2009総集編下半期

 8月

 箱根旅行に行って、調子が変になり、生活スタイル変更を迫られる。

 おかげで新しい照明と、植物と、静かな時間を持つことが出来きた。
 環境の重要性。 

 ダブルバインド→一なる愛へ

 掃除、薔薇とサボテン

 生きているもの

 生命の標準時

  場の思想
 
 新しいあかり

 ネイティブアメリカンの知恵

 9月

 自然とのつながりを重視する文化や教えに興味が行く。


 ネイティブアメリカンの知恵②

 ネイティブアメリカンの知恵③

 ネイティブアメリカンの知恵④

 ネイティブアメリカンの知恵⑤

 バクタ、サークル、信頼

 チャクラブリージング

 ネイティブアメリカンの知恵⑥ホピの創造神話

 ホピの創造神話は前回の宇宙サイクルからの記憶を持ち越してるのかも。

10月

 Alien in Tokyo

 人間には、インサイダータイプとアウトサイダータイプがいる。

 キと視覚
 
無為の効用
 何もしない時間て結構豊か。 

 11月

 瞑想する!・・・かも

 えーあんまりしてませんかも。。

 ダリアと、カード百花繚乱、マウイ

 なぜかマウイ。カフナについて調べてみようか。

 好きな歌①

 12月

 あわただしき帰省①
 あわただしき帰省②
 あわただしき帰省③

 いつもながら見るもの、聴くもの、濃い。
 ちなみに実家の結構近くには、タクシー怪談(かごぬけ型幽霊)発祥の地と言われる深泥池(みどろがいけ)が。
 名前がすでにかなりキモピ悪い(´∀`)

 『レヒーナ』について① 
 『レヒーナ』について② 

 メキシコを目覚めさせるために、生きたアバター、レヒーナの物語り。
 そのリアリティと、それが暗示させる全地球的目覚めについて考えさせられる。
 本の表紙にグアダルーペのマリア。

 メキシコ発新型‐太陽の道ツアー‐レヒーナ なにか見えない糸でつながっている。

 続いて、画像ギャラリー

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このブログの地図 | コメント(7) | トラックバック(0) | 2009/12/28 21:55

2009総集編上半期

  1月

 御来光2009 御岳山

 御岳山で初日の出を迎える。

 女神の性質シリーズ

 これは、なんか来て、書くのがとまんなくなった(?)前日天河の階段のぼる夢見る
 
 2月

 二二(ふじ)の日のふたつの噴火

 2月2日に、浅間と桜島噴火。火の活動(地殻変動)スタートのサインかと。 

『火』の型?、伊勢と富士

 旧首相邸炎上など、戦後政治体制に変化の兆し。

 3月

 今回の人類史を一日に例えると。

 歴史を一万三千年周期とすると、イエスの登場は午後10時ごろ。

 △コネクション

 △と▼と「3」が気になる一年。詳しくは、女神の性質シリーズに。

 3月28日修道会①
 3月28日修道会②

 個我の性質、ユダは実は覚醒していた??など。

 4月

 頭痛とアセンション系講演会

 頭が痛くなるので、もうやめようと思った。

 ミゼリコルディアセミナー

 姫乃宮亜美さんのセミナー。

 室生寺、太陽信仰、龍穴のシンクロ

 いくつかのシンクロが重なり、姫乃宮さんのツアーに参加することに。

豚インフルエンザに騒いでた記事

 ぎゃーついにきたー!うわー!的な記事。

 豚インフルエンザを陰謀的に考えた記事

 まー陰謀じゃないですか?(笑

 5月

 アクエリアスエイジのグル

 カスタネダ『沈黙の力』詩と死

豚第2ステージ?、岩戸、AHさんの話し

 春のリトリートその1
 春のリトリートその2
 春のリトリートその3

 福島猪苗代で春のリトリート。
 焼肉してママに怒られる。

 6月

 太陽の道ツアー

 奈良の室生寺、桧原神社など巡る、姫乃宮亜美さんの太陽の道ツアー。
 最後にグアダルーペのマリアの絵をもらう。
 グアダルーペのマリアが来たあとに、メキシコで新型が・・という話しも。

 7月

 7月3日修道会、太陽の動き、マー戻る

 銀河鉄道の夜
 列島日食の日プラネタリウムで「銀河鉄道の夜」鑑賞、さそりの火の話しにあらためて感動。この歌好き。

 瞑想家山田孝男氏のアセンション論

 虹と蝕

 生まれて初めてあんな虹を見た。

 往生は決定と存知そうらえ。

 女神たちの沈黙

 
このブログの地図 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/12/28 11:18

『レヒーナ』について②

 師との日々、なぞなぞ

 レヒーナは中国の進軍から逃れて、かつて過去世の自分が修行していた美しい山あいの湖畔の洞窟で、ダライラマの側近で強力な霊視能力を持った師タグドラ・リンポチェと暮らし始める。
 夜明け前に修行の日課が始まる前、ダグドラ・リンポチェはレヒーナの寝室の前で自作の詩を詠じた。
 それは次のようなものだった。

