卵の中の黄身

我もなく うつし世もなくなにもかも  神の中なる 神のあらわれ  BYダンテス・ダイジ

リト後記(2)

「昔危ない薬をやったときに、死の恐怖がどばーっとでてきたことがあるんですが、フラッシュバック的にそのことが思い出されたり・・・・

>「ああ〜いいねそれで行こうw

>「その薬飲んだときっていうのは、まあ覚醒じゃないですけど、それに近い状態だったんでしょうか
>「うん、擬似的に経験できたんだね。


↑この体験については、以前ある方に、「それ」に触れた体験だったのでは?とコメントいただいたことがあるのだが、自分の中ではどう位置づけていいものかよくわからなかった。

 詳細→愛と死の幻想

というのも、どちらかというと非常に恐ろしくて、基地外地味た体験だったからだ。
それは僕が体験した中では「異常さ」という意味においては、間違いなくナンバーワンだと思う。
僕はそれをずっと潜在意識の深みを垣間見た体験だと思っていた。
しかし、今はそれ以外の別の力というか、意志が作用していたような気がしている。
そう思うにはいくつか理由があるのだが、まずその体験を簡単に書くとこうなる。

。横娃娃嫁の8月、ある、化学物質を誤飲する。
        ↓
体に異常感を感じ、薬のショックで死のうとしてるのだと感じる。
        ↓
死の恐怖でパニックになり、救急車を呼ぼうと携帯に手を伸ばす。 
        ↓
ぅ僖縫奪が徐々に沈静化してきた頃、I先生がマントラを唱えているCDをかける
        ↓
ケ宙の中心に見開かれた目のイメージ。そこから伸びてきた手が僕をつかもうとする
        ↓
I先生が神だと「感じる」体験
        ↓ 
Ъ分が神だと「感じる」体験
        ↓
┿弭佑力換に幽閉されている苦痛

 
 死の恐怖というのは、薬の作用によるもので、実際に肉体には危険はなかったと思うが、
 この物質については、何件か過去に死亡事故が起こっている。
 だから本当にまったく安全であったかというとどちらとも言い切れない。
 どちらにしても、ああ・・・死んでいく・・・と激しく実感した。

 僕はこの頃まだI先生には会っていない。 でもHPなどを見て、チベット密教のマントラCDを購入していた。
 瞑想会に参加しようとメールを出したことがあるが、なぜか返事は来なかった。
 そんな状態であったのだが・・・・・

ケ宙の中心に見開かれた目のイメージ。そこから伸びてきた手が僕をつかもうとする

の時、何か「絶対的な力とか意志」のようなものが自分に働きかけるのを感じた。
それは「絶対者」が自分に働きかけてきているようだった。その時、自分が選ばれているといったような優越感はまったくなかったように思う。ただ、なぜその意志が自分に働きかけてくるのかという不条理さを感じていたように思う。

I先生が神だと「感じる」体験

この時、僕は自分がまったく無知でどうしょうもない存在だと感じた。
あまりにも無知で傲慢であり、精神的なことについてなにひとつ語る資格は持っていないと思った。
瞑想会のメールの返事が来なかったのは、あまりにも自分が無知であるからだと感じた。
その自己の収縮に反比例するように、会ったことのないI先生が一種の神人のように認識され始めた。

Ъ分が神だと「感じる」体験

僕の存在は神の自己認識過程の一部だと「感じた」
だからなにをしていても、それは神の顕現であり、美醜や善悪や人間的な価値判断とは一切無関係だと「感じた」。逆に言えば何をしていても、自分がどう思おうと、強制的に神の顕現としての行為となってしまうのだ。そして神はそれを楽しんでいる。

 その時の体験や、また別のトリップを通じて、人間の潜在意識の中には確実に「神なるもの」が存在するということを実感した。神が実在するか、どうかというよりも、少なくとも意識の深奥に「神なるもの」、「絶対なるもの」を感じるというプログラムがあるのだと思った。そのプログラムは、臨死体験時や、意識を変成させる物質の服用や、悟りと呼ばれる体験で起動する。
 つまりこの時点では、「神なるもの」は人の脳ー精神だけにとっての実在かもしれないとも思っていた。しかし、実在であろうとなかろうと、自我というプログラムを完全に補完し、救済するのはこの「神なるもの」というプログラムしかないのだろうと思った。
 「自我」というものが生物としての人間に芽生えたときに、「神なるもの」もその自我の暴走をくい止めるために自然によってプログラミングされたのかもしれないと思った。

 しかし今この時の体験を振り返ってみると、その後の体験の「前投げ」のように思われて仕方ない。
 その後の経過を考えると、少し出来過ぎているように感じるのだ。
 もしかすると、あれは、あのような危ない形で自分に与えられたものだったのではないかと思う。
 神様が投げかける網は広い。
 神の意志が働いていれば、それはどんな形でもやってくる。
 あのようなシチュエーションでそういう体験をしたということに、今は人を導くためには何にでも浸透する神の愛の深さと、人間離れしたユーモア感覚のようなものを感じる。

 ただやはりこの時のは擬似的?な体験だったと思う。
 「わかってない頭」でそれを直観したために、なにか空恐ろしい存在と対面してるように感じたのかもしれない。 


リト後記

今回参加する二日ほど前、突然からだが異様にだるくなって、寝込んだ。
 うわーヤバい、また直前に風邪でもひいて、おじゃんか〜と思ったが、半日寝ると、もとに戻った。
 なんだったのか、よくわからなかったが、なんとなく頭がボケた感じのまま当日となった。
 朝は発達した低気圧の影響で、外は暴風雨に近いとんでもない天気になっていた。
 幸い出かける頃には風雨とも穏やかになってきたが、強風による信号機故障の影響とやらで、途中の駅で一時間ほど足止めをくらってしまった。
 しかし夕方には清里に着き、セッションの開始時間には遅れたけど、なんとか無事到着。

 夕方の二時間のセッションのあと、夕食を食べて、いよいよ濃厚な神様タイムへ突入。
 最初から強烈な力が降りてくる。
 僕はそれほどエネルギーに敏感な方ではないと思うが、今回はすぐに頭を持っていかれてしまったようになった。
 そこまではよかったのだが、何か意識の変わり方がものすごく、ドラッグを使った訳でもないのにここまでとんでいることに次第にパニック気味になった。心臓が不安でドキドキとし始めた。正気を取り戻そうと、目を開けると、他の方の逝ってしまっている様子を見ながら笑っているI先生。うわーなんだ!この空間は!逃げ出したい!と突然思った。
 
 が、思いとどまり、「私は神様の子供です。このエネルギーを受け入れます」と何度か心中で呟いていると少しづつ落ち着いてきた。あ〜飛び出さなくてよかった(^^;
 修道会でも、覚醒系の力が降りると、参加後全然眠れなくなってしまったりするがこの夜もそんな感じでベッドに入ってからしばらく起きていた。

 次の日の夕方のセッションの時に、昨夜感じたことを質問してみた。

 「昨夜の夜、動悸がしたりと不安がたくさん出て、その場にいたたまれないような感じになったんですが・・・・
 神に対する恐怖というかそういうのにどう対処すればいいのでしょうか?


