2014.
11.
10
以前ホームページ上にアップしてました、「もんもん日記」という文書がありましたがホームページが現在消滅してるのでWEB上のどこかに残しておこうと思っていました。
そこで、もう一度読み直していると、やっぱり10年も前に書いたので手直ししたいところが多々あり、読み物としてももう少し面白くしたくなったので、かなり加筆修正したものをアップすることにしました。
以前、師匠のことについて書こうと思った本の文書と部分的に合体させてあります。
全体部分がまだできてないのでどこまで出すかわからないですが、とりあえず、旧もんもん日記のラストあたりまでは、出してみようと思います。なかなか重たい部分も多々ありますが、ほぼ100パーセント事実に基づいています。
楽しんでいただければ幸いです。
はいたか鳥拝
MATRIXの恋人 もんもん日記 ver2.0
MATRIX:①母体、基盤、鋳型、子宮
②1999年公開のアメリカの映画
キアヌ・リーブス主演
< Introduction >
突然だが、こんな感覚を感じることはないだろうか?
それは仕事に向かう電車の中や、学校で退屈な午後の授業を受けている途中、あるいはくつろげる自宅でコーヒーを飲んだり、お風呂に入って温まっているとき、もしかするとなじみの芸能人がテレビの中で陽気にはしゃいでいるのを見てるときかもしれない。
急に不思議な感覚がやってくる。
『私は何をしているんだろう?』
もちろん今あなたは電車に揺られていたり、授業を受けていたり、テレビを見ていることはわかっている。
それでもあなたは問いかけずにはいられない。
『私は何をしているんだろう? ここはどこなんだろう?』
あなたは自分が日本という国の、あなたの住む街にいることを知っている。
そして日本は世界の中にあり、地球は月や、他の惑星と一緒に宇宙空間に浮遊し、太陽の周りを回っていることも知っている。
それでもあなたは問いかける。
『それはいったいどういうことなんだろう? そもそもなぜ私は地球という惑星の、この時代に生きているんだろうか。
ここで日々の生活を送りながら、やがて年をとって死んでいく。それは何のためなんだろう?
そしてそもそも、この惑星のこの小さな島国の上で、そのように束の間の人生を生きている『私』って何なんだろう?
いったい、私は、なんのために、これを体験しているんだろう・・・ 』
僕たちの顔や体、社会的な役割りやステータス、過去に行ってきたこと、趣味、特技、それに自分の考えや気持ち。
こういったものを普通僕たちは自分自身だと考えている。
朝起きたときに、鏡に映る、昨日と同じその姿・・・
歯ブラシに歯磨き粉をつけて寝ぼけ眼で、あなたはその像を見つめる。
「また<私・俺・僕>だ・・・」
それが男でも女でも、若くても年老いていても、格好よく見えても、情けなく見えても、疲れて見えても、元気いっぱいでも
幸せそうでも、不幸せそうでも・・・毎朝鏡に映るその姿、それが『私』だと。
でも本当にそうなのだろうか?
もしそうだとすれば、鏡に映ったその姿を見ている「あなた」はいったい誰だろうか?
その「鏡に映った像を見ている『あなた』」の姿は、あなたには見えない。
その「あなた」はいったい何者なのだろう。
そう、とりとめもなくそんなことを考えている夜、あなたの見ていたテレビの画像は突如乱れて画面にひとつの文章が浮き上がるかもしれない。
そこにはこう書かれている。
・・・・・・MATRIX watches you・・・・・・・・・・
( マトリクスが ・ 君を ・ 見ている)
それは今まで現実だと思っていたものが幻想となり、新たな現実が出現する瞬間だ。
あなたは、鏡の中のあなたを超えたあなたに目覚めようとしているのだ。
1999年に公開された映画「マトリクス」は、世界中で大ヒットを記録した。
続いて、続編の「マトリクスリローデッド」「マトリクスレボリューションズ」も公開され、今なお熱狂的なファンが多い名作だ。
この映画の主人公はアンダーソン。ハイテク企業に勤務するサラリーマンだが、それは彼の表の顔。
実はその正体は、コンピュータを駆使して、違法にデータを盗み出す天才ハッカーの「ネオ」なのだ。
ある夜、彼のPCのモニターに突然先ほどのメッセージが現れる。
・・・・・・・・・・・・・・・MATRIX wathes you・・・・・・・・・・・・・
その夜からネオの言語を絶する冒険が始まる。
ネオの命を狙う黒衣の男、エージェント・スミス、謎の美女トリニティー、黒人の大男モーフィアス。
彼らの出現によりネオのそれまでの現実は、かげろうのように揺らぎ始める。
やがてある建物の一室でネオはモーフィアスにふたつの錠剤を手渡される。
「赤い錠剤を飲めば、君は目覚める。青い錠剤を飲めば、すべてを忘れもとの生活に戻る。さあ、どちらを選ぶ?」
ネオが赤いカプセルを選び、飲み込むと、彼は培養槽の中で目を覚ます。
そこはマシンに支配された荒涼とした本当の現実世界で、彼は、生まれてこの方、脳に接続された回線を通じて、20世紀末のアメリカに生きているという夢を見させられていたことに気づくのだった。
無数の人間が培養槽の中で、回線につながれて一生夢を見ている。その夢の世界を支配するデジタルシステムが、マトリクスであった。
実はこれは単に映画の話しではない。
この映画は非常に真実に近い物語だと今は、多くの人が考えている。
ネオとは、僕らすべての内側で目覚めを待っている、まったく新しい意識をヒーロー化した存在だと思う。
僕らの新しい意識がネオだとすれば、僕らに夢を見せているマトリクスも、そしてマトリクスにログインして、ネオを目覚めさせるモーフィアスもやはり実在する。
どうしてそう言えるかって?
