ソルフェジオを聴いてみる



  初めて長時間聴いてみましたが、ソルフェジオ周波数は気持ちいですね。

  正直BGMとか自然音がいいのか、周波数そのものの影響かわかんない部分もありますが。

  機会があれば音叉などで実際に実験してみたいです。

  今回よく聴きこんだのは以下のふたつでした。






  DNA修復効果のあると言われる528 と、マイナス状況からの脱却などの効果ありと言われる 417

  528 なつかしいような深いリラクゼーション状態になりました。
  417は周波数の上に載った自然音が好きなんだな~波の音と、、なぜか牛の声とか
  そのバックで流れる おーんという音が417hz
   
  うーこういうの聴いてるとPOPSがあまり聴きたくなくなる。。。


  以下のブログでBGMなしの528も聴けます。

  蘇る!528hzで遺伝子修復!


  ↑とyoutubeの528を同時再生するとおもしろいですよ。

  なんかソルフェジオについては情報が若干錯綜してますね。
  
  グレゴリア聖歌に使われてた古代の音階という話しもあるし、最近作られたものという説もある。

  どうも欧米の自然療法家が暗号を解いて発見し、それが世に広まったというようなことらしいですが。

  まあでも、ルーツはどうあれ、やっぱり体感としては気持ちいいかな~。



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セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/06/18 22:25

ハナミズキ ライアー演奏


 
 一青窈の「ハナミズキ」ライアー演奏。


 
 ライアーというのはハープの一種ですが、20世紀前半に、シュタイナー教育の現場で働いていた音楽家であり、治療教育者であったエドモンド・プラハトEdmund Pracht によって生み出されたそうです。

 元歌。




 なんでも、「千と千尋の神隠し」の主題歌、木村弓さんが歌う「いつも何度でも」もライアーを弾かれてたんですね。
 知りませんでした~。



 詳しくは知りませんがライアの奏でる周波数は、現在の音楽で使われている周波数と違うらしいです。 



セラピー&ヒーリング | コメント(4) | トラックバック(0) | 2017/06/11 19:20

近況③:セルフラブ あれこれ 内なる母性と父性

  漫画「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」の中に、作者のカビさんが「私・・・自分から全然大事にされていない・・・!!」と気づく場面があります。

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 「そういえば自分から (物を食べる資格ないから 何も食べるな )とか、(何もしないなんて許さない!)とか言われた

 「自分を大事にできないから、何を思っても自分から(大したことない)扱いされる

 「だから何がしたいかわからないし、ついには何も考えられなくなってしまった

 「他にも 『仕事を通して人とつながっていたい』とか 『友達とか一緒にいて楽しい人といたい』とか私全部手放してる・・・」

 「自分で自分を大切にしたい 自分の気持ちをわかるようになりたい・・・!!」

 
 自分を愛する、ということは自分の気持ちや考え(もっと言えば体感覚など)に気づいてあげられている、ということでもあるんですね。
 それは僕は最近腑に落ちてきたことではあるんですが、自力でそこにたどり着いたカビさんはすごいなーと思います。

 セルフラブに関して昨日ちょっとインスピレーションが降りてきたことがあります。

 それは人をエンパワー(力づける)するには、およそふたつくらいの方向性があるのではないかということで、それはセルフラブについても言えるのではないかと。 

 それは母性的なものと 父性的なものです

 人間にとっての愛とはだいたいこの二つの傾向性からなるので、セルフラブに関してもそれが言える。


 母性は 包み込む(ハグ) 子供の声を聴く 理解する 気づく ごはんなど栄養を与える からだのケアをする など 

 によって現れる作用で、これらを自分に向けることは母性的に自分を愛することです。

 母性的なエンパワーメントは陰で支える、力づけるという作用があり、そこには愛の他には「論理や 価値観 意味性 世界観」などはありません。

 母性愛は宇宙の性質である「無条件の愛」により近いものだからです。

 一方父性愛は、生きる道を説いたり、独自の宇宙論や世界観、社会観 真理 モラルを持っています。

 父性はロゴスであり、ユング心理学でいうところのアーキタイプ「老賢者」だからです。

 それは十戒の石板を持つモーゼでもあり、何が悪くて何が良いかを教えたりします。

 母性愛には方向性はなく、いわば全方向的なのですが、父性愛は明示して導く、という方向性を持っていると言えるかもしれません。

 言うまでもないことですが、赤ん坊にとって一番最初に必要なのは十戒の石板ではなく「ミルク」。つまり、母性愛です。

 トータルに必要とされている、愛されている、世話され必要とされている、という感覚があって初めて、ロゴスが意味を持ちます。

 よくあると思いますけど、人生論とか、お説教を聞いてる時、それが本当に自分のためを思って言われたものなのか、それとも自己満足や自分を支配するために話されているものか・・・ということを人は直観的にわかります。

 たぶん前者は心を打つだろうし、後者はもやもやするのではないかと。

 自分を愛するという場合も、ロゴスで導く以前に、今ここに存在している、ありのままの命としての自分を祝福し、いつくしむということがまず大事なのではないでしょうか。

 世界観や倫理【何が正しいのか)の形成はそのあとで、愛を土台としておのずと発達してゆくべきものだと思います。 


  

セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/06/07 13:23

In deep Self Love



  



  このところ、僕の関心は北○○・・・ではなく「自分を愛する」ということにまた向いています。

  きっかけはこの「自分を愛せなくなってしまった人へ」というちょっと重たいタイトルの本を読んだことでした。






  著者のティール・スワンは人間のサトルボディが見えたりする、超感覚的知覚者です。
  一番上の動画のお姉さん。

  しかし、僕がこの本を読んでみたのはその理由ではなく、彼女の人生体験があまりにヘビーで過酷なものだったからなのです。

  帯に書いてありますが

  「私の6歳から19歳までの経験を簡単にまとめてお話ししましょう。

  私はカルト的な儀式で性的、肉体的に苦しめられ、レイプを受け、食べ物を取り上げられ、三回の中絶を強いられました。

   さらに、電気ショックを与えられ、縛られた状態でアイダホ州南部にある溶岩洞の中に一晩中置き去りにされました
。」

 とあります。なんだかもう意味不明なレベルですが

 これらの虐待は、彼女が超感覚をもっていたために両親から引き離されて預けられた、ある男性によりくわえられたようです。

 彼女は幼い頃からずっとこの男性のもとで半洗脳状態にあり、支配されていたと言います。

 3回の中絶というのも、この男性の子供を何度も妊娠してしまったからなのでした。

 沸騰させたヘロインを無理やり注射されるようなこともされています。(それによるフラッシュバックの後遺症も)

 普通ならトラウマの影響により、生涯立ち直れなかったり、命を絶ってしまってもまったく不思議ではない生い立ちです。 

 実際、現在でも依存症をはじめとしてまだこれらの影響は残っているといいます。
 しかし、それでも人生を愛し、希望を感じられるようになったという、彼女が困難を克服した道というのがとても気になって、読んでみたのでした。

 いやーだって、まったく順風満帆な人が語る『自分を愛する』話しよりも、これだけの困難を経験した人が語る「自己愛」の方がやっぱり気になるじゃないですか。

 今回はこの本の紹介は軽くとどめたいと思いますが、彼女の過酷な経歴と、自分を愛するための方法論に主にページがさかれています。

 この本を読んで、「あっ そうだ僕ののテーマも<自分を愛する>だった」と思い出しました。っていうか、ある意味誰しもが・・・というテーマですが。

僕は過去世、修道院みたいなところで自分の背中をムチでぶったたき続けていたらしいので、今回は自分の頭をなでなでしつつ
喜びの道を行きたいと思います。

 一度、酔っぱらった時に、その情報を思い出し試しに自分のベルトで背中を叩いてみましたが大変なじみある感覚でした。

 あっ、なんかのプレイじゃないですよ。別に気持ちよくはなかったですね(笑)

 まあ、これがテーマとなるタイプをあえてあげるとするならば、激しい自己嫌悪とか自己不信とか、罪責感、そして孤独感のある人と言えるかもしれません。そしていろいろな意味でマイノリティ的性質を持つ人・・かな(社会的に自分を肯定しにくいため)。

 この本を読んで、「自分を愛する」とはとても広範囲に及ぶことなんだとあらためて気づきました。

 例えば、「楽しいこと、わくわくすることをする」もそうです。
 「鏡に向かって愛してると言う」もそうです。
 そして「自分に感情や肉体をしっかり感じる」ということもそうだし
 「部屋をきれいにする」とか
 「人と自分との境界線をしっかり守る」ということもそうなのです。

 「自分を愛する」言うは簡単ですが、実はかなり奥が深く、また多方面にわたる、生涯続くワークなのかもしれません。

 そして「人にやさしくする」もまた「自分を愛する」ということなのです。

 この本の趣旨を簡潔に言うと、行為や思考の出発点を「自己愛」とすることのススメと言えるでしょう。 

 自己愛っていうとしばしばエゴイズムとか幼いナルシズムと混同されがちですが、これは明白に違います。

 本文中にも説明があるように、利己主義というのは「自己愛」の不足と言えると思います。
 愛が不足してることにより、自分のことしか考えられなくなってしまうような感じでしょうか。 

 面白かったのは無私無欲の人、と利己主義者は波動的に一致しているとティール・スワンが書いてることです。

 無私無欲の人も、利己主義者も愛が有限だという思いを抱いており、利己主義者はそれをむさぼり、無私無欲の人はそれを与えねばならないと思うとスワンは言います。だから、この二つのタイプはよく出会ってしまう。
 そして被害者と加害者になります。
 どちらも本当の自己愛が足りていません。
 
 だからボランティア的なことをしたり、援助職をする場合、不足した自己愛の埋め合わせのためにやっていないかどうか?ということを確認するのがすごく大事なんじゃないかと僕なんかは思います。
 そういう場合はたやすく本来あるべき、人と人との境界線がぐちゃぐちゃになるようなことが起こりますからね。 

 さて、この「自分を愛する」の自分とは何か?ということを僕なりに図にしてみました。

 僕のイメージでは簡単に書くとこういう感じになります。

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 ハイヤーセルフ(魂)は、肉体を越えた僕らのエッセンスです。
 これはこの世界で表現したいこと、与えたいことの青写真を持っています。そして直観という形で自我にメッセージを送る場合もあります。このメッセージは感情を通じて送られることもあります。

 インナーチャイルドは僕らの中に眠る子供心です。 
 否定的、肯定的、自分自身についての様々な信念を保持しています。多くの人は大人の仮面の下に、未熟なインナーチャイルドが潜んでいます。そして、ある状況などによってトリガーがひかれると、インナーチャイルドのなすがままの子供のようなリアクションをしてしまうことになります。恋愛関係でよくありますね・・・
 この子供は叱るのではなく十分愛情を持って、育てる必要があります。

 一方でインナーチャイルドはとってもイノセント。遊び心や、原初的宗教心、豊かな想像力を持っています。
 もともとはハイヤーセルフと直結する部分なのです。
 イエスの言う「幼子のようにならねば天国へは入れない」、そういうピュアな性質です。

 環境とか他者は自分の内面が反転した感じで、これもある種の「自己」になると思います。
 だから「人にやさしく」も「自己愛」。

 魂としての自己、内なる子供としての自己、他者としての自己、感情としての自己、肉体としての自己・・・・

 自己愛とは、自己の多面性を知り、そのすべての部分を受け入れ、愛することだと思います。
 僕らはこんなにも多重的な、素晴らしい存在なんですね。

 僕らの目に映るのは、鏡に映る自分だけですが、本当はもっともっと広い。

 ハイヤーセルフの上に「神」と書きましたが、「神」は超自分です。

 個々の人々が葉っぱだとすると、神様は木の全体、あるいは幹や根っこにあたります。

 だから葉っぱからすると、木は自分自身でもあり、一種の親分でもあります。

 葉っぱが深く深く自分を愛するならば、木自体も愛さずにはいられない。
 「神への愛」と「自己愛」はそのようにつながるのかもしれません。


 今後もしばらく、自分を愛することについての記事を時々書いてみようと思います。

 







セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/29 20:47

世界で一番KIMIが好き!




  先日、カラオケで歌っていた歌に「君は世界中で一番だ・・・」みたいな歌詞がありました。

  ドラマや映画でも「君を世界一愛している」、とか「あなたは世界一素敵」みたいなセリフがまれにあります。

  僕はちょっとひねくれていましたころ、

  「世界一好きって、世界中の人間を知らないくせに、なんで世界一って言えるわけ?」と心の中でひそかに難癖をつけたりしておりました。

 いちいち漫画みたいなセリフにそう真剣に突っ込まなくてもいいのかもしれないですが、「なんかおかしいなー」といつも思ってたんですね。こんな嘘みたいなセリフが感動的なんだろうかと。

 あまりにも「永遠のラブソング」的JPOPが氾濫してますので、まあそうも言いたくなります。

 逆にハイロウズの「千年メダル」という歌の歌詞のように

 「永遠に君を愛せなくていいか?十字架の前で誓わなくてもいいか?たとえば1000年、1000年じゃ足りないか?」

 っていうような言葉は「カッコいいなー」と感じていました。

 だって簡単に「この愛は永遠」とかって言っちゃうより「永遠に愛せなくていい?」って言う方が永遠の愛を意識してませんかね~。




 まあ、でも歌うんですけどね僕も、「世界中の誰よりも・・」的などんだけくさいセリフがある曲も。
 誰でもトータルの雰囲気で良いと感じた曲であれば、好きになって口ずさむと思います。

 「世界に一つだけの花」も「Heal the world」も好きですよ~^^
 
 ところでスピリチュアルな世界で言うところの「無条件の愛」というものがあります。

 これは「神さまの愛」と言い換えてもいいと思いますが、人間の一感情ではない、宇宙に遍満する「愛」のことで、「無条件」という通り「あれをしたからご褒美に愛してあげよう」とか「いい子だったからほめてあげよう」とかいう条件付きの愛ではなく、怠け者も悪い子にも関係なく降り注いでいる愛のことです。

 これは僕のイメージですが、「無条件の愛」というのは宇宙的なもの、元素記号にあるH<水素>とかO<酸素>とかいうレベルのものであると理解しています。人間より先にあるものなのです。
 愛が人間の文化などにより生まれているという発想は、「脳が神をつくった」という発想と同じように転倒しているのです。

 「無条件の愛」の世界では、より愛されてる人も、より愛されてない人も、より愛情に恵まれてる人も、より孤独な人もいません。

 何をしていても、男でも女でも、貧乏でも豊かでも、ノーベル賞をもらっても、刑務所に入っていても、オリンピックに出てても、ホームレスをしていても、毎日テレビに出ていても、一生引きこもっていても関係ないようです。

 「差異」というのは意識が肉体・この世界と結びついているところから仮に発生しているもので、

 本当はすべて同じ人間であり、同じ神の子であり、同じ意識の部分です。

 「無条件の愛」において「特別な存在」はないと言います。


 ところで、話しはまたさっきの「世界中で一番好き」に戻りますが。

 これって親→子の間では「世界中で一番好き」というのはまったく成立するんですね。

 そこんとこ見逃してたなー。

 例えば、ママ→子 への世界中で一番好きってのは 「ほかにもっと好きな子がいるかどうか世界中を見て回る必要がない」ってことですね。なんというか、その場合の好きっていうのは、いろいろな対象を検討したうえでの相対的「好き」ではなく、比較検討する必要のない絶対的「好き」なんですね。

 その親の絶対的「好き」により、

 子供は自分は「とっても、とっても特別な存在」という感覚を持つわけですね。
 「僕・私はスペシャルなんだ」「誰かにって世界一」なんだという。

 そこに考えが至った時、僕は

 「あ、違う、世界一好きって、きれいごとなわけじゃないわ。人間にとって必要な感覚なのでは?」と思いました。

 だって「ねーママ、僕と、隣のケン君とどっちが好き?」って尋ねて

 「そうねえ、おんなじ位に大好きかな(^∇^)」と答えられたら。

 (。Д゚; 三 ;゚Д゚) うごごご

 きっと凹みますよ。トラウマ級です。
   
 だから大切なのはきっとここなんです。「同じじゃない」ってことなんです。この段階においては。

 「無条件の愛」の本質は、確かに万人に等しく・・・なのですが、哺乳動物としての人間が成長するプロセスにおいては「同じじゃない」「誰よりも」「スペシャル」「世界一」というような感覚がどうも必要なのではないかと思うんです。

 で、それの延長上として、この「世界一」感を持っているならば、パートナーに対しても私にとって世界一という感覚がおのずと生まれることがある。ほかの対象を比較検討することなく、「世界一特別だ」と言えるという。

 なるほどなー、そう考えれば「あなたが世界一好き」というセリフもありだなーと一人納得したりしていました。

 もしも「誰かにとって世界一特別」なんて感覚自分にはないなーという場合は

 よくセルフラブのセオリーで勧められているミラーワークなんかをしながら、

 「愛してるよ、世界で一番大好き!君が誰よりも大事だよ」と思い切って言っちゃうのもいいのかもしれません。

 ちょっとわがままなセリフにも聞こえるかもしれませんが、親が子供に言うセリフならそれほど違和感ありませんよね。  

 だから自分が自分自身を育む親になり、

 それを自分の中のインナーチャイルドに言ってあげるのは、アリなのではないかと思うのです。

 もしかすると、「私はみんなと一緒」は「私は特別」を経ないと生まれてこないのです。

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セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/27 16:05

雨のウォーキングは、インナーチャイルドと


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  インナーチャイルドとは、僕らの中に住んでいる幼子です。

  どんなくそ真面目な大人でも、またお年寄りでもふとした瞬間に遊び心やイタズラ心が顔をのぞかせる時がありますが、それは僕らの中のインナーチャイルドが生き生きとしている時だと思います。

  インナーチャイルドは創造性や、無垢な感受性を持っています。
  大人心の代表となるような効率性や、合理性、社会性、習慣などとはまた違った目で世の中を眺めているのです。

  この子供は生涯にわたり、僕らの心の中に住み続けます。
  
  インナーチャイルドとお散歩に出かけて見るのはとても楽しいことです。
  雨の中、彼と出かけてみました。

  ○○君、○○ちゃん、お散歩に行こうか、そんな風に声をかけてから近所を歩いてみます。
  横に小さな自分自身が歩いているようなそんなイメージです。

  ○○君、きれいな花が咲いてるね!○○君、どこに行きたい?

