3月28日修道会①

  個我が『ベルゼバブ』だった場合、ユダの福音書

  前回の修道会で、グルジェフの個我(魂)は周囲に混乱を起すような性質のものだった(でも真理を悟ってもいる)というのをきいた、その流れの続き。

 『でもね、自分の個我がそういう性質のものだと気づかせてもらえるというのは、逆にそこにすごい神からの恩寵があるんだよ。グルジェフにしてもすごい神への感謝があったと思うよ』

 「じゃあ、僕が自分の個我に目覚めた時、それが魔的なものである可能性もあるわけですか?」

 「それは、あるよ(可能性としては)」

 えっ・・・

 「それはね・・・例えば・・・」
 とI先生はセッションルームの隅から、一冊の本を持ってきた。

 それはナショナルジオグラフィック社から数年前に出ている、「原典 ユダの福音書」だった。
 これは僕も持っている本だった。
 現在のバイブルには、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、の四つの福音書(キリストの言動を記したもの)が存在しているが、この他にもトマスや、マリアの福音書というものが存在していた。しかし、現在の聖書が編まれる時にこれらの書は異端として排除された。
 「ユダの福音書」もそんな異端的文書のひとつである。(だが異端的ということは秘教的ということでもある)
 通常、ユダはイエスを裏切った弟子として語られるが、正統派キリスト教以外の教えの中ではユダはキリストにもっとも近かったというものや、ユダは神の意志が行われるためにあえてイエスを「売った」という説がたくさんある。
 「ユダの福音書」は1970年代にエジプトで発見されたものだが、この福音書にもユダが単なる裏切り者ではなかったことが暗示されている。
 
 I先生は、その本に載っている福音書の一部分を読んでくれた。



 ある日、イエスは弟子達とともにユダヤにいて、見ると、弟子達が集まって信仰深く儀式を行っていた。集まって座り、パンに感謝の祈りを唱えている弟子達に近付くと、イエスは笑った。

 弟子達はイエスに言った。
 「先生、あなたはなぜ私たちの感謝の祈りを笑っておられるのですか。私達が何をしたというのです。これは正しいことではありませんか」

 イエスは彼らに答えて言った。

 「私はあなたがたを笑っているのではない。あなたがたは自分たちの意志でそうしているのではなく、そうすることによって、あなたがたの神が賛美されるからそうしているのだ

 彼らは言った「先生、あなたは○○われわれの神の子です」

 イエスは言った。「あなたがたにどうして私がわかるのか。本当に、私はあなたがたに言う。あなたがたの内にある人々のどの世代にも、私がわからないだろう」

 これを聞いて、弟子達は腹を立て、怒り出し、心の中でイエスをののしり始めた。
 彼らが理解していないのを見ると、イエスは彼らに言った。
 「なぜこの興奮が怒りに変ったのか。あなたがたの神があなたがたの内にいて、○○があなたがたに心魂の中で腹を立てさせたのだ。あなたがたの内にいる、勇気のある完全なる人を取り出して、私の眼前に立たせなさい」

 彼らは口を揃えて言った。「私たちにはそれだけの勇気があります」
 しかし彼らの霊は、イスカリオテのユダを除いて、イエスの前に立つだけの勇気がなかった。ユダはイエスの前に立つことが出来たが、イエスの目を見ることが出来ず、顔をそむけた。

 ユダはイエスに言った。
 「あなたが誰か、どこから来たのか私は知っています。あなたは不死の王国バルベーローからやってきました。私にはあなたを使わした方の名前を口に出すだけの価値がありません」




 ユダは言った。「先生、やはり私の種子は支配者(アルコーン=この世の管理者、サタン )たちの掌中にあるということなのですか」

 イエスは答えて言った。「来なさい、私は○○○・・・・だが王国とその世代のすべての人々を見ればお前は深く悲しむことになるだろう」

 これを聞いて、ユダはイエスに言った。「私がそれを知ると、どんなよいことがあるのでしょうか。あなたはあの世代のために私を特別な存在にしたのですから」

 イエスは答えて言った。「お前は13番目となり、のちの世代の非難の的となり、そして彼らの上に君臨するだろう。最後の日々には、聖なる世代のもとに引きあげられるお前を彼らは罵ることだろう



 「だがお前は真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを越える存在になるだろう。

 すでにお前の角は立ち上がり
 お前の憤りは燃え上がり
 お前の星は明るく輝き
 お前の心は強くなった

 (中略)

 ・・・そしてその時、アダムの大いなる世代の像は高みに上げられる。なぜなら天、地、天使たちが存在するより前に、永遠の王国からやってきたあの世代が存在するからである。さあ、これでお前にはすべてを語ったことになる。目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」

 ユダは目を上げると明るく輝く雲を見つめ、その中へと入っていった。


 (○○は文書の欠落部分)

 この文書はユダが、いくばくかの金と引き換えに師イエスを引き渡すシーンで終わっているが、それ以前の文があるためにその行為はまったく違った意味合いを帯びてくる。
 またユダと言う人物は、むしろイエスにもっとも近かったと思われる。
 裏切り者の汚名を着ると知っていて、運命を甘受するユダ、そしてその行為の意味をただ一人理解しているイエスとユダの絆は言葉に出来ないほど感動的だ

