2009. 10. 28  
  そろそろ、夜にぼけーっと゚+。(o´ェ`o)。+゚し始めてから、一月になろうとしている。

  うーん・・・時間の経つのが速い(゚∀゚ ;)タラー

  二時間も三時間も、音楽を聴いて過ごしてたらいい加減ヤになってくるかと思ったが、これがなかなか嫌にならない。それどころか、この魅力がはっきりとわかり始めたので、日常の中で不可欠のものになりつつある。

 これが続くのは、ひとつには部屋のクリーニングとか、緑化とか、照明を変えたという下準備があって可能になったような気がする。特に照明の影響は大きく、蛍光灯だったら僕の場合は無理だったかもしれない。
 どうも精神的に落ち着かなくさせる作用があるようで、あの白々した光の下だと、なに畳の上に植物置いてんだよβακα_φ(゚∀゚ )アヒャという白けたムードになるのに、間接照明だとそういう突込みが入れる気にあえてならないくらい癒し的雰囲気になる。

 とりあえず、8月からの不調の期間は、この穏やかな時間のクリエイトに結実したということになる。
 
 で、そういう夜の時間になにをしているのかというと、一日を回想してマーヤ解きをしていたり、ここのところの出来事の意味を解析しようとしたり、自分の考えを楽しんだりしている。
 最後には、神様にお祈りをして、黙想タイム幕となる。。゚(゚^∀^゚)゚。

 BGMは最初からクリムゾンコレクションかけたりすると、恍惚方面にいっちゃいそうな感じがするので、最初はピアノ曲とかからはじめて、最後は神様チックな曲でしめる。

 というのは神様は、僕に自分の頭で考えることをさせたいということだったようなので、考えるってーのは大事みたいなんすね。
 情報がたくさん入ってきてるときは、自分の頭で考えているようで、他からのエネルギーが頭をかく乱させていたことにようやく気づいた(。>д<。)ゞ
 いやー普通に思考することは、静かにしてないとできないもんなんだな。

 自分の頭の中で展開するものを見ているのは、あくまで自分の考えなのでテレビのように他者のスピードに強制的に従わせられることはない。
 ネットを長時間見てたときも、今思えば何か駆り立てられていたような感じがする。

 本もいいメディアだと思うけど、本だけ読んでて考えてる時間がないと、もったいない。

 一日はやいスピードで仕事してる人は、けたたましい番組を見ると、ある種の疲労が蓄積されるのではないだろうか。というのは、スローダウンが必要なときに、さらに加速化したリズムの中で休養する時間を過ごすからだ。

 だがテレビを消して、瞑想とまではいかないまでも、じっとしてると自然なリズム回復機能がその人自身のリズムへと連れて行ってくれる。
 しかし現代ほど人を一人にさせてくれない時代もない。
 家に引きこもっていても、テレビをつけると見知らぬ他人が話しかけてくるのだから。

 そして僕らも、静寂を恐れている。
 僕も調子が悪いとき、不安を紛らわせようと、テレビやネットを過剰につながっていた。
 でも今思えばそれが逆効果だったのだろう。
 でも、得体の知れない不安に襲われているときに、やっぱり静かな空間に自分を放り込むという選択は出来なかった。
 しかしそこで自分自身を取り戻すことが回復の鍵だったようだ。

 なにかしてないとダァー(゚ω゚)bメッ!!という強迫観念も現代人には多い。
 しかし実はなにもしてない時間というのはとても豊かな時間ではないかと思う。
 意味のあるものごとは、そこから生まれてくると言ってもいい。
 それは治癒と、創造の場だ。 