  そんな声掛けを行いながら歩きます。

  最初はちょっと照れくさかったり、バカバカしく思えるかもしれませんが、ゲームのつもりでやっていると、そのうちインナーチャイルドからの反応が返ってきます。

 歩道のへりをバランスを取りながら歩いてみたくなったり、街路樹に触ってみたくなったり、いつもと違うことをしたくなるかもしれません。

 ウォーキングは「運動」ですが、インナーチャイルドにとっては「探検」なのです。

 インナーチャイルドは感覚的なことが大好きです。雨粒を顔で受けたり、木の肌の匂いを嗅いでみたり、せまいところをくぐってみたり、、、

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 DVDショップに入ったら、「○○君、何見たい?」と彼の意見も聞いてあげます。
 スーパーやお総菜屋さんに入ったら、「○○ちゃん、おなか減ってる?食べたいものはある?」と尋ねてあげます。

 子供っぽいアニメや、ハンバーグ、オムレツをインナーチャイルドが欲しがったら、時にはそれを買って一緒に楽しみます。

 体にいいからでも、栄養があるから、太りにくいから、そんな理由で食べ物を選ぶことを少しやめて、インナーチャイルドが望むものを食べてみます。

 そういえば僕は子供の頃、やたらとハンバーグが好きだったのでした。
 あまり食べなくなったのは牛を聖なるものとあがめるインド人に洗脳されたからでしょうか(なんでやねん)

 インナーチャイルドは思わぬ発見も与えてくれます。

 真っ直ぐに、最短距離で、次にすることを考えながらせかせかと家路をたどるのではなく、子供心の趣くままに・・・

 いつもは行かないような木が生い茂った公園のはしを導かれるままに歩いていると、フェンスの向こうにウサギ小屋があって、何匹もウサギたちが丸くなっているのが見えました。

 「あー○○君、うさぎいるねー」

 じっと見ていると、こちらに気づいた一匹がはねながら少し興味を持った様子で近づいてきます。
 かわいい~

 インナーチャイルドと散歩しなかったら、これに気づかなかったなぁ、こんな公園のはしっこなんかに来なかったなあ

 と思いつつ、しばらくうさぎたちを眺めていました。

 ところが、このフェンスの向こうはどうやら小学校の模様。

 公園の警備員らしきおじさんが、さりげない様子で、あきらかに不審そうにこちらを見ているのに気付いた僕は、見えないチャイルドの手を引いてそそくさと立ち去ったのでした。

 今読んでいる、ティール・スワン著の「自分を愛せなくなってしまった人へ (Shadows before Dawn)」にこんな文章がありました。


 「自分を愛するとは、与えてもらえなかったものを、自分に対して与えるということです


 


 さて、あなたの内なる子供が欲しがってるものはいったいなんでしょうか?

 承認でしょうか、夏の旅行でしょうか、愛情のこもったハグでしょうか、飛行機の模型?ドールハウス?
 あるいは、イチゴの乗ったショートケーキやデミグラスソースたっぷりのハンバーグである可能性も高いですね^^

 
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セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/22 18:24

「身体はトラウマを記録する」 足し算と引き算




今日は雨で、外出時はストールでも巻かないと寒いです。

  部屋でこの前トラウマセラピストさんに教えてもらった本を読んでいます。

セラピストのH先生、こと花丘先ちぐさ生のブログはこちら

  ベッセル・ヴァン・デア・コークの「身体はトラウマを記録する」という本です。


 


  教えてもらってすぐ「これは読まねば」センサーが反応しましたが、やや高めの本なのでカードの支払いが翌月分になってから購入。

 著者はボストン大学医学部の精神科教授のシブいおっさん(失礼)です、若いころからベトナム帰還兵などへの診療をおこない、その当時からPTSD反応に関しての探求を始め、事故・戦争などによるPTSDを始め、虐待、ニグレクトによる発達トラウマ、愛着障害なども含むとても網羅的な本になっています。

 トラウマとはどのような状態なのか、その時脳と神経系はどのようになっているのか、MRIの脳画像なども豊富にちりばめられてあらゆる角度からトラウマの正体に肉迫しています。

 その治療法としても、EDMR、EFT(タッピング)、ヨーガ、マインドフルネス、音楽、演劇、武道、気功・太極拳、内的家族療法、ライティング、など非常に多くの技法が紹介されています。

 プロザックや今離脱症状が問題となっているのベンゾジアゼピン系の薬物(デパス、ソラナックス)、メジャートランキライザーであるリスパダール、ジプレキサーなどを使用する薬物療法ももれなく含まれ、その問題点と効用に関して知ることができます。

 デパス使ってる方気を付けてくださいね~
 もと同居人も飲んでたのでちょっと心配してるんですが

 ヴェン・デア・コーク氏はソマティック・エクスペリエンスのピーター・リヴァイン氏の盟友でもあるようなので、僕が受けているSEも有効な方法として登場していました。SEはこれ↓





 また技法の持つ有効性の範囲、これは事故トラウマには効果的だが、一方児童虐待にまつわるものにはそれほど友好的ではないなどの情報も知ることができます。
 トラウマ治療に関しては特定の理論・方法に固執するべきではないということですが、まったくその通りだと思いました。

 僕がこれを読んで、あらたに認識が深まったのは、こころの機能不全には「引き算」でよくなるものと、「足し算」が必要なものがあるのではないかということです。その混合もあり得ます。

 たとえば事故トラウマだけの場合、これは「引き算」ではないかと思うんです。
 TFR タッピング などの身体的技法、そしてSEもこれに対応していると思います。
 これは大きな衝撃により、凍りつき反応あるいは過覚醒に陥っている脳を落ち着かせていく方法論だと思います。

 しかし、愛着障害、児童虐待による発達性トラウマとなると、これは明らかに「引き算」ではありません。
 人を信頼するという回路ができてなかったり、、注目と承認の不足、それによる圧倒的な愛情飢餓感、空虚感、不安感などがあるからです。
 いかにして、サポートや学習により新しい回路を形成して、ハートを開いてゆけるかという「足し算」の作業になってゆくと思います。
 関係性の問題は、おそらく関係性の<場>でしか解消しないのです。

 表層的には同じような機能不全であっても、問題の根を見極め、「足し算」が必要か「引き算」が必要か知る目がセラピストには必要となるのでしょう。
 まあ、セラピスト側からの理解や愛情が状態をよくしていく基盤であるという意味では、おしなべて「足し算」でなければならないとは思うんですけどね。

 いやーそれにしても、、、結構悲惨なケースがたくさん書いてあって、一気に読むと具合が悪くなりそうなところもありますが。

 それでも、これだけ多くの治療法があって、トラウマのメカニズム解明が進んでいるという希望をもたくさん得ることができるという意味では必読!の一冊かもしれません。特に、セラピストを志す方、現職の方には読んでいただきたい本です。

 特にトラウマって自分に関係ないなーという人でも、心身をさらによい状態に、wellnessからsuper wellnessへと飛躍させる秘密もたくさん書いてあるので結構ためになると思いますよ。

 トラウマの癒しには「体感覚を認識できる」ことやからだとのつながりがとても重要だとなんども本の中で強調されています。

 去年から興味が出てきたヨガや、ヴァーカルレッスンはそういう部分で役に立っててくれたのか~!な?




セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/11 11:50

太陽フレアとアーシング



  ここ数日ずっと静かだった太陽活動が、まあまあ活発でM6クラスのフレアを数回放出しています。

   これは4月1日くらいから始まった流れのようです。

   黒点数もずっと0だったのが現在75まで増加。Xクラスがたびたび起こっていた2011年ごろと比べると、めっちゃ激しいというほどでもないけど、現在は太陽は静穏期だけにちょっと珍しい状態?なんでしょうか。

  何回か記事でも書いていますが、Mクラス以上のフレアは微妙に心身にエフェクトしてくる感じがします。

  2,3日前ちょっとウツ傾向がひどかったので、3時間くらいウォーキングしたら、帰り道から微妙にのど鼻が痛くなり風邪ひいてしまいました。

 2日ほど寝たら、だいたい治って、今に至る。

 特にこれといった原因もなく感情をかき乱されたら、「太陽?」と疑う習慣があり、結構な確率で的中します。

 なぜ、こうなるのか科学的知識があまりないのでよくわかりませんが、やっぱり電気とか磁気とかに関することなんでしょうか。
  
 太陽からの影響を感じやすい人と とりたてて感じない人がいるようです 

 これはまったく僕の推測なんですが、

 トラウマ体験などで大脳辺縁系が常時覚醒状態にあるタイプの人、というのは、いわば脳が帯電しているようなそんな状態のような気がします。交感神経活性 Fight or Flight モード。いつも「ぴりぴり」している。 

 で、その常に帯電している脳が、太陽からの磁気だかなんだかに反応して機能がおかしくなるのではないかと。

 3・11の前なんかはXフレアが連発して、僕もはりつめたそんな状態がずっと続いていて、 太陽の影響というのはわかっていたのですが「もういい加減にしてほしい・・・」とヘタリかけてたのは覚えています。(地震に直接関係あるかどうかはしりません)

 こういう天体現象への心身の反応は結構やっかいで、特に「フレアと感情の相関性」とかは自分のリアリティマップにない人がほとんどなので。
 そういう場合、金銭問題なら金銭問題、パートナーシップ問題ならそれ、上司がむかつくならそれ、という風に常日頃ある微妙な心のでこぼこが異常に拡大されてしまいます。
 だから、僕らは「それ」でムカついてると思うんですが、そうじゃないんですよね。

 それを堪えがたいまでにしている、別のなんらかの「エネルギー」がある可能性は常に覚えておきたいと思っています。

 僕はまあ、すごく気が滅入ったら「二日酔いになるくらい呑みすぎてしまう」くらいが関の山なんですけど、人とか自分とかを傷つけてしまうケースが、結構こういうエネルギーの作用で起こってる気がするんですよね。ぎりぎりまで脳が帯電している人の場合、特に。

 だからもし、種々の気象、天体現象がメンタルに及ぼす作用がもっと明らかになれば、かなり社会の平和に貢献すると思うのですが・・・。

 昨日くらいから、体調回復してきたので、公園や河原にいって、2,30分裸足で歩き回っています。

 大地からエネルギーをもらうアーシングです。




 今くらいの時期は寒くないし、暑くないし、裸足気持ちいいです。
 もうちょっと暑くなると、蚊とかいろいろ出てきて裸足だとちょっとうっとおしくなります。

 アーシングには、家電製品などから体に帯電した余計な電荷を大地に放出するという作用もあると言います。
 
 理想的なのは土や、芝生の上で裸足で立つこと(2~30分)、
 アスファルトの上はダメ、コンクリートはOK
 
 電気が放出されてるかどうかはわかりませんが、足裏で大地の様々な感覚を感じながら歩くのはとっても気持ちがよく元気になった感じがします。

 フレア時に、アーシングしたらネガティブな影響をカットできればいいんですけどねー
 どうなんでしょうか。そういう効果あるかな?

 本日は河原に座って裸足で、ハミングしつつ、あったかい日差しをあびていました。
 自分の声のバイブレーションがからだをかすかに振動させ、大地から、日光から、緑から、たくさんプラーナが入ってきたような気がします。
 
 休養中に、このアーシングを普及に力を注いでいるエハン・デラヴィさんのレクチャー動画を何本かみました。
 この二つがよかったです。ハンコックの新作読んでみようかな。
 
 下のは、ルパート・シェルドレイクの形態共鳴場について
 
 


 









セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/05 20:07

見えない糸 愛はエコーする声

  SE(Somatic experience)のセッションを受けつつ、体感や読書で学んだことのアウトプットになります。

  最近気づいたのは、インナーチャイルドの癒し、アダルトチルドレン、愛着障害などと呼ばれる領域において、重要なことは「癒し」というよりも「再学習のプロセス」と言った方がよいということでした。

 癒しあるいは修復という言葉は、完成した構造体がなんらかの理由で破損したときに、そのもとの形態に復元するというイメージです。

 しかしそもそも、構造体ができあがっていないものを修復することはできない。

 アダルトチルドレン、愛着障害という状態は、幼少期に関係性形成に必要な学習が行えなかったことにより、構造体が未完成のまま放置されてる状態と定義できるかもしれません。

 建物だとすると、一階部分の土台がちゃんとしてないのに、二階部分をつくり始めてしまっていたり、材料だけが建築現場で野ざらしになって雨に打たれているようなそんな感じではないかと。

 だから、この領域では再学習によって、脳‐神経系を正しく再構造化していくということ。

 だから「癒し」という言葉よりも、インナーチャイルドの「育て直し」「生き直し」と言った方がよいのかもしれません。

 人を愛する、信じる、理解する、共感する(自分をと置き換えても良い) 

 といった能力は基本的に経験による学習によって積み上げられていくのだと思います。

 もっとも初期の段階では、赤ちゃんが笑い声や泣き声をあげる、その時にリアクションとしての「声」をこちらも反響させてあげる。

 これは「エコーイング」と言うそうです。

 すると乳児は自分の存在が認識されているのを感じ、安心します。
 シンプルですが、学習の基本はこのようなことではないかと。

 でも、ニグレクト的な環境では、いくら泣いても環境からの反応が全くありません。
 あるいは、叱られたり、叩かれたりというネガティブなフィードバックが返ってきます。

 すると、必要な学習が行われずに、発達が凍結してしまうというようなことになります。
 関係性ニューロンの発達が凍結する一方で、不安や怒り、攻撃的な感情が大脳辺縁系に蓄積されます。

 誰かの発言に対して、「うんうん」「ええ、ええ」「なるほど」などの相槌をうつことは、「聴いてますよ~」というサインですが、ルーツをたどれば「エコーイング」がその起源なのかもしれません。

 大人になっても、僕らは互いに存在を確かめ合うことを必要としているのです。

 そして、こちらから「こんにちは」とあいさつをして、まったく無視されると誰でも嫌な気持ちになるというのは礼儀とかそういうこと以前に、 「エコーイング」が成立しないことによる根源的な不安を引き起こすからではないかと思います。

