2006.
12.
31
今年の3月4日から3週間ほどインドへ行ってました。
海外はほぼ初めて、英語も中学生レベル、しかも単独行なので勝手がわからずかなり不安でした。
日本に帰って来たときは正直ホッとしたのですが、今振り返ってインドのことを考えるとじわじわ~とエネルギーが沸いてきます。
多分インドは馬鹿でかいパワースポットなのでしょう。
デリー(旅の始まり)

インド門

こういう猿回しの親父がいて、「ヘイ!可愛いサルだろう。写真撮ってもいいよ!」とか言って来ます。次にはサルを抱かせて一緒に写真を撮らせてくれたあと、ルピーを請求します。突然これはビジネスだよとか言い出すので最初こういう人は怖かった。好意や好奇心で話しかけてくる人と、金目当ての人の見分けが難しかった。
しかも撮ってくれた写真は、こんなです↓サルにも僕にもピントを合わす気はないようでした(笑)


カジュラホ

ブラフマー寺院
デリー、アグラーを経てカジュラホにたどり着いた頃には、僕はすっかり守銭奴の日本人になっていました。というのはデリーではリクシャワーラーに旅行代理店に連れて行かれ高いホテルを予約させられたり、民族衣装を買わされたりで、出会うインド人の言うことをすべて聞いていると日本に帰れなくなると言うことに遅まきながら気付いたのです。
エロティックな壁画で有名な寺院も入場料のもったいなさに入らず、歩いて無料で回れる寺院群だけを見ていたのです。
カジュラホは小さな村なのでデリーやアグラーのような騒々しさはないのですが、やはり「地球の歩き方」に乗っている観光地だけのことはあり日本語が妙にうまいインド人がいっぱいいました。
猿のような子が「アイム オカムラ ナインティーナイン!!」というのを持ちネタにしていました。ウケたけど少しゲンナリしました。
しかし、街の中心部を離れ、このブラフマー寺院の辺りまで来るととても静かでいい感じです。
出会う人たちの目の美しさ、身振りの穏やかさにはっとさせられました。
シバジャンタというレストランで日本人の旅行者と一緒になりました。彼は25、6歳でインドやネパールなどを3ヶ月ほどかけて回っているということ。彼から今から向かう予定のバラナシで爆弾テロが起こったと聞き驚きました。
ホテルはマーブルパレスというところに泊まりました。商売熱心なフロントの兄ちゃんは日本語がわかり、色々面倒見てくれます。
バラナシでのホテルの予約や、列車の予約を手配してもらい、出発の朝にはバススタンドまでバイクで送ってもらいました。
別れるときにときにホテルの名刺を2,30枚渡されました。
自分にそこまで大量に名刺を配れるほど知り合いがいないことが申し訳なくなりました。
バラナシ(ベナレス)

ガンジス河畔から臨むバラナシの街。この辺の河原では街の人がしゃがみ込んでうんこしてます。もしかしてトイレだったのか。。。


普通に水牛とか泳いでます。写真にはとってないけど、子供たちが河で水牛の背中に乗って遊んでいました。

ガート(河に面した空間)は遊び場







ドラッグに興味があると言うと、罰当たりなことにひと気のないほこらに連れて行かれて、売りつけられました。アヘン、ハシシ、ガンジャクッキーなどがあります。LSDも持ってたみたい。バラナシはいまだにドラッグ天国のようですが、良心的な売人を見つけるのは運と経験がいるかと・・・そして成田の税関には麻薬犬が常勤(?)しているので、危険な橋は渡らないようにしましょう。

