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女神の性質⑤

  又、これです(笑)
  このタイトルでこんなにシリーズ化するつもりはなかったのだけど、なんか書くことがなかなか尽きないのでもうちょい続けようかと思います・・・。
  それもやはり「かたち」の母のことをテーマに書いているので、『世界内存在』というところからいろんな方向にいくらでもでも話しを展開して行けるからかも知れない。
  スタニスラフ・グロフのBPMについて自分の理解が浅かったように思うので、もう一度これについて書いてみる。


  BPMの諸相にリンクする元型イメージ

 BPM(Basic Perinatal Matrix・基本的分娩前後のマトリックス)についてもう一度おさらい。
 東欧の精神医学者、スタニスラフ・グロフはLSDセラピーや、ホロトロピックセラピーを患者に施していく中で出産時や子宮内での記憶が、患者の無意識の信念体系に深く影響しているのを発見し、この記憶領域をBPM(Basic Perinatal Matrix・基本的分娩前後のマトリックス)と名づけた。

 BPMは4段階ある。
 ①BPM1は、胎児が子宮の羊水に穏やかに浸っている状態。
 ②BPM2は、子宮口が開く前に、子宮が収縮を始め胎児を締め付ける段階。
 ③BPM3は、産道に出た胎児が誕生に向かい苦戦する段階。
 ④BPM4で、新しい世界に誕生し母親から離れる。

 そして、それぞれ問題のあった領域での記憶を想起・解放することによって様々な精神的症状が軽減・治癒していくのを目撃した。
  ここだけを読むと、トラウマを全て胎児期に還元するような単純化をグロフは犯しているように見えなくもないがそういうことではないようだ。
 グロフの論で重要な部分は、それぞれのBPMは特有の元型イメージと結びついているということではないかと思う。

 『深い分娩前後の記憶は、ユングが集合的無意識と呼んだ領域への入り口を準備してくれる場合もある。産道を通り抜ける苦しい試練を再体験するとき、他の時代や文化の人々が体験したのと同じ出来事を体験したり、動物や神話的人物が体験した出生プロセスを身をもって体験したりすることもある。他の方法で、虐待されたり、投獄されたり、拷問を受けたり、犠牲になったりした人々との深いつながりを感じることもある。それはまるで、生まれ出るために奮闘している胎児の普遍的な体験とのつながりが、現在、あるいはかつて同じような状況にいたことのあるすべての存在との、親密で、神秘的ともいえる結びつきを喚起するかのようである。』

                             スタニスラフ・グロフ著 深層からの回帰 より

 それは俗に言われる、『前世の記憶』なども含まれる。
 それぞれのBPMはそれぞれの性質に特有のイメージ・記憶へとアクセスするための、扉の役割りもする。BPMのそれぞれの段階が、元型イメージを発生させるまさに「母体」となる。それは例えば次のようなものだ。これはBPM1(羊水的宇宙)にアクセスした若き医師の体験である。

 ひとつのレベルでは、依然として、彼は良き子宮の満ち足りた完璧さと至福を体験する胎児であった。あるいは、自分の命を養い、育んでくれる乳房とひとつに溶け合った新生児だった。
 もうひとつのレベルでは、全宇宙であった。彼は無数の脈動する銀河が輝く大宇宙の光景を目撃していた。時おり、それらのものを外から眺める観客となり、別の時には、それら自体になった。
 この光り輝く息を呑む大宇宙の眺めは、同様に奇跡的な小宇宙の体験・・・最初は、原子や分子のダンス、それから生化学的な世界の出現、そして生命の始まりと個々の細胞の進化・・・と絡み合っていた。彼は生まれてはじめて、本当の宇宙・・・はかりしれない神秘とエネルギーの聖なる戯れからなる宇宙・・・を体験しているのだという実感にひたされた。

 この豊穣で複合的な体験は永遠につづくように思われた。つらい病んだ胎児の状態と、この上なく幸福で穏やかな子宮内の存在状態との間を彼は揺れ動いていた。時たま(母から流れ込む)毒物の影響が童話の世界に登場する元型的な悪魔や悪意に満ちた生き物の形をとることもあった。子供たちが神話的な物語やその登場人物に心をひかれる理由について、溢れんばかりの洞察がひらめきはじめた。その洞察のいくつかはかなり幅広い関連性を持っていた。
 
 安全な子宮や神秘的な恍惚の中で経験できるような完全な充足状態への渇望が、あらゆる人間を動機付ける究極的な力であるように思われた。この渇望のテーマがハッピーエンドに向かって話の筋が展開する童話の中に表現されていることに気付いた。ユートピア的未来という革命家が抱く夢の中にも、また、認められ賞賛されたいという芸術家の衝動の内部にも、そして財産や地位や名声を求める欲望の内にも、同じテーマが見えた。

 人類がかかえるもっとも基本的な葛藤に対する解答がここにあることが非常に明確になった。この衝動の背後にある渇望と欲求は、外的世界においてどんなに素晴らしい偉業を達成したとしても決して満たされることはない。この渇望を満たすことが出来る唯一の方法は、自分自身の無意識の中にあるこの場所ともう一度つながることであった。有効に働く唯一の革命は、人間ひとりひとりの内的変容である、という多くの霊的な教師のメッセージを突然理解した。
 
 胎児期の肯定的な記憶を追体験している間、彼は全宇宙との一体感を味わった。ここには、タオ(道)、内なる超越、ウパニシャッドのタト・ツヴァム・アシ(汝はそれである)があった。個体性の感覚はなかった。彼の自我は溶け去り、全存在とひとつになった。時に、この体験は内容がなく、つかみどころがなかった。またある時は、たくさんのうつくしいビジョン・・・元型的な楽園のイメージ、最高の豊穣、黄金時代、人の手に汚されていない自然・・・を伴った。彼は、水晶のように澄んだ水中を泳ぎまわる魚、山間の牧草地を軽やかに飛び回る蝶、舞い降りて、海面をかすめて飛ぶかもめになった。また、海、動物、植物、雲になった。ある時はそのうちのひとつに、ある時は別のものに、又ある時は同時にそのすべてのものになった。』


 以上は前掲書からの引用で、非常に目くるめく体験だが、これは、彼が実際に胎児期に感じていた記憶とはまったく別物かもしれない。しかしそんなことはある意味どうでもいいことで、興味深いのはBPM1にアクセスすることがこの種の、宇宙的合一や完全に満たされた宇宙に存在しているという体験への扉を開くと言うことだ。
 僕はグロフのBPMという概念が普通の前世療法やなんかより面白いと思うのは、ここではBPMというあらゆる体験の型を包括したような元型から無数のイメージ・記憶が想起されるためだ。
 なぜBPMがそのような性質を持っているかというと、胎児が子宮内にいる状態と言うのはおそらくもっとも、世界内存在であるという認識が強い時期であり、グレートマザーの力もまたもっとも強大であるからではないかと思う

