パンデミック効果

 『新型インフルエンザ』は、最初の報道が入った24日から僅か4日ほどで世界十六カ国に広まった。

 ただ、不思議なことに、メキシコ以外の国では死亡に至った例は報告されていない。

 これはまだメキシコほど感染者がないためにそうなのか(だが実際は毒性は致死率10パーセント弱あるくらい強いか)、もしくは、やはり人種によって効き方が違うのか、あるいはウィルスの毒性が消滅したのだろうか?

 もしも現在のウィルスが毒性がたいしたことないのであれば、むしろ今の内に感染しておいた方がいいのかもしれない。
 というのは、この豚インフルエンザが一旦収束して第二波、三波となって再来する時にバージョンアップしていても今感染しておけば、その強力版に対して抗体を持つことが出来るからだ。
 
 が、もちろん今の奴がホントによわっちいのかどうかはまだわからない。そうである限り成田へ行って到着ロビーで大きく何度も深呼吸を繰り返す気にはなれない。またこれが拡大していく間に変異して強力化(毒性が強くなる)するという可能性もあるのだろう。
 鳥インフルエンザから来るH1N5型の『新型』が現われた場合、その死亡率は約60パーセントと言われている。今回のものはそれと比べたら毒性は取るに足らない。しかし、10パーセントの致死率でも、強力な感染力で世界中にひろがれば十分脅威的だ。

 基本的に、今回のウィルスは豚と鳥と人の遺伝子が入ってるそうだが、おそらく人為的な『製品』である可能性が高いのではないだろうか。専門家も人工的なものではないかと言う人がいる。
 ただ、もしそうだとすれば、これはまだ一番強いカードを出したわけではない。第二第三の製品が控えているような気がする。

 そのような陰謀論的なこととは別に、
 今回の事で、このようなパンデミックが発生しそうになった時、その結果どのような事態が想定され、また誰が得をするのかということがぼんやりとわかってきたような気がする。

 基本的に今回の金融危機、これは終息して景気が上向いているわけではなく、それぞれの国家が膨大な国債を発行するなどして市場の損益を補填しようとしているに過ぎないようだ。 
 日本でも53兆円の資金を使い必要ならば、株をすべて買い上げるような政策が検討されている。これは通常の資本主義の終りを意味し、国家が経済を統率するという社会主義的な構図に移行しつつあることを意味する。国としては、今の時期威信を高める必要がある。

 グローバルな資本主義経済が破綻し、それを国家が補償するという形で吸収していけば、残るのは国家間の利害の対立であり、ブロック経済圏の出現となる。
 
 この先さらなる強力なパンデミック(今回のものではなくとも)が起これば、いくつかの国で国境閉鎖、鎖国という自体が起こる可能性もある。日本では輸入をストップすれば、国内の食料をまかなえない。輸入なしで、いったい一億人がどれくらい生存できるのだろうか。
 これは困った事態だが、国家や資本の管理者にとっては、民衆を恐怖で封じ込めることができるし、パンデミックの名のもとにある種の「統一性」、一致団結してこの驚異に立ち向かおうという空気を醸成できる。実際人間は巨大な敵を目の前にすると、簡単に団結する事が出来る。
 食料や、必要なものを支配されれば、人は権威に頼るしかない。 

 このように、僕には、経済危機も、パンデミックもどちらも「国家の優位」というのだろうかそのような、方向性を持っているように思えて仕方ないのだ。
 ただ経済危機のみならば、そこは新しい命をはらんだカオスだけが生まれる。
 ひとつのシステムが破綻すれば、人は新たなムーブメントを求めたり、政治運動を起こしたり、暴動も起こる。またそれこそ自給自足のようなことをはじめたりする人も多くなる。以前のような社会はもうごめんだからだ。これでは管理を維持したい人間からみれば、収拾がつかなくなる。

 そこで必要なのは、ある種の「脅威」なのだ。
 その脅威が生存の危機を感じさせるものであればあるほど、人は以前のシステムへの不安や、新しい価値の創出などよりも、命あってのものだねで、既存の国家システム、また医療、メディアに依存してしまいやすくなる。
 パンデミックは、その「脅威」として使用されている、また使用される可能性があるということだ。

 以上のことはすべて暇な僕の頭の考えた妄想だが。

 でもホント早く、自給村をたくさん作らないと・・・。
 
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テレビが写さない真実~金融マトリクスからの覚醒 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2009/04/28 18:33

 昨日、メキシコシティーで、豚インフルエンザの感染が拡大し1000人が感染68人が死亡と報道された。
 更に、ウィルスは豚→人感染のみではなく、人→人感染へと進化しているようだ。
 メディアによると、最初に感染が確認されたのが、4月10日頃。
 約二週間ほどの間に爆発的に増加し、市内の学校や公共施設が閉鎖されている。

 今回のウィルスは、警戒された鳥インフルエンザが進化した、『新型インフルエンザ』ではない。
 しかし、1000人感染、68人死亡という情報が正しければ、致死率は7パーセント程もあり、通常のインフルエンザの死亡率が1パーセントもないことから考えると、毒性はかなり強いと言える。
 加えてこの感染力を見ると、すでに国境を越えアメリカ国内にかなりのキャリアが存在してもおかしくないのではないかと個人的には思える。(米で確認された感染者数は8人)
  
 昨日、ニュース番組の中で確か、『メキシコでの封じ込めはもうできる状況ではない』と専門家が話しているのを聴いたが、それはつまり多かれ少なかれ海外に流出していることを意味する。

 24日の段階で、米疾病対策センターは記者会見を行い、すでに防止する事が難しい段階に入っていると話した。

 ベッサー氏は、メキシコでの感染者14人から採取したサンプルのうち、半数が今回の豚インフルと同じA型H1N1型と判明。メキシコで感染拡大しているものと、同じ株である可能性が高いと見られる。しかし、死亡者が出ているメキシコの症例とは違い、発熱と嘔吐、下痢と言った比較的軽い症状のみで、いずれも快方に向かっている。

 CDCは予防ワクチンを国内に配布する準備も進めているが、すでに感染爆発が起こる下地ができている可能性もある。備蓄してあるワクチンも今回の豚インフルに特化したものではなく、「遺伝子が適合する」株であるため、どれだけ効果があるか分からない状況だ。ベッサー氏は、「(予防接種や隔離などによる)感染拡大への対策を打つには、遅きに失した可能性も」と語っている。


http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/090425-221158.html

 現在の状況は、日本人にとってはまだ必要以上に不安を感じる必要はないとも言えるが、逆にすでに日本にキャリアが入ってきていても不思議ではないと僕は思う。サーモグラフィーによる帰国者の感染チェックを成田で行っているようだが、感染爆発は二週間前から始まっているのだ。その時に感染した人が、一週間くらい前に入国していてもおかしくないのではないだろうか。

 また昨日のWHOの緊急会議では、警戒レベルのフェーズ3から4への引き上げは先送りされた。フェーズ4になれば渡航規制などが始まるらしいが、3の段階では渡航者の注意などにとどまる。
 しかし、もし大事をとるならこの時期にこそ規制をかけるべきだ。
 今日からGWが始まり、大量の人がメキシコや、また米国に出国する。
 すでにメキシコに接した北米地域への旅行には危険が伴うと、自分なら考える。
 その人たちが休みが終りいっせい帰国した時、もし感染者がいたら本当に水際で食い止められるのだろうか?
 このように考えた時、非常にGW前という今の時期の豚インフルの発生はタイミング的によくないし、日本に上陸する可能性も低くないのではないかと思える。

