2010. 03. 27  
なんでもインドのヒンズーの神様はすべてトラウマ系の神様で、それぞれ対応しているトラウマがあるそうだ。
 なかでもクリシュナは、傷ついた女性性の癒しに対応しているという。(I先生の話し)
 それは女性のみに限らず、男性でも傷つくのは自らの女性性なのだという。
 クリシュナは、牧女のラーダという恋人がいた。
 クリシュナは絶対者の化身であったわけなので、ラーダは神に愛された女性と言うことになる。
 それは例えば、イエスに対する、マグダラのマリア
 クリシュナと同じくヴィシュヌ神の化身であるラーマ王には、シータ王妃がいた。
 聖なる結婚が、元型的なレベルでおこれば、女性性は癒される。
 神話とは元型の表現であるので、クリシュナとラーダ、イエスとマリア、ラーマとシータの結婚は各自の内側で起こりうる可能性の雛形なのだ。
 
 ちなみに、自らの「子」を完全に癒すのはやはりコズミックマザーなのだそうだ。
 「子」が傷つくのは、親に絶対者を見ているから。

 ヒンズーのマントラでは一番好きなのはクリシュナのマントラなのだが、こういう背景を知る前からクリシュナのマントラを唱えると、ある甘さとハートに来るのが感じられた。その響きが好きなのでずっと唱えている数少ないマントラのひとつだった。

 クリシュナは10000人恋人がいたそうだ(笑)
 普通複数恋人がいる場合でも、2,3人とかであろうし、実際的に人間の限界として多くても10人以上欲しいなんていう人はまあいないだろう。というかそんなにいても付き合えないから意味がないし楽しくないし、10000人も名前は覚えられない。
 この10000人という数字は、それが普通の欲望の延長線上の恋人ではなく、なんというか救済活動というか、そういうレベルの話しではないかと思わせる桁数をあえて設定しているようにすら思える。

 クリシュナは、マスターというよりもアバターだ。
 絶対者がそのまま、人の形として現れたような存在だ。

 ジェームズ・キャメロンの「アバター」は異星人の肉体に地球人の意識を転送したものだけど、本来のアバターは人間の肉体に絶対者の意識が直接転送されたものだと思う。

 遥かな昔、そのような時代が、存在したのかもしれない。




 ハレクリシュナマントラ

 

http://www.youtube.com/watch?v=zkm_LRSsyus

 この感じもまったりしてて良い インドでチャイをすすりながら聴きたいなあ。
 
 

http://www.youtube.com/watch?v=nl4iHtrgg9o

 これは声が迫力がある。この背景はトリップ用か!?(笑 

 

http://www.youtube.com/watch?v=kLLAUPS2C1A


 至高のクリシュナに帰依しますというマントラ
いろいろな年齢のクリシュナが見れる。
 赤ん坊として、いたずら好きの子供として、血の気の多い若者として、戦士として、恋人として、ハーレムの主として、万物を夢見る宇宙神として、最後には人を迷いの海から救済するヨーガの王として・・・



http://www.youtube.com/watch?v=GKjJPSbBZys

 「私は多くの生を経てきた。あなたもそうだ、アルジュナよ。

  私はそれらすべてを知っている。だがあなたは知らない。

私は不生であり、その本性は不変、万物の主であるが、自己のプラクリティに依存して、自己のマーヤにより出現する
。」
               バガバッド・ギータにおけるクリシュナの言葉




 こころ洗われる声 Deva premalの om namo bhagavate vasudevaya





http://www.youtube.com/watch?v=hC-li4e7XJQ


私は万物に対して平等である。

 私には憎むものも好きなものもない。

 しかし、信愛をこめて私を愛する人々は私のうちにあり、私もまた彼らのうちにある。

 アルジュナよ、確信せよ、私のバクタ(信者)は滅びることがない
。」



2010. 03. 24  
  キアヌ・リーブスについてのウィキ。

 彼はカナダ、アメリカ、イギリスの三重国籍を持っているが、トロント育ちであるため自分のことをカナダ人とみなしている。無宗教である。名前は、彼の叔父ヘンリー・キアヌ・リーブスから取って名付けられ、「キアヌ」はハワイの言葉ケアヌで「山からの涼風」を意味する。また別に、この語は「絶えず神の意識に集中する者」という意味も持つ。

 って・・・はまりすぎて、怖いわ(||OдO||)

 リトル・ブッダに、マトリクスに、コンスタンティン


 でも無宗教?(o・∀・o)? なの?ホント?(笑)






 
 

http://www.youtube.com/watch?v=D7heydIAPSs







http://www.youtube.com/watch?v=2xV8xgWlZy0

リトルブッダは、ある亡くなった高僧の転生者候補である欧米の少年の物語だが、その中でシッダールダが成道するまでの物語も平行して映像化されている。そのシッダールダ役がキアヌ・リーブス。
 ↑は菩提樹の下で最後の悟りを開く場面。

コンスタンティンは、悪を解き放って人類を目覚めさせようとするファナティックなガブリエルと、最終的に主人公の命を救い生きながらえさせるルシファー(白いスーツのオヤジ)の役どころが最高。こういう価値の転換は大━゚+。(〃▽人)。+゚━好きだ。