実は僕はモーフィアスに会ったことがあるからだ。
彼は今、21世紀の日本に肉体を持ってログインしている。
もっとも僕の前に現れたモーフィアスは、映画のように深刻な感じじゃなかった。
それどころかいつも、夏休み前の子供みたいに常軌を逸してハッピーだ。
ごつい黒人でもない。正真正銘の僕らと同じモンゴロイド。
いつもパイプをふかして、その一日のほとんどを<源>に意識を向けている。
小さなことでも大きな声でよく笑い、時にはこっちが・・・となるような親父ギャグを飛ばして平然としている。僕らが笑わなくてもまったく平気で、何度でも、何度でも・・・僕らが笑わざるを得なくなるまで。
映画のモーフィアスと、僕がであったモーフィアスの共通点はこの世界がバーチャルリアリティであることを知っていることだろう。
モーフィアスは、古来より聖者が悟りや、目覚め、真我の実現と呼ばれる体験に至り、マトリクスから目覚めた。
香の匂いの立ち込める部屋で、彼に急須でお茶を入れてもらいながら、あるいは大きな力が降りてくる夜の集いでそのエネルギーに圧倒されながら僕は彼から本当に多くのことを学んだ。
僕らが囚われている思い込みや、束縛について、そしてそれらから解放しマトリクスから目覚めさせるエネルギーについて・・・。
何よりも言葉を超えたエネルギーとして彼がいつも放っている愛や、喜び、ユーモアによってとりわけ大切なことを学んだ。
僕が出会ったモーフィアスは、マトリクスを否定してはいない。
それは僕らがマトリクスの中で眠っていること、そしてそこから目覚めること、どちらにも等しく働いている宇宙的摂理を深く信頼しているからだ。
ここが映画と少し違うところだけど、現実のマトリクスは僕らを電池にしてエネルギーを奪うために存在しているのではない。
マトリクスの中枢部である<源>ソースは「愛」によって機能している。それは僕らを生かす力そのものでもある。
モーフィアスはどうやらマトリクスの見せる夢から目覚めることで、その愛とひとつになってしまったようなのだ。
だからこの僕の知ってる方のモーフィアスは、マトリクス自体を、心から愛し、それを生んだ<ソース>に100パーセント身をゆだねている。
彼はマトリクスと相思相愛の、最愛の恋人と言ってもいいだろう。
映画とはずいぶん違う設定だけど、でも、その愛が、僕らの内なるネオを目覚めさせる助けとなるのだ。
この文書は僕が彼と出会った経緯を描いたものでもあるけれど、その主人公は実は僕でも彼でもない。
「マトリクス」と同じく、主人公はネオ、そう僕やあなたのうちに存在する「救世主」だ。
自分がマトリクスにいることや、救世主であることを気づくにはたくさんの道がある、この物語はそんな無数の物語のひとつに過ぎない。
でもこれがあなたの内なる救世主が目覚めるきっかけになれば、とてもうれしく思う。
僕はとても数奇なきっかけでモーフィアスと出会った。
だからそれを書いてみたら面白いんじゃないかといつも思ってた。
僕はずいぶん長い間、自分のことが大嫌いで、人も世界も信じられなかった。
モーフィアスとの出会いは、そんな僕の自己嫌悪の延長線上にある。
ずいぶん後になってから、僕の人生のすべては愛の中でとても完璧にプログラムされていたことに気づいたけど、もしかしたら、それは今日あなたにこの物語を話すためだったのかもしれない。
この文書が、あなたの目覚めを助ける赤いカプセルとなりますように。
あなたの中で赤々と燃える内なる愛と、覚醒の炎に敬意を表して。
2014 NOV
MATRIX PHASE 1 ホーム・スィート・ホーム BPM1
作家の三島由紀夫は確か、小説「仮面の告白」の冒頭で「私には生まれた時の記憶がある」って書いている。
