黒鉄の巻より 昭和25年
第一帖
汽車あれば汽車に乗れよ。飛行機あれば飛行機に乗れよ。歩いたり、馬で行くのでは間に合わんことになっているぞ。昔のままの宗教のやり方ではならん。根本はよくても中々に目的地にはつかん。飛行機時代には飛行機に乗れよ。乗って進む宗教の道によらねばならん。今は今の姿が真実ぞ。そなたの頭で割り切れんと申してブツブツ申すでないぞ。あるものそのものが真実であるぞ。そのあるものを拝み、祝福して其処から出発せよ。現在を祝福することは過去を、未来を、総てを祝福することぞ。たとへ如何なる現在も、その現在を祝福せねばならん。喜びせねばならん。喜びもとと申してあろうがな。この巻くろかねの巻
第二帖
一切に向かって涙せよ。ざんげせよ。一切を受け入れ、一切を感謝せよ。 一切が自分であるぞ。一切が喜びであるぞ。
第一帖
汽車あれば汽車に乗れよ。飛行機あれば飛行機に乗れよ。歩いたり、馬で行くのでは間に合わんことになっているぞ。昔のままの宗教のやり方ではならん。根本はよくても中々に目的地にはつかん。飛行機時代には飛行機に乗れよ。乗って進む宗教の道によらねばならん。今は今の姿が真実ぞ。そなたの頭で割り切れんと申してブツブツ申すでないぞ。あるものそのものが真実であるぞ。そのあるものを拝み、祝福して其処から出発せよ。現在を祝福することは過去を、未来を、総てを祝福することぞ。たとへ如何なる現在も、その現在を祝福せねばならん。喜びせねばならん。喜びもとと申してあろうがな。この巻くろかねの巻
第二帖
一切に向かって涙せよ。ざんげせよ。一切を受け入れ、一切を感謝せよ。 一切が自分であるぞ。一切が喜びであるぞ。
日月神示・至恩の巻
第一帖
岩戸(言答)ひらきと申してあるが、天は天の、地は地の、人民は人民の、動植物は動植物の、それぞれの岩戸をひらくのであるから、その立場立場によって違ふところがあるぞ、それを自分のものさしで計って、岩戸ひらきとはこんなものぞと定めていると、いよいよ判らん時代となってくるぞ、気つけおくぞ。
第二帖
フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ、神示では012345678910と示し、その裏に109876543210があるぞ、○九十(マコト)の誠であるぞ、合わせて二十二、富士(普字・不二)であるぞ。神示の始めに示してあろう。二二(富士)は晴れたり日本晴ぞ。
第五帖
人民の肉体も心も天地も皆同じ想念によって生まれたのであるぞ。故に同じ型、同じ性を持っているぞ、そのかみの天津神はイザナギ、イザナミの神と現れまし、
成り成りの成りのはてにイザナギ、イザナミの命となり給ひて、先づ国土をつくり固めんとしてオノコロの四音の島をならし八尋殿を見立てられたのであるぞ、これがこの世の元、人民の頭に、東西南北の四方があり、八方と広がるであろうが、八十となり、八百、八千と次々に拡がりて八百万となりなるのである。
第六帖
四と八によってなされたのであるから、森羅万象の悉くがその気を受けているのであるぞ、原子の世界でもそうであろうが、これが今の行き詰まりの原因であるぞ、八では足らん、十でなくてはならん、○でなくてはならんぞ。岩戸ひらきの原因はこれで判ったであろうがな。
第八帖
ナギ、ナミ夫婦神は八分通り国土を生み育てられたが、火の神を生み給ひてナミの神は去りましたのであるぞ。物質偏重の世はやがて去るべき宿命にあるぞ、心得なされよ。ナミの神はやがて九と十の世界に住みつかれたのであるぞ。妻神に去られたナギの神は一人でモノを生むことの無理であることを知り給ひ、妻神を訪れ給ひ、相談されたのであるなれど、話が途中からコヂレて遂に別々に住み給ふ事となり、コトドを見立てられて千引の岩戸をしめ、両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのであるぞ。
第九帖
千引岩をとざすに際して、ナミの神は夫神の治らす国の人民を日に千人喰ひ殺すと申され、ナギの神は日に千五百の産屋を会建てると申されたのであるぞ。これが日本の国の、又地上の別名であるぞ、数をよく極めて下されば判ることぞ、天は二一六、地は一四四と申してあろうが、その後ナギの神様は御一人で神々をはじめ、いろいろなものを生み給ふたのであるぞ、マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理、この道理をよくわきまへなされよ。此処に大きな神秘が隠されている、一神で生む限度は七乃至八である、その上に生まれおかれる神々は皆七乃至八であるが、本来は十全まで拡がるべきものである。或時期迄は八方と九、十の二方に分かれてそれぞれに生長し弥栄し行くのであるぞ。
第十帖
国常立神もスサナルノ命も大国主命も、総て地(智)にゆかりのある神々は皆、九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになっていたのであるぞ、地は智の神が治らすのぞと知らしてあろうが、天運正にめぐり来て、千(智)引きの岩戸(言答)はひらかれて、これら地(智)にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、これが岩戸ひらきの真相であり、誠を知る鍵であるぞ。
第十一帖
いよいよ判らんことが更に判らんことになるぞと申してあるが、ナギの命の治らす国もナミの命の治らす国も、双方からお互に逆の力が押し寄せて交りに交るから、いよいよ判らんことになるのであるぞ。
第十二帖
判らんと申すのは一面しか見えぬことであるぞ、双方を見る目に、早う改心致してくれよ。この白黒まだらな時は長くつづかん、最も苦しいのは一年と半年、半年と一年であるぞ、死んでから又甦られるように死んで下されよ、マコトを心に刻みつけておりて下されよ。
第十三帖
死ぬか生きるかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の悉くが同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。八の世界から十の世界になるのであるから、今迄の八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、十方的想念と肉体でなくてはならんぞ。
第十四帖
八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変わるのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ。今までは時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。今までの岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸(言答)ひらきぢゃ。
第十五帖
神の申すことは一分一厘違んのであるぞ、今度言ふことを聞かねば大変な気の毒となるぞ、地(智)の下になって了ふのであるぞ、12345678の世界が12345678910の世となりて、012345678910の世となるのぢゃ、012345678910がマコトと申してあろうがな。裏表で二十二ぢゃ、二二の五ぢゃ、二二(ふじ)は晴れたり日本晴れぞ、判りたか。
第十六帖
太陽は十の星を従へるぞ、原子も同様であるぞ。物質が変わるのであるぞ、人民の学問や智では判らんことであるから早う改心第一ぞ、二二と申すのは天照大神殿の十種(とくさ)の宝に 、(テン)を入れることであるぞ、これが一厘の仕組。二二となるであろう、これが富士の仕組、七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、なりなりあまるナルトの仕組。富士(不二)と鳴門(成答)の仕組いよいよぞ、これが判りたならば、どんな人民も腰をぬかすぞ。一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、それでは終りは完う出来ん、九分九厘でリンドマリぞ、神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、卍(ぶつ)も十(キリスト)もすっかり助けると申してあろうがな、助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。用意はよいか。このこと大切ごと、気つけおくぞ。なりなりて十とひらき、二十二となるぞ、富士(普字)晴れるぞ、大真理世に出るぞ、新しき太陽が生まれるのであるぞ。
昭和36年9月1日
日月神示・星座の巻
『この巻「星座の巻」偶然と申すのは、宇宙世界、星の世界の必然からのものであって偶然ではないぞ、天に星のある如く地には塩があるのであるぞ、シホ、コオオロコオロにかきならして大地を生みあげた如く、ホシをコオロコオロにかきならして天を生みあげたのであるぞ。天の水、地の水、水の中の天、水の中の地、空は天のみにあるのではないぞ、地の中にもあるのぞ、天にお日さまある如く地中にも火球があるぞと申してろう、同じ名の神二つあるぞ、大切ことぢゃ』
星座の巻 第1帖
『時、時、と申してあるが、時間ではないぞ。神(カミ)、幽身(ガミ)にも聞かせているのぞ。地上人には時間が考えられるなれど、神界には時間がなく、神も霊人も時間は知らないのであるぞ。只よろこびがあるのみぞ。神界で時間と申すのは、ものの連続と変化、状態の弥栄の事であるぞ。トキ待てよ。トキ違えるでないぞ。地上人の時間と区別して考えねばこのふでは解らんぞ。」
第3帖
『人民と申すものは生命が短いから、気が短いから、仕組み少しでもおくれると、この神は駄目ぢゃと、予言が違ったではないかと申すなれど、二度とない大立替であるから少し位のおそし早しはあるぞ、それも人民一人でも多く助けたい神の心からぢゃ。おくれても文句申すが早くなっても文句を申すぞ、判らんと申すものは恐ろしいものであるぞ』
第6帖
『この世をつくった太神の神示ぞ、一分一厘違わんことばかり、後になって気がついても、その時ではおそいおそい、この神は現在も尚、太古を生み、中世を生み、現在を生み、未来を生みつつあるのぞ、この道理わかりて下されよ、世界は進歩し、文明するのでないぞ、呼吸するのみぞ、脈搏するのみぞ、変化するのみぞ、ぐるぐる廻るのみぞ、歓喜弥栄とはこのことぞ。』
星座の巻 第7帖