2010. 03. 20  
 時々読ませてもらっている このhp に木村秋則さんについての記事が載っていた。

 木村さんは無農薬のりんご栽培に成功した方で、著書「奇跡のりんご」や「すべては宇宙の采配」は書店でよく見かけるので前から気になっていた。
 今回の記事には「すべては宇宙の采配」の中の木村さんが体験した不思議体験が抜粋されていた。

 木村さんは高校生の時に「龍」に遭遇したり、成人されてからも数回エイリアン(みたいな存在)とコンタクト(ていうかアブダクションか)体験をしているようだった。

 僕はこれを読んで、NHKのこの番組に出演している木村さんの人となりと、その著書の不思議体験のギャップにちょっと衝撃を受けた。人の良い田舎のおじさんという風貌の方がXファイルみたいな体験を・・↓「プロフェッショナル 仕事の流儀」

 


 
  http://www.youtube.com/watch?v=j7rO6wgAuEI



 見ていて癒されるような雰囲気の木村さんだが、その体験内容は濃いい。
 まず高校生の時に、時間が止まった世界で龍と遭遇するという体験をしている。


 のろのろと自転車で走りながら、「あ~、早く帰るのも嫌だし、どこかに寄っていこうかなぁ……」などと考えていたそのとき、道路の反対側をてくてくと歩いていたオヤジさんの動きが、ピタッと止まってしまったのです。それも片足を挙げたまま。
 「あれ?」
 オヤジさんを注意深く見ていたわけではありませんが、なんとなく目の端で捕らえていました。それがピタッと停止したからびっくりです。自転車に乗ったまま足を着いて止まり、オヤジさんの様子をしっかりと見ましたが、やはり歩いている途中、まるで時が止まったように片足を浮かして固まっていました。
 「オヤジさん、なにしてんだ?」
 パントマイムのように完璧に止まっているオヤジさんに目をぱちくりさせていると、左側にある防風林の上から、いきなり巨大なワニの親分みたいな顔がドテッと現れたのです。
 半端な大きさではありません。防風林の向かいにある梅干屋さんに届くくらいの長さで、道路いっぱいに恐ろしげな顔を広げています。わたしの位置からは長く伸びた口元と、人間の太ももくらいある太いヒゲが、なまずのヒゲのようにうにょうにょと動いているのが見えます。ワニの親分の目はまだ後方にあるらしく見えません。
 そんなものが突然目の前に現れたのです。完全な思考停止に陥りました。ただ呆然とそのゴツゴツした顔を見ているしかありませんでした。
 しかし、助けを求めるとか、逃げだそうという気持ちにはなりませんでした。
 ふと見ると、オヤジさんは相変わらず動いていません。依然として地面から片足を離したままで、構図も変わっていません。そのときようやく頭が動き、
 「もしかしたら、時間が止まってるんじゃないの?」
 と思いました。

次の瞬間、巨大なワニの親分は、防風林を曲がったところにある松の木に移動していました。どアップの顔しか見えなかった先ほどと違い、離れてみてようやく全体像がつかめました。
 龍でした。
 そこで初めて自転車から降りました。オヤジさんの足が止まって龍の顔が目の前に現れてからは、あまりに驚きすぎてからだの動きもほとんど停止していたのです。
 龍がとまった松は、むかしからそこに2本並んでいる松でした。1本は細く、隣りに太い松がありました。
 巨大な龍ですから、太い松のほうにいるのかと思ってよく見ると、なぜか細い松の先端にしっぽだけを引っかけるようなかたちで空に向かって伸びていました。すずめが乗ってもしなるような松の先に絡まりながら、軽々と浮いているのです。
 「あんなにリアルに見える龍なのに、1グラムもないのかな?」
 そう考えながら、しばらく見ていました。龍が顔を上げて天を見ていたこともあり、
 「ああ、そろそろ帰っていくんじゃないかな」
 と思った瞬間、空に向かって一直線に飛んでいったのです。くねくねとした動作ではなく、真っすぐに飛んでいきました。
 次第に小さくなっていく龍の姿を、1本の糸のようになるまで見送っていましたが、やがて雲のなかに消えていきました。
 横を見ると、オヤジさんが歩きはじめていました。なにもなかったように、止まる前から続く動作のように自然に歩いていました。
 わたしはこのとき、人間が感じている時間と、そうではない時間、その両方を認識できたのではないかと思います。その中間地点に入ったのかもしれません。