このめくるめく(?)傑作スピリチュアルアドベンチャーの冒頭で僕も彼のように、生まれたときにみた光景や、天国にいた頃の思い出なんて披露できれば、まったくつかみはバッチリってことかもしれない。でもあいにく僕には生まれたときの記憶がまったくない。
でもそのかわりにいろんなことを覚えている。
一番最初の記憶は、両親が働いていた大学病院に連れて行ってもらったことだ。休みの日なので廊下の電気が落ちて、非常灯だけがミステリアスにあたりを変な色にぼーっと照らしている。つんと来る消毒薬剤の匂いはいつも、母親が家に帰ってきたときにする匂いとおんなじ。僕はどこかの検査室の中で、顕微鏡を覗かせてもらった。そこには驚くべきミクロの世界が広がっていたんだと思うけど、あいにくなにが見えたかは覚えていない。でも記憶なんてそんなもんだ。
遠い記憶はいたるところ虫食いだらけで、ぼやけていて、僕らは目をこらしてその向こうに自分のルーツをさぐるしかない。
モーフィアスは、なんでも生まれたばかり生後三ヶ月で臨死体験をするというずいぶん早熟な新生児だったようだ。
つまり生まれてすぐに、死にかけた。
そして意識が肉体を離れ光だけの世界に行き、神様と話しをしたような記憶が残っていて、今でも数ヶ月に一度はその光だけの世界の夢を見るという。
「それからですね僕がおかしくなったのは」とインドと日本を往復し修行をしていた10代のころあるインタビューで笑いながら語っている。
じゃあそれまでは普通だったかというと、そもそも生まれてきたときに両手で蓮華の形をつくり、目をぱっちり開き笑いながら出てきて医者をたまげさせたということだから生まれたときから、いや、生まれる前から相当変わっていたのだろう。
僕にはそんなぶっとんだ記憶はない。
でも他にもたくさん覚えている。
幼稚園の入園式、僕は甘えん坊だったから母親から離れたくないって大泣きして、業を煮やした母にほっぺをビンタされた。
夏休みにはよく母のおじいちゃんちに泊りがけで遊びに連れて行ってもらった。遊びに行くといつも夕食はすき焼きだった。たまにしか会わない親戚のおじさん、おばさんにかわいがられ、いとこの女の子とはしゃぎまわった。正直言うと、ちょっぴりその子が好きだった。
帰り道、父の運転する車で高速に乗り家路をたどる間、僕はどこまでも続くテールランプをじっと見ていた。窓からは星が見えて車がどれだけ走っても星が僕についてくるのがなんだかとても不思議だった。
それから、大雪が降った夜に父と一緒に雪だるまをつくったこと、石油ストーブの上にのせたみかんが焼ける匂い、いつも焦げあとがいっぱいついた汚いなべで雑炊ばかり食べていた父方のおじいちゃんの笑い顔。いつも戸棚の上におやつをたくさん買い置きしてくれていたおばあちゃん。それから放課後にクラスメートと鬼ごっこやドッジボールをしたこと、同じクラスのショートカットの女の子に初恋をしたこと。
そんなことを思い出す。
どれもとりたてて珍しくはなくても、僕にとってそのすべてが大切な記憶、想い出だ。
そうそう、とりたててぶっ飛んだエピソードはないけど、僕は子供の頃から時々不思議な瞬間を感じることがあった。
あれは多分、子供むけの図鑑を見ていたときだと思う。
古代生物の図鑑で、そこにはジュラ紀や白亜紀の地球上をのし歩いていた恐竜たちや、もっともっと昔の海辺を這い回っていた三葉虫のイラストなんかがのっている。
そういうのを見ていて僕は思う。
本当に大昔にはこういう変わった姿の生き物たちがいたんだろうか?何億年も前・・・何億年も前って想像もつかない。
本当にそんな昔から地球はあったんだろうか。宇宙はあったんだろうか、本当にこの図鑑の通りに?
