修道会日記 2014 Oct


  久しぶりの長めの修道会日記ですが、やや濃い目の内容のため期間限定記事となるやもしれません。
   
 ではお楽しみください。

  2011年から2013年までお休みしていた修道会。
  昨年再び参加できるようになってから、今回で3回目になる。
  2010年から2011年はほぼ毎月参加していたことを考えるとずいぶんペースは落ちた。
  今回は、約半年ぶりってことになったけど、ひさしぶりに強烈に何かが来てすごかったが、その分あとがやや大変だった気がする。I先生はお昼から個人セッション×5ですでに修道会が始まる夕方には5時間ほど喋り続け状態で、ほとんど休憩もなく修道会に突入・・・というわけでいつものこととはいえかなり最初から酩酊バキバキ状態。そしてそのまま3時間喋り続けた(笑)いつも思うが超人的なべしゃりパワーである。
 
 灰「空気感は変わりましたかね?前回のセッションのあと今年はすごいマーヤな年だと言う話で・・・」

 師「変わったよ!あのあと。M君が言ってた通り変わった。7月くらいに変わった。7月くらいに変な混沌としたのがなくなってきて、結構エネルギーがまっすぐ流れるようになり始めたよね。そう、良くなった。で、その後一回またあれ?ていう感じもあったけど、またちょっと戻ってきてる。でも・・・なんだろう・・・おかしいじゃん・・・この・・・天災系?噴火したりとかさ。祟られてるわな(笑)水責め、火責めじゃん。


灰: 「このままいい感じになるっていうあれですかね。7月より良くなったってことは」

師:「うーん、なってほしいけどねえ。どうなるかね。なんかやっぱりね、『おかしい』。おかしいのは変わらない。

 だから、2000年の頃にフォトンの影響かなんか知らないけどあれでスピリチュアルなエネルギーが高まったあの頃の時期からすると、低迷してきてるんだよね。でエネルギーが低迷して、もっとここから下がっていくのか、上がっていくのかっていう分かれ目みたいなところにいると思うんだけど、そりゃねこのまま上がっていって欲しいよね~

 富士山がぶわーって噴火したりとかさ、津波がぐわーって来たりだとかさ、日本沈没~みたいなそんなん最悪じゃ~ん、ねえ?それはマズイでしょうやっぱり~」

 I先生があまりにも笑顔で緊迫感なく話してるので、会場笑いに包まれ、「あのうれしそうなんですけど・・・・」と声も

 師:「そうなったらなったで俺の腕まくりのタイミングかな?とも思うけど、そうなったらそうなったでイヤなんだよ、俺は。どうなったってとにかくイヤやイヤやっていってるわけ(笑)どっちにしてもイヤなのよ。このままずっと生殺しみたいな状態が続くのもどうなんだって思うし、なんかそういうのがどかーんて来るのもいやじゃん?やっぱり。だからねーなんとも言えないよね。それくらいまで行かなければ人が目覚めないなら、それくらいまでいく可能性も当然あるし、そうならなくても人が気付くんならそうならなくてもすむかもしれないし、人が目覚めていくことと関連してると思うからね。特に今の時代はね・・・。だから、微妙。おかしい、おかしいって言ってたあの頃よりはいいけどね、全然」


 つながることとわかること




 参加者のSさんから「この前つながることとわかることは違うんだって話しされてたじゃないですか・・・」という振り

 I先生笑いながら、隣のIさんを見て「隣にいるじゃないですか~ガシガシにつながってるけどわかってないって言う人が。」と。

 師:「つながるっていうのは一種の前提なの。つながってないとわかるってことにはならないわけだ。で、つながり方にもいろいろあるわけ。俺達は3次元の世界に生きてるわけでしょ?でもここを越えたところに、4次元だったり5次元だったり、6次元とか7次元(7,8,9と続くが省略)とかあるわけじゃない結局。そのどの次元に自分がアクセスするか、例えば4次元や5次元でも宇宙人が住む次元があったり、パラレルワールドが存在する次元もあるかもしれないし、で、それぞれの能力者はだいたいどこかひとつとしかつながれないんだよ。」

 Sさん:「でも先生がつながってるのは大元ですよね・・・」

 師:「・・・そのはずだよ」

 Sさん:「で、そういう人たちはどこかの次元とつながってると」

 師:「そういうはずだよ。そこんところは僕達の理解の範疇を超えるんだよ。わかりえないこともある。ただ自分にとって与えられてるものは自分にとってはすべてだってことなんだね。だから自分にとって与えられてるものを自分はフォローするしかないわけ。でも自分にわからない世界があるんだってことはどっか片隅においておかないと、やばいことになっちゃうわけ。なんか、私はすべてを知ってるよ。。。みたいな、そういう人になっちゃったりとか

 で、そのつながるっていうのはどことつながるかというと、カルマだったりとか、神様の恩寵とかそれら「条件」によってつながるところは変わってくる。で、その中でつながることによってチャネリングする人がいたりとか未来の透視をする人がいたりだとか、タロットで人の未来を占ったりだとか、そういうことができるというのは起こるんだ。

 でも悟るっていうのは基本的に神かSATANの恩寵がないと悟らないわけよ。

 ということで悟りというのは絶対者によってもたらされるものだけど、悟りっていうのは、自分に対する結論なんだよね
 。
 ていうことは、悟りっていうものは、自分の疑問だったりとか自分の探求の終着点にあるべきもの。。。ということはこれはひっくり返して考えると、自分の探求ていうのがすべて努力し尽くされてもうそこに到達してもいいって時期が来ない限り悟りは起こらないってことになる、ていうことは自分の人生で起こることだったりとかが今・ここで完全にフィットしなきゃいけないわけ。

 これ以上の何かが起こるのではなくて、今までの人生歩んできた結果によってここに辿りついたっていう・・・行為の終着点でなければならないってことなんだよ。
 だからIさんはすごいがっしりつながってるけど、究極のところわかるって感じにはならないって言うわけ。それは理由としては、Iさんの使命、Iさんがなすべきこと、Iさんはバツゲームって言ってるけど・・・あはは(笑)
 そのなすべきことと、わかるってことが多分同時発生的にくると思うのね。あ、すべてこのために自分の過去があったんやなっていうその究極的な得心だよね。自分の人生の全肯定。
 Yなんて結局それできちゃったんだもんね?「私の人生にはもう何もございません」みたいな(笑)

 Yさん:「はい・・・」

 師:「結局、俺達って言うのは生き物なんだよ。いろんな哲学だとかでいろんな理屈を言おうがなにしようがね。結局、どこかの環境の中で我々は生きてるってことなんだよ。ていうことは、それぞれの人が必ず固有の体験をそこでしているってことなんだよね。

 例えば禅なんかで、経験はない、だったりとか人生は幻である、無明であるいうけども、その答えに到達した人って言うのは長い探求と師匠たちの恩寵をいくつも経験した結果そこに到達して、そこに到達した時点でその真理を悟る。

 確かに「人生において経験はない」という結論の次元は存在するわけだよ。

 そればかりか、何もないんだよ。

 何もないって言う次元が存在するんだよ。

 でもそこに到達するためには、経験がないと到達できないわけ。だから我々にとって必要なのは経験をすることなんだよ。人間ていうのは。

 ということは経験の積み重ねが、自分の使命だったり自分がここに存在する役割だったりとか、そのことを明らかな答えとして見出すまで悟りは起こらないってことなんだ。

 つながるっていうのは今日明日からつながれるの、つながろうと思えば。

 悟りは最後に来る。だから覚醒は始まり、悟りは終わり。覚醒は覚醒の始まり、悟りは覚醒の終わり・・・・なんだよ。


 神とSATAN、朝日とおしっこ
 


 Sさん:「だからわかってない人でもつながってたらそれなりの文章が書けるってことですか?」

 師:「そうそう、ただわかってない人はどういう難点があるかというとそれが神なのかSATANなのかという見分けがつかないってこと。わかってない人からすると、神々しい体験をすると、それを神だと思うわけだ。わかってる人からすると、神々しい体験をしたときに、必ずしも神かどうかはわからない・・・ってことをわかってるわけ。

 自分がアイドルが好きだとするじゃん?アイドルが好きで、そのアイドルを見ている時って言うのは神々しいだけなんだよ。でも実際に付き合うってどういうことかっていったら、その「うんこ」とも付き合うってことになるわけ(笑)あはははは。人間はうんこするんだからね、「うんこ」と付き合うことになる。」

 Oさん:「うんこと付き合うわけじゃないと・・・(笑)」

 <場内笑>

 師:「あははははは。だから、両方セットでしょって話なんだ。もしかしたらトイレは行ったときに大好きな彼女のうんこの流し忘れがあるかもしれないそれ見たときに・・(食事中のかたもいるかもしれないので省略w)

 あのさ、Yさんて北海道の人がいてさー
彼は北海道にいたとき牧場でバイトしてたの。で、牛って50リットルくらいの牛乳を出すんだって。でも、5,60リッターのうんこするんだって。だから朝、牛舎行くと・・・・すごいんだよ。

 で、彼はこんな話ししてたよ。彼の覚醒体験の話聴いたの。

 そんなかでクソまみれになって掃除やってるとき、すぐ側にいた牛がじゃーっておしっこしたんだって。

 で、そのおしっこした時に向こうに朝日が昇ってきて、おしっこがキラキラキラーって輝いたんだって。その瞬間に目覚めちゃったんだってさ。

 ね、牛のうんこと格闘してる人が牛の放尿見て覚醒したっていうね、面白いはなしだねーって。そんなもんだよな、なんて言ってたんだけどね(笑)

 結局我々は学校入ったってきれいなビンに入った牛乳が並ぶわけじゃん。それってキレイな一面しか見てないけど、その現場にいる人たちはうんこと戦ってるってことなんだよ。どうだいこの話は?

 だからこの世って言うのは美しいものと汚いものが混在してるってことなわけ。だからそれがふたつあわせてバランスが取られるってことが大事なことなんだ。

 だから神々しいものがわーって出てきて「おー神だ」っていうのはだまされてる可能性がある。

 それよりもその中でSATANの働きだったりが見えてくるっていうのが覚者なんだ。覚者はSATANを熟知してるってわけ。だからわかってる人は基本的に騙されないのはそこに理由がある。

 だからM君がずっと昔に、リトリートのときに、先生神様とつながってるそのときの体験はどうしてこんなにデモニッシュな感じがするんですか?って聴いたことあったじゃん。」

 2008年の春のリトリートのとき確かにぼくはそんな質問をした。今では、なつかしい
 記憶がよく飛びそうなI先生、よくそんな前のこと覚えてるなーと思いつつ

 灰:「あ・・はい」

 師:「で、そのとき、そんなもんだよって言ったじゃない?で今日はKがこんな話ししたわけ。私が神様って思って向ってる神様はSATANかもしれないって。で、そうだよって俺はいったわけ、お前の神はSATANだ!みたいな(笑)あっはっは。そういう意味じゃなくてね。

 もしSATANであったとしてもその背後には神がいるってことを理解しておけば、例えそれがSATANだっていいじゃないかって話しを今日はしてたわけ。言ったらねKもM君が感じたのと同じように感じてるわけよ。なんか、神とつながってわーいと思ってるんだけど、なんかデモニッシュな感じがするから(笑)これSATANなんじゃないかって思って俺に質問してきたっていう。

 で、俺も自分の覚醒の瞬間っていうのはSATANに包囲されてたからね、やっぱり。完全にSATANか神か、どっちのウェイトでもってこの秤がひっくりかえるかっていう感じだった。だから、悟りって思いっきりSATANチックなんだよ。なぜかっていうと悟りの瞬間って両方を相手取るわけだから。で、その中で結局、すべては神のコントロール下にあるだとかということになるわけだけど、で、その時にそこに居並ぶSATANをばーって見るわけだよ。悟りって言う舞台では、神から、天使からSATANまで全員集合なの。チャンチャチャチャンチャンチャンちゃんラー♪おーいすってやつ(笑い)全員集合だよ。

 占い師や予言者はSATANにぐるぐる巻きにされてることが多いけど、結局、SATANがそこにいようが何しようが、その人につたえるべきメッセージを選択してるのは神なんだよ、結局。だからどことつながってようがそこではその人がいうべきことは必ず言わさせられるわけ。」

 師「で、他に質問ない?・・・ないよな。聞いた俺がバかだった。だいたい俺がダラダラしゃべてるんだったね、ここの修道会では。M君に質問したのが始まりだった、俺がなんか質問しなきゃいけないってマーヤになっちゃったんだね

 って言ってもね、どうしよね?(笑)M君なんかない?質問」

 灰:「いやーないっすね、、、今は出てこない」

 もう頭が働くなって来ていた。


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修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/10/15 19:41

Seed~スマホと薪ストーブ~

 先週末、埼玉某所でのI先生の夜の集いに参加した。

 始まる前にちょっと雑談をしたけど、最近先生は埼玉での待機場所で使う薪ストーブの薪を材木やさんなどでもらいうけたりしてるらしい。その材木をチェーンソーや斧で薪にしていく過程を面白おかしくいつものノリで話してくれたけど、薪ストーブは普通の石油ストーブなどより全然あたたかいらしい。

