最近、以前一度個人セッションを受けたことのあるヒーラーがディクシャを始めたので、今週受けに行く予定。

 ディクシャというのは、

 「ディクシャとはインド古代より伝わるエネルギー伝授の手法で、南インドに住むカルキ・バガヴァン(アバター・悟りのマスター)が幼少のころから暖めつづけてきたスピリチュアルなエネルギーを、ディクシャ講師を通して頭頂へ伝授する事です。

 このディクシャを受ける事で物理的に脳が電気的な刺激を受け状態が変わり、努力することなく意識状態が変容します。脳のある部分が不活性化し、ある部分が活性化します。そしてディクシャを受けた一人一人に合うように、脳の状態・身体の状態を変えていきます。

 それによって苦しみからの大きな解放感を得たり、深い安らぎや平和を感じるようになっていきます。また継続的にディクシャを受けることにより、ストレスに強くなり、心身共により好ましい状況、状態になっていきます。

 人によっては心理的、肉体的に浄化が始まり好転反応の出る方もいますが、全く変化を感じない人もいます。しかし脳と深いレベルでは確実に変化が起こっています。その結果「苦しみからの解放」へとプロセスが進み、「悟りへのプロセス」がスタートしていきます。」


 と、いうものらしい(そのヒーラーの方のHPより丸ごと転載)。

 インドのグルマイや、ライフスペースとかで有名になった、「シャクティパット」とはどう違うんだろうと思う。

 でもディクシャというのは今、急速にひろがっているようで、今後この業界でかなりメジャーなものになるかもしれない。

 バガヴァンという人物のことは、スターピープル誌の記事で初めて知った。
 でも、この人がどういうレベルで悟っているのかは知らない。

 面白かったら、またここに結果を書こうと思う。 




 クリスマスプレゼントに、ドリーン・バーチューの女神のカードをもらった。ラクシュミや、カーリーや、観音菩薩や、聖母マリアや、グノーシスの女神や、いろんな伝統の女性の神がごちゃまぜにワンセットのカードになっていて、それぞれが固有のメッセージを持っている。
 絵が綺麗。時々、オラクルをもらうために一枚ひいてみる。

 Q:今後どのようなことを学び、また始めればいいのか?

 という問いをたてると、

 CORDELIA、というケルトの妖精の女神のカードがでた。

 「室内にこもりすぎています。外へ出て新鮮な空気を吸いましょう

 だってよ・・・・。他にも

 「自然のなかで時を過ごす、もっと自然とつながりのある仕事に変る、環境問題に関わる」というのがカードの意味らしい。

 昔、ある人に「アニミズム的な感性が強く、自然の中にあなたの生活の糧になるものがある」といわれたことを思い出した。
 と同時に、一日中活字と向き合う以前のような編集の仕事とかはもう戻りたくないと感じていたことに気づいた。

 うーん・・・実務的な英語やPCのスキルを時間給アップのために身につけようかと思っていたのだが。まーそれはそれでやればいいのかもしれないけど。内なるビジョン、というのはやはり必要なわけで、それが生かせるかどうかはまた別問題だ。しかし、まずはビジョンを自覚することには大きな意味がある。
 こういうカードとかタロットは、内なるビジョンをはっきりさせてくれる。




 ライブドアのニュースをやってると、ついつい見てしまう。

 手のひらを返したようなマスコミのリアクションが非常に気持ち悪い。
 
 堀江さんが悪いことをしたから、捕まった・・・。とかいう単純なことではなくいろんな利害がからんだ気持ち悪い空気。

 電車の中で、地検が動いたちゅうことは裏でヤクザがからんどるなーとでかい声で喋っていた人がいた。部下の自殺、も本当に自殺かどうか・・・。

 まあ、どうみても裏にはなんかあるよね。変だもん。





 
















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セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/01/29 21:09

稲妻と大地

 派遣の仕事の契約がどうやら一月いっぱいで終了となりそうだ。

 仕事がきついと、はやく、やめたい~やめたい~、あーあと○○日だと指折り数えたりしていたが、いざもう来月から自由の身と言われるとなんだがさびしくなってくるから手に負えない。

 今まで自分の現実を構成していた要素の一部がずぼっと抜け落ちていくような感覚。それは抜け落ちた瞬間に、もっともその存在をはっきりくっきりさせる。

 来月から自分の生活を、自分で形作っていけるだろうか、という不安。

 どれだけ空白の時間を、豊かに生きられるのかというのが重要だ。

 僕は、霊性の方向へのめり込んでいる頭と、割と貧弱な行動パターンをくり返す身体とで出来ている。
 この行動パターン、生活の部分を、もう少し豊かにすることが出来ないものかと考えている。

