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1992年未来のカタチ

 


http://www.youtube.com/watch?v=j57mxqHD-4M&feature=PlayList&p=E8F21E92D11B750D&playnext_from=PL&playnext=1&index=5


   EPO 『百年の孤独』



 生まれた時に消されてしまう 記憶はどこの海に沈んででいるの?
 nobody knows it my mystery
 遺跡を見ると胸が騒ぐ 私はどこに戻ろうとしてるの?
 nobody knows it my history woo・・・



 ロングバージョン

 http://www.youtube.com/watch?v=4rP-8YWnO5s&feature=related

 この歌関口博の『ワンダーゾーン』という超常現象を扱った番組のエンディングテーマだった。
 いろいろな多岐にわたったテーマを毎週取り上げていて、十代の頃ポテチをばりばり食べながら毎回ドキドキして見ていたような気がする。


 ヒプノを使って、未来に行って来て見えたものをレポートするという回があった。
 結構印象的だったので覚えている。20年後と、30年後、そしてもっと遥かな未来のことを
 催眠状態で探った。



http://www.youtube.com/watch?v=keYkkto5uLo

 1992年から見れば、2012年が20年後だ。
 10代の自分からすれば20年後なんていうのは本当に遠い未来と思えたような気がする。だって今まで生きてきた年月を越える未来だから。
 1992年、もう少し世界はまともだったような気がするのはなぜだろう。
 このレポーターの人の描くビジョンも、未来型の車や飛行機が活躍する近未来SF的なイメージだ。
 いつのまに2012年はカタストロフイヤーに置き換わってしまい、それがある種のリアリティを持つまでに至ったのだろうか?

 もはや未来に対し、直線的にテクノロジーが発達していく前向きな明るいビジョンではなく、あるひとつの決定的なカタストロフや、リセット、あるいは別次元への跳躍といったことを集合無意識はリアルに感じるようになったんだろうか?

 温暖化問題などは、90年代から言われてきたと思うが、気候の異常を理論ではなく肌身で人が感じるようになったのはおそらく21世紀に入ってからではないだろうか。そして何か天気のおかしさや、地震のニュースなどになれはじめている自分にそこはかとない気味の悪さを感じたりもするこの頃でもある。

 でも面白いのは、まだ2012年頃は近未来的イメージなんだけど、30年後までトリップして、つまり2020年頃には『東京にあまり人がいないように感じる』と言っていることかな。

 そして果てしない未来には、地球のまわりには集合的意識の場だけが残っていてその未来の自分がこんなことを言う

 「なるようにしかならないんだから・・・・自由になりなさいよ」って

 なんかこのせりふが印象的でテレビをみたあとずっと覚えていた。


 今思い出してもなかなかシンプルかつ強い言葉だ。
 かつ未来をのぞき見ようとしている人に言うメッセージとしては、トリッキーな言葉でもある。


 そう、未来はどうなるかわからないから、今自由にならないとねえ・・・・
 



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知覚、リアリティetc | コメント(2) | トラックバック(0) | 2010/05/31 21:43

Mother曼荼羅

 前回の修道会で、I先生がすべて女性で形作れらた曼荼羅のビジョンを見た話しをしていた。

 それは先生が母なる神を知ったあと『どこであなたを礼拝できますか?』と問うた時に、「すべての女神と、すべての女性の中に」という答えとともに現れたビジョンだということだった。

 その曼荼羅の中央に、先生の幼い娘さんが座っていて、「こいつか・・・(笑)」と思ったとか。
 なんでも2,3歳くらいまでの女の子にはコズミックマザーの性質が強く現れていると言う。

 この曼荼羅の話しを聴いて、僕も以前似たようなイメージを見たことがあったのでちょっと驚いた。

 5年位前、サボテンの粉末を間違えて飲み込んでしまった時、緑の多い公園で「アベマリア」と唱え続けていると、すべて裸の女性で構成された巨大な寺院?のような建造物が現れた。彼女らは一様に目を大きく見開いて、背後を振り帰っているようだった。彼女らが見ているものは見えなかったがそれは「絶対なるもの」ではないかと思った。