 薪ストーブの前でパイプをふかす先生の姿があまりにもはまりすぎなイメージで浮かぶ。
 一度僕も暖炉で燃えてる炎を見てみたいものだ。

 「かなりワイルドな生活をされてるんですね~」

 「そう、そうなんだよw」

 前回も確か、畑を始めて蕎麦を栽培しているという話しを聴いた。
 今年に入ってからI先生もライフスタイルがずいぶん変わったみたいだ。

 開始時間が近づくにつれ、修道会歴○年の方々が次々に窓から入ってくる。
 会場は少し古びた一般の民家で、窓の外のテラスからも階段が下に伸びているという面白いつくりになっているからだ。6畳ほどの和室。趣きがあってなんだか落ち着ける空間だ。今年は個人セッション一度と、夏の修道会で一度、このおうちにお邪魔した。今回であわせて3度目だ。

 開始直後、「M君は調子はどう?」とたずねられ

 「はい、冬にしては調子がいいです」と答える。

 例年秋冬は風邪をひきまくったり、体調を崩してることが多いけど、今年は少し安定感がある。
 
 自分でも腰布一枚で朝日を礼拝したり、耐寒訓練をしたり、塩水で鼻をうがいしたり(?)ワイルドになろうと努力している部分もある。

 「いいでしょ?それはねきっと全体の意識が変わってきてるからだと思うよ。今年は本当変だからね~、多分去年の12月にアセンションしちゃったんだな。」とI先生

 ええ~~もうしちゃったんですか。
 おそらく先生特有の適当発言かと思われたが、まるきり冗談でもないようだ。
 
 先生いわくスマホの普及などで世界全体の意識がひとつに共鳴しやすくなっているのではないかという。

 「すごいよ!だって、最近じゃタイのお坊さんだって、袈裟を着てすっすっ(スマホを指で操作する動き)てやってるんだからねー」

 I先生自身もスマホとタブレットを使っているらしく、いまだに4年前に機種変したガラパゴス携帯を使ってる僕よりIT化している。

 先生によるとティモシー・リアリーなんかもITによる人間の意識進化にかなり期待していたところがあったらしい。

 「まあ、すぐに5次元になったりとかするわけじゃないけど、アクエリアスの時代になると、国家も消滅していくと俺は思ってるんだよね。それで、自給自足をしてる共同体が世界中にできて、インターネットでつながるようなね、そういう時代。100年か200年後には、そうなってるんじゃないかと思うんだけどね」

 少し前のブログ記事で書いたようなことを先生も言っていた。

 100年か・・・かなり長いきせねばだけど、その始まりくらいは見届けたい。

 うお座の時代は父性原理が支配する弱肉強食の時代で、善人はしいたげられて辛酸をなめるようなことが多かったけど、アクエリアスエイジは母性の時代なので愛が基本となって、つながりあった意識で生きるような時代になるという。

 ダンテスダイジは確か講話集のなかで、アクエリアスの時代で人類史上初めて、愛と自由が調和した時代が来るといっている。それぞれが自立して自由でありながらも、ワンネスに結びついている時代だ。

 「ワンネスということのもともとの意味は唯一性で、ブラフマンだけが唯一で、そのほかはマーヤということだから、それだと現象世界に対してはネガティブな意味になる。」

 しかし、そのワンネスとはまた別に、個々の人間の意識がひとつに融合するような、よくいわれるような意味合いでのワンネスもまた存在するようで、I先生がまったく知らない人たちの意識と意識が共鳴しあうという体験をした話も聞かせてもらった。

 20世紀にすでにそのような現象が起こっていたなら、あと何年後か、何十年後か、何百年後か知らないけど人類全体の意識がひとつの巨大なWEBのようなものになっていてもおかしくはない。実はもうその兆しはあって、ITテクノロジーはその雛形である可能性もある。

 なんだかこういうものも開発されつつあるみたいですね~
映画「クラウドアトラス」にこういうんあったような。
 非現実的なまでにSFチックな3Dホログラムディスプレイ 




 今後自給自足コミュニティが増えていくなら、自然と接続することは必須で、だからこそ今後のキーワードは、Spiritual & Wildかなとひそかに思っていたが、ワイルド(アナログ)&テクノロジーっていうのも間違ってはいないのかもしれない。
 ちょうど、畑仕事や、薪割りなどワイルドかつアナログな作業をしつつ、その合間にタブレットやスマホ、PCなどのデジタルメディアを操作するというような日常。
 テクノロジーと自然、片方を軽視したり否定せず、両方の極に足をかけるようなライフスタイルがいいのかも。

 もちろん、spirit(神・意識・魂)をはずすということは出来ないんだけど。


  僕の感覚としては、今年は日本の政治や世情もなんだかこんな感じだし、アセンション祭りも遠きになりけりな印象で、アセンションや天変地異に頭を奪われるより個人の人生の意味にもっとフォーカスしたほうがいいような感じを受けていたけど、I先生によると全体の意識はかなり変化しているのではないかという。

 もし仮に全体が変わるのが100年~200年も先だった場合、今生きてる僕らに見えるのはそのほんのプロローグのようなもので、例えば2050年、今から37年後、僕がじいさんになる頃にも韓国と中国がどうしたこうしたとか、街角の景況感が回復傾向にあるとか、中国で二度目の五輪開催が決まったとか、今年度の流行語は「脳内アプリです」とか、そんなニュースが流れてる可能性もあるのだろうか。

 でも例えそうでも、僕は自分の生を生きるだけだ。

 そして、僕らの生は、種なのである。

 20世紀後半に欧米を中心に起こった、ヒッピーカルチャーや、ニューエイジムーブメント、ナチュラリズム、ドラッグカルチャーなどは一世を風靡して新たな時代の到来を予感させたけど時が経つにつれて下火になりまったく商業的なものに変質しその様をあらわすために「スピリチュアルマテリアリズム」や「プラスティックメディスンマン」なんていう言葉も登場した。

 しかし僕が思うに、それらの潮流のエッセンスは枯れ果てたのではなく、単に潜在化して地中に潜っただけなのだ。人類の集合意識に痕跡されたその波動は、時期がくればかならずその時代にあった形で芽吹いて花咲くものなのではないだろうか。新しい生き方や考え方は、古来から何度も何度も、このようなこの世界への顕在化と集合意識への潜在化を繰り返しているものだと思う。

 例えばニコラステラが発明しようとした、送電線の存在しないエネルギー伝達システムのようなものもあるいはすでに別の時空間では実現されていたものだったかもしれない。テスラはそれをこの時空間でも顕在化しようとしたが、時がいまだ至らずにそれはかなわなかったのだ。しかしテスラの想いと生はそこでまた新たな種となって、この時空の集合意識に蒔かれた。

 それと同じように、僕らは望めば新たなアクエリアスエイジの種となることはできる。

 その文明の型となるような生活を実践することにより、その世界の父祖となることはできるのではないだろうか。例えその世界的到来を見ることが出来なくても、その種の世界、原因の世界を生きることが出来るのだ。それがある種の「希望」なのではないかと想う。
 そしてその希望はあいまいなファンタジーではなく、時空を越えて僕らが父祖たちから受け継いできた「種」なのだ。
 
 「例え明日世界が終わるとしても、私はリンゴの樹を植える」べきなのは、それはいつか別時空での「種」となる行為だからだと想う。


・・・とかなり、修道会での会話から自分の思索を展開してしまったけど、修道会ではこういう話をずっとしていたわけではなかった。それは最初のごく一部で、世間話から、「時間」の話し、すごくゆるい笑い話しなど、いろいろな話題を軽快に飛び回りながら、いつのまにか3時間が過ぎていた。

 ある意味単なるギャグでも、アクエリアスエイジの話でも、それを常にユーモアを交えて話すI先生にとってはほぼイコールのトピックなんだろうなと、いつも想っていたことを改めて感じた。ある主張を押し付けようと言うような意図はこれっぱかしもない。

 I先生は言う。

 「だからいつも言ってるでしょ、俺のいうことを信じるなってw そりゃ、俺だって信じて欲しくてしゃべってるよ。でも、言われたことを信じないってことが洗脳にかからないようにするための方法なんだ。」

 「だから盲信されるのを避けるために、すごい面をだしたりがっかりな面をだしたり交互にやってるわけ。それでバランスが取れるの。タイミング悪くがっかりな回だけに参加しちゃった人はそれで来なくなっちゃうんだけどね。それは俺が意図してやってるわけじゃないからしょうがないよw」


 僕もがっかりの回だった時は、「なんだそれ・・・もう行くのやめよ」と想ったことが何度あったかわからない。でもそれでもいまだにこうして足を運んでるのはとっても不思議だ。それは先生の表面的な言葉とは別の次元で供給される膨大なエネルギーと情報があったからだと思っている。


 僕の意識は日常の出来事から切り離されて、その場の意識状態にかなりシンクロしていた。修道会に行く前に歯科医にいったんだけど、そこでの会話などがまったく別次元での出来事か、はるか以前の出来事のように感じられた。目を閉じて飛び始めた状態で、先生の声や、他の参加者のかたの笑い声を聴いてるのはとても心地よかった。




修道会日誌 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/12/10 11:21

再会と近況

 
 いまだPC起動不可のためネカフェより更新でつ。

 先週の金曜日本当に久方ぶりにI先生に会ってきた。

 半分予想したことではあったけど、変らぬ笑顔で開口一番「お帰り!」と言ってくれたことがとてもうれしかった。

 なんだか一年9か月振りに会ったとはとても思えなかった。

 I先生曰く

 「そろそろ戻ってくるんじゃないかと思ってた。だからM君から連絡があってもおどろかなったんだよ」と。

 「ああいう出て行き方をする人は戻ってくることが多いの(笑) M君とは切れた気がしてなかったから。」

 そのあといろいろ話せてとてもよかった。

 ひさしぶりにあのエネルギー感に触れられると同時に、こころのむすぼれがほどけたようで。

 3月くらいから、そろそろまた会いにいく時期かなということを示すようなサインが続いてた。

 

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 3月2日

 買い物の帰り道、サイババの姿イメージし
 「僕どうしたらいいんですかねー」と問いかけていると
 僕をRさんに出会わせ、I先生までも導いたのはサイババだという考え浮かぶ
 引きこもってたときに見た笑顔のサイババの夢、Rさんの部屋に飾ってあったサイババの写真、など。
 踏み切り待ってると電車も来ず、遮断機もあがらない。いくら待っても、、5分、10分・・・
 
 仕方なく引き返して別ルートで帰宅。

 引き返せ?



 3月4日

 どうも一週間ほど微妙なコンディションが続いている気がするんだけど、ここ2、3日特にウツっぽいかも。
 3月1~2日に強烈なMクラスフレアで太陽風上昇したらしいからそっち系の影響もありそうだけど・・・なんかこれはかなり強烈マーヤだ。寝ても治んないという・・・僕独自のプロセスというより、なんか外的なエネルギーの影響があるような・・災害系ならちょっとヤバい?ホントこんな低調さ続くの久し振り。

 3月5日

 21:00~I先生の声で瞑想すると、あの居座っていたウツのエネルギー消える。
 バキバキとまではいかないが、クリアーさ戻る。追いつめられるような追い立てられるような感じなくなり、余裕が戻ってきた。不思議。このうつのソースはなんだったんだろうな~

 3月10日

 朝から気温高くお昼には25℃超。
 3月なのに夏日!ということで観測記録更新。
 三鷹までチャリで行ってみるがマジ暑い。

 帰り、突然空暗くなり、風が強くなるので建物に引き返す。尋常でない風と、目にチクチク砂埃。「中国からのアレでしょう?」と若いカップル話す。僕もてっきり黄砂だと思い、上のレストランで少し時間潰す。

 帰宅後ニュースでは「煙霧」という現象だとのこと。煙霧?


