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 地元の三鷹不動尊に行ってきた。

 いい雰囲気のお寺だった。

 山門の前にある「雨乞い弥勒」と言うのが気になった。

 今はもう雨乞いを祈願する人もないだろうが、一日でも早く雨が降るのを待ちわびていた人の想いがこもっていると思うと、感慨深い。

 すぐ近くには、太宰治の墓のある禅林寺もある。 

 
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迫力のある不動像。足元のお堂に独鈷杵が安置されており、それに触れると空海と縁が結ばれると書かれている。


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七福堂の弁財天。ひとりだけ服を着せてもらっている。

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雨乞い弥勒

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一休さん(嘘)

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未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/11/27 21:39

 「いじめ」で自殺者が連鎖的に増えているのは、確実にマスコミの影響であると感じる。

 昔、これもテレビでだが、自殺は一種の伝染病として捉える見方が報道されていた。報道によって確実にその後の自殺者の数が増加するので、報道をどのように規制するか・・・とかそういう議論だったと思う。

 昔々、ゲーテの小説「若きウエルテルの悩み」が出た時に、若者の失恋自殺が激増した。これはつまり、この小説を読むことによって、「失恋による死」というものが一種悲劇的だが美しいものとして、インプットされ死への集合的回路が出来上がったものであると思う。
 自分の遺書というものを既に「ウェルテルの悩み」でゲーテが書いてくれているのだ。そして、死にたい人は出来上がったその回路にどんどん流れ込む。
 文豪により正当化された、美しい死だ。

 基本的にこれと同じ事が、現代の自殺についても言えるだろう。
 自分の死を正当化する理由、そして先に逝った人達がある程度いれば、その回路に適性のある人は引きずり込まれていく。
 他に仲間がいる、先例があるというだけで、そのパターンを自分も演じてしまう。

 この世には「いじめ」というものがあり、どうやら自分はその犠牲者らしい、他にも「いじめ」で死んでる子がいっぱいいいる。
 というシナリオを、報道は無自覚に与えている。

 マスコミの影響が異様に強いこの国において、どのテレビ局もそのことを報道するわけである。それは現象をある意味、悪化させている。

 「いじめられたら死ぬ」としか書いてない遺書には、もっともっと語られなかった言葉、本当の理由があるはずである。

 社会現象のひとつとして、その犠牲者の一人として、簡単に処理されるほど単純な人間は一人もいないのだ。
  

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/11/24 23:08

I先生のこと(6)

 最初の瞑想会については↓

 http://homepage3.nifty.com/egghouse/meisoukai.htm
 で以前概略は書いた。

 今日は、新たに思い出したことを書いてみる。
 少しづつディープになると思うが・・・。

 覚醒した人二人が部屋を出て行った。

 部屋に戻ってきた時、一人が

 「ずっと目を見詰め合って涙を流してました。」と言った

 お二方は恋人同士と言うわけではない(多分)。


 目覚めた人同士は、お互いに通じ合う何かがあるようである。
 I先生には、「わかった」人が、わかる。
 これは確かな感覚のようだ。

 瞑想会参加者の女性が、ふすまを開けて会場に入ってきた瞬間、「あ、わかったんだ?」とI先生の方から声をかけた時もあった。
 その女性は「はい、お礼を言いにいかなきゃと思って・・・」と言った。

 わかることにはいくつかパターンがある。

 ひとつは、I先生が「誰か」わかること。
 ふたつめは、自分が「誰か」わかること。
 みっつめは、神が何かわかること。

 だったと思う。

 そのためには神に身を委ねることが何よりも大切なことだと先生は言う。

 まず神を信じること、そして好きになること、愛すること、そして初めて委ねるということが可能になると言う。

 I先生は覚醒すると、「(器質的に)脳が変化する」と言った。

 「俺は宗教やってる人とはケンカになるけど、脳の研究者とかとは逆に話しがあうんだ」

 I先生が僕に「その頭で覚醒したら面白いことになるよ」と言った。

 その言葉は僕に自分がいくらかオウムチックなニュータイプになるようなイメージをもたらした。また自分の知性が認められたようで心地よかった。

 しかし、今思えばこれらは僕のエゴを引っ張るための撒きエサだったのではないかと勘繰っている。なぜなら、しばらくはその「突然覚醒することへの期待」が会場へ足を運ばせる原動力になったからである。





