に亡くなりました。息を引き取った次の日、娘の死を頭から追い払いたくて庭で芝刈りをしていると、どこからともなくやってきたオオカバマダラの群れが私を取り囲むように舞い飛んでいました。あれは霊的になにか意味のある出来事だったのでしょうか。私にはわかりません。

 話を先へ進めて、1995年に飛びますが、ベッドに入っても目がさえたまま、「神さま、どうしてあなたは私にこんな不幸な仕打ちをなさるのですか」と胸のうちで問いかけた時のことでした。そう考えると同時に、寝室の左手の隅に真っ白に光っている人影が現れたのです。それは娘に違いありませんでした。娘は私を指さしながら「パパ 違うわ。そんなことはないのよ、あれを見て!」と言い、右手を指し示しました。そちらを見ると、まぶしい白い光が渦を巻いているのが目に入り、光はたちまちにして部屋中を埋め尽くしました。ことばによる説明はなかったものの、その瞬間にいくつかのことがはっきりと腑に落ちたのがわかりました。その時に味わった至福の境地は、とてもことばになりません。

 娘は神様の天使となって幸せにしていることがわかったのです。残された私たちも、死後の心配などしなくてもいいこともわかりました。造物主の偉大さに比べれば、人間が理解していることは笑ってしまうほどちっぽけなものでしかないことも。あれは確かに本当に起きたことだと思っています。ですから、「神を信じていますか?」を聞く人があれば、こう答えています。

 「信じてるだけじゃありません。いささかも疑わずに神は存在することを知っているんですから」と。




 ■私は神を信じているのではありません。神を知っているのです

                       --カール・ユング 神を信じるかと問われた時の晩年の答え。

 またイラク戦争で重傷を負い、臨死を体験したナタリー・サドマンの言葉も大変興味深いです。
 同じく本文第六章より

 「肉体的な苦痛からは逃れられなくても、精神的な苦痛は避けることができる。仏教ではそのように教えられてきた。人生で経験していることの一部始終が自ら計画したことであって、臨死を体験し、人生には意味もあれば価値もあったことがわかると苦しむことなどできなくなる。

 黒こげになったトラックの血だまりの中で意識を取り戻し、激痛に耐えて胎児のように病院のベッドで丸くなり、麻酔の後遺症で内臓が出てしまうかと思うほど吐いたりしても(あれほどつらいことはなかった)、50年にわたってものが二重に見えてきたと言っても、臨死体験をしたときの喜びの感覚がやきついて離れない。  

 それは幸福感とは別の感覚だ。幸福感は、その時々の状況や環境によって生じているだけで、不変の内的な状態ではないように思える。気分がめいる、不安になる、恐れをいだく、イライラする、腹を立てる・・・私も状況や環境次第で不幸せになるが、同時にその状況や環境に興味をそそられ、場合によれば面白がりさえし、そのような場面をつくりだしたことや自分の言動、感情を眺めることができる。

 この世界に生きていることを四六時中幸せに感じているわけではないし、自分の置かれた状況を特別にうれしいとも思っていないが、意識をもって創造性を発揮しながら経験を探求すること、それ自体に伴う愉快さ、こうしていることの根底に流れる喜びは、どんなときにも忘れることがない
。」


 すべてがハッピーになるとかいうのではなく、どんな状況でも変わらない喜びがあるというこの意識は、より本質的な体験より生ずるものではないかと思います。









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僕の心をつくってよ 平井堅

 2017-03-11
 
  

 これからもこの先も 僕のこころを作ってよ・・・

 いい歌!

 映画ドラえもんのテーマソングなんですね。

なぜか涙せんを崩壊させる。

 ↑介助者と利用者のPVもこころあたたまります。

 また練習してみよっと^^

 全編は↓

 





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思わぬ出会い

 2017-02-27


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 まだ寒いですが、青くて小さいオオイヌノフグリがもう咲いてることに気づきました。
 春を告げるこの小さい花が大好き。

 あ、てんとう虫までいる!