 WHOがフェーズの引き上げを行わなかったのは、何か、大事にはおそらく至らないという情報源があるのか、その辺はわからないが・・・。なんか米の疾病対策センターの発言の重みとのずれも感じられる。

 今回の豚インフルが米国でパンデミックをおこせば、経済危機と合いまった大きな混乱が生じるだろう。仮にメキシコ市である程度封じ込めできれば結構なことだが、これは来るべき『新型』への警告かもしれない。あるいは陰謀的に考えれば「実験」ともとれる。

 不安をあおることを言うのは良くないとかいいながら、また頭の中で第一の天使がラッパを吹き始め(笑)黙示録になってしまったが、最近、「あー余計な事を知らなきゃよかった」と思うこともある。
 豚インフルのニュースだけ見て、他に情報がないと、「まー怖い」で流せるかもしれないけど、僕は関連するアセ系の情報が頭の中で暴れ出し「時は来タレリ!」という心境になってしまうのだ。

 草薙君が裸になったのは、草薙の剣がさやから抜かれたということかも(半分冗談)

 とは言っても、MIXIの日記などを読んでるとやはり金融恐慌のさなか、こんなことが起こって大変な時代だというような感想を書いてる人が結構多く、やはり世の中の一部分ではこの時代の流れをなまなましく感じている人もいるんだなと思った。

 僕は今年から、ある程度の食料は貯えておこうとかなり本気に思っているし、2、3年持ちそうな缶詰をちょこちょこ買いだめたりしている。そして、どうも、都会にはいたくないという本能的な直観のようなものを一年位前から感じている。(←まあこれはいろんな要因があるのだけど)

 とりあえず四五日頭がおかしくなるのは、しょうがないだろう。

 と、ここまで書いたところで、アメリカの新しい情報がネットに出てた。

 豚インフル米で感染者 11人

 【ワシントン=勝田敏彦、ニューヨーク=田中光】豚インフルエンザの感染が米各地に広がってきた。米疾病対策センター(CDC)がカンザス州とカリフォルニア州で感染者を新たに3人確認し、感染者は3州で計11人になった。また、ニューヨーク市では感染の疑いがある生徒が8人いることが25日わかった。ニューヨークの症例も感染が確認されれば、全米の感染者は4州、計19人になる。

 AP通信によると、カンザス州の感染者は、州中央部に住む夫婦。報道によると、夫が最近、仕事でメキシコに出張して戻ってきたところ体調を崩し、その後、妻の体調も悪くなった。症状は軽いが、2人から採取した検体を調べたところ、豚インフルエンザウイルスであることが判明した。

 またメキシコ国境に近いカリフォルニア州南部でも、35歳の女性が感染していることが新たにわかった。この女性も症状は軽く、回復している。

 一方、ニューヨーク市の保健当局によると、東部クイーンズ地区の私立高校の生徒約100人が、インフルエンザに似た症状を訴え、市が生徒9人を対象に簡易検査を行ったところ、8人からA型インフルエンザウイルスが検出された。いずれもこれまでわかっているヒト型と違うタイプで、市は豚インフルエンザの可能性があるとみている。

 市や高校などによると、生徒たちは23日ごろから、発熱やのどの痛みなど始めた。いずれも症状は軽く、入院している生徒はいないが、学校側は、感染の広がりを防ぐため、週末の予定をすべて中止した。生徒らの中には、家族に感染が広がっているケースも確認されている。ニューヨーク・タイムズ紙によると、生徒の一部が最近、メキシコに旅行していたという。

 市は今後、検体をCDCに送り、ウイルスのタイプを確認したうえで、市内の学校を休校にするかどうかなどを判断する。

 米国での感染者または感染の疑いがある人はいずれも、豚と接触した形跡がなく、「人から人」感染が起きた可能性が高い。


 今のところ亡くなった人はいないようだが、どこまで広がるのだろうか。
 ウィルスは同じはずなのに、症状が軽いというのはなぜだろうか?
 (有色人種の方が激しく症状が出るよう「設定」されている可能性もある。)
 しかし感染力は強そうだ。
 キャリアは米国で現時点で数十人、数百人居ても不思議はない。
 日本に居ても、人ごみとかちょっと注意した方がよいかも。

  メキシコ 81人死亡
 
  ロイター通信などによると、メキシコのコルドバ保健相は25日(日本時間26日朝)、同国内での豚インフルエンザによると疑われる死者は81人に増えたと発表した。感染者は1300人以上となったという。




テレビが写さない真実~金融マトリクスからの覚醒 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/04/26 12:23

室生寺、太陽信仰、龍穴のシンクロ

  セミナーの余談だけど、受付の入り口にチラシが置いてあって、それは奈良の室生寺など古代太陽信仰の場所をめぐりつつ、A・Hさんのトーク会もあるという6月のツアーの案内だった。

 室生寺・・・ということで思い出したのは去年の終り、『龍穴が開いた』という夢をみて、え?龍穴ってなんじゃとネットで調べた時にヒットしたお寺だった。このお寺から一キロ程のところに龍穴神社が存在している。

 去年の12月21日の記事 龍穴と三鱗紋

 女人高野 室生寺ホームページ 室生の太陽信仰より


 大和の日の出の山として古くから信仰されている三輪山の麓に、桧原神社という古社があります。ここは古墳時代の初頭、初めて太陽の神、天照大神を祀った所とされていますが、室生山はこの社の真東にあり、さらにその真東に伊勢内宮の元の社地とされる伊勢の斎宮跡があります。この東西線には、太陽祭祀にまつわる遺跡が点在していますので『太陽の道』と称していますが、室生山がこの線上にあるのは、この山が古代の太陽祭祀まつわるものであることを物語っています。

 室生寺の古い記録には、室生山には大日如来の宝珠があって、これが垂迹して天照大神になったとありますが、そうした伝承は、おそらくここが太陽祭祀の聖地であったからでしょう。そして室生寺は、この山の麓に造営されました。その一方、水神を祀る龍穴神社は、ここから約一キロ離れた谷の入り口にあって、山麓の寺と谷を祀る神社は陰陽の一対の関係になっています。

 このほか室生寺には、金堂本尊の背後にインドの太陽神である帝釈天の曼荼羅を描いた大きな国宝の板絵。寺宝には太陽神の天照大神をあらわす重文の大きな鏡、大神宮御正体などがあって、太陽信仰とこの寺の関係を暗に示しています。





 チラシでこの室生寺がまた登場したことも、ちょっと気になったのだが、セミナーの前日こんなふたつの夢を見た。
 それは僕が水が流れ落ちる急な坂道というか、ほとんど崖のような場所を登りながら、光明真言を唱えているという夢だった。光明真言は大日如来の真言だ。
 そう言えば二年前、お伊勢参りのすこしあと冥想してる時浮かんだったんだった。

 光明真言。 2007年8月26日の記事
 (あーこの頃は陰謀もアセンションも頭になく、いろんな意味で平和だったと思い返してしまった(笑))

 あともうひとつ。夢にI先生が出てきて、『今の太陽からのエネルギーはMAX時の10~15パーセントくらい』と言っているというもの。念のために言うと、I先生からそういう話しを聴いた事はなく、僕の夢の中での妄想に近いもの?かもしれないが、奇しくもやはり太陽についての話題だったことがひっかかる。

 そして、その翌日、チラシで太陽信仰の地をめぐるツアーを見るというのは、なにか気になる。

 龍穴 と 太陽  

 気になるので・・・・

 行ってみる事にしたマーヤかな(笑)
 
 いざ奈良へ!(6月・・・まだ先だが・・・) 



