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個人セッション

 I先生の個人セッションに行ってきた。

 近々インドに旅行する予定なので、おすすめのスポットなども尋ねた。

 ヒッピーの聖地と言われたゴアのことが話題に出て、それをきっかけに話しはドラッグの方へ。一度は質問してみたいテーマであった。

 まず、ガンジャについては、「アルコールやガンジャは神の認識をくもらせる」ということであった。

 どちらかと言えば、LSDやキノコ、サボテンなど摂取すると眠れなくなる系のものの方が悟りの体験と近いところにいく。キノコやサボテンにはある種の精霊が宿っており、それが人が気付きを得るのを助けてくれるのを感じるということ。カスタネダの世界。

 しかし、I先生はLSDによる変成意識と悟りの経験を双方持っている訳だがそれを比較するとやはり違うという。
 原則としてドラッグによって悟りは起こらない。
 悟りとはヴェールが取り去られることだが、ドラッグによってはそれは起こらない。その状態を体験している「私」というものが残る。そして、なにか超越的な経験をしたとしても薬効が薄れるに連れて体験も消えていく。これは結局、ドラッグでは「私の正体を見破る」ということは出来ないということだろうか。

 「瞑想による飛び方がこれくらいだとすると、ドラッグを使うとそれは確かにもっともっと意識は変る。でも意識が変ることが重要ではなくて、問題はわかることだ」と先生は言った。

 かといって、ドラッグなどによる変成意識が無駄ということではない。
 それは、「自分を壊していく」のに役に立つ。
 サイケデリクスを使用すると、日常の自我が一時的に解体したり不安定になって、自分がいなくなったように思えたり、別の人格と入れ替わったような状態を経験することがある。
 そのような経験を数回繰り返していると、この通常の意識は仮に構築されたものであるということが実感としてわかる。
 またLSDなどを使用したセラピーも現在は法的な問題で封印されているが、大きな可能性を秘めているはずである。
 つまり、サイケデリクスはうまく使用すれば、「自分を壊す」≒人格の変容ということについては大変効果的なものであると思う。

 若い頃に、きついLでトリップして24時間もとに戻らず大変だった話しとかを聞いて親近感を感じる(笑)

 続いて瞑想について。
 眠い時は、瞑想するチャンスだと思ったほうがいいと言われた。

 「普通人間は考えが止まると眠ってしまうけれど、その時に眠らないと瞑想が起こるんだ。」

 僕は最近、瞑想する時にあまりにも眠い時は座るとすぐに、妄想と夢の中間のような無意味なイメージが展開しはじめるので、眠い時は、瞑想しないですぐに寝ることにしていたのだが・・・

 それを言うと、無意味なイメージの世界を自覚できるということは瞑想できているということなので、それでよいんだという答えだった。
 通常、意識は眠りに落ちると自覚を失う。だが、夢が始まったのを自覚できるということは、意識がより微細な領域(アストラル)でも活動できるようになってるからだということ。それを続けていくことが大事だと言われた。

 「覚醒っていうのは、むしろ眠りに近いんですか?」

 「覚醒っていうのにね。いやほんとは(目覚めでも眠りでも)どっちでもないんだよ。」

 ちなみに、まるで実際に見ているようにクリアに浮かぶビジョンはエーテル界の(俗に言う「気」の世界)もので、アストラルのものはもう少しぼんやりしているらしい。



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師匠との対話 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/02/27 23:07

ディクシャの科学的説明

 ディクシャという手法を開始した、カルキ・バガヴァンによると、「悟り」というのは神経生理学的な変容であるということだ。
 脳のどのような部分が変化すれば、いわゆる覚醒した意識状態が生まれるのかということはドラッグによる変成意識や、臨死体験などとの絡みで個人的にはずっと興味のある問題だった。

