2007. 05. 30  
 帰宅して、ポストを開けるとダンテス・ダイジ肉声テープ第二弾がばさっっと飛び出してきた。

 すごい・・・生命力に満ちている。。。(笑)

 今回の講話タイトルは、以下のような感じ。

 ☆シャカのさとり、オーム念唱、超能力
 ☆ダイジ日想観
 ☆みんな神だった
 ☆究極講座
 ☆自我と直面せよ、悟りとは
 ☆世界はいつもパーフェクト
 ☆転生
 ☆転生2
 ☆道場

 「転生」を少し聞かせていただきましたが、ありきたりな転生論ではない深いものでした。感謝×∞。

2007. 05. 26  
 命よ

 最初にあなただけがありました。

 最後にあなただけがあることでしょう。

 あなただけしかないことを忘れてしまった 

 「私」というマーヤは、あなたに還ることを恐れます。

 水面に浮かぶすべての泡が、はじけて消えるのを恐れています

 無限の海が故郷であることを忘れて 

 神様、あなただけが真実です。

 
2007. 05. 26  
 突然、訳の分からない嵐のようなマーヤ

 なぜなったのかもわからない

 ただただ翻弄されるのみ

 と、思えば

 突然、来る祝福

 意味がよくわからない

 が笑い出す 

 ただただ酔うだけ

 



2007. 05. 24  


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いやー今日も暑かった。。。



2007. 05. 22  
 個人情報保護の研修。
 
 人間の講師がしてると思うと気が滅入ってくるが

 神様がしてると思うと、ジョークに聴こえる。

 何を保護するんだろう??

 ・・・っていうくらいの態度で社会生活はいいような気がした。



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ラーマクリシュナ・パラマハンサ
2007. 05. 21  
 僕らは神に庭にいる・・・それが、すべての人が心のどこかで感じている直観ではないだろうか。

 神の庭などと書くと、とてと違和感を感じる人もいるかもしれないけれど・・・。

 ただ単純な事実として、自然の中を歩いていると色々な種類の生き物がいて、美しい花が咲いている。
 それを作ったのは人間ではない。

 それらが創造主の意志によりクリエイトされたのか、あるいは気の遠くなるような年月をかけて偶然と自然淘汰により今ある形態に進化してきたのかという疑問は、とりあえず置いておいてもいい。

 それを作ったのは人間ではないという事実は変わらない。
 様々な姿となって現れているのは、紛れもなくこの宇宙自体の表現形だ。

 現在の世界は、生命を人間のコントロール下に置こうとするあまり、生命に対する畏敬の念、尊重の気持ちを忘れてきてしまった。
 まるで生命を人間が創造できるような気分でいる。
 しかし、それは決して人が出来ないことだ。

 もともと生命に対する畏敬の念は、僕らの意志を越えた何かにより創造された生命を感じることから来ているのではないだろうか。
 
 もしも、真に生命への畏敬の気持ちを取り戻すならば、その時、人は神様への愛も取り戻すのではないかと思う。
 あるいは神様への愛を取り戻すことで、生命への畏敬の念も取り戻すだろう。

 僕らの意志を越えた、知性を、愛を、意識をおぼろげながら実感する時、僕らの歩く世界は神の庭となる。



 サット・チット・アーナンダ

 缶ジュースにむらがるアリの行列





2007. 05. 18  
 神が使い手、私は道具。・・・これを覚らぬあいだは何度も何度も戻ってこなくてはならない。つまり、生まれかわらなくてはならないのだ。
 「あの御方だけが行為者である」ことを覚ったならば、もう再生はしない。
 「私」と「私のもの」が真実(実在)をおおいかくしているのだ。


                ※

 ヴェーダーンタに一つ、いい説明がある。鍋で、まぜご飯をつくる。じゃがいもや茄子も米にまぜてある。火が通ってくると、いも、茄子、米は鍋のなかではね上がる。すると、そいつらはウヌボレて、「私は動いている!私はとび上がっている!」と思う。

 小さい子供はそれを見て、いもや茄子は生きているからあんなふうにとび上がっているんだ、と思う。いくらか成長して知恵がついてくると、いもや茄子は生きているんじゃない、自分でとび上がっているんじゃない、鍋の下に火が燃えているから、あんなふうに動くのだ、燃えている薪をとってしまえばもう動かないのだ、ということがわかってくる。

 人間の「私が行動者だ」というウヌボレは、無智から生ずる。神様の御力で、あらゆるものに力があるのだ。もえている薪をとり去ってしまえば、何もかも黙る。
 あやつり人形は、人形師の手にあやつられてみごとに踊っているが、手から放れると、もう動きも進みもしない!