アセンション考 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/04/23 10:49

ミゼリコルディア☆

    前回書いたように日曜日に、A・Hさんという人のセミナーに参加した。

 ※リンクをつけていたが、以前ブログなどからリンクしたりしないで欲しいとA・Hさんがどこかで言ってたように思うので消しました。興味のある方はミゼリコルディア セミナーなどで検索してご自身で「さにわ」されてください。

  内容は主に、今どのような変化が起こっているのかということと、今を生きる心構えのような話しだった。通常はやはりエネルギーを降ろして、トークをするというタイプの人で、最初から場の空気感のようなものが慎重に整えられているような印象を受けた。
 これは、普通のアセンションの事だけを話す講演会などではないことだ。

 印象に残ったことを書いてみたいが、少し僕の考えとA・Hさんの話しがごっちゃになってる部分もあるかもしれない。
 まず今起こってる経済の混乱や、今までのシステムが壊れて行ってるように見えるのは本来のものがあらわれる過程であるということ。

 そしてこの変化は大抵ある種の宇宙エネルギーや、宇宙サイクルによって起こっていると考える人が多いと思うがA・Hさんはそれを「宇宙波」と呼んでいた。この宇宙からの波によって文化的、社会的変容が起こる。A・Hさんによるとそれは、海中を泳いでいる魚の群れがある瞬間、一勢にくるっと向きをひるがえすようなものであるという。
 現在の地球にも、本来の自己自身にすべての人が戻るような力が働いているとのこと。

 この本来の自己自身は、A・Hさんはハイヤーセルフと呼んでいたが、個我の本質がそのままあらわれるようなことを言っているのではないかと思った。
 ダンテスダイジが1980年か70年くらいの講話の中で、やがて本質的自己がそのまま生まれてくる時代に入るということを言っているのだ。
 これはよく話題になる、インディゴや、クリスタルチルドレンと呼ばれる子供達のことを言っているのだろうか?と以前思った。

 ハイヤーセルフ(魂)が、エゴによるずれがないままこの世界を生きているのが、「アセンション」した世界であるという。このハイヤーセルフの中核は「神」とつながっており、本当はこの神だけが実在であとのすべては消え去っていくものであるという。
  
 目からうろこ感があったのは、人を集合的に変容させる宇宙波が地球に届いた時に、最初にそれを感受するのが「水」であるということだった。もちろん、海や川の水もあると思うが、人間の血液にもそれは強力に働きかけ、変容を促すらしい。

 僕はこれを聞いて、いわゆる「アセンション」に際してなぜ水の女神の表象がよく登場するのかということが少し理解できたように思った。水は命のゆりかごであり、地球では生命マトリクスの根源にあるエレメントだと思うのだが、それは波動変化を敏感に感受し反応する、アンテナでもあるのかもしれない。それは僕らの体内で常に活動している力でもある。

 A・Hさんは黒板に、人体を描いてその周囲に広がるエーテル体、アストラル体を描いた。このブログを読んでる人は意味がわかると思うので詳しく説明しないけど、肉体の周りに広がる見えないボディだ。肉体に現われる病気などは、アストラルからエーテルそして肉体へと次元をくだって現象化するものが多い(というのは精神世界ではまあメジャーな考え方)。  

 カルマの物質化のプロセスと言ってもいい。

 肉体へと現象化したものは、そこで最終的に解消しているという。
 しかし僕らは、その現象に悲嘆したり、自分を責めたりすることで、またアストラルの部分に淀みをつくってあらたな種をまいてしまう。この繰り返しをやめるには、現象を受け入れていくことが必要である。だからA・Hさんは悪い事があった人には「よかったですね」と言うんだそうな(笑)。
 実際、物質レベルで実現したことはもう解消したことになるのなら、それはとりあえず喜んでおいた方がいいのかもしれない。

 ちなみにD・J師は神の御名を唱える事は、アストラル(想念体)を浄化すると言っているが、これはなぜかというと神に意識を向けるということは結局物事を受容するということも含んでいるからであると思われる。そういう意味で神を想うと言う事は一種の万能性を持っている(が、それを期待しちゃダメなんだけど)

 そしてアストラルや、エーテルの部分のよどみが解消するに連れて、人はハイヤーセルフの部分とつながりやすくなる。この部分がクリアになっていないときに届いてくるメッセージ的なものは、あやまっていたりする場合が多い。
 僕はこの人体の図を見ていて、これは惑星レベルでも言えることではないかと思った。
 今まで地球は幽界の影響が強かったと言われる。これは、まあ低次元の霊界のようなもので、過去のネガティブな思念の残留物だ。霊感の強い人にはここからいろんなメッセージが届いたりするが、それは人を混乱させたり、アブナイ新興宗教をつくったりさせることもある。
 ところが、現在この層が掃除されて部分的に消えて行っている・・・・ということは地球という惑星自体が宇宙の本質とよりダイレクトに連結しやすくなっているということではないか。
 それはアストラルやエーテルがクリアになった状態が、ハイヤーセルフと連結しやすい状態と同じではないだろうか。
 人体も惑星も、聖なる母性の表現系であり、形あるものはすべて相似している。

 というのは僕の考えだが、どうもこのA・Hさんという人の話しを聞いていると、話されている内容以上の何かが伝わってきて、理解が触発されるようなそんな感じがあった。

 A・Hさんによると、これからは誰かにメッセージを聴いたり、エネルギーをもらったりする時代ではなく、各個人がそれぞれ自分の本質(ハイヤーセルフ)とつながって、生きる時代であると言う。
 でもそこには気をつけるべき点もあって、自分のエネルギーが高くなっていくと、それまで依存していたセラピー的なものなどを全否定して『暴走する』ということが起きやすいので注意が必要だという。
 
 ここは非常に重要なポイントではないかと思う。

 もうすでにうんざりするほど『プチグル』がぽこぽこ出ている時代ではあるが、この現象はスピリチュアルなものの浸透であると同時に、『唯我独尊』のバブルが始まっているともいえるのではないだろうか。アセンション系には、我がむちゃくちゃすごい人が多い気がする。イエスは終りの日には偽預言者がたくさん現われると言っている。

 そのメカニズムというのは、自我が極度に発達した時代に、霊性が開いていくということによって起こっているのだろう。つまり、唯我独尊状態の人というのは、「何かが」開こうとしているのだが、その途上において自分のエゴや、それ以外の干渉してくる力にコントロールされているのかもしれない。

 だから、『自分のアセンション論こそ正しい』という脳内宇宙の見えない戦いが勃発する。
 しかし、「今度の岩戸開きに使う身魂はどれも我が強いものばかり」という日月神示の言葉を見るならば、これもまた不思議な神様の仕組みということになるのだろうか。

 また僕も、自分の内側から沸いてくる衝動や望みと、外側から入ってくるメッセージやエネルギーとの距離感というか、取捨選択というかそういうことで考えることが多かったので、タイムリーであった。

 ①外側の対象を盲信、依存するということと
 ②自己によって激しく暴走する事は

 同じエゴの違った表現に過ぎないのではないだろうか。
 ①に激しく振れると、振り子のように②に激しく振れる可能性も高いのではないか。冥想や祈りによってクリアな状態を感じ、センターをしっかりさせねばならない。そうすれば行くべき場所、するべきこともはっきりしてくる。 

 A・Hさんは恐怖を喚起するような話は全くしないのだが、やはりそれは人を怖がらせたり混乱させることが、地球の不可視層にも、人体の不可視層にも、新たな曇りを作ってしまうことを深く理解してのことではないかと思った。
 A・Hさんはいわゆる「悟り」を知ってる人かどうか僕にはわからないが、とても伝わってくるものがよかった。なにかのエネルギーが存在していた。
 このセミナーはワンシーズンに一回くらい、その時の流れに合った話しをするということなのでまたあったら行ってみたいと思った。
 