 なんか妙なくらーい感情や、ネガティブなものがじっとしてると沸いてくるから、他のものに走りたくなるというのもある。
 でも、よく考えてみると、それと向かい合うということが、他のものに走るよりも、とてもとても意味のあることかもしれない。
 たとえば「恐れ」という感情がある。
 「恐れ」が沸き起こって来たときに、他のものに逃げることも出来るし、ひどい場合は薬で封じ込めるということもできる。
 それは、「恐れ」と同じリングにあがることを拒絶することだ。
 リングにあがると(つまり他に逃げないと)ぼこぼこにされるかもしれない。でもそれは、リングにあがらないボクサーよりも勇気のある選択だと言える。
 そして、たとえぼこぼこにされるとしても「恐れ」とのスパーリングをしていると、彼が放ってくるパンチの癖だとか、そのタイミングというようなこともわかってくる。
 と、すれば次はこいつを避けて、こっちに回り込めばいいんだなというようなこともわかってくる。
 じっと彼を見ていると、

 「あれ、こいつ、なんか時々スケスケしてるし、ほんとはいないんじゃないの?」みたいな感覚も感じたりする。

 でもやっぱり、恐れが実在しないということをわかるとすれば、それはやっぱりリングに上がってからのあとだろうと思う。敵前逃亡をするのは、恐れがリアルであることを前提としているからだ。
 そして、恐れをパンドラの箱に押し込めると、その中で、それはどんどん増殖しふたを突き破って、うわーっとヽ( `皿´ )ノ飛び出してくる。

 スパーリングを積んでないから、ぼこぼこにされる。(これは僕の実経験をもとにしてます(´-∀-`;)
 だからこまめに、スパーリングをしていくことが恐れを克服するこつではないかと思う。
 ひとりになって、嫌な気分になる時は、いいチャンスということだろう。
 
 もちろん嫌な感情を敵とみなさずなぜなぜしてあげるというセラピー的手法もあるけど、どちらにしてもそれらと時を共有することを恐れないというのは、重要な点ではないかと思う。

 あともうひとつ、無為の効用としては、なんでもないことを楽しめる余裕が生まれるというのがある。
 なんかその情報がない時間というのが白紙のスクリーンのようになって、そこにいろいろなものの姿をクリアに映し出してくれるようだ。

 情報付けだと、情報によって快楽を感じる回路?みたいなものが出来上がってくるので、さらにさらにより興味深くて、過激な情報を追い求めてしまう。(実経験である(´-∀-`;)
 それはたとえばこういうイメージで言うと、白紙のスクリーンが何かの色で塗りつぶされて、さらにそこに意味あるメッセージを描くにはさらにどぎつい色を使うしかなくて、さらにさらに色を重ね、わけがわからなくなる感じだ。こうなると一回リセットして白紙のスクリーンに戻すほかない。(実経験(´-∀-`;)

 で、そういう白紙の感じをベースにしてると、あー空が青いなとか、きれいだなという感覚がクリアに入ってくる。今日もあるいていると、柿がいっぱいなっていて、「いやー柿って柿色だねー」と実感した。

 去年の今頃はドトールに入って、近くの女性たちが世間話をしてると

 「この世界が崩壊しかけているご時世になにのんきに話してるんだぁ!NYダウがどれだけ暴落したか知ってるのか!このアマ(*`´*)」

 と叫んでコーヒーをぶっかけそうな危ない気分だった。

 またこれからさらに暴落しても、出来るだけ、柿は柿色、空は青の世界にいたいもんだと思う。

 あ、時間だ過ぎてしまった。

 黙想タイムへGOβуё★ (o'ω'o)ノ ★ βуё


2009. 10. 27  
夜、照明に照らされてる花にスプレーで水をかけてやると、宝石をまとったようにきれいに見える。
 
 店で買うときに「どれくらい持ちますか?」とたずねると

 「涼しくなってきたので4、5日は大丈夫ですよ」という返事が返ってきた。

 あと何日もつんだろうか。
 きれいに咲いてるほど、しおれていくときのことを考えると悲しくなる。

 携帯カメラにでも残しておきたくなる。

 なるべくきれいな姿を撮ろうと何回もシャッターを押していると、
 「聖夜」という言葉が浮かぶ。  


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2009. 10. 16  
  気(キ)というと目に見えないエネルギーだというのが普通の認識だと思う。

