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ミラーニューロン活用法

 僕は人の影響を受けやすいと言うか、他者のイメージがすぐに入ってくるので映画に集中していたら、そのあとは目を閉じると自分がその役者(登場人物)になっている。これは男性に限らず、女性が主人公だと自分のイメージがその女性になってしまう。

 もちろんカリスマ性とかパワーの強い人物ほど進入してきやすいように思うが、普段接する人で好きな人物とか、気になる相手も入ってくる。別にその相手の物まねがうまくなるとか言うわけではないので誰も気づいていないと思うけど、僕の中では誰を取り込んで、誰を取り込んでいないかはかなり認識できる。I先生とかはもちろん入
ってきてるし、長く付き合っている相方も入ってきている。家族も入ってる。誰を取り込むかはコントロールできない。

 この前高校のときのクラスメートを思い出し、あ~A君と、B君と、C君は入れたね。でも、D君と、E君は多分入れてないな・・・と思い出しながら遊んでいた。男子が7人しか居ないクラスだったので、思い出しやすい(´-∀-`;)女性だけのバイトしか居ない書店で働いていた時は、やっぱり彼女たちのイメージがどうしても自分に入ってきてしまう。その中で好きになった女の子は、やはり僕の中に入る。彼女の仕草が僕の中に染(うつ)る。

 芸能人では誰かあるかな?と考えて見たけどあまり思いつかない。

 ただ相方と、チャゲアスのASKAのライブに行って、帰り道「あのね、今、俺ASKAになってるわ」と言って笑われたこともあった。(見た目全然似てないというか真逆)だけど、ああいうライブみたいな空間だと刷り込みパワーが強いのかもしれない。

 あっ!あった!! 松山ケンイチがやった『デスノート』のL!!これはなかなか抜けなくて困った。
 あのキャラに惚れてしまったのだろうか
 これに関してはパソコンの打ち方とかもののつまみ方を真似したりしたのでほとんど確信犯だが。

 

 いい年して若干恥ずかしいが、しょうがね~じゃん~入ってくんだからさ~(`‐ェ‐´)

 また喋ってる時や、行動してるときに、誰のイメージをアウトプットしているかもわかる時がある。
 これも純粋にものまねとしてやってるわけではないので、多分誰も気づいていないが、僕は、あ、今は○○さんとしてのイメージのアウトプットで笑っているなというのがわかる。イメージ的には○○さんの仮面をかぶって行動している感じ。
 まあ大抵は自分なのだが。
 時々他者のイメージで僕はアクションしている。
 これも誰をアウトプットするかは意図的にやってるわけではない。
 潜在意識?が勝手にやってる。

 また個人的にそんな共感を持っていなくても、仕事とかで長い間一緒にいると入ってきてしまうことがある。念の為に言うとこれはエネルギーとか霊的な影響とかそういう話しではなく、ものまねでもなく、他者のイメージが頻繁に自己イメージにかぶってくるという、僕が認識できるごく私的なことでしかない。もちろん、そういう不可視の影響はあっても不思議ではないが、ややこしいので純粋に主観的なこととして書く。

 こういう経験はどの程度普遍的かはわからないのだけど、同じような体質の人には2,3人会ったことはある。

 ちょっと困るのは、あんまり好きではないのに単に一緒に居る時間が長いと言うだけで入ってきてしまうケースだ。これは結構気持ちが悪い。あんま好きでないキャラに自分がなってしまうような感覚がするからだ。介護している相手が入ってくるのもちょっと微妙だ。異性が入るというのも妙な気分になる。

18くらいの頃、自分は様々な人間の集合体に過ぎないというテーマで小説を書いたのを覚えている
 
 だからこの現象は10代か、20代の頃から気づいていて、ちょっと気持ちが悪く自分の自我が弱いのか、あるいは病的な現象なのかと思ったりもしたが、I先生に質問したところ「それはミラーーニューロンの働きです」という答えが返ってきた。人間の脳の中に相手のイメージなどをコピーする箇所があるのでその機能だという。修道会メルマガで質問したのでその部分だけ「コピー」させてもらった。


Q.長く誰かと一緒に居ると、その人のイメージが自分の自我イメージの中に入ってきて、自分が部分的にその人物になったようで気持ちが悪い時があります。なにか対処法はあるでしょうか?(好意を持つ相手なら良いのですが(;´・ω・)あるいはこれは僕の自我が虚弱なのでしょうか?


A.これは、自我が虚弱というよりミラーニューロンの働きのせいだと私は解釈しています。
人間の脳内にはミラーニューロンというのがあり、それが自分の外の物を色々とコピーしていく訳です。それによって人間は成長していく訳です。
 しかし、ミラーニューロンは、他人のマーヤもコピーしてしまいますし、思想や考え方。あらゆるものをコピーしていく訳ですから、私たちはある意味ではそのコピーしたものの集積が私と思い込んでいるのです。実際の所、コピーしていないものは何にもないのです。すべてがコピーです。
 普段、私と思い込んでいるものはすべてコピーです。しかし、その中で、私と呼べるものが一つだけあります。それが、私の中の私です。私が実現するべき自己と読んでいるものです。
 話がそれてしまいましたが、そのようにコピーしてしまうのを基本的には防ぐ事はできません。では、どうすれば良いかというと、コピーしてしまったという事を理解し、マーヤとして却下すれば良いのです。
 マーヤ解きで解決できるものです。
 この、ミラーニューロンの働きが強い人は、本来は役者や芸術家が向いています。
 もちろん職人もそうです。技術を持った人から技術を盗む上で、ミラーニューロンは欠かせません。この働きが強ければ強いほど、より良いものをコピーして自分のものにする事ができるのです。
その方向性で考えて、有効利用してはいかがかな?


