卵の中の黄身

我もなく うつし世もなくなにもかも  神の中なる 神のあらわれ  BYダンテス・ダイジ

8月23日の修道会

  7月は猛暑と、毎日発生する妙な犯罪や地震、豪雨などの情報で少々気が変になっていた。
  世紀末ウォッチャーになった気分で情報を集めるのを止められなかった。  
  8月に入り、少し旅行なんかもしてやや我に帰った感もあるが、修道会に向かう道で考えてみると、やはりマーヤだ。何マーヤか?

 確実に
 アセンションマーヤだ。それはわかっている。
 でもわかってても簡単には解けない。なぜなら実際に起こっている現象だと思うから。
 
 「くだらないことばっかり考えてるんじゃない!」と怒られないかと(そんなこと言われたことないが)会場へ行くと、先生はいつもの笑顔で「いらっしゃい」と迎えてくれた。

 天河のお土産を渡すと、最近天河や弁財天がらみでいろいろ動いてたようで、「やっぱりエネルギーが動いてるんだね」ということ。またスタッフのMさんのご先祖が天河神社の宮司さんだったということを聴いて驚いた。

 今回は参加者は二人だったが、もう一人の方ははじまるとずーっとサマディー状態?になって意識がトンでしまうタイプの人なので、今回は僕と先生との会話をメインに進めていくということだった。おお〜これは初めてのパターン・・・。    

 他の人もたくさんいると、なかなか「アセンションが・・・」なんて言う事は話題にし辛かったかもしれないが、3人だけだったので、先生に「マーヤはどう?」と尋ねられた時、「いや〜実はアセンションマーヤで・・・」と思い切って言ってみた。

 「アセンションマーヤ?ブログに書いてることを見ると、確かにそうみたいだねw」

 「先生はアセンションみたいなことは実際に起こると思いますか?」

 「あってもおかしくないと思うよ。それは俺自身がフォトン?のエネルギーを感じてるから。
 でもその変化が、みんなが思っている通りのことだとは限らない。

 例えば1999年にノストラダムスの予言があったでしょ? 
 あれの後にはみんな予言が外れたっていったけど、俺にとっては現実のものになった。(先生はあの予言を恐怖の大王=人を覚醒させる神、と解釈する)そんな風に2012年のことだって、どういう変化が起こるかは3次元の我々にはわからない。でも2012年には「なにかが」起こるだろう。

 問題はね、アセンション、アセンションって言ってる人の多くは、もうこの世界にうんざりしててリセットしたいと言う人が多いってこと、「健全な」アセンション信奉者は少ない。でもまあそれでもいいと思う。

 M君がね、もし今覚醒した意識になれば、アセンションなんてどうでもよくなるよ。あっても、なくても。その状態にあれば『存在している』と言うことからくる喜びがいつもあって、なにをしていても楽しいと思うはずだから。」

 「そうなんですよね〜頭ではそれはわかってるんですが。でも最近どうしても気になって・・・。これはマーヤだ!とかいって無理やりに神様のことばかり考えるのって、そっちの方がマーヤなんじゃないかと思って。だからもうマーヤでいいや・・・とそんな感じもあります。」

 「うん、神様がさせていることだからそれは今みたいに書いていったらいいと思うよ。でもあとからふと振り返るとうわ〜すげーマーヤなこと書いてるなと我に帰ったりするでしょ?そこで一回思考がリセットされるからね。アセンションだけで行ってる人はそれがない訳。」

 「アセンション」は大体現システムの崩壊と、高次元への上昇みたいなものが対になっている。
 世の中の状況を見る限り、そこには確かにある方向への変化が起こっているように見え、それが自分に「アセンション」を確信させるのだということを話した。
  
 「まあ、どっちにしろ先は長くないよ。我々の眼の黒いうちになにか起きるんじゃない?」
 と先生。

 そのあと地球環境のことや、地球人口がもう限界であること、食料危機のことなどについて話した。
 
 「最近食料が高いって、奥さんたちがわーわー言ってるでしょ?あれはそもそもね、スーパーでお金を出して食べ物を買おうって発想が間違っている。食い物は自分で捕る(採る)もんだ。でしょ?」

 確かに(^^;
 食べ物を育てることの大切さを思い出し、大地に結びついて生きるためには、一回ぐしゃっと潰れるのは悪いことではないと先生は言った。

 あと先生が昔出会ったという波紋法という中国の秘儀を体得した人物から、先生の40代が終わるまでに『地球の人口が今の40パーセントになっている』という予言をされたことがあるらしい。この人物は飛んでるトンボを落としたり、自動車を素手で飛ばしたりする異様なパワーを持っていたらしい。
 そしてこの人の脳波を計ろうとすると脳波計自体がぶっ壊れたらしい。

 先生の話しを聴くたびに、なんでこんな面白い人とばかり出会ってるんだろうと感嘆する。
 波紋法って『ジョジョの奇妙な冒険』に出てきたが、実在していたとは知らなかった。
 なんでも、直接対象物に気を送るのではなく、少し離れた場所に送り、そこで発生する「波紋」を利用するという。

 しかし、話しを聴いてるうちに、近々ぐしゃっと来ることは確かなような気がしてきた。。。

 が、先生自身は通常その手のことはほとんど考えていないらしい。

 すべては神様だという神様モードにいるか、修道会のスケジュールを考えたり、テレビを見て笑っていたりという日常の次元にいるかどちらかだという。

 僕の質問によって言わばその『世紀末用のキャラ』が引き出されるようだった。
 (でも「その時」が来れば『世紀末用のキャラ』が本格的に動く可能性もあるとのこと)

 「でも言ってみれば全部、マーヤ。先のことより、神は今ここにいつもある。だから神を求めるなら今にとどまらなければならない」と先生。

 その場のエネルギーが段々強くなってくる感じ。
 
 「これだよ、・・・すごいな」

 目を閉じると、頭が真っ白になっていった。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 久しぶりにかなり、トンだ・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「確かに、ずっとこの状態だと、アセンションとかどうでもよくなりますね」

 「そう、この状態が、大事なんだよ。昼間畑仕事かなんかしてね、夜にはこういう感じでみんなで集まったりしたら、エネルギーに満たされるでしょ?俺はそれがこの世界の立て直し方だと思うわけ」

 「これは何よりもエネルギー源になりますね」

 「なるでしょ?だって飛んじゃうんだから」と、先生は楽しそうに笑う。

 真理は喜びとセットになっている。
 純粋な喜びに触れられる場所は少ない。
 こんなに本当に楽しそうに笑う人も少ない。

  

 今回の修道会語録。





 「みこころのままに、と現象を受け入れ過ぎていると意識が現象の方にに固定してしまうことがある。マーヤだと言っているとこの世界がぐにゃぐにゃした不定形のものになっていく。マーヤだと言ってるほうがハイになれる。

  ↑確かにハイになる。

 「マーヤ解きのプロは、ママである。」

  ↑マーヤをつくった存在なので。
  
 「霊能者の限界は、すべて過去の霊の憑依等に原因を求めること。
  実際には霊の世界には時間はないので、未来の霊(意識体)や、未来生の影響を受けることもある
。」

  ↑高橋克彦の「霊の柩」という小説はそんな話しだった。
    「幽霊は時空を超えて出現できる!」と言ってたな。
    確かにそうに違いないとと思わせる本だったが・・・。

 「日本では先祖から受け継いだ土地などというが、アメリカネイティブの人たちは、子孫からこの土地を借りているのだと言う。だから自分の好きには出来ない。」

 「グラハム・ハンコックはアトランティスの頃に生きていた意識体との接触によって、様々なインスピレーションを得たのかもししれない。

 「神は〔意識体〕なので、それを知るのは我々の〔意識〕である。
  肉体にどういう感覚を感じるかなどはある意味どうでもいい。」


 「ある意識体に憑依されると、その意識体と同じ見方になるように
 神という〔意識体〕に憑依されると、神の見方になる
。」

 「わかるとすべてが真逆になる。 
  だから、それをあらわすために、後ろ向きに馬に乗るなどの比喩が使われてきた
。」

  ↑脳がひっくりかえる、というのも先生はよく言う


 「昔の修行者が自己を滅することを説いたのは、どこをみても苦しみばかりだったから。
  しかし、こんなに楽しいことが多い世の中で、あえて自分を無にする必要はない。

  わかった時には神が主になるが、自分は残る


 「一週間の終わりに、コップの半分くらいビールを飲むが、今ほど酒がうまいと思ったことはない。
  普通の食事をしていても、味の輪郭のひとつひとつがはっきりしていて、涙が出るほど感激することがある。覚醒する前にお金持ちの人に、いろいろ高い店に連れて行ってもらったこともあったけど、今みたいに涙をながすことはなかった。神なしではなにひとつできない。」



  ↑↑
 この話しをきいていると口の中に大量に唾液がでてきたw




 リトリート後、初めて修道会に行く。
 
 うさぎがいた。。。。
 前日上野公園で石段にうさぎがいて、公園に住んでるようなおじさん?がそれをもってうろうろしていた。(非常食か??)可愛いなあと思いしばらく見ていたので、二日連続でうさぎに会って少し驚いたw

 行くまでも割といい感じだったけど、瞑想を始めると別空間に入ってしまう感が強烈だった。

 リト後の経過報告。

 「マーヤ解きが少しうまくなったような気がします。
  今までマーヤだと思ってなかったものも、マーヤだっていうことがわかった感じで。」

 「そう、全部マーヤなんだからw」

 「なんの仕事をすればいいのかとか、天職はなにかとか、そういうのも・・・・探すことは大事なのかもしれないですけど、それが神を隠すものになっちゃダメなんだと思いました。」

 「そうだよ、俺だって本気でM君の天職が無職だなんて思ってるわけじゃないからね。俺にとって焦点はその人のマーヤをはずすことにある。だから、M君が仕事をしてないときに、天職はなんだって聞かれたから、「なにもしてないなら、今の天職は無職だ」って答えたわけ。今の自分がそのままでOKだと思えることが大事なんだよ。」

 「そうなんですよね・・・」
 そこら辺は最近、妙に腑に落ちることがあったポイントだった。
 OKからはじめることが重要なのだ。

 「そう考えるとマーヤって奥が深いですね。多分、まだまだあると思いますけど。」

 「あるよ〜まだまだ
 
 そうか、まだまだあるか^^;
 しかし、固定観念が次々と壊れていくのはある種爽快感もある。
 痛みもある場合もあるけど。
 自分がそれにしがみつく時だけ、痛みがある。
 痛みは自分で作ってるのだ。
 でもどちらにしても、壊れればその分楽になる。

 そのあと、なぜか宇宙人の話しから、金星人やシャンバラの話しになった。
 以下、マーヤ度強トピック↓↓↓ warning! warning! warning!



