ワタシだ。

  Youtubeでハマってしまった。
  これはある意味真理ではないかと思う、お笑いのネタ。
  
  モンスターエンジン
  『暇をもてあました神々の遊び』シリーズ。

  ショートコント「神様」
  ショートコント 「ボクシング」「フリーキック」
  ショートコント「金の斧銀の斧」
  ショートコント「マッチ売りの少女」
 ショートコント「残業」
 ショートコント「変質者、美容院、お風呂」
 暇をもてあました神々の遊び(豪華版)

 基本的にオチが全部一緒なのに面白いのがいい。 
 前フリは無限にできるなあw 

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神様 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2009/02/28 12:26

『火』の型?、伊勢と富士

  船井幸雄氏のホームページに以下のような文章があった。




 これまで何度も述べているが、日月神示『磐戸の巻』第十六帖の一節には、

 「子(ね)の年真中にして前後十年が正念場

 という、謎めいた短い言葉がある。この「子年」とはいつの年なのか、具体的な記述はないが、この言い回しが大正時代に大本開祖・出口なおに降りた「明治五十年を真中に前後十年が正念場」という筆先に酷似していることは明らかだ。
 当時の大本が“立て替え”の型を演出した、ということから類推すると、日月神示の記述はその型が日本や世界に現れることを示したものと言えるだろう。
 したがって、「子の年」を中心とした前五年、後五年の十年間が、神示の言う「正念場」の期間ということになる。そしてもし、これが2008年の子年を指しているとすれば、2008年を真中の年とし、2003、4年から2012、13年の十年間が、「正念場」の期間という予測が成り立つ。
 また、右の『磐戸の巻』の一節には、「世の立て替えは水と火とざぞ」という言葉が続く。そこで、正念場の十年の前半五年は「水の洗礼」、後半五年は「火の洗礼」があるのではないかと予測した。

 日月神示から導き出されるこうした予測を裏付けるものとして、三年前に本誌でも取り上げたのが、飯田亨氏の書かれた『地球核力激震10年――180年暦が映し出す鮮明な未来』(産業能率大学出版部)という本だ。
 「2004年からの天変地異カタストロフィと全地球規模の文明、政治経済、科学技術の価値変換・大逆転現象は、2008~2009年を境に本格激化して、2013年に当面の収束を見る…。陰陽自然学によるシミュレートを公開」とブックレビューにあるとおり、その内容は極めて具体的で明確であり、驚きを禁じ得ない。
 とくに私がびっくりしたのは、激動の期間を2004年~2013年までの十年間としたことと、「前半五年(2004年~2008年)は大水害、伝染病蔓延の傾向で2006年が核心。後半五年(2009年~2013年)は戦火、火災事故を含む大火災傾向で2011年が核心」と書かれてあることだ。
 前半の五年間は「水」の災害に見舞われ、後半の五年間は「火」の災害に見舞われる、としている。飯田氏はもちろん日月神示を参考にしたわけではないと思うが、「世の立て替えは水と火とざぞ」という神示の記述にそっくり符合するのだ。





 これは日月神示研究家の中矢伸一氏が書いたものだ。
 個人的には、もしかすると真ん中の『子年』は2020年のことかもしれないと思うし、そうきれいに前半は「水」後半は「火」と割り切れるものでもないような気もする。
 ただ、2008年は何かの境界線と呼ぶにはふさわしいように思えるので、この年が『真ん中』であった可能性は高いと思う。そして去年の後半か、今年から『火』のサイクルに入っている事も確かなように思う。だがこの『火』と言うのは実際の火災なども含まれると思うが、人間の精神現象も含んだもっと大きな意味で捉えたほうがいいのではないだろうか。
 
 僕はやはり今年の2月2日の、浅間と桜島の火山活動、そして2月22日に起こった出来事になんらかの『火』の型が示されているような気がする。日月神示を読んでる人ならすぐにわかることだが、「富士」は二二(ふじ)と記される事がある。だから僕は2月2日のあと、無意識に22日にも注目していた。

 2月4日以降、太陽活動がやや活発な時期があった。

 今朝早く、4日4時(世界時3日19時)頃、太陽風の急な変化をACE衛星が観測しました。
 速度が、310km/秒から350km/秒へ、磁場強度が、5nTから10nTへ、
 プラズマの密度は2個/cm^3から10個/cm^3へと、それぞれ急に上昇しています。
 コロナホールからの影響が、この様な変化としてやってきたのでしょうか


 
 09/ 2/ 5 08:19 更新
 太陽風磁場は、大きく南向きに変動しました。活発な磁気圏活動が発生しました。

 昨日の朝に始まった太陽風の乱れは、その後、大きな太陽風磁場の乱れになりました。
 ACEの図の、太陽風磁場南北成分(赤線)を見て下さい。


                                 宇宙天気情報センターより

 その後オーストラリアの山火事、北京の高層ビル炎上などが続き・・・。

  2009/ 2/15 09:16 更新
高速太陽風がやって来ました。速度は500km/秒台後半に上がっています。磁気圏活動も活発に発生しています。

昨日のお昼、14日13時(世界時14日4時)頃から、
太陽風の速度が上昇を始め、久しぶりに高速太陽風がやって来ました。
夕方には、速度は500km/秒に達し、
今朝に入って、570km/秒ともう一段上がっています



  2月22日には、『火』に関するニュースが異様に多かった。

  ①中国炭鉱でガス爆発  
 【北京22日時事】新華社電によると、中国・山西省の太原市古交にある屯蘭炭鉱で22日午前2時(日本時間同3時)すぎ、ガス爆発が発生し、作業員44人が死亡した。爆発原因は調査中。事故当時、坑内には436人がおり、なお多数が閉じ込められているもようだ。

 ②富士裾野原野234ヘクタール焼け鎮火
 
 山梨県富士吉田市上吉田で22日に発生した陸上自衛隊・北富士演習場の枯れ草火災で、富士吉田署は23日午前6時10分に鎮火した、と発表した。焼失面積は、計234ヘクタール。演習場4600ヘクタールの5%にあたる。焼けたのは、カヤや下草で、建物への被害はなかった。
 
 ③NHK福岡放送局で爆発、捜査員ら駆けつける

 NHK福岡放送局(22日午後7時44分)=福岡市中央区、秋月正樹撮影 爆発が発生したNHK放送局前は、大勢の消防隊員や県警の捜査員らが駆けつけ、騒然となった。

 ④カイロの観光名所で爆弾テロ

 エジプトの首都カイロ中心部の観光名所「ハン・ハリーリ市場」近くで22日夜、爆弾テロがあり、国営テレビによると、フランス人観光客1人が死亡、フランス人13人を含む20人が負傷した。

 ⑤兵庫県洲本市沖で貨物船炎上

 どれもものすごく大きく取り上げられたニュースではないが、これだけ同日に重なることはあまりないと思う。そして、あまり大事件ではないというところに『型』としての意味がある。
 注目点はいくつかあると思うのだが、まずひとつは2月4日、節分明けに急に太陽風の速度が上昇したこと。節分前の2月2日には浅間、櫻島での火山活動があった。

 二二(ふじ)の日の二つの噴火 

 そして2月22日の『火』の日である。
 キーワードは『富士』だ。そして富士とは「火の山」なのである。
 ・・・・まーそれ以上は何がなんだかよくわかりません(笑)

 ところで富士と言えば、やっぱり富士に宇宙からエネルギーが入ってきていると言うことをブルガリアの超能力者が言っていたと言う情報を本の中に見つけた。これも中矢伸一さんの話しだ。

 「これは渡邊さんから聴いたんですが、この方が日本に飛行機で来る時に、飛行機の中でいきなりがたがた震え出して、そのお付の人だと思うんですが、一体どうしたんだろうと思ってすごく焦ったそうなんです。震えがおさまったときに「どうしたんですか?」と聞いたら、『日本列島の上空に何かバリアみたいなものがある』と言ったんだそうです。そこを通過する時が、身体が震えて非常に大変だったとか。

 ベラさんが日本に来ると、「日本で一番大きなお宮に行きたい」と言うので、伊勢神宮、お伊勢さんに連れて行ったんです。伊勢神宮は内宮、外宮とありますけども、外宮の方に参拝したときに、神がかりなのかわからないけれども、とにかく神殿の前で突っ伏しちゃった。
 「こんな聖地は他にない、ここへは世界中の人がお参りに来なければいけない」といったそうなんです。ここというのは、伊勢のことなのか、外宮のことなのかわからないですけれども、とにかくここはものすごくすばらしい聖地だと。

 渡邊さんがベラさんに「この伊勢外宮というところには、昔からヤハウェが祀られているということが言われていますけれども、ご存知でしたか」と言ったら、ベラさんが『今、参拝してそのことがよくわかりました』とおっしゃったそうなんです。とにかく、ブルガリアのベラさんが『日本は地球のへそだ』と言った。宇宙からのエネルギーを一番ストレートに受けるところが日本列島だといったらしいです。まずそのエネルギーが富士山に流れ込んで、地下でふたつに分かれているそうなんです。多分、一方は伊勢神宮に行って、一方は皇居かなと思うんですが、ふたつに分かれていってるそうです