 あらゆる僕らの体験は、僕らが世界内存在であるという絶対無比の認識に基盤を置いているのだ。これがBPMより深いところにある絶対的な元型であり、そして僕らが世界内存在であるということによって生まれる、世界の僕らへのはたらきかけ、そして僕らの世界への反応(愛憎半ばする)がまたいくつもの元型世界を産み出していると言える。
 BPMにおいて胎児に恐怖と、歓喜を与えるのは、明るく豊穣なる母アイマ(パールヴァティ)と、暗く不毛なる母アマ(カーリ)のお馴染みの二元型だ。
 BPMには、その世界内存在であることによって発生する体験領域のすべてが可能性として含まれているのではないだろうか。

  胎児は、受精から、誕生までの間にひとつの 『生』 を母胎内で生きるのではないだろうか。
 ひとつの生であればこそ、そこには誕生後の人生で経験する出来事の雛形となる体験が、型としてすべて存在しているのだと思う。

 村上龍『コインロッカーベイビーズ』と、孤児たちのママへの復讐、異化された男性性は破壊を渇望する、BPM1としての音療法

 僕は村上龍の『コインロッカーベイビーズ』という小説が好きで、以前よく読んでいた。
 この物語は、ハシとキクというコインロッカーに捨てられた二人の孤児の、世界への愛憎の物語である。
 たまたま同じ日にコインロッカーから発見された二人は、キリスト教系の孤児院で幼児期を過ごした後、離島に住む夫婦の家へ養子として送られる。
 キクは肉体的な感性の強い、陸上選手に、そしてハシはあるひとつの「音」を探し続けることによって音楽的な感性を開花させていく。(この「音」というのは二人は表面意識では忘れているが、実は二人が幼児期に精神療法を受けた時に、聞かされた母胎内の心臓の音である
 見知らぬ男に性的ないたずらをされた後、ハシは、書置きを残して東京へ行ってしまう。
 どうやらハシは自分の実の母親の情報を偶然知ってしまい、それでいてもたってもいられなくなったようだ。残されたキクと育ての母親は、彼を追って上京する。
 都会はキクに重苦しい閉塞感を与える。ここで彼は初めて世界を破壊したいという願望を感じる。
 旅先のホテルの一室で、一緒に来た育ての母がちょっとした頭部への怪我が原因で、キクが朝目を覚ますと死亡し、冷たくなっている。その時、彼は思う

 『陽はカーテンの隙間から差し込み部屋の温度はどんどん上がった。部屋はコンクリートとガラスで密封されている。キクは全身に汗をかいている。窓の外のビル解体現場から電源車の唸りが聞こえ始めた。窓ガラスを震わせる。クレーンが鉄の玉を振り回す、その最初の一撃がビルの壁に減り込んだ時キクは叫び声をあげて不安な夢から覚めた。

 どこにいるのかしばらくわからなかった。部屋を見回した。白いものが隣に転がっている。シーツは死体が吐いた血で赤黒く滲んでいた。キクは和代の顔と首と胸にぴったり張り付いたシーツを見た。人間の上半身に赤いペンキを塗ったようだった。キクは恐怖で震えだした。次から次に汗が吹き出て左手からは和代の化粧のにおいがした。和代の匂いはまだ生きていた。

 赤く濡れたシーツでかたどられた和代は硬いただの人形だ。キクの中で隠れていたものが少しだけ姿を現した。鉄の玉がビルを打ち崩す音が休みなく聴こえる。新しい汗が吹き出るたびに恐怖が怒りに変わった。この不快な暑さは我慢できないと思った。閉じ込められている、そう気付いた。ガラスとコンクリートに遮断されたこの部屋、閉じ込められたままだ、いつからか?生まれてからずっとだ、柔らかいものに俺は密封されている、いつまでか?赤いシーツをかぶった硬い人形になるまでだ。

 コンクリートが砕ける音がする、窓の外の街は熱暑で歪んでいる、ビルの群れがあえいでいる、白く濁り溶けようとしている街が呼びかける気がする、廃鉱の島にひろがる無人の町並みが頭に浮かんでくる、窓の向こうで暑さに喘ぐ午前中の東京に重なる、東京がキクに呼びかけている、キクはその声を聞いた、壊してくれ、全てを破壊してくれ

 ・・・キクの中で古い皮膚が剥がれ殻が割れて埋もれていた記憶が少しずつ姿を現した。夏の記憶だ。十七年前、コインロッカーの暑さと息苦しさに抗して爆発的に泣き出した赤ん坊の自分、その自分を支えていたもの、その時の自分に呼びかけていたものが徐々に姿を現し始めた。どんな声に支えられて蘇生したのか、思い出した。殺せ、破壊せよ、その声はそう言っていた。その声は眼下に広がるコンクリートの街と点になった人間と車の喘ぎに重なって響く。壊せ、殺せ、全てを破壊せよ、赤い汁を吐く硬い人形になるつもりか、破壊を続けろ、街を廃墟に戻せ


                      村上龍著 「コインロッカーベイビーズ」 より

 ここでキクに現れているのはBPM2的な、「出口なし」の閉塞感であり、彼を包み込んでいる、「やわらかいもの」そして熱暑の都会は、彼にとって「暗く不毛なる母・アマ」である。それは彼が捨てられたコインロッカーのイメージでもある。彼にとってこの世界(都会)は、彼が死に至るまで彼を閉じ込めるカーリとなった。
 彼に訪れた破壊衝動は、このネガティブマトリクス(あくまでもキクにとってということだが、まあ身に覚えのある人も多いだろう)からの脱出願望であり、自由への夢だ。 
 キクの『街を廃墟に戻せ』という言葉からもうかがえるが、破壊というのはそれ以前への秩序、あるいはカオスへの回帰願望でもある。
 そしてこの後、自分を『鰐の王国からの使者』だと冗談めかして語るアネモネという少女との出会いによって、彼の願望は街を『ジャングルに戻す』というイメージに変わっていく。

 あたしって鰐みたいな女よ、ねえキクびっくりすること教えてあげようか、あたしは鰐の国の使者なのよ。
 ディズニーランドに四つのくにがあるように、脳には三つの国があってね、運動の国、欲望の国、考える国、欲望の国の王様は鰐なの。運動の国の王様はヤツメウナギで考える国の王様は死人よ。
 あたしは鰐の国に住んでるわけ。あたしは顔も可愛いし太ってないし、貧乏人の娘じゃないし、健康で先天性梅毒じゃないし、どうでもいい人たちから好かれなくても苦しくないし、便秘もないし、両方とも視力は2.0で足も速いの。鰐の神様がどうでもいいことを考えなくてもいいようにしてくださったのよ、わかる?
 あたしは使者なの。この町を鰐の王国にするためにあたしは選ばれて、ある男の手助けを命じられているのよ、あなたよ、キクをずっと待ってたの。あなたはこの街をメチャクチャに食いちぎるために生まれてきたのよ、あたしと巡り合ったのが何よりの証拠だわ