 I先生は異様に明晰な夢の中で、時々シャンバラ(地底世界)を訪れていたことがあったらしいが、そのシャンバラの王はサナート・クマラで、金星から来た存在であるという話しを聴いた。

 I先生は昔からシャンバラが気になって仕方がなかったそうだが、それは過去世でシャンバラの道案内のようなことをしてたことと関係があるらしい。あと、日本ではクマラは、サルタヒコとして知られていること、源義経や、チンギスハンはサナート・クマラが現れた姿であったという。

 そしてシャンバラにおいては、ある種の「石」が地上を映し出すスクリーンのような役割を果たしているというような話しも聴いた。

 金星人のクリスティーナのこととかも思い出し、またボーダレスな感覚を感じた。
 どんどん、宇宙人がリアルにいるような気がしてくる昨今であるw
 
  金星人のクリスティーナ(オムネク・オネク)は先日参加した浅川嘉富さんの講演会で出た話題だったのだが、同じ講演会の中で鳥インフルエンザのことも出ていた。

 と、思えば、昨日雑談の中でI先生も鳥インフルエンザの話しをして、『始まったら仕事とか辞めちゃって部屋にこもったほうがいいよ』と言っていた。
 こんなにいろいろなところで聴くと、いよいよパンデミックが近いのかと思えてくる。

 本当に始まったら特に東京のような都市部はヤバイだろう。

 先生によると、なんでもみこころだからといって何もしないでいるのもダメとのことで、自分がやれるべきことはやっておくこと、サバイバルも大事なのだと言う。
 なぜなら、知恵は、生き残る努力をすることで獲得されるものでもあるからだそうだ。

 I先生はマシンガンをテロリストに乗っていたバスを占拠されたり、インドで殺し屋に追いかけられたりという貴重な(?)経験もしてるらしく、そういう人の口から聴くとなるほどなあと思える見解だった。

 う〜んとりあえず、マスクくらいは買っておくかw




 修道会でI先生が話す話しと、自分が今気になってることは不思議な形でリンクしてくることがよくある。そもそも、9・11を始めとする闇権力モノにのめり込む直前も先生が他の参加者の人と、フリーメーソンやユダヤ権力の話しをしていたのだ。
 でも、だから興味を持ったというわけではなく、自然とその後、そちらに興味を向けさせられたのだ。
 神様の話とはまったく次元の違う話しだが、それも同じルーツからこちらに情報として流れてきているような気がしなくもない。

 なんかなにがおきても不思議じゃない気がするのが、自分の主観性だけではないような。。。
 う〜んますますボーダーレスだ。カップヌードルだw


NO BORDER
CUP NOODLE!!

 

追記:

 朝日新聞 2008年 4月27日の記事より

 新型インフル 家庭で備え
 もし大流行の時は…外出できぬ恐れも
 食料や医薬品の確保を


 新型インフルエンザの発生に備えた改正法案が成立した。医師ら薬6千人へのプレパンデミック(大流行前)ワクチンの事前接種も決まった。発生に季節を問わない新型インフルエンザに、家庭では今、どんな予防や対策を講じることができるか。備蓄リストとともに点検する。(高木智子)

 
「家庭での取り組みとワクチンが新型インフルエンザ対策の出発点。万全の準備を」。こう呼びかけるのは、国立感染症研究所の研究員の岡田晴恵さんだ。事前準備が生死を分けることもあるとし、家庭用備蓄チェックリストを作成した=表

  もし流行したら、空気・飛沫感染するため外出が難しい。流行の波がおさまるまで家にこもるための食料や飲料品など約2カ月分の備蓄の必要性を説く。主食の米やめん類、レトルト食品、果物、魚、コンビーフなどの缶詰、飲料水、そして糖分の高いジャムや栄養補給食品などだ。「地震や台風は数日間をしのげば、なんとか支援が来る。人々に免疫のない新型インフルの場合は、外出も困難になるから」と岡田さん。感染が広がり、人的・物的支援が期待できない事態が懸念されるという。

  家庭看護に詳しい滋賀県立大・人間看護学部の山田明教授(臨床ウイルス学)は、「感染の危険性から病院に行けなくなり、家庭看護をすることになる」と話す。医療行為はできないから、主に熱冷ましや水を飲ませることだ。常備薬や解熱剤、水枕、保冷剤を準備したほうがいい。さらに、看護する人が感染しないよう、使い捨てのマスクやゴム手袋、ゴーグル、消毒用アルコール、汚染物廃棄につかうポリ袋も欠かせない=表。

  発生後に製造するパンデミック(大流行)ワクチンが行き渡るまで、こうした備えに基づく家庭看護が重要になる。
  備えるべき、殺菌・滅菌の商品や機能性の高いマスクはドラッグストアで入手できる。厚生労働省もホームページで「新型インフルエンザはいつ出現するのか、誰にも予測することはできません」として、「個人でできる対策」を紹介。その中で、「海外で大流行すれば輸入に制限がかかり、種々の生活必需品が不足する」として、備蓄物品を例示している。

<家庭の備蓄品チェックリスト>
●食料品(2カ月分がめど)
□主食の米、切り餅、めん類、シリアル
□塩、砂糖、しょうゆ
□インスタントラーメン、レトルト食品、フリーズドライ食品(カレー、おかゆ、みそ汁など)
□缶詰
□チョコレート、缶ドロップ
□ジャム、栄養補給食品
□ミネラルウオーター、ペットボトル飲料
□スポーツドリンクなど粉末飲料
●日用品・医薬品
□常備薬(胃腸薬、持病の処方薬など)
□解熱剤(アセトアミノフェン系)
□ゴム手袋
□マスク
□包帯、ガーゼ
□うがい薬
□水枕、保冷剤、解熱シートなど冷却用品
□消毒用アルコール
□洗剤、漂白剤
□カセットコンロ、ボンベ
□懐中電灯、乾電池
□トイレットペーパー、ウエットティッシュ
□ビニール袋
●その他
□現金
□粉ミルク
□ペットフード
□コンタクトレンズ

 鳥インフルエンザについて Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B6





リト後記(6)

 「どうM君、いい感じ?」

 と先生にふられた。

 「はい、いい感じです」
と応える。

 「なんかキノコとかが覚めてきたときの感じに似てない?」

 20人近く人がいるのに、普通ののりでキノコの話しになった。
 僕も普通の会話のように、

 「そうですね、だんんだんまったりしてきたときとかに似てますね〜」
と返した。まあ夕方に「危ない薬で死の恐怖がどうたら」とかいう話しをしているから、普通といえば普通だが。しかし、他の人にヘビードラッグユーザーのように思われてる気が・・・。え〜と今は足を洗っています、ダメージが怖いから。

 「強い覚醒系のやつをやったときに覚めてきたときの感じに似てるでしょ?
あれもある種の意識のさめた状態に強引に、シロシビンの力でもっていくわけだからさ。
意識が覚醒した状態って言うのはかわらないわけ、これと。

  なんかきた?


