右側の世界

 利き耳と、右耳から光の瞑想

 手には左利き、右利きがある。
 同じように耳にも利き耳というのがあるらしく、トマティスでは、言葉や音楽に関して利き耳が右である方が有利だと考えるようだ。
 右耳は左脳に、左耳は右脳に連結されていて、利き耳が右だと直接言語をつかさどる左脳に入っていくので無駄が少ないと言う。それはわかるのだが、音楽と言うことなら右脳に入っていった方がいいのでは・・・??と思うのだが、これもなぜ右耳が利き耳の方がよいのかまだよくわからない。

 幼い子は電話などをする時、自然と右手で受話器を持ち、右耳に持って行くことが多いそうだが、大きくなるにつれて右手でメモをとる習慣などから受話器は左で持ち、つまり左耳で聴くようになる(左耳が利き耳となる)という。

 他にも右回路の優位性ということが、トマティスの本に書かれていたが、これを読んで思い出したことがある。
 一昨年くらいの修道会で、セッションの終わりごろ、I先生が「右耳から光が出ているのをイメージして瞑想するといいよ」と言っていた。

 それはどういう効果があるのか、なんのためにやるのかよくわからなかったのでほとんどやっていない(言うこと聴かない弟子だ(;^ω^)うまくイメージできなかったってのもある)けど、右耳から光が出ているのをイメージしたら右側が活性化するかもしれないと思った。加えてそれが目でも手でもなく「耳」であるというのがどうも気になった。

 あとそう言えば頭の右側は「神々の世界」と関係があるというのも聞いたことがあった。
 唯一の神(これはやはり頭頂か?)ではなく、二元性の世界においての善良な神々の世界と対応するのが頭の右側であるということらしい。ただI先生にとってはそこはとても気持ちがよいけど、先生自身がフォーカスすべきなのは唯一の神であると言っていた。

 しかし右耳、光とかで検索してもそういう瞑想法とかヒットしないし、いったいどこソースのものなんだろうかと不思議である。
 
 トマティスの本に載ってたこの図も面白い。
 絵画による心理テストで、被験者がどこに絵を描くかによって心理状態を判断する。

     100624_1719_01.jpg



  交差の謎

 こう考えると、体の右側=善、左側=悪という図式が出来てしまいそうだが、ことはそう単純でもない。

 というのは体の左側を支配しているのは、右脳でもあるからだ。
 逆に体の右側は左脳に支配されている。
 体の右側を善なるものとするなら、右側の右脳により支配される左側もよきものでなければつじつまが合わない。

 視神経も交差し、右目は左脳と、左目は右脳と連結している。
 僕の感覚では、左目の方がより女性的でソフトな印象をしていることが多い気がする。

 なんの本か忘れたが、霊的に変化するプロセスにある人の場合、左右の顔が著しくアンバランスと言うか非対称になるというのをどっかで読んだのを覚えている。
 和尚なんかはやはり左側は女性的な側面であると言い、左側を賛美していたようだ。

 

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知覚、リアリティetc | コメント(2) | トラックバック(0) | 2010/06/24 17:41

ラムダスの前で歌う、クリシュナダス



 

http://www.youtube.com/watch?v=G60c-4668U8&feature=related


 確か、ラムダスが脳血管障害をわずらい、それを『ヘビーな恩寵』と呼んだことは記憶している。

 この映像はその後のものだろうか?

 ともにニームカロリ・ババのもとにいたクリシュナダスのチャンティングの中で涙する彼。
 神をたたえる歌声の中で何を感じていたのだろうか。
 「ビーヒアナウ」などを読み、ラムダスの人生に触れている人にとっては、ひときわ感慨深い映像ではないかと思う。


神様 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/06/21 23:18

水と音との関係性①

 フローティングシェルに入り、液体に身を浸し無重力の、肉体と外界の境界線が消えたような状態は、グロフがBPM1と呼んだ子宮内の記憶を彷彿とさせる。

 水はもっとも身近な異界であり生と死の扉である。
 人間の体の大部分は水分であると言うが、一方人は大気中でしか呼吸が出来ないため、水中はある意味では「彼岸」、死の世界そのものでもある。
 あの世とこの世の境界には、三途の川、あるいは「レテ」という忘却の河が流れておりその水を飲むと人は「こちら側」の記憶をなくしてしまう(と伝承される)。
 水は生命をはらみ、命を別の命へと変容させる。

 また水は再生の象徴でもあり、イエスの「誰でも水と霊から生まれなければ、神の国に入ることは出来ない」という言葉どおりにキリスト教の洗礼の際には大きな水槽に頭まで沈むというセレモニーをおこなうことがある。イエスを見出したヨハネは水によりイエスに洗礼を施した。