『人民一度死んで下されよ、死なねば甦られん時となったのぞ、今迄の衣をぬいでくだされともうしてあろう、世がかわるともうしてあろう、地上界の総てが変わるのぞ、人民のみこのままと言うわけには参らぬ、死んで生きて下されよ、タテカヘ、タテナオシ、過去と未来と同時に来て、同じところで一先ず交じり合うのであるから、人民にはガテンゆかん、新しき世となる終りのギリギリの仕上げの様相であるぞ。』
第8帖
『自由も共産も共倒れ、岩戸が開けたのであるから元の元の元のキの道でなくては、タマ(玉)の道でなくては立ちてはいかん、動かん二二(普字・富士)の仕組み、ひらけて渦巻く鳴門ぢゃ。新しき人民の住むところ、霊界と現界の両面をもつ所、この岩戸ひらきて二度とない九十(光透)でひらく仕組み。」
第11帖
『父のみ拝みたたへただけでは足りない、母に抱かれねば、母の乳をいただかねば正しく生長できないのであるぞ。一神として拝んでも足りぬ、二(柱)でも一方的、十万柱としても一方的ぞ、マイナスの神を拝まねばならん、マイナスの神とは母のことぢゃ、天にまします父のみでは足りないぞ、天にあれば必ず地にもあるぞ、一即多即汎、地即天、天即地から表即裏である、マコトを行じて下されよ』 第13帖
『偽の愛、偽の智と申すのは、神を信じない人民の愛と智であることを知れよ、この人民たちは神の声を聞いても聞こえず、神の現われを見ても、見えないのであるぞ、目を閉じ耳にふたしているからぞ、今の人民よ学者よ金持ちよ、早う考え方変えねば間に合わん、心の窓早うひらけよ』
第16帖
『歓喜に裁きのない如く、神には裁きなし。さばき説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となるぞ、戒律や裁きは低い段階、過去の部分的一面に過ぎん、裁きを説くのは自分で自分を裁いていること、人民に罪なし』
第25帖
星座の巻 全二十四帖 昭和三十六年五月十日
星座の巻 第1帖
『時、時、と申してあるが、時間ではないぞ。神(カミ)、幽身(ガミ)にも聞かせているのぞ。地上人には時間が考えられるなれど、神界には時間がなく、神も霊人も時間は知らないのであるぞ。只よろこびがあるのみぞ。神界で時間と申すのは、ものの連続と変化、状態の弥栄の事であるぞ。トキ待てよ。トキ違えるでないぞ。地上人の時間と区別して考えねばこのふでは解らんぞ。」
第3帖
『人民と申すものは生命が短いから、気が短いから、仕組み少しでもおくれると、この神は駄目ぢゃと、予言が違ったではないかと申すなれど、二度とない大立替であるから少し位のおそし早しはあるぞ、それも人民一人でも多く助けたい神の心からぢゃ。おくれても文句申すが早くなっても文句を申すぞ、判らんと申すものは恐ろしいものであるぞ』
第6帖
『この世をつくった太神の神示ぞ、一分一厘違わんことばかり、後になって気がついても、その時ではおそいおそい、この神は現在も尚、太古を生み、中世を生み、現在を生み、未来を生みつつあるのぞ、この道理わかりて下されよ、世界は進歩し、文明するのでないぞ、呼吸するのみぞ、脈搏するのみぞ、変化するのみぞ、ぐるぐる廻るのみぞ、歓喜弥栄とはこのことぞ。』
星座の巻 第7帖
『人民一度死んで下されよ、死なねば甦られん時となったのぞ、今迄の衣をぬいでくだされともうしてあろう、世がかわるともうしてあろう、地上界の総てが変わるのぞ、人民のみこのままと言うわけには参らぬ、死んで生きて下されよ、タテカヘ、タテナオシ、過去と未来と同時に来て、同じところで一先ず交じり合うのであるから、人民にはガテンゆかん、新しき世となる終りのギリギリの仕上げの様相であるぞ。』
第8帖
『自由も共産も共倒れ、岩戸が開けたのであるから元の元の元のキの道でなくては、タマ(玉)の道でなくては立ちてはいかん、動かん二二(普字・富士)の仕組み、ひらけて渦巻く鳴門ぢゃ。新しき人民の住むところ、霊界と現界の両面をもつ所、この岩戸ひらきて二度とない九十(光透)でひらく仕組み。」
第11帖
『父のみ拝みたたへただけでは足りない、母に抱かれねば、母の乳をいただかねば正しく生長できないのであるぞ。一神として拝んでも足りぬ、二(柱)でも一方的、十万柱としても一方的ぞ、マイナスの神を拝まねばならん、マイナスの神とは母のことぢゃ、天にまします父のみでは足りないぞ、天にあれば必ず地にもあるぞ、一即多即汎、地即天、天即地から表即裏である、マコトを行じて下されよ』 第13帖
『偽の愛、偽の智と申すのは、神を信じない人民の愛と智であることを知れよ、この人民たちは神の声を聞いても聞こえず、神の現われを見ても、見えないのであるぞ、目を閉じ耳にふたしているからぞ、今の人民よ学者よ金持ちよ、早う考え方変えねば間に合わん、心の窓早うひらけよ』
第16帖
『歓喜に裁きのない如く、神には裁きなし。さばき説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となるぞ、戒律や裁きは低い段階、過去の部分的一面に過ぎん、裁きを説くのは自分で自分を裁いていること、人民に罪なし』
第25帖
星座の巻 全二十四帖 昭和三十六年五月十日
3419さん、ブログのご紹介ありがとうございました。
リンクに追加させていただきました。
『一二三から未来へ』
http://red.ap.teacup.com/sikisai/
王仁三郎の、わざと騒動を引き受けるような行動も「一厘の仕組み 2」という記事に解説されており、改めて王仁三郎の底知れなさのようなものを感じました。
あ、でも縁のある人のみに配信されたいとのことだったので、こちらでご紹介したのはまずかったでしょうか?もし問題があるようなら消しますので、お手数ですがご一報くださいませ。
以下、私的雑記。
7月も今日で終り。
なんだか今月は変化の情報に振り回されて、記事もかなり書いたが、今の感想は、ツカレタ・・・。
あまりにも多方面にわたって事が起こっているようで、それを統合することなど出来ないし、気が昂ぶって仕方ない。しかし、この一月の記事を自分で読み直してみると、すべてがつながっている。
気持ち悪いほどに。
明らかに、何事かが起こり始めている印象を拭えない。
でもただ情報を追っていても頭がパニックになるだけなので、少しインターバルを置きます。
ネットもあんまり見ないほうがいいんだろうけど、見ちゃいそうだなあ・・・。
8月にも大きな変化がありそう。
光が濃くなれば、影も濃くなると言いますが、
影ではなく、太陽を見ていたいものです。
リンクに追加させていただきました。
『一二三から未来へ』
http://red.ap.teacup.com/sikisai/
王仁三郎の、わざと騒動を引き受けるような行動も「一厘の仕組み 2」という記事に解説されており、改めて王仁三郎の底知れなさのようなものを感じました。
あ、でも縁のある人のみに配信されたいとのことだったので、こちらでご紹介したのはまずかったでしょうか?もし問題があるようなら消しますので、お手数ですがご一報くださいませ。
以下、私的雑記。
7月も今日で終り。
なんだか今月は変化の情報に振り回されて、記事もかなり書いたが、今の感想は、ツカレタ・・・。
あまりにも多方面にわたって事が起こっているようで、それを統合することなど出来ないし、気が昂ぶって仕方ない。しかし、この一月の記事を自分で読み直してみると、すべてがつながっている。
気持ち悪いほどに。
明らかに、何事かが起こり始めている印象を拭えない。
でもただ情報を追っていても頭がパニックになるだけなので、少しインターバルを置きます。
ネットもあんまり見ないほうがいいんだろうけど、見ちゃいそうだなあ・・・。
8月にも大きな変化がありそう。
光が濃くなれば、影も濃くなると言いますが、
影ではなく、太陽を見ていたいものです。
岩戸ひらきの”予兆”
ところで『日月神示』にも宇宙人の存在を語っているようなところがある。
以下の部分だ。
『これまでの改造は膏薬張りざから、すぐ元にかへるのぞ。今度は今までにない、文にも口にも伝えていない改造ざから、臣民界のみでなく神界もひっくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらにござる守護神さまには分からんのぞ、九分九厘までは出来るなれど、ここといふところで、オジヤンになるであろうがな、富や金を返したばかりでは、今度は役に立たんぞ、戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上も潰れるぞ、下も潰れるぞ、つぶす役は誰でもできるが、つくりかためのいよいよのことは、神々様にも分かりてはおらんのざぞ、星の国、星の臣民は今はえらい気張りようで、世界構うように申しているが、星ではダメだぞ、神のお力でないと何も出来はせんぞ。』 天つ巻き 第二帖
星の国、星の臣民??
まさかアメリカ合衆国のことでもないだろう。普通に考えれば、空の星に住んでる人のことになる。
この巻は昭和19年の夏に記されたものだ。
UFOは戦後、1947年のアメリカのケネス・アーノルドの目撃譚によって世界中で話題になったのである。日本でのブームはそれよりもずっと後だろう。それ以前は宇宙人という概念すら普通の人間にはなかったのではないだろうか。
今でこそ、世界的な変化に興味を持ち、多くの星からきた知的生命が地球を観察しているとか、危機になったら助けてくれるとかいう話しもあるが、この頃からすでに「星の臣民」が世界を構っていると書いているのには驚かされる。
以下に「建て替え・岩戸開き」の時に起こると言われる現象について書いてみる。
中には恐ろしいものもある。だが、これらの全てが実現すると考える必要はない。大難を小難にまつりかえることが神々の意志であるとも言うし、だいたいこんなことが全て起こると思っていたら、普通に生きていく気がしなくなってしまう。しかし、なかには部分的にすでに実現していると思われるものもある。
.ルマの噴出
建て替えの前に、すべてのカルマが清算される。
神の規則は怖いぞ、隠し立てはできんぞ、何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんな偉い人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭なしがはじまっているのぞ、済ましたら気楽な世になるのぞ、世界の大晦日ぞ、みそかは闇と決まっているであろうがな。かり返すときつらいなれど、返したあとの晴れた気持ちよいであろうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらへて神の申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方にかえしてくれよ。
∋間(現象)の加速?