I先生のこと | コメント(2) | トラックバック(0) | 2006/11/22 16:21

 カルガ(ダ)モン!
 と言う言葉と共に目覚めた。

 漢方屋さんで、生薬を探してる夢だった。

 カルガモンはカレーとかに使われるスパイスらしく、ハブティーにして飲んだり出来るらしい。アロマのエッセンシャルオイルも売ってる。

 飲んだほうがよいのかもしれないが、めんどくさいので行動に移していない。。。

 ごめん、カルガモン!
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/11/21 21:28

 最近、少しヴォーカルトレーニングを受けていた。

 世界一のロッカーになって、歌で世界を救うためである(嘘)。

 僕の趣味のひとつはひとりでカラオケに行く事なのだが、ここに至って歌とか発声を基本からちゃんと身に付けたいと思うようになった。

 それはずっと前から思っていたことではあるのだが、自分の適正や、将来それが役に立つかを考えた時に必要とは思えず、切り捨ててきた部分だった。

 しかし、純粋にやりたいと思う事はやっておいた方がよいのではないかと思い始めてみた。
 それはその分野だけを伸ばすのではなく、必ず生活の他の局面にもホリスティックに影響を及ぼすと思うので。
 
 ちょっと前に、借りた前世療法CDを使って退行したところ、クレタ島とかそのあたりでポセイドンに仕える巫女のようなことをしていた前世のイメージが浮かんできた。神を讃える歌(神話?)を歌い、神に奉仕していた。
 あと「聖娼」(タントラに近い)のようなこともしていたような、してなかったような。

 これは今のところの直観に過ぎないが、『声を使った表現』ということが今後の職業において重要になってくるのではないかと思う。

 うーん・・・というか電話の仕事で、既に声は使いまくってるな。
 それが、電話という媒体を介さずに表現するような状況が来るのかもしれない。

余談だが、僕はマヤのチャックモール(雨の神様)とか、ポセイドンだとか水に関係ある神様と縁が深い気がする。
 I先生の修行ネームも、ターラナータ・サラスヴァティ(=弁財天)というので。

 とりあえず、歌はエネルギーを与えてくれるので、もう少し続けてみよう。

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/11/20 11:32

I先生のこと(5)

 今月の修道会に出た時に、一緒に参加していたYさんは最近「分かった」ようであった。Yさんの奥さんは旦那さんから後光も何も出ずに、見た感じ普通なのが少し不満のようだった。

 僕が職場が合わない感じで困ってる話しをした時、I先生はYさんに「Yさんは仕事どう?」と聞いた。
 「仕事は楽しいことばかりですよ。問題ばかりだけど」と答えていた。

 I先生のところで、この「分かった」というのは小悟の状態なのだろうか?
 
 僕はまた、あー先を越された、と思った。

 「俺に言わせれば、ここへ来ている限り、分かるのは時間の問題でしかない。なぜなら、俺はそれを教えるのが仕事なんだから」

 「あのね、悟り(神)がないって思うのは、自分の体に、例えば胆のうがないって思ってるみたいなもんだ。
 胆のうのことばかり考えていたら、胆のうノイローゼになって、医者に相談するかもしれない。
 先生、私、胆のうがないみたいなんです・・・って。
 医者は、え、君胆のうがないの?(爆)」 

 Yさんが体を床に伏せるみたいにして、笑っている・・・。

 I先生がチベットから帰国後、墓石屋さんで働いていた時の話しをきいた。

 ある日、I先生が顧客である有名な霊能者を乗せて走っている時に、その霊能者がI先生の方をじーっと見て

 「あなた、お坊さんでしょ?なんでこんなことやってるの?」

 と言ったらしい。

 「観音菩薩様が泣いてらっしゃるわよ。」と。

 それから霊能者は、I先生を見ながらテレパシーを送るみたいにうんうんとうなづいてきた。I先生もその内容がわかるような気がしたので、うんうんとうなづき返した。
 するとそこに同席していた社長は面くらい、
 「ちょっと、一体ふたりで何をやってるんですか!?」(笑)
 