 息を止めて水中という異界に潜り、そしてまた顔を出して大気中の酸素を大きく吸い込む。
 この単純な情景にはなにか集合無意識の元型を強烈に刺激するものがある。
 それは生まれたばかりの胎児が、この世界の空気を初めて吸い込んで泣き出す時の記憶ともリンクしているからかもしれない。

 水の中で活動することはなにかエネルギーを解放するような作用があるようだ。
 水のそういう側面に触れるものとして
 フローティングシェル、アクアセラピー、スキンダイビング、スキューバダイビング、ドルフィンスイム、 

 などがある。

 しかし、ひとつ気になっていたことがあって、「水」と「音」の関係性はどうなのか?ということだった。
 水の女神である弁財天が、芸能や音楽の女神でもあるということは、音というものが結局は空気中の波、波動であるということであり、宇宙の想像がA U M という原初の音によってなされたということとも関係していると思うのだが・・。

 そういうことではなく、僕が今関わっていることにおいて何か「水」と「音」との関係性で理解することがあるようなそんな感じだった。水における癒しと、音による癒しが、なにか接触するポイントがあるような気がしていたのだが、それがなにかわからなかった。が、ひとつ謎が解けたような気がする。

 そのキーワードは 高周波 ということだった。

 ヒントは、最近知った「トマティスメソッド」という聴覚を使ったセラピー、能力開発技法にあった。

 トマティスメソッドは、言語の習得や、音楽的才能の開花、また言語障害のある人への治療、リラクゼーションなど多岐にわたって適用される。 トマティス流言語習得の理論を簡単に説明すると、まず日本語を含むそれぞれの言語には、『パスバンド』と呼ばれるもっともよく使用される周波数の帯域が存在している。日本語ならば125~1500ヘルツくらいの低、中音域、英語なら1000~3000ヘルツほどの高音域が使われている。

 日本人がなかなか英語をリスニングできないのは、もちろん語彙が少ないとかそういうこともあるのだろうが、日常使う日本語と英語の周波数帯域がかけ離れているからであるという。だからこの聴覚が低・中音域のみにフォーカスする習慣をいったんリセットして高音域の音も拾えるようにチューニングしなおすというのが、まあ簡単に言えばトマティス流の言語学習方ということになると思う。

 またトマティスではモーツアルトや、グレゴリアンチャントなど高周波帯域を多く含む楽曲を、「耳を開く」為に用いている。どうもよく「モーツアルトで頭が良くなる」とかそういう言葉を聴くけど、このルーツはトマティスメソッドにあるようだ。

 ストレスなどによって「耳が閉じている」と、ある帯域の音が聞こえなくなるので人との会話で聞き間違いや、聞き返しが多くなる。これは耳が悪いのではなく、耳が閉じているからだと言う。これはちょっと目からうろこの発想であった。人によっては高音域の方が捉えやすい人も居るし、低、中音域に敏感な人も居る。

 また「音」というのは人にエネルギーや、やる気を起させるものでもある。
 トマティスの本を読んでいて面白かったのは、耳は実はエネルギーのダイナモでもあるという箇所であった。

 実は耳は強い武器を持っています。それは一般にはあまり知られていませんが、耳は脳へ受信信号を送ると同時にエネルギーを発生する、脳のダイナモ(発電機)であるということです。脳のエネルギーは耳の機能から90パーセント、血液の運ぶ酵素やグルコースから10パーセントを依存しています。ちなみに、質素な精進料理の食生活をしている僧侶は、肉食を好む現代人よりも元気で、睡眠時間も短く、早朝の勤行に精を出すことが出来ます。その秘訣の一つはお経を唱えることにあります。読経によって自ら耳に音の刺激を補給できるために、頭脳はきわめて明晰で、長時間の瞑想にも耐えられるのです。難聴になると疲れやすいのはその証拠で、耳がバッテリーとしての機能を果たさなくなるからにほかなりません。
 耳の構造からそのエネルギーに関するメカニズムを見て見ましょう。蝸牛管内には聴細胞が密生しています。蝸牛管に振動が伝わると、この聴細胞が刺激を受けその刺激が電気的エネルギーに転換されて脳内のエネルギーを充填する仕組みになっています。強い耳にするにはこの聴細胞が健全で、ストレスを跳ね飛ばすくらい元気でなくてはならないのです。


 なんというか普通あまりエネルギーの発生源を「耳」とは考えないので、新鮮である。
 しかしよく読経はエネルギーを充電するのによいと聴いていたのだが、それは自分の声が振動となって脳を刺激するからだと考えれば納得がいく。(言霊的な作用ってのももちろんあるんだろうけど、振動を与えるって言ってもバーカバーカって唱え続けてたらダメそうだしw)

