一週間ほど実家に帰省し、そのあと奈良吉野の天川村に一泊し昨日東京に戻った。
京都では、亀岡にある大本の天恩郷を見学させてもらった。
天川村を訪れたのは17日でちょうど満月の夜だったが、とても静かで不思議な夜だった。
飛行機?かもしれないが点滅しながら移動する物体がいくつも神社の後ろの山にあたりに飛んでいて、思わず「こっちに飛んでください」と念を送ってしまった。
翌日早朝、柿坂宮司の執り行う朝拝に参加して、終わったあと巫女の方からお神酒をもらった。
ほんの少しだけだったっがすきっ腹に飲んだので、回りが良くふらふらしながら宿に戻った。
その日はみたらい渓谷の辺りを徒歩で散策し、東京まで7時間近くかけて帰ってきた。
来るときに入った喫茶店のママさんがこんなことを言っていた。
「都会の人は、こういう場所に来て癒されると思うけど、私たちは静か過ぎることがストレスになることがある。時々都会に出かけると、新鮮だけどあんなごちゃごちゃしたところにずっとは住めない。やっぱりここはいいところだと思う。」
都会には都会のいいところがあるとも言える訳だが、新潟から出て来て40年以上も天川に住んでるという人の言葉を聞く限りでは、天川に軍配が上がりそうな気がした。
もう一泊したい気持ちを振り切って(時間はあるが、お金がないので)帰ってきた。
少し前に、8月8日は大きな区切りの日ではないかということを書いたが、8日には以下のようなことが起こった。
※北京五輪開幕
※グルジア、南オセチアへ侵攻
※早朝4時台の人身事故で、山手線が4時間ストップ
※午後12時57分、震度4の地震。震源奥多摩。
※中国国際航空の飛行機に爆破予告があり引き返す→後にイタズラと判明
※宮崎空港に落雷、一時閉鎖。
※比嘉良丸氏、富士にて徹夜の祈祷を行う
グルジアは親米の傀儡政権であると考えられているが、今回の侵攻によりロシアと米の間で新冷戦の構造が出来がありつつあるようだ。
「日月神示」の中には「オロシヤの悪神」が様々な計画を練っていると言う言葉や、「北に気つけよ、北から来るぞ」という文があるので、それとの関係が気になった。
自然災害はまだしも、戦争は勘弁して欲しい。
京都では、亀岡にある大本の天恩郷を見学させてもらった。
天川村を訪れたのは17日でちょうど満月の夜だったが、とても静かで不思議な夜だった。
飛行機?かもしれないが点滅しながら移動する物体がいくつも神社の後ろの山にあたりに飛んでいて、思わず「こっちに飛んでください」と念を送ってしまった。
翌日早朝、柿坂宮司の執り行う朝拝に参加して、終わったあと巫女の方からお神酒をもらった。
ほんの少しだけだったっがすきっ腹に飲んだので、回りが良くふらふらしながら宿に戻った。
その日はみたらい渓谷の辺りを徒歩で散策し、東京まで7時間近くかけて帰ってきた。
来るときに入った喫茶店のママさんがこんなことを言っていた。
「都会の人は、こういう場所に来て癒されると思うけど、私たちは静か過ぎることがストレスになることがある。時々都会に出かけると、新鮮だけどあんなごちゃごちゃしたところにずっとは住めない。やっぱりここはいいところだと思う。」
都会には都会のいいところがあるとも言える訳だが、新潟から出て来て40年以上も天川に住んでるという人の言葉を聞く限りでは、天川に軍配が上がりそうな気がした。
もう一泊したい気持ちを振り切って(時間はあるが、お金がないので)帰ってきた。
少し前に、8月8日は大きな区切りの日ではないかということを書いたが、8日には以下のようなことが起こった。
※北京五輪開幕
※グルジア、南オセチアへ侵攻
※早朝4時台の人身事故で、山手線が4時間ストップ
※午後12時57分、震度4の地震。震源奥多摩。
※中国国際航空の飛行機に爆破予告があり引き返す→後にイタズラと判明
※宮崎空港に落雷、一時閉鎖。
※比嘉良丸氏、富士にて徹夜の祈祷を行う
グルジアは親米の傀儡政権であると考えられているが、今回の侵攻によりロシアと米の間で新冷戦の構造が出来がありつつあるようだ。
「日月神示」の中には「オロシヤの悪神」が様々な計画を練っていると言う言葉や、「北に気つけよ、北から来るぞ」という文があるので、それとの関係が気になった。
自然災害はまだしも、戦争は勘弁して欲しい。
ナイト・シャマランの『ハプニング』
今日、ナイトシャマラン監督の新作「ハプニング」を観てきた。
面白かったのだが、僕は今頭の中がヨハネの黙示録になっている。それを助長するような映画で困った。
映画の最初のほうに主人公の学者が、全米でミツバチが大量に失踪していることを学生たちに話す場面がある。少し前に記事を書いたが、これは実際に起こっている現象だ。→これ(消えるミツバチ)
「病気か?」 NO!
「地球温暖化が原因か?」 NO!
自然には人間に理解できない側面があると彼は学生達に言いたいらしい。
全米に、人間の頭(科学)では理解不能の「ハプニング」が広がっていく。
「病気か?」 NO!
「バイオテロか?」 NO!
原因はわからない。わからないが、
それに捉えられると、人は自己破壊の衝動に逆らうことが出来なくなる。
それは、人の精神を、破壊してしまう。
このわからない変化と言う恐怖・・・。
一応その「ハプニング」の原因についての仮説のようなものは提示されるのだが、それさえも未知の変化に怯えた人間の頭がでっちあげたものなのではないかと思わせるような雰囲気が全編を通し漂っている。
シャマランの映画には珍しく、本気で怖いと思った。
しかも、普通のホラーの怖さではない。わからない怖さ、にもかかわらずなにかリアリティがある怖さだ。それはすでに,この現実において心のどこかで人が実際に感じている怖さだからかもしれない。
これ以上はネタばれになるので書かないけど、そのハプニングに対峙する人間の姿が描かれていく。結末は好き嫌いが、あるかもしれないけど、シャマランの描きたいことはなんとなく判るような気がする。
ナイトシャマランの映画はある種のスピリチュアルな観点がないと、意味がよくわからないかったり、B級映画のように見えてしまう作品が多い。
「サイン」もそうだし、「レディインザウォーター」「アンブレイカブル」なんかもっとそうだ。
「シックスセンス」を期待して、他のを観るとがっかりすると言う人がいるが・・・・それは確かにそう。
「シックス・センス」はある意味、一番テーマが浅い。それ以後の発展がシャマランの真骨頂のように見える。にも関わらず、一様にレビューの点数が低いw
僕は今回の「ハプニング」の暗雲立ち込めるようなラストに、シャマランの警告のような、危機感のようなものを感じてしまった。一見ホラーチックな映画の常套的なラストに見えて、そうではないような、そんな感じがする。
そのメッセージ性は、「自然が人間精神に与える未知の影響」だ。
主題がいつも精神世界的な傾向が強いために、シャマランは、世の大峠を感じているのではないかと思ってしまう。必ずしも2012年の神話や、フォトンベルト、アセンションなどを念頭において作ってるのかはわからないが、それに近い世界を感じる。クリエイターの直観が、実際に起こっている現実を描かせているような気がする。
その理由は冒頭に出てくる「ミツバチの失踪」と、「ハプニング」は同じソースによって起きているかもしれないと、観客に感じさせるためだ。クリエイターの役割りのひとつは、集合的な「心の闇」を表出させることによって、それを癒すことだと思う。
この映画のストーリーの裏には、未知の変化に対する恐怖と、それに対処する方法も暗に示されているように思えてならない。まあ、見方のひとつですが。なにしろ頭の中が黙示録なのでw


面白かったのだが、僕は今頭の中がヨハネの黙示録になっている。それを助長するような映画で困った。
映画の最初のほうに主人公の学者が、全米でミツバチが大量に失踪していることを学生たちに話す場面がある。少し前に記事を書いたが、これは実際に起こっている現象だ。→これ(消えるミツバチ)
「病気か?」 NO!