 鷲の国に女王戻りて
 破るべし月の牢獄
 歴代の守護者、御前にあらわれ
 総力をあげ戦いの火ぶたは切られん
 街をさまよう夢遊病者その進む姿をみつめ
 助けを乞うただひとりの覚醒者
 極悪人と善人、御前に集い
 天空の水すべてを清めん

 いにしえの音、今に響き
 そを聴くはただ沈黙の中
 声届かぬときは生贄を捧げ
 その光、千年の道を照らさん


 ダグドラ・リンポチェは未来を見通す目を持っており、レヒーナにはこのなぞなぞの中に自分のダキニとしての使命が隠されていると思ったがその意味はまだわからない。
 彼女の修行は、川や樹や昆虫などあらゆる生き物と対話することや、神聖なシンボルを観想することなどから成っていた。
 レヒーナが17歳になった時、師は「なぞなぞ」のヒントを彼女に教える。

 「鷲の国」とはかつてそうう呼ばれた、彼女の母国メキシコをあらわしていた。

 「アクエリアスの時代にはヒマラヤ山脈は休眠し、そのかわりにアンデス山脈が活動に入ります。ということは、アメリカ大陸にあるふたつのチャクラ、北米と南米のチャクラが両方とも十分に活動しなければなりません。北は南よりも常に活発に活動する傾向にあるので、いつも最初に動き出すのは北です。だからこの新時代に真っ先にやらねばならない神聖な使命とは、まずメキシコのチャクラを目覚めさせることでしょう

 師はレヒーナに言う

 「わしはダライラマの宮殿で初めてあった時に、お前のダルマカヤ(魂の本質)を霊視しこの眼で見た。お前はメキシコの女王じゃ。女王の役割はいかなるときも容易なものではないがお前のは特に難しい。
 アクエリアスの時代の最初の仕事はメキシコのチャクラを目覚めさせることだと言ったが、まさしくそれが出来て初めて、地球と言う惑星意識の成長が保たれるのじゃ。アクエリアスの時代、地球はアンデス山脈から吸い込む気をしっかり使う必要がある。
 そしてこれはメキシコのチャクラが活性化しない限り不可能なのだ。お前はメキシコの真の統治者なのだから、深い昏睡状態になる自分の国を目覚めさせるのはお前の務めだ


 メキシコのチャクラを活性化させ、国を目覚めさせるにはメキシコにあるふたつの聖なる山を目覚めさせることが必要で、そのためにはレヒーナだけがやれる儀式を行うことが必要であり、その答えは「なぞなぞ」の中に隠されていると師は続ける。

 「では説明してください。どうしてもわたしには解読できなかった、あのなぞなぞの意味を。『破るべし月の牢獄』とはなんですか?」

 「お前はいろいろな生き物を理解することにかけてはずいぶん進歩したが、人間とはほとんど付き合ったことがない。彼らを知るようになれば、人間を行動に駆り立てている動機がほとんど常に幻想だと言うことに気づくだろう。人間は完全に歪められた現実に踊らされて、苦しんだり、喜んだり、働いたり楽しんだり、愛したり憎んだりしている。
 人間は幻想の牢獄の中に生きており、彼らが特に好む夢のひとつはまさに『自分は自由だ』と信じることだ。その原因は何かと言うと、月なんじゃ


 「月ですって?」

 「そう。月は人間を自己欺瞞と集団幻惑にいざなう催眠術のような影響力をもっておる。だが常にそうというわけではなかった。精神が支配していた時代では、いろいろな国でこの催眠効果から逃れる方法が知られていた。
 それらの時代の賢明な為政者たちは、月が生み出す幻惑を中和させるための特殊な装置を開発したのじゃ。メキシコにも必ずこういう装置があるはずだ。形は常にピラミッド型で、その内部に恐ろしく強いマイナスのエネルギーを貯蔵する。それをプラスに転化させれば月の牢獄を破る力が生まれる。だからお前は国内にある装置の中で一番強力なものを見つけ出し、この変化を起こさねばならない
。」

 「でも、どうやって?」

 「その装置に蓄えられたエネルギーを転換するには、まず最初に装置を作動させねばならん。これは強力な二極性をつくることで達成される非常に高度な意識を持った人間がそこにあらわれるだけで、ただちに二極性が発生するのじゃ。
 メキシコは死んだように眠った状態にあるが、その住人のすべてが歩く死人というわけではない。国内に四人生きた人間が存在するだけで、どんな装置でも動かすことは出来る。もしこの四人がいるとすれば、その夜最大の装置のところでお前を待っているはずじゃ


 装置を作動させることで、地球を支配する「月の牢獄」の影響力を一時的に消去することが出来る。
 そのことにより多くの国民が目覚め、レヒーナの存在に気づき、メキシコを目覚めさせると言う彼女の使命に協力してくれるだろうと師は言った。