 次のものは木村さん35歳の時に、全身黒づくめのエイリアンを見たあとのビジョン。

  しばらくあとで、わたしは幻想を見ました。
 ギリシア神話に出てきそうな姿をした人が、丸い石でできた椅子に座っていました。からだに白い布を巻きつけ、長いあごひげをたくわえて、まるで哲学者のソクラテスのように見えました。そこになぜかわたしもいるのです。
 室内のようでした。1本の鉄パイプのような棒が頭上に通っていて、穴の開いた板が何枚も渡されてありました。
 「待っていたよ。君に手伝ってもらいたいことがある」
 ソクラテスのような人がいいます。
 「そっちにある板をこっちに移してください」
 わたしは素直に、「わかりました」と一生懸命に板を動かしました。
 畳み1畳分ぐらいの大きさの板を滑らすようにして手前から奥へ運ぶのですが、重くてなかなか動きません。「あなたは手伝わないんですか?」と訊けばよかったのですが、馬鹿正直に頑張って、なんとか全部の板を運び終わりました。
 「全部終わりました」
 報告すると、「ご苦労さん」というようなねぎらいの言葉がありました。
 わたしはソクラテスのようなおじいさんに質問しました。
 「これはなんですか?」
 「カレンダーです」
 「カレンダー? 一体なんのカレンダーですか?」
 「地球のカレンダーですよ。この1枚が1年分」
 驚いて尋ねました。
 「これで全部終わりですが、あとはないんですか?」
 ソクラテス似の人は、「当たり前だ」というようにいいました。
 「ありません!」
 「……ないってことは、地球がないんですか?」
 慌てて質問したところでハッと目が覚めました。
 ほかの夢はほとんど覚えていないのですが、このときの光景はカレンダーが何枚あったかまで鮮明に記憶しています。
 マヤ暦が2012年で終わっているのをテレビで観て知りました。ソクラテスが教えてくれた年号は、それよりは長かったものの、永遠に地球が続くと思っていたわたしにとり、
 「意外に早く終末を迎えるんだなぁ」と驚かざるを得ない数字でした。
 それも含めて大事なことは、ソクラテスから「口外してはいけない」と、龍と同じように堅く口止めされました。いまだに女房にもいっていません。もし命が脅かされる事態に陥ろうとも、口は割らないと思います。
 重要なことは、なにより「時間がない」という事実です。


 この「地球の残り時間」というモチーフは次の本格的なアブダクション体験にも登場する。
 ある夜夜中に目が覚めた木村さんは、寝室のロックしていたはずの窓が勢いよく開くのを目撃する。
 窓の外には二人組みの黒づくめの存在が浮遊していた。
 木村さんは彼らに両脇を抱えられ、上空に浮かぶ乗り物の内部へと連れ去られる。

 ほかに地球人の先客が2名いました。隣には白人の若い女性がいて、その隣には白人の男性が座っているのです。男の人は体格や雰囲気からして軍人のようでした。
 わたしは英語が苦手ですから、ふたりと話すことに躊躇しましたが、その男女も話している様子はありませんでした。
 そうこうするうちに白人女性が宇宙人に促されながら連れていかれ、次は軍人のような白人男性が同じようにどこかに連れていかれました。続いてわたしも連れてこられたときと同じふたり組の宇宙人に先導されて連れていかれました。
 進んだ先の部屋も全体的に煌々と明るく、先に連れていかれた2名がしっかりした台の上に裸で寝かされて、固定されているのが見えました。
 その台がどういう素材だかよくはわかりませんが、平らでがっしりとしていて、手や足を固定するようなものがありました。
 ふたりは抵抗するでもなく、ただ仰向けに寝ていました。
 ふたりを囲むように、黒くて目が大きい宇宙人が何人か集まって観察していました。とくにそれ以上なにかされることはない雰囲気で、まさに「観察している」といった感じでしたが、なにを観察して、その大きな目になにが見えていたのかはわかりません。
 わたしは展開の流れからしても、「次に観察されるのだろうな」と思って立っていました。
 普通ならUFOに連れてこられただけでも失禁もので、不気味な宇宙人に観察されるなど卒倒ものですが、不思議と「逃げたい」とか「怖い」といった感情は湧いてきませんでした。彼らに両脇を抱えられた辺りから、なぜか親近感を持ったようです。暴れて逃げる意思もありませんでしたし、恐怖感もなくなりました。説明できない感情です。
 裸で観察されるのもヨシと思っていましたが、意外にもそうはならず、ふたりの白人が観察されている部屋から別の部屋に連れていかれました。
 宇宙船の操縦室のようでした。そこでUFOの動力について教えてもらったのです。
 「これは動力物質のスペアです。ほとんど取り替えることはないのですが、予備で用意しています」
 厚さ1センチ、一辺が20センチほどの三角形の黒くて硬い金属を渡してくれました。
 彼らに口はありません。彼らとの会話はいつも意思が頭に直接響くように伝わる感じです。
「うわあ!」
 手に取って驚きました。思わず声が出るほど重いのです。小学生くらいの大きさの彼らが片手で軽々と持っていた物質は、いざ受け取ってみると両手で支えるのが精一杯という重さでした。
 「それは宇宙船の推進力となっているKという物質です」
 K……。
 単純にKと考えればカリウムですが、きっとそうではないのでしょう。
 そんな考えを読みとったかのように、彼らは話しはじめました。
 「地球で発見されている元素は120くらいですが、実際に使われているのは30くらいでしょう。しかし我々は256ある元素をすべて使っているのです」
 「地球人は頭が悪い」といわんばかりの話でしたが、彼らが乗っているUFOと同じものを造る技術がないのは間違いありません。
 反論する気も起きず、黙って聞いていると、彼らは元素のほかにも、時間の感覚がまったく違うことを教えてくれました。
 
