卵の中の黄身

我もなく うつし世もなくなにもかも  神の中なる 神のあらわれ  BYダンテス・ダイジ

天河

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 早朝7時前。
 神社から太鼓の音が聴こえてくる。
 昨夜民宿の奥さんから聞いていた、朝拝の合図らしい。
 障子から差し込んでくる朝の光がきれいだ。
 騒音の少ない環境にいると、ちょっとした光や音の変化に敏感になるようだ。

 でも眠いな〜・・・・行こうかな〜止めようかな〜・・・

 寝床の中でごろごろしてると次第に目も冴えてきた。
 行くか! 

 拝殿への石段をあがっていくと、中からすでに宮司さんの声が響いてくる。
 中には巫女さん含め3人くらいの人が椅子に座って、祝詞の書かれた冊子を手に持っている。
 僕も椅子のひとつに座るよう勧められた。
 おおーこの祝詞をあげてる人が噂の柿坂宮司だろうか。
 朗々と流れる声が少し変わった反響で響いている。
 
 終了後、宮司さんから参加者への短い言葉があり、巫女さんからお神酒が勧められた。
 それをくいっと飲み干したあと、もう一度手を合わせて拝殿をあとにする。

 胃の辺りがあったかくなり、そのまま部屋に戻りたくない気分だ。
 少量だったが、すきっ腹に飲むと効く。
 ぶらぶらと昨夜来た、天の川温泉のあたりまで歩く。
 立派な地蔵堂の側の石碑になんとなく目を向ける。
 そこには地蔵堂の由来が記されていたのだが、昭和50年代のお祭りのときに、この近くで写真を撮ると橋のたもとに弘法大師様が映った、このお堂はそれを記念して建てられたという。

 この石碑の文を読んで、うわー天河っていっちゃってる(悪い意味ではない)場所なんだなと改めて思った。写真にどの程度はっきり、どんなものが映ったのかわからないが、普通はそこまでせんだろと思う。
 
 食事のあと、10時過ぎ頃に宿を出て、奥さんに教えてもらった鎮魂殿の方へ歩く。
 

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 鎮魂殿。本社の建物に使われていた木材で造られたとの事。

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 少し歩くとすぐ山道になり、こんな看板。
 しかし、十分注意って言っても、どう注意すればいいのか・・・・。
 熊に会ったらどうしろと言うのか!!(怒)

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 おお・・・幽玄。
 これ以上こちらに進むのは止め、一旦引き返し、みたらい渓谷の方へ。
 天河神社からは徒歩約4,50分くらい。

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 道の脇の側溝を流れる水も異様に透明感アリ。
 そのうち
 大きな吊り橋や、巨大にせり出した岩の下を通過したりと、若干アスレチックな行程へ。
 それは面白いのだが、あまりにも誰とも会わないので心細くなってくる。
 と、同時にさっき見た熊の看板を思い出し、ひとりでに歩調が早くなる。
 

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 みたらい渓谷。

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 渓流を見下ろす軽食屋さんで休憩。
 座敷でカレーライスを食べる。
 時間は12時過ぎ 
 下市口へのバスは村から一日3,4本しかない。
 次のバスは14時で、これを逃すと今日中に東京へ帰るのが難しくなる。 
 バス停まではここから一時間もかからないから、十分間に合うだろう。
 でも、もし間にあわなかっても、こんなところに「止むを得なく」もう一泊できるならいいなあと思った。 そしてさっき出てきた民宿に戻って、「いや〜バスに乗り遅れちゃって・・・」と言ってる自分を想像したりした。河の音を聴きながら食べるカレーは妙にうまかった。



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 天河大弁才天のシンボル五十鈴




天河

  早朝実家を出て、近鉄線で下市口という駅へ。
  京都駅からだと約100分程度の場所。
  天川村へのバスの発射時間までぼーっとする。
  下市口には時間をつぶすところがないと聴いてはいたが、確かに・・・。
  駅を出ると、商店街があるが軒並みシャッター降りてるし。
  去年、御嶽に行った時と同じく、また「千と千尋の神隠し」を連想する。 
    