あら。和尚さん・・・。
バラナシは一言で言うと、聖なる河(ガンジス川)と牛の糞だらけの迷路の街。
遠藤彰子の絵の世界みたいです。
でも、やっぱり良かった!
ここでガンジャに出会ったことにより、緊張感が若干ほぐれた。トンだ僕の頭はリクシャに揺られながらもまるで自宅にいるような気楽さで街の雰囲気に心を開くことができた。
OM SHIVA SHANKARA
HARI HARI GANGA!
(ガンジャを吸う時のマントラ)
しかし、バラナシに入るのも出るのも容易ではなかった。
入る時は列車が3時間ほど遅れた。
バラナシからガヤーに向かう列車は午前5時に出発ということだったので4時前には起きて駅に向かったのだが、これがまた遅れに遅れて列車が来たのはお昼の12時くらい。その間7時間近く、いつ来るともしれない列車を待っているのはきつかった。銃を持った警官がうろうろしているこんなところで、HARI HARI GANGA!!やる訳にもいかないし・・・。
そしてやっと乗った列車だが、まったくアナウンスがない為にガヤー駅を乗り越してしまい、ガイドブックにも乗っていないKODARMAという駅で降りてしまう。
あ~~夕陽がゆらゆらと沈み、夜の帳が降りてゆく・・。
さびしい駅のホームで途方にくれていると、親切な人が「どうかしたのか?」と声をかけてくれた。事情をつたない英語で説明すると、折り返しの列車が来るまでまだ時間があるからその辺で飯でも食わないか?と近くの屋台に連れて行ってくれた。そして列車が来る時間になると、ホームまで見送ってくれて、「この日本人はガヤーまで行くから着いたら教えてやってくれ」と近くの席の人に言ってくれた。
この人の英語はなまりがウルトラ級でとても英語とは思えないほどだった。僕が「Do you like japan?」と尋ねるとNO!と言い切った。
理由を聞くと、「自分は○□△で、○□△はインド以外の国を好まない。ただし、バングラディッシュだけは別だ・・。」というようなことを言った。インドの右派の人だろうか?なんでバングラディッシュはいいのかよくわからんが・・・。でもいい人でした。
ブッダガヤー

ちょうどホーリー(新年のお祭り)の頃に行くと、みんな色のついた水をかけあって遊んでいます。外国人でも容赦なく標的にされます。
顔も緑色に塗りたくられたままマハーボーディー寺院に入って行き、お坊様に笑われました。この日は一日緑色の顔ですごしました。

マハーボーディー寺院内の、ブッダが悟りを開いた菩提樹。ただし、その樹そのものではなく子孫のようです。

寺院は改修工事中

入り口

庭園がきれいでとてもよい「気」に満ちているような感じがしました。
入り口で靴を預けて、裸足で歩かないといけません。
ちょっと瞑想。。。



夜になると異様にライトアップされます。ここまでしなくてもいいような気も・・・。ホーリーだったからかな?

バラナシとブッダガヤーは今回の旅のメインだったように思う。
ブッダガヤーに着いたのはちょうどホーリーの前夜で、列車からも漆黒の闇の中、ホーリーの焚き火が小さく、鬼火のように揺らめいているのが見えて幻想的でした。
列車の中で即興の演奏会が始まりました。
車両の前のほうで缶のようなものを激しく叩きリズムをとる音と、それに合わせた歌声が響き始める。乗客は振り返り、立ち上がり、車内はライブ会場に早変わり。まるでそのプリミティブなビートにあわせるように車両の電気が明滅する。そのリズムと歌声と、外から流れ込んでくる濃密な夜の大気。
ブッダガヤーではマハボーディー寺院の前の「マハーマーヤ」という土産物屋のご主人にお世話になりました。
寺院を案内してくれたり、安いホテルを紹介してくれたのですが、お金を請求することはなく、店で気にいったものがあれば買ってくれというだけでした。(もっとも売り込みのときはそれなりに押しが強かったですが、これはインドではもう慣れっ子)ホーリーのお祭りで店でビールを飲んでいて、僕もご相伴に預かりました。
このお店で買った菩提樹の数珠で今もジャパを続けています(^^
エローラ遺跡

暑いっす。。。この辺もろに病み上がり。
3日ほど風邪で寝込んだ直後に行きました。ダルかったです(笑)


もういいよ、って言うくらいこういうのがあります。
普通じっくり全部見る人はあまりいないと思います。
もういいよって言わせるくらい彫っちゃうのがすごいですね。

ムンバイー(最終目的地)

