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トンネル

 自我というトンネル構造の中でもがきながら
 前方にだけ光を求めておののいている時
 あらゆるところに満ち渡る光が
 わからない

 ただただあやしくゆらめく光のごときものを
 見て進む
 
 あの光の中に本当に
 出れるのだろうかと
 疑いながら

 あの光の中に出られたとしても
 すぐに又トンネルに入ってしまうんじゃないかと
 目印の光すらも疑いながら
 
 みんなトンネルの中にいるのなら
 世界がおかしくなっても当然のこと
 トンネルの中は愛を語る場所ではなく
 しゃにむに前に進む場所だから
 他の事なんて構っちゃいられない

 でも
 本当はそうじゃないってわかっている

 みんな 
 出れるか出れないかわからない
 トンネルにいるんじゃない
 あの光の中に出られないなんてことはない
 このトンネルはすべて幻想

 焦らないで 怖がらないで
 すべてをゆだねていたい
 
 太陽の愛によって
 すべてが生かされている朝を
 見ていたい




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未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/04/28 10:02

こんなにも自由なグル

 サイババの写真を見るといい感じだが、本を読むとマーヤになる。

 しかし・・・

 すごい事。

 地球上の人間に、神様は時々神自身を知らしめる。

 この世界に存在する宗教は、その本質が様々な形態に現象化したものに過ぎない。

 僕は宗教の表面的相対性ではなく、その背後にある存在の絶対性を堅く信じる。

 神は万人に共通の言葉や方便などないことを知るがゆえに、あらゆるものとなってあらわれる。 

 グルとは、その人を神に目覚めさせる存在。
 
 だから、すべてはグルであり得る。
 そして、真のグルは神しかいない。

 無数に存在する聖者の「現象面」のみに注意すれば、それは神の極小の断片でしかない。しかし、その存在を通じて人が神の全体性に気づくとき、彼らはグルとなるのだろう。

 こんなにも自由に、神様はすべてを用いて、自らを語り続けている!

 



未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/04/25 22:18

錬金術

 神様は錬金術を使い

 僕がもっとも嫌う僕自身を

 神様に出会うきっかけにしてくれた

 だから僕はその自分も許せるようになった

 みっともない、人に言えないような欲望を

 利用して僕をたぐり寄せてくれた

 神の愛はすべてに浸透している

 だから神様が利用できないものなんてない

 あの時の僕よ、そのままでよかったんだよ


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/04/23 22:01

ジャパヨーガの深淵

 リトリート中、ジャパヨーガについてのI先生のお話し。

 ジャパヨーガは普通「オムナムシバヤー」だとか「オムマニパドメフム」などのマントラを使う。
 でもここでは「神様」と言う言葉を使う。
 それは日本に幼い頃から暮らして、日本語を話している人にとって「神様」と言う言葉こそがそれを表しているから。
 誰でも極限状態になったら、「神様」の名を呼ぶようにできている。
 それは神様がそうプログラムしているから。
 「どうにもならない時は私の名前を呼びなさい」と。

 それを大槻教授だってそうだよ。
 サバンナなんかでライオンに追いかけられたら。
 「この言葉だけは使いたくはないんだが・・・」って言いながらも、神様、神様、って言うよ(笑)

 この「神様」って言う言葉を繰り返すことによって、潜在意識をその言葉によって埋め尽くすんだ。そうするといつかそれが、ばんって爆発する。



 神様もそうだけど、そう言えば絶体絶命の人が「おかあさん!」って叫ぶっていうのも・・・よく聞く。どちらにしても、自分の存在のルーツとなるような大きな存在、包み込むような存在に呼びかけるということか。

 僕が神様に最初に祈ったのは、ちょっと困った女の子を好きになって、その子に失恋した時だった。
 命の危機こそなかったものの、心がぐしゃぐしゃになり何かにすがらねば耐えられないような心境だったので「神様、助けてください」と何度も何度も繰り返していると、眼球だけがぐるぐると回り始めた。