 「我々にとっていついかなる時にも大事なのはただひとつ!それは死ぬる覚悟だよ。
 それは覚醒にしても死ぬときにしても一緒なの。常に必要なのは崖っぷちであるってことなんだよ。
 自分を常にデスパレートな状態に置いておくってことが大事な訳。
 言ったら、いつ死んでも怖くないっていうことは覚悟ができてるってことじゃん。
 いつ覚醒しても怖くなっていうのは覚悟ができてるってことでしょ?それが大事なの。
 
 覚醒する前に恐怖を感じない人間なんて一人もいないと思ったよ。
 だって自分の自我の崩壊がそこで起きるんだから、それって死とイコールなんだよ。 
 なぜ人は死ぬのが怖いか?自分がなくなるのが怖いわけじゃん。それは覚醒にしても一緒なんだよ、結局。
 そんなね〜覚醒によっていい思いだけできるなんてわきゃないわけ、絶対に。

 覚醒したらね〜ランランランランランラン♪なんてことはないんだよ。
 大事なのは死ぬことなんだよ。その「覚悟」なの。
 ほら覚悟って、覚る、悟るって書くでしょ?悟りを覚るのが覚悟なんだよ。

 死ぬ覚悟っていうくらい自我が消滅する前って言うのは、それを直感で感じたときすごく不安になるんだ。
 だからそこから逃げちゃだめ。それを感じるっていうことはなかなかいい線いってる。


 「昔危ない薬をやったときに、死の恐怖がどばーっとでてきたことがあるんですが、フラッシュバック的にそのことが思い出されたり・・・

 「ああ〜いいねそれで行こうw

その薬飲んだときっていうのは、まあ覚醒じゃないですけど、それに近い状態だったんでしょうか

 「うん、擬似的に経験できたんだね。

 「エネルギーがすごい時にはそれが自分の中でサタン的なものに感じられて怖くなるときがあるんですが

 「それはあるよ。というのはこのエネルギーっていうのは人を覚醒させる力なんだけど、これは善でも悪でもないわけ。
 だからそのエネルギーが降りてきたときに、自分の中でどっちに行くかなの。

 だから・・・なんて言ったらいいんだろ?スピードが速まるんだよね。ものすごいラッシュする感じになるわけなんだよ。
 普通のペースで来てたのがなんか突然ラッシュしだすわけ。ていうことはここで同じ時間を過ごさなきゃならないものを
縮めるわけじゃん?それくらいスピードが速くなるのは死に近づくことなんだよ、言ったら。
 そこからも恐怖は出てくるし、それは自分にサタンチックに感じられる。
 でもそれがサタンなのかって言ったら、サタンとも言えない。まあ神なんだけどね。
 それはおかしくないよ、そんなもんさ。

 とにかく人間が思ってるようなきれいな経験じゃないんだよ。覚醒するって言うのは。
 なんか覚醒すればスーパーマンになるとか、こわいもんなくなるとかさあ・・・そりゃ当然そうなんだよ。
 でもそこに至るためには、ぶっ壊さなきゃいけないもの、死ななきゃいけないもの、いろいろわれわれの中に存在してるから。
 自分を壊そうとしてくるエネルギーはやっぱりサタンチックに感じられるし、死の恐怖って言うのも感じるし、それは常に
 そういったものとともにあるってことなわけ。

 「では死の恐怖を感じ始めたときは瞑想とかは止めたほうがいいんでしょうか?」

 「もういっちゃえ。死んじゃえ〜♪死んじゃえ〜♪w

 「ヤバイと思ったら覚醒するよ。俺も台所に行って瞑想する前に水のもうとしたとき、うわっヤバイ、俺今日の夜死ぬ・・・って思ったの。
 そのときっていうのはなんか死ぬ気がするのを感じたとき、それは文字通りの死だと思ってるわけ、俺は。覚醒=死って思ってないから
 自分に覚醒が起こると思ってないんだよ。それはわかってない頭から感じると、死の恐怖なの、覚醒するってことの恐怖は。

 悟りってなんかきらびやかな経験っていうよりも、死の経験なんだよね。怖くなってねそれで・・・・死んじゃうんじゃないかと。
 ・・・・・まあいいや、死ぬときゃ死ぬだろ。おれはもう死んでもいいと思ってたの、そう言えば・・・すっかり忘れてたなw
 俺はいつ死んでもいい気でいきてたじゃないか。わすれちまったのか?死ぬのを恐れちゃいかんだろ・・・・
 ってしてたら覚醒しちゃったの。その日の夜に。
 それでそのとき俺は、ああ・・・あの恐怖ってそのことか・・・と。

 自分が積み重ねてきたものってあるじゃん?
 悟りたいって言う願望はあるにしろ、積み重ねてきた私っていうのがあるわけじゃん? 
 それが死ぬってことが悟りなわけだから、それを手放すっていうのは容易なことじゃないわけ。

 こんな人生嫌だ、とかこんな僕嫌だと思っていても、いざ死ぬか?ってなると
 「やめてください」ってなるわけw

 それが覚醒なんだよ。今までにも何回かチャンスがあったんだとおもうわけ。
 その前に怖くなって止めちゃってるんだよねだから。

先生、死ぬ前に死ねっていうのはそのことなんですか?」と他の参加者の方が質問した。

「死ぬ前に死ぬっていうのは我々の精神の死を意味している。肉体の死の前に精神の死を経験する。  
でも、死ぬのは、一回!
 死ぬ前に死ななくても、実際に死ぬときに怖い思いをするのは間違いがないことなんで、その前に
怖い経験をすれば、そのとき覚醒するわけじゃん?そうすると本当に死ぬときには怖くなくなる。
 肉体の死が来てもそれは受け入れられるんだよ。怖がるようなものではなくなる」 






 春のリトリートから帰ってきた。

 まだ頭が元通りになっていないので、濃い文章が書けない。

 今回は初日に垂直にガンと降りてくる、お父様のエネルギーと、二日目に横に広がり包みこむようなお母様のエネルギーの違いを少し体感させてもらった。

 特に父なる神のエネルギーには、その場にいたたまれなく逃げ出したいような感覚を受け、これはやばいんではないかと感じた。どうも自分はこっち系の力がたくさんくると「気が狂う」とか「死ぬ」とかいうパニックに陥る傾向があるみたいだ。あとでI先生にそのことを質問すると、

 「大事なのは死ぬ覚悟!」という言葉をいただいた。

 覚醒=自我の崩壊というのは「わかっていない頭」からすると、いつも死ぬ感覚として直観されるという。これは厳しい言葉だと思うのだが、これを陽気な雰囲気で言うのがI先生。 

 あと二日目に、お母さんが来たときには、そのエネルギーとからめてタントラの本質について話してもらった。そう言ったことも含めて、頭が元に戻ったらまたあらためて書きたい。

 とにかく体が重い、頭フリーズ。
 ずっとこうなら、人間としてどうよ?という感覚。

 ご一緒させていただいた皆様、どうもありがとうございました〜


 ※お詫び 4/24 

  音声ファイルご希望の方に送付と書いていましたが、諸般の事情により、参加者以外の方には録音したものをお渡しできないことをスタッフの方から教えてもらいました。
  申し込み検討されてた方いらっしゃいましたら、どうもごめんなさいです(>< 





ルーツ

 人間はどのようにして生まれたのだろうか?