  では、その本質は何かというと、意思の力、志向性、注意力なのではないかと思う。

  たとえば、「気が行く」というのは、なにかある物事に自分の意識が向かうということを意味している。意識したところに、気が行くわけだ。

 たとえば道でタイプの異性とかを見かけたとする。
 すると、視覚的にその人物を捉えたことによって、そこに意識が飛んでいく。
 現代の科学では、この状態ではただ視覚が映像をキャッチしただけでなにも起こっていないが、実際は意思の矢をそちらに向かって放っているに等しい。
 この意思の矢はある次元では現実性を持っているので、敏感な人はそれを察知して振り向いたりする。

 見てるだけ~というのは、実のところそこに自分の気を飛ばしているということなのだと思う。
 
 気が散る、というのは、様々な対象に転々と意識の対象が移っていくために、エネルギーがばらばらに振り分けられ、どれひとつちゃんと集中できないことを言う。

 今日、電車に乗ってるときに、立ったまま5駅くらいずっと目をつぶっていて思ったことだけど、視覚によって気が散るということがとても多いことに気づいた。
 これ、見えなきゃいらいらしないのに、というものが本当に多い。
 視覚が聴覚や、嗅覚と違うのは、それが能動的かつ男性的な感覚だということだ。
 視覚は視野の中を常に動き回り、自分にとって意味あるものを常に探している。視覚を研ぎ澄ますということは、たとえば目を凝らすとか、じっと見るという言葉を使い、なにかハンター的な性質を持っているような気がする。
 それはその性質上常に動き回っているので、視覚的刺激が多い場所だと意識も視覚に連動して、「気が散る」。

 それにくらべて、聴覚や嗅覚という感覚は、視覚にくらべて受動的かつ女性的だ。
 聴覚を働かせるときには「耳を澄ます」という。
 その意味は澄ませることにより、外界の音を感知しやすいようにするためであり、自分自身に働きかけているということだ。
 視覚を研ぎ澄ませることとの性質の違いは明らかだと思う。
 聴覚あるいは嗅覚は、対象を探して動き回る必要がないのだ。

 なにを言いたいかというと、視覚という感覚はその性質上、能動的に注意の矢を外側に飛ばすものなので、やはり視覚によって「気が散る」ということがとても多い。

 セイント星矢に出てくるバルゴのシャカというキャラクターがいつも目を閉じているのは、「私はコスモを増大させるために目を閉じているのだ~」ということだけど、身もふたもなく翻訳すると「気が散るから目を閉じてんだよね」ということになる。(最近漫画を再読したのれす)

  

 (↑悟ってるみたいなポーズをしてるのに、私にひざまづいて許しを請え!とかいうのがオモローです)

 現代は特に視覚を酷使する文明ではないかと思うだけど、テレビやネット、プレステ、携帯など常にきょときょとと眼球が動き続けている。(携帯用音楽プレイヤー、ゲーム機も普及しているので、総体的に入力過多だろう)
 このことが、「気の散る」状態をもたらしていると思うけど、加えて、他の気が過剰に進入してくるということもあるのかもしれない。

 昔から精神のバランスを崩すことを、「気が違う」「基地外」と言ったりするけど、これは自分の気とは違うエネルギーによって自分の気を殺されたり、押さえつけたりされているということをあらわしているのかもしれない。

 とすれば、視覚の入力を意図的にカットすることによって自分のエネルギーを取り戻すことが出来るということも起こる。
 これを突き詰めて、断食なども加えて長期の隔離をおこない自己の真実(使命や本質など)を探ろうとするのが、インディアンの伝統で行われる「ビジョンクエスト」などではないだろうか。

 約3週間ほど師匠のアドバイスにしたがって、夜はなるべくネットもテレビも落として、2,3時間はBGMだけを流してじっとしているようにしてみてエネルギーが刷新されるような感じがした。
 意識の軸がばらけていたのが、自分自身にもどっていくような?感じ。
 何もせず、ろうそくの火を見たり、たまにタバコを吸ったりしているととても贅沢な気分になるのが不思議だ。 