 3月14日

 すべて神である
 分離という認識を持つエゴや分離という認識をもとにして働くサタンは、ゲームのコマである。
 大いなるサタンの計画ほど、そこには大いなる神の意志と力が注がれる。
 仮に東日本大震災がサタンの計画だとすれば、そこで人と人が結びついた絆や助け合い、祈りあい、命と平和の価値を知ること、何もなくなった土地で畑をすることその他多くの学びと認識のシフトが神の意志と力であり忘れえてはならないものだ。
 気仙沼の和尚さんはボランティアの人たちが「お地蔵さんに見えた」と言っていた。


 3月25日

 僕らはいつになれば、3・11という時空から抜け出すことができるだろう。

 あれから2年と少しの月日が流れ、ACのCMしか流さなかったテレビはバラエティを流し、多くの人がまた日々の忙しさに流されて生活するようになった。

 でも3・11という時空間にとらえられたまま生きている人も多い。
 家を失い仮設住宅での生活を今も余儀なくされている人、原発事故で土地を追われた人、東京であらたな地震や原発の崩壊を予期するとき僕もいまだその時空の中にいることを知る。

 この不安に終わりはあるのか? 
 3・11という時空からのEXITははたして存在しているのか?
 関西まで、九州まで、あるいは沖縄まで逃げれば済むという問題なのだろうか?
 東海、東南海、南海のM9を超える巨大地震の可能性もささやかれ始めた今
 福島第一のいまなお切迫した状態が、まるでこの世界に出現した普通の思考回路では解決できない禅問答のように思われる

 もはやすでにひふみ神示にあるように、逃げる場所は「神のみ旨の中」という時が始まっているのかもしれない。3・11という時空からのEXITが神のみ胸の中であることははっきりしている。それさえも、僕らがこの時空間に入る以前よりも一層の心の強さと信頼が必要となった。

 なぜなら3・11という時空で神の身をゆだねるということは自らの生死や健康の成り行きを、より一層の多くの迷いと不安を超えて大いなる存在に身をかませることだからである。


 3月28日

 2年目の3・11以降また地震のことなど気になり、風邪ひいてあまり動けなかった状態で、広瀬隆氏の原発講演動画が見たり南海トラフのこと調べたり・・

 YOUTUBEで南海の動画見てると、うりぼ~が部屋に入ってきて、

 「I先生に会いに行ったら?」と言う。

 なんでも坊主になった先生やHさんなどが野外で合同の講演会をしていて、それを僕と二人で聞いてる夢を見たという。僕はそれを夢中で聴いていたらしい。

 
 4月1日

 昨日からPCまた動かぬようになり、今日はPCと携帯押入れに放り込みプチリトモードに。
 I先生にメールする。


 4月3日

 朝から突風傘ぶっ壊れる。Mさんから返信
 飯能へ引っ越し、蕨修道会の件。職場でツイッターで鳥インフルチェック。

 4月4日

 夕方に2011年6月の最後の修道会の録音聞いてるとバキバキ系になってくる。

 4月5日

 朝もまだパキパキしててすごい。


 4月11日

 旧3月 弥生二日

 昨日が●新月で、朔日(ついたち)
 
 昨夜は仕事終わるころ長疲れ気味



 4月12日

 I先生に会いに行く。
 1年と9か月も会ってなかったとはどうも思えない。
 I先生は笑って「お帰り、お帰り」と言ってくれた。 

 そろそろ戻ってくるかな?と思っていたと。

 今後どうなるかわからないけど、とりあえず挨拶できてよかった。

 でも本当に二年近く会ってなかったとは思えなかった。その間いろんなことがあったけど、ずっとある意味つながり支えられていた気ががする。


 4月13日

 淡路島M6.0 10キロ 6弱の揺れ
 今ヤフーの防災メールがきてドキドキ マーヤ

 地震気になり17時半~ ニュースワンセグでチェックしたけど淡路島震源M6は結構被害大きい。
 校庭に50メートルの亀裂など、液状化。

 国生みの地オノコロが動いたのがなんか気になる
 

 4月16日

 ・未明ボストンで爆弾テロ

 ・イランパキスタン地方でM7.8地震


 ↑なんか旧暦3月になった4月11日くらいからいろいろおかしい気がする。
 11日は異様に疲れたし木も疲れぬけずねむだるい。
 12日はI先生と久しぶりに会え良かったけど、夜はやはりダルく土曜は早朝地震。
 仕事の疲れかとも思うがねむだるい感じ、いつまでも消えず。

 4月17日

 17:55 三宅島 M6 5強
 21:03 宮城  M5 5弱



 I先生と会ったのは1年9ヶ月ぶりだったけど、本当にそんな感じがしないのがとても不思議だ。
 最後の修道会から今までにあった出来事、台風の中高知に行ったり、引っ越しをしたり、沖縄に行ったり、それらは全てI先生の所を離れてからの出来事なのにずいぶん前のようで・・・なのにI先生に再開したのはわずか数週間ぶりであるかのようで・・まるでそれらは別の時間軸の出来事のように思われるのだ。
 あるいは神様がかわりに見せてくれた夢であるかのように。
 雨の高知を走ったり、呼吸法の練習をしたり、タンクをしょって沖縄の海に潜ったり、本当にいろんなことがあったのにな、変わらないI先生の笑顔を見ると、ずっとそこにあったのに目をそらしていたものにまた出会ったようで、その場の空気はずっと僕を見守ってくれていた大いなる存在の気配のようだった。

                                  4月13日記




修道会日誌 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/04/18 12:52

神は平衡

 昨日、I先生の瞑想会に出た時こんな言葉を聴いた。

 『これは、あくまでただ俺の考え方だけど、こころに闇のある人は神様を信じたほうがいいよ

 前後の文脈は寝不足で若干もうろうとしてたので忘れてしまったが、多分いろいろな真理の求め方があって、それは人によってまったく違ったものでかまわない。でも・・・ということだったと思う。 

 それは一瞬、闇を光で帳消しにするというようなことかと思ったが、

 『ていうのは、神と言うのは平衡だからなんだ。神は闇でもないし、光でさえないの

 という言葉が続いた。

 『死にたくなったり、自分を傷つけたくなったり、そういう傾向のある人が神を思うことでバランスがとられそこから抜け出すことができる

 僕のイメージとしては、左右どちらかに傾きすぎた天秤がこころの闇に飲まれている状態とするならば、神様を想うということで棒を支える「支点」に意識が移動し自動的にバランスがとられた全体に意識が戻るというような感じがする。 

 神様が「善」と言われれば僕はなかなか近寄りがたかったと思う。
 僕の中にはI先生と会う前から善でも悪でもない、「アプラクサス」という神がいた。
 それは自分の心の闇を裁く神でも、光で浄化する神でもなく、そのこころの闇自体から語りかけるような、あるいはそれらすべてを抱いて存在しているような場だった。
 
 こころの闇にとらわれてどこにも逃げ場がない時、神を思うと闇はそのままで、僕らは静止した支軸となれるかもしれない。話しを聴きながら僕は自分のこころの闇から、神様によってどれくらい救われてきたのだろうと思った。





 







修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/11/06 23:19

Alien in Tokyo

  前回のI先生の個人セッションで聴いたこと。

  人間は、支配されることに慣れているタイプと、支配に対して拒否反応が強いタイプがいるのではないかという話し。

この支配されることに慣れていない「エイリアン」タイプ(宇宙から来たという意味ではない)は、社会が押しかぶせてくる価値観に対して免疫反応が強いので、混乱しやすいのだそうだ。
 だから見てる人間を一定の方向に誘導しようとするテレビなどを見ると、マーヤにやられやすいらしい。

 「テレビにはもちろんいいメッセージが含まれてるものもある。でも、やることがないからなんとなくテレビをつけてるって言うのは駄目ヽ(#゚Д゚)ノそれはすでにテレビに支配されてる状態だからね。俺もテレビを見るときは、あらかじめ番組表を見て、見たいのだけを見るとか、録画して見るようにしてるよ。そういう風に自分が主体的にテレビの方を支配したほうがいいよ

 なんでCMとかを見てていちいち腹が立つことが多いのかと思っていたが、僕もエイリアンなのかもしれない。自分のこころが狭量なのかと思っていたが、そうではなく、ただそういうタイプだということかも。
 
 「ニュースはダメね。あとお笑い番組も

 「お笑いはなんでダメなんですか?」

 「時間の無駄。」

 「いやー僕にとっては数少ない笑える時間なので結構癒しになるのですが」

 昔から芸人が結構好きなのだ。関西出身でチュートリアルと母校が一緒だからかもしれない(関係ないすね)

 I先生笑って、「じゃあM君は見ていいよ。神様に怒られたらやめればいいから。俺はダメだけど、例えばMちゃんとかもお笑いは大丈夫なほうなんだよね。」

 ここらへんも人によって違うようだ。 

 I先生は小さいころからエイリアンで、とにかく学校生活などにすんなりと従えないし、すべてを疑っており自分が経験したことしか信じられないので、若いころから海外を放浪したりして経験を増やして言ったのだという。

 ということで、外側からの情報に支配されないように、夜はネットやテレビを控えて「何もしない時間」をつくるように勧められた。

 「とにかく外側からの情報に支配されないようにした方がいいよ

 I先生は基本昼間はパイプを片手に座っているということだけど、夜も20時から午前一時くらいまでの時間はひたすら座っているということだった。(瞑想をしているという意味ではないみたいです)
 僕はそこまでじっとしているのは辛いが、夜数時間はBGMを流しながらそういう時間にあててみようかと思った。

 そういう日を数日続けると、夢見がダイナミックになって動きが激しくなった。
 エネルギーが出口を求めて動いているのかもしれない。
 煮詰まったエネルギーをテレビを見たり、レジャーに出かけたりして逃がさないと、それは正しい抜け道を見つけ出すという。

 「他のことに逃げていると、今自分がわかるべき答えにたどり着けないからね

  あと、ネットに接続しても、アセンション系や、政経ブログなどは当分避けておこうと思い、AmazonとMIXIと自分のブログくらいしかお気に入りに入れなかった。基本的にいろいろな情報がぶつかり合ってる場所や、何か不安を煽るようなものはパスしたい。
 外側の情報に夢中になっていると、内なる声が聴こえなくなってしまう。必要な情報は、何もしなくても神様が知らせてくれると信じたい。 

 ネットは、現在のシステムを構築するマトリクスから精神を開放してくれるものかと思っていた。
 しかし、それはもうひとつのマトリクスでもあるのかもしれない。
 あらゆる情報が浮かぶ海に、とらわれた意識となる可能性がある。
 プラグを引き抜くには、ログアウトして、ただ自分自身と向かい合うことも重要だと思う。
 自由とは結局、支配されていない状態なのだから。

 個人セッションに行く途中僕の頭の中に、

 「Oh.I'm Alien I'm legal alien.....」

 という曲が流れていた。スティングの「イングリシュマンインニューヨーク」ではなく、それをアレンジした「ジャマイカン イン ニューヨーク」だった。

 それを歌って見せると、笑って「M君もエイリアンなんだね~」とI先生。

 



修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/10/06 11:41

バクタ、サークル、信頼。

  8月、調子がおかしかったとき、I先生のの個人セッションに行って

  「神さまはM君に、バクタになれって言ってるんだよ^^」

  という言葉をもらった。

  僕はバクタという言葉の響きが好きで、メルアドの一部にも使っている。
  神への愛と献身を、バクティというけど、バクタはバクティを行う人のことだ。
  しかし今では、まったくバクタには程遠い自分がこんなメルアドにしたことをやや恥ずかしく思っていたりする^^;
  神様への愛を感じていたいと思うけど、ちょっと困るとすぐにじたばたと暴れて、天に疑惑の目を向けかねない僕である・・・。
  
 しかし、自分の中の恐怖や不安を克服できるのは、やはりさまざまなレベルでの愛の存在なのだろう。今年最初の修道会で、愛についての話を長い間聴いていた。他の部分はちょっとコア過ぎて出せなくなったけど、ここの部分なら大丈夫かと、お蔵入りになった修道会日記から出してみる。





2月28日の修道会では秘教的な話しが多く、それをブログで書くことが出来なかったのだけど、そんなコアな話しのあとで後半40分くらい部屋のエネルギーの質が変ったような気がした。

 それはI先生が、昔墓石屋さんで働いていた時に、交通事故で亡くなった女性のお骨を別のお墓に移すにあたって、炎天下でその作業をしていた時の話しが始まった頃からだった。I先生はターラ菩薩のマントラを唱えてその女性が『母』の元へ導かれるように供養をしたということだった。すると夜にその女性が現われて、お礼を言って上がっていったという。

 僕は何かその話しを聞いているときに、普通以上に感情が動いて、なまなましくその場を見ているように感じた。
 その後いろんな霊能者との出会いなどがあって、徐々にI先生が、セラピストを経て、覚醒を体験し人を教える道へと入っていったということだが、その出来事がひとつの転機になったという。

 そのあとどういう経緯を辿ったか忘れたが、愛についての話しになった。
 
 
 やっぱり大事なのは神との愛なんだよね。それがあった上で覚醒してこそ初めて、覚醒だと思う。それがないのに覚醒するってサタンのものじゃない、まあ言ったらね。だから例えばマハラジ(ニーム・カロリ・ババ)の『愛という奇蹟』っていう本あるでしょ。あれなんか読んでると厳しい人だけど、すっごいマハラジの愛を感じるじゃない。

 灰:ああ・・・いいですねえ、あれは。

 あの境地だと思うんだよ、やっぱり。ラーマクリシュナもそうだし、ラマナもそうなんだけどそこにある絶対の愛って言うかね、それがまず大前提としてある。絶対的な愛がまず大前提としてある、その上の覚醒だからこそ正しいものになるんであって、それがないところに覚醒したら逆の道往きだよ。

  我々は遅かれ早かれ愛を知ることになるんだけど・・・そのやっぱり・・・愛にさあ・・・生きられるようになるって事が重要なことだと思うから。
 だから今のM君の、わかんなくても、神様があって、その神様を日々感じてることが出来て、マーヤが来たらそれがわかんなくなるから、そのマーヤを取ってそれで神を感じて、愛があってそこで、それで満たされてるってなんて素晴らしいんだろう、これ最高じゃないかって思えることの積み重ねって言うのがM君の人生を完璧なものにしていくと思うし、それがM君にとってちょうどいいところでね、早過ぎずも遅すぎずもしないちょうどいいところで、パンって覚醒すると思う。


