2008.
03.
28
今、とても楽だ。
また苦しくなるかもしれないし、もっと楽になるかもしれない。
でも、今とても楽だ。
昔、僕は間違った場所へ続く、間違った道を歩いていると思っていた。
間違った場所ってどこだろう?
よくはわからないが、暗く、冷たく、後悔と苦痛を感じる場所だ。
僕は間違いだらけだった。
僕はないものだらけだった。
僕の存在自体がなにかの悪い冗談だった。
ああ、ふつうになりたい。光の当たる場所に出たいと思いつめた。
健康な心身、
前向きな情熱、
打ち解ける親友
ああ、うらやましい。
しかし、いつからだろう?
正しい道を歩いているという感じだけは明確になってきた。
そのままの現実を受け入れる度に
そうあるべきという、僕の中の正しさを捨てるたびに
僕は楽になってきた。
そうあるべきという、僕の中の思い込みを捨て去るたびに
正しい道の上にいるということが、いよいよ明確になってきた。
間違っている道などなく、間違っているという思いがあるだけ。
今、とても楽だ。
また苦しくなるかもしれないし、もっと楽になるかもしれない。
でも、今とても楽だ。
昔、僕は間違った場所へ続く、間違った道を歩いていると思っていた。
間違った場所ってどこだろう?
よくはわからないが、暗く、冷たく、後悔と苦痛を感じる場所だ。
僕は間違いだらけだった。
僕はないものだらけだった。
僕の存在自体がなにかの悪い冗談だった。
ああ、ふつうになりたい。光の当たる場所に出たいと思いつめた。
健康な心身、
前向きな情熱、
打ち解ける親友
ああ、うらやましい。
しかし、いつからだろう?
正しい道を歩いているという感じだけは明確になってきた。
そのままの現実を受け入れる度に
そうあるべきという、僕の中の正しさを捨てるたびに
僕は楽になってきた。
そうあるべきという、僕の中の思い込みを捨て去るたびに
正しい道の上にいるということが、いよいよ明確になってきた。
間違っている道などなく、間違っているという思いがあるだけ。
今、とても楽だ。
2008.
03.
19
去年の1月から月に2,3回だがヴォーカルトレーニングを受けている。
課題曲を決めてそれを2~3ヶ月くらいで練習していくのだが、今は尾崎豊の「MY-SONG」だ。
「ぼく~がぼく~であるために~ 勝ち続けなきゃならな~~い」
というやつ。
音程が自分と合っているので、今までもカラオケとかでは比較的歌いやすい曲だったけど、安全パイかと思いきやダメ出しされまくる。簡単そうに見える曲でも、100パーセント歌い上げるのは難しい。
しかし、ヴォイトレをしてる癖に、音楽はほっとんど聴かない。
2.3年前までは結構聴いていた。
BLANKEY JET CITYとかRapyutaとか透明感があって退廃的なのが好きだった。
尾崎豊もよく聴いていた。
でもいつのまにか音楽をかけなくなった。
音楽をかけると、それはそれでいいのだが、自分のリズムを外側からコントロールされるようで、
そうまでしなくても座って穏やかにしてるほうがなんとなく心地よく感じるようになったからだった。
しかし、最近、せっかく歌の練習をしてるのならちょっと適当なCD借りてきて聴いた方が
よいのではないか、いや聞くべきであるというような変な義務感に急き立てられて、オークションでCDプレイヤーも買い、TSUTAYAからCDをレンタルしてきた。
しかし、このプレイヤー10日もしないうちに壊れちめえやがった。
ということで、音楽はほぼ聴かずカラオケと、教室でだけ歌うという日々に戻った。
幸いこっちの方はまだ止められていない。(セロマジック事件はあったものの)
で、「MY-SONG(僕が僕であるために)」なのだが
本当に「MY-SONG」というものを人は持っているのではないかと思う。
ほとんど、誰も無数の音楽があふれている時代に、歌を歌うときわざわざ自分でつくった歌を歌おうとは思わないだろう。だから誰かがつくったメロディを口ずさむ。
しかし、自分の歌を歌う、というのは自分にしか出来ない。
へんてこで意味不明な自分の歌を歌うという行為は、
無数のすばらしいメロディを聴くことででも置き換えられない。
MY-SONG、自分の歌。
それは洗練された詩とメロディでなくてもいい。
ひとりでに流れてくる言葉と、原始的な声の抑揚だけでもかまわない。
それを発するときに、なにかが変わるのだ。
誰にでもMY-SONGを歌う権利がある。
そして、それは歌だけに限ったことではない。
生命のように変化するMY-WRITINGが出来るようになりたいとも思う。
そう言えば、歌を聴かなくなったように、小説も全然よまなくなった。
☆おまけ☆
CDプレイヤーが壊れる前に、この曲に泣かされた・・・。
ダンデライオン Bump of chicken
さびしがりライオン
つり橋を渡る
サバンナじゃみんなに嫌われた
橋の向こうで出会ったやつは
太陽によく似た姿だった・・・・・
お前は俺が怖くないのか
逃げないでいてくれるのか
吹き抜ける風と共に一度だけ頷いた
涙の理由を知ってるか
俺にはわからないが
濡れた頬の温かさはおそらくお前がくれたんだ・・・(続く)
http://jp.youtube.com/watch?v=oL-4Csgx0Y0(アニメ付き)
課題曲を決めてそれを2~3ヶ月くらいで練習していくのだが、今は尾崎豊の「MY-SONG」だ。
「ぼく~がぼく~であるために~ 勝ち続けなきゃならな~~い」
というやつ。
音程が自分と合っているので、今までもカラオケとかでは比較的歌いやすい曲だったけど、安全パイかと思いきやダメ出しされまくる。簡単そうに見える曲でも、100パーセント歌い上げるのは難しい。
しかし、ヴォイトレをしてる癖に、音楽はほっとんど聴かない。
2.3年前までは結構聴いていた。
BLANKEY JET CITYとかRapyutaとか透明感があって退廃的なのが好きだった。
尾崎豊もよく聴いていた。
でもいつのまにか音楽をかけなくなった。
音楽をかけると、それはそれでいいのだが、自分のリズムを外側からコントロールされるようで、
そうまでしなくても座って穏やかにしてるほうがなんとなく心地よく感じるようになったからだった。
しかし、最近、せっかく歌の練習をしてるのならちょっと適当なCD借りてきて聴いた方が
よいのではないか、いや聞くべきであるというような変な義務感に急き立てられて、オークションでCDプレイヤーも買い、TSUTAYAからCDをレンタルしてきた。
しかし、このプレイヤー10日もしないうちに壊れちめえやがった。
ということで、音楽はほぼ聴かずカラオケと、教室でだけ歌うという日々に戻った。
幸いこっちの方はまだ止められていない。(セロマジック事件はあったものの)
で、「MY-SONG(僕が僕であるために)」なのだが
本当に「MY-SONG」というものを人は持っているのではないかと思う。
ほとんど、誰も無数の音楽があふれている時代に、歌を歌うときわざわざ自分でつくった歌を歌おうとは思わないだろう。だから誰かがつくったメロディを口ずさむ。
しかし、自分の歌を歌う、というのは自分にしか出来ない。
へんてこで意味不明な自分の歌を歌うという行為は、
無数のすばらしいメロディを聴くことででも置き換えられない。
MY-SONG、自分の歌。
それは洗練された詩とメロディでなくてもいい。
ひとりでに流れてくる言葉と、原始的な声の抑揚だけでもかまわない。
それを発するときに、なにかが変わるのだ。
誰にでもMY-SONGを歌う権利がある。
そして、それは歌だけに限ったことではない。
生命のように変化するMY-WRITINGが出来るようになりたいとも思う。
そう言えば、歌を聴かなくなったように、小説も全然よまなくなった。
☆おまけ☆
CDプレイヤーが壊れる前に、この曲に泣かされた・・・。
ダンデライオン Bump of chicken
さびしがりライオン
つり橋を渡る
サバンナじゃみんなに嫌われた
橋の向こうで出会ったやつは
太陽によく似た姿だった・・・・・
お前は俺が怖くないのか
逃げないでいてくれるのか
吹き抜ける風と共に一度だけ頷いた
涙の理由を知ってるか
俺にはわからないが
濡れた頬の温かさはおそらくお前がくれたんだ・・・(続く)
http://jp.youtube.com/watch?v=oL-4Csgx0Y0(アニメ付き)
2008.