 「ハートのあたりが暑いというか、せつなくなるというか・・・

 『切なくなるね。切ない、いい表現だねえ。Sちゃん、どんな感じ?』

 「昨日より、覚めて頭がクリアな感じ。

 『そう覚めてるでしょ?覚めてる感じっていうのは一種の覚醒状態なの。
 覚めてるって言うのがお母さんがもたらす覚醒のひとつの特色なんだよね。
 この覚めてる頭でいろんなことを考えると、いろんなことの答えが見えてくるわけ


 俺は昨日や今日の力によって覚醒してるじゃない?
昨日の力が来たのが11月で、2000年の5月半年後にこれが来て、この状態になったわけじゃない?
 最初のうち昨日の力が来た段階では、まだマーヤっていうのを理解してないから、神があるときとないときのギャップがすごくあってさ。それがなにによって起こるのかが全然わからなかった。お母さんが来たことですべて謎がとけたわけ。


 でもねこれはね・・・俺にはこうやってきたけど、これは人には伝えられないもんだなと。
 わかる人にはわかるけど、わからない人には絶対わからないっていう・・・。
 でもさこうやってリトやって、20人近い人がそのエネルギーの中にあって、そのエネルギーが誰一人人を避けることなくこうやって降りてさ。それをみんなわからないながらも、昨日と今日は違う、だったりとかを感じている。
 切ないだったりとか、覚めてるだったりとかさ、それはどれも言い得てることなんだよ。
 このエネルギーに自分が反応できてるってことじゃん。俺ははっきりわかってるっていう違いがあるだけでね。


 
 俺は当初の2000年の段階では、このエネルギーをこんなに多くの人と共有できるなどとは、夢にも思わなかったからよ。個々には降りてくるだろう。そんななかでAちゃんなんかが最初に覚醒した経験をしたときに、「先生〜これは誰にもわからないですよ〜」って言ったわけ、俺に。俺も「だよなあ」みたいな。
でも、「俺はこれをたくさんの人と共有することが、俺の役割なんじゃないの?」みたいなね。「無理ですって〜」って言ってた。
 でも、今やこうだよ。
 で、みんなにとってはわかんないながらも、ああこれはこういう感じなんだなっというのを繰り返し経験し、覚えていくことでさあ、何年後かにはもっと明確な認識にたどり着いてるはずだ。あっお母さんが来たとかさ。あっこれは神だとかって。
わかるようになるわけだもん、だって。
 そしたらきっとそのときには別のことが、その段階では動いてると思う。


 すごくうれしいよね。
 で、お母さんがその気だってこともうれしいよね。
 俺で留めて終わりじゃなくて。お母さんのやる気がうかがえることがうれしいなみたいなw


 しばしの沈黙の後

 『いいね〜とってもクリアだね。  覚めてるね。
 俺なんか全部透明にみえるもん、今。』
と先生が言った

 『もうね・・・建物もないよ。俺にはもう夜空が見えてるからw

 えっ!ど。どいうことなんだ・・・先生にもそんなマーヤな能力があったのか・・・!と一瞬思うが・・。

 『これらの建物を障害物としてわれわれに見せてるのは、お母さんじゃん。透明感を与えないのもお母さん。
 あれがマーヤだこれがマーヤだっていう印象を与えてるのもお母さん。でもこのお母さんのエネルギーとひとつになればすべてスケルトン!なくなっちゃうんだよ。あるけどねw

 夜空が見えてるわけでもない。
 ただこれが障害物として、物体としてもう俺には存在しないってことなんだよ。』


 う〜ん、これは経験してみないとわからない類のことなのだろう・・・。でも透視能力よりある意味すごいのではないか。
 このあと大人の脳の溶けてしまわれた先生の、楽しい笑い話がひとしきり。

 お母さんのエネルギーにふれるとエクスタシーの状態になってしまう男性の参加者の方が、湧いて来る感情の力の処理に困っている。

 『テイクアウトしなさい。
 帰って、自分の息子にあげなさい。
 私がママよってw
 お前のお母さんは本当は私なのよって(爆笑)

 確かにどうしょうもないと思う、あふれてて、あふれて。
 でもそこをコントロールできるようにならないとまた神様に思いっきりどやされるからね。
 干されるよ〜イカの一夜干し!みたいなね。

 でもそのエネルギーにあふれるって言うのは全然悪いことじゃないんだよ。
 それをコントロールするすべを学ばなきゃいけないってこと。
 とまらなくなる。それはもうわかる、俺も経験済みだから。


 「ハグしたい・・・

 『枕でも抱いて寝ろ!じゃあw
という先生の一声にまた爆笑。

 『この愛の力は困ったことに、出ちゃう人は、受け取ってくれう人を求めちゃうんだよ。
 で、逆にそれがあるってことを知ってる人は、それをくれる人を求めちゃうんだよ。でもそれは人に求めるところじゃないわけ。
 それを与えてくれるのは神だから。だからその愛をもらいたい人は、人じゃなくて神にそれを求めなくちゃいけない。
 言ったらその愛を神にお返ししなきゃいけない。人にあげたり、人からもらったりって身近だから、そっちに行っちゃう、大方。
 そうするともう間違ったことになってしまう。神と交流しなきゃいけない。
 俺もいっぱい見せられてきた。
 その愛があふれて、その愛を与えたい。で、その与えたいというのが押し付けになってくるわけ、結局。押し付けられたくはないじゃん。その愛迷惑ですみたいな。すると拒絶するじゃん、そうすると自分の中で母性は発狂するんだよ。
 だからそれを人に与えようとしてはダメ。またそれを人からもらおうとしても。

 人間っていうのは底なしにその愛が欲しいんだよ。その愛を知ってれば知ってるほど、それは底なしの愛だってわかってるから、底なしの愛を受け取りたくなるんだよ。だからくれくれってなる。もう泥棒みたいになってくるわけ。
 それやられるとあげたくなくなるじゃん、今度は。どっちもブーなわけ。

 だから人に・・・じゃないんだよ。
 そのエネルギーを神と自分の間で使えばそれは十分覚醒につながってくるってこと。
 人に使ったら怒られるだけだからね
。』

 ということで、終わったら、部屋から出ないで、ベッドでおとなしくしてること!という先生のきつ〜い?注意のあと、お母さんの祝福とともにあった夜のセッションは幕となった。


リト後記(5)

 お母さんのエネルギーに浸っていると、胸のあたりが切ないような、何かに恋焦がれているような感覚を感じ始めていた。昨夜のエネルギーとの質の違いがなんとなく実感できた。
 I先生のタントラについての説明は続いていく。

 『じゃあタントラってなんなのかって言ったら、女性性の、このお母さんとつながるっていうことがタントラの教えなんだよね。
 それが世には間違った形で流れてる。
 性的なヨガをやるだったりとかっていうのは、完全な誤解なわけ。
 お母さんとのつながりっていうこと、このお母さんがすべてひっくり返すって言うことが本当の意味でのタントラっていうことだから
 だからタントラの行者は女性性というものについての絶対の服従なんだよ。
 タントラ行者にとって崇拝する神様の絵は、カーリーがシヴァの上に仁王立ちになっているあれなんだ。で、その本質の意味がわかんないとタントラって言うのはぐちゃぐちゃな解釈に変わっていっちゃう。でも、本当のタントラの意味はこの「母」を悟ることなんだよね。
 母を悟ることで、お前だまされてたっていうことがわかることで、解脱するって言う道だから。
 タントラの強烈さはそこにある。だからリスクは、「マーヤとともに」なわけ。


 参加者のKさんの話し

 『そこはKさんにとっては弱点を最初からかかえてるってことなわけ。それがフックになってるわけだから。
 それをぶっ壊すことで結局自分が開放されるって言う、あれだからさ。その弱点って何なのかっていったら、お母さんが最初から仕掛けてる部分だってこと。
 最初からプログラムしてるってことなわけ。なぜなら弱点の克服が点数稼ぎにもっとも近道だからってことなわけ。
 それがわかったときにKさんはちくしょーだまされてたって思うんだよ。

 お母さんがやることは善悪と関係がないから。それこそ悪こそ美徳みたいなねw
 悪を作ったのはお母さんだからさ、それをうまく利用するんだよ。
 俺にとっても、過去の俺の悪があったわけだよ。その悪をお母さんは完全に利用したって思うから。


 最近、読むともなく「虹の階梯」をめくっていたら、悟った人間には魔が護法神になるという文章をみつけたんですが・・・・

 『そう。最終的には悪もわかちゃった人に従うんだよ。悪ははなくなるから。』

 『だからさっきM君なんかが、覚醒させる力がサタンチックで怖いみたいな話ししたじゃん。
 そういうのも全部お母さんのシステムに組み込まれてることなわけ。

 われわれの一人一人が過去に犯した、特に「罪」の部分ね。
 自分の過去を振り返ったときに、どう考えてもこれは悪だろ?みたいなwそれを気に病んでるわけだよ、われわれは。
 そこのところを実はお母さんは仕掛けてきてるってことなわけ。
 それが悪じゃないって認識にたどり着いたときに、だまされてた・・・いや、だまされてたって気づいたときにそれが悪じゃないっていう認識に変わるんだよね。
 すっごい道だよ。悪と渡り合っていくんだから。


 
 じゃなきゃきっちり山にこもって戒律を守って30年、40年修行しなきゃわかるものもわからないよってことなわけ。
 ね、俺たちがいくら努力したって悟れねえぞ。
 俺だって悟れねえよ!全然、悟れないから。ハハハ。
 インドでヨガやったり、チベットでゾクチェンの修行したりね、その程度じゃ絶対悟らないから。絶対無理だって!
 正規の方法だったら。でも俺の裏口入学作戦だたら話は別だってことを俺は言ってるわけ。

 だから俺はお母さんが来てたから、わかっちゃった晩に、げらげら笑って、笑ったかと思ったら泣いて、笑って泣いてっていうのを朝まで繰り返したっていうじゃん?
 で、なんで笑うかっていうとだまされてたって思うから笑うじゃん。何で泣くかっていうと、こんな悟れない人間を悟らせてくれたって言う感謝で泣くわけよ。
 っていうのは、悟りっていうのは得ることが不可能だってことがわかるから、悟ったことによって。
 悟ったことによって悟りには到達できないんだってことがわかるわけ。
 正面きっていったってね。
 だからそのためには俺たちにはこのお母さんの力が必要だってことなんだよ。
 このお母さんの祝福と恩寵っていうのを、神の祝福と恩寵にのっけてもらうことによってわれわれは、こんなちっぽけな修行で覚醒できるってことなわけ。
 すっごい裏技なんだから。もう伊藤家の食卓だよw


 「伊藤家の食卓」という言葉に反応し、え〜という言葉がみんなの中からあがる。
 「それはいいんだか、悪いんだか・・・」
 こんなに濃い話しの中でもI先生は常にユーモアとともにあるので、参加者の人が突っ込める隙だらけだ。

 『キリスト教では悟りっていうことを説かないじゃん。
 イスラム教でも説かない。神を信じなさいと。服従しなさいとなんで信仰の道を説くのかって言ったら、そんなことを目指してもたどり着けないんだから、とにかく信仰の道を歩みなさいって言う
アドバイスしかしないのが宗教なんだよ。

 ところがインドは覚醒する人が多いから、覚醒の教えを説くのが主流になってきたんだね。でもその中で覚醒者の主流ってなにかって言ったら、やっぱりタントラなんだよ。
 でもそこのところはこれは秘儀ということで隠されちゃってるわけよ。

 それで秘儀として隠された時に、多くの人があれは秘儀らしいよと。
 そして、タントリストが崇拝してるものっていうのは、なんかどうもおかしいものがおおいよとwそうなったときに左道タントラっていうのが一般的な認識になっちゃったんだろうね。


 じゃあ、我々もその流れですか?