 昔、ライフシンボルを発見する瞑想をしたことがある。

 詳しい方法は忘れたが、出来る限り自分の現在までの人生を想起するのが鍵だった。それをおこなうことによって、人生のシンボルをイメージとして導き出す。

 するとこんなイメージが浮かんだ。

 僕は荒れ果てた荒野のような場所に立っている。

 あたりは日が暮れているのか曇っているのか薄暗い。

 地平線には山脈が連なっている。その峰のあたりで、小さな稲妻がきらめくのが見えた。

 その光景が、その稲妻が、自分のライフシンボルであると思った。

 悲観的になっている時には、僕はこのように思った。

 僕は、「真理」が存在することを知っていて、予感もしている。
 でもそれは、遠くにちらちらと閃いて見えるだけで、この人生では決して手に入ることはない。決して手に入らないそのものを遠目に見ながら、さびしい枯れた大地を死ぬまで歩き続けなければならない。
 それが、う・ん・め・いだと。

 それが本当のライフシンボルじゃなきゃいいけど、そのイメージは確かに何かを象徴してはいたように思う。

 稲妻に向かって歩き続けるという方向性もあるが、
 足元にある大地に種をまくという方向性もある。 

 それが今自分にとって重要であるとなんとなく感じる。
 はぐくむこと、自分のやりたいことを少しづつでもすること。

 結局そういう単純なところに、思いは戻ってきてしまう。







未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/01/17 20:59

 インドには宇宙の季節を4つにわけた、ユガという考え方がある。
 ユガは太陽系全体がヴィシュヌナビーと呼ばれる「宇宙の中心」を周回する時間に基づいて構成されている。
 この考え方によれば、太陽系が宇宙の中心に最も近づいた時に、霊性は最高潮に達し人類は宇宙の真理を会得する。
 このような時代はサティヤ・ユガと呼ばれ、4800年間続く。
 しかし、その後は下降のサイクルが始まり、人類は徐々に霊的な知識を失っていく。
 そしてやがて無知が極まり、物質的現実のみしか認識できなくなった時、我々はカリ・ユガと呼ばれる暗黒の時代を生きる。この時代は1200年間続くが、やがて上昇のサイクルが始まり、再び霊的に目覚めゆくプロセスが開始される。
 この暦でいくと現在、西暦2006年(平成18年)と呼ばれているこの年は、全部で2400年続くドワパラ・ユガの206年目にあたる。
 ちなみに前回のカリ・ユガ(暗黒時代)は西暦1700年ごろに終了し、今私たちは次のサテイヤ・ユガへの上昇サイクルに乗っていることになる。まあそれまでには、あとドワパラ・ユガが2200年、続くトレータ・ユガが3600年あるのでだいたい5800年くらいかかるわけですが。
 なんとも現実離れしたスケールのお話しですが、これくらいのスケールで考えると、今言われている「アセンション」とか、2012年にどうこうなるとかいうのは仮にそれが本当でも、ひとつの小さな波のようなものかもしれない。
もちろん、個人がそれを知ってしまいさえするならば、ユガがいつであろうと関係はないんだろうけど。
 
 この暦を見ていて、ひとつ気づいたのは、前回の下降サイクルが始まったのはだいたい今から12000年ほど前のことであり、これはちょうど「アトランティス」という大陸が海中に没したとされる年とおおまかに符合していることだ。
 アトランティスという伝説の文明は、ものの本によると現代以上のテクノロジーと霊性が共存していた黄金時代であったらしい。しかし、霊性が衰退し、科学技術が暴走したために、地殻変動を起こし海中に沈んだ(ことになっている)。エドガー・ケイシーのリーディングとかによるとアトランティスでは「ツーオイ石」と呼ばれるクリスタルからエネルギーが供給されていたという。まるで「天空の城ラピュタ」の飛空石みたいなはなしだけど。 
 世界中に残る、「オーパーツ」と呼ばれる奇妙な遺物はアトランティス文明の証だと主張する人たちも大勢いる。

 かなり余談だが、宮崎駿の「未来少年コナン」とか、「ラピュタ」っていうのは一種の集合的な神話意識を刺激するようなモチーフがいっぱいふくまれていると思うのだがこういう物語が魅力的なのはやっぱりそれに対応する経験の記憶というものを我々がどこかに持っているからではないかと・・・これはかなりマジに思う。
 この二作品に付いて言えば、それは失われた巨大文明の存在と、その崩壊である。
 特に「コナン」のラスト近くで、巨大文明の中心地であったインダストリアという島がエネルギーの供給装置であった太陽の塔とともに海中に没するシーンは深く心に残るものがある。
 これは宮崎駿がアトランティスの伝説をモデルにしたからかもしれないですけど。 

 ちなみにこの暦は、スリ・ユクテスワの「聖なる科学」序文に載っていた考え方を鵜呑みにした場合です。
他の計算方法もあるかも・・・。
 カリ・ユガ、まだ全然終わってなかったりしてね。
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/01/05 21:39
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