 さて、本題の水と音との関係性だけど、これを結ぶのはやはり「胎内」であった。 



知覚、リアリティetc | コメント(2) | トラックバック(0) | 2010/06/12 21:16

スイミング効果、左右脳半球シンクロ

 来週で初心者向けの水泳コースの授業が終わる。

 なんとか~25m泳げるようになったワァ──o(。´・∀・`。)o──ィ♪

 月曜の朝と言うことで、僕の他はおば様ばかり。
 先生には『Mさん、仕事してないの?(`‐ェ‐´)』と言われつつも通った甲斐があった。
 (仕事はもちろんしてますよ、少しね、少し)

 これはECCOの流れで、スキンダイビングやドルフィンスイムしてみる前段階としてちょっとは水に慣れとこうと通い始めたもの。プール嫌いで中学3年間すべて水泳の授業をずる休みした自分が今になって、じたばた泳げるようになろうとしているというのも妙だけど、まあ苦手なことが出来るようになるのは気持ちがよいことは確かだ。

 しかし、25m何回も往復させられたら息が上がりすぎて、死ぬかと思う。。。
 割と5、60代以上のおばさま達平気で泳いでる気がするんだけど・・・なんでや??

 「あの~息が切れて苦しいんですけど・・・」と言うと

 先生「一番若いのに何言ってんの!(o`ω´o)」とにべもなく。

 陸上の長距離なら昔うさを晴らすため毎日のように10キロくらい走ってたから、今でもそこそこ走れると思うので体力以外になんか別の要因があるように思うのだが。

 でも水泳の思わぬ副作用?として、歌う時の声が前より出やすくなったような感じがする。
 高音とかおなかの力が必要な部分、パワーが持続するというか・・・。
 どうも水泳の呼吸(息継ぎ)となんか関係してるような気がするんだけど。
 歌に関して言えば、去年の冬毎年出る喘息の発作が起こらなかったのは、もしかしたらボイトレと関係あるのかと思ったことがある。どこか呼吸に関する部分が鍛えられたり、変化した結果かもしれないと思った。

 昨年の9月、まだ箱根ショックで調子を崩していた時、吉祥寺からだはうすのTさんに整体をしてもらった時、

 「あなた窒息する恐怖みいなもの持ってませんか?」とからだを触って言われた。

 確かにそれはおそらくあって、喘息もそれと関係していたのかもしれない。
 まあ、水の中にいると言うことは窒息の恐怖といつも隣りあわせだが、その中で呼吸を上手くする、その環境で楽しく活動するということがそういう恐怖を克服してくれるようにも思う。

 やりたいことって、やっぱ、なんか大切なヒントを含んでいるのでそれがお金にならなくても、ハートにぴんと来たものはやっといた方がいいのかも。
 
 しかし水泳のあとの倦怠感は半端ね工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工。
 泳いだあとって必ずといっていいほど血圧が下がる。なんか水圧と関係あるらしい。
 あと全身筋肉動かすから?倦怠感が結構すごい。
 
 いろいろなんか肉体に働きかけることをやった方がいい感じがする。
 仕事もちゃんと体を動かさないと腰を痛めかねない仕事なので、ボディメカニクス的なことも勉強したい。
 二年くらいかなりこもっていたからなまっている(笑)


 ドルフィンスイムに関してある研究データがあって、それによると体験後の人の多くの脳波に左右脳半球のシンクロ状態が見られるという。この左右シンクロというのは今年になって気になるキーワードのひとつだ。

 あの「Insight」CDもその効果として左右脳シンクロをうたっており、とても気持ちがいいので今もよく聴いている。聴いてるとある程度思考が解消された状態になるので、寝てもいず、起きてもいずみたいな状態を楽しめる。
 このInsightと似ている状態になるのは、公園などで母に教えてもらった仙道のエクササイズをしている時だ。 
 「天地陰陽」というらしい。
 やはり思考の運動みたいなものから解放されたような、とても穏やかな状態になりやすい。
 だからこれやってる時も結構左右シンクロしてんじゃないかなと思う。

 公園の木立の中でおこなうと、思考と同時に自分が溶けるような感覚を味わえる。
 座って瞑想するよりも、自分にとっては気功などエネルギーを意識するほうが、いい状態になりやすい感じがする。 やっぱり自然との一体感を感じられると言うのがよい。

 TAO

 こういうのしてると、自然と言うのが独自の動きと潮流を持っているというのが意識されてくる。
 都市の片隅に公園という自然の『部分』があるのではなく、本来は名づけようのない大自然という『全体』の中に、この都市文明という人間のヴァーチャルワールドがあるんだなということを考えさせられる。
  
 ヴァーチャルワールドの法則や、作用に頭からどっぷりだと忘れがちになるけど、視点を変えるとやっぱり僕らはその中に生かされているのがわかる。
 裸足で立つ大地と、風の匂いの心地よさ。


私的雑記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/06/04 20:21
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