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Rumi

 エハン・デラヴィ氏の新作、「スーフィーの賢者 ルーミー~その友に出会うため~」を読んだ。
 ルーミーは13世紀に生きた、スーフィー(イスラム系の神秘主義者)の導師であり、詩人でもある。



  その中から、愛と死についての詩。


   死とは

 死は永遠なる存在との結婚です 一なる神のもとに帰ることです

 太陽はいつも自らを細かに分割し 家中の隙間という隙間へ光を注ぎこみます

 だが 光への入り口が閉じられると 映し出されていた多様な世界も消えるのです

 つまり光がはじめの光に戻るのです そのように私たちは一なる神のもとに帰るのです

 


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 愛は主人です


 愛は世界を統べる唯一つのものです

 わたしは愛によって完全に支配されています

 愛を求めるわたし自身の情熱によって

 砂糖のように甘美な大地にわたしは生かされています

 しかしあなたの前ではわたしは強風に晒される一本のワラにすぎません

 次にまたどんな風に吹かれるかどうかなどわかるはずもないし

 この身にはハリケーンとの契約などできるわけもありませんし

 運命が定められたものだと言い張る人はよっぽどのバカか嘘つきです

 神は至るところで復活をおこなっています

 愛によって万物を活かしています

 人間が自分で行動しているふりをしても無理というものです

 愛の掌の上では誰だって袋のなかの猫のようになってしまいます

 ときどき愛はわたしを空高く抱きあげます

 でもときどき愛はわたしを空中に放り出します

 愛によって人は神のまわりを激しく揺れ動くばかりです

 この世にもどこにも平安などはありません

 あるときのこと

 そんな神を愛する者たちが荒れ狂う川に落下しました

 そして彼らは愛の命じるままに愛に身を明け渡しました

 それからというもの

 四六時中休みなく回りつづける水車のように

 彼らは激しく旋回し続けています

 旋回し旋回し旋回してあなたの愛を求めているのです



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                  100419_1128_01.jpg
 


 今のわたし


 前略 今のわたしは あのひとを恋するジプシーです
 捉えがたい情熱をそのまま歌って踊って生きています
 毎日のように別々の家で 毎晩のように星々の下で

 そんなわたしも嘗ては君と似て生真面目な大人でした
 この世の常識で身を固め 洗練された知識ですべて合理的に対処して
 そして恋人たちを嘲笑って 模範的な生き方をしていました

 今はちがいますよ 歓びに酔っ払って歓びのまま生きているんです
 苦悩はありません めちゃくちゃ熱狂して熱狂のまま生きているんです
 だから気をつけて きっとわたしは君を巻き込んでしまうからね 草々



 次のはどこか「千の風になって」と似ている

 永遠との出会い


 わたしが死ぬ日 あなたが棺を運ぶとき わたしの魂が まだこの世にとどまっているなどと 想像しないでください わたしを思って泣かないでください 「なんて悲しいの」などと言わないでください それでは悪魔の罠に転がり込むようなものです それこそほんとうに悲しいことです わたしの死体が横たわっているのを見ても 「彼は逝ってしまった 逝ってしまった」などと叫ばないでください


 わたしが死ぬことは すべてのものと一体になることです ひとつになって存在と出会うことです 永遠と出会い続けることです 墓のなかに わたしを降ろして「さようなら」などと 言わないでください その墓は わたしたちが一体である 生も死も一体である天国を ヴェールで覆っているに過ぎないのです あなたは わたしの最後を看取りました でもわたしが天に昇っていくのを 見たわけではなかった


 太陽や月が沈むのは 当たり前のことです 沈んだからと言って 太陽や月が損なわれるわけではないでしょう?あなたにとってわたしの死は日没のようなものでしょうか? いいえ それは 夜明けです わたしの墓は牢獄のようなものなのでしょうか?いいえ それは 魂の解放です



    250px-Grotta_azzurra.jpg




 


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未分類 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2010/04/26 23:05