 進化論という『考え方』が好きな人は、適者生存と自然淘汰、突然変異によって人間が生まれたと考える。

 そうではなく、人間は人間以上の知性によってつくられたと考える人もいる。

 人間は、宇宙人がサルのDNAをいじってつくったという人もいる。

 あまり面白くない考え方だ。
 神秘的ではない考え方だ。
 ドーパミンが出ない。

 なぜ、すべては「無」ではなく「有」であるかというのが神秘だ。
 その神秘を感じさせてくれるのが、唯一者がすべてを創造しているという考え方だ。
   
 同じように、すべてはKAMIのリーラ(遊戯)であるという考え方も神秘的だ。
 ドーパミンが出る。

 ぼくはより神秘的な『考え方』が好きだ。

 だから人間はKAMIによって創造されたと考えるのが好きだ。

 もっとも、KAMIが宇宙人を使って人間をつくったんなら別にそれでもいい。
 ドーパミンも出るかもしれない。
 




 (サマエルは)彼はいった。
 「我は神なり。我以外に何者も存在せず」
 しかし彼はこういったとき、不死(不滅)のものすべてに対する罪を冒し、不死のものは彼を保護した。さらにピティスは支配者の不敬な行為を見て怒った。ピティスは姿をみせることなくいった。

 「汝、盲目の神サマエルよ。汝のまえには賢明なる不死のものが存在する。これは汝の形づくる肉体のうちにあらわれるだろう。不死のものは陶工の粘土のように汝を踏みつけるだろう。そして汝は汝のものとともに、汝の母なる深淵にもどりゆくだろう」


 F・K・ディック 「ヴァリス」に登場するナグ・ハマディ文書より



インドのお坊さんになった青年(3)

  I先生が21歳のときのインタビュー。
 「学歴なんかぶっとばせ〜高校中退の若者たち〜」
 第三章 インドのお坊さんになった青年 より
 インタビュアーは著者の門野晴子氏。




 文化学院の同級生にS子さんがいた。S子さんと和平くんはお母さん同士が以前から知りあいだったところから親しくなり、最初のデートで映画を観た後S子さんの家に送っていくと、お父さんがあがれあがれと言って食事をご馳走してくれたという、ウソのような恵まれた話。ふつつは(わが家も含めて)、娘のボーイフレンドに対しては父親はうさんくさい顔をするものだが、S子さんのお父さんは和平くんを「この顔は絶対大物になる顔だ」と言い、可愛がってくれたと言う。

 それだけではなかった。S子さんの家族ひとりひとりが魅力に富み、多感な高校生を虜にしたのである。事業家のお父さんに加えて、お母さんは宗教哲学に造詣の深い人で、和平くんはこのお母さんからヨーガを知ることとなる。S子さん、お兄さん、お姉さんの三人ともに明星学園を出て、お姉さんはフランスに渡って有機農法をやり、同業で医学博士でもあるフランス人と結婚して後に帰国し、現在千葉で有機農業をいとなむ。
 お兄さんは当時インドに行っていたが、和平さんがS子さんの家に遊びに行くようになってから一ヵ月後に帰国し、彼からナマナマしいインドの情報に接した和平くんは大きく揺さぶられた。それぞれの家族にすばらしい影響を与えられつつ、気がついたら自然にS子さんの家族に仲間入りしていたという、うらやましいような”十代の同棲”ではある。

 「男と女の関係ではふつう誰もが経験する恋愛と一緒だったと思いますよ。ただぼくにとっては、彼女のお母さんやお兄さんにぶち当たったことが一番デカイ意味をもったということです。今考えれば、ですが・・・

 ご紹介が遅れたが、和平くんのご両親は「東演」というチエホフを研究するための劇団を主宰し、もちろんご夫婦ともに俳優である。ユニークな子どもの個性を育む双方のリベラルな家庭環境に、指をくわえる思いの私。
 インテリの家庭にはインテリであるがゆえの堅苦しいオキテや学歴志向のあるのが一般的だが、S子さんの家族の”それぞれの道”と同じく、和平くんのお父さんは完全なマルキシストで無宗教、お母さんは宗教にやや興味あり、弟さんは中学生で宗教とは無関係という、それぞれに独立した個として存在し認めあう家族関係がすばらしい。
 その近代的人間観が基底にあってこそ、世間一般ではとんでもないことである十代の同棲も、息子の出家も、その人自身のセクシュアリティの自己決定として承認できる親たちであったのだろう。まことの教養人とは自他ともの個の尊重であり、まことの親とは子の選択を真に支援できる存在をいうのだろう。思春期に自己を求めて歩き出した高校生がひとりの少女と出会い、「自然にそこの家族になっていた」とはなんと恵まれた話だろう。その上彼は、己の歩く道をその家族によって示唆されるのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 しかし、私は彼の恋愛にこだわった。若者のメインテーマが恋愛ではなく神であることが、俗人の私には信じられなかった。ナマグサ坊主の愛欲図だって水上文学だけでなく、現実に数かぎりなく見聞きもする。
 彼女の家で家族の一員になってしまったラッキーな若者というが、彼の心の動きはどういう軌跡をたどって神と乗りかえたのだろう。

 「ふつうは、まず相手を好きになって、それから、相手に向けてエネルギーを働かせていくのでしょうが、ぼくはそれはなかったんですね。気がついたら一緒にいたみたいな・・・・・

 _______うん、とてもきれいなんだけどね、私としては、男と女の感情を聞きたいのよ。

 「いやあ、それはあんまり絡んでなかったと思いますけどね」

 _______でも、セックスしたんでしょう?

 「ええ

 _______ふたりの部屋があって。

 「そうです

 ___じゃあ立派な同棲じゃないかよ(笑)

 「そうなんだけど、だからさっきも言ったように、男と女の関係では普通の恋愛だったと思うけど、彼女の家族に与えられたもののほうがより大きかった

 ____あなたの内面により深く働きかけたのが、彼女のお兄さんやお母さんだったわけね。

 「ええ、ぼくが興味あるものをその人たちがもっていたから

 一種の”超能力坊や”が魅かれ続けてきた宗教への憧憬に、水先案内人としてその道を指し示したのが、宗教人ではない、宗教哲学に明るいお母さんと旅行者のお兄さんだった。恋人によってそういう家族に出会えたのも、和平くんの定まった因縁だったのだろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「インドへ一年半ほど行ってきましたのでね、彼女とは距離ができましたが、彼女の家族とは距離があまりないんです。やっぱりぼくが出家したということが、彼女にとって決定的だったんでしょうね

 ___そりゃあ女の子にしたら、恋人が出家するというのはショックでしょう。

 「すべてを捨ててぼくは坊主になる、と言ってインドへ行きましたからね。

 高校も恋人もすべてを捨てて彼はインドへと旅立った。



ダー・ラブ・アーナンダ

 ゲオルグ・フォイアスティン著 『聖なる狂気』に紹介されている覚者、ダー・ラブ・アーナンダについて。ダー・ラブ・アーナンダはあまり聴いたことがないアングロサクソン系の覚者である。
  1939年生まれ。インド系のグルに指導され修行をするうちに1970年、覚醒。現在も弟子の指導を続けている模様。
 『聖なる狂気』はトリックスター的な振る舞いをするグルについてのさまざまなケーススタディと、考察によってなっている。
 彼らは言わばディオニュソス的な聖者だ。弟子の習慣的な思考パターンや、自己同一化を破壊するために時には暴力や、ドラッグや、性的乱痴気騒ぎも行う。「必要とあれば、なんでもおこなう」というのが彼らのスタンスである。当然、このような立場は社会的な秩序と衝突し、激しくバッシングされる場合もある。そして、弟子にさえ回復困難なトラウマを与える場合がある。
 『聖なる狂気』ではこのような「狂気の智慧」を行使するグルの存在の、その危険性と意義について深く考察している。
  そして一時期著者の直接の師匠でもあったダー・ラブ・アーナンダについても、疑問点と肯定すべき点の双方から考察を加えている。彼も「狂気の智慧」を用いるマスターの一人だったのだ。