・・・・「これ」がもしなかったら自分の人生は恐ろしかっただろうと、もう十分もらってる気がします


 「これ」が愛なんだよ、言ったら。愛だし、M君の中でプチ覚醒っていうのが起こってるわけ、言ったら。それは自分の「感覚」が神を認識できてるってことなんだよ。ただM君は自分のマーヤがまだちょっと強すぎて、完全にそっちに鞍替えすることが出来てないだけのことで。M君のなかで自分のマーヤが完全に取り除かれれば、もうそっちに行っちゃえるわけだよ。その自分を捨てられるようになるか、ならないかってことがやっぱり覚醒のポイントだと思うから。その自分を捨てるって言うか。我を捨てるって言うか・・それは仏教で言うようなそういうことじゃなくて・・・言ったら神のために自分を捨てられるって言うか、愛のために自分を賭けられるって言うか、そういう意識に自分がなった時にね、神に全てをお預けして、お委ねして、どうぞ御身のままにってなった時に、自分のこもごもとしたものを越えて神の力が完全にM君の中に入ってきてその力と一体化すると思うわけ。それが自然な道だと思う。

 俺は思い込みみたいなものはことごとく払拭させていきたいと思うから、俺が教えたいのは、神があること、愛があること、愛が一杯になってること、それでマーヤがあると知ること、でそれを解く事。それを繰り返しやってて、修道会なんかでこうやって神と共に座っていれば自分の中に神の力は流れ込んでくる。その証拠にクンダリニーも動く(笑)その証拠にバキバキにもなる。その証拠に酔いもする。それは今M君の中で天につながるトンネルを突貫工事で掘ってるところだから、言ったら。

 あとM君の中の今のその気持ち、それがあれば遠からずやってくるよ。なんつーとね、また期待が広がっちゃうからね(笑)そういうことでもないんだよな。



 微妙な世界ですね・・・(笑

  ・・・ああ・・・わかる(悟る)ということは、すごいことだけど、やっぱり大事なのは愛だからさ・・・うん。神に対しての、自分に対しての、そして人に対しての、生きとし生ける者にたいしての・・愛のエネルギーって言うのはものすごいエネルギーだから、そのエネルギーは完全に自分を変えてしまう力を持ってるから。
 

 灰:愛って言うのがわかってなかったんだなってことが、ちょっと分かってきたような気がするときがあります。本当はちょっとバケモノ的なところがある言葉ですよね

 うん、愛の真の姿・・・言葉じゃなくて、言葉を越えたその言葉が指し示すもの・・・

 灰:それが少しづつ自分を変えてきたのがわかります。

 そうだよ・・・愛によって人は生かされて、そしてその愛に気付くことによって人は変わっていく・・・ね?今この部屋にみなぎっているこの圧迫感。これは愛そのものだよ。

 灰:リアルなものなんですね。

 こんなにリアルだ(笑)これが神なんだよ、だから。これがすべてを支配してるから、本当は問題なんてなにひとつないんだよ。

                                    2009/2/28




 この日に感じたエネルギーのようなものはとても強く、ふらふらしながら帰宅した。  
そして覚醒のタイプについてや、その他のコアな話しを聴いてるのは大変面白かったが、直接にハートを溶かされるようなこの愛のエネルギーの強烈さをひしひしと感じた。
 なにか口を開いて喋ると、そのまま泣き出しそうな感覚に襲われた。

 2007年の最初のリトリートに参加したときもそれをリアルに感じた。

 いつも通り様々なドラマや、波乱があった二泊三日の最後のセッションでI先生は『みんな、美しいよ、美しい』と言った。その時に胸の中からこみあげてきた泣きたいようなあの感覚はなんだったのか。実際に、床に伏せって泣いてる人もいた。セッションの途中部屋に入ってきたスタッフの方は、すぐその場のエネルギーに気づいて、胸に手をやって「・・・すごいね」と言っていた。

 その頃から、次第に『愛』とか『智慧』と呼ばれるものは抽象的なものではなく、実体をもったバイブレーションなんだと、実在するリアルなものなんだとはっきり思うようになった。その振動で揺れている空間、その振動を発している人、それは確実に存在している。

 だからこそ、例えば集団を巻き込んでそのような熱狂を繰り広げた「和尚」はあちこちの国で入国を禁止されたし、「イエス」も時の為政者から迫害されたのだと思う。だから永遠の哲学(=神や悟りの教え)は半ば秘教的に教え継がれてきた。
 でもおそらく現代という時代は、多くの覚者が世に出たり、また準備が出来ている人には肉体を持った師に会わなくても自然と目覚めが起こるような時代に入っているのではないだろうか。

 それがよく言われている「アセンション」と同じことなのかは僕にはわからない。
 ただ現代は、多くの人にとって修行の最終ステージなのではないかと、漠然とそんな感じがする。
 だからこそ多くの秘教的だったことが明らかになり、そしてそれらが統合へと進んでいるような気がするのだ。

 そこで、自分にとって道を歩むためにいつも大事なキーワードとして出てくるのが、どうやら「愛」であるとか「信頼」であるとからしい。
 しかし、愛の中で自分を捨てるとか、越えるとかというところには果たして行き着けるのかと思うし、今そのことを考えると恐怖すら感じる。

 それは「死」の問題とも関わってくる。

 だが今は直接対決はしないことにしている。
 なるべく生命であるとか、つながり、に意識を向けていたい。

 最近よくサークルと言う言葉が浮かぶ。
 趣味のサークルとかそういう意味ではなく、サークル(円環)をつくるということがいろんな意味で重要なのではないかと思う。
 安定したエネルギーの流れは、サークル型になっている。
 円卓は昔会議などでよく使われたし、虹は本来円形をしているという。

 エネルギーはただ自分が一方的に受けるのではなく、受けたものは形を変えて、また相手を変えて次に回していく。そうすることで自分が導管になる。するとそれは巡り巡って自分のところに帰ってくる。それを繰り返すことによって全体のエネルギーが向上していく。
 つまり全体が導管になってさまざまなものを回していけば、いやが上でも全体の幸福度は高まらずにはいられない。そんなイメージがよく浮かぶ。
 エネルギーの流れがサークル型になっていない、ピラミッド状だと、上に行くほどエネルギーが集まり、小数の幸福が多数の犠牲によって成り立つと言う構図になってしまう。

 まあ言うは簡単で多くの人がそんなことはわかっていると思うけど、それを実行するのがいろんな制約で難しかったりする。でもなるべくそういう意識で生活したいなーと思う。

 それに関しては、ネイティブアメリカンの伝統が語っているように、すべてを兄弟姉妹(人間だけではなく生きてるものすべて)ととらえるというのはとてもいいのではないだろうか。
 神という視点から見れば、植物も、動物も、また自分がちょっと苦手な人も、好きな人も、ひとつの絶対なるものを母体として生まれてきている。すべてはつながっていて、相互依存して存在している。

 日本はまだどこか競争社会なので、人より優れているか劣っているかというところで判断してしまいがち。しかし本来兄弟姉妹であるなら、ベースは平等であり、またサークル型の世界がつくれても不思議はない。 勝ち組や、負け組と言う言葉があるけど、それはサークル型の世界では出てこない。

 だってそもそも兄弟相手に勝った負けたもないもんだし、
 物質的に多くのエネルギーを得ると言うのが勝ちなら、困った人を応援する責任を負うことになるよ。 

 実際に社会が変わるには時間がかかる。
 でも、自分の頭の中だけでも、生きている仲間との平等なサークルが出来れば、その為に祈りたい気持ちになれれば、少なくともそのことが小さな救いとなるように思う。

 よく文章を引用していた「イーグルに訊け」には、こんな祈りの言葉が載っていた。
 時々眠る前にローソクを灯し、これを唱える儀式をしているw


ありがとうございます。ありがとうございます。ピラミア。すべての愛に、人生のあらゆる瞬間に与えてくださった無条件の愛に、ピラミア。あなたの理解の深さに感謝します。生きる道を理解すること。あなたの目を通して人生を見ること。愛、あなたからいただいた無条件の愛を感じること。また、そのように愛することを学ばせていただいたことに感謝します。 偉大な師であられますことに感謝します。

 わたしの祈りを聞いてください。おじいちゃん、おばあちゃん、トゥンカシュラ、イーナ。人生の真ん中に立つと、あなたがわたしの上にも、下にも、そして、わたしの回りにいつもいらっしゃるのがわかります。おじいちゃん、おばあちゃん、私が星の国や、私より先に歩んできた親戚の皆に、そして、私のあとについてくる7世代のすべての人に取り囲まれているのを知っています。私を守り、見守っていてくださることに感謝します。あなたの解き放つ光で、すべての生き物を包み、抱いてくださることを感謝します。

 私の祈りを聞いてください。あなたの目を通してものを見、あなたのこころを通して感じ、私たちがすべての生き物とつながっていることを決して忘れぬように、力を貸してください。そして私たちがどんなに特別な存在であるかを決して忘れませんように。私たち一人一人がかけがえのない存在であり、私に代わるものはなく、あなたが命を与えてくださった子供の一人であることを決して忘れぬように力を貸してください。この世に私は一人しかおらず、この世を去ったあとも、私にかわるものはいないでしょう。ですから、私に力を貸してください。あなたのすべての子供たちが、自分たちの命を精一杯使って生きられますように力を貸してください。そうすれば、喜びと健康と笑いがあふれ、尊敬と分かち合いが満ち溢れます。そして、それをすべての兄弟姉妹とわかちあうことができます。どうか私の祈りをきいてください。

 今日の日に感謝します。私が生きてきたすべての日々に感謝します。私が受け取り、経験させていただいたすべての贈り物に感謝します。

 私の祈りをきいてください。あなたに感謝するために祈ります。ピラミア。ありとあらゆる生き物のために祈ります。すべての生き物があなたの声に耳を傾けますように。すべての生き物にあなたの歌が届きますように。すべての生き物に、今よりもっと素晴らしい世界、新しい世界が待っているという希望、大きな希望があることが伝わりますように。これが、私の祈りです

 Ho Mitakue Oyasin Ho Mitakue Oyasin Ho Mitakue Oyasin
  (わたしたちは すべてのものに つながっています)



 一部を抜粋
 ピラミア:ありがとう
 トゥンカシュラ:神、おじいさん 


 誕生日前、もらったドリーン・バーチュのカードを一枚引く

 
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 Trust(信頼)

 ●あなたは正しい道を歩んでいます。

 そうだといいなあ(T T

 ピラミア☆


修道会日誌 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2009/09/12 22:18

  
  なんかエネルギーあがっちゃってます。
  日蝕以降の不安定さは恩寵とセットだったのだろうか。

  食欲なし、なんも使ってないのにヤクの切れかけのようなパキパキ感継続中。
  難しい文章が読めない(笑)
  騒音耐え難い。

  はっと気がつくとたまに底なしの不安。

  いつまで続くんだろう・・・。ちょっと疲れる

  アルコールと安定剤で神経休める。

  でも神さまにゆだねることでちょっと落ち着いてきた。

  花もサボテンも力になってくれたかな。

  枯れちゃったし。

  問題は自分がどういう状態にあるかということよりも、それに逆らったり、不安恐怖を感じることからくる。

  でもどうしても逆らえない流れもある。

  そういうときには力を抜いて流されていったほうがよい。

  もがくと石や流木にぶつかってぼこぼこにされる。すっかりゆだねる。難しいけど。

  ゆだねるしかないことは、ゆだねざるを得ない状況で初めて理解される。

  例えば『死』や、『狂気』の前で。

  疑いに基づく不安や恐怖が人を苦しめる。

  すべては愛ゆえに起こっていることが回答になり、神にゆだねる理由となる。
 
  

修道会日誌 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2009/08/13 00:02

掃除、サボテンと薔薇

  8/8 I先生の個人セッションに。

  7月22日の日蝕以降、なんか不安定気味の精神状態について相談したのだけど、途中で、

  『M君の部屋ねなんかありそうだね・・・・ネガティブソースのものが。』と言われる。

  『相当強力なエネルギーを放ってるもので、ソースがサタンぽいのが・・・心当たりない?本とか

  一番先に思いついたのはむみょーあんのシリーズもので、読んでないけど特殊な本なので捨てがたく押入れにしまいこんである。あとはなんだろ・・・アレイスター・クローリーの本とか、カバラ魔術系の本、あとドラッグ系か。アセンション系のも怪しいっちゃ、怪しいけど。まあ、サタンソースかどうかは僕にははっきりわからんので違和感のあるものや読んでないものはなるべく捨てようかと思った。

   怪しそうなものを捨てるか、古本屋に売って、かわりに生命力を感じさせるような観葉植物や花を買ってくることを勧められた。なかでもバラの花は陰の気を吸い取る浄化力が大変強いという。吸血鬼がバラを持つと枯れてしまうのはそういうところから来ているのだろうか。

 『われわれが力をもらってるのは虚無や、無ではないから、この世界の精霊の力だからね。だから植物とか花とかこの世界に引き戻すようなインパクトを持つものを部屋に置いておくといいよ。陽の気を放つものを』

 一度徹底的に掃除をして、いらないものや違和感を感じるものは捨てたほうがよいというサインは感じていたけど、伸ばし伸ばしになっていたので、今度こそやろ・・・・。
 
 生命力・・・・ということで思いつくのは、僕はよく狭いシャワー室のようなせまくて真っ白な空間で、蛍光灯の光だけがついてるような空間で不安に襲われることが多いと言うことだった。
 蛍光灯とテレビの組み合わせも最近気持ちが悪いことがある。