 ミゼリコルディアとは、マントを拡げた聖母が信徒を包んでいる図を言うらしい。

mise1.gif


アセンション考 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2009/04/21 11:05

 頭痛と、アセンション系講演

 二月ほど前、あるアセンション系講演会に行って、途中からめっちゃ頭が痛くなって来たので最近遠のいている。この頭痛の原因というのがよくわからないのだが、周りの空気感によるものなのか、なんなのか。かなり気持ちが悪く、帰りに和民でビールを飲んでようやくテンションが上がってきたので、とりあえず当分行くのはやめておこうと思った。最初から和民だけに行っとけばよかったのか(笑)

 頭痛はエネルギーが上がる時にも起こるらしいのだが、その他なにか、AとBのエネルギー間の葛藤によっても起こるのかもしれない。去年の春、書店の精神世界コーナーの前に立ったり、「オー●の泉」を見ただけで頭が痛くなってきて「なんだこりゃ、やばいんじゃないか」と思ったが、その時期に一時的にエネルギーに過敏になっていたのかもしれない。(オー●の泉はゲスト出演者によって違うのかもしれない。よくわかんないが)

 この頭痛は僕にとっては、確実に遠ざかるようにというサイン的なものだと感じるが、もし頭痛がAとB間のエネルギーの摩擦というか葛藤によって生じるものだとすれば、相対的なものであるので、一概に「あれは悪い」とも言えない。ただ、違和感あるものからは静かに遠ざかるということしかわからない。

 ただ、この場所は『来なくなると上から切られてしまいますよ』とか、『この本を買うか買わないかでふるいにかけられる』などちょっと??と思われる発言が多く、なんでそんなこと言うかね?と疑問に思うことも多かった。もしも、こころの浄化や変容が「アセンション」というものであるならば、恐怖や脅迫的な言葉は、人の意識を低下させるのではないだろうか。  

 僕は批判をしたいのではなく、このブログを読んで、I先生のところへ行く人がいらっしゃるように、「アセンション」の記事を読んでいろいろな講演会やイベント等に参加してみたいと思った人がいるとすれば、僕が今そういう場所に対して感じていることを一応書いておくのも必要かと思う。

 ただ、「アセンション」的なことを発言する人でも様々なタイプが存在すると思うので、すべてダメだという気はないし、『大変化』が進行しているという認識は僕の中で日増しに大きくなっているので、こころの準備として、マスコミが報道しないある程度の現状は知っておいて損はしないのではないかと思っている。(明日も相棒に誘われて、ある女性教師の、変化を乗り越えるにはどのような心構えがよいか、という話しを聞きに行く予定だ)そうでないと、一度に大きく事が動いた時に「まったくわけがわからない」と思うからでもある。

 何度も書いているけど、今起こっているのは単に「大不況」ではない。
 もっとこの世を支える、太陽系や、惑星レベル、「神々の世界」での変化が起こっている。(と確信する)
 でも必要なのは、信頼や愛情といってもので、「日月神示」いうところの「災難待つキ(気)」はよろしくないと思う。

 ちなみに去年修道会でI先生とアセンションについて話した時にはこんなやりとりがあった

 2008年8月23日の修道会

 その翌月リーマンが飛んで、世の中の流れが急激に変ってきたので、僕にとっては必然的なタイミングでこの会話をしていたようにも思った。


アセンション考 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/04/18 11:14

『全部マーヤ』

  数年前、「全部、マーヤなんだよ」と師匠から聞く。

  ふーん・・・そんなもんか・・・・でもちょっと極端だよね

  気づき+エネルギー

  あっ、そういう意味か、確かに全部マーヤ!・・かも。

  更なる深まり・・・

  うわっ 本当に全部、マーヤだ!!
  
 「マーヤ解き(奥義)がうまくなりましたよ、師匠(自慢げ)、でもまだマーヤいっぱいあるのかな」

 師:「まだまだあるよ~全部マーヤだから」

 心の声(えー全部って・・・もうあんまりないって多分)

  そして更に、更に・・・

  あ、全部って、本当に全部だったんだ!

  全部マーヤなんだ!!(だから最初からそう言ってるじゃんw)

  『全部マーヤ』という言葉はどこまでも深まっていく
  これだけのことがわかるのに何年もかかる、この先もしかすると一生かかる
  しかし、全部マーヤだとすれば、この意識とは何か??

  何か、何か・・・・(継続中)  

  唯一なるもの と 唯一なるものをわからなくするものだけが 存在する 

 が唯一なるものをわからなくするものは マーヤ(幻影) つまり本当は存在しない



知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/04/16 19:10

ラムダスが語る、イエスと結ばれた青年の話し

 ●かつて、私は、アメリカで不思議な死に方をした青年の写真を持っていました。
  1968年、その青年はニューハンプシャーに会いに来て、私のヨーガの最初の生徒の一人になりました。彼は毎週やってきては、私がインドで学んだことを、即座に吸収していきました。私はさらに修行をさせるために、ハリ・ダスのところに行かせたいと思いましたが、彼はサーダナを続けるためにアリゾナの洞窟で暮らす方を望みました。私にはできることはすでに伝授してありましたが、1968年から69年の冬にかけて、彼は二三ヶ月に一度は、私に手紙を書いて報告してきました。

 しばらくすると連絡が途絶え、あとで彼が洞窟の中で死んでいたことがわかりました。

 青年の母親は、死ぬ直前の日記を私に見せてくれましたが、それはかなり奇妙なものでした。
 この日記はおもにLSDの影響下で書かれたものではないか、と私は推測しました。聞いたところでは彼は鼻から血を流した状態で死んでいるところを発見され、壁にも血痕が残っていました。おそらく、プラーナーヤーマ(ヨーギの呼吸法)をやっていて、血管を破裂させたのかもしれません。日記の内容はつぎのようなものでした。

 ラマナ・マハリシとぼくのグルが二人とも、マハーサマディーを導いている・・・・心配ない・・・・・・ぼくは限りない至福のなかにある・・・・・そして内側からあなたを導くだろう・・・・

ラム・ダスに手紙を書いて、いい知らせを伝えてくれ ぼくはもはやサーダナをする必要がなくなったと・・・・ぼくはあそこにいる。

・・・・・愛、愛・・・・ぼくには何が起こっているか、わかっている それにグルが内側にいる・・・・ぼくは肉体を離れて、キリストと完全に一体化した・・・・キリストハボクトトモニイル カレハ ボクノココロノナカニイル・・・・グルトトモニ。





 つぎにマハラジに会ったら、聞いてみる、と私は母親に約束しました。そして、タイミングを見計らって、彼の高校卒業時の写真をもっていき、マハラジに手渡しました。マハラジは近くからじっと写真を見ていました。
 
 「彼は肉体にはいない
 「そうです、マハラジ」
 「薬を飲んで、死んだ
 「そうだと思います」(私はマハラジの言葉を聞いて、実際には彼が本当のサマーディにはなく、おそらくLSDを飲んでいるあいだに、プラーナーヤーマをしたのだろうと推測しました)。

 しかし、マハラジは私の疑いを察知してか、こう言ったのです。

 「いや、これでいいのだ。彼はふたたび生まれてくることはない。仕事を終えたのだ。いまは、キリストといっしょだ。お前をとても愛していた。お前の事を思って、涙を流した

 マハラジはしばらく沈黙すると、さらにこう付け加えました。

 「母親に心配しないように伝えてやりなさい。彼はキリストとともにいる。彼女のことを見守っている。彼は仕事を終えたのだ」(マハラジは日記の言葉を正確に引用しました。そしてある種の状況において、LSDは神へと帰還するための触媒となりうることを示しました)