 
 「鰐の王国ってどこにあるんだよ」
 
 「あたしの口の中、暗くて柔らかなべろの下



 ただ単に、「廃墟に戻す」というだけではなく、原初の自然の理想郷(これはどちらかと言うとアイマ・明るく豊穣なる母)への回帰イメージと変化していく。 ネガティブマザーへの反抗は即、ポジティブマザーへの思慕となってしまうという構造がここには見える。アネモネは魔的でエロチックでどっちかというとヤバいアニマだが、キクに何らかの生命を与えている。「廃墟」を夢想していた孤独な男性に、プリミティブな歓楽に満ちた『鰐の国』からの招待状が届いたからだ。
 このように男性にとって、アニマ・女性性とはそれがどんな種類のものであろうと、なんらかの生命の付与者だ。

 男性性のある面の特徴は、世界からの孤立であり、世界内で異化された存在であるという認識ではないかと思う。世界内で異化された存在である人間には、世界を破壊・あるいは暴力的に支配したいという願望が生まれる。
 男性性がネガティブに働くと、対象を破壊したり、相手を力や論理でねじ伏せたいと言う欲求が強くなる。 これが、独裁者や、テロリスト、凶悪な犯罪者、マッドサイエンティストwというような存在に共通して働いている原理だ。彼らは言ってみれば、ネガティブマザー(彼らには世界がそう見える)への反抗者なのだ。このネガティブマザーへの反抗と言う破壊作用は、女性よりもより男性において激しく、また外向的に表現される。
 
 ちなみに今僕が書いているような文章もどちらかというと男性エネルギーが強い文章ではないかと思う。なるべく暴力的にならないようにはしているつもりだがw

男性性のポジティブな元型はユングの「オールド・ワイズ・マン(老賢人)」や慈悲深き支配者、あるいは「王」である。これらの元型の中では、男性の暴力性はなりを潜め、超克されている。
  
 キクが世界への破壊願望に突き動かされていくのに対して、ハシは幼い時に聴いた絶対的なある「音」を探し続けることで、音楽に向かいやがてカリスマ的な歌手としてデビューする。 
 特徴的なことはキクのテンションがすべて外向的であるのに対して、ハシは内向的であるということだ。しかしやはりハシも破壊願望に取り付かれてもおり、その破壊作用は主に自分の精神や肉体に対して向けられている。 
 キクがハシに再開した時、ハシは女のように化粧をして客をとる男娼のようなことをしている。やがて歌手になったあとは声を変えるために自分の舌先を自分で切断する。
 ハシが探し求めていた「音」は、母胎内の心臓の音をアレンジして精神療法用に作られたものだった。それはBPM1の特質を持っていて、彼らの破壊的エネルギーを一時的に抑制する効果を持っていた。担当の精神科医は孤児院のシスターに、その「音」についてこう語る。

 『・・・この治療法はアメリカで幻覚剤による急性分裂病に用いられて開発されたものですが、患者を、もう一度胎内に戻すのです。絶対的な平静と秩序を与えるわけです。
 電気操作した人間の心臓音、胎児が母親の胎内で聞く母親の心臓音ですね
、人間の心臓は胎内では非常な音量で響いているんです。空気ではなく体液の振動で伝わるからです。それは単なる音ではなく様々な器官や血液、リンパ液を震わせて胎児に伝わるために、複雑な音階さえ感じられます。この音階と音色が昨年アメリカの精神医学会で発表された時に、マイケル・ゴールドスミスというマサチューセッツ工科大学教授で神経化学を研究している人が面白い意見を述べました。
 この人は余技に空想科学小説を書くんですが、その心臓音は、航空宇宙局が飛ばしている人工衛星が発する異生物交信音と非常によく似ているというのです、偶然でしょうがね。
 私はその心臓音を実験的に聞きましたがそれはすごいものですよ、半覚醒状態で聞くと圧倒的な平安と至福を覚えます。宗教家のみなさんにこんなことを言ったら失礼だろうが、その昔キリストが与えた至福感とはああいうものだったのかと思いますね

 
 しかし失礼なことはない。先の若き医学者の回帰体験で見られたように、宇宙的な恍惚感とBPM1はどこかとても深いところで連動しているからだ。
 と言っても宗教的恍惚感が、BPMの記憶に根ざしてるとかそんな意味ではなく、人間の魂の非常に深いところで、意味的に連動しているということ。
 ここでは「音」が母体の代わりをするのだが、それはより精妙な世界では「波動」(目には見えない振動パターン)がマトリクスを構成しているからであると思う

 目に見えるマトリクスを支えているのは、不可視のマトリクスだ。

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女神の性質 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2009/01/27 17:53

女神の性質④

  女神の性質とは、その包容性だ。
  タントラなどの伝統的な考え方に従えば、この現象世界に存在するものはすべて女神の手の内にあるということになる。
  最高に女性的な女性もそうだし、ほとんど極端なほど男性的な男性もそうだ。
  それはこの肉体という鋳型が、そもそも女性性の顕現だからだ。
  男性も胎児期の始めは女性なのだが、遺伝子の働きによって徐々に男性化されていく。
  ペニスは、発達したクリトリスだ。 
 性同一障害などで悩む男性はあきらかに脳の構造が通常の男性と違う(女性脳である)と言われるがこれは胎児期になんらかの理由で十分な脳の男性化が進まなかった為だと聴く。
  この生物学的な性の発現過程は、アダムの肋骨からイブが創られたという創世記の神話とは真逆である。

  波動と「かたち」

 前回までかたちの根源は女性性であると書いたが、「かたち」は目に見える物質的なものだけであるとは限らない。それどころか目に見える形態はおそらく「かたち」の世界のごく一部でしかないだろう。

 例えば神秘主義や、ニューエイジャーの語るところによれば、宇宙は「波動」によって成り立っており、この物質世界はもっとも波動の振動数が遅い世界であると言う。振動数が遅いと言うのは同時間内につくられる波形がより短くゆったりしており、振動数が速くなると同時間内により多くの波形が作られる。一例↓

             090125_1417~01

 振動数が速いというと、普通は騒がしい・あわただしいという印象を受けたりするが、ここで言う「振動数が速い世界」というのはより精妙であるということだ。
 例えば、植物は鉱物よりも振動数が速く、動物は植物より振動数が速いというのはまあ伝統的な考え方と言っていいだろうと思う。そして人間の意識内の現象のほうがより振動数が早い。

 しかし「より精妙である」ということは、通常認識されないということでもある。目に見えるものだけを実在と考えるパラダイムにおいては振動数が高い領域はすべて、非実在として切り捨てられる。これでは僕らは振動数の低い領域にのみ住むことになってしまう。
 例えば「気」(エーテル)の世界は、通常の肉体よりも振動数が速い。だがら認識できない人も居る。しかし多分2,3時間(いやそんないらないか・・・)気功的な修練を遊び感覚でやれば大半の人はその世界を肉体感覚で実感できるのではないかと思う。そんな大それたことではないと思うのだが、このレベルの世界をあるとかないとか言って超常現象番組では大騒ぎしていたりもするので面白い。(ただし気をコントロールするとか、動物を眠らせるとかいうことは練習しないと出来ない。もちろん僕は出来ないw)
 同じように、オーラ(感情体アストラルの次元)とか霊界とかいうのも振動数が違うだけで、この世界に幾重にも重なって存在しているだろう。
    
