2007. 07. 26  
 神を知った人の笑顔は金太郎飴のように

 どこを切っても笑ってるように見える

 その飴は長く、長く宇宙を伸びて

 神へと連なる
 
 飴に見えたのは 
 
 それは神様の長い指だったのだろうか・・・?




2007. 07. 26  
 愛を、よろこびを、笑いを求めるのは人として当然のこと

 それは既にハートの中に内蔵されている

 なにかのきかっけでそれが弾け、火花が散ると

 僕はそれを幸福と呼ぶ

 そして、その火花を求めて外側を探しまわる

 だが対象のない幸福が存在し

 僕はむしろ、それを求めているのではないか

 いつも変わることなく

 愛であり よろこびであり 笑いである自分を発見したがっている
 
 そしてその幸福にはいかなる理由もない

 いかなる理由もないから 流れ出すことができる

 いかなる理由もないから 本当に分かちあうことができる

 春の公園で咲いてた花と
 雨の夜に 閉鎖されたガソリンスタンドの隅で咲いてた
 タンポポの花が

 どちらも 
 同じよろこびであり 同じ笑い声であるように
 
 僕はそんな場所でも笑っている神様に驚いていた




2007. 07. 23  
 なぜだ?
 なぜなんだ?

 と僕らは問う

 なぜこんなことになったんだ

 因果と言う固定観念の中で

 果の孤島に立って
 因を探し続ける

 答えを欲するのは
 今回は、なにかわけがわからないものが
 因となりこんな感じになってしまったが
 次回は自分が因となりて
 うまくやりたいという欲求の現れだろうか

 コントロールしたい

 なぜと問う子は頭が良い
 なぜと?言う気持ちを大切にと
 学校の先生は言った

 でも、なぜ?をどっかにやりたい時
 どうすればいいのかは
 教えてくれなかった

 なぜだよ先生?

 本当の答えは
 なぜ?の世界にはない

 なぜ?と問い続ける自分が
 休んだときに見えてくる世界もある

 原因を探さずに、この流れに溶ける

 因果と言うメカニズムを越えた
 愛がそこにある・・・かも

 因果因果因果因果因果・・・・
 ・・・・・果因果因果因果因果因
 
2007. 07. 19  
 
 悪魔と天使がいたり

 悪魔と天使は実は仲良しだったっり

 天使は悪魔みたいなことをしたり

 悪魔は天使みたいなことをしたりするかもしれないけど

 そういったごちゃごちゃの上に、神様はいつも笑っている


 深遠なる現実

 裏の裏の裏

 恐るべき野望を操るもっと恐るべき陰謀 

 の裏には

 神様が枝豆を食べながらビールを飲んでいる

 
 あれがもしかしたら実はこうであっても

 あの人がもしかしたらわたしのことを嫌っていても

 真っ白が実は真っ黒であっても

 
 それはそれとしてあり続ける

 信じていた現実が壊れゆき
 現実の迷路に迷ったとき
 絶対を見上げることを忘れずにいたい

 
 いつも変わらない青い空
 と太陽が笑う
 から
 僕も笑う






 
 
2007. 07. 16  
 命の核よ

 一本の樹の中心にあるものを、教えてください

 僕が全存在の核においてあなたを愛するとき

 僕が全存在の核においてあなたを賛美するとき

 それはあなたの不可思議な意志次第

 心の奥にどうしても乾いてるところがある
 心の奥に黙して語らないところがある
 陰気な深海魚のように黙り込み

 ここには なにもない と言う

 僕はそこで
 千の目を持つ鯨を待っている
 それは決して来ないだろうと、思いながら
 
 僕の全存在の核を笑わせ
 僕の全存在の核を泣かせ
 この生を現実にするのは
 あなたのみ  

 核であるあなた自身のみ
 
 だからこの闇にはそういう意味がある
 私の核は、私のものではないと言う意味が
 ただそれだけの意味が

 そして
 暗かった土の中に、種があります
 何も見えなかった海底で、何かが動いています

 絶対の絶対は、絶対より
 現実を現実とするは、現実自体



2007. 07. 12  
 僕が生きてるのではなく

 この命は

 神によって生きられている

 
 命の源から流れ出した 水

 よどんだところも澄んだところもあるけど

 それはひとつの意識の海

 
 もっともっと多くの太陽を映そう
 
 


2007. 07. 09  
 神様のやり方には時々ものすごいものがあるので

 善・悪や常識に縛られすぎていると、ついて行けなくなる

 すると

 みこころが見えなくなってしまう

 神の御旨見えれば/人生肯定

 神の御旨見えねば/人生否定

 それもみこころ?