「地球温暖化が原因か?」 NO!
自然には人間に理解できない側面があると彼は学生達に言いたいらしい。
全米に、人間の頭(科学)では理解不能の「ハプニング」が広がっていく。
「病気か?」 NO!
「バイオテロか?」 NO!
原因はわからない。わからないが、
それに捉えられると、人は自己破壊の衝動に逆らうことが出来なくなる。
それは、人の精神を、破壊してしまう。
このわからない変化と言う恐怖・・・。
一応その「ハプニング」の原因についての仮説のようなものは提示されるのだが、それさえも未知の変化に怯えた人間の頭がでっちあげたものなのではないかと思わせるような雰囲気が全編を通し漂っている。
シャマランの映画には珍しく、本気で怖いと思った。
しかも、普通のホラーの怖さではない。わからない怖さ、にもかかわらずなにかリアリティがある怖さだ。それはすでに,この現実において心のどこかで人が実際に感じている怖さだからかもしれない。
これ以上はネタばれになるので書かないけど、そのハプニングに対峙する人間の姿が描かれていく。結末は好き嫌いが、あるかもしれないけど、シャマランの描きたいことはなんとなく判るような気がする。
ナイトシャマランの映画はある種のスピリチュアルな観点がないと、意味がよくわからないかったり、B級映画のように見えてしまう作品が多い。
「サイン」もそうだし、「レディインザウォーター」「アンブレイカブル」なんかもっとそうだ。
「シックスセンス」を期待して、他のを観るとがっかりすると言う人がいるが・・・・それは確かにそう。
「シックス・センス」はある意味、一番テーマが浅い。それ以後の発展がシャマランの真骨頂のように見える。にも関わらず、一様にレビューの点数が低いw
僕は今回の「ハプニング」の暗雲立ち込めるようなラストに、シャマランの警告のような、危機感のようなものを感じてしまった。一見ホラーチックな映画の常套的なラストに見えて、そうではないような、そんな感じがする。
そのメッセージ性は、「自然が人間精神に与える未知の影響」だ。
主題がいつも精神世界的な傾向が強いために、シャマランは、世の大峠を感じているのではないかと思ってしまう。必ずしも2012年の神話や、フォトンベルト、アセンションなどを念頭において作ってるのかはわからないが、それに近い世界を感じる。クリエイターの直観が、実際に起こっている現実を描かせているような気がする。
その理由は冒頭に出てくる「ミツバチの失踪」と、「ハプニング」は同じソースによって起きているかもしれないと、観客に感じさせるためだ。クリエイターの役割りのひとつは、集合的な「心の闇」を表出させることによって、それを癒すことだと思う。
この映画のストーリーの裏には、未知の変化に対する恐怖と、それに対処する方法も暗に示されているように思えてならない。まあ、見方のひとつですが。なにしろ頭の中が黙示録なのでw


富士と銀河?
先週の金曜から、二泊三日で富士五湖周辺を周ってきた。
前日から突然のどが変になり、旅行中ずっと風邪の様な症状でからだがダルかった。
そのダルい体のまま移動したり、風穴の中に入ったりしたのでちょいときつかったけど、面白い旅だった。



北口本宮富士浅間神社
平日だからか境内にほとんど人がおらず、静かでとてもいい感じの場所だった。
アセンションだか、悟りの時代だかなんだかわからないが、新しい時代が平和に始まることをお祈りした。
これは勝手な憶測になるかもしれないが「富士」というスポットとそれにつらなる見えない世界が、意識の変革や、時代の変化に大きな役割を果たしているのではないかと、そんな思いがあった。
以下マーヤ話なので適当に読んでくらさい。
帰ってから、夜中に目が覚めるとまたいつものごとく「富士神界・・・」という単語とぼんやりしたイメージが残っていた。イメージ・・・富士をとりまくある種の巨大なエネルギー場、何万年も前から存在し、人間の活動を認識し続けていた意識、それは想像を絶して、大きく、人間離れした叡智に満ちている。
絵を描いてみると、富士の山頂から伸びたエネルギーが、びょーんと銀河の中心へとつながっているようなそんなのが出来た。

・・・・すんません、あまり絵心ないんで。
「富士神界」でネット検索してみると、あるブログに次のような記事があった。
「日本神界には、天津神界と国津神界とがあり、伊勢神宮に対応すると内宮と外宮である。両者の神界を代表して日本神界というが、その中枢が富士に置かれていて通称:富士神界という。
この富士神界は、世界の主たる神界と比べてもその大きさは太陽系を超え、銀河の中心太陽=セントラル・サンにまで達している。
日本の「神道」は、宇宙の道たる「大道」の雛形であり、ここ富士から宇宙へ羽ばたく道が用意されている、この大道に入ることを昔から、『鳳凰が羽ばたく象徴』として崇められてきた。
マヤの預言では、2013年に地球が光の次元へアセンションするという話がありが、この銀河系からの光への流入は、すべて富士を窓口にして入ってくる。
地球最大のエネルギーのポータールである。」
しかも、このブログ・・・この記事が初エントリーのようだが、その日付が7月4日・・・僕が旅行に出発した日だった。
最近こういうシンクロが変に多い。
個人的にはシンクロが多くても、それがその物事の正しさを証明しているとは必ずしも思わないが、同じようなエネルギーが異常に同調しやすくなっているようなそんな感覚は受ける。
それ自体が新しいエネルギー法則の時代がすでに始まっていることの証しかもしれない。
今までも「類は友を呼ぶ」と言うように同じような性質のエネルギーが磁石のようにひきつけあう、ということはあって、だからこそそんなことわざが出来たのだと思う。
きいた話しによると、その法則がどんどん強まっているようで、「魂が整列を始めている」らしい。
これは、今までばらばらに存在していた似たような質の存在が、集合し始めているということのようだ。
死後の世界は同じような性質のもの同士しか会えないが、いろいろな人たちが同じ世界に生きていることがこの世の醍醐味であるとスピリチュアリズムなどでは言うが、これからは地上が霊界チック(同じ性質が寄り集まる)になっていくのだろうか。
これも「透け透け現象」とともに今後さらに増大していきそうな予感がする。
旅行中ずっと曇ったり晴れたりで、なかなか富士の全貌が見えなかったのだけど、帰り道のバスの中できれいな姿が見えて感動した。下は根場癒しの里にて、ちょっとだけ頭を見せてくれた富士。

ありがとうございました〜♪