 前回の続き。

 個人セッションを受けた僕は、瞑想会にも参加したいと思ってたのだがなかなかきっかけがつかめなかった。

 個人セッションのことをHPに書き込んだら、世話人のNさんという人から瞑想会にお誘いのメールが来た。
 「また新たに覚醒した人がいる、ホンモノの覚醒者に会えるのはすごいことだと思いませんか?」と書かれていた。
 僕は強引な誘いにちょっと引き気味だった。

 が、ここまで来たら行ってみるしかないと思い、2004年の4月に初めて瞑想会に出てみた。それはかなりぶっ飛んだ異次元空間だった・・・。

I先生のこと | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/11/18 17:02

無限

 無限は確かに存在する
 しかし頭でイメージすると
 それはイメージに過ぎなくなる
 しかし無限はイメージでしかないのか、
 と言われると
 それもまた違う気がする・・・

 無限の空

 せせこましい東京の街にいても
 ガンジス河のほとりに佇んでいても
 礫と砂の無限の荒野をみていても

 僕らはいつも同じ無限の空の下にいる
 僕の現実は
 無限大の空を感じる時に
 無限小ののおののきを知る
 無限に見える砂漠も
 無限の空が包み込む
 小さな砂場に過ぎない 

 この肉体が朽ち果てていくにも関わらず 
 僕が幸せでいられる可能性があるのは

 魂の不死性によるものではなく
 僕が無限の命の一部であるがゆえ

 コンクリートの隙間で
 公園の花壇の中で
 いたるところで自己を実現している
 神の命であるがゆえ

 今、ここに自己を実現している
 僕らの命を祝いあい
 抱き合いたい


| コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/11/17 14:02

 一週間仕事を休んだのち、月曜に出勤してみた。

 早朝、共有のPCツールのサーバーがぱしっという音を立てて地味に爆発し、煙をあげているのを見た。

 大丈夫かいな・・・この会社。
 一日働いてみて、しばらく続けてみようという気になっていたが、真夜中また訳のわからないどろどろした夢を見て悪寒と共に目を覚ました。

 タコが顔に巻きついてる男。。。

 胸が苦しく、吐き気がする。

 一瞬、カードを引こうかと思ったが、そんなことするまでもないだろうと思い、もう辞めることにした。

 いい人は多かったんだけどな。
 こんなに働いていると調子がおかしくなる会社は初めてである。
 会社との相性が悪いのか、「場」が変なのかは知らないけど。

 限界。

 かくして、東京に来て初めて、年末に天職無職となった。

 今日はバーミヤンで半日、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」を読んだ。

 空がきれいな日だった。





未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/11/16 00:36

 我は神なり

 この言葉は、アートマンとブラフマンは等しいということを意味しているに過ぎない。
 だが自我は、神ではない。

 我は神なりの「我」は自我ではなく、発見された「真我」(=アートマン)を意味している。
 真我も神も理解していないこちら側からこの言葉を言うと、それは未知なる存在の未知なる自己表明に感じられる。

 我は神なり。

 それは、そのように自己を表明している。

 イスラム教神秘主義、スーフィーの師ハッラージュは「我は神なり」と高らかに宣言した事によって処刑された。

 このハッラージュの言葉を、彼の個人的声明と見るか、非個人的な彼方からの声とみなすかで世界がまったく変る。


 「私」が痛まなければ・・・ 

 人は「私」が痛まなければ「私」とは誰かという探求をする事はない。
  
 
 自我への取り組み方

 ここでは、まず神という存在を悟ってから、自我の問題にも取りくむというやり方をする。
 神を知らずに、自我をどうにかしようとするのは暗闇の中で手探りで進むようなもの。