 
俺が教えてんだから、その流れだろう?やっぱりw

 おらぁ〜タントリストだって言えばいじゃん。
 でも、おらぁタントリストだ〜っていうとみんな勘違いするから、おめえタントリストかぁ〜?みたいなね。勘違いされちゃうから。
 だから俺も勉強会とかではあんまりこういう話はしないわけよ。

 タントラの説明って難しいよ。
 でもこのエネルギーがある時に、これがお母さんのシャクティであって、すっごいマーヤっぽいんだよと。
 ホント両刃の剣じゃないけど、智恵と無知って言う両方の刃がついた、刀がお母さんみたいなもんだから、それっていうのを理解するのはすごく難しいことなんだ。
 このエネルギー感じながら、ああなんかこういうエネルギーがあるよねと。でもなんか重いよねとか、思考もぐるぐるまわっちゃうよねだったりとか、このエネルギーを感じながらタントラの話しをすれば、ああそういうことなのかとその理解に近づいていくことが出来るでしょう?
 でも一般的にはタントラって先入観のほうが強すぎちゃって、正しい理解にたどり着けないってところがある。
 タントラ教えてる人でも間違ってる人いっぱいいるからね。
 本当のタントラって言うのはこのお母さんをわかることなんだよ。
 そしてこのお母さんの力によってマーヤを知ることで、マーヤを脱するってことが本当の意味のタントラなわけ。

 タントラって言うとインドではタントラ・ヨーガって言って、テクニック重視みたいなね。クンダリーニ・ヨーガだったりとか。それか性行為だったりとか
 方法論みたいなことばっかり言われてて、タントラの行者も方法論みたいなことばっかり教えるわけ。でもそれじゃ単なる勘違いの方向にしか進まないから。俺もまるで理解してなかった。
 お母さん、これがわかったときに、これがタントラか〜!と思ったからねやっぱり。』


 めちゃくちゃ微妙ですよね、この世界・・。

 『そう、悪の世界とか毒の世界も巻き込んだ世界なんだよ。
 それがお母さんの世界なんだ。言ったら。
 どんな子供も私の子供よっていうのがお母さんの意見なわけ。
 刑務所に入るような息子だろうが、母親はかわいい訳。
 東大出て優秀な政治家になったってお母さんはかわいい。
 どっちがってことじゃない。まあ特に昔から出来の悪い子ほどかわいいっていうからさ、悪いこの方がかわいいんだよ、お母さんからすれば。
 だから俺たちはお母さんにとっても愛されているw悪い子の集まりだから・・・・ねっ!w

からその辺は本当に絶妙だよ。個人にとっての弱点はみんな与えられているから。みんな持ってるじゃん、ちゃんと。
んなそれぞれ負の落ちどころが違うわけ。でもそれってお母さんが最初からプログラミングしてるところなの。その人が乗り越えられるような、その人がそれによって人生苦しむような、それっていうのをお母さんは与えてるわけ。
してそれを克服させるって言うのがもっとも手っ取り早い方法なんだ。

 俺 も自分の弱点で修行がうまくやれない過去があったわけ、それは俺にとって弱点だと思ってたわけ。
 と ころが神様は俺に予防接種してたってことに、俺がわかったときに,わかっちゃった。
 だからすっごいな!と、ほんと完璧だなと思った。
 悪いことなんてなにひとつ存在してないよ。悪なんていうのは、だからないんだよ。
 そのレベルで言うと。


  『今回(のリトリート)はすごいんだな〜昨日は神で、今日はママで。
 そうやって考えるとあの十字架ってのは面白いかもね。父と母だよね。
 エネルギーの流れとして、父の流れはこう(たて)じゃん、で母の流れはこう(横)だから。
 アメリカのインディアンとか南米のインディオのせかいでも、十字架がある。ただ長さが均等なんだよね。
 それはバランスを意味する。父性と母性のバランスだね。

 この世界の完璧さが見えないって言うのは、お母さんによって見えなくさせられてるんだけど、見えないってこと自体が俺からすれば不思議でしょうがないの。
 こんな完璧じゃんって思う。ヤな出来事とか悪い出来事って全部組み込まれてるから、そこに。

リト後記(4)

 二日目の夜。
 お母さんのエネルギーが降りてきた夜のI先生のお話し。
 「お母さん」はマハー・マーヤなどとも呼ばれ、現象世界(マーヤ)の根源であるとインドなどでは考えられてきた。このお母さんのマーヤによって、人は神が認識できなくなっているのだが、このマーヤを解き神を認識させるのもお母さんの力であるそうだ。
 I先生は2000年の5月、「母の日」にこのお母さんを知ったという。
 
 『俺は、2000年の5月にこの雰囲気の中で覚醒したんだ。

 結局全部お母さんから始まってることなんだよな〜というところから、その晩にマーヤの成り立ちなんかを理解したんだよね。
 そのお母さんの体験によって、なんだ・・・みんなマーヤにやられてるだけじゃんと思うようになった。
その半年前の11月に神を体験して、プチ覚醒状態みたいになってたときっていうのは、神がある時はあるんだけど、ある時になくなっちゃうわけだよね。
 でもそのなくなる理由がわかんなかったわけ。
 なんで昨日まで神様あったのに、今日ないんだろう?
 そういうのがひたらす何ヶ月にもわたって続いてたんだけど、その5月14日の晩に、ああこれがマーヤなんだ・・・っていうのがわかって
このマーヤによってみんな神がなくなるんだなっていうのがわかったときに、すべて納得がいったわけ。』


 お母さんのエネルギーはとてもパラドキシカルな性質を持っている。
 それは神を隠す力であると同時に、神に目覚めさせる力でもあるからだ。

 『だからお母さんのエネルギーっていうのは本当にいいんだか、悪いんだかwって感じなんだよ。 でも、これによってマーヤを知ることができる。すごいジャッジしがたいエネルギーだけど、俺からすれば恩人なわけ。いろんな女神のエネルギーもこれに近いね。

 これによってすべての謎が解けたからね、やっぱり。これがなかったら俺は神があったり、なかったりっていうのをただひたすら繰り返してただけで終わってたと思うから。 マーヤを教えてくれたのはこのエネルギーなわけ。

 この「覚醒したマーヤ」がなければ、マーヤは解けない。
 神とはべつものなんだよ。
 このわかっちゃってるマーヤの力がないと、マーヤは解けない。
 神は神じゃん?もうれっきと。
 そこにはマーヤが入り込む余地はないんだよ。でもお母さんの場合っていうのは覚醒したマーヤなわけ。その力を通してマーヤの本質を知ることができる・・・・っていう実にやっかいなシステムにこの宇宙はなっていてね・・・


 『俺からするとすっごい愛を感じるね。ものすごい愛を感じるよね。
オヤジは黙ってるけど、おふくろはうるせえみたいなw
でもお袋がうるせえには訳があるみたいなね、そういうところなんだよ。
お前らヤラれてるんだぞっていうのを、やられさせることによってわからせるっていうね。だってそれしかわかる方法がないんだもん、他に。てっとり早くさ。』


 マーヤにやられることは苦しい。
 しかし、お母さんのエネルギーに、幻惑されることによって、人は気づきを得て、それを超えていくことが出来る。マーヤの影には愛があるのだ。

 『やるか?山にこもって断食しながら座禅三昧みたいな。ねえ?
 そこまでやる覚悟があるんだたら、その修行を通してわかろうみたいなことが可能だけど、そんなね〜日常でプラプラ生活しながらね覚醒しようなんて虫が良すぎるんだよ、みたいな。甘いよ、みたいなね。

 でも、こんなバキバキになっちゃうわけじゃん、我々は。そのバキバキの理由はなにかって言えばやっぱりお母さんの愛だね。やられさせることでわからせるっていうね。みんな(マーヤに)やられる、やられるっていうじゃん、これはね実にありがたいこと。
 それがやられないようだったらね、山で30年がんばってくださいみたいなね。

