食の変化

 11月の初めに白米を止めて、ほぼ一月くらい玄米を主食に切り替えている。

 玄米って米は米なんだけど、おかずも兼ねているような不思議な感じだ。こくがあるというか、腰があるというか噛み応えがあるので、これだけでも結構食える。

 それと相性の問題で、あまりフライものとか、濃い味のもの、油っこい感じのものとはあまり合わない感じがする。まあ、和食がいいんですね。だから、大根の煮物とか、煮魚とか食のチョイスがすごくシブくなっている。

 肉食の普及は、白米の普及とかなりシンクロしているという話しもある。肉との相性は白米の方がいいだろう。

 一月経って体にもいい影響を感じるが、わかりやすいところしては、お通じのよさが半端じゃこざいません。食物繊維の量が、白米の比ではないかららしいが、便秘がちの方には是非ともお勧めしたいところでございまする。

 なぜ玄米にしたかというと、例年の秋に来る異様なバイオリズムの低下をなんとかしたい一心で、ヨガをしたり、海水温泉に浸かりに行ったり、日光浴をしたりしているがその一環として。

 しかし、食に注意を払うようにというサインが去年から来ていたような気がする。

 去年働いていた職場で隣の席の人が、あり得ないほど偏食で、またダイエットの為に2日野菜ジュースだけとか極端なことをする人だった。
 最初は変わった人がいるもんだな~と人事であったが、なぜ僕が、この人のこういう話しを聴いているのか?ということに意識をフォーカス(みこころ解明)させると、やはり食についてのサインだと感じた。

 今年になってから、吉祥寺にある自然食のレストランに時々行くようになった。

 もんくすふーず 

 http://www4.ocn.ne.jp/~monks/


 いやーここはうまいッス。うますぎて若干凹みます。少し高めですが、体にエネルギーが充填された感じがする。ファミレスとか、ファーストフードの店で食べると、すかすかの感じがするときがあるけどそれと対極に位置する。
 料理と言うのはやっぱり食材+調理する人のこめるエネルギーで決まるのだろうか。
 そう考えればファーストフード系は食材も・・・・だし、込めるエネルギーなんかない。だってファーストじゃなきゃだしね。
 
 そういうところのものは、ホットドッグであっても、ホットドッグではなく、ウィンナーとレタスと、切れ目の入ったパンなのだ。
 材料が一応見た目は組み合わされているけど、統合されていない??
 そして、あのスカスカ感。

 昔はそんなこと思わず食べてたけど、今は妙に気になる。
 
 まあ、あんまし贅沢言っても・・・なのですが、出来るだけ体の喜ぶ声を基準に食べたいものです。


 
P2100280.jpg


モンクの料理

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未分類 | コメント(7) | トラックバック(0) | 2007/11/29 21:50

 僕は昔、よく家に教えを説きにいらっしゃったエ○バの証人のおばあさんからもらった聖書を時々読んでいる。

 エホ○の証人の聖書なので、訳し方がちょっと偏っているそうなのだが、それを念頭に置きつつ今でも使っている。

 最近またよく読むようになった。
 ウソかまことか昔外務省の役人になると、ふたつ必ず勉強しろと言われていたことがあったそうだ。

 ひとつは聖書で、もうひとつは「ユダヤ問題」なのだそうだ。

 ユダヤ教は旧約聖書を聖典のひとつとしているので、このふたつは部分的には重なるだろう。

 ユダヤの人たちの機関は日本でも大きな力を持っている。ナチスのガス室の問題に疑惑を投げかけるような記事を書いた「マルコポーロ」と言う雑誌が廃刊に追い込まれたのは記憶に新しいが、これにはADL、ユダヤ名誉毀損防止連盟という圧力団体が関わっている。

 一応言論の自由が保証されている日本という国において、出版物を廃刊に追い込めるような外国の人たちの組織が存在しているわけである。
 念のために言うと、ADLは秘密組織とかそういうんではない。正々堂々と圧力を行使できる団体だ。

 やり方としては広告主に圧力をかけて、広告を引き上げさせるようだ。スポンサーが全く付かなくなって⇒廃刊。  

 つまり外務省に入った人たちが勉強しろ、と昔言われたのは、これと同じような性質のことが世界中でもっと大規模に行われているということだろう。それを知らなければ、まともに外交なんか出来ないということか。