                               書籍「今の人に聞かせたい神様の言葉」より  
                       
 僕は2007年の夏に伊勢神宮に、そして2008年の夏に富士に行った。
 伊勢神宮はある朝目が覚めたときに「たかあまはら」という言葉が残っており、なにかいい気分だったのでその延長でなぜか伊勢にお参りしてみようということになった。
 富士の場合は、「富士ファミリーロッジ」という今住んでる自治体が運営している市民用の宿のパンフがいつからか部屋の中に転がっており、なんと一泊500円(食事は別)で泊まれると言うことだったのであまりの安さに驚いて行って見ることにしたのであった。去年の夏は天河にも行った。
 僕はもともとあんまし神社とか興味がある方ではなかったが、I先生のところで唯一の『神』と同時に『神々様』もちゃんと存在しているという話などを聴いてるうちに徐々に行ってみたいな~と思うようになった。  
 しかし、お参り(させられている)という感覚も又強い。
 自分的にはこんなにここ二年ぐらいで急に集中的に重要な土地に行き始めたのは、やはり時が迫っているからだと思わずにはいられない。
 時系列で並べて書いてみるとちょっと面白いかもしれないので、時間があったら書いてみようかと。
 まあ、神殿の前でぶっ倒れたりはしてないので・・・・そういうトンデモおもしろ話はないですけど。

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アセンション考 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2009/02/25 19:07

天津祝詞とひふみ祝詞

  天津祝詞

  たかあまはらに かむつまります かむろぎかむろみの みこともちて

  すめみおや かむいざなぎのみこと つくしのひむかのたちばなの おどのあはぎがはらに

  みそぎはらいたまうときに なりませる

  はらえどのおおかみたち もろもろのまがごとつみけがれを はらいたまえ きよめたまえと

  もおすことのよしを  

  あまつかみ くにつかみ やおよろづの かみたちともに

  あめのふちこまのみみふりたてて きこしめせと

  かしこみかしこみ もまおす

  出口王仁三郎の天津祝詞朗唱

  初音ミク 天津祝詞ソング  

  初音ミク天津祝詞PVバージョン もえーっ(笑)  


  ひふみ祝詞

  ひふみよいむなや

  こともちろらね

  しきるゆいつわぬ

  そをたはくめか

  うおえにさりへて

  のますあせえほれけー


   初音ミク ひふみ祝詞ソング


神様 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/02/22 13:52

女神の性質⑧

 2/17 18:00 一部追加変更

 水、女性性、愛ゆえの裏方

 原△は、陰陽の極性が現れる「場」であり、その中に△(火)と▼(水)が現れる。
 これを考えていて面白く思えたのは、女性性が裏方▼として顕現しているように思える点だ。
 火の性質は大気へと上昇していくことだが、水の性質は引力に『従って』どこまでも低きに流れていくことである。そして、地上においても、水中においても、また得体の知れない生き物がうごめくような地中においても水は命を育む母体となる。人体と地球の七割は水によって満たされている。
 原初の母は、自らの創造した世界を、まず彼女自身の性質によって覆い、すべてを発生させる基盤となるのだ。その流れは、前回引用した松村氏の著作の一文のように、「神から無限まで」続いている。彼女は自らの世界を、彼女自身で満たす。

 女性性の特質のひとつは、水が引力に従うように、他に『従う』ことにある。
 これは通俗的なフェミニズムや男女同権論で批判されるべきことではない。
 男性性と女性性はどちらも、生物的男女双方のうちにそれぞれの個人に特有のバランスで存在しているからだ。とは言ってもやはり男性は男性性が表に強く現れており、女性も女性性が表面的には強く現れる(文化や教育もそれを促進する)。その配分は個性なので、女性的な男性、男性的な女性、などいろいろなパターンがあって当然だ。
 逆に男性的過ぎる男性は、内的な女性性を見まいとして無意識にねじ伏せている可能性があり、その場合彼女に「感情」で逆襲されやすい。論理的に見えて、実は感情に操られて喋っている男性などは彼女に手綱を握られている。一昔前の男は泣いてはいけない、という教えは、感情に支配される男性を作ってしまう可能性がある。
 大切なのは個人のうちで、「彼女」と「彼」を本人にとってちょうどいい感じでバランスすることだろう。

 男性にとっても、組織でのナンバーツー的な位置や、トップの補佐的な立場で発揮されるのは、トップを支える、あるいは理解すると言う女性性であるだろう。
 『従う』ことは屈辱的な服従であるとは限らない。
 現代人が受ける教育はフランス革命や、その他色々の自由と平等へのムーブメントの、その「良い点」ばかりをクローズアップして教えている。つまり現代の資本主義社会を、民主主義や自由平等という美徳のゴールとして教えるわけだ。しかしどう考えてもこれはゴールではなく、精一杯好意的に言って、どこかそうあるべき文明へのプロセスでしかない。
 自由や、個人の意志の価値のみを過度に持ち上げると言うことは『従う』ということの重要性を覆い隠してしまう。
 『従う』ということは不本意な服従ではない。そうではなく自ら自然と頭を垂れることであり、より高きものへの降伏だ。この降伏はより高きものからの恩や、愛に対する自然なリアクションで、決してパワーに対する媚びへつらいではない。ここのところが現在見えなくなっている部分ではないかと思う。
 確かに依存性や、執着を基にしたネガティブな服従というのも存在し、だからこそ多くの人は「自立」と「自分の自由意志」こそが大事だと説く。そうかもしれない。しかし依存性から自由な「自立」と、本当の「従う」ことは本来矛盾することではないのだ。
 依存性は、本当の意味で相手への愛や信頼、感謝はない。それは恨みや怒り、猜疑心と紙一重である。しかし「従う」ということは、相手からの見返りを期待せず、自分を投げ出すことなのである。大きな愛に触れないと、なかなか出来ることではないと思う。

 また逆説的に語るならば、「従う」ということ、常に「裏方」となることは「主」となるものの支配でもある。キリスト教系神秘主義者のマイスター・エックハルトは、『真に神に降伏するなら、神はあなたのところにやってこざるを得ない』と言う趣旨のことを言っている。とてもトリッキーな言い方だがこれは真実ではないだろうか。

 日常生活に目を向けてみると、例えば恐ろしく古風な亭主関白で、日常の雑事はすべて妻に任せていると言う男性がいたとする。家の中のことは何もせず、何がどこにあるのかも全く把握していないとする。彼は常日頃威張って妻にあれこれ指示を与えるかもしれないが、ある日突然妻がいなくなれば途方にくれてしまうだろう。古典的亭主関白に従う、古典的「夫に従う妻」というのは裏を返せば生活面で、「主」である夫の「従」となることにより夫の生活を支配するものである。
 これに限らず、一見「従」的な存在というのは下位のヒエラルキーに属しているかのようにも見えるがそれは錯覚であり、「主」となるものの存在を根底で支えているのである。「従」的存在が、自分より下位、あるいはしもべ、自分の奴隷であるなどなどと言う概念は、「主」となるものの錯誤のうちにしかない
 「従」となるすべての存在は愛ゆえに、裏方に徹している。
 「従」にとってはある場合自分を奴隷とみなすこともいとわない。
 それは低きに流れる水の性質と同じだ。 
 水は天から降り注ぎ、あらゆる生命マトリクスの母体となる。ほとんど常日頃はその恩を忘れられるほど、本質的に生命を支える要素になることによってあらゆるものを生かす。このような存在を「母」と言う。
 水は、火に暖められることによって再び天へと帰り、また雨となって降り注ぎ、天地を巡り続ける。

 上昇下降による極性の転換、ピラミッドの頂上には何があるのか?、ゼロポイントと、高次元について
 
 先に書いた記事で、△(火)と結びついている観念群の中に「富士」を入れた。
 この「富士」を実際の富士山としてのみ捉える時、富士にあらわれるのは必ずしも上昇原理だけではないのではないかという問題にぶつかる。
 地中からマグマが吹き上げる噴火、あるいは地殻の運動力によって上へ向かって成長するものとして山をとらえると確かに「富士」を含む山々は△(火)の存在に思える。
 それは天へ向かって伸びる力であり、地中のエネルギーを宇宙へと吹き上げる力だ。
 だが、こういったピラミッド状の形態に働いているのは上昇力だけではない。不可視の領域では宇宙から、もしくは高次の世界から下降してくるエネルギーの流れも存在するはずだ。
 例えば、一説によると富士は「アセンション」エネルギーのポータルだと言われる。
 またピラミッドを見ても、あのかたちなら上部から下部へのエネルギーの流れも存在すると考えるのが自然だろうと思う。

 △もしくはピラミッドは、しばしばこの世的な組織の構造を象徴化するために用いられる。
 フリーメーソン・イルミナティのシンボルであるとされる『ピラミッドアイ』はピラミッドの頂点に万物を見通す目が据えられている。しかし僕はこのピラミッドアイは本来、邪な象徴ではなかったのではないかと思う。この象徴が悪の秘密結社のシンボルとして語られるのを聴く時、何かが故意に捻じ曲げられているように思えるのだ。

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                米国の紙幣に描かれたピラミッドアイ