「地球の時間で1000年かけないと移動できない距離も、我々は『そこに行く』と思った瞬間に移動できます」

 こうもいっていました。

 「我々は時間と時間のなかを歩いて移動しているのです」

 わたしは高校生のときに見た、足を上げたまま固まったオヤジさんを思い浮かべました。
 この世で普通に歩くとき、片足を上げてから着地するまでの時間は0.5秒くらいでしょう。
 0.5秒のあいだに、50秒進む別の世界があるとしたら、それが龍のいた次元ではないかと思うわけです。高校2年生のわたしはその高次元に首を突っ込み、龍が現れてから天空に飛び立つまでの50秒を、そちらの世界で過ごしたわけです。100倍速い世界。
 たしかに、地球人の時間は地球人が勝手に決めた時間です。宇宙人から見たら違うものかもしれません。
 たとえば地球の自転は一日1回だといわれていますが、太陽系の引力からしたら、1回転だと落ちるか飛んでいくという説もあるそうです。宇宙の常識と地球のそれは、かなりズレているのかもしれません。
 さらに、時間の感覚だけではなく、具体的な時間の単位も地球とは違っていました。9進法だったような気がします。詳しく聞いたのですが、残念ながらよく覚えていません。
 その部屋だったか別の部屋だったか記憶が暖味なのですが、巨大なカレンダーのようなものを見ました。
 UFOの内部はいったいどこまであるのかよくわからないほど天井が高いのですが、その上のほうまで届く、巨大な1枚の紙のようなものがボーンと存在していて、1、2、3、4、5といったアラビア数字ではなく、ローマ数字のようなものがいくつも並んでいました。
 「あれはなんですか?」
 声を出して訊ねると、彼らは教えてくれました。
 「あれは地球のカレンダーです」
 「地球のカレンダー? じゃあ、最後の数字の先はないのですか?」
 「ご覧の通り、最後の数字で終わりになります」
 彼らにカレンダーの見方を教えてもらい、最後の数字を確認しました。果たしてそれは、幻想のなかでソクラテスに似た人に告げられた、地球のカレンダーが終わる年号と同じ数字だったのです。
 もしそれが本当なら……。年号はソクラテス似の人にいわれた通り、だれにも話せませんが、気が遠くなるほど遠い未来の話ではありません。いえるのは、時間がないということだけです。


 これを読むと、ベタな解釈をすると、その終わりの年に地球が爆発するとかそういったことになると思うが、この体験の中にその「カレンダーの終わり」というものがそういうものではないことを示唆するヒントがあるように僕には思えた。

 注意するとこの体験の中に「時間がない」というのが二つの意味合いで使われている。
 ひとつは地球のカレンダーの終わりまでに、もうあまり時間がないという意味。
 おそらくそれは2012年でこそないが、10年先か、数十年先かそのあたりの未来だったのではないか。

 そして二つ目の意味は、「時間はない」つまり「時間は存在しない」ということを表しているように思える。

 高校生の時のストップモーションの世界で龍と遭遇すると言うのは、時間の流れが相対的なものであると言う可能性を意味している。通行人のおじさんが一歩を踏み出す間に龍が現れて、そして空のかなたに飛び去るのを木村氏は目撃した。

 そして宇宙人(?)の言葉。

 「我々は時間と時間のなかを歩いて移動しているのです」

 この言葉は、宇宙人は龍と同じように、人が生きている時空を超えた世界に存在している、ということを意味している。
 そして人が生きている時空をあらわすのがそのカレンダーであるとするなら、それが終わる時、別種の時空に地球はあるいは人間は移行しているのではないかと言うテレンス・マッケナ的結論になると思うのだがどうだろうか。

 そして別種の時空への扉はその時を待たずしても開かれているので、だからこそ時間の進み方の違う世界に入り込んでしまうというようなことが起こるのだと思う。 

 それにしても木村さんの笑ってるのを見ると幸せな気分になってしまうが、この方のかもしだす雰囲気のようなものが新たな時空に生きる秘密を暗に語っている気がする。



 
2010. 03. 11  
   ハートチャクラのシンボル

 100309_2311_01.jpg



 いまさら六ぼう星であることに気付く。

 立体的に見れば、マーカーバ。

 無条件の愛=信念体系の制限、恐怖からの解放

 男性性、女性性の融和=美 ティファレト

 子


 新しき、Star Child


 




 調和のとれた現実=美 ティファレト

 制限からの解放=イエスの奇跡の意味(?)

 「汝の主を、隣人を愛せ」 
 

      100216_1059~01

 人の意識に大きく作用し、調律させるもののひとつに「音」がある。
 調和した音、つまり美しいメロディや、音色は治癒効果を持っている。
 というのは波動の次元において調和しているものは、物質の次元においてもその形態をそのまま転写しようとするからだと思う。

  だから、いい音楽を聴いてうっとりするというのは精神的な効果であると同時に、肉体の細胞もその同じ振動でバイブレイトさせているということでもあるのではないだろうか。
 同じく自分の発する音や、言葉も同じで、それぞれの振動で肉体をバイブレイトさせている。
 だから、人に対して悪口を言っても、その言葉の波動で自分の肉体も揺れてるのかもしれない。
 肉体の立場に立つと自分が罵られているように感じるのかも??

 まあこれは言葉の次元の話しであり、言葉の次元は二元的だ。
 良いものは良い、悪いものは悪いという一種の堅苦しさがある。

 すごいと思うのは音の世界は、それに先行しているということだ。
 例えば、「we are the world」や「Imazine」を聴いて、そのメッセージ性に感動するということも悪くないと思うのだが、


 

 クラシックなどのメロディだけなのに、目を閉じると自然に、雄大な自然の風景が浮かぶような曲もある。
 人を、言葉なしにその状態にさせるから、音楽はすごいと言える。

 「いいことをしなさい」と言葉で言われなくても、自然とそういう気分になる。

 それは調和を感じている状態なのだが、二元的な言葉によってもたらされたものではなく、見えない次元の「美」によって、音の世界での「調和」によってもたらされた「美」と「調和」であり、良い・悪いという世界よりも上の世界から降りてきたものであるように思われる。
 
 もしアセンションが、善悪を超えた世界への跳躍であるなら、そこには美とArtが必須のものとなるんじゃなかろうか?