 そして家に帰り雑誌を開くと、街を歩くかわいい女の子にインタビューした記事が載っていて、将来の夢は?と訊かれると多くの人が「・・・かわいい奥さん お嫁さん 素敵な結婚・・・・・」その手の回答ばかりが並んでいた。僕の目に彼女たちの個性は消えうせて、単一の実体がそれを喋らせているように感じた。彼女たちはすべて大マリアのかけらの小マリアであるようだった。

 それから僕は、昔の8ミリフィルムを父が編集したビデオを見た。
 母に抱かれて乳首をくわえている自分の映像を見て、僕は号泣した。

 その時僕は恋愛関係でどろどろした状態の中にいた。
 そのどろどろから逃げ出すために、あるいは答えを見つけるためにサボテンの粉末を飲み込んだのだと思う。

 よくわからないが、すべてはマリアの手の内にあって、それへの渇愛が愛憎彩られた多くのドラマを生み出しているのだということがわかったような気がした。
 特に男にとっては、自分を生み育む「母」であり、性的に引き付ける「異性」である、「マリア」は巨大な影響を持っている。

 それはあらゆる、欲望や、悲しみや、嫉妬や、不安の原動因であるばかりではなく、すべてを超越して、すべてを生かすような存在であり、愛であり、優しさであり、ぬくもりでもあった。

 混乱してる僕と、僕に関わる女性と、そして僕を育ててくれた父と母や、それらすべての現象はマリアの現れであり、僕はその現象を通じてマリアを相手にし、また彼女によって何かを教えられているようだった。

 マザーの力は、裏側から働きかけてくる。
 どんな状況でも、マザーが子を見捨てるということはない。
 なぜならその状況を与えているのも母だから。
 だからこそ・・・

 母に祈ることにより、そこが母の掌の上であると知ることが、問題を越えていく助けとなる。
 神様は、僕に、なにを教えようとしているのか?という問いとともに。
 

  mandala2.jpg

 マザーに怒られることを、I先生はマザーアタックと呼んでいる。 

 神様ははっきり怒ってくれない。『それやっちゃダメ』とはっきり言ってくれればわかりやすいけど。
 それは「サイン」と同じで、クリアな知覚力があるときだけサインは解読できる。
 そうでないと、そこに願望や妄想が紛れ込み、よくわからなくなる。
 もしクリアな状態であれば、あるひとつのなんでもない出来事が、「サイン」として光を放つのがわかることがある。 
 それは奇跡的な出来事や、不思議なシンクロではなく、ごくごく普通の出来事。
 
 なんでそんなわかりにくいかと言うと、『真実はそれ自身を隠蔽する』という法則が宇宙には働いているからではないだろうか。そこに向かう意志を持った時に、少しづつそれは存在をちら見させてくれるものだと思う。

 最近結構強烈にマザーにアタックしてもらった。 

 あるひとつのことがきっかけで・・・僕はそれをしてもいいかどうか迷っていたのだけど、もし、ダメならマザーが怒ってくれるんじゃないかと思った。

 すると直後、本当に仕事場で、意味のわからない因縁をつけて人から怒られた。
 普通だとその人に対する怒りが湧いてくるんだけど、最初から「マザーに怒られる」という概念があったので、これは僕とその人との間のことが直接の原因ではないのではないかという考えがあり、あまり腹が立たなかった。

 その後も、寝てるとき布団を暖房器具で燃やし、灰たかの丸焼けになりそうになったり、変なことが続いたのだが、なんとなくあのことで怒られてると思いつつもそれをやめなかった。
 そうすると最後にあまりにも見事なタイミングで、がちこんとされ、やっとわかった。

 母がなにをさせたくて、させたくないか、その輪郭もぼやっと見えてきた。
 すべて必然とも言うけれど、でももうちょっと早くわかればよかったと思う。。。
 

 


知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/05/31 12:30

シヴァーナンダとサイババ



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 スワミ・シヴァーナンダと、若き日のサティア・サイババ。

 リシケシで修行していたI先生の師匠がサッチャナンダ・サラスバティ師だと聴いているけど、シヴァーナンダ師はサッチャナンダ師の師にあたるので、I先生のグルのグルになるのかな??