 次は、面白半分にケミカルドラッグを使い、量を間違えて普通飲む二倍を飲み込んでしまった時。
 その時は、数十秒ごとに圧倒的な死の恐怖が何度も襲い掛かってくるという状態になった。自分が死ぬという確信だけがふくれあがり、救急車を呼ぼうと携帯を持って外に飛び出した。が、徐々に落ち着き部屋に戻るとまたその恐怖が押し寄せてくる。薬の効き目が切れるのを待つしかないが時計は遅々として進まない。自分のこころなのに、暴れ狂う自分のこころをどうにもできないという絶望感。その時も「神様助けてください、助けてもらえたらこの体をあなたに捧げます」と祈った。

 今それらのリアリティを想い出してみると、すべてがけっぷち的状況であるが、「神様」という言葉は今のこの比較的平穏な状態から、すべて親しいものが消滅する死のリアリティ、それらの地獄的状態までも貫き通して存在しているなあという感じがする。

 ていうか、がけっぷちでは自動的にジャパヨーガしちゃうんですね。なんともすごい・・・。

 だから、「神様」という言葉を唱えるときは、何もそれらの痛い経験を思い出す必要ははないだろうが、人間の意識にそれくらい深くしみこんでいる言葉を唱えているということは想い出していたいと思う。




修道会日誌 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2007/04/23 21:33

変な夢

 僕のエゴはまるで海賊みたいなカッコをしてる 

 海賊みたいなかっこをしてるので

 財宝を持ってそうに見える

 しかし・・・真の宝は持たない


HookImage03-200.jpg

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/04/22 19:25

ベタですが

 ハイになるまで走り続け

 息を切らせたまま 草の上に体を投げ出す

 目に映るのは 薄明るく照らしだされた 曇った夜空

 僕の目すべてが空になり その他のものは何も映さない

 空のほかには何もない 上か下かもわからない

 縦か横かもわからない

 自然と笑い出したくなる

 体を無限に優しく支える 生の地球

 少しチクチクする芝生の感触

地球と言う磁石に貼り付けにされたまま

 宇宙を見下ろす感覚

 こんなものが欲しいんじゃないだろうか?

 こんなものが足りないんじゃないだろうか?

 神様、僕らをほんの少しだけまともにしてください。

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/04/21 22:18

いのちだけが

 『陰は必ず陽の時を持ち

  陽は必ず陰の時を持つ

  変わらぬものはこの世にはない

  誰が知ろうこの世の移ろいの成り行きを

  ただいのちだけが

  いのちを楽しんで

  つきることがない
』 絶対無の戯れ


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/04/20 11:12

細胞

  『絶対無限の宇宙を越えて、

  ただ一人とも言えない

  私自身がある。

  あらゆる人間達は

  その無限人間の、

  ただ一人のその無限人間の中の

  ちっぽけな、ちっぽけな細胞にすぎない
。』
 
           ニルヴァーナのプロセスとテクニック

 


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/04/20 11:04

亀裂

 生きてる事を当たり前だと思ったら大間違いだ。

 なんとなく過ぎていく日常は

 突然変わり果てる可能性を秘めている。

 その亀裂に触れたときに、僕らのこころは試される。

 信仰は、遊びではない。
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/04/19 21:41

リト帰る

 とても濃くて、充実した、二泊三日のセッションだった。

 天気予報は雨だったにも関わらず、清里はずっとほとんど雲ひとつないような晴天。夜には星がすごかった。

 そんな空の下での祝福に満ちた時が過ぎ、東京に帰ってくると空はどんよりと曇っていて、満員電車の息苦しさはいつもどおりだった。

 でもここにも神の恩寵があり、きっとすべてはあるべきように動いている。だからここでの生活で経験することもすべて与えられたものとして、感謝できますように。

 I先生、リトでご一緒させていただいたみなさん、本当にありがとうございます!