エフェクトOFF

 いろいろなカラオケボックスに入ってみると、部屋によって音の設定がかなり違うので結構混乱する場合がある。

 自分の声が、いろいろな響き方をするので、場合によってはすごくうまくなったような気になったり、とてもいまいちに聴こえたりする。

 基本設定できるのはどこでも、エコーレベル、マイク音量、ミュージック音量、主音量くらいだと思う。
 でも、素人感覚なのでただしいかわからないが、これらを同条件に設定しても、なんか部屋によって音の感じがかなり変わる。部屋の広さとか、スピーカーの位置とかも関係あるのかよくわからないけど。

 あちゃー変な部屋に来ちゃった~と思うことが時々ある。

 でも部屋の状態がどうであろうと、マイクを通さなきゃあまり関係ない。
 だからカラオケで発声練習しようと言う時は、最初マイクは使わない。
 伴奏に合わせて、自分の声が聴こえるように耳に手をあてて、生声だけで歌ってみる。

 その日の体調とかによって、自分の声の出方も結構違うのに、そこにカラオケの機械のエフェクトが加わるとなんだか本当によくわからないことになるからだ。

 だから実際の声よりも下手にも上手にも、変にも聞こえないためにエフェクトを切った方がいい。
 
 ところで、日常生きている中で、周期的にかかってくる圧力感もエフェクトと似ている。
 自分の基本プログラムは同じでも、外側からのエネルギー、太陽や月、天体の影響、気候、現在人を目覚めさせる為に大量に降り注いでるといわれる宇宙的な「何か」、などによっていとも容易く上下にブレる。

 人の意識にエフェクトがかかると→その人の行動にエフェクトがかかり→それによって集合的な現象にエフェクトがかかる。だから満月や、新月、太陽が活発に爆発してる時などはいつもと違った現象が起こりやすい・・というのは事実だと思う。

 個人的なエフェクトか、集合的にかかってるエフェクトかというのは注意深く観察してるとなんとなくわかってくる。


 このスイッチを入れるのは僕らではないので、このエフェクトに影響されないということは基本的に不可能。
 というか状況を常に回していく為に、これらは存在している。

 チャンチャン(●´∀`●)

 ・・・と話しが終わってしまうのもどうかと思うので、、、続きを書くと、『あ、エフェクト、かかってる!』と気付くことで注意深くなれるということはある。だいたいエフェクトがかかると、周りに対して注意深さがなくなるのである。だから車だったら、『今エフェクト付きだから注意して運転しよう』とか、人と会うんだったら『エフェクト付き』だから言動にちょっと注意しようとか、思える。

 それでも事故ったら、これはしょうがないこと(笑)

 あとなんとなく集合的なエフェクトがかかってそうな日だったら、他者に対しても、「あーこの人エフェクトでイライラのほうにぶれちゃってるんだな」とか察することである程度寛容になれたりもする。

 やっぱり天体の影響ってかなり大きいんじゃないかと感じる今日この頃。

 しかし、一度台風の目の中にいるようなクリアな状態を感じたことがあると、そこをセンターとして考えることで、荒天のなかにあってもやや距離を置いて状態を見つめることが出来る。
 
 生声と同じように、だいたいありのままの状況というのは、想像してるほど悪くも良くもないものだ。
 でもうまくいくと調子に乗りすぎたり、つまづくと必要以上に落ち込む。
 そう思わせる、感じさせるのが宇宙カラオケボックスのエフェクトなのだと思う。 

 つまり、マーヤ(あ、終わっちゃったw)
 
 たまにはエフェクトがんがんでいい気持ちに浸って歌うのもいいのかもしれないが(自己陶酔)、
 変なエフェクトにはまって、恥ずかしくてもう歌うことなんてやめよう(自己嫌悪)と思うこととセットになってる。
 生声の安定感、ありのままの自分を信じるのが、一番。
  
 
 愛情や知恵を秘めているけど、ちっちゃくて、弱くて、風向きによってはどこに行くかわからない。
 でも草原に咲いてる小さい花みたいに、存在するだけで十分に愛される価値を持っている。