 さて、この目に見えないが存在している、かたち・波動の世界!というのは実は誰もが認識できるものとして存在してもいる。それは音楽だ。様々なジャンルの音楽は、すべて目には見えないがクラシックならクラシック、ロックならロック、演歌なら演歌としてそれぞれの「かたち」を備えている。これを否定する人は、まあいないだろう。

 音楽とは、還元するなら楽器によって生み出される、空気の振動、つまり「波動」の無限の組み合わせパターンだ。それを人は耳から聴く事によってそれ特有のパターン・かたちの美を認識している。音楽は誰もが認識できる「見えないかたち」だと言える。
 精妙な音楽は、やはり精妙な振動領域の世界と僕らをつなぐ。
 そして粗雑な音は粗雑な振動を発生させ、こころに同じような影響を与える。

 波動とはその振動を伝える媒体上に描かれたパターン(かたち)だ。音楽であればその媒体は大気だし、波なら、海の水だ。
 昔、物理学では「光」も波動であると考えられ、その波動の伝導媒体として真空中に「エーテル」と呼ばれるものが充満していると考えられた。波動は伝導媒体なしでは伝わらないからだ。 
 しかし現在では、光は粒子と波動、双方の性質を持つパラドキシカルなものとして認識されているようである。

 それはさて置き、この『波動』というものが、空気や水のないところでも存在し、宇宙を構成しているというのが神秘主義的な考え方と言ってもいい。神秘主義的見方をする人にとっては、この物質世界も波動宇宙の一側面として理解される
 ではこの波動、「見えないかたち」の根源とはなんであろうかと考えると、頭に「ロゴス」と言う言葉が浮かぶ。というか「ロゴス」は言葉と言う意味合いだ。
 聖書曰く、「はじめに言葉ありき」の言葉である。

 「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。
  すべてのものはこれによって出来た。
  出来たものうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
  言葉は肉となり、わたしたちの内に宿った
」 
                                     ヨハネの福音書

  ヒンズーの概念で言うなら、これに該当するのは3つの聖音AUMだろう。
  普通はこの三音は創造者ブラフマン、破壊者シバ、保持者ビシュヌと考えられるが、   
  一説によると、Aは天を Mは地を Uはそのつなぎをあらわしてるとも言う。
  スワミ・スリ・ユクテスワの『聖なる科学』によればこのオームが、時空間を発生させる母体となるがこれは全能のシャクティ(宇宙の創造力)の現われだ。

 幾何学的宇宙原理において△や○がすべての形態を創造するのと同じだ。
 一方はそれを音、又は言葉として表し、一方はそれを図形としてあらわしているが、僕はこれらは同一のことを言っているのではないかと思う。
 というのは、波動も、言葉もまた図形も、すべて「かたち」であるし、音のほうがより精妙な形態だとは言えるが、音は即形態であり、形態は即音ではないだろうか?? 

 AUM(ロゴス)も幾何学も、より精妙な創造の原理を指し示しているのだろう。
 だからピタゴラスのように「宇宙は数字で出来ている」というのも、「宇宙は偉大な音楽である」と言うのも共に正しいではないかともう。

 サラスバティーは、芸術の女神であり、また音楽と弁舌の女神であるとも言われるが、これは矛盾したことではないのだ。形態や色彩の美を表現する絵画も、空気を振動させる波動パターンを通じて自己を表現することも、また言葉を駆使することも、すべて「かたちの母」にソースを持っているからである。

 人はおそらくもっとも原初の創造原理を、かたちの秘密を模索してきたのだろう。
 それは女神の正体でもある。
 神聖幾何学や、AUMと言えどもそれは創造されたものだ。つまり現象世界に属するもので、ケテル、空、ブラフマン、神自体ではない。
 女神はこの、絶対者の世界と、マーヤ(現象世界)の境界線上にいて謎めいた笑みを浮かべている。彼女は人が超越へと至る門である。 

 


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 『聖なる科学』中の図象 サット(真の実在)より以下はマーヤの世界が始まる。根源的女神は、その下のチット(全知の愛・神への牽引力)、アーナンダ(無限のマーヤ創造力、神から遠ざかる力)の合一したものであると思われる。女神の力は神への引力であり、反力でもある。これがすごいところ??かも

 プラクリティ(神の性質)

 現象世界を構成する全能の創造力(シャクティ・無限の姿形をとって万物を構成しているエネルギーの本源。その本質は喜びで、永遠の至福アーナンダとも呼ばれる)と、その世界をあまねく意識している全知の知性(チット・あらゆる知識・感情など心理機能の本源。これはまた愛であり、普遍の愛、全知の愛とも呼ばれる)とは父なる神のプラクリティ(創造活動・・・自己表現活動・・を演出する潜在的実態)を構成する。
                 『聖なる科学』本文より





女神の性質 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/01/25 12:36

女神の性質③

  女神と、三角形、カバラ、多重ピラミッドの世界

                  uroko.jpg

 上は去年の11月の記事で書いた、全国の弁財天で見られる紋だ。
 中央には下向きの三角形が配置されている。
 三角形と女神は根本的なところで結びついているように思えてならない。 

           300px-TreeOfLife_svg.png

 上は有名なカバラの生命の樹と呼ばれる図象で、一者から流出した力がどのような経路を辿って現象世界を成立させているかを示したものだと言われている。
 ここでは、樹の上部の三つの円形(セフィラー)が形成する三角形に注目する。
 これはカバラでは「至高の三角形」と言われ、一番上のケテル、その右下のコクマー、左下のビナーによって構成されている。
 ケテルは神、空、ブラフマン、太極であり、ケテルが現象世界を創造するために相対化してできたのが、コクマー(原初の男性原理・陽)とビナー(原初の女性原理・陰)だ。
 「至高の三角形」はケテルから、コクマーとビナーが流出し、最初の力の均衡がとられた状態を示している。女性原理であるビナーが現れたことで、最初の三角形が現れるのだ。

 僕はなんとなく、一番根本的な「かたち」というのは○ではないかと思っていたが、実は△が○のベースに存在しているのかもしれない。
 「ケテル」は  ・  (点)だ。それは形を持ってはいない。そこにもうひとつの ・ であるコクマーが出現すると ・ と ・ は結びついて _ (線)になる。これが「シバリンガ」かもしれない。それはいまだ形には拘束されていないケテルからの純粋なエネルギーでもある。
 そして、さらにもうひとつの ・ であるビナーが現れたときに初めて、三点を結ぶことで図形が、つまり世界内世界が誕生する。一個でも二個でもない、点が三個あって初めて最初の世界が描かれるのだ。このような意味で、三角形は一番原初の「かたち」を象徴しているのだろうか。

