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『Insight』

  ある時『Insight』というCDが意識を誘導するのにとてもいいという話をある人から聴いて、時々アマゾンなどで調べて注目していた。

 先週土曜の修道会でも、音楽の話や、ヘミシンクの話しが雑談で出ていたので、あらためて「Insight」買ってみようかなーと思っていると、詳細は省略するけど、なんとうちにあった(´゚∀゚`)ボクのじゃないけど。

 レビューなどを読むとなかなか強力な脳波誘導ツールのようなのでこころして、寝る前に座椅子に座った状態でヘッドファンで聞いてみることにした。このCDは左右の耳に違う周波数の音を流すことによって「うねり音」を発生させそれによって脳波をベータ波→アルファ波→シータ波→さらにデルタ波まで誘導するという。 

  またその過程でモンロー研究所で開発されたヘミシンクのように、左右脳半球を同じ周波数で同調させる。

 CDの中には自然の雨音だけが入っている。
 雨音は気が滅入るという意見もあるようだが、僕はもともと好きなので抵抗はない。

 聴いてみて、本当に段階を経て意識が変化していくので驚いた。
 だいたい日々のよしなしごとを考えたり、予定や過去の記憶から活発に連想を働かせているのが、まあベータ波優位の脳波で普通に忙しく仕事してるとき、物事をコントロールしてる時はこの脳波が多く出ている。

 目を閉じて、瞑想状態が少し深まって来ると、僕の場合左脳的な活動は少し低下し、閉じた目の裏に青や紫っぽい色の塊が現れたりし始める。このときは多分アルファ波が優位になり、シータ波も混ざってきてるのかな。
 このあたりだと、子供の頃の記憶が鮮明に、感覚的によみがえって来たりする。

 そのあとこれより脳波というか、普通の覚醒レベルが低下すると『夢』が始まる。
 『夢』は普通の雑念とはちょっと違い、自分の日常とは異なった論理の物語や、思考が急に日常の思考と入れ替わる。アストラル体に蓄積されてるものが支配的になる。
 この境目を認識すると、夢の論理と、日常の論理の狭間でたゆたうことが出来る。

 まあ、たいていそのまま寝てしまいますが。

 あまり眠りと覚醒の狭間を観察したり、瞑想したりしたことがないと「Insight」を聴くとすぐ眠ってしまうかもしれない。というのは脳波の低下=眠り(無意識)という習慣が確立されてるかもしれないから。

 僕は「Insight」を聴きながら、ある段階まではよく感じる感覚で、瞑想とか眠る過程でリラックスしていく時に親しんでいるものだったが、ふと気づいた時いつのまにかすごく深く「潜って」いるのに気づき驚いた。あまり感じたことのない感覚だった。

 このCDはデルタ波まで誘導するということだけど、デルタ波の状態で意識を保っていた経験がなかったからかもしれない。
 途中まではなじみの領域をさらに深いレベルに向かって誘導されてるが、気が付けば

 (´・ω・`)モキュ??ここは・・・

 と知らない場所に来てしまったような感じだった。
 
 1トラック25分くらいで、それを聴き終わらないうちにここまで連れてきてしまうのはちょっとすごい。

 逆にスピーディー過ぎてなんか神経に負担をかけてないやろね?と勘繰りたくなる。
 (実際最初の一週間はトラック1の24分だけにしてください、と注意書きがあるんだけど)

 
 これはしかし、長期間練習しなくても、瞑想状態の心地よさを味わえる画期的なものかもしれないとも思った。

 面白かったのは、いろいろ『Insight』のことを書いてるブログとかを見てると、聴き始めにネガティブな感情や身体症状、いやな現象化が起こると書いてる人が何人かいるのを見かけたこと。あと悪夢を見るとか。

 ホラー映画では悪夢を見るのは大抵そのあと、化け物がやってくる前兆だけど、個人的には悪夢を見るとその後すっきり感がある。オーラソーマを使ったり、潜在意識に影響を与えるヒーリングを受けたりしても悪夢を見ることがあるので、無意識のエネルギーが解放されてると言う場合が多い。