 ありのままの『自分』てそんな感じじゃないかと思う。

 だから、エフェクトに一喜一憂しなくても大丈夫!かな。


本日の一曲



http://www.youtube.com/watch?v=l7oY6vzaVms

人は弱し うわべ装い 心は裸 うわべは崩れる
もろい裸こころはたやすく傷つき 救い求めうろたえる
頼れるもの探ししがみつく それの繰り返しが人の歴史
小さすぎる世界観 大いなる自然にごめんなさい
誰のせいだとか関係ない 気にするヒマあれば笑いなさい
美しい空の青 海の青 この島すでに悲しき日本色
この小さな島にあふれてた おばあの笑顔も涙で歪む
こころからみんなで歌える国の歌なら楽しいかもね
平和願い叫ぶ前に これ以上自然を壊さないで

矛盾の上に咲く花は根っこの奥からぬきましょう
同じ過ち繰り返さぬように 根っこの奥から抜きましょう
そして新しい種まこう 誰もが忘れてた種まこう
そしたら野良犬も殺されない
自殺するまで追い詰められない
どこの国もやさしさであふれ
戦争の二文字は消えてゆく
そして振り出しに戻し 今
素敵な世の中をつくろうか
素敵な世の中をつくろうか





知覚、リアリティetc | コメント(2) | トラックバック(0) | 2010/04/15 10:55

恐れの克服

 やっぱし、シリアスに過ぎ、UPしないほうがいい雰囲気なので期間限定にしました(笑)

 まーどっちでもいいのかもしれないけど、最近は基本軽いのりで比較的どうでもいいことを書いていたほうが自分が気楽というのもあります。濃い記事はI先生のことも含め、書きつくした感があるので今はゆるーい感じで行きたいです。

  しかしながらこの記事にコメントいただいた皆様方には、どうもありがとう~(*≧∀≦) ございましたです!

  
                  100410_1318_01.jpg


師匠との対話 | コメント(8) | トラックバック(0) | 2010/04/11 10:03

ドアチャイム、アメニモマケズの「てい」で

 ドアチャイム



 夜勤明けと給料日のダブル解放感で、吉祥寺のマルイの近くの雑貨屋さんでドアチャイムを買った。
 (っつっても1000円くらいのもんw)

 カーテンをくぐると、結構高音でちゃりん、ちゃりん~♪と鳴ってくれる。
 実は比較的低音でなる商品もあり、迷ったが、結局高音に引かれてこっちを買った。
 涼やかな感じが強い。


 100410_1444_01.jpg



 こういうドアチャイムは、ECCOのセッションハウスの玄関にも吊るされていて、初めて行った時こりゃいいなーと惚れ込んでしまい、いつか買ってやろうと思っていた。

 家帰ってきたとき必ず、この音が迎えてくれるって言うのはなかなか良い意識の切り替えになるんじゃないだろうか。ECCOではタンクに入る前の浄化にもチベッタンベルなどの音を用いるし、音に対するこだわりがとても感じられる。

 なんか雑貨屋さんを一周していろいろ見たけど、こういう、直接生活には役立たない(かに見える) 生活の中のArtっていいなーと思った。
 単に実用的なものだけを並べていると、息が詰まることもあるので、ちょっと異世界観を感じられる小物とか、木のぬくもりを感じられるものとか、遊び心があるものとか、そういうのっていいっすね。

 それは別に買ったものじゃなくても、自分の発想と手づくりである程度できるんじゃないかなーとも思った。

 豊かさ・・・・っていうのは もちろんお金がなきゃ始まらない的なところもあるのだが、なんか一見実用的な役にたたなさそうな、きれいなものとか、かわいいものとか、癒されるものとか、そういうものと生活の中でともに生きているということじゃないかと思う。

 例えばワーキングプア的な環境にあったとしても、その人の部屋にひとつでも鉢植えの花があるとか、楽器があるとか、絵が飾ってあるとか、キレイなお皿とかワイングラスがあるとか、そういうことでまた違った現実が見えるんじゃないだろうか。