 シヴァーナンダとまだ若きサイババが1950年代に出会っていたと言う話しがあるようだ。
 サイババがシヴァーナンダのアシュラムに滞在したと言う。




 1957年にサイババは、ヒマラヤに旅をした際に、リシケシュのスワミ・シヴァーナンダのアーシュラムに滞在しました。サイババはシヴァーナンダ・アーシュラムを『霊的静寂を得るためにふさわしい場所』と祝福しました。インドで数多くあるYogaのアーシュラムの中で、サイババがこれほど祝福したのは、Sivananda アーシュラムだけでした。


 スワミ・シヴァーナンダはサイババのことを「バガワン(尊神)」と呼んでいました。スワミ・シヴァーナンダは毎晩、英知に満ちた霊的会話をサイババと交わし、サイババのメッセージを一同に伝えました。そして、スワミ・シヴァーナンダは、ナマスマラナム(神の御名を唱えながら、御姿を想い浮かべる)の大切さを何度も伝えました。スワミ・シヴァーナンダの『自分を傷つける人をも愛しなさい』という教えは、サイババの教えとまったく同じものだということで驚いたことを、今でもおぼえています。スワミ・シヴァーナンダはある日、暴漢男に襲われたとき、警察に突き出したりせずに、ジャパ(神の御名を唱える)の大切さを教え、帰りの交通費まで与え許しました。スワミ・シヴァーナンダは教えを説くだけでなく、みずから実践していました。まさに『思い・言葉・行動』が常に一致していたので、聖者として歴史にその名を刻みました。


 サイババがシヴァーナンダ・アーシュラムに訪れた当時、スワミ・シヴァーナンダは体調があまりよくありませんでした。そんな状況でも、スワミ・シヴァーナンダはサイババのために、庵(いおり)を案内したりアーシュラム内を案内し続けました。その様子を見てサイババはスワミ・シヴァーナンダのために、もっと健康になるようにと毎晩、ヴィブーティー(神聖灰。肉体・精神・霊的病の薬。求道者に、「すべては儚く神だけが真実」であることを悟らせるための象徴。身体につけたり、飲んだりする)と果物を物質化して与えました。さらにサイババは目の前でガンジスの水を手に取り、その水をアムリタ(甘い蜜)に変えて、スワミ・シヴァーナンダに薬として与えました。そのおかげで、スワミ・シヴァーナンダの健康状態は日ごとによくなったそうです。



 こちらのブログ記事より 無断転載ごめんなさい。

 


神様 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/05/28 21:20

馬に乗る。、富士のココペリ

 馬に乗って見た。

 地元からバスで約3時間、富士裾野にあるとある乗馬クラブ。
 乗馬と言うとお金かかりそうだが、地元から交通費込みで一万円ちょいなので参加できた。

 もちろん初体験。
 『馬に乗って南北アメリカ縦断』というよくわからない夢を見て、おー、それくらいの気持ちで生きるべきだねと朦朧とした寝ぼけ頭で思ったのが去年の春リトリートのあとくらい。
 以来、馬に乗って見たかったので、乗った。

 ごくごく簡単なレクチャー(おなかキックすると、前進、左右の曲がり方、ストップ)のあと、馬場をみんなでぐるぐる回る。僕が乗ったのはブルボン君というスナック菓子的雰囲気漂う馬。馬の名前紹介の時、ミラージュという奴が居たので、「おーかっけー、で俺のは?」と思ったらブルボン君だったので少々かくっとしたが、、、よろしくな!ブルボン!