 「とにかく自分が主体になることが大事なんだよ。他からのよくない影響に支配されてはならない

 とI先生が言っていた。
 環境に対して自分が主となり、その上に神様を持ってくる感じだろうか。

 自分自身から逃げて他のものに走ると、そのキによって支配されざるを得ない。
 
 ふと思ったことだけど、なぜ「引きこもり」というと、ネットやゲーム、アニメなどという言葉が浮かぶのだろうか。それらがあらわしているのは、引きこもった時間を他者の世界に支配されてすごしているということだ。引きこもりの問題は、完全に自分自身の中に「引きこもれない」ということにあるのかもしれない。

 完全に自分自身の中に引きこもったときに現れるのは、「ビジョンクエスト」の世界であり、それは不健全なことではなく、かつては大人になるためのセレモニーだった。

 リアルであるとはどういうことだろうか。
 人が現実感を失うとはどういうことだろうか。
 他者とのふれあいがないことや、自然とのつながりが失われているのは悲しいことだ。
 しかし、もし、一人きりでいられる時間があるのなら、情報の海から離れて、その一人でいる自分自身の存在をしっかりと実感できるなら、それは一番身近な他者である自分自身との絆を取り戻すことにつながるのではないかと思う。

 多くの人が「正しく引きこもる」すべを知っていれば、世の中はよくなると思う。


 ※今、記事を書き続けるべきか迷っているので、出たりひっこんだりしてます。これもまた消える可能性があります(笑)ネット上のアイデンティティは解体するかもしれませぬ。


2009. 10. 12  
  I先生の勉強会に出席された方からメッセージいただきました。

  ブログでその様子を紹介されていますが、思わず読んでて引き込まれ、おお、すげー行ってみて~と思ってしまいました(笑)さらにちょっと文体が似てるような気がして親近感を覚え、リンクさせていただきました。

 kojiさんのブログ 「リアルワールド

 その他の記事もとても興味深いものが多かったので、ご一読アレ☆

 サティア・サイババは数多くのスキャンダルにも関わらず、僕はホンモノではないかと思っているのですが(I先生がサイババは現在肉体を持て生きている神の一人と言っていたというのもありますが)、その点も「サイババの真実?」という記事とシンクロしていて面白かったです。

 マー(お母さん)つながりでいらっしゃったようです。 

 マザーはあらゆる場所で働いているんだなと改めて思いました。


2009. 10. 06  
  前回のI先生の個人セッションで聴いたこと。

  人間は、支配されることに慣れているタイプと、支配に対して拒否反応が強いタイプがいるのではないかという話し。

この支配されることに慣れていない「エイリアン」タイプ(宇宙から来たという意味ではない)は、社会が押しかぶせてくる価値観に対して免疫反応が強いので、混乱しやすいのだそうだ。
 だから見てる人間を一定の方向に誘導しようとするテレビなどを見ると、マーヤにやられやすいらしい。

 「テレビにはもちろんいいメッセージが含まれてるものもある。でも、やることがないからなんとなくテレビをつけてるって言うのは駄目ヽ(#゚Д゚)ノそれはすでにテレビに支配されてる状態だからね。俺もテレビを見るときは、あらかじめ番組表を見て、見たいのだけを見るとか、録画して見るようにしてるよ。そういう風に自分が主体的にテレビの方を支配したほうがいいよ

 なんでCMとかを見てていちいち腹が立つことが多いのかと思っていたが、僕もエイリアンなのかもしれない。自分のこころが狭量なのかと思っていたが、そうではなく、ただそういうタイプだということかも。
 
 「ニュースはダメね。あとお笑い番組も

 「お笑いはなんでダメなんですか?」

 「時間の無駄。」

 「いやー僕にとっては数少ない笑える時間なので結構癒しになるのですが」

 昔から芸人が結構好きなのだ。関西出身でチュートリアルと母校が一緒だからかもしれない(関係ないすね)