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  バスで山道をゆられること50分、天川川合の総合案内所前に到着。
  今日の宿は天川神社のすぐ前の民宿。
  案内所で尋ねてみると、天河弁才天までは、歩いて40分ちょっとだということなので歩くことにする。というか、歩くしか方法はない。案内所のすぐ前には村内唯一の信号が立っている。

 歩いていると・・・

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 おーっ吊り橋だ〜〜。同時に五人以上は渡らないで下さいだって・・・。
 水がきれい。

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 昼食をとるため喫茶店に入る。
 お客さんは誰も居ない。今日は日曜だし、ママさんいわく、昨日で観光客はほとんど帰っていったということ。注文した「たまごうどん」を食べながら、しばし世間話し。話が長引くほどに、店を出るタイミングに戸惑うw

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 あ、入り口に着いたらしい。
 こちらこそ、呼んでいただいてありがとうございます。

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 民宿は7800円のそこそこ安いところだったがふすま一枚隔てて、20代の女性二人組みが入って来たので落ち着かず困った。がらんとした部屋の畳の上に寝転がっていると、隣の部屋からの会話が耳に入ってくる。

 「この辺、手をつないで輪になってUFOを呼んでる人たちがいるんだって〜」

 ・・・・・・・・・・・・・

 「なんか超眠いよね」
 「さっき隣の部屋にあった本に書いてあったけどこのあたりに、人を眠くさせるようなエネルギーが強いらしいよ」
 「眠くさせるエネルギー?」

 ゴホゴホ

 「風邪?」

 「のどの調子が悪くて・・・でも風邪じゃないと思うんだけどな・・・」

 (うん、うん、それはきっとエネルギーがシフトしてるんですね)

 いつのまにか頭の中で、隣の会話に加わっていて寂寥感に襲われるw

食事のあと、天の川温泉へ入浴に。
 夜になるとあたりは一層神秘的な雰囲気に変わる。

 他の人たちが寝静まった頃、布団を抜け出して縁側へ出てみる。
 満月が神社の背後の山を照らして、山の上のほうに霧が漂っているのが見える。
 不思議な空だ。「天川」という言葉からイメージするのかもしれないが、宇宙とつながっているような、ずっと見ていたいような感じがする。

 小さな光が点滅しながら、飛んでいた。

 あっ!UFOだっ

 ・・・そんな訳ないか、トイレ行こ・・・・

 用を足して、また縁側から夜空を見上げると、

 またさっきのような光が、今度は山の方に向かってゆっくりとすべるように飛んでいく。

 その少し上には同じようなタイプの飛行物体が、逆方向に飛んでいく。

 飛行機?でしょ・・・ 

 ふたつの飛行物体の間には、白い光が点滅しながら山の方に飛んでいく。
 耳を澄ますとジェットエンジン音が聴こえ、これは飛行機ぽい。
 
 じゃ、あのふたつの光は??飛行機ってこんな飛んでるもんだっけ??

 それともどこかで輪になって呼んでる人たちの祈りが通じたのだろうか。

 


至恩の巻について、「8」の数霊

  解説が出来るほど、神示を読み込んではいないが、この巻を読み感じることについて。

  どうも昨日から「8」という数字が気になっていたのだが・・・・。

  日月神示では「8」というのは何かが弾ける日として、注意していくようにと良く書いてある。

  『八のつく日に気つけてあろうが、八とはひらくことぞ。今が八から九に入るときぞ、天も地も大岩戸ひらき、人民の岩戸ひらきに最も都合のよい時ぞ・・・・』 

  確かに、秋葉原のあの事件は8日に起こったが・・・。
  しかし、もちろん事件・事故がすべて8のつく日に起きるわけではない。
  
  今は2008年の8月。そして8月8日はきな臭い北京オリンピックの開幕。
  8のぞろ目。・・・これは必ず何かが起こる!・・・と嫌な予言をしたい訳ではないが、このオリンピック、ここまで8がついて回るからには何か大きな意味があるようにも思える。
  と同時に、2008年の中でもこの8月は大きな変換点かもしれない。 