 「さっきも言ったように、今は世界中どの国でも人間は眠ったような状態にあり、『夢遊病者』と同じなのだ。月の牢獄が破られたと言う証拠に彼らがお前の姿を認めるようになる、つまり高度な霊性を持った人間の存在に気づくのじゃ。それが起こった時に『ただ一人の覚醒者』、すなわちこの哀れな状態から抜け出すのをお前なら助けられると理解した人物が、助けを求めてくる。さらに、極悪人と善人の集団がお前に惹かれて一箇所に集まり、無意識のうちにお前に協力する。その時こそ、メキシコを覚醒させる儀式が始められるのじゃ


さらにダグドラ・リンポチェは、なぞなぞに隠されたメキシコを目覚めさせるために必要な「儀式」についてレヒーナに説明する。そして、儀式に必要な神聖な楽器を鳴らす修行をするために中国へ行くことを命ずる。侵略を目の当たりにしたレヒーナは中国に対して圧倒的な悪感情しか持っておらず、それを拒否する。

 だが、その翌日突然の師との別れが訪れ、彼女は中国へと向かうことになる。
 中国で楽器の修行を修めたレヒーナは、母国メキシコで、それぞれマヤ、オルメカ、サポテカ、ナワトル文明の伝統を守護してきた4人の『本物のメキシコ人』たちと、ティオティワカンの月のピラミッドにてめぐり合い、やがてメキシコを目覚めさせるという彼女の使命が、多くの民衆を巻き込みつつ動き始める・・・。


 (あらすじ、以上。このあとは興味ある方は是非読んでくださいな)

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   ティオティワカン 月のピラミッド


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 死者の大通りから太陽のピラミッドを臨む

アセンション考 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2009/12/20 11:53

『レヒーナ』について①

 メキシコから来た『ダキニ』

 アントニオ・ベラスコ・ピーニャ著の『レヒーナ』はメキシコという国を覚醒させるために生を受け、その目的のために命をささげた一人の驚くべき女性の物語だ。
 あまりにも感動的な物語と、壮大な世界を描いているために多分何も知らされずに読めばこれはフィクションだと、多くの人がみなすのではないかと思う。
 だが著者の語るところによれば、これはすべて現実で、レヒーナ(女王という意味を持つ)も実在した。そして彼は、「証人」としてレヒーナと共に行動し、目撃し、彼女の人生の経緯を聞き、それらを記録したという。

 レヒーナは、一種のアバターのような存在として1938年の春分の日にメキシコで生を受けた。
 彼女の両親は、母がレヒーナを妊娠する前に、インドのシャジャンプールの寺院を訪れ、チベットのラマ僧ツァンゾ・ツァンパという人物と出会う。ツァンゾ・ツァンパはチベット国内で第二の勢力を誇るセラ寺の長老だった。

 彼はまもなくこの両親の子供として、霊界の高い存在が下生するという印をふたりの間に見る。
 この時夫は、52歳、妻は43歳。それまで子供を望んでいたが恵まれることはなかった。
 だがツァンゾ・ツァンパ師は、その誕生を保証し彼女をチベットで教育したいので、夫妻がチベットに移住しそこで出産することを強く勧める。しかし妻はもしその予言が本当であるならば、誕生はメキシコで迎えたいと思い、その旨を長老に伝える。
 ツァンゾ・ツァンパ師はそれを承諾し、まだ妊娠もしていない子供のために自筆の署名と、チベット政府認印入りの通行証を夫妻に届けた。これは孤立主義を貫いていたチベット政府としては破格の待遇だった。
 そしてメキシコに帰国して三ヵ月後、妻は夫に妊娠を告げた。
 
 誕生後レヒーナと両親はツァンゾ・ツァンパ師の勧め通り、チベットに移住した。
 彼女は2歳の時にまだ若きダライラマ・14世(現在の転生者)と謁見する。
 この際、ダライラマの側近の筆頭で、また最高の霊視能力の持ち主であったタグドラ・リンポチェがダライラマに擦り寄ると耳元に何かささやいた。それを聴いてダライラマはこう言った。

 「宰相の特殊な霊能力のおかげで、今この瞬間、本物のダキニに拝謁するという大変な光栄に浴しているということがわかりました。表敬を受けるのはチベット政府の私どもではなく、あなた方です
 
 王座を降りたダライラマは、まだ母親のスカートにしがみついている二歳のレヒーナのところに歩み寄り、そっと抱き上げた。
 ダキニとはチベット語で「カドマ」とも呼ばれ、女性の姿をした天界の住人で、ある目的を果たすために一定の期間だけ人間になるとされている。

 ヒマラヤの休息と、アンデスの目覚め

 レヒーナがまだ幼い時に、ヒマラヤ山脈でももっとも神聖な山とされるカイラスでクンバメラという儀式が行われる。これは霊性の発達した僧たちが、山が宇宙からエネルギーを取り入れる呼吸運動に参加することで、地球と言う惑星の内的進化を促す、という目的を持っていた。