 対極的には、最近緑の多い公園で簡単な気功や、太陽からエネルギーを取り入れる行法をしてるととても落ち着いて充実感を感じたことを思い出した。

 最近部屋にいると落ち着かず、来年になったら引越ししようかと思っていたが、今いる場所でもうちょっとやれることをやったほうがいいのかもしれない。

 ちなみにI先生も蛍光灯はあまりダメということで、セッションの部屋は暖色系の薄明るい照明になっていた。

 不要なものを捨てて、気持ちのよくなるものを取り入れるというシンプルなことだけど、これがなかなか重要性が気づかなかったことが不思議だ。環境に働きかける力と言うか。どっちかというと『片付けられない男』(ものが捨てられない)に近いが、がんばってなるべくいい空間に変えてみたい。

 あと『M君、サボテン育ててみたら、サボテン!』とやけに勧められた。
 なんでもペヨーテやサンペドロなど幻覚成分を含んでる植物は精霊のパワーも強力らしい。(ぺよーて(和名ウバタマ)は多分普通の花屋では売ってないけど)

 昨晩もどうも落ち着かず、夜に散歩をしていると、ぐらぐらっと震度4の地震。
 空も曇ってるし、すっきり晴れてて・・・湿度の低い高原にでも行きたいと思った。
 大気の状態や地殻の状態、人の心、結構今不安定期では・・・。
 そういう意味では安定した自然のエネルギーは助けになる。

 とりあえず普通のサボテンと、バラと、にちにち草をさっそく買ってきて、住んでもらうことにした。
 
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まだ枯れてない。

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 バラと言えばこんなちょっと素敵な一文がアル。

 なぜ人はバラが好きなのか

 人がバラを好むのは
 バラが私たちの睡眠中に
 私たちの幼児期の最初の思い出を
 受け取ってくれるからなのです
 そのことを知らなくてもそうなのです
 

 ルドルフ・シュタイナー

 このような詩的な(フィクションと言う意味ではない)自然に対する捉え方は、個性や特性を付与するのでそのものの生命とつながる見方だと思う。


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うーん、こいつは生命力強そうだ~~。波形がよいな。
守護精霊になってもらおう




修道会日誌 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2009/08/09 15:03

太陽の動き、7/3勉強会、マー戻る

  6月の太陽風はずっと低速だったけど24日あたりから早くなり、最高500キロ代後半まであがった。ちょっとこの辺から調子がおかしく、気分的にな感じだった。現在は、速度は300キロ台まで落ちているが、黒点が増えておりまた昨日Cクラスのフレアが発生した。Cクラスのフレアは、2008年12月以来と7ヶ月ぶりらしい。

 これに関連したことで、いつも読んでいるヤスの備忘録のブログを見ると、先月21日から27日にかけてイギリス南西部に現れたと言うクロップサークルの謎解きが掲載されていた。

circle2.jpg


 それを読むとこのサークルはグリニッジ時間の7月6日か7日、日本時間7日か8日に巨大なフレアが発生することへの注意喚起ではないかという解釈が紹介されていた。今朝、宇宙天気情報センターのサイトで昨日のフレア発生を読んだあと、この記事を目にしたので少し驚いた。このクラスのフレアはそう滅多に起こるものでもないので。

 今日はまだ6日だが、時間がずれたのか、それとも明日か明後日にさらに大きな爆発が起こるのだろうか?

 巨大フレアが発生すると、地球の磁場がかく乱されたり、また精密機器や、発電施設、通信網にも
影響を与えることがある。加えて、地震や巨大ハリケーン発生とも関連している可能性がある。多分人の心身への影響も大きいのではないだろうか。先週末そして今日、いろいろごちゃごちゃ起こっている。
 
 7月22日には奄美、トカラ列島などで皆既日食が観測できる。
 欠け具合は南に行くほど大きく、福岡で0.90、大阪で0.83、関東でも7割方太陽が隠れるらしいので、結構薄暗くなるのではないだろうか。
 欠け始めが9時53分、食が最大になるのが11時8分で、12時半ごろには終了するようだ。
 子供の頃に見て以来なので楽しみにしているが、今回の日食は占星術的には大きな意味を持っているようで、この日食のあとまた急激な変化がいろんなところで起こるのではないだろうか。
 ラディカルチェンジの第二波。
 次は確実に時代が変わっていることを誰もが認識するレベルまで移行する。
 『地獄の夏』とは言いたくないが、『激変の夏』にはなるかも。
 



 7月3日、吉祥寺でI先生の瞑想会。
 
 リトリート以来。

 自由意志とみこころ(神の意志)について
 
 I先生は、みこころによって総てが起こっていると考えるが、人間が自由意志を持っていると考える人たちもそれは神のみこころの中に含まれているので、その考えを無理に変えようとしたりする必要はないという話しが出た。

  『俺の話を聴いてる人は、ああ全部みこころ、みこころって言うようになるけど、俺だって神さまにたぶらかされてるだけかもしれないんだからねwはい、おまえはみこころ派・・・ってね』

 この話しを聴いてて少し耳が痛かったのは、6月の奈良ツアーに行ったときに主催者のA・Hさんの話がみこころ派でなくどっちかというと、自由意志派に思え、その話の内容から勝手にマーヤになって相方と険悪なムードになったからだった。でも、あとから振り返ってあのツアーはやはりそれなりに理由があって行ってるような感じで・・・

 だからなんというのだろうか・・・(頭の中に勝手に形成される)イデオロギー的思考を捨てることとか、見かけの相違にあまりこだわらず全部神さまの現われと捉えることなどが大事なんじゃないかと最近考えていた。神さまは教条主義者ではないので、こっちも柔軟になることが重要だと思う。

 虚無

 最近I先生が半日くらいある原因で「虚無」を体験した話し。

 ある原因というのは太宰治の生涯を描いたテレビドラマをみたことらしい。そのことによって太宰治が感じていたような虚無感が入ってきて・・・。

 『アーティストは虚無感が強い人が多いんだよ。虚無感が強いから、なにかを産み出して虚無をなくそうとする。』

 『サタンにやられたとかって言ってる間はまだいいんだよね。それは神さまとかサタンとかがある世界にその人が住んでるからでしょ?虚無じゃないからね。でも虚無って言ったらなんにもないわけだから。神も悪魔も。虚無はサタンでさえ怖がるっていうからねwだからサタンにやられたら、虚無の方に逃げて行けばいいんだよ。その代わり自分も虚無になっちゃうけどねw』

 うーん、それは困る^^;
 
 ポア(意識を移す)

 この日は相方と一緒に参加していて、彼女の質問。

 「自分がこの肉体にしか思えないんですけど・・・」

 それに対して先生お得意の、ペットボトルを使った説明。

 『これをじっと見てみて。すると、ここに(あなたの)意識が移るんだよ。チベットでは意識を転移させる方法はポアって呼ばれててね。オ●ムのあれとは違うよ(笑)こういう風に自分の意識がいろんなところに移動してるって言うのがわかったら自分が意識体だっていうことがわかってくるよ。

 俺は毎晩いろんな人のところに徘徊してるからねw最近はないけど、夜中目が覚めたらベッドの横に先生がすわってたみたいなことちょくちょくあったね。』

 面白いのは、ある人が寝ていて金縛りになって困って、I先生の名前を呼ぶと空中からデカい足が出てきてなんかを蹴っ飛ばしたと言う話し。それで解けたらしい(笑)

 I先生は畳にペットボトルを置いて、それを彼女にじっと見てるように言う。
 彼女が見ていると、その向こうからI先生が手をもわもわ回しながら近づいて来る。
 それに注意がかく乱される相方。

 「ちゃんと見てないとダメでしょwこの、俺がペットボトルを越えたあたりから感じ方が変わらなかった?」とI先生。なんでも視点を定めた位置には横にもびゅーっと意識の境界線が出来るので、それを何かが越えると感覚としてわかるという。赤外線センサーみたいだ。

 昔、自分のオーラを伸ばせると言う人がI先生の瞑想会にいったあと、自分が伸ばすとI先生がそっちのほうを見ていた、だからあの人はオーラが見えるに違いない・・・と言う話しを聴いたことがあるけど、それももしかしたら意識の移動をI先生が感知したからなのかな?と思った。 




 6月の終わり、の高マーヤ期間そう言えば最近「マー」のことを思い出してないなと思った。「マー」のことを思い出すと同じマーヤでも感じが違ってくる。旅行で曼荼羅を買ったので、「マー」の絵のあったところに曼荼羅を貼っていたのだが、どうもしっくりしないので最近やはり「マー」に戻した。
 やはりタントラか・・・なんて。

 「マー」のことを思うと包み込まれるような感覚を感じるのが不思議だ。
 ラーマクリシュナが読みたくなった。


修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/07/06 11:46

2009リト後記

 今回は時系列に沿わないで、印象的なことを断片的に書いてみます。

 ショールとシヴァ、リンガ、Vittel
 
 今回のリトリートに行く前、セッションの時にまとう新しいショールを買った。

 そしたらおまけでシヴァ神の小さなポスターが付いてきた。
 これがきれいだったので、前に置いて、ジャパをしたりしていた。

         090529_1034~01

 この神様の象徴であるリンガに見られるように、シバ神は垂直系の男性的エネルギーをあらわす。カバラではコクマー。山、ピラミッド、上昇、天へ続く階段。
 以前鞍馬で、ハイになってた時、頭の中に、大きな魚に乗って三またのほこを持った丸裸の神様のイメージが出てきた。そして天へ伸びる巨大な光るリンガが現れて気が変になりそうになったことがある。
 巨大な山は、上昇するエネルギー、火の力をはらんでいる巨大なリンガでもある。
  このシバ神の絵は枠自体がリンガの形になっているが、その内部にはマグマのような赤が充満している。

 リトリートでは、近くに活火山の磐梯山があった。
 ちなみに夜のセッションの時、I先生が叩いていたミネラルウォータのペットボトルはこれだった。
 上昇する気満々のデザインをしている(笑)

    090530_1147~01

 ギラギラとキラキラ、キース・ジャレットとクリムゾンコレクション
   
 リトリートの最終日、結構いい感じになったので、なにも質問は思い浮かばなかった。
 なので、『なんで先生は殺し屋に追っかけられたことがあるんですか?』と尋ねた。
 昔I先生がタイで暮らしていた頃、殺し屋に付けねらわれて街から街へ逃走したという経験があると前に聞いたことがあったからだった。
 その頃タイでは2500バーツ(だいたい一万円くらいw)でヒットマンを雇うことが出来たが、農村から仕事を求めて都会にやってきた男がやることが多かったので、ほとんど「ヒットしないマン」だけどね・・・とはI先生の言。家主から「昼間クーラーをつけるな」と言われていたのに、I先生がクーラーをつけたことがバレて殺し屋を派遣されたらしい(すごい話だw)。 その後街を点々としてなんとか無事日本に帰ってきたということだが、そのときI先生のお父さんは、異様にギラギラしてるので『怖くて息子の目が見れなかった』らしい。野性全開のような状態だったのだろうか。

 I先生の今の目はギラギラというか、どっちかというとキラキラしてる感じだと思うけど、その『ギラギラ』と言うのも見てみたいと思ったりした。 

 『あー結構普通な感じだよね。殺し屋の話くらいしか出なかったし』ということで最後のセッションが終わったので僕は若干申し訳ない気分になった。なんで最後に殺し屋のことなんか聞くんだ、俺!と(笑)しかし、自分の状態自体は結構頭痛がヘビーでいい感じだった。

 二日目の昼間、キース・ジャレットのCDを聞かせてもらってる時の話し。
 隣にわかっちゃったYさんという人も座ってて一緒に聴いていた。
 Yさん、I先生に

 「これって・・・・神様が降りてるとかそっち系ではないような気がするんですが・・・」

 「うん、でも、すごい意識を覚醒させるんだよ」とI先生。

 しばらく聴いて「どうですか?」とYさんに尋ねると「・・・廃人」と(笑)。

 「M君には、赤いランプでもつけてその下でキース・ジャレット聞いてほしいね」とI先生が僕に言った。

 どうも、キース・ジャレットの音楽は『疑似覚醒的』な作用をするのではないかと僕は想像した。それは言ってみればギラギラ系で、セッションの時に流れるクリムゾンコレクションなどはキラキラ系ではないかと。殺し屋に追われるとかそういうことで目がギラギラするのは、生存のために通常の思考を越えた感覚が研ぎ澄まされるからではないだろうか。

 キースジャレットの音楽は「日常的な目標志向や、固定概念をバラバラにする」という考えが浮かんだ。もう少しギラギラしたくなったので赤いランプはないが、ケルンコンサートのCDを買ってまた聴いてみることにした。でも僕の目がギラギラしてもあまり似合わないかもしれない(笑)



修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/05/30 12:48

  春のリトリート終了~

  今回の会場は福島県猪苗代湖近くの貸別荘だった。
  部屋は相部屋5人、食事は出てこないので参加者で作るという形式(と言っても僕はお皿しか洗ってません。ごめんなさいw&ごちそうさまでした)

  食事中には、I先生がメロンやパイナップルのジューシーさをどのように全身全霊で味わうかと言うことを実演してくれてとてもためになった。こんなに間近でパイナップルをフォークで突き刺して、口に運び、目をきらきらさせている人を見る機会はおそらくほかにないであろう。(写真を撮らせてもらえばよかった)