 日本を含むアジア人は円環的な時間のなかに生きているとよく言われる。が、聖書は、天地が創造されて、イエスが誕生し処刑され、その後イエスの再臨とハルマゲドンが到来し、やがて新しいエルサレムが天から降りてくる・・・という年代記としての側面を持っている。

 そして、日本人には理解しがたいが、キリスト教・ユダヤ教圏にはこの聖書の年代記を、心底真面目に信じていると言う人がものすごくいるのだ。それだけではなく、この年代記を意識的・無意識的双方から実現させようとさえしている。

 欧米の人の精神の支柱にこう言った聖書的世界があるということを知らねば、やはり外交においても、相手の思考パターンがわからないはずだ。
 
 僕は別に外交官になるわけではないが(なれねーって笑)、そういう視点で聖書を読んでみると気付くことも多い。

 平和ボケとも言えるけど、日本人ってすごく平和な世界にすんでるんだなとも思う。だって日本人の精神にはヨハネの黙示録は残酷すぎるからな・・・。 




テレビが写さない真実~金融マトリクスからの覚醒 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/11/28 22:58

客観芸術と主観芸術

 グルジェフが定義したところによると、芸術(ART)には客観芸術と主観芸術が存在する。

 客観芸術とは、宇宙の法則をそのまま体現したようなもので、それらの持つ形態、音、意味などが人の意識を治癒・向上させる類のものである。

 意識を向上させるとはどのようなことか?ということは、同じくグルジェフ用語から考えたい。

 人間の感情中枢には、低次の感情センターと、高次の感情センターのふたつがあるとグルジェフは考える。

 低次の感情センターは常に機能しているが、高次のセンターはほとんど眠っている。低次のセンターは怒り、悲しみ、不安、恐れなどのネガティブな感情で常にエネルギーを消費している。
 低次のセンターにも肯定的パートと否定的パートが存在し、肯定的パートでは「快」と感じられる感情も得られるが、それほどレベルの高いものではない。多分バラエティ番組を見て笑っている時のような「快」だと思う。

 稀に高次の感情センターが機能すると、超越的な愛や、感謝、畏怖など神秘体験に付随するような感情が発生する。客観芸術の役割とは、高次のセンターへの橋渡しであると考えられる。
 「グル」の存在も高次感情センターを機能させる。
 
 高次感情センターと、高次思考センターの活動が、悟りの諸相である「智恵と愛」であると思われる。(グルジェフ流に解釈すれば)

 自然は芸術作品であると言われるが、「客観芸術」と呼ばれるものの原型は自然現象という形で既に存在している。
 自然の形態、音、匂いなどは人のリズムを正常なものに調律し、その中で生かされていることへの感謝を思い出させる可能性がある。

 愛、感謝、創造主への全面的降伏が起りうるのは、そのような状態を介してではないだろうか?
 物質的には非常に質素な暮らしをしながらも、精神性を守りぬいているネイティブアメリカンのような人たちは、常に常に大地とのつながりをもっとも大切にしている。

 確か今年の初めに書いたような気がするが、古代エジプトの文明というのは、失われたアトランティス文明の名残を継承しており、客観芸術の持つ意味を理解していた。ピラミッドやスフィンクスは客観芸術の結晶であると考えられる。これはアンソニー・ウェストの「天空の蛇」に詳しく述べられている。

 芸術の持つ意味は、時代を下るにしたがって次第に個人的色彩を強めてきた。それは「主観芸術」と呼べるものに次第に変化していった。あるいは「主観芸術」のみがアートとみなされるようになった。

 そして現代娯楽作品として製作される多くの映画や、ドラマ、小説はイタズラに低次の感情センターを撹乱して刺激を感じさせるものがあふれている。そして自分が与えられているものへの感謝を生み出すのではなく、自分が与えられていないものを想像の中で補い、それへの欲求を掻き立てるような働きをもしている。

 「客観芸術」は、今・ここにフォーカスさせるものであり、自分が持ち得ない何かを熱望させるのではなく、既に与えられている実存に気付かせる。

 例えば、スーフィーの寓話や、キリストやブッダの生涯の物語は、その言葉は、それが創作であろうとなかろうと、客観芸術であると僕は感じる。
 イエスの生涯で言えば、処女懐胎から始まり、十字架上の死と復活に至るまでいくつものレベルで象徴的に読解するということが可能だ。
 そこに含まれている「意味」は途方もなく大きい。
 それらは史実として学ぶのではなく、内面的に読み解いていくものなのだ。