 マハラジは目を閉じて静かに座っていました。
 あたりには、大いなる力が満ちあふれました。



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神様 | コメント(8) | トラックバック(0) | 2009/04/14 10:45

マハラジ、イエスを語る

 ●キリストに対するマハラジの愛は、この世の次元を超えていました。「キリストはどういう人ですか?」とたずねられて、マハラジは次のように答えました。

 キリストはあらゆる存在とひとつになり、
 この世のすべてに大いなる愛をもっていた
 キリストは神とひとつだった

 キリストの教えを受け入れて、したがいなさい
 キリストは幼子のようになりないさいと言った
 人を傷つけるどんなことも、考えたり、言ったりしてはならない

 誰もキリストを信じてはいないが、私は信じている

 
 キリストは、自分の霊(スピリット)が世界中に広がるために十字架にかけられた。
 ダルマのために自分の肉体を犠牲にしたのだ。
 キリストは死なない 決して死なない
 キリストはアートマン(魂)で、すべての心の中に生きている


 ●あるとき、ひとりの少年がやってきて「マハラジ、キリストは本当に怒ったことがありましたか?」とたずねました。「キリスト」という言葉を聞くと、マハラジの目にはすぐに涙があふれました。少年が質問をしているあいだに、マハラジは居ずまいをただしました。彼は片方の肘でからだを支えて身を乗り出すと、涙を流しながら自分の胸を三回叩きました。

 一瞬、完全な静寂が訪れました。マハラジはキリストのリアリティを、みんなの意識に導きいれてから、こう言ったのです。「キリストは怒ったことはない。十字架にかけられたとき、キリストは愛だけを感じていた。キリストは何ものにも執着しなかった。自分の肉体さえ捧げたのだ」

 その瞬間誰もが泣いていました。・・・私達はキリストの受難を完全に経験していたのです。突然、マハラジは座りなおすと、こう付け加えました。
 「まばたきをするあいだに、心(マインド)は何百万マイルも旅することができる・・・・仏陀はそう言った」

 「なぜキリストは、あんなに悪口をいわれたのですか?」とマハラジにたずねた人がいました。
 「聖者はみんなそうだ。しかし、彼らはあらゆる人の中に愛だけを見る。悪口を言ったり、聞いたり、見たりしてはいけない。どんなところでも、すべての人の中に愛をみなさい。あらゆるもののなかに、よいところを見なさい」

 ある時、キリストはどのように冥想したのですか、と帰依者がマハラジにたずねました。
 マハラジは居ずまいをただし、しばらく目を閉じていました。黙って座っていると、彼の目から涙があふれてきました。そして、こう言ったのです。

 「キリストは愛の海の中で我を忘れていたのだ」







神様 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/04/14 10:02

サブ・エーク!

 『愛という奇蹟』より

 ◎マハラジは純粋なスピリットに敬意を払いました。伝統や家柄は関係ありませんでした。マハラジは「サブ・エーク(すべてはひとつ)!」という言葉を幾度となく繰り返しながら、私達が個々の違いに囚われず、かたちを越えていけるように導いていました。

 あらゆる宗教は同じだ
 すべては神へと至る道だ
 神はあらゆる人の中にいる
 同じ血が私たちすべてを流れ
 腕や足や心臓もすべて同じだ
 ちがいを見てはならない
 あらゆるものに同一性をみなさい


 愛を通してシヴァ神を敬う必要がある
 ラーマとシヴァは同じだ
 ラーマはシヴァを崇拝していた
 シヴァはラーマを崇拝していた
 ただひとつのものがあるだけなのだ


 個人のちがいやカルマによって教えるのは偽りだ
 あらゆるものに同一性を見なさい
 ちがいを見る限り、神を知ることはできない
 自己の内側に愛を見出す事を学びなさい

 最高の形式とは、あらゆるかたちで神を崇拝する事だ

 どんな人をも受け入れ
 彼らの中に神を見なさい
 ほかに聖者は必要ない

 私の顔は あらゆる人の中に 映っている・・・。




神様 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/04/13 12:49

全てがイリュージョンだから、愛がある

  すべてがイリュージョンだから

  一見愛でないように見える

  すべての中にも愛を見ることが出来る

  現象を越えた愛を信じるから 
  イリュージョンを愛す事が出来る

  すべてがイリュージョンだから

  お互いに分かり合えない人とも

  愛の中で

  分かちがたくつながっていることがわかる

  愛の中で

  僕らのハートの中で  

    
         090412_1432~02

  
神様 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/04/12 22:25

イリュージョンに答えはない

現象世界はマーヤの世界
イリュージョン
その中で完璧なものを見つけようとしても見つからない

この現象世界の夢から覚める旅をする場合でも
いろんな教えが存在し、いろんな教師が存在する

その中で、教師たちの言うことが食い違っていたり、教師同士が喧嘩を初めても驚くにはあたらない
たくさんの事例がある
だってここはマーヤの世界

マーヤを探せば、簡単に見つかる
そして、不条理があるからこそ、マーヤだと理解出来る

現実にはあり得ない現象が、これは夢だと気付かせることがあるように
グルAとグルBが言い争うという、この現象がマーヤの世界の特質を現してもいる

教師たちはその神とマーヤとの微妙なバランス上に現れている
善悪のバランスを守れ!と叫ぶ、映画『コンスタンティン』の酒場のマスター・ミッドナイトのように
神とマーヤのバランスが存在する

教師たちは、そのバランスの中で神の教えを説く
世界に満ちるマーヤと戦う事がマーヤであると知っている
教師たちは
決して無理は、強引なことはしない

時には自らマーヤとなって弟子を煙に巻くかもしれない
しかし、彼らの意識は 壊されることのない 神としてある

教師たちは僕らが頭に思い描く、理想概念を満たす為に存在してるのではなく

そうではなく、その理想概念を壊し、超越し、その向こう側の真実に目覚めさせる為に神によって、遣わされている

もちろん、その教師が害を及ぼすと感じたら離れるべきである

しかし問われているのが信頼である場合もある

概念を信じるか、リアルを信じるかと言う問いだ

その信頼が、イリュージョンを越えさせる

見かけと、概念を越えた、リアルへ





神様 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/04/12 21:47

しあわせを求めて


 幸せは、幸せを求めていない時に 在る

 幸せを、時空間的に離れた『どこかに求める自分』の名前を「不幸せ」という

 しかし、幸せを求めないで居る事は、幸せにしか出来ない

 幸せであれば 幸せを求めるという意識の方向性は生まれず

 ただ変化を楽しみながら流れることが出来る

 求めないという状態は 与えられる

 求めるという状態も 与えられる


 幸せ以外に 幸せを求めないで居られる 存在がいるだろうか

 不幸せが 幸せにたどり着く事などできるだろうか?

 あー幸せを求めたくなってきた!