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 しかも二匹

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 吾輩はどこにいるのか・・・

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 しばし遊んでもらう

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 よいしょ よいしょ

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 にこっ(多分)

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 春先の素敵な出会いでした。

 三鷹  神代植物公園付近にて


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エリクサーを巡る断片

 2017-02-14
 

 ■ヴォイトレ続けていますが、ちょっと記事の統一性確保のために、いったん最近の歌関係は非公開に設定いたしました■






 さて、今回の記事タイトル「エリクサー」とは、一種の伝説的な万能薬で、これを服すれば不老長寿になる、いかなる病も治癒するというものです。ゲームのファイナルファンタジーシリーズでも、HPを回復するアイテムとして登場したと記憶していますが、その語源はイスラム錬金術にあるようです。詳しくは→wiki 

 では、実際にエリクサーは存在するのか?

 という問いを人類は長いことしてきたと思います。

 秦の始皇帝が幻の仙薬を求めて徐福をつかわせたことは有名ですが、数多くの権力者や大富豪、あるいは魔術師、神秘主義者、近代になっては医師、治療家がごく真剣にそのような魔法の霊薬を求めてきたと思います。

 僕には、そのような薬剤がケミカルに開発され得るかということに対しては、正直わかりませんが、『それ』はおそらくすでに実在していると思います。

 時々読ませていただいている、in deep というオカさんという方のブログで、ブルース・リプトン著「思考のすごい力」(the biology of belief)という本を知り、購入してだいたい読み切りました。





 著者のリプトン博士はスタンフォードやウィスコンシンで教鞭をとる細胞生物学者のようです。
 生物学者の観点から、思考やスピリチュアルな力が、細胞レベルに及ぼす影響などについて書かれています。

 その中の一章に「心は薬よりも力がある」という章があります。

 このタイトルは、医学で言われるプラシーボ効果について言及したものです。

 現代医学で使用されてる薬は、ケミカルなもので、それが体内で反応することによりいろんな病気の症状が抑えられます。
  しかし、薬には「治る薬を飲んだ」という認識が、実際に症状を好転させてしまうというプラシーボ効果が必ず存在します。 

 2002年、なんと抗鬱剤の効用は80パーセント以上がプラシーボであるというデータを載せた論文が発表されました。
 これによると、主要な6つの抗鬱剤の臨床試験においてその効果はシュガーピル(つまりプラシーボ)を用いたものとほとんど変わらなかったそうです。
 このような例は、抗鬱剤に限らず、すべての医療行為の周辺に存在するのではないかと思います。

 なんだか頼りになるお医者さんの顔を見たら、風邪のしんどさが軽快したとかいうことだとか、お母さんに痛いの痛いのとんでけーしてもらったら、痛くなくなっただといか、というようなことを含め

 著者はこのプラシーボ効果は、心(信念)自体が病を軽快させる力があることにより起こると考えています。

 僕が思うにプラシーボ効果には「儀式」が必要です。
 ある意味、その儀式内容はなんでもかまいません。

 お遍路をする、加持祈祷を受ける、リフレクソロジーを受ける、気功治療を受ける、パワースポットに詣でる、

 なんでも、それを「信じてさえ」いれば、プラシーボ効果をつまり自己治癒力を発現させるきっかけになると思います。 
 現代の医学では、その「儀式」が薬剤や手術だということになります。
 なんだか人間は、時代を越えて、神殿や病院や聖地の周りをまわりながら、外側のパワーという幻影によって自己治癒力を発現させてきたんだなと思うと不思議な気分になります。

 「儀式」そのものにまったく力がないというわけではありませんが、もしかすると、「儀式の効用」:「プラシーボによる自己治癒力の発現」を比較した場合、その比率は普通に考えられてる以上に、自己治癒力の比率が高いのかもしれません。

 普通は儀式10:自己治癒0と考えますが、この比が6:4とか、もしかすると5:5・・・それ以上という可能性もあるのでしょうか。

 ところで、「心は薬よりも力がある」という言葉、じっとこれを考えてると、「それは確かに、そうだよなー」とつぶやいていました。

 この著者は主に、信念が体に及ぼす作用はすごい、という文脈でこの言葉を使っていますが、

 このブログで何度も書いている、アニタ・ムアジャー二さんのケース。



 臨死体験後、数日で末期の末期だった全身に転移していた癌が、「完全」に「ひとりでに」消えてしまったというケースがあります。
 アニータさんは悪性のホジキンリンパ腫のステージⅣBでした。
 レモン大の腫瘍が全身にあり、肺にたまった水で呼吸ができず、腫瘍による血流障害のため顔全体が風船のようにはれあがった状態だったのです。
 それが、愛とエクスタシーにみたされた臨死体験を経て、意識を取り戻したあと、数日でまったく消えてしまいました。
 このケースはあまりにも奇蹟的であったため、コー医師という人によって徹底的に調査され、世界中のがん研究所に報告されていますが、同じような事例はひとつもないそうです。