 「客観芸術」の特質のひとつはその奉仕性にあるのではないだろうか。あたかも太陽や月の様に、それらは惜しみなく光を注ぐがその見返りを求めていない。ピラミッドやスフィンクスも同じように、より偉大なるものへのモニュメントとして製作されたものであり、利益の回収を求めたりしていないのだ。
 「客観芸術」が重んじられる、またはそれが生まれてくる文化的な土壌が存在し、エジプトのモニュメントにはそのような忘れられた精神性が働いているのではないだろうか。

 安直にそれらを「王の権力を誇示するもの」なんて言うのは、我々の時代の発想だろう。それはピラミッドについてではなく、僕らの意識についての表明に過ぎない。

アセンション考 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2007/11/27 13:02

田村珠芳講演

 「まもなく宇宙人が到着します」という本を出版している、田村珠芳さんという人の講演を土曜日に聴きに行った。 

 この本夏くらいから未だに本屋で平積みされているので、結構売れているのだろうか。ぱらぱらと立ち読みをした感じでは、この先地球規模の変動が起った時に宇宙人がたくさん助けに来てくれるので、大丈夫ですよ~という系の本だったように思う。

 僕はあんまり、まもなく宇宙人が到着するとは思わないが、ベンジャミンさんの講演会で質疑応答の時にその名前を耳にして、HPを見ると講演は2000円と言う格安料金だったので行ってみた。

 荒唐無稽な話しがずっと続くのかと思いきや、最初サブプライムショックの話しから始まり、サブプライムローンの破綻で起った損失はこんなものではなく、今後も被害は拡大していくだろうということ。

 株価は今後も、一時的に上昇することはあっても、下がり続けていく。崩壊寸前のドルに代わって、AMERO通貨が発行される。このAMEROというのは、カナダ、アメリカ、メキシコ三国を含む北米経済圏をつくるという構想であり、CNNで報道された。

  http://www.youtube.com/watch?v=H65f3q_Lm9U

 珠芳氏の予測によれば、このAMERO通貨は2008年に発行されるのではないかという。
 2008年は「大芝居」の幕開けの年になるということである。さまざまな異変がいっせいに起り始める。この大芝居は2014年まで続く。

 火山の噴火や、地震、地震による津波、経済の破綻、食料の不足など。食料は5年分くらい備蓄しておいた方がよい。

 ここ2ヶ月ほどトンデモ情報を過食しまくっている僕は、ある程度免疫が出来ており、適当に右から左に聞き流していたが、一緒に来た相方は帰り道青い顔をしていて、気分が悪そうだった。

 しかし、何か差し迫っているというような感覚が僕の中にもある。
 それは、こういう情報にばかり触れているからそんな風に感じるだけかもしれないし、そうであればよいとも思うのだが、日本人が世界中で今起こっている出来事を対岸の火事として悠長に眺めていられない時代がもうすぐ来そうな気がしてならない。

 景気の悪化による格差の拡大や、色々な事件によって平和ボケムードにはかなり亀裂が入っていると思うが、これを完全に砕くようなハンマーがやって来るか、来ないかということだろう。
 知れば知るほど、環境や、経済や、集合的な精神状態が、ある臨界点に向かって加速化しているような印象をぬぐうのは難しい。 
 ネット難民、なんて言葉が普通になってる現実に異様さを感じる。

 これは、ベンジャミン・フルフォード、リチャード・コシミズ、中丸薫さんら世界権力の真相究明派や、

 マヤの暦や、テレンス・マッケナのタイムウェーブ理論、フォトンベルトの存在などを根拠とした、アセンション・フォトンベルト到来派の情報を自分なりに統合した結果そのように感じる。

 最近聞いたダイジの講話テープで、今後避けられない出来事として、「世界の都市に向かって巨大な津波が押し寄せる光景」というのを語っているところがある。 

 珠芳氏の講演の中でも、カリフォルニアの大陸棚が崩落する可能性について話していて、もしそれが起れば日本の海岸線にも30メートルと言う巨大な津波が押し寄せる可能性があると言っていた。

 こういう出来事がハンマーとなって、国内のムードが一気に変わる可能性もないとは言えない。

 1999年に、ノストラダムスの予言をもとに世界の終末が来ると騒がれた。オウム真理教なんかもこの時期に石垣島でセミナーをやったりした。だからあの時期にもなにかに向けて動いていた人はたくさんいた。