  というようなことを人に喋って、家に帰る前に買い物をすると、合計金額が

  888円だった。若干キモい・・・。 

  今日も、暑いのでネットカフェに避難して調べものでもしようかと歩いていると、前を歩いてる人が、

  日本には八百万の神々がいてですね・・・・と外国人の人に話していた。あ〜一回気になると全部気になるっ!(><;

  なぜ「8」が変化の日なのか?と思っていたが、どうも数霊的な考え方が背後にあるようだ。

  ふと思いつきカタカムナ文字について調べていると、「8」の意味について触れていたサイトがあった。

 (引用開始)

 「ヤ」というのは昔から「たくさんの数」を意味しました。8という数字は、事物が飽和状態にあるということです。易を勉強されているなら、後天八卦という図盤をご存知の方も多いと思います。後天八卦というのは、天の気のあり方を示した先天八卦と一対で用いられます。後天八卦は、この先天八卦が地上に投影され、人間の視点からそれぞれの配置が再構築された図盤です。この後天八卦によると、ちょうど夜明け前の状態が8という数字で表されます。事物が生成流転し、最後の飽和状態のことを8で表現します。そしてこの飽和状態から新しい生命を生み出すために、五行でいう土性の浄化作用が必要とされます

(引用終り)

 今日は8月4日だが、「4」は「8」を二分割した数字だ。
 東西南北の四方位。それをさらに分割すると8方位、上下を合わせると、「10」方位となる。
 至恩の巻には現在の世界は、4を元とした8によって構成されている世界で、それをブレイクスルーしたのが九十(光透)の世界だと言っているように思える。

 「至恩」は「四音」とも読める。
 日月神示にはこのような、同じ音が多重的な意味を担うと言う日本語の特質をフルに活用した謎かけのような文が多い。

 さらにうがった見方をすれば「至恩」は「シオン」だ。
 シオンはもともとダビデ王の墓がある、エルサレムの丘の名前らしいが、転じてエルサレム全体の呼称ともなっている。 「マトリックス」のザイオンシティの「ザイオン」は、シオンの異なった読み方。

 なぜ、至恩の巻と、シオンをこじつけたいかと言えば、現在の八方的世界を代表するのがユダヤ民族なのかもしれないと思うからだ。ユダヤ的なものと日本的なものの「むすび」が新しい世界を開くと神示では述べている。

 「今度は根本の天のご先祖様の御霊統と、根本のお土のご先祖様の御霊統が一つになりなされて、スメラ神国と(日本)ユッタ神国(ユダヤ)と一つになりなされて末代動かん光の世と致すのぢゃ」 

  コノカギハ イシヤト シカ テニギルコトゾ


  ※イシヤ=フリーメーソン(自由な石工)、ユダヤ系国際金融資本、世の黒幕

エネルギーのシフトについて

  この降り注がれてくるエネルギーというのはどうやら波があるようだ。
  例えば大きな波として、ゲリーボーネルが言うような一万三千年サイクルの波があるとする。
  ダンテスダイジが言う『2万5千年サイクルにわたる、アメンティータントリズムの全使命』というのは四大河文明以前の、アトランティスやムーと呼ばれていた超古代文明の勃興と終末から現在までを含んでいると思われる。超古代文明の時代を集約したモニュメントが、スフィンクスと、クフ王の大ピラミッドだと言われている。
 そのように大きなエネルギーの流れは文明の創造と、破壊を生み出す宇宙のリズムだ。

 しかし、この内部にさらに小さないくつもの波が存在し、この波が来たときによく「エネルギーがシフトしました〜」なんてことが言われる。
 この種のことは以前は僕はほとんど気にしていなかったが、どうも最近はこのエネルギーの波が強烈になってきているようで、気になっている。

 おそらく2011年だか、12年だか、13年だかの「時の終わり」に向かってさらに変化に加速がついて、世界はジェットコースターさながらの速度で変貌していくのではないだろうか。 

 この小さな波によるシフト時には、精神的な高揚感やバキバキ感もあると思うが同時に、風邪のような症状が続いたり、世間で妙なことが多発したりもする。
 そこで今年、自分が感じたシフトがいくつくらいあったかを少し調べてみた。
 最初に言っておくと、僕はゲリーボーネルではないのでw、これが本当に客観的なものかまだ確信がない。
 だがある限られた範囲においては、確実になにかの変化があったと思われる時期を拾ってみた。
 
