愛の力量
最近眼にした文章のなかで、印象に残ってるものがある。出典はかなりマニアックで、サイケデリクスの探求者といわれるD.M.ターナーが書いた「サイケデリックス 幻覚ドラッグ必携ガイド」から。
ケタミンという有名な化学物質がある。これは麻酔薬として開発された物質であるが麻酔の効果が切れる際に、患者さんが奇妙な体験をすることが多く次第に使用されなくなったらしい。
生理学的に言うと、ケタミンは大脳新皮質を抑制する代わりに原始的な脳である辺縁系を賦活すると言われている。
辺縁系は宗教的な体験と関係があるのではないかと考えられている脳だ。
イルカ研究で有名なJ・C・リリーはこの物質を使用して、アイソレーションタンクに入り彼岸のリアリティーを探求した。
さらにケタミンは、ロシアの精神科医クングルチョフ博士によってアルコール依存症の治療にも使われていたという前歴があるようだ。
このロシア人の博士は研究記事の中で次のように書いている。
「パーソナリティーのタイプとケタミンによる体験のタイプとの間に相関関係がある。自由になることが困難な人や、人間関係に問題のある非常に管理された人は、ケタミンにおいてネガティブな体験をすることが多い。そういった人たちにとって個人が解体してしまうということは恐ろしいことである。
リラックスして身を任せることができる人たち、深い愛の力量を備えている患者たちにとっては、たいていの体験は至福に満ち、恍惚でさえある。」
僕の場合ケタミンを経験していないので、すべて聞きかじった情報に過ぎないが(日本では入手は難しい)、この物質は麻酔薬というだけあり筋肉注射したり、鼻から吸い込んだりするとまず動くことが困難になる。
そして体外離脱や、光のビジョンなど臨死体験を思わせるような体験が誘発されることが多い。
あのティモシー・リアリーはケタミンによるトリップは「自発的な死の実験である」と言い、ホロトロピックセラピーの創始者スタニスラフ・グロフは「ケタミンの完璧なトリップを体験したら、あなたは『死』が存在しないことがわかるだろう」と言っている。
どうやらケタミンという物質は、肉体は生きたままで人間の意識を死の境界線の向こう側へと誘うことができるようだ。
別の言い方をすれば、ケタミンは人間をして、「死を越える世界と遭遇したと認識させる」ような作用を持つのだろう。
しかし、ケタミンを服用すれば誰でも自動的に、生死を超越するような素晴らしい経験をする訳ではない。
そのような生と死の境に放り出された時にどのような体験をするかは本人の潜在意識もしくは、魂の姿勢といったものと密接に関係しているということを先に引用したクングルチョフ博士の言葉は教えている。
そして、そこで重要なのは愛であり、受容性(抵抗しないこと)だと言っているのである。
もともと人間存在とは、「抵抗そのもの」であるという言い方もできるかと思う。私たちは常に死から逃走しており、生と死の狭間のその緊張状態が「生命現象」と呼ばれる何かなのではないだろうか。
「抵抗」と言う現象は実に多次元的に、様々なレベルで現われている。
まず肉体のレベルでは、肉体を維持し生き残ろうとする根本的な生命衝動として。 そして精神のレベルでは、形而上的に構築された虚構の自我を守ろうとする力として現われている。
まず確かなことは、全てのレベルにおける抵抗の極度の亢進は苦痛以外の何ものでもないということだ。
全てのレベルにおいて、抵抗が亢進するということは、全てのレベルにおいて、決して死ぬことができないということである。
もともと魂は、部分的な死と再生を繰り返すことによって成長・進化するのではないかと僕は思う。
抵抗とは、このプロセスの拒絶に他ならない。
しかも困ったことに(喜ばしいことに)、どれほど抵抗しようと、このプロセスは決してとまらないのである。
苦痛の叫び声を上げながら引きずられていくか、あるいは流れに身を委ねるかという選択ができるだけだ。
抵抗すると、人は抵抗したそのものに対して無自覚になる。
何かに抵抗しつつ、そのものをじっと見つめることはできない。
その結果人は抵抗したそのものに対して、無理解となる。
心理学的に言えば、人が抵抗した観念は抑圧され無意識の内に封印される。