前日から突然のどが変になり、旅行中ずっと風邪の様な症状でからだがダルかった。
そのダルい体のまま移動したり、風穴の中に入ったりしたのでちょいときつかったけど、面白い旅だった。



北口本宮富士浅間神社
平日だからか境内にほとんど人がおらず、静かでとてもいい感じの場所だった。
アセンションだか、悟りの時代だかなんだかわからないが、新しい時代が平和に始まることをお祈りした。
これは勝手な憶測になるかもしれないが「富士」というスポットとそれにつらなる見えない世界が、意識の変革や、時代の変化に大きな役割を果たしているのではないかと、そんな思いがあった。
以下マーヤ話なので適当に読んでくらさい。
帰ってから、夜中に目が覚めるとまたいつものごとく「富士神界・・・」という単語とぼんやりしたイメージが残っていた。イメージ・・・富士をとりまくある種の巨大なエネルギー場、何万年も前から存在し、人間の活動を認識し続けていた意識、それは想像を絶して、大きく、人間離れした叡智に満ちている。
絵を描いてみると、富士の山頂から伸びたエネルギーが、びょーんと銀河の中心へとつながっているようなそんなのが出来た。

・・・・すんません、あまり絵心ないんで。
「富士神界」でネット検索してみると、あるブログに次のような記事があった。
「日本神界には、天津神界と国津神界とがあり、伊勢神宮に対応すると内宮と外宮である。両者の神界を代表して日本神界というが、その中枢が富士に置かれていて通称:富士神界という。
この富士神界は、世界の主たる神界と比べてもその大きさは太陽系を超え、銀河の中心太陽=セントラル・サンにまで達している。
日本の「神道」は、宇宙の道たる「大道」の雛形であり、ここ富士から宇宙へ羽ばたく道が用意されている、この大道に入ることを昔から、『鳳凰が羽ばたく象徴』として崇められてきた。
マヤの預言では、2013年に地球が光の次元へアセンションするという話がありが、この銀河系からの光への流入は、すべて富士を窓口にして入ってくる。
地球最大のエネルギーのポータールである。」
しかも、このブログ・・・この記事が初エントリーのようだが、その日付が7月4日・・・僕が旅行に出発した日だった。
最近こういうシンクロが変に多い。
個人的にはシンクロが多くても、それがその物事の正しさを証明しているとは必ずしも思わないが、同じようなエネルギーが異常に同調しやすくなっているようなそんな感覚は受ける。
それ自体が新しいエネルギー法則の時代がすでに始まっていることの証しかもしれない。
今までも「類は友を呼ぶ」と言うように同じような性質のエネルギーが磁石のようにひきつけあう、ということはあって、だからこそそんなことわざが出来たのだと思う。
きいた話しによると、その法則がどんどん強まっているようで、「魂が整列を始めている」らしい。
これは、今までばらばらに存在していた似たような質の存在が、集合し始めているということのようだ。
死後の世界は同じような性質のもの同士しか会えないが、いろいろな人たちが同じ世界に生きていることがこの世の醍醐味であるとスピリチュアリズムなどでは言うが、これからは地上が霊界チック(同じ性質が寄り集まる)になっていくのだろうか。
これも「透け透け現象」とともに今後さらに増大していきそうな予感がする。
旅行中ずっと曇ったり晴れたりで、なかなか富士の全貌が見えなかったのだけど、帰り道のバスの中できれいな姿が見えて感動した。下は根場癒しの里にて、ちょっとだけ頭を見せてくれた富士。

ありがとうございました〜♪
サイババの顔が表紙になっている本を頭の両側に置いて寝たら濃い夢を見た。
去年のリトリートの後、急にマーヤになった時、なにげにその本をテーブルに立てかけると、著しく空気感が変わり思わず笑ってしまったので、時々この本を使う。
その夜はあまりにも重かったので、二冊同時使用したという訳w
朝、目覚めると、
「出口王仁三郎聖師」「出口王仁三郎詩画」
というような言葉が頭の中に残っていたので、そのワードで検索してみることにしてPCをつける。
すると、どっかがおかしくサウンドドライバがインストール出来なくて、PCの音が出なかったのだが、今日は出来そうだ・・・!試みると、成功!
お〜リチャードコシミズさんの動画でも見ようか、と思うが思い直し、出口王仁三郎から調べることにする。すると、王仁三郎が祝詞をあげている肉声が聴けたり、半裸で歩き回っている画像が見られるサイトを発見。
すごい!声が残っていたのか!と興奮し、再生。
祝詞、良かった。
そのあとまったく別の動画を見ていると、パソコンがカタマル。
再起動すると、また音が出ない状態に復帰した(^^;
まるで王仁三郎の声を聴くために一時的に復活したかのようであった・・・。
近頃よく書いていた、『日月神示』ももともとは大本の流れであると言えると思う。
艮の金神による「世の立替建て直し」を言い始めたのも、出口なおと王仁三郎であったと思う。
「日月神示」を降ろした岡本天明は一時期大本教に所属していた。
王仁三郎の写真を見ると、どこかかわいらしいような雰囲気を感じる。

わかってる人は、知恵とともにどこか子供のような愛らしさを持っていることが多い。
(前略)ある日、天気のよい日であった。王仁三郎翁は私をつれて、縁側に腰をおろした。すると青空に一つ二つ白い雲が浮いて、青空を流れている。
と、王仁三郎翁はいうのである。
「前川さん、あの白雲に乗って青空を旅する。さぞかし気持ちがよかろうな。いっしょに行きましょう、どうですか」
私は返事のしようがない。「そりゃ、気持ちがよいでしょうね」と平凡なあいづちを打つだけである。
王仁三郎とはそういう人である。私に言わせると、王仁三郎は詩人である。これほどの詩人はめったにいない。教えというのもそれである。王仁三郎の詩である。そしてすべてがそういうふうである。
http://www.aizenen.info/od/mm.htmlより
去年のリトリートの後、急にマーヤになった時、なにげにその本をテーブルに立てかけると、著しく空気感が変わり思わず笑ってしまったので、時々この本を使う。
その夜はあまりにも重かったので、二冊同時使用したという訳w
朝、目覚めると、
「出口王仁三郎聖師」「出口王仁三郎詩画」
というような言葉が頭の中に残っていたので、そのワードで検索してみることにしてPCをつける。
すると、どっかがおかしくサウンドドライバがインストール出来なくて、PCの音が出なかったのだが、今日は出来そうだ・・・!試みると、成功!