 ところで、今日は雅楽が癒してくれました。


 
 鼓弓の音はどうしてこんなに なつかしく せつないのか?
 I先生によると個我の記憶を振動させるからだそう・・。

 


 ボク中国にもいたのかな(o・∀・o) って気になる





2010. 03. 08  
 アイソレーションタンクは、今知ってる限り、東京、岡山、京都に存在するようだ。

 東京は僕が行った ECCO 四谷から 南北線で10分ほど白金高輪駅から徒歩5分くらい

 岡山は心療内科の HIKARI CLINIC

  フローティングタンクとは?

 フローティングタンクQアンドA


 そして京都はフランス人の翻訳業の方が所有していて、一般の方にも解放しているらしい。 
 この体験記の方が行かれたところ

 
 畳を敷きつめた、和式の居間。低いテーブルを挟んでディヴィヤムさんと向かい合う。外国人の家にいる気がしない。タンクの中で体の回転を感じたことを言うと、
「そう、自分の体を、念じた通りの方向に向けることが出来るんだ。まるで宇宙の中にいるようにね」
嬉しそうに説明する。
「リリー博士の説によると、人間は自らのエネルギーの80パーセントを重力に抗うことに使っているそうだ。そこから自由になることが出来れば、本当に大きな力を手にすることが出来る。けれど、急に解放されたエネルギーを制御することが難しいんだ」
 アイソレーションタンクを考案したリリー博士は晩年、イルカの研究に情熱を傾けたそうだ。今の話と繋がっていそうだ。重力によるエネルギーの無駄がないから、イルカは賢い。水中では五倍の能力を発揮できる。

ディヴィヤムさんは続ける。
「私の妻は日本人なんだが……。その母親を、この前、タンクに入れたんだよ。85才でね……」
眉ひとつ動かさずに言った。冗談だと思いたい。85才のお婆ちゃんが、真っ暗なアイソレーションタンクに……。
「義母は体が完全に曲がってしまっていてね。ひとりでは入ることが出来なかった。だから、私が一緒に入ったんだ」
その光景が鮮やかに目に浮かんでしまった。
「義母はタンクから出てきた後で、『別の世界にいました』と言っていたよ」
『別の世界』を神秘体験と捉えるべきか、あるいは単に、強烈な体験だったと捉えるべきか、どちらか分からなかったため、僕は黙っていた。



この京都のタンクの住所が 真如町真如堂前であった。。。

 あ、そういうこと(・∀・) 
 
 まあーECCO行く前にこの体験記読んでたから、無意識には情報が入ってたと思うけど。

 でも初タンクの翌朝にそれがぽんと出てきたのはなんか意味が?
 僕は京都出身なので地元の家族や知人などにこのディヴィヤムさんのタンクのことを教えたほうがよいのだろうかと考えてしまった。

 一応セラピー的な世界には、ヒーリング(病から健康へ) とトランスフォーメーション(一般的な心身の健康から、気付きの深まりなどを統合した超健康へ)とふたつあると思うけど タンクはこのどちらにたいしても効果を持っていると感じる。

 しかし・・・この体験記の人めちゃ面白い。
 タンクに注意してて気付かなかったが・・・なんなんだこの体験のバリエーションは。
 ある意味天才なのではないだろうか。
 
 サマディタンク以外の体験記↓

 安部公房「箱男」に影響され段ボール箱をかぶって歩いてみた

 右翼の街宣車に乗って演説させてもらった

 バッティングセンターで審判の練習

 参りました。はは~(*・ω・)*_ _))ペコリン

 非日常は日常にありきっすね。自分のパターンを変えればすぐに不思議世界に(笑)



 話をタンクに戻すと、これ自分で買おうと思えば輸入費用含めて150万円くらいで買えるそうだ。
 うーん、欲しい(〃*`Д´)
 車とかは興味ないが、こいつは一家に一台だ。
 しかし今貯金して買っても、木造アパートの一室の畳の上にタンクがある絵になるので、それもちょいとウケるが(笑´∀`)

 欲しい人はここから購入(いたらすごい)→サマディタンク社

 でもものづくり得意な人だったら意外と自分で作れちゃうかもなあ。
 タンクサロンは増えてくと思う。

 最後に一昨日発見したザトウクジラの動画

 


 このフォルムと存在感たまらん。
 そりゃ「ヤベ~!」ですよね。



2010. 03. 02  
 「どうだった?」と宮部さん

 「いやーひたすら気持ちよかったです。」

 「一回も出なかったんだ?」

 「はい」

 体の違和感と言うのはほぼ感じなかったし、あえて出るのが面倒くさかった。
 自分にブロックがないとは思わないんだけど。
 もしかすると回を重ねると出てくるのかもしれない。

 なかなか感想を言語化して説明するのが難しいものがある。

 重要なのはこういうイメージが浮かんだとかそっちではなく、浮遊感覚というか周囲との融合感というかそういったものだ。全体との関係性をどのように知覚してるかと言うこと・・・。
 2月17日の朝方見た夢のように、浮力感覚のインプリンティングを行いたかった。
 最低あと2,3回くらいは試してみようかと思う。