 地球には大きな取入れ口がふたつあり、それはヒマラヤとアンデスだと言う。
 このふたつのどちらからエネルギーを取り入れるかはおよそ2000年ごとに交代しており、新しいアクエリアスの時代においてはそれがアンデスのマチュピチュに移動する。だから12年ごとにカイラスで行われていたクンバメラの儀式はこれが最後となるのだった。

 中国の侵攻
 
 幾世紀も前からチベットの占星術師は、第十六周期の庚寅(こういん)の年である1950年にヒマラヤは長い眠りに入ると予言していた。これは不吉な兆候とされ恐れられていたまさにその年、隣国中国がチベットに侵攻を開始した。
 ダライラマをトップとするチベット政府中枢部は、侵略者には一切抵抗せず、首都ラサを脱出するという選択をする。民衆もそれに続き、ラサは無人の街と化した。
 レヒーナの両親はメキシコ帰国を考えたが、ツァンゾ・ツァンパ師に引き止められ、山岳地帯にある安全な僧院に非難し事態を静観することにする。
 僧院へ向かう途中、周りは悲嘆にくれる民衆のキャラバンでいっぱいだった。
 レヒーナはそんな絶望感あふれる空気の中でメキシコの童謡を愛らしい声で歌いだす。

 ♪胡桃の殻の小さなお船
 紙で作ったマストを飾り
 大海原に乗り出した
 金色の蜜のしずくを
 遠い港に運ぶため

 船長さんは勇敢な蚊
 舵取りならまかせとけ!
 波間を上ったり下りたりしながら
 小さなお船はもう出て行った

 怖がらないで航海するのが
 一番いいのさ
 震える理由はなんにもないよ
 真っ黒い嵐が来たら
 笑え、笑え、口笛を吹け!

 小さな蚊はご機嫌で
 遠い南の海を進んでく♪


 歌詞の意味もわからない異国の歌を聴くと、まわりのチベット人は突然エネルギーにあふれ勇気と希望を感じ始める。やがてそれに続くようにたくさんのチベット語の歌声が響き渡り始めた。
 幼いレヒーナの歌った歌は、まさにチベット人の運命とその世界への役割を暗示しているかのようだ。

 グアダルーペの聖母とターラ女神

 レヒーナはラマ僧の指導の下、マントラを唱えるなどの修行をしていたが、ある日それが彼女の母シラトリの胸中にくすぶっていたわだかまりを爆発させる。シラトリは敬虔なカトリックで、いかなる宗教教育も行わないという条件で、わが子の教育をチベット人にまかせていた。
 しかし実際に行われているのは宗教教育以外のなにものでもないという結論に達した彼女は、娘の修行を打ち切り、メキシコ帰国すると言う決心をした。
 それを伝えられたレヒーナは、壁にかかっていたグアダルーペの聖母の肖像画をつかむと、部屋を飛び出していった。

 グアダルーペの聖母はメキシコで広く侵攻されている女神で、1531年テペヤックの丘である先住民の前に数回出現し、その地に教会を立てるように要請した。聖母を目撃した先住民ファン・ディエゴのマントには光り輝く聖母の肖像が浮き出したと言われている。

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 聖母の肖像をつかんで飛び出したレヒーナは、ポタラ宮殿の中の小さな礼拝堂で発見される。そこにはチベットで信仰されるターラ女神のタンカが祭られていたが、幼いレヒーナはそこで一心に祈りをささげていた。
 ターラ女神もやはり聖母のような母性愛を備えた存在とされている。
 ターラ女神のタンカの脇には、グアダルーペの聖母の肖像画が並べられていた。
 レヒーナはその前でひざまづくようにして、声をかけるのもためらわれるほど祈りに集中していた。

それはレヒーナの、かたちはちがっても女神たちはすべて『聖なる母性』の現れであるという訴えであったのかもしれない。
 やがて神聖な礼拝堂に、異教の女神の像を持ち込んだことがそのお堂を管理する老僧の逆鱗に触れることになるが、その僧も一心に祈るレヒーナの姿にこころを打たれ、彼もターラ女神とグアダルーペに祈るようになる。


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アセンション考 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/12/19 12:37

好きな歌②

 Beatlesの『Across the universe』

 聴いた時に、 「Words are flowing out like endless rain into a paper cup,」

 という言葉とイメージのマジックにこころをさらわれる。

 紙コップのなかに落ちてくる絶え間ない雨・・・・不思議に心休まるイメージ。

 単調にさえ思えるメロディのなかに 「Nothing's gonna change my world」(何も僕の世界を変えることは出来ない) 「Jai guru de va om」(わがグル、神に勝利あれ オーム)という言葉が繰り返される。 

 この穏やかさと、コズミックな雰囲気。

 ジョンレノンは、天性の感覚と、サイケデリック体験、またインド精神文化とのかかわりの中でおそらくなにかをつかんでいた。それが結実した曲のひとつが「Across the universe」ではないか。