この神示言波としてよみて呉れよ、神々様にもきかせて呉れよ、守護神どのにもきかせてくれよ。守護神殿の改心まだまだであるぞ。一日が一年になり百年になると目が廻りて真底からの改心でないとお役に立たんことになりてくるぞ。
食べ物の騒動
今に食い物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ。今度は共食いとなるから、共食いならんから、今から心鍛えて食い物大切にせよ
た世判辰砲錣たれる→さんざん書いたので割愛
ゼ然災害
「外国は龍宮の乙姫様、グレンと引っ繰り返しなさるのざぞ。竜宮の乙姫様、雨の神様の御活動激しきぞ」
「神世のヒミツと知らしてあるが、いよいよとなりたら地震、雷ばかりでないぞ、臣民アフンとして、これは何としたことぞと、口あいたままどうすることも出来んことになるのぞ。四つんばいになりて着る物もなく、獣となりて、這い回る人と、空飛ぶような人と、二つにハッキリわかりて来るぞ、獣は獣の性来いよいよ出すのぞ」
「火と水の災難がどんなに恐ろしいか、大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きてはおれんのざぞ。それが済んでから、御魂磨けた臣民ばかり、神が拾い上げてミロクの世の臣民とするのぞ。どこへ逃げても逃げところないと申してあろがな高いところから水流れるように、時に従いておれよ。いざというときには神が知らして、一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。」
「臣民無理と思うことも無理でないこと沢山にあるのざぞ、神はいよいよの仕組みにかかったと申して
あろがな。こわすのでないぞ、練り直すのざぞ。世界をすり鉢に入れてこね回し、練り直すのざぞ。
日本の中に騒動起こるぞ。神の臣民気つけてくれよ。日本も神と獣にわかれているのざから、
嫌でも応でも騒動となるのざぞ。小さくしたいなれど」
「海が陸になり、陸が海になる」
「地震、雷、火の雨降らして大洗濯するぞ。よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。カミかかりが沢山出て来てわけのわからんことになるから、早くこの道をひらいてくれよ」
「一日に十万、人死に出したら神の世がいよいよ近付いたのざから、よく世界のことを見て皆に知らしてくれよ」
Σ昌狆態≒マインドの停止?
「今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸は開けんぞ。今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ。一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れ替えて、ミロクの世の人民として甦らす仕組み、心得なされよ。神様でさえ、このこと判らん御方あるぞ。大地も転位、天も転位するぞ。」
「 大掃除激しくなると、世界の人民みな、仮死の状態となるのぢゃ。掃除終わってから因縁の身魂のみを神がつまみあげて、息吹き返してミロクの世の人民と致すのぢゃ。」
確かに自然災害も恐ろしいが、この「仮死の状態」というのが前からどうも気になっていた。
最初に思いついたのが、カルキ・バガヴァンの「2012年に地球の自転が停止し、その時に人類が一時的にノーマインドになる」という言葉だった。だからこれも、一種のサマーディーのことかと思ったのだ。だがもしかすると、もっと深い意味があるのかもしれない。先程ブログにいただいたコメントを読んで、そう思った。
一般的にネガティブな予言はそれを変更できるから意味があると言う。
だがもうひとつの意味もあると僕は思う。
それは、それがすべて実現したときにも、希望を失わせないためにある、とも考えられる。
特に「日月神示」のような預言書はそれが言える、ジュセリーノの予言とは質が違う。
これらの一見ネガティブな出来事は、あくまでも巨大な預言体系の中の一部に過ぎない。
ただ、ネガティブな出来事を羅列してもあまり意味がないのだ。
ひたすら暗い気持ちになるだけだ。
しかし「日月神示」の本質は、根本的な大変化と、その意味を教えている。
人は物事の本質的意味がわからないと、目の前の混乱にただ振り回されるだけになりがちだ。
「神示」はその混乱の背後にあるものを教えている。そのためにおこるであろう自然災害についても丁寧に書き記しているとも考えられる。
僕としては、これらが現実とはならないことを祈るものではあるが・・・。
ある程度の混乱は避けられないと言う直観も感じている。
以下の部分だ。
『これまでの改造は膏薬張りざから、すぐ元にかへるのぞ。今度は今までにない、文にも口にも伝えていない改造ざから、臣民界のみでなく神界もひっくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらにござる守護神さまには分からんのぞ、九分九厘までは出来るなれど、ここといふところで、オジヤンになるであろうがな、富や金を返したばかりでは、今度は役に立たんぞ、戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上も潰れるぞ、下も潰れるぞ、つぶす役は誰でもできるが、つくりかためのいよいよのことは、神々様にも分かりてはおらんのざぞ、星の国、星の臣民は今はえらい気張りようで、世界構うように申しているが、星ではダメだぞ、神のお力でないと何も出来はせんぞ。』 天つ巻き 第二帖
星の国、星の臣民??
まさかアメリカ合衆国のことでもないだろう。普通に考えれば、空の星に住んでる人のことになる。
この巻は昭和19年の夏に記されたものだ。
UFOは戦後、1947年のアメリカのケネス・アーノルドの目撃譚によって世界中で話題になったのである。日本でのブームはそれよりもずっと後だろう。それ以前は宇宙人という概念すら普通の人間にはなかったのではないだろうか。
今でこそ、世界的な変化に興味を持ち、多くの星からきた知的生命が地球を観察しているとか、危機になったら助けてくれるとかいう話しもあるが、この頃からすでに「星の臣民」が世界を構っていると書いているのには驚かされる。
以下に「建て替え・岩戸開き」の時に起こると言われる現象について書いてみる。
中には恐ろしいものもある。だが、これらの全てが実現すると考える必要はない。大難を小難にまつりかえることが神々の意志であるとも言うし、だいたいこんなことが全て起こると思っていたら、普通に生きていく気がしなくなってしまう。しかし、なかには部分的にすでに実現していると思われるものもある。
.ルマの噴出
建て替えの前に、すべてのカルマが清算される。
神の規則は怖いぞ、隠し立てはできんぞ、何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんな偉い人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭なしがはじまっているのぞ、済ましたら気楽な世になるのぞ、世界の大晦日ぞ、みそかは闇と決まっているであろうがな。かり返すときつらいなれど、返したあとの晴れた気持ちよいであろうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらへて神の申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方にかえしてくれよ。
∋間(現象)の加速?
この神示言波としてよみて呉れよ、神々様にもきかせて呉れよ、守護神どのにもきかせてくれよ。守護神殿の改心まだまだであるぞ。一日が一年になり百年になると目が廻りて真底からの改心でないとお役に立たんことになりてくるぞ。
食べ物の騒動
今に食い物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ。今度は共食いとなるから、共食いならんから、今から心鍛えて食い物大切にせよ
た世判辰砲錣たれる→さんざん書いたので割愛
ゼ然災害
「外国は龍宮の乙姫様、グレンと引っ繰り返しなさるのざぞ。竜宮の乙姫様、雨の神様の御活動激しきぞ」
「神世のヒミツと知らしてあるが、いよいよとなりたら地震、雷ばかりでないぞ、臣民アフンとして、これは何としたことぞと、口あいたままどうすることも出来んことになるのぞ。四つんばいになりて着る物もなく、獣となりて、這い回る人と、空飛ぶような人と、二つにハッキリわかりて来るぞ、獣は獣の性来いよいよ出すのぞ」
「火と水の災難がどんなに恐ろしいか、大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きてはおれんのざぞ。それが済んでから、御魂磨けた臣民ばかり、神が拾い上げてミロクの世の臣民とするのぞ。どこへ逃げても逃げところないと申してあろがな高いところから水流れるように、時に従いておれよ。いざというときには神が知らして、一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。」
「臣民無理と思うことも無理でないこと沢山にあるのざぞ、神はいよいよの仕組みにかかったと申して
あろがな。こわすのでないぞ、練り直すのざぞ。世界をすり鉢に入れてこね回し、練り直すのざぞ。
日本の中に騒動起こるぞ。神の臣民気つけてくれよ。日本も神と獣にわかれているのざから、
嫌でも応でも騒動となるのざぞ。小さくしたいなれど」
「海が陸になり、陸が海になる」
「地震、雷、火の雨降らして大洗濯するぞ。よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。カミかかりが沢山出て来てわけのわからんことになるから、早くこの道をひらいてくれよ」
「一日に十万、人死に出したら神の世がいよいよ近付いたのざから、よく世界のことを見て皆に知らしてくれよ」
Σ昌狆態≒マインドの停止?