 『人生を楽しむコツはつまんないことでも大げさに喜んでみることだよ』とI先生。

 一日目。
 近くの磐梯山の気配のするような、強烈な男性的神様エネルギーが。
 ちょっと気持ちが悪いほど、飛んでしまう。
 I先生はミネラルウォーターを明かりにかざしたりしながら、「本当によくできてるね。こんなに堪能してもらったら、このミネラルウォータも本望だろう」と言ったり、容器の底を手のひらでたたいて、「すごくいい音がするよね、やってごらん」とすすめて、「違う、そういう叩き方じゃないよ」と指導をされたりしていた(笑)

 「なにか質問がある人は・・・!いや、愚問だったかなw」

 このエネルギーの中で誰も質問しようと言う気にはならない。
 言葉を超えた現実。
 でも神様は、人に考えさせることも怠らない模様。

 二日目の夜は、マーヤ度が高く、マーヤ解きが始まる。
 今日起こった出来事、交わされた会話、などを振り返り、なにが理由でマーヤエネルギーがつよくなっているかを解いていく。

 『お母さんは厳しいからね、人に考えさせたり、努力したりさせるんだ』 

 そしてあることが原因ではないかという結論に至る。
 それを見つけるヒントは、いたるところに散りばめられていた。

 今回きちんとしたセッションは、夜に三時間あるだけで、あとは自由な時間が多かった。
 I先生はリビングのテーブルの前に座り、時々パイプに火をつけて煙を吐いていた。
 その周りに人が座ると、お話しが始まったりした。
 
 キース・ジャレットのケルンコンサートのCDを聴かせてもらい、キースジャレットの影響か、その場のエネルギーの影響かなんだかよくわからないディープな世界に入りそうになったりした。 
 「Lなんかやってキースジャレット聴いたら間違いなくバッドになるよ」

 

 他に部屋によくながれていたのは、リチャード・ストルツマンというクラリネット奏者のCD。
 「神様の方に超越する感じじゃないけど、すごく愛とか、全部が調和していくのを感じられる」とI先生。
 セッション中は、修道会でも流れるクリムゾンコレクションのマントラソングといつもいい音楽があふれていた。


 磐梯山のことをウィキで調べてみた。
 ●猪苗代湖の北にそびえる活火山(成層火山)で標高1,819m。元は『いわはしやま』と読み、『天に掛かる岩の梯子』を意味する。
 ●数万年前から山体崩壊を起こし、猪苗代湖を作ったことが分かっている。
 ●1888年(明治21年)7月15日の噴火時に小磐梯が山体崩壊をおこし、発生した岩屑なだれにより北麓の集落が埋没するなどの被害を及ぼし477人の死者を出す。また長瀬川とその支流がせき止められ、桧原湖、小野川湖、秋元湖、五色沼をはじめ、大小さまざまな湖沼が形成された。
 ●磐梯山の南西麓にあった慧日寺(現在の恵日寺)は北東に磐梯山、北に厩岳山、さらに磐梯山の北に吾妻山という山岳信仰の盛んな山を抱えており、その立地的な面から山岳信仰に大きな役割を果たしてきた。そもそも慧日寺の開基は大同元年(806年)に磐梯山が噴火した翌年のことであり、噴火と慧日寺開基との間に山岳信仰上の関連があるのではないかとする見方もある。

  今年は火のエネルギーが強く動き出している年のようで、太平洋で海底火山活動が続いたり、昨年末にはアメリカのイエローストーンが不穏な動きをしていたりということがあったが、リトに来てまた山=△=火の要素がシンクロしていることを感じたりもした。

 2月の記事  「火」の型?、伊勢と富士 

 後日また、詳細をアップするかもしれません。今日はぼけーっとします。



修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/05/25 12:15

3月28日修道会②

 個我の傾向

 ある方法で僕の個我の傾向を占ってもらう。(霊視!とかじゃ~ありませんw)

 それによると修道院や僧院などで一生を送ったようなのが多いらしく、家族の安らぎなどをあまり知らず、また他者とのエネルギーを交流させることも不得手だということ。また非常に禁欲的な生活をしていたのでその影響もあるというような結果が出た。

 結構うなづけるところの多い結果だった。
 今まで何回かそっち系の人に前世をみてもらったことはあるが、ひきこもり系が多い。
 アイルランドの方に生まれて、なんかいろんなものが見える能力があったが、それを言いふらしたために村八分にされて孤独に余生を送ったというもの。(だから今生ではそういう力はないのですw)
 またこれもイギリスの方だが、灯台の見える岬のような場所で一人で暮らしている物書きのような人物というもの。
 またギリシャの方で本に埋め尽くされたような部屋にいる、思想家のような人物というのもあった。
 全部別々の人に見てもらったけど、結構共通点があったりして面白いものだ。
 最近はどうでもよくなってきたので、あまりそういうのは行ってないけど。

I先生はやはり修行者系ということだが、修道院や僧院というよりも、どっちかというとサドゥー系らしい。あちこちを転々としながら修行をする行者だが、過去世ですでに真理に触れている。

 「俺とか、M君は触れ幅が大きいんだよね。ものすごい禁欲的な生活をしていたら、次の人生ではそれを取り戻そうとするでしょ?そしたらもう売春婦とかになっちゃうわけ(笑)だから、修道院、売春宿、修道院、売春宿の繰り返しみたいな。極端になっちゃうんだよね」

 「ラーマクリシュナも言ってるでしょ?ヒマラヤにこもってる聖者がいるけど、彼らも次の人生では物質的な欲求を満たすために世俗に生まれるんだから何もうらやましがる必要はないって。ラーマクリシュナ自身もジーヴァンムクタ(生前解脱者)だけど、もう一度だけ文明の発達した国に生まれて、今度は物質的なものも満たす人生を生きるって言ってる」

 「だからM君も俺みたいな欲望の権化みたいな(笑)先生に教えてもらうのがちょうどいいんだよ。とてもストイックな教えをしてる人ですごい人に会ってたら付いてってたかもしれないでしょ?個我はサタンじゃなくて、修道院(僧)だったんだねw」

 いやー欲望の権化だなんてことはないかと^^ 
 ただ、I先生の教えの中では、あれをしてはいけない、これはしてはいけないというのはほとんどなく、中心はただ神様を愛し、信頼する!ということなので自分の衝動を必要以上に抑圧するという必要性はない。

 また僕も、セラピー系をめぐっていた頃から、自分を解放するとか、受容するとかいう方向性がとても重要なものとして現われていたので、これは納得の出来る結果だった。

 早い話し、ドラッグ系も、また大声で叫んで暴れるようなブレスワークも、また歌を歌ったりするようなこともすべて自分の解放や一種の自己の脱‐構築であっただろうと思う。 

  だがそのドラッグなどによって出来た自己の割れ目から、自分を越えた神なるもの、愛であるもの、が顔をのぞかせて来た。その結果、僕の旅は単に自己受容や解放で終結するものではなくなったような気がする。

 孤独、禁欲、修行、脱世俗、書物、男性性

     と

 共生、自然、性、歌・踊り、女性性 この辺のバランス。

 それは上の二極間の間のゆれを、すべて貫いて流れ通るものだ。

 あとそれから、自分の内側にかなりどろどろした世界との接点というか、親和性を感じることもあるのはその昔、修道院生活のストレスから、極端から極端へと生まれ変わってるからかなと思ったりした(笑)そして、その闇の世界のような場所にも、神様は存在して、人をあるべき場所へと導いてくれている。だから僕にとって神とは、光と闇が融合したものであるし、闇の手の姿となって現われる、光の手なのだ。

     (またつづく)
 
修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/04/02 10:47

3月28日修道会①

  個我が『ベルゼバブ』だった場合、ユダの福音書

  前回の修道会で、グルジェフの個我(魂)は周囲に混乱を起すような性質のものだった(でも真理を悟ってもいる)というのをきいた、その流れの続き。

 『でもね、自分の個我がそういう性質のものだと気づかせてもらえるというのは、逆にそこにすごい神からの恩寵があるんだよ。グルジェフにしてもすごい神への感謝があったと思うよ』

 「じゃあ、僕が自分の個我に目覚めた時、それが魔的なものである可能性もあるわけですか?」

 「それは、あるよ(可能性としては)」

 えっ・・・

 「それはね・・・例えば・・・」
 とI先生はセッションルームの隅から、一冊の本を持ってきた。

 それはナショナルジオグラフィック社から数年前に出ている、「原典 ユダの福音書」だった。
 これは僕も持っている本だった。
 現在のバイブルには、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、の四つの福音書(キリストの言動を記したもの)が存在しているが、この他にもトマスや、マリアの福音書というものが存在していた。しかし、現在の聖書が編まれる時にこれらの書は異端として排除された。
 「ユダの福音書」もそんな異端的文書のひとつである。(だが異端的ということは秘教的ということでもある)
 通常、ユダはイエスを裏切った弟子として語られるが、正統派キリスト教以外の教えの中ではユダはキリストにもっとも近かったというものや、ユダは神の意志が行われるためにあえてイエスを「売った」という説がたくさんある。
 「ユダの福音書」は1970年代にエジプトで発見されたものだが、この福音書にもユダが単なる裏切り者ではなかったことが暗示されている。
 
 I先生は、その本に載っている福音書の一部分を読んでくれた。



 ある日、イエスは弟子達とともにユダヤにいて、見ると、弟子達が集まって信仰深く儀式を行っていた。集まって座り、パンに感謝の祈りを唱えている弟子達に近付くと、イエスは笑った。

 弟子達はイエスに言った。
 「先生、あなたはなぜ私たちの感謝の祈りを笑っておられるのですか。私達が何をしたというのです。これは正しいことではありませんか」

 イエスは彼らに答えて言った。

 「私はあなたがたを笑っているのではない。あなたがたは自分たちの意志でそうしているのではなく、そうすることによって、あなたがたの神が賛美されるからそうしているのだ

 彼らは言った「先生、あなたは○○われわれの神の子です」

 イエスは言った。「あなたがたにどうして私がわかるのか。本当に、私はあなたがたに言う。あなたがたの内にある人々のどの世代にも、私がわからないだろう」

 これを聞いて、弟子達は腹を立て、怒り出し、心の中でイエスをののしり始めた。
 彼らが理解していないのを見ると、イエスは彼らに言った。
 「なぜこの興奮が怒りに変ったのか。あなたがたの神があなたがたの内にいて、○○があなたがたに心魂の中で腹を立てさせたのだ。あなたがたの内にいる、勇気のある完全なる人を取り出して、私の眼前に立たせなさい」

 彼らは口を揃えて言った。「私たちにはそれだけの勇気があります」
 しかし彼らの霊は、イスカリオテのユダを除いて、イエスの前に立つだけの勇気がなかった。ユダはイエスの前に立つことが出来たが、イエスの目を見ることが出来ず、顔をそむけた。

 ユダはイエスに言った。
 「あなたが誰か、どこから来たのか私は知っています。あなたは不死の王国バルベーローからやってきました。私にはあなたを使わした方の名前を口に出すだけの価値がありません」




 ユダは言った。「先生、やはり私の種子は支配者(アルコーン=この世の管理者、サタン )たちの掌中にあるということなのですか」

 イエスは答えて言った。「来なさい、私は○○○・・・・だが王国とその世代のすべての人々を見ればお前は深く悲しむことになるだろう」

 これを聞いて、ユダはイエスに言った。「私がそれを知ると、どんなよいことがあるのでしょうか。あなたはあの世代のために私を特別な存在にしたのですから」

 イエスは答えて言った。「お前は13番目となり、のちの世代の非難の的となり、そして彼らの上に君臨するだろう。最後の日々には、聖なる世代のもとに引きあげられるお前を彼らは罵ることだろう



 「だがお前は真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを越える存在になるだろう。

 すでにお前の角は立ち上がり
 お前の憤りは燃え上がり
 お前の星は明るく輝き
 お前の心は強くなった

 (中略)

 ・・・そしてその時、アダムの大いなる世代の像は高みに上げられる。なぜなら天、地、天使たちが存在するより前に、永遠の王国からやってきたあの世代が存在するからである。さあ、これでお前にはすべてを語ったことになる。目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」

 ユダは目を上げると明るく輝く雲を見つめ、その中へと入っていった。


 (○○は文書の欠落部分)

 この文書はユダが、いくばくかの金と引き換えに師イエスを引き渡すシーンで終わっているが、それ以前の文があるためにその行為はまったく違った意味合いを帯びてくる。
 またユダと言う人物は、むしろイエスにもっとも近かったと思われる。
 裏切り者の汚名を着ると知っていて、運命を甘受するユダ、そしてその行為の意味をただ一人理解しているイエスとユダの絆は言葉に出来ないほど感動的だ

  「だからね、イエスの最後のはりつけもすごい話しなんだよ。イエスとユダだけが(神の意志を)わかってて、あとは全部眠ってるみたいな、イエスとユダの二人芝居みたいなものだよね」とI先生。

 「もしM君の個我がユダみたいだって気づいたら、がーん、俺先生を殺さなきゃなんないって(笑)」

 が・ガーンって、そんな軽いノリだったらやですね・・・・(^ ^;
 

 (つづく)