 Words are flowing out like endless rain into a paper cup,
 They slither while they pass, they slip away across the universe
 Pools of sorrow, waves of joy are drifting through my open mind,
 Possessing and caressing me.
 Jai guru de va om
 Nothing's gonna change my world
 Nothing's gonna change my world
 Nothing's gonna change my world
 Nothing's gonna change my world


 (言葉たちは紙コップの中に絶え間なく落ちる雨粒のようにあふれ出し
  すべるように動いて通り過ぎ、宇宙を渡っていく
  悲しみの海、歓喜の波は僕の開かれた心を漂い
  僕を虜にし、愛撫する
  ジャイ・グールー・デ・ヴァ・オーム
  どのようなものも、僕の世界を変えることはない
  何も僕の世界を変えることはない
  
  Images of broken light
  Which dance before me like a million eyes
  They call me on and on
  Across the universe
  Thoughts meanderLike a restless wind inside a letter box
  They tumble blindly as they make their way Across the universe

 
  (百万の目のように僕の前で踊る
   砕かれた光のイメージ
   それは僕を誘い宇宙を渡っていく
   思考はポストの中の落ち着きのない風のようにさまよい
   でたらめに転がりながら宇宙をめぐる
   ジャイ・グールー・デ・ヴァ・オーム
   わが導師、神に、勝利あれ
   どのようなものも、僕の世界を変えることはない
   何も僕の世界を変えることはない)

  
  Sounds of laughter, shades of earth
  Are ringing through my opened views
  Inciting and inviting me
  Limitless, undying love
  Which shines around me like a million suns
  And calls me on and on
  Across the universe
  Jai Guru De Va Om


  (誰かの笑い声と 地球の影が僕の開かれた心の目に鳴り響き
   僕をそそのかし 招き寄せる
   限りなき 不滅の愛 
   それはまるで百万個の太陽にように僕の周りで輝き
  絶え間なく僕を誘う 宇宙を渡って
   
   ジャイ・グールー・デ・ヴァ・オーム
   わが導師、神に、勝利あれ
   どのようなものも、僕の世界を変えることはない
   何も僕の世界を変えることはない
   何者も僕の世界を変えることは出来ない・・・

   ジャイ・グールー・デ・ヴァ
   ジャイ・グールー・デ・ヴァ   ) 


   ジョンレノン自身、本当によい歌はメロディがなくても歌詞だけで歌詞だけでその価値が見出せる歌。アクロスザユニバースはそれに該当する」と言っていたらしいけど、確かに一流の詩人のインスピレーションがきらめく歌詞だと思う。

 こっちはビートルズが傾倒していたTM瞑想のヨーギも一緒に登場するバージョン

 

 別アーティストのカバーバージョン
 多分、Nothing's gonna change my worldの部分を映像化して表現したのだと思うけど
 若干、笑ってしまう。
 が、暴力事件の多い欧米では切実な表現なのかと思ったり・・

 

 Across the universe
 
 歌うと、安らぎと開放感に包まれる歌。



私的雑記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/12/17 12:45

あわただしき帰省、あるいは京都不思議紀行③

 12月8日

 東京に帰る前に仙女(母)の車で、大原方面を回り、九頭龍神社と、寂光院、三千院に行った。
 実家などでいろいろ話しているうちに母が良く自然の声を聴くような体験をしていることに気づいた。
 ある一本の樹がなにか呼んでいるような気がして、行って見ると針金がぐるぐる巻かれていたりして、それをはずしてやった?とか、公園に行くと小鳥たちが「いらっしゃい、こんにちは」と言うのをはっきり聴いたとか(´゚∀゚`;)
 そういうのは太極拳とか気功をしているうちに研ぎ澄まされてきたのかもしれないけど、自然に対する感性がもともと鋭いのかもしれない。
  
 母方の何代か前に、疳の虫封じ師みたいな人がいたらしいが、実家の近くの三宅八幡神宮がやっぱ、疳の虫封じで有名でちょっと不思議。

 九頭龍神社で、松の木があったので、松葉をとって口に入れ「あ、これはおいしいわ~~」と。
 僕も母に付き合って、松葉を食べることには慣れているので、2、3本いただいてみるがさすがにうまいかどうかはわからん(笑)松の実は常に実家には常備されている。(←これは結構うまい。酒のつまみにもなるんじゃないかな)

 寂光院。
 ここは594年に聖徳太子が父である用明天皇の菩提を弔うために建立したとされる尼寺。
 平清盛の娘、建礼門院徳子が壇ノ浦で滅亡した平家の菩提を弔い、終生を過ごした地でもある。
 平日で紅葉もほぼ終わってるので人も少なく、道に敷き詰められた紅葉のじゅうたんがきれいだった。
 足もとにある紅葉って言うのもいいんじゃないかな。

 三千院。
 こけのなかで転がっている石仏(?)が愛らしい。
 ちょうど太陽の光が、二体の石仏を照らしていた。

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 お堂の中を歩いていると、お札を売っているコーナーに目が

 おおっ!

 昨日見たなぞの存在がぁぁ!