お〜リチャードコシミズさんの動画でも見ようか、と思うが思い直し、出口王仁三郎から調べることにする。すると、王仁三郎が祝詞をあげている肉声が聴けたり、半裸で歩き回っている画像が見られるサイトを発見。
すごい!声が残っていたのか!と興奮し、再生。
祝詞、良かった。
そのあとまったく別の動画を見ていると、パソコンがカタマル。
再起動すると、また音が出ない状態に復帰した(^^;
まるで王仁三郎の声を聴くために一時的に復活したかのようであった・・・。
近頃よく書いていた、『日月神示』ももともとは大本の流れであると言えると思う。
艮の金神による「世の立替建て直し」を言い始めたのも、出口なおと王仁三郎であったと思う。
「日月神示」を降ろした岡本天明は一時期大本教に所属していた。
王仁三郎の写真を見ると、どこかかわいらしいような雰囲気を感じる。

わかってる人は、知恵とともにどこか子供のような愛らしさを持っていることが多い。
(前略)ある日、天気のよい日であった。王仁三郎翁は私をつれて、縁側に腰をおろした。すると青空に一つ二つ白い雲が浮いて、青空を流れている。
と、王仁三郎翁はいうのである。
「前川さん、あの白雲に乗って青空を旅する。さぞかし気持ちがよかろうな。いっしょに行きましょう、どうですか」
私は返事のしようがない。「そりゃ、気持ちがよいでしょうね」と平凡なあいづちを打つだけである。
王仁三郎とはそういう人である。私に言わせると、王仁三郎は詩人である。これほどの詩人はめったにいない。教えというのもそれである。王仁三郎の詩である。そしてすべてがそういうふうである。
http://www.aizenen.info/od/mm.htmlより
『本質的には、善と真は有であり、悪と偽は影である。故に悪は、悪に、偽は偽に働き得るのみ。
影なるが故に悪は善に、偽は真に働き得ない。悪の働きうる真は、真実の真ではない。悪は総てを自らつくり得、生み得るものと信じている。善は総てが神から流れ来たり、自らは何ものをもつくり得ぬと信じている。故に、悪は本来の力なく、影に過ぎない。善は無限の力をうけるが故に、益益弥栄する』 日月神示
「故に悪は、悪に、偽は偽に働き得るのみ。
影なるが故に悪は善に、偽は真に働き得ない。悪の働きうる真は、真実の真ではない。」
個人的解釈。
マーヤは、マーヤにしか働かない。
マーヤであるがゆえに、マーヤは神に働き得ない。
マーヤの働きかけうる「自己」は、本当の「自己」ではない。
リトの時のI先生の言葉。
『俺からするとすっごい愛を感じるね。ものすごい愛を感じるよね。
オヤジは黙ってるけど、おふくろはうるせえみたいなw
でもお袋がうるせえには訳があるみたいなね、そういうところなんだよ。
お前らヤラれてるんだぞっていうのを、やられさせることによってわからせるっていうね。だってそれしかわかる方法がないんだもん、他に。てっとり早くさ。』
マーヤにやられることで、ぞのやられてる自分がマーヤの自分であることがわかる・・・ということ?
つまり、やられないと、いつまでも「偽我」のままでOKということになってしまう。
あぁ〜(><;
例えば、学歴偏重という固定観念が自分の中にマーヤとしてあるとすると、
自分より低学歴の人には優越感を感じ、高学歴の人には劣等感を感じる。
しかし、固定観念がなくなるなら、優越感を感じることもない代わり、苦しむこともない。
そういうようなことかな・・・。
悪は総てを自らつくり得、生み得るものと信じている。
マーヤは、すべて自分の意志次第で生じさせることが出来ると信じること。
善は総てが神から流れ来たり、自らは何ものをもつくり得ぬと信じている。
智とは、すべて、神がおこなっていると知ること。
ネオは、エージェントスミスに
「お前は間違っていなかった」と言う。
知りたい部分と知りたくない部分、神に近付きたい部分と近付きたくない部分。
どちらも自分の中にある。
この二つの極の現象化が、個人の内でも、全体的にも進行すると言うのが
日月神示や、ビュレント・ラウフ(ラストバリアのハミッド)、ヒトラーの予言wなどで言われてることのようだ。
ルーツも文化も違う場所で同じような未来図が語られているのは興味深い。
ただこれらの予言はすべて、文字通りに解釈するというよりは、すべてが部分的な真実を伝えていると考えるほうが良いように思える。特にアドルフ・ヒトラーの予言とかは・・・。
「二極化」。こういうことを書くと黙示録的なハルマゲドン幻想や、カルト的な善悪分割論と勘違いされてしまうかもしれないが、そうではなく、これは宇宙からのエネルギーによって起こる、一種の自然法則だと思うのである。そのエネルギーが強くなって、神とマーヤとの、「なあなあ関係」が利かなくなっているのではないだろうか。
神を受け入れてなければ、その宇宙エネルギー(かなんか知らないが)によってどんどん噴出するカルマ的現象(内面のモノも含む)に心身をそのまま持っていかれてしまいかねない。
このように、「現象に神のサインを見る」とか「すべてを受け入れる」という方向性があるか、ないかだけでも、エネルギーの影響と、それに伴うカルマの噴出によって二極化してしまうのではないだろうか。
しかし、そのカルマ的現象が目覚まし時計の役割もしているのだろうけど。そう考える視点が重要になってくると思える。
僕は去年のリトリートに参加してから、マーヤがあまりない時と、普通にマーヤな時のギャップに、単に躁鬱病になったのではないかと思うこともある。
感じがいい時は、もう「上がり」か?と思うがそのあと確実にまた落ちる。
正直、このアップダウンがきつく思えるときもあるが、当分はこれが続くのだろう。
光と影はめまぐるしく変わる。
影なるが故に悪は善に、偽は真に働き得ない。悪の働きうる真は、真実の真ではない。悪は総てを自らつくり得、生み得るものと信じている。善は総てが神から流れ来たり、自らは何ものをもつくり得ぬと信じている。故に、悪は本来の力なく、影に過ぎない。善は無限の力をうけるが故に、益益弥栄する』 日月神示
「故に悪は、悪に、偽は偽に働き得るのみ。
影なるが故に悪は善に、偽は真に働き得ない。悪の働きうる真は、真実の真ではない。」
個人的解釈。
マーヤは、マーヤにしか働かない。
マーヤであるがゆえに、マーヤは神に働き得ない。
マーヤの働きかけうる「自己」は、本当の「自己」ではない。
リトの時のI先生の言葉。
『俺からするとすっごい愛を感じるね。ものすごい愛を感じるよね。
オヤジは黙ってるけど、おふくろはうるせえみたいなw
でもお袋がうるせえには訳があるみたいなね、そういうところなんだよ。
お前らヤラれてるんだぞっていうのを、やられさせることによってわからせるっていうね。だってそれしかわかる方法がないんだもん、他に。てっとり早くさ。』
マーヤにやられることで、ぞのやられてる自分がマーヤの自分であることがわかる・・・ということ?