 お茶を出してもらい、映画の「アバター」や「マトリクス」シリーズの話になった。

 「(マトリクス)あれは、ほとんど現実そのものなんですよ。例えですらないと思います

 いやーしかし、このシリーズにインパクトを受けている人はこの業界の人にホント多いなあ。

 「恐怖や不安で人をコントロールして、そのエネルギーで回していくっていうやり方ですからね。」

 「とりあえずテレビは捨てたほうがいいね(・∀・)なんか今オリンピックやってるんだって?最近人に言われるまでしらなくてさあ・・・」

 僕は地デジ化されたら今のテレビは捨ててもう買わない予定(o´・∀・`o)
 地デジ対応テレビ買ったり、チューナーつけるんやったら他のもの買いたい。
 すっきりしそうだ。
 あるとついつけちゃうからなあ。

 まーケーブルテレビは魅力的だけど・・・


 「2012年って象徴的な数字としては意味があるかもしれないけど、変化はもう多次元的に起こってると思います。みんな同じ世界に住んでるというわけじゃないんですよ。それぞれの意識にしたがって、ある意味別々の世界に住んでいるんです」

 なるほどヨナと、真央の決戦が意識に存在しないという人もいるわけだ・・・。

 これから社会不安も増大するかもしれないけど、そういう時に人が自己を内側から解放できるようなものを提供していくのが使命だと思っていると宮部さんは語っていた。

 「今までの時代はずっと曇りだったんですよ。でも今ところどころ日が差し始めている。すると影の部分もよりはっきり浮かび上がります。ああ、そういうことだったのかってみんな気付いていくんです。ある意味でわかりやすくなってるんですね」

 最後に一応ここに来るきっかけになったイルカの夢の話しをして、ドルフィンスイムなどのワークは行ってるのかどうか尋ねてみた。

 「イルカが連れてきてくれたんだ(笑)今はやってないけど、御蔵島ってあるでしょ?あそこで最初にドルフィンスイムを盛り上げていったのって僕らの仲間なんですよ。今は人も多くてどうかな?って感じだけど。

 小笠原なんかいいんじゃないかな?」

 ああ~小笠原、気になるチェックポイントのひとつ。

 いいかも。メモメモ(`・ω・´)



 帰り道、僕のすぐ隣の席で電車内でのいざこざに遭遇した。
 
 至近距離で怒鳴りあったりなだめたりしているので、いい気分ではなかったが、何かそれぞれがふさわしい役を演じているドラマのように見えた。条件付け的に飛び出てくる罵声。僕が隣に居る意味。

 この現象の意味を解読しようとした。

 いっぱいいっぱいになってる人がたくさんいるという事実?
 自分の過去の(今の)意識の一側面の反映?

 原因がなんであれ
 僕にできることは、それを受け入れ、すべてが神なるもののなかに包み込まれるように意識すること。
 根本的によきものであるシンクロネットワークの中に、みな組み込まれている。

 万象はすべて僕の中で焦点を結ぶ。

 翌朝目覚めた時に残っていた言葉

 真如。

 真如?

 真如 (しんにょ、tathata、 bhUtatathatA भूततथता)は、「あるがままであること」という意味があり、真理のことを指す。


2010. 03. 01  
 「ECCO」は古い住宅が軒を連ねる狭い路地の突き当たりにあった。
 猫がトタン屋根の上や、道路の上で日向ぼっこをしている。のどかな光景。
 タンクがこういう空間に設置されていると言うアンバランスさがなんか面白い。

 和な感じの部屋で事前のオリエンテーション。
 リリー博士とコンタクトをとっていた人と喋ると言うのは、なかなかテンションがあがる。

 行く前から気になっていたことを質問してみた。

 「そう言えばECCOのHPのバックに、フラワーオブライフの模様がデザインされてましたけど、あのワークとなんかご関係がおありなんですか?」

 「いや、まったく。フラワーオブライフならその後ろにもありますよ」

 振り返ると今まで気付かなかったが、僕の座っていた椅子の後ろにあの模様のポスター(だったかな?)が貼られていて、横には同じ模様の小さなペンダントがかかっていた。

          100106_2344~01



 「知り合いの職人に作ってもらったんですよ。前は売ってたんだけど、あんまり物販するのもどうかと思ってねw」

 宮部さんが関わっているもうひとつのプロジェクトが「マカバレコード」と言う、ブロックをはずすような音を使ったセッションなのでてっきり、ドランヴァロとなにかつながりがあるのかと思っていたが・・。

 その音と言うのが、氏がアヤワスカセッションを体験した折にジャングルで拾ってきた鳥や虫の声などを組み合わせたものということでこれも興味深い。

 「エハン・デラヴィさんもタンクに入ったらしいですね」

 「彼とは友人だけど、彼となにかつながりがあるの?」

 「いや、ECCOのHPを見つけた時にちょうどエハンさんの過去ブログを読んでまして、その中にこちらのタンクに入ってる写真があって、おーっと思ったんですが」

 「そうなんだ。彼とはリリー博士を日本に呼んだときに二人で通訳をしたりしてその頃からの付き合いなんですよ。彼は人を元気にさせるものを持ってる人だね。」

 ホゥホゥ(; ・`д・´)・・・だんだん精神世界ミーハーな部分が興奮してくる。

 しかし、今日の目的はタンク!!そして、浮くこと

 説明が続く。
 中に入ってしばらくすると、肩や首の辺りに違和感や痛みを感じることがあるという。
 これはタンク内の環境により、自分のブロック(筋肉の緊張など)が敏感に知覚できるようになるかららしい。
 そういう時は体を動かしたり、一回タンクから出て、シャワーを浴び仕切り直しをすると良いらしい。
 一番よくないのは我慢して耐えていること。