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 説明書きを読むと、これの正体は比叡山延暦寺中興の祖、良源とのこと。
 別名元三(がんさん)大師とも呼ばれてる。おみくじの創始者という噂も。
 この鬼のような姿は元山大師の化身した姿で、「角大師(つのだいし)」と呼ばれ大師が鬼の姿に化して疫病神を追い払った時の像であるという。角大師の像は、魔除けの護符として、比叡山の麓の坂本や京都の民家に貼られたのだという。

 なんだ~偉いお坊様だったのか。すみません細菌とか言って゚(PД`q。)゚。

 三千院を建立した源信が、良源の弟子であったのでお寺でお札が売られているのかも。
 子供の頃は軒下にこんなお札が貼られてるこの駄菓子屋はなんなんだ?

 もしや、悪魔の駄菓子屋 (なんだそれ)か!? 

 と結構怖かったような気もする。
 が、謎が解けた。
 厄除け、つまり魔から守ってくれてたんですね。
 いやー姿に惑わされてはいけないですね。

 三千院はとてもきれいだったけど、時間が押しててゆっくり見れなかった。
 また別の季節にでも来てゆっくりしたい。
 18までしか京都にいなかったし、ゲームや本が大好物だったので、ほとんど何があるかとしらなかったけど、最近やっと京都もなかなかいいなーと思い始めた。地元民なんてこんなもんだろうか。  
 
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 この辺だと即身仏が祭られている阿弥陀寺なんかも、すごくいい雰囲気だ。
 最近は見れないようだけど、昔は即身仏も間近で見ることが出来て、なかなか怖かった。
 すごく静かで、座敷で勝手にくつろげるし夏もひんやり涼しい。
 隠れたオススメスポット。
 このあたり南無阿弥陀仏な浄土のお寺が多い。
 阿弥陀とか浄土とか 南無阿弥陀仏 って響き、好き。

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 古知谷阿弥陀寺情報2

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 扉の前で、座る飼い猫クロ君。
 彼はこの扉が夏へとつながってると信じているのだ(誰かこのネタわかって)・・・じゃなくてエサをくれる人が来るのを待っている。
 もういい加減じいさんだが、かわいい。

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私的雑記 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2009/12/13 11:27

あわただしき帰省、あるいは京都不思議紀行②

  12月6日続き 

 弟の部屋で濃い話しを母と3人でしたあと、出町柳から京阪電車に乗って、大阪の枚方(ひらかた)市まで。
 駅の改札で友人のS君と待ち合わせ。
 約6年ぶりの再会。
 駅前の笑笑へ入る。日曜日の夜と言うこともあり、客他にゼロ。
 S君は昔実家の隣の家に住んでいて、よくお互いに部屋の窓から出て屋根から、隣家の屋根に飛び移って部屋を行き来していたこともあった。
 中高と一緒に学校に行っていたけど、一緒に学校をサボったことも数知れずあった。
 寒い冬に自転車で登校中、氷にすべってつっる~~ん♪と自転車ごと転倒し、めっきりブルーになったあとどちらからともなく、

 「やめるか?」

 「やめようか」

 という話になり、S君の家に戻って半日テレビゲームをしたり、くだらないボードゲームをしたりして過ごした。
 結果S君はイエローカードをたくさんもらい、僕はあと一日休めば単位を落とし留年するというレッドカードをほぼ全教科獲得した。えっへん(僕は昼休みに、グラウンドのフェンスに開いた穴から何回も勝手に自主早退していたので)
 僕はS君は将来フリーターになるのではないかと思ったこともあったが、現在理学療法士として働き、二人の子供のパパになっており、どちらかというと僕のほうがフリーターである。
 なかなか家庭があるとこちらから連絡をするのがはばかられるというのもあり、ここ数年会っていなかった。

 でも夜の黙想中にふとS君のことを思い出し、昔を回想し、ああ、やっぱあれって友達やったな~と感じひさしぶりにメールをしてみたことがきっかけで会うことになった。

 卒業したあと、僕は高知の大学へ、S君は大阪の専門学校へ進路が決まり二人とも家を出ることになった。
 僕が高知へ行く前に、S君と、もうひとり共通の知り合いのH君という人と一緒にS君の部屋で初飲みをした。
 3人とも酒に慣れてないので、べろべろになるまで飲んだ。
 S君が酔いつぶれたH君のズボンをおろして、「こいつのち●こ、めちゃくちゃでかいから見てみろって~」と言い出して、僕もどれどれと見物し「あー確かに、確かに」「な、そうやろ」とぐでんぐでんの意識でH君のいちもつを二人で見ていた記憶がある。
 S君はH君のいちもつに「S参上」とマジックで落書きをした。
 そのあと、自分の足で歩けないH君を二人で家まで送り届け、実家の前でしばし立ち話した。
 どんな話しをしたのか覚えてないけど、18の身空で生きることに対して超悲観的になったまま一人暮らしをはじめようとしている僕を励ましてくれたような気もする。