 だが今現在、なにかに向けて動いている人の数は、あの時の比ではないような気がする。そしてそのなにかの到来を予感させるような出来事も現象化し始めている。

 共同体を作っている人たちも
 僕はキリパ村しかしらないが、多分日本中にもっとあるだろう。

 田村氏の話によると、全国に地震や災害を止めようとして、ある場所で舞をまったりだとか、石や水を集めたりしているグループがいくつもあるという。だが、田村氏によると、そういうことで一時的に災害を封じ込めると次に発生する時にはためていたパワーが全部一気に放出される可能性があるそうである。

 まあ、こういう話しを聴いたところで出来るのは、神様にお祈りして身を委ねる。自分が出来る仕事をやり続けるということくらいしかないのだが、この時代、マジに食料の備蓄くらいしておいても損はないんじゃないかと思う。何も起んなきゃ笑ってすませばいいことだし。

 「大芝居」が起っても「芝居」だとわかってれば、気持ちもいくらかましになるってものだろう。


アセンション考 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2007/11/26 12:51

覚醒欲

 今日、個人セッションで久しぶりにI先生に会った。

 リトリートで新しく参加した方が何人か、すごい体験をされたという話しを聴いた。

 以前だと、多分置いてきぼりにされたような気分を感じたと思うが最近あまりそうはならない。

 もちろん、最終的には大きな体験をしたいし(最後の手段、死の瞬間というのもある)、最後の納得はそこにしかないと思う。そういう意味では「覚醒欲」は衰えていない。

 春のリトリートで3日間あの空気の中にいたあとは、帰宅してからも自然に胸が熱くなり、理由のないよろこびと感動で涙がにじんでくるような瞬間が多くあった。

 僕のシナリオでは遠からず何かが、ぱーんと弾けるはずであった。しかし、シナリオを書いているのは僕ではないので、いつもシナリオ通りになるとは限らない。

 やがてそういう瞬間の頻度や濃度が薄れていくに連れ、その瞬間にしがみつき、それを「覚醒」にまで高めようと努力していることに気付いた。

 だが求めれば、求めるほど、それは何か最初のものとは違った人工的なものになっていくみたいだった。
 それと同時に、自分の目覚めを求めることが、本当にそれ程重要なことなのかわからなくなってきた。

 語弊があるかもしれないが、僕の目に、自分の行為がただ快感のみを求める運動のように思えてきた。つまりなんというのだろうか・・・「神様、私を気持ちよくさせてください」とそんな風に神様に向かってねだり続けているような気がしてきたのだ。

 ちょうどリトリートから帰って数日後、うちのアパートから10メートルも離れていない交差点で事故があり、人が亡くなった。その事故現場の花束を見た時に、エネルギーがばっと変わった。

 この、ここで突然死んでしまった人の現実と、自分の今の現実を付き合わせたときに、自分が求めている神様ってなんなんだろう??そう思った。

 でも、その後も求め続けることは続いたのだけど、その衝動が一段落した時、横の広がりが見えてきた。

 それは恐ろしくも、愚かしいようなこの世界の現実や、自分自身のリアルな姿や、家族や身近な人への愛情だった。それは自分自身の何かが消えると同時にそこに現れたような気がした。

 そしてそれらすべてを産み出し、演出している神がやはりそこに存在していた。

 「悟りたいと思っている限り、悟れない」というI先生の言葉の意味が最近ようやく少しわかったような気がする。(という悟ったふりをしているわけではありません笑)

師匠との対話 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/11/17 20:54

2007年11月 14日配信

米軍による自作自演テロの危険性が増大している。

株価を見ても、一番出来高の多いのは
12月中旬までに、株価が1万2500円より下がると
儲かるタイプのものです。

株価が今の1万6千円台
からなんと1万2500円ラインより下回っていると予想した
人たちが多数に上る。

ちなみにサブプライム問題は株価が下がるときの口実 隠れ蓑に
しているようです。

自作自演テロをC○Aが実行。JALが恐ろしいほど株を売られている。
JALに何かが起こるのだろうか?