 そんな時は 幸せを求める自分を 見つめながら
 
 精一杯求めてみるのもよいのではないか


 迷宮の都市を去ることは、禁止されていた訳ではない。

 それどころか、首尾よく脱出できたものは、恩寵に恵まれた者、ヒーローとみなされ、のちのちまで伝説として語り継がれた。だが脱出は幸福なものにしか許されなかった。

 迷宮の全住人を支配する掟は、逆説的で、しかも変更不可能なものだった。

 もっとも重要な掟のひとつは、「迷宮を去るものだけが幸福になれる。だが、幸福なものだけが迷宮から逃げ出せる」というものだった。


 ミヒャエル・エンデ著 鏡の中の鏡 第二章 息子は父親でもある師匠(マイスター)のすぐれた指導のもとで翼を夢見た より



神様 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/04/11 16:24

霊止(ヒト)

  ヒトが尊いのは、何をしたからとか、何をしなかったからという以前に

  ヒトという存在自体が、尊い

  特定の聖者や、偉人が尊いという以前に

  人間という存在自体が聖なるものだ

  ヒトはその中に霊を宿し 神を宿す 

  そのことに例外はない

  ヒトが神を宿す限り ヒトは神の為に泣くことができる可能性がある
  神に気づく可能性がる

  もし一生神に気づかなくても 
  
  神はいつもヒトのうちで 絶えることなく 在り続けている

  ヒトが自らの神性に気づくとき ヒトは神に愛されている

  ヒトが自らの神性に気づかない時も ヒトは神に愛されている  

  そしてその愛の中で みこころが行われている

  そしてすべてのヒトがこのみこころを行っているという

  奇蹟がある

  みこころと知らずに みこころを行う事は
  みこころと知って みこころを行う以上に

  何か尊い







神様 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/04/09 19:16

ハイランダー

  朝から頭の中で爆風スランプの『ハイランダー』という曲が鳴っている。(だいたい年がバレる発言)
  こんな歌詞だった。


  土地が高すぎて 東京じゃ家は買えぬ
  田舎に引っ込むしかないね
  誰も住まなくなる 誰も住めなくなる
  一握りの金持ちが家を買う
  そうなったら

  庶民の汗が ああ かわいそうだ
  庶民の汗が ああ かわいそうだな

  差別がひどくて黒人じゃ生きられない
  アフリカの南 遠い国さ
  だけど金も銀も そしてダイヤモンドも
  アフリカの南の国から来るのさ
  そうなんだぜ

  婚約指輪が ああ かわいそうだ
  婚約指輪が ああ かわいそうだな
  
  君は机の上で
  君は何を学んで
  君はいつか立派な会社に入る 
  そして 死ぬ

  何にも知らない奴は かわいそうだ
  何にも知らない奴は幸せだな
  何にも知らない奴は かわいそうだ
  何にも知らない奴は 幸せだな

 
  http://www.youtube.com/watch?v=FVwwZeA_hLE
  
  中学生くらいにこの曲を初めて聴いて、「えっ、会社に入ってすぐに死ぬって、その間はしょりすぎやない?」と思った。「精神的に死ぬ」ということを理解してなかったから当然だが、立派な会社に入るとその間をはしょっていいくらい無意味な日々が続くのだろうか?と中学生なりに考えさせられたりもした。

 が、僕の時代、すでに社会派風刺ソングみたいなのはあまり耳に入ってこず、バリケードや、レジスタンスという言葉にドキドキ感を感じる精神的に全共闘世代の僕はこういう風刺的な歌詞であるというだけでなにか血が騒いだのを覚えている。(真正面から激突して行ったのは尾崎豊くらいじゃないだろうか。)

 しかし、反体制的なムーヴメントが活発でないにも関わらず、80年代や90年代というのは内にこもった反世界的な、ニヒリズムの時代ではなかっただろうか。
 そこには明らかに敵となるような対象はもちろん、存在していない。
 戦前のように若者が国の為に、米英に突撃していくことはない。
 また高度経済成長の時代のように物質的な発展を追い求め、汗を流して働くという三丁目の夕陽的な生き方もない。
 また社会の価値を疑い、大学にたてこもったり、ヒッピーになってコミューンを作ったりという爆発力もない。
 では何があったかというと、あきらめに似たニヒリズムと空騒ぎの空気。結局は、敷かれたレールを嫌々歩くしかないという雰囲気だったのではないだろうか・・・。 

 それはおかしいことを、おかしい!と声をあげていうことがおかしいという時代でもあった。
 僕も、おかしいことをおかしいと言うのは、かっこ悪いことだとどこかで思っていたような記憶がある。
 
 さすがにマスメディアも、今を希望ある世代とは言わなかった。
 テレビをつければ僕の目に触れるのは、どこかの政治家がまた汚職をしただの、猟奇的な殺人がおこただのそんなニュースばかりだった。そしてCMになれば、ものをもっと買ってくださいという大合唱、チャンネルを変えれば、お笑い芸人が熱湯風呂につかって悶絶したり、顔に生クリームをぬりたくられてわめいている。
 そんな中で、まれに地球の環境がアブナイ、もう限界だ、みんなで少しづつよくしていかねば・・・などという情報が混入する。ノストラダムス予言の恐怖!などという特番も放送される。もうわけがわからない。

 ダブルバインド、トリプルバインドだ。
 マスメディアが、さんざん危機や社会のどす黒い点を報道しつつも、それを改善できずむしろ人の意識を劣化させているようにさえ見えるのは理由がある。

 それはまれにしか、根本的な解決や、根本的な構造問題をとりあげないからだ。

 例えば、イスラエルによるガザの空爆がある。
 これを正しく報道するには、イスラエル建国の歴史、イスラエルとパレスチナの関係、そしてアメリカでイスラエルへの利益を誘導するイスラエルロビーが存在する事、イスラエルとユダヤ系資本との結びつき、などもあわせて報道する必要がある。じゃないと、まったくなんのことかわからないし、あーまたあの辺でごちゃごちゃしてるなくらいにしかならない。
 なぜ大量破壊兵器を、何も持っていないイラクがアメリカに蹂躙され、何百発もの核を保有するイスラエルがあの場所で野放しにされているのか?といったことである。

 それと同じように、来る可能性のある食糧危機、や現在進行中の金融危機に対する対処法。
 
 これも 自給自足できる村をたくさん作る!

 これしかないのではないかと僕は思うのだ。
 昨夜、NHKで派遣切りされた人がたくさん農業に応募するがなかなか定着しないというようなことを、やっているのを見た。
 「農業」それもいいかもしれない。
 でもやはりまず「農」そのものへの意識シフトが必要であり、その実践(実践のない僕が言うのも恐縮だが)が大事なのではないかと思った。
 「農」に「業」がつくと、それは現在の貨幣経済の枠組み内でのこととなり、いくら投資し、いくら回収できるかというレベルの話しにならざるを得ない。

 そうなると、昨日の放送でもあったが、面接で知能テストをやり、優秀な人材を採用し、海外にも販路を拡大するというような話しになってくる。優秀な人材が農業に流れるのはよいことなのかもしれないが、もっと根本的な意識の転換が求められていると思うのだ。

 それははっきり言うと 『お金がなくてもある程度生きていける』というその意識の拡大ではないかと思う。そのための村であるし、そのための共同体だ。
 派遣切りをされて、困っているという人に対しても例えば、「うちの村に来てください」というオファーを目にする機会が増えればどうだろうか?
 そこである程度働けば、「食べるには困らない」という人が増えていけばどうだろうか? 
 そして、各地に存在するそのような「村」が、貨幣経済の枠を超えて相互に生存の為に連結すればどうだろうか?まったく新しい可能性が見えてくると思うのだが。

 どうも、農業の大切さなどを特集する番組というのは稀に見るが、やはりこの種の共同体が大きくとりあげられないのは現在のシステムの根幹を揺るがしかねないところがあるのと、「なんとか会」のようにちょっとアブナイ、」カルトチックな共同体というのも存在するためかもしれない。

 だがここでも、①今の国家や巨大資本、貨幣を中心とした今までのパワーと、②地方や個々人、土地、実物を中心としたパワー間の綱引きというか、駆け引きのようなものが始まると予想される。

 このままで、もし実際に食糧危機が来れば、①の枠内で生きているなら食べ物は『配給』になるかもしれない。お金なんて持ってても役に立たず、今月分の「お米券」を役所に持っていくことになる。
 その場合パワーバランスは食料を管理する国家に傾く。国民は国家に管理される。
 だが、②の枠内で生きていれば、生存の一番要となるものが自分たちの手中にあるわけなので、自由を守ることが出来るかもしれない。そのための準備の時間はあまり残されていないかもしれない。