そんなことを考えていたときに、ふと思う。
巨大なときの流れとか、こういう生き物が生きていたとか、それって本当は全部僕が考えたことじゃないかって。
今こうして本を読んでることも、本当は全部、僕の見ている夢だったらどうだろう・・・・
そう考えるとなにか真空に吸い込まれていくような怖さを感じるけど、その浮遊感が快感でやめられない。
目を閉じて僕は思う
この宇宙すべてが僕の夢じゃないっていうことを証明する方法はなにひとつないんだって。
僕らは自分の心や、脳、感覚器官の外側に出ることはできないから。
アホな事いうなって、誰かが僕の頭をハリセンで殴ったとしても、それだって僕の意識がそう想像しただけかもしれない。
・・・でしょ?
もし映画マトリクスのミスターアンダーソン君が、そんな疑問に悩まされていたらどうだろう。
モーフィアスはこう答えるかもしれない。
「そう、ある意味で君は正しい。すべてはイリュージョンだ。君はマトリクスによって夢を見せられているのだ。私とともに目覚める勇気はあるか?」って。
こんなこともあった。
僕の布団の枕に、蚊みたいな小さい虫がとまっている。
じっとして身動きもしないから死んでいるのかもしれない。
うつぶせに寝転がって、その小さな虫をみてると気づいた。
こんなちっぽけな、きれいでもない虫。人は無視して簡単に叩き潰す。
でも、この虫を生き返らせることや、この小さな虫をゼロから作り上げることは誰にも、少なくとも人間にはできないんだっていうことだ。
そう考えると、この小さな虫の死体がとても謎めいた奇蹟に見えて、僕は長い間それを見つめていた。
もしかしたらこういう不思議な瞬間はみんな経験してるけど、多くの人は忘れていたり、自分の心の中にだけしまいこんでいるのかもしれない。
とにかく子供の頃のことを思い出すと、ありふれた思い出でもほんわかした幸せな気分になる。
お金の心配もなく、年を重ねていくことへの不安もなく、病気の心配もなく、夏休みは永遠みたいに長くて、大好きな家族や友達、おもちゃや本に囲まれている。
日本の未来や年金制度、原発問題について思い悩んだり、怒ったりすることもないし、自分がいけてるかいけてないか、勝ってるか負けてるかなんて考えない。鏡もあんまり見ないから、口の上に鼻くそがついていても、頭が大爆発したみたいな寝癖がついていても気にしないで走り回る。
うーん、これってちょっとした悟りの境地じゃないだろうか。赤ん坊も子供も自分が悟ってるなんて思わずに、気に入らないことがあると大声で泣き喚いて、でもすぐに機嫌を直し今度は転げまわって馬鹿笑いしてたりする。とても僕にはかなわないほどハイな生命体だ。
僕らは周りの世界にすぐに違和感や疑いを抱くけど、子供たちはパパやママを無条件で信頼し周りの世界と溶け合って一体になっている。
案外そういうことが幸せの秘訣なのかもしれない。
僕だってそうだった。
父も母も大好きで、母には学校であったこと何でも話したし、父は物知りで世界の事、宇宙のことを何でも教えてくれるみたいだった。
宇宙が膨張していること、ブラックホールっていうなんでも吸い込んでしまう穴があること。
父が実家の屋根の上に建てた巨大なアマチュア無線のアンテナは、ゆっくり回転しながら僕の知らない遠い世界からの情報を受信してるように見えた。
2人の弟たちとはよくアホのようにはしゃぎまわっていた。
幼い頃ノストラダムスの予言を知ったときにとても怖かったのは、この楽しい世界がなくなってしまうなんてとても嫌だったからだ。
多分未来って言うのはドラえもんの世界みたいになるんだろうな~なんて能天気に思っていられた。
というか、僕の机にだってドラえもんがいつかやってくるに違いないとさえ、思っていたかも。
トランスパーソナル心理学の草分け、スタニスラフ・グロフ博士は、出産前後に体験する段階を4つに分けてそれぞれを研究した。
それぞれBPM1~BPM4っていう名前がついている。
BPM1は、胎児が子宮の中で安全に守られて、自分と他者の区別のない恍惚とした無意識状態にいるときを言う。
僕も子供の時はBPM1にいたのかもしれない。
何も心配せず、周りと溶け合い、無邪気でいられた時代。
それがそのときに僕を支配していたMATRIXの形態だった。
胎内にいるとき僕の全宇宙は母だったのだ。流れる川は母の血液で、体を温める焚き火は母の体の熱で、そよぐ風は母の想いだった。
そしてその母もまた、祖母の胎内で至福の時を過ごした記憶を持っている。その祖母もまた・・・