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 一応、右、左とか停止とか動作を促す合図はあるのだが、ブルボン君たまに言うことを聞いてくれない。
 僕は先頭だったので、ブルボンが急に止まると全体的に止まってしまうので、なんかプレッシャー。
 僕がいくらキックしても動かなくても、トレーナーの人が「ブルボン行け!」というと歩き出すので、なんというかこれは馬に乗っているというか、乗せられているという感じだ。まあ大体状況は他の人も同じかも。

 当たり前のことだが、馬はマシンではないということを改めて感じる。
 ハンドルを右に切ったら100パーセント右に曲がる車とは違う。
 止まっている時も、ぐらぐら揺れたり、「ぶるるるるっ」と言ったりする。
 あくまでこいつら生き物なんだ。
 今では「乗り物」というとマシンだが、生き物が「乗り物」という場合もあって、マシンを使い慣れてる僕らにしてみればそれに比べものすごく不確定要素の多い『馬』が『乗り物』であるという状況がなんか新鮮。

 うーん『AVATAR』みたいに、しゃーっと神経系で接続できればいいのに。 
 道具が無機的に自分の意思に従うという状況に、もしかして慣れすぎてるのかな・・・。
 

 だいたい目線が2メートルを優に越えるので、思ったよりかなり高所に居る感じだった。
 ちょっと早く走らせると、振動で腰が鞍にがんがん当たって結構痛かった。高いしちょっと怖い。見るのと、やるのとじゃ大違い。
 でもやっぱり速い方が気持ちいい!

 馬場の中での練習のあと、クラブの外に出て、付近を散歩する。
 そのあと帰ってきて、馬房にいる馬のお世話をする。
 なでなでしながらブラシでたてがみをとかしたり。馬蹄の裏にたまったごみを取る作業をしたりした。

 
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 馬に手綱をつけるレクチャー。

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 お世話させてもらった子(ブルボンのインパクトが強く、名前忘れたw)

小屋に帰る時、手綱を持って引かせてもらった。
 小屋の中に入ると、鼻面を押し当ててきて、とてもかわいい。

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 眼がやさしい。
 スリ(●'∀`人'∀`●)スリ

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 クラブの人が包丁で切ってるのは・・・

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 やっぱり・・・・・ニンジン大好き!!
 食いついてくる勢いが違う。
 一本もらってさっきの子にやってみたが、手首から先持ってかれるかと思うた(゚д゚ll)

 日程がすべて終わり、バスの時間まで自由だったのでさっきの子にまた挨拶しにいった。
 腕を出すと大きな口でハムハムしてくれる。なかなか官能的な感触。

 ハムハムハム・・・あっ(*´д`*)ハァハァ・・

 ん??(゚д゚ll)

 イデデデデデ(`OωO´#)

 指の先噛まれた~~~。な・なんでだ!嫌いなのか俺のこと~~

 と凹むが、さっきのニンジンのテンションが残ってたのかもしれないと思い、くっきり残った歯形をこれは
キスマークだと無理やり思い込み、馬房をあとした。

 
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 こんな変な奴も居た。

 ところで、僕がお世話していた馬の隣に白い馬がいたんだけど、その名前が『ココペリ』だった。

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 ココペリ

 ココペリと言えば、ホピ族の神話に登場する笛を持った謎の虫人間である。
 お土産屋サンには、なぜかココペリストラップも売っていた。


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 気になったので帰宅してからココペリのことをフランク・ウォーターズ著『ホピ 宇宙からの聖書』であらためて
調べて見た。
 伝承によると、第三の世界が大洪水によって滅亡したあと、生き残った彼らは第4の世界(現在の世界)の放浪を開始した。


 彼らはマフ(熱の力を持つ虫)と呼ばれるキリギリスに似た二人の虫人に伴われた。
 山の峰で、彼らは巨鳥ワシに出会う。人々への通訳をになうマフの一人がワシにこう尋ねた。

 「長いことここに住んでいるのですか?」

 「そうだ」とワシは答えた。「この第四の世界の初めからな」

 「わたしたちは遠い道を旅してここまでやってきました。
 あなたと一緒にここに住んでよろしいでしょうか?」

 「多分な」とワシ。「だがまず君らをためさにゃなるまい」
 ワシは、足で捕まえている矢の一本を抜くと、ふたりのマフにもっと近づくように言った。

 「この目をお前の目に突っ込むが、もし目を閉じずにいれば、君らはみなここに留まってもよい。」

さて、ワシは矢の先端をマフの目に触れんばかりに近づけたが、マフは瞬きひとつしなかった。
 「君は強い力を持つ人間だ」とワシは観察して言った。

 「だが、次はもっと厳しいぞ。パスできないと思うが、どうだ」

 「次のもお受けしましょう」とマフは二人とも言った。
 
 ワシは今度は弓を出してこれに矢をつがえ、最初のマフの体を射抜いた。すると、このマフは
 矢を体に突き刺したままフルートを取り出し、甘美な音色の曲を吹いた。
 「たいしたものだな」とワシ。