 ○はこの△の回転作用によって生まれる。それは、卍でもある。
 女性性の特徴であるところの○や、螺旋は、「運動体」なのだ。
 何かが高速で運動することによって、別の形態を産み出している。
 これには最初のマーヤ、現象世界のイリュージョン性が垣間見える。
 回転運動をするにはその「軸」が必要だが、それが△ではないのだろうか。

  このことはメルキゼデクの「フラワーオブライフ」にも書かれている。
 ただし、「フラワーオブライフ」では、ピラミッドがふたつくっついた正八面体(黄金太陽)が回転して球体が出来たことになっている・・が、ここでは△と○として単純化して平面的に解釈してみた。

 なお二次元的図形に必要なのは、3つの点だが、3次元的立体では最低4つの点が必要となり、ここで出来上がるのは、正四面体だ。これはプラトンの神聖幾何学では「火」のエレメントをあらわすものである。

 △が立体化した黄金太陽には、回転軸はふたつ存在する。
 最初のかたち△は、また陰陽両極に分割するからだ。
 かたち自体が陰性のあらわれなのだが、その中でまた極性が生まれる。
 陽性を帯びた+極△と、
 陰性を帯びた-極▼だ。
 黄金太陽の上部は火であり、下部は水で、それぞれ逆方向に回転しているとされている。 

                     gold.gif

 下向きの三角形は、ちょうど「水」をあらわしているなら、これはぴったり弁財天の象徴と一致する。
 
 ここまでは、まあそれほどトチ狂ったことは言っていないと自分で思う

 さて三角形の組み合わせてメジャーなのは、
 
       081113_1258~01

 この六ぼう星だろう。しかし、なぜか僕は去年から、この下向き三角と上向き三角がいまだ合体せず、つのつき合わせているような位置関係の図が気になって仕方なく、一体それが何を意味するのか時々暇に任せて考えていた。それは、フィリス・アトウォータが臨死体験中に見たような以下のような砂時計型形状をしている。

          081113_1326~01

 これはふたつのサイクロンで、それぞれが逆回りに回転しており、その結合部分からは莫大なエネルギーが放出されていたということだった。回転していたということで、これは「運動体」であることがわかる。では果たしてその「軸」はなんであったのか?

 彼女はかなり根本的な元型世界を目撃したと思うのだが、それではここでは回転しているのは「黄金太陽」なのだろうか?しかし彼女が目撃しているのは、黄金太陽の下部と上部であり、この位置関係だとふたつの黄金太陽が存在することになってしまう。黄金太陽とは複数連結しているものなのか?そのつなぎ目にあるのがこの世界なのだろうか??

 このことを考えている時、たまたま本屋(中野の古書大予言w)で手に取った本にこのことのヒントとなるような文章が書かれていた。それは「発光するアトランティス」という本だったが、以下その箇所を引用する。これはピラミッドの形状に関するものだ。

『 ・・・以上のことを整理すると、カフラー王のピラミッドには実は目に見えない力線が隠されているのである。まず地下には残り半分の逆ピラミッドが想定される。形は常に完成に向かっているものであることは鉱物の結晶を見ても判るであろう。ピラミッドの場合は正八面体として(黄金太陽だ はいたか注)完成しようとする力が働いている。それが地下に隠されている。

 ・・・いずれにしてもこの目に見えない天空への四本の稜線は、実はピラミッド自体の稜線をそのまま天空に延長したものと同じなのである。ということは、ピラミッドの頂上に逆立ちしたもうひとつのピラミッドが乗っていることになる。即ちピラミッドの頂上に水面があるとしたら、水に映った目に見えないピラミッドの映像が現実のピラミッドということになる。これは無限に繰り返して天空に上昇しているのがいわゆるピラミッドパワーなのであろう。勿論地下に対しても無限に同様のことが繰り返され、地球の中心に向かっていく。
 天上と地下に向かって無限に上昇下降していく目に見えないピラミッドの正・倒立像即ち八面体の連なりは、不思議な宇宙的エネルギーとして古来から宗教家によって感得されてきたのも、「形は完成に向かって運動する」という結晶原理を示しているに違いない。従ってピラミッドパワーとはピラミッドが正八面体として完成しようとする結晶化エネルギーであると言っていいのではないか。』

                              渡辺豊和 『発光するアトランティス』 より

 僕はこれを読んで、天空と地下への正八面体の無数の連なりというビジョンを、同じように想像した人がいたので驚いた。
 フィリス・アトウォータのビジョンについてはこのことと関係があるのかは、わからない。
 だが僕にとっては、このふたつの三角形の位置関係の意味が少しはっきりしたような気がしたので、それでひとまず落ち着いた。

 「かたちは完成に向かう」
 原初の女神の中には恐るべき美のプログラムが秘められている。
 この森羅万象全ては最初の△にその形態の可能性を全て秘めていたのだろう。
 おそらく、△とはもっとも原初的マトリクスの象徴なのだ。
 だから女神のシンボルとなり得る。
 そしてその△を雛形として無数の世界が構成されるなら、これはものすごい。

 そう言えば~今日は1月23日
 奇しくも、1・2・3 三角形が完成した日(火)である。なんつって。
女神の性質 | コメント(5) | トラックバック(0) | 2009/01/23 22:03

女神の性質

  ユング心理学で言うところのアニマ(男性の中の女性元型、永遠の恋人)と、グレートマザー(太母)はお互いにそのイメージを共有しあっている。
 つまり、アニマの中にもマザーのイメージが在り、マザーの中にもアニマのイメージが在る。

 ヘッセの「デミアン」の中に登場するエヴァ婦人は、主人公の憧れの女性だが、恋人のようでいてまた母のような面影を宿しており、その雰囲気はすべての人類の「母」のようである。
 エヴァ夫人はアニマとマザーを融合させたような、永遠の女性、女性性の純粋な具現化のような存在だ。

 原初のアニマにおいては女性性とは、ただどこか魔的なエロスに過ぎない。
 豊満な肉体や、性的に貪欲かつ無節操な女性イメージとして現れることもある。
 男性的な直線的性欲がそれを射止めるための「射的」でしかない。肉体的に魅力的であればそれだけ、弓はつよく引かれ、それを射止めるための集中力が凝縮される。週刊誌のグラビアやアダルトビデオに登場する女性などは、アニマのこの側面のみを主に強調したものだ。女性の性的な魅力のみを強調するのは、真の女性性への冒涜である。それは女性性の原初的な一側面に過ぎない。(ただし性的な魅力を表現することは必ずしも悪いとは思わない。問題はそれが女性性の一部分にしか過ぎないのにそれが全てであるかのように考えることにある)
 この領域では、女性は使い捨てにされる性の道具であり、男性性と女性性のコミュニオンは起こらない。女性性は傷つけられ、また男性性も暴力的な存在にただとどまらざるを得ない。