 自分の存在が認識されていること、『声』を出すと、『声』が返ってくること、これは関係性の中で生きる哺乳動物ホモサピエンスとして根本的に必要なことなのです。「声」逆から読めば、エコー(笑)

 「エコーイング」のようなシンプルな学習を基本として

 やがて長ずるにつれて

 ほめられた経験
 痛みや喜びに共感してもらえた経験
 仲間の中で楽しく遊んだ経験
 喧嘩したけど、仲直りした経験
 時間を忘れて会話に花を咲かせた経験
 誰かに優しさを表現できた経験
 愛し合いお互いを大事に思えた経験

 などを得て、人の脳‐神経、あるいはハートとマインドは健やかな状態になっていくのでしょう。

 カウンセリングなどでクライアントさんの話しを傾聴することが、特に重要視されるのは、やはり「聞いてもらう」こと自体がコミュニケーションに必要な神経系の発達を促すからなのでしょう。

 僕が最近、気づいたこと。

 ちょっと気分が低迷してたり、寝起きでテンションがいまいちだったりするとき、

 仕事や趣味の場で誰かとしたコミュニケーションがふと頭をよぎると、心身が微妙に活性化したり、やる気スイッチが入ることに気づきました。それはもちろん、自分にとって楽しかったり、うれしかったり、成功したと思われるコミュニケーションのワンシーンです。

 面白いことを言えて、ちょっと場が盛り上がったとかそういうのも含め・・・ 

 SEセッションで体の感覚を感じることが習慣になっていたのもあるのか、

 人間の心身っていうのは 話が通じると 活性化し 話しが通じないとフリーズする というのが実感としてわかります。

 そして、こういう体験の積み重ねがおそらく、自信とか自己価値観に結びついていくんですね~ 

 この世界にはもちろん、コミュニケーションによらない自己価値観を感じるケースもたくさんある。 

 成績がよいとか、特異な能力があるとか、何かで名声を得るとか、権威により認められる とか

 それはそれでよいことなのですが、そういう自己価値観だけだとある意味もろい。

 土台がガタガタの家の二階天井部に設置された、キラキラしたシャンデリアにアイデンティティーを置くようなものなのです。 

 そしてインナーチャイルドの問題があると、そういうコミュニケーションを介さない自己価値観に惹かれていきやすいような気もします。傷ついて、愛されることはもうあきらめちゃっているんですね。

 僕自身も、もともとコミュニケーション回避的な傾向があり、本読んだり、自然の中に出かけたり、思索したり、一人で酔っぱらってる方が人と絡むより楽、って思うこともあります。それで、部屋でできる仕事で稼げればいいなーなんて夢想したり。

 でも、どういうわけかどっぷり人と関わり、体に触れる仕事をすることになり、その中でいろいろな感情を感じることになりました。
 これは僕にとってはSEセッションと同じように、コミュニケーション脳を育てなおしていくプロセスでもあったような気がします。 

 昨日Aさんとばったり道で会ったとき、優しい言葉をかけてもらったな、昨日Bさんと話してて何気に言ったギャグがウケたな、とかそういう記憶のひとつひとつが 僕の生きるスイッチを押してくれることがある。

 たくさんの人との間につながる見えない糸、たくさんのコミュニケーションの中でできたニューロンネットワーク、それらが僕を生かしていると思う、今日この頃です。

 見えない糸が宝と思えるような人生を生きたいですね


  
セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/01 12:12

HSPのライフスタイルに関して(SEセッションでの会話)  

  先日、Hさんのトラウマ解放セッションでの会話。

  トラウマ解放にはウォーキングなどのエクササイズがとても有効という話しから・・・の展開で

  「・・・なんか展覧会が見たい、みたいな時にそこまで歩いていくとか、そういうのもいいかもしれない

灰  「そうですね。ただ街中が疲れちゃう部分がちょっとあって、いいなと思ってもかなり躊躇するんですよね。労力っていうか、受けるダメージとか考えると、

 「そっか、やっぱり街中の光とか、音とか、人とかそういうのが・・・

灰 「電車の混み具合とか、ですかね。たまプラーザ(セッションルーム最寄)来るのって結構好きなんですけど、ルートによっても違うし、街の雰囲気とかによっても違うんですけど」

 「なるほど、じゃあ雑踏みたいなのが苦手?

灰 「そうですね、渋谷とかホントダメ

 「ああ、わかります!私も渋谷行くと具合悪くなっちゃうの。

灰 「そういう方結構多いみたいですね。

 「やむを得ず用事があっていかなきゃいけない時はしょうがないけど。なんかダメね~、高円寺とか(笑)あっちの方の緑がある方なら大丈夫なんですけど

灰 「中野とか(笑

 「中野とかね~

 てな感じで渋谷苦手話しで少し盛り上がりました。

 中野って言いましたけど、確かに中野は渋谷よりはしんどくないけど、わざわざ行く感じでもないなあ、とあとになって気づき。

 じゃあ、どの辺ならいいのか。中央線の三鷹より西か?いや、単に西って言っても立川なんてまあまあしんどいし、武蔵小金井も南口のセコイアの木の広場は好きだけど、駅周りはなんだかごちゃごちゃしてるし、と考えてると今の最寄駅西武線花小金井くらいがちょうどいいかも?と思います。

 hanako.jpg


 花小金井駅 ランドマークはいなげやビル!


 今の生活スタイルは、基本地元で、用事があればやむを得なく「三鷹」や「吉祥寺」、「国立」(勤務先)などに行くって感じであることに気づきました。
 新宿とか、渋谷、六本木、上野、池袋、そのあたりの山手線まわりや内部の街には一年に数回、行くか行かないかです。 

 人込みや物音に敏感なのはおそらく、生まれついてのものだと思いますが今回のセッションではそういう「敏感さ」について話すことがありました。 

 「Kさんはがちゃがちゃしたところが本当にダメなんだね。静かな環境が必要なんだ。ある意味、普通の人には聞こえない騒がしさもすごく聞こえちゃうとかね。それつらいですよね。

灰 「(騒がしい人たちが)異質な生き物に思えてしまうことが・・・

 「まあ、それに名前をつけるとすればちょっと解離気味なのかなと。あまりにも騒がしく不快なので、ちょっと(からだから)離れるのかなーって

 子供時代も大変だったんじゃないですか?みんなうるさくて。

 
灰 「そうですね。電車とか乗ってて、自分の近くで2、3人で喋られてるだけですごく嫌で

 「うん、うん、わかるわかる。私はそれほどでもないんだけど、Gさんが結構音過敏で。彼も、静かな環境じゃないと絶対我慢できないって。

 なんでもH先生のパートナーのGさんも僕と似たような体質だとのこと。

灰 「僕だけじゃなくてよかったです(笑

 「音過敏の人いるのでね~。ほんとつらいと思うんですよ。私は娘がいるんですけど、私が娘と喋っててもGさんちょっといやなのね。その話し声が。で、それは私たちが嫌いなんじゃないの。

灰 「あーわかります

 「そうそう、私たちが旅行に行くと一緒に行きたがるし、そうなんだけど、でも~、彼も本も読みたいし、そうやって普通にしてる時にここら辺で話されるともうダメなのね。

灰 「集中できないんですよね

 「そうそう、私もそのへんのことが最近になってわかってきて、ホント、デリケートなひとってつらいんだなって

灰 「H先生も、でもデリケートな方じゃないですか?

 「うーん、まあまあ。でも私に輪をかけてGさんの方がデリケートで(笑)だからKさんもAランクって言うか、Gさん並みっていうか。

 電車なんかでもちょっとでも嫌だと思うと彼は乗ってられなくて、ほかの車両に移動しちゃわないと


灰 「あーわかります!すごいわかります

 「そうそうそう、私に、「わかる?」って言って、確かにあの人私もいやだけど全然ここに座ってても平気なんだけど、でも彼は、「悪い、ちょっと移動してもいい?」みたいな感じで(笑) うーん、いいよ、せっかく座れたんだけどなーみたいな(笑)

灰 「それは人が嫌って感じなんですか?

 「うん、人もだし、騒音全体が。蘭(コーギー)が吠えるのもちょっとダメだし。とにかく静かな環境じゃないと。ずっと子供のころからそういうデリケートさをかかえてね。でも周りからは理解されないし、神経質だなーって言われるだけでね。

 

 こういった「敏感さ」に関しては「ささいななことにもすぐ動揺してしまうあなたへ。」という本を読み、かなり理解が進んだ部分がありました。 

 それまでは、「敏感さ」を「心の弱さ」や「性格の歪み」「(対人恐怖症などの)病気」あるいは「トラウマ」と考えて、

 特に、「心の弱さ」としか考えてなかった20代の頃は「根性叩き直してやろう」的に、からだを鍛えたり水をかぶったりすれば強くなれると思ったりしていました。

 現在では、もう少し自分に優しく、感受性や共感力という「強み」として理解できるようになった部分はあります。

 でも、スーパーに行くのもコンディションによっては結構疲れるくらいなので「生きづらさ」というのはやはりずっとあり、この体質でどのように生きていくのがベストかというライフスタイルの模索は今も続いている感じです。 

 H先生からも、これを「治す」のではなく、それにあった「ライフスタイルをみつける」という提案がありました。

 「やっぱりそういう方って音の静かな田舎の方に越して、農業やってたりとかそういうパターン多いですよね。例えばすっごい静かなところに住んで、週二回くらいはちょっと車ででかけて介護をして、あとは畑を耕したり本を読んだり・・・みたいなね。

 で、そういう生き方で共鳴してくれるようなパートナーとかがいればいいですよね


灰 「そうですね。一人でやるとイメージするとどうしても寂しい感じがするので、パートナーか、グループとかが一緒だといいなっていう感じでしょうか

 「Gさんも自然農のグループに入っていて、月に何回か手伝いに行ってんですよね。手伝いに行ってもお金はもらえないんですけど、野菜をもらえるので(笑) 自然農なので、草むしりとかも手でやるし、農薬も使わないので

 で、そういうのに来てる方ってそんなに人なつっこくはなくて、みんなもそっと来て、もそって帰るみたいなそういう感じで(笑)べたべたしないし、でも、野菜の話ししたり・・


 もそっと来て、もそっと帰る(笑)、なんか癒される。いい表現だ~



 こんな風に標準以上に敏感なタイプの人々をHSPと呼びます。

 誰にでもセンシティブな部分はあるので、はっきりと二分できるものではないですが。 

 HSP、非HSPという分け方をするなら、非HSPは戦士タイプ、HSPは茶坊主タイプみたいな感じでしょうか。

 エヴァで言えば 鈴原トウジ と 碇シンジ 
 ドラゴンボールで言えば 子供の悟空 と 子供の悟飯

 いわゆるいつでも元気飯がうまいぜタイプと いつも食細びくびく悩み多きタイプです

 だいたい一昔前のアニメの主人公って前者ですが、最近は後者だったり全般的に繊細になってきてる気はしますね。
 あーのび太君はどっちかな、
 3秒で眠れるのは、絶対HSPではないと思うのだが、感じやすいところもあるし、出木杉君の方が繊細な気もするし、ちょっとわからない(笑) 
 
 


 
 ↑最近では東京ぐーるのカネキ君(文学少年)とか↑
 これは明らかにシンジ系の血脈ですが

 関係ないですが、おととし東京グール読んでてヘッセの「デミアン」の一節が登場し驚いたことがありました。
 「生まれようとするものはひとつの世界を破壊せねばならない」っていうあれですね。

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 あ~なんかかなり脱線してきた。

HSPについて詳しくは、この本で 
 HSPの特徴や どう生きればよいかなどが詳しく書かれています。


 


 上の本にもありますが、HSP的傾向がある方は、毎日の暮らしの中で「安全地帯」がとっても大事になります。

 これゆっくりと一人くつろげるような静かで、心地よい波動(音、匂いなど)に満たされた快適な空間、時間です。

 自室、緑豊かな公園、布団の中、お風呂 どこでもいいのですが、自分を取り戻せる場所。
 そのような空間で、音楽を聴く、読書をする、瞑想をする、神様タイムをする、そのほかなんでも心穏やかにくつろげるようなことをします。もちろん、疲れ切ってる時は、布団の中でうとうと夢の世界をさまようのもいいかもしれないですね。

 どうして「安全地帯」が必要かというと、たいていの場合、HSPの人は過剰な刺激に疲弊気味だからです。
 自分オリジナルの安全地帯が確保できれば、一日の生活の中で疲れた神経をほぐして、エネルギーを充てんすることができます。

 まあ、なんでも好きなことをすればいいのですが、個人的にはテレビ、スマホ、PCなどのデジタルに触れる時間とは別に、落ち着けるアナログな安全地帯を確保するのがいいんじゃないかと思います。(デジタル機器は脳への負荷が大きいため)

 HSPの傾向のある人は、とても環境の影響を受けやすいので、芸術や自然などからなるべくよいバイブレーションを自分自身に転写することが大事です。

 こんな風に「安全装置」をうまく使いつつ、都会での生活を乗りこなしてゆくというのも一つの方法です。

 でも、今回のセッションでのH先生のアイデアのように、ライフスタイル自体をなるべく「安全装置」に近づけるという選択肢もあり、これが本当は理想かもしれません。
 今後、田舎に住んだり、自給自足に携わるということはとても重要な流れになっていく予感がします。

 そういう意味では、都会生活に適応しようと心身に無理をしていた人たちが、よりフィットする生き方にシフトしていくことが結果として、世の中のためであるとも言えるのかな?と思います。

 


セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/03/28 16:39

ネロリにハマる




ここのところ、アロマテラピーのエッセンシャルオイルに興味がでてきていろいろ試したりしています。

 きっかけはトラウマ解放セッションでお世話になってるセラピールームの最寄り駅に、結構大きめのアロマショップがあり、何気に立ち寄ったところあまりにもいい匂いが立ち込めているので参ってしまいました。

 最初たまたま手に取ったフローラルウォーター(エッセンシャルオイルを水とエタノールで希釈したもの)が、ものすごくいい匂いで、嗅いだ瞬間お花畑が広がるというか、そういう感じでずっと記憶に残っていました。

 なので次に訪れた時に購入。

 

 これが「ネロリ」のウォーターで、ビターオレンジの花が香りのもとのようです。

 枕元において、寝る前にちょっと匂いを嗅いでみたりすると、結構一瞬で気分がリラックスしたりして。

 気分とか、思考を転換するために瞑想だとか、何か唱えるだとか、いろいろやってきましたが「香り」ってすげーなとあらためて思いました。

  マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」には、紅茶にひたしたマドレーヌ菓子の匂いが主人公を一瞬で幼い頃の記憶に引き戻すというシーンがあるようです。

 芳香は脳の比較的古い部分にダイレクトに働きかけるので、影響力が強いのかも。 

 たとえば夜中に不安な夢で目覚めたりすると、相当バカバカしい内容でもその夢の波動世界というかリアリティに心臓をつかまれてる感じがする時があります。いや、ホント、人形がしゃべりだしたとかB級ホラーみたいな内容でもかなり怖いですよね。

 それって無意識の奥から立ち上がってくるので、どんなにくだらない内容でもパワーがあるんですが
 また真夜中や寝起きなど理性の力が弱まってる状態では、潜在意識にある悩み事のパワーも増します。

 XJAPANの「FOREVER LOVE」に「夜明けに震える心を抱きしめて」という歌詞がありますが、まさにそういう状態のムードなんじゃないかと。




 太陽の光を浴びて、からだを動かせばそういうのも追い出せますが、夜中だと電気をつけるくらいが精いっぱい。しかも周りはしーんとしてる。そのため無意識化のパワーは目を覚ましてもなかなかおさまりません。

 こういう時僕は、いつもだいたい神様に祈ったり、般若心経を唱えたりします(それはそれではたから見ると怖いかも)。

 でも、それに加えて匂いという五感から→古い脳へのアプローチはかなりパワフルであるということに気づきました。  
 言語中枢からのアプローチとは違う次元で落ち着かせてくれます。

 フローラルな香りの微粒子が、鼻を通して、夢の波動世界に力を持たせている脳の箇所にダイレクトに働きかけるような、そんな感じがします。

 アロマ辞典によると「ネロリ」は次のような効用があるそうです。

 「心が乱れ、つらい感情にあふれている日に。ストレスが体の奥まで入り込んでしまった感覚があり、何らかの不調が現れてしまったときに。日々過ごすことに精いっぱいで、意欲的に何かに取り組むことなど到底できないと感じているときに」