 「君は思ったよりすごい力をもっているようだ」そこで、次のマフの体も射抜いた。

 二人のマフは、矢を体に刺したままの状態で、さらに美しい曲を吹き、それが霊を高揚させ
 て体の傷をも癒してしまった。

 ワシは、ようやく人々に土地に住む許可を与えて言った。

 「君らは二度の試験をパスしたので、これからは創造主である父なる太陽に話しかけたい
 ときには、わしの羽を使ってよい。わしは空の支配者だから、君らの言葉を伝えよう。
 わしは上天の力を持つ唯一のものである。霊の気高さを代表する者であり、君らの祈りを
 創造主に伝えることができるのだ。」

 それ以来、人々は祈りの羽にワシの羽を使い、音楽に癒す力があることを知って、
 病気の子供に歌いかけるようになった。キリギリスのマフは、せむしの笛吹き、
 ココピラウという名のカチナ(霊人)として知られている。
 彼は背中のこぶの中に植物と花の種子を入れて運び、また笛の曲によって熱を生み出した。
 大陸を移動していったとき、人々は南米の先端から北はカナダに至るまで、あちこちの岩に
 ココピラウの絵を刻み付けた。





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 天気もよく、富士山バッチリ。こんな近くから見たことなかったので、このフォルムの見事さに感動する。
私的雑記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/05/22 18:31

Krishna Das

  クリシュナダス。

 名前は聴いたことがあったけど、You tubeで今回初めて聴いて見るとよかった。

 シヴァのマントラなのに、動画の絵がなんかネイティブワールドというのが一種の謎だが、意外と違和感がなく美しい。wikiの英語のページを見てみると、インドのキルタンを歌うボーカリストとして有名だそうだけど、ラムダスと一緒にニームカロリババのところに居たらしい!

 wikiにマハラジとの思い出を語るクリシュナダスの言葉が載っているので、ちょっと訳してみた。

 神様に向かう時、どうやって向かうのがいいかなーと考えていた。

 今まで割りと沈思黙考だったけど、これだとどうも変なトリップが内面で始まるので、声に出して何か唱えるか・・もうむしろなんか歌っちゃった方がいいのかなと思っていた直後だったのでちょっとツボ。ラムダスもそうだけど、マハラジのところに居た人ってなんかいいなあ。





 マハラジの肉体を持った最後のダルシャンにおいて、私はアメリカへ戻ることの恐怖に凍り付いていた。
 多くの年月のあと、私はジーンズや靴をこんなにも長い間使っていなかったので、それがどんなものか想像することもできなかった。アメリカで何をするべきか、マハラジに尋ねたくはなかった。しかし苦悶の中で突然私は口走った。
 
『マハラジ!私はアメリカでどうやってあなたに奉仕すればいいのですか!』

 すると彼は あたかもうんざりしたような様子で私を見て、こう言った。

『なんだそれは?お前がどのように私に奉仕するべきか尋ねるなら、もはやそれは奉仕とは言えないな。お前のやりたいことを、やりなさい。』

 私は自分の耳を疑った。私のしたいことがどのように彼への奉仕となるのか?私はそのような種の信念は持っていなかった。私は唖然としてそこにただ座っていた。数分後彼はまた私を見て、甘く微笑み、そして尋ねた。

『それで、どうやって私に奉仕してくれるのかね?』

 私の心は空白だった。
 もうデリーからアメリカへ発つ飛行機を捕まえなければならない時間だった。
 彼は私を見て、笑っていた。私が最後にかがんで、彼の御足に触れて、彼を見上げた時、彼は私に晴れやかに微笑んだ。