 確かに、上層部を少人数が支配して、下層に向かうほど多数の庶民がその構造を支えていると言うのは、中世の封建主義国家や教会組織などを連想させるものだ。
 しかし、△もしくはピラミッドに秘められた意味は本来そのようなものではないと思う。
 これはもともとは、あらゆる現象は一者(三角形の頂点)から流出していること、そしてその一者はこの△の形態内存在ではなく、頂点の・(ゼロポイント)であるということを示唆しているものだと僕は考える。
 僕らがこの図に地上的なヒエラルキーしか読み取れなくなってるとすれば、それはメタファー解析能力が著しく萎縮しているからだと思う。そして、メタファー解析能力が萎縮すると、このシンボルはこういう意味、だと刷り込まれればそのままに解釈する。しかし象徴的言語と言うのは、刷り込まれるものではなく内的に解き明かすものなのである。こういった象徴言語は例えば信号の色(青→進めなど)のように、社会的に共有する単一の意味を持っているわけではない。 
 だからピラミッドと言う形態が、ファラオが多数の奴隷を用いて建造したというイメージなどと共に、この世的な威信や、封建主義的構造の象徴とされるのは腑に落ちないものを感じる。それは一面的な意味でしかないと思うのだが。

 △は、上部に行くほどその幅が狭くなっており、頂点では幅がゼロ=・(点)になる。
 ・はゼロポイントで、あり形の限界点だ。
 ゼロポイントはひとつの世界の開始点であり、またゼロポイントではひとつの世界が終息する。ひとつの「かたち」が終わる

 ケテル・ブラフマンは、世の終わりに、彼が産み出したすべてのマーヤ(相対的現象世界)を自らのうちに引き込み滅するとされる。この「世の終り」と言うのは、時間的彼方にあるというよりも今この瞬間に、すべての多次元世界が終わるポイントである△と▼の結び目にあるのではないだろうか??(推測ですが

 3次元的に見ると、物質としてのピラミッドは頂点の・(点)で終わっており、その向こうには何もない。富士山の登頂に登っても、雲海は見えるかもしれないがその「上」には何も見当たらない。少なくとも可視的には。
 しかし、その向こうに(3次元空間の向こうに)何かがあるからこそ、エネルギーはピラミッドを通して流入してくる。そのエネルギーの来る場所・・は第四次元の▼(下向きピラミッド)だと考えられる。これは僕らの目には見えない。目に見えるピラミッドの上部には、見えないピラミッドが連なっている。

 ゼロポイントは虚空(void)である。ここはチャクラで言えばサハスララで『ワンネス』が実現するポイントだ。サハスララは人体と言うピラミッドの頂点に位置する。ドランヴァロ・メルキゼデク流に言えば、次元オクターブと次元オクターブの間に存在する虚空だと思う。彼は「あなたがオクターブ間の虚空にいる時、神と一つになっている」と言っている。
 興味深いことは、このゼロポイントは、どのオクターブにおいても同じではないかと思える点である。
 3次元世界の背後には、4次元、5次元・・・・と以下無数の高次元世界が存在しているのかもしれない。しかしすべてのつなぎ目に同じような『虚空』があるとするならば、『虚空』に関する認識はどの次元でも等しいと言うことになる。

 『悟り』というのは、高次元の認識というよりも、この虚空への目覚めではないかと思う。どの世界でも△と▼の二極性をもとにして世界が展開しているのであれば、それらふたつが中和されるポイント、ゼロポイントが必ず存在することになる。だから覚醒に至った人は、高次元世界の存在や、神々、宇宙人の存在と言うものを断定的に否定したりはしない。しかし同時に、すべての高次元を含む相対世界とゼロポイントと言うのは、相対世界内の次元の差とは別の意味で、次元が違うのではないか。それは幼児の落書きよりも、巨匠が描いた絵画のほうが見ごたえはするかもしれないが、どちらも同じ「紙(神)」の上に描かれる事に似ている。絵のレベルが「相対世界内の次元の差」で、紙がゼロポイントだ。『悟り』は高次元世界の認識ではなく、よりラディカルな、全てを存在させるベース(神・紙)の認識と言える。

 フィリス・アトウォーターの目撃した、回転するふたつのサイクロンの「結合部」をそのような次元間の虚空と考えることは可能だろうか?

 私は、今まで「いのち」と呼んでいたものに何の興味も持てなくなり、放射される力の光線に
ただただ魅了されていた。サイクロンの噴出孔の真ん中からたえず発散されている、この刺すような光線は私に触れてもいいはずなのだが、まったく触れてはこないのだ。その空間、その場所は、私にとって神へと至る入り口であるかのように思えたので、私はその中心に向かって行こうと決心した。
 私はかつてそこからやってきた。だからそこへ、神の世界へ戻るのだ。それが私の願いだった。
 
                      
                             アトウォータ著『未来の記憶』 より
 
 カミという音にはいくつかの漢字が当てられる。 
 神、紙、上、髪、噛み(む)、火水などだ。
 大きく分けて、三種類の意味合いがある。

 髪、上は『上方にあるもの』を指している。
 そして噛み(上の歯と下の歯の結合)と火水は『二つのものの融合』を指し、
 紙、は『存在のベースとなるもの』を指す。

 アトウォーターにとってはもはや神は、上方にある「髪、上」ではなく、自らが真っ直ぐに向かっている存在のベース、『紙』であった。臨死体験中の彼女はもはや空間的上下が問題となる通常の3次元的時空間にはいなかったからだ。そしてその神の世界への入り口は、二つの世界が結合する(噛み合う、火水の接合点)そこにあったのだ。
 しかし、このたて・よこ・高さの3次元に生きる僕らにとっては、神とはやはり「上」である。祈る時には無意識に上部を向いてしまう。神のエネルギーはこの世界ではやはり上向きに作用するからだろうか。僕らは3次元空間に生きる生き物のさがとして、無意識に魂を昇りゆかせようとし、また下降してくる神の力を受け取ろうとする。

 エネルギーの下降経路となる時、△は、上位の▼に対してマイナスの極性となる。
 『男の魂は女であり、女の魂は男』と言われるが、エネルギーの下降局面では、富士の魂(女)(=コノハナサクヤヒメという事になるのか?)がエネルギーを受容し流すことになる。 
 前回引用した松村潔氏の著作にもあることだが、プラスとマイナスは相対的なもので、ある局面ではエネルギーの放出体となる存在が、別の局面ではエネルギーの受容体となりうる。
 あるいは上昇経路と下降経路(昇り竜と降り竜)はひとつの存在の中で、DNA二重螺旋のようにからみあって存在しているのかもしれない。
 


女神の性質 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/02/14 12:46

女神の性質⑦

 竜神と申しているが竜神にも二通りあるぞ。地からの竜神は進化して行くのであるぞ。進化を嘘ざと思ふは神様迷信ぞ。一方、天からの竜神は退化していくのであるぞ。このふたつの竜神が結ばれて人間となるのであるぞ。 
                           日月神示     白銀の巻 第二帖



 △と▼、融合/フュージョン、二匹の龍、無の陣営と無限の陣営

 このシリーズは原初の女神の性質や、その影響がユングのアニマ・グレートマザーという元型やグロフのBPMの概念の中ではっきり現れているということ、また『女神』という存在は人を眠らせるものであると同時に目覚めさせるという相反する二面性を持っていると言うこと、それは女神の愛に基づいているということを主に書こうと思っていた。
 その二面性は、スワミスリ・ユクテスワの『聖なる科学』の中でアーナンダ(マーヤの無限創造力)と、チット(全知の愛・神への牽引力)として語られている。神への反力と、引力である。

 しかし、ここに前に考えていた△の事がいつのまにか混ざってきたのだが、結局△は二次元において最小の点で構成される最初の図形であるので、母のシンボルとみなしてもそれ程間違ってはいないのではないかと思った。
 ひとつの・はケテル(絶対者)。
 ふたつの・と・を結ぶ線はコクマー、垂直的な原初の男性エネルギーだが、まだ形を持っていない。 みっつの・を結ぶことで初めて空間を三角で切り取り、世界内世界(ビナー)が出来る。 
 これを仮に△とする。
 この三角にはまだ極性がない。しかし形を持っていると言う意味では陰性だ。
 もっとも根本的な陰性とは、陽性と陰性が現れるために提供された場のことなのだ。
 これが△でシンボライズされる。
 混乱しそうなのでこれを原△としておく。
 この原△が陽性を帯びたものが △(火の三角形)
 陰性を帯びたものが ▼(水の三角形)だ。
 僕の頭の中で△(火の三角)と▼(水の三角)に結びついている観念群を以下に記す。

  火(日)天  霊(ヒ) 男性原理 富士 ピラミッド 富士の仕組 上昇 ・

  水(月)地  身(ミ) 女性原理 鳴門の仕組 (見えない)ピラミッド 下降 ○
    竜宮の乙姫様=音秘(オトヒメ)



 そして△と▼の融合に結びついている観念群は次のようになる。
 

 △+▼

 ヘキサゴン かごめ紋様 マカバフィールド 黄金太陽 ◎(丸にチョン 日月のマーク)

 日月の神(みろく) 身(ミ)+霊(ヒ)=半霊半物質 ミロクの世 六角形(ヘキサゴンの頂点を結ぶ)