 バガヴァンによれば、頭頂葉と前頭葉の活動が意識の変容に大きく関わっているという事らしい。
 まず頭頂葉は、「一部の神経科学者たちが見当識連合野(orientation association area)あるいはOAAと呼ぶものを司っている。OAAの機能は空間における方向定位を我々に提供することである。」
 空間の中で自己と他者、あるいは他の事物がどのように配置されているのかということを認識する部位ということになるのだろうか。
 現代人のこの部位は慢性的に過活動の状態にある。するとどういうことが起こるかというと、自己と他者、自己と世界がまったく分離しているという感覚を常に生み出し続けるらしいのだ。
 しかし、ディクシャという手法によってその部分にあるエネルギーを流すと
頭頂葉に変容のプロセスをもたらし、その機能が永久的に変化し、定着するように見受けられる。それによって、物理的境界は認識されるが不自然な活動過多は停止する。そして小脳扁桃―海馬はもはや分離した自己の存在という感覚を生み出す必要がなくなるのである。」

 前頭葉の方は、「神の実現」に関係している。
 「前頭葉は個人的意思と関連している。多くの神秘的伝統では、個人的意思が神の意志へと溶け込むことが、神実現への入り口であり、結果であると述べている。しかしこれは、もし前頭葉が活性化していなければ起こりえない

 もし前頭葉が十分に活性化されていない場合には、「主観的体験レベルでは、これは脆弱な自己意思と鈍感さを意味する。退屈感は前頭葉が不活発な時にのみ感じるものである。前頭葉が活性化するために欠かせない神経伝達物質であるドーパミンは、生きていることに魅惑されている感覚、至福感にとって必要である。神との神秘的結合にはこのような感覚、至福感が伴うとしばしば報告されている。」

 そう言えば、ディクシャを受ける時は、頭のてっぺんと額に手をあてられたのを思い出した。
 「神の認識」というのは、やはり文化的な伝統が生み出したものではない。もともと脳には「絶対者を知る」という体験を司る部位が存在するのだろう。宗教のバリエーションというのは、その「絶対的体験」が文化的なフィルターを通されて様々に変質していったものではないだろうか。

 ディクシャによって、本当に悟りへと導かれるのかということは、今の段階ではなんともわからない。この運動自体が本物であれば、時間が結果を出してくれるだろうけど。
 個人的にはディクシャを受けてから、いくつか面白い事はあったけど。。。

 ディクシャの科学的説明はここから拝借↓

http://www.din.or.jp/~holos/deeksha/opitz.htm

 「ディクシャと脳のスキャン 」
 「悟りと脳」 
 「魂の暗夜と脳科学」













 














セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/02/15 17:52

ひかりのくに

僕たちは神さまの子供
神様にとても愛された記憶を持っている

あの人は僕の全てを知っていて
だから二人は仲良しだった
その世界には君もいて
僕も君も光だった

光の世界
そこは命のふるさとで
誰にとっても最高に懐かしい場所
光の世界でお世話になった人たちは
今でも光の世界から僕たちのこころと
その成長を見守っている

僕たちはいつまで経っても
神様からみたら小さい子供のまま
神様はずっと大人だから
僕らのこころの痛みを全部知っていて
包み込むようにいつも僕らを抱いている

だから僕らも子供のように
神様だけには甘えていい
何もかも叫んで泣いたらいい

やわらかいこころを
大人になっても捨てちゃいけないよ
神様の前では君は永遠に子供なんだから
そのこころは君たちがいつも子供のときに持っていた
きらめきを覚えている

かがやきと 笑いと踊り 夢 希望
よろこびを

その心を神様だけには今でも向けよう
君が生まれたときに幸せだったのは
君が喜びから生まれたからなんだ!
ひかりのくにから

よろこび
最高のよろこびがあることを
信じていいよ
君はもうすでにそれを知っている
とても素直に想いだせばいいだけだよ
覚えているだろう?
それを想いだせ!

白い光の波!輝く虹の粒!