 ダーラブ・アーナンダの生涯(以下彼のウェブサイトより超意訳)

 
.▲丱拭爾箸靴討涼太

アバター・アディ・サマラジは1939年11月3日ニューヨークのロングアイランドに生まれた。彼の生誕時の名前は「フランクリン・アルバート・ジョーンズ」である。

誕生から彼の幼児期を通して、サマラジは彼が「光輝」と呼ぶ独特の状態を楽しんだ。

それは心からの喜びの拡大した領域だ。そして私は光り輝く形態をとり、エネルギーの源泉であり、愛の歓喜だった。エネルギーの只中の光、愛の歓喜と、光だった。

二歳のときサマラジは「光輝」を手放す自発的な選択をする。明白に分割された人間になり、他者とも分離することを。彼は彼が「痛みによる愛」と呼んだものによりこの選択をする。人類の苦難への共感によって。

 サマラジは彼の誕生の背後にある大きな衝動に応える・・・それは、すべての人々に「光輝」をしらしめるという目的だった。
 この目的を達する唯一の方法は、普通の人間の視点から人生を経験する為に、意図的に「光輝」を忘却すること、そしてその限界付けられた状態から、「光輝」を回復する道を見つけることだった。

私のアバターとしての生誕は意識的、意図的な聖なる自己放棄の行為だった。それによって私の自己存在と、存在の光輝の状態は、この世界での限界付けられた肉体と精神の状態を通して自ら明らかにされる。

⊂年時代

サマラジは創造的な子供で、シンプルな楽しみやユーモアを周りの人々にもたらした。操り人形師として、絵描きとして、腹話術師として、そのほかの多くの活動を通して。
彼はまたアウトドアも大好きだった。泳いだり、釣りをしたり、森の中で遊んだ。

サマラジは彼の家族のルター派のキリスト教会に完全に帰依し、ちょっとした「宗教的恍惚状態」も体験した。(普通の生活への自己放棄の一部として)、因習的な宗教の基本的教義をもまた受け入れたのだ。分割された自己と、世界の創造者としての神の概念をも。

幸福がサマラジの幼年期の傑出したサインであった間、人生の暗い側面、死すべき運命と苦痛もまた、彼の気づきの一部だった。
死と恐怖は彼の「光輝」の感覚と反対のもので、万人がそれを超越できる道をみつけるために、それらを経験していった。

ティーンネイジャーになると共に、サマラジの「光輝」の確かさは減じていった。それを回復したいという彼の衝動のみが残った。

  「サーダナ」の開始

 サーダナはサンスクリット語で霊的修練を意味する。
 サマラジのサーダナは、彼の幼年時代より消え去った「光輝」を回復しようとする衝動に従おうという決断と共に始まった。

 高校卒業後、1957年秋に、彼はニューヨークのコロンビア大学に入学した。

 コロンビア入学後、彼は「意識とは何か?」という疑問に取り憑かれた。サマラジは学習と、意図的にすべての経験の形を試すことを通じて、答えを激しく追い求めた。

 大学の3回生のとき、真実の追究こそ苦しみの原因であると彼が認識することが起こった。
 しかし、彼はこの理解をずっともち続けることは出来なかった。

 コロンビアを卒業後、サマラジはカリフォルニアに移動し、スタンフォード大学でクリエイティブライティングのクラスをはじめた。
 太平洋を臨むビーチに住み、彼は意識と存在の仕組みを執筆活動を通じて探求した。これを通して、「自己収縮活動」の隠されたパターンを発見した。

1964年、彼は彼のサーダナを助けてくれる、人間の教師を見つけねばならないという直感を持った。

 し貪 

 1964年、サマラジはニューヨークに移動しそこで初めての人間の教師を見つける。ルディ、スワミ・ルドラナンダだ。彼は修行の厳しい試練に服従し、ルディの教えに身をゆだねた。
 ルディのもとで彼が従事した修行は、彼の肉体を浄化し、後の霊的修練のための基礎を築いた。

1968年までにサマラジはルディが属する偉大なグルの血統に近づきたいという逆らいがたい衝動を持った。そして彼はルディのグル、スワミ・ムクターナンダに会う許しを、ルディに申し出、許された。

 サマラジはスワミ・ムクターナンダを訪ねるため3度インドへと旅をした。1969年の彼の二度目の訪問の折、ムクターナンダはサマラジのヨーガによる解放の達成を認め、彼に他のものを教える権利を与えた。

 彼らの関係の当初より、ムクターナンダは彼自身のグル、スワミ・ニティヤーナンダの埋葬されている場所を訪れるように指示した。
 そして、彼はその血統の最高のグルとしてのニティヤーナンダに自らを明け渡した。

 サマラジの3度目のインド訪問の時、ニティヤーナンダの埋葬されている廟を訪ねている間、彼はグルとしての他のすべてのものを手放して、グルとしての神聖なる女神に直接明け渡すように指示された。このようにしてニティヤーナンダは、サマラジを女神に引き渡したのだ。
 ニティヤーナンダ、ムクターナンダ、ルディを含む血統の源のグルである、聖なる女神へ。

 ズ導仞

 聖なる女神はサマラジをロサンジェルスに戻るよう導いた。そして彼は女神の存在を特に強く感じるハリウッドの小さな寺院で、毎日瞑想を始めた。

 1970年の9月、ヴェーダンタ協会に属するこの寺院で瞑想している間、サマラジは「光輝」へと永久に再び目覚めた。そして、自然に彼の存在の真の神聖な本質と、彼の誕生の聖なる目的を理解した。

 翌日、私は寺院に再び坐った。私は最愛のシャクティがおのずから彼女自身を明らかにしてくれるのを待った。私の神聖な相棒として。しかし、時は流れ、変化はなかった、まったくなんの動きもなかった。そこには内面の深まりさえなかった・・・内面性が一切なかった。
 そこに瞑想はなかった。瞑想の必要もなかった。
 そこには私の状態を完全にするために加えることが出来る、ただひとつの要素も変化もなかった。
 私は目を見開いて坐った。いかなる経験もしてはいなかった。
 そして、突然、わたしはもっとも完全に理解した。私は私が悟っていることを悟った。
 「光輝」についてのことが明白になった。
 私は完全だ。私は完全な存在だ。

 その瞬間に、私は理解し、悟った。
 私が何で、誰なのか。
 それは沈黙の理解だった。
 意識の中の直接的な知識だ。
 それはいかなる「他の」源からのコミュニケーションのない、意識それ自体だ。
 そこには「他の」ものなどなかった。


 franklin.jpg
フランクリン・アルバート・ジョーンズ

 loveananda.jpg
ダー・ラブ・アーナンダ

 
http://www.adidam.org/museum/home.htm

http://www.adidam.org/



忘れないことが・・・

 忘れないのが尊いのは 人はすぐに忘れるから?
 