 
修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/03/31 10:38

お知らせ

  エネルギー的諸事情により、今回の修道会日誌は公開を見合わさせていただきます。続きを楽しみにしていた方がいらっしゃったら申し訳ありません~

 
修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/03/04 10:59

時限式

  埋め込まれた何か

  マーヤが理解され みこころが明らかになってきた時

  爆発する タイミングぴったりの時限爆弾

  久しぶりのこの感じ 

  あの夜、道理で頭が痛かった  

  MOTHER'S LOVE

   神への愛を感じられる幸せ
   
         モーゼ
                眠るモーゼ
 
修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/01/05 23:15

2008年ラストの修道会

  今年ラストの修道会は、不可解な感じを残すとともにエネルギーの世界の奥の深さを垣間見たような数時間だった。数時間の中でアップダウンが大きかったので、ドラマチックだったけどやや疲れた。

 行く前に修道会のスケジュール表を見ると、2名の名前しかなく、どちらかと言うとこじんまりの方が好きな僕は若干安心していたのだが、こういう期待感は容易に裏切られることを知っていたので、「なんかあるかも」と思いつつも、まーその時はその時と会場に向かった。

 と、やはり「なんかあるかも感」は的中し、急遽飛び入りの方も含め全部で6人と大所帯のセッションとなった。いやいやこれ位では私は動揺せんぞ(笑)と思いつつ、いつものフリートーク的な乗りでI先生が参加者のそれぞれに調子を尋ねたり、今回をラストにイギリスに転勤される方の「ミッション」について話したり、昨今の金融危機と2012年のことについての話題が出るのを聴いていた。I先生に「なんか今回のこれって陰謀はないの?」ときかれ、
 「えーこれには二つの説がありましてですね、ひとつは混乱を起こすために意図的に破綻させたと言う説ともうひとつは・・・ぺらぺら(以下割愛w)」なんてことを自分も話したりしていた。

 I先生は、今回イギリスに行く方が、イギリスに行くことはプログラムとしてずっと前から決まっていて、だからリトリートなどで急激な浄化が起こったのではないかと話していた。そういう急激な浄化の時には先生がかぶってしまうことが多いそうだが、それは覚悟の上でやっているということ。一方時間に余裕がある場合は、徐々に浄化が進むので先生がかぶることはそんなにないらしい。

 僕はそんな話を聴きながら、いつものようになんとなくいい感じになってきて視点がかたまり、目を閉じて瞑想したくなってきていた。が、きっかけは良く覚えていないのだが、突然ネガティブトリップが始まり自分の中で悲しみや怒りのような感情がくすぶり始めた。目を閉じて、その状態を感じ、瞑想と言うか半ば耐えているとI先生に、「どう?M君?」と声をかけられた。

 やや躊躇したが、「なんか落ちてきました。」とそのまま言った。

 「落ちてきたよね~。バッドトリップ系?」とI先生も言ったので少し驚いた。どうやら僕の個人的な感情と言うだけではなく、その場のエネルギーがなにか変わっていたようだった。

 「なんでだろうな~」とここで先生のマーヤ解きモードが始まる。

 「M君、今日なんかマーヤじゃなかった?今日ねなんかマーヤをぴっぴっと発信していたのはわかったんだけど、それはエネルギーで押し切れるかなーと思ってたんだけどね」とI先生。

 「いやー来るまでと、前半はいい感じだったんですけど」
 と僕は言った。

 「うーん」と考えていた先生は、「わかった、エネルギーの回し方を俺が失敗したんだよ」と言った。

 I先生によると、いつもあらがじめ来る人数を把握して、誰がどこに座るかを考え、降りてくるエネルギーの回し方を無意識にシミュレーションしているらしいが、当日は急遽人数が増えたのでそのプランが少しおかしくなったらしい。

 「でもいいの、これはこういうみこころだから。神は全部わかってて(人数が増えることも知ってて)この事を学ばせるために今のこの状況が起こってるんだから」

 その後はいろいろあったものの、僕の中ではさっきの変な感情のたかぶりは沈静化し、バキバキとまではいかないもののまたいい感じになってきた。「あ、これで全部解けたね」と先生も言う。
 僕は個人的な感情のたかぶりだと思っていたが、先生によると純粋なマーヤが人に入ると、その人に応じた落ちどころをついて、その人特有のマーヤ状態にさせるということだった。マーヤが解けるとエネルギーが戻ってくる。

 でもいつもと違いなんか抜けきらない感が・・・

 実はマーヤの心当たりがないわけではなかった。
 ちょっと個人的すぎて説明がしづらい問題なので、その場では言えなかったのだが・・・。
 

うーん、やはりなんか持ってきていたのか。
 どうも僕も無罪放免ではなく、グレーな執行猶予付きという感じだ(笑) 

 帰り道、久しぶりにセッション後の頭痛が結構来た。
 この頭痛にはエネルギーが激しく来た時によくなるようだ。
 うーんじゃあ、あれはあれでよかったのか。

 と思いつつ、コンビニで買い物をして自転車に乗ると、買い物袋の底が破れ買ったものを車道にぶちまけてしまった。車が来る前にあわてて買ったものを拾い、歩道のほうに蹴り飛ばしながら避難した。なんなんだ~~

 頭が大変混乱したが、しかし、とても面白い日でもあった。
 いまだ不可解な点が多いが、自分の意識が、その場のエネルギーや、他の人や、I先生とシンクロしていることだけはものすごくリアルに感じた。

 概してこういう波乱含みのときのほうが書くことは多くなるw
 非常に2008年的?だった。
修道会日誌 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2008/12/28 12:27

オリオンの三角、10月の修道会

 先週の金曜日に、相方とライブを観に行って、その帰り道なんとなくUFOの話しをしていた。
 彼女は今まで興味はなかったのに今年になってからたまにUFOの夢を見るようになった。そのことを話していると、彼女が上空に光の点を見つけた。

 それは飛行機のようにまっすぐ飛ばずに、上に行ったり、横に行ったりという不安定な動きをしていた。そしてある地点に来ると、ぴたっとそこで動きを止めてしまった。
 空の別の場所にもうひとつ同じような光があって、やはり飛行機とはどうも違うような動き方で移動していた。そしてやはりある位置に来ると停止し、オリオン座のひとつの星と謎の2つの光で大きな三角形を作るような状態になった。

  2,30分は見てましたがしばらくして、疲れてきたので帰った。

 三角形から天河の五十鈴(神代の鈴)と、ホイットリー・ストリーバーの「コミュニオン」に登場する『エイリアン』が三角形のシンボルを多用することを思い出した。

 翌日まぶたの裏に光の点の残像が残って、目をつぶると必ず現れた。

 あの動き方は飛行機ではないことは確実。じゃ何?人工衛星?

 正体不明。

 unidentified-flying-object U・F・O

 なのだが、妙にUFO熱が盛り上がっているこの時期に変なものを見たので気になった。

 なんか天河で見たのもホンモノだった気がしてくる・・・。 

 去年伊勢神宮に行った後は日本の霊性とのつながりが強くなったような感じがしたけど、天河に行って宇宙人とのつながりが強くなったんだったらどうしようw


☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

 翌日、I先生の修道会。
 前回8月なので、約二ヶ月ぶり。
 
 最初の瞑想に入ると、一時的に感情が激しく暴れだしたが、ジャッジすることなく感じ切るように見つめていると徐々に穏やかになり、間隔が空きだした。打ち寄せる波と波の間の時間が延び、いつものように頭の中が消しゴムで消されるように白くなった。

 「今回はみんななかなか出てこないねえ」とI先生。
 僕も周りの状況は把握しているが、目を開ける気がせず考えの希薄な心地よい状態にとどまっていた。

 修道会ではもちろん神様の話もあるのだが、雑談やI先生の昔話が長時間続くこともある。
 何か宗教的な会合(笑)を想像している人は、拍子抜けするかもしれないけど、このような雰囲気はここに誰もが感じるはっきりとしたエネルギーがあるのだから、何もことさらスピリチュアルな話しを強いてする必要がないからなのだろう。

 僕はその状態のままで、先生と他の参加者の人が「いつも通勤に使う電車の路線」について話していて、I先生が「埼京線は最強だよね~、みんな最強とかKO(京王)とかすごい名前の使ってるね」なんて事を言うのを聴いていた。

 なにも知らない人が見たら、薄暗い中で輪になって座って電車の話をしている謎の集いに見えるのだろうか。  

 いつも不思議に思うのは、その日結構疲れていたりしても、修道会では頭が覚醒モードになりダレだり眠くなったりすることはないということだ。
 こんな例えばかりで申し訳ないが、ある種のドラッグを使って効いてくると、それを使う前の時間から全く切り離された別種の時間が流れ始めているような感覚になるが、それと似ている。
 
 僕が「最近、毎日株価の動きをチェックすることが止められないんです。」と言うと、I先生もニュースで株価の下降を楽しく(?)見ているそうだった。
 先生は昔自給自足のコミューン生活をしていた経験があるようで「もしもの時は、みんなで畑を耕せばいいから大丈夫!」と言った。 

 『混乱している人格に主導権をとらせないようにすることが大事』という言葉が印象的だった。

 こういうエネルギーと共にある時は、先のことが必要以上に気になったり、思考が混乱することはない。でもやっぱり日常に戻ると、僕の場合はいろいろな情報同士の整合性や、自分がこの時代にどのように世界に関わっていけばいいのかということが気になる。何が真実なのかということ。  

 でもこのエネルギーを経験している人格もあるので、それがリーダーシップをとっていることが大事なことのようだ。

 「まあ、って言っても混乱はするんだよな~」とも先生は言う。

 「もし覚醒したら、朝まで泣くから。
  で疲れてきたら笑い始める。こんな簡単なことがわからなかったってことがおかしくて笑うの。
  でも、これってやっぱり「自分」ではわからないんだよな、すごい恩寵なんだなっていうことでまた泣く訳。」

 「こんな自分が神様に愛されているわけが無いってみんな思うでしょ?こんなあたしをあんな人が好きになるわけが無い。なにか裏があるに決まってるわ・・・ってねwでもね、神様はもっのすごい変人だからw神様は世界一の変人だよ。」

 僕も本当に自分が愛されてるなら、神様は相当懐が深いか、相当物好きなのだろうと思うことがあるw 
 
 帰宅した後、まったく無意味にわははと笑う真夜中。 
修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2008/10/14 22:47

8月23日の修道会

  7月は猛暑と、毎日発生する妙な犯罪や地震、豪雨などの情報で少々気が変になっていた。
  世紀末ウォッチャーになった気分で情報を集めるのを止められなかった。  
  8月に入り、少し旅行なんかもしてやや我に帰った感もあるが、修道会に向かう道で考えてみると、やはりマーヤだ。何マーヤか?

 確実に
 アセンションマーヤだ。それはわかっている。
 でもわかってても簡単には解けない。なぜなら実際に起こっている現象だと思うから。
 
 「くだらないことばっかり考えてるんじゃない!」と怒られないかと(そんなこと言われたことないが)会場へ行くと、先生はいつもの笑顔で「いらっしゃい」と迎えてくれた。

 天河のお土産を渡すと、最近天河や弁財天がらみでいろいろ動いてたようで、「やっぱりエネルギーが動いてるんだね」ということ。またスタッフのMさんのご先祖が天河神社の宮司さんだったということを聴いて驚いた。

 今回は参加者は二人だったが、もう一人の方ははじまるとずーっとサマディー状態?になって意識がトンでしまうタイプの人なので、今回は僕と先生との会話をメインに進めていくということだった。おお~これは初めてのパターン・・・。    

 他の人もたくさんいると、なかなか「アセンションが・・・」なんて言う事は話題にし辛かったかもしれないが、3人だけだったので、先生に「マーヤはどう?」と尋ねられた時、「いや~実はアセンションマーヤで・・・」と思い切って言ってみた。

 「アセンションマーヤ?ブログに書いてることを見ると、確かにそうみたいだねw」

 「先生はアセンションみたいなことは実際に起こると思いますか?」

 「あってもおかしくないと思うよ。それは俺自身がフォトン?のエネルギーを感じてるから。
 でもその変化が、みんなが思っている通りのことだとは限らない。

 例えば1999年にノストラダムスの予言があったでしょ? 
 あれの後にはみんな予言が外れたっていったけど、俺にとっては現実のものになった。(先生はあの予言を恐怖の大王=人を覚醒させる神、と解釈する)そんな風に2012年のことだって、どういう変化が起こるかは3次元の我々にはわからない。でも2012年には「なにかが」起こるだろう。

 問題はね、アセンション、アセンションって言ってる人の多くは、もうこの世界にうんざりしててリセットしたいと言う人が多いってこと、「健全な」アセンション信奉者は少ない。でもまあそれでもいいと思う。

 M君がね、もし今覚醒した意識になれば、アセンションなんてどうでもよくなるよ。あっても、なくても。その状態にあれば『存在している』と言うことからくる喜びがいつもあって、なにをしていても楽しいと思うはずだから。」

 「そうなんですよね~頭ではそれはわかってるんですが。でも最近どうしても気になって・・・。これはマーヤだ!とかいって無理やりに神様のことばかり考えるのって、そっちの方がマーヤなんじゃないかと思って。だからもうマーヤでいいや・・・とそんな感じもあります。」

 「うん、神様がさせていることだからそれは今みたいに書いていったらいいと思うよ。でもあとからふと振り返るとうわ~すげーマーヤなこと書いてるなと我に帰ったりするでしょ?そこで一回思考がリセットされるからね。アセンションだけで行ってる人はそれがない訳。」

 「アセンション」は大体現システムの崩壊と、高次元への上昇みたいなものが対になっている。
 世の中の状況を見る限り、そこには確かにある方向への変化が起こっているように見え、それが自分に「アセンション」を確信させるのだということを話した。
  