2007. 07. 07  
 『死の恐怖。タナトスに対する反射。だがいったいこのタナトスとは正確にはどんな性質のものなのだろうか?究極的にそれが意味するものは何なのだろうか?おそらく次のような形で単純な答えを出すことができよう。

 われわれは、根本的に分離した実体などどこにも存在しないこと、主体と客体の境界が究極的に幻想であることを見た。
 そのため、主体と客体、自己と他者との境界は、刻一刻絶え間なく再創造されなければならない。それが最初から実在しないという単純な理由からである。
 同時に、リアリティの単純な力、<全体>の「引力」が、瞬間ごとに、その境界を取り払おうとする。その力がタナトスなのである。
 個人が瞬間ごとにみずからの幻想の境界線を再創造するのと同じように、リアリティは瞬間ごとにそれらを取り払おうと企てるのである。

 これがタナトスであり、その真の意味は超越である。タナトスとは、生命を無機的な物質に還元しようとする力でも、反復的強制でも、恒常的原理でもない。タナトスとは空(シュンニャータ)の力・・・まやかしの境界を超越する力と推進力・・・なのである。ところがその境界を明け渡すことができない自己にとって、それは文字通りの死、肉体的な死の脅威に見えるのだ。』

 ケン・ウィルバー 「アートマン・プロジェクト」





2007. 07. 06  
 いつも、2、3日後にぱーっといらっしゃるようだ。

 笑いが止まらずやばかった。

 マーヤになっても必ずそれは戻ってきてくれるので、やはり信頼あるのみ。
 
 心の本質は「笑い」かな。いや「笑え」だったのか。。。

 踊るのとかもいいです。

 肉体はお母さんらしいので、体を使った表現は女性性の解放に通じるものがる。



2007. 07. 04  
 修道会の日。
 少し早くに家を出て、地元の駅前の喫茶店に入って読書でもしようと思ってたのだが、どうも活字が頭に入って来ず、冷房が効きすぎていて寒いので、あまり長居できなかった。
 少しその辺をぶらぶらしようかと思ったが、人の多さに嫌気がさし、まだ時間は早いけど、開催地まで出かけることに。
 駅まで行くと、中央線が路線の切り替え工事を行っており、そのためか電車が土曜のこの時間にしては異様に混んでいる。頭痛がしてきた。
 それとなぜかすごい眠気が・・・。現地に着くと駅前のドトールに入って、コーヒーを飲むが以前頭は朦朧としている。なんなのだ、一体。会場へ歩いて行く途中、事故ったのか二台の車両と救急車が道路の端に止まっているのを見た。いやー今日は荒れ模様だな。




 「なんか毎回、来るのが結構大変な気がするんですけど」とI先生にこぼす。 

 「うん、そりゃ大変なことなんだよ。それはね鍛えられてるの。神様はそういう悪い現象を通じて、存在を示す。だって宝くじで一億円当たった人とすれ違ったって気づかないでしょ(笑)」

 「それは、神様がやってることなんですが?サタンとかそういうのじゃなくて?」

 「サタンなんてただのコマだよ。本当はいいことしかないの。俺よく言うでしょ?みんなに、調子どうって聞いて、よくないです・・・て言うと、よくないの?いいね~!ってさ(笑)」

 
    インターネットマーヤ、ラマナ

 どういうことをするとマーヤになるか?と尋ねられた。
 思い当たることはたくさんあるが、「長時間ネットサーフィンしたりするとやばいですね」と答えた。
 「特に精神世界系のページを色々見てたりすると・・・」
 「あ、それはヤバイね。それはねわかってない人が書いてるものが多いから、そういうのを読むと引っ張られることがある。俺は最近、ラマナ(マハリシ)の本を読んでもマーヤになるときがある。それは多分ラマナが真我、自分の内なるものを通して、絶対に向かうというアプローチだからだと思う。直接に、神!じゃないから。」
 「先生と、ラマナの個性が違うからなんでしょうか?」
 「うん、そう。」