 しかし、普段無意識の層(デルタ波が出てる状態)に意識を保持したまま入るというだけで、そういうエネルギーが解放されるというのは面白い。

 僕個人としては、そんなにネガティブが出てくる感じはしないけど、寝る前に聴くと朝起きたときに、一晩中夢を見てたような感じがして、ふーヤレヤレ┐(´д`)┌という感じになった。

 このCD、ちょっと作用が強すぎる気もするけど、面白いことは面白い。


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知覚、リアリティetc | コメント(2) | トラックバック(0) | 2010/01/25 17:20

半眼歩行と広い世界(-人-)

 なぜかよくわからないが、ヘルパーの仕事で国立へ行く時は、利用者の人の家まで半眼で、聴覚だけを澄ませながら歩いていくという習慣がつきつつある。

 多分駅からずっと一本道で変化がないので、目を開けてても閉じててもほとんど変わらないからかもしれない。
 ぼーっと歩いていると代わり映えのない風景にハイウェイヒプノーシスみたくなってくるので、いっそのこと目を閉じて歩いてみようかと言う気になる。

 目を閉じて聴覚だけに意識を向けていると、軽い瞑想状態になりやすい。
 とりあえず職場に向かう途中で車に跳ねられても迷惑かかるので、まぶたは三分の一くらいは開けておく。

 聞こえる音

 中央線沿いなので、数分おきに電車の音
 車の音
 バイクの音
 コツコツというアスファルトを叩く靴音(いろんなリズムがある)
 遠くで救急車のサイレン
 すれ違う自転車の音は、ライトを点灯してるものとしてないもので音が違う。
 ライトを点けると、きゅいんきゅいんという発電機がタイヤにこすれて回転する音がする。
 マンションがたくさんあるのでエアコンの室外機の音は結構割合が大きい。

 なるべく注意を、知覚の閾の辺縁部に集中して、感じそうで感じない音を意識的に拾ってみる。

 コンクリートのふたの下側溝を流れる水音が、聴こえる。
 
 建築現場でまだ作業をしてる人がおそらくスコップのようなもので、砂利のようなものをすくってる音がする。

 帰宅した人が玄関の前で鍵の束を取り出し、それらがじゃりじゃりとこすれあう音、そして鍵が回る音。 

 横に引いてひらくガレージの戸が開き、そこから自転車が道路に飛び出してくる音。

 空気の振動だけから成る、聴覚だけの宇宙があることがはっきりわかる。

 目を開ければこれに視覚が合成され、僕の仮想現実を作っている。
 でも目を開けているときのほうが雑念が多い。
 多分普通の時は、モノを見ていながら、見ずの状態でマインドの中に入り込んでいる。
 でも目を閉じると視覚に頼れないから、感覚を研ぎ澄ますという方向に注意がいくのだと思う。
 
 家で目を閉じて瞑想する場合、安全なので特に他の感覚を働かせる必要はない。
 だから、雑念がたくさん出る時は、出る。

 夜勤が明けて、今日もいい天気+寝不足で若干ナチュラルハイ(´゚∀゚`)ぼけ~
 寝不足のまま昨日の続きやってみる。
 
 半眼(-人-) 歩行

 なんか起きてんだか、眠ってんだが、歩いてんだか。
 おーっとっと。みなさん、僕にぶつからないよう気をつけてくださいヾ(´ー`)ノ
 拙者、今、心眼のみでござる(ΦωΦ)フフフ・・

 このまま吉祥寺へゴー。
 街に出るとすぐ疲れるほうだが、心眼のみだとあんまり疲れない(`・ω・´)シャキーン
 多分、ほとんどの情報をカットしてるからだろう。
 あまり意識はしてないけど、街中で何か見ると無意識になんかのレスポンスをマインドが行ってるんだと思う。
 そのレスポンスが次から次へと発生して来るので、多分疲れるんだろう。
 視覚を閉じるとそれがうまれないので、すっきりする。

 視覚を使わないことで、吉祥寺の90パーを完全シカト(*`д´)
 まあ、これはこれで楽しい。
 そこにいていないような感じが。

 そのままカラオケで絶叫するヾ(#`Д´#)ノ

 