 「頑張るしかないよなあ」と言うとS君は

 「当たり前やんけ」と言っていた。

 きれいな細かい雨が降ってた3月の夜だったことは覚えている。
 そのあと大学のときは、孤独な時間を過ごすことが多く、その孤独を掘り下げるしかなかった結果、自分の世界が出来ていった。そのすべてを今S君と共有することは出来ないかもしれないが、10代のときの共通の記憶を持っているということ自体がとても貴重なんだな~といろいろな話をしながら思った。
 という風に感じるのはやっぱ少し大人になっちゃった(年取った)せいかもしれない。 

 二人の子供になつかれて、両側から抱きつかれて眠るという話しを聴き、この先もできるだけいっぱい子供たちとの幸せな時間を楽しんで欲しいなと思った。
 お互いに与えられた、人生の望みとそして現実の中で、その形は違っても、どこかでつながっているものを感じた。

 「楽しかったわ~」

 と言ってくれるS君と
 駅で握手して、手を振ってそれぞれ別のホームに向かった。
 

 12月7日

 家族別々に住んでるので、今夜は父の家に、弟(下)と母となべを囲む。
 父の書棚には、相変わらず霊界関係のものが多い。
 おー丹波哲郎もある。
去年くらいに注目を集めていたリサ・ランドールの宇宙論の本とかもなにげにあった。
 僕は読んだことがないので、「シルバーバーチの霊訓」なるものを手にとってぱらぱらめくってみた。
 父親が

 「それ嘘やろ?」と言う。

 「嘘と言う割にはたくさん、集めてるな・・・」

 「いや嘘やていうことがわかってきたわ」などと言うが、去年も同じようなことを言っていた気が。

 弟が、彼の師匠超人M氏に会って、僕が『神様と共に生きたいと思っている』と言ったという話しをしたらしい。
 以前、超人M氏に弟が『兄は悟りを目指してます』というと、「それは厳しい、難しい道やね」と
言ったらしいけど、今回は『それはええ方向に行ったはるな~』というコメントだったらしい。

 正確には悟りを目指してたことははないかもしれないけど、体験に固執していた時期はあったかもしれない。
 M氏に会ったことはないが、ちょっとうれしくなったりした。
 弟が父のPCを立ち上げて、M氏の動画を見せてくれた。
 M氏がやる予定の英会話教室のプロモーションビデオだった。
 うーんと唸らされる。
 英語はもちろんすごいのだが、ネイティブ的な表現力とか、演技の才能、存在感がいかしてる。
 かなりかっこいい感じだ。

 それがこれだっ!1,2,3

 

 ちなみにこれ撮影して字幕つけたのは、弟
 ええ仕事しとるな~(笑)
 
 「ネットで受講できるんやったら、やってみたいなー」と僕が言うと

 「訊いてみようか?」と弟

 いろいろ出来るけど、「こころがすばらしいんや」と弟がM氏のことを語る。
 氏が洗礼名をイエスの父であるヨセフにしたのは、もっとも神秘的なところのない人間的な人物であったからだと言う。

 その後、弟と父が量子力学について、いつ終わるともしれない議論をし始め、時間いっぱい終了となった。

  それにしてもこの瀧セージなる人物、いつかメジャーデビューするのではあるまいか。

  瀧セージの英会話教室 SECOND FLOORはこちら(京都です)

  コース案内 (かなり激安)

 ここらへんにポリシー感じる↓よくある質問より


 キッズ英会話はありますか?また、これから開設する予定などありますか?

答→ありません。SECOND FLOORでは、幼年期におけるバイリンガル教育は百害あって一利なしと考えます。なぜなら外国語で思惟思索する能力は母語が確立している状態で可能だと考えるからです。幼いころに両言語をある程度話せるということは、深く思考する言語がない状態で大人になるということです。SECOND FLOORは、幼児期の英会話教育に関して警鐘を鳴らし続けます。

 

私的雑記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2009/12/09 20:56

あわただしき帰省、あるいは京都不思議紀行


 三日ほど京都へ。
 帰るたびに個性の強い人たちと話し、濃い話しを聴くこととなる。

 12月4日

 夜勤明け、I先生の吉祥寺の瞑想会に出る。
 その後一旦帰宅し、夜22:30の高速バスで→京都へ。
 なかなか眠れないまま早朝6:20頃京都駅着。
 地下鉄に乗って実家へ。

 夜に母が仙道の奥義を教えてもらったという師匠の話しを聴く。
 この師匠とはヤフオクで本を買うときにメールのやり取りをして出会ったらしい。
 人をふっとばしたり、体外離脱をしょっちゅうしている人のよう。
 この師匠Aさんは、師匠Bさんからそれを伝授されたということだけど
 師匠Bさんは東大を主席で卒業したあと、中国に渡り、気功や武術を学ぶ。
 が1960年代の文化大革命により中国政府に監禁される。
 その後、日本に戻ってきたらしい。
 そして、師匠A氏らを指導していたと言う。
 奥義というのは複雑なものではなく、ちょっとした体の角度とかそういうことが大切なようだ。
 よくその師匠Aさんは霊界(?)に行ってるらしいけど、面白かったのは
 母がお礼に果物やお酒でも送ると、そのこと言う前に
 「昨日霊界に行くと、仙女が果物をくれた」とか「お酒をくれた」とかメールで言うらしい。
 なんかもろにあっち側がこっち側に転写されてまっせーというというのを語るような話し。
 今は交流はないようだけど、その出会いによってずいぶん気功の修行が進んだようだ。
 