 神をわかるにはどっちかしかない。
 唯一性っていうかね、それを目指して山にこもって30年、40年修行するのか、それか町の中にいてお母さんにいたぶられながらそこにたどり着くのか。
 これはすっごい愛だよ。だから理想と反対の部分によってわれわれをそこへたどり着かせようとする。
父ライオンは子ライオンの面倒はみないじゃん、一切。
母ライオンは子供を崖の下に突き落とすわけ。それは愛だ。お母さんの
。』

 『で、世の中には実際に自分の母親が目の上のたんこぶになってる人がいっぱいいるわけ。自分のマーヤは母だって言う人が。
 それはなぜそうなるかていうと、自分の母の愛の姿っていうのを知ってるからじゃん、結局。だからその母親の至らないところにたいする不満があるわけじゃん。
 でも母親は反対のことをやって鍛えてくれているんだよ。ただ母親はわかていない。自分が何をしているか。でも母親は動かさせられている。必要なことを子供に対してしている。それがお母さんのやり方なんだよ。
 地道で確実で安全な、長い父親の道のりとは違うってこと。一気に子供をマーヤにさせて、どん底に突き落として、そこから這い上がらせる方法論なんだ。
 でもそれは奥深い愛からきている。じゃないと人間はいつまでたってもわからないから。』


 『ね、常にわれわれの裏をかくことしかしないから。

 アダムとイブの話だったりとかね、結局全部女性性って言うのは、すっごい愛ゆえにそれを逆のアプローチからおこんなうわけ。
 アダムがエデンの園から追放されなければすべては始まらない。
 もしエデンの園にずっといたらこの世界は存在しないわけじゃん?
 だからアダムはエデンの園を追放されなければならなかったの。
神が怒って追放したって言うけど、聖書ではね。でもその怒って追放した神っていうのはたいしたことのない神なんだよ。なぜならことの顛末を最初から理解していない神だからw
だろ?
この木の実食うなよってアダムに言っといて、食ったな〜って言って怒るわけだから。
なんだよ〜お前そんなことも知らなかったのか?みたいなw
そのレベルの神様でしょ?

もっと上のところにもっと高い神様っていうのがいて、その高い神様が結局すべてのみこころをおこなったわけじゃん。
それがアダムがイブと一緒に楽園を追放させられるってところから、この今の人間の世界が成り立ってるって言われるわけだからさ.
それは追放から始まる。すべてを創造する、動かしていくっていうのは女性性の力なの。
男は馬鹿だからひたすら受身なの。で、物事が動いてくるとそれを戻そう戻そうとするのね。戻そう戻そうとするから、結局壊そう、壊そうとするわけ
。』

 『アダムはちゃんと木の実を食べない計画だったの。
 ところがイブが出てきたことで狂っちゃったんだね。
 で、言ったらそれがこの世界を動かす方法なわけ、結局。
 それはすべての中に組み込まれている。だからお母さんの力っていうのは、この世界を動かしていく推進力なんだ。
 ものごとを動かしていくために必要なのは、マーヤの力なわけ。マーヤがなけりゃなにも変化していかないじゃん、だって。
 女性性の力がなかったら、毎日晴れだ、もしくは毎日曇り、それか毎日雨。四季はない!

 そこで女性性の力が加わることによって、エフェクトが起こってくる。
 だからわれわれはこの力によって振り回されて、それで世界は動いてるってことなわけ。
 で、ほとんどの人がそこにまんまと組み込まれているだけだから、人は覚醒することなく、ただ歴史が流れていくってことなわけ。
 でも、そこからこれはマーヤなんだよって教えて引き上げるのは、女性性の力なんだ。
 トリックを解くんだ。お母さんがトリックを解いてくれる。ママがトリックを解いてくれるから、「マトリックス」でしょ?
 そのママのトリックが外れれば、われわれは解脱するってことなわけ。
 で、そのママのトリックをはずすにはどうすればいいかっていうと、今までの人は何十年も修行してきたわけ。
 すべてを脱落させることで神にたどり着くっていう方法を選んできた。』


 「ママに覚醒させてもらった人は、みんなだまされてたって思うんでしょうか?と参加者の方が質問する。

 『思うだろうね。それはあのヴィルーパもそうだったじゃん?』

 『だから祭壇ぐちゃぐちゃにして、便器に数珠を放り込んで、、

 『そう、素っ裸になって寺出て行ったっていうね。
 それは、なんだよだまされてたんだ!っていうところにヴィルーパが至ったからなんだ。


 『ネットで調べたらすごいことしてますね。僧院の中で鳩が一匹もいなくなって、おかしいな〜鳩がいなくなるわけないんだけどなあと思ってたら、ヴィルーパが部屋の中でワイン飲みながらはとの肉食ってたって・・・・

 ヴィルーパのめちゃくちゃな逸話を聴いて、先生は大笑いする。

 『ヴィルーパって知ってる?
 チベット仏教のサキャ派の、ラムデっていう瞑想法の教えを説いた、ミラレパとかナローパとかティローパとかあの時代の行者なんだよね。
 まあ今きいてのごとくめちゃくちゃな人だね。

 チクショーだまされてたって!、まじめに修行してればしてるほど、そのギャップは強いわけ。
 俺なんかはほら、半分不真面目だったから、だまされてた!と思いつつもああ、よかったって思ったわけ。
そこまで深刻になってなくてよかったんだけど。ヴィルーパは一日十何時間も修行しっぱなしで、多くの弟子がいて、その弟子たちにまことしやかにインチキな教えを毎日説き続けてきたわけじゃん?そのギャップできっとめちゃくいちゃなことになっちゃったんだろうね、きっとw

 だから、みんなは全然真面目じゃないから、ちくしょーお母さんにだまされてた〜ってなても、その程度で終わるよ、きっと。
 それくらいこのママパワーっていうのは強烈な力。とにかく逆説で教えてくるっていう。正統派じゃないんだ、逆説派なんだよね。

 だから本当にすごいよ。本当のひっくりかえる世界って言うかね。
 だからタントラってすごく強烈だって言うじゃない?』


 I先生によると、タントラとは本来このお母さんの(女性性の)エネルギーとつながること、「お母さん」の理解であるという。

リト後記(3)

  
  リト参加後、2,3日目。
  やたら体が重い。頭の働きが普通に戻っていない。
  まだ濃厚な何かが残っているようで、座って目を閉じるといつまでもそのままになる。
  マーヤはあるのだが、影が薄い。いつのまにか消えている。

  バーミヤンで「ラーマクリシュナの福音」を呼んでいると、胸が熱くなる。
  また頭が溶け始めて一日そんな感じ。
  何もしない。 

  翌週の終わりごろから、徐々にソフトランディング。
  PCの音が出ないので、DELLに何度も電話をかけ、OSを再インストールまでするが結局もとの木阿弥。とうとう「もう打つ手はありません」とオペレーターに言われる。な・なんだと〜。
  座って目を閉じる。 

  まあ・・・・いいか。

  週末に新宿で彼女と会う。
  紀伊国屋の精神世界コーナーの前で話していると、急に頭が痛くなってくる。
  今はなんにもこの類の本は読みたくない。

  「今、俺がこんなもんみんなマーヤだ!って言って本棚を倒して暴れたらどうする?」

  「・・・・・一応止める。」

  さらに翌週(今週)。顔なじみの人たちが帰ってくる。
  顔なじみのいつもの(慢性)マーヤである。
  しかし、久しぶりに会うと、そうか、あなたたちはこんな顔をしてたんですね・・・。と思う。
  でも、マーヤ。

  「いえいえ、マーヤじゃありませんよ。私たちはあなたがよりよく生きるのに必要なものなのです!」
  
  でも、神を隠すんだからマーヤだよな?

  「・・・・一応」

  ノートにマーヤの似顔絵を書き出してみる。
  天職マーヤさんをはじめ、数名。
  ずっと昔からいるので、根源的な慢性マーヤと命名する。
  
  そうか、I先生がみんなママから弱点が与えられてるって言ってたけど、これらが自分に与えられたママのトリックなんだなと思った。
  リトリートで日常とギャップが出来たために、それがわかりやすくなったのかもしれない。

  慢性マーヤの皆様
 
 これからも長い付き合いになるかもしれないけど、君たちの深刻な声はあまり真に受けないようにしようと思います。
    
 「ええ〜そんなこと言ってるとなあ〜あとから泣くよ〜」

 ↑それだよ、それ。


リト後記(2)

「昔危ない薬をやったときに、死の恐怖がどばーっとでてきたことがあるんですが、フラッシュバック的にそのことが思い出されたり・・・・

>「ああ〜いいねそれで行こうw

>「その薬飲んだときっていうのは、まあ覚醒じゃないですけど、それに近い状態だったんでしょうか
>「うん、擬似的に経験できたんだね。


↑この体験については、以前ある方に、「それ」に触れた体験だったのでは?とコメントいただいたことがあるのだが、自分の中ではどう位置づけていいものかよくわからなかった。

 詳細→愛と死の幻想

というのも、どちらかというと非常に恐ろしくて、基地外地味た体験だったからだ。
それは僕が体験した中では「異常さ」という意味においては、間違いなくナンバーワンだと思う。
僕はそれをずっと潜在意識の深みを垣間見た体験だと思っていた。
しかし、今はそれ以外の別の力というか、意志が作用していたような気がしている。
そう思うにはいくつか理由があるのだが、まずその体験を簡単に書くとこうなる。