そして空港ビルデイングの経営権を豪州系ファンドが20%
近く占めてしまった。

→解散総選挙になる。



小野寺光一の「政治経済の真実」メールマガジンより

 9・11の真相を描いた『ルース・チェンジ』でも事故の前に、ボーイング社株式のプットオプションが通常の何倍も成立している事実が取り上げられている。このプットオプションとは言ってみれば、株が下がる方に掛けるやり方のようだ。
 そして実際にテロが起り、株は下がった。

 「2001年9月6日。ユナイテッド航空株のプットオプション出来高が3150枚に達した。同社一日平均出来高の4倍を越えている。

  2001年9月7日。ボーイング社株のプットオプションが27294件成立。一日平均出来高の5倍以上。

  9月10日。アメリカン航空株のプットオプションが4516件成立。一日平均出来高のほぼ11倍
。」ルース・チェンジより

 このこと一つとって見ても、NYウォール街の勢力があらかじめ何が起るかを知っている、ということがわかる。とんでもない時代だな・・。

テレビが写さない真実~金融マトリクスからの覚醒 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/11/15 11:28

ダンテス・ダイジ 超宗派的瞑想 序文

 瞑想の窮極において、一切の現象は終息する。時間、空間物質は仮象であり、その本来の無に帰し去る。
 瞑想には自己と世界とのあらゆる対立抗争は存在せず、それゆえいかなる人間的争いも苦悩もない。
 瞑想そのものは、どのような制約限定をも越えた愛と歓喜の広がりであり、そこに、私達は久遠の自由を生き、またあらゆる愛を生きている。
 様々な瞑想行によって私達が純粋に瞑想自体を体得してゆくに従い、私達は、絶対の愛や安心や自由が何であるかを知る。
 瞑想には何ものも存在せず、何もないと認識する自己も存在していない。しかも、瞑想は瞑想自体で久遠の光明を自覚している。
 私達は瞑想においてあらゆる自由を生き、不安と不満とによってエゴイズム的に成り立っている現代物質文明の暴走を否定超克する。
 不安と不満はいかなる物質的繁栄によっても解消することはない。不安と不満との原因である個的自我という妄想から私達は解放されねばならない。その時、私達は無我の限りなきさわやかさを生きる。

 西洋的都市文明の物質的暴走は、不安による逃避的あがきをくり返し、今その終末を向かえている。
 物質は本来私たちの肉体生命を維持するのに必要なだけあればよいのであって、物質が私達に本当の幸福をもたらすことはない。
 農業こそが、もっとも非エゴイズム的な文明形態であり、この現代商工業都市文明が、その物質的暴走ゆえに崩壊したあとに、農業重視の新しい精神文明が起るであろう。農業は、私たちの肉体生命の基礎であり、商工業都市文明には存在しない。
 個的自我という妄想から自由である私達は、欲望と不安とから解放され、もっともあたり前に農業を尊重する。

 私達はあらゆる経験の中で、現実そのものに何の恐れもなく直面し、自我意識という妄想の非存在を確認する。
 坐禅も祈りも、感謝報恩も、現実の絶対性の前に無心になることもすべて、愛と自由の瞑想そのものの自己開示なのである。
 私達は、夢も理想もエセ・ヒューマニズムも、理屈思想もいらない。あるがままの無想無我なる私達は何ものに制約されることもない。
 自己も世界もない世界には平和運動などという欲求不満のヒステリー的暴力も存在せず、ただありのままの平和を私達は生きている。


ダンテス・ダイジ | コメント(12) | トラックバック(0) | 2007/11/13 12:02

 三鷹不動尊のチャーミングな薬師如来。

 このお寺は可愛らしい石仏が多い。

071112_1419~01.jpg


 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

 近ごろ花をもらうことが 多くなった

 花を見ると 疲れがとれる 元気が出る

 花の中には薬師如来様がいらっしゃって

 私の心を治してくださる

 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

 
 

ピルグリム(聖地巡礼) | コメント(4) | トラックバック(0) | 2007/11/12 21:53

 渡邊延朗著 「フォトン・ベルトの謎」

 この本のラスト部分にフォトン・ベルトの接近に備え、自給自足で生活することを目的として都会から移住した人たちが1997年に北海道につくった村が紹介されている。

 キリパ村という名前で、そこに家を建てて定住する人もいれば、市街地のアパートに住み村とに往復をしている人もいるということ。

 早速探してみると、まだあった。

 http://www5.ocn.ne.jp/~cmnty-jm/

 正直、フォトンベルトについては、かなりたたかれているしCIAが流した偽情報なんていう話しもあるので、現時点ではなんとも言えない感じだ。
 だが、時代の空気とはぴったりマッチした話しだと思う。