 ●うつ状態 喪失感 悲嘆 過度の攻撃性 ペットロス 不眠 動悸 自律神経のアンバランス 便秘 腸内ガス 食欲不振

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 また別の書籍によると
 
 安心 回復 復活 というキーワードで

 「ネロリという名は、ローマ近郊のネロリ公国の公妃アンナ・マリア・デ・ラ・トレモイルと関わりがあるようです。17世紀にこの精油をイタリア社会に紹介したアンナ・マリア妃は手袋や文房具、スカーフに至るまであらゆるものにネロリの香りをつけていました。

 ネロリはまたマドリッドの娼婦がつけた香でもあり、この香りが目印でした。その一方で、オレンジの花は純粋性と処女性を象徴し、花冠として花嫁の頭を飾ったり、ブーケが作られました


 というように、甘くて少し官能的香りでもあります。

 この香りが、B級ホラー的夢から、お花畑へとシフトさせてくれるのもうなづけます。
 
 ネロリに始まり、直観的に気になった精油を少しづつ集めることにしました。

 現在、イランイラン、ユーカリグロブルス、ベルガモット、ラべンダー&ティートリー(ミックス)、ゼラニウム などと触れ合っています。

 

 現在はゼラニウムがかなり気に入っています。
 これもどちらかというとフローラルなかなり甘い香りです。
 香りがそこそこ強く、半身浴程度ならほんの1滴バスタブに入れるだけで、入浴後もからだにわずかに匂いが残るくらいパワーがあるので驚きました。

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 ゼラニウム


 キーワード 安心 受容性、親密さ

 「感情が意識を圧倒するタイプの人にはラベンダー油が適するのにくらべ、ゼラニウム油は理性と自己の動機が、感情や感動を否定するタイプに向いています。この精油は私たちを情緒豊かな人生と再び結び付けます。感受性や気軽な自発性、喜びや楽しみを求める健康的な欲求を回復させるようにします

 どうも、選ぶ精油に共通の性質や効果があるような気がするので、現在必要なバイブレーションを持つものに引き付けられてゆくのかもしれません。

 精油をセットで購入しようかな?とも思ったのですが、一本づつ気になるものを入手するというやり方でよかったかも。

 それぞれの植物のエネルギーをひとつづ感じてゆくのは楽しいですね。

 オイルには天然の化学成分がたくさん含まれており、抗炎症作用、抗菌、鎮咳作用(咳を鎮める)、筋肉弛緩作用、血圧降下作用、催淫作用、神経強壮、多幸作用、解毒、など様々な効果があるようです。

 アロマテラピーというと、いい匂いでぼーっとリラックスするみたいなイメージしか持っていなかったですが、植物にこれだけの様々な化学物質が含まれているので、医療の現場で心身の治療に生かされているんですね。
 
 しかし、パワーのある化学物質はもちろん、人体にとって毒性となることもあるので使用方法や濃度にある程度の注意が必要となるようです。オイルの原液をそのまま肌につけない、(医療アロマをのぞいては)飲用しないなどの基本的な注意点がいくつかあります。

 家庭でできるアロマテラピーとしては、ディフューザーを使ったり、ろうそくでオイルを揮発させるアロマポッドなどが有名です。
 今、うちにはそれらはないのですが、簡単な芳香浴としては、ティッシュに1、2滴たらして机においておく、とかお湯を入れたカップに数滴いれておいておくとかでも十分香りが立つことを知りました。 

 ちょっとづついろんなことに取り入れてみたいなぁと思います。


 ■参考文献■

 

 




セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/03/25 16:03

ウォーキング・ウォーカー



引っ越しで舞い戻ってきたこのあたり、多摩湖まで伸びるグリーンロードがあり、朝夕には犬を散歩する人、ランナー、ウォーカーがたくさんいます。

 もーこういうのが いっぱいなんです!

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 あ、すみません、嘘です。
 こういうのはまだ近所では見たことはありません。
 つーかそんなとこ住みたくないわ。
 これは海外ドラマ『ウォーキングデッド』のウォーカーでした。(人肉を噛むのでバイターとも言う)

 デカくてグロい写真を張り付けてごめんなさい。
 
 現在シーズン5まで見ているので、ついついこっちのウォーカーを思い浮かべてしまいます。
  
 万が一どこかでであった時は、問答無用で顔とかを噛み千切ってきますので、迅速に脳を破壊してください!

 動きは遅いですが、大群で来られると非常にやっかいです。そういう時は、遠くに爆竹とか投げて気を引くと (もういいか)


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 ↑そうそう、こういうさわやかな方のウォーキングについて書こうと思ったのだった。

 本日うどん屋さんで昼食をとっていたところ、近くに座ったおばさんが

 「私毎日12キロ歩くのよ~、もう80なんだけどね。ちょっと前まで世界の山を登っていたの」

 なんて話してるのを聞いて、思わずまじまじと見てしまいました。ピンク系のウエアを着ててとてもその年齢には見えないので、ちょっとびっくり。まったくよぼよぼしてません。さすが70代でカンチェンジュンガにアタックするだけのことはあります。(そうは言ってないけど・・・) 

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 12キロっていえば、まあ、ゆっくり歩くと2時間以上かかりますよね。
 それ毎日って結構スゴイ。

 僕も一昨年、ロングウォーキングにはまっててたまに20キロ~30キロくらいよく歩いてたんですが、日々の日課としてはだいたい一時間未満くらいでした。そして、日によってはそれを30分くらいのランニングに置き換える感じ? 

 登山の経験薄で丹沢山系を縦走して、死にそうになったりもしてました。

 とろこが昨年はあまり、歩くことはなかったのですが・・・

 理由はわかりませんが、結構幹線道路が多い場所で、少し空気が悪かったのもあるかもしれません。

 しかしそんな話しをしてるのを隣の席で聴いていると、久しぶりにウォーカーとしての血がふつふつとわき立つのを感じました。 
 はためにはうどんを黙々と食っているようにしか見えませんが、静かに沸いているのです。

 1970年代生まれ♂が、1930年代生まれ♀に負けてなるものかと、気合を入れなんと本日は1時間歩きました。

 ・・・約半分やんって。いやいや、ウォーミングアップです。徐々に、徐々に

 ちょっと長めに歩くといつも気づくのですが、だいたい僕の場合、30分以降~調子がよくなってきます。

 最初はダルクても30分くらいすぎると体も慣れてきて、気分も程よく高揚した状態で、思考も心地よく回転するような状態になってきます。

 だいたい30分すぎると、そのあと、2時間くらいまではすーっと行けますかね。

 2時間~3時間くらいすぎると、なんとなく感覚がワイルドになってきます。
 うーん、これうまく言えないんですけど、「わしはちっちゃなことは気にせんきに!」みたいななんかそういう土佐の男みたいな感覚が出てくるんですよね。(あくまでも個人の感想)

 20キロくらい(4時間弱)になると、さすがにちょっと体が疲れたとかっていうよりも、足の裏とかが痛くなってきます。
 信号灯や、コンビニ、街角の風景がなんだか抽象的に見えてきます。21世紀都市型文明の典型的一風景のように見えてくるというか(説明が難しい感覚)
 
 30キロ~すぎるともう疲れてるのかなんなのか、なんだかよくわかりません。
 倒れそうとかほどではないけど、気持ちよくもない。少し頭がぼーっとしてくる。
 結構な確率で足の裏が水ぶくれています。

 今のところ、1日に歩いた記録としては40キロくらい。

 気持ちいのはやっぱり30分~2、3時間くらいがリミットかも。
 長く歩けばいいってもんじゃないと思いますが。
 でも15分、20分でやめるのは明らかにもったいないですね。

 僕は高知大学出身なのですが、かの大学には毎年冬に空手部が主催する「室戸貫歩」なるイベントがあります。
 これは大学から室戸岬まで、およそ90キロの道のりを一晩かけて歩くというもので、一般の人でも参加可能です。
 ただし翌日は寝込むらしい。
 あいにく僕は薄暗い部屋でヘルマン・ヘッセとか読んでることが多かったので(笑)、参加したことはありませんが。
 一回くらいやっとけばよかったかなと。 
 しかし、一晩で、90キロ。上には上があります。
 逆言えば、人間、それくらいはできちゃうってことですね~。
 完歩率はそんなに低くなかったかと。

 
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  ウォーキング・メディテーションというか、からだや意識の状態の変化を観察しつつ歩いていると意外と、長時間でも飽きずに楽しめたりします。 なんかたぶん、セロトニンとかそういうのが出てくるんでしょうね。

 40キロ越えの向こうにももしかしたら、第二、第三のウォーキングハイポイントがあるのかもしれません。

 去年時々お世話になったSE(ソマティックエクスペリエンシング)のH先生は、ウォーキングは地味にトラウマ解放にも役立つとおっしゃっていました。

 トラウマの問題は、逃走・闘争反応が固まっていることにあるので、それを解凍して生命力をよみがえらせていくためには、確かに足を動かすのは理にかなっていると思います。

 そんなこんなで、今日は、また長距離ウォーキングをやってみるきっかけを見知らぬ方からいただいた一日でした。

 ウォーキングデッドのウォーカーの恰好で、森の中をウォーキングするイベントとかあったら参加してみたいです。(ないか・・)



セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/03/14 20:20

エリクサーを巡る断片

 

 ■ヴォイトレ続けていますが、ちょっと記事の統一性確保のために、いったん最近の歌関係は非公開に設定いたしました■






 さて、今回の記事タイトル「エリクサー」とは、一種の伝説的な万能薬で、これを服すれば不老長寿になる、いかなる病も治癒するというものです。ゲームのファイナルファンタジーシリーズでも、HPを回復するアイテムとして登場したと記憶していますが、その語源はイスラム錬金術にあるようです。詳しくは→wiki 

 では、実際にエリクサーは存在するのか?

 という問いを人類は長いことしてきたと思います。

 秦の始皇帝が幻の仙薬を求めて徐福をつかわせたことは有名ですが、数多くの権力者や大富豪、あるいは魔術師、神秘主義者、近代になっては医師、治療家がごく真剣にそのような魔法の霊薬を求めてきたと思います。

 僕には、そのような薬剤がケミカルに開発され得るかということに対しては、正直わかりませんが、『それ』はおそらくすでに実在していると思います。

 時々読ませていただいている、in deep というオカさんという方のブログで、ブルース・リプトン著「思考のすごい力」(the biology of belief)という本を知り、購入してだいたい読み切りました。





 著者のリプトン博士はスタンフォードやウィスコンシンで教鞭をとる細胞生物学者のようです。
 生物学者の観点から、思考やスピリチュアルな力が、細胞レベルに及ぼす影響などについて書かれています。

 その中の一章に「心は薬よりも力がある」という章があります。

 このタイトルは、医学で言われるプラシーボ効果について言及したものです。

 現代医学で使用されてる薬は、ケミカルなもので、それが体内で反応することによりいろんな病気の症状が抑えられます。
  しかし、薬には「治る薬を飲んだ」という認識が、実際に症状を好転させてしまうというプラシーボ効果が必ず存在します。 

 2002年、なんと抗鬱剤の効用は80パーセント以上がプラシーボであるというデータを載せた論文が発表されました。
 これによると、主要な6つの抗鬱剤の臨床試験においてその効果はシュガーピル(つまりプラシーボ)を用いたものとほとんど変わらなかったそうです。
 このような例は、抗鬱剤に限らず、すべての医療行為の周辺に存在するのではないかと思います。

 なんだか頼りになるお医者さんの顔を見たら、風邪のしんどさが軽快したとかいうことだとか、お母さんに痛いの痛いのとんでけーしてもらったら、痛くなくなっただといか、というようなことを含め

 著者はこのプラシーボ効果は、心(信念)自体が病を軽快させる力があることにより起こると考えています。

 僕が思うにプラシーボ効果には「儀式」が必要です。
 ある意味、その儀式内容はなんでもかまいません。

 お遍路をする、加持祈祷を受ける、リフレクソロジーを受ける、気功治療を受ける、パワースポットに詣でる、

 なんでも、それを「信じてさえ」いれば、プラシーボ効果をつまり自己治癒力を発現させるきっかけになると思います。 
 現代の医学では、その「儀式」が薬剤や手術だということになります。
 なんだか人間は、時代を越えて、神殿や病院や聖地の周りをまわりながら、外側のパワーという幻影によって自己治癒力を発現させてきたんだなと思うと不思議な気分になります。

 「儀式」そのものにまったく力がないというわけではありませんが、もしかすると、「儀式の効用」:「プラシーボによる自己治癒力の発現」を比較した場合、その比率は普通に考えられてる以上に、自己治癒力の比率が高いのかもしれません。

 普通は儀式10:自己治癒0と考えますが、この比が6:4とか、もしかすると5:5・・・それ以上という可能性もあるのでしょうか。

 ところで、「心は薬よりも力がある」という言葉、じっとこれを考えてると、「それは確かに、そうだよなー」とつぶやいていました。

 この著者は主に、信念が体に及ぼす作用はすごい、という文脈でこの言葉を使っていますが、

 このブログで何度も書いている、アニタ・ムアジャー二さんのケース。



 臨死体験後、数日で末期の末期だった全身に転移していた癌が、「完全」に「ひとりでに」消えてしまったというケースがあります。
 アニータさんは悪性のホジキンリンパ腫のステージⅣBでした。
 レモン大の腫瘍が全身にあり、肺にたまった水で呼吸ができず、腫瘍による血流障害のため顔全体が風船のようにはれあがった状態だったのです。
 それが、愛とエクスタシーにみたされた臨死体験を経て、意識を取り戻したあと、数日でまったく消えてしまいました。
 このケースはあまりにも奇蹟的であったため、コー医師という人によって徹底的に調査され、世界中のがん研究所に報告されていますが、同じような事例はひとつもないそうです。

 アニータさんは著書の中で臨死体験で経験した、「無条件の愛」の気づきが病を癒したと語っています。

 「心は薬よりも力がある

 この言葉を(信念だけではなく)広く解釈して、心、つまり精神的(spiritualな)なものは、薬よりも効果があるとするなら本当にまったくその通りだと思うのです。こんな風に奇蹟的な治癒を可能にする薬剤は存在しません。
 
 人間が求め続ける、霊薬「エリクサー」。

 それは一言で言うと、宇宙や神の属性である、「無条件の愛」だということになります。


 愛のない生涯は価値がない
 愛は生命にとっての水
 全身全霊を傾けて飲み干しなさい

                              ルーミー


                            




セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/02/14 17:49

SE(Somatic experience) 再び


2014年に継続して受けていたSE(somatic experience)セッションに再び通い始めました。

 初耳の方のために書いておくと、SEはからだと脳の深い部分に働きかけるトラウマ解放のメソッドです。

 医学生物学博士であるピーター・リヴァイン氏により始められ、現在日本含め各国でPTSDのケアに用いられています。

 リヴァイン博士のストレス研究歴は35年以上におよび、スペースシャトル開発時にはNASAのストレスコンサルタントも務めたということです。 

 PTSDというと、災害、戦争、事故などに遭遇して深刻な後遺症が残っているケースと一般に理解されてると思いますが、最近では複雑性トラウマというのも注目されています。これは幼児期からのストレスの積み重ねが、現在のなんらかの症状を起こしているような場合、単一の、これが原因!という大きなトラウマではなく、いくつもの傷によってこころが押しつぶされているような状態です。
 SEは通常の深刻なトラウマだけではなく、人知れず苦しんでる人も多い、このような複雑性トラウマや、愛着障害のケアにも広く使われています。

 セラピストは前回と同じ、トラウマケアルームのHさんです。

 Hさんはもともとはスピリチュアル系の著作で有名な方で、オーラリーディング、直観カウンセリングなどもされますが、SEによってご自身の状態が飛躍的によくなったことにより、トラウマ解放セッションにかなり力を注がれているようです。

 僕も最初はスピ系のリーディングセッションで、イスラエルのあたりの修道院で苦行してたという過去世を読んでもらいました。(その時隠遁しすぎたので、だから今生は酒タバコカラオケ旅行が好きwなんつって)