「今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸は開けんぞ。今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ。一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れ替えて、ミロクの世の人民として甦らす仕組み、心得なされよ。神様でさえ、このこと判らん御方あるぞ。大地も転位、天も転位するぞ。」
「 大掃除激しくなると、世界の人民みな、仮死の状態となるのぢゃ。掃除終わってから因縁の身魂のみを神がつまみあげて、息吹き返してミロクの世の人民と致すのぢゃ。」
確かに自然災害も恐ろしいが、この「仮死の状態」というのが前からどうも気になっていた。
最初に思いついたのが、カルキ・バガヴァンの「2012年に地球の自転が停止し、その時に人類が一時的にノーマインドになる」という言葉だった。だからこれも、一種のサマーディーのことかと思ったのだ。だがもしかすると、もっと深い意味があるのかもしれない。先程ブログにいただいたコメントを読んで、そう思った。
一般的にネガティブな予言はそれを変更できるから意味があると言う。
だがもうひとつの意味もあると僕は思う。
それは、それがすべて実現したときにも、希望を失わせないためにある、とも考えられる。
特に「日月神示」のような預言書はそれが言える、ジュセリーノの予言とは質が違う。
これらの一見ネガティブな出来事は、あくまでも巨大な預言体系の中の一部に過ぎない。
ただ、ネガティブな出来事を羅列してもあまり意味がないのだ。
ひたすら暗い気持ちになるだけだ。
しかし「日月神示」の本質は、根本的な大変化と、その意味を教えている。
人は物事の本質的意味がわからないと、目の前の混乱にただ振り回されるだけになりがちだ。
「神示」はその混乱の背後にあるものを教えている。そのためにおこるであろう自然災害についても丁寧に書き記しているとも考えられる。
僕としては、これらが現実とはならないことを祈るものではあるが・・・。
ある程度の混乱は避けられないと言う直観も感じている。
じしんの巻
一昨日の夕方、いつもの散歩コースを歩いていると、西の空にすごい夕焼けが見えた。
東の空には虹が出ており、北の空には時々稲妻が走り、なんだかCGの世界のようだった。
僕は毎日空をよく見るが、こういう空は台風の後などによく見かける。
だがこっちは暑かったが普通の天気だった。
近畿、北陸での豪雨や突風と関係があったのだろうか。

出来るだけ毎日『日月神示』を読み進めようとしている。
全部で800ページほどある。第十七巻の「じしんの巻」で突然、文体や雰囲気が変わる。
それまでは結構、警告や「立て直し」が切迫してることを告げ、改心を迫るような雰囲気だったが、ここに来て突然「福音」的になる。二元性を越えた現実、歓喜についての記述が多くなる。
まるでイエスの山上の垂訓と、ヨハネの黙示録くらい雰囲気の相違があると言ってもいい。日月神示はバイブルに少し似てるかもしれない。
「われわれの一切は生まれつつある。神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生まれつつある。太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生まれ続けている。一定不変の神もなければ、宇宙もない。常に弥栄えつつ、限りなく生まれに生まれゆく。過去もなければ、現在もなく、未来もない。只存在するものが生まれに生まれつつある。生もなければ死もない。善も思わず真も考えず美も思わない。只自分自身のみの行為はない。只生まれゆき栄えゆくのみである」
第十七巻「じしんの巻」 第一帖
「全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである。故に、宇宙そのものが、神と同じ性を持ち、同じ質をもち、神そのものの現われの一部である。
過去も、現在も、未来も一切が呼吸する現在の中に存し、生前も死後の世界もまた神の中にあり、地上人としては地上人の中に、霊界人にありては霊界人の中に存在し、呼吸し、成長している。」
第五帖
「地上には、地上の順序があり、法則がある。霊界には、霊界の順序があり。法則がある。霊界が原因の世界であるからと言って、その秩序、法則をそのまま地上にはうつし得ず、結果し得ないのである。また地上の約束をそのまま霊界では行い得ない。しかし、これらのすべては大神の歓喜の中に存在するが故に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されているのである。その秩序、法則、統一は、一応完成しているのであるが、その完成から次の完成へと弥栄えする。故にこそ弥栄の波調をもって全体が呼吸し、脈搏し、歓喜するのである。これが、生命の本体であって、限られたる智によって、この動きを見るときは、悪を許し、善の生長弥栄を殺すが如くに感じる場合もある。しかし、これこそ善を生かして、更に活力を与え、悪を浄化して必要の悪とし、必然悪として生かすのである。生きたる真理の大道であり、神の御旨なることを知りうるのである。」
第七帖

東の空には虹が出ており、北の空には時々稲妻が走り、なんだかCGの世界のようだった。
僕は毎日空をよく見るが、こういう空は台風の後などによく見かける。
だがこっちは暑かったが普通の天気だった。
近畿、北陸での豪雨や突風と関係があったのだろうか。

出来るだけ毎日『日月神示』を読み進めようとしている。
全部で800ページほどある。第十七巻の「じしんの巻」で突然、文体や雰囲気が変わる。
それまでは結構、警告や「立て直し」が切迫してることを告げ、改心を迫るような雰囲気だったが、ここに来て突然「福音」的になる。二元性を越えた現実、歓喜についての記述が多くなる。
まるでイエスの山上の垂訓と、ヨハネの黙示録くらい雰囲気の相違があると言ってもいい。日月神示はバイブルに少し似てるかもしれない。
「われわれの一切は生まれつつある。神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生まれつつある。太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生まれ続けている。一定不変の神もなければ、宇宙もない。常に弥栄えつつ、限りなく生まれに生まれゆく。過去もなければ、現在もなく、未来もない。只存在するものが生まれに生まれつつある。生もなければ死もない。善も思わず真も考えず美も思わない。只自分自身のみの行為はない。只生まれゆき栄えゆくのみである」
第十七巻「じしんの巻」 第一帖
「全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである。故に、宇宙そのものが、神と同じ性を持ち、同じ質をもち、神そのものの現われの一部である。
過去も、現在も、未来も一切が呼吸する現在の中に存し、生前も死後の世界もまた神の中にあり、地上人としては地上人の中に、霊界人にありては霊界人の中に存在し、呼吸し、成長している。」
第五帖
「地上には、地上の順序があり、法則がある。霊界には、霊界の順序があり。法則がある。霊界が原因の世界であるからと言って、その秩序、法則をそのまま地上にはうつし得ず、結果し得ないのである。また地上の約束をそのまま霊界では行い得ない。しかし、これらのすべては大神の歓喜の中に存在するが故に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されているのである。その秩序、法則、統一は、一応完成しているのであるが、その完成から次の完成へと弥栄えする。故にこそ弥栄の波調をもって全体が呼吸し、脈搏し、歓喜するのである。これが、生命の本体であって、限られたる智によって、この動きを見るときは、悪を許し、善の生長弥栄を殺すが如くに感じる場合もある。しかし、これこそ善を生かして、更に活力を与え、悪を浄化して必要の悪とし、必然悪として生かすのである。生きたる真理の大道であり、神の御旨なることを知りうるのである。」
第七帖

原典『ひふみ神示』いらっしゃる。

三十巻と、五十(いそ)黙示録八巻が収録されている。
一巻目(上つ巻)と二巻目(下つ巻)を読み終えて、テレビをつけると
富士山が映ったので驚いた。(◎_◎)ナレーターの声が<霊峰富士>と言う。ひー(><;)
昨日ぱらぱらとゲリー・ボーネルの本をめくっていたら
この人も、集合意識のシフトは日本から起こっていくと言っている。
それは日本人の意識には「和」=真の調和の精神があるからだと言う。
今は覆い隠されてるかもしれないけど・・・。
だとすれば、富士山ってホントに宇宙からのエネルギーの中継センターかもしれないなあと、最近思い始めている。
「富士は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらわす代となれる」
「富士とは神の山のことぞ。神の山はみな富士(二二)といふのぞ。」
「富士は神のやまざ、いつ火噴くかわからんぞ、神は噴かんつもりでも、いよいよとなれば噴かねばならんから・・・」
「富士は晴れたり日本晴れ、富士に御社してこの世治めるぞ」
『日月神示』ではこの世の転換にあたって何よりもまず「洗濯第一」という。
ボーネル氏も、
光が強くなれば、闇もますます強くなること、次元上昇をする時に内部に「葛藤」があるとそれがそのまま出てきてしまうことなどを語っている。
「洗濯」とはそう言った葛藤を解消していくことでもあるかもしれない。
これはカルキ・バガヴァンのムーヴメントにかかわってる人もよく言っている。
そして「葛藤」を解消するのはKAMIに委ねること。
僕らが受けいられない現実を受け入れている、宇宙。
僕らが許せない自分自身を許している、宇宙。
葛藤なき宇宙に眼を向けること。
葛藤なき存在に僕らは愛されている。


ある夕方、鳥みたいな雲は、手を広げてる人みたいな雲になって、光の中に砕けていった。

三十巻と、五十(いそ)黙示録八巻が収録されている。
一巻目(上つ巻)と二巻目(下つ巻)を読み終えて、テレビをつけると
富士山が映ったので驚いた。(◎_◎)ナレーターの声が<霊峰富士>と言う。ひー(><;)
昨日ぱらぱらとゲリー・ボーネルの本をめくっていたら
この人も、集合意識のシフトは日本から起こっていくと言っている。