まるでそうして胎児の視点で考えると、たったひとつの子宮が全人類をはぐくんでるように思えてくる。
熱く脈打ちながら、時を越えて命をはぐくむひとつの子宮。
それは銀河の星の海で赤く輝く永遠のアーキタイプ。
生命は永遠に母系性だ。
その子宮の記憶の連鎖のうちに人類の歴史は成り立っている。
歴代のアメリカ大統領だって、ノーベル賞受賞の学者だって、アドルフ・ヒトラーだって、独房の中にいる死刑囚だって同じように一度はこの全人類共通の時を越えた至福のマトリクスにいたんだ。
でも出産のプロセスがBPM1からBPM2に移行していくように、MATRIXの形態も変わっていく。
BPM2ではそれまで安全な夢の家だった子宮が収縮して、胎児を締め付け始めるのだ。
僕を包むMATRIXにも出産に伴う様々な変化が生じようとしていた。
ある日いつも汚いなべで雑炊を食べていたおじいちゃんが庭で倒れて、1週間後に亡くなった。
それ以後僕は自分自身も近いうちに死んでしまうんじゃないかという死の不安に付きまとわれはじめる。
小学校のクラスメートたちは大好きだったけど、
僕は転校のため、仲の良い友達たちと離れなければならないことを知った。
みんながしてくれた寄せ書きを新しい家の庭で読んで、僕はこっそり涙を流した。
すぐに新しい街、新しい学校での生活が始まった。その学校の子供たちはなんだかまえの学校よりも都会的で大人びてるように見えて、完全に心を開けなかった。
家族の中でも変化が生じていた。
僕は父親にちょっとした反感を感じることが多くなり、いろんな出来事をきっかけに、親に対して、、少しづつ心を閉じるようになっていった。
MATRIXの変化は外的な環境だけじゃなく、僕らの心身の中でも起こる。
僕は思春期と呼ばれるエゴと肉体が急成長する時期にさしかかり、セックスへの興味や、自意識の増加などが自分と世界との分離に拍車をかけていった。
自分がとても薄汚い存在に思えたり、逆にいや本当はなんでもできるスーパーな存在なんだといい聞かせたりするようになった。
誰でも経験する痛みと甘美さを伴う、自我の目覚め。
ちょうどそのころ長い、長い、BPM2が始まったんだ。
赤ん坊に意識があったらきっと思うかもしれない。
「なに?お母さん、なんか変だよ!苦しいよ、僕はどうなるの?僕はここにずっといたいんだよ!追い出しちゃイヤダ!僕はずっとここにいたいんだよ!僕のことが嫌いになったの?どうしてなの?イヤダ!イヤダ!僕を追い出しちゃ嫌だ~~~っ!」って。
でも出産のプロセスは母親にだって止められるもんじゃない。幸せだった状態が突然奪われるのはつらいし、苦しいし、悲しいし、腹が立つけど、MATRIXの変化に応じて僕らは前進しなければならない。
母体の中で前進するって言うのは身を委ねるっていうことだ。お母さんの体で起こっているそのプロセスに。
そしてたどり着くのは、BPM4.
出産の最終段階、この世界への誕生。
それは胎児の勝利なんだけど、胎児という形態の死でもある。
勝利と死が等しいなんて面白い。
そして、美しい。
古い格言にこんなのがある。
「お前が生まれるとき、世界は笑い、お前は泣く
お前が死ぬとき 世界は泣き お前は笑う 」
もしかしたらその誕生のとき赤ちゃんは、胎児としての死を嘆いているのかもしれない。
にっこり笑いながら母体から出てくる、モーフィアスのような特殊な赤ん坊はまあ・・・例外として。
生きてからもBPMは続いていく。
この世界に生れ落ちて、一人きりになったと感じても実は僕らを包む母体がまだ存在して、その形態の変化が僕らを前進させる。
僕らを包む母体、それはすべての現象の統合体であり、根源である究極の幻影マハー・マーヤ。
それは宇宙であり、自然であり、人間社会であり。肉体であり、心であり、人生そのもの
それがM・A・T・R・I・X
胎児の僕らにとって全宇宙は母だったように、大人になった僕らにとっても実はこのすべては<マザー>であるとモーフィアスは言う。
母体の変化に驚いたり、安心したり、混乱したり、時には身も心も溶けるような至福を感じたり・・・
じゃあ、もしそうだとしたら、すでに生まれている僕らはいったいどこにむかって誕生しようとしてるんだろう?
僕らはMATRIXの中で勝利するために、そして死ぬためにこそ生きる。
そのときに僕らが経験する勝利と死ってなんだろうか?
「僕」が死ぬとき、僕は笑えるのだろうか。