 フォトン・ベルトのことは置いておくとしても、こう言うコミューンは今後どんどん増えていって欲しいし、多分増えていくと思う。

 まだこの西洋商工業都市文明に適応できない人の行き場所というものが少なすぎる。ライフスタイルが一元化されすぎていて、そこに適応できないともうドロップアウトするしかないのが現状だ。

 結局のところ、現在は農業を行ってもそれはマーケットの一部になるので食料を手に入れるには貨幣を媒介とするしかない。
 ほとんどの人は海外から大量に移入されて来る穀物をスーパーで買って命の糧としている。最近小麦の価格などが高騰しているようだが、万が一何か大きな戦争や災害が起り、輸入がストップすると深刻な食糧不足が起るだろう。
 戦前までは日本人の多くが農家の人間だったが、今ではどんどん減っていく一方だ。
 だから、商業としての農業ではなく、まず自分が生きていくのに必要な食料を、自分の手で作れるという尊厳を回復することはとても大事なことではないだろうか。

 結局それがないから、マーケットへ隷属せざるを得ないのだ。
 
 そして、コミューン型の村と、従来の都市型の文明との選択するチャンスが与えられれば随分うるおいのある社会になるような気がする。

 今年の初めに占い師のマドモアゼル愛という人が書いた、「森と平野に分化定住する時代」という本を読んだが、そこにそのようなビジョンが語られていて、確かに正論だよな~と思った。

 ということでいい村を知ってる方は、教えてください(笑)


アセンション考 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2007/11/11 21:22

疑と信

 疑うこと、物事を鵜呑みにしないことは、知性の条件であると同時に、ある種の病的状態の原因でもある。

 いわゆる「陰謀論」は病気っぽい人を引き付ける牽引力を持っている。と、同時に精神的な病が進行すると、自然発生的に「陰謀論的世界」が出現する。

 なぜなら、基本的に(潜在的に)人は、自分を害する悪なる世界に取り囲まれているという認識を持っているからだ。これは可能性として誰の中にも存在する。が、健康な状態ではこの世界は表面化しない。だから全く気づかない人もいる。

 その根本原因は、自分以外の存在を「異質なもの」として認識する人間の認識の仕方にある。
 「自我」が「自分」と「それ以外のもの」を分割する。
 この「それ以外のもの」は自我にとって認識不可能、コントロール不可であるために(潜在的に)いつも危険をはらんでいるように認識される。100パーセント安全なものはない、というのが自我の言い分だ。

 病的な状態においては、「非自我」がすべて自分を脅かす存在と化す。彼らは潜在的な危険性が、フルに現実化している世界に生きる。

 健康にとっては「信」が重要だ。それも、より大きなもの、自分の人生そのもの、その人生の源そのもの、宇宙そのものへの「信」が鍵となる。

 それは「非自我」の根源を、「善」とするからである。
 目に見える現象がどのようなものであろうと、その現象を支える根本をよきもの、愛自体とするのだ。
 これがあるがゆえに、「自我」は「非自我」に溶け込みたいと思う。「信」がなければ溶け込むという方向性は決して出てこない。
 「自我」は「自我」のまま、「非自我」は危険をはらんだ「非自我」のまま僕らを脅かす存在としてあり続ける。

 どうも僕らは、個々の現実に対しては批判と疑いを、究極に対しては『信』を持って生きざるを得ないような時代にいるようだ。
 これが話しをややこしくしている。

 多くの嘘で塗り固められた現実があるために、それに目を奪われると、究極に対する『信』も忘れてしまう。いくら抜け目なくそして享楽的に生きても、究極への「信」なしには人生は寒々しく、救われない。

 しかし、すべての情報やマスコミが流す価値観を鵜呑みにして生きていたら、ボロボロになってしまう。そして嘘で固められた向こう側に何があるのか知りたいと思うのは自然な欲求であると思う。その為にはやはり、常に問いかけるということ、自主的に思考することが必要になってくる。





 「コクーン」という80年代に作られた映画がある。
 この映画、結構素朴で好きなのだけど・・・・簡単に言うと、UFOで地球にやってきた宇宙人が老人ホームのお年寄りたちを(希望者だけ)病気も死もない自分たちの故郷に連れて行ってくれるというものだ。

 昔、ある人から「もしあなたならコクーンのUFOに乗っていきますか?」と聞かれたことがあって、その時「そりゃ行きますね」と答えたら、「わかってないな~、どこにいてもね~神様の世界なんだよ」とかそんなことを言われて煙に巻かれたような気がしたことがある。(I先生ではない)
   