 うわあー。゚(PД`q。)゚。最近はまってる


 ・・・眠いからかえろ(´-ω-`)コックリコックリ

 地元の駅についてやはり半眼のまま歩いていくと、駅前を過ぎ、静かな玉川上水の辺りまで来ると空気の味、というか匂いが変化するのがわかった気がした。

 そして何かとても巨大な空間に包まれているという感覚。
 多分誰でも海にヨットで出たり、砂漠に行けばそんな大きなものに包まれている感じがする。

 でもこれって実はおかしな話で自分を包む「空間」の巨大さ自体は、どこにいようと変わらない。
 じゃあなんで海とか、砂漠が広大さを感じさせるかと言うと、どこまでも見渡す限り等質に広がり、それ以外に何もないからだ。だから視覚は、その中で降参する。そして沈黙に耳を澄ませるのだ。

 視覚は対象を追い求めるものだが、この巨大な広がりを感じるというような感覚はパッシブなものだと思う。
 むしろ聴覚のほうに共通点があるんだと思う。

 目を開けていれば、視覚は例えば、目的のスーパーと自分の距離とか、次の信号が赤になる前に渡る、だとかせまっこい世界をいくつも作り上げる。そして食べ物屋の看板があれば、あの店うまそうとか、あそこは高い割りにいまいちだったとか、AUショップがあれば、あ、そろそろ機種変しようかとか無数のレスポンスを行う。

 目を閉じて感じることは、いわばそういう自分の視覚が作り上げる世界を一時的に捨てて、受動的に全体性を感じてみるということかもしれない。その時に世界の「広がり」が感じられる。

 いい意味で『一人きり』になる感覚をちょっと感じた。

 

知覚、リアリティetc | コメント(5) | トラックバック(0) | 2010/01/15 15:33

生命の贈り物②

 ゆるしの祈り

 私は、今日の日を祝福します。そして私の命のために感謝します。

 私を傷つけた人々をすべて、完全に許します。(3回繰り返す)

 私が傷つけた人々すべてに、どうぞ許してくださるようにとお願いします。(3回繰り返す)

 私自身に対する私の過ちに関して、そして、他の人々に対する私の過ちに関して、私自身に謝罪します。(3回繰り返す)

 私が傷つけたすべての生命体に対して、そして、私が過ちをおかしたすべての生命体に対して謝罪します。(3回繰り返す)

 この解放、自由、安らぎ、新しい命をもって、全宇宙の創造物を祝福します。そして全宇宙を私の愛で満たします。

 この地球と、すべての生命と、すべての人々を愛します。そして祝福します。

 目に見えるもの、目に見えないもののすべてを愛し、祝福し、尊敬します。

 私の新しい生命と、力と、健康を喜び、感謝を捧げます。生きとし生けるもののすべてに対し、常に、完全な祝福と愛を捧げます。



 これは『生命の贈り物』の一番最初に出てくる祈りで、特に信仰を持っていない人や、無神論的な人にも対応するようにデザインされていると言う。
 これ以降の祈りには、主への祈りや、「主のご助力により・・・許します」という言葉がたくさん出てくる。

 でも基本的にすべての型が「ゆるしの祈り」の中に含まれている。

 すべて『生命の贈り物』は「許し」に関する祈りだけど大きく分けると、

 ①自己が他者を許すこと

 ②自己が他者から許してもらうこと

 ③自己が自己自身を許し、また許してもらうこと

 のパターンがあり、その「自己」の規模が、家族や祖先から、また地球に住むすべての人を「私たち」とくくった大きな自己にまで広がっていく。

 根本的にはこれは「癒し」を目的とした、祈りの言葉だ。

 病というのは生命の流れが阻害されている状態であり、それを阻害しているのが許されないという想念のかたまりということなのではないかと思う。
 だから、祈りの最後には、それらから解放された姿として、「新しい命」という言葉が登場するのだろう。

 カフナ的に言えば、これらの言葉を繰り返し使うことで、ロウセルフと、ハイセルフの道を閉ざしていた部分が清められ、高次の自己からの生命力がより強烈に流れ込んでくるということなのかもしれない。