 食糧危機など起こらなかったとしても、この大地に根付いた生き方は、次世代の主流になる可能性が大きくあると思うので、急いではじめてもよいくらいではないかと思える。
 
 このような事実に出来るだけ多くの人が気づく必要がある。

 数年前までは

 何にも知らない奴は 幸せだな

 だったが、今後はどうなるだろうか?
 なぜか20年前の歌が生々しく蘇ってきた朝だった。
 ハイランダーは「傭兵」だ。
 傭兵は戦争がなくなると用はなくなる。
 故郷に還る用意を始めるときかもしれない。


アセンション考 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/04/08 10:57

イリュージョン2

 信頼とは、すべてがイリュージョンであり、また神しかないことを知っていることでもある。
 愛とは、イリュージョンを対象として愛することで、自己を越え出、結果的に実在としての愛に達することでもある。
 神様は、イリュージョンを使って人と遊ぶのが好きだ。

 ※それにひっかかった場合

 ある人がマハラジと列車の一等席で旅をしていました。彼は、列車が来るまではマハラジが切符を持っていたほうが安全だと思い、切符を手渡しました。
 ところがマハラジは切符を見るなり、「これは何だ?」といって、列車の窓から放り投げてしまったのです。
 その人はショックを受けましたが、何も言いませんでした。しかし、マハラジが話し続けているあいだ、切符と車掌のことがずっと頭から離れませんでした。とうとう車掌がドアをノックし、切符の検札に入ってきました。彼は一瞬ためらい、車掌が切符を見たがっていると伝えました。

 マハラジは窓の方に手を伸ばすと、笑いながら切符を手渡しました。

 「お前が心配していたのは、これかね?」

 ※それにひっかからなかった場合

 マハラジは一枚の紙の上に死んだハエを乗せようとして、とても苦心していました。最後にダダにとらせようとして差し出すと、ダダが手を伸ばした瞬間、ハエは飛び去ってしまいました。
 
 「こんなに苦労したのに、お前が逃がした!」とマハラジは怒鳴りました。

 「ババ、ハエを逃がしたのは、私ではなくあなたですよ」ダダがこう言うと、マハラジは笑っていました。


 マハラジはダダの方を見て、「お前はバカだ」と言いました。
 ダダはうなづきました。
 するとマハラジは「お前はバカではない」と言いました。
 やっぱりダダはうなずきました。

 ダダがマハラジの罵倒をまったく気にしなくなったことは、二人の会話からも明らかでした。あるとき、近くからずっと発砲音が聞こえていました。

 「あれは何だ?」とマハラジが言いました。
 「空砲を撃っているだけです、ババ」
 「空砲とはいったい何だ?」

 「あなたがいつもやっていることです、マハラジ
 
 「そうか、わしも空砲を撃ち続けているのか」。マハラジはうれしそうでした。

 ※神が自分でひっかかって見る場合、もしくは、引っかかった振りをする場合

  カーリ・バーブはマハラジに、たくさんの種類の金属でつくられた器のことを話しました。それは水入れに便利で、健康にもよいと思われていました。マハラジはカーリ・バーブにその器をつくらせると、水を飲んだりして一日中使っていました。そして夜間は鍵をかけてしまい、翌日又その容器を使うとカーリ・バーブに話しました。
 すると突然、マハラジはこう言いました。

 「何だ?わしは執着しているのか?誰かにあげてしまいなさい

 
                           「愛という奇蹟~ニーム・カロリ・ババ物語」より



神様 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/04/07 11:19

イリュージョン

すべてはイリュージョン

創造も破壊もなく

死もなく生もないと言う

自分もないと言う

でも神は僕に死の恐れを与えた

その事に感謝
そのことで起こるこのドラマに感謝

神は僕に自己を持つことで起こる様々な混乱を与えた

その混乱によって生まれたこの物語に、深く感謝

僕は与えられたこの自己を神様の御旨のままに生きていく
生きさせてもらえる

神がすべてにあるのに、マーヤが生まれるというこの不可思議さに、感嘆!

神様 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/04/07 00:24

生(キ)のエナジー

  地下から古代の王が「うわーはっはっは!」と大笑いしながら上昇してくる夢だが、これは『封印されてきたもの』の復活を暗示しているように思えてならない。

 ではその封印されてきたものとは何か、というと、それは一言で言うと、真理・真相であり、そういったものに伴うなまなましいエネルギーだと思う。こういうものを仮に生(キ)のエナジーと呼ぶ。

 例えば、修道会日誌で『ユダの福音書』について触れた。
 クリスチャンの文脈では一般的にユダは、イエスを裏切った最悪の人物と考えられている。
 だがこの1970年代に発見された文書からを読むと、ユダはイエスに次ぐ覚者で神の計画を理解してその行為を行ったのではないかと思わせる。

 そして、このような文書が書籍化され多くの人の知るところとなるというのが、生(キ)のエナジーの動いている証ではないだろうか?つまり、そのことがあらわすのはユダの汚名が晴れ、彼がイエスの言ったように『聖なる世代のもとに引き上げられる』日が近いからかもしれない。

 キのエナジーが動くと、偽(ギ)の制度や、信念、価値は消失していく。
 それは光が強くなると影はなくなるように自然なことだ。
 だが、一時的には光がすべてを覆うまでは影は強くなるかもしれない。

 生(キ)のエナジーは時に、人にショックや違和感に似たものを与える。
 それは例えば、きれいに整備された公園しか知らない人が、なまなましい自然の美とそれにともなう残酷さ・過酷さに直面することと似ているかもしれない。

 美しい花や、木々だけが自然ではない。
 食虫植物もいる、土の中にはみみずや得体の知れない虫たちがうごめいてもいる。
 ウィリアム・ブレイクは「虎よ!虎よ!」という詩の中で
 いったいどんな創造主がお前のその恐ろしい姿を形作ったのかと、半ば賛嘆を込めてうたった。 

 加工されたもの、あからさまにフェイクなもの、これらのものが多くを占めている現在にあって、生(キ)のエナジーは何か危ない匂いすらさせている。

 『日月神示』も原典をすべて目を通せば、そのような雰囲気を発散させている文書だと僕は思う。
 たしか『そのまま見せるとキツすぎるから・・・』という一文が日月神示のなかにも入っていた。

 確かに日月神示にはドギツイような表現もある。
 だが、そこには明らかに深みと、愛と、美しさのようなものがあり、ただポジティブに行くことが大事ですよと繰り返すアメリカのチャネリングメッセージにはないような力があると僕は感じる。

 去年の10月某日に、UFOが現われることを保証し、また小浜を盛んに持ち上げるチャネリングメッセージがあるが、あれはなぜか目を通す気が全くしない。なぜかというと、光からのメッセージというよりも、マックのバリューセットの匂いがするからである。早く言えば人間がつくった加工された食品の味がする。(あくまで個人的感じ方です。好き好きかもしれない)

 一方『日月神示』から感じるのは、時間を越えた世界からの、ものすごく巨視的な観点を持つ世界からの命がけのメッセージであるように思えるのだ。何が命がけなのかよくわからないが、とにかく『命』が入ってるような気がするのである。

 結局すべてはそこかもしれない。
 『命』がこもっているかどうかが、キとギをわけるのである。 
 同じ500円のラーメンでもファミレスで食べるのと、近所の食材に気を使ったラーメン屋さんで食べるのではまったく味も違うし、また食後に充電される感覚もまったく違う。