  「だからね、イエスの最後のはりつけもすごい話しなんだよ。イエスとユダだけが(神の意志を)わかってて、あとは全部眠ってるみたいな、イエスとユダの二人芝居みたいなものだよね」とI先生。

 「もしM君の個我がユダみたいだって気づいたら、がーん、俺先生を殺さなきゃなんないって(笑)」

 が・ガーンって、そんな軽いノリだったらやですね・・・・(^ ^;
 

 (つづく)

 
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修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/03/31 10:38

3月のエネルギー変化、江ノ島

 3月27日夜追加

 昨日、新月と太陽活動の活発化(高速風)が重なるかなと思い、③を書いたが、それにしてはいつも感じる高速風感がなく、まあ穏やかだな~と日中思っていたのだが、宇宙天気情報を見ると、予測されていた高速風はまだ来ず、現在は速度を落としているということだった。ということで、普通の新月となった。
 昨夜はあったんだけどな、高速風感。あーこれだよ、これみたいな(笑)
 時期がずれて来るかもしれないそうです。  
 


 3月はエネルギーが不安定になった時期が3箇所ほどあった。

  ①3月11日の満月前後から、3月13日の太陽活動がやや活発になった時期。

  ②3月20日、春分以降

   この日に起こったこと:深夜 尼崎難波センター市場火災
                 未明  群馬老人ホーム火災
                午前6時 トンガ沖で地震 M7.9
                 トンガタプ島で海底火山噴火
                午前8時半 愛知で震度2
                午後4時前 釧路で震度3

  旧吉田茂邸全焼
  成田 貨物機炎上 など続く  


   kazan.jpg
   海底火山噴火の様子

    
  ③3月25~27日あたり 3月27日→新月
                  3月26日 太陽風480キロまで速度上昇
                        Bクラスのフレア発生
                        小規模のオーロラ

 太陽活動と新月がかぶれば、どういう影響が出るのかは知らないが若干気になるところ。
 偶然だと思うが、今月は満月と新月の時期にちょうど太陽活動がやや活発になっている。
 春分の地震と火災は意味不明。
 吉田茂は麻生首相の祖父で、この場所は戦後政治・外交の舞台ともなったということで、これが全焼するのは、なにやら象徴的。
 それにしてもやはり今年は火災が多い。
 
 ②と③はほとんど切れ目ないのでセットかもしれない。
 3月20日から、次の満月までは高エネルギー状態が続くとどこかで読んだ。

 ただ、あくまで僕の感じ方と、天体の動きを参考にしてなかば備忘録的に書いているので、ご了承ください。こういう時期は、一概にいいとも悪いとも言えず、なにかの力の場が一時的にアンバランスな状態になっているのだと思う。ポジティブに考えれば、力のバランスが壊れるということは変化が起こるということだが、バランスを崩しすぎると困ったことにもなり得る。
 そういう意味で、『絶対に安全な』変化などはありえない。(と僕は思う)
 
  以上の内容とあまり関係ない(と思うけど)けど、春分の翌日江ノ島に行って来た。
 江ノ島らーめんがうまうまだった

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 江ノ島縁起を見ると、天から降りてきた弁才天がその土地で悪さをしていた五頭龍(ごずりゅう)を改心させたということになっている。これは何か、箱根九頭龍神社の話と似ている。こっちは弁財天では
ないけど、偉いお坊さんがやはり土地の悪い龍を改心させたということになっている。

 京都の実家の近くにも九頭龍神社があるのだが、こっちは弁財天が祭られていて、弁才天は「宇宙の母」的なことが書かれていた。マーですね。
 龍と女神のつながりがここでもうかがえる。

アセンション考 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/03/26 21:42

行為者はいないということについて

 先の『許し』とも関係する事ですが、行為者は存在せず、自由意志は究極的には幻想であると言うことを説明する卓越した文章があります。
 自分の行為でないがゆえに、自尊心や罪悪感から救われることが可能となると思われます。
 I先生の話しとほとんどそのままで驚きます。 
 かなり好きな本の一冊です。
 ややジュニャーニャタイプの人向きかもしれません。
 僕がペヨーテを食らった時に見たのは、これに近い世界でした。
 すべて無自覚のうちに愛に奉仕していました。

 『人生を心から楽しむ~罪悪感からの解放~』 ラメッシ・S・バルセカール著より
 マホロバアート出版

 


 私の観念によれば、人間の相互関係の為にエゴを創造した神はまた、非常に限られたケースにおいて、個人的行為者と言う感覚を破壊するプロセスも始め、そういったケースで自己覚醒、悟りなどが起こることが出来ます。もちろん、エゴの中で不幸の原因となるものは、エゴ自身の行為者と言う感覚なのです。そして、そのプロセスが始まった例においては、このプロセスが始まるにふさわしいプログラミングを持った適切な肉体精神機構が提供されたのです。
 この観念の重要な点は、霊的求道は特定の肉体精神機構がそうプログラミングされたから起こるのであって、個人が自己覚醒、悟りを求めようと決心したから起こった訳ではない、ということです。