03.
19
明日は春分の日だが、明日からいろいろな事が動き出すだろうと予測している人が多い。
↓田村殊芳氏 コスモスレポート↓
円高が進んでいる
しかし、春分の日から本格的な動乱が始まるだろう
隠れていた事も次々と表に出てくる
秋分の日までには多くの金融機関や通貨が悲鳴を上げることになる
そして、秋分の日が過ぎるとオオゲツ姫がお出ましになる
オオゲツ姫は吐した物から食物を作る
人々は喜んでむさぼり食う
しかし、オオゲツ姫の時はすぐに終わりを迎え、
人類は飽食の時代が終わった事を知ることになる
http://yaplog.jp/tamura_shuho/
http://ytaka2011.blog105.fc2.com/
↑こちらには
現在米国をおおっている金融危機は3月20日の春分を過ぎる頃にはさらに深刻な事態に至る。
この変化は、ドル、住宅、クレジットカード、エネルギー・原油などの分野で発生し混乱を助長する。
というような予測が記されている。
どうもアメリカ経済が本格的に崩壊を開始しているようで、日本マスコミはあまり大きく報じないが、WEBの中では周知の事実のようになりつつある。
「ドルの崩壊が近い」 田中宇の国際ニュース解説
http://tanakanews.com/080318dollar.htm
もしも、本格的にドルが崩壊すれば日本もあおりを食って混乱するのだろうけど、これらはすべて古い秩序の終焉を意味している。だからある意味喜ばしいことでもある。
これからアメリカの多くの大手銀行が危機に直面していくだろうが、日本は絶対にこれを救済しようとするべきではない。米連銀が潰れない限り、世界は助からないしアメリカも助からない。
米連銀を牛耳っている一部の貴族の家族群れが、疫病や餓死で大量な人類を殺害することを企んでいる。彼らの石油とドルをベースにした世界経済が人類の進歩を大幅に遅らせた。この石油とドルと戦争マフィアが世界の癌であった。そのマフィア達が倒産しようとしている。これはアメリカを二度と戦争をしない国にし、貧困や環境のために働いてもらう、アメリカを再起動させるための絶好のチャンスです。
一時期の混乱はあるかもしれないが、今まで隠されてきた恐ろしいことも素晴らしいことも公開されるでしょう。
ベンジャミン・フルフォード氏ブログより
/http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/
↓田村殊芳氏 コスモスレポート↓
円高が進んでいる
しかし、春分の日から本格的な動乱が始まるだろう
隠れていた事も次々と表に出てくる
秋分の日までには多くの金融機関や通貨が悲鳴を上げることになる
そして、秋分の日が過ぎるとオオゲツ姫がお出ましになる
オオゲツ姫は吐した物から食物を作る
人々は喜んでむさぼり食う
しかし、オオゲツ姫の時はすぐに終わりを迎え、
人類は飽食の時代が終わった事を知ることになる
http://yaplog.jp/tamura_shuho/
http://ytaka2011.blog105.fc2.com/
↑こちらには
現在米国をおおっている金融危機は3月20日の春分を過ぎる頃にはさらに深刻な事態に至る。
この変化は、ドル、住宅、クレジットカード、エネルギー・原油などの分野で発生し混乱を助長する。
というような予測が記されている。
どうもアメリカ経済が本格的に崩壊を開始しているようで、日本マスコミはあまり大きく報じないが、WEBの中では周知の事実のようになりつつある。
「ドルの崩壊が近い」 田中宇の国際ニュース解説
http://tanakanews.com/080318dollar.htm
もしも、本格的にドルが崩壊すれば日本もあおりを食って混乱するのだろうけど、これらはすべて古い秩序の終焉を意味している。だからある意味喜ばしいことでもある。
これからアメリカの多くの大手銀行が危機に直面していくだろうが、日本は絶対にこれを救済しようとするべきではない。米連銀が潰れない限り、世界は助からないしアメリカも助からない。
米連銀を牛耳っている一部の貴族の家族群れが、疫病や餓死で大量な人類を殺害することを企んでいる。彼らの石油とドルをベースにした世界経済が人類の進歩を大幅に遅らせた。この石油とドルと戦争マフィアが世界の癌であった。そのマフィア達が倒産しようとしている。これはアメリカを二度と戦争をしない国にし、貧困や環境のために働いてもらう、アメリカを再起動させるための絶好のチャンスです。
一時期の混乱はあるかもしれないが、今まで隠されてきた恐ろしいことも素晴らしいことも公開されるでしょう。
ベンジャミン・フルフォード氏ブログより
/http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/
2008.
03.