 アニータさんは著書の中で臨死体験で経験した、「無条件の愛」の気づきが病を癒したと語っています。

 「心は薬よりも力がある

 この言葉を(信念だけではなく)広く解釈して、心、つまり精神的(spiritualな)なものは、薬よりも効果があるとするなら本当にまったくその通りだと思うのです。こんな風に奇蹟的な治癒を可能にする薬剤は存在しません。
 
 人間が求め続ける、霊薬「エリクサー」。

 それは一言で言うと、宇宙や神の属性である、「無条件の愛」だということになります。


 愛のない生涯は価値がない
 愛は生命にとっての水
 全身全霊を傾けて飲み干しなさい

                              ルーミー


                            




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Spirituality と、その他の欲求(必要性)③

 2017-01-09
  (続き) そのことでちょっと思うのは、ミドルからトップ部分の欲求を充足させるマニュアル、あるいは処方箋というのはたくさん出回っているということです。

 心身の健康で言えば、ヨガやピラティス、気功、その他の運動、各種食事法、各種セラピー、ヒーリング、薬剤、

 愛情欲求であれば、どうすればモテモテになるかというようなものから、対人関係の築き方、運命の人と出会う方法、

 自己実現‐自己超越であるならば 各種成功哲学、各種組織宗教、人生論、など様々です    

 個人的には、霊性、心身の健康、愛情・人間関係、豊かさ、ライフワーク、楽しみ・趣味 などの部分にトータルに意識的であることがバランスよく生きるために必要ではないかと思うのです。
 よく言われることですがどこかの部分が他よりも整っていないと、そのより低い部分のレベルに応じてしか人は生きることはできないという・・・これは事実ではないでしょうか。
 
 非常に有能な人でも、インナーチャイルドが常に泣いていると、私生活で人間関係を築くのが難しくなります。からだのエネルギーが低すぎると、天才的アイデアがあっても思うように動けません。
 霊性があまりに閉じていると、肉体と物だけがすべてで、互いにバラバラに意味なく存在しているということになり、限界ある物質的次元でしか物事を考えることができません。
 そのようなことですが。

 ですので、仮に人生学校のようなものをつくるとすれば、ホリスティック(全体論的な)なアプローチが必ず必要になってくるはずです。現代の学校教育で教えられるものは、かなり局所的な人生の断片なので、いろいろな弊害が生まれてるところがあります。

 でも、こんな風に情報自体はたくさん出回っているので、自分にあったもの(足りないもの)を取捨選択する能力があれば、バランスをとりもどして全人的なありかたを目標に生きていくこともできるはずです。

 ただ、これらはすべて現在の経済システムのボックス内でうまくまわることができる「商材」でもあり、そのため流通に乗りやすい性質があるものかと思います。それ以外のものは盲点に入って見えにくくなるのですが、それがピラミッドのボトム部分、呼吸であるとか、食、そして安全などです。

 まだまだこの国では、どうすれば食べ物を得られるかということよりも、どうすればお金持ちになれるか、どうすれば人気者になれるかという類の情報の方が魅力的に映ります。

 というのは、とりあえずはスーパーにでもいけばなんらかの食べ物は低価格で売ってるからですね。
 同じようにシリアとか、最近テロがあいつぐトルコ、ヨーロッパなどに比べると安全感もまだまだあります。

 だからどうすれば、食べ物を得られるか、どうすれば平和でいられるかということにはまだそこまで欲求がたかまりません。

 でも、ここんところ庭で野菜つくったりしてる人は増えてるみたいですね~ 
 僕も前の家ではじゃがいも植えたりしてましたけど、
 自分の部屋の真ん前の地面で食べ物が成長してるっていう感覚は、結構わくわく感がありました。
 庭がなくてもベランダでプチトマト作ったりとか、っていう方も多いみたいで、楽しそうです。