ムンバイーはなんか西洋化している感じで、日本人一人歩いていてもあまり声がかけられなかった。ちょっとさびしぃ。

うわさのタージマハルホテルと、ラーマクリシュナの弟子ヴィヴェーカーナンダの像の後姿。こちらでは相当神格化されてるようです。
ムンバイー最後の夜にホテルで激しく、HARI HARI GANGA!しました。
それまでは、またTAXIの運ちゃんに強引にホテルに連れてこられたことに自己嫌悪でしたが、突如僕はいるべき場所にいることに気付きました。別に海が見えるホテルに泊まったりしなくても、そこにすべてがあったのです。
どこかから女性が歌う声が聞こえてきます。
バナナがうまいです。
バナナに心から感謝しました。
この神様からいただいた体に感謝しました。
みんながここが天国であることに気付けば、その喜びは一瞬で世界を明るくし、本当にここが天国になるのではないかと思いました。
しかし、あくまで束の間のガンジャトリップ。
翌日エレファンタ島へ渡る船の船員に、しつこく昼飯をおごれと無心された僕は関西弁でキレながらチケットを奴に投げつけて船を下りました。僕はこの旅で3回インド人にキレました。
ムンバイーから再びデリーへと飛び、8時間ほどおいて成田へ帰ってきました。日本の清潔さと、無機的な土のにおいのない世界に一瞬外国にきたかのようでした。でもある意味で、見知らぬ国に自分は帰ってきたという感覚は正しいのだと思います。

ムンバイーからのアラビア海。
この海にたどり着いた時はホッとした。インドの大地にも果てがあったんだ===
☆良いお年をお迎えください☆
海外はほぼ初めて、英語も中学生レベル、しかも単独行なので勝手がわからずかなり不安でした。
日本に帰って来たときは正直ホッとしたのですが、今振り返ってインドのことを考えるとじわじわ~とエネルギーが沸いてきます。
多分インドは馬鹿でかいパワースポットなのでしょう。
デリー(旅の始まり)

インド門

こういう猿回しの親父がいて、「ヘイ!可愛いサルだろう。写真撮ってもいいよ!」とか言って来ます。次にはサルを抱かせて一緒に写真を撮らせてくれたあと、ルピーを請求します。突然これはビジネスだよとか言い出すので最初こういう人は怖かった。好意や好奇心で話しかけてくる人と、金目当ての人の見分けが難しかった。
しかも撮ってくれた写真は、こんなです↓サルにも僕にもピントを合わす気はないようでした(笑)


カジュラホ

ブラフマー寺院
デリー、アグラーを経てカジュラホにたどり着いた頃には、僕はすっかり守銭奴の日本人になっていました。というのはデリーではリクシャワーラーに旅行代理店に連れて行かれ高いホテルを予約させられたり、民族衣装を買わされたりで、出会うインド人の言うことをすべて聞いていると日本に帰れなくなると言うことに遅まきながら気付いたのです。
エロティックな壁画で有名な寺院も入場料のもったいなさに入らず、歩いて無料で回れる寺院群だけを見ていたのです。
カジュラホは小さな村なのでデリーやアグラーのような騒々しさはないのですが、やはり「地球の歩き方」に乗っている観光地だけのことはあり日本語が妙にうまいインド人がいっぱいいました。
猿のような子が「アイム オカムラ ナインティーナイン!!」というのを持ちネタにしていました。ウケたけど少しゲンナリしました。
しかし、街の中心部を離れ、このブラフマー寺院の辺りまで来るととても静かでいい感じです。
出会う人たちの目の美しさ、身振りの穏やかさにはっとさせられました。
シバジャンタというレストランで日本人の旅行者と一緒になりました。彼は25、6歳でインドやネパールなどを3ヶ月ほどかけて回っているということ。彼から今から向かう予定のバラナシで爆弾テロが起こったと聞き驚きました。
ホテルはマーブルパレスというところに泊まりました。商売熱心なフロントの兄ちゃんは日本語がわかり、色々面倒見てくれます。
バラナシでのホテルの予約や、列車の予約を手配してもらい、出発の朝にはバススタンドまでバイクで送ってもらいました。
別れるときにときにホテルの名刺を2,30枚渡されました。
自分にそこまで大量に名刺を配れるほど知り合いがいないことが申し訳なくなりました。
バラナシ(ベナレス)

ガンジス河畔から臨むバラナシの街。この辺の河原では街の人がしゃがみ込んでうんこしてます。もしかしてトイレだったのか。。。


普通に水牛とか泳いでます。写真にはとってないけど、子供たちが河で水牛の背中に乗って遊んでいました。

ガート(河に面した空間)は遊び場







ドラッグに興味があると言うと、罰当たりなことにひと気のないほこらに連れて行かれて、売りつけられました。アヘン、ハシシ、ガンジャクッキーなどがあります。LSDも持ってたみたい。バラナシはいまだにドラッグ天国のようですが、良心的な売人を見つけるのは運と経験がいるかと・・・そして成田の税関には麻薬犬が常勤(?)しているので、危険な橋は渡らないようにしましょう。