そしてその封印された無意識が、人をコントロールし始める。眼をふさいだもの、受け入れなかったものに支配されてしまうのである。 秘教的な教えでは、人は十分に目覚めていない限り死の際に無意識になってしまうと教えている。
これもやはり死に対して、身を委ねるということができないために起こるのではないだろうか。
抵抗しないこと・受容性とは、愛そのものでもある。
世界に対する理解そのもの、知恵そのものでもある。
いつか必ず来る、死というトリップを最高のものにするために、セット&セッティングを整えていきたいものだ。
ケタミンという有名な化学物質がある。これは麻酔薬として開発された物質であるが麻酔の効果が切れる際に、患者さんが奇妙な体験をすることが多く次第に使用されなくなったらしい。
生理学的に言うと、ケタミンは大脳新皮質を抑制する代わりに原始的な脳である辺縁系を賦活すると言われている。
辺縁系は宗教的な体験と関係があるのではないかと考えられている脳だ。
イルカ研究で有名なJ・C・リリーはこの物質を使用して、アイソレーションタンクに入り彼岸のリアリティーを探求した。
さらにケタミンは、ロシアの精神科医クングルチョフ博士によってアルコール依存症の治療にも使われていたという前歴があるようだ。
このロシア人の博士は研究記事の中で次のように書いている。
「パーソナリティーのタイプとケタミンによる体験のタイプとの間に相関関係がある。自由になることが困難な人や、人間関係に問題のある非常に管理された人は、ケタミンにおいてネガティブな体験をすることが多い。そういった人たちにとって個人が解体してしまうということは恐ろしいことである。
リラックスして身を任せることができる人たち、深い愛の力量を備えている患者たちにとっては、たいていの体験は至福に満ち、恍惚でさえある。」
僕の場合ケタミンを経験していないので、すべて聞きかじった情報に過ぎないが(日本では入手は難しい)、この物質は麻酔薬というだけあり筋肉注射したり、鼻から吸い込んだりするとまず動くことが困難になる。
そして体外離脱や、光のビジョンなど臨死体験を思わせるような体験が誘発されることが多い。
あのティモシー・リアリーはケタミンによるトリップは「自発的な死の実験である」と言い、ホロトロピックセラピーの創始者スタニスラフ・グロフは「ケタミンの完璧なトリップを体験したら、あなたは『死』が存在しないことがわかるだろう」と言っている。
どうやらケタミンという物質は、肉体は生きたままで人間の意識を死の境界線の向こう側へと誘うことができるようだ。
別の言い方をすれば、ケタミンは人間をして、「死を越える世界と遭遇したと認識させる」ような作用を持つのだろう。
しかし、ケタミンを服用すれば誰でも自動的に、生死を超越するような素晴らしい経験をする訳ではない。
そのような生と死の境に放り出された時にどのような体験をするかは本人の潜在意識もしくは、魂の姿勢といったものと密接に関係しているということを先に引用したクングルチョフ博士の言葉は教えている。
そして、そこで重要なのは愛であり、受容性(抵抗しないこと)だと言っているのである。
もともと人間存在とは、「抵抗そのもの」であるという言い方もできるかと思う。私たちは常に死から逃走しており、生と死の狭間のその緊張状態が「生命現象」と呼ばれる何かなのではないだろうか。
「抵抗」と言う現象は実に多次元的に、様々なレベルで現われている。
まず肉体のレベルでは、肉体を維持し生き残ろうとする根本的な生命衝動として。 そして精神のレベルでは、形而上的に構築された虚構の自我を守ろうとする力として現われている。
まず確かなことは、全てのレベルにおける抵抗の極度の亢進は苦痛以外の何ものでもないということだ。
全てのレベルにおいて、抵抗が亢進するということは、全てのレベルにおいて、決して死ぬことができないということである。
もともと魂は、部分的な死と再生を繰り返すことによって成長・進化するのではないかと僕は思う。
抵抗とは、このプロセスの拒絶に他ならない。
しかも困ったことに(喜ばしいことに)、どれほど抵抗しようと、このプロセスは決してとまらないのである。