 神を悟ると、自我は自分のものではなく、神のものであることがわかる。
 そうすると、何を切り捨てて、何を置いておけばよいかがわかる。

 例えて言うならば、優秀な外科医でも自分の子供の手術をする時には手が震える。しかし、他人なら冷静さを保ってすぱすぱやれる。

 自我が神のものであることがわかれば、必要なものを切り捨てる時に躊躇はしない。

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/11/12 19:37

I先生のこと(4)

 この初回の個人セッションの時には、僕自身のセクシャリティについても話した。
 というのは、I先生を紹介してもらったRさんは基本的にゲイの人対象のセラピストであり、Rさん経由で来たということは僕もゲイであると考えられてまあ当然だろう。
 だが、僕は(基本)ゲイではなく、恋愛対象は女性だ。
 Rさんの所へ行ったのは、自分が本当はゲイなのではないかと煩悶していた時期で、ゲイの人向けのセラピストならそういう悩みも包み隠さず打ち明けられると思ったからだった。
 だが少し、人と比べるとちょっと変っているところがあるとすれば、僕は別に同性とセックスすることがそれほど異常なこととは思えないということ。
 自分を女性化したいという願望が結構強くあるということだろう。「らんま1/2」みたいに日替わりで男になったり女になったり出来たら楽しいと思う。
 しかし、自分を女性化したいということと、男が好きということとは必ずしもイコールってわけではない。
 
 そういうことをI先生にも話した記憶がある(これは本題ではなかったけどRさんの話題から自然にそうなった)。
 「彼女とセックスする時にも、そういう自分の女性的な部分を出せるといいね」とI先生は言った。
 僕は自分の中に住んでいる『女の子』をもっと認めてあげてもいいんだと思うようになった。

 この『女の子』は一時期、僕がある種の意識状態になると、繰り返し出現するようになった。あまりにもその頻度が多いのでこのパーソナリティにのっとられてしまうのではないかと思うくらいだった。しかし、『彼女』がやりたかったのは僕にとって代わることではなく、ただ自分の存在を認めて欲しいだけのようであった。『彼女』と会話をして、優しく接することによってそれは僕の一部として統合されていったように思う。
 『彼女』は「変態」なのではなく、僕の感性や直観を司っている重要な部分なのである。それを無視したり、冷たくすると、彼女は様々ないたずらによって自分の存在をわからせようとしてくる。
 僕は自分のアイデンティティーを固定し、男らしくなろうとするのをやめた。それはつまり、「彼女」に対してドアを閉ざすことだからだ。
 このドアはいつも開けっ放しにして、「彼女」が戻ってきたらいつでも入れてあげようと思う。

 「女の子の部分を大切にね
 それが君の官能の源だから
 女の子の部分が
 全部いたずらしてるんだよ
 君が彼女を認めないから
 彼女を君だと認めないから」←ノートの走り書き


 I先生のところにはRさんからの紹介で、ゲイの人たちもたくさん来ている。おととしに連鎖的に13人くらいが覚醒(色々なレベルがある)した時もその中の3人くらいはゲイの人たちだったと記憶している。
 I先生によると、頭(思考)が邪魔をするので普通の男が一番難しいらしい。

 「ちょっと女々しいくらいでちょうどいいんだよ。」といつかの瞑想会で先生は言っていた。
 



I先生のこと | コメント(3) | トラックバック(0) | 2006/11/10 11:41

I先生のこと(3)

 その日の個人セッションの時に、I先生がこんなことを言っていた。

 「僕の瞑想会で覚醒しちゃった人がいて、一月ほど一緒に暮らしてたんだ。」

 それが、I先生にホンモノの匂いを感じた時だったかもしれない。

 意識の覚醒(=悟り)はそれが深いレベルのものであればあるほど、その変容の期間中は色々な面で不安定になることが多いと思う。
 恐ろしい精神状態、魔境を経験することもあるだろう。
 インドのヨーギの伝統的な世界では弟子は師匠と寝起きを共にして、常にサポートを受けている。
 意識の根本的な変容を導く人間は、ひとたび生徒が変化しはじめたらそれくらい全心身での関わりと責任を要求されるものであると思う。
 (と、以上は僕の推論で、実際にはその一緒に暮らしていたことについて詳しい事情を僕のほうから突っ込んで質問した訳ではない)