あら。和尚さん・・・。
バラナシは一言で言うと、聖なる河(ガンジス川)と牛の糞だらけの迷路の街。
遠藤彰子の絵の世界みたいです。
でも、やっぱり良かった!
ここでガンジャに出会ったことにより、緊張感が若干ほぐれた。トンだ僕の頭はリクシャに揺られながらもまるで自宅にいるような気楽さで街の雰囲気に心を開くことができた。
OM SHIVA SHANKARA
HARI HARI GANGA!
(ガンジャを吸う時のマントラ)
しかし、バラナシに入るのも出るのも容易ではなかった。
入る時は列車が3時間ほど遅れた。
バラナシからガヤーに向かう列車は午前5時に出発ということだったので4時前には起きて駅に向かったのだが、これがまた遅れに遅れて列車が来たのはお昼の12時くらい。その間7時間近く、いつ来るともしれない列車を待っているのはきつかった。銃を持った警官がうろうろしているこんなところで、HARI HARI GANGA!!やる訳にもいかないし・・・。
そしてやっと乗った列車だが、まったくアナウンスがない為にガヤー駅を乗り越してしまい、ガイドブックにも乗っていないKODARMAという駅で降りてしまう。
あ~~夕陽がゆらゆらと沈み、夜の帳が降りてゆく・・。
さびしい駅のホームで途方にくれていると、親切な人が「どうかしたのか?」と声をかけてくれた。事情をつたない英語で説明すると、折り返しの列車が来るまでまだ時間があるからその辺で飯でも食わないか?と近くの屋台に連れて行ってくれた。そして列車が来る時間になると、ホームまで見送ってくれて、「この日本人はガヤーまで行くから着いたら教えてやってくれ」と近くの席の人に言ってくれた。
この人の英語はなまりがウルトラ級でとても英語とは思えないほどだった。僕が「Do you like japan?」と尋ねるとNO!と言い切った。
理由を聞くと、「自分は○□△で、○□△はインド以外の国を好まない。ただし、バングラディッシュだけは別だ・・。」というようなことを言った。インドの右派の人だろうか?なんでバングラディッシュはいいのかよくわからんが・・・。でもいい人でした。
ブッダガヤー

ちょうどホーリー(新年のお祭り)の頃に行くと、みんな色のついた水をかけあって遊んでいます。外国人でも容赦なく標的にされます。
顔も緑色に塗りたくられたままマハーボーディー寺院に入って行き、お坊様に笑われました。この日は一日緑色の顔ですごしました。

マハーボーディー寺院内の、ブッダが悟りを開いた菩提樹。ただし、その樹そのものではなく子孫のようです。

寺院は改修工事中

入り口

庭園がきれいでとてもよい「気」に満ちているような感じがしました。
入り口で靴を預けて、裸足で歩かないといけません。
ちょっと瞑想。。。



夜になると異様にライトアップされます。ここまでしなくてもいいような気も・・・。ホーリーだったからかな?

バラナシとブッダガヤーは今回の旅のメインだったように思う。
ブッダガヤーに着いたのはちょうどホーリーの前夜で、列車からも漆黒の闇の中、ホーリーの焚き火が小さく、鬼火のように揺らめいているのが見えて幻想的でした。
列車の中で即興の演奏会が始まりました。
車両の前のほうで缶のようなものを激しく叩きリズムをとる音と、それに合わせた歌声が響き始める。乗客は振り返り、立ち上がり、車内はライブ会場に早変わり。まるでそのプリミティブなビートにあわせるように車両の電気が明滅する。そのリズムと歌声と、外から流れ込んでくる濃密な夜の大気。
ブッダガヤーではマハボーディー寺院の前の「マハーマーヤ」という土産物屋のご主人にお世話になりました。
寺院を案内してくれたり、安いホテルを紹介してくれたのですが、お金を請求することはなく、店で気にいったものがあれば買ってくれというだけでした。(もっとも売り込みのときはそれなりに押しが強かったですが、これはインドではもう慣れっ子)ホーリーのお祭りで店でビールを飲んでいて、僕もご相伴に預かりました。
このお店で買った菩提樹の数珠で今もジャパを続けています(^^
エローラ遺跡