。横娃娃嫁の8月、ある、化学物質を誤飲する。
        ↓
体に異常感を感じ、薬のショックで死のうとしてるのだと感じる。
        ↓
死の恐怖でパニックになり、救急車を呼ぼうと携帯に手を伸ばす。 
        ↓
ぅ僖縫奪が徐々に沈静化してきた頃、I先生がマントラを唱えているCDをかける
        ↓
ケ宙の中心に見開かれた目のイメージ。そこから伸びてきた手が僕をつかもうとする
        ↓
I先生が神だと「感じる」体験
        ↓ 
Ъ分が神だと「感じる」体験
        ↓
┿弭佑力換に幽閉されている苦痛

 
 死の恐怖というのは、薬の作用によるもので、実際に肉体には危険はなかったと思うが、
 この物質については、何件か過去に死亡事故が起こっている。
 だから本当にまったく安全であったかというとどちらとも言い切れない。
 どちらにしても、ああ・・・死んでいく・・・と激しく実感した。

 僕はこの頃まだI先生には会っていない。 でもHPなどを見て、チベット密教のマントラCDを購入していた。
 瞑想会に参加しようとメールを出したことがあるが、なぜか返事は来なかった。
 そんな状態であったのだが・・・・・

ケ宙の中心に見開かれた目のイメージ。そこから伸びてきた手が僕をつかもうとする

の時、何か「絶対的な力とか意志」のようなものが自分に働きかけるのを感じた。
それは「絶対者」が自分に働きかけてきているようだった。その時、自分が選ばれているといったような優越感はまったくなかったように思う。ただ、なぜその意志が自分に働きかけてくるのかという不条理さを感じていたように思う。

I先生が神だと「感じる」体験

この時、僕は自分がまったく無知でどうしょうもない存在だと感じた。
あまりにも無知で傲慢であり、精神的なことについてなにひとつ語る資格は持っていないと思った。
瞑想会のメールの返事が来なかったのは、あまりにも自分が無知であるからだと感じた。
その自己の収縮に反比例するように、会ったことのないI先生が一種の神人のように認識され始めた。

Ъ分が神だと「感じる」体験

僕の存在は神の自己認識過程の一部だと「感じた」
だからなにをしていても、それは神の顕現であり、美醜や善悪や人間的な価値判断とは一切無関係だと「感じた」。逆に言えば何をしていても、自分がどう思おうと、強制的に神の顕現としての行為となってしまうのだ。そして神はそれを楽しんでいる。

 その時の体験や、また別のトリップを通じて、人間の潜在意識の中には確実に「神なるもの」が存在するということを実感した。神が実在するか、どうかというよりも、少なくとも意識の深奥に「神なるもの」、「絶対なるもの」を感じるというプログラムがあるのだと思った。そのプログラムは、臨死体験時や、意識を変成させる物質の服用や、悟りと呼ばれる体験で起動する。
 つまりこの時点では、「神なるもの」は人の脳ー精神だけにとっての実在かもしれないとも思っていた。しかし、実在であろうとなかろうと、自我というプログラムを完全に補完し、救済するのはこの「神なるもの」というプログラムしかないのだろうと思った。
 「自我」というものが生物としての人間に芽生えたときに、「神なるもの」もその自我の暴走をくい止めるために自然によってプログラミングされたのかもしれないと思った。

 しかし今この時の体験を振り返ってみると、その後の体験の「前投げ」のように思われて仕方ない。
 その後の経過を考えると、少し出来過ぎているように感じるのだ。
 もしかすると、あれは、あのような危ない形で自分に与えられたものだったのではないかと思う。
 神様が投げかける網は広い。
 神の意志が働いていれば、それはどんな形でもやってくる。
 あのようなシチュエーションでそういう体験をしたということに、今は人を導くためには何にでも浸透する神の愛の深さと、人間離れしたユーモア感覚のようなものを感じる。

 ただやはりこの時のは擬似的?な体験だったと思う。
 「わかってない頭」でそれを直観したために、なにか空恐ろしい存在と対面してるように感じたのかもしれない。 


リト後記

今回参加する二日ほど前、突然からだが異様にだるくなって、寝込んだ。
 うわーヤバい、また直前に風邪でもひいて、おじゃんか〜と思ったが、半日寝ると、もとに戻った。
 なんだったのか、よくわからなかったが、なんとなく頭がボケた感じのまま当日となった。
 朝は発達した低気圧の影響で、外は暴風雨に近いとんでもない天気になっていた。
 幸い出かける頃には風雨とも穏やかになってきたが、強風による信号機故障の影響とやらで、途中の駅で一時間ほど足止めをくらってしまった。
 しかし夕方には清里に着き、セッションの開始時間には遅れたけど、なんとか無事到着。

 夕方の二時間のセッションのあと、夕食を食べて、いよいよ濃厚な神様タイムへ突入。
 最初から強烈な力が降りてくる。
 僕はそれほどエネルギーに敏感な方ではないと思うが、今回はすぐに頭を持っていかれてしまったようになった。
 そこまではよかったのだが、何か意識の変わり方がものすごく、ドラッグを使った訳でもないのにここまでとんでいることに次第にパニック気味になった。心臓が不安でドキドキとし始めた。正気を取り戻そうと、目を開けると、他の方の逝ってしまっている様子を見ながら笑っているI先生。うわーなんだ!この空間は!逃げ出したい!と突然思った。
 
 が、思いとどまり、「私は神様の子供です。このエネルギーを受け入れます」と何度か心中で呟いていると少しづつ落ち着いてきた。あ〜飛び出さなくてよかった(^^;
 修道会でも、覚醒系の力が降りると、参加後全然眠れなくなってしまったりするがこの夜もそんな感じでベッドに入ってからしばらく起きていた。

 次の日の夕方のセッションの時に、昨夜感じたことを質問してみた。

 「昨夜の夜、動悸がしたりと不安がたくさん出て、その場にいたたまれないような感じになったんですが・・・・
 神に対する恐怖というかそういうのにどう対処すればいいのでしょうか?


 「我々にとっていついかなる時にも大事なのはただひとつ!それは死ぬる覚悟だよ。
 それは覚醒にしても死ぬときにしても一緒なの。常に必要なのは崖っぷちであるってことなんだよ。
 自分を常にデスパレートな状態に置いておくってことが大事な訳。
 言ったら、いつ死んでも怖くないっていうことは覚悟ができてるってことじゃん。
 いつ覚醒しても怖くなっていうのは覚悟ができてるってことでしょ?それが大事なの。
 
 覚醒する前に恐怖を感じない人間なんて一人もいないと思ったよ。
 だって自分の自我の崩壊がそこで起きるんだから、それって死とイコールなんだよ。 
 なぜ人は死ぬのが怖いか?自分がなくなるのが怖いわけじゃん。それは覚醒にしても一緒なんだよ、結局。
 そんなね〜覚醒によっていい思いだけできるなんてわきゃないわけ、絶対に。

 覚醒したらね〜ランランランランランラン♪なんてことはないんだよ。
 大事なのは死ぬことなんだよ。その「覚悟」なの。
 ほら覚悟って、覚る、悟るって書くでしょ?悟りを覚るのが覚悟なんだよ。

 死ぬ覚悟っていうくらい自我が消滅する前って言うのは、それを直感で感じたときすごく不安になるんだ。
 だからそこから逃げちゃだめ。それを感じるっていうことはなかなかいい線いってる。


 「昔危ない薬をやったときに、死の恐怖がどばーっとでてきたことがあるんですが、フラッシュバック的にそのことが思い出されたり・・・

 「ああ〜いいねそれで行こうw

その薬飲んだときっていうのは、まあ覚醒じゃないですけど、それに近い状態だったんでしょうか

 「うん、擬似的に経験できたんだね。

 「エネルギーがすごい時にはそれが自分の中でサタン的なものに感じられて怖くなるときがあるんですが

 「それはあるよ。というのはこのエネルギーっていうのは人を覚醒させる力なんだけど、これは善でも悪でもないわけ。
 だからそのエネルギーが降りてきたときに、自分の中でどっちに行くかなの。

 だから・・・なんて言ったらいいんだろ?スピードが速まるんだよね。ものすごいラッシュする感じになるわけなんだよ。
 普通のペースで来てたのがなんか突然ラッシュしだすわけ。ていうことはここで同じ時間を過ごさなきゃならないものを
縮めるわけじゃん?それくらいスピードが速くなるのは死に近づくことなんだよ、言ったら。
 そこからも恐怖は出てくるし、それは自分にサタンチックに感じられる。
 でもそれがサタンなのかって言ったら、サタンとも言えない。まあ神なんだけどね。
 それはおかしくないよ、そんなもんさ。

 とにかく人間が思ってるようなきれいな経験じゃないんだよ。覚醒するって言うのは。
 なんか覚醒すればスーパーマンになるとか、こわいもんなくなるとかさあ・・・そりゃ当然そうなんだよ。
 でもそこに至るためには、ぶっ壊さなきゃいけないもの、死ななきゃいけないもの、いろいろわれわれの中に存在してるから。
 自分を壊そうとしてくるエネルギーはやっぱりサタンチックに感じられるし、死の恐怖って言うのも感じるし、それは常に
 そういったものとともにあるってことなわけ。

 「では死の恐怖を感じ始めたときは瞑想とかは止めたほうがいいんでしょうか?」

 「もういっちゃえ。死んじゃえ〜♪死んじゃえ〜♪w

 「ヤバイと思ったら覚醒するよ。俺も台所に行って瞑想する前に水のもうとしたとき、うわっヤバイ、俺今日の夜死ぬ・・・って思ったの。
 そのときっていうのはなんか死ぬ気がするのを感じたとき、それは文字通りの死だと思ってるわけ、俺は。覚醒=死って思ってないから
 自分に覚醒が起こると思ってないんだよ。それはわかってない頭から感じると、死の恐怖なの、覚醒するってことの恐怖は。