 「まあ、どっちにしろ先は長くないよ。我々の眼の黒いうちになにか起きるんじゃない?」
 と先生。

 そのあと地球環境のことや、地球人口がもう限界であること、食料危機のことなどについて話した。
 
 「最近食料が高いって、奥さんたちがわーわー言ってるでしょ?あれはそもそもね、スーパーでお金を出して食べ物を買おうって発想が間違っている。食い物は自分で捕る(採る)もんだ。でしょ?」

 確かに(^^;
 食べ物を育てることの大切さを思い出し、大地に結びついて生きるためには、一回ぐしゃっと潰れるのは悪いことではないと先生は言った。

 あと先生が昔出会ったという波紋法という中国の秘儀を体得した人物から、先生の40代が終わるまでに『地球の人口が今の40パーセントになっている』という予言をされたことがあるらしい。この人物は飛んでるトンボを落としたり、自動車を素手で飛ばしたりする異様なパワーを持っていたらしい。
 そしてこの人の脳波を計ろうとすると脳波計自体がぶっ壊れたらしい。

 先生の話しを聴くたびに、なんでこんな面白い人とばかり出会ってるんだろうと感嘆する。
 波紋法って『ジョジョの奇妙な冒険』に出てきたが、実在していたとは知らなかった。
 なんでも、直接対象物に気を送るのではなく、少し離れた場所に送り、そこで発生する「波紋」を利用するという。

 しかし、話しを聴いてるうちに、近々ぐしゃっと来ることは確かなような気がしてきた。。。

 が、先生自身は通常その手のことはほとんど考えていないらしい。

 すべては神様だという神様モードにいるか、修道会のスケジュールを考えたり、テレビを見て笑っていたりという日常の次元にいるかどちらかだという。

 僕の質問によって言わばその『世紀末用のキャラ』が引き出されるようだった。
 (でも「その時」が来れば『世紀末用のキャラ』が本格的に動く可能性もあるとのこと)

 「でも言ってみれば全部、マーヤ。先のことより、神は今ここにいつもある。だから神を求めるなら今にとどまらなければならない」と先生。

 その場のエネルギーが段々強くなってくる感じ。
 
 「これだよ、・・・すごいな」

 目を閉じると、頭が真っ白になっていった。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 久しぶりにかなり、トンだ・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「確かに、ずっとこの状態だと、アセンションとかどうでもよくなりますね」

 「そう、この状態が、大事なんだよ。昼間畑仕事かなんかしてね、夜にはこういう感じでみんなで集まったりしたら、エネルギーに満たされるでしょ?俺はそれがこの世界の立て直し方だと思うわけ」

 「これは何よりもエネルギー源になりますね」

 「なるでしょ?だって飛んじゃうんだから」と、先生は楽しそうに笑う。

 真理は喜びとセットになっている。
 純粋な喜びに触れられる場所は少ない。
 こんなに本当に楽しそうに笑う人も少ない。

  
修道会日誌 | コメント(7) | トラックバック(0) | 2008/08/24 18:37

 今回の修道会語録。





 「みこころのままに、と現象を受け入れ過ぎていると意識が現象の方にに固定してしまうことがある。マーヤだと言っているとこの世界がぐにゃぐにゃした不定形のものになっていく。マーヤだと言ってるほうがハイになれる。

  ↑確かにハイになる。

 「マーヤ解きのプロは、ママである。」

  ↑マーヤをつくった存在なので。
  
 「霊能者の限界は、すべて過去の霊の憑依等に原因を求めること。
  実際には霊の世界には時間はないので、未来の霊(意識体)や、未来生の影響を受けることもある
。」

  ↑高橋克彦の「霊の柩」という小説はそんな話しだった。
    「幽霊は時空を超えて出現できる!」と言ってたな。
    確かにそうに違いないとと思わせる本だったが・・・。

 「日本では先祖から受け継いだ土地などというが、アメリカネイティブの人たちは、子孫からこの土地を借りているのだと言う。だから自分の好きには出来ない。」

 「グラハム・ハンコックはアトランティスの頃に生きていた意識体との接触によって、様々なインスピレーションを得たのかもししれない。

 「神は〔意識体〕なので、それを知るのは我々の〔意識〕である。
  肉体にどういう感覚を感じるかなどはある意味どうでもいい。」


 「ある意識体に憑依されると、その意識体と同じ見方になるように
 神という〔意識体〕に憑依されると、神の見方になる
。」

 「わかるとすべてが真逆になる。 
  だから、それをあらわすために、後ろ向きに馬に乗るなどの比喩が使われてきた
。」

  ↑脳がひっくりかえる、というのも先生はよく言う


 「昔の修行者が自己を滅することを説いたのは、どこをみても苦しみばかりだったから。
  しかし、こんなに楽しいことが多い世の中で、あえて自分を無にする必要はない。

  わかった時には神が主になるが、自分は残る


 「一週間の終わりに、コップの半分くらいビールを飲むが、今ほど酒がうまいと思ったことはない。
  普通の食事をしていても、味の輪郭のひとつひとつがはっきりしていて、涙が出るほど感激することがある。覚醒する前にお金持ちの人に、いろいろ高い店に連れて行ってもらったこともあったけど、今みたいに涙をながすことはなかった。神なしではなにひとつできない。」



  ↑↑
 この話しをきいていると口の中に大量に唾液がでてきたw




修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2008/06/11 12:00

 リトリート後、初めて修道会に行く。
 
 うさぎがいた。。。。
 前日上野公園で石段にうさぎがいて、公園に住んでるようなおじさん?がそれをもってうろうろしていた。(非常食か??)可愛いなあと思いしばらく見ていたので、二日連続でうさぎに会って少し驚いたw

 行くまでも割といい感じだったけど、瞑想を始めると別空間に入ってしまう感が強烈だった。

 リト後の経過報告。

 「マーヤ解きが少しうまくなったような気がします。
  今までマーヤだと思ってなかったものも、マーヤだっていうことがわかった感じで。」

 「そう、全部マーヤなんだからw」

 「なんの仕事をすればいいのかとか、天職はなにかとか、そういうのも・・・・探すことは大事なのかもしれないですけど、それが神を隠すものになっちゃダメなんだと思いました。」

 「そうだよ、俺だって本気でM君の天職が無職だなんて思ってるわけじゃないからね。俺にとって焦点はその人のマーヤをはずすことにある。だから、M君が仕事をしてないときに、天職はなんだって聞かれたから、「なにもしてないなら、今の天職は無職だ」って答えたわけ。今の自分がそのままでOKだと思えることが大事なんだよ。」

 「そうなんですよね・・・」
 そこら辺は最近、妙に腑に落ちることがあったポイントだった。
 OKからはじめることが重要なのだ。

 「そう考えるとマーヤって奥が深いですね。多分、まだまだあると思いますけど。」

 「あるよ~まだまだ
 
 そうか、まだまだあるか^^;
 しかし、固定観念が次々と壊れていくのはある種爽快感もある。
 痛みもある場合もあるけど。
 自分がそれにしがみつく時だけ、痛みがある。
 痛みは自分で作ってるのだ。
 でもどちらにしても、壊れればその分楽になる。

 そのあと、なぜか宇宙人の話しから、金星人やシャンバラの話しになった。
 以下、マーヤ度強トピック↓↓↓ warning! warning! warning!



 I先生は異様に明晰な夢の中で、時々シャンバラ(地底世界)を訪れていたことがあったらしいが、そのシャンバラの王はサナート・クマラで、金星から来た存在であるという話しを聴いた。

 I先生は昔からシャンバラが気になって仕方がなかったそうだが、それは過去世でシャンバラの道案内のようなことをしてたことと関係があるらしい。あと、日本ではクマラは、サルタヒコとして知られていること、源義経や、チンギスハンはサナート・クマラが現れた姿であったという。

 そしてシャンバラにおいては、ある種の「石」が地上を映し出すスクリーンのような役割を果たしているというような話しも聴いた。

 金星人のクリスティーナのこととかも思い出し、またボーダレスな感覚を感じた。
 どんどん、宇宙人がリアルにいるような気がしてくる昨今であるw
 
  金星人のクリスティーナ(オムネク・オネク)は先日参加した浅川嘉富さんの講演会で出た話題だったのだが、同じ講演会の中で鳥インフルエンザのことも出ていた。

 と、思えば、昨日雑談の中でI先生も鳥インフルエンザの話しをして、『始まったら仕事とか辞めちゃって部屋にこもったほうがいいよ』と言っていた。
 こんなにいろいろなところで聴くと、いよいよパンデミックが近いのかと思えてくる。

 本当に始まったら特に東京のような都市部はヤバイだろう。

 先生によると、なんでもみこころだからといって何もしないでいるのもダメとのことで、自分がやれるべきことはやっておくこと、サバイバルも大事なのだと言う。
 なぜなら、知恵は、生き残る努力をすることで獲得されるものでもあるからだそうだ。

 I先生はマシンガンをテロリストに乗っていたバスを占拠されたり、インドで殺し屋に追いかけられたりという貴重な(?)経験もしてるらしく、そういう人の口から聴くとなるほどなあと思える見解だった。

 う~んとりあえず、マスクくらいは買っておくかw




 修道会でI先生が話す話しと、自分が今気になってることは不思議な形でリンクしてくることがよくある。そもそも、9・11を始めとする闇権力モノにのめり込む直前も先生が他の参加者の人と、フリーメーソンやユダヤ権力の話しをしていたのだ。
 でも、だから興味を持ったというわけではなく、自然とその後、そちらに興味を向けさせられたのだ。
 神様の話とはまったく次元の違う話しだが、それも同じルーツからこちらに情報として流れてきているような気がしなくもない。

 なんかなにがおきても不思議じゃない気がするのが、自分の主観性だけではないような。。。
 う~んますますボーダーレスだ。カップヌードルだw


NO BORDER
CUP NOODLE!!

 

追記:

 朝日新聞 2008年 4月27日の記事より

 新型インフル 家庭で備え
 もし大流行の時は…外出できぬ恐れも
 食料や医薬品の確保を


 新型インフルエンザの発生に備えた改正法案が成立した。医師ら薬6千人へのプレパンデミック(大流行前)ワクチンの事前接種も決まった。発生に季節を問わない新型インフルエンザに、家庭では今、どんな予防や対策を講じることができるか。備蓄リストとともに点検する。(高木智子)

 
「家庭での取り組みとワクチンが新型インフルエンザ対策の出発点。万全の準備を」。こう呼びかけるのは、国立感染症研究所の研究員の岡田晴恵さんだ。事前準備が生死を分けることもあるとし、家庭用備蓄チェックリストを作成した=表

  もし流行したら、空気・飛沫感染するため外出が難しい。流行の波がおさまるまで家にこもるための食料や飲料品など約2カ月分の備蓄の必要性を説く。主食の米やめん類、レトルト食品、果物、魚、コンビーフなどの缶詰、飲料水、そして糖分の高いジャムや栄養補給食品などだ。「地震や台風は数日間をしのげば、なんとか支援が来る。人々に免疫のない新型インフルの場合は、外出も困難になるから」と岡田さん。感染が広がり、人的・物的支援が期待できない事態が懸念されるという。

  家庭看護に詳しい滋賀県立大・人間看護学部の山田明教授(臨床ウイルス学)は、「感染の危険性から病院に行けなくなり、家庭看護をすることになる」と話す。医療行為はできないから、主に熱冷ましや水を飲ませることだ。常備薬や解熱剤、水枕、保冷剤を準備したほうがいい。さらに、看護する人が感染しないよう、使い捨てのマスクやゴム手袋、ゴーグル、消毒用アルコール、汚染物廃棄につかうポリ袋も欠かせない=表。

  発生後に製造するパンデミック(大流行)ワクチンが行き渡るまで、こうした備えに基づく家庭看護が重要になる。
  備えるべき、殺菌・滅菌の商品や機能性の高いマスクはドラッグストアで入手できる。厚生労働省もホームページで「新型インフルエンザはいつ出現するのか、誰にも予測することはできません」として、「個人でできる対策」を紹介。その中で、「海外で大流行すれば輸入に制限がかかり、種々の生活必需品が不足する」として、備蓄物品を例示している。

<家庭の備蓄品チェックリスト>
●食料品(2カ月分がめど)
□主食の米、切り餅、めん類、シリアル
□塩、砂糖、しょうゆ
□インスタントラーメン、レトルト食品、フリーズドライ食品(カレー、おかゆ、みそ汁など)
□缶詰
□チョコレート、缶ドロップ
□ジャム、栄養補給食品
□ミネラルウオーター、ペットボトル飲料
□スポーツドリンクなど粉末飲料
●日用品・医薬品
□常備薬(胃腸薬、持病の処方薬など)
□解熱剤(アセトアミノフェン系)
□ゴム手袋
□マスク
□包帯、ガーゼ
□うがい薬
□水枕、保冷剤、解熱シートなど冷却用品
□消毒用アルコール
□洗剤、漂白剤
□カセットコンロ、ボンベ
□懐中電灯、乾電池
□トイレットペーパー、ウエットティッシュ
□ビニール袋
●その他
□現金
□粉ミルク
□ペットフード
□コンタクトレンズ

 鳥インフルエンザについて Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B6





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