つまり、やられないと、いつまでも「偽我」のままでOKということになってしまう。
あぁ〜(><;
例えば、学歴偏重という固定観念が自分の中にマーヤとしてあるとすると、
自分より低学歴の人には優越感を感じ、高学歴の人には劣等感を感じる。
しかし、固定観念がなくなるなら、優越感を感じることもない代わり、苦しむこともない。
そういうようなことかな・・・。
悪は総てを自らつくり得、生み得るものと信じている。
マーヤは、すべて自分の意志次第で生じさせることが出来ると信じること。
善は総てが神から流れ来たり、自らは何ものをもつくり得ぬと信じている。
智とは、すべて、神がおこなっていると知ること。
ネオは、エージェントスミスに
「お前は間違っていなかった」と言う。
知りたい部分と知りたくない部分、神に近付きたい部分と近付きたくない部分。
どちらも自分の中にある。
この二つの極の現象化が、個人の内でも、全体的にも進行すると言うのが
日月神示や、ビュレント・ラウフ(ラストバリアのハミッド)、ヒトラーの予言wなどで言われてることのようだ。
ルーツも文化も違う場所で同じような未来図が語られているのは興味深い。
ただこれらの予言はすべて、文字通りに解釈するというよりは、すべてが部分的な真実を伝えていると考えるほうが良いように思える。特にアドルフ・ヒトラーの予言とかは・・・。
「二極化」。こういうことを書くと黙示録的なハルマゲドン幻想や、カルト的な善悪分割論と勘違いされてしまうかもしれないが、そうではなく、これは宇宙からのエネルギーによって起こる、一種の自然法則だと思うのである。そのエネルギーが強くなって、神とマーヤとの、「なあなあ関係」が利かなくなっているのではないだろうか。
神を受け入れてなければ、その宇宙エネルギー(かなんか知らないが)によってどんどん噴出するカルマ的現象(内面のモノも含む)に心身をそのまま持っていかれてしまいかねない。
このように、「現象に神のサインを見る」とか「すべてを受け入れる」という方向性があるか、ないかだけでも、エネルギーの影響と、それに伴うカルマの噴出によって二極化してしまうのではないだろうか。
しかし、そのカルマ的現象が目覚まし時計の役割もしているのだろうけど。そう考える視点が重要になってくると思える。
僕は去年のリトリートに参加してから、マーヤがあまりない時と、普通にマーヤな時のギャップに、単に躁鬱病になったのではないかと思うこともある。
感じがいい時は、もう「上がり」か?と思うがそのあと確実にまた落ちる。
正直、このアップダウンがきつく思えるときもあるが、当分はこれが続くのだろう。
光と影はめまぐるしく変わる。
『日月神示』、抜粋
「この道に入って始めの間は、かえって損したり馬鹿みたりするぞ。それはメグリ取って頂いているのぞ。それが済めば苦しくても何処かに光見出すぞ。おかげのはじめ。次に自信ついてくるぞ。胴がすわってくるぞ。心が勇んできたら、おかげ大きく光り出したのぢゃ」
「これと信じたらまかせ切れよ。損もよいぞ、病気もよいぞ、怪我もよいぞ。それによってメグリとって頂くのぞ。メグリなくなれば日本晴れぞ。今がその借銭済ましぞ」
「この神のもとへ来て信心さえしていたらよいことあるように思うているが、大間違いざぞ。この方のもとへ参りて先ず借銭なしに借銭払いして下されよ。苦しいこと出来てくるのがご神徳ぞ。この方のもとへ来て悪くなったという人民遠慮いらん。帰りてくれよ。そんな軽い信心は信心でないぞ。結構な苦しみが判らん臣民一人も要らんのぞ。シカと褌しめてついて御座れよ。この方悪神とも見えると申してあろうがな」
「神示がはらに入って血になると、何が起こって来ても結構であるが、始めのうちは、ちょっとのことで迷いの雲が出て悪の虜となって苦しむぞ、悪はないのであるが、無い悪を人民の心から生むのざぞ。悪の虜となって苦しむが見えているから、苦も結構なれど要らん苦は要らんぞ。神示よく読んで苦を楽とせよ」
「この道に入ると、損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくあるなれど、それは大難を小難にし、またメグリが一時に出て来て、その借銭済ましをさせられているのぢゃ。借りたものは返さねばならん道理ぢゃ。損もよい、病気もよいぞと申してあろうが。此処の道理も弁えず理屈申しているが、そんな人民の機嫌とりする暇はなくなったから、早う神心になって下されよ」
「メグリ」とはネガティブカルマのことのようだ。
悪いことがあって、「カルマが取れてよかったね」というのはどこかの宗教団体のようで嫌だがw、悪いことがいいことだという発想が無いために、さらにもがきにもがいて混乱を深めるというのが僕らの陥りがちなパターンであるので、「メグリとって頂いている」と言う発想はよいと思う。
この神示は非常に思い当たるところがある文章で、今から思い返せば、ああ、あれはもしかするとそうだったのか・・・と思い当たる現象がたくさんある。
自分のつくったネガティブカルマが、「これを見よ!」というくらいに非常にわかりやすい形で、倍返しされたこともあり、神様は全部見ているということを痛感したこともあった。ちょっと恥ずかしい出来事でもあるけど、いつか書いてみたい。
その時はまるで弄ばれてるような気がしたのだが、
ネガティブカルマがすぐに帰ってくるのは、神様の厚意であるようなので、ああ愛してもらっているな〜と思い込むことにしている。
しかし、神様はネガティブカルマを用いて、人を呼ぶというのがよくあるパターンであるとも思うので、そういう場合はあとから振り返るとそれはネガティブカルマとは言えなくなって来る。
「神示」によると、三千世界の立替え・建て直しの前に、人間のカルマがすべて現象化するということである。僕は「アセンション」「ミロクの世」のような物質世界とアストラル界がひとつになるようなことが本当に起こり得るのか半信半疑だが、世界の動きを見ると「カルマの総決算」については確実に動き出しているような気がして仕方ない。
しかし、それも地球や世界を一個人と考えるなら、神様の愛の現われだと言えるのだろうか。
人が神に向かう(呼ばれる)ときがあるように、地球と言う惑星や、人間と言う種全体が神に向かう(呼ばれる)ときがあるのかもしれない。
呼ばれた人にメグリの返済が始まるのなら、呼ばれた惑星、人と言う種全体にもメグリの返済があるのだろうか。
穏やかにメグリの掃除が終わりますように。
「この道に入って始めの間は、かえって損したり馬鹿みたりするぞ。それはメグリ取って頂いているのぞ。それが済めば苦しくても何処かに光見出すぞ。おかげのはじめ。次に自信ついてくるぞ。胴がすわってくるぞ。心が勇んできたら、おかげ大きく光り出したのぢゃ」
「これと信じたらまかせ切れよ。損もよいぞ、病気もよいぞ、怪我もよいぞ。それによってメグリとって頂くのぞ。メグリなくなれば日本晴れぞ。今がその借銭済ましぞ」
「この神のもとへ来て信心さえしていたらよいことあるように思うているが、大間違いざぞ。この方のもとへ参りて先ず借銭なしに借銭払いして下されよ。苦しいこと出来てくるのがご神徳ぞ。この方のもとへ来て悪くなったという人民遠慮いらん。帰りてくれよ。そんな軽い信心は信心でないぞ。結構な苦しみが判らん臣民一人も要らんのぞ。シカと褌しめてついて御座れよ。この方悪神とも見えると申してあろうがな」