16
門野晴子著
「学歴なんかぶっとばせ」より
インドのお坊さんになった青年 続き
二月の末日、それは彼がインドに再出発する一週間前であった。
井の頭線・西永福の駅に出迎えてくれた和平君は、先に18歳でたったひとりヒンディー教の修行に旅立った青年とはとても思えない、ごくふつうの青年のたたずまいだ。
めくるめく強烈な陽光の下を黙々と托鉢に歩く青年の姿を、いま目前にいる彼に重ね合わせようとしたが、度の合わない眼鏡のように私にはぼんやりとしていた。
商店街をぬけて静かな住宅地に入るとまもなく、とある古い日本家屋に案内される。けたたましく吠え出した犬も和平くんのひと声でおとなしくなると、線香のふくいくたる香りが漂う玄関は深い静寂に包まれて、そこはもう別世界だった。インドの神秘性を伝える置物などに彩られた和室のこたつに坐ると、確かに和平くんはコーヒーを入れてくれたのだが、ほとんどもの音が立たない不思議さ。静かに瞑想の日々を送る人の青春の軌跡が語られ出したとき、私はひとときとは言え、まったく未知の神の世界へ誘われることになる。
和平くんのユニークな個性に形を与えたのは、小学校の教師たちだった。杉並の効率の小学校ではいろいろな教師がいる中で、彼の担任には個性の強い教師ばかりが当たった。「ぼくはずうっと担任には恵まれてきました」という、うらやましいようなふつうの学校でのフリー教育。
一年生のときの男教師は音楽が得意で、よくアコーディオンやハーモニカを使って皆で歌った。
その一年間で和平くんの音楽性が引き出され、彼の豊かな才能のひとつとなっていま、彼は後述する仲間と民俗音楽のバンドを組む。
二年生から四年生までの担任の女教師は社会科が専門で、和平くんの眼を世界に開かせてくれた。この先生はまた和平くんのお母さんと同郷の北海道・小樽の人で、夏休みなど先生の小樽の家に遊びに行ったという恵まれた偶然性も手伝って、深い影響を受けたのだろう。
五、六年の男教師は国語の先生だったが、教科書を使っての授業はやらずに宮沢賢治を中心にした国語教育で、算数の時間などは自由時間にして外へ遊びに行ったり、教育ママゴンなら目をむきそうなユニークな授業は、和平くんの詩作や文章能力を引き出した。
フランスのフレネ教育のような授業が日本の公立小学校で実践されているとは驚きだった。管理と強制を教育と心得る学校・教師ばかりを転々としてきたわが子を思い、よだれを流さんばかりにして聴いていた私は、学歴社会に背を向けて彼をインドへ旅立たせた最初の疑念はなんだったんだろう、と「現実」に還る。
それは中学の受験教育だった。のびやかに個性を育まれた小学校教育だったからこそ、よけいに中学校の機械的な勉強は彼にはなじまなかったのだろう。中一から受験教育に反発した彼は勉強を放棄し、教師たちは「こいつはバカなんだ」と思い出した。
度外視された子供にもそれぞれ自己の叫びがある。ツッパリも登校拒否も自己主張であり、自殺さえも命をかけた存在証明である。多様な子供の成長欲に対してただひとつの道を強要する受験教育。それに拒絶反応を示す子どもたちを容赦なくひとつの道に追いこむための管理指導。だが、管理と強制を拒んだ子どもだからといって、成長欲(学習権)を放棄したわけではない。さまざまな自己主張での存在証明こそ「人間権」の叫びであろう。
和平くんは班ノートに10頁もの童話を書いて自己の存在を主張した。象と蟻の寓話で人間社会を風刺したそれに教師は驚いたが、一三歳の少年がなぜそれを書いたのかには思いはいかず、こんなに書けるのにちゃんと勉強しなければダメじゃないか、とムチを一本増やしただけだった。
寒々しい思いを噛みしめる和平くんには、しかし避難場所があった。美術室であり、美術の教師である。もうひとつ、読書が好きな少年は中一で図書委員の副委員長、中二から委員長になり、書評座談会の司会などで活躍する。この図書の顧問教師が家庭科のM先生だった。
家庭科の男女共修は中三だけだったが、M先生は生活全般におよぶ理論に力を入れた。つまり、食生活における添加物などの問題や、性教育である。M先生の性教育は「性と生の権利」を肯定していた、という和平くんの話に、私は目を見張った。一般的には性科学は教えても、性病の映画を見せて「こうなるからヤルなよ」と脅す性教育が相場。A中学校では性病については保健体育の時間にやったというから、なるほど脅していないことは確かである。
和平くんは家庭科の男女共修を基礎にはしていないが、その後の彼の生きかたに当てはまる部分が多かった、と言う。このふたりの教師との出会いによって受験教育に押しつぶされることなく、絵画の好きな少年は文化学院高等部の美術科んび進むことになる。
しかし、彼はその高校を中退した。学校から締め出されたわけではないが、彼をつなぎとめるものがもはや学校教育にはなかったのだろう。彼をとりこにする魅力あるものが青年を襲った。
「学歴なんかぶっとばせ」より
インドのお坊さんになった青年 続き
二月の末日、それは彼がインドに再出発する一週間前であった。
井の頭線・西永福の駅に出迎えてくれた和平君は、先に18歳でたったひとりヒンディー教の修行に旅立った青年とはとても思えない、ごくふつうの青年のたたずまいだ。
めくるめく強烈な陽光の下を黙々と托鉢に歩く青年の姿を、いま目前にいる彼に重ね合わせようとしたが、度の合わない眼鏡のように私にはぼんやりとしていた。
商店街をぬけて静かな住宅地に入るとまもなく、とある古い日本家屋に案内される。けたたましく吠え出した犬も和平くんのひと声でおとなしくなると、線香のふくいくたる香りが漂う玄関は深い静寂に包まれて、そこはもう別世界だった。インドの神秘性を伝える置物などに彩られた和室のこたつに坐ると、確かに和平くんはコーヒーを入れてくれたのだが、ほとんどもの音が立たない不思議さ。静かに瞑想の日々を送る人の青春の軌跡が語られ出したとき、私はひとときとは言え、まったく未知の神の世界へ誘われることになる。
和平くんのユニークな個性に形を与えたのは、小学校の教師たちだった。杉並の効率の小学校ではいろいろな教師がいる中で、彼の担任には個性の強い教師ばかりが当たった。「ぼくはずうっと担任には恵まれてきました」という、うらやましいようなふつうの学校でのフリー教育。
一年生のときの男教師は音楽が得意で、よくアコーディオンやハーモニカを使って皆で歌った。
その一年間で和平くんの音楽性が引き出され、彼の豊かな才能のひとつとなっていま、彼は後述する仲間と民俗音楽のバンドを組む。
二年生から四年生までの担任の女教師は社会科が専門で、和平くんの眼を世界に開かせてくれた。この先生はまた和平くんのお母さんと同郷の北海道・小樽の人で、夏休みなど先生の小樽の家に遊びに行ったという恵まれた偶然性も手伝って、深い影響を受けたのだろう。
五、六年の男教師は国語の先生だったが、教科書を使っての授業はやらずに宮沢賢治を中心にした国語教育で、算数の時間などは自由時間にして外へ遊びに行ったり、教育ママゴンなら目をむきそうなユニークな授業は、和平くんの詩作や文章能力を引き出した。
フランスのフレネ教育のような授業が日本の公立小学校で実践されているとは驚きだった。管理と強制を教育と心得る学校・教師ばかりを転々としてきたわが子を思い、よだれを流さんばかりにして聴いていた私は、学歴社会に背を向けて彼をインドへ旅立たせた最初の疑念はなんだったんだろう、と「現実」に還る。
それは中学の受験教育だった。のびやかに個性を育まれた小学校教育だったからこそ、よけいに中学校の機械的な勉強は彼にはなじまなかったのだろう。中一から受験教育に反発した彼は勉強を放棄し、教師たちは「こいつはバカなんだ」と思い出した。
度外視された子供にもそれぞれ自己の叫びがある。ツッパリも登校拒否も自己主張であり、自殺さえも命をかけた存在証明である。多様な子供の成長欲に対してただひとつの道を強要する受験教育。それに拒絶反応を示す子どもたちを容赦なくひとつの道に追いこむための管理指導。だが、管理と強制を拒んだ子どもだからといって、成長欲(学習権)を放棄したわけではない。さまざまな自己主張での存在証明こそ「人間権」の叫びであろう。