『それで、お前はアメリカでどうやって私に仕えてくれるんだい?』

 私はまるで夢の中で動いているように感じていた。中庭を横切り、彼に向かって遠くからもう一度お辞儀をした。その時、私に答えがやってきた。

 『私はアメリカで、あなたの為に歌います!』

 そのすぐあと、9月の満月の時期に、彼は肉体を離れた。今、彼はこの中にいる。チャンティングや、瞑想や、プージャそしてマハラジとともに過ごしたすばらしい時は、彼自身が私のハートに植えつけた種であった。その種は彼の恩寵によって成長を続け、花開くだろう。


                     
             Krishna Das (born Jeffrey Kagel May 31, 1947 in Long Island, New York


  

http://www.youtube.com/watch?v=rq-1bxJc7F0&feature=related



 そっかーインドの恩寵をアメリカへ持ち帰ったクリシュナダス。
 アメリカの元の霊性ネイティブワールド。
 つまり霊性の融合ってことかな?

神様 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2010/05/20 22:10

ギボ愛子お宝映像(笑)

 これ、ある意味貴重な映像かもしれん。
 サイババのダルシャンのあと、かなりハイになってるギボ愛子さん。

 大槻ケンジの「サイババの後ろに霊は見えましたか?」という質問に

 「サイババは、サイババでした!」と。

 

http://www.youtube.com/watch?v=IHmjjt72eP4&feature=related


 やさしさ、笑み、「引き付ける力」 シンプルに サイババから感じ取ったものを表現されているのがいい。



 おまけ

 電話越しにユリゲラーの着てる服を当てて、自分も驚くギボさん。
 あらためて見ると確かにお茶目でかわいらしい方ですね。


 


http://www.youtube.com/watch?v=260ExjTbVC0&feature=related

神様 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2010/05/11 18:19

坂本繁二郎の絵と、日常にある透明感。

 夜寝る前に思考をスローダウンさせるために絵を眺めるのもよいのではないかと思い、古本市で買った坂本繁二郎の画集をめくってみた。

 一つ一つの絵に時間をかけて、数分間づつは見つめて見る。

 坂本画伯の絵は、全体的に輪郭があいまいで、ぼわーっとしてるのが多いんだけど、その中に透明感というか光がすごく感じられる。日常の光景・・「馬」とか「能面」、「月」を描いた絵が何枚もある。

 じっと見ているうちに、そのぼわっとした絵が描いてる光景がものすごく鮮明に脳裏に浮かび上がる感じがして不思議だ。

 いつのまにか眠くなって昨日は寝てしまったけど、今朝目が覚めるとまた布団の中で枕もとの画集をめくって見た。

 ひとつ思ったことは、僕らは輪郭の鮮明な、具象的なものに慣れすぎて頭の中がそういうイメージで満たされているのではないかということだった。
 線があるようでない、とか、なにかよくわからない、とか、あいまいな薄い色とか、そういうものではなく、出来るだけ効率的に人の目を引き付ける音や、激しい色と形があふれている。

 あいまいさ、茫漠としたもの、かそけきものは注目されない。
 注目されないというか、注意の焦点ではなく背景に追いやられてしまうのだろう。
 だが、薄明かりの下では見えるけど、強い光の下では消えてしまうものもある。

 その薄明かりのあいまいさが、心の中で反転した時に、どんなものよりも鮮明な透明感にあふれる光景が浮かび上がってくる。
 それは必ずしも珍しい場所や、ドラマチックな光景ではなく、日常の中にある透明感だ。
 
 この透明感はいつもあるのだけど、具象的イメージによって塗りつぶされた僕らの「認識の枠」のために意識されずらいのではないかと思う。

 その透明感というか明るさは、時間を越えて普遍的に存在してるように感じられる。

 よくショッキングな体験をした人などは、認識の枠が一時的に壊れるためにそのような世界に入っていくことがあると言われる。

 ありのままの日常が光であふれているような経験をするのだ。
 映画「送り人」の原作となった「納棺夫日記」には病を宣告された医師が、その帰り道に自宅の近所を歩いているとすべてが光に包まれていると感じたというエピソードが書かれている。

 「癌の肺への転移を知った時、覚悟はしていたものの、わたしの背中は一瞬凍りました。その転移巣はひとつやふたつではなかったのです。レントゲン室を出る時、わたしは決心していました。歩けるところまで歩いていこう。