 だが生(キ)は大量生産、そして商業主義には不向きである。
 商業主義において問われている事は、なるべく安定した品質のものを、同じようなクオリティーで高速で大量生産し、かかった費用と利益を効率よく回収することだからである。そこには「命」をこめる暇がないのだ。

 ギに慣らされた僕らの体は無農薬の食事を続けたりすると「好転反応」を起したりする。これは生(キ)のエナジーに適応していく過程だ。

 ユダの行為、そして十字架にかかったイエスの行為には神の「命」がこもっていた。 
 しかし、制度化したキリスト教からはそのエッセンスが失われていった。

 地下の王は、そのような封じ込められていた生命エッセンスの復活を象徴していいるようにも思える。エジプトの王だったので、多神教がはびこっていた時代に一神教による改革を行おうとしたイクナトンをも連想させる。

 どちらにしろ 生きてるもの 命在るもの に触れていくことがこれからの時代の鍵であるように思う。
 
 そしてその命在るものの姿は、真理の姿は、生(キ)のエナジーは、僕らが思ってる以上に、面食らうほど生々しいのではないだろうか。 それが消化できるように、内臓を調整していきたい。

アセンション考 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/04/05 18:58

3月シフト、ひとつ目の夢、ヴェシカ・パイシス

 3月中旬、または春分頃からのエネルギーの変化は確かに存在したようで、周りでも体調に変化があったという話しを聞くし、ネットでも時々みてるブログなどでそんな内容をよくみかけた。

 僕は、3月28日の修道会の翌日全身すごい倦怠感におそわれ3日ほど、寝たり起きたりした。2週間ほど自分にしては過密なスケジュールで動き回って疲れ切ったというのもあるかもしれないけど、やはりなにか変化があったのかもしれない。

 印象に残る夢を見た。
 それは、鏡を見ていると自分の目が段々中央に寄り集まって、ひとつの「単眼」になってしまうというものだった。「単眼」という元型はなにをあらわしているのだろう?
 脳の中で、視神経は交差して左目は右脳に、右目は左脳につながてっているという。これらがひとつになるということは二極の融合をあらわしているのだろうか。

 ホルスの目を思いだす。
 
  hols_convert_20090404094643.jpg

 ホルスと言えば、今年の一月くらいに見た夢。
 エジプトの地下に秘密の古代遺跡のような場所があるのだが、その場所にいると、さらに深い地下から古代の王がはげしく哄笑しながら、祭壇のようなものに載ってあがってくるというものだった。 
 と同時に『ホルスの息子』という言葉が浮かんだ。ハリウッド映画のようなでーんでーんで~~んというBGMまでついていて目が覚めたあと、相方に話すと『気が狂ってるね』と言われた(笑)

 そもそも目の形は、ヴェシカ・パイシスと同じだ。
 ヴェシカ・バイシスはふたつの円が重なったところに現われる。

    090404_1023~01

 ヴェシカ・パイシスがふたつのコスモスの重複エリアであるように、目も、内なる世界と外界をつなぐ。
 そして、上の図は実は、この図の別の表現方法ではないかと思う。 

    090316_1930~01

 「目」はふたつの世界のつなぎ「目」に存在する。
 が、このふたつの三角が、もしくは円が融合すれば、この目はどこへ行くのだろうか?
 
    090317_1101~01

 それはやはりこうならざるを得ない。

   090404_1056~01

 古代バビロニアの宇宙図

 090404_1055~01


 ムー大陸の宇宙図(と言われてるもの)

 J・チャーチワード著 「ムー大陸のシンボル」より

 画像を撮影するために二冊の本を手に取ってめくると、どちらもぱっとヴェシカ・パイシスが映ってるページが開いた。

アセンション考 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/04/04 10:11

3月28日修道会②

 個我の傾向

 ある方法で僕の個我の傾向を占ってもらう。(霊視!とかじゃ~ありませんw)

 それによると修道院や僧院などで一生を送ったようなのが多いらしく、家族の安らぎなどをあまり知らず、また他者とのエネルギーを交流させることも不得手だということ。また非常に禁欲的な生活をしていたのでその影響もあるというような結果が出た。

 結構うなづけるところの多い結果だった。
 今まで何回かそっち系の人に前世をみてもらったことはあるが、ひきこもり系が多い。
 アイルランドの方に生まれて、なんかいろんなものが見える能力があったが、それを言いふらしたために村八分にされて孤独に余生を送ったというもの。(だから今生ではそういう力はないのですw)
 またこれもイギリスの方だが、灯台の見える岬のような場所で一人で暮らしている物書きのような人物というもの。
 またギリシャの方で本に埋め尽くされたような部屋にいる、思想家のような人物というのもあった。
 全部別々の人に見てもらったけど、結構共通点があったりして面白いものだ。
 最近はどうでもよくなってきたので、あまりそういうのは行ってないけど。

I先生はやはり修行者系ということだが、修道院や僧院というよりも、どっちかというとサドゥー系らしい。あちこちを転々としながら修行をする行者だが、過去世ですでに真理に触れている。

 「俺とか、M君は触れ幅が大きいんだよね。ものすごい禁欲的な生活をしていたら、次の人生ではそれを取り戻そうとするでしょ?そしたらもう売春婦とかになっちゃうわけ(笑)だから、修道院、売春宿、修道院、売春宿の繰り返しみたいな。極端になっちゃうんだよね」

 「ラーマクリシュナも言ってるでしょ?ヒマラヤにこもってる聖者がいるけど、彼らも次の人生では物質的な欲求を満たすために世俗に生まれるんだから何もうらやましがる必要はないって。ラーマクリシュナ自身もジーヴァンムクタ(生前解脱者)だけど、もう一度だけ文明の発達した国に生まれて、今度は物質的なものも満たす人生を生きるって言ってる」

 「だからM君も俺みたいな欲望の権化みたいな(笑)先生に教えてもらうのがちょうどいいんだよ。とてもストイックな教えをしてる人ですごい人に会ってたら付いてってたかもしれないでしょ?個我はサタンじゃなくて、修道院(僧)だったんだねw」

 いやー欲望の権化だなんてことはないかと^^ 
 ただ、I先生の教えの中では、あれをしてはいけない、これはしてはいけないというのはほとんどなく、中心はただ神様を愛し、信頼する!ということなので自分の衝動を必要以上に抑圧するという必要性はない。

 また僕も、セラピー系をめぐっていた頃から、自分を解放するとか、受容するとかいう方向性がとても重要なものとして現われていたので、これは納得の出来る結果だった。

 早い話し、ドラッグ系も、また大声で叫んで暴れるようなブレスワークも、また歌を歌ったりするようなこともすべて自分の解放や一種の自己の脱‐構築であっただろうと思う。 

  だがそのドラッグなどによって出来た自己の割れ目から、自分を越えた神なるもの、愛であるもの、が顔をのぞかせて来た。その結果、僕の旅は単に自己受容や解放で終結するものではなくなったような気がする。

 孤独、禁欲、修行、脱世俗、書物、男性性

     と

 共生、自然、性、歌・踊り、女性性 この辺のバランス。

 それは上の二極間の間のゆれを、すべて貫いて流れ通るものだ。

 あとそれから、自分の内側にかなりどろどろした世界との接点というか、親和性を感じることもあるのはその昔、修道院生活のストレスから、極端から極端へと生まれ変わってるからかなと思ったりした(笑)そして、その闇の世界のような場所にも、神様は存在して、人をあるべき場所へと導いてくれている。だから僕にとって神とは、光と闇が融合したものであるし、闇の手の姿となって現われる、光の手なのだ。

     (またつづく)
 
修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/04/02 10:47
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