光明真言。

 瞑想してると、なにか真言の一部分が浮かんできた。

 ネットで調べると光明真言の一部だったようなので、それを唱える事にする。

 飽きない。

 大日如来というのは、『チベット死者の書』で言われるところのクリヤーライト(ダルマカーヤ)と同じだと思う。

 ブラフマン(絶対者)を、光を放射する創造の中心として表象すると、クンダリニーヨーガの中心太陽、クリヤーライト、大日如来、エジプトのイクナトンが信仰したアテン神などになるのだろうか。

 この表象が、よく訴えかけてくる。

 おん あぼきゃ べいろしゃのう
 まかぼだら まに はんどま
 じんばら はらばりたやうん


 
Aten_disk.jpg

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未分類 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2007/08/26 10:51

8月の修道会

  完璧なみこころ

 今回はみこころ(神の意志)とは、思われている以上に完璧なものであるというお話しが出た。

 そのパーフェクトさはI先生によると、「かみそりの刃一枚通らない」ほどのものであるという。それほど精緻を極めたもの。
 
 I先生のところで一番最初に目覚めたAさんは、「全然違うやんけ!」と言ったそうだけど、それは今まで頭で考えていた「みこころ」や神様と、実在とのギャップを目にしたからだという。

 それは細部まで完璧に構成されており、ちょうどその時に床の上に並んでいた湯呑みやタオルの配置ですら必然的なものであるということだった。

 それは完全に創造されている為に、「何回か再放送されていたとしてもおかしくない」くらいのものであるという。

 最近「オーラの泉」なんかでも、よく「すべては必然」という言葉がはやったりしていたが、人のエゴはこの観念を受けいれられるようには作られていないのではないかと思ったりする。

 だからどこかに「偶然」、もしくは「どうでもいい要素」という観念がなければならず、それゆえに細部まで必然的に決定されているという考えには違和感を感じてしまうのではないか。

 人間側の努力は必要だけど、その努力が意図するものも神の意志なくしては成就しない。だから、行為の結果に囚われずやるべきと思ったことを行うというカルマヨーガ的な方向性が生まれる。
 どちらにしろみこころが成就する。

 「俺だってもしかしたら、来週に交通事故で死んじゃうかもしれない。わかんないよ。そうしたら、みんな必死で俺の言ったこと思い出したり、書きとめようとしたりするだろ?(笑)そんな風にして教えが伝わっていくとしたら、それでいいんだよ。」

修道会日誌 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2007/08/20 12:25

 図書館から借りてきた本を、バーミヤンとか喫茶店で読む日々。 


 「私にとって オウムとは何だったのか」早川清代秀
 語弊があるかもしれないが、オウムの人をひきつける力がとてもよくわかる。なぜオウムに入ってしまったのかということ、犯罪を犯してしまったのかということ。そのプロセスがわかり痛々しい。

 「三回死んでわかったこと」川津祐介
 
 俳優さんらしいけど、初めて聞く名前。タイトルに引かれて借りる。
 自伝的なの好きなんだよね~。  
 三回の臨死体験を経て、神様はいらっしゃる!と確信されるまでの過程。こう言っては申し訳ないかもしれないけど、著者の一途だがすごく抜けてるところに激しく好感がもてる。 


 「フィリップ・K・ディック 我が生涯の弁明」

 ディックの体験は謎だ。ディックも神を見ている。
 が、すごく妄想がまざってっるみたいにも見える。
 まあどちらにしろ、「ヴァリス」は現代の神話として確実に後世に残るだろうと思う。
 まあどちらにしろ、ディックという人は好きだ。

 
 「みろくの世 出口王仁三郎の世界」

 『われは空行く鳥なれや はるかに高き雲に乗り

 下界の人がくさぐさの 喜怒哀楽に囚われて

 身振り足振りするさまを われを忘れて眺むなり

 げに面白の人の世や されどもあまりに興にのり

 地上に落つることもがな 御神よわれと共にあれ』


 若き日の王仁三郎が、神の使いと名乗る男に連れられ、高熊山という山の洞窟で修行する前に書き残した文章。
 ダンテス・ダイジが酒場で(ノロかな?)歌ってた歌、この歌詞とほとんど同じ。王仁三郎のウタだったのか・・・