修道会日誌 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2007/04/16 20:30

リトリート

 明日から山梨の清里で2泊3日のリトリートに参加してくる。

 リトリートは修道会とはまた違い、すごいらしい。

 が、あまり過剰な期待はせずに、流れに身を委ねて行きたい。

 最近、自分がどういう方向へ導かれてきたかということがつながった。

 キノコやサボテンを食べた時の経験も、セラピーを受けたりすることで学んだことも、I先生の教えの核も、信愛ということを指し示していた。

 すべての経験が、そこに集約されていた。
 僕はバクティヨーガを学んできたのだと思う。
 
 ラリっているとき一人で「そうか!わかったぞ、自分にエネルギーが足りない理由は愛が足りないからだ!」と呟いていた。

 が、その愛とは何か?どうすればいいのかは真剣に考えてなかった。

 それは誰かからもらうものではなく、自分から、自分を越えたものへと差し出すような、捧げるようなそんなエネルギーの流れではなかったかと思う。

 自分を守ろうと、すればするほど、エネルギーは低下していくことがある。人の生命力が完全に開花するのは、大きな命に向かって、そこに自己を捧げている時ではないだろうか。

 と、そんな風に今は思う。

修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/04/12 21:27

誰が悪いんだっけ?

 あれ。

 誰が悪いんだっけ?

 僕が悪いんだっけ?

 あいつらが悪いんだっけ?

 社会が悪いんだっけ?

 この物質主義文明が悪いんだっけ?

 僕のトラウマが悪いんだっけ? 

 親が悪いんだっけ?

 マスコミが悪いんだっけ?

 誰も何もしてないよ。

 たったひとつの流れがあるだけ。

 たったひとつの流れがあるだけ。

 じゃあええと・・・

 誰も悪くないんだっけ?



 
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/04/10 21:28

 この世は神様のかくれんぼうの舞台
 僕はおろかな鬼だから
 神様はいろいろな場所に足跡を
 残してくれた
 やがて僕がゲームのことも忘れてしまうと
 彼は草むらから僕に石を投げた
 
 僕は叫んだ。

 「痛い!誰だ!こんなことする奴はっっ!」
 
 振り返ると、草むらががさがさ揺れていた・・・。


 あなたによって与えられた
 僕の人生
 僕の経験
 喜び、孤独、人には言えない想い
 僕がそれを通して何を学ぶのか
 あなたは確かに知っていた

 僕は僕の悩みゆえに
 あなたに目を向けることが出来ました
 あなたによって与えられた
 悩みゆえに
 
 憎むべき僕の不幸と思われたもの
 それはあなたからの愛でした 

 すべてあなたによって与えられた
 みこころの場だから
 すべてを限りなく尊び
 愛せますように

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/04/05 11:43

笑笑笑

 神様はひげを生やしたおじいさんではなく

 もっともみずみずしい生命力ではないか

 神様は古びた神話や経典で語られる曖昧な存在ではなく

 もっとも生々しい力ではないか

 猥雑なほどに満ち渡るエネルギーではないか?
 
 会社に行く途中、

 空から白いペンキみたいな鳥の糞が服に落ちてきました。

 僕はそれを、トイレでごしごし洗い流しました。

 HAVE A BREAKE!

 
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/04/02 22:47

愛とは、死

 愛とは死。。。

 それは、すべてを委ね、捧げきることであるため

 小さな自己の死である。

 と同時に永遠の命としてのよみがえりでもある。

 愛とは生。。。

 愛は永遠の命の全体性。。。。

 愛なしでは、真に生きられない


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/04/02 22:41

捧げること、委ねること

 悟りたいならば、神を愛すること

 愛することは、捧げること、委ねること

 見返りを求めないこと

 悟りへの欲望を越えていくこと

 愛の中心へと誘われれば

 愛すること自体が報いとなる

 愛するものと愛されるものがひとつになる時・・・

 神のみこころのままに(なぜならあなたを愛しているから)


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/04/01 10:48
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