 実際の話し、赤ん坊が生まれて、母親の乳房を本能的に求めて以来、人生とは求めること以外のなにものでもありません。どんな種類のことを求めるかは、ひとつひとつの肉体精神機構のプログラミングに依存しています。求道者とは、単に個人的行為者という感覚を持ったエゴの幻想に過ぎず、その感覚とは、私達が知ってるような人生が起こることができるように、神が聖なる催眠※1を通じて創造したものです個人的行為者という考えは、催眠にすぎず、すべての行為は特定の肉体精神機構を通じた聖なる出来事であることを完全に理解することが、いわゆる一般に知られている自己覚醒ということです。 ※2

 さて、残りの疑問は次のようなものです。どんな行為も個人の行為ではない、ということを、絶対的に無条件に受け入れる事が、どうして自己覚醒の平和をもたらすのか?というものです。賢者が賢者であるのは、特定の肉体精神機構を通じたすべての行為は、聖なる出来事であること、つまり、仏陀の言葉によれば、「出来事は起こり、行為はなされるが、それに関して、個人的行為者というものは存在しない」を完全に無条件に受け入れているからです。肉体的精神的行為はインプット(思考や、見られたり、味あわれたり、匂いをかがれたり、触れられたりした何か)への脳の反応として、あらゆる肉体精神機構を通じて起こり続け、それに対してエゴは何のコントロールも出来ず、したがって、そのプログラミングに対してもエゴは何のコントロールもできません。 ※3

 例えば、賢者の肉体精神機構を通じてある行為が起こるとします。賢者は、賢者と同じ理解力をもっていない社会で自分の人生を生きなければならず、それゆえ、賢者を他のあらゆる個人と同様に自分の行為に責任があるとみなします。
 ある特定の行為が、社会によって「よい行為」と判断されるとします。すると社会によって承認されたことが、賢者の肉体精神機構コンピュータの中でインプットとなり、その反応は喜びの感覚かもしれません。しかし、賢者は、社会の賞賛を引き起こした行為は彼の行為ではなく、それゆえ、喜びの感覚は起こってもプライドの感覚は起こらないということを完全に理解しています。
 もし一方で、その肉体精神機構を通じて起こった行為が、うっかりと誰かを傷つけてしまったり、社会から承認されなかったら、後悔の念は起こるでしょうが、それが自分の行為ではなかったと知っているので、罪悪感は起こり得ないのです。
 同様に誰かが賢者を傷つけるとしたら、その傷は神の意志、あるいは、自分自身の運命として受け入れられるのですが、それは誰の行為でもなかったことを知っているので、傷を神の意志として受け入れ、賢者は誰も憎むことはできないのです。
 同様に、賢者は誰かに嫉妬したり、うらやましく思ったりすることもできません。何があるにしても神の意志しかありえないのです。

 いいかえるなら、賢者は普通の人と同じように活発に社会の中で自分の人生を生き、それに参加し、あらゆる普通の人と同じように人生の喜びを楽しみ、苦しみと痛みに耐えるのです。しかしながら、重要な点は、普通の人とは違って、賢者はプライド、罪悪感、憎しみ、嫉妬、誰かに対する敵意といった重荷をもつことなく、人生に参加するということです。仏陀の言葉で言えば、賢者は哀しみである人生に参加しながら、同時に涅槃の平和を楽しむのです。それゆえ仏陀は言ったのです。

 「サムサーラ(世俗)は苦しみであり、ニルバーナ(涅槃)は平和である。しかし、このふたつは別のものではない」

 この段階で残る最終的質問とは次のようなものです。では、いかにして、「すべての行為は聖なる出来事であり、いかなる個人の行為でもない」ということを完全に無条件に受け入れることができるようになるのか?これに対する明確な答えとは、それ自体神の意志でないかぎり、誰も神の意志について、このように受け入れるということを獲得したり、それを達成したりすることはできないというものです! 
 しかし、このような心の平和を求めるということが、ある人の中ですでに起こっていることは、神の恩寵を通じてであり、そのプロセスをさらに推し進めるのは実に神の責任である、という事実からかなり人は慰めを得ることができます。ラマナ・マハリシの言葉によれば、次のようになります。

 「あなたの頭はすでにトラの口の中にあり、逃げる事は出来ない

 しかし、前にも言ったように、神の意志でなければ何事も起こらないという事実があるからと言って、あなたがするべきだと思ってることをする妨げにはなりません。なぜなら、あなたにはこの見かけの自由意志があるからです。




 はいたか注

 ※1 マーヤと呼ばれたりします。マトリクスの見せる幻影。これがあるので世界が成り立っているようです。

 ※すべて神のみこころ グルジェフ流に言えば自動機械の反応。

 ※3 コントロールできないから、素晴らしいように思います。コントロールできたら、人間の頭並みのことしか起こりませんね。愛はエゴを自由に使えるが、エゴは愛を自由には出来ない。 