未分類 | コメント(7) | トラックバック(0) | 2007/08/07 22:25

セミ時雨の下

 うちにはクーラーがない。

 近所の公園で昼寝をする。

 風に葉が揺れて 木漏れ日と

 万華鏡的なサイケデリックさ  

 せみ時雨が

 時間を止めている

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未分類 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2007/08/06 20:07

 ダイビング機材は高すぎるとか書いたけど、ヤフオクとかで買ったらいいのかも。10万位するBCが1円スタートで売ってました。が・・・自分の命を預けるものをオークションで買うってのもちょっと不安なところかもしれない。でもまあ、大抵大丈夫じゃないでしょうか。しかし、全部ヤフオクで買いましたよーって言って、フル装備で海洋実習に参加したらすげー嫌がられそう(^O^

  
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/08/03 10:13

水中。

 今朝。

 また無職透明に戻った。
 と言っても一月前に派遣の契約を更新しなかったから。
 前の職場もそうだったが、働けば働くほどコンディションががたがたになり結局リタイヤするパターン。そういう時期か。
 リトリート中にI先生に、「職場の座席表に二日続けて名前がなかったんですよね、神様のイタズラでしょうか」というような質問をした時に、「それは近い未来のことなんじゃない?」と言われたことが頭をよぎる。

 水に浮いたり、潜ったりしてみたくなったので、ダイビングショップがやってるCカード取得コースというのに申し込んでみた。(泳げないのに笑)よく海に潜ったり、泳いでいる夢を見る。夢分析的にいろんな意味で解釈したりもできるのかもしれないが、どんな心理的コンプレックスが原因で見たにしろ、そこで体験する「泳いでいるというリアリティ」は、変わらない。それはかなり気持ちがよいので、いつか現実化してみたくなる。

 海でも、山でもよいのだが、都会のリズムから抜け出して、自然の中に溶けいってできれば長期間暮らしてみたいというような願望が段々強くなってきている。 

 先週、プール実習で、深さ4メートルくらいのプールにもぐらせてもらった。まず、ウェットスーツを着込み、フィンを着け、マスクをつける。この時点で鼻呼吸ができなくなって苦しい。その上に、タンクがセットされたBC(浮力調整する装置)を背負うと、うわぁ~なんて俺は変な格好をしてるんだ!と思う。変態だよ、変態(意味不明)。

 難しいのは、安定した位置と体勢を維持することで、気がつくと浮力がなくなりすぎてプールの底に張り付いてしまってたり、バランスが崩れてとんでもない格好になったりしている。思い通りになんて到底動けない。でも水の中を漂う浮遊感はとても心地よかった。
 
 イルカセラピーってのがあるけど、水の中に完全に沈んで身を委ねるというだけでもセラピー的な効果はあるのではないかと思った。一種の子宮への回帰的な安らぎを無意識が受け取るのかもしれない。
 夜寝る前に、布団で横になっていると、体がまだ水の中に浮いてるみたいだった。これは高いダイビング機材を買ってまで夢中になる人がいるのもわかる気がした。(一式普通に買っても30万くらいはする)

 初めてなので、装備にてこずっている僕を見ながら、「自分の機材を持ってたら毎回そんなに苦労しなくてもいいんですよ(だから早く買えって)」という台詞を繰り返すインストラクターには正直、嫌になったが・・・。

 が、ダイビングではなく、スノーケリングという道もある。
 これは、マスク、フィン、スノーケルの三点セットだけでOK。こっちの方が、より変な格好ではないし、お手軽。
 ダイビングショップはどうしてもその性質上、機材の売込みが激しいので、スノーケリングも楽しいですよ~なんてことはあまり言ってくれないような気がする・・・。
 
 泳いだり、潜ったりするなら、水とか海に対するポリシー・・・というかそういう世界へ人を誘う使命感のようなものを持ってる人の下で潜りたい。(まあ、このご時世そう贅沢ばかりも言ってられないが(^^;)


未分類 | コメント(3) | トラックバック(1) | 2007/08/01 12:47
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