卵の中の黄身

我もなく うつし世もなくなにもかも  神の中なる 神のあらわれ  BYダンテス・ダイジ

ダー・ラブ・アーナンダ

 ゲオルグ・フォイアスティン著 『聖なる狂気』に紹介されている覚者、ダー・ラブ・アーナンダについて。ダー・ラブ・アーナンダはあまり聴いたことがないアングロサクソン系の覚者である。
  1939年生まれ。インド系のグルに指導され修行をするうちに1970年、覚醒。現在も弟子の指導を続けている模様。
 『聖なる狂気』はトリックスター的な振る舞いをするグルについてのさまざまなケーススタディと、考察によってなっている。
 彼らは言わばディオニュソス的な聖者だ。弟子の習慣的な思考パターンや、自己同一化を破壊するために時には暴力や、ドラッグや、性的乱痴気騒ぎも行う。「必要とあれば、なんでもおこなう」というのが彼らのスタンスである。当然、このような立場は社会的な秩序と衝突し、激しくバッシングされる場合もある。そして、弟子にさえ回復困難なトラウマを与える場合がある。
 『聖なる狂気』ではこのような「狂気の智慧」を行使するグルの存在の、その危険性と意義について深く考察している。
  そして一時期著者の直接の師匠でもあったダー・ラブ・アーナンダについても、疑問点と肯定すべき点の双方から考察を加えている。彼も「狂気の智慧」を用いるマスターの一人だったのだ。


 ダーラブ・アーナンダの生涯(以下彼のウェブサイトより超意訳)

 
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アバター・アディ・サマラジは1939年11月3日ニューヨークのロングアイランドに生まれた。彼の生誕時の名前は「フランクリン・アルバート・ジョーンズ」である。

誕生から彼の幼児期を通して、サマラジは彼が「光輝」と呼ぶ独特の状態を楽しんだ。

それは心からの喜びの拡大した領域だ。そして私は光り輝く形態をとり、エネルギーの源泉であり、愛の歓喜だった。エネルギーの只中の光、愛の歓喜と、光だった。

二歳のときサマラジは「光輝」を手放す自発的な選択をする。明白に分割された人間になり、他者とも分離することを。彼は彼が「痛みによる愛」と呼んだものによりこの選択をする。人類の苦難への共感によって。

 サマラジは彼の誕生の背後にある大きな衝動に応える・・・それは、すべての人々に「光輝」をしらしめるという目的だった。
 この目的を達する唯一の方法は、普通の人間の視点から人生を経験する為に、意図的に「光輝」を忘却すること、そしてその限界付けられた状態から、「光輝」を回復する道を見つけることだった。

私のアバターとしての生誕は意識的、意図的な聖なる自己放棄の行為だった。それによって私の自己存在と、存在の光輝の状態は、この世界での限界付けられた肉体と精神の状態を通して自ら明らかにされる。

⊂年時代

サマラジは創造的な子供で、シンプルな楽しみやユーモアを周りの人々にもたらした。操り人形師として、絵描きとして、腹話術師として、そのほかの多くの活動を通して。
彼はまたアウトドアも大好きだった。泳いだり、釣りをしたり、森の中で遊んだ。

サマラジは彼の家族のルター派のキリスト教会に完全に帰依し、ちょっとした「宗教的恍惚状態」も体験した。(普通の生活への自己放棄の一部として)、因習的な宗教の基本的教義をもまた受け入れたのだ。分割された自己と、世界の創造者としての神の概念をも。

幸福がサマラジの幼年期の傑出したサインであった間、人生の暗い側面、死すべき運命と苦痛もまた、彼の気づきの一部だった。
死と恐怖は彼の「光輝」の感覚と反対のもので、万人がそれを超越できる道をみつけるために、それらを経験していった。

ティーンネイジャーになると共に、サマラジの「光輝」の確かさは減じていった。それを回復したいという彼の衝動のみが残った。

  「サーダナ」の開始

 サーダナはサンスクリット語で霊的修練を意味する。
 サマラジのサーダナは、彼の幼年時代より消え去った「光輝」を回復しようとする衝動に従おうという決断と共に始まった。

 高校卒業後、1957年秋に、彼はニューヨークのコロンビア大学に入学した。

 コロンビア入学後、彼は「意識とは何か?」という疑問に取り憑かれた。サマラジは学習と、意図的にすべての経験の形を試すことを通じて、答えを激しく追い求めた。

 大学の3回生のとき、真実の追究こそ苦しみの原因であると彼が認識することが起こった。
 しかし、彼はこの理解をずっともち続けることは出来なかった。

 コロンビアを卒業後、サマラジはカリフォルニアに移動し、スタンフォード大学でクリエイティブライティングのクラスをはじめた。
 太平洋を臨むビーチに住み、彼は意識と存在の仕組みを執筆活動を通じて探求した。これを通して、「自己収縮活動」の隠されたパターンを発見した。