「神示がはらに入って血になると、何が起こって来ても結構であるが、始めのうちは、ちょっとのことで迷いの雲が出て悪の虜となって苦しむぞ、悪はないのであるが、無い悪を人民の心から生むのざぞ。悪の虜となって苦しむが見えているから、苦も結構なれど要らん苦は要らんぞ。神示よく読んで苦を楽とせよ」
「この道に入ると、損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくあるなれど、それは大難を小難にし、またメグリが一時に出て来て、その借銭済ましをさせられているのぢゃ。借りたものは返さねばならん道理ぢゃ。損もよい、病気もよいぞと申してあろうが。此処の道理も弁えず理屈申しているが、そんな人民の機嫌とりする暇はなくなったから、早う神心になって下されよ」
「メグリ」とはネガティブカルマのことのようだ。
悪いことがあって、「カルマが取れてよかったね」というのはどこかの宗教団体のようで嫌だがw、悪いことがいいことだという発想が無いために、さらにもがきにもがいて混乱を深めるというのが僕らの陥りがちなパターンであるので、「メグリとって頂いている」と言う発想はよいと思う。
この神示は非常に思い当たるところがある文章で、今から思い返せば、ああ、あれはもしかするとそうだったのか・・・と思い当たる現象がたくさんある。
自分のつくったネガティブカルマが、「これを見よ!」というくらいに非常にわかりやすい形で、倍返しされたこともあり、神様は全部見ているということを痛感したこともあった。ちょっと恥ずかしい出来事でもあるけど、いつか書いてみたい。
その時はまるで弄ばれてるような気がしたのだが、
ネガティブカルマがすぐに帰ってくるのは、神様の厚意であるようなので、ああ愛してもらっているな〜と思い込むことにしている。
しかし、神様はネガティブカルマを用いて、人を呼ぶというのがよくあるパターンであるとも思うので、そういう場合はあとから振り返るとそれはネガティブカルマとは言えなくなって来る。
「神示」によると、三千世界の立替え・建て直しの前に、人間のカルマがすべて現象化するということである。僕は「アセンション」「ミロクの世」のような物質世界とアストラル界がひとつになるようなことが本当に起こり得るのか半信半疑だが、世界の動きを見ると「カルマの総決算」については確実に動き出しているような気がして仕方ない。
しかし、それも地球や世界を一個人と考えるなら、神様の愛の現われだと言えるのだろうか。
人が神に向かう(呼ばれる)ときがあるように、地球と言う惑星や、人間と言う種全体が神に向かう(呼ばれる)ときがあるのかもしれない。
呼ばれた人にメグリの返済が始まるのなら、呼ばれた惑星、人と言う種全体にもメグリの返済があるのだろうか。
穏やかにメグリの掃除が終わりますように。
『左は火ぞ、右は水ざぞ、ヒツキ(丸にチョンのマーク)の神、ウズの神(渦巻き螺旋マーク)ぞ、日の神と月の神ざぞ、日の神ばかり拝んで月の神忘れてはならんぞ、人にじきじき恵み下さるのはウズの神、月神ぞ、ぢゃと申して日の神おろそかにするでないぞ、水は身を護る神ざぞ、火は魂護る神ざぞ、火と水とで組み組みて人ぞ、身は水で出来ているぞ、火の魂入れてあるのざぞ、国土も同様ぞ、ウズ海の御用大切ざぞ』
日月神示 『日の出の巻』
日月神示の文章を呼んでると、少しぼーっとする。
美しい感じがする。腑に落ちるというか、心にすっと入ってくる(そうでないセンテンスもあるけど)
さてここで、日の神、月の神と書かれているのは、明らかにただ天体の神様のことであるとは思われない。もっと根源的な陰と陽を、日、月という言葉において置き換えているように感じられる。
結局コレは、プルシャとプラクリティ、シヴァとカーリ、パパとママではないのか。
『人にじきじき恵み下さるのはウズの神、月神ぞ』
人を救済するべく直接動いているのは、母神様であると言われている。
ウズの神、月神というのは『母』のことを言っているのではないか。
『身は水で出来ているぞ、火の魂入れてあるのざぞ』
肉体は、『母』の顕現した姿で、聖母マリアでもある。
それはそのうちにキリスト意識をはらんでいる。
人は神の宮、肉体は子『宮』。
ウズ(らせん)は現象世界の根本イメージ
『上弦の月をかじる獅子』ではないが
DNA、原子、恒星系、台風、アンモナイト、クンダリーニ・・・何もかも渦を巻いている。
マーヤとはぐるぐる回るもの
だからウズの神は、現象世界の大元→『母』
神→火水(カミ)
火と水
火は、霊(ヒ) 水は身(ミ)
KAMIとMAYA
日月神示 『日の出の巻』
日月神示の文章を呼んでると、少しぼーっとする。
美しい感じがする。腑に落ちるというか、心にすっと入ってくる(そうでないセンテンスもあるけど)
さてここで、日の神、月の神と書かれているのは、明らかにただ天体の神様のことであるとは思われない。もっと根源的な陰と陽を、日、月という言葉において置き換えているように感じられる。
結局コレは、プルシャとプラクリティ、シヴァとカーリ、パパとママではないのか。
『人にじきじき恵み下さるのはウズの神、月神ぞ』
人を救済するべく直接動いているのは、母神様であると言われている。
ウズの神、月神というのは『母』のことを言っているのではないか。
『身は水で出来ているぞ、火の魂入れてあるのざぞ』
肉体は、『母』の顕現した姿で、聖母マリアでもある。
それはそのうちにキリスト意識をはらんでいる。
人は神の宮、肉体は子『宮』。
ウズ(らせん)は現象世界の根本イメージ
『上弦の月をかじる獅子』ではないが
DNA、原子、恒星系、台風、アンモナイト、クンダリーニ・・・何もかも渦を巻いている。
マーヤとはぐるぐる回るもの
だからウズの神は、現象世界の大元→『母』
神→火水(カミ)
火と水
火は、霊(ヒ) 水は身(ミ)
KAMIとMAYA
神は、僕らの意志を通じて働く。
それを信じることは美しい。
時には間違えるかもしれない。
でも、それも美しい。
捧げられた想い、行為なら。
最高の幸せへとつながる道を歩いている。
その道が断崖で終わっていても、信じていればれば、きっと虚空へ飛べる。
そしてそこに道ができる。
信あれば
道は終わらない。
道は続いていく。
道ができていく。
それを信じることは美しい。
時には間違えるかもしれない。
でも、それも美しい。
捧げられた想い、行為なら。
最高の幸せへとつながる道を歩いている。
その道が断崖で終わっていても、信じていればれば、きっと虚空へ飛べる。
そしてそこに道ができる。
信あれば
道は終わらない。
道は続いていく。
道ができていく。
最近のマーヤリンク
金星→空海はじめ多くの宗教家に特別視されていた星。
アセンション信者の人にとっては、すでに次元上昇をはたした惑星とされる。
サナート・クマラ→650万年前に金星から鞍馬寺に降臨し、以後、地下世界において
人類を導いているとされる神格。鞍馬寺では「魔王尊」であり、大地の支配者。
シャンバラ→金星より下ったサナート・クマラが統治するとされる、伝説の地下世界
庚申塚→見猿・聞か猿・言わ猿
なんで猿?なにを見ず、聴かず、言わないのか?