 これを見て感じるのは今さかんに言われている「アセンション」というのは上昇だが、どうも言葉のニュアンス的に今起こっているのは「融合」/fusion/フュージョンと呼んだ方が良いような気がしてくる。
 なにかもっとも根本的な世界が二つに合体しようとしているような、そんなイメージなのだが。。。
 アセンション(上昇)しよう、よりも、フュージョン(融合)しよう!の方がよくありません?(笑)
 
 アセンションはある意味、肉体の放棄と言う印象もあり、また全て現在の生命は滅び、霊的にのみ上昇するのだと言う風に極端に語る人も居るわけだが、フュージョンは身と霊が今とは違う形で融合した世界を示している。それは霊肉の二元論が真の意味で終息した世界だ。(なにが正しいかは知りませんが)だから、アセンションではなく、フュージョンが起こるなら、そこには現在の意味での生と死はなくなる。

 霊的な上昇気流というのは、現在ではなくても昔からあった。
 しかし、もし現代がクンダリニーが上がりやすくなっているとしたら、確かにアセンション方向の上昇力と言うか、牽引力は今までになく強くなっているはずだ。
 冒頭に引用した、進化していく地からの竜神はこの上昇力に当たる。△(火の三角)だ。
 そして退化していく天からの竜神は▼(水の三角)だ。
 このふたつが結ばれて人間となる。これはDNAの二重螺旋なども連想させるが、進化力と退化力のふたつの力が人間の中で働いているということにもなる。

 占星術師の松村潔氏は著書『日本人はなぜ狐を信仰するのか』のなかで、この昇り竜と降り竜(?)のことを、「無の陣営と、無限の陣営」と呼んでいる。というか進化力と退化力というものを僕はこの本で初めて読んだのだが、同じことが「日月神示」の中にもあったので少し驚いた次第だ。
 以下「日本人はなぜ狐を信仰するかのか」より。

 「ところで、神、大天使、小天使、人、哺乳動物、無脊椎動物、植物、鉱物という序列のそれぞれの端にあるものは何だろうか。例えばグルジェフは神の上には無があり、鉱物のしたには、無限があると説明する。無は全ての根元にある唯一的な原理がやってきたところ。無限は分裂の果てに、いかなるものも物質としての結晶化が不可能となった暗黒の領域である。
 上層の無や神の領域へ一体化するというのが、古来からの宗教の求める理想である。こうした意味ある行為を打ち砕くのが、対極にある無限の概念だ。

 ピュタゴラス派たちの「自然数にはロゴスが宿る」という牧歌的な哲学も、彼ら自身が無理数を発見することで、無限の数字の連鎖という概念が存在することに気がつくようになり、この段階で、数字が無味乾燥なものになってゆく果てしない徒労感を感じることになった。神聖な数の魂は、ただの通し番号に化けていくのである。数字には何の意義もない。ひとつひとつが大切な宝物だったのに、その宝物が世界中に果てしなく無限にあるとわかると、愛着は失われ気持ちはすさんでいく。それはレアなものでもなんでもなく、どこのコンビにでも売っていますよと言われると、買いたくなくなる。
 つまり無に対する無限という位置づけは、愛情に対する無関心さ、有意義に対する無意味さ、運命と感じるものはただの偶然にすぎなくなり、人間的な感情に脱力感、喪失感などをもたらす働きでもある。

 有意義のきわみにある無と、無意味のきわみに在る無限の間に、縄梯子のように張られた生命圏のつらなり、神、大天使、小天使、人、哺乳動物、無脊椎動物、植物、鉱物というつながりのなかで、わたしたち人は自分たちに割り当てられているところに住んでいるのであるが、人の上にあるものは人の目には見えないので、精神を通じて理解し、人の下にあるものは見えるので、物質とみなすことができる。

 宗教と唯物論のような古典的な対立は、無に向かう陣営と、無限に向かう陣営の見解の違いだ。生まれ変わりがあり、人には生きている必然的な理由があるとする考えに対して、人は肉体組織の集積に過ぎず、死んでしまえば何も残らないのはわかりきっているのにと主張する考えも、どちらが真実かという問題ではなく、その人の考え方が、無と無限のどちらにより関心が向かってるかということなのだ。

 無から無限へ、無限から無へ。この両方の流れは常に働いている。無あるいは神の領域から、地上に力は降り注ぐ。これは分化のプロセスで、しばしば創造の光線の下降という言葉で識別する。
 となると、反対の流れは、物質的に縛られたものが、ばらばらに分断された存在状態から、統合化され、意識として強い高揚感を伴いつつ、神と一体化するような喜びの体験を得るという方向性で、これは進化の、あるいは上昇の意識と名づけることが出来る。

 どの場所でも、この相反する流れが同時に働き、つまりは神から鉱物への序列の中で、自分に割り当てられたことろを担当して、両方向から来る力の通路となっているということになる


 僕はいつも究極的な存在は「神」として考えているので、「無」と言われると若干違和感があるが、それはこの際どちらでもいい。(自分なら多分「神への陣営と、虚無への陣営」とでも呼んだらフィット感がある。)
 注意すべき点は、おそらく神への陣営が「善」で、虚無への陣営が「悪」だなんてことはいえない点だ。この二つの流れは必要があって存在しているものだろう。
 「虚無への陣営」は物質を細分化するので、科学の発展や、テクノロジーの向上に益することも多いだろう。また現代物質的に支配力を発揮するのはこちらの陣営である場合が多い。世界中の富を今集めているのはおそらくこちら側に強い親和性を持つ霊統の人々ではないだろうか。
 彼らは物質と貨幣をコントロールすることで、この世界の破壊と再生の役割りを担っているように思う。(彼らが意識的にやってるか、無意識に動かされているかは知らないが)これが日月神示の「イシヤ」だ。
 しかし、人は必要に応じて、上昇方向もしくは下降方向のどちらかの流れに乗ってその時々に必要な経験をしているのではないだろうか。
 例えば、人間が肉体に受肉するプロセスも、「下降潮流」に乗っているだろうし、なにか精神から物質的形態を産み出すことも「下降潮流」に乗っている。
 一方人が肉体を離れる時は普通「上昇潮流」に乗ることになるだろう。「上昇する竜」の背に乗るのだ。
 この世界では下降潮流と上昇潮流がないと何事も成り立たないのではないだろうか。そして個々人がどちらの陣営に属しているかということは刻一刻変わっていくので簡単に言えるものでもない。



 火、男性性

 個人的な感想で、妄想に近くなるかもしれないが僕は、去年の終わりごろから「火」の要素が活発になってきているように感じる。コルマンインデックスで新たなサイクルDAY6が始まった直後、渋谷で花火倉庫になっていた建物の一部が爆発炎上するという事故があった。
 おそらく同じ時期だが、自室のコンセントが漏電しプラグ部分のプラスチックが熱で溶け、部屋中にいやな匂いが充満した。すぐに気付いたからよかったけど放置していたらやばかったかもしれない。

 年末から年始にかけて雨が2週間近く降ることはなく、全国的に火災が相次いだ。
 「乾燥」というのは火のエレメントを強化する要素だ。
 世界的に見ると、11月後半のムンバイーテロ、年末からのイスラエルによるガザ空爆などで炎や黒煙の映像を見ることが多かった。
 2月2日、節分前には、浅間山と桜島が同じ日に噴火して、この時期に富士噴火、あるいは爆発炎上などの「夢」を見る人が多かった。歴史的に見ると大規模な浅間の噴火の後には、富士の噴火が連動して起こっているようなのでこれは故なきことではない。ただし今回の噴火はそこまで規模は大きくなかったようだが。
 2月4日以降、中国北京で旧正月の打ち上げ花火を行っているときに、中国中央テレビの高層ビルに引火し、ビルが真っ黒に全焼した。また中国では三ヶ月間ほとんど雨が降らないと言う極度の旱魃がまた起こっている。
 オーストラリアでも記録的な旱魃と熱波で気温は観測史上最高の46度を記録した。これらの要因によって起こったと思われる大規模な森林火災では、東京都の二倍に匹敵する面積が燃えた。

 このように見ると「火」とは恐ろしいものだが、「火」の性質をメタフィジカルに考えてみると、「火」とは形態を変化させ、それを上昇させるものでもある。なべに氷を入れて、それに火をつけると、氷は水になる、さらに時間がたつと、水の分子が激しく運動をはじめ沸騰する。沸騰した水はやがて蒸気となり空気中に上昇していく。
 この時に起こることは、水分子の「振動数」の増加である。固体の氷であった時には密接に結びついてあまり動かなかった分子が、熱を加えられることによってばらけて、活発に動き出す。 あたためられ蒸気となった水は空気中を上昇するが、これは気体となった水分子が周りの大気よりも軽くなるためだ。