 
神様 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2009/03/23 20:48

許させてもらえる

  許せなければ、そんな自分を許してみる

  ストイックにならずに、あるがままの許せない自分も、許してみる

  僕らは、すでに神に許されている

  許されて生きている

  だから許すのは自然なこと

  自分の中がどろどろしているように見えても

  そんな自分も許せば

  すべて透明な世界に帰り、僕らは我に返る

  神様、許させてくれてありがとう

セラピー&ヒーリング | コメント(1) | トラックバック(0) | 2009/03/19 15:00

もっとも許すものは

  もっとも許すものは、もっとも幸せ。

 これは確かに、やや陳腐な言葉である。
 主要な宗教はみな、許す事を説いているからだ。だが、これが印象的に聞こえたのにはふたつの理由があった。
 そのひとつはタイミング。貧苦と戦う作家は、そのころ非常に苛立っていた。その週ある出版社が原稿料の支払いを遅らせていたのだ。
 もうひとつは、当時の私の解放主義的快楽哲学にかなったかたちに仕立てられた、プラグマティックな強調の仕方である。それは「許しなさい、神はそう望んでおられる」とは言わず、「許しなさい、そうすればもっと幸せになれますよ」と表現していた。
 解放主義的快楽主義者はこれを実生活で試してみた。いまも試し続けているが、それはよく効いている。鬱積する怒りが少なくなれば、それだけ人生は幸福になるのだ。どうしてわれわれは、この明確な教訓を愚者の如く無視しているのだろう?真に合理的な人物なら、八、九歳にもなれば理解するのだが・・・。



 R・M・ウィルソン『コズミックトリガー』より 著者が受け取ったメッセージを書いた箇所。

 ようやく意味が実感できてきた今日この頃。
 
 僕が認識した世界はすべて、僕の一部となってきたし、今もなっている。

 許さなければ、生きるほどに、ただ腹が立つことが増えていく。
 それが僕らの住む世界となる。 

 許すしかない、というのは自明なことだ。
 もう本当はそのことを知っていて、心の底ではすべて許している気さえする。 
 だって、それしか答えがない。

 もっとも許すものは、もっとも幸せ。
セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/03/19 14:42

△コネクション

 こんなところにもこいつがいた。
 あぅあぅ 
 去年の終りから気になりだしたこいつがいたので、思わず五次元文庫を買ってしまう。
 中央にはヘキサゴン(籠目紋)が見える。
 △と▽の組み合わせは、二元性が融合(fusion)しつつある姿なのだろうか。

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 深田剛史・はせくらみゆき共著 「数霊に秘められた宇宙の叡智」 徳間

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 ノートの落書き

知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/03/17 10:57

 3月16日追加


 エネルギー注意報 

 今週は、満月の影響と、太陽風の影響が重なっているようです。

  2009/03/13 15:00 更新
 担当 永井

 太陽風は最大550km/s程度の高速風まで上昇しましたが、地磁気活動は概ね静穏な状態で推移しました。今後もコロナホールからの高速風が続くと予想されるため、地磁気の乱れにご注意下さい。

 2009/ 3/13 07:06 更新
 太陽風の磁場強度が20nTに強まっています。高速風の到来が近づいています。

 
 宇宙天気情報のページより

 満月 3月11日 午前11時38分

 
 前回太陽風がこの速度まで上昇したのは、二月中旬くらいだった。
 影響を受けない人や、あまり感じない人もいるかもしれないが、よくわからないイライラや鬱気分はこういう天体の運動と関係している可能性があります。

 こういう天体の作用は、個人の悩みであるとかトラウマの弱い部分をデフォルメして浮き上がらせてくることがあるので、そっちに目がいきやすいですが、ネガティビティが活性化するようにエネルギーを与えている源が存在します。
 だからもろにその個人的悩みと格闘するよりも、あー満月かとか、太陽風かー思って居た方がいい場合もあるのではないかと思います。

 満月の日にでかいPCがダウンしてバックアップをとってないデータが飛んでしまった
 この記事は、壊れかけの古いノートで書いている。 
 と思えば、なんかネット上で最近PCがいかれたという記事を二件ほど読んだ。
 これは定かではないけど、磁気のほんの微妙な変化が精密機械に影響を与えるということもあるのだろうか。

 3月16日追加

 太陽風は昨日の、午後くらいから穏やかになってきました。

 なんか一昨日~昨日と今日では、気分の変動が気持ち悪いくらい大きいです。
 体が重くて、眠気がすごかった。
 先週は全体的なシフト週だったのでしょうか。

 温度も急激にあがり、すっかり春になってきました

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セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/03/13 21:02

今回の人類史を一日に例えると。

  先日、近所の古書店でぶらぶらしているとジェームズ・チャーチワードの『ムー大陸の象徴』という本を棚に見つけた。チャーチワードはムー大陸の存在を世界に広めた人物で、英国陸軍の仕官だった頃、インドの寺院でその昔母なる国、ムーよりもたらされたという「ナーカル粘土板」の解読を手がけ、一万数千年前に太平洋上に存在した王国の存在を確信するようになった。

 昭和40年代に出版された古めかしい表紙の本で、僕はその本が並んでいるのを前から知っていたが、あえて今さらチャーチワードの本でもないだろうと、手にとって見ることはなかった。だがその日たまたま棚からとってめくってみると、とても興味をひかれる内容だったので、思わず購入した。

 チャーチワードによると、ムーには唯一なる天の父、天帝を崇拝する宗教が存在していたことまた、その天帝を象徴するシンボル群について述べられていたのだが、これが日月神示で「アメノヒツクノオオカミ」を現す例のマーク◎とほとんど同じで驚いた。これらについては回を改めてまた書いてみたいが、この本を読んであらためて、失われた超古代文明圏と、現代文明について思ったことがあるのでそちらを書いてみたい。