 神様に会わぬうちは、あの智恵の宝玉にさわらぬうちは、自分が行動者だと錯覚して、オレが私がといって、うろつきまわっているんだよ。そして、「私は善いことをしている」、「私は悪いことをしている」というような、差別の感じがするのだ。

 この差別の感じが、つまり、あの御方のマーヤ(創造現象)で、マーヤの世界で暮らすために、あの御方から与えられたものなんだ。


              ※
 

「大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉」より















2007. 05. 15  
 神のみこころのままに、とは個人的な期待を放棄して

 すべてを投げ出すこと。

 神に触れる喜びも含め、一切の期待・予測を捨て去ること。

 そして与えられたものがなんであれ、感謝すること。

 期待と予測は過去からのもの。

 こころが全く新しいもので満たされるのを妨げてしまう。

 汝、ゆきて愛せ、地上のなにものにも頼ることなく・・・




2007. 05. 13  
 『愛は人間の中の一つの感情などではない。愛は、この宇宙そのものの根源なのだ。』 ニルヴァーナのプロセスとテクニック

 愛。

 宇宙の愛。

 宇宙の愛は、いつもと同じ毎日を喜びで満たす。

 緑の匂い、水の音、真っ赤な夕陽。

 愛。

 宇宙の愛。

 純金のマーヤ。

 消しゴムのように僕の心を真っ白にし

 子供のときのような夕暮れを見せてくれる。

 宇宙の母の前で

 子供に戻る。

 バカになる。

 幸せになる。
2007. 05. 11  
 『まことに、まことに汝らに告げる

 汝らを産みしものなる神に その愛のすべてを捧げよ。

 次にすべての隣人たちにその愛を捧げよ。

 君たちはよく思う。神に愛を捧げたら他のものが台無しになるんじゃないかと。そして他のもの全部を台無しにしている。

 神って何?すべてだ。

 君たちがすべてに愛を捧げたら、君たちの当たり前の人生が台無しになるんじゃないかといつも怯えている。

 が、そうじゃない。

 君たちを産んだものが、まず第一にある。

 君たちの心臓を動かし、君たちの頭に様々な妄想を感じさせ、君たちの感覚を働かせている、そのものがまず第一にある。

 それはいいといっても悪いと言っても始まらない。

 あるんだ!

 そして、その愛がすべてになれば、他の事は全部整っていく。

 夫婦関係だろうと、セックスだろうと、必要なだけの金だろうと、必要なだけの地位だろうと、必要なだけの安心だろうと・・・。

 ところが君たちは、まず最初に外側のごちゃごちゃしたものを一生懸命つかもうとする。そんなことしていたら永遠の時間があったって、そこに行き着くことなんか決してないよ
。』

ダンテス・ダイジ 1980年 青梅での講話より














2007. 05. 11  
 いつも変化のない毎日に見えても、毎日何かが行われている

 そして僕はその中で演じる役割を持ち、なにかに尽力することを求められている。

 それは「使命」なんていう大げさなものではないかもしれない。こころをオープンにしていることで見つかる、ほんの小さな何かかもしれない。

 だから意味のない一日なんてない。

 でも意味のない一日という意味を一日に押し付けたら、ささやかな意味を見つけることはできなくなる。

 先入観があると、大切なサインが見えなくなる。

 だから、しっかりと目を開いて、意識を研ぎ澄ませて、何が行われているかを確かめていたい。

 とても、とても尊い何かが、行われている。
 
2007. 05. 06  
 リトリート以後、喜びの核が胸の中にあるような感じがする。
 もちろん生きて生活して行く中でマーヤになることは多々あるけど、一人静かに座ると、その核が鼻歌を歌い始める。
 気付くと、とても幸せになっている。
 その幸せがマーヤに変わっても、まあいいか・・・今はマーヤなんですね・・・と、満更でもない。
 今は、ただ単に、マーヤなだけだから。




 I先生にそのことを報告すると、にこにこしながら喜んでくれた。

 他に参加者の中でクンダリニーがあがって、何をみても涙が出てしまうような状態になった方もいらっしゃるということだった。

 今回のリトリートの開始直後、僕は人へのパラノイアや疎外感が内側で爆発し、家に帰ってしまいたくなった。 
 先生によると、自分の想念で自爆する傾向があるのに加え、人からのエネルギーあたりをしやすいタイプであるということだった。
 でも、その場に流れている愛や、他の方の心遣いで随分違和感なく過ごすことが出来るようになった。
 それは自分の意志ではなく、なにか大きな力が、僕をそのなかへ取り込んでいくようなそんな感覚だった。
 すべて与えられたものだった。