 しかし次の段階において、アニマはやや精神的なものになる。
 つまり「優しい女性、包容力のある女性イメージ」の登場だ。
 肉体的なイメージもある程度はこのレベルの精神的なイメージとリンクはしている。
 このレベルにおいて、いくらかアニマはマザーの性質を帯び始める。
 グレートマザーは、人を生み、そして愛し、育む母の元型だ。
 アニマの中に自分を受け止めてくれる受容性や、男性として成長させてくれる教育性(?)を見る時、アニマとマザーは融合し始める。
 性的なアニマの持ち味は、その牽引力だ。
 牽引力は女性性の主要な特性のひとつだ。
 彼女は男性性を自らの中に牽引し、エネルギーを放出させる。
 しかしその関係性は刹那的である。
 男性の個性を受容し、理解するという性質がまだ現れていないからだ。
 男性の視点からしても、そのアニマの存在理由はただ自らの欲望の放出でしかない。
 しかし、アニマに他の女性性の特質・・・人格的な受容性や優しさ、理解力、智慧など・・・が現れてくるにつれて、アニマとの関係性は刹那的なものではなく、全人格的なコミュニケーションや精神的な意味に裏打ちされた長期的なものとなる可能性がある。牽引された男性性は、それのみで終わらずに、存在を抱擁されるのだ。「週刊誌のグラビア」は「ロマンチックラブ」の領域へと進む。この領域に至ってはじめて男性性は女性性によって変容し始めることが出来る。
 つまりどのような内的異性を持っているかということは、どれくらい男性として成熟しているかという目安でもある。アニマは、自分自身なのだ。アニマが変容すれば、自己も変容し、自己が変容すればアニマも変容するのである。「女はヤルものだ。」と言う男性は彼自身の男性性のレベルについて告白していることになる。女性性の全体ではなく断片しか把握していない場合、やはり男性性も断片的となる。

 同じように、女性自身が自分の女性性を肉体的な美や、性的な魅力にのみ限るなら彼女は自分自身のトータルな女性性と接触することは出来ない。そのことによって様々な問題が発生する。
 彼女が自分をエロス的アニマと同一化すればそれだけ、幼稚で暴力的な未発達なアニムス(女性内男性イメージ)を同時に形成し、外的にもそのような異性と接触しやすいからだ。
 現在の消費主義商業文化の中では、女性の肉体イメージは大きなマーケットになっているので、そのアニマの側面は男性にとっても女性にとっても必要以上に異様に大きなウェイトを占めている。
 テレビをつけると化粧品や様々なCMが、あなたはもっときれいになれるはずだと訴えかける。
 女性も「過度に」スタイルを気にし、雑誌のモデルのような体型になろうとしてダイエットに励む。そうしないと女性として価値がないと半ば思い込まされている。
 彼女は、女性性の恵みである自己の肉体を半ば敵視し、思い通りに支配、改造しようという「男性的な」願望にとらわれる。
 女性が美しくなるのは男性にとってもうれしいことだ。 
 しかしこの現象は、真の女性性をヴェールで隠し、アニマ・アニムスを未発達な段階に留める役割りもしているので、男性女性双方にとって不利益も大きい。
 問題は女性性が商売の道具として、乱暴に扱われているということにある。
 ある意味これはレイプだ。

 女性性とは、単に人間的な特質を越えて拡がっているものだ。
 『女神』とは女性や母性の神格化ではない。
 そうではなく、人間の女性性や母性こそが『女神』の現われなのだ。
 『女神』の性質は、生命を生かすもの、育てるものとして、自然界の森羅万象に浸透している。
 例えば命のゆりかごである海洋として、ガイアとして、アマテラス・太陽として。
 科学はそれらを女性的とはみなさないだろう。
 しかし僕らのハートはそれらを女性だと感じている。
 そのポイントを押さえなければ、僕らは女性性の全体像に達することは出来ないだろう。
 つまりアニマは断片的であり続けることとなる。
 アニマとは人間的心理学の枠を越えて存在する、宇宙的存在なのだ。
  
 さらに発展したアニマは、もう女神のようなイメージになっている。
 これが女性性の全体性だ。それはもうほとんど人とは呼べない。
 先の段階では受容性というのは、いくらか消極的な女性的性質と混同されるようなところもあったが、このレベルではもはやアニマの放つ愛や、包容性は積極的な力として、人を霊的に目覚めさせはじめる。この女神的アニマの発揮するする牽引力は、生物的本能に従って男性のエネルギーを自らの個人的エゴや肉体に牽引するものではもうない。ここで現れる牽引力は、愛や存在の根源へと人を連れ戻す牽引力だ。女神はやはりエロス的アニマや、普通の女性のように人を自分へと引き付けるが、彼女はもう純粋な愛それ自体になっているのだ。女神的アニマの牽引力は神の『愛』の牽引力である。
 性的な魅力や、心理学的なレベルの受容性はもはや二次的、三次的な価値になっている。
 しかし、その内部にはそれらもすべて秘めている。
 ここでは人を産み出した「マザー」と、そして人を成長、変容させる「アニマ」とが融合している。
 それは母のようであり、また恋人のようである。
 デミアンの「エヴァ夫人」の誕生だ。
 ラーマクリシュナはすべての女性に、この至高のアニマ(マー)を投影して、彼女らに仕えよと説いた。
 映画「マトリクス」でネオにメッセージを伝えるオラクル(預言者)もこのイメージに近い。
 彼女の吸うタバコはまるで原初的魔的アニマの名残のようだ。
 この智慧の女神の前では、男性性は子供になる。
 和尚・ラジニーシは男性性は最後には子供になると言っていたと思うが、
 それはただの無知な幼児ではない。
 存在性にサレンダーした覚者の姿といってもいい。

 女性性とはそのもっとも純粋な形においては、積極的な力なのだ。
 女性性とはまた「世界内世界」、「形」の創出者でもある。
 ロシアの名物人形マトリョーシカのように、この宇宙は、原初の女性性(エロス的アニマのことではない。女神の方)の内部に、いくつもの「マトリクス」を多重的に発生させていると言われる。
 それは例えばこのようになっている。

 僕らは母の子宮(これも世界内世界だ)に10ヶ月いた後に、この地球(これも宇宙の中の世界内世界、ガイア女神)に生まれるが、それ以前に『肉体』という世界内世界にも霊的に受肉している。
 この肉体を通して魂は世界を経験し、この目で見、この耳で聴き、生存欲、性欲、食欲、自我欲などの衝動に支配されながらもこの人生が展開していくのだ。
 このような意味で、『肉体』とは形態の中の形態、世界内世界、マトリクスの中のマトリクスである。
 この肉体は、魂の教育者、意識の保育者であり、キリスト意識を宿しているという意味で「聖母マリア」であるとも言われる。それはまた原初の女性性(女神的アニマ)の現われだ。

 このように僕らは、肉体、地球、太陽系、銀河、宇宙・・・というようにいくつもの世界内世界、宇宙内宇宙。マトリクスの中のマトリクスに生きている。より広く解釈するなら、国家や組織、会社、家庭、などというのも女性性の顕現であるところのマトリクスであり、小さな宇宙だ。