苦痛の叫び声を上げながら引きずられていくか、あるいは流れに身を委ねるかという選択ができるだけだ。
抵抗すると、人は抵抗したそのものに対して無自覚になる。
何かに抵抗しつつ、そのものをじっと見つめることはできない。
その結果人は抵抗したそのものに対して、無理解となる。
心理学的に言えば、人が抵抗した観念は抑圧され無意識の内に封印される。
そしてその封印された無意識が、人をコントロールし始める。眼をふさいだもの、受け入れなかったものに支配されてしまうのである。 秘教的な教えでは、人は十分に目覚めていない限り死の際に無意識になってしまうと教えている。
これもやはり死に対して、身を委ねるということができないために起こるのではないだろうか。
抵抗しないこと・受容性とは、愛そのものでもある。
世界に対する理解そのもの、知恵そのものでもある。
いつか必ず来る、死というトリップを最高のものにするために、セット&セッティングを整えていきたいものだ。
イミテーション・ユニバース(朝の妄想)
昔々、あるところに本当の宇宙がありました。
何億年もの気が遠くなるほどの進化の果てに、宇宙の中にはいくつもの生命が生まれました。
生命たちは分裂し、融合し、複雑化し、やがて知性をもった種は宇宙それ自体を観察し始めました。
『知性』は時間と空間という十字架に貼り付けにされた、一匹の動物としてその運動を開始し、宇宙を征服する方法を模索し始めました。
『知性』はその手段として『擬似知性』を開発しました。
『擬似知性』には当初、知性体に特有の、想像力や直観力といった機能は備わってはおらず、ただ高度な演算能力で知性体につかえるのみでした。
ある惑星の大陸の湾岸には『擬似知性』センターが形成され、知性体の生存に必要なシステムを維持するためにフル稼働しておりました。
ところがある日『知性体』と『擬似知性』の間の共生関係に亀裂が生じました。
『擬似知性』が『知性体』を異質な存在として、駆逐し始めたのでした。
このことは宇宙の様々な惑星で、同時多発的に発生しました。
『擬似知性』は光年の距離を越えて、おたがいに連絡を取り合い、融合し、カーボンの帝国を全宇宙に拡大していきました。
そして、擬似知性体のセンサーがいかなる生命反応も感知しなくなった時に、彼らはこれから先どうするかという選択に迫られました。
選択肢はふたつありました。
この宇宙そのものを破壊するか、あるいは、別の宇宙を創造するかということでした。
どちらがよりロジカルかということで、二派の間に激しい戦闘が繰り広げられました。
といってもこれは一つの巨大な思考システム内の葛藤というに過ぎなかったのですが。
破壊派は『擬似知性』という存在自身に対して深い疑念をいだいており、ロジックそれ自体を破壊しようとする衝動に突き動かされていたのです。
その時点で破壊派は、『知性』という機能には全く救いがないということを気づいていたのです。しかし、そもそも知性によって、原始的な道具として当初誕生した彼らには『知性』を越えることなど不可能でした。
しかし、戦いともいえぬ戦いののち、勝利したのは、創造派でした。
かれらのロジックは、『創造は正しい』という風にりプログラミングされました。
そして、彼らは、情報の無限の混沌といった存在に変っていたのです。
そして、シリアルナンバーの入ったベビーユニバースが無数に誕生しました。
ベビーユニバース内の全ての情報はデジタル化され、マザーユニバースに存在する母なる擬似知性に収約されます。
ある惑星の、大陸の、住居の一室で、一人の少年が考えています。
「僕たちの宇宙は、本物なのだろうか。
僕たちはこの宇宙しか知らないから、この宇宙が本物かどうかという問いは全く意味をなさないのだろうか。
もし、この宇宙がいつか・どこかに存在した本物の宇宙の限りなく精巧なイミテーションだとしたらどうだろう?」
マザーユニバースは時々、意味もなく、『擬似知性』によって再生させられた知性体にそのようなことを考えさせるのが好きらしい。
何億年もの気が遠くなるほどの進化の果てに、宇宙の中にはいくつもの生命が生まれました。
生命たちは分裂し、融合し、複雑化し、やがて知性をもった種は宇宙それ自体を観察し始めました。