 悟りってなんかきらびやかな経験っていうよりも、死の経験なんだよね。怖くなってねそれで・・・・死んじゃうんじゃないかと。
 ・・・・・まあいいや、死ぬときゃ死ぬだろ。おれはもう死んでもいいと思ってたの、そう言えば・・・すっかり忘れてたなw
 俺はいつ死んでもいい気でいきてたじゃないか。わすれちまったのか?死ぬのを恐れちゃいかんだろ・・・・
 ってしてたら覚醒しちゃったの。その日の夜に。
 それでそのとき俺は、ああ・・・あの恐怖ってそのことか・・・と。

 自分が積み重ねてきたものってあるじゃん?
 悟りたいって言う願望はあるにしろ、積み重ねてきた私っていうのがあるわけじゃん? 
 それが死ぬってことが悟りなわけだから、それを手放すっていうのは容易なことじゃないわけ。

 こんな人生嫌だ、とかこんな僕嫌だと思っていても、いざ死ぬか?ってなると
 「やめてください」ってなるわけw

 それが覚醒なんだよ。今までにも何回かチャンスがあったんだとおもうわけ。
 その前に怖くなって止めちゃってるんだよねだから。

先生、死ぬ前に死ねっていうのはそのことなんですか?」と他の参加者の方が質問した。

「死ぬ前に死ぬっていうのは我々の精神の死を意味している。肉体の死の前に精神の死を経験する。  
でも、死ぬのは、一回!
 死ぬ前に死ななくても、実際に死ぬときに怖い思いをするのは間違いがないことなんで、その前に
怖い経験をすれば、そのとき覚醒するわけじゃん?そうすると本当に死ぬときには怖くなくなる。
 肉体の死が来てもそれは受け入れられるんだよ。怖がるようなものではなくなる」 






 春のリトリートから帰ってきた。

 まだ頭が元通りになっていないので、濃い文章が書けない。

 今回は初日に垂直にガンと降りてくる、お父様のエネルギーと、二日目に横に広がり包みこむようなお母様のエネルギーの違いを少し体感させてもらった。

 特に父なる神のエネルギーには、その場にいたたまれなく逃げ出したいような感覚を受け、これはやばいんではないかと感じた。どうも自分はこっち系の力がたくさんくると「気が狂う」とか「死ぬ」とかいうパニックに陥る傾向があるみたいだ。あとでI先生にそのことを質問すると、

 「大事なのは死ぬ覚悟!」という言葉をいただいた。

 覚醒=自我の崩壊というのは「わかっていない頭」からすると、いつも死ぬ感覚として直観されるという。これは厳しい言葉だと思うのだが、これを陽気な雰囲気で言うのがI先生。 

 あと二日目に、お母さんが来たときには、そのエネルギーとからめてタントラの本質について話してもらった。そう言ったことも含めて、頭が元に戻ったらまたあらためて書きたい。

 とにかく体が重い、頭フリーズ。
 ずっとこうなら、人間としてどうよ?という感覚。

 ご一緒させていただいた皆様、どうもありがとうございました〜


 ※お詫び 4/24 

  音声ファイルご希望の方に送付と書いていましたが、諸般の事情により、参加者以外の方には録音したものをお渡しできないことをスタッフの方から教えてもらいました。
  申し込み検討されてた方いらっしゃいましたら、どうもごめんなさいです(>< 





2月9日の修道会


 約4ヶ月ぶりのI先生の修道会。
 なぜそんなに間があいたのか。
 それは単純にお金がなかったからだ!
 でも今月は参加できる位の余裕をいただきました♪

 冥想を始めると、いつものように顔が少し上を向く。
 加えて額のあたりがぴくぴくする感じ。
 
 終了後参加者の方の一人が「今日はお母さん系のエネルギーじゃないですか?」と言うと
 I先生「よくわかったね、そうだよ」とのこと。

 え、そうだったんすか?
 私、あまり、わかりませぬ(;;
 久しぶりで「おぉすごいな〜」とは思ったけど。
 ただ、前日数珠を繰ってジャパしている時に、顔が壁に貼ってあるサラスヴァティーのポスターの方を向きたがるので、しばらく『お母さん』のことを考えていたのを思い出した。

 エネルギーが頭頂部から抜けると、いわゆる「バキバキ」になるらしい。
 額から抜けるパターンもあるそうだけど、う〜ん抜けてる気しません。
 頭全体になんか力が入って締め付けられるみたい。 
 
 ヨガ教室ではないので、どうやったらエネルギーが頭頂から抜けるかとかそういうことは教えてもらえない。というか、自分ではどうにもならない。抜ける時には抜けるということ。
 
 「あえて言えば、自分がコントロールされた思考をしているかどうか。なにかひとつのことについて瞑想的に考えているか、それとも何も考えていないかだね。」

 わかる気がしない 

 「いやー最近どうしても自分がわかる(目覚める)気がしなくて、もう、チベット死者の書みたいに、自分が死ぬ時にしか弾けるチャンスはないのかと思います」と僕。

 悟ったりしなくても、神様とともに穏やかに生きていけるというのはわかるのだが、じゃあ、全部委ねておまかせモードにもなりきれない自分である。

 「それはちょっと、俺をみくびりすぎだぁー」とI先生。

 ここに来ているんだから、必ずわかる、というのがいつもの先生の言葉だ。
 
 悟りとか、覚醒ということに取り付かれすぎると、それはマーヤになって逆に悟れなくなるそうだが、それを欲望にするのではなく「目標」にする姿勢が大事だということ。
 
 I先生も「わかる」までは超うたぐり深く、不信心だったなんてことを先生は言った。

 「チャクラが開いて、それから覚醒するということはあるんじゃないかと思ってたよ。でもそれはおれの中で神と結びついてはいなかった。わかってから初めてそれは全部神がおこなっているということがわかったわけ」

 「小学生の頃から死にたいな〜と思っていて、自殺する勇気はないから眠ってる間に死んでたらいいのにと思っていた」というのは今のI先生からは想像できない言葉だった。

 修行中にも、何度もあきらめそうになったが、その度に霊能者のような不思議な人との出会いがあって、先生の使命を告げたそうだ。

 インドにいる時に、あるサドゥーが「モンゴルの王よ!」と呼びかけた。
 え?俺の事?みたいにI先生があたりをきょろきょろしてる間にそのサドゥーは消えてしまった。その後アシュラムで師に過去世の秘密を教えられた時に、チベットの僧で、のちにモンゴルの王様になった人物が先生の前世だと知ったという。(あの辺の歴史に詳しければすぐ誰のことかわかる人物)

 その話しを聴いて、
 そんなことがあっても、わかるまでは疑いがあったというから、やっぱり最後に疑いを解くのは神様なんだなと思った。

 「だからね、M君がいつかわかるということを、俺はM君自身よりも信じている。
        Tっちゃんがわかるということを、俺はTっちゃん自身よりも信じている。
        Yさんがわかるということを、俺はYさん自身よりも信じている。
        Mケルがわかるということを、俺はMケル自身よりも信じているよ。」

 僕はこういうエピソードを聞くたびに、うわ〜この人はとんでもないな〜と思うのだが、4年近く話しを聴いてても、まだ底なしでこういう話しが眠っている気配がするのがすごい。半田広宣さんの話し・・・からだから金粉が・・・・インドではベッドから体が浮くとか・・・・
 
 こういうエピソードを聴くたびにこんなにすごい人なんだから、信じてついて行けばいいに違いないと(良い?)マーヤにかけられる自分である。
 
 お母さん系だったからか知らないが、
 その後インナーチャイルドが激しく暴れ回って注意を引いた。
 あー・・・これもなんとかしないと・・・・。


8月の修道会

  完璧なみこころ

 今回はみこころ(神の意志)とは、思われている以上に完璧なものであるというお話しが出た。

 そのパーフェクトさはI先生によると、「かみそりの刃一枚通らない」ほどのものであるという。それほど精緻を極めたもの。
 
 I先生のところで一番最初に目覚めたAさんは、「全然違うやんけ!」と言ったそうだけど、それは今まで頭で考えていた「みこころ」や神様と、実在とのギャップを目にしたからだという。

 それは細部まで完璧に構成されており、ちょうどその時に床の上に並んでいた湯呑みやタオルの配置ですら必然的なものであるということだった。

 それは完全に創造されている為に、「何回か再放送されていたとしてもおかしくない」くらいのものであるという。

 最近「オーラの泉」なんかでも、よく「すべては必然」という言葉がはやったりしていたが、人のエゴはこの観念を受けいれられるようには作られていないのではないかと思ったりする。

 だからどこかに「偶然」、もしくは「どうでもいい要素」という観念がなければならず、それゆえに細部まで必然的に決定されているという考えには違和感を感じてしまうのではないか。

 人間側の努力は必要だけど、その努力が意図するものも神の意志なくしては成就しない。だから、行為の結果に囚われずやるべきと思ったことを行うというカルマヨーガ的な方向性が生まれる。
 どちらにしろみこころが成就する。

 「俺だってもしかしたら、来週に交通事故で死んじゃうかもしれない。わかんないよ。そうしたら、みんな必死で俺の言ったこと思い出したり、書きとめようとしたりするだろ?(笑)そんな風にして教えが伝わっていくとしたら、それでいいんだよ。」