 KAMIのことを忘れると
 深く眠りに落ち込んで 喜びと力は枯れていく
 KAMIのことを想い出せば
 きっと生きる力と喜びは戻ってくる
 それらはすべて真実在である
 KAMIからくるから

 世に多くの問題はあっても
 その本当の解決はKAMIを想い出すこと
 僕にとってはきっとそうだ
 彼と想いをつなげることなのだ

 僕らは問題があるといろいろなことを試して
 それがダメだと最後にKAMIにすがる
 何もなくなると、一番最後にはKAMIにすがるようにつくられている
 でもそれなら、最初からすがっていたい

 KAMIのことを忘れても幸せでいられる人もいるのだろうか?
 果たして・・・。そこそこには?程々には?

 しかしKAMIのことを忘れればどうやらすぐに
 MAYAになる僕は 本当はとても幸せだと考えてもいいだろうか?

 KAMIに本当の幸せってなにか?という初級講座を 
 レクチャーしてもらっていると。
 
 深い眠りの中でもがいて KAMIに還ろうとする気持ちを
 穏やかなときにも忘れませんように

 忘れないことが尊いのは
 彼が忘れないでいさせてくれるから?


  

『2012年』再考

 第8サイクルのプロセスとしての、米の没落、9・11疑惑、経済恐慌の可能性について

 先週の土曜日に参加したW氏の講演会でも、まず最初にサブプライムローン崩壊による損失がすでに補填不可能な状況にあるという話しが出た。すでに通常のプライムローンにまでその焦げ付きが出始めている。FRBのバーナンキはこれらの不況に対して、緊急の利下げという手段をとっているが、これは長期的には状況をさらに悪化させ、近いうちに20世紀初頭のブラックマンデーを越えるような世界恐慌が発生する可能性が高いという。そうなれば日本でも貨幣の価値は紙くず同然になる。

 ↑↑↑                ↑↑↑            ↑↑↑       

 というのがW氏のお話であるが、僕は経済のことにはとんと疎いので、この話がどの程度妥当性があるのかわからない。「日本でも貨幣の価値は紙くず同然になる。」というのは現状の感覚では極論に聴こえるが。
 バーナンキンは大学で「世界恐慌」の仕組みを学んでいたそうである。なので、利下げを続ければどういう結果になるかわかってるはずだが・・・とW氏は言う。もしかするとと意図的に米国をクラッシュさせようとする力が働いているのかもしれない。

 難しいことはよくわからないが、さまざまな要因によってアメリカの覇権が失墜していくということは、第8サイクルにおける避けがたいプロセスなのかもしれない。
 というのは、米国の存在と、その世界中に張り巡らせれた情報網は第8サイクル開始以前にはまさにシステムの中枢であっただろうからだ。もしも第8サイクルにおける変化が不可避のものであり、そのサイクルのエネルギーが米のシステムと相容れないものだとすれば、それは崩壊せずにはいられないだろう。
 経済面のみならず、見逃してはならないのは世界中で巻き起こっている「9・11」に対する真相追求のムーヴメントだ。ユダヤ系資本とブッシュ・チェイニーらによる完全なインサイドジョブか、あるいはテロリストたちの攻撃を知ってなんら対策をとらなかったのか・・・さまざまな憶測が渦巻く中、アメリカ国民の半数以上が「9・11」に関する公式見解に疑問の目を向けている。
 
 もしも・・・・あのツインタワーと第7ビルの崩壊が、ただ他国に侵攻するための口実作りに過ぎなかったとすれば・・・・

 これ以上に恐ろしいことがあるだろうか。そんなことが平然と行われる世界に住んでいると僕は思いたくない。しかし、それを認めることがこのサイクルを生きる僕らの宿命であるとすればどうななのだろうか。そしてそんなことを行う国が世界のリーダシップをとっているとするならば、相当頭のおかしい連中によってこの世界は動かされていることになる。
 そして日本の指導者たちは、そんなアメリカの妄言を真に受けて「国際貢献」という名の下に、国民の税金を投入して他国に軍隊を送らざるを得ない状況に置かれているわけだ。アメリカを援助しているというだけで、僕らはイラクで死んでいった何万人もの民間の人たちにある責任を負っているのである。

 しかし、これに関してすばらしいことは、真実が徐々に浸透していっていることだろう。
 日本の国会でも今年の一月に民主党の藤田議員と言う人が9・11について、もっと調査すべきであるというスピーチをおこなった。

 You-tube動画  国会で9・11陰謀説が議論される 

 http://video.google.com/videoplay?docid=6258858429035438786&q=

 さらに米国内での真相追求運動は、より一層熱い。自国のことであるので当然だ。
 この運動は「革命」の火種になるかもしれない。
 すでにアメリカ軍部の中にも、これらのことの本質に気付き、イラン侵攻のための新たなインサイドジョブを命を張って阻止した軍人がいるというような話も聴く。

 W氏は講演の中で、DAY6の開始が近づいた頃にアメリカで暴動や革命騒ぎが起こるかもしれないと話していたが、もし本当にそうなるとすれば必ず「9・11」も絡んでくるだろうと思う。


 アジアへのパワーシフト、サバイバルの用意をする人、新しい文明のかたち

 カール・ヨハン・コルマンも第8サイクルのプロセスが進行するにつれて、米国の覇権が失墜し、パワーは中国を中心としたアジアのほうに移っていくだろうと予測している。それは第8サイクルの性質が、右脳的、直感的、スピリチュアルなものであるためにアジアの精神文明との方がより、マッチするからだ。
 ただし、この「中国」というのは現政権の中国ではないようだ。
 さらにヨーロッパから見ると、日本を含めたアジア諸国も中国に包含して考えるようなところがあるために、日本が新しい精神文明の中心となる可能性もあるのではないかとW氏は希望的観測を述べていた。
 日本人は現在、長期的に催眠術をかけられていると言っていい。(←これはI先生の言だが)一言で言って、この国土にグラウディングできていないのではないか。日本人は第二次大戦での敗北により、あらゆるものをリセットされた。それ以降、ずっと宙に浮いたままでいる。その原因は、あらゆる異質なものを意図的に刷り込まれたからだ。
 『自由・平等・平和』というわけのわからないスローガンや、マスコミを通じて行われるセックス・スクリーン、スポーツの3S政策は、精神性という土壌を荒廃させた。恐ろしいことに海外には、社会をどのように条件付け、デザインするかという「社会工学」という学問の分野が存在するのである。
 国民の興味はより抽象的なものに推移していった。より抽象的なものとは、「貨幣」である。そして「ブランド」と「安定」という抽象もあった。
 僕は日本人がこの国土にグラウディングするためのキーは「神道的なもの」ではないかと思う。
 もちろん戦争に利用されるような国家神道ではない。生きるのに必要な水や、食料を与えてくれるこの大地を大切に思い、敬う心だ。僕らがそれを忘れているのは、食料をがんがん海外から輸入し、その輸入された食物はスーパーやコンビニに行って「貨幣」という抽象を支払えばすぐに手に入るからだ。しかし、このような状況がいつまで続くかわかったものではない。