暑いっす。。。この辺もろに病み上がり。
3日ほど風邪で寝込んだ直後に行きました。ダルかったです(笑)


もういいよ、って言うくらいこういうのがあります。
普通じっくり全部見る人はあまりいないと思います。
もういいよって言わせるくらい彫っちゃうのがすごいですね。

ムンバイー(最終目的地)

ムンバイーはなんか西洋化している感じで、日本人一人歩いていてもあまり声がかけられなかった。ちょっとさびしぃ。

うわさのタージマハルホテルと、ラーマクリシュナの弟子ヴィヴェーカーナンダの像の後姿。こちらでは相当神格化されてるようです。
ムンバイー最後の夜にホテルで激しく、HARI HARI GANGA!しました。
それまでは、またTAXIの運ちゃんに強引にホテルに連れてこられたことに自己嫌悪でしたが、突如僕はいるべき場所にいることに気付きました。別に海が見えるホテルに泊まったりしなくても、そこにすべてがあったのです。
どこかから女性が歌う声が聞こえてきます。
バナナがうまいです。
バナナに心から感謝しました。
この神様からいただいた体に感謝しました。
みんながここが天国であることに気付けば、その喜びは一瞬で世界を明るくし、本当にここが天国になるのではないかと思いました。
しかし、あくまで束の間のガンジャトリップ。
翌日エレファンタ島へ渡る船の船員に、しつこく昼飯をおごれと無心された僕は関西弁でキレながらチケットを奴に投げつけて船を下りました。僕はこの旅で3回インド人にキレました。
ムンバイーから再びデリーへと飛び、8時間ほどおいて成田へ帰ってきました。日本の清潔さと、無機的な土のにおいのない世界に一瞬外国にきたかのようでした。でもある意味で、見知らぬ国に自分は帰ってきたという感覚は正しいのだと思います。