 この火の上昇性というのは男性性の特質のひとつでもある。
 男性性は自らを、世界からある意味分断して屹立させる。
 もはやエゴトリップは徐々に流行らなくなってきているようであるが、名声、権威、そして賞、勲章といったものものは男性性が自らたどり着いた「高み」の証として彼らを満足させる。
 それは霊的に見ればむしろ下降(虚無への流れ)であるかもしれないが、とにかく彼らにとっては「高み」であることは間違いない。
 そこに「山があるから」自分は山に登るのだ、という登山家のマロリーの言葉も男性性にとって典型的なものだろう。女性性にとってはこの手の冒険志向は「かっこいい」対象としてもなり得るものであるが、「馬鹿げた」ものにも見え得る。「なんで山があるからって登らなきゃいけないの?」という事だ。
 本質的に女性性とは現実志向的なのである。 現実的には見えない「夢見る女性」の夢見るものが「白馬に乗った王子様」であるとするなら、実は彼女の夢はこの上もなく現実的なものである。
 これに比して男性性の描く夢は、その飛翔性を特徴としているが、これも女性性から見れば往々にして「馬鹿げたもの、子供っぽいもの、現実離れした(時には不気味な)妄想」ともなり得る。
 男性の生物的安全弁は女性よりも簡単に外れてしまう。
 常識のあっち側に「イッてしまいやすい」のだ。だから犯罪者であろうと、ジャンキーだろうと、性倒錯者であろうと男のほうが行き着くところまで暴走してしまう傾向があるように思う。
 
 男の子(時には大人になっても)は怪獣やモンスターが好きだ。 
 どこかグロくて、なおかつどこかカッコいいものへの嗜好も男性性に特徴的なものだろう。
 これには怪獣の持つ破壊的側面に自らの男性性の攻撃性を投影しているということもあるかもしれないが、なにか異様なものや、通常の「かたち」をあざ笑うかのような異様な存在に、都市(日常)が破壊されていくという物語性が、かたちを変質させ、上昇させるという「火」の性質を引き付けるのではないかと思う。
 また怪獣の一典型はやはり「ドラゴン」である。怪獣の典型が爬虫類系であるということは、男性性のもうひとつの特徴である、「破壊による原始への回帰」も関係してくるかもしれない。
 一方ベッドの横にゴジラやエレキングが(例えが若干古いっすね)いっぱいいる女の子の部屋と言うのは想像しにくい。

 また霊的な世界観においても、男性性と女性性の反応は違う。
 誤解を招く言い方かもしれないが、女性性は安心と守護を霊的世界に求める。
 男性性は、冒険と、脅威と、驚異を霊的世界に求めるのである。 
 なにか自らの存在を脅かすようなもの、価値観をぶっ壊すようなものを霊的世界に投影すると言うのは男性に特徴的なものであるだろうし、実際その側面に接触しやすいだろう。
 それが如実に現れているのは、ラブクラフトのクトゥルー神話体系だ。
 ラブクラフトの神々は「いにしえのもの(Old ones)」と呼ばれているが、彼らは人間の創造者であるが非常にまがまがしい姿をしており、その姿を目撃したものは正気を失うほどである。
 ラブクラフトの認識は、宇宙の真実とは人間の正気が許容できるものではないと言うことだったのだろうと思う。しかし、ラブクラフトの小説の中にどこか歪んだものであったとしても「高みへの愛」や「超越志向」を感じるのは彼の中の火のちからのせいだと思う。

 火のエレメントが強くなると言うことは、物質レベルでの火の発生(もしくは感情の爆発、暴発等)が増加することにもなるかもしれないが同じように霊的な上昇力も強化されていくような気がしなくもない。



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女神の性質 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2009/02/12 10:26

I先生の講話CD音声サンプル集

  当ブログでもよく登場するI先生の新しいページが出来ています。
              

     岩城和平 通信講座サンプル集

  通信講座は、50音表あ~わまでI先生がひとつの単語を選んでそれに基づいて講義するものと、バガヴァッドギータ、ウパニシャッドなどの聖典解説、そして有名な聖者の言葉(シーク教の言葉、スーフィーの言葉など)の解説などがあります。

 各、20秒ほどの音声サンプルが聴けるようになっています。
 現在五十音「あ」→愛と献身
        「い」→命
        「う」→宇宙意識
        「え」→エコロジー
        「お」→オーム
        「か」→神の覚醒と過去世のカルマ
 
 バガバッドギータ VOl1~5まで視聴可能となっております。

 僕は音声編集作業をお手伝いさせてもらってます。
 興味のある方は是非聴いてみてくださいね♪

 例えば2006年度のお話しCDのラインナップは以下のような内容になってるようです。

[商品番号1]2006.1.29:シリーズ1 vol.1聖典解説:バガヴァット・ギータ序章
英智の響き:命とは与えられているもの

[商品番号2]2006.1.15:シリーズ2 vol.1聖典解説:ヴェーダンタ思想の神の概念とその背景
英智の響き:愛と献身

[商品番号3]2006.2.26:シリーズ1 vol.2聖典解説:第二章、不滅の彼、滅びるのは肉体だけ
英智の響き:エコロジー、今私達に出来る事

[商品番号4]2006.2.12:シリーズ2 vol.2聖典解説:神を知る事による救済
英智の響き:宇宙意識

[商品番号5]2006.3.26:シリーズ1 vol.3聖典解説:サンキャ理論における知性
英智の響き:神と覚醒と過去のカルマ

[商品番号6]2006.3.12:シリーズ2 vol.3聖典解説:神を見る、私達の中にそれは在る
英智の響き:オーム

《商品番号7》2006.3.12:質疑応答*なぜ英語圏の人間はOh My God!!のように感嘆文にGod(神)が入るのか?*なぜインドに覚醒者が多いのか?・道徳は宗教である/ムー大陸

《商品番号8》2006.3.26:質疑応答*微細身とは?*人間として生まれ変わることは何故、難しいと言われるのですか?*本尊のヨーガを行う場合、どの本尊を選択するべきでしょうか?

[商品番号9]2006.4.9:シリーズ2 vol.4聖典解説:内在する神
英智の響き:既成概念、既成概念を取り除く

《商品番号10》2006.4.9:質疑応答*瞑想で自分の中に深く降りていくとはどういうことでしょうか?*神は、なぜこの世界を作ったのでしょうか?*神の概念の無い人にはどのように神のことを伝えれば良いのでしょうか?

[商品番号11]2006.4.30:シリーズ1 vol.4聖典解説:グナ(物質界を創造維持する三要素)
英智の響き:苦しみとは、苦しみからの脱却

《商品番号12》2006.4.30:質疑応答*シャンバラとは何ですか?*如来とは何ですか?

[商品番号13]2006.5.13.:シリーズ2 vol.5聖典解説:内在する神、唯一なる神
英智の響き:敬虔であることの大切さ、敬虔さとエゴ、経験さを得ていく段階

《商品番号14》2006.5.13.:質疑応答*神への接し方*エゴと覚醒

[商品番号15]2006.5.28.:シリーズ1 vol.5聖典解説:煩悩のメカニズム、煩悩の解除法英智の響き:個我、真我、自我、個我の存在理由、カルマの浄化

《商品番号16》2006.5.28.:質疑応答*個我は自分が選んでいるのでしょうか?*覚醒について

[商品番号17]2006.6.11:シリーズ2 vol.6聖典解説:宇宙に内在する神英智の響き:悟りとは/悟りの方法

《商品番号18》2006.6.11:質疑応答*聖書について/ナフスとは何か?/悟りは更新するのか? 

 2006年だけでもこれ以上ありますが、07年、08年と続いているのでかなり膨大な量になります。その他ラインナップなど詳細はこちら


I先生のこと | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/02/09 15:42

女神の性質⑥

  クンダリーニ女神

  ヨーガの体系では、尾てい骨(ムラダーラチャクラ)に眠るクンダリニーというエネルギーを頭頂のサハスララチャクラまで上昇させることで、解脱、悟りに至るとする。
  インド哲学ではこの世界は、プルシャ(霊・神我)とプラクリティ(根本原質)よりなる。プラクリティは創造の母体となる原初のマトリクスと考えてもいいかと思う。このプラクリティの創造力が人体内に結晶化したのがクンダリニーと言えるかもしれない。
  ダンテス・ダイジが面白いことを言っている。
  
  『尾骨神経節は、神が人体を通じて表現した最終到達点である。
   物質界の立場から見れば、脳髄は根であり、脊髄は茎であり、各神経叢は枝であり、各内分泌器官は葉であり、尾骨神経節はなんと花なのである。
  花が散って果実ができるように、この尾骨神経節の内部には、肉体クンダリニー、すなわち個生命体の根源的生命欲が宿っているのである。

 創造のエネルギーが、人体の内部で最後に到達したのがクンダリニーであるということだ。
 またそこは、人間以下の領域との接点とも言えるかもしれない。
 クンダリーニを上昇させ、プルシャと合一させることで悟りに達するとする、これがクンダリーニヨーガだ。このヨーガは有名だが、また悪名も高い。なぜ悪名も高いかというとクンダリーニは魔的な力も秘めているからである。それを解き放つことでとてつもない混乱に見舞われる場合があるようだ。

 鸚鵡真理教でクンダリーニヨガが実習されていたのは有名な話だが、クンダリーニヨガのプロセスでは、様々な幻覚妄想や肉体的異常が発生する「狂気」の状態を通過する可能性があると言う。鸚鵡の教祖がどの程度のクンダリーニヨギであったかは知らないが、クンダリニーの魔力が彼に影響を及ぼした可能性も否定できない。だから、このヨガの実習にあたっては、真の理解に達したグルが必ず必要であると言われる。