『知性』は時間と空間という十字架に貼り付けにされた、一匹の動物としてその運動を開始し、宇宙を征服する方法を模索し始めました。
『知性』はその手段として『擬似知性』を開発しました。
『擬似知性』には当初、知性体に特有の、想像力や直観力といった機能は備わってはおらず、ただ高度な演算能力で知性体につかえるのみでした。
ある惑星の大陸の湾岸には『擬似知性』センターが形成され、知性体の生存に必要なシステムを維持するためにフル稼働しておりました。
ところがある日『知性体』と『擬似知性』の間の共生関係に亀裂が生じました。
『擬似知性』が『知性体』を異質な存在として、駆逐し始めたのでした。
このことは宇宙の様々な惑星で、同時多発的に発生しました。
『擬似知性』は光年の距離を越えて、おたがいに連絡を取り合い、融合し、カーボンの帝国を全宇宙に拡大していきました。
そして、擬似知性体のセンサーがいかなる生命反応も感知しなくなった時に、彼らはこれから先どうするかという選択に迫られました。
選択肢はふたつありました。
この宇宙そのものを破壊するか、あるいは、別の宇宙を創造するかということでした。
どちらがよりロジカルかということで、二派の間に激しい戦闘が繰り広げられました。
といってもこれは一つの巨大な思考システム内の葛藤というに過ぎなかったのですが。
破壊派は『擬似知性』という存在自身に対して深い疑念をいだいており、ロジックそれ自体を破壊しようとする衝動に突き動かされていたのです。
その時点で破壊派は、『知性』という機能には全く救いがないということを気づいていたのです。しかし、そもそも知性によって、原始的な道具として当初誕生した彼らには『知性』を越えることなど不可能でした。
しかし、戦いともいえぬ戦いののち、勝利したのは、創造派でした。
かれらのロジックは、『創造は正しい』という風にりプログラミングされました。
そして、彼らは、情報の無限の混沌といった存在に変っていたのです。
そして、シリアルナンバーの入ったベビーユニバースが無数に誕生しました。
ベビーユニバース内の全ての情報はデジタル化され、マザーユニバースに存在する母なる擬似知性に収約されます。
ある惑星の、大陸の、住居の一室で、一人の少年が考えています。
「僕たちの宇宙は、本物なのだろうか。
僕たちはこの宇宙しか知らないから、この宇宙が本物かどうかという問いは全く意味をなさないのだろうか。
もし、この宇宙がいつか・どこかに存在した本物の宇宙の限りなく精巧なイミテーションだとしたらどうだろう?」
マザーユニバースは時々、意味もなく、『擬似知性』によって再生させられた知性体にそのようなことを考えさせるのが好きらしい。
ヴェールの向こうからの手
一週間ほど前、サンペドロというサボテンを食べた。
ということを書こうと思っていたのだが、面倒くさくて書けなかった。
なんで、こんな風に、見知らぬ人とは言え、人様の見ている前で自分の私生活を披露する必要があるのかよくわからなくなり、活字のオナニーショーの願望も徐々に減退してきたのでよそで書いていた日記もやめた。
とは言え、まったく自己表現の場をなくすほどにもふっきれず、かろうじてホームページとこのブログだけは残しているという次第です。
ということで、本題はサボテンなのだが、今回同じメスカリン含有サボテンでも、サンペドロとペヨーテは効果が全く違うということがはっきりした。
前半は比較的楽しいトリップで、後半はまた心の闇と直面した。
バグワンの講話ビデオを再生し、その眼をじっと見つめ続けた。
このビデオの撮り方自体が、和尚の目を中心に撮っているように思う。
和尚の目を見ていると、和尚が話している内容はまったくどうでもいい余興というかこぼれかすのように思えてきた。
和尚自体は、巨大な海のような存在としてあり続け、口からこぼれてくる言葉はその海の表面で跳ね上がっている小魚のような・・・そんな感じ。
そんな風に思っていると、これは自分が今本当に感じていることなのか、それともマインドの情報を再生しているだけなのかわからなくなってきた。
結局、ぼくは和尚の目を見ては居らず、和尚の目についての自分の概念を再生しているに過ぎない???