 それは一言で言うなら、今回の人類史における歴史的展開の加速度のすさまじさと、西暦2000年前後の現代と言う時代の特異性についてだ。

 その昔、数万年前から、一万三千年前ごろにかけて太平洋、大西洋上にはムー、あるいはアトランティスと呼ばれる超古代文明が存在していたと言われる。これらの文明は現代をも上回る科学力を備えると同時に、霊的にも成熟した人々が住み繁栄の時を謳歌していた。
 ムー、アトランティスは、絶対者、神をその頂点に据えた文明であり、その存在は自明の事だった。神官階級が存在し、彼らの任務は『今と言う瞬間の認識(=神の認識に等しい)』だった。
 しかし、どういうわけかいつからかこれらの文明は退廃してゆき、その堕落がきわまった頃、突然大規模な地殻変動が起こり一夜の内に海底に没したとされている。
 これらの文明の消滅を事前に察した人々は、エジプトや中東、インド、南米などに移住しそこに彼らの持つ知識の一部を用い文明を興した。エジプトやシュメールにおいて、その文明の発祥当時から多くの知識や技術が完成された形で存在していたのは、それが巨大文明の残り火の一部だったからかもしれない。

 もしも我々の歴史が認識する以前にそのような超古代文明が存在するとすれば、一体その超古代文明の水没の原因はなんだったのだろうか?
 単純に、ものすごい地殻変動が襲ったということも出来ると思うが、ムーもしくはアトランティスの伝説に見られるようにその沈没の直前、民の意識が恐ろしく退廃していたというポイントを見過ごす事は出来ない。これは例えば、旧約聖書に出てくるソドムとゴモラの神話のように堕落した街を神が破壊したと言う風な解釈をも誘う可能性がある。
 だが例えば、インドの『ユガ』のような考え方をすると、そのムー・アトランティスの退廃期にカリユガの方向へ向かう意識の下降サイクル(ディセンション)が始まったとも考えられる。そのような大きな転換期には惑星や宇宙に何か異変が起こるのかもしれない。

 ホピの神話や、マヤ、アステカの神話、また『日月神示』の中にも人類は複数回の繁栄と絶滅を繰り返してきているという記述がある。『日月神示』によると、この世界は何度も一度泥の海となって、人間は最初からやり直してきたということになる。(ノアの大洪水を連想させる話でもある)
 もし、仮にこのような話しが少しでも真実であるなら、新たな歴史の見方が生まれる。
 今のように、類人猿から進化した人間が、石器、土器→鉄→青銅などを扱うようになり、小さな採取狩猟からやがて農耕・牧畜をするようになり、やがて小さな集落から国家を形成していったというような直線的な歴史ではなく、人間は今までに複数回、文明の頂点まで至っては崩壊するということを繰り返しているという円環的な歴史観が生まれる。 
 そしてこのような円環的な歴史観を仮に採用するなら、前回の文明の滅亡から現代までの歴史の流れを俯瞰するという新たな観点が得られる。

 ここでは3つの仮説を立てて、それを行ってみたい。

 ①ムーアトランティス文明は約一万三千年前に巨大な地殻変動、もしくは宇宙的なサイクルによる異変のため消滅した。
 ②今回の人類史は、このムーアトランティスの遺産から出発して、今に至る。
 ③今僕らが生きている、西暦2000年前後は、アトランティス・ムーの消滅期のようななんらかの宇宙的サイクルの結び目に位置する。

 人間がどのような速度で文明を進めてきたのかをわかりやすくするために、この一万三千年を、二つの尺度で表現してみる。ひとつは、1センチを千年とする、13センチの直線。出発点は、前回の宇宙的サイクルの結び目であった13000年前。ゴールは現代。
 二つ目は、一万三千年を24時間に見立てた、時計だ。

 まず、メソポタミア文明の発生は約3500年前とされている。
 これ13センチの直線では、9、5センチの位置に当たる。
 時計で言えば、夕方の17時半くらいだ。
 四大河文明はだいたい同じようなポイントなので、この尺度で行くなら、人間の歴史はもう昼間が終わった頃から始まっているのである。

 そしてイエス誕生のAD0年付近は、今から約2000年前とするなら、すでに13センチの直線では11センチ付近。今回の人類史の約84パーセントが終了している。時間で言えば、夜の20時20分頃。もう仕事も終り、家でテレビでも見ている時間だ。
 聖書によれば、イエスはこの時代に「神の王国(審判の日)は近付いた、悔い改めよ」と説教して回ったことになっている。これを読む僕らはイエスは偉大な宗教家だったが、多少エキセントリックなところもあったのだと思うかもしれない。だが果たして、そうだろうか?
 もし、イエスが前回の宇宙的特異点から、次にくる特異点まですでに時の八割以上が流れ去っていると知っていたら?イエスのような大きな使命を持った存在にとって、この2000年前の時期に人々に「その日」のことを知らせたのはそれほど特異なことではなかったのかもしれない。
 チャーチワードの書によると、イエスの最後の言葉、「エリエリ ラマ サバクタニ」というのは古代ムーの言葉で「暗闇がやってくる」という意味であったそうだ。またイエスは遍歴の時代に、チベットやインドを旅していたという話しもあるので、ムーアトランティスの遺産にも触れこうした宇宙的サイクルについて知悉していた可能性もあるかと思う。