和平くんは班ノートに10頁もの童話を書いて自己の存在を主張した。象と蟻の寓話で人間社会を風刺したそれに教師は驚いたが、一三歳の少年がなぜそれを書いたのかには思いはいかず、こんなに書けるのにちゃんと勉強しなければダメじゃないか、とムチを一本増やしただけだった。
寒々しい思いを噛みしめる和平くんには、しかし避難場所があった。美術室であり、美術の教師である。もうひとつ、読書が好きな少年は中一で図書委員の副委員長、中二から委員長になり、書評座談会の司会などで活躍する。この図書の顧問教師が家庭科のM先生だった。
家庭科の男女共修は中三だけだったが、M先生は生活全般におよぶ理論に力を入れた。つまり、食生活における添加物などの問題や、性教育である。M先生の性教育は「性と生の権利」を肯定していた、という和平くんの話に、私は目を見張った。一般的には性科学は教えても、性病の映画を見せて「こうなるからヤルなよ」と脅す性教育が相場。A中学校では性病については保健体育の時間にやったというから、なるほど脅していないことは確かである。
和平くんは家庭科の男女共修を基礎にはしていないが、その後の彼の生きかたに当てはまる部分が多かった、と言う。このふたりの教師との出会いによって受験教育に押しつぶされることなく、絵画の好きな少年は文化学院高等部の美術科んび進むことになる。
しかし、彼はその高校を中退した。学校から締め出されたわけではないが、彼をつなぎとめるものがもはや学校教育にはなかったのだろう。彼をとりこにする魅力あるものが青年を襲った。
2008.
03.
14
3月13日。
武蔵小金井の駅近くのカフェで、時間をつぶす。
近くの席に3~40代くらいの女性が3人座ってしゃべっている。
結構大きい声で話してるので、聴くともなく聴いていると、僕が1月の終わりに参加した浅川さんの講演会のこととかを話しているようだった。
http://haitaka.blog19.fc2.com/blog-entry-321.html
ヒガさんが、日本に本来起こるはずの地震を小さくしたり、他の場所に「飛ばす」役割をしている話だとか、マヤの暦と、それが暗示する大変動に始まり、アトランティスやムー、「地底世界」のことなどを元気に?喋っていた。
ここ、一年か二年くらい、こういう喫茶店とかでスピリチュアル系の話しをしている人を本当によく見かけるようになった気がする。
細木数子、江原さんとかの影響も大きいのだろうけど、テレビで放送されるのはどちらかというと、受け入れられやすい「外郭」部分だろう。しかし、この外郭部分に馴染んだ人が相当数いるということは、必然的にコアな部分に導かれる人もかなりの数にのぼることを意味している。
ということで、多くの人の「スピリチュアル志向」は不可逆的な流れの一部だと僕は思う。
それは、「スピリチュアルブーム」ではないのだ。
地球(宇宙?)規模の変化の流れだと考えたい。
失われた文明や、異星人、地底世界(シャンバラなど)などは、今まで超常現象専門誌の一部分を
構成するものでしかなかった。
もちろん、これらあやしげなことが、スピリチュアルのコア部分ではない。
スピリチュアリティのコア部分は、
「自分が誰であるかを知ること」
「宇宙は(この全体は)なんであるかを知ること」 にある。
超能力や、前世、来世、守護霊、オーラ、etc etcはこのコア部分から展開する、非本質的な部分だと言える。しかし、それらは存在する。
オカルト、という不気味な響きの言葉があるが、オカルトは「隠されたもの」という意味を持っている。
「オカルト」のぼんやりした霧の向こう側で、本来の姿を歪められて、隠されていた物事が、今後その本来のあるべき位置に、昼の光の下の、はっきりとした輪郭とともに復帰しようとしているのではないだろうか。
例えば、アトランティス、ムー、レムリアなどの、失われた文明の意義とはおそらく、
「文明とは、人間の意識と対応した形で存在し、その人間の意識は宇宙のサイクルと同調して、上昇したり、下降したりしている」
と言う事実を示していることだ。
「アトランティスの沈没」はそのまま「意識の下降」を意味している。
意識がすべてであり、その意識は宇宙のプログラムに従って、進化・変性を繰り返しているという考えが共通認識となれば、そういった精神文明の存在は言わば当然のこととなるのだ。
僕らは物質という幻影にあまりにも深くはまりこんでいるので、このことが見えなくなっているに過ぎない。
だが、今後、「意識がすべてである」という観点からすべてが理解される時代が来れば、オカルトの闇はなくなり、すべてがあるべき位置に、言わば当たり前のこととして考えられるようになるかもしれない。
雑談していた3人の女性の一人は「すべてがひとつにつながろうとしてるみたい」と言っていたが、まさにそういうことなのだろうと思う。
武蔵小金井の駅近くのカフェで、時間をつぶす。
近くの席に3~40代くらいの女性が3人座ってしゃべっている。
結構大きい声で話してるので、聴くともなく聴いていると、僕が1月の終わりに参加した浅川さんの講演会のこととかを話しているようだった。
http://haitaka.blog19.fc2.com/blog-entry-321.html
ヒガさんが、日本に本来起こるはずの地震を小さくしたり、他の場所に「飛ばす」役割をしている話だとか、マヤの暦と、それが暗示する大変動に始まり、アトランティスやムー、「地底世界」のことなどを元気に?喋っていた。
ここ、一年か二年くらい、こういう喫茶店とかでスピリチュアル系の話しをしている人を本当によく見かけるようになった気がする。
細木数子、江原さんとかの影響も大きいのだろうけど、テレビで放送されるのはどちらかというと、受け入れられやすい「外郭」部分だろう。しかし、この外郭部分に馴染んだ人が相当数いるということは、必然的にコアな部分に導かれる人もかなりの数にのぼることを意味している。
ということで、多くの人の「スピリチュアル志向」は不可逆的な流れの一部だと僕は思う。
それは、「スピリチュアルブーム」ではないのだ。
地球(宇宙?)規模の変化の流れだと考えたい。
失われた文明や、異星人、地底世界(シャンバラなど)などは、今まで超常現象専門誌の一部分を
構成するものでしかなかった。
もちろん、これらあやしげなことが、スピリチュアルのコア部分ではない。
スピリチュアリティのコア部分は、
「自分が誰であるかを知ること」
「宇宙は(この全体は)なんであるかを知ること」 にある。
超能力や、前世、来世、守護霊、オーラ、etc etcはこのコア部分から展開する、非本質的な部分だと言える。しかし、それらは存在する。
オカルト、という不気味な響きの言葉があるが、オカルトは「隠されたもの」という意味を持っている。
「オカルト」のぼんやりした霧の向こう側で、本来の姿を歪められて、隠されていた物事が、今後その本来のあるべき位置に、昼の光の下の、はっきりとした輪郭とともに復帰しようとしているのではないだろうか。
例えば、アトランティス、ムー、レムリアなどの、失われた文明の意義とはおそらく、
「文明とは、人間の意識と対応した形で存在し、その人間の意識は宇宙のサイクルと同調して、上昇したり、下降したりしている」
と言う事実を示していることだ。
「アトランティスの沈没」はそのまま「意識の下降」を意味している。
意識がすべてであり、その意識は宇宙のプログラムに従って、進化・変性を繰り返しているという考えが共通認識となれば、そういった精神文明の存在は言わば当然のこととなるのだ。
僕らは物質という幻影にあまりにも深くはまりこんでいるので、このことが見えなくなっているに過ぎない。
だが、今後、「意識がすべてである」という観点からすべてが理解される時代が来れば、オカルトの闇はなくなり、すべてがあるべき位置に、言わば当たり前のこととして考えられるようになるかもしれない。
雑談していた3人の女性の一人は「すべてがひとつにつながろうとしてるみたい」と言っていたが、まさにそういうことなのだろうと思う。
2008.