それは日本人の意識には「和」=真の調和の精神があるからだと言う。
今は覆い隠されてるかもしれないけど・・・。
だとすれば、富士山ってホントに宇宙からのエネルギーの中継センターかもしれないなあと、最近思い始めている。
「富士は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらわす代となれる」
「富士とは神の山のことぞ。神の山はみな富士(二二)といふのぞ。」
「富士は神のやまざ、いつ火噴くかわからんぞ、神は噴かんつもりでも、いよいよとなれば噴かねばならんから・・・」
「富士は晴れたり日本晴れ、富士に御社してこの世治めるぞ」
『日月神示』ではこの世の転換にあたって何よりもまず「洗濯第一」という。
ボーネル氏も、
光が強くなれば、闇もますます強くなること、次元上昇をする時に内部に「葛藤」があるとそれがそのまま出てきてしまうことなどを語っている。
「洗濯」とはそう言った葛藤を解消していくことでもあるかもしれない。
これはカルキ・バガヴァンのムーヴメントにかかわってる人もよく言っている。
そして「葛藤」を解消するのはKAMIに委ねること。
僕らが受けいられない現実を受け入れている、宇宙。
僕らが許せない自分自身を許している、宇宙。
葛藤なき宇宙に眼を向けること。
葛藤なき存在に僕らは愛されている。


ある夕方、鳥みたいな雲は、手を広げてる人みたいな雲になって、光の中に砕けていった。
日月神示カレイドスコープ
★金神と、サナートクマラ、
日月示において、岩戸ひらきを行うのは、艮の金神、国尊立命(くにとこたちのみこと)とされている。
この神様が総大将となって地上の浄化と岩戸ひらきをおこなうという。
艮は北東の方角であり、一般的には凶方位とされており、金神は最大の祟り神ともされてきた。
だが大本の筆先や、日月神示においてはこの神様は、地球創世に関わった地上神界の主催神と考えられている。
当初はこの神様が世をつかさどり、穢れのない世界であったが、悪神の計画によって世界の東北(丑寅)にあたる日本列島に押し込められたと言うのだ。
しかし時節が来て、丑寅の金神が蘇るときがきた。
そのサインとなったのが、黒住、天理、金光、大本の教祖にかかった神であり、
出口なおの筆先として「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世となりたぞよ」と現れたメッセージだった。
つまり艮の金神とは「日月神示」で初めて現れたものではなく、江戸時代の末期から明治にかけて、連鎖的に様々な人物にかかりメッセージを送り続けてきたらしい。
僕はこの最初タブー視されていた神格が、段々復権していくという過程にとても興味深いものを感じる。これは単純化していえば、「ルシファーというのは本当は悪魔じゃなくて、ものすごくいい神様なんですよ」と言い出した人の周りに段々人が集まってくるようなものではないだろうか。
つまり共同的なハレとケの合意が、無意識から噴出してくる逆らえないエネルギーによって転倒してしまったのだ。
忌み嫌われる方角、忌み嫌われる場所とは大抵共同体の辺境部分に存在する。
そこは穢れた場所であり、穢れた人々が住んでいる。
彼らは、現在のシステムによって除外されたすべてのものをその身で象徴し、また弾き出されたものたちの世界と、現実世界の結び目となっている。
「しかし一つの世界観から見た不要な排除するべき部分は、反対に、上と下というサンドイッチに挟まれた三層宇宙の視点で考えると、すぐさま他のコスモスとの「つなぎ」の働きを持つものに変わる。コスモスの辺境にあるものは、異なるコスモスとのつなぎの作用をするわけである。役割はまさに激変する。社会ではもう用のない弱者の老人が、いきなりすべての鍵を握る翁に変貌する。閉じている一つのコスモスでの役立たずは、多層的コスモスにおいてはむしろ強い貢献度を示すことになる。主体を単一にすることで成り立つ今日の社会では、こうした役割りを見落としている・・・」
松村潔 著 日本人はなぜ狐を信仰するのか より
艮の金神が悪神のはかりごとによって引退させられたとするならば、金神を象徴する方向は、悪神が支配する世にとっては忌むべき方向とならねばならない。
「悪」とはより狭い意味では、固定化されたシステムを破壊・変容させるエネルギーなのだ。
オレオレ詐欺の集団にとっての「悪」はオレオレ詐欺の集団を破壊する力だ。
だからオレオレ詐欺の集団の中でも、そのシステムを維持する「ルール」、防波堤が必要となるのである。
しかし実際のところ、破壊と変容は毎瞬起こっており、これをとめようとすること自体が大いなる妄想なのだ。が、人間の観念の中ではそれ実在となり、その現実と社会との間に防波堤を築こうとする。
体主霊従の文明にとって、霊主体従は脅威なのである。
しかし人間の集合的な心に築かれたその防波堤を決壊させ、古代の神々の力が圧倒的な勢いで流れ込んできた。
確かだと思えるのは、江戸時代から明治の日本において、それまでの社会を支配していたのとはまったく異質(逆の)のエネルギーが生まれ、それが人を通して活動をはじめたということである。
現在その働きはクライマックスに入っているかのように見えるが、それは文明が・集合的意識が決定的に転換するオメガポイントに向けてさらに加速していくと思われる。
この艮の金神と、サナートクマラが、僕の中ではなにかダブって見えてしまう。
サナートクマラは金星から来たとされるが、金神の「金」は金星とまったく無関係なのだろうか?
サナートクマラは、シャンバラという地下世界を治める地球の霊王とも言われるが、彼はなぜ地底にもぐってしまったのだろうか?物質を支配する神々が地上を治める時期が来たからだろうか?
しかし時代は変わった。
1999年に復活した「アンゴルモアの大王」とは、サナートクマラのことではなかったのか?
コルマンインデックスでは1999年は精神文明への転換が始まった年と考えられている・・・。
カーラチャクラ・タントラには最終戦争はシャンバラ王が率いる軍隊と、邪教の間で起こると言う予言が存在しているらしいが、 これも金神と、イシヤ(あるいはその後ろの神々)との戦を連想してしまうのだ。
日月示において、岩戸ひらきを行うのは、艮の金神、国尊立命(くにとこたちのみこと)とされている。
この神様が総大将となって地上の浄化と岩戸ひらきをおこなうという。
艮は北東の方角であり、一般的には凶方位とされており、金神は最大の祟り神ともされてきた。
だが大本の筆先や、日月神示においてはこの神様は、地球創世に関わった地上神界の主催神と考えられている。
当初はこの神様が世をつかさどり、穢れのない世界であったが、悪神の計画によって世界の東北(丑寅)にあたる日本列島に押し込められたと言うのだ。
しかし時節が来て、丑寅の金神が蘇るときがきた。
そのサインとなったのが、黒住、天理、金光、大本の教祖にかかった神であり、
出口なおの筆先として「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世となりたぞよ」と現れたメッセージだった。
つまり艮の金神とは「日月神示」で初めて現れたものではなく、江戸時代の末期から明治にかけて、連鎖的に様々な人物にかかりメッセージを送り続けてきたらしい。
僕はこの最初タブー視されていた神格が、段々復権していくという過程にとても興味深いものを感じる。これは単純化していえば、「ルシファーというのは本当は悪魔じゃなくて、ものすごくいい神様なんですよ」と言い出した人の周りに段々人が集まってくるようなものではないだろうか。
つまり共同的なハレとケの合意が、無意識から噴出してくる逆らえないエネルギーによって転倒してしまったのだ。
忌み嫌われる方角、忌み嫌われる場所とは大抵共同体の辺境部分に存在する。
そこは穢れた場所であり、穢れた人々が住んでいる。
彼らは、現在のシステムによって除外されたすべてのものをその身で象徴し、また弾き出されたものたちの世界と、現実世界の結び目となっている。
「しかし一つの世界観から見た不要な排除するべき部分は、反対に、上と下というサンドイッチに挟まれた三層宇宙の視点で考えると、すぐさま他のコスモスとの「つなぎ」の働きを持つものに変わる。コスモスの辺境にあるものは、異なるコスモスとのつなぎの作用をするわけである。役割はまさに激変する。社会ではもう用のない弱者の老人が、いきなりすべての鍵を握る翁に変貌する。閉じている一つのコスモスでの役立たずは、多層的コスモスにおいてはむしろ強い貢献度を示すことになる。主体を単一にすることで成り立つ今日の社会では、こうした役割りを見落としている・・・」
松村潔 著 日本人はなぜ狐を信仰するのか より
艮の金神が悪神のはかりごとによって引退させられたとするならば、金神を象徴する方向は、悪神が支配する世にとっては忌むべき方向とならねばならない。
「悪」とはより狭い意味では、固定化されたシステムを破壊・変容させるエネルギーなのだ。
オレオレ詐欺の集団にとっての「悪」はオレオレ詐欺の集団を破壊する力だ。
だからオレオレ詐欺の集団の中でも、そのシステムを維持する「ルール」、防波堤が必要となるのである。
しかし実際のところ、破壊と変容は毎瞬起こっており、これをとめようとすること自体が大いなる妄想なのだ。が、人間の観念の中ではそれ実在となり、その現実と社会との間に防波堤を築こうとする。
体主霊従の文明にとって、霊主体従は脅威なのである。
しかし人間の集合的な心に築かれたその防波堤を決壊させ、古代の神々の力が圧倒的な勢いで流れ込んできた。
確かだと思えるのは、江戸時代から明治の日本において、それまでの社会を支配していたのとはまったく異質(逆の)のエネルギーが生まれ、それが人を通して活動をはじめたということである。
現在その働きはクライマックスに入っているかのように見えるが、それは文明が・集合的意識が決定的に転換するオメガポイントに向けてさらに加速していくと思われる。
この艮の金神と、サナートクマラが、僕の中ではなにかダブって見えてしまう。
サナートクマラは金星から来たとされるが、金神の「金」は金星とまったく無関係なのだろうか?
サナートクマラは、シャンバラという地下世界を治める地球の霊王とも言われるが、彼はなぜ地底にもぐってしまったのだろうか?物質を支配する神々が地上を治める時期が来たからだろうか?
しかし時代は変わった。
1999年に復活した「アンゴルモアの大王」とは、サナートクマラのことではなかったのか?