 日本を見てみると、794年、平安京が出来たのは、13センチの直線では、11、9センチの位置。
 時間で言えばちょうど夜の22時ごろだ。
 現人類の主要な歴史はほとんど、最後の一センチに集中して、先に行くほど恐ろしいほどの加速度を見せている。

 コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは1492年。
 これを約500年前とするなら、直線上では残すところわづか5ミリの12.5センチ。
 時間では23時5分だ。

 徳川幕府が興った1600年ごろは、直線上では12.6センチの位置。
 時間では、23時15分。
 だいたい徳川幕府は23時50分頃まで続く。
 浦賀にペリーが来航するのが、23時45分だ
 この後、日本は明治維新、大政奉還を経て近代軍事国家への道を辿る。

 フランス革命や、産業革命はだいたい23時40分頃、直線では12.8センチの位置で起こっている。これから現代の議会政治のシステムや、また機械による産業の発展、交通機関の発達が起こってくるわけだが、この尺度から見れば日付が変るわずか20分前に始まったものなのだ。

 そして、初めて近代国家同士の大規模な戦闘が行われた第一次世界大戦。
 1914年は、23時52分、12.91センチだ。
 やがて次にナチスの台頭と、日本のアジアへの進出、第二次世界大戦が始まり、広島、長崎への二発の原子爆弾と共に終戦を迎えるのが1945年。12センチ94ミリ。23時54分。
 23時50分頃から、出口オニ三郎率いる大本教団が、うしとらの金神がよみがえり、世の立替建て直しが迫っていると世を騒がせた。日月神示が初めて岡本天明に降りたのもこの時期だ。 

 そして戦後から現代までの時代は、最後の5分間の中にすべて含まれる。
 終戦後、あらたな米ソの対立構造の中で動き出した世界。
 それは常に核の恐怖とともにあった。
 あわや全面核戦争かと思われた、キューバ危機は1962年10月15日から13日間続いた。
 23時56分。

 そしてベルリンの壁崩壊などを得て旧ソ連が分解し、東西冷戦が一応の終結を見たのが1990年ごろ。23時58分。12.98センチ。テロリストと、欧米国家という新たな対立軸を生み出すための壮大な惨劇、WTCへのテロが起こったのは23時59分である。12.99センチ。

 このように尺度を時間やセンチで置き換え、また1万3千年をひとつのサイクルとして考えた時、見えてくるのは、サイクルの末端に近付くにつれ現象の起こり方が半端ではなく派手になっていくということである。もし環境破壊による温暖化が本当でも、またそうでなくても、地球が数億年かけて形成してきた豊かな自然を人はたかだが100年かそこらで手が付けられないほど破壊してしまった。これは1万三千年時計では最後の10分ほどの出来事だ。
 また全世界を滅亡させるほどの兵器をもてあそぶようになったのも最後の5分間。
 生命の暗号を解読し、新たな種を生み出すような実験をし始めたのも、全世界にコンピュータのネットワークが張り巡らされ世界の裏側の人に一瞬でメールを送れるようになったのも、ここ2.3分の出来事だ。僕らはものすごい時代に生きているのだが、なぜかそのことが見えなくなっている。

 このすさまじい加速度は、一体何を意味しているのだろうか?

 蒸気や電気、ガソリンによって動く機械、交通機関などの発達が世界をより小さくし、そのことによって迅速な情報交換が行われ、出来事のスピードを速めているからだという考え方も出来るかもしれない。しかしそれも一万三千年時計から見れば最後の20分になってようやく登場したに過ぎない。なぜそうなのか?
 僕はこれらのものが出来事を加速させたと言うよりも、むしろ大周期の終りに伴う出来事の加速が、これらのものをこの時期に登場させたのではないかと思う。つまり原因と結果を逆に考えたい。

 おそらくテレンス・マッケナのタイムウェーブゼロ理論も同じような考え方ではないだろうか。
 マッケナは時間が流れるに連れて、物事の起こり方が早くなり、それは2012年にオメガポイントを向かえその時人間が知っている時間は終焉を迎えると考えた。だから2012年に支払いが始まるローンで豪遊する事を勧めている(てかそんなローンあるのかな)  

 僕は2012年説には慎重になってきているが、1999年に何も起こらなかったから2012年もその焼き直しだよという考え方には素直に同意できない。というのはこのサイクルから見れば、それが99年だろうと、2012年だろうと、2044年だろうと、数十秒かあるいは数分しか違わないのだ。
 現代のようなあらゆるものが飽和している状態と出来事の加速度を目の当たりにして、何かの特異点へ向かっていると感じ、その結果、99年やら2012年やらのある種の終末論を確かだと思う人の感性のほうがまともではないかと僕は思ったりするのだ。

 そしてこのことは、

 ①ムーアトランティス文明は約一万三千年前に巨大な地殻変動、もしくは宇宙的なサイクルによる異変のため消滅した。
 ②今回の人類史は、このムーアトランティスの遺産から出発して、今に至る。

 のふたつの仮説を事実とすればより無視できないものとなる。
 一万三千年時計の語るものは、これらの仮説を事実とした時、本当に驚くべき世界を垣間見せてくれる。僕らは、それはそれは、ものすごい時代に生きているのではないだろうか?そして、このことにあまり気づかなくなっているというのも、ものすごいことである。