 Hさんの場合は幼児期の父母からの心理的虐待に加えて、結婚されてからもご主人のモラルハラスメントがものすごくて、からだにいくつもの症状が出るほど大変苦労されたようです。

 僕も著作で読ませてもらったのですが、なんというかかなり「超常現象レベル」のモラハラでして、ちょっと現実にあったとはにわかに信じがたいほどのレベルのものです。それでも、Hさんはかかえていたトラウマやセルフエスティームの問題で、全部自分が悪いんだと思っていたとか。
 
 信じがたい人というのも世の中にはいて、カメレオン化して一般社会に溶け込んでるんですね。
 まあ、そういう人にも幼児期の問題などが深く影響していることもあるかと思いますが。

 しかし、現在のHさんは非常にほがらかな方で、ケアルームを訪れると、セラピー犬のコーギー蘭ちゃんとともにいつも迎えてくださいます。これが、か~いい~んだ~(#^.^#) 

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 右側がH先生で、いろいろされるマルチな方です。
 セラピー中はこのお姿ではありません。彫り物は入れていらっしゃいません。(あたりめーだ)

 著書






 今回は再開してから二回目のセッションでした。

 その中で公開しても問題なさそうなダイアローグだけを、いくつか書いてみたいと思います。


  ブログバレてた


 「でも~文章書くのとかすごくお上手ですよね」

灰「? あぁ・・好きではあるんですけど」

 「あれだよ、Mさんのブログ見てSEに来た人いるよ。」

 灰「本当ですか~よかったです。

  Somatic experience(ソマティック・エクスペリエンス)

 Somatic experience(ソマティック・エクスペリエンス)② 

 Somatic experience(ソマティック・エクスペリエンス)③

 Somatic experience(ソマティック・エクスペリエンス)④


 「すごく詳しくかいてあるんです~って言ってらして、え、誰だろうと、で読んでみたらあ~Kさんと。漫画とか使われてて、味があって面白いですよね。作家とかどう?なんて」

灰 「いや~・・・・(ブログ読まれてて若干テンパってきてる)

 「小学校の時国語の時間とか得意だったんじゃないですか?教科書先に読んじゃうようなそんなタイプでいらしたんじゃないかと」

灰 「そうですね~国語はすきでしたね。いろいろ教科書の中に好きな物語もあったりして、親もほめてくれたし、その辺は伸びたと思います」

 「今書く話をして、会話内容としてはポジティブ寄りに振れてるんですけど体感とかはどうですかね?」

灰 「ちょっと興奮気味っていうか。。。すぐドキドキしてきちゃうんですよね。その前にネガティブ系の話しをしてるので、湧いてきたぞ~みたいな笑」

 「笑 そうかそうか さっきの頭がぼーっとしてる感覚っていうはどうなった?」

灰 「そうですね熱っぽいことは熱っぽいけど、そこまでぼーっとはしてないです」

 「今はここは比較的リラックスしてるぞ、みたいな場所はある?」

灰 「足とか・・・手の先とか 

 「今、足ってどんな感じ?」

灰 「まあナチュラルで、痛くも固まってもいないっていうか。なんとなくでも力がだらっと抜けてる感じなんですよね、熱があるからなのか」

 「そっか そっか ちょっとでもいいところがあるってことはすごいことで、、、Kさんみたいな流れの中を生きて、なおかつ生き残ってきたかたって、今足が緩んでますって言えるってすごいんだよね~」

灰 「全身がつらい方もいるんですか?」

 「本当に緊張感が抜けなかったりとか、なので、過酷な中にもレジリエンシーをみつけてはやってらしたんだなって感じですよね」


トラウマと瞑想


灰 「やっぱり神様を信じたりだとか、瞑想をしたりとかそういうのも結構役になってると思います」

 「瞑想いいんですよね。古い脳のところにある扁桃体っていう危険をしらせるところが、瞑想してると、その周りの組織が厚くなってくるので、、、トラウマを受けてるとちょっとしたことでも大変だ~ってなるのが、そこの周りが厚くなっていくので、冷静に対処できる。

 たとえば、ん?何かあるぞ?これは多分危ないんだろうけど、ちょっと待て~みたいな、いつ、どこで、誰が、どうなってるんだろうって考えられるようになるんですよね。

 あと、ん??ってなった時に、あ、風の音か~なんだ~ってすーっといい方に戻れるんですよね

 そう、なので瞑想恐るべし、なんですよね(笑)」

 どんな風な瞑想するんですか?マインドフルネスとか

灰「いやシンプルな 座ってただ呼吸を見つめたりとか、考えをぼーっと眺めて2.30分とかですかね」

「 いいですね、一日の何時くらいにやるとか決めてるんですか?」

灰「起きてすぐが多いです」

「すごいじゃない。だって夜中に起きて結構絶望しちゃうのに、朝起きて、瞑想しようと思うってすごいと思うんだけど。」

灰「そうですかねーまあ、気持ちいいし、やった方が調子がいいんで。

「わかります、私も一日に一回瞑想してるので」

灰「そうなんですか、H先生はTM(瞑想)とかされるんでしたっけ?

「そうですね、朝、TMやりますね。で、夜もやろうと思うんだけど、寝ちゃうの私、眠くて。それで夜中に、夜の二時くらいに完全に顎が天井向いてる状態で、首いた~~みたいな状態で起きて 笑 私はそれを即身仏って言ってんですけどね 笑

灰「笑 周りで誰かこうやって拝んでたり 笑

 「笑 怖いよそれ~~ でもね、即身仏にしてはお肉がちょっとねつきすぎてるので ちょっと違うかなって感じはするんですけどね」

 灰「いや、いや、いや、いや~」

 「 笑 ちょっと今笑ったので、体感感じてみてもらっていいですかね?」


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 みたいな感じで、セッションが進んでいきます。

 世間話しぽい感じの時も多いんですが、こういう感じで時々自分のからだを感じるというガイダンスがやってきます。

 しかし以前よく書いていた師匠の記事もそうですが、自分がいいと思ったものを文章で誰かに橋渡しできるのは、自分にとってかなりうれしいことなんだなーと思いました。それで、心の癒しや安らぎに少しでも役に立てば最高ですね。

 あと瞑想とかも確かにそうなんですが、なにかに守られてきたという感じはあって、それがなんなのかはっきりまだわかりませんが、大雑把にやはり神様なのでしょうか。また幼児期にはトラウマだけではなく、両親からの愛も多くもらってると思うので、そういうものとか。
 幼い時の楽しい記憶、読書の経験、師匠からもらったエネルギーなど、そういったすべてが、全体としての僕のバランスをとってくれていて、多大な負の要素に打ち負かされないようにしてくれてるのだと思います。

 そんな風に割とポジティブな雰囲気の話題が続いたあとで、少しトラウマエネルギーの渦の方に接触しました。


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  道でディスられる


 灰「この前セッション受けた後、二回くらい同じようなことがあったんですけど。

  道歩いてて、どうも僕が道を少し塞いじゃってたみたいで、後ろからきた人が「ちっ」て舌打ちされて、ばーっと通り過ぎて行って、「わーなんだ感じ悪いな」と思ったんですけど、割とすぐ冷静になってテンションがすーっと下がっていったんです。」

 「素晴らしい!(´ω`人)」

灰 「で、その2、3日後によるちょっとコンビニへ行くときに、僕がちょっと横断歩道に出ちゃってたみたいなんですけど、右から来たおじいさんがものすごいガラ悪い感じで 「おめー何してんだ 出てんじゃねえーかよ あぶねーじゃねーか」って言われて、ちょっとブチってなっちゃって、バカっっっ!!って思い切り怒鳴っちゃったんですよね」

「笑 いいですね。無事だった?大丈夫?あとで殴られたりしなかった?」

灰「あの、だいぶ相手が遠くに行ってから怒鳴りましたんで、まあ聞こえてましたけど」
(ディスったおじさんはなんだと~誰に向かって言ってんだ~とかよくわからんことを遠くで言ってた。ていうか誰よ?)

「笑 ぱちぱち」

灰「そういう道でいんねんつけられることがよくあって」

  なんか、そういう時どうしていいかわからないものが、ぐわーって渦巻くんですよね」

「わかります、わかります」

灰「SE受けた後にそういうことが起こりやすいってあるんですか?」

「うーん、そうなってくるとかなりスピリチュアルな世界の話しにはなるけど、あるかもね。想像だけど、天が試してるじゃないけど、そういうのあるかもね。ただSEジャパンの人に質問したら、考え過ぎですって言われちゃうかもしれないけど。というのは科学的に証拠はないので、そうです、とは言えないけど十分ありうるよね

SEのあと家庭で家族喧嘩が始まって、いつもなら気が狂ったっみたいに泣いちゃうんだけど、すごい冷静に「やめたら」って言ってる自分がいたとかね、そういう人もいたりするので。」

灰「なんかでも、そういうときってどうするのが理想的なのかなっていう、一方的になんか言われて相手は去って行ったていうときに、いい状態だとすっとながせるんですかね。」

 「いい状態だと、流せるし、そこで大切なのは、未完了の防衛反応を完了させるってことが大事なので。

 そこでばーっと言われたとするじゃない?そこででも、そんな変な人だから直接言い返してトラブルになっても面倒くさいから、自分のからだの反応に気が付いて、たとえば手なんかがこうびりびりしていたら、たとえば空中でもいいので、<ゆっくり>全身の筋肉でパンチしてみるとか、壁なんかをゆっく~りと押して、たとえばてのこの爪が痛いくらいまで押して、そしてふーっと解放して落ち着く

灰 「でも、相手にぶつけ返さないと気が済まないみたいなところはすごいあります(*`ω´*)

 「ありますよね~まあ、それがナチュラルなんだけどね。

灰 「何もしてないのに、一方的にっていうか、その理不尽感が堪えがたいっていうか」

 「そうですよねーまあ、ちょっと穏やかそうな人にやつあたりするっていうのはあるかもしれないよね。例えばKさんが完全モヒカンとかで、ヘビメタなこういうじゃらじゃらをつけてたら、たぶん寄ってこない・・・・

灰 「・・・そういうファッションにした方がいいんですかね

 「アハハ あんまりおすすめしないけど・・」

灰 「タトゥーを全身に入れたり」

 「そうそう 背中一面に風神雷神みたいなのを彫っちゃったりね

灰 「確かに向こうは見てますよね、風体とか、いけそうだなっていうのを」

「そう、そう、Kさんはパーカーにジーンズで本当にお兄さん、ていう雰囲気だから、少々言っても殴り返してこないだろう、みたいな。思っちゃうのかもね

 で、どちらかというとトラブルにはならないほうがいいかなとは思うので、お勧めはね、違うところで防衛反応の完了、っていうのがおすすめかな。

 で、一方でこまめに解放しておくと、そこでのあがってき具合が違うんですよ。

 本当に1から10までためてるのと、1来た!はい、1出しちゃいましょ、2来た!2ちょっと今はお掃除できない、3来た、じゃあ2と3ためてないで出しときましょ、みたいになるべく空にしておくか、まあせいぜい1か2くらいたまってる状態か。下手すると、本当に10の10乗くらいたまってると、キますよね。」


 小さなイライラを認めてあげる


灰 「うーん、でも、あれですかね、ちょっとでもイラッとしたら自分でやった方がいいって感じですか」

 「うん、小さい時にやっておくのおすすめなんですよね。もうこんなになっちゃうっと、神経系もぶわーって興奮するから。

灰「じゃあ、たとえば、スーパーとかでレジで並んでて、めちゃくちゃ待たされてイラッとしたとかそういう他愛もないことでも?」
 
 「そうそうそう、例えば、レジが終わって荷物詰めるときに、かごをぎゅーってするとか。あんまりずっとやってると、この人大丈夫かな?ってなっちゃうから笑 ちょっとだけやって・・」

 灰「ああ・・・でもそういう時って自分の反応を否定してしまうっていうか、お年寄りだからしょうがないよなとか、抑えちゃうことがおおいと思いますけど、でもやっぱりイラッとしてるって感じを自覚してそれを出した方がいいってことですか?」

 「うん、そういうこと、そういうこと。

灰「ああ・・・そう考えると、あまりにもいらっとする場面が多いなと思いますけど。あまりにも多くありすぎて。

 「うん、うん、そこがやっぱりここが10の10乗なんじゃないかっていう。それは本当に、小っちゃいころからのこともあるし」


  イライラしやすい≒器が小さい?

灰「すごい器が小さいなと思うことがありますけど。イライラしやすい 」

 「それを器が小さいと考えてしまうのか、それともなかなか発散させるチャンスがなくてためちゃって苦しいよねって思うのか~で、ねむしろそれって器おっきいかなって思うのもあるんですよね。だから、こんくらい(両手をひろげて)ちゃんとためてられるみたいな。

 あの~本当に精神科とかに入院しちゃうみたいな人もいるし、Kさんみたいな歴史だとありうるっていうか、大変だったので。

 でも、社会に適応しつつ、こんなのをいつもためてるって意味では、すごい宇宙クラスかもしれない(笑)

 灰「ははは(ちょっとうれしい)\(//∇//)\」

 「でも、わりとうちに来る人ってそう。

 本人は、「私ってすぐかっとしちゃって・・・」とか、「人の幸せが喜べなくて」とか悩んでるんだけど、私から見ると、あんだけ虐待されて、あんだけ我慢して、なおかつこんないい子でどうしたんだ?って感じなんだけど。

 だから、どんだけキャパ大きいんだって。  

灰 「そう思っていただけるとうれしいです」

 「そう思う~~、神、神(笑)、でも表面にでてくる部分だけで判断しようとするとね、すぐかっとなるとか、すぐ落ち込んじゃうって見えるかもしれないけど。かかえてるもののことを考えるとね

 灰「全体的にみると・・・

 「キャパでかって感じ。本当にね、すごくタフな、強い人がうちにはきます。

 あの、ちっちゃいイライラをいっぱい認めてあげるっていうプロセスを、ちょっとやってごらんになるもいいかなーって

 灰「はい、どうしても頭脳の部分で否定してしまうのがありますね。

  「それもまた理由があって、子供の時に我慢しなければサバイバルに影響があったので、それで、たぶんKさんは頭脳派なんだよね。AがBで、BがCだからやめとこう、みたいな。抑えるパターンになってるんだと思う。

 灰「どっか切り離して、客観的に見るっていうんでしょうかね、そういう見方がもう根づいちゃってるっていうか一種自分も他人事みたいな生き方だったからやってこれたかなって思うことがありまして

  「そうそうそう、それを感情麻痺という言い方もするし、<解離>といういい方もするし・・・
 でもね、子供の時に、その痛みが全部わかったら、もう3日も持たないわけよ。

  だからちょっと離して、ああ~ああいうことが起きてるんだなみたいな感じできてるんだと思う。


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 じつはここのところ、今回の記事で一番強調したいところでもあります。

 というのは、多大なストレスをかかえていて、その結果ちょっとした何かにイライラしやすくて、それで怒りを感じてたことで自己否定に陥るってものすごくつらいサイクルだなと、よく経験してきたからわかることですが。

 特にスピリチュアル系の信念が強い人の場合、宇宙的なことや神様に興味があるのに<まだこんなことで怒ってる自分>がものすごくちっぽけな存在に見えたりしやすいと思うんですよね。大きなものに興味があるだけに、普通の信念体系の人よりも余計にそうなるかもしれません。

 そりゃ僕だってね~24時間ヨガナンダみたいな感じでいたいですよ。でもいまのところ無理っ!