 しかし世界、マトリクスに生きるということはある「苦痛」や、「幽閉の感覚」を可能性として潜在させている。それは、ある閉ざされた宇宙にいる時、その宇宙が恐ろしい場所、望まない場所、苦痛に満ちた場所になるという可能性が常にあるからだ。
 健康な人なら、病気になる可能性(肉体マトリクス内存在の苦・不安)、平和な国なら戦争になる可能性(国家マトリクス内存在の苦・不安)、居心地のいい会社ならそれが感じの悪い雰囲気になる可能性(会社マトリクス内存在の苦・不安)などがある。
 つまりひとつの世界内世界に生きるということは、そこからいつでも脱出できるという保証がない限り、潜在的に恐怖を宿しているということになるのだ。これが女性性に潜在する「苦」だ。スタニスラフ・グロフはホロトロピックセラピーで、このような幽閉感覚を出産時の残存記憶BPMとしているが、おそらくもっと根源的なものではなかろうか。

 ポジティブなグレートマザーは、その内部の生命を生成化育させるが、ネガティブなグレートマザーは生命をその腹の中に飲み込み、幽閉し、破壊する。
 これが「形」がもつ潜在的なふたつの可能性だ。
 アニマのレベルとはまた別の話で、原初の女神という元型が持つふたつの性質だ。 

 正のマザーは、慈愛溢れるマリア、パールバティであるが、負のマザーは血にまみれ、干し首の首飾りをして踊り狂うカーリである。
 ポジティブな女性性はわが子を愛し、優しく、時には厳しく育む母(または家庭)である。ネガティブな女性性は、わが子をスポイルし、大きなトラウマを与える母(または家庭)である。
 ポジティブな女性性は、国民が安心して、自由に暮らせる国家や共同体である。ネガティブな女性性は国民を粛清する自由の全くない独裁国家である。
 部屋で言うなら
 ポジティブな女性性は、こころやすらげる自分の部屋だ。
 ネガティブな女性性は、出て行きたくても出て行けない、寒くて不潔な監獄だ。
 関係性で言うなら
 ポジティブな女性性は思いやりに溢れて、自由を尊重し、お互いを気遣い受け入れあう関係だ。
 ネガティブな女性性は、支配服従の関係や、過度に束縛しあう関係、お互いのためにならないとわかっていても離れたくても離れられないDV、共依存カップルなどだ。(もっとも関係性は多くの場合どちらの側面ももっている)

 ユダヤ神秘主義のカバラでも、ビナーというセフィロトは形態の母なのであるが、アマ(暗く不毛なる母)と、アイマ(明るく豊穣なる母)という異なった二つの別名も持っている。それは「大いなる海」とも呼ばれる。また興味深いことに、ビナーが与える霊的体験は「悲嘆の霊視」と言われる。
 これは「悲しみ」というものが、形態や、世界内世界存在となることに潜在していると考えるなら、とても理にかなっている。形態があるからこそ、破壊という苦がある
 しかし同時に破壊というのは実は、秩序のカオス化を意味し、より根源的な母体への回帰でもある。
 エネルギーが、かたちから解放されるには、破壊と変容の二通りの道がある。
 それは「自殺」と、「死ぬ気になって生きる」の違いのようなものかもしれない。
 
『 「ビナー」、「大いなる母」が時として、「マラー」、「大いなる海」とも呼ばれる。もちろんそれは「あらゆる生き物の母」である。彼女は生命が顕現世界に至る時にくぐりぬける元型的子宮である。生命にある器を与えるために形を付与するものは、すべて彼女に属する。
 しかし覚えておかなければならないのは、形の中に閉じ込められた生命は、それによって組織化され発展することは出来るけれども、それ自身の次元にあって、無制約(同時に未組織)であった時よりも、ずっと自由を失うということである。形の中に閉じ込められることは、それゆえ死の始まりである。形は制約し、限定する。拘束し抑制する形は、生命を阻止し妨害する。だが生命を有機的に働かせることができる。自由に動く力の観点から見れば、形の中に監禁されることは消滅である。形は力に無慈悲なる教訓を与えるのである
。』 
                      ダイアン・フォーチュン著 「神秘のカバラー」より
 

 またインドのタントリックな考え方では、この現象世界は太母(マハー・マーヤ)やによって産み出された幻影(マーヤ)だが、その中で生きる人間が真理(プルシャ・真我)に気付くことなく、迷妄にとらわれているのは、母なる神が人をマーヤにかけているためだと言う。

 女性性は幾重にも世界内世界に僕らを閉じ込め、またその中で生かす。
 しかし、ゲーテのライフワーク『ファウスト』の最後の言葉はなんだっただろうか?

 それは「永遠の女性がわれわれを上昇させる」というものだ。
 永遠の女性とは、霊化されたアニマ、マザーとアニマの結合したエヴァ夫人、あるいは女神である。
 この永遠の女性は、僕らをあらゆる束縛から解放させる力なのだ。
 神の愛の牽引力であり、
 自由を与える力だ。
 しかし、自由とは何か?
 自由とはマトリクスからの、いくつもの世界内世界、あるいは信念内信念からの自由である。
 ということは永遠の女性、至高の女神、純粋な女性性、神の愛の牽引力とは、
 
 ???僕らを女性性から開放するのである???
 ???しかしマトリクスとは女性性から生まれたのだ???
 ???自分で閉じ込めて、また解放するのか???
 
 おそらくこれが女神の持つ最大の二面性であり、謎であり、その神秘的な微笑の魅力ではないだろうか。女神の手のひらの上で、僕らは愛の音楽によって踊らされているのである。ここに至っては、暗い母と明るい母、パールバティとカーリ、「愛し育むもの」と、「閉じ込め壊す」ものはひとつになり、ただひとつの女性性しかなくなっているだろう。
 愛とはまったく正反対のものをも包み込む。それほどまでに女神の僕らへの愛は、深いようだ。


ベアトリーチェ 
ルドン作 ベアトリーチェ

三匹の獣から逃げるダンテ 
 ウィリアム・ブレイク作 三匹の獣から逃げるダンテ

恐ろしい獣に追われていると、天上からいとしい恋人が救いの女神として・・・
 しかし、実はベアトリーチェと獣がつるんでるんだからたまらない・・・。ダンテもお手上げ 
 

女神の性質 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/01/19 18:23

マーヤを想う

  夕方のニュース
  金融危機情報が
  視聴者の頭をマーヤにする
  よくわからない猟奇的事件が
  僕らの頭をマーヤにする
  事実を伝えることは大事だが
  最後にこう付け加えて欲しい
  
  『マーヤニュースをお届けしました』って。

  カルマの回転を止めるように、マーヤの連鎖はどこかで止めるもの
  それは僕らの頭の中しかない
  その為には心の中でこう付け加えるしかない
  もし、ニュースキャスターが言ってくれないならね・・・ 