 〆Gの1月。
 一月のうちに二回もほとんど続けさまに風邪を引き、月の半分を寝込んでいた。
 ホントに風邪かよ?と思った。
 
 →ドランヴァロ・メルキゼデクの、地球を包むグリッド誕生の時期と同じではある。 

 ■卸遑横夏(満月)前後のシフト。
 マイミクの方から、その日の午後2時ごろ恩寵の光が降り注ぐという情報をもらった。
 その時間帯は正直あんまりよくわからなかったが、夜はハッピー感が強かった。
 翌日、春一番が荒れ狂い、時折、突風が吹く天気。
 夕方から彼女と会う予定であったが、姫乃宮亜美という人のエナジートーク会に参加したあと頭痛や吐き気がひどく近くのドトールで休んでいるというメールが来た。
 なんでもそのトーク会でも体調不良のため欠席した人が多く、はじめる前にその人たちのために、お祈りをしたとのこと。
 彼女はすぐに元気になったが、僕はだんだんのどがおかしくなってきて、二三日風邪のような症状が続いた。ただの風邪ならひきすぎだと思う・・・。
  
 4月18日、I先生のリトリート前後のシフト 
 これはそういう周期性とは別物か・・・??。 
 が、体感は一番強烈。二三日、石になる。
 エネルギー消化不良気味?
 エネルギーが強すぎると、気持ち的になんとなく引き気味になることがある。
 が、時間が経つとはっきりと恩寵が感じられる。
 直後、紀伊国屋の精神世界コーナーや、オー●の泉を見るとなぜか頭痛に襲われる。

  ぃ況遑呼前後
  天井裏のネズミが異様に暴れる。6年間同じ部屋だがこんなことは一度もなかった。 
  6月7日が修道会。
  6月8日、秋葉原事件。 
  6月9日、あるブログからサナートクマラ金星のエネルギーが来る日との情報。 
  夕方地元の駅に落雷、電車止まる。
  6月14日午前8時40分ごろ。岩手宮城でM7.0の地震。
  このあたりは全体的に何か変化があったような気がする。
  (夢)来年の何月か以降からは世間から引きこもった方がいいと誰かに言われる。

  ィ況遑横監前後
  夜、バキバキ系。
  目が冴えてしまって寝つきが悪く、午前三時ごろおきだして窓辺で涼んでいると、
  黒くて小さなかたまりが目の前を走りぬけ、「うぎゃ〜」と叫びそうになる。
  ネ・ネズミ???
  6年間同じ部屋だが、ずうずうしく部屋に出没したことなど一度もなかった。

  Γ祁遑粥腺尭の富士旅行前後
  前日からまたのどから症状が出て熱っぽくなってくる。 
  一週間から10日以上、熱が37度ちょっとある状態が続く。
  この時期、僕と同じようにやたらげほげほ言ってる人を見た気がする。

 В祁遑隠案から7月18日の満月前後
  7月11日、彼女が電車の中で、男が乗客をぼこぼこに殴っているのを目撃する。
  7月15日前後、通り魔的事件多発。 
  7月17日中国で奇病発生?のニュース←真偽不明。 

 
 ただの病弱で頭がおかしい人の記録みたいだが、僕は普通の人です(多分)
 昔はこんな風邪引かなかったんだけどなあ・・・。  
 毎年夏場は変化が激しいとはいうものの、やはり現象の加速感みたいなものを感じてしまう。
 個人的なものが多く入ってしまったが、◆↓ぁ↓А△和腓な範囲でのシフトがあった時ではないかと思う。 


文化的多様性と食糧危機

  昨日NHKで生物多様性についてのフォーラムを見た。

  約3000万種の生き物が地球上には存在しており、それぞれが固有の役割を持っているということであるが、急速に種の絶滅が進行している。
  本来種は自然の法則によって生まれたり、絶滅したりするものだが、近年の大量絶滅は人間が行っていることで、そのつけは結局人間に帰ってくる。