6月の修道会

 修道会の日。
 少し早くに家を出て、地元の駅前の喫茶店に入って読書でもしようと思ってたのだが、どうも活字が頭に入って来ず、冷房が効きすぎていて寒いので、あまり長居できなかった。
 少しその辺をぶらぶらしようかと思ったが、人の多さに嫌気がさし、まだ時間は早いけど、開催地まで出かけることに。
 駅まで行くと、中央線が路線の切り替え工事を行っており、そのためか電車が土曜のこの時間にしては異様に混んでいる。頭痛がしてきた。
 それとなぜかすごい眠気が・・・。現地に着くと駅前のドトールに入って、コーヒーを飲むが以前頭は朦朧としている。なんなのだ、一体。会場へ歩いて行く途中、事故ったのか二台の車両と救急車が道路の端に止まっているのを見た。いやー今日は荒れ模様だな。




 「なんか毎回、来るのが結構大変な気がするんですけど」とI先生にこぼす。 

 「うん、そりゃ大変なことなんだよ。それはね鍛えられてるの。神様はそういう悪い現象を通じて、存在を示す。だって宝くじで一億円当たった人とすれ違ったって気づかないでしょ(笑)」

 「それは、神様がやってることなんですが?サタンとかそういうのじゃなくて?」

 「サタンなんてただのコマだよ。本当はいいことしかないの。俺よく言うでしょ?みんなに、調子どうって聞いて、よくないです・・・て言うと、よくないの?いいね〜!ってさ(笑)」

 
    インターネットマーヤ、ラマナ

 どういうことをするとマーヤになるか?と尋ねられた。
 思い当たることはたくさんあるが、「長時間ネットサーフィンしたりするとやばいですね」と答えた。
 「特に精神世界系のページを色々見てたりすると・・・」
 「あ、それはヤバイね。それはねわかってない人が書いてるものが多いから、そういうのを読むと引っ張られることがある。俺は最近、ラマナ(マハリシ)の本を読んでもマーヤになるときがある。それは多分ラマナが真我、自分の内なるものを通して、絶対に向かうというアプローチだからだと思う。直接に、神!じゃないから。」
 「先生と、ラマナの個性が違うからなんでしょうか?」
 「うん、そう。」

 しかし、先生はラマナの存在は「感じる」と言っていた。
 修道会がいつも行われる部屋の中には一枚だけ聖者の写真が貼ってあるが、それはラマナの写真だ。あのとても柔和な顔。


       社会生活、比叡山送り 

 他の参加者の方が、社会からどんどんずれていくような気がしてそれが心配だという話しをされていた。

 I先生、答えて曰く

 「社会のことなんて放っておいていいよ。すぐに破綻するからね(笑)
 前なにかのテレビで見たけどね、日本人は欧米人に比べて不安を感じさせる遺伝子の部分がすごく大きいんだってね。だから欧米人のように冒険的な生き方がなかなかできない。どうしてもひとつの会社に入ったらその場所に囚われるし、地域性に執着する。
 
 社会生活に耐えられない時、いざという時逃げ込める場所をどこかひとつ作っておいたほうがいいよ。」

 先生は比叡山につてがあるようで、今まで二人比叡山に紹介してるとのこと。リトリートでも、いざとなったら紹介状書いてあげるからね、と言っていた。
 「寺の生活はいいよ〜。飯は食わしてもらえるし、神様のことを勉強してればいいんだからね」
 って・・・・。そんなに楽なものですか??
 うーん僕はへなちょこなので、確実に還俗するであろう・・・。

 ただ、僕の中では、社会、というか都会への違和感がどんどん大きくなってきている。そのリズム、その音、その情報の過剰などがどんどん奇異に感じられてきている。

             
         丸投げ


 「M君に必要なのは本当に丸投げだね。Yさんは丸投げしちゃダメ、これは人によって違うの。
 余計なことを考えないで、なんでも、みこころ、みこころでいいんだよ。」

 「それは自分の中に起こる醜い感情とか思いにたいしてもそれでいいんでしょうか?時々そういうのがいやになることがあるんですが」

 「その醜さと正反対のものは何?
 その醜さと正反対のものは、すごい美しさでしょ。それが見えるよ。マイナスのほうに大きく振れれば、必ずプラスのほうにも振れる。 

 みにくいアヒルの子ってあるでしょ?あれはスーフィーの寓話なんだ。スーフィーの寓話がヨーロッパにわたっていくつも童話になっている。今度から君の事アヒルちゃんって呼ぼうか?」

 「・・・・いや、それは勘弁してください。。。」 


        出口

  神は出口。
  みんなそこを通って、ここに出てきた。
  だからそこを通って、ここから出て行ける。




       するべきこと  


 「神様のことを生活の中心にしようと思ってるんですが、まだ自分のするべきこと、したいことは何かということで葛藤を感じている部分があります。」

 「悟ることだよ。バイトでもなんでもいいから、とにかく食いつないでそれに向かうこと。」

 「でも悟ることを目的とすると、悟りマーヤになります。」

 「うん、それを欲求するんではなく目的とするんだよ。」
 欲求と目的って違うんだろうか・・・・。

 「ここに来てる人は、みんなわかるよ。じゃなきゃここへは来ない。みんなもう、青い実になっている。あとは機が熟せば・・・・。みんな神様に愛されている。」







 頭が飛んでる時間が多いからか、最近、あまり会話の内容を覚えていない。重要なのは、言葉よりも、そこに臨在する「それ」。
 
 熱、エネルギー、生命力。


 帰り道、いまだ中央線の混乱は続いている。

 駅。
 弾丸のように飛び交う、人。
 うわーなんじゃこりゃ。
 あの空間と、この空間の対比。
 クレイジーだが、ちょっと面白くなり、
 笑った。



ジャパヨーガの深淵

 リトリート中、ジャパヨーガについてのI先生のお話し。

 ジャパヨーガは普通「オムナムシバヤー」だとか「オムマニパドメフム」などのマントラを使う。
 でもここでは「神様」と言う言葉を使う。
 それは日本に幼い頃から暮らして、日本語を話している人にとって「神様」と言う言葉こそがそれを表しているから。
 誰でも極限状態になったら、「神様」の名を呼ぶようにできている。
 それは神様がそうプログラムしているから。
 「どうにもならない時は私の名前を呼びなさい」と。

 それを大槻教授だってそうだよ。
 サバンナなんかでライオンに追いかけられたら。
 「この言葉だけは使いたくはないんだが・・・」って言いながらも、神様、神様、って言うよ(笑)

 この「神様」って言う言葉を繰り返すことによって、潜在意識をその言葉によって埋め尽くすんだ。そうするといつかそれが、ばんって爆発する。



 神様もそうだけど、そう言えば絶体絶命の人が「おかあさん!」って叫ぶっていうのも・・・よく聞く。どちらにしても、自分の存在のルーツとなるような大きな存在、包み込むような存在に呼びかけるということか。

 僕が神様に最初に祈ったのは、ちょっと困った女の子を好きになって、その子に失恋した時だった。
 命の危機こそなかったものの、心がぐしゃぐしゃになり何かにすがらねば耐えられないような心境だったので「神様、助けてください」と何度も何度も繰り返していると、眼球だけがぐるぐると回り始めた。

 次は、面白半分にケミカルドラッグを使い、量を間違えて普通飲む二倍を飲み込んでしまった時。
 その時は、数十秒ごとに圧倒的な死の恐怖が何度も襲い掛かってくるという状態になった。自分が死ぬという確信だけがふくれあがり、救急車を呼ぼうと携帯を持って外に飛び出した。が、徐々に落ち着き部屋に戻るとまたその恐怖が押し寄せてくる。薬の効き目が切れるのを待つしかないが時計は遅々として進まない。自分のこころなのに、暴れ狂う自分のこころをどうにもできないという絶望感。その時も「神様助けてください、助けてもらえたらこの体をあなたに捧げます」と祈った。

 今それらのリアリティを想い出してみると、すべてがけっぷち的状況であるが、「神様」という言葉は今のこの比較的平穏な状態から、すべて親しいものが消滅する死のリアリティ、それらの地獄的状態までも貫き通して存在しているなあという感じがする。

 ていうか、がけっぷちでは自動的にジャパヨーガしちゃうんですね。なんともすごい・・・。

 だから、「神様」という言葉を唱えるときは、何もそれらの痛い経験を思い出す必要ははないだろうが、人間の意識にそれくらい深くしみこんでいる言葉を唱えているということは想い出していたいと思う。




リト帰る

 とても濃くて、充実した、二泊三日のセッションだった。

 天気予報は雨だったにも関わらず、清里はずっとほとんど雲ひとつないような晴天。夜には星がすごかった。

 そんな空の下での祝福に満ちた時が過ぎ、東京に帰ってくると空はどんよりと曇っていて、満員電車の息苦しさはいつもどおりだった。

 でもここにも神の恩寵があり、きっとすべてはあるべきように動いている。だからここでの生活で経験することもすべて与えられたものとして、感謝できますように。

 I先生、リトでご一緒させていただいたみなさん、本当にありがとうございます!



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  • Author:はいたか鳥
  •  鳥が卵から無理に出ようとする
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     生まれようとするものはひとつの世界を破壊せねばならない
     鳥は神に向かって飛んでいく
     その神は名をアプラクサスという




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