アセンション考 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/03/12 09:51

2009年のビジョン②

  前回の修道会日記は、コアな内容を書きすぎたみたいで、マーヤがいろんなところに飛んでいったようなので削除しました。僕が削除する前からなぜかFC2ブログのサーバ上からデータが半分以上消えていて驚いた。マーヤの世界の管理人さんがダメを出したのかもと思ったり。だから今回は消えないように普通にマーヤな記事を書こうと思います

  ある講演会に行った時に、参加者の一人がこんな話しをしているのを聞いたことがある。
  
 『未来を予測することは出来ると思うが、それが将棋で言う『詰み』の段階であるのか、それともその他にもまだ手がある状態なのかを見極めることが重要である』という趣旨であったと記憶している。

 もしも『詰み』であるならば、実際に「王」を取られていなくても勝敗は決している。逆に詰んでいなければ状況は不利に見えてもまだそれを打開する可能性は残されているかもしれない。
 多くのサイキックや預言者、あるいは経済や政治の予測家が語る未来のビジョンも同じように、それが『可能性としてのビジョン』なのかあるいはその事項に関しては完全に『詰み』であるのかという質の違いがあると考えられる。

 ただ現実は将棋盤の上にある駒とは違い、様々な出来事が予測不可能な形で関与してくるので、なかなかその道のプロでも世の中の動きを予測するということは難しい。
 だが逆に、その道のプロであれば、まだ多くの人が『詰んでいない』と思っている状況であろうとも、『いや、詰んでいる』と宣言することも出来るだろう。多くの人が盤上の駒の本質的でない部分にしか目が行っていない時に彼は、王がもう逃げられないと言う局面だけにしっかりと目を向けているからである。 

 現在の経済危機もこれと似たような様相を呈してきている。
 先月の記事で、マスメディアは『日常をコーティングしている』という辺見庸氏の記事を引用した。これと同じように多くのメディアは現在のクライシスがどれ位根が深いものなのか、時代が多くの人の行き方にいかに本質的な転換を迫っているのかという事実の上に巧みにコーティングをかけている。

 つまりある事項に関しては完全に「詰んで」いるのに、「いやいやまだ大丈夫ですよ、今までどおりに生きていれば、この先もずっと、まあだいたいおんなじ感じですから」と言うような雰囲気を醸成しているということである。
 このような状況下では、状況に対する理解は二極化する。
 ①自分で自主的に様々な情報を、吸収したり、直感や魂の声を信頼して動くというやり方と、ただ②テレビ、新聞、雑誌などからの情報を受身で受け取って、それをそのまま『事実』とするかだ。

 テレビの力はいまだにまことに偉大と言うべきで、連日のように民主党の代表が不正な献金を受け取っていたと思わせるような報道を続けて、そのあとアンケートをとれば「過半数が彼は代表を辞任すべきだと思っています」というような結果が出る。このようなアンケートは国民の意思の反映というよりも、むしろほとんど自作自演である。(僕は根深いアナーキストなのでw別に民主党が正義だとかそういうことは言ってませんが) 

 ↑のような報道には、こういうネット上での情報がカウンターバランスとして有効です。
   植草一秀の『知られざる真実』 


 このような報道が世間を賑わしたり、また定額給付金を首相が受け取るとか受け取らないとか瑣末なことを言っているうちに水面下では巨大な波が今もうねり続けているわけである。この波は巨大な、一時代を洗い流すような波なので、遅かれ早かれ日常のコーティングは機能しなくなる。

 その時に波に現れて、海岸に打ち上げられるのは、個々の存在の赤裸々な実存となるのではないだろうか。

 個の力が高まる時代

 二月ほど前に雑誌『アネモネ』の特集で、多くの未来予測家やまた精神世界のカリスマから今年の予測を聞くということをやっていたが、その中で僕が面白かったのは、占星術師のマドモアゼル愛氏の予測だった。精神世界を扱う雑誌なので、アセンションということを前面に出して話している人が多いのだが、愛氏の話しは誠意を感じると共に、とてもリアリティがあるものだった。

 2009年大予測 マドモアゼル愛

 個の輝きの強さ次第で今後の明暗が浮き彫りに

 今回の金融崩壊などの変化は、一部の人に限ったものではありません。すでにかなりの人の経済情勢も圧迫されつつあり、総じて人類的な危機を共有する時代に入っているのです。この意味では、人々の間に共通の価値観と共通の信頼感を醸造しやすくなっています。まさに、みずがめ座エイジの特徴です。かねてから言っていることですが、大きなものや権威や権力にしがみついて自分の安心を持ちたいと思う人は苦しくなってきます。

 自分の力は頼りなくても、それを信じて生きていこうと考える人にはチャンスが訪れます。これまで弱かった「個」が反転し、個が機構や組織よりも輝いてくるのです。そこには命があるからです。命ないものは滅びる速度を増すでしょう。安心、安全、何かに頼る思考には生命がなく、危険となります。

 例えば、鳥インフルエンザが発症した場合、政府やマスコミの発表に沿ってのみ行動すると、命を守れなくなると私は思います。昨年の金融崩壊ですら、誰一人マスコミでは取り上げなかったのです。政府はもちろん、経済アナリストでさえ、警鐘を鳴らし「危ない」とは言いませんでした。要するに、もう大きな組織などでは人を守れない時代であり、個の強さを鍛えることが重要なのです。