 しかし、先生はラマナの存在は「感じる」と言っていた。
 修道会がいつも行われる部屋の中には一枚だけ聖者の写真が貼ってあるが、それはラマナの写真だ。あのとても柔和な顔。


       社会生活、比叡山送り 

 他の参加者の方が、社会からどんどんずれていくような気がしてそれが心配だという話しをされていた。

 I先生、答えて曰く

 「社会のことなんて放っておいていいよ。すぐに破綻するからね(笑)
 前なにかのテレビで見たけどね、日本人は欧米人に比べて不安を感じさせる遺伝子の部分がすごく大きいんだってね。だから欧米人のように冒険的な生き方がなかなかできない。どうしてもひとつの会社に入ったらその場所に囚われるし、地域性に執着する。
 
 社会生活に耐えられない時、いざという時逃げ込める場所をどこかひとつ作っておいたほうがいいよ。」

 先生は比叡山につてがあるようで、今まで二人比叡山に紹介してるとのこと。リトリートでも、いざとなったら紹介状書いてあげるからね、と言っていた。
 「寺の生活はいいよ~。飯は食わしてもらえるし、神様のことを勉強してればいいんだからね」
 って・・・・。そんなに楽なものですか??
 うーん僕はへなちょこなので、確実に還俗するであろう・・・。

 ただ、僕の中では、社会、というか都会への違和感がどんどん大きくなってきている。そのリズム、その音、その情報の過剰などがどんどん奇異に感じられてきている。

             
         丸投げ


 「M君に必要なのは本当に丸投げだね。Yさんは丸投げしちゃダメ、これは人によって違うの。
 余計なことを考えないで、なんでも、みこころ、みこころでいいんだよ。」

 「それは自分の中に起こる醜い感情とか思いにたいしてもそれでいいんでしょうか?時々そういうのがいやになることがあるんですが」

 「その醜さと正反対のものは何?
 その醜さと正反対のものは、すごい美しさでしょ。それが見えるよ。マイナスのほうに大きく振れれば、必ずプラスのほうにも振れる。 

 みにくいアヒルの子ってあるでしょ?あれはスーフィーの寓話なんだ。スーフィーの寓話がヨーロッパにわたっていくつも童話になっている。今度から君の事アヒルちゃんって呼ぼうか?」

 「・・・・いや、それは勘弁してください。。。」 


        出口

  神は出口。
  みんなそこを通って、ここに出てきた。
  だからそこを通って、ここから出て行ける。




       するべきこと  


 「神様のことを生活の中心にしようと思ってるんですが、まだ自分のするべきこと、したいことは何かということで葛藤を感じている部分があります。」

 「悟ることだよ。バイトでもなんでもいいから、とにかく食いつないでそれに向かうこと。」

 「でも悟ることを目的とすると、悟りマーヤになります。」

 「うん、それを欲求するんではなく目的とするんだよ。」
 欲求と目的って違うんだろうか・・・・。

 「ここに来てる人は、みんなわかるよ。じゃなきゃここへは来ない。みんなもう、青い実になっている。あとは機が熟せば・・・・。みんな神様に愛されている。」







 頭が飛んでる時間が多いからか、最近、あまり会話の内容を覚えていない。重要なのは、言葉よりも、そこに臨在する「それ」。
 
 熱、エネルギー、生命力。


 帰り道、いまだ中央線の混乱は続いている。

 駅。
 弾丸のように飛び交う、人。
 うわーなんじゃこりゃ。
 あの空間と、この空間の対比。
 クレイジーだが、ちょっと面白くなり、
 笑った。



プロフィール

はいたか鳥

  • Author:はいたか鳥
  •  Only in silence the word,
     only in dark the light,
     only in dying life :
     bright the hawk's flight on the empty sky


     ことばは沈黙に
    光は闇に
    生は死の中にこそあるものなれ
    飛翔せるタカの
    虚空にこそ輝けるごとくに

    ゲド戦記 エアの創造より


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      よろしくお願いいたしま~す☆

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