 W氏はやがて、米国の崩壊に伴い、日本に経済危機と食料の危機が訪れると話す。
 だから、今のうちにそれが出来る人は食物を自給自足できるような自然の多い場所へ移住したほうがいいと言う。実際にW氏はどうも真剣に「その日」のためにサバイバルの準備を始めているようだ。具体的に住む土地を手に入れたりとか、そういうこと。山梨の清里に行ってきたという話もしていたので、もしかすると氏の移住予定地はその辺にあるのかもしれない。
  清里はここのところI先生のリトリートが行われているところなので、奇妙なシンクロ感を感じてしまった。
 真偽のほどは不明だが、お金持ちのユダヤ人がその辺の土地を買占め初めて、地価が高騰しているという話も聞く。「抽象」のない僕にはなんとも出来ないので、ただ状況を観察して、流れに任せるだけだ。

 新しい文明は、、「農」という生存の土台をしっかりと確保し、大地に根付いたそれぞれの共同体が、インターネットなどの手段で相互に結びついたものになるのではないかとW氏は語る。
 そうなるかどうかはさて置き、これはビジョンとしては理想的なものではないかと僕は思う。
 「農」という生きるための基盤をそれぞれに持つコミュニティが連結する。
 さらにそれを連結するインターネットは、現在のマスメディアの位置を奪うだろう。
 情報発信源がいくつにも多極化して、真の意味で創造的な発信や相互協力ができるようになればすばらしい。


『2012年』再考

 DAY&NIGHT ケツアルコアトルと、テスカトリポカ、宇宙樹

 コルマン・インデックスにおいて、ひとつのサイクルは7つの昼と6つの夜で構成されている。
 昼の期間は、意識の変化を推し進めるエネルギーが積極的に流れるとき、夜の期間は新しい変化の種がまかれるが変化を抑止する力が働くので、あまり大きな出来事は起こりにくい期間とされている。
 前回の記事の最後に、ヤスさんが作成した第8サイクルに発生した主な事変をまとめたものを乗せた。確かにこれを見る限り、DAYの期間に大きな異変が起こり、NIGHTは比較的平穏に過ぎているかに見える。

 コルマンは、マヤの神話の中に登場するケツアルコアトルがDAYSを支配する神だと言っているようだ。ただしこれは人格的な神というよりも、意識を進化させるために放出されるなんらかのエネルギーのようなものらしい。
 同じように、NIGHTSを支配するのは夜と暗闇を支配するテスカトリポカだが、これも意識変化を抑止する暗いエネルギーのことだとコルマンは考える。この昼と夜がお互いに相克しあって人類の集合的意識進化を完成させるというのがコルマンのビジョンだ。

 これらの光と闇のエネルギーは世界の中心にある、「世界樹」から発生する。
 「世界樹」から発せられた闇なり光なりのエネルギーがマヤンカレンダーを回転させるという。
 しかし、この世界樹にパルスを送っている、「宇宙樹」が存在するらしい。
 「宇宙樹」の中心は銀河中心と重なる。古代マヤでは銀河中心はフナブ・クーと呼ばれる最高神で、地球や太陽を生み出した「母の子宮」であり、意識進化を促す大本のパルスが発生していると考えられていたと言う。
 この「宇宙樹」と「世界樹」という概念は、カバラのケテルとティファレトを連想させる。
 ケテルは万物を条件付けるものであり、一種の最高神のセンターなのだが、そのケテルの光を反射するのがティファレトと呼ばれるセンターなのだ。
 ティファレトは、唯一神の息子である「キリスト」のセンターであり、天体においては太陽を象徴している。もし「宇宙樹」が銀河中心だとするならば、「世界樹」は太陽なのではないかと思うが・・・どうなのだろうか?
 
 
 第8サイクルの性質、I先生の覚醒、第8サイクルにおける個人的シンクロ

 1999年の1月より新たに始まった第8サイクルの性質は以下の通り。

 第八サイクル 1999年1月4日〜2011年10月28日
 物質を超えた意識の発生
 統合の原理が左脳の分析的な知から右脳の直観的な知に移行し、
 物質に限定されない宇宙的な意識が出現する過程

 さらに第8サイクルは、男性原理的な第6、第7のサイクルを補完するように女性(母性)的な原理が現れ人間の意識がそちらに移行する過程でもあるという。
 第8サイクルの影響は社会現象のみならず、個々人の内面も強く影響される。
 このサイクルではスピリチュアルな価値が急速に目覚めていくために、社会の階層的な秩序や物質中心の価値にとらわれた自己が崩壊していくというのだ。もしかしたら、引きこもりやニートの増加というのもこういうことと少し関連しているのかもしれないと思う。

 第8サイクルが1999年に始まったというのを知って、真っ先に思い浮かんだのが、I先生が最初に覚醒したというのが1999年の11月だったという話だ。

 以下I先生のブログ「ターラナータ神秘の扉」より転載させていただきます。

 『私は、1999年の11月に自分の人生が全て変わってしまうようなある経験をした。
しかし、この経験は私の努力のかいというよりも、与えられたものである。まさに恩寵なのである。私は1999年の夏を過ぎたあたりから、何かが変わってきたのを直感で感じていた。「もうすぐだ」という感触である。そんな感覚が2〜3ヶ月は続いていた。そんな中11月に、この出来事は起こった。突然自分の意識の中に新たなる意識が、覚醒した意識が目覚めたのである。それは一瞬の間に起こった。この全ての宇宙を含む英知がほんの一瞬の間に私の意識にインストールされたのだ。

 このでき事が1999年に起こったというのは私にとっては偶然ではない。すくなくとも、恐怖の大王は私のもとにも訪れ、私の中のアンゴルモアの大王は目覚めたのだ。実際に、1999年のこの頃から多くの人達の意識に変化が現れてきているのではないだろうか。そして、この変化は2012年に向かって進化し続けていくのではないかと私は考えている。私達はまたとない、進化の時を迎えようとしている。これは素晴らしい事である。
 私は人類に素晴らしき恩寵がこれから訪れるのを楽しみにしている。


 1999年の11月は第八サイクルのDAY1にあたり、まさに新しい意識が誕生するサイクルの最初の「昼」にあたる。
 あといつかの瞑想会でI先生から、先生のところに来ていたマヤ暦の研究家が先生が覚醒した時期をぴったりあてたという話をきかせてもらったことを思い出した。
 やはりマヤの暦というのは根源的な意識原理の変動サイクルにぴったりと同期しているのだろうか・・・。

 僕もこの第8サイクルのスケジュールが個人的にしっくりと適合するかを、昔の日記などで軽く検証してみた。
 僕にとって変動が異常に激しかったのは、2000年12月24日から2001年12月19日までのDAY2だった。これはぴったり変動の時期DAYにあてはまる。
 本格的に精神世界に深入りし始めた頃で、高知から東京まで前世療法を受けに行き、I先生の存在も知った。東京に引っ越して住もうと決めたのもこの年だった。
 比較的わかりやすいのはDAY2だが、よく観察すると他のDAYも動きが激しい。そしてとても苦しい思いをしている時期であることが多い。 
 例えばDAY1では、好きになった女のこのことでほぼ一年を通して、こころがぐちゃぐちゃになっていたし、家族が精神の病で初めて入院した。DAY1の終わりのほうで実家で長く飼っていたネコが死んでいる。
 DAY3では、初めて付き合った彼女との間で何回もごたつき、2,3回は別れ話になった気がする。そしてNIGHT2の時にやり過ぎた合法ドラッグの、後遺症のようなパニック症状に四六時中苦しめられた。
 こうしてみるとDAYSは光の神が支配している期間ということだが、エネルギーの動きが大きいだけに未解決の問題に直面しやすい時期とも言えるのかもしれない。