 その日の夕暮れ、アパートの駐車場に車を置きながら、わたしは不思議な光景を見ていました。世の中がとっても明るいのです。スーパーへ来る買物客が輝いて見える。走り回る子供たちが輝いて見える。犬が、垂れ始めた稲穂が、雑草が、電柱が、小石までが輝いて見えるのです。アパートへ戻って見た妻もまた、手を合わせたいほどに尊く見えました


                               納棺夫日記 P69~70


 そのような認識の枠が壊れた時には、今まで後生大事にしていたものがすべて砕け散り、かわりに意識のバックグラウンドにあったものが、自分を包み込むのかもしれない。
 それはやはり透明な明るさと共通するものではないかと思う。

 もともと坂本繁二郎という人の画集を買ったのは、ダンテスダイジが講話録の中でこの画家を高く評価していたからだった。


 雨宮大慈講話録 「君がどうかい?」より


 渡辺「画家の東山魁夷さんがいるじゃない。彼はかなり深いところにいっているような気がするんだけど」

 ダン「うん、いっているよ。いってるけどね、個性を帳消しにするという世界にまだ入れないでいるんだ。ちょうどね、個性と個性を超えた世界の線上にいるね」

 渡辺「究極の一歩手前?」

 ダン「うん、そう。まだ坂本繁二郎、能面や馬の絵を描いていた。あのひとはいってるね。もう亡くなったけど」

 S「画家じゃあどんな人がいる?」

 ダン「そうね。日本で言えば、まず雪舟だね。雪舟はいってる。帳消しの世界へ」

 渡辺「涅槃?」

 ダン「うん、涅槃。ニルヴァーナ。それから池大雅。彼もかなりいいとこいってる。富岡鉄斎。あとは今言った坂本繁二郎。」

 渡辺「横山大観は?」

 ダン「うん、横山大観もいいけど、やっぱり形式というものから抜け出るまでには至っていない。とても素敵で、個人的には好きな絵が俺にもあるんだ。それは俺が人間として好きなんだ。深さから言ったら坂本繁二郎だね。現代的な知性とか自意識とかニヒリズムをすべて知っていながら行き着いた人だからね。珍しい。」



 坂本繁二郎の絵をじっとみていると、いつも見過ごしている雑草と雑草の間にある、透明感、明るさ 「空」のようなものに触れ合えそうな気がする。


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知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/05/06 10:56

タゴール、イチゴ、ハルジオン

 R・タゴール 「ギタンジャリ」 63



 神よ、あなたは僕を かつては僕の知らなかった友人たちに 出会わせてくれました
 あなたは 僕の家ではなかったところに 僕の席をつくってくれました
 あなたは遠くにいた人を近づけ 見知らぬ人を僕の兄弟としてくれました

 住み慣れたふるさとを離れなければならないとき、僕の心は不安で震える
 そんな時 新しいもののなかにも古いものが宿っていることを
 そこにもまたあなたが住んでいらっしゃることを
 僕らは忘れてしまっているのです

 生と死をめぐり この世でも あの世でも
 あなたが導いてくれるどこであろうとも 歓びの絆で いつも
 僕の心を未知なる人に結び付けてくれるのは あなたです

 僕の果てしなき生命のただ一人の道連れ 常に変わることなき あなたです

 人があなたを知る時
 一人として異邦人はなく ひとつとして閉ざされた扉はない

 ああ、僕の祈りをどうか聞き届けてください

 多くの人たちとの触れ合いの中で 一なるものに触れる至福を見失うことがありませんように・・・






 花屋さんでもらったイチゴが色づいてきた。

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 一日でものすごく大きくなるのだ、これが。

 めちゃ丸いつばきのつぼみ

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 ハルジオンの小宇宙

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 この花の名前最近知った。
 好きな、Bump of chihken の歌のタイトル。
 この花のことだったのか。
 
 



http://www.youtube.com/watch?v=WqS4vJFQ9gw

 この動画クオリティたかいっす




私的雑記 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2010/05/05 22:46
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