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時は

 
 時は未来より流れ来るらしい
 現象の原因は、過去ではなく未来にあるらしい
 未来において宇宙のプランが成就する時
 ブラフマが眠る時
 はじまりとおわりがひとつになる時
 そこが僕の誕生の場だ
 時のない時のなかで
 そこで生まれたことが原因となり
 1976年の日本で生まれた僕は
 久遠の未来に起こる
 僕自身の誕生に向かって生き始める
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未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/05/28 10:32

(1)

回ると、酔う
酔うと、回る
回るは神の基本形

(2)

命のなつかしさを、僕は覚えているような気がする
命の根源へ帰ることを、死ぬほど怖れつつ
でも怖がらなくてもいい
すべての死は至福の
悦びだから

(3)

有限の命の僕らがここにいるということは
無限の命が存在すると言う事に違いない
無限の命が存在すると知る事は
僕らが無限の命となることであると思う

根源の命のあたたかさ なつかしさを
覚えている気がする・・・。

(4)

なにひとつとして 僕のものはない
みんなあなたのものです

みんな、みんなあなたのものです
それはなんて自由な気配だろう

肉体、それは32億才の命だ
いや、もっともっとかもしれない
肉体は Greate-Mother
久遠の愛 

僕の身体は与えられた
僕の時代は与えられた
僕の家族は与えられた

酸素 水 太陽 大地 海

すべて与えられた

水って何だ?
酸素って何だ?
太陽ってなんだ?

それがそれであるように
すべてはそのようにあるように
すべてはそのようにあらしめられた

水が水であるように
酸素が酸素であるように
太陽が太陽であるように
私が私であるように

わたしはあなたのものです
わたしがあなたのものになれば
それは空を飛ぶ鳥のように
それ以上に
きっと自由な事でしょう

それとも
最初から万物はあなたの胸に
抱かれていたのでしょうか





| コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/05/23 21:19

僕は魂

 僕達は確かに、間違いなく魂なのであるが
 自分は魂である、という観念が死ぬ時にこそ
 僕は魂として生まれる

 僕は魂であるという観念は
 自分は魂でないと知っている
 自我が描く幻想である

 脆弱すぎるリアリティー
 それよりも遥かにリアルな
 風の音と 車のエンジン音
 窓ガラスの揺れる音 
 僕の鼻毛

 本当に魂あるものはそんな世界の方が好きだ
 魂はことさらに 自分が魂であることを
 意識などしない
 無限の命の美を巡るだけだ
 
 僕が魂である時
 僕は無限の生命をしか見なかった
 僕が自我である時に
 僕は虚構の有限の生命を見て
 決して死なない魂などという
 観念を生んだ

 しかし決して死なない魂という観念は
 必ず死ぬ
 僕が本当に死ぬ時
 その観念は僕を少しでも
 助けてくれるだろうか

 僕は頭の中で
 僕以外の誰かの人間の死を
 自分の死だと思っていた
 そうやって自分が死ぬ事に目をそむけていたのだ

 しかし現実は違う
 まさに僕自身が死ななければならないのだ
 自分は魂だと思おうと
 自分は肉体だと思おうと
 どちらにしろ、死ぬ
 それは何よりの現実だ 

 この自覚の前に
 私は魂なのだという観念は生きていられない
 まさに 僕が 僕自身が死ぬ事を本当に知る時

 ギロチンの刃が落ちる瞬間
 電気椅子のボタンが押される瞬間
 心臓の鼓動が止まるまさにその瞬間

 そこに私は魂なのだという馬鹿馬鹿しい思考が
 生きていられる訳もない
 そして僕は、僕自身の、何の助けもない、
 むきだしの死を、死ぬ

 そして魂となるのだ
 観念ではなく、真の魂に
 無限の命の海を巡る魚に
 この海の水は、神の酒
 魚はすっかり酔っ払い 
 そして、恍惚となり
 死を恐れていた自我だった頃を忘れる
 
 きらきら きらきら 
 きらきら きらきら







 












| コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/05/22 13:05

○夢見●

 どーも夢見が悪い。

 どろどろである。

 しかし、それと相反して、起きてる意識は安定している。

 スピリチュアル・カウンセラーの江原さんは、眠ると自分の波動に近い世界に行くので悪い夢を見るということはそういう世界に入っているのだ、というようなことを言っていたと思うが・・・・。
 
 僕の経験上では、むしろ、起きてる時に苦の要素が大きい時ほど、いい夢を見たりする。無意識の方が心のバランスを補填するんだろうか。
 今はジャパや瞑想でどっちかというと、歪みを無意識下にねじ伏せているようなところがあるので、意識上からどけたゴミが夢として現われるようなそんな感じがしないでもない。
 