 一言で言えば、生活の潤いっていうことかもしれないけど、コンビニのお惣菜でもそれをプラスチックの容器からそのまま食べるのと、ちょっと面倒だがお皿に移してから食べるのとでは大げさに言えば違う食べ物になると僕は感じる。

 別の食べ物なんて気のせい? いやいや、「気」が違うっていうのが大きいのではないか。

 では、何が違うかというと、ひとつは機械的に製造されたものに、自分のエネルギーを少しでも注いでいるということ。
 もうひとつはやっぱりプラスチックの容器より、お皿に盛ったほうが美しいというArtの要素だと思う。

 お金がなくてもそういうやろうと思えば、すぐに触れられる豊かさがたくさんあるんじゃないかと思った。
 逆にお金があっても、寒々しい部屋や環境に住む事だって出来る。
 やっぱり意識の問題か??

 簡単なのはやっぱ 駅前とかで売ってる花を飾る! これは明らかにいい感じになりますね~~。
 出来ればお金持ちでArtな生活がいいが
 無理なら貧乏でArtな人になるのを目指そうと思う(笑)
 これは工夫次第で、実現できるはず。。。

 実用的でないと書いたけど、こういうのは本当はひどく精神的にはひどく実用的なもので、生きる悦びに直結しているものではないだろうか。
 そう、「文化」とも言うかも。

 最近はヘルパーの仕事で簡単な料理をするので、自分のご飯もたまに作るようになったりしてようやく自炊に目覚め始めた。スーパーのお弁当より、家で作った料理のほうが元気になる。なんでかな?やっぱり自分でエネルギー入れてるのかな。
 料理もなかなか、楽しい。新しい包丁が欲しい(笑)

 

 アメニモマケズのていで 

 なんとかの、ていで・・・てよく楽屋オチ的にバラエティ番組の中で使われる。

 どうも「・・・という設定で」という意味らしい。

 アメニモマケズのていで・・・というのは、本当にアメニモマケズみたいな生き方をしようとしたら無理が出るので、ちょっとそういう設定で意識して生きてみようかという意味。中でも今ちょっとツボなのは、

 欲ハナク
 決シテイカラズ
 イツモシズカニワラッテイル・・・・・

 アラユルコトヲ
 ジブンヲカンジョウニイレズニ
 ヨクミキキシワカリ


 のなかの

 欲ハナク

 である。

 最初から言うと、欲をなくす、とか無理やと思う((´∀`))

 だが、最近ギータを読み返したところ、『欲』というのがあるレベルの苦しみの原因であることがはっきりわかった。

 「それではクリシュナ、人間は何に命じられて悪をおこなうのか?望みもしないのに。まるで力づくで駆り立てられるように。」

 聖バガバッドは告げた。
 それは欲望(カーマ)である。それは怒りである。ラジャスというグナから生じるものである。
 火が煙に覆われ、鏡が汚れに覆われ、胎児が羊膜に覆われるように、この世はそれ(欲望、怒り)に覆われている。
 知識あるものの知識はこの永遠の敵に覆われている。アルジュナよ、この満たしがたい火によって。


 基本的に、この文明はラジャスの火によって回転してると僕は考えている。
 だから、人が陥るマーヤの質も「必要もないのに煽られる欲望」に起因している場合が多い。
 もっと多く、もっと豊かに、もっと美しく、もっと独創的に、もっと便利に、もっと速く、もっと安全に、もっと・・・
 というわけだ。
 
 とにかくこの炎のエネルギーにより、歴史を加速化するというのが宇宙のプログラムだったようなのでそれに文句をつけてもはじまらないのだが、あえてだまされる必要もない。それがわかれば出来る人だけ火の車の回転するゲームから降りてゆき、風と水が木々を育てるナウシカの「風の谷」に戻ればいい。

 僕はお金が欲しいとか、異性とエッチなことしたいとかいう欲望を否定することがよいと思ってるわけではなく、それらへの妄執によって身を焼かれるのが疲れることだと思う。海外に旅行に行きたいとか、車欲しいとか、家が欲しいっていうのもそう。