サルタヒコ→サナート・クマラ、国常立尊と同一?
国常立尊→丑寅の金神と同一?神名の「クニノトコタチ」は、国の床(とこ、土台、大地)の出現を表すとする説あり。サナートクマラ(魔王尊、大地の王)と類似。
艮の金神→北東の方位神。一般に凶方位、祟り神とされてきたが、大本教などにおいて、世の建て直しの時に動く神と位置づけられ、「復権」する。国常立尊と同一?
日月神示→千葉の麻賀多神社において岡本天明に降りた、国常立尊が記したとされる。
やがて来る、「三千世界の大洗濯」を説く。
富士→世の建て直しの直前に富士が動く(火を噴く)(日月神示)
サナート・クマラのエネルギーとつながる場所という説
『富士は晴れたり 日本晴れ 神の国の まことの神の力をあらわす代となれる』
『日月神示』には、「三千世界の大洗濯」ののち、「人は半霊半物質の肉体となる」や「原子の構造までみな変わる」と言った記述があり、一部のアセンション論と酷似している。
また聖書の黙示録や、ホピ族の予言、その他、古い世界の終焉と新しい世界の始まりを暗示する予言体系と親近性を持つように見える。「神示」の中にも日本以外の国にもそれとわかるように、これから起こる出来事を知らせてある、という言葉がある。
怖い部分もあるが、なにか大きな存在の愛を感じさせるような内容だった。
また機会があれば、詳しく読んで見たい。
金星→空海はじめ多くの宗教家に特別視されていた星。
アセンション信者の人にとっては、すでに次元上昇をはたした惑星とされる。
サナート・クマラ→650万年前に金星から鞍馬寺に降臨し、以後、地下世界において
人類を導いているとされる神格。鞍馬寺では「魔王尊」であり、大地の支配者。
シャンバラ→金星より下ったサナート・クマラが統治するとされる、伝説の地下世界
庚申塚→見猿・聞か猿・言わ猿
なんで猿?なにを見ず、聴かず、言わないのか?
サルタヒコ→サナート・クマラ、国常立尊と同一?
国常立尊→丑寅の金神と同一?神名の「クニノトコタチ」は、国の床(とこ、土台、大地)の出現を表すとする説あり。サナートクマラ(魔王尊、大地の王)と類似。
艮の金神→北東の方位神。一般に凶方位、祟り神とされてきたが、大本教などにおいて、世の建て直しの時に動く神と位置づけられ、「復権」する。国常立尊と同一?
日月神示→千葉の麻賀多神社において岡本天明に降りた、国常立尊が記したとされる。
やがて来る、「三千世界の大洗濯」を説く。
富士→世の建て直しの直前に富士が動く(火を噴く)(日月神示)
サナート・クマラのエネルギーとつながる場所という説
『富士は晴れたり 日本晴れ 神の国の まことの神の力をあらわす代となれる』
『日月神示』には、「三千世界の大洗濯」ののち、「人は半霊半物質の肉体となる」や「原子の構造までみな変わる」と言った記述があり、一部のアセンション論と酷似している。
また聖書の黙示録や、ホピ族の予言、その他、古い世界の終焉と新しい世界の始まりを暗示する予言体系と親近性を持つように見える。「神示」の中にも日本以外の国にもそれとわかるように、これから起こる出来事を知らせてある、という言葉がある。
怖い部分もあるが、なにか大きな存在の愛を感じさせるような内容だった。
また機会があれば、詳しく読んで見たい。
「正釈 日月神示」中矢伸一 著
『人間心には我があるぞ。神心には我がないぞ。我がなくてはならんぞ、我があってはならんぞ。
我がなくてはならず、あってはならん道理判りたか。
神に融け入れよ。てんし様に融け入れよ。我なくせ、我出せよ』
『他を愛するは真愛ぞ。己のみ愛するは自己愛ぞ。自己愛を排してはならん。
自己愛を拡げて、大きくして真愛と合致させなばならん。
そこに新しき道ひらけるのであるぞ。
自己愛を悪魔と説くは悪魔ぞ。無き悪魔つくり、生み出すでないぞ』
『神は愛と現れ、真と現れるのであるが、その根はよろこびであるぞ。
神の子は皆よろこびぢゃ。よろこびは弥栄ぞ。ぢゃがよろこびにも正流と外流とあるぞ。
間違えてならんぞ。正流の歓喜は愛の善となって現れて、また真の信と現れるぞ。
外流のよろこびは愛の悪となって現れるぞ。いずれも大神の現れであること忘れるなよ』
『光は神から人民に与えられている。光に向かうから照らされる。光は、、真、善、美となり、またその裏の○、偽、悪、醜、憎となり現れるぞ。御用の善となり、御用の悪となる。
悪憎むは外道の善、外道とは上からの光が一度人民界にうつり、人民界の自由に於ける凸凹にうつり、それが再び霊界にうつる。それが幽界と申してあろう。
その幽界から更に人民界にうつったものが外道の善となり、外道の悪となるのざ。
善にも外道あるぞ。心得よ』
『よろこびに入る門は愛からぢゃ。真からぢゃ。二道あるなれど、愛から入るのが入りやすいが、愛からでは誤りやすい。生まれてすぐ歩けるものではないぞ。始めから何もかも出来るものではない。気長に進んで行けよ。』
「日月神示」に関する書籍をちゃんと読むのは初めてだけど、一見矛盾するような両義的な表現が多数あらわれるところがホンモノ臭が漂ってくる。
悪憎むは外道の善・・・以下太字部分は、おお〜と感心してしまった箇所。
読み進めるのが楽しみだ。
日月神示:日月神示(ひつきしんじ)は神典研究家で画家でもあった岡本天明、1897年(明治30年)12月4日–1963年(昭和38年)4月7日に「国常立尊」(別名、国之常立神)と呼ばれている高級神霊より降ろされたとされる神示、神典。
『人間心には我があるぞ。神心には我がないぞ。我がなくてはならんぞ、我があってはならんぞ。
我がなくてはならず、あってはならん道理判りたか。
神に融け入れよ。てんし様に融け入れよ。我なくせ、我出せよ』
『他を愛するは真愛ぞ。己のみ愛するは自己愛ぞ。自己愛を排してはならん。
自己愛を拡げて、大きくして真愛と合致させなばならん。
そこに新しき道ひらけるのであるぞ。
自己愛を悪魔と説くは悪魔ぞ。無き悪魔つくり、生み出すでないぞ』
『神は愛と現れ、真と現れるのであるが、その根はよろこびであるぞ。
神の子は皆よろこびぢゃ。よろこびは弥栄ぞ。ぢゃがよろこびにも正流と外流とあるぞ。
間違えてならんぞ。正流の歓喜は愛の善となって現れて、また真の信と現れるぞ。
外流のよろこびは愛の悪となって現れるぞ。いずれも大神の現れであること忘れるなよ』
『光は神から人民に与えられている。光に向かうから照らされる。光は、、真、善、美となり、またその裏の○、偽、悪、醜、憎となり現れるぞ。御用の善となり、御用の悪となる。
悪憎むは外道の善、外道とは上からの光が一度人民界にうつり、人民界の自由に於ける凸凹にうつり、それが再び霊界にうつる。それが幽界と申してあろう。
その幽界から更に人民界にうつったものが外道の善となり、外道の悪となるのざ。
善にも外道あるぞ。心得よ』