 今日はその延長で、自分の中の人に対するとげとげしい感情について話してみた。

 「一人、部屋の中にいていい感じになっていても、外に出てたくさん人が歩いてるのを見るとそれだけでいらいらしてきてしまうことがあるんですよね・・・。その愛を感じられないということが、なんか嫌で・・」

 「それは人を見ると、その人間の毒の部分とつながってしまうから。そういう時は赤ん坊だとか子供を探すといいよ。
 俺はいろんな人に笑いかけたいけど、危ない人だと思われるから我慢している時があるんだ。そういう時には、子供を探すの。子供にだったら思い切りにこにこしても、ああ子供好きな人なんだって周りは思うだけだからね~。」

 「見るだけで、エネルギー的につながってしまうということはあるんですか?」

 「ある、ある!この話しは前に言ったっけ?電車に乗ってる時にさ、隣の女の人からものすごい『悲しみ』が伝わってきたの。失恋したて、みたいな。それに耐えれず別のほうを見ると酔っ払ったオヤジがいて、体中がボロボロだっていうことがわかっちゃった。どっちむいてもそんな感じなわけ、その時女の子のポケットからぬいぐるみの熊の顔が出てるのを見つけて、あ、これだ!と思ってずっとそれを見つめてたんだよ(笑)」

 「人を愛そうとする必要はないよ。それはあふれてくるものだから。俺はM君を愛そうとしてるんじゃなくて、こうやっていると愛が上から降りてくるんだ。(胸を指して)ここから・・出てくる訳じゃなくてね。」

 「瞑想というものも、瞑想しようとしている限り、それは瞑想ではない。その人が瞑想そのものになるとすべてが瞑想になる。でもそこに至るまでには色々な練習としての瞑想が必要な場合もある。
 サイババの本なんかには人を愛し、奉仕しなさいってよく書いてあるけど・・・ちょうどそれは方便としての瞑想と似ている。」

 「M君にとっては、そういう対人的なことが神へ向かうきっかけになっている。ひとりでこもる性質があるというのは探求の絶対必要条件だよ。社会に目を向けていると、それは欠点に思えてしまうけどね。その辛さは神に向かうことへの代償みたいなものだよ。」 




 一般的な常識から言うと、僕、部屋で神様のことを考えているのがとてもHAPPY!というとかなり危ない部類に属するのかもしれないが、現在の一般的な常識は真理から転倒している。
 そしてセラピストも多くその常識に染まっているので、そういう人は僕を治したがる(笑)
 I先生が、いろんな人に笑いかけたいのに我慢しなければならないというのも、よく考えればかなりおかしな社会だと言えるだろう。
 それと同じように、特に人を愛そうとしなくても、神様のことだけ考えてればいいというアドバイスは一見カルトチックに聞こえるかもしれないが、実はこの世界の隠れた常識なのかもしれない。 
 というのも、経験上、神様がいつも心にある時のほうが、他者に意識過剰にならず自然と振舞えている気がしてならないからだ。


2007. 05. 03  
 どんなに醜く裂けた亀裂も

 どんなに深く開けた闇も

 僕を傷つけることではなく

 愛を意図している

 美しい花にただみとれるだけで

 バラの花にある棘に刺されたことがなければ

 バラと言う全体を理解できないから

 匂いを嗅いで 色と形を愛でて

 棘に刺された時 初めて

 バラの花をすべて抱きしめたことになる

 だから僕らは越えていく

 何度も 何度も越えていく

 神様の愛に助けられて

 
 「庭に行って、とげを踏んだ時、ありがとうと言うのを決して忘れないように。とげは痛いかもしれない。しかし、それはあなたがバラ水を与えられたのと同じように、あなたに与えられたものなのです。」
              ラストバリアより




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2007. 05. 02  
 みんな、ひとつのなかにいる

 みんな、ひとつのなかでつながっている

 ひとつはひとつの意志を持っていて

 それは「みこころ」と言うらしい

 その意志のままに

 みんなそれぞれの役割を持ち

 ひとつに呼ばれて

 ひとつより生まれ来た
  
 僕のひとつと あなたのひとつは

 きっと同じひとつ 


プロフィール

はいたか鳥

  • Author:はいたか鳥
  •  Only in silence the word,
     only in dark the light,
     only in dying life :
     bright the hawk's flight on the empty sky


     ことばは沈黙に
    光は闇に
    生は死の中にこそあるものなれ
    飛翔せるタカの
    虚空にこそ輝けるごとくに

    ゲド戦記 エアの創造より


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      haitakarainbow@ のあとに gmail.com をつけてお送りください。

      よろしくお願いいたしま~す☆

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