1964年、彼は彼のサーダナを助けてくれる、人間の教師を見つけねばならないという直感を持った。

 し貪 

 1964年、サマラジはニューヨークに移動しそこで初めての人間の教師を見つける。ルディ、スワミ・ルドラナンダだ。彼は修行の厳しい試練に服従し、ルディの教えに身をゆだねた。
 ルディのもとで彼が従事した修行は、彼の肉体を浄化し、後の霊的修練のための基礎を築いた。

1968年までにサマラジはルディが属する偉大なグルの血統に近づきたいという逆らいがたい衝動を持った。そして彼はルディのグル、スワミ・ムクターナンダに会う許しを、ルディに申し出、許された。

 サマラジはスワミ・ムクターナンダを訪ねるため3度インドへと旅をした。1969年の彼の二度目の訪問の折、ムクターナンダはサマラジのヨーガによる解放の達成を認め、彼に他のものを教える権利を与えた。

 彼らの関係の当初より、ムクターナンダは彼自身のグル、スワミ・ニティヤーナンダの埋葬されている場所を訪れるように指示した。
 そして、彼はその血統の最高のグルとしてのニティヤーナンダに自らを明け渡した。

 サマラジの3度目のインド訪問の時、ニティヤーナンダの埋葬されている廟を訪ねている間、彼はグルとしての他のすべてのものを手放して、グルとしての神聖なる女神に直接明け渡すように指示された。このようにしてニティヤーナンダは、サマラジを女神に引き渡したのだ。
 ニティヤーナンダ、ムクターナンダ、ルディを含む血統の源のグルである、聖なる女神へ。

 ズ導仞

 聖なる女神はサマラジをロサンジェルスに戻るよう導いた。そして彼は女神の存在を特に強く感じるハリウッドの小さな寺院で、毎日瞑想を始めた。

 1970年の9月、ヴェーダンタ協会に属するこの寺院で瞑想している間、サマラジは「光輝」へと永久に再び目覚めた。そして、自然に彼の存在の真の神聖な本質と、彼の誕生の聖なる目的を理解した。

 翌日、私は寺院に再び坐った。私は最愛のシャクティがおのずから彼女自身を明らかにしてくれるのを待った。私の神聖な相棒として。しかし、時は流れ、変化はなかった、まったくなんの動きもなかった。そこには内面の深まりさえなかった・・・内面性が一切なかった。
 そこに瞑想はなかった。瞑想の必要もなかった。
 そこには私の状態を完全にするために加えることが出来る、ただひとつの要素も変化もなかった。
 私は目を見開いて坐った。いかなる経験もしてはいなかった。
 そして、突然、わたしはもっとも完全に理解した。私は私が悟っていることを悟った。
 「光輝」についてのことが明白になった。
 私は完全だ。私は完全な存在だ。

 その瞬間に、私は理解し、悟った。
 私が何で、誰なのか。
 それは沈黙の理解だった。
 意識の中の直接的な知識だ。
 それはいかなる「他の」源からのコミュニケーションのない、意識それ自体だ。
 そこには「他の」ものなどなかった。


 franklin.jpg
フランクリン・アルバート・ジョーンズ

 loveananda.jpg
ダー・ラブ・アーナンダ

 
http://www.adidam.org/museum/home.htm

http://www.adidam.org/



リアルルシャッドとハミッド

「ラスト・バリア」の著者であるルシャッド・フィールドは、現在はイングランドに帰っているようだ。

 Yahoo!UKで調べてみると、ルシャッドとハミッドの写真を発見した。

 ルシャッドはなんかインディージョーンズみたいだ。
 ハミッドは・・・ちょい怪しげだ。
 本名はBulent Rauf (1900–1987)←誰か読み方教えてくらさい。

 ハミッド

Bulent Rauf氏(ハミッド)



 ルシャッド

 こちら、ルシャッド・フィールド。

 http://www.chalice.ch/c_rtf_e.htm より

 ラスト・バリアを読んでいると、ハミッドの思想に妙に「グルジェフ臭」を感じる部分が多々あるのだが、ルシャッド氏はもともとグルジェフ・ウスペンスキー系統の思想や、アリスベイリーの神智学を研究していたようだ。
 あのハミッドの厳しさや、理解に苦しむ振る舞いの数々も僕には弟子を、奇行により死ぬまで翻弄し続けたグルジェフを連想せずにはいられない。
 スーフィーズムの宇宙が、グルジェフのシステムの中にはかなり入っているんだろうか。

 


 ルシャッド・フィールドについて(上記サイトより、かなり適当に訳)