『よろこびに入る門は愛からぢゃ。真からぢゃ。二道あるなれど、愛から入るのが入りやすいが、愛からでは誤りやすい。生まれてすぐ歩けるものではないぞ。始めから何もかも出来るものではない。気長に進んで行けよ。』
「日月神示」に関する書籍をちゃんと読むのは初めてだけど、一見矛盾するような両義的な表現が多数あらわれるところがホンモノ臭が漂ってくる。
悪憎むは外道の善・・・以下太字部分は、おお〜と感心してしまった箇所。
読み進めるのが楽しみだ。
日月神示:日月神示(ひつきしんじ)は神典研究家で画家でもあった岡本天明、1897年(明治30年)12月4日–1963年(昭和38年)4月7日に「国常立尊」(別名、国之常立神)と呼ばれている高級神霊より降ろされたとされる神示、神典。
今日の感想。
頭がクリアだ。わーぉ。
意味もなくなんか、楽しい。
それが
本当に意味がないとわかれば
ネガティブにはならない(なれない)
ネガティブになる時は、ネガティブになることで何か解決を計ろうとしている
しかし、最初からネガティブにならなければ
なにも解決しなくてもよい場合が多い
深刻に解決を計る前に、マーヤを解いてみる。
騒々しさがハートの中の静寂へ溶けて行く感じ
静か
そうなったらもう悩まなくいい
僕の頭はマーヤでいっぱいなので
彼らがいなくなると 妙に静か
自分もいないみたい
頭がクリアだ。わーぉ。
意味もなくなんか、楽しい。
それが
本当に意味がないとわかれば
ネガティブにはならない(なれない)
ネガティブになる時は、ネガティブになることで何か解決を計ろうとしている
しかし、最初からネガティブにならなければ
なにも解決しなくてもよい場合が多い
深刻に解決を計る前に、マーヤを解いてみる。
騒々しさがハートの中の静寂へ溶けて行く感じ
静か
そうなったらもう悩まなくいい
僕の頭はマーヤでいっぱいなので
彼らがいなくなると 妙に静か
自分もいないみたい
願い事がかなうのもいいけど、
願い事がかなわないということも、いい。
そのことが
願い事がかなった場合よりも、大きな恵みをもたたしてくれる。
そのことがわからない僕は
願いを手放せず
願いにしがみつき 満たされない想いに 世界を恨むより他なかった
それも意味があり、仕方ないことで 必要なことだった
その時に味わった悲しみも、孤独も時がたてば味わい深くなっている
そして
今までも これからも
魂の願い事はかない続けている
今日の感想
この宇宙に生きているということはすごいことだ。
誰もがこの唯一無二のステージの上で
かけがえなく、取りかえがきかないそれぞれの配役を演じているという。
すべては神へと目覚めるために
なんてすばらしいことだろう。
コレ、多分、ホントよ。
宇宙に生きているということは、つまり、すべてが完璧ですばらしいという
事実に目覚める運命を課せられているということらしい。
この宇宙に生きているということはすごいことだ。
誰もがこの唯一無二のステージの上で
かけがえなく、取りかえがきかないそれぞれの配役を演じているという。
すべては神へと目覚めるために
なんてすばらしいことだろう。
コレ、多分、ホントよ。
宇宙に生きているということは、つまり、すべてが完璧ですばらしいという
事実に目覚める運命を課せられているということらしい。
今日の感想。
混乱は、MAMAに向かうことで終息する。
たとえば
MAMA、このMAYAの意味を教えてください・・・と言うように。
混乱の中で自己を見失う人がたくさんいることが、悲しい。
僕も何度も見失う。これに終わりはないのかと思う。
何もかもが間違っていると感じることがある。
MAYAに終わりはないのだと思う。
僕は決して抜け出せない。
MAYAとKAMIという考え方すら、もう捨てたくなる。
でも時々訪れる、祝福されたような時間が、僕をKAMIにつなぎとめる。
KAMIが僕をつなぎとめる。
MAMAこのMAYAの意味を教ええください。
混乱の中で
死にたいと思ってたのに、いつのまにか
静かな夜道を歩いている。
その穏やかさはやっぱりKAMI様がくれたものだと思う。
混乱は、MAMAに向かうことで終息する。
たとえば
MAMA、このMAYAの意味を教えてください・・・と言うように。
混乱の中で自己を見失う人がたくさんいることが、悲しい。
僕も何度も見失う。これに終わりはないのかと思う。
何もかもが間違っていると感じることがある。
MAYAに終わりはないのだと思う。
僕は決して抜け出せない。
MAYAとKAMIという考え方すら、もう捨てたくなる。
でも時々訪れる、祝福されたような時間が、僕をKAMIにつなぎとめる。
KAMIが僕をつなぎとめる。
MAMAこのMAYAの意味を教ええください。
混乱の中で
死にたいと思ってたのに、いつのまにか
静かな夜道を歩いている。
その穏やかさはやっぱりKAMI様がくれたものだと思う。
今日の感想。
最終的には、マーヤはKAMI様の助けなしには解けない。
なぜなら、マーヤはみこころでもある。
マーヤは知恵を授けてくれる。
マーヤを引きつけるフックがあることを、マーヤにすることで教えてくれる。
磁石を引っ張って歩けば、砂鉄がくっつく。
生の魚を持って歩けば、猫が寄ってくる。
猫だけを責めるのもおかしいが、
自分を責めるのもおかしい。
どっちも悪くない。
KAMI様の助けがなければ
生の魚を持って歩いていることにさえ気付かないこともあり得る。
そして、猫を責め、自分を責める。
深刻さとは、手に持っている生魚に気付かないことでもある。
にゃー にゃー にゃー
「うわーまた猫がきた!」
「なんで俺には猫ばかっりよってくるんだ、畜生!!死んだほうがましだ」
気付けば、今までやってたことがおかしくて、笑ってしまう。
「そう言えばなんか・・・生臭いと思ってたんだよね」
※注※ 僕は猫大好きですけど
最終的には、マーヤはKAMI様の助けなしには解けない。
なぜなら、マーヤはみこころでもある。
マーヤは知恵を授けてくれる。
マーヤを引きつけるフックがあることを、マーヤにすることで教えてくれる。
磁石を引っ張って歩けば、砂鉄がくっつく。
生の魚を持って歩けば、猫が寄ってくる。
猫だけを責めるのもおかしいが、
自分を責めるのもおかしい。
どっちも悪くない。
KAMI様の助けがなければ
生の魚を持って歩いていることにさえ気付かないこともあり得る。
そして、猫を責め、自分を責める。
深刻さとは、手に持っている生魚に気付かないことでもある。
にゃー にゃー にゃー
「うわーまた猫がきた!」
「なんで俺には猫ばかっりよってくるんだ、畜生!!死んだほうがましだ」
気付けば、今までやってたことがおかしくて、笑ってしまう。
「そう言えばなんか・・・生臭いと思ってたんだよね」
※注※ 僕は猫大好きですけど