 人の中には明らかに、強烈な自己治癒力が潜在している。
 要はそれをどのように機能させるかということだけど、想念を浄化することによって、自己より高次の力を流れやすくするということがこの祈りのポイントではないかと思った。

 「許し」と書いたけど、それは「愛すること」と置き換えても意味的に同じだと思う。

 ①自己が他を愛すること

 ②自己が他から愛されること

 ③自己が自己自身を愛すること


 そしてこの「愛」自体が、流れ通る生命力であり、病を癒すものであり、アウマクア、ウハネ、ウニヒピリの三つの自己を結びつけるものなのではないだろうか。
 許しによって、愛=生命力が浸透する。
 自己はその愛が流れ通る媒体となることによってのみ癒され得る。
 
 生命の贈り物の祈り、8個全部唱えると、なんか顔の毛穴が開いたような感じになる。
 なんか激しく泣いたり、過呼吸のブレスワークやったりした感覚にも似てるような・・・。
  
 人によっても感じ方は違うと思うけど。

 自他の癒しに関心のある人にはお勧めです 

 これ、激しく現象化する人は、相当するんじゃないかな~。


セラピー&ヒーリング | コメント(8) | トラックバック(0) | 2010/01/11 12:55

生命の贈り物

 相方が最近セッションを受けたヒーラーお勧めの、『生命の贈り物』という祈りの本。

 先日立ち寄った本屋さんで見かけ、手にとって見ると、とてもきれいな絵と、そしてこれは・・・またまた△と▽のの融合としての6ぼう星??

 

100103_1725~01

 この六角形って宇宙の原初の幾何学らしい。
 I先生はお母さんが(あらゆる存在のルーツ)この六角形にのって宇宙をびゅーんと飛んでるビジョンを見たと言ってた気が。
 僕は最近、これを「亀」とも呼んでいる。
 カメの甲羅に似てるからっすエヘヘ(*´・∀・`*)ゞ

 亀って、昔の人の宇宙観みたいので、一番下で世界を支えてるけど。。。

 あと・・スティーブンキングの「IT」という小説で絶対悪と対決する子供たちを助けるのって、「亀」なんだよな~。ほとんど何の説明もなく「カメ」が出てくるからあれは不思議だったな。


100106_2344~01


 ↑フラワーオブライフもやっぱ接弦するポイントを結べば六角形になるしな~。


                    100103_1725~02

100103_1725~03

 



 マリアであり、イエスであり、ガブリエルであるものって??

 この祈りは徹頭徹尾「許し」がテーマと言ってもよく、ホ・オポノポノとかととても通じるところがある。

 うーん、今年はこういうので浄化せよということかな・・・。 

 なんか本から伝わってくる存在感がすごい気がする。


 《光のまなざし》

 ハワード・ウィルズ氏によってもたらされた
 「生命の祈り」が日本で翻訳され
 富士山を望む山中湖の大内邸で披露された日のことでした。

 突然、ワークの合間にベランダで見たものの
 「美」と「意味」が胸に飛び込んできました。

 さまざまな形の六角形の結晶体が
 ほとばしるようなエネルギーの流れの中にあり
 光であり、愛であり、繊細で暖かく
 いつも祝福をもって見守ってくれる存在たち。
 『曼荼羅』であり『マカバ』であると
 その姿をかいま見た人々に語り継がれてきた
 大いなる存在たち

 その六角形のまばゆい結晶体は
 人の姿に細長く広がりながら目の前に降りて来ました。

 『イエスであり マリアであり、ガブリエルであるもの』
 光の存在はそう告げました

 あらかじめ失われた男性性と女性性との
 完全な合一、めくるめく悦び
 この世の森羅万象は、あまねく光に満ちた
 ひとつのいのちであること

 祝福に満ちたまなざしが すべての命の上に
 いつも注がれていること
 「意味」が暖かく胸に流れ込んできました
 『生命の贈り物』冒頭より


 そいつはすごい。
 いっちょやってみっか ━━(`・д・´)ノ━━!!