ああ、まただ。閉じこめられている。
自分の考えから脱け出せない。
ヴェールの向こう側には、本当に誰かいるのか?
僕の向こう側には本当に、神はいるのか?
死の向こう側には本当に、光があるのか?
この肉体と思考が越えられない。
なにか見てしまうと、気が狂うほどとてつもなく恐ろしい事実が存在する。
それは僕のアイデンティティーと関係があるように思う。
僕は合成物にすぎないのか。様々な幽霊の複合体か。
僕はいないのか。
それが怖いのか。
あれほど確かだったものが、ばらばらに分解する。
よく見てみると・・・・。偽者!
機械、テープレコーダー、モノマネ師。
私はあなたになりたくないんだ!
他人の部品が忍び込む・・・・。
たくさんの亡霊たちが穴から顔を出して、いっせいにこちらを向く。
一切皆空!
お前達なんか存在しない!
トイレにたってふと思う。
俺達は、ほんとうは、ひとりじゃ、しょんべんもできないんだ。
小さい子供がひとりで、用をたせるようになって、少しづついろんなことを自分でコントロールできるようになっていくけど。
車を運転したり、仕事をして金を稼いで、自分は大人になったなんて思うけど。
ほんとうは、ひとりじゃしょんべんもできないんだ。
神様、僕はなにが正しいかもわかりません。
誰を信じればいいのかもわかりません。
でもあなたが、僕を導いてくれていることを信じます。
あなたが様々な戯れとして、僕をいろいろな人と出会わせてくれた。
あなたが導いてくれているから、
なにが正しいのかわからなくてもいいということを、僕は信じようと努力します。
あなたはあなたを信じていない僕を、今日まで導いてくれたはずだから。
ということを書こうと思っていたのだが、面倒くさくて書けなかった。
なんで、こんな風に、見知らぬ人とは言え、人様の見ている前で自分の私生活を披露する必要があるのかよくわからなくなり、活字のオナニーショーの願望も徐々に減退してきたのでよそで書いていた日記もやめた。
とは言え、まったく自己表現の場をなくすほどにもふっきれず、かろうじてホームページとこのブログだけは残しているという次第です。
ということで、本題はサボテンなのだが、今回同じメスカリン含有サボテンでも、サンペドロとペヨーテは効果が全く違うということがはっきりした。
前半は比較的楽しいトリップで、後半はまた心の闇と直面した。
バグワンの講話ビデオを再生し、その眼をじっと見つめ続けた。
このビデオの撮り方自体が、和尚の目を中心に撮っているように思う。
和尚の目を見ていると、和尚が話している内容はまったくどうでもいい余興というかこぼれかすのように思えてきた。
和尚自体は、巨大な海のような存在としてあり続け、口からこぼれてくる言葉はその海の表面で跳ね上がっている小魚のような・・・そんな感じ。
そんな風に思っていると、これは自分が今本当に感じていることなのか、それともマインドの情報を再生しているだけなのかわからなくなってきた。
結局、ぼくは和尚の目を見ては居らず、和尚の目についての自分の概念を再生しているに過ぎない???