 クンダリーニの力をコントロールすることは、余程の経験がある人間でないと無理である。
 しかし厄介なことにこのエネルギーは、何も修行をしなくても自然発生的に目覚め、上昇を始めることもある。スタニスラフ・グロフは自然発生的に起こる霊的危機(スピリチュアルエマージェンシー)の中に「クンダリニーの上昇」も含めている。
 この概念は現在の精神医学・医学ではまだ広く認められていないのでもしクンダリーニが上がって異常を感じ、病院に行っても医師は何もしてくれない可能性が高い。か、まったく見当違いの治療をされるだろう。
 だからもしこのプロセスが始まってしまったら、信頼できるヨガ経験者に相談するか、あるいは自分の直観でなんとか対処するしかない。現代はクンダリーニが自然に上がりやすい時代であるようだ。

 またクンダリーニの目覚めは「サタン的力」との遭遇をもたらすことも多いようだ。
 僕は以前魔術などを研究してる人から、「サタン」はすべてクンダリーニにルーツを持っているというような話しを聴いたことがある。この真偽はわからないが、問題なく日常生活を送りたければ、クンダリーニヨーガには手を出さないほうが無難ではあるだろう。またクンダリーニに必要以上に執着し、超能力などを強調するグルは、ほぼ間違いなく真の理解にはいないので師事しないほうがよいかと思う。

 とは言え、クンダリーニを悪者にばかりすることもどうやら出来ないようだ。
 I先生はクンダリーニヨーガで覚醒したわけではないが、その時やはりクンダリーニは動いてはいたと言う話しを聴いたことがある。
 ということは、クンダリーニ・ヨガを実習するしないに関わらず、人が実在へと目覚める時には必ず、エネルギーが上昇し、プルシャとプラクリティの合一が起こるのだろうか?
 また禅などの伝統で起こる「悟り」にもこういうエネルギーの上昇はやはり同じように起こるのだろうかという疑問もある。

 僕自身、神様エネルギーの中にいる時、またはその後に、頭痛や吐き気、またはそのあと目がぎんぎんで眠れないというようなことを経験したことがあるけど、ヨガのサイトなどでは頭痛などはクンダリーニ上昇の症状として記されていることもある。I先生によると、吐き気はエネルギーが逆流(つまり上昇)することと関係があるようだ。

 昇る三角と、降り下る三角、カゴメ唄の謎 

 女神の性質③で、三角形の記事を書いている時、読者の方からメッセージをいただいた。(仮にAさんとする)
 この方は自然発生的なクンダリニー上昇体験をされている(今も継続中?)ということだが、その時にいくつものきらめくビジョンが現われたという。そのビジョンの中には「フラワーオブライフ」も含まれたというが、他にいくつもの下向きの三角形が横たわっているAさんの上にいくつも降り注ぐというものがあったらしい。(その前には上向きの三角形が上方に昇っていったという

 あと、以下のような体験を教えていただいた。 

 夜明け前に目を瞑るとはっきりと自分の周囲にその時によりその色の変わる等間隔に並ぶグリッドラインが見えるのですが、よくよく観察するとグリッドラインが左巻きと右巻きにそれぞれ回転しているのがわかります。 私が特殊なのではなくて人は周囲にはみなこれがあるのだろうなと思っていたのをサイクロンの画像を見て思い出しました。

 これは「フラワーオブライフ」のマカバフィールドに似ている。
 またAさんがグリッドの中に閉じ込められた籠の鳥のようだと、言われたことから僕は「カゴメ唄」を連想し、そのことを伝えると、Aさんもやはりカゴメ唄がずっと頭の中でリフレインしていたと言うシンクロもあった。
 
  かごめ かごめ
  かごの中の鳥は
  いついつ 出やる
  夜明けの晩に
  鶴と亀がすべった
  後ろの正面だあれ?

 
 この唄は単なる童謡なのだろうか?
 かごめというのがもしも「かごめ紋」をも意味するのだとすれば面白いことになる。
 カゴメ紋はヘキサゴン(六ぼう星)だ。

                    rokubousei_kyoto_m.gif

 このマークはなんかユダヤチックだが(笑)伊勢神宮の石灯籠なんかにもこのマークが刻み込まれたりしていて、実は日本にも馴染み深い紋だ。日本とユダヤの文化はダブっている風習がかなり多い。みこしや、正月のもち、また日本語とヘブライ語の単語の類似性。例えばワッショイというのは「敵を打ち倒せ」と言う意味らしい」(日ユ同祖まで行くのはどうか微妙だけど)
 そして、ドランヴァロメルキゼデクが、人体の周りで回転していると言うマカバフィールドの形はこれだ。

             081113_1258~02

 プラトン立体である正四面体の上下二重構造だ。二次元的にシンボライズするとカゴメ紋になる。
 もしかすると、「かごの中の鳥」とはマカバフィールドに囲まれている人間自身なのだろうか?
 メルキゼデク氏によると、マカバフィールドは次元と次元をつなぐ「乗り物」の役割りもするということだ。回転したマカバフィールドは僕にはものすごくUFO的に見える。
 コンタクティーのマウリツィオ・カヴァロ氏のUFOは次元と次元の扉を抜けて、この3次元に物質化する(と言う)。もし人体の周りにマカバフィールドが次元と次元を越える「乗り物」だとすれば、UFOに助けてもらわなくてもこれを回せばいいのだ。「宇宙船が天空に満ちるビジョン」ってもしかして、マカバUFO(人間自身)だったりして。(あくまでも思考実験的に言ってますのでお遊びとして聴いてね)あ・・・段々5次元文庫的になってきたので話題を変えます。Aさんありがとうございました。


 アジナーとサハスララ、父の座と母の座?

 伝統的には、ムダラーラに眠るシャクティが頭頂を抜け、サハスララに達した時に意識の覚醒が起こるとされる。僕が『概念として』理解しているところによると、サハスララの覚醒とは、何かが見える、何かが聴こえる、光が見えると言った霊的な現象ではないし、ただ至福や恍惚感といったものでもない。また宇宙との一体「感」といった感覚的なものとも違うようだ。
 それは「主体・見るもの」と「客体・見られるもの」が合一し、「あなた」と「わたし」がひとつになり、二元性が超克され、ワンネスが実現した状態だ。(が、ワンネスは既に実現してもいる)

 カバラで言えばケテル(絶対存在)が与える霊的体験、すなわち「神との合一」となる。
 これは形のない照明と言われる。悟りにはいかなる形もない。
 それはなんらかの霊的なものを含む現象の「知覚」ではなく、認識の根本的変容だ。
 「知覚」と「認識」は似ているようで違う。「知覚」には必ず対象物がある。
 「認識」は知覚以前の領域にある。
 様々なものを知覚する「私」は誰か?ということだ。
 「私」がなにを知覚しようがそれは問題ではない。
 その現象を知覚している「私」は何かということだ?
 鏡に映った「私」を見ている「私」はいったい何か?ということだ。
 私は愚かだ、私は賢い、私は美しい、私は醜い、私は霊的に高い・低い、私は前世で○○だった、私は実はシリウスから来た、私はちょっと太りすぎだ、私は髭が濃い、私は学歴が高い・低い、金持ちだ、貧乏だ、明るい、暗い、若く見える、老けて見える、好色だ、ストイックだ、純粋だ、汚れている、面白い奴だ、つまらないやつだ・・・・・・と言う「私」を見ている「私」はなにかと言うことだ。 
 「認識」の変容とは、その知覚世界をも含むリアリティの根本的変容だ。
 でもこれは僕の悟りの『概念』に過ぎない。
 悟りは『悟りの概念』ではない。神は『神の概念』や『イメージ』ではない。

 と言っても真のワンネスとそれ以外の違いをはっきりさせることもまた重要ではないかと思ったりする。「神様が見えた」、「声が聴こえた」、「体外離脱した」、「ものすごい光に包まれた」などなどはそれだけでは悟りとは言えない。「誰が」見ているのか?「誰が」聴いているのか?それでちょっと得意になって後から話したりしてるのは「誰」なのか?という問題が残る。
 「私(認識主体)が誰か?」ということを理解しないと宇宙のカラクリはわからないらしい。
 僕はそこまで声を荒げて、悟ったとか言ってるニューエイジャーは全部嘘っぱちだ!というつもりもないが(僕も悟ってないわけで)、ティーチャーに「はい!あなたはこのコースを終了したので覚醒しました。おめでとう!」と言われ生徒が「そうなんですか~やった~!ぱちぱち」と手を叩くような状況はちょっと、なんだかなーで勘弁してほしいと思っている。
 自分が「わかってる」ことが重要なのだから、いくらい偉い人に「君はもう悟っている」と言われてその気になってもそんな気分は一週間続けばいい方だろう。逆に誰にも承認されなくても、自分が「わかって」いれば何もかも問題はなくなる(問題が問題でなくなる)のだから。そしてもちろん「悟らなくてもいいよ」ということも自分で導き出した答えならアリだと思う。 

 話しをサハスララに戻すと、この頭の上にあるとされるチャクラは、ワンネスが実現されるポイントだ。
そして額の辺りにあるアジナーチャクラ(第三の目)は二元性が始まるポイントとされる。アジナーに基づく智慧や知識は主客対立をもとにした二元性に立脚している。