 そりゃー欲しいですよね。
 でも、苦しいほどに欲しがることもないでしょ。
 手に入らなかったらどうしようって怖がることもないでしょう。
 将来こうならなかったらどうしようとか
 こうなったらどうしようとか

 そういう風に恐れるなら、欲を捨てた「ていで」今与えられている豊かさに全開でオープンになってみたら気持ちいいーんじゃないかと、そう思った。
 で、無欲というか、(欲望に振り回されない状態)っていうのが here&now なんじゃないかと思った。
 欲望はあるのだが、それがトリックだとわかっている意識というか・・・・・
 欲望を真に受けていたら、それは満たされざる「怒り」へと変質するっていうこと。

 感謝も、その今ここで感じる「しあわせ感」から来る。

 なんか欲望から自由っていうのが、すごくコズミックな感じがする。
 と同時に宇宙的には当たり前なのではないかと思う
 木とか植物の意識って、多分「今ここ」だけだと思うのだが彼らとつながろうとするなら、何も期待しないとか、多くを求めないっていうことが鍵になるのではないか。
 
 これを思ったきっかけは、とにかく停滞気味、停止気味だった1,2年のサイクルが終わったのでとにかく今年はいろいろチャレンジしようと意気込んでいたのだが、なんか先の計画だけ考えてストレス気味になっていたこと。

 エドガーケイシーによると

 「不安は、何によって生き、何を理想とすべきかまだしっかり定まっていないことから生じる。

 ということ。
 僕の場合も就職してがっつり働いている人とは違って、生活できる分は働いているが、暇な時間を多めに組んでいる。自由な時間が多い分、将来的にどうしようかとか、こっちに行こうか、あっちに行こうかという葛藤もやはり多い。

 まあこれでものすごくはっきりした夢とか目標があるのならば、少しづつそこに至る努力をしつづけるということで
葛藤は解消すると思うのだが、その辺も暗中模索というかふらふらしてるのでやっぱりケイシーが言う意味での不安というものとは縁が切れない。
 
 僕の場合はそんな具合だからラジャスの「火」に焼かれると、とにかく今の状態を闇雲に脱却したいというかそういう感じになるのだけど、そうなると現在を拒絶しているので結果的に関わる他者に対しても拒絶的になっている感じがする。
 「今、ここ」との一体感がなくなるので、仕事上で関係性がぎくしゃくしたり、つまらないミスをしたりすることが多い感じだ。

 (ただ過労死するくらいラジャスチックな環境で働いてる人は、それに対して拒絶的になってもある意味正常な、生命としての自己保存本能だと思う。なんでも、どんな環境でも受け入れるのがいいとは思わない。その基準は・・・神様に聞いてくださいませ)


 でも無欲の「てい」でやるべきことをやっていると、とても楽に生きられるような気がする。
 今年はやりたいことは積極的にやってみようと思うけど、なるべくこれが職につながらないか・・・とか、なにかのきっかけにならないか・・・とか欲をかかないでやってみよーと思った。

 今日は歌のレッスンだった。
 「火」にやられていたら、こんなことやっててもしょうがない、、、とすら思いがちだが、
 無欲の「てい」で行くと、今与えられてることなので全力でやろうという感じで、すごくいつもより集中できたような気がする。
 無欲の「てい」で行くと、「今」が豊かになるというパラドックスがある気がする。
 
 これは一見実用的でないちょっとしたもので生活の喜びががらっと変わるということと、ちょっと似てるかも。
 もともとArt(美)は「今」に目を向けさせるものだと思う。


  海に水が流れ込む時、海は満たされつつも不動の状態を保つ。
 同様に、あらゆる欲望が彼の中に入るが、彼は寂静に達する。欲望を求めるものはそれに達しない。

 すべての欲望を捨て、願望なく、「私のもの」という思いなく、我執なく行動すれば、その人は寂静に達する。
 バガバッド・ギータ 2章

 の「てい」で行ってみよ~(`・ω・´)