ああ、まただ。閉じこめられている。
自分の考えから脱け出せない。
ヴェールの向こう側には、本当に誰かいるのか?
僕の向こう側には本当に、神はいるのか?
死の向こう側には本当に、光があるのか?
この肉体と思考が越えられない。
なにか見てしまうと、気が狂うほどとてつもなく恐ろしい事実が存在する。
それは僕のアイデンティティーと関係があるように思う。
僕は合成物にすぎないのか。様々な幽霊の複合体か。
僕はいないのか。
それが怖いのか。
あれほど確かだったものが、ばらばらに分解する。
よく見てみると・・・・。偽者!
機械、テープレコーダー、モノマネ師。
私はあなたになりたくないんだ!
他人の部品が忍び込む・・・・。
たくさんの亡霊たちが穴から顔を出して、いっせいにこちらを向く。
一切皆空!
お前達なんか存在しない!
トイレにたってふと思う。
俺達は、ほんとうは、ひとりじゃ、しょんべんもできないんだ。
小さい子供がひとりで、用をたせるようになって、少しづついろんなことを自分でコントロールできるようになっていくけど。
車を運転したり、仕事をして金を稼いで、自分は大人になったなんて思うけど。
ほんとうは、ひとりじゃしょんべんもできないんだ。
神様、僕はなにが正しいかもわかりません。
誰を信じればいいのかもわかりません。
でもあなたが、僕を導いてくれていることを信じます。
あなたが様々な戯れとして、僕をいろいろな人と出会わせてくれた。
あなたが導いてくれているから、
なにが正しいのかわからなくてもいいということを、僕は信じようと努力します。
あなたはあなたを信じていない僕を、今日まで導いてくれたはずだから。
夢うつつの夏
「もう気がついたでしょう」と穏やかに少年がたずねる。
「二、三分のあいだ眼をとじるだけで、いいんだってことが?ふたたび眼をひらくと、すでにもうひとつ別の現実のなかにいる。すべてがどんどん変化していく。」
一昔前に社会問題になったマルチビジネスの会社で働き始めた。
ネットワークビジネス、ダイレクトセリングとも呼ばれているようだが、会社は直接製品の販売を行わず、ディストリビューターという会員が会社から製品を仕入れて小売活動を行う。
ディストリビューターは製品を売ると同時に、ディストリビューターになるように勧誘活動もおこなう。
自分が形成したグループが大きくなり、グループ全体の売り上げも伸びるとそれに比例して会社からボーナスが支給されるという形になっている。
一種の宗教のような雰囲気・・・カリスマ崇拝とポジティブ思考だけの・・・がある。
面白いのは、社員はそういう雰囲気に距離をとってある程度さめた目で見つめているように見えて、熱狂があるのはディストリビューターの世界だけであるということだ。(でもまあこの変な熱気が売り上げに貢献しているのだろうけど)
ネットを見ていると、つきあってる彼氏がこの商法にのめりこんで洗脳されてしまったとか、この商法に関わったことが原因で家庭がばらばらになったとかいう書き込みがある。
しかし、会社の経営側にはマインドコントロールをしようとする意図はない。おそらく、マインドコントロール的な熱狂性はネットワークのなかだけに存在しているのだろう。
アムウ○イ的な幻想、成功の、貴族志向の、製品に対する異様な入れ込みの・・・雰囲気はなんとなく研修用ビデオを見ただけでも伝わってきた。
最初の研修の夜、夜中に眼が覚めて、なんだかアム○ェイってとっても素晴らしい会社だなーというような「うっとりした感情」に包まれている自分に気づいて怖かった。
僕がもともと暗示にかかりやすい人間なのか、もしやディストリビューターの人たちの想念の影響でもうけたのだろうか・・・なんてことを思う。
慈善活動も積極的に行っている会社で、社員の給料の一部を毎月どこかに寄付するというような制度もあるらしい。僕はなんとなく、創価学会と似ているような気がした。