『2012年』再考

 僕は『2012年』を破壊と新生の比喩としてとらえている。

 必ず2012年の冬至に何かが起こる信じてはいない。
 というのもこの日付というのはマヤ暦研究者によってもばらつきがあるようで、例えば以下に紹介するコルマンはそのオメガポイントを2011年10月28日としているからである。

 しかし、どの程度の規模かはわからないが、現在の世界構造を大きく変えるような既存秩序の崩壊が(ここ5年、遅くても10年以内くらいに)起こり、それと平行して、ポップスピリチュアリティー、単なるスピリチュアルブームを越えた精神文明、精神性に基づいたコミュニティーが多数誕生するのではないかという漠然とした認識を持っている。

 それにあたっては、あまりに悲観的に破壊の側面だけを強調するのも違うし、あまりに楽観的(かつ現状維持的に)現在のままのシステムで世界は楽園に変わるとも思えない。というのも実際にグローバルな意識の変化が進行しているとするならば、そこには必ずいろいろな意味での破壊が起こるのは間違いないと思えるからだ。今のままのシステムで、一年に一回24時間テレビを1000年間放送しても何も変わらないだろう。
 
 暗号としての『2012年』を考えることは、現在世界で何が起こっているかを根本的に洞察することでもある。単一的な、局所的な視野で把握することは難しい。その意味では『2012年』はそれと向かい合った人を映し出す「知的ロールシャッハ」のようなものでもある。

 もっとも皮相的な解釈としては、ノストラダムスの大予言と同じレベルで、人騒がせな終末論的噂のリバイバルとして笑い飛ばして済ませておくことも出来るし、それは個人の自由だ。
 年末のビートたけしが出ている番組で、ちらっと2012年終末論が取り上げられ、いじくられていたが、あれはそのレベルの解釈だった。「2012年!人類滅亡!!」などという馬鹿げた見出しと共に取り上げられる限り、それはいつまで経っても同じだろう。
 
 しかし、『2012』年という巨大なパズルを構成する要素はいくつもある。
 さまざまな要素が、破壊と新生のオメガポイントに向かって加速的に集約されつつある。
 今起こっていることの全体像、それは

 経済悪化と格差社会の問題だけでは解けない。
 地球温暖化による異常気象と、それに対するエコロジー運動だけでも解けない。
 ロックフェラーとロスチャイルドが対立して、アメリカは意図的に叩き潰されるというような陰謀論ストーリーだけでも解けない。
 オーラの泉の霊界物語をいくら聴いても、地球規模の変化への洞察は起こらない。
 それらすべてを含め、なおそれらを越えたところで、根源的な変化が起こっていると考えられるからだ。それら複数の分野における根源的変化を把握することなく、『2012年』は解けない。
 その変化は本質的には「意識の変化」だが、物理的次元と精神的次元双方において同期しながら起こっていくために、その双方を含めないとバランスよく見ることは出来ないのである。
 現在、多くの人がそういった観測モデルを模索し、また受け入れつつあるように見える。 

 先週の土曜日に参加したW氏の講演会で、人気ブロガーのヤスさんが紹介していた「コルマン・インデックス」もそうした変化の観測モデルになりうるものだと思う。

 コルマン・インデックスの簡単な紹介

 「コルマン・インデックス」はスウェーデンの科学者、カール・ヨハン・コルマンが考案した意識の変化(進化)のカレンダーだ。
 このカレンダーはビッグバンが起こったとされる164億年前に始まり、2011年の10月28日に完結する。この全行程は9つのサイクルによってあらわされている。


第一サイクル 164億年前に開始〜2011年10月28日終了
多細胞生物の発生
ビッグバンによる宇宙の形成から体細胞生物へといたる進化の過程

第二サイクル 8億4000万年前に開始〜2011年10月28日
哺乳類の発生
多細胞生物が進化し哺乳類が発生する過程

第三サイクル 4100万年前に開始〜2011年10月28日
社会単位としての家族の発生
哺乳類が人間へと進化し、さらに社会単位として家族が発生する過程

第四サイクル 200万年前〜2011年10月28日
部族の発生と道具の使用
家族を超えたより大きな社会集団である部族が形成される過程

第五サイクル 10万200年前〜2011年10月28日
農業と宗教の発生
多くの部族が共有する文化の誕生

第六サイクル 5116年前〜2011年10月28日
さらに大きな単位としての国家の形成
複数の部族を包含しその上位に立つ国家が誕生する過程


第七サイクル 西暦1755年〜2011年10月28日
インターネットとグローバルエコノミーの発達による
国家の枠を超えた全地球的な意識の形成

世界経済の発展と通信手段の発達にともない、国家の枠を超えて
地球規模のネットワークがつくられる過程

第八サイクル 1999年1月4日〜2011年10月28日
物質を超えた意識の発生

統合の原理が左脳の分析的な知から右脳の直観的な知に移行し、
物質に限定されない宇宙的な意識が出現する過程

第九サイクル 2011年2月10日〜2011年10月28日
人類の意識進化の最終局面

マヤカレンダーの最終段階。人類の意識が完成するとされる


 一見してわかる通り、これらのサイクルはすべて始点は異なるが、終点はすべて同一の2011年10月28日となっており、より最初のサイクルの完成部分に、その後のサイクルが包含されるという入れ子構造になっている。つまりこういう感じ
 
_                    第九サイクル
__                  第八サイクル
___                第七サイクル
____              第六サイクル
_____            第五サイクル
______          第四サイクル
_______        第三サイクル
________      第二サイクル 
_________    第一サイクル


 マヤのカレンダーはチェチェンイツアのピラミッドのような9層構造の建造物に刻まれているらしいので、やはりカレンダーも同じ性質を持つようだ。
 そしてそれぞれのサイクルは7つの昼(DAY)と6つの夜(NIGHT)にわかれている。
 
ひとつのサイクルを構成するDAY&NIGHTと、それぞれのサイクルの昼夜の長さ

 DAY1            ↓
 NIGHT1          
 DAY2            ↓
 NIGHT2
 DAY3 
 NIGHT3           ↓
 DAY4
 NIGHT4
 DAY5 
 NIGHT5           ↓
 DAY6
 NIGHT6
 DAY7
 
 第1サイクル 12億6000万年  (の昼と夜が13回続く 以下同) 
 第2サイクル 6億3100万年
 第3サイクル 310万年
 第4サイクル 18万年
 第5サイクル 7900年
 第6サイクル 396年
 第7サイクル 19.7年 
 第8サイクル 360日
 第9サイクル 20日

 



 最初の第一サイクルでは昼と夜の長さはそれぞれ、12億6000万年だが、最後の第9サイクルではそれぞれ20日しかない。これは変化の速度が終末に近づくほど加速することを表している。
 そして、第1から第7までのサイクルはすべて現在、最後のDAY7となっており、この第一から第七までのDAY7の中に第8サイクルと第9サイクルの全行程が含まれる。