03.
12
I先生が21歳のときのインタビュー。
「学歴なんかぶっとばせ~高校中退の若者たち~」
第三章 インドのお坊さんになった青年 より
インタビュアーは著者の門野晴子氏。
「ぼくは生後三ヶ月に一回死んでいるんですよ。死の経験をしまして、そのことがいまだに記憶に残っているんですね。自分の魂がからだから離れていって霊界に入っていくプロセスを記憶していて、いまでも月に一回はその死んだときのことを夢に見るんです。その死んだときに、俗に言われる「神様」にぼくは会ったという自覚みたいなものがあるんですね。その死からよみがえってからですよ、ぼくがおかしくなったのは、多分ね」
___じゃあ、生後四ヶ月からおかしくなった?
「そう、そうだと思いますよ。それまでは普通だったと思うんですけど」
ワハハハ、と笑いあう。いいなぁ、こういう話、たまらなく好きだ。猜疑心の強い「花の中年」が、若者の土俵に完全に引きずりこまれてしまった。
「母が言うには、ぼくは生まれてくるときも手を開いて蓮華の花のような形をつくって、目をパッチリ開けて、笑いながら出てきたそうで、なんだ、この子は、とお医者さんがびっくりしたそうですよ」
八歳から仏像の絵を描き出した少年は、寺巡りが大好きだったと言うから、気持ちが悪い。絵の指導をしてくれる先生はいたが仏画ではなく、少年は自分で仏像ばかりを画いた。
「中学になったら、なぜだか知らないけど急にキリストに興味をもちましてね、授業をさぼっては、美術室でキリストの油絵を画き続けました」
___キリストに浮気したのは、なぜ?
「なにかの転換期だったと思いますよ。それから中学を出て一年くらいしたら、またひとつ浮気したんです」
___なに?それ。
「ヒンディー教。それでタントラという密教的なヨーガをやりはじめて、ヨーガをやることによって、それまでの仏教やキリスト教がすべてそこでひとつになって実を結んだのです」
___う~ん、神サマのことはぜんぜんわからなけいけど、いろいろやってきたことがあるときスッとひとつになることってあるわね。
「多分、ぼくがキリスト教だけやっていたらキリスト教信者になっていただろうし、仏教だけをやっていたら仏教信者になったろうし、下手をすれば創価学会みたいになっていたかもしれないし(笑)、でもぼくは満遍なくいろんな宗教を見てくることによって、片寄りなくいろんな宗教を評価できる気持ちをもてるようになった。だから、ぼくにとっての神というのは、ぼくを導いてくれる自分自身の中にいる心の神なんですよね」
___心の中に宿る神?
「ええ、すべての人や物の中に宿る神です」
その神とは、キリストを導いたものでもあるし、ブッダを導いたものでもある宇宙の存在のエネルギーのようなものだという。キリストが神よ、神よ、と求めた神も、仏教で言う「梵天」だそうだ。梵天を辞書で引くと「この世間を超越した清浄の天、そのぬしである神」とある。
神サマとのつきあいのない私は「天にましますわれらが神よ」と祈ることはないが、ヤバイ時に思わず「ああ、神サマ」と思う勝手な神であろうか。あるいは、森羅万象(宇宙に存在するいっさいのもの)の神というべきものか。
神サマの話をする人をいつも茶化したくなる私が若者のそれを聞いていられるのは、彼の狂信的でない公平な神の見方によるせいもあったろう。とかく信仰家というのは、自分の信じる神を絶対的存在とするあまり、よその神サマを口汚くののしる排他性を有するものだ。やわらかい長髪をときどきかきあげながらにこやかに話す青年の姿は、まるでデキの悪い生徒を静かに諭しているような図ですらある。
「ですから、そこに関して見るかぎり、どの宗教にもまったく相違がないと僕は思うんですね。キリストもブッダも神の子であったわけですから」
和平君が言うには、キリスト教の聖書は後世の翻訳家たちが誤解してとらえているため、キリスト教独特のクサミを感じてしまうけれど、それをインドのヨギたちに解釈させるとおもしろいのは、ヒンディー教のヨーガの聖典とまったく同じことを言っているという。
瞳をキラキラ輝かせながらその例を次々と語る彼に、悪いけれどその問答にはあまり興味のない私は、むしろ二一歳の若者がこれほど心をとらわれたそのとらわれぶりに心をそそられる。修行がとりわけ厳しいといわれるヒンディー教とは彼にとってなんなのだろう?世をはかなんで宗教の道に入ったというのではなく、彼の心の楽しさがあふれんばかりに伝わってくる様は、私がこれまで幾人か接することがあった宗教家の、もったいぶった真面目さやこけおどしとはおよそ異なるものであった。
「ぼくは宗教を娯楽としてとらえています。宗教ほどの娯楽はないと思いますよ」
___ゴラク!?
「ええ、苦行することも楽しさのひとつだし、なおかつそれで真理を悟ることができるなんて、これは最高の娯楽ですよ」
やっぱり「異星人」だ!