 特に小さい子供とか、お年寄りとか、障害のある人にイライラする自分ってなんか嫌ですよね。

 子供は可愛がり、お年寄りはいたわる。自分でありたい。
 誰も子供やお年寄りを蹴散らして歩くような、人間にはなりたくないわけです。  
 だから知的認知としては、「相手は子供じゃないか、お年寄りじゃないか、大人げない」と自分を責める。
 でも、責める前に、そういうエネルギーを帯びている自分をいたわるのが大事かもしれません。
 人間関係では、たまに相手へのイライラに抵抗せずに、受け入れた時に、関係がよくなる場合があります。

 それはブチ切れるとか、ぶん殴るとかいうことではなく、内面的に、「うわっ、この人いやーん」ていう感覚をも受け入れることです。そっから先はそのいやーんなところを相手とのコミュニケーションにより煮詰めていくか、距離をとるか。スルーしていくかいろんな選択肢があると思いますが。

 あるいは相手を責めるのではなく、「私にはもう無理です」「今ちょっとイライラしてます」という表現を持つことですかね。
 これは誰かを悪者にしてるわけではなく、内的現実を語っているので、相手を傷つけにくい。

 相手のニーズにいつもこたえる「にこにこいい人」だけを頑張ると、マジでウツになるリスクがあります。
 しかも内面でもまだまだ自分は至らないなんて思ってたら、生き地獄です。

 キレキャラのカンニングの竹山さんがみんなから「ほらイライラしない~」とからかわれるように、小さいことでプチプチ切れてるって確かにはた目から見たら滑稽にみえるかもしれないですが、そういう冷笑的な目とか、ジャッジする目で自分を見るのではなく、今までの感情の総計としてこれが起こってるってこと。

 イライラしやすい方は、そういうシンパシーを自分に是非持っていただきたいと思いました。(僕もそうありたいです)

 まあ僕みたいに、いんねんつけてくる変なおじさんに反撃するのは、リスクもあるので、H先生お勧めのようにうちに帰ってから防衛反応を完了させるか、すっごい遠くから「バカヤローっ」ていうのがいいと思います。(いやいやダメ)

  うーむ、やはり言い返したいみたいようだ(「・ω・)「ガオー


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  PTG(トラウマ後成長)
 

 「ピーター博士がすごいいこと言ってて、『トラウマはそれはなけりゃない方がいいに決まってるさ』って、

 だけど、どうしても生きていくと、いろんなことが起きてしまう。

 でもピーターは、トラウマがないのがいいんじゃなくって、あっても、PTGっていう、post toraumatic growthっていう、PTGに行くから意味があるみたいな。

 そうすると、傷を受ける以上に花開くっていうか。

 何もない人よりも、もっと花開くって言い方をピーターはしてるので、まあ、せっかくだからそっちを目指そうかなっていうね。」

  
   コーーピング


 灰「なんか、小さいとき、牛乳をおなか一杯飲んで、トイレで吐くってことをよくやってた記憶があるんですけど、それって先生がブログに書かれてたプチ自傷みたいなことかなって思ったんですけど。ちょうど強迫神経症みたいな症状が出た8歳か9歳くらいの頃。

 「やっぱり、一種の過食嘔吐っていう考えで行くと、過食嘔吐の人は愛情飢餓があって、満たして、でもそこに罪悪感もあるので吐いてしまうという。自分のなかが空っぽなのでうんと満たしたいっていう。でも脳の中の神経系がそんなに満杯になったら出したいってなっちゃうっていう。

 でも8歳、9歳でそういう状態になったっていうことは、相当神経系は大変な思いしてたんだと思うんですよね。

 Kさんの神経系が異常かどうかっていうことに関しては、私はお医者さんじゃないし、こうですってことは言えないんだけど、私の信念を個人の意見として言わせてもらうと。

 牛乳を飲み吐きしようと思って生まれてくる赤ちゃんはいないわけじゃない?笑

 灰「笑 

 「そう考えると、すごく元気におぎゃーって生まれてきたのに、なんだこりゃーっていう世界でそのバランスをとるためにいわゆる問題行動って言われるコーピングに走るっていう

 灰「バランスをとるため・・・なんですか

 「そうそう、こっちでこんなにやらっれてるから、バランスをとるために好ましくない手段をとって安定させようとしてるわけよね

 灰「コーピングってどういう意味なんですか?」

 「コーピングってそうね、対応するとか、対処するみたいな、神経系がギンギンギンギン過剰警戒になってるのをなんとか、落ち着かせるために強迫神経症にもなるし、牛乳飲み吐きもするし、いろんな手段をとってバランスをとるわけよ

 灰「一時的に落ちくってことですか?

 「うん、だと思いますね。とか、怖さを忘れられるとか・・・

 灰「ああ、それはあるかもしれない・・・

 「あと強迫神経症っていうのは予測できる状態にすべてを持っていこうとするやり方なんですよ。

 例えばお父ちゃんがいつ怒るかわからない、予測できないような場合、水道の蛇口をひねるとか、なにかをそろえるとかか、そういうことで少なくともここだけは安全だと感じることでバランスをとるわけよ。

 だから、Kさんの神経系は私の意見だけど、異常じゃなくて、正常だから、そうやって一生懸命バランスをとってたんだと思う。」



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      灰 3years 今よりも賢そうです(笑)


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 トラウマがあると、問題のあるコーピングをやってしまいやすいらしいです。

 それは上に書いたような過食嘔吐であるとか、リストカットや、髪を抜いたりするなどの自傷、あるいは飲酒、麻薬、性的逸脱行動、などがあるようです。

 それでもコーピングはそれをすることによって、一時的にバランスをとっているという部分もあるようで、命に関わる時以外には、やみくもにそれをとりあげればいいというものでもないようです。

 というのは、コーピングが問題ではなく、問題は神経系に帯電したエネルギーにあるからです。
 それが落ち着かない限り、たとえば飲酒をやめても、過食が始まったりする可能性が強いのではないかと。

 前の方で前世修道僧だったから、酒タバコ旅行が好きなんて書きましたけど、まあ、酒とたばこはそういうコーピングの可能性が大かもしれませんね。
 旅行とか、こういう風に何か書くこととか、歌うことなどは人生の喜びとかとつながっているので、無効なコーピングではないでしょう。

 食事療法とか、ヨガをするとか、こういうセラピーを受ける、静かな音楽を聴くなんていうのはふさわしいコーピングではないかと思いますが、往々にしてトラウマが強いとどうしても、強烈な刺激のあるものを選んでしまいがちなのではないかという気がします。 イメージ的には、激しいノイズをかき消すために、どうしても別の強烈なノイズを使ってしまうような感覚。 
 微細な波動には向かいにくい。

 牛乳を飲み吐きしてる時は、よく覚えてないんですが、それが「気持ちいい」と思ってたような気がするんですよね。

 実際おなかはたぽんたぽんで苦しいし、気持ちいいわきゃないんですが、それでもそうすることによって何かを解消していた、不安を遠ざけていた、と考えるならつじつまが合います。

 今回は二年前に受けた時よりも、世間話的な会話が多いような印象です。

  H先生は以前にも増して、すこしづつであればあるほどトラウマ解放はうまくいくという信条を大切にしていらっしゃるように思うので、そのためかもしれません。ピーター博士はless is more (少しづつであるほどうまくいく)と言ってるようです。

 過去記事読んでもらえるとわかりますが、前はかなり深いところにもぐってしまったようで、異様に恐ろしげな感覚と手がびりびりしてなんだこりゃと思いました。記事にするにはインパクトあって、いいネタだったかもしれないですけどね(笑)

 今回は少しづつ、楽しく、癒していければいいかなと思います。



セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/10/09 22:15

ゆるヨガで夏

 
  今年はなんか微妙に体調崩してる人が多いような感じがします。

  僕も環境や関係性の変化などで、年初から春先くらいまではかなり不安定で結構四苦八苦しておりました。

  今もまあそれなりに厳しい部分はありますが、仕事が増えてきたり、ボイトレのようなことを始めたりで気分が少しづつ新たになってきました。

  そんな中で少し前に始めたヨガがかなり心身の安定に役立ってくれてるような感があります。

  始めたって言っても、本読みながらの独習なんですけどね、さすがにいっぺんに習い事を2つも3つもする余裕がないので。

  今のところ教室に通ったりはしてないんですけど。

  ホントはダンス習ったり、パルクールやったりもしたいんですが、さすがに自分でもわけのわからんことになりそうなので (*゚Q゚*)  
  まあ、そうは言っても支離滅裂ながら、「ぼかーからだに関係することをやりたいんだな」と思っています。
  
  で、ヨガ

  とにかく朝でも薄暗く、日の差さない敷き礼なしのアパートでして、今までのように朝食を食べてしばらく書き物や瞑想、考え事などをするというようなスタイルだと、まったくエンジンがかからず気が滅入って仕方ない。

 だもんで、否応なく「とにかく動き回れ!このままではヤバい」という感じで、起床後すぐにストレッチや散歩、呼吸法、気功などをするというスタイルにシフトしてしまいました(健康的っちゃ健康的ですが)。  
 
 とにかく、これと決めずに体を動かすことならなんでもいいかという感じで、その日の気分でいろいろやってました。

 で、その中にヨガもあって

 最初は本山博氏の「密教ヨーガ」という本をテキストにしてやってました。



 この本、ヨガに興味を持つ20代OLがまずテキストとして決して購入しないであろうハードコアな雰囲気がただよっています。
 
 僕は確か22、3くらいの時に買ったものですが。

 挿絵が永井豪チックです。OL受けはまったく考えていないのでしょう。


 いやー、昔の方が本のセレクションはまったくマニアックでした。

 しかし、確かやはり不調の時にこれを見て毎日やってまして、結構助けられたような記憶はあるんです。

 アーサナ(ポーズ)だけじゃなくて、チャクラの覚醒方法みたいなことも書いてあるんですが。
 
 20代の頃はわりと真剣に覚醒させようとしてたんですよ、おチャクラを(笑)

 そのせいかどうか、第三の目あたりで青白い光がばちばちしてたこともあったような記憶があるんですが。

 でも今はそこには踏み込む気はなく、主にアーサナとかプラナヤーマ、心身を単純に活気づけられそうな部分だけを参考にしています。

 この本、たぶん有名なヨガマスターの著作なので、基本的に間違ったことは書いてないと思います。
 王道のアーサナがしっかり紹介されています。

 しかし、やっぱ修行者向けの雰囲気が濃厚なんですね。

 僕は鋤のポーズなどが好きで(アカン、かぶった)、以前から日常的にそのへんはやっていました。寝る前とか。

 だから体がめちゃ固いというほどでもないんですけど、ほどほどに普通に固いというか、長座で前屈するポーズとかやると、膝に頭つけたりはできません。というかまだ股関節が固くて長座すると骨盤が後ろに倒れ気味になってしまいます。

 「密教ヨーガ」では決して何人たりとも前屈の折には膝を曲げてはならぬ、などとかなり厳しいことが書いてあります。

 とにかく毎日やれば自然にやらこーなるので心配いたすな、と。
 まあまあ、そんな文体じゃないけどね。

 いやーでもね、毎日、そろそろひと月ちょっとになりますが、頭はつかないですね~~多少やらかくはなってますが。

 で、考えてみれば、ヨガってこのテキストしか読んだことないなと、もう少し全般的にヨガに詳しくなりたい気持ちもあり、何冊か読んでみました。

 


 そすうると、体が硬い人用の補助的なポーズとか、っていうのがやっぱりあるわけですね。
 前屈なら、片足は内側に曲げた状態でやるとか。

 そんな中で「メディカルヨガ」という書籍を読み、「リストラティブヨガ」という言葉を知りました。



 この本はお医者さんがかかれたこともあり、おチャクラ覚醒解脱へGO的な記述はほぼありません。

 なので万人にお勧めできます。
 
 リストラティブ、つまり心身回復用のセラピー色が強いヨガですね。

 ヨガの医療的効果については、ヴィヴェーカーナンダ協会など多くのスピリチュアル団体、そして大学などでも十分豊富な科学的データがとられています。

 心疾患、高血圧、腰痛などの身体的疾患だけでなく、うつ病や、パニック不安発作などにもかなり効果的な作用を持っているようです。 

 それはやってみてすごくわかりますね。僕は自律神経系がもともと乱れやすいのですが、ヨガは深い呼吸をしながらポーズをするので、それが神経系を安定させてる実感があります。アーユルヴェーダでいうところのヴァータ(風)気質が強いのかも。

 「メディカルヨガ」には、腰痛から、心疾患、ぜんそく、うつ、HIVにいたるまで多くの病気に対して、実際のヨガインストラクターが患者さんに処方して有効だったポーズ、呼吸、瞑想などが載っています。で、その多くがブランケットや、手を置くブロック、補助具を使用したリストラティブヨガなんですね。

 立ってする前屈にしても、壁をもちいて、そこに手を付き、腰を90度曲げるだけにとどめておくとか、療養中の人でも無理なくできるエクササイズになっています。

 もちろん、療養中の人だけじゃなく、「あーもう今日残業で疲れたし、とてもハードなことする気がしない」というときでも、リラクゼーション目的でできるのですごく良いんじゃないでしょうかね。鍛錬とか修行というよりも、癒し的気分でできるというか。

 こんだけストレスと心身の病が蔓延する今の時代って、やっぱそういう方向性が不可欠な気がしますね・・・

 こういうのを「ゆるヨガ」と言ってもいいと思いますが、オフィスの机でも微妙に体をねじったり、首を前後にかたむける(呼吸とともに)みたいなことでもまったくやらないよりは全然体が活気づくわけで、いつでもどこでもできたり、気軽に、そして楽に、気持ちよくできるエクササイズが必要な気がします。

 僕が仕事中でもよくやるのは、「手のグーパーグーパー」とかこぶしをつくって回転させるっていうやつです。

 なんだか単純でお年寄りのリハビリ的感じもありますが、これはれっきとした「密教ヨーガ」に書かれてたやつで。

 プラーナの循環促進アーサナということです。
 
 (足もグーパーぐーぱーしたり、足首を回転させます。)

 こういうシンプルなのって意外と重要な気がしますね。何よりもどこでもできるのがよいです。
 ヨガマットとヨガウエアと教室と先生とがないとヨガできないってなると、ほとんどなんもできないですからね~

 たとえ会議中でも誰にも気づかれずにできるようなヨガがよいですよね(〃▽〃)

 ヨガと聞くとほとんどの人はアーサナを連想すると思います。

 まあ、ヨガと聞いて左右交互鼻呼吸や、ムーラバンドハや、ケチャリムドラ(舌先を奥に引き入れる)や、脊椎にそって眠れる蛇の力を上昇させることや、無私の奉仕をも想起する方々はかなりのオタク、、、じゃなくてよく勉強されてる方だと思います。
 
 今、無私の奉仕って書きましたけど、「メディカルヨガ」にはヨガの先生にカルマヨーガ(奉仕のヨガ)としてボランティアを勧められた人の状態がとてもよくなった事例が載っています。
 人の健康状態にはやっぱり、愛とか神への信頼とかそういったことも深く関係してるわけですけど、そういう認識をも含んでるところがやはりヨガの全体性というか、ホリスティックな人間理解の素晴らしさではないでしょうか。

 僕も朝方のとにかく動け、動け作戦からやみくもにからだのエクササイズに特化してきた部分がありますが、アーサナから呼吸へ、そして呼吸から瞑想へ、感情と思考の観察へとより微細なレベルのヨガを包含し、肉体と霊を、人と神をつなぐ「くびき」という意味の、本来のヨガの精神をも忘れずにやってきたいなーと思っております。

 これから暑くなりますが、エアコンの聞いた部屋でぐたっとしてるとさらに具合わるくなるので、よーく体と息を動かしたいですね。

 あくまでもユル~く .゚+.(・∀・)゚+.

セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/07/03 21:30

ヴォーカルヨガ 


  5月から始めた神奈川のボイトレ、まだ3回目くらいですが毎回学ぶことが多くて結構充実しています。

  レッスンを受けていて『歌う』ことって全体的な行為なんだと今更ながら気づかされたり。

  ついつい、ボーカルレッスンというと声の大きさとか音程とかカラオケ的なポイントにのみファーカスしてしまいがちですが、、、

  前回はとりあえず「あなた真っ直ぐに立ってられない見たいだけど、レッスン中はちゃんと立ってなさい」と言われました^^;

  まあ僕だけに限らず、若い子にも多いらしいですけど、最初は足をずっともぞもぞしてる人が多いらしいです。

  よく電車待ちのホームなど観察してるとわかりますけど、休め体勢で立ってる人と、両足に均等に体重をかけて立ってる人がいますよね。あと両足をかかとのところでクロスさせて立ってる人もよく見かけます。

  そして、休め体勢の場合は、体重をかけてた片足が疲れてくるともう片方の足に体重を移動させます。

  僕が注意されたのは、話を聞きながらずっとこの「足を入れ替える」ということをやってたからのようでした。

  先生曰く、実はこれは楽なように見えて体に負荷の多い立ち方で、一番よいのは、両足に均等に体重をかけつつ「親指の付け根あたりでからだ全体を支える」立ち方だということでした。

 これに慣れてくると5時間くらい立ちっぱで練習してもなんでもなくなるらしいです。

 そんなこと言われたもんなので、今週は通勤中、電車の中でもホームでも「休め」禁止で真っ直ぐにずっと立ってました。(いや、そこまでしろとは言われてないんだけど)

 そうすると、最初は違和感あったり無理な恰好してる気がするんですが、エネルギーの流れが違うというか、意識もしゃっきっとするんですよね。すぐにつま先立ちできるくらい体重をやや前方にかけて、そして背筋も伸ばして、胸もやや開き気味でずっといると、確実に心にもエフェクトが及んできます。

 なんか視点が高くなった感じなんですが、それくらい通常はきっと猫背だったということだと思います。

 姿勢のほかにもう一個言われたことは、「あごの落ち方が弱い」ということでした。

 これは歌ってる時じゃなく、今は50音を腹式で発声する調音練習をしているのですが、その中で「あ」の口の形をやってた時のこと。

 できたらこれ、読みながらやってみてもらいたいんですけど、

 耳の下のあたりに顎関節がありますね、ここを指で押さえつつ口をあけると、ある程度大口をあけると、ここへこみますよね?

 ここがへこむくらいに

 それくらいいつでもあけられることが必要だと言われました。

 やってみたらわかると思いますけど、これ・・・かなりじゃないですか?ここまで日常で口あけます?

 僕はその口のままでいいました「えぇ、くぉんなぁ あくぇるんですくぁ」

 さらっと「そうですよ」と先生 

  この状態で口角は引き上げます。すると前歯が見えて、笑ってるような顔に自然となります。

  ちょっとしんどいですが、気持ちよい感じもあります。

  これで力を入れず「アぁ~♪」と声を出してみましょう。明るい音がでると思います。

 「歌がうまい子ってほとんど歌うとき前歯が見えている」ということです。

 そんなこと言われたもんなので僕は、ここんとこ毎日鏡の前で大口を開けたり閉じたり、素敵な笑顔や変顔をする練習を日課としてます。

 「あ」の口はほうれい線予防にも良いらしいので女性にはお勧めです(笑)

 ちなみに「い」と「え」も前歯が見えるくらいの口角の引き上げは残します。

 あごの筋肉、そして口角などの表情筋も歌うときにすごく大事になってくるという考えは今までほぼありませんでした。   

 立ち方、姿勢、表情筋、そして忘れてはならないのはやはり呼吸です。

 よく言われることですが、歌は腹式呼吸で歌う必要があります。

 腹式ではないと呼吸をコントロールしたり、響きのある音を出すことができません。

 そのためのブレストレーニングも生活の中に取り入れています。
 (¥1000くらいの電子音メトロノームを買って、そのリズムに合わせてやってます)


 あと洋楽を歌うときに必要な日本語にはない英語母音の発声なんかも先回りして勉強したり
 (このへん、そのうちものすごく厳密に教えられるのはわかってますので)




 興味がでてきて英語以外の言語の母音についてもちょっと調べたりしてます。

 あと

日本の音楽だけがいま携帯と同じでガラパゴス化してると言われてるくらいなので。世界基準に達してないということです。音楽そのものが使い古されていて、コピーにコピーをし続けている状態ではあるし、一昔前はアジア圏の中では日本が先行していたわけですけど、今はKPOPなので。KPOPは確かにそれだけの人たちを国家レベルで教育しているし、更に楽曲そのものが洋楽寄りなので、世界基準に達しているんですよ。
 それにくらべると日本はポピュラー音楽では、鎖国こそしてないけど、孤立している、世界の基準に達してないと言われています
。」

 こんなはなしもあり・・・

 いろんな国のヒットチャートをチェックしたり。
 コリアン、フランス、USA、イタリア、ロシア、インドなど見ました。確かにJPOPと単純比較するとちょっと心配にはなります。しかしある種インドが一番凄かった。

 日本のはどうも上位は全体的にPVでも女性ボーカルの場合ロリな印象が強いですよね。これはUSやフランスと比較するとより顕著になりますが。たとえばUSはどうもダイレクトなエロ度が日本よりも強い傾向はあるもののロリな表現はありません。これはきっと日本に深く浸透しているオタク的クオリティの影響なのでしょう。 そしてUSには日本のジャニ系のような男性アイドルユニットってないんですかね・・・














 ↑インド一曲目がダイレクトにドエロいのですが、僕が見てるうちにわけのわからない勢いに自分でもよくわからず爆笑してしまったのは4曲目です。


  
 総合すると、姿勢、呼吸、顔のストレッチ、発声(調音)、という感じになりまして、やることがたくさんある。
 なんか全体的という意味で、ヴォーカルトレーニングって、ほとんどヨガだな、と今感じています。

 ボーカルヨガとか声ヨガみたいなジャンルも作れるんじゃないすかね♪(/・ω・)/ ♪

 ちょうどボイトレ始めた前後から家で朝ヨガも始めたんですが、これが結構相互補完的というか、つながってる感じがしています。 
 ボイトレはプロになろうとかそういう気持ちで始めたことではないのです。

 歌うのが昔から好きで、もう少しまともに歌えるようになりたい、楽しく歌えるようになりたいという動機がその1です。

 しかし、思わぬ副作用として、なんだか生活スタイル全般のQOLが上がってきたような気がします。

 これってたぶんヴォーカルレッスンというものがものすごくホリスティックなものだからなのかもしれません。

 まあ、ほかのお稽古事にも通じることかもしれないですが、生活の中にそういう軸があることによって、それに向けていろいろなことを整えることができるというか。

 姿勢がよくなったり、滑舌がよくなったり、体が柔らかくなったり、素敵な笑顔になったり?(笑)

 そういう思わぬボイトレ効果を実感したりしているここ数週間です。

 そして肝心の歌は・・・・少なくとも下手にはなってないと思います、はい( ̄^ ̄)ゞ
 
 




 






セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/06/18 21:40

両国へリスニングに(トマティス体験)


   5/23記 5/27編集



 

  本日は完全に夏日、6月下旬くらいの体感です。

  やや暑いけど、僕はこれくらいの方が調子がよく、活動性がMAXになるのはこんくらいの気候でしょうか。

  ということで本日はトマティスを体験しにお出かけしてきました。

   Dr-tomatis.jpg
 
  トマティスとは、フランスの耳鼻咽喉科医アルフレッド・トマティス博士(1920~2001)が開発した、聴覚を胎内の状態に戻すことによりリセットして、ブロックされていた音の周波数帯域を聞こえるようにし、より完全な耳にするための方法です。これはまた、語学、音楽の上達、リラクゼーション、トラウマ治療、潜在能力の開発、発達障害児童のセラピーなど幅広い分野で応用されています。

 かつてはオペラ歌手のマリア・カラスがトマティスを受けたことは有名です。

  現在、ボイトレ再開しまして、地元の公園で地味に発声練習したりしてますが、図書館でトマティスに関する本に引き寄せられ読んでみました。



 で、思いました。「発声」と「聴く」ってことはふたつセットなんですね。
 どうしてもボイトレとかするとなると「声を出す」方にのみ意識が向いてしまいますが、トマティス理論によると「聴こえない音は発声できない」ということです。だから音楽をする場合、アウトプット以前に、音を脳にインプットしている耳がどのような状態であるかというのはすごく重要になるのではないかと。

 トマティスでは普通の聴覚テストでは詳しく測らない、周波数別の聴力をテストしてオーデイオグラムという表にします。

 なんとこれを見ると、パーソナリティの特徴などもわかるらしいですね。

 どの周波数帯の聴力がよいか、ということで例えば高音域が強く、低音域が弱い場合、精神文化への理解力などは深いが、肉体労働は苦手、行動力に欠ける。

 逆に、低周波の感度が強く、高周波ほど感度が鈍いという場合は、足腰は丈夫でからだは元気、行動力は十分、ただ細かなデスクワークは苦手、頑固で融通が利かない面も・・・なんていう傾向が現れるそうです。

 ホントなら面白いですよね~

 ちなみに前の方のようなオーディオグラムの結果を知性曲線、後者のような結果を行動曲線と呼ぶようです。

 人体各部に共鳴する音も周波数によって異なり、高周波ほど頭頂(8000ヘルツ)寄りに、低周波ほど尾てい骨寄(200ヘルツ)りに共鳴します。


 (尾てい骨の200ヘルツは、ドレミの歌のソ~は青い空~のソ(mid1G)とソシャープ(mid1G#)の間くらいです。
 胸部の1500ヘルツは、hihiGで、ドレミの歌のソから3オクターブ上、普通の歌い手には出ない声です。最後につけた動画でご確認くださいませ。
頭頂の8000ヘルツは、マライキャリーでも出せる音じゃありません。
 ただ誰にでも聴こえる音です。胎児は8000ヘルツの音の世界にいるとトマティス博士は言ってるようです。)


 そしてある音域にだけ音のカーテンと呼ばれる、ブロックがある場合があるようで、これは例えば幼児期のトラウマなどで起こるそうです。子供は先天的な障害がなければ、もともとみな完全な耳を持っていますが、つらい出来事があると、ある音を聞こえなくすることで、自分を守る場合がある。それが「音のカーテン」と呼ばれるもので、オーディオグラムでは斜線がひかれるエリアです。

 うーん、どうもトラウマというのはあれですね、たぶん聴覚だけではないんですが、サバイバルのために「知覚を制限する」みたいですね。だから不安が強いと、ある特定のポイントに関してはむしろ普通の人より知覚力が研ぎ澄まされたりすることもあるようですが、知覚でも思考でも全体的な広がりは失われます。

 知覚は限定的・固定的となり、思考や行動は強迫的・常同的(ループする)となるような気がします。
 動物たちの生存プログラムの名残が、人間の中で発動している状態です。

 で、面白いんですが、トマティスにより耳を初期化することでトラウマそのものが癒されることもあるらしいんですよ。
 発育トラウマというとどうしても、ヒプノなど潜在意識に働きかける系というのがメジャーですが、知覚器官を解放することによってそれが癒されるのなら大変興味深いことです。

 まだ、トラウマというと精神的な症状が出るという認識がメジャーで、知覚にも影響するということはあまり知られていません。

 僕らはおおむね、同じ世界を共有していると思っています。

 しかし、耳という器官ひとつとっても、ある人には聴こえている音が、ある人には聴こえていない。あるいは、ある人には右から聴こえ、ある人には左から聴こえている(音の定位能力の違い)ということがあるんですね。

 それを可視化して見せてくれるのが、オーディオグラムなわけですね。

 で、僕もまず、その検査を受けさせてもらいました。

 ヘッドフォンをつけて音が聴こえれば、左右聴こえた方の手を挙げるという簡単なテストです。

 僕はたぶん、知性曲線を描くのではないかと思いました。あと音のカーテンもあるんだろうなと。

 ってのは結構聴力とか発声に関するコンプレックスがありまして、騒音の中で人と話すのがものすごくイライラするくらい苦手だったり、なかなかこちらも騒音を飛び越えるような響く声が出せないとか、歌の先生に音程の悪さをダイレクトに指摘されたり(泣)しましたので。

 ・・・のですが。結果は予想外で、「耳、いいですよ」(ヤター)ということでした。バランスがとれた理想曲線に近いということ。

 理想曲線はイタリア人などに多いそうです。そう言えば濃厚なピザやワインは好きです(関係ないって)

 あ、カンツオーネも好きだよ(もういいって)




 ただ、左耳の高周波域に音のカーテンがかかってるエリアがありました。
 そして気導音(空気を伝わって感受する音)にくらべて骨導音(体内の骨から伝わってくる音)がちょっと不安定な曲線となりました。

 音のカーテンができる理由は様々ですが、常に自分の左側に何か自分にとって耳をふさぎたくなる人・ものがあったり、また左耳は女性とのコミュニケーションに対応しているので、女性トラウマという場合もあるらしいです。

 まあ、女性トラウマは割とあるんですけど、原因はよくわかりません。なんかブロックされてるみたいです。

 カラオケでよく左耳をふさぐいで歌うと、ましに歌える気がするんですが、それとも関係あるんでしょうかね~

 今回のこのリスニングテストは、無料です。(トマティス自体は結構高額何ですけどね)

 いやーこれいいですよ。
 オーディオグラムだけでもかなり自己理解が深まりますし、 
 担当の方もすごく明朗知的な感じで、すごくお話ししやすかったですし、お勧めしたいですね。

 入会などをごり押しされることもありませんでしたし。

 テスト以外にも出し惜しみする感じもなく、たくさんのことを教えていただきました。
 
 雑多な騒音が苦手(家電量販店のえげつない騒音など)という話をすると、それに対処する「聞き耳を立てる」というエクササイズを教えてもらいました。自分の耳をぴーんと伸ばしてる感じで、10センチくらい耳より上の位置で聴いているとイメージするそうです。

 すると、交通量が多い通りでも、車の「ぐおーん」という低音部分ではなく、しゅっしゅっっと風を切る音のような高音部分にフォーカスしやすくなるらしいです。人間にとって、より物理的な低音部分がより脅威を覚え、ストレスになりやすいらしいです。

 これは聴力が完全に受動的なものではなく、「選択できる(周波数帯域を)」ということを意味しています。
 「うるさい」というのは絶対的なもんじゃないんですね。聴き方を変えることもできると。

 面白いなーと思いました。実践してみようかと思います。ウサギ耳^^ 

 トマティス博士は聴こえてくる音の「高周波をとらえなさい」と言っていたようです。

 そして最後に、一時間だけ聴覚セラピーをお試しで聴かせてもらいました。

 いやーこれが、異様に気持ちよかったんですよね。こんだけ長々と書いてるのも、どうもあれにエネルギーをかなりもらった気がするからなんですが。

(これももしかすると、トマティス理論特有の考えかもしれませんが、脳は糖分などからだけエネルギーを補給しているわけではなく「外から聴こえてくる音」「自分の声」からもエネルギーを補給しているらしいです。

 だから、読経とか歌を口ずさむことはすごく、脳の働きに影響するってことです
。)
 
 簡単にいうとリクライニングチェアーに横になって、音楽を聴くだけです。
 曲は前半モーツアルトで、後半はグレゴリア聖歌です。
 頻繁に聴こえてくる周波数帯域が変更されます。(多分フィルターがかかったり、はずれたり)
 そうすると、モーツアルトの中音域だけが聴こえたり、高音だけが聴こえたりするんですね。

 完全に途中から深い瞑想状態になっていました。

 すごく平和で、美しい、草原のような風景が浮かんできたりして、とにかく気持ちよい状態を味わっていました。

 たぶんシータ波の状態ではなかったろうかと思います。

 終わって、外に出ると、すごくリセット感があり、明日の仕事や帰りの電車時間のことなんてなんにも浮かびませんでした。

 ただ夏空がきれいで、いいなーと。自分で瞑想もしますが、なかなかここまでリセットされないんですよね。最近は特にいろいろ悩みもありまして、夜も睡眠があさかったりで、思考が走り気味だったのがすごく落ち着いて、風景が新鮮に見えました。

 久しぶりの感覚でした。
 僕もヘミシンクとか、バイノーラルサウンド系のCDをよく聞きましけど、なんかそれとも違いましたね。

 うーん、単にグレゴリア聖歌が好きだからかなーその要因もあるかもしれませんが、とにかく気持ちよかったことは確かでした。

 この平和な気持ちよさはフローティングシェル(アイソレーションタンク)に入った時と少し似てるでしょうか。

 フローティングシェルは、明らかに母胎の環境再現でもあり、スタニスラフ・グロフいうところのBPM1の再体験的意味合いが強いです。トマティスの聴覚セラピーでは、少しづつ音にフィルターをかけて、胎内にいた時に聴いていた8000ヘルツの音のみが聞こえるようにします。これを長期間聴き続けることで、聴覚がリセットされるということです。

 胎内の疑似環境をつくるという点ではどちらも似てますよね。
 タンクは感覚的に胎内の再現であり、トマティスは聴覚的な再現ということになる。

 これ組み合わせたらすごそうだけど、誰か作ってくれないかな。
 
 音と声、聴覚の世界は果てしなく深いですね

 発声とともに聴覚も探求していきたいと思います。 

 最後に音に関して面白かった動画をいくつか・・・ 

 高音厨普通にすごいな・・・ぼかーどっちかというと低音厨なので それでもこんなにでんけど

 低音厨の人、お笑い芸人の麒麟川島的なシブい低音っすね 合間のコメントが妙にかっけ~




 


 




セラピー&ヒーリング | コメント(2) | トラックバック(0) | 2016/05/28 22:46

虹のパレードに寄せて ②





 (続き)しかし、これもまた難しく、というのは僕自身いまだに自分のジェンダーが謎なんですよね~

 女性とつきあったことはあります。
 ついこの間まで、10年以上付き合っていたパートナーと一緒に住んでいました。
 他にも期間は短いですが・・・
 男性と付き合ったことはありません。
 でも、人数だけで言えば、体験自体は男性の方が多くなります。
 
 アイデンティティ的には、「男」メインでやっていますが、「女」人格が時々顔をのぞかせてきます。

まだあどけない小学生のころ、初恋は女の子でした。

 ショートカットの見た目ちょっとボーイッシュな女の子でした。

 この子と大きくなったら結婚したいと思っていたような気がします。

kou-e.jpg

 そのころ↑

 あ、今思い出したことがある。

 僕はちょっと変なんですかね~

 そのころ、近所の小さな神社に帰り道お参りしながらいつも「幸せな結婚ができますように」って言ってたんですよね^^小石を投げて鳥居の上に載ると願いがかなうみたいに、みんな言ってて、、よく石を投げてました。

 10才そこそこの男の子がする願い事?と今は思いますけど。

 他に、テレビアニメの「キャッツアイ」を見て、ああいう格好がしたいと思ったりしてました。

 

 いやいや、当時ですよ。今の僕の画像に想像でレオタードをかぶせないでくださいね。

 似合うわけないんだから・・

所持したりしてないですよ・・・

 あと女子向けアニメって違和感なく普通に見てましたね。
 割と好きです。女子向けのほうが恋愛志向でちょっとドキドキするというか

 再放送だった尾思うけどこの辺のアニメ?