 これを見て思ったのだが、『文化』というのも多様性があるからこそうまくバランスがとれているのではないだろうか。西洋商工業都市文明の一元的なグローバリゼーションは、ただただ一方的に地球環境を破壊してきた。
 本来あった土壌を無視して、そこにまったく異種の植物を植えた。その植物は歪んで、毒々しい花を咲かせるより他ない。
 「文化・文明」というのもひとつの有機体である。
 そこには先人が保持してきた生きる知恵や、情熱がこめられている。
 もちろん新しい世代と、古い世代の間で葛藤や対立があるのは当然だ。
 古代エジプトの頃から老人は「最近のわかいものはなっとらん」とぼやいていたそうだが、そのような葛藤を通じて文明は変化・発展してきた。 
 そのような変化はいわば自然な変化だった。

 しかしこれに対して、暴力的な変化というものが存在している。
 暴力的な変化とは、物理的・精神的な占領政策である。
 それまでのライフスタイルを無視して、外側からの力によって半ば強制的に文化を改造するということがある。ネイティブアメリカンや、アボリジニの人々に対してはそれは赤裸々に行われた。
 彼らは先祖代代々住んでいた肥沃な土地を追われ、精神的な伝統を否定され、望みもしないのに義務教育を強制された。
  「自由・平等・平和」というのが彼らのスローガンであるが、その実態は「貨幣主義」であり、実態なきものによって、実態あるものを支配・統制することだった。
  情報というのも一種の暴力である。四六時中(生まれたときから)ある種の情報にさらすことによって、その情報をインプットし、「自由な選択」によってそれを行っていると思い込ませることが出来る。

 このような人工的に変質させられた文化は、その本流とあまりにも離れすぎたために衰退していくことを免れない。これは「暴力的な変化」である。
 このようにして、いくつもの文化が変質し、西洋商工業都市文明のグローバリゼーションの中に取り込まれる。取り込まれた国々では、大量の消費や、精神の荒廃が進行し、やがて結果として世界全体が危機に瀕するということになる。
  このように考えると「文化多様性」が失われることは、全体にとっての危機であると考えるのもそう間違っていないだろう。

  例えば・・・最近、食料の値段が高騰し、日本にも食糧危機が来る可能性が叫ばれている。
  その主な原因はオーストラリアや、アメリカ、中国の穀倉地帯で異常気象による旱魃などの影響で作物がとれなくなったということもあるが、他に今まで肉食をしなかった発展途上国の間で肉食が増えてきたことなども原因のひとつであるらしい。
  肉食は、非効率的な食事だ。
  本来、自然界では、植物、草食動物の数に比して、肉食動物の数はきわめて少ない。少ないからこそ、草食動物が食べつくされることなく生態系のバランスが保たれている。
  しかし人間ずべてががんがん肉を食うなら、その分の牛や豚が必要となり、それらを飼育する穀物が必要となってくる。つまり一頭の牛を食べることは、その牛がそれまでに食べてきた何十キロ、何百キロの穀物を食うと言うことでもあるのだ。
 それだけの穀物があれば、現実に食糧危機に陥っているほかの国の人をたくさん食べさせてあげられるかもしれない。なのにそれを牛のえさにして、その牛を自分たちが食うと言うのはいかがなものだろうかと思えてくる。

 先の記事でも書いたが、日本も戦前までは肉食はほとんどなかったと言う。
 「食文化」というのもひとつの文明を構成する重要な要素であると思うが、日本の「食文化」が相当変質してきたことも、様々な成人病や、精神病の原因のひとつであると思える。
 案外そんなことを見直して、本来の文化を取り戻すだけでも日本は世界に貢献できるかもしれない。 
 というか、日本で生まれたマクロビオティック(玄米菜食)なんかは国内よりアメリカやヨーロッパでもてはやされてるかも・・・。

 もう肉はそろそろうんざりです・・・の国々だが、地球の全ての人が肉はもううんざり・・・と思うほど肉を食わせる余裕は地球にはもうない。

ナチュラル

 ダンテス・ダイジは、ある講和の中で「人の為に自分の命を投げ出すのが、人間にとってもっともナチュラルな状態なんだ」と言っていた。

 自己犠牲というと、なにかすごく徳の高い人しか出来ないというようなイメージがあるが、というよりもそれがある意味「当たり前」であると言ってるようで、印象に残っている。
 しかし、その「当たり前の人間」が現在ほとんどいない、とも言ってる訳だが。