「学歴なんかぶっとばせ~高校中退の若者たち~」
第三章 インドのお坊さんになった青年 より
インタビュアーは著者の門野晴子氏。
「ぼくは生後三ヶ月に一回死んでいるんですよ。死の経験をしまして、そのことがいまだに記憶に残っているんですね。自分の魂がからだから離れていって霊界に入っていくプロセスを記憶していて、いまでも月に一回はその死んだときのことを夢に見るんです。その死んだときに、俗に言われる「神様」にぼくは会ったという自覚みたいなものがあるんですね。その死からよみがえってからですよ、ぼくがおかしくなったのは、多分ね」
___じゃあ、生後四ヶ月からおかしくなった?
「そう、そうだと思いますよ。それまでは普通だったと思うんですけど」
ワハハハ、と笑いあう。いいなぁ、こういう話、たまらなく好きだ。猜疑心の強い「花の中年」が、若者の土俵に完全に引きずりこまれてしまった。
「母が言うには、ぼくは生まれてくるときも手を開いて蓮華の花のような形をつくって、目をパッチリ開けて、笑いながら出てきたそうで、なんだ、この子は、とお医者さんがびっくりしたそうですよ」
八歳から仏像の絵を描き出した少年は、寺巡りが大好きだったと言うから、気持ちが悪い。絵の指導をしてくれる先生はいたが仏画ではなく、少年は自分で仏像ばかりを画いた。
「中学になったら、なぜだか知らないけど急にキリストに興味をもちましてね、授業をさぼっては、美術室でキリストの油絵を画き続けました」
___キリストに浮気したのは、なぜ?
「なにかの転換期だったと思いますよ。それから中学を出て一年くらいしたら、またひとつ浮気したんです」
___なに?それ。
「ヒンディー教。それでタントラという密教的なヨーガをやりはじめて、ヨーガをやることによって、それまでの仏教やキリスト教がすべてそこでひとつになって実を結んだのです」
___う~ん、神サマのことはぜんぜんわからなけいけど、いろいろやってきたことがあるときスッとひとつになることってあるわね。
「多分、ぼくがキリスト教だけやっていたらキリスト教信者になっていただろうし、仏教だけをやっていたら仏教信者になったろうし、下手をすれば創価学会みたいになっていたかもしれないし(笑)、でもぼくは満遍なくいろんな宗教を見てくることによって、片寄りなくいろんな宗教を評価できる気持ちをもてるようになった。だから、ぼくにとっての神というのは、ぼくを導いてくれる自分自身の中にいる心の神なんですよね」
___心の中に宿る神?
「ええ、すべての人や物の中に宿る神です」
その神とは、キリストを導いたものでもあるし、ブッダを導いたものでもある宇宙の存在のエネルギーのようなものだという。キリストが神よ、神よ、と求めた神も、仏教で言う「梵天」だそうだ。梵天を辞書で引くと「この世間を超越した清浄の天、そのぬしである神」とある。
神サマとのつきあいのない私は「天にましますわれらが神よ」と祈ることはないが、ヤバイ時に思わず「ああ、神サマ」と思う勝手な神であろうか。あるいは、森羅万象(宇宙に存在するいっさいのもの)の神というべきものか。
神サマの話をする人をいつも茶化したくなる私が若者のそれを聞いていられるのは、彼の狂信的でない公平な神の見方によるせいもあったろう。とかく信仰家というのは、自分の信じる神を絶対的存在とするあまり、よその神サマを口汚くののしる排他性を有するものだ。やわらかい長髪をときどきかきあげながらにこやかに話す青年の姿は、まるでデキの悪い生徒を静かに諭しているような図ですらある。
「ですから、そこに関して見るかぎり、どの宗教にもまったく相違がないと僕は思うんですね。キリストもブッダも神の子であったわけですから」
和平君が言うには、キリスト教の聖書は後世の翻訳家たちが誤解してとらえているため、キリスト教独特のクサミを感じてしまうけれど、それをインドのヨギたちに解釈させるとおもしろいのは、ヒンディー教のヨーガの聖典とまったく同じことを言っているという。
瞳をキラキラ輝かせながらその例を次々と語る彼に、悪いけれどその問答にはあまり興味のない私は、むしろ二一歳の若者がこれほど心をとらわれたそのとらわれぶりに心をそそられる。修行がとりわけ厳しいといわれるヒンディー教とは彼にとってなんなのだろう?世をはかなんで宗教の道に入ったというのではなく、彼の心の楽しさがあふれんばかりに伝わってくる様は、私がこれまで幾人か接することがあった宗教家の、もったいぶった真面目さやこけおどしとはおよそ異なるものであった。
「ぼくは宗教を娯楽としてとらえています。宗教ほどの娯楽はないと思いますよ」
___ゴラク!?
「ええ、苦行することも楽しさのひとつだし、なおかつそれで真理を悟ることができるなんて、これは最高の娯楽ですよ」
やっぱり「異星人」だ!
2008.
03.
11
彼女と吉祥寺で会って、井の頭公園に行って、そのあとカラオケに行った。
カラオケは混んでいて、すぐに部屋に入れなかったけど、10分待ち程度ということなので待つことにした。
受付の用紙に書く前に、「時間どうする?」と聴くと、彼女は指を一本立てた。
僕が、「一時間半にしよう」と言うと、彼女も頷いた。
受付の用紙はほとんど埋まっていて、僕は一番下の欄に名前と、5才サバを読んだ年齢と、時間を書いた。そして、カウンターから離れて待っていた。
そのあと、2、3人の人が来て、受付をすませた。
高校生の集団も入ってきた。
10分ほど待っていたが、なかなか呼ばれずに、しかも僕よりあとから受付を済ませたはずの男性が呼ばれていったので、ちょっとイラっとした。
おいおいとばしてんじゃねーよ
と思い、カウンターに行って、「すみませーん、さっき書いた○○ですけどまだですか?今の男性よりも前に書いたはずなんですけど」と言ってみた。受付用紙は新しいものに変わっていて、4名ほどの名前が書かれていた。「お名前ないようですけどねえ・・・」
もちろん、そこには僕の名前はない。一枚前のやつに書いたからだ。
「いや、それじゃなくてもういっこ前のやつにですねえ・・・」
「ひとつ前のは一番下にありますけど」
僕はそれを見てみた。
あれ、ないよ。
絶対に、絶対に、絶対に、書いたのに、ない。
念のために、それ以前の3枚ほどの用紙の下の方も調べてみたが、ない。
ない!!