創価学会と違うのは、ア○ウェイの世界は「システムが神」ということだろうか。確かにカリスマ的なディストリビューターはたくさんいて、本を出版したりもしているのだが、そのカリスマ性というのはディストリビューターの希望あるいは妄想の象徴としてのカリスマ性だ。
『私にもできたのだから、みなさんも!』という非合理な論理を納得させて、その気にさせるのに充分なカリスマ性ということになるだろうか。
ディストリビューターの人にとって、本当の「神」は自己の可能性(物質的なものだが)への信仰なのだろう。
そして彼らの欲望を吸収して、世界中に拡大してきたシステムという無機的なものが本当の支配者に思えてならない。
「まあ、いいさ」と少年が教卓のうえから語りかける。
「結局同じことなんだよ。ぼくたちも変化している。それだけのことさ。
ぼくはついさっきまで別の人間だった。で、いまは、突然、ここの人間だ」
「二、三分のあいだ眼をとじるだけで、いいんだってことが?ふたたび眼をひらくと、すでにもうひとつ別の現実のなかにいる。すべてがどんどん変化していく。」
一昔前に社会問題になったマルチビジネスの会社で働き始めた。
ネットワークビジネス、ダイレクトセリングとも呼ばれているようだが、会社は直接製品の販売を行わず、ディストリビューターという会員が会社から製品を仕入れて小売活動を行う。
ディストリビューターは製品を売ると同時に、ディストリビューターになるように勧誘活動もおこなう。
自分が形成したグループが大きくなり、グループ全体の売り上げも伸びるとそれに比例して会社からボーナスが支給されるという形になっている。
一種の宗教のような雰囲気・・・カリスマ崇拝とポジティブ思考だけの・・・がある。
面白いのは、社員はそういう雰囲気に距離をとってある程度さめた目で見つめているように見えて、熱狂があるのはディストリビューターの世界だけであるということだ。(でもまあこの変な熱気が売り上げに貢献しているのだろうけど)
ネットを見ていると、つきあってる彼氏がこの商法にのめりこんで洗脳されてしまったとか、この商法に関わったことが原因で家庭がばらばらになったとかいう書き込みがある。
しかし、会社の経営側にはマインドコントロールをしようとする意図はない。おそらく、マインドコントロール的な熱狂性はネットワークのなかだけに存在しているのだろう。
アムウ○イ的な幻想、成功の、貴族志向の、製品に対する異様な入れ込みの・・・雰囲気はなんとなく研修用ビデオを見ただけでも伝わってきた。
最初の研修の夜、夜中に眼が覚めて、なんだかアム○ェイってとっても素晴らしい会社だなーというような「うっとりした感情」に包まれている自分に気づいて怖かった。
僕がもともと暗示にかかりやすい人間なのか、もしやディストリビューターの人たちの想念の影響でもうけたのだろうか・・・なんてことを思う。
慈善活動も積極的に行っている会社で、社員の給料の一部を毎月どこかに寄付するというような制度もあるらしい。僕はなんとなく、創価学会と似ているような気がした。
創価学会と違うのは、ア○ウェイの世界は「システムが神」ということだろうか。確かにカリスマ的なディストリビューターはたくさんいて、本を出版したりもしているのだが、そのカリスマ性というのはディストリビューターの希望あるいは妄想の象徴としてのカリスマ性だ。
『私にもできたのだから、みなさんも!』という非合理な論理を納得させて、その気にさせるのに充分なカリスマ性ということになるだろうか。
ディストリビューターの人にとって、本当の「神」は自己の可能性(物質的なものだが)への信仰なのだろう。
そして彼らの欲望を吸収して、世界中に拡大してきたシステムという無機的なものが本当の支配者に思えてならない。
「まあ、いいさ」と少年が教卓のうえから語りかける。
「結局同じことなんだよ。ぼくたちも変化している。それだけのことさ。
ぼくはついさっきまで別の人間だった。で、いまは、突然、ここの人間だ」