コルマンインデックスでは1999年は精神文明への転換が始まった年と考えられている・・・。
カーラチャクラ・タントラには最終戦争はシャンバラ王が率いる軍隊と、邪教の間で起こると言う予言が存在しているらしいが、 これも金神と、イシヤ(あるいはその後ろの神々)との戦を連想してしまうのだ。
日月神示カレイドスコープ
★日月神示に今まで触れてきた情報が集約されていた
『日月神示』に関する書籍を初めて手にとって読んでみたのが、一月ほど前。
読み込むほどに、その豊穣さに驚いてしまう。
主に研究者の中矢伸一さんの本を読んでるのだが、早く原典に当たってみたくなってきた。
まず驚いたのは、マーヤだな〜(^^;と思いつつ去年の夏から年末にかけて収集してきた
「アセンション」や「陰謀論」についての情報が見事にそこに統合されていたことだった。
まるで僕の頭の中を知ってる誰かが、「ハイ、じゃあ次日月神示読んでみなさい、ほい」
と手渡されたような気さえする。
この順番が逆だったら、僕は特に興味を惹かれなかったかもしれない。
神道系の神示と言うのはんとなくナショナリズムくさいイメージもあるし、なんと言っても
昭和19年に降ろされたメッセージに今の時代に役立つことがそれほどあるとも思えなかったと思う。
だが、多くの情報に触れてきてから神示を読むと、それは今の時代のことを話しているし、
その警告は今の時代だからこそよりいっそう重要性を帯びているように思えてならないのだ。
『日月神示』の内容はそれ程今日的に感じられるのである。
しかし、『日月神示』の語る立て替え・建て直しと「岩戸開き」が現在のことを言ってるのなら
それが今日的に感じられるのはむしろ当然だろう。
今の時代に向けてこそ書かれたものかもしれないのだから・・・・。
で、まず「陰謀」だが〜
日月神示は国際政治を裏から操る「陰謀」の存在を前提として書いている。
なぜ「陰謀」というと胡散臭く感じられるのだろうか。
牛肉屋の社長が産地や、賞味期限をごまかしたりするのも、規模は小さいものの、陰謀である。
そんな小さな世界にも陰謀があるなら、何兆円の金が動く国際政治や事件、戦争の世界に「陰謀」が
ないはずがないのではないか。
なのに、テロや戦争になにか裏があると考えると「それは陰謀論だね」と論外として扱われるような
風潮はなにか不気味ですらある。
どうも僕らは、比較的小さな悪に対しては非寛容だが、あまりにも巨大な工作や偽装にかんしては
あまり考えないようにうまく条件付けられているようだ。
日月神示のなかでは、そのような陰謀集団を「イシヤ」と呼んでいる。
秘密結社として有名な「フリーメーソン」は自由な石工職人と言う意味だが、意味的に近くて
興味深い。
「石屋の仕組みにかかりて、まだ目覚めん臣民ばかり。」
去年は僕は日本が3S政策やマスメディアによって意図的にコントロールされてきたことも
知らなかったし、9・11がイラクと戦争をする口実として起こったこと、郵政民営化や、経済学者の植草さんの
逮捕がアメリカの金持ち連中の顔色を伺って起こったことだったとも知らなかった。
あ〜小泉さんね〜なかなかあの人は頑張ったんじゃないかな、いい人そうだし・・・と何の根拠もなく思っていた。
しかし、真相に触れてみて、僕は怒りや恐怖で気が変になりそうになったと言っても過言ではない。
嘘であって欲しいと思ったが、直観はそれらが事実であると告げていた。
もちろん、この闇の全貌はわからない、だが確信できたことだけで十分だった。
この世界はエリート主義の金持ちのじいさんたちによって、非道な手段で動かされているのだ。
彼らには「平等や平和、博愛」の観念などない。それはこの世界を一目見ればハッキリする事実である。
あったとしてもそれは彼らのグループのなかでだけしか通用しないだろう。
そして
神示は彼らの存在をはっきりと視野におさめていた。
その上で、彼らの存在も神の経綸の上で必要なことだと言っているのだ。
そのような巨悪をすら憎んではいけないと言っている。
彼ら・・・「イシヤ」にも役割があるようなのだ。
「この方悪が可愛いのぢゃ、御苦労ぢゃったぞ、もう悪の世は済みたぞ、悪の御用結構であったぞ。はよう善に返りて心安く善の御用聞きくれよ」
「イシヤ」をも包み込もうとする視点、それは普通の「陰謀論者」には往々にして欠けているものだ。
例えば、なんか最近体調が悪いな〜と思っていた旦那が、いつもより早く目が覚めてキッチンに行くと
嫁が入れたてのコーヒーに毒を盛っているのを目撃したらどう思うだろうか?
信頼していた世界や、マスコミに裏切られていたという恐怖や怒りはそれと似たところがある。
僕はテレビを叩き壊してやろうかと一瞬思った。
だから「陰謀論者」がパラノイアになって、システムを攻撃するのはある意味当然である。
彼らにとって「悪」は「絶対悪」なのであって、「善に使われている悪」という視点が欠けている場合が多い。
しかし日月神示は語る。
悪は役目なのであり、神は悪が可愛いのだと。
神示が述べているのは、単なる事実ではなく、「愛」の目からみた真実なのだ。
修道会でI先生も、「彼らも神の御心をおこなっている」と言っていたように記憶している。
I先生も、僕が陰謀にはまる前から到達すべき答えを教えてくれていた。
★岩戸開き=アセンション?
「アセンション」についてもいろいろと聞いてきたが、これについて問題なのは、
屮▲札鵐轡腑鵝廚箸呂覆鵑任△襪里?
△修譴呂い諜こるのか?
どのようなメカニズムで起こるのか?ということだ。
「アセンション」をカルキ・バガヴァンが言うように悟りの時代の到来とするならば、それはもう始まっているように思う。
バガヴァンのゴールデンエイジムーブメントでは、ディクシャと呼ばれる頭部へのエネルギー伝達(シャクティ・パッド)
によって多くの人が意識の変容を体験している。
純粋な悟りの状態の人はおそらくごく少数しかいないと思うが、それでも自己の統合や、癒しがその現場で多く起こっているようであり、今後もこの運動は波及性を持って広がっていくように思える。
I先生のところでも、一時期たくさんの人が連鎖的に覚醒して、先生自身が驚いたと言うようなことを聴いたり、僕もその現場を垣間見たりしているので現在が非常に「意識の覚醒」という意味では特別な恩寵が降り注がれている時期だということは疑っていない。ただそうは言っても、今のところ本当の理解に至る人の数は絶対的に少なく思えるし、バガヴァンが言うように人類全体が覚醒するなどということがあるのだろうかと思うのも事実である。
しかし「アセンション」に対してもうひとつの見方がある。
それは地球全体が、人類が「半霊半物質」の存在へと進化を遂げるというものだ。
これはすでにアセンションを遂げた金星からやってきたオムネク・オネクという金星人の女性が語ってる話で、他にもこの説をとる人は多い。
今よりも物質密度が低く、霊性が高い世界であるために、現在のような苦しみは消滅し、幸福な生活が待っているという。
これはにわかには信じがたい説ではある。
人間の意識が集団的に目覚めるというのはなんとなくありそうな感じもするが、物質や肉体の構造まで変化し、この世が天国のようになるというのは簡単には信じられることではない。
しかし実は「日月神示」が予言しているのは、この見方のようなのである。
「半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物質の肉体とならねばならん」
そしてその世界ではすべてが光り輝いており、放たれるオーラによってその人間の性質がはっきりするのだそうだ。
想像力が貧困なのか、猜疑心が強いのか、比較的常識的なのか、なかなかこのような世界が来ると信じ切れないがかといって「絶対そんなことあるわけねえよ」とも僕は言い切れない。
というのもなにかとんでもないこと、すごいことが起きそうな予感はずっと前からあったからだ。
「悟りの時代」と「半霊半物質」
このふたつは実は矛盾しないという可能性もある。
それはアセンションに関する3つめの疑問、それはどのようなメカニズムで起こるのか?と関係することだ。
おそらくそれは、何万年かに一度の周期的な現象として、宇宙の法則の中で起こる出来事だろう。
その周期に入ると、宇宙の中心から意識を変容させるような、なんらかのエネルギーが降り注がれるものと思われる。
ある説によるとそれは「純粋な生命エネルギー」だという話である。
このエネルギーは地球以外の惑星にも影響を与え、ポールシフトや気温の上昇を引き起こしている。
そしてこのエネルギーは地球上の個人レベルでは意識を変容させ、場合によっては「悟り」と呼ばれる境地まで連れて行く。
そして惑星レベルにおいては物質の組成を根本的に変化させ、地球を進化させる。
そのようにも考えられるかもしれない。
しかしこのエネルギーは、暗黒面ももっており、ある意味諸刃の剣でもある。
そのエネルギーは、自然のエネルギーのようにただひたすら人を癒すものではないと思う。
真に根本的な変化を促すものなのだ。
大抵の場合、集団的な意識の変容に伴い、地軸の移動、地震や火山の噴火、戦争などが起こると言われている。これらは、ある現象は人間の環境破壊による自然からのしっぺ返しなのだが、ある現象は避けようが無い周期的なものだと思う。特に、地軸の移動は宇宙的サイクルの節目に必ず起こると言われている。
日月神示ではこのようなアセンションに関する暗黒面(払うべき代償)がなかなか恐ろしい筆致で記されている。このようなネガティブな予言の類は一般に忌み嫌われるが、日月神示が語る終末の姿もきわめて黙示録的で恐ろしく、ジュセリーノの予言も真っ青の雰囲気をかもし出している。
その中で不気味なのは「神と獣がわかたれる」という一文だ。
「獣と臣民とはっきりわかりたら、それぞれの本性出すのぞ、今度は万劫末代のことぞ、気の毒出来るから洗濯大切と申してあるのぞ」
「神のマコトの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出てくるのぞ、神と獣とわけると申してあるのはこのことぞ。何事も洗濯第一」
以前の記事でも書いたが、これはエネルギーの流入にともない起こってくる現象だと僕は思う。
なにか強烈なエネルギーが流れるときに、内側に様々なネガティブな感情や想念があると、回線がショートしてしまうのだ。そして、内側にあるのと同じ暴力や憎しみを外側に表現してしまったりする。だからこそ神示は「洗濯第一」と言っているのではないか。
先ほどエネルギーの暗黒面と書いたが、