うわ~なんでだ~パニックになりながら僕は用紙をばさばさとめくり続けた。
店員は我関せず。僕は彼女を引っ張ってきて、一緒に見たがやっぱりさっき書いたはずの名前がどこにもなかった。
「ほんとに名前書いた?」
「絶対に書いた!時間を書くときにちょっと数字を間違えたから、濃い目になぞって訂正したのも覚えてる!」
なんで・・・・。
どちらからともなく。
「・・・出ようか?」
「うん、出よう。」
あ~気持ち悪い。
受付の店員がセロを少し貧相にした感じだったので、もしかしてこれは
サプライズか!と冗談を言ったりしたが
まったくテンションがあがらないサプライズであった。
なにかたいしたことない原因があって、わかればなーんだということなのかもしれないけど
いまだに意味不明なので、あのカラオケ屋のセロの顔が頭から離れない。
後日、そのカラオケ屋でその日に爆発事故がおきたことを知った・・・・・
というようなことは今のところ・・・ない。
カラオケは混んでいて、すぐに部屋に入れなかったけど、10分待ち程度ということなので待つことにした。
受付の用紙に書く前に、「時間どうする?」と聴くと、彼女は指を一本立てた。
僕が、「一時間半にしよう」と言うと、彼女も頷いた。
受付の用紙はほとんど埋まっていて、僕は一番下の欄に名前と、5才サバを読んだ年齢と、時間を書いた。そして、カウンターから離れて待っていた。
そのあと、2、3人の人が来て、受付をすませた。
高校生の集団も入ってきた。
10分ほど待っていたが、なかなか呼ばれずに、しかも僕よりあとから受付を済ませたはずの男性が呼ばれていったので、ちょっとイラっとした。
おいおいとばしてんじゃねーよ
と思い、カウンターに行って、「すみませーん、さっき書いた○○ですけどまだですか?今の男性よりも前に書いたはずなんですけど」と言ってみた。受付用紙は新しいものに変わっていて、4名ほどの名前が書かれていた。「お名前ないようですけどねえ・・・」
もちろん、そこには僕の名前はない。一枚前のやつに書いたからだ。
「いや、それじゃなくてもういっこ前のやつにですねえ・・・」
「ひとつ前のは一番下にありますけど」
僕はそれを見てみた。
あれ、ないよ。
絶対に、絶対に、絶対に、書いたのに、ない。
念のために、それ以前の3枚ほどの用紙の下の方も調べてみたが、ない。
ない!!
うわ~なんでだ~パニックになりながら僕は用紙をばさばさとめくり続けた。
店員は我関せず。僕は彼女を引っ張ってきて、一緒に見たがやっぱりさっき書いたはずの名前がどこにもなかった。
「ほんとに名前書いた?」
「絶対に書いた!時間を書くときにちょっと数字を間違えたから、濃い目になぞって訂正したのも覚えてる!」
なんで・・・・。
どちらからともなく。
「・・・出ようか?」
「うん、出よう。」
あ~気持ち悪い。
受付の店員がセロを少し貧相にした感じだったので、もしかしてこれは
サプライズか!と冗談を言ったりしたが
まったくテンションがあがらないサプライズであった。
なにかたいしたことない原因があって、わかればなーんだということなのかもしれないけど
いまだに意味不明なので、あのカラオケ屋のセロの顔が頭から離れない。
後日、そのカラオケ屋でその日に爆発事故がおきたことを知った・・・・・
というようなことは今のところ・・・ない。
2008.
03.
07
最近、遠い過去の世界を見ているような気がすることがある
もともと現代文明にそう適応しているタイプだとは思ってないけど、
当たり前だと思っていたことのひとつ、ひとつが、外側から刷り込まれたもの
どぎつく言えば「洗脳」だったと気づくにつれて
それらははがれ落ちていく
僕らは洗脳されている
誰が、洗脳しているのか?
そんなことはどうでもいい
自分自身の存在に立ち返ることができれば、それでいい
誰も、僕らを洗脳しようとしていなくても
あふれ返る、メッセージと、強制力の中で
自分自身を見失う時、僕らは自分で自分を洗脳しているのだ
それは自由な状態ではない
しかし、僕らは自由だと思っている
資本主義経済の、自由な文明の中に生きていると思っている
ただ何かが足りないんだ・・・・と思っている。
そうです、あなたは、足りないんです。
と、メッセージは合唱する!
だから、この商品はいかがですか?
それは神はいないというプロパガンダに似ている
脱‐洗脳が終わったとき、人はこころから
NO THANK YOU
と屈託なく、笑いながら言える
NO THANK YOU
ありがとう、でも、充分間に合っていますから。
もともと現代文明にそう適応しているタイプだとは思ってないけど、
当たり前だと思っていたことのひとつ、ひとつが、外側から刷り込まれたもの
どぎつく言えば「洗脳」だったと気づくにつれて
それらははがれ落ちていく
僕らは洗脳されている
誰が、洗脳しているのか?
そんなことはどうでもいい
自分自身の存在に立ち返ることができれば、それでいい
誰も、僕らを洗脳しようとしていなくても
あふれ返る、メッセージと、強制力の中で
自分自身を見失う時、僕らは自分で自分を洗脳しているのだ
それは自由な状態ではない
しかし、僕らは自由だと思っている
資本主義経済の、自由な文明の中に生きていると思っている
ただ何かが足りないんだ・・・・と思っている。
そうです、あなたは、足りないんです。
と、メッセージは合唱する!
だから、この商品はいかがですか?
それは神はいないというプロパガンダに似ている
脱‐洗脳が終わったとき、人はこころから
NO THANK YOU
と屈託なく、笑いながら言える
NO THANK YOU
ありがとう、でも、充分間に合っていますから。
2008.
03.