 



セラピー&ヒーリング | コメント(2) | トラックバック(0) | 2010/01/06 23:32

カフナの思想と、3人の自分

 大晦日に「カフナの秘法 実践編」を読んで。

 ハワイのヒーラーカフナの伝統では、人は3つの自己よりなると考えられている。

 ひとつめは、ウニヒピリと呼ばれる低い自己で、一般的に言われる「潜在意識」とかなり意味合いが近い。
 今まで経験したものを貯蔵する記憶の倉庫で、不合理な固定観念や、罪悪感、恐怖なども保存している。
 ウニヒピリは機械的に動くので、ひとつの状況に遭遇すると自動的にそれに対応するコンプレックスが作動し、感情を表出させる。
 悪いものだけではなく、もちろんいいもの、役に立つものも保存している。
 朝、早起きの習慣があると機械的にある時刻に眼が覚めるなど。
 「潜在意識」の概念と少し違うのは、ウニヒピリはそれ自身で命を持っている霊と考えられているところだろうか。
 
 ふたつめの自己は、ウハネと呼ばれるミドルセルフ。
 これは普通に生活していて認識できる、自我意識をあらわしている。
 意志を発揮し選択行為をする。
 本来ロウセルフの案内役とされているが、ロウセルフからあがってくる感情などに常に幻惑される。

 みっつめはアウマクアと呼ばれる高い自己で、ハイアーセルフ。
 ミドルセルフの親のような存在で、人と神、創造主との接点である。
 ミドルセルフに、インスピレーションやビジョンを与えたり、必要な援助をする。

 ただ、ミドルセルフはアウマクアに対して祈りを行うとそれは、ロウセルフであるウニヒピリを必ず経由する。
 というのは、アウマクアに対して祈りを届けるコード(アカ・コードと呼ばれる)はウニヒピリから伸びているからだ。ちなみにアカというのは影体、影の体と訳されているミドルセルフやロウセルフが宿る普通では見えない体だ。これはアストラルボディと考えてもいいと思う。

 100104_2319~01

 こーゆー感じ?
 
 太いアカコードは、影体と肉体を結んでいる。
 よく対外離脱した人が見ると言う、おへそから伸びる「シルバーコード」と同じものだと思う。
 そして別のアカコードは、一度でも接触した人やものとつながり続ける。
 常に見えない紐で結ばれているわけなので、いい影響も悪い影響も受けることがある。
 そしてまた別のアカコードは、ハイセルフであるアウマクアとつながっている。

 ミドルセルフがハイセルフとつながる時には、ロウセルフのアカコードを経由するというのが興味深い点だ。
 ロウセルフに大きな罪悪感や、固定観念があると、ミドルセルフの祈りはハイセルフに届かない。
 カフナはこれを「道が閉ざされている」と呼ぶと言う。

 自分はそれに値しないと言う思いから、ロウセルフはハイセルフの面前に出るのを嫌がると言う。

 ここで「罪悪感」というものが大きなポイントになってくる。
 カフナは「人を傷つけない限りそれは罪ではない」と言う。
 だが性的なことや、その他のやめられない習慣などで持つ必要もない罪悪感を持っている人も多い。
 罪悪感に対しては、「許し」という処方箋しかない。
 それは人をきず付けた場合であっても、結局最終的には自己の内部でしか許しは起こらず、いくら傷つけられた被害者が加害者を許しても、自分がそれで「許された」と心のそこから納得しなければ罪の意識は消えない。 

 いかに罪悪感を含む、ロウセルフの固定観念を解放するかが焦点になってくる。
 ホ・オポノポノでは「ありがとう」「ごめんなさい」「ゆるしてください」「愛しています」という言葉を効果的に使うことによってこれを行おうとするがこれは、カフナの伝統の一部のそのまた一部らしい。

 ウニヒピリは物質的なことを信用しやすく、因習的な罪と罰の感覚に支配されているので、罪の償いとしての苦痛を受けることで、罪悪感から解放されることもある。(例えば、ちょっとこれは多すぎるんじゃないかと思うくらいの寄付や、宗教的な苦行や、怪我など。)なんかこれが本当だとすると、迷信的な治療とかちょっと古臭く見える修行もあながち馬鹿には出来ない。だってその対象はロウセルフなのだから、彼のレベルですることが肝要なのだ。
 ただ本来はホ・オポノポノのように「許す」ことが出来ればそれでいいのだと思う。