 I先生は、1999年から2000年の5月に渡って複数回覚醒するという経験があり、そのことによって「神」を悟ったということであった。
 現在HP上にその悟りの時の様子はアップされていないが、僕の記憶によれば以下のような内容だった。

 ある夜、部屋の中に圧倒的なエネルギーが降りてきた。
 I先生はそのエネルギーに向かってあらゆる神々の名前を呼びかけてみたが返事はなかった。そして最後に「母よ!」と呼んだ時、そのエネルギーが反応し、それが宇宙万物の創造の母、マハー・マーヤであることを知った。


 これは「母なる神」の悟りであるとI先生は言う。
 この現象の、森羅万象の創造主である「母なる神」は「最初のマーヤ」とも呼ばれている。
 この母なる神と同時に、永遠に変化せず、いたるところに偏在する、久遠の智であるところの「父なる神」が存在する。
 悟りとは、この「父なる神」を知ることであると言う。
 そして「父なる神」を知らしめるのが、シャクティ(クンダリニー)を引き上げる「母なる神」の力だそうだ。

 これらのことはその後の瞑想会で、徐々に聞いた話である。
 最初の個人セッションの日は、ただとても貴重な人に出会えたという喜びとともに家路に着いた。



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I先生のこと | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/11/09 09:27

I先生のこと(2)

 「東京に来ちゃった方がいいよ。こっちの方で呼んでるから。」

 Rさんのそのアドバイスと、自分の直観により、年が明けて翌年の春、東京に出てきた。その後一年ほどは、I先生のHPを時々見ることはあっても直接会いに行こうと思うことはなかった。

 I先生のところに行かなかった理由、それはもし会いに行ったとしても自分の苦痛が癒されることはないし、特にすごいことが起こる訳でもない。悟った人に会ったからと言って、自分も悟れるわけではないと思っていたからだった。

 しかし、こちらに来てから一年半ほど経った2003年の年末、実家でトラブル起こり一時帰省しなければならないことになった。
 家に帰り、その状態を見た時、僕はI先生に会いに行く事を決めた。

 2004年の1月のある日、保谷のマンションの一室で僕はI先生の個人セッションを受けた。
 保谷の駅から携帯に電話をかけると、まっすぐ道を歩いていって、○○医院の前まで来たらもう一度電話を下さいとI先生は言った。

 その○○医院の前でまた携帯にかけると、「じゃ、その場所で振り返ってみてください」と言われた。後ろを見ると、畑をはさんで向かい側のマンションの廊下の所で一人の男性が手を振っているのが見えた。
 「あ、どうも」とその小さなシルエットに頭を下げつつ僕は言った。

 まず最初に言っておくと、I先生はスピリチュアルカウンセラーの江原氏のような人物ではない。つまり霊視能力を使って問題点を探っていくというタイプではない。
 なんらかのそういう能力がI先生にもあるのかもしれないが、僕が見てきた限りでは積極的にそういう側面を出すことはない。
 それよりも、何気ない会話の中で、自然とその場やその人に適した言葉がひとりでに出てくるようである。

 実家でのトラブル・・・それは心の病に関することだったが・・を相談して出た結論は、どうも原因は前に住んでいた土地に関係があるのではないかということだった。その場所は近くに精神病院があり、また歴史的に見ても、昔こころの病を癒す水が湧き出ているという噂があり全国から巡礼のようにこころの病を持つ人々が集まってきた場所であった。

 I先生は僕が持参した家族の写真に手をかざして、しばらくの間無言で祈りを捧げてくれた。











I先生のこと | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/11/08 10:51

I先生のこと(1)

 何回かに分けて、このブログでよく書いているI先生こと、岩城和平氏について出会ったきっかけ、そのお話しなどについて書いてみようと思う。




 I先生のことを知ったのは、セラピストのRさんを介してであった。

 2001年の夏。

 僕は大学在学中に住んでいた高知県から、はるばる東京までRさんの前世療法を受けに来た。
 その時に、RさんはI先生を「日本の精神世界で最大の人」と紹介し、すっかり心酔しているように見えた。
 僕が実家での様々なトラブルについて話すとRさんは、I先生はそういう家族問題にも詳しいので紹介してあげると言ってくれた。
 それだけではなく、その場でI先生のオフィス?に電話をかけてセッションの空きがあるかどうか尋ねてくれたが、生憎いっぱいのようだった。