 昨日、ビールを飲みながら「銀河鉄道の夜」を読んでいた。 
 カムパネルらがクラスメートを助けるために、河の中に入り溺れてしまったことをジョバンニが知るシーン。カムパネルらがそうしたのは、彼の心がクリアでナチュラルな状態であったからだと言える。
 でも、ナチュラルな状態であれば、自然とそのように体が動く生物に人間をつくった「宇宙」になにか眩暈がするような感覚を感じた。

 カムパネルラが友人の為に死んだことを知ったあと、ジョバンニは、お母さんのミルクを持って家に走っていく。この物語の中では何もかもが愛によって満ちている。その自己犠牲の精神は、「蠍の火」の話しで象徴的に語られている。
 
  「僕はもうみんなの本当のしあわせの為なら 僕のからだなんかひゃっぺん焼いたってかまわない」と言うジョバンニもやはり彼岸への旅を通じて自分のナチュラルさを発見できたと言えるのだろう。

 もしかすると、みんな心の底では、誰かのために死にたいのではないだろうか?
 そんな気さえするのだ。
 しかし、それを恐れてもいる。

 多くの人は、人には悪く思われたくないし、自分でも良い人間だと思いたいと思うのだが、一方 
 超良い人間(カンパネルラ的行為を喜んでするような)であることは恐れているのだ。
 少なくとも、僕はそうである(とある出来事で認識した)。
 ハートの奥に潜むイエスが自分の姿となることを拒絶している。 
 適当なところで「チョイ悪」な自己イメージで留めておいたほうが、馴れ合いが利く。
 しかし、ナチュラルということは、僕らがどう思おうが、その本性は超善で、すでにそれだということになる。 
 
 いろいろなものに、命を捧げているんだろうか。

  しかし、そこまで行かなくても、ひとりでに倒れる誰かを支えようと体が動くようなときと言うのは、誰にでもある。
 それだって十分、すごい。 
 それをするのは自「我」ではなく、誰の中にもある神様から与えられた、尊い部分なのだろう。

 ひとりでにしてしまうとか、体が勝手にとか、普段はそんな(やさしい)人じゃないのに・・とか言うけど
 自分がやらない(やってるという意識がない)からこそ、それは尊いように思う。

 最近の感想




 ここのところ、仕事で毎日新宿に出かける。
 新宿・・・苦手だ。
 悪の街、新宿!という程ではないが、人の多さに気持ち悪くなるし、
 ごちゃごちゃしててうるさ過ぎる。
 ちなみに一番ヤラレルのは、渋谷のハチ公前からセンター街あたり。
 ↑
 単に好みの問題。

 人のマーヤを強引に解こうとして、返り討ちにあう。 
 意気込んでタイマン勝負を挑むも、ただ蜂の巣をつついて終わる。
 出てきた蜂に僕も刺される。

 マーヤの否定性と、マーヤを否定する否定性で、否定性の2乗になったのか。
 マーヤに敵意を持って、否定するという危険。

 そうして「この街は穢れておる!」と叫ぶ、たくさんの説教師が昔火あぶりになったりした。
 否定性はマーヤをパワーアップさせたりする。
 マーヤが解けるのは、愛と、信頼と、神の恩寵による。

 
 「悪にくむこと、悪ぢゃ。善にくむよりなお悪い。なぜに判らんか」(日月神示)
  