 12月6日

 運動のため、実相院まで歩く。
 実相院は京都市のかなり北のほうに位置しているけど、実家からは歩いて2、30分程度。
 この前朝のテレビで、実相院の紅葉が映っていたから行ってみようかと。
 帰り道、よく10歳くらいの頃に行った駄菓子屋さんのような家の前を通る。
 一見普通の民家なのだが、中に入るとお菓子を売っているのだ。
 今はやっていないようだったけど、その家の軒下にお札のようなものが貼ってある。

 あーあれ昔から貼ってあったなあ。ところでなんだよあれは!?

 と思い、ほとんど敷地の中に入ってそのお札を観察した。
 というのはそのお札のデザインが変わっていて、なんか悪魔か細菌を漫画にしたような姿が描かれている。
 こんなの↓

 091209_1108~01


 子供心にこれって、神様??それともよからぬもの?という印象があってだから記憶に残っていたのだと思う。
 無意識下のモヤモヤスポットであったのだろう。

 この日は大阪に住んでいる友人に会いに行く予定だったので、途中の出町柳駅まで母に車で送ってもらう。
 途中で弟のアパートに立ち寄り、3人で2時間ほど話す。
 前にも少し書いたかもしれないが、弟は数年前後頭部をかたいもので直撃された時に、なにか神秘体験をしたという。それは愛が何であるかわかるというような内容だったらしい。
 それ以後弟の精神性や雰囲気が、明らかに違うものになっているような印象を受ける。
 その時に宇宙の仕組みのような図が降りてきて、それをノートに書きなぐったらしいが、のちになってそれは幻想であったということがわかりとらわれなくなったらしい。

 弟には大変尊敬して、いろいろなことを教えてもらっている、M氏と言う人がいるが我が家では『超人』と呼んでいる。というのはこのMさんと言う人は、語学や、武術、音楽、演劇などをほぼ独学でほとんどプロの域にまで達しているからだ。語学は数ヶ国語を操り、歌はメタル系のライブの録音を聞かせてもらったけど、僕の耳にはほとんどプロに聞こえた。武術は本を読んで自分で修練しただけでどこかの大会で上位に食い込む。気で、ガードレールを曲げる。学歴は中卒らしい。
 なんか書いてるだけで、非現実感を感じてくるが、このような能力だけではなくカトリックの敬虔な信者でもあるという。

 しかしこのM氏の話を聴いていると、ぼけーっと時間をすごしてることが多い僕は比較してマーヤになってくる。
 
 弟は作曲用ソフトを使ってなにか曲をつくってるのを見せてくれた。
 M氏は今『ルネサンス講座』なる、語学や作曲法や自分が習得した多岐にわたるものを教える講座を考案中ということだった。弟の作った曲にM氏がアレンジした楽譜を見ると、なんか複雑な記号がたくさん付け加えられていて素人の僕はそれだけでも驚いた。

 その後聖書の黙示録の部分を広げて、どのように読むのが妥当かと言う話しをした。
 弟はこれは

 「イデアの世界で起こってることを書いてるから、そのまま現実にあてはめたらあかんわ~

 と言っていた。そういう読み方もM氏に教授されたのだろうか。
 言うことはもちろんわかるのだが、イデアの世界で起こることは現実に転写されるというのも事実であると思うので、このバビロンの崩壊とはアメリカ帝国の崩壊に違いないなんていうトンデモ自説を披露したりもした。
 しかし、ようするに「魔霊のすみか」となる場所が、それが個の内面であれ、もっと大きなシステムであれ壊れていくということがこの黙示の趣旨には違いない。
 あと、過去の行いが現在の状態を作り出している、カルマ論についてちょっと冷たい感じがすると弟が言うので、僕はなんせあれは

 「小泉・竹中自己責任論のカルマ版やからな~」と言ったりした。何かの体験をした弟はカルマ論よりむしろ、みこころ論や神を想定する方に親しみを感じているようにも見えた。
 
 僕が前日の瞑想会で、I先生が「悪いことをどうしてもしたければ、悪魔に魂を売った気持ちじゃなくて、純粋な気持ちで悪いことをすること」と言っていたという話しをすると

 「それはええ師匠についてるなぁ~」と弟。

 「でも兄貴は、いろいろわかってるのに、それ以上どうしたいんや?」という。
 
 僕は別にぜんぜんわかっちゃいないが

 「神様と共に生きることが大事やと思ってるからな。体験を求めてないといったら嘘になるけど」と言っておいた。





私的雑記 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2009/12/09 12:44
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