 なんだか今こうやって書いて読み返すと、バックに変な宗教がついているヒーラーにひっかかったみたいだが『精神世界の住人』に免疫力がなかった僕はほとんど疑いを持つことはなかった。
 Rさんの人柄が直感的に信頼できそうに思えたというのもあるだろう。

 そして前世療法を受けて、高知県に帰った僕は早速I先生にメールを出して、実家の事などを相談してみた。
 その返事は、弟さん(長い間心の病気だった)が直にセッションを受けないと改善は難しいだろうというものだった。
 でもその返事のメールには、あたたかい雰囲気が感じられた。

 それ以後時々僕はI先生のHPを見るようになった。
 I先生は永遠や、神について語っていた。
 その語り口調、内容はどこかなつかしいものだった。 

 僕は精神世界の本を読み漁り、前世やチャクラやオーラとかそういう情報についてはなんとなく信じていたが、「神」については一体なんのことだがよくわからなかった。(というか今もわかってませんが)
 しかし、にも関わらず、何かが心に響いてくるようだった。

 9月のある日、I先生のHPの掲示板を読んでいると、「ニューヨークで恐ろしい事が起こっているようですね・・・」という書き込みがあった。

 一体何のことかとテレビをつけてみると、煙をあげているビル街と、そして恐ろしい情報が次から次へと矢継ぎ早に伝えられた。
 その日は9・11。
 僕は世界の崩壊を予感しながら、朝までテレビにかじりついていた。

 






I先生のこと | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/11/07 21:57

?電磁波?

 今の職場で働いていると異様に疲れる原因を考えたところ、もしかするとPCの電磁波かもしれないと思った。

 調べてみると電磁波過敏症というのがあるらしく、電磁波を受ける環境下で以下のような症状が出る。(頭痛、吐き気、疲労、目まい、心臓動悸、痰が出る、不眠症、記憶低下、皮膚がチクチク、ヒリヒリ、ピリピリしたり、手足のしびれ、内臓圧迫感、むくみ、耳鳴り、不定愁訴、不快感、自律神経失調、筋肉や間接の痛み、不整脈、まぶしい、うつ状態)。

 http://www.e-arcadia.jp/denjiha/denjiha-kabin.html

 以前から、PCに長時間向かっていると吐き気を感じることはよくあった。電磁波かどうかわからないが、PCの何かが影響しているのだろうとあまり深く考えることはなかったのだが。

 しかし、今の職場はあまりにも空間の不快感が強いので原因を真剣に考えてしまう。今までになかったような体の違和感が今の職場で働きだしてから始まった。

 吐き気に加えて、特に変なものに触っていないのに、皮膚がチクチクする。その場所を見てみると、うっすらと赤みがさしているということもある。原因がわからず気味が悪い。舌にまで変なかゆみを感じる。
 加えて、毎晩のように起こる喘息と、のど・食道にかけての違和感など、わけのわからない症状のオンパレードではっきり言って衰弱気味である。

 全部電磁波が原因とかではないだろうけど。
 
 夏まではそれなりに安定していたのだが、ここ二ヶ月くらい結構修行モードに入っている感じだ。
 感覚がやや鋭敏になっているのも手伝って、なおさらこたえるのもかもしれない。

 うーん、辞めたらそれで済む話なのか、もうちょっと耐えて見るべきなのか判断に迷うところである。

 女神のカードのご宣託は次のようなものだった。

 ホワイト・ターラ(Sensitivity)

 「あなたはどんどん繊細になっています。
  厳しすぎる人間関係、環境、状況や化学薬品を避けましょう」

 カードの意味:自分の感性に敬意を払う・ネガティブなことから自分を守るように行動する・化学薬品を避ける・騒音、群集、乱暴なテレビやニュースなど、自分の繊細さをかき乱す引き金になるようなものを意識的に排除する。