 I先生笑って、「じゃあM君は見ていいよ。神様に怒られたらやめればいいから。俺はダメだけど、例えばMちゃんとかもお笑いは大丈夫なほうなんだよね。」

 ここらへんも人によって違うようだ。 

 I先生は小さいころからエイリアンで、とにかく学校生活などにすんなりと従えないし、すべてを疑っており自分が経験したことしか信じられないので、若いころから海外を放浪したりして経験を増やして言ったのだという。

 ということで、外側からの情報に支配されないように、夜はネットやテレビを控えて「何もしない時間」をつくるように勧められた。

 「とにかく外側からの情報に支配されないようにした方がいいよ

 I先生は基本昼間はパイプを片手に座っているということだけど、夜も20時から午前一時くらいまでの時間はひたすら座っているということだった。(瞑想をしているという意味ではないみたいです)
 僕はそこまでじっとしているのは辛いが、夜数時間はBGMを流しながらそういう時間にあててみようかと思った。

 そういう日を数日続けると、夢見がダイナミックになって動きが激しくなった。
 エネルギーが出口を求めて動いているのかもしれない。
 煮詰まったエネルギーをテレビを見たり、レジャーに出かけたりして逃がさないと、それは正しい抜け道を見つけ出すという。

 「他のことに逃げていると、今自分がわかるべき答えにたどり着けないからね

  あと、ネットに接続しても、アセンション系や、政経ブログなどは当分避けておこうと思い、AmazonとMIXIと自分のブログくらいしかお気に入りに入れなかった。基本的にいろいろな情報がぶつかり合ってる場所や、何か不安を煽るようなものはパスしたい。
 外側の情報に夢中になっていると、内なる声が聴こえなくなってしまう。必要な情報は、何もしなくても神様が知らせてくれると信じたい。 

 ネットは、現在のシステムを構築するマトリクスから精神を開放してくれるものかと思っていた。
 しかし、それはもうひとつのマトリクスでもあるのかもしれない。
 あらゆる情報が浮かぶ海に、とらわれた意識となる可能性がある。
 プラグを引き抜くには、ログアウトして、ただ自分自身と向かい合うことも重要だと思う。
 自由とは結局、支配されていない状態なのだから。

 個人セッションに行く途中僕の頭の中に、

 「Oh.I'm Alien I'm legal alien.....」

 という曲が流れていた。スティングの「イングリシュマンインニューヨーク」ではなく、それをアレンジした「ジャマイカン イン ニューヨーク」だった。

 それを歌って見せると、笑って「M君もエイリアンなんだね~」とI先生。

 



2009. 10. 03  
  ブログ読者の方にノートPCをいただいたので、またネット使えるようになりました~☆
  ありがとうございます。
  
  しかし、情報疲れしていたようなので、もうしばらく情報を積極的にシャットアウトしようかと思います。そういう意味でまさしくPC君はナイスタイミングでぶっ壊れました。
  時期を見て、ネタが思いついたらまた何か書いてみます。
  
  見ざる
  聴かざる
  言わざる 

  これ三猿の知恵。
  別名、モンキーマジックと言います(嘘ダァ~♪(≡∀≡σ)σ)

  

  三蔵法師がむにゃむにゃ呪文を唱えると、悟空の頭のわっかが締まって、大変な目にあいますが、これも法師の愛情ですね。悟空のモデルというのは奉仕と献身の化身ハヌマーンなのでしょうか。

  情報に支配されていないときに生まれるこころの自由がある。 
  内面の声に耳を澄ますことのできる環境が大事。


プロフィール

はいたか鳥

  • Author:はいたか鳥
  •  Only in silence the word,
     only in dark the light,
     only in dying life :
     bright the hawk's flight on the empty sky


     ことばは沈黙に
    光は闇に
    生は死の中にこそあるものなれ
    飛翔せるタカの
    虚空にこそ輝けるごとくに

    ゲド戦記 エアの創造より


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