某精神世界で有名な人が主催している、真我実現なんとかセミナーというのがあるけど、これは基礎編では内観をしてそれまで関係があった人に感謝や謝罪をするということをする。まあ、そういうことをすることによって真我からの応援を受けられるという風にその方は言っていたけど、この真我ってあきらかにカフナの中では『ハイセルフ』のことだ。                

 悟り系の知識がある人は、真我はハイセルフ自体ではないということがわかる。
 カフナの伝統でも、ハイセルフは、創造主とのつなぎ目であると言っている。
 だから、ミドルセルフ=自我 ハイセルフ=個我(魂)と言ってもいいのかもしれない・・・。

 しかし、言葉の定義を別にすれば、内観などでウニヒピリが罪悪感を手放し、道がクリーンになればハイセルフと通じやすくなるというのは、純粋にシステマティックな現象として起こるのかもしれない。
 
 マルクトと、イエソド、ティファレト 
 
 このハイセルフの自己を見ると、自動的にカバラ生命の樹、中央の柱のティファレトというセフィロートが思い出される。

           300px-TreeOfLife_svg.png

 ティファレトはキリスト中枢と呼ばれていて、その象徴する天体は太陽、と人体では「ハート」そしてティファレトは、絶対者ケテルと直接つながっている。ハイセルフであるアウマクアもその象徴は太陽だ。 

 そして、ティファレトの下には幻想の天球と言われるイエソドがある。
 そのシンボルは「月」と「生殖器」
 少なくともウニヒピリの一部はイエソドから成っていて、実際月の運行に強く支配されているのではないかと思う。

 そして人がもし一番下の球マルクトにいるとすれば、イエソドは、ミドルセルフとハイセルフのつながりを阻害することがあるロウセルフのように、ティファレトの前に立ちふさがっている。

 三つの自己の統合

 このようにして見て行くと、ロウセルフはハイセルフとの交流を邪魔するやっかいものに思えてくるが、悪役とはみなされない。ウニヒピリ(潜在意識)は僕らの「子」だという。これもとても面白いポイントだった。
 ウニヒピリが生きている「霊」だと言うのも面白いけど、これはミドルセルフである僕からすれば「子」であるというのだ。そしてハイセルフは「父」だ。

 ウニヒピリを恐れたり、嫌がったりするのではなく、それを許し、また彼に許しを乞い、受け入れる、そんな祈りが書かれていた。
 
 ウハネ(ミドルセルフである私)がこれを読む

 父と母と子の一つなる聖なる創造主よ

 子よ、長い間私が積み重ね、あなたに強いてきた、誤った思いと言葉と行動をすべて許してください。
 今、私は、母として、あなたの過ち、恐れ、怒り、不安、罪、葛藤をすべて許します。

 さあ、手を繋ぎましょう。
 手をつなぎ三人が一つになれるように、アウマクアにお願いしましょう。

 私からあなた(ロウセルフ)へ、私たちから父(ハイセルフ)へ、愛が流れますように。
 聖なる創造主よ、聖なる愛の輪で私たちを包んでください。


 ロウセルフとミドルセルフが手を繋いで、ハイセルフに向かうと言うイメージが美しい。

 僕はこれを唱えてみて、とても新鮮な感覚を感じた。
 無意識に、無意識を悪者あつかいしていて、自分の奥深くにあるものを恐れていたのかもしれない。
 それが自分の「子」だというのは・・・なかなかいい感じになる祈りだと思う。

 ゲド戦記という小説で、自分の「影」を呼び出してしまった魔法使いハイタカが、それから逃げ回り、最後には「影」を抱きしめ合一し、「傷は癒えた」と涙を流すシーンがある。(ハイタカというハンドルはそのゲド戦記と、ヘッセの「デミアン」大好きなふたつの小説から拝借している)
 その感動的なラストを思い出した。
 なんであれ、分かたれていたものがひとつになる瞬間というのは美しいと思う。





セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/01/01 21:45
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