ずっと僕らを見守ってくれる
神様の愛が無限だってことが
君にはわかっているんだから
神様と僕らは一つ
世界が滅びたって
神様と僕らは消えない
いつかどこかで
もうひとつの世界を作る

ずっと見守っていてくれたなんて
知らなかったよ
僕はもうこの人生を憎んだり
捨てたりしない
あなたが見ているから
わかってくれているなら

あなたの中
あなたの現前
そこにしか僕の居場所はなかったなんて

あなたが与えてくれた人生が
こんなにも大切なものだったなんて
知らなかったんだ
許してください
そして素晴らしい贈り物を
ありがとう

ハートを開いて今を愛そう
あの人が与えてくださる唯一の今を
その他にいったい何を愛すっていうんだろう?

淋しさから人生を捨てちゃいけないよ
君はひとりなんかじゃない
みんな淋しさから人生を捨てていく
理解されないと思い
愛されないと思い
愛せないと思って

淋しく心を閉ざし人生を捨てていく
そうすると神さまから
どれだけ大切なものをもらっているのか
忘れてしまう
見えなくなる
そうして人は眠り込む
何も大切には思えない闇の中へ

でも本当は孤独なんかじゃないのに
存在しないさびしさにどれだけ
落ち込んでしまえるかという
ゲームやテストに過ぎないんだ
だから
深刻にならないで
君は誰よりも愛されている

君はひとりなんかじゃない
100人仲の良い友達がいるよりも
もっとにぎやかで幸せな
100人の君を愛する天使の群れが
ついてくれているんだから

神様に愛されていることを想いだしてみよう
そうすればその愛が君の眠りをさまし
大切なものが
こんなに近くにあったことを気づかせてくれる
はずだから

ひかりのくにはこんなに近くに

この太陽の熱と輝きの中に
あった

勇気と愛と
力と智恵の理由が
ここにあった

僕はひかりのくににいたんだ

(ガテー ガテー パラガテー
パラサンガテー ボーディースヴァハー)


BY酔っ払い
| コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/02/14 16:17

 『もし、(神を)感じる事が出来ないならば識別してみると良いでしょう。
 全ての源を探求していけば、全ての源は神に到達するはずです。
 その認識を保つようにすることです。認識によって神に到達するのです。
又、内なる神と外なる神は別のものではありません。ただ、神のみが存在
しているのです。私達の認識が誤っているため、外とか内とかということ
で悩んでしまうのです。しかし、神とは永遠で偏在するものです。全てが
神なのです。その認識を保つことです。
 しかし、それが難しい場合は自らのハートに光をイメージして、それが在
ると瞑想するのもひとつの方法です。ただ、これも方法でしかありません。
 ただ、神が在るのですから。
 又、神とは感じるとか見るものではありません。
 そのような霊感的な感覚によって神をとらえることは出来ません。私達の
ところに降りて来る力は母の力です。

 神とは非顕現なるものなのです。究極的には神しか存在せず、神以外の一切のものは無いのです。
 だからそれは感じるとか感じないということではなく“在る”ものなのです。それしか存在しないのです。』

                  修道会メルマガより  




 昨日、ディクシャを受けに行ったが正直、よくわからんかった。

 ヒーリング+ディクシャということでまずヒーリングをして状態を整えてから、頭頂からエネルギーを入れる。

 ヒーリング自体は、とても気持ちよく、ふわーっと身体が浮くような感覚があった。その後、頭の上に手を置かれて、微妙に動かされる。

 終わると、15分ほど横たわったままの姿勢で放置された。
 あとから聞いてみると、変な「もの」が一体憑いていたから取っておいたと言われた。
 オーラ?を見ると上と下のバランスが悪い。
 知識はたくさんもっているが、それを実生活に生かしきっていないのではないかということ。・・・それはそうかもしれん。

 終了後は、やや身体が軽い感じがした。
 しかし、家に帰ると眠気がして、一眠りしたが、目が覚めてもまだ眠い。
 目立って好転反応というのはないが、今朝は異様に夢見が悪かった。
 夜中に悪夢で一度目が覚めて、もう一度眠るとまた変な夢を見て、それが朝まで続いたみたい。

 無意識のあくが出ているのか??






未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/02/02 22:59
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