未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/11/06 20:47

ターシャム・オルガヌム

  今日は、グルジェフの弟子だったウスペンスキーの「ターシャム・オルガヌム」を読んでいた。
 この本では多くの章を次元の考察に費やしている。

 一般的に、我々が認識しているのはたて×よこ×高さで成り立っている3次元空間である。
 2次元はたて×よこのみの世界。つまり平面世界だ。
 そして1次元は一本の直線だけの世界であると考えられている。

 そして、この3次元よりも高次の次元とは一体なんであるかということが思考されてきた。通常、第四次元の世界は、「時間」であると考えられている。
 正確に言うならば、僕らが認識するところの時間が空間化された世界である。
 僕らはぼんやりと時間というものを認識しているが、それは物体の運動や変化を通してである。
 
 昼間が夜になり、また朝になる。
 夏が、秋になり、冬になる。
 こういった現象の変化を僕らは認識し、この変化を時間の流れであると考える。だが、過ぎ去ってしまった現象というものが、一体どこへ行ってしまったのか知らない。
 人間が認識する3次元空間においては、時間というのはこのように捉えがたい現象なのである。
 しかし、時間が空間化された4次元においては、認識者は時の流れの全体を把握することができる。
 時間が空間になるということは、過去も未来も、今・この場所に現前しているということに他ならないのだ。
 とても乱暴に表現するとすれば
 右を見れば今年の夏がまだここにあり、そして左を見れば来年の春が、もうここにある。そのような認識を、第四次元という。

 ウスペンスキーは、動物達の生きる(認識する)世界を二次元世界であると考え、動物達にはこの世界がどのように見えているのか推測している。
 面白いのは、動物にとっては、僕らにとっての静止した物体が「運動」、つまり時間の流れとして認識されるのではないかという考えだ。
 
 例えばひとつの立方体があるとする。
 その周りを一周する動物の目からは、それはどんどん形を変えていく。
 「概念」を持たない動物にとっては、自分の目で見たものを事実として認識する以外になく、それゆえに自分が目にしているものが静止した物体を様々な角度から見ているだけであるということがわからない。
 人間ですら、世界を見るときはそれを平面的に見ているのだが、それを常に修正している(想像により補っている)。

 この仮説によって四次元を類推してみると、少し怖い結論に行き着く。

 「馬、犬、猫などの動物が、三次元の静止した角度や曲線を運動、時間として知覚するに違いないことは確認した。
 ここで生じる疑問とは次のようなものである。我々もまた、四次元の角度や曲線を運動や時間として知覚しているのではないか?
 我々は普通、感覚が生じるのは我々の外部で起こった何らかの変化に気づく瞬間である、という。しかしその「変化」とは何か?ひょっとしたら実際には変化など起こっていないのかもしれない。もしかしたら、我々には運動や変化に見えるものは、実際には我々の外部に存在する何らかの物の静止した側面や角度であって、それについて我々は何も知らないのかもしれない。」
p130

 この辺を読んでいて、人に苦痛をもたらすものの根本は「時」なんだなと感じた。というか、時への不完全な認識、3次元的認識が苦そのものなのだろう。第四次元においては、僕の未来は完全に決し、僕は完全に死んでいる。と同時に、生まれている。そしておそらく、生まれも死にもしない何かとして僕の誕生と死とを同時に見ている。 
 
 ダイジの救世主入門の言葉が浮かぶ。

 「君の幸福と不幸は
  君が死ぬことから来ている
  君は間違いなく死ぬ
  君の人間としての生涯は
  君がすでに死んでいることを学ぶためにある
」  

 僕の幸福と不幸は、時間が存在することから来ている
 僕の人間としての生涯は、
 時間が存在しないことを学ぶためにある。
知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/11/05 20:13