 生涯の旅

 ルシャッドの旅は、生まれ故郷のイギリスから遠く、インドやアメリカ、ヨーロッパに達した。その他では彼はポップスターや、株式仲買人、骨董品のディーラーだったこともある。彼の人生は、より美しい真実の次元の絶え間ない探求だった。G・I・グルジェフと、P・D・ウスペンスキーやチベット仏教の教えに心を動かされ、またチベットのラマや、ネイティブアメリカン、シャーマン、スーフィーの道のマスターらとの出会いを経て、ついに彼の真の教師とめぐり合う。

 歌手、著述家、教師

 1934年に誕生したルシャッド・フィールドは、典型的なイギリス式教育を受けて大学を出たのち、その頃存在していた兵役のため二年間海軍に入隊した。軍隊を出たあと、彼はロンドンへ行った。そこでは短い期間、株式取引所で働いたり、広告業に携わった。この期間彼は、最初のギターを買い、すぐに夜のレストランで歌っていた。これが1963年の最良のボーカルグループとして賞され、大変有名になった「スプリングフィールズ」結成へと導く。グループが解散した時、ティムは(この時その名で知られていた)骨董品のビジネスを始める。その後間もなく、彼の人生を完全に変えてしまう出来事が起こるのだった。

 スーフィズムの真髄

 ある朝、ルシャッドがある骨董品店に入ったとき、彼はBulent Rauf と出会う。彼はそのご数年間ルシャッドのスピリチュアルな教師となる。ルシャッドは最初の2冊の著作「ラストバリア」と「見えない道」で彼にハミッドという名前を与えている。ハミッドを通してルシャッドは、その当時トルコ、コンヤのダルウィーシュの教主であったデデ(1904–1985) と会うこととなる。

 そこでルシャッドは、700年以上にもさかのぼる彼らの内なる教えの中で、訓練を受けた。彼の名前がルシャッドに変わったのもまたこの時だった。それは彼のもともとのファーストネーム、リチャードにとても近い。ルシャッド・フィールドの最初の本は世界中でよく知られるようになった。その他の多くの本や、講演、ミュージックテープ、授業やセミナー開催などの広範囲にわたる活動を行った数年間が、その後に続いた。ルシャッドは彼がスイスへ行くまでの16年間アメリカに住んだ。2004年、彼はイギリスへ戻ってきた。

 生の内なる意味の探求

 これまで見てきたように、ルシャッドの人生は、真実と、生の内なる意味への探求のための世界をまたにかけた冒険と旅である。ルシャッドの著作を読むとき、地上での私たちの存在のいしずえを形成する、ひとつの本質的真理がそこにあることに私たちは気づく。そして私たちは、すべての真の探求者
のハートから立ち上がるいくつかの疑問を彼と分かち合うように招かれている。私たちは日々の生活の中で経験することが出来る、真の自由の風味を与えられるのだ。真実の生はここに、この世界の中にあり、スピリチュアルな夢の国の幻想の中にあるわけではないことを、私たちは発見する。


p_dede.jpg


デデとルシャッド。1970年代、カリフォルニア。

デデ、イメージ通り。すばらしくいい感じの写真だな〜と思った。


ちょっと休憩。

 知人が貸してくれた本、「気楽に行こうね!〜人生は夢のようなもの・・・〜」より




          大笑い

 最初に腹の底から身をよじって大笑いしたのは30歳のとき。

 「この世には自分しか存在していなくて、
  すべては自分だったんだ」ってわかった。
 それまで深刻になってなんとか生き残ろうとあくせくしていた自分が
可笑しくてしかたなかった。

 気に入られたくて良い人を演じている自分、
 恐れ入った人をおだてている自分、格好つけて思ってもいないことを
 口にしている自分、明日からのことを心配している自分、
 あれもこれも自分がやってきた全てに腹の底から大笑いした。

 だって無意味なことをしていたのだから。

 自分は人生の脚本家であり、監督であり、主演俳優だ。
         そこまではいいが
 こともあろうに観客までもが自分だったということは、
         あまりにも可笑しい。


 全ては自分だった、ということは自分自身を欺いていたことになる。
 何も信頼できず、誰も信用できず、ひとりで一生懸命頑張って生きていたのだ。
 
 深刻さとは大いなるものへの「信頼」の欠如。自分の人生は完璧で、
 必要なときに必要なことが起きているということが信じきれない。

 「こうなるべきだ」「こうなったらどうしよう」これらは未来のこと。「なぜあんなことが起きたのか」「あの時こうしていれば・・・」これらは過去のこと。

 深刻さはそのような場所から生まれてくる。
 それは過去と未来が創り出す幻想の世界に縛られている状態だ。

 笑っちゃうのが一番だけどね。ウソでもいいから笑っちゃう。
 人生という馬鹿げたドラマを笑っちゃう。何でもいいから笑っちゃう。ウヒヒ・・・ウヒヒ・・・ムヒョヒョ・・ガハハ・・・