 師匠が以前『サハスララでは父なる神の覚醒が起こり、アジナーでは母なる神の覚醒が起こる」と以前言っていたのを覚えている。アジナーで起こる母なる神の覚醒とはどのようなものか突っ込んで質問したことはない。
 だからこれは僕の推測でしかないのだが、もしかすると客体が一元化することではないかと思う。アジナーでは主客対立が起こるのだから「わたし」と「あなた」「自己」と「他」は分かたれているはずだ。
 通常僕らが見ている世界は「自己」と、そのほか「無数の他」に分割されている。「私」はひとりだが「私以外」はうじゃうじゃいる。宇宙の99.99999999999(無限に続く)パーセント「私」意外だ。
 しかし、アジナーの覚醒によりこの無数の客体がすべて一元化する。すべて母なる神の現われとなる。すべては太母の現われだ、ここには母しかいない。
 この無数の客体がすべて原初の形の母のあらわれであるとするならば、残るのは「自己」と「母」だけとなる。もしかするとラーマクリシュナの言う『人格神の悟り』とはこのことなのだろうか?
 その後この「母」がさらに「父なる神の覚醒」を与えてくれるかどうかはわからないが、このことによって「自己」と「母(神)」というシンプルな二元性が生まれるのではないかと思った。

 「フラワーオブライフ」にはアジナーには全ての森羅万象の形のもととなる神聖幾何学のプログラムが秘められていると書いてあったが。ドランヴァロメルキゼデクも、この神聖幾何学を紹介するのは、すべてに神の形が表現されてることを左脳で理解してもらうためだと言っている。 これも客体のワンネス化の試みではないだろうか。
 アジナーは二元性と「かたち」の出発点だ。
 もしそうであれば、母なる神への目覚めがアジナーで起こるのはとても納得できる。
 二元性は苦しみの原因であるかもしれないが、喜びの原因でもある。
 ラーマクリシュナが「私は砂糖をなめるのは好きだが、砂糖にはなりたくない」と言ったのは、アジナーの地点で母なる神をたたえ続けていたいという意味だったのかもしれない。

女神の性質 | コメント(5) | トラックバック(0) | 2009/02/04 12:17

2009年以降のビジョン①辺見庸・同時性のパンデミック

  2/5 18:00一部追加変更


  黙示録ついでにこっち系でもうひとつ、書いておく。
  ニ三日前、あるページで辺見庸という作家のインタビューが掲載されていた、『週刊金曜日』という雑誌の記事が紹介されていた。ちょっと面白そうだったので、書店に行って『週刊金曜日』を買ってみた。60ページほどのぺらぺらな本で、Hなグラビアもないが500円もする。どうも広告を一切載せていないので高くなるようだ。なんだかこの本自体が、『広告収入に頼らないとこんな風にしかできませんねん』という見本のようで大変興味深い。

 辺見庸の本は読んだことはないが、前から少し興味はあった。
 インタビューには『生体が悲鳴を上げている』というタイトルがついていた。
 ここで辺見氏が考えている現在のクライシスが、僕がいつも考えているものととても似ているように思えた。僕は「アセンション」と言う言葉で、地球が5次元になるとかその種のことだけではなく、もっと現実的ないくつもの問題が同時進行してなにかのオメガポイント(そこで何が起こるかはわからない)に向かっているようなそんな感覚を言いたいのだが、なかなかうまく表現することはできない。

 これは何も、精神世界のことではなく、今後万人に影響を及ぼすきわめて現実的な問題だと思っている。しかしそれを多方向からとりあげて扱っているメディアが少ない。「2012年」というキーワードも、そのようないくつもの現象が加速化して一点に収斂していくようなイメージを共有するためのものではないかと思う。

 僕はそのオメガポイントへの過程で、なんらかの、肉体も含む精神の変容が起こる、とはかなり信じていたりする。それ以外の、UFOとか、オバマが光の存在だとか、闇の政府のなんとかだとか、いつポールシフトが起こる起こらないとかいう情報は枝葉末節なものだ。知っても知らなくてもいい。(嘘かホントかわかんないんだから)ただ知っておいたほうがいいんじゃないかと思うことは、今未曾有の変化が、あらゆる分野で起ころうとしているということ、そして物理次元にあらわれるその変化は、人間の精神においてももっとも重要なかたちで現れ、そのことを認識した上で内省に基づいた自己の変容を志向するということではないかと思う

 辺見氏はもちろん、精神の変容、五次元化、集合的サトリ・・・とかその種のことは語らないけど、危機認識という点で普通のマスコミが語らないような全体的な視点から語っているようで大変興味深かった。現在の報道は問題を経済に限定することで、この変化を一元化しすぎている。以下、特に面白かったところを引用したい。



 辺見庸特別インタビュー 同時性のパンデミックを語る(上) 『生体が悲鳴をあげている』より

 異質な破局のパンデミック

 私がここで言うパンデミックというのはとても広い概念で、神話的であり、フィクショナルなものでもあります。現前しつつあるものとしたら人類にとって今が初めてと言っていいでしょう。ご承知のように、パンデミックというのは感染爆発、空間的にはエピデミックに対応する言葉です。エピデミックが東京とか、地域的に限定されているのに対して、パンデミックはもっと規模が大きく世界各地で起こるようになった状態です。

 しかし私は試みに病理を越えた概念としてパンデミックを用いてみたいのです。ペストが流行った昔と比べれば、いまは地球上の交通や流通の速度、量が格段に違う。いまは瞬時にして地球の裏側に物事が広がっていきます。戦争や紛争にしてもかつては核兵器や巡航ミサイルはありませんでした。いまはボタン一つで地球の裏側を攻撃できる。空間と時間の実質がまったく異なるのです。
 資本も情報も同じです。コンピュータ操作によって数秒で数億ドルのカネが動く。病理に限らず、この間のグローバル化によってエピデミックという危機の地域的な限定は困難になりました。
 私の言うパンデミックというのは、そうした異質の破局、さしあたり破局という言葉を使うしかないのですが、その破局が世界的規模で同時進行して起きる状態を指します。

 この破局はしかも、ワンディメンションではなく多次元にわたる。

 一つは経済の問題。現在の世界大恐慌です。
 次に地球温暖化を背景とした気候変動や大地震の脅威など。
 三つ目は感染病の問題。新型インフルエンザなどです。
 そしてもうひとつは、目には見えないが、価値システム全体に大きなクレバス(亀裂)が生じていることです。価値システムとは、十八世紀、十九世紀以降育てられ、共同幻想ともなった人権とか自由・平等・博愛のような近代的な平等概念であり、資本主義およびカネや市場のシステムも包含されます。また、これまで自明とされてきた人間の道義の問題、モラルの問題、社会規範の問題、さらには疑うべからざるものとされてきた「民主主義」のありようさえもが足元から揺すぶられ、危うい実態が白日の下にさらされてきている。いま起きている破局と言うのはそのように広義にとらえるべきだと思います。
 政治やマスメディアは、「100年来の金融危機」とカテゴリーを限定し、まるで自然災害のように、自分たちにはなんの責任もないかのように言い募りますが、そんなたやすい問題ではない。100年どころか、人類史上初めての大きなクレバスをいまわれわれは足元に見ているのではないか。仮設であり、試論でもありますが、大きな仮説を立てないと私の言うパンデミックはとても説明できないのです。

 人格の崩壊と生体の悲鳴

 Q:経済、自然災害、病理など外部の破局と同時に、内面の崩壊もまた進行していると辺見さんは指摘されます。人間の内面はどのように崩壊しつつあるのか、あるいは崩壊しているのか?

 これもまた明示的に言うのが大変困難です。いまは物事をメタフィジカルに語る、あるいは暗喩的に表すことを受け付けなくなっています。隠喩的、暗喩的に表現すると言うのは旧約聖書の時代から人類がやってきたわけで、人智であったのです。それは明示的に1プラス1=2というのとは違うのであって、例えば「バベルの塔」だとか私の好きな「コヘレトの言葉」などのなかには人とその世界の謎について明示的ではないけれどもいわく言いがたい暗喩的示唆や警告がある。並べるのは変ですが、マルクスの著作だって隠喩的知の宝庫です。「疎外」を彼以上に深く表現しえた人物はいません。こうした「知」を現代人はテキストに閉じ込め、人間論、文化論から排除して資本主義総体の反省のための知として生かすことが出来なかった。

・・・・もっと短期的に見た場合、現在のパンデミック状況の予兆のようなものが昨年六月に起きた秋葉原事件。これを文化論的に考えてみる必要があると思います。犯人の青年はつかまったが、「真犯人」はまだわかっていない。ここが極めて深刻なところです。彼はごく普通の青年ですが、あの青年の突然の発作のようなもの、痙攣のようなものは何に起因するのか。そのことを社会はメディアを含めて深く掘り下げようとしなった。これを単に個人のcrime(犯罪)として考えて、私たちのシステムが日々生成しているsin(原罪)としては掘り下げようとはしなかった。したがって、真犯人がわからないまま類似の事件が次々と起こる。このなかには、内面の崩壊、人格の崩壊からきているものがある。つまり、生体、生きた身体にとって現在の資本主義的負荷はもう耐え難いものになっているということではないのか。

