2006. 06. 22  
 ダイジの肉声テープを聴く事ができた。

 想像のイメージと、実際の声のギャップに幻滅するかとも思ったが、そんなことは全くなかった。
 講話録を文字で読んだら、なにげなく読み飛ばしてしまうような内容も音声で伝わるとよりこころに染み渡る。
 それと同時に音声で言われると、そのことの恐ろしさがじわーっと伝わってくる部分もある。ダイジは言った。

 『一度きりの君たちだ。そして君たちが死んだら、永遠に、永遠に、永遠に、今ある君たちがくり返されることはない。たとえ無限の時間が経ったとしても・・・。』
 
 講和録4の「素直に生きる」のなかで、「すべてが同じに見える」という状態について語っている箇所がある。その部分もテープに入っていたのだが、肉声で聴くとかなり鬼気迫るものがあった。この人は発狂すれすれのような状態を通ってきたんだと感じた。

 『とにかくそれが起こったとき、みんな同じに見える。もう、女も男もない。だって女がいたり、男がいたりしたって少しも意味がないんだもん。もう、優秀も劣等もない。優秀っていうのが意味ないんだもん。そしてそう感じている自分さえ、意味ないんだもん。でも、それは灰色だ。まだ入り口に過ぎない。何故?見てる自分があるから。

 もし、本当にニヒリズムっていうのがあるとしたらね、大抵のニヒリズムはロマンチシズムの一種だ。だけどもし本当にニヒルっていうのがあるとしたら、その灰色の世界、つまりみんな同じに見えちゃうんだよ。

 ただ、見える立場がそこにある。だから灰色なんだ。その時何する?
 やることがないんだ。そん時座るんだ。じゃあ言おう。その時座るって俺は今、ここで言った。だけど、言わなくても座るんだよ。そういう風に出来てるんだよ。俺はどういうわけか知らない。でもそういう風になるんだ。
 万事休す。その時、見ている自分が消える。』

 「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」のなかの公案禅の章で描かれている、ある人の死によって引き起こされたというダイジの精神状態は多分、そのようなものではなかったのだろうか。

 ダイジも、愛と智の人だ。
 リアルな、リアルな人だ。
 僕は何人かの人にそれに似たリアルさを感じてきた。
 一人はHIVに罹った人だった。
 その人は、異様に「生もの」だった。
 そして、I先生もやはり「生もの」に感じられる。
 ダイジの話し声もすごく「生もの」的だ。
 異様に、生きている。
 なにひとつ目を背けていない時、初めて人間としてリアルになれるんだろうか。

 このテープを聴きたい方は、mixiというコミュニティサイトに登録し、ダンテス・ダイジのコミュに入れば、希望することができます。
 講和録とかぶっている内容も多いのですが、初めて聴く内容も多いので、そこらへんはテープ起しして文書化しようかとも思っています。






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はいたか鳥

  • Author:はいたか鳥
  •  Only in silence the word,
     only in dark the light,
     only in dying life :
     bright the hawk's flight on the empty sky


     ことばは沈黙に
    光は闇に
    生は死の中にこそあるものなれ
    飛翔せるタカの
    虚空にこそ輝けるごとくに

    ゲド戦記 エアの創造より


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