 が、コクーンのUFOにお年寄りたちが乗るのは、その前に宇宙人たちとの心温まる交流があったからだ。いや~な感じの宇宙人だったらいくらいいとこに連れて行ってやるといっても信じられないだろうし、ついていきたいなんて思わない。

 結局信じるというのは、そのようなところからしか生まれて来ないんだと思う。

知覚、リアリティetc | コメント(1) | トラックバック(0) | 2007/11/08 18:23

デイビッド・ロックフェラー来日

 現在のロックフェラー家の当主デイビッド・ロックフェラーさん(92)が来日し、昨日は天皇陛下との会談を行ったという噂。

 D・ロックフェラーは多くの人が現世界皇帝とみなしている。
 が、裏権力の筆頭なので、メディアは来日しても特に騒がない。

 表参道でサイン会も行い、天皇陛下との面会前にベンジャミンさんとも15分話したらしい。

 本当にこのおじいちゃんが、ツインタワーに飛行機を突っ込ませたのでしょうか。いやーここまで盛り上がってて、事実無根、冤罪!だったらそれはそれでシュールですね。

 小沢代表辞任劇との関連も噂されますが。。


テレビが写さない真実~金融マトリクスからの覚醒 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/11/07 11:06

UAのメッセージ

テレビが写さない真実~金融マトリクスからの覚醒 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2007/11/06 10:28

ベンジャミン古歩道氏セミナー

 11月3日、渋谷でベンジャミンさんのセミナーに参加。

 180名ほど入れる会場だがほとんど満席の盛況だった。

 内容としては、本や過去のセミナーの動画で見たものが多かったが興味深かった。

 全体的な雰囲気としては、楽観的、というか、欧米の権力の中枢部にいる人々の計画が頓挫しつつあるという話しが多かった。

 アロン・ルッソのインタビューにもあるように、当初の計画としては
イラクの次に、イラン、そしてベネズエラやシリアを、またなにかいちゃもんをつけて叩くという予定だったようだがそれを進めることが出来なくなっている。軍部が首脳部の言うことを聴かなくなっている。

 また、口実つくりのため欧米やあるいは日本でなんらかのイスラム系過激派を装ったテロを起こすと言う可能性もあるが、9・11があまりにもバレバレで世界中に波紋が広がっている為、その手段を使うことはないだろうということ。

 古歩道さんの話しではよく出てくるエピソードだが、竹中平蔵氏にインタビューをして様々な疑惑をぶつけたところ、竹中が激しく貧乏ゆすり(ふるえ)を始めて、その翌日、政府の関係者から連絡がありある都内のホテルで「イルミナティ」の幹部と引き合わせられた。

 そこで、組織に入るか、殺されるかという選択を迫られた。
 その翌日に今度は中国の結社から連絡があり、連携するようになったと・・・。欧米権力中枢の人々は大規模な地球の人口削減を計画していて、主にアジア系人種にしか感染しないようなウィルスを開発している。SARSや鳥インフルエンザなどの疫病はそのように半ば人為的に開発されたものだという。
 中国の結社の人間(600万人いるらしい)はそのことに激しく憤りを感じていて、欧米の権力者約一万名のリストも握っているので、今度何かあればひとりづつ暗殺していくことを検討している。

 ・・・・と言う。

 僕はもともと、ベンジャミンさんの人柄からこの人は信用できると判断してセミナーに行ったのだけど、やはり自分の目で見ていないだけに、イルミナティの幹部や中国の秘密結社の人が登場すると話しがにわかには現実感を持って受け入れられないようになってくる。
 
 でも竹中と会って、翌日「イルミナティの幹部と名乗る人物」と会ったというところまでは間違いなく事実だと思う。でも中国の結社というものにどれくらい実体があるのか、欧米の権力構造を瓦解させるほどに力があるのかわからない。

 だいたい、9・11の真相や、中丸薫氏の本から始まって、取り付かれたように「隠された世界の事実」にはまって来たが、もともと政治とか経済とは興味がなく縁遠いタイプなのだ。
 しかし、情報の積み重ねによって、「報道されていること=一般常識」と「実際の現実」との間のあまりのギャップに衝撃を受け、抜け出せなくなってしまった。