 『永遠の伴侶』を読んで、瞑想をコンスタントに一生する覚悟で継続するということが「合理的な」ことであると自分の中で納得した。
 しなくていいという理由がない。
 I先生はかつて一日に8時間ほど座っていたそうだが、そんなことは常人には無理だろう。
 でも30分とか一時間であれば、充分に他の事をする時間がある。
 その僅かな時間を瞑想に費やさないでいる理由がない。
 自分を有らしめている力について、想わずにいる理由がない。

 と思い込んだ。

 
 




 






未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/05/19 23:35

Gift

神様は私たちのために世界を創り
それを丸ごとプレゼントしてくれた
それはこの世で最初の誰かから誰かへの贈り物で
その時に感じた感謝の言葉は
今も私たちの胸の奥に息づいている
これ以上に美しい贈り物は
決して存在しないから

神はあなたに見せたかった
空を 海を
その輝きを 広さを

神はあなたに見せたかった
朝露に濡れる草から飛び立つ蝶
その唯一無二のかたちを

路上で太陽に焦がされていく甲虫の骸
その悲しみの威厳を

神はあなたに見せたかった

人であることの喜びと
人であることの悲しみ
すべての命の詩を

喜びから悲しみまで全てそろったこの姿
憎しみから愛情まで全てそろったこの姿
このパーフェクトな世界を

神はあなたに見せたかった

もうあなたのポストに届いている
神様からの最高のギフトを
開けてみて

不完全な世界の片隅に生きていると思っていた私は
パーフェクトワールドのど真ん中に生きていた
ことを知る

私は私の居場所に微塵の狂いもなくパーフェクトに存在している
100億光年の向こうから
妙なる愛ゆえに
あなたはあなたにフォーカスしたんだ









未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/05/13 23:36

 治験のバイト(って言わないけど)で、二泊三日入院した。

 睡眠薬の同等性を調べるとかで、新しく開発された薬品が従来のものと同じような性質を持っているかどうかを調べるために、マルタ(実験台)になりました(笑)。

 入院中は、コーヒーもタバコも(もちろんアルコールも)ダメで、一日二回出される食事と、あと麦茶か水しか身体に入れてはいけない。それは健康的でいいんだが、血を5回も6回も採血されるのがきつかった。
 朝、目覚めるて、心電図、血圧などを測ったあと、すきっぱらで睡眠薬を飲ませられる。胃がからのときの薬物というのは、がつーんと効く。
 当然眠くなってくるのだが、眠らせてもらえない。
 5時間ほど、身体を起こしたままの姿勢でいなければいけないのだ。
 ついうとうとしてしまうと、監視していた病院の人がとんとんと肩を叩いて起こしにくる。いやーこれはまるでちょっとした拷問のようである。
 さっきまで本を読んでいたと思っていたら、すぐに意識が飛び、肩をたたかれてはっと我に返る。眠りに陥る前後を全く自覚できない。ムムゥ・・・わしもまだまだじゃ・・・。

 この実験が終わったあと、妙な症状に悩まされた。
 眼の前で進行する現象を見て、なにかの夢の記憶がよみがえるのだ。いつ見た夢かもわからないし、どんな夢かもはっきり思い出せない。
 にも関わらず、読んでいる漫画のセリフの一言や、病院の職員が話す言葉、そんななんでもないことがきっかけでその夢の記憶がよみがえる。その内容もわからない夢の記憶と、現実に進行している減少が変なリンクで結びついてしまっている。デジャビューに近い感覚がひっきりなしに起こり、気持ち悪かった。
 似たような経験は今までにもあるが、こんなに執拗なのは珍しい。
 一応、なにか変った自覚症状があると報告することにしているので言ってみたが、あまり相手にされなかった。
 退院するとすぐに治まったので、結局なんてことなかったのだが。
 眠いのに、眠らさせてもらえなかったということと関係があると思う。

 ここから先は妄想の話し↓

 突然、ひっきりなしにデジャビューに襲われるようになったらどうであろうか。デジャビューは日本語で、既視感とか熟知感とか呼ばれている。
 現実問題として、見たことがあるはずがないのに、既に一度見たような気がするという現象だ。僕自身の感覚で言い直すと、一度見た事がある、というよりも、以前経験したのとまったく同じ経験が再度繰り返されているという感じ。時間がループしているという感じに近い。精神病理や脳医学に詳しい人は、きっと脳のエラーの一種として説明するだろう。
 だが果たして、デジャビュー病、というのは存在するんだろうか。
 もしこれが疾患の一種だとすれば、その症状だけが突出してあらわれるような病気があってもいいような気がするのだが・・・。
 僕はあまり聞いたたことがない。知ってる人いますか??