女神のカード

 「GODDESS GUIDANCE ORACLE CARDS」
 (女神のガイダンスオラクルカード)
 というカードを時々使っている。
 
 これは相方からクリスマス・プレゼントにもらったもので、44枚の女神がカードになっており、それぞれ意味を持っている。
 僕はそういうのはほとんどわからないが、なんかエネルギーの強いカードだそうだ。作ったのはドリーン・バーチューという人で天使の研究とかで有名みたいだけどこれも僕はあまり知らない。
 だが、このカードはいつも必要なカードが出るように思えるので、なかなかすごいのではないかと思う。
 タロットカードは一朝一夕で身につけらられるものではないが、このカードはそれぞれわかりやすいメッセージが解説書に書かれているのでカード物初心者には使いやすいと思う。

 まあ、去年のクリスマスにもらったので一年近く時々引いてみているのだが、今年の夏ごろに電話で相談事を受けることが重なった時に、その理由をカードに尋ねて見ると「DAMARA」というカードが出た。このカードのメッセージは「あなたは子供達を助け、話を聞き、癒すことに長けています。その力を子供たちを助けるために使いましょう」というものだった。他にもカードの意味は「子供と一緒にときを過ごしたり、心の通う会話をする・子供のためになる仕事をする・遊んだり笑ったりすることでインナーチャイルドを満たす」などとある。
 その時にはなんのことか全くわからなかったのだが、話しを聞いている内にどうもその人がインナーチャイルド的な問題を抱えていそうなことがわかり、あとからハッとしたのだった。(まあ、誰でも抱えてるっちゃ抱えてると思うが、それがより濃厚に出ている人はいる)
 
 やがて夏の終りに、僕自身がヒプノでインナーチャイルドセラピー的なものを受け、その翌日から小中学校にPC用の学習教材を提供してる会社で働きだした。二週間ほどたってから、どうも調子が悪くなってきた。
 毎年秋恒例の喘息の発作や、胸や喉に何かがつかえている感覚で真夜中に目が覚める。明日の朝が早いので、喘息の吸入薬と鎮静剤を飲んでまた寝付く。という日が続いた。更には、数年前に経験したパニック発作のような症状も起こり、真夜中に飛び出してその辺を歩きまわり、気分が落ち着くのを待った。
 このパニック発作は、生活がきつきつになっている時、独りになれる時間が少ないときに起こりやすい。

 I先生のリトリートにも直前で熱が出て、参加することができなくなった。

 夜中にまた息が苦しくなり目が覚めた時に、この不調の原因をカードに尋ねてみると、「変容」をあらわす「BUTTERFLY MAIDEN」が出る。メッセージは「あなたは急速に変化しています。その変化は祝福をもたらします」。蝶の羽が生えた女性が立っている絵柄。
 翌日、そのカードのことを考えながら、テレビを付けるとまさに、今蝶がさなぎから羽化していく映像が流れておりぞくっとした。
 この「変容」というのが、社会的な状況(新しい職場環境)を言うのか、自分のエネルギーシフト的なことを言うのか、その両方なのかは判然とはしない。でも、そのメッセージを受け取ることで少し楽になった。

 ちなみにその他色んなことについてもカードを引いてみた。

 Q:自分にとってI先生とは

 →SEDNA「無限の供給」
  「今日も、これからもずっと、あなたに必要なものは与えられることでしょう」 

 Q:自分にとってダンテス・ダイジとは

 →Kuan Yin(観音)「慈悲」
 「自分自身と他人に対して批判することを止めましょう。
  そして、すべての人にある愛と光に焦点を当ててみましょう





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未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/11/02 23:20

巡るもの

すべて、唯一の源から溢れ出る
樹とそれを染める朝日とは
かつてひとつであったことを
思い出しているかのように
調和している

地下を流れる水と、根からそれを吸い上げる樹と
梢に止まる鳥とは

決してわける事の出来ない


真空中にも存在し
決してなくならない


近代科学は生命と物質を分けるが
宗教はすべてを生命とする

お互いに与え合う命
生命とは
お互いに与えあいつつ
維持するもの

個的現実としては
与え合うものだが
そこに
受けとるものも 与えるものも
誰もいなければ
唯一の命のみが在れば
ただすべては巡るもの
生命とは巡るもの

星のように血のように
オメガの肉体の中を・・・










| コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/11/01 23:00
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