 すっげー覚えてるこの歌

  






 なぜかうちにあった「キャンディキャンディ」も楽しく読みました。
 今でも、あんまりベタベタなのは読まないけど、「ガラスの仮面」やら萩尾望都さんの漫画やらはきれいで好きです。


  11、2才のころになると、結構男子にもウェットな感情を感じる自分に気づきました。

  クラスメートにハーフのなかなかカッコいい子がいましたが、彼が、「好きな子がいる」という話をしてるときに、思わず「それ女?」と尋ねてしまったことがありました。すると彼は笑って「男だったらおかしいやろ」(関西弁喋れるんですよね)と言いました。なぜ、そんなことを聴いたかと言うと、もしかすると、自分のことが好きなんじゃないかとなぜかその時思ってしまったんですね。
  
 と、同時に、クラスには好きな女の子というのもいました。
 転校してきた子で、ちょっと大人っぽくて、胸が大きいと男子に評判の子でした。(小6ともなると修学旅行とかでそういう話しをするわけです)

 小学生のころはそれでもそんなに悩んだり、自分が人と違うとも思わなかったんですけどね・・・

 悩みとか違和感が大きくなってきたのは、17,8くらいからでした。
 女性的になりたいという欲求があって、それと葛藤していました。

 kou17.jpg


 ゲイとトランスジェンダーの区別がまったくわからなかった10代、20代のころ、もしかして自分はゲイじゃないのかという内なるホモ疑惑に苦しんでいました。

 それはかなり強烈な自己嫌悪を伴い、半ばひきこもりになっていたのはそれも原因のひとつだったのです。

  どうも、自分は普通の男とは違う、何かあやしい、変態的な、汚い存在であり、あのまぶしいキャンバスの中に歩いて出て行く資格がないと思え・・・。

 だから一人自転車をこいで誰もいない海にばかり行ってましたし、自己嫌悪を忘れられるアルコールに頼ってました。

 最初はその内なる「何か」を抹殺して、まっとうな、普通の、健康的な男性になろうとしていました。

 しかし、どうしても「普通の男」になれそうもない気がしてきた時に、ゲイ向けの雑誌を買ってみました。

 やや捨て鉢気味に、もうゲイになってやろうかと思ったのです。
 ちょっとゲイの方に失礼な書き方になってしまいましたが、なんかそういう気持ちだったのです。
 ひとつ間違えば、僕は多分、売り専(ゲイ向けの風俗)で働いてたと思います。
 

 出会い系で、ゲイの男性にあったりもしました。
 だが、どうも違う感じがする。なんか、その世界に入れないのです。

 あとから気づきましたが、それはゲイの世界には♀という記号・イメージがなかったからでした。
 ♂と♂だけが絡まりあう世界に自分はいることが出来ず、そこでも違和感を感じる。

でもいっそ、パーフェクトなゲイであったらよかったのにと何度も思いましたよ。
そうすればこんなにあっちかこっちかみたいにいろいろ悩んだり、迷ったりしなくて良かったのにと。
かつての彼女とも100パーセントストレートな男として付き合いたかったとも思いました。

  のちにあるカウンセラー的な人物、(というかよく書いてるI師匠ですが)に、いっちっばん最初に会った時に、「精神的にレズなのでは?」と言われてはっとしました。(しょっぱなからなんちゅー話ししてるんだろ)

 そこで謎のピースがひとつみつかりました。

 つまり、性自認に女性性の部分があり、性対象も女性であれば、確かにレズビアンということになる。

 どちらかというと僕の嗜好は♀と♀のLの世界に親和性があり、ゲイの世界である♂と♂に溶け込めるはずはなかったのです。

 ただ、自分が女性になるとかなんらかの♀イメージが入ると、男性との関係は違和感はないので、正確にはMTFバイセクシャルと言えるかもしれません。また性自認が♂の部分も確かにあり、結構いまだ混乱してる感じです。

 I師匠にはその時に「最初見て、この子は女の子だなと思った」と言われて、ちょっとうれしかった思いでもあります。
 まだ20代でしたね~・・・(遠い目)

  なぜか師匠と最初に交わしたのはそういったセクシャリティに関する会話でした。

  また師匠以外にもたまに自分の中の「女性」を見てくれる人がいました。

  高校の時のクラスメートと談笑してる時、「Mはわがまなな<女>やな」とふといいました。他の男子が「いや、いや女とちゃうやろ」とふざけながら突っ込むと、彼は「ええんや」と笑うでもなく真面目な顔をしてました。
 いや、正直、キュンとしました(笑)
 わかってくれる人がいると思って。

 あとクラスで性転換したら似合いそうな男子一位にめでたく選ばれたり・・・

 他にも何度かそういううれしい言葉をかけられたことがあり、まあそれにすがって僕の中の彼女は生存を続けてきたのかもしれません。

 しかし逆に典型的な野郎扱いをされたり、昔からの知人に馴れ合った会話の中で「おっさん」とか「親父」とかギャグでも言われると「ひどい、何でそんなこというの・・・」と傷ついたりしました。
 正直、まだ「おばさん」と呼ばれたほうがいいかもしれません。
 でも説明できないんですよね、どうしてこんなに嫌な気分になってるかを。

 その後20代の終わりくらいから女装することに興味が出てきたりしました。
 女性として男性と会ってみたいとも思いました。
 でも、そのころには何年もつきあってる彼女がいたので、かなり欲求は自分なりにセーブしてたつもりです。
 ところが、時々、ぷちっと何かが切れて男性と浮気してしまうことが何度か。
 それが思いっきりバレたこともありました。彼女は本当は男が好きなんじゃないのかと疑っていたと思います。
 
 「本当」はどうなのか、いまだによくわかりません。
 ただいえることは確かに僕の中の「女性」は存在して、彼女を抹殺しようとすると、彼女は暴れまわるということです。これ以上男性化したくない、たまにはきれいな服でおしゃれしたいとささやくということです。

 なぜ彼女はいるのか、彼女は何者なのか。彼女はどうしたいのか?

 遺伝なのか、生育暦なのか、単なる趣味嗜好なのか

 その辺の謎を見極めつつ、今後も<僕>は、僕の人生に出会いと、混乱と、豊かさをもたらした<彼女>とつきあっていきたいと思っています。
 抹殺しようとすることはもうやめました。
 ここのところいろんな自分の生活の屋台骨が解体してきましたので、もう、月並みだけど自分に本当に正直に生きるしかないのかなーと思っています。

 まあセクシャリティは変わっていくものとも言うので、男とか女とかゲイとかトランスとか、今「決めないで」今のあり方で人生を楽しみたいです。今回書いたのはすべて過去のことです。



 明日は午後は多分晴れてまた暑くなりそうです。

 パレードに参加するかは未定ですけど、初夏の代々木公園でRAINBOW FESTAのブースをぶらーっと回ってみようかと思います。 


 
セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/06 20:57

虹のパレードに寄せて① TOKYO RAINBOW PRIDE2016


                       rainbow.png




 また更新にだいぶ時間があいてしまいました。

 一応元気でやっております。

 先日は、武蔵野市内で開催された「LGBTカミングアウトのためのコミュニケーション講座」というのを聴講してきました。

 この講座は5月7日、8日に代々木公園などで行われる<TOKYO RAINBOW PRIDE>の関連イベントとしてひらかれました。

 RAINBOW PRIDEというのは、

「 『東京レインボープライド』は、 LGBTをはじめとするセクシュアル・マイノリティ(性的少数者)が、差別や偏見にさらされることなく、より自分らしく、前向きに生きていくことができる社会の実現を目指すイベントの総称です。

その主なものとして、『パレード』『フェスタ』を主催し、『レインボーウィーク』キャンペーンを実施しています。

これらのイベントを通して、LGBT当事者並びにその支援者(Ally)と共に、「“生”と“性”の多様性」を祝福する場を提供しています。

日本では、人口の5~8%前後がLGBT当事者ではないかとされています。

決して少なくはない数であるにもかかわらず、まだまだLGBTの存在は可視化されているとはいえないのが現状です。

 『東京レインボープライド』では、様々なイベントを通じ、LGBT当事者が等身大の存在として広く社会で知られるようになり、当たり前に暮らしていけるよう努めていきます
。」


 というものです。(RAINBOW PRIDEホームページより)


 LGBTという言葉はこのところ随分メジャーになってきてますけど、雑に説明すると

 L→レズビアン G→ゲイ B→バイセクシャル T→トランスジェンダー  を意味して、そのようなセクシャルマイノリティ(性的少数者)に属する人たちの総称として LGBTという言葉があります。

 で、まー生まれ持ってそういうカテゴリーで人生を生きてきて、家族だとか大事な友人、職場などに本当の自分をさらけだした上で生活したいという時に、「カミングアウト」(自己開示)が必要となってくるわけです。

 o-BRAZIL-900.jpg

 その講座と言うのはこういうデリケートな問題をカミングアウトする時に、カミングアウトする方、される方にどのような心構えがあれば、わかりあえるかということをテーマとしたものでした。

 正直、僕はそういうセクマイ(セクシャルマイノリティ)の方が集まる場というのは初めてで、結構緊張感が強かったのですが会場に入ると、まあごくごく普通の男女が座っていました。当たり前ですけど、見た目で明らかに人とは違うとか、おかしいという人はいないのです。マツコデラックスみたいな濃いキャラ(嫌いじゃないですが)で会場が埋まっていたら多分帰ってたと思います。

 ただ、先生はトランスジェンダーの方で、男性としてうまれているけど、女性として生きている方でした。
 髪の毛はロングですけど、背は結構高く、男性的なシルエットでもあり、メイクもされてるという感じで、一見するとメディア的な「おねえ」のキャラと<やや>少し近いかもしれません。

 でも違うんですね~~

 なんと先生には女性の彼女がいて、彼女との間に子供がほしいので、性適合手術、ホルモン療法などは受けてないと言われていました。

 ここまで読んで、LGBTにまったく詳しくない方は???となるかもしれまんせん。

 トランスジェンダーの中には、MTF(man to female)とFTM(female to man)があります。この講師の方の場合はMTF、つまり肉体は男性として生まれているけど、性的アイデンティティは女性と言うケースです。(精神医学の言葉では性同一性障害とも言います)

 MTFの方の中には、アイデンティティは女性で、恋愛や性の対象は男性という方がたくさんいます。
 これは理解しやすいですよね。
 自分が女性であり、男性に愛されたいということです。
 
 しかし、性自認は女性だけど、性の対象も女性という方もたくさんいて、MTFレズビアンと呼ばれます。
 他にも性自認は女性で、性の対象は男女両方だというMTFバイセクシャルもたくさんいることでしょう。
 
 ちょっとややこしいのですが、もともとLGBTのLGBまでは 外的な対象の嗜好性を意味する(男好き 女性好き 両性好き)であり、TranceのTはそもそも自分は男か女かというアイデンティティの問題であるので、概念の枠組み自体がちょっと違うわけです。
 LとGにはタチやウケ、リバ(リバーシブル)という性的に能動的、受動的、あるいはどちらもと言う役割のある意味男女分化という要素はあるのですが、性的アイデンティティ自体の転化は薄いのです。

   講師の方も、いろんな場で自分の立場を説明すると「じゃああなたははるな愛ちゃんみたいな感じなの?」というようなリアクションが返ってくることが多くて、結構困ることがあると言われていました。

 ここで個人的な話をしますと、僕自身もセクマイ的な傾向が強いと思います。
 だから、一般教養としてではなく、当事者意識でこの講義も聴講しに行きました。

 まあ、ブログとかで性別♂60% ♀40%と書いたり、なにげに小出しにカミングアウトはしてるんですが・・・

 といってもWEB上だけのことであり、WEB先行で知り合った人にはなんとなく理解してもらえますが、リアル先行で知り合った人にこちらから言い出すというのはハードルが高く、まだやったことはありません。

 WEBでも小出しにしか書いてこなかったので、LGBTウィークに寄せて、今回はなるべく詳細にカミングアウトしてみようと思います。 

 しかし、これもまた難しく、というのは僕自身いまだに自分のジェンダーが謎なんですよね~(続く)



セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/05 13:42

Radio update 4/19 インナーベイビーとつながる旅

  baby.png


  ジョン・ブラッドショー著「インナーチャイルド」本文の瞑想より、 インナーチャイルドの中でももっとも根源的な内なる赤ん坊を癒す瞑想を、少しアレンジしてレコーディングしました。

  インナーチャイルドと言う言葉はもう随分知られています。

  しかしこの本で特徴的なのは、内なる子供を乳児期、歩行期、前学童期、学童期、思春期とわけていることで、それぞれの時代に必要な学習やケアが必要であることを説いています。 

 例えば乳児期で必要なのは、母親との肉体的な十分な接触です。どれだけ栄養を豊富に与えても、肉体的なスキンシップが少ないと乳児は正常に発育しないと言われています。猿の赤ん坊などでの実験では、何も「抱きつくものがない」環境に入れられた小猿は死んでしまうことさえあります。このことから、子が親に甘える愛着行動はそれ自体が生命に必須のことと言えるでしょう。

 また、乳児は「うーうーあー」というような自分の声にあわせて反響してくる周りの声を必要としているようです。これはエコーイングと呼ばれるそうです。それを聞くことにより、赤ん坊は自分が見守られていて、世界は信頼に足ることを学ぶのです。

 これらの要素が十分満たされたとき、乳児は健全な自己愛と、信頼を学ぶと著者はいいます。

 この瞑想は傷ついたり、十分な愛をもらえなかったと思い込んでいるインナーベイビーとつながり、癒すものです。

 すでに大きな大人であったり、ご自身の子供さんがいる場合でも、自らのベイビーとつながることは現在の親子の関係をより良好にするであろうと思われます。

 一応僕の声で録音してありますが、本当は自分自身の声で行うのがベストなのかもしれません。

 また心の治療を受けてる方、幼児期の大きなトラウマが予想される方は慎重に聞いて、あまりにも感情の負荷が大きい場合はすぐに中止してください。


 ↓↓では、インナーベイビーの旅、はいたかご案内バージョンはこちらから↓↓







セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/04/19 20:52
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