それは、汚れや、カルマを表面に押し出す力だ。
受けて次第によってどのようにも変わる。
いままではそのような強烈な変化のエネルギーは存在しなかったから、僕らはなんとなく日常を生きていくことができた。だがすでに毎日を生きることが「行」である時期に入ってきている。
このことは「岩戸ひらき」とともに起こってくる現象を考察するときにまた詳しく書きたい。
『日月神示』に関する書籍を初めて手にとって読んでみたのが、一月ほど前。
読み込むほどに、その豊穣さに驚いてしまう。
主に研究者の中矢伸一さんの本を読んでるのだが、早く原典に当たってみたくなってきた。
まず驚いたのは、マーヤだな〜(^^;と思いつつ去年の夏から年末にかけて収集してきた
「アセンション」や「陰謀論」についての情報が見事にそこに統合されていたことだった。
まるで僕の頭の中を知ってる誰かが、「ハイ、じゃあ次日月神示読んでみなさい、ほい」
と手渡されたような気さえする。
この順番が逆だったら、僕は特に興味を惹かれなかったかもしれない。
神道系の神示と言うのはんとなくナショナリズムくさいイメージもあるし、なんと言っても
昭和19年に降ろされたメッセージに今の時代に役立つことがそれほどあるとも思えなかったと思う。
だが、多くの情報に触れてきてから神示を読むと、それは今の時代のことを話しているし、
その警告は今の時代だからこそよりいっそう重要性を帯びているように思えてならないのだ。
『日月神示』の内容はそれ程今日的に感じられるのである。
しかし、『日月神示』の語る立て替え・建て直しと「岩戸開き」が現在のことを言ってるのなら
それが今日的に感じられるのはむしろ当然だろう。
今の時代に向けてこそ書かれたものかもしれないのだから・・・・。
で、まず「陰謀」だが〜
日月神示は国際政治を裏から操る「陰謀」の存在を前提として書いている。
なぜ「陰謀」というと胡散臭く感じられるのだろうか。
牛肉屋の社長が産地や、賞味期限をごまかしたりするのも、規模は小さいものの、陰謀である。
そんな小さな世界にも陰謀があるなら、何兆円の金が動く国際政治や事件、戦争の世界に「陰謀」が
ないはずがないのではないか。
なのに、テロや戦争になにか裏があると考えると「それは陰謀論だね」と論外として扱われるような
風潮はなにか不気味ですらある。
どうも僕らは、比較的小さな悪に対しては非寛容だが、あまりにも巨大な工作や偽装にかんしては
あまり考えないようにうまく条件付けられているようだ。
日月神示のなかでは、そのような陰謀集団を「イシヤ」と呼んでいる。
秘密結社として有名な「フリーメーソン」は自由な石工職人と言う意味だが、意味的に近くて
興味深い。
「石屋の仕組みにかかりて、まだ目覚めん臣民ばかり。」
去年は僕は日本が3S政策やマスメディアによって意図的にコントロールされてきたことも
知らなかったし、9・11がイラクと戦争をする口実として起こったこと、郵政民営化や、経済学者の植草さんの
逮捕がアメリカの金持ち連中の顔色を伺って起こったことだったとも知らなかった。
あ〜小泉さんね〜なかなかあの人は頑張ったんじゃないかな、いい人そうだし・・・と何の根拠もなく思っていた。
しかし、真相に触れてみて、僕は怒りや恐怖で気が変になりそうになったと言っても過言ではない。
嘘であって欲しいと思ったが、直観はそれらが事実であると告げていた。
もちろん、この闇の全貌はわからない、だが確信できたことだけで十分だった。
この世界はエリート主義の金持ちのじいさんたちによって、非道な手段で動かされているのだ。
彼らには「平等や平和、博愛」の観念などない。それはこの世界を一目見ればハッキリする事実である。
あったとしてもそれは彼らのグループのなかでだけしか通用しないだろう。
そして
神示は彼らの存在をはっきりと視野におさめていた。
その上で、彼らの存在も神の経綸の上で必要なことだと言っているのだ。
そのような巨悪をすら憎んではいけないと言っている。
彼ら・・・「イシヤ」にも役割があるようなのだ。
「この方悪が可愛いのぢゃ、御苦労ぢゃったぞ、もう悪の世は済みたぞ、悪の御用結構であったぞ。はよう善に返りて心安く善の御用聞きくれよ」
「イシヤ」をも包み込もうとする視点、それは普通の「陰謀論者」には往々にして欠けているものだ。
例えば、なんか最近体調が悪いな〜と思っていた旦那が、いつもより早く目が覚めてキッチンに行くと
嫁が入れたてのコーヒーに毒を盛っているのを目撃したらどう思うだろうか?
信頼していた世界や、マスコミに裏切られていたという恐怖や怒りはそれと似たところがある。
僕はテレビを叩き壊してやろうかと一瞬思った。
だから「陰謀論者」がパラノイアになって、システムを攻撃するのはある意味当然である。
彼らにとって「悪」は「絶対悪」なのであって、「善に使われている悪」という視点が欠けている場合が多い。
しかし日月神示は語る。
悪は役目なのであり、神は悪が可愛いのだと。
神示が述べているのは、単なる事実ではなく、「愛」の目からみた真実なのだ。
修道会でI先生も、「彼らも神の御心をおこなっている」と言っていたように記憶している。
I先生も、僕が陰謀にはまる前から到達すべき答えを教えてくれていた。
★岩戸開き=アセンション?
「アセンション」についてもいろいろと聞いてきたが、これについて問題なのは、
屮▲札鵐轡腑鵝廚箸呂覆鵑任△襪里?
△修譴呂い諜こるのか?
どのようなメカニズムで起こるのか?ということだ。
「アセンション」をカルキ・バガヴァンが言うように悟りの時代の到来とするならば、それはもう始まっているように思う。
バガヴァンのゴールデンエイジムーブメントでは、ディクシャと呼ばれる頭部へのエネルギー伝達(シャクティ・パッド)
によって多くの人が意識の変容を体験している。
純粋な悟りの状態の人はおそらくごく少数しかいないと思うが、それでも自己の統合や、癒しがその現場で多く起こっているようであり、今後もこの運動は波及性を持って広がっていくように思える。
I先生のところでも、一時期たくさんの人が連鎖的に覚醒して、先生自身が驚いたと言うようなことを聴いたり、僕もその現場を垣間見たりしているので現在が非常に「意識の覚醒」という意味では特別な恩寵が降り注がれている時期だということは疑っていない。ただそうは言っても、今のところ本当の理解に至る人の数は絶対的に少なく思えるし、バガヴァンが言うように人類全体が覚醒するなどということがあるのだろうかと思うのも事実である。
しかし「アセンション」に対してもうひとつの見方がある。
それは地球全体が、人類が「半霊半物質」の存在へと進化を遂げるというものだ。
これはすでにアセンションを遂げた金星からやってきたオムネク・オネクという金星人の女性が語ってる話で、他にもこの説をとる人は多い。
今よりも物質密度が低く、霊性が高い世界であるために、現在のような苦しみは消滅し、幸福な生活が待っているという。
これはにわかには信じがたい説ではある。
人間の意識が集団的に目覚めるというのはなんとなくありそうな感じもするが、物質や肉体の構造まで変化し、この世が天国のようになるというのは簡単には信じられることではない。
しかし実は「日月神示」が予言しているのは、この見方のようなのである。
「半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物質の肉体とならねばならん」
そしてその世界ではすべてが光り輝いており、放たれるオーラによってその人間の性質がはっきりするのだそうだ。
想像力が貧困なのか、猜疑心が強いのか、比較的常識的なのか、なかなかこのような世界が来ると信じ切れないがかといって「絶対そんなことあるわけねえよ」とも僕は言い切れない。
というのもなにかとんでもないこと、すごいことが起きそうな予感はずっと前からあったからだ。
「悟りの時代」と「半霊半物質」
このふたつは実は矛盾しないという可能性もある。
それはアセンションに関する3つめの疑問、それはどのようなメカニズムで起こるのか?と関係することだ。
おそらくそれは、何万年かに一度の周期的な現象として、宇宙の法則の中で起こる出来事だろう。
その周期に入ると、宇宙の中心から意識を変容させるような、なんらかのエネルギーが降り注がれるものと思われる。
ある説によるとそれは「純粋な生命エネルギー」だという話である。
このエネルギーは地球以外の惑星にも影響を与え、ポールシフトや気温の上昇を引き起こしている。
そしてこのエネルギーは地球上の個人レベルでは意識を変容させ、場合によっては「悟り」と呼ばれる境地まで連れて行く。
そして惑星レベルにおいては物質の組成を根本的に変化させ、地球を進化させる。
そのようにも考えられるかもしれない。
しかしこのエネルギーは、暗黒面ももっており、ある意味諸刃の剣でもある。
そのエネルギーは、自然のエネルギーのようにただひたすら人を癒すものではないと思う。
真に根本的な変化を促すものなのだ。
大抵の場合、集団的な意識の変容に伴い、地軸の移動、地震や火山の噴火、戦争などが起こると言われている。これらは、ある現象は人間の環境破壊による自然からのしっぺ返しなのだが、ある現象は避けようが無い周期的なものだと思う。特に、地軸の移動は宇宙的サイクルの節目に必ず起こると言われている。
日月神示ではこのようなアセンションに関する暗黒面(払うべき代償)がなかなか恐ろしい筆致で記されている。このようなネガティブな予言の類は一般に忌み嫌われるが、日月神示が語る終末の姿もきわめて黙示録的で恐ろしく、ジュセリーノの予言も真っ青の雰囲気をかもし出している。
その中で不気味なのは「神と獣がわかたれる」という一文だ。
「獣と臣民とはっきりわかりたら、それぞれの本性出すのぞ、今度は万劫末代のことぞ、気の毒出来るから洗濯大切と申してあるのぞ」
「神のマコトの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出てくるのぞ、神と獣とわけると申してあるのはこのことぞ。何事も洗濯第一」
以前の記事でも書いたが、これはエネルギーの流入にともない起こってくる現象だと僕は思う。
なにか強烈なエネルギーが流れるときに、内側に様々なネガティブな感情や想念があると、回線がショートしてしまうのだ。そして、内側にあるのと同じ暴力や憎しみを外側に表現してしまったりする。だからこそ神示は「洗濯第一」と言っているのではないか。
先ほどエネルギーの暗黒面と書いたが、
それは、汚れや、カルマを表面に押し出す力だ。