  『マーヤニュースが終わったな』と。

  『現実』に目を背けてるんじゃない。
  いったい『現実』とは何なのか?
  もしも激しい怒りにとらわれた人間が何かをしでかしたとするなら  
  それは自己とマーヤと同一化しているため
  そのニュースを見て激しい怒りや不安や恐怖を感じそれに捕らわれるとするなら
  今度は僕らがマーヤに捕まったのだ
  マーヤの回転を止めるには
  正体を見破るしかない
  
  「ゲド戦記」の様に
  真の名を知ることは、相手を支配すること
  怒りや恐怖や不安のモヤモヤその
  真の名、それは

  『マーヤ』
  だから『マーヤよ!』と呼びかければ
  自己が『マーヤ』に対し支配権を握ったのだ
  意識が目覚め始める
 
  そしてその『マーヤ』が解ければ僕らはそこで
  カルマの回転を止めたのだ
  世界のために奉仕したのだ

  マーヤは無数の形態を持っている
  というかこの世界はマーヤによって出来ている
  僕らが自分だと思っている、信念、感情、思考の多くは
  『マーヤ』だ

  こうすべきだと思う固定観念
  それは『マーヤ』だ
  いい大学に入らなければならないという思い
  それは『マーヤ』だ
  大学を卒業したら就職して60まで働かなければならないという思い
  それは『マーヤ』だ
  彼氏・彼女がいなければいけないという思い込み
  それは『マーヤ』だ
  童貞や処女のままだと恥ずかしいという思い込み
  それも『マーヤ』だ
  車の免許がいる
  それも『マーヤ』だ
  フリーターやニートになったらヤバイ
  それも『マーヤ』だ
 
  ヤバイのは『マーヤ』だ

  状況それ自体ではなく
  状況に対する僕らのリアクションだ
   

  社会常識というマーヤ
  法律というマーヤ
  道徳というマーヤ
  両親の刷り込みというマーヤ
  マスコミの押し付けてくる価値観というマーヤ
  
  これらをひとつづつ認識して、僕らは自分自身になっていく
  でも最後に愛を忘れないために
  マーヤも神の愛であることを覚えていたい

  神はマーヤさえも駆使して、人を愛へと導いていく
  僕は死にたいほど自分が嫌いでなければ、
  つまりマーヤでなければ
  神を求めようとはきっとしなかった
 
  僕の物語は、『自己嫌悪』というマーヤから始まった
  が 
  それは『自己肯定』へいたる為だった  


  秘密も嘘も喜びも 
  宇宙を産んだ神様の 子供たち

  未来の前に すくむ心が
  いつか名前を思い出す
  叫びたいほど いとおしいのは
  ひとつのいのち 帰りつく場所
  わたしの指に 消えない夏の日


                    木村弓 いのちの名前
  
  いのちの名前 
  それは、マーヤ 
  それは神
  私
それは思い出したときにわかる
  名前

   mama.jpg

          すべてのマーヤは 宇宙の母より生まれる  
神様 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/01/15 23:27

神を想う


  神を想う

  すべてが不完全な、いろいろなかたちで
  今、僕の心臓を動かしている「力」として
  その心臓を構成する分子や原子を回転させる「力」として
  その原子やクオークやすべてのものを創造した「知性」として
  僕の人生を形作って来たプログラマーとして
  光として
  愛として
  智恵として
  父として
  母として
  サラスバティーとして  
  カーリーとして
  シヴァとして
  クリシュナとして
  サット・チット・アーナンダとして
  プルシャとして
  プラクリティとして
  アレキサンダー・ビレンケン博士の
  すべてのベビーユニバースを産み出す
  無の海として
  空性として
  すべてを含むゼロとして
  有をはらんだ無として
  はじまりも、終りもない永遠として
  今、この瞬間として
  ・として
  ○として
  △として
  らせんとして

  唯一の意識として
  私自身として  
  
  それらの想いをすべて越えた神として
  神として
  神を想う
  口をぽかんと開けながら  
神様 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/01/13 22:59

無一物~王様のマーヤ~

  自分の言葉には、自分のエネルギーが乗る。

  自分のエネルギーには、自分のエゴが乗る。

  自分の言葉を叩かれると、自分のエネルギーが、『エゴ』が叩かれていると認識される。

  人は自分の肉体や、感情や、知性や、感性や、知識や、所有物や驚くほどいろいろなものに自己を同一化させている。これらは、マーヤだ。

 というよりも、それらが自分と一体だとみなしている認識、それらが『自分のもの』だと思っている認識がマーヤだと言えるかもしれない。

 YOGAとは神と人をつなぐ「くびき」の意だと言われる、一方EGOとは、自己と神以外のものを結びつける接着点のようなものかもしれない。自己同一化と、所有という概念はほぼ等しい。

 しかし所有という概念は、宇宙には「実在しない」。
 「自分」の「モノ」など、どこにもないのが現実だと言える。
 
 不可分の宇宙に国境線を引いて、ここからここまでが「私のモノ」ということは出来ないし、出来たとしてもそれは人間の中だけで通用する『ごっこ遊び』のようなものではないか。

 無数のEGOが、ありとあらゆる「モノ」と自分を結びつけ、所有しようとしている。
 これが常に行われている見えない戦争だ。
 ただひとつ実在している神の国というベースの上で行われている、王を見失った兵士たちの騒乱だ。
 無数の兵士たちの中、稀に、すべては神のものであったことを思い出す存在が現れる。
 その時、すべての自己同一化がはずれるのだろうか。

森も河も 果樹園も 
 立派な宮殿も 宝物も
 我々が奪い合っていたすべてが
 慈悲深き、王のものだった
 我々はそれを奪い合い、国土を荒廃させてしまった。
 兵士自身が神から生まれたのだ。
 彼は武器を捨てて、大地にひざま付く。 

 神様は朽ち果てた玉座の後ろ、隠し扉の裏側でワインを飲みながらほくそ笑んでいる。

  さて、いつ出て行くかな・・・?
 騙されてた奴らをからかって、一緒に酒盛りでもするか。

 万有は死に帰す1

        frederic06.jpg


  レオン・フレデリック作 万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん
  
 
神様 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2009/01/07 22:27

時限式

  埋め込まれた何か

  マーヤが理解され みこころが明らかになってきた時

  爆発する タイミングぴったりの時限爆弾

  久しぶりのこの感じ 

  あの夜、道理で頭が痛かった  

  MOTHER'S LOVE

   神への愛を感じられる幸せ
   
         モーゼ
                眠るモーゼ
 
修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/01/05 23:15

御来光 2009 御岳山

 御岳山にて初日の出を迎える。
 寒さも忘れる星空と、東京の夜景。
 そしてテレビでは何度も見たことがあるけど、徐々に地平線に近い雲間から太陽が顔を出すのをこの目で見た瞬間は、なんとも言えないような感覚を感じました。生まれて初めて見る初日の出は美しく、力をもらいました。


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ピルグリム(聖地巡礼) | コメント(6) | トラックバック(0) | 2009/01/01 19:54
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