ムンバイーからのアラビア海。
この海にたどり着いた時はホッとした。インドの大地にも果てがあったんだ===
☆良いお年をお迎えください☆
2006.
12.
29
和尚(バグワン)の『スピリチュアルテロリスト』というビデオが近所の古本屋で売っていたので買って見た。
和尚の簡単な経歴や、プーナのアシュラムの様子が映像でまとめられている。ダイナミック瞑想や、3時間笑ったり泣き続けたりするというミスティックローズ瞑想も映像として見るとかなりクレイジーで衝撃的だった。
この一見するとヒステリックにさえ見える集団が、和尚のみぶりひとつで叫んだり沈黙したりするのだから、当局がこのサニヤシンの集団を脅威として認識しても不思議はないと感じる。レーガン政権に毒を盛られて殺されたというのもあながち嘘ではないかもしれない。
政治家から見ると、これは相当に不気味な集団だ。
「私は既存の宗教、道徳すべてに対して反対する。」とバグワンは語る。「いかなる例外もない」と。
和尚のアシュラムは瞑想の場であると同時に、一種のセラピーリゾートだった。そこに訪れた人はさまざまなセラピーメソッドを体験し、抑圧を解放し、本来の自分を取り戻そうとした。
和尚が達したであろう意識の高み・・・とは別に、和尚の影響力と言うものを考えると、「本来の生のあるべき姿」を語り、それを取り戻す試みを(瞑想の準備的段階としてであれ)していたところにその功績があるのではないかと感じた。
社会に適応させるためのセラピーではなく、その究極目的をまったく新しい人間の誕生、意識の開花に置いていたこと。
和尚自身の沈黙の周りにあのような実験場を創造したこと。
どうも和尚のしようとしたことは、新しすぎて理解されなかったように思えてならない。
和尚の簡単な経歴や、プーナのアシュラムの様子が映像でまとめられている。ダイナミック瞑想や、3時間笑ったり泣き続けたりするというミスティックローズ瞑想も映像として見るとかなりクレイジーで衝撃的だった。
この一見するとヒステリックにさえ見える集団が、和尚のみぶりひとつで叫んだり沈黙したりするのだから、当局がこのサニヤシンの集団を脅威として認識しても不思議はないと感じる。レーガン政権に毒を盛られて殺されたというのもあながち嘘ではないかもしれない。
政治家から見ると、これは相当に不気味な集団だ。
「私は既存の宗教、道徳すべてに対して反対する。」とバグワンは語る。「いかなる例外もない」と。
和尚のアシュラムは瞑想の場であると同時に、一種のセラピーリゾートだった。そこに訪れた人はさまざまなセラピーメソッドを体験し、抑圧を解放し、本来の自分を取り戻そうとした。
和尚が達したであろう意識の高み・・・とは別に、和尚の影響力と言うものを考えると、「本来の生のあるべき姿」を語り、それを取り戻す試みを(瞑想の準備的段階としてであれ)していたところにその功績があるのではないかと感じた。
社会に適応させるためのセラピーではなく、その究極目的をまったく新しい人間の誕生、意識の開花に置いていたこと。
和尚自身の沈黙の周りにあのような実験場を創造したこと。
どうも和尚のしようとしたことは、新しすぎて理解されなかったように思えてならない。
2006.
12.
27
『マーヤに気づかないことは、垢を自分の体の一部だと思い込んでいるようなもの。』と言う言葉がこの前の修道会で出た。
マーヤとは、神の認識から遠ざけるすべてのものを言う。
マーヤに根深くやられないためには、
マーヤをマーヤと認識するセンスが重要となってくるのかもしれない。
マーヤをマーヤと認識しない限り、それは解けない。
なぜなら、それを自分の一部、必要なものだとみなし、自分でしっかりと捕まえているのだから。
たとえば、『自己否定』もそれが自分にとって必要な自分自身の感情だとみなしている限り、マーヤだとは思えない。
考えようによっては『自己否定』も成長のために必要なことに思えてくる。しかし、その『自己否定』の理由と言えば、外部から刷り込まれたものがほとんどである。
ここで通俗的『自己否定』を超克するためには、神対自己という視点が有効となってくる。
そのような自己肯定を経て初めて、神へ自己を捧げるという真の自己否定へと至れるのかもしれない。
母親の愛情が子供のすべてを包み込むように、宇宙のMotherはすべての存在をそのありのままの姿で抱いているであろうから。
最近読んだ本に載っていた古歌
恋しいと思う心は我ならで
親の心の通いくるかな
(子供が親を恋しいと思う心は、我が思うのではなくて、親が我が子可愛いと思う一念が通って来て、子供が親を恋しく思うのだ、という意味らしい)
マーヤとは、神の認識から遠ざけるすべてのものを言う。
マーヤに根深くやられないためには、
マーヤをマーヤと認識するセンスが重要となってくるのかもしれない。
マーヤをマーヤと認識しない限り、それは解けない。