 悪を、マーヤを憎んでも仕方ない。
 新宿や渋谷に喧嘩を売っても仕方ない。
 おとなしく溶けていよう。

 すべてに祝福を。

 今日の感想。

 どこから入ってきたのかわからないが、強烈に厭世感が強い。

 もうこの社会は末期的だ。秋葉原の事件からか??
 生物としてのストッパーが外れてる人がたくさんいる。

 なぜこのような世界になったのか。苦しい。

 エネルギー系のマーヤは原因がよくわからない。

 暗闇の感覚、ひたすら重いとか、イライラするとか。

 原因がわからないから余計イライラする。
 ちょっと強引にでも原因を特定すれば、頭は納得する。
 納得感がマーヤを軽くする。

 マーヤは変形する。
 オリジナルの形をしてるとは限らない。

 マーヤは、他のマーヤを刺激する
 二次災害が起きる。
 
 しかし、二次災害の消火活動をするよりも
 オリジナルのマーヤが解ければ二次災害も自動的に収束する。

 原因を見たほうがいい。
 マーヤは原因を見せたがらない。
 隠す。

 

忘れないことが・・・

 忘れないのが尊いのは 人はすぐに忘れるから?
 
 KAMIのことを忘れると
 深く眠りに落ち込んで 喜びと力は枯れていく
 KAMIのことを想い出せば
 きっと生きる力と喜びは戻ってくる
 それらはすべて真実在である
 KAMIからくるから

 世に多くの問題はあっても
 その本当の解決はKAMIを想い出すこと
 僕にとってはきっとそうだ
 彼と想いをつなげることなのだ

 僕らは問題があるといろいろなことを試して
 それがダメだと最後にKAMIにすがる
 何もなくなると、一番最後にはKAMIにすがるようにつくられている
 でもそれなら、最初からすがっていたい

 KAMIのことを忘れても幸せでいられる人もいるのだろうか?
 果たして・・・。そこそこには?程々には?

 しかしKAMIのことを忘れればどうやらすぐに
 MAYAになる僕は 本当はとても幸せだと考えてもいいだろうか?

 KAMIに本当の幸せってなにか?という初級講座を 
 レクチャーしてもらっていると。
 
 深い眠りの中でもがいて KAMIに還ろうとする気持ちを
 穏やかなときにも忘れませんように

 忘れないことが尊いのは
 彼が忘れないでいさせてくれるから?


  

 にゅーっと

 暗闇のなかから手が出てくる

 そして僕をどこかへ引きずり込もうとする

 誰の手かわからない

 どこへ連れていかれるのかわからない

 信じられないままに つかまれる
 信じられないままに 連れて行かれる

 手には不気味なカギ爪がついている
 手は痛々しく傷つき、血を流している
 でも時々あたたかい
 手は僕を握り締めて放さない

 恐ろしい地獄を通り抜ける
 誰の手かはわからない

 暗闇を通りぬけたあと
 手は僕を放して
 どこかへ行ってしまった
 おだやかな平原だった

 その時僕は、
 僕が暗闇に囲まれていたからこそ
 あの「手」は暗闇の中から出て来たんだと知った
  
 今
 あの手のことが、僕はとても気になる
 あの手に、幸せになってほしいと思う

 あの手とともに経験した地獄旅行を
 少しなつかしく思い出す


正しい道

 今、とても楽だ。

 また苦しくなるかもしれないし、もっと楽になるかもしれない。

 でも、今とても楽だ。

 昔、僕は間違った場所へ続く、間違った道を歩いていると思っていた。

 間違った場所ってどこだろう?

 よくはわからないが、暗く、冷たく、後悔と苦痛を感じる場所だ。

 僕は間違いだらけだった。

 僕はないものだらけだった。

 僕の存在自体がなにかの悪い冗談だった。

 ああ、ふつうになりたい。光の当たる場所に出たいと思いつめた。

 健康な心身、
 前向きな情熱、
 打ち解ける親友

 ああ、うらやましい。

 しかし、いつからだろう?
 正しい道を歩いているという感じだけは明確になってきた。
 
 そのままの現実を受け入れる度に
 そうあるべきという、僕の中の正しさを捨てるたびに
 僕は楽になってきた。

 そうあるべきという、僕の中の思い込みを捨て去るたびに
 正しい道の上にいるということが、いよいよ明確になってきた。

 間違っている道などなく、間違っているという思いがあるだけ。

 今、とても楽だ。 



NO THANK YOU 

 最近、遠い過去の世界を見ているような気がすることがある
 もともと現代文明にそう適応しているタイプだとは思ってないけど、
 当たり前だと思っていたことのひとつ、ひとつが、外側から刷り込まれたもの
 どぎつく言えば「洗脳」だったと気づくにつれて
 それらははがれ落ちていく

 僕らは洗脳されている

 誰が、洗脳しているのか?