 師匠みたいに、コミュニティファームを作るというビジョンを持ってる人も多いでしょうし、水面下では単に売ってるものを消費して食べる生活から、自分たちで栽培したものを食べる生活に移行したいという<必要性>が動き出しているのかもしれません。

 僕は食べ物のように、「平和(安全)」も自給できる時代に入っていくことが必要だと思います。 
 どうすれば「安全・平和でいられるか」を説いた処方箋はほとんどないと思います。
 というのは、一般的認識として、平和というのはたまたま与えられているという感じだからなのでしょう。
 そして実際問題として、多くの人にとっては、戦後60年以上にわたる平和は「たまたま」なのだと思います。
 そうでなければ、安全保障とかそういうことではなしに、「外敵から身を守ることによる自国の平和」という、そういうレベルだけではなく、本当の「平和」とは何かという積み上げられてきた思索が一般に浸透しているのではないでしょうか。

 二発の原爆を体験した国として、僕らは本当はそれくらいの哲学は持っていてもよいかと思います。

 そして3・11を境に「安全感」が徐々に劣化しているような気がします。
 それは本当に少しづつ進行しているので、気づかずにいることもできるかもしれないのですが、「安全」が「とりあえず安全」とか、「ただちに危険はない」とか「ひとまず平和」に変わってきてます。

 だとすれば、日本人全体の欲求ピラミッドの土台部分がかなり不安定になっていることを意味します。

 どうも僕にはたびたび起こる嫌な事件や、社会になんとなくただよう「おかしさ」の原因のひとつはそれではないかと思えます。やっぱり立ってる土台が揺れてると、行動も考えも若干変になると思うんですよね。
 「安全感」を前よりも感じられなくなってきている、そこからいろいろなことが発生してはいないだろうかと。
  ヨーロッパ、そして日本でもみられる右傾化傾向は、失われた安全感への代償欲求なのかもしれません。
  この代償欲求が、お金や、他への攻撃や、支配や、従属やら、性やらにむかうと全体的に意識レベルが低下します。

  不安だからみんなでより集まり、意志を同じくして、一丸となり、外敵と戦うぜ! ということは一時的な解決にはなりますが、結局どの国もそうなると最終的にバラバラ、そして戦争になることは避けられません。  

 こういう時代に合って、首都直下地震の可能性もある関東に生きつつ、いつのまにか失われつつある2011年以前の日常感、安全感を充足させるにはどうすればいいのか。
 
 うーん、これは人によって答えも違い、簡単にこれという解答は思いつかない難問です。
 どう考えようと3・11以前の日々は失われたというのが、僕のからだが感じている感覚です。
 日々瞑想してこころの平和を!とかそういうことだけでは答えにならない部分がやっぱりある問題ですね。
 まーした方がいいとは思いますけど。
 人によっては瞑想中に西日本のほうへ移住しようと思うかもしれないし・・・・・いろんな選択肢があります。
 
 ただ戦争なき安全ということで言えば、結局答えは「霊性」にしかないような気はします。
 逆に言えば、僕らが霊性に目覚めない限りは、戦争はあるでしょうし、その他大小さまざまな争いは地球上で継続され、それによって不幸になる人がいるという現実はかわらないでしょう。

 欲求のピラミッドのボトム部分にある、安全感を担保するために、上層部にあるであろう「霊性」が必要というのはちょっとパラドキシカルです。
 衣食足りて礼節を知る、しかし、衣食足りるには礼節が必要なり、みたいな・・・そういうとこもありますが。

 霊性は安全必要→安全は霊性必要
 本当にそうだとすると、大昔から人類は動物状態のままであったと思います。
 成長の土台となるある程度の平和さを保つために、 きっと大昔から、現在に至るまで大いなる存在が平和を維持してくれていた部分もあると思います。僕らより進化した存在が土台部分を支えてくれていたと考えれば説明つきます。

 でも、「食」と同じように「安全」も自給できるような責任性が、今後は必要なのかなと思いました。

 
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