 現在の僕らがいるポイントは、第8サイクルのNIGHT5であり、これは2007年の11月18日に始まり、2008年の11月12日に終わる。
 
 第8サイクルはコルマンによると、
 物質を超えた意識の発生
 統合の原理が左脳の分析的な知から右脳の直観的な知に移行し、
 物質に限定されない宇宙的な意識が出現する過程である。

 スケジュールは以下の通りだ。


第八サイクルのスケジュール

第一の昼 1999年1月5日〜1999年12月20日
主な事件 NATO軍によるコソボ空爆

第一の夜 1999年12月30日〜2000年12月24日 
特に大きな事件なし

第二の昼 2000年12月24日〜2001年12月19日
9・11同時多発テロとアフガン攻撃開始

第二の夜 2001年12月19日〜2002年12月4日
特に大きな事件なし

第三の昼 2002年12月4日〜2003年の12月9日
イラク戦争開始

第三の夜 2003年12月9日〜2004年12月4日
特に大きな事件なし

第四の昼 2004年12月4日〜2005年11月28日
スマトラ大津波 カトリーナ リタのハリケーン

第四の夜 2005年11月28日〜2006年11月23日
特に大きな事件なし

第五の昼 2006年11月23日〜2007年11月18日
サブプライムローン問題の発生による信用収縮の開始

第五の夜 2007年11月18日〜2008年11月12日
現在のポイント

第六の昼2008年11月12日〜2009年11月7日
??

第六の夜2009年11月7日〜2010年11月2日
??

第七の昼 2010年11月2日〜2011年10月28日
??

『2012年』再考

 今週の水曜日、関口宏が司会を務める特番で、地球の大規模な気候異変が報道されていた。
 中国や、オーストラリアなどの大干ばつなどに比べると日本は平和なものだが、それでも例年の夏の異常な猛暑や、本来そう発生するはずのない竜巻が起こったりと、なにかタガがはずれたような印象を持ってる人は多いのではないだろうか。 
  以前からWEBで異常気象の異常頻度については読んでいたのだが、この番組でビジュアルとしてたくさんの異変を見て、いったい何が起こっているのかをあらためて確認したくなった。
 
 そして、他の多くの場合と同じようにこの番組も、事実の部分的な報道だろうと感じた。(意図的なものか、無知によるかは別として)。僕の頭に、駅前の書店に並んでいるのを見かけた、「2012年 地球 大異変」という本が浮かんだ。あれを買ってきて、読まなければ・・・と思った。
 C級パニック映画みたいなタイトルだが、NHK出版から出ている結構ちゃんと書かれている本だった。
 
 この本に目を通して、ひとつ確信したことがある。 
 それは現在起こっている気候の異変というのは、「温暖化による異常気象」というまるで何回も聞かされることによって刷り込まれたこのメカニズムだけでは説明できないのではないか、ということであった。「温暖化による気候異変」に関しては京都で国際的な会議をやったりしているので、まるで人間の努力によってどうにかできるような印象を僕らは持っている。
 しかし、この異常の原因は温暖化のみならず、何か周期性を持った『宇宙的なるもの』も大きな原因ではないだろうか。

 『宇宙的なるもの』というと、『フォトンベルト』を連想する人も多い。
 地球は定期的に光子が密集したフォトンベルトを通過して、それによって、大破壊と同時に人間のDNAが変成してわれわれは新しい新人類として、生まれ変わるのだぁ!(アセンション)というような言説がまことしやかに語られてきた。
 しかしこの『フォトンベルト』は科学的に存在しない、あるいはその概念自体が矛盾だらけであるという議論が優勢だ。
 そもそも「光子」はベルト状にある場所に密集したりはしないというのである。
 しかもフォトンベルトは銀河系をドーナツ状に囲んでいて、2万6000年という周期で、地球はそこを通るというが、実際には太陽系が銀河系を周回するのは何億年もかかるらしい。
 そもそも、「光子」を浴びることによって。DNAが変化する(しかも超人になる)なんてどうして言えるのだろう?というように『フォトンベルト』とそれに付随する概念は最初からかなり穴だらけの状態だったのだ。

 だが、『フォトンベルト』は存在しないが、それと同じような効果を持つ『宇宙的なるもの』が存在するとすればどうだろうか。「2012年 地球大異変」の中でそれはロシアの科学者によって提唱された、「星間エネルギー雲」として紹介されている。太陽系がこの「星間エネルギーの雲」に突入しつつあるという兆候は、太陽系惑星で起こっているポールシフト(地軸の移動)や大気の変化などに現れており、近年の太陽活動の異常もそれが原因ではないかというのだ。実際そういった外的な要因を考慮しない限り、なぜ太陽活動が極小期なのにもかかわらず巨大なフレアを発生させるのかというような疑問が解けないらしい。

 どうもこれらのことを考えると、『フォトンベルト』という概念はこの『フォトンベルト的なもの』をカモフラージュするための、フェイク、影武者だったのではないかとさえ思えてくる・・・。

 個人的な話しになるが、僕は10年近く前、印象に残る不気味な夢を見た。
 それは宇宙空間を「黒い女神像」と呼ばれる巨大な立像が浮遊しており、その女神像が地球に接近するとき、なにかとんでもないことが起こる・・・という内容だった。あまりにも気味が悪かったのでそのイメージで小説を書こうとしたくらいだ(書かなかったけど)。 
 もしかするとその夢は『宇宙的なるもの』を不安の方から見たイメージであったかもしれない。
 
 先週の土曜日、「フォトンベルトの謎」とかの著作で有名なW氏の講演を聴いてきた。
 講演に参加した理由は、僕がよく読んでいる、
 
 ヤスの備忘録 歴史と予言のあいだ


 のヤスさんがW氏と対談をするというからだった。
 ヤスさんはマヤのカレンダーを独自の視点で解釈している、コルマンという生物学者の「コルマン・インデックス」をブログで紹介している。コルマンインデックスは欧米では結構有名らしいが日本ではまだあまりしられていない。コルマンの解釈によると2011年が、人類の宇宙意識の目覚めになるということである。しかし、そこに至るまでには既存の秩序の大きな崩壊が伴う。

 その講演会で聴いた情報なども含めて、『2012年』という「暗号」が意味するものをもう一度再考してみたいと思う。



 にゅーっと

 暗闇のなかから手が出てくる

 そして僕をどこかへ引きずり込もうとする

 誰の手かわからない

 どこへ連れていかれるのかわからない

 信じられないままに つかまれる
 信じられないままに 連れて行かれる

 手には不気味なカギ爪がついている
 手は痛々しく傷つき、血を流している
 でも時々あたたかい
 手は僕を握り締めて放さない

 恐ろしい地獄を通り抜ける
 誰の手かはわからない

 暗闇を通りぬけたあと
 手は僕を放して
 どこかへ行ってしまった
 おだやかな平原だった

 その時僕は、
 僕が暗闇に囲まれていたからこそ
 あの「手」は暗闇の中から出て来たんだと知った
  
 今
 あの手のことが、僕はとても気になる
 あの手に、幸せになってほしいと思う

 あの手とともに経験した地獄旅行を
 少しなつかしく思い出す


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  •  鳥が卵から無理に出ようとする
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