 個人で考えて対処する時代 「逃げろ 遠ざかれ 信じるな」

 この変化と混乱は、まだ数年は続くと思います。2009年の春ごろまでは、なんだかまた良くなってきたような、何も以前と変わらないような雰囲気になるでしょうが、それは夏までは持たないでしょう。きっと大きな激震が走ります。再び株価の大暴落、経済破綻、不況、そして戦争や天災を交えた波乱は、以降、加速度を増すことでしょう。
 ですから常に用心して進むことが大切です。そして、とにかく権威ある者の考えや国の考えをあまり信用しないことにつきます。個人で考え、個人で対処しなくては追い詰められる時代に入ったのです。こういうと私のことをひねくれ者だと思われるかもしれませんが、よく考えていただきたいのです。今、一番困っているのは誰でしょう?それは、あらゆる銀行や証券や保険会社の、巨大な負債を保障している各国政府なのです。それ以前から大体の国は、財政赤字で四苦八苦だったにもかかわらず、です。彼らに個人を救う力などはありません。むしろ反対です。彼らが救われるために、我々の犠牲を必要としているのです。だから私は、「逃げろ、遠ざかれ、信じるな」と言っているのです。

 これは個の力を高める良い機会であり、清冽で素晴らしい天才を数多く輩出するチャンスを迎える時代でもあります。そうした人がきっとたくさん現れることで、私たちは再び、新しい素晴らしい時代を築いていけるでしょう。その第一歩が始まる年、それが2009年ではないでしょうか。


 なぜ、アセンションを特集している記事の中でもこのマドモアゼル愛氏の記事が気になったかというと、僕にとっては一番現実的意見に思えたからだ。
 以前から言っていることではあるが、僕は今後、史上空前の経済危機や、それに伴う紛争(モノの取り合い)、暴動(既存システムへの不満爆発)、あるいは気候異変などの影響で現在の価値観、ライフスタイルは大きく崩壊し、多くの人が別の生き方を模索せざるを得なくなるのではないかと思っている。 
 それは情報や、経済や、食料、エネルギー供給など、あらゆる中央主権的なシステムの終焉である。
 そしてその代わりに何が起こるかというと、一極化していたパワーが、個々の人間や、そのそれぞれの土地に復権するということではないかと考える。
 つまり情報であるなら、それは大手メディアが独占するものではなく、インターネット放送局のような独自性のあるメディアが今後も発展していくであろうし、経済は地域通貨や物々交換が新たな意味を担って再登場する、エネルギーは石油にすべて依存するものではなく、その土地土地で自給できるような代替エネルギーが使われるだろう。
 
 もうそのような動きは現実に存在しており、例えば『情報』に関して言うならば、テレビや新聞のみを情報ソースにしている人々と、ネットなどから必要な情報を拾っている人々との認識の違いは相当なものになっている。
 そして、食料やライフスタイルに関して言うならば、田舎に疎開したりあるいは、自給自足コミュニティを創ったりそのようなところに移住したりする人の数もおそらくここ数年でかなり増えているのではないかと想像する。そのような人々はある意味精神的、環境的に準備が出来ているので今後かなり大きなクラッシュや波乱が起こっても、パニックにならず混乱している人をサポートするような役割りをすることになるのではないだろうか。

 個の力が高まると言うことは、今まで巨大なシステムに吸収されていたそれぞれの創造力や、感性を個人の側に取り戻すことではないかと思う。
 いたずらに「チェンジ」を叫んで、それ自体がプロパガンダであるようなムーブメントに個々人が吸収されることではない。大きな資本が投下されたような人為的な熱狂や全体主義はもう、この世界の本質を変える事はない。僕らはもうそのようなものにはうんざりしているはずなのである。
 人為的なもの、わざとらしいもの、虚構のものは消滅傾向にある。
  経済も、歴史も、情報も、生きる喜びも、今巨大システムという虚構から、個人という実存に向かって還流している。
 
  リアルな実存は、人と、人を生かす自然と、そしてそれら全てを生かすカミ。

アセンション考 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/03/09 20:00

お知らせ

  エネルギー的諸事情により、今回の修道会日誌は公開を見合わさせていただきます。続きを楽しみにしていた方がいらっしゃったら申し訳ありません~

 
修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/03/04 10:59

愛の一日

  かたくなな心を溶かすのは、愛の力

  頭を低く垂れさせるのは、愛の力

  人の本質を変化させるのは、愛の力

  人を救い出すのは、愛の力

  人を最後に迎えに来るのは、愛の力

  愛の力は、リアルな力
  
  すべてに満ち、動かすチカラ

  それ以外のものがなくても それがあれば救われる
  
  雨の日も
  晴れの日も
  雪の日も
  最初の最初から 最後の最後まで 
  それは僕らの隣にいる

  僕が知るのはおそらくその愛の∞分の1  

  いつかのある日、誰かが僕の肩をたたいた時
  振り返ったときそこにいたのは
  見慣れた顔だったけど
  それは、愛だったかもしれない

  ある朝
  あたたかい陽射しに窓を開けたとき
  そこに広がっていたのは
  いつもと同じ景色だったけど
  それはとても大事な
  愛の一日だったかもしれない

  
神様 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/03/02 11:21
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