 自分のフィールドではないので世情のことにはそれほど関心を持たなくてもいいと思っていたけど、その一方でテレビをなんとなく見て、その情報をほとんど無批判に信じ込んでいた。まさかその背後にこれだけのことが隠されているとは考えなかった。

 そして何が現実なのかはよくわからないが、何がウソであったか、どの程度ウソを教えられてきたかについてはある程度確信を持つに至った。そのショックがいまだに僕にネット徘徊を続けさせている。

 多分、セミナーに来ている人は多かれ少なかれ、その感覚を共有しているのだろう。多くの人が、今まで恣意的に眠らされていたことに気付き始めている。

 今後こういうネットワークは間違いなく拡大していくだろう。
 アメリカの大統領選挙でも、ロン・ポール議員というFRBを解体しようとする意志を持った人が注目を集めている。

 『私はまた 連邦準備制度を廃止する意向です。我々の通貨の価値と公定歩合の数字は大理石の宮殿の中で秘密に会合を持つ少数のパワーエリートによって操られるべきではないのです
              ロン・ポール

 おそらく、ロン・ポールを支持する層には、9・11の疑惑を追及しているようなグループも多く含まれている。なぜなら、ロン・ポールのような議員は9・11やそれに続く不毛な戦争などが起る、根本原因を除去するような政策を提示しているからだ。
 
 古いものが崩れ落ち、新しいものが生まれてくる。
 それは間違いない。まあいつだって常にそうだけど。

 ベンジャミンさんは、ここ30年くらいに古い支配形態が失墜し、封印されていた多くのテクノロジーが表に表れるだろうと言う。 
 その中にはいわゆる、フリーエネルギーも含まれる。現在の世界は石油中心で回っているのでそれにかわる安価な(もしくは無料の)エネルギーというものが出現すると、一番困るのは石油による既得権益の享受者だ。その為、石油以外のエネルギー発生手段が開発されていても様々な手段で封じ込まれている・・・という説はよく囁かれている。そのような技術が公開され、生活は劇的に変わると言うのだ。

 僕にはこれはいくらか夢想的な話しに思える。
 フリーエネルギー、常温の核融合など・・・は開発されていてもおかしくないと思う。そういう意味では、それは夢想的ではない。
 しかし、エネルギーを無尽蔵に取り出したり、遺伝子を操作して何百年も人が生きるようになると言うことが必ずしも幸福であるとは限らない。
 それと古いものが崩れ去るということが、それほどスムーズに起りうるのかどうか・・・と言うこと。
 戦争や、飢餓や、天変地異はないに越したことはないが、変化に混乱はつきものだ。

 古いものがどのように崩れ去るか、どのような新しいものが生まれてくるべきなのかというところに関心が持たれる。
 


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ベンジャミンさんが「イルミナティ」に渡された、欧米秘密結社のバッジ。
ごてごてしてて、実用性に乏しい気もするが。
いやだな~日本の政治家がこんなんつけてたら。
僕もこれつけていたら、ペンタゴンの中に入れるかな(笑)


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講演終了後、サインなどに応じる古歩道さん。
どうもありがとうございました。



テレビが写さない真実~金融マトリクスからの覚醒 | コメント(0) | トラックバック(1) | 2007/11/05 12:59

ふたつの極

 『中世の人間はわれわれの今日の生活を見たら、残虐なとか、恐るべきとか、野蛮なとかいうどころでなく、嫌厭するでしょう。
 各時代、各文化、各風俗、各伝統は、それぞれの様式、それにふさわしいやさしさと厳しさ、美しさと残虐さを持ち、ある種の悩みを自明のものと考え、ある種の災悪を辛抱強く甘受します。

 人間の生活がほんとうの苦悩、地獄となるのは、ふたつの時代とふたつの文化と宗教とが交錯する場合に限るのです。

 古代の人間が中世に生きなければならないとしたら、そのためみじめさに窒息したでしょう。同様に野蛮人がわれわれの文明のただ中に生きるとしたら、窒息するに違いないでしょう。

 さて、一つの世代全体が、二つの時代と二つの生活様式の間にはさまれて、あらゆる自明なことや、風俗や、安全さや無邪気さが失われるような時代があります。 

 ニーチェのような人は、一世代もさきに今日の不幸を苦しまなければなりませんでした。・・・・彼が独りで、理解されずになめつくさなければならなかったことを、今日無数の人が苦しんでいるのです。』

   H・ヘッセ 荒野のおおかみ




アセンション考 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2007/11/01 22:45
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