受けて次第によってどのようにも変わる。
いままではそのような強烈な変化のエネルギーは存在しなかったから、僕らはなんとなく日常を生きていくことができた。だがすでに毎日を生きることが「行」である時期に入ってきている。
このことは「岩戸ひらき」とともに起こってくる現象を考察するときにまた詳しく書きたい。
透け透け
日月神示の伝える、『アセンション(?)』の世界
「八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変わるのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ。今までは時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。今までの岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸ひらきぢゃ」
「半霊半の物質の世界に移行するのであるから、半霊半物質の肉体とならねばならん。今のやり方ではどうにもならなくなるぞ。今の世は灰にするより他に方法がない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生まれつつあるのぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ」
「都会へ都会へと、人間の作った火に集まる蛾のような心では、今度の御用出来はせんぞ。上っ面飾りてマコトない教えのところへは、人は集まるなれど、マコトの道伝えるところへは、臣民なかなか集まらんぞ。見て御座れよ、いくら人少なくても見事なこと致して御目にかけるぞ」
「神の世と申すのは、今の臣民の思うているような世ではないぞ、金は要らぬのざぞ、お土からありがたいものが光て来るのざぞ、衣類、食べ物、家倉まで変わるのざぞ。草木も喜ぶ政治と申してあろうがな、誰でもそれぞれに先の判る様になるのぞ。お日様もお月様も海も山も野も光り輝くぞ、水晶の様になるのぞ。博打、娼妓は無く致すぞ。雨も要るだけ降らしてやるぞ、風もよきように吹かしてやるぞ、神をたたえる声が天地に満ち満ちて、嬉し嬉しの世となるのざぞ」
「神の国光りて目あけて見れんことになるのざぞ、臣民の身体からも光が出るのざぞ、その光によりてその御役、位、判るのざからミロクの世となりたら何もかもハッキリして嬉し嬉しの世となるのぞ、今の文明なくなるのでないぞ、タマ入れていよいよ光りて来るのぞ、手握りて草木も四ツ足も皆唄うこととなるのぞ、み光に皆集まりて来るのざぞ、てんし様の御光は神の光であるのざぞ」
「よき世となったら、身体も大きくなるぞ。命も長くなるぞ。今しばらくざから、辛抱してくれよ。食物心配するでないぞ。油断するでないぞ。皆の者喜ばせよ。その喜びは、喜事となって天地のキとなって、そなたに万倍となって返って来るのざぞ。喜びいくらでも生まれるぞ」
「水晶の世」というのを去年の終わりごろ、ある講演会で聴いたのだが、この日月神示の文章と照らし合わせてみると霊的身体がおもてに現われでて丸見えになり、物質的肉体がある意味あまり意味を持たなくなるということのようだ。
さらに、以前参加したとあるセミナーで「自分の想念や感情が四方八方にいろいろな形(光や色)で伝わっていると知っても穏やかでいられることが、自由であること」という言葉を聴いたことなども思い出した。
現在の僕らは心のプライベートな領域と、外面に表現する自分を使い分けることが当然となっている。しかし、これは実は相当なストレスになっていることなのではないだろうか。本音と建前の使い分けは「大人になること」であるともみなされる訳だが、それは「嘘と本心」の葛藤と神一重のところにある。
つまり、その「嘘と本心の葛藤」を当然の前提として成立しているのが、現在の社会であるとも僕には思える。そしてそれは自分自身の心的構造の一部でもあるように思う。
「嘘」といって悪ければ、「自分自身を隠そうとする働き」とも言い換えられるだろう。
しかし、なぜ自分自身を隠そうとするのかと言えば、そのままの自分を外部にさらすのは到底耐えられないからであるという想いがあり、そうすれば他者から怒り、さげすみ、哀れみ、嫌悪などを向けられるに違いないと恐れるのためだろう。
その他者からの(葛藤)エネルギーにより、さらに内部が分割され、葛藤を経験することを恐れているのだ。
これがいわゆる「羞恥心」と呼ばれるもので、失楽園以前のアダムとイブに羞恥心がなかったと言われるのは、単に服を着なくても平気だったというのではなく、こころを裸で世界にさらしてもまったく何の葛藤も無かったということではないかと思われる。
しかし多くの場合、多大な自己嫌悪や自己憎悪がこの種の葛藤を発生させているので、それは「愛」に触れることで徐々にブロックがはずされていく。なぜならその「愛」はそのままの葛藤をも含めて容認し、包み込んでいるからだ。
この「愛」は、神様から、そして「嘘と本心の葛藤」を超えている人から来る。
神示を、そして世の中の動きを見ると、嘘をつくこ、「隠すこと」とが難しくなって来ているように思える。これは別に、産地を偽装している食品会社やWTCを倒壊させた人々だけの問題ではなく、個人のレベルでもその傾向が強くなっていく。
世の中がスケルトンになっていく時
それを異様に恐れる人も、「あ、そうなんだ」で済ませられる人もいる。
僕は・・・ちょっと怖いw
「八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変わるのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ。今までは時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。今までの岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸ひらきぢゃ」
「半霊半の物質の世界に移行するのであるから、半霊半物質の肉体とならねばならん。今のやり方ではどうにもならなくなるぞ。今の世は灰にするより他に方法がない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生まれつつあるのぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ」
「都会へ都会へと、人間の作った火に集まる蛾のような心では、今度の御用出来はせんぞ。上っ面飾りてマコトない教えのところへは、人は集まるなれど、マコトの道伝えるところへは、臣民なかなか集まらんぞ。見て御座れよ、いくら人少なくても見事なこと致して御目にかけるぞ」
「神の世と申すのは、今の臣民の思うているような世ではないぞ、金は要らぬのざぞ、お土からありがたいものが光て来るのざぞ、衣類、食べ物、家倉まで変わるのざぞ。草木も喜ぶ政治と申してあろうがな、誰でもそれぞれに先の判る様になるのぞ。お日様もお月様も海も山も野も光り輝くぞ、水晶の様になるのぞ。博打、娼妓は無く致すぞ。雨も要るだけ降らしてやるぞ、風もよきように吹かしてやるぞ、神をたたえる声が天地に満ち満ちて、嬉し嬉しの世となるのざぞ」
「神の国光りて目あけて見れんことになるのざぞ、臣民の身体からも光が出るのざぞ、その光によりてその御役、位、判るのざからミロクの世となりたら何もかもハッキリして嬉し嬉しの世となるのぞ、今の文明なくなるのでないぞ、タマ入れていよいよ光りて来るのぞ、手握りて草木も四ツ足も皆唄うこととなるのぞ、み光に皆集まりて来るのざぞ、てんし様の御光は神の光であるのざぞ」
「よき世となったら、身体も大きくなるぞ。命も長くなるぞ。今しばらくざから、辛抱してくれよ。食物心配するでないぞ。油断するでないぞ。皆の者喜ばせよ。その喜びは、喜事となって天地のキとなって、そなたに万倍となって返って来るのざぞ。喜びいくらでも生まれるぞ」
「水晶の世」というのを去年の終わりごろ、ある講演会で聴いたのだが、この日月神示の文章と照らし合わせてみると霊的身体がおもてに現われでて丸見えになり、物質的肉体がある意味あまり意味を持たなくなるということのようだ。
さらに、以前参加したとあるセミナーで「自分の想念や感情が四方八方にいろいろな形(光や色)で伝わっていると知っても穏やかでいられることが、自由であること」という言葉を聴いたことなども思い出した。
現在の僕らは心のプライベートな領域と、外面に表現する自分を使い分けることが当然となっている。しかし、これは実は相当なストレスになっていることなのではないだろうか。本音と建前の使い分けは「大人になること」であるともみなされる訳だが、それは「嘘と本心」の葛藤と神一重のところにある。
つまり、その「嘘と本心の葛藤」を当然の前提として成立しているのが、現在の社会であるとも僕には思える。そしてそれは自分自身の心的構造の一部でもあるように思う。
「嘘」といって悪ければ、「自分自身を隠そうとする働き」とも言い換えられるだろう。
しかし、なぜ自分自身を隠そうとするのかと言えば、そのままの自分を外部にさらすのは到底耐えられないからであるという想いがあり、そうすれば他者から怒り、さげすみ、哀れみ、嫌悪などを向けられるに違いないと恐れるのためだろう。
その他者からの(葛藤)エネルギーにより、さらに内部が分割され、葛藤を経験することを恐れているのだ。
これがいわゆる「羞恥心」と呼ばれるもので、失楽園以前のアダムとイブに羞恥心がなかったと言われるのは、単に服を着なくても平気だったというのではなく、こころを裸で世界にさらしてもまったく何の葛藤も無かったということではないかと思われる。
しかし多くの場合、多大な自己嫌悪や自己憎悪がこの種の葛藤を発生させているので、それは「愛」に触れることで徐々にブロックがはずされていく。なぜならその「愛」はそのままの葛藤をも含めて容認し、包み込んでいるからだ。
この「愛」は、神様から、そして「嘘と本心の葛藤」を超えている人から来る。
神示を、そして世の中の動きを見ると、嘘をつくこ、「隠すこと」とが難しくなって来ているように思える。これは別に、産地を偽装している食品会社やWTCを倒壊させた人々だけの問題ではなく、個人のレベルでもその傾向が強くなっていく。
世の中がスケルトンになっていく時
それを異様に恐れる人も、「あ、そうなんだ」で済ませられる人もいる。
僕は・・・ちょっと怖いw