 僕はクリシュナをバックシートに載せたリムジンの運転手。

 の「てい」で今日も出勤。
 大事な人を乗せてるから注意深く、指示があったらいつも聞けるように、集中して。

 ちりんちりん~♪

 オーいい音。


未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/04/10 16:05

ふにくり太陽ふにくら

太陽風超高速、こりゃーちょっとだけwarnningであろうか?
メキシコで地震M7.2


 2010/ 4/ 5 18:30 

3日19時(世界時3日10時)のB7.4の小さなフレアに続いて発生したCMEによる太陽風の変動が、
先ほど到来しました。ACEの図では、5日17時(世界時5日8時)に観測され、続いて地上にも到達しています。
沖縄の磁場変動の図を見て下さい。

ACEによると、速度は750km/秒に上昇し、磁場強度は15nT、-10nTの南向きも発生しています。
フレアの規模が小さかったにも関わらず、なかなか強い太陽風の乱れがやってきました。
沖縄の磁場データは、既に下がり始めていて、磁気嵐の始まりを示しています。

AE指数では、ここまでも活発なオーロラ活動が続いていましたが、
この太陽風の乱れで、一段と激しい変動が予想されます。



2010/ 4/ 6 20:05 更新
太陽風の磁場が南を向き続け、磁気圏の擾乱が続いています。


太陽風磁場が、ずっと南を向き続けています。
磁場強度は8nTほどで安定しているのですが、
南向きはむしろ強まり気味で、現在は-7nTくらいになっている様です。

一方、太陽風の速度は、550km/秒まで下がってきました。
高速風としては、終息の方向に向かっています。

地上では、この太陽風の影響で、活発な変動が続いています。
AE指数は、連続的に太くなっていて、
磁場が長時間南を向き続ける時の特徴的な変化をしています。

沖縄の磁場は、-100nT下がり、立派な磁気嵐になっています。
また、放射線帯の高エネルギー電子が、
一気に10,000の警戒レベルに増加しています。

どこまでこの変動が続くのか、注目して下さい。

http://swnews.jp/






 あーシャトルこんな時に打ち上げて大丈夫か~と想ったが、

 通信故障、画像送れず=山崎さんのシャトル

 これって太陽の影響??

 





 最近気になる歌。(特に意味なし。深読みしないでケロ)



 先週、「うた魂」とゆう映画を見た時に、主役の女の子が歌っていた歌。
 それを聴いてから、

 ゆこう♪ゆこう♪火の山へ 

 ふにくり ふにくら ふにくり ふにくら~~という歌詞が時々頭の中で止まらない(笑)

 ふにくり ふにくらというのは実はイタリアのヴェスヴィオという火山に走る登山列車の名前らしい。
 1880年ごろに開通して、その頃作られた歌が今でも歌い継がれているとか・・・すごいな。
 世界最初のCMソング。

 イタリア語版の迫力はなかなかである。

 

 以下が訳らしい


夕べばあやがボクをどこかに登らせてくれたんだけど
それはどこか知らない?(それはどこか知らない?)
どこに行ったらこのもやもやした気分を
晴らせるのかな?(晴らせるのかな?)

火が燃えている所はどう?行きたくないなら
置いてくけど(置いてくけど)
それは近くを走ってはないけど、飽きることはない
さあ、空を見てみて!(空を見て)
行こう、行こう、上に行こう、行こう、行こう
行こう、行こう、上に行こう、行こう、行こう
フニクリ・フニクラ、フニクリ・フニクラ
上に行こう
フニクリ・フニクラ



なんか、ふにくりの意味がわかる前の方が、火の山へ~♪という歌詞が神秘的に響いた気がする(´・ω・`)

そういうことってよくあるなあ

 うた魂♪はなかなか面白い映画だったけど、ラスト「あなたに」の合唱がよかった。






http://www.youtube.com/watch?v=nKCiXWWrRik

 オリジナル。ううー MONGOL800 いい~バンドだ!



http://www.youtube.com/watch?v=G2mRUU8WI8w&feature=related
知覚、リアリティetc | コメント(2) | トラックバック(0) | 2010/04/06 20:35
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