 近代以降、人間は精神病理にたくさんの名前を付けたのだけれど、名前をつけたから病症が増えただけではなくて、ちょうど十九世紀から二十世紀になる時アスピリンが出来たときは大変な頭痛症候群があったわけです。換言すれば、アスピリンで儲ける資本主義は頭痛症候群の蔓延を必要とした。それと似たような形で高度資本主義は精神疾患のパターンを極度に増やしている。PTSD(心的外傷後ストレス障害)や統合失調症や鬱の新たな症状は病名が追いつかないほどでしょう。
 患者は学生にも多く、現役記者にも多い。新聞社や出版社の現場に鬱の類の病がいかに多いか。社内に専門の医師を置かなければならないほどとりわけマスメディアには多いのです。私はこうした実情を新聞社は外部に発表すべきだと思う。マスメディアは非常に間違った日常のコーティングをしているのです。日常はかつてと変わりなく進んでいるような物言いに終始している。マスメディア内部で無意識の精神のすさみが起こり、それを隠すことで社会はますます歪んでいくのです。極論すれば、まっとうな生体はいま狂わざるをえないのです。

 ・・・僕自身が身体の調子が悪いなか、数年来この問題を考え続けていますが、まだ見えない、暗中模索です。ただ、強い関心がある。その理由はですね・・僕は1944年生まれで、ちょうど戦後と一緒に生まれ育った人間です。その戦後をたどってみても、今ほど精神の根が狂(たぶ)れている時期はどこにもなかった。不況やいろいろの危機的状況、それはあったわけですけれど、いまのような、名状しがたい内面の危機と不安状況というのはかつてなかったことです。現在の世界同時不況も明らかに1920年段階とも、30年段階とも違っている。加えて異質の危機が折り重なって迫ってきている。それに気がつきながら、今日は昨日の続きという風な、僕の言葉で言えば慣性の法則、つまりはイナーシアを正気を装ってつづけている。主としてマスメディアがそのように仕向けていく。このような状況は、僕が記憶する限りかつてない。

<引用終り>



 「日常のコーティング」と言う言葉が印象的だったので、思わず太字の赤字にしてしまった。 
 「日常のコーティング」は仮想現実の創造だ。
 この仮想現実と、実際の社会的実情・人間精神の実情のギャップが大きくなればなるほどに、ゆがみは大きくなりやがてコーティングは破綻するだろう。

 また現代は物事を暗喩的に語ることを受け付けなくなったというのも、とても頷かせられる一文だった。この世界には、詩や、寓話、メタファーで語ったほうがリアルに把握できる現実の側面が存在する。その領域をないものとみなすということ。これはミヒャエル・エンデなどが童話の形で何度も警告していたこと(「果てしない物語」などで)であると思うのだが、そのことによってこの現実はおそろしく平面的で、また即物的となり、人間存在もまた同じようにただの「モノ」となるのである。
 メタファー・寓話・詩は人と魂の次元をつなぐものだ。
 それを受け入れる土壌がなくなれば深みや、直観知といったものも失われ、ただ1か0か、あるかないか、現実か嘘か、だけが問題となり、魂の潤いが失われた乾燥したプラスチックな世界が出現する。

 メタフィジカルな次元の欠如は、内面の崩壊の結果であり、原因のひとつでもあるだろう。

 19世紀や20世紀初頭に活躍した、小説家・詩人などがこの現代の日本に生まれたら生きていくのは相当に困難極まるのではないかと思う。すべてが「モノ」であり、宗教もまた「モノ」になっているからだ。彼らが着地できる地面はもはやほとんどない。本来不適応な人々を受け入れるはずの精神世界の即物性も、またなかなかすごいことになっている。こころを変えれば物質的にも上手く行くなど、あまりにも視点が即物的なものが多すぎる。
 そうではない。本来精神の次元にはそれ自体の充足性があるのだ。それにより満ち足りることがその次元を豊かにする。精神は、物質を支配するために用いる道具などではない。
 そして、精神次元の豊かさは必ずこの世界に戻ってくるのだ。
 それが「果てしない物語」のファンタージェンの女王、ムーンチャイルドが、「この世界に遊びに来る子供たちが増えるほど二つの世界が豊かになる」と言っている理由であり、ムーンチャイルドに新しい名前を付けるのが「人の子」にしか出来ない理由だろう。

 例えば、即物性とはこういうことである。
 
 ※漢字検定を取っていると就職に有利!
 ※AプランよりBプランのほうがご利用料金がお徳です。
 ※10月11日に、宇宙船の艦隊がNY上空に現れます。
 ※このパワーグッズを買えば運勢が好転します。片思いのあの人をゲットできます。
 ※ありがとうと言い続けてれば、お金が入ってきます
 ※ブラジルの大預言者ジュセ○ーノが語る!1月6日に大阪で大地震! 
 ※バラク・オバマは光の存在である


 暗喩・寓話・詩の次元とはこういうことである。
 ※『晴れた日と暴風雨とは同じ空の異なった一面に過ぎない』
 ※『あなたが世界である。あなたが変われば世界が変容する』
 ※『新しいワインは新しい皮袋に入れなければならない』
  
 即物性はただ、1かゼロか、嘘か現実か、効果があるかないかだけに意味がある情報だ。
 本来その手の情報は宗教的なエッセンスとは何の関係もない。
 キリストが悟っていたかどうか、宇宙人が人間を作ったかどうか、など宗教精神世界の中の素材を用いていたとしてもその手の情報は即物的だ。1かゼロかだからだ。
 一方寓話・隠喩・詩の次元は、どこまでも降りていける深みがある。
 即物的な情報にのみ触れ、それにのみ注意を向けることは、精神のモノ化を進めるだろう。

 (ただし『バラク・オバマは光の存在である』というのは強引に、メタファーの次元の言説として解釈することも出来る(笑)万人が光の存在であるとも言えるからだ。しかし、これを限定してオバマが何か非常に特殊な霊的使命を持っていると言うことにするならば、1かゼロかの問題でしかなくなる。同じく、五つめも、「ありがとうは最高のマントラである」とかに変更すると、なかなかいい感じになる。3つめは・・・「宇宙艦隊は既にあなたの心の最奥部に来ています」とかかな??四つ目は、「このグッズを買えばあなたにとって必要な現実が次々に起こります」とかがいいと思う。絶対に訴えられる心配がないwまあ買わなくても起こるのだが)

  ダンテス・ダイジのことを思い出した。
 彼は講話のCDの中でどこかの酒場でヘッセの詩を酔っ払いながら朗読していた。丸暗記してるところからしても、彼が本当にヘッセが好きなことがわかる情景だった。彼は80年代にこの世を去った。2009年の今、同じようなことをする人間がいたら、かなり奇異に映るだろうし、恐らくいないだろう。たった2,30年前の話だが。この間にも魂の乾燥化は加速化して進んでいる。

 直観知は全体的なものだ。
 だから現在の状況を、直観知によって把握したものを「明示的に言う」のが困難なのだ。
 直観知を、暗喩を切り捨てた人間にとって、個々の問題は見えるが全体像が把握できない。またその、本質的意味が理解できない。だから現在のクライシスの意味もわからない。その意識にとっては教育も、経済も、環境も、宗教も、芸術も、すべてがバラバラになっている。本来はそれら全ては一つであった。

アセンション考 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2009/02/03 12:35

ふじ(二二)の日の二つの噴火

 今朝夜勤明けで、外に出てみると駐車されている車のフロントガラスやバンパーにうっすらと砂のようなものが積もっていて、驚いた。

 これってもしかして、昨日ニュースでやってた浅間山噴火の灰??

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 て長野からここ(西東京・立川周辺)まで飛んでくるのか?と思ったがどの車にも積もっているので、やっぱそうみたい。初めて間近で火山灰を見たので若干驚いた。空気中にまだ漂ってる気分になってきてほとんど自己暗示で息苦しさを感じる。

 この事を相方にメールで知らせると、職場の同僚が「富士山が噴火する夢を見たと思ったら、浅間山が噴火していた」と言っていたらしい。

 よく考えたら、今日って、二月二日で、「ふじの日」であった。

 某大手SNSの『日月神示』コミュにも、

 (昨夜)富士山が大噴火して垂直に火の柱が立つ夢を見て、  

 というようなような書き込みがあった日本全国で何人くらいが同じような夢を見たのだろう?そしてそれはなぜだろう?

 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=19468127&comment_count=218&comm_id=263044
 
 と思ってたら、いつのまにか桜島も噴火していた

 二月二日、富士(二二)の日、二つの山が火を噴いている。

 http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/volcanoes/?1233545987

 富士がいつ動くのか(もしくは動かないのか)、それは誰にもわからないが、これは富士始動の前兆なのだろうか?『日月神示』を読んでると新しい時代の前に富士山が噴火することになっているように読める。

 久しぶりに、頭の中が一時的に黙示録もしくは「北斗の拳」に戻った。
 火山灰を目撃したのが大きいかもしれない。
 と、同時に自然(火山)の力ってすごいなーと変なとこで感動したりした。
 
 明日は節分だ。旧暦のほうが宇宙のサイクルには忠実なようなので、明日を挟んで、2月4日から本格的に2009年のエネルギーが始動を始めることになるのかも。

  まあワタスのような半キチガイの言うことですから、笑って聞き流してください。(あるブログのパクリw)

アセンション考 | コメント(8) | トラックバック(0) | 2009/02/02 13:34
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