03
「ラスト・バリア」の著者であるルシャッド・フィールドは、現在はイングランドに帰っているようだ。
Yahoo!UKで調べてみると、ルシャッドとハミッドの写真を発見した。
ルシャッドはなんかインディージョーンズみたいだ。
ハミッドは・・・ちょい怪しげだ。
本名はBulent Rauf (1900–1987)←誰か読み方教えてくらさい。

Bulent Rauf氏(ハミッド)

こちら、ルシャッド・フィールド。
http://www.chalice.ch/c_rtf_e.htm より
ラスト・バリアを読んでいると、ハミッドの思想に妙に「グルジェフ臭」を感じる部分が多々あるのだが、ルシャッド氏はもともとグルジェフ・ウスペンスキー系統の思想や、アリスベイリーの神智学を研究していたようだ。
あのハミッドの厳しさや、理解に苦しむ振る舞いの数々も僕には弟子を、奇行により死ぬまで翻弄し続けたグルジェフを連想せずにはいられない。
スーフィーズムの宇宙が、グルジェフのシステムの中にはかなり入っているんだろうか。
ルシャッド・フィールドについて(上記サイトより、かなり適当に訳)
生涯の旅
ルシャッドの旅は、生まれ故郷のイギリスから遠く、インドやアメリカ、ヨーロッパに達した。その他では彼はポップスターや、株式仲買人、骨董品のディーラーだったこともある。彼の人生は、より美しい真実の次元の絶え間ない探求だった。G・I・グルジェフと、P・D・ウスペンスキーやチベット仏教の教えに心を動かされ、またチベットのラマや、ネイティブアメリカン、シャーマン、スーフィーの道のマスターらとの出会いを経て、ついに彼の真の教師とめぐり合う。
歌手、著述家、教師
1934年に誕生したルシャッド・フィールドは、典型的なイギリス式教育を受けて大学を出たのち、その頃存在していた兵役のため二年間海軍に入隊した。軍隊を出たあと、彼はロンドンへ行った。そこでは短い期間、株式取引所で働いたり、広告業に携わった。この期間彼は、最初のギターを買い、すぐに夜のレストランで歌っていた。これが1963年の最良のボーカルグループとして賞され、大変有名になった「スプリングフィールズ」結成へと導く。グループが解散した時、ティムは(この時その名で知られていた)骨董品のビジネスを始める。その後間もなく、彼の人生を完全に変えてしまう出来事が起こるのだった。
スーフィズムの真髄
ある朝、ルシャッドがある骨董品店に入ったとき、彼はBulent Rauf と出会う。彼はそのご数年間ルシャッドのスピリチュアルな教師となる。ルシャッドは最初の2冊の著作「ラストバリア」と「見えない道」で彼にハミッドという名前を与えている。ハミッドを通してルシャッドは、その当時トルコ、コンヤのダルウィーシュの教主であったデデ(1904–1985) と会うこととなる。
そこでルシャッドは、700年以上にもさかのぼる彼らの内なる教えの中で、訓練を受けた。彼の名前がルシャッドに変わったのもまたこの時だった。それは彼のもともとのファーストネーム、リチャードにとても近い。ルシャッド・フィールドの最初の本は世界中でよく知られるようになった。その他の多くの本や、講演、ミュージックテープ、授業やセミナー開催などの広範囲にわたる活動を行った数年間が、その後に続いた。ルシャッドは彼がスイスへ行くまでの16年間アメリカに住んだ。2004年、彼はイギリスへ戻ってきた。
生の内なる意味の探求
これまで見てきたように、ルシャッドの人生は、真実と、生の内なる意味への探求のための世界をまたにかけた冒険と旅である。ルシャッドの著作を読むとき、地上での私たちの存在のいしずえを形成する、ひとつの本質的真理がそこにあることに私たちは気づく。そして私たちは、すべての真の探求者
のハートから立ち上がるいくつかの疑問を彼と分かち合うように招かれている。私たちは日々の生活の中で経験することが出来る、真の自由の風味を与えられるのだ。真実の生はここに、この世界の中にあり、スピリチュアルな夢の国の幻想の中にあるわけではないことを、私たちは発見する。

デデとルシャッド。1970年代、カリフォルニア。
デデ、イメージ通り。すばらしくいい感じの写真だな~と思った。
Yahoo!UKで調べてみると、ルシャッドとハミッドの写真を発見した。
ルシャッドはなんかインディージョーンズみたいだ。
ハミッドは・・・ちょい怪しげだ。
本名はBulent Rauf (1900–1987)←誰か読み方教えてくらさい。

Bulent Rauf氏(ハミッド)

こちら、ルシャッド・フィールド。
http://www.chalice.ch/c_rtf_e.htm より
ラスト・バリアを読んでいると、ハミッドの思想に妙に「グルジェフ臭」を感じる部分が多々あるのだが、ルシャッド氏はもともとグルジェフ・ウスペンスキー系統の思想や、アリスベイリーの神智学を研究していたようだ。
あのハミッドの厳しさや、理解に苦しむ振る舞いの数々も僕には弟子を、奇行により死ぬまで翻弄し続けたグルジェフを連想せずにはいられない。
スーフィーズムの宇宙が、グルジェフのシステムの中にはかなり入っているんだろうか。
ルシャッド・フィールドについて(上記サイトより、かなり適当に訳)
生涯の旅
ルシャッドの旅は、生まれ故郷のイギリスから遠く、インドやアメリカ、ヨーロッパに達した。その他では彼はポップスターや、株式仲買人、骨董品のディーラーだったこともある。彼の人生は、より美しい真実の次元の絶え間ない探求だった。G・I・グルジェフと、P・D・ウスペンスキーやチベット仏教の教えに心を動かされ、またチベットのラマや、ネイティブアメリカン、シャーマン、スーフィーの道のマスターらとの出会いを経て、ついに彼の真の教師とめぐり合う。
歌手、著述家、教師
1934年に誕生したルシャッド・フィールドは、典型的なイギリス式教育を受けて大学を出たのち、その頃存在していた兵役のため二年間海軍に入隊した。軍隊を出たあと、彼はロンドンへ行った。そこでは短い期間、株式取引所で働いたり、広告業に携わった。この期間彼は、最初のギターを買い、すぐに夜のレストランで歌っていた。これが1963年の最良のボーカルグループとして賞され、大変有名になった「スプリングフィールズ」結成へと導く。グループが解散した時、ティムは(この時その名で知られていた)骨董品のビジネスを始める。その後間もなく、彼の人生を完全に変えてしまう出来事が起こるのだった。
スーフィズムの真髄
ある朝、ルシャッドがある骨董品店に入ったとき、彼はBulent Rauf と出会う。彼はそのご数年間ルシャッドのスピリチュアルな教師となる。ルシャッドは最初の2冊の著作「ラストバリア」と「見えない道」で彼にハミッドという名前を与えている。ハミッドを通してルシャッドは、その当時トルコ、コンヤのダルウィーシュの教主であったデデ(1904–1985) と会うこととなる。
そこでルシャッドは、700年以上にもさかのぼる彼らの内なる教えの中で、訓練を受けた。彼の名前がルシャッドに変わったのもまたこの時だった。それは彼のもともとのファーストネーム、リチャードにとても近い。ルシャッド・フィールドの最初の本は世界中でよく知られるようになった。その他の多くの本や、講演、ミュージックテープ、授業やセミナー開催などの広範囲にわたる活動を行った数年間が、その後に続いた。ルシャッドは彼がスイスへ行くまでの16年間アメリカに住んだ。2004年、彼はイギリスへ戻ってきた。
生の内なる意味の探求
これまで見てきたように、ルシャッドの人生は、真実と、生の内なる意味への探求のための世界をまたにかけた冒険と旅である。ルシャッドの著作を読むとき、地上での私たちの存在のいしずえを形成する、ひとつの本質的真理がそこにあることに私たちは気づく。そして私たちは、すべての真の探求者
のハートから立ち上がるいくつかの疑問を彼と分かち合うように招かれている。私たちは日々の生活の中で経験することが出来る、真の自由の風味を与えられるのだ。真実の生はここに、この世界の中にあり、スピリチュアルな夢の国の幻想の中にあるわけではないことを、私たちは発見する。

デデとルシャッド。1970年代、カリフォルニア。
デデ、イメージ通り。すばらしくいい感じの写真だな~と思った。