 「長く入ってるほど効果があると勝手に思い込んでる人がいますけど、そういうものでもないですからね。」

 まあ、初回は90分もあるので、僕も適当に出たり入ったりしようと思った。


 タンクに関するウィキ→アイソレーションタンク


 チベッタンベルのような鐘の音で浄化。
 そして、バスルームに入って、シャワーを浴び、体はボディソープ、頭もシャンプーで洗う。
 「禊なのでしっかり洗ってください」と書かれたプレートが壁に。
 その後、耳栓をして、タンクの入り口で結界を張ります(´∀`)
 張り方は教えてもらえます。簡単です(笑)
 そして神社のように入り口で、二礼二拍手一礼をする。
 これはぜんぜん強制ではないのだけど、ある作法をルーチンにすることでセッションをスムーズに
 運ぶためのものだとか。
 なんつーかタンクを聖別するんですかね。
 お坊さんや牧師さんもいらっしゃることがあるそうなので、自分で気持ちを切り替える方法を持ってる人は
 それをしてもらえればOKとのこと。

 一見怪しげにも見えるが、逆にこういうエネルギーがともすればこもりそうな空間で、不特定多数の人が出入りするタンク。逆に浄化的な儀式がまったくないって言うほうがヤバイ気がする。水を入れ替えるだけではちょっと問題ありそうだ。
 
 裸で、タンクの入り口からのぞくと、中は真っ暗。
 水温は約34,5度。
 正直、ここに入るのは少し怖かった。
 暗闇と、水。
 本能的にやや怖いものがある。

 だから「ほの暗き水の底から」なんて、小説のタイトルが存在するのであろう(;゚;д;゚;)━━━━━!!

 さだ子が現れないように祈りつつ
 少しだけ勇気を出して、裸でその中に足を踏み入れ、中からタンクのドアを閉めた。

 がちゃ シーーーーーーーーン

 わーホンマに暗いや             (´゚∀゚`)

 中に入ると広大な空間でひとりぼっちな感じがすることもあるけど、そういう時は壁を触って確かめてくださいと宮部氏が言っていたが、確かに・・・そういう感じ。

 そろそろと、体を横たえると、あっさりと浮かんだ。

 ぷっか~~。・・・・わ、浮いた、浮いた~~。

 しかし、最初はやや閉塞感と生暖かい中の空気になじめず、ここで90分は少々きついかとも思った。

 そんな違和感はあまり長くは続かなかった。

 気持ちが良くて、顔が勝手にニヤケてくるのである。
 神様酔いとかとはまた違うが、勝手にニヤケてくるのは共通している。
 何の努力もなく浮かんでいるというのが、かなり気持ちよい。

 自分がなんか人間の体を持っているとは思えなくなり
 瞳の裏には

 頭が三角形の古代の両生類や、爬虫類や クラゲのイメージが浮かぶ

 聴こえるのは自分の呼吸の音のみ。
 その呼吸音も自分がしている呼吸というか、一生命体の呼吸音と一体化しているようなそんな感じになってくる。

 相変わらず顔はニヤケているが・・・
 自分が赤ん坊になっていくようで
 なんかそのニヤケた顔が、誰かに祝福されているような気がするのである。
 いや、祝福されているからニヤケているのか
 僕のニヤケ顔を中心に空間が広がっていくという、完全な自己中心性
 笑うだけで注目される、よろこばれる、幼児の記憶か

 とにかく 安心感と そして一人でタンクに浮いているだけなのに
 守られている 愛されている
 そんな感情さえ湧いてくるようだ

 ・・・・・幸せだ・・・・・

 ほとんど肉体の感覚さえなくなり、この空間は
 さっきまでここに来る為に乗っていた電車とも、さっき宮部さんと話していた時間とも
 まったく違ったクオリティを持っている。
 
 そして、僕をここに連れてきたのは この今の 「これ」じゃないかと
 そんなよくわからない思考

 存在することに意味がある

 存在することに意味がある

 存在することに・・・


 という思考のエコー 

 
 なぜか次に、ペンギンになった気がした。

 p1.jpg

 

 は?ペンギン??・・・なんでやねん

 とわれに返り 笑いで 体が震え 液体が波立つ。

 最後に 大きな夕日のイメージ

 ネパール?チベット?
 寺院のテラスのような廊下
 そこから見える大きな 真っ赤な 鮮やかな 夕日 山脈に沈んでいく
 
 ポタラ宮?
 映画の「リトルブッダ」?