 そんなことはどうでもいい  

 自分自身の存在に立ち返ることができれば、それでいい
 誰も、僕らを洗脳しようとしていなくても
 あふれ返る、メッセージと、強制力の中で
 自分自身を見失う時、僕らは自分で自分を洗脳しているのだ

 それは自由な状態ではない

 しかし、僕らは自由だと思っている

 資本主義経済の、自由な文明の中に生きていると思っている
 ただ何かが足りないんだ・・・・と思っている。

 そうです、あなたは、足りないんです。

 と、メッセージは合唱する!

 だから、この商品はいかがですか?

 それは神はいないというプロパガンダに似ている

 脱‐洗脳が終わったとき、人はこころから

 NO THANK YOU 

 と屈託なく、笑いながら言える

 NO THANK YOU

 ありがとう、でも、充分間に合っていますから。



the DEVI

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宇宙のママに祝福されると、


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みんなが、どうしたの?と思うくらいこうなったり・・・

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このような顔になって、もう、ほかの事はどうでもよくなったりします。

決してアブナイ薬をやってるわけではありません。

アブナイ薬との違いは


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その結果、こうなる人もいるところです。

昔書いてたブログ。

 昔書いてたブログで、すぐに放棄したやつを再発見した。

 「Auroraを待ちながら 闇の足跡と、光のしっぽ」

 サブタイトルまでつけたってのにすぐご愁傷様になってしまった。
 こういう系で書いてたのか〜と思った。
 なんか、最近昔の文章を読むと、昔の方が頭が働いてた気がする。
  
 マニアックな人におすすめはこれ↓

 宇宙的闇のアーキタイプ

 村上春樹と、デイ・アフター・トゥモローを使って父なる神様について書こうとして、消化不良気味なもの↓

 父なるもの

 暇なら読んでください。

 昨日の午前中突然、ネットに接続できなくなった。
 モデムを見るとLANのランプが点滅している。
 プロバイダーに電話して、事情を話し、機器には異常はないと思われるので、こちらで速度を少し落とすなどして調整してみるとのこと。
 待つこと数時間LANが普通に点灯して、普通に使えるようになった。
 いったいなんだったのだろうと思いつつ、夜にパソコンを立ち上げると、

 真っ暗。

 画面左上のほうにカーソルが点滅しているだけ。
 windowsも立ち上がらない。何回やり直しても同じ。

 同じ日に、これはいくらなんでもおかしいと思うのだが、因果関係があるとも思えないし・・・。

 ということで、この文章はネットカフェで書いているのですが、しばらくはパソコンが使えないと思うので、ブログの更新はお休みさせていただくことになるかと思います。

 ネット依存度が増していたので、まあいいかも??

 カード類におうかがいをたてると、「静かにしてなさい」みたいなカードが出たので、当分は情報を避けておとなしくしていようかと思います。(MIXIは携帯から見れるので時々チェックします)

 見てくださる方が増えて、それはうれしいのですが、どうも思うことがばーっと書けなくなってきたということもあり、ちょっと休もうかと考えていた時でもありました。

 僕にとって何かを書くということは、もともと自己療養から始まっており、それは自分のリアリティを書くということでもありました。それにはある程度の匿名性がないと僕には出来ません。

 出発点はこの文章だったのですが、

 http://homepage3.nifty.com/egghouse/monmonn.htm

 これを書いてるときは、生きてる感じがしました。
 今読み直すと、拙いし、自分でもよくわからない部分も多いけど、自分自身だった。
 全部書き終えた後は力が抜けて、もう死ぬのかと思った。

 あんな感覚をもう一回体験したいなと思う。

 少し休んで、そんなことも考えてみようかと思います。

 

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はいたか鳥

  • Author:はいたか鳥
  •  鳥が卵から無理に出ようとする
     卵は世界だ 
     生まれようとするものはひとつの世界を破壊せねばならない
     鳥は神に向かって飛んでいく
     その神は名をアプラクサスという




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