なぜなら、それを自分の一部、必要なものだとみなし、自分でしっかりと捕まえているのだから。
たとえば、『自己否定』もそれが自分にとって必要な自分自身の感情だとみなしている限り、マーヤだとは思えない。
考えようによっては『自己否定』も成長のために必要なことに思えてくる。しかし、その『自己否定』の理由と言えば、外部から刷り込まれたものがほとんどである。
ここで通俗的『自己否定』を超克するためには、神対自己という視点が有効となってくる。
そのような自己肯定を経て初めて、神へ自己を捧げるという真の自己否定へと至れるのかもしれない。
母親の愛情が子供のすべてを包み込むように、宇宙のMotherはすべての存在をそのありのままの姿で抱いているであろうから。
最近読んだ本に載っていた古歌
恋しいと思う心は我ならで
親の心の通いくるかな
(子供が親を恋しいと思う心は、我が思うのではなくて、親が我が子可愛いと思う一念が通って来て、子供が親を恋しく思うのだ、という意味らしい)
2006.
12.
24
昨夜しつこく神様、神様とバクティを続けていると、
自分が消え去っていくような感覚とともに、リアリティ変容への恐怖感。
いつものPTSDの変化形??
「愛の大きさを理解すれば、自己なんて捧げものくらいにしかならないよ。生け贄君だ。」
自分が消え去っていくような感覚とともに、リアリティ変容への恐怖感。
いつものPTSDの変化形??
「愛の大きさを理解すれば、自己なんて捧げものくらいにしかならないよ。生け贄君だ。」
2006.
12.
22
12月16日は今年最後の修道会に出席する。
朝からマーヤ、思考が空転する。
相方の携帯電話に電話が何度かけてもつながらず、マーヤ×2。
会場へ向かう前にファミレスで食事をしていると、隣のテーブルに親子連れが座る。小さな子供が3人もいてうるさい。
どっか行ってくれないかなーと思っていると、他のテーブルが空いたらしくそっちに移っていった。
そのファミリーの中の6、7才位の女の子が席を移るときに僕の顔を見て、「すみません。。」と謝っていった。
うっ・・・とっさに言葉が出てこず笑い返すだけ。
隣をちらっと見ただけで、(もちろん)にらみつけたりはしていないのだが。
異様に敏感な子だったのだろうか。
親は一言も言ってないのに。
道が途中でわからなくなり、5分くらい遅れて会場に着く。
いつものように最初は瞑想。
今日は思考の回転がなかなか沈静化しない。
現象としての会場の人や、I先生から少し注意をそらして、少し顔を上に向け、神に意識を向ける。
目をつぶっていると余計雑念が沸くと感じ、半眼にしてろうそくの明かりを見つめたり・・・。そうこうしている間に終わってしまった。
I先生にどうだった?と聴かれ
「思考がどうどうめぐりして・・・」
というと、先生は座っていた椅子から崩れ落ち、床に突っ伏してしまった。
「もったいないなあ!今すごい来てたのに!!」
と言う。
ママのエネルギーが僕の中に入っていってたらしい。
「まあいいよ。今はインプットだから。このあと、言ってたのはこれのことか!ってわかるかもしれないよ」
と・・・言われた通り途中からパキパキになってきた。
意識がブレずに、ストーンしているような感じ。
頭が痛く、ちょっと吐き気がする。
うーん、確かに今日はすごいなあ。バキ☆バキ☆だ。
終わったあと、「途中からキマシタ・・・頭痛いです。」と言うと
「来た?最初はマーヤだったんだね。頭痛いのはいいよ。クリシュナムルティも頭痛に苦しめられてたでしょ?」
「あと吐き気もします。」
「うん、それもいい。」
何ちゅう不健康な会話(笑)。
終了後、MY‐MIXIでもある参加者の一人の人とマックで少し話したのだが、話しているときも空間感覚がいつもと違い、「自分」の位置が周りの空間にも少し拡散しているかのようだった。
帰り道もまるで明晰な意識のまま酔っ払っている?ような状態が続いていた。信号灯や店の看板が妙にきれいだった。
ああ・・なんだこれは~~。ドラッグの酩酊感とは似てるようで違う。
しかし、「酩酊感」にはちがいない感じだ。
セブンイレブンでおでんを買って帰る。
しかし夕食をとっていないのに、あまり腹が減らない。
この辺は覚醒系のお薬と似ている。
覚醒状態は、あまり腹が減らないのかも・・・。
前の夜あまり寝ていなかったのだが、目が冴えて遅くまで眠れなかった。
「普通、生活の一部に神への祈りや、信仰があると思うけどそうじゃない。神の中に、それらのものすべてがある。」
「神がわかってくると日常がエネルギー(マーヤと神との)になる。」と言ってたI先生の言葉が少しわかったように思った。
この恩寵に、感謝します。
朝からマーヤ、思考が空転する。
相方の携帯電話に電話が何度かけてもつながらず、マーヤ×2。
会場へ向かう前にファミレスで食事をしていると、隣のテーブルに親子連れが座る。小さな子供が3人もいてうるさい。