 意味のあるビジョンか、この状態だからふとした想像が拡張されるのかは不明だが
 美しい夕日!
 今でもイメージできる。

 ・・・・・・・・それからどれくらい浮いていたのか、開始時に教えられた終了の鐘が、タンク内のスピーカーから鳴るのが聴こえた。

 まだもうちょっと入っていたいが。
 体を起こすと、

 歩くということがとても不自然で、からだが重く感じた。
 ふらつきながらタンクのドアを開けて出て行く・・・ある意味僕が、さだこ(〃艸〃)

 なかなか体と意識の感覚が戻らないまま、ふたたびシャンプーとシャワー。



 結局、中休みする必要も感じず、90分液体に浮いていたようだった。
 


2010. 03. 01  
 1月17日頃に見た夢。
 昔通ってた四国のK大学の構内を自転車で走ってみようかと思いつき、そっちへ向かっている。

 夢の中でもうそこはとっくに卒業しているという意識はあるのだが、そこに行ってた頃対人恐怖がひどくてキャンパスの中を歩くのも苦痛だった時があった。だから、今はもう全く平気だと言うことを証明しようと言うような気持ちでそこへ向かった。

 ところが大学へ行くはずが、たどり着いたのはK川という市内を流れる川の上流だった。
 コンクリートの道が川辺にあって、そこから水を眺めると、あまり動きがなく緑色で底知れない深みを感じさせ少し気味が悪くなる。

 しかしいつのまにか、その水が透明になっていた。
 そして僕の視点も少し上に移動して、川を見下ろしていた。
 するとその川の中に、半透明の白いクジラかイルカかわからない巨大な動物が群れをなして何匹も泳いでいた。
 僕は驚いて携帯を出して、写真を撮ろうと思った。
 半透明のクジラたちははまるでホログラムのように水の中に映し出されているような感じだった。

           pv_whitewhale002.jpg




 



 2月17日ごろ見た夢。

 明け方プールのような場所でイルカさんと一緒に泳いでいた(夢の中で)

 耳元で彼らのクリック音が クリリリリリリリリ とエコーする。
 その夢の中でイルカとの触れ合い、あたたかい友情のようなものを感じた気がする。

 そのほかの詳細は覚えていないが、目が覚めたあと、水中のリアリティに関する思考が執拗に展開していく。
 それは以下のようなものだった。

 水の中で「浮く」現実を体感することで、本来の三次元の姿である無重力リアリティが生の現実に追加される。
 
 体の力を抜いて、液体に浮くことは『流れに乗る』という生の姿勢を感覚的比喩として教えてくれる。
 事実上人間の肉体の過剰な緊張は、人生に苦闘するという生きる姿勢から来ている。
 あるいは流れに逆らうということで、無駄な緊張を作り出している。

 つまり、水中で経験したリアリティを、感覚的比喩として肉体に記憶させ、それを地上での生に転用することは可能である。

 クジラ、イルカたちは全方向的に等価のコミュニケーションをしている。

 上下という、地上を生きる哺乳動物に組み込まれた脳回路は水中では意味をなさなくなる。

 無重力の世界で、いったいどっちが下でどっちが上か?
 どっちが偉くて、どっちが下っ端か?

 会長さんと社長さんの頭の上を平社員が泳いでいったら、緊張感がなくなるだろう。
 
 水中世界で、自我を高揚させるヘッドトリップは「ダサい」と思われているので、コミュニケーションのすべては戯れに満ちている。人間なら社長の頭の上、遊泳禁止という規則を作りかねない。。。

 というヘッドトリップが続き眠れなくなってきた。

 重要度から言うと、まずは 浮く → 泳ぐ、もぐる → 水中の種と触れ合う というような順で体験すると良いような気がしてきた。
 近所のプールにでも通ってみようかな。  

 しかし、『浮く』という言葉から 割と近場のスポーツクラブにフローティングカプセルなるものがあったはずなのを思い出した。これはジョン・リリー博士のアイソレーションタンクをもとにデザインした一般用のものだったはずだ。

 ・・・・あれで浮くのもアリだな フフフ( ̄ー ̄)ニヤリ

 ところが朝になってから調べてみると、もうなくなっていた(´-ω-`)しょぼーん。

 しかし、アイソレーションタンクでググルと、すごいことに、本格的なアイソレーションタンクが日本にも出来ていたことを知った。

 いやー驚き。それがECCOというところだった。
 (リンクは貼りません。興味のある方だけ、アイソレーションタンク、ECCOなどで検索してみてくらさい(*・ω・)*_ _))ペコリン )

      
 ECCOと言うのはもともとリリー博士がつくった概念で、宇宙暗号統制局のイニシャルをとったもの。
 リリーは、シンクロニシティを統御する部署が宇宙に存在すると考えたのだ。 
 
 リリー博士は、なぜかジョン・レノンとイメージが僕の中でかぶっている。
 まあファーストネームが同じなんだけど、
 一人は多少エキセントリックな脳科学者、一人は世界的ミュージシャン。
 でもどちらも宇宙人ぽくて、自由で、好きだ。
 ちなみにレノンもタンクには入った経験があるようだ。

     images.jpg

 リリー博士は脳や意識の研究、クジラ類と人との異種間コミュニケーションなどに生涯を捧げ、その晩年をマウイ島で過ごしたと言うことだったが、
 2001年9月に亡くなった。
 ECCOの主催者の宮部さんは、マウイでタンクに入り、その後日本に最初にリリー博士を招聘したという。
 
  
 さっさかさーと流れるように出会ったので、これは行ってみることにした。
 気持ち的には、海に潜るための準備。


・・・・ということで、次回、灰たかタンクに入るの巻き(=^▽^=) 





プロフィール

はいたか鳥

  • Author:はいたか鳥
  •  Only in silence the word,
     only in dark the light,
     only in dying life :
     bright the hawk's flight on the empty sky


     ことばは沈黙に
    光は闇に
    生は死の中にこそあるものなれ
    飛翔せるタカの
    虚空にこそ輝けるごとくに

    ゲド戦記 エアの創造より


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