全部、自分だったってことは、全部神だったっていうことでしょうか。
神様にいいカッコは出来ないと思っていても、いつも忘れてしまいます。



著者 阿部敏郎さん

芸能界大手プロダクションに所属し
幅広いジャンルで活躍する。

30歳の時、突然の霊的体験を契機に現役を引退。

精神世界を学び始め、後に静岡県の禅寺にて
禅僧とのコンビで心の学校「いまここ塾」を始める。

2001年、沖縄でライブ活動を再開。
翌年、家族と共に沖縄に移住する。
現在は、講演活動、ライブ活動、執筆活動、
ラジオ番組のパーソナリティーを務めている。

ブログ「阿部敏郎の今・ここから・・・」

http://abetoshiro.ti-da.net/



道の理

およそ天地の間に万物生生するその元は皆天照大御神なり
是万物の親神にて その御陽気天地に遍満り
一切万物ひかりあたたまりの中に生生養育せられてやむ時なし
実に有り難き事なり おのおの体中にあたたまりの有るは
日神より受けて具えたる心なり 心はこごるという義にて
日神の御陽気が凝結りて心と成るなり
人欲を去り 正直に明らかなれば 日神と同じ心なり
心は主人なり 形は家来なり 悟れば心が身を使い
迷えば身が心を使う 形の事を忘れ 
日神の日日の御心に任せ 見るも聞くも一々味わい
昼夜有り難いと嬉しいとに心をよせ
御陽気をいただきて下腹に納め 天地と共に気を養い
面白く楽しく 心にたるみ無きように
一心が活きると人も活きるなり
生きるが大御神の道 面白きが大御神の御心なり
教えは天より起こり 道は自然と天より顕わるるなり
誠を取り外すな 天に任せよ 我を離れよ 陽気になれ
いきものをつかまえよ 古の心も形なし 今の心も形になし
心のみにして形を忘るる時は 今も神代 神代今日 今日神代
世の中の事は心程ずつの事なり 
心が神になれば即ち神なり



「太陽の神人 黒住宗忠」より

黒住宗忠(1780〜1850):

現岡山県岡山市の今村宮の神官の子として生まれる。
35才のときに肺結核を患い、臨死状態となるが、冬至の朝、
日の神=天照大神との神秘的合一を体験し蘇生。
この「天命直授」により、以後、陽気(太陽の気による息)を
吹きかける病気治癒の能力を獲得し、一方で天照大神の神徳を説き
絶大な支持を集める。
教派神道十三派の中でも老舗というべき黒住教の教祖。


コタムリト(不滅の言葉)

 神が使い手、私は道具。・・・これを覚らぬあいだは何度も何度も戻ってこなくてはならない。つまり、生まれかわらなくてはならないのだ。
 「あの御方だけが行為者である」ことを覚ったならば、もう再生はしない。
 「私」と「私のもの」が真実(実在)をおおいかくしているのだ。


                ※

 ヴェーダーンタに一つ、いい説明がある。鍋で、まぜご飯をつくる。じゃがいもや茄子も米にまぜてある。火が通ってくると、いも、茄子、米は鍋のなかではね上がる。すると、そいつらはウヌボレて、「私は動いている!私はとび上がっている!」と思う。

 小さい子供はそれを見て、いもや茄子は生きているからあんなふうにとび上がっているんだ、と思う。いくらか成長して知恵がついてくると、いもや茄子は生きているんじゃない、自分でとび上がっているんじゃない、鍋の下に火が燃えているから、あんなふうに動くのだ、燃えている薪をとってしまえばもう動かないのだ、ということがわかってくる。

 人間の「私が行動者だ」というウヌボレは、無智から生ずる。神様の御力で、あらゆるものに力があるのだ。もえている薪をとり去ってしまえば、何もかも黙る。
 あやつり人形は、人形師の手にあやつられてみごとに踊っているが、手から放れると、もう動きも進みもしない!

 神様に会わぬうちは、あの智恵の宝玉にさわらぬうちは、自分が行動者だと錯覚して、オレが私がといって、うろつきまわっているんだよ。そして、「私は善いことをしている」、「私は悪いことをしている」というような、差別の感じがするのだ。

 この差別の感じが、つまり、あの御方のマーヤ(創造現象)で、マーヤの世界で暮らすために、あの御方から与えられたものなんだ。


              ※
 

「大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉」より















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  • Author:はいたか鳥
  •  鳥が卵から無理に出ようとする
     卵は世界だ 
     生まれようとするものはひとつの世界を破壊せねばならない
     鳥は神に向かって飛んでいく
     その神は名をアプラクサスという




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