どっか行ってくれないかなーと思っていると、他のテーブルが空いたらしくそっちに移っていった。
そのファミリーの中の6、7才位の女の子が席を移るときに僕の顔を見て、「すみません。。」と謝っていった。
うっ・・・とっさに言葉が出てこず笑い返すだけ。
隣をちらっと見ただけで、(もちろん)にらみつけたりはしていないのだが。
異様に敏感な子だったのだろうか。
親は一言も言ってないのに。
道が途中でわからなくなり、5分くらい遅れて会場に着く。
いつものように最初は瞑想。
今日は思考の回転がなかなか沈静化しない。
現象としての会場の人や、I先生から少し注意をそらして、少し顔を上に向け、神に意識を向ける。
目をつぶっていると余計雑念が沸くと感じ、半眼にしてろうそくの明かりを見つめたり・・・。そうこうしている間に終わってしまった。
I先生にどうだった?と聴かれ
「思考がどうどうめぐりして・・・」
というと、先生は座っていた椅子から崩れ落ち、床に突っ伏してしまった。
「もったいないなあ!今すごい来てたのに!!」
と言う。
ママのエネルギーが僕の中に入っていってたらしい。
「まあいいよ。今はインプットだから。このあと、言ってたのはこれのことか!ってわかるかもしれないよ」
と・・・言われた通り途中からパキパキになってきた。
意識がブレずに、ストーンしているような感じ。
頭が痛く、ちょっと吐き気がする。
うーん、確かに今日はすごいなあ。バキ☆バキ☆だ。
終わったあと、「途中からキマシタ・・・頭痛いです。」と言うと
「来た?最初はマーヤだったんだね。頭痛いのはいいよ。クリシュナムルティも頭痛に苦しめられてたでしょ?」
「あと吐き気もします。」
「うん、それもいい。」
何ちゅう不健康な会話(笑)。
終了後、MY‐MIXIでもある参加者の一人の人とマックで少し話したのだが、話しているときも空間感覚がいつもと違い、「自分」の位置が周りの空間にも少し拡散しているかのようだった。
帰り道もまるで明晰な意識のまま酔っ払っている?ような状態が続いていた。信号灯や店の看板が妙にきれいだった。
ああ・・なんだこれは~~。ドラッグの酩酊感とは似てるようで違う。
しかし、「酩酊感」にはちがいない感じだ。
セブンイレブンでおでんを買って帰る。
しかし夕食をとっていないのに、あまり腹が減らない。
この辺は覚醒系のお薬と似ている。
覚醒状態は、あまり腹が減らないのかも・・・。
前の夜あまり寝ていなかったのだが、目が冴えて遅くまで眠れなかった。
「普通、生活の一部に神への祈りや、信仰があると思うけどそうじゃない。神の中に、それらのものすべてがある。」
「神がわかってくると日常がエネルギー(マーヤと神との)になる。」と言ってたI先生の言葉が少しわかったように思った。
この恩寵に、感謝します。
2006.
12.
22
・・・えー最後のブログを書いた後に突然PCの電源が入らなくなり、しばらく冬眠していました。
最後に書いた言葉が、「一休さん」だったのですが、本当に一休みすることになってしまった。。。
新しいPCが使えるようになったので、また続けて行こうと思います。
不動明王の写真を載せていますが、先日I先生に会った時に守護神は不動明王ではないかという言葉をいただきました。
そう言われてみれば、と思い当たる点もいくつかあるのでマントラを時々唱えている。これはエネルギーをもらえる気がします。
働けなくなって、また仕事をやめた僕は、またまた落ち込んだ。
しかし、自分で自分を苦しめることはないのだと気づかせてもらった。
マーヤ、マーヤ、マーヤ、マーヤばっかりのマーヤワールドで正気でいる方が珍しい!
しかし、そのマーヤな価値観で自分自身を裁くのは、そろそろ終わりにしなければ。
宇宙によって生かされている「自分」。
その完璧さを信じなければ。
信じられなくても、そんな自分を許さなければ
まあ、許せなくても・・・OK!
だって、ここにいるんだから!
最後に書いた言葉が、「一休さん」だったのですが、本当に一休みすることになってしまった。。。
新しいPCが使えるようになったので、また続けて行こうと思います。
不動明王の写真を載せていますが、先日I先生に会った時に守護神は不動明王ではないかという言葉をいただきました。
そう言われてみれば、と思い当たる点もいくつかあるのでマントラを時々唱えている。これはエネルギーをもらえる気がします。
働けなくなって、また仕事をやめた僕は、またまた落ち込んだ。
しかし、自分で自分を苦しめることはないのだと気づかせてもらった。
マーヤ、マーヤ、マーヤ、マーヤばっかりのマーヤワールドで正気でいる方が珍しい!
しかし、そのマーヤな価値観で自分自身を裁くのは、そろそろ終わりにしなければ。
宇宙によって生かされている「自分」。
その完璧さを信じなければ。
信じられなくても、そんな自分を許さなければ
まあ、許せなくても・・・OK!
だって、ここにいるんだから!