 既視感とは逆に、未視感というのもあるらしい。
 経験したことはないが、既視感とは逆に、慣れ親しんでいるはずのものが全く見知らぬものに見えると言う現象だ。
 これはこれですごく怖いだろうと思う。
 統合失調症の人でしばしば経験する人がいるという。 

 既視感の方に戻ると、LSDをとると、テレビの番組がどれもこれも全部見た事があるものばかりになってしまったという体験を読んだことがある。
 もし未来というものがすでに決定済みであり、僕らは精神の奥のほうですべての出来事をもう既に知っていると仮定したらどうだろうか。
 初めて出会う人は、既に出会っている人であり、来年公開される映画はもうネタバレしている。
 それを初めてだと思う方が錯覚で、既視感のほうが当たり前ということになりはしないか。










未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/05/12 21:39

 「古神道の本」学研。

 古神道という響きに以前から惹かれるものがあったので、買ってみた。
 古神道というと、日本に古代から連綿と伝わる奥義というようなイメージがあるが事実はというと江戸時代に様々な文化的・政治的事情により成立したようである。
 薄々は想像していたが、古神道家は極端な日本神国幻想に取り憑かれている人物が多かったようだ。天皇が天から天下った現人神という思想を真実とするなら、そこから妄想?の根が派生し最終的には日本が世界を征服、統一すべし、という八紘一宇(はっこういちう)の思想に行きつく。
 日本が神国で在ることを証明するために、『竹内文献』を始めとする多くの偽書が生み出された。
 「日の本の国」は言霊的に読み直され、霊(ヒ)の元の国となる。
 さらにユダヤ民族と日本民族は祖を同じくするという日ユ同祖論も古神道家たちと微妙に関わっている。
 古神道の世界は霊的妄想の展覧会のような趣きを呈している。
 
 しかし、本当のところ、どうなのであろうか。
 このような日本を至上の神の国とするような思想は、明らかに長い鎖国の眠りから覚めて欧米諸国に対峙した時のプレッシャーや、その反動としての軍国化という時代背景と切り離せないとは思うが・・・。
 それはもしかすると、危機に瀕している事を自覚した「日本的な霊性」の必死の反逆だったのかもしれない。が、結果的にそれは過剰防衛となり、原爆投下、敗戦を招いた。もしかすると、古神道家たちが守りたかった「日本の魂」のようなもの・・・そのような何かがあったのかしれないと・・・僕は感じる。現代の日本人が文化的に、一種の根無し草であるのは事実なのであるから。

 一体、日本とは何かということを考えさせられる。
 ナショナリズムは多かれ少なかれどこの国でも生まれるだろうが、霊的ナショナリズムというのはそれほど普遍的なものではないだろう。
 その辺政治的に極端に現象化したのは、ユダヤ人と日本人くらいではないのだろうか。日ユ同祖論じゃないが(^^; 








未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/05/07 19:50

ジャパと瞑想

 ブッダガヤーの土産物屋で買ってきた数珠を使って、ジャパを執拗に続けている。
 瞑想も最近は少し気合を入れて・・・。
 
 突然、PCがつかなくなったので、しばらくブログは書かなかった。
 もうしょうもないことを書きなさんな、と言う事かと思いネットも少しお休みしようかと思ったけど、今夜試してみたら電源が入ってしまったのでまた性懲りもなく書いている。原因不明。

 「永遠の伴侶」にはハートの中の宮に神が祀られていることをイメージする瞑想法がブラナーマンダによって説かれていた。
 ハートチャクラの至高の機能は、神を愛するということではないだろうか。
 というよりも、このハートの中ではすでに僕らは神を愛しているのではないかと思う。
 神への愛は、「至高の愛欲、憧れ」である。

 何か巨大なもの、人智を越えたものがあるから
 僕は存在している あらしめられている
 僕を生かしているなにものかの存在の 末端部分は見える
 酸素だ
 心臓だ
 DNA 父と母だ
 しかし その巨きなものの 始点部分は
 人智を越えた闇の中に消えている
 それを光と呼ぶのもいいが、闇と呼ぶのもいい
 なぜなら僕らの傲慢な理性の光を超越したところに
 それはあるから
 科学はそれを未知と呼び
 古人はそれを神と呼んだ
 呼び方はこの際、どうでもいい
 唯一絶対のそれがなければ
 僕は存在しなかっただろう
 人智を越えたそれが僕を生かす
 僕があることと、それがあることは
 絶対性の鎖によって結び付けられている
 「それ」は 僕が、そして森羅万象があることの
 絶対必要条件である













 









未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/05/06 19:51
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