 学生の時ちょっとだけ役者をしてみたけど、あんまり上手く出来た気はしない。
 多分これは、役を作るというのはかなり創造的なプロセスであり、自分の中で構築したイメージと同化するという作業をしっかり出来ないとダメだからではないかと思う。コピー能力+深い感情移入能力というかそういうものが必要なのだろう。さらにイメージと同化しつつ、それをリアルなものとして外側に表現できる能力も要求される。

 しかし僕はこのミラー現象を、アイデンテイティの不安定さなどと結びつけ、ほとんどネガティブにしか考えてこなかったのだが、I先生に言われて初めて それを逆手に取る手もあることに気づいた。

 なんかこれを役に立てる方法はないかと考え、試しに語学を勉強して見ることを思いついた。
 英語を長時間リスニングしてその言語のパターンをコピーすることが出来ないものかと。なぜかわからないが英語でしゃべってる夢をたまに見る。父親がずっと英語を勉強していたので、幼い頃それらを聴いてて潜在的にコピーしたという影響もあるかもしれない。

 やっぱり語学を勉強するなら、文法的なことから入るよりも、聴覚、メロディアスな方向から入っていったほうが良いようだ。節回しとか、よく使われる音、長時間聞くことでそれらのネットワークを脳内にコピーして行けばある言語特有のパターンがインストールされ、それによってリスニングがしやすくなってくる。
 2、3ヶ月断続的にリスニングを続けると、CNNのニュースが部分的に結構聞き取れるようになってきた。 
 面白いのでもうちょっと続けて見ようと思う。
 1、2時間英語漬けでいると音を消したあとも、英語の節回しが頭の中で鳴り響いており、これがパターンをコピーしている状態なのかもしれない。

 音楽を聴くにしてもなるべくいいものを選択した方が良い。
 というのは多分、音楽のパターンは生体に記録されるのではないかと思うからだ。
 モーツァルトなどのクラシックは植物の育ちをよくしたりすることなどで有名だが、それはその音楽がそういったポジティブな影響を及ぼすパターンを持っているからだろう。
 と、すればそれらを繰り返し聴くことでそのパターンを脳内に、また生体に深く記録させるなら必ず影響は現れてくるに違いない。究極的には、思考パターンや行動パターンにまでその影響は浸透していくのではないだろうか。

  クラシックの曲などはおそらくグルジェフが「客観芸術」と呼んだものに近く、個人の主観的な感情を表現しているのではなく、ある宇宙に存在する運動のパターンを抽出し、それを音楽の形で具現化したものだ。それは『客観的パターン』であるがゆえに誰に対してもおなじようなポジティブな影響を及ぼす。人だけではなく、動物や植物にさえも。それはそれらが宇宙的ルーツを持っているからに違いない。アートとは、本来人間の創造物ではなく、こういった客観的パターンの読み取りなのかもしれない。

 コピーニューロンをうまく活用する方法は、自分がそうなってもいいもので『周りを埋め尽くす』ということではないだろうか。自分が取り入れたくないパターンは、なるべく見ない。美しくありたいなら、美しいもので周りを埋め尽くす。美もパターンだ。取り入れたくないパターンはカットし、自分が大好きなもの、愛を感じるもので自分のスペースは埋める。自分が居る空間はなるべく清潔に掃除する。基本的に人間は自分が見るものは、自分と認識するようだからだ。
 愛を感じるものとは、コピーしてもいい(自分の一部としてもいい)と思うものでもあると思うので、そういうものとたくさん触れることが重要じゃないかと思う。

 
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知覚、リアリティetc | コメント(4) | トラックバック(0) | 2010/09/25 21:16

ひぐらしの鳴く頃に。

 このアニメに ハマッテシマウ。
 暑い時、こればっか見てた。

 もんすごいオタクっぽいが、ここまでやればある意味オタクカルチャーをメタフィクション的に昇華してると云えよう・・・とかなんとか。

 ハマッたのはこれ僕の好きな種類の話で、まあ小説『リプレイ』とか映画『バタフライエフェクト』とかに似てるわけです。マイナーなところでは藤子不二夫原作の『未来の思い出』(映画は「ラストクリスマス~未来の思い出~」)。テーマは永劫回帰。そして、比ゆ的には輪廻を連想させるような。そういうストーリー。

 このエピソードの始まりを見て、グッときたら最初から見て見ると楽しいかも。




 まあ、ちょっと、というかかなりグロテスクなのが、あれですが。

 なんかでも、こういうアニメとしてなかなか高尚なメッセージを含みいい線行ってるかも。
 

 ただのグロオタアニメではないのだが、良さがわかるのはシーズン1~シーズン2まで全30~40話くらいを見てからでないと・・というのがもったいないが。
 いい話になる前に残虐シーンに疲れてくるけど、そこを乗り越えたら、おーそう来るか・・と。


 しかしアニメよく見るようになったのは、確実に職場の影響である(゚д゚ll)
 僕をアニオタにする陰謀が・・・・動いておる!
 徐々にアニメブログになったらごめんなさい( '艸`*)ま、いいか別に

 最初から挑むとここから
 シーズン1エピソード1



 結論だけ見るとコレ
  完全ネタバレ
 いやー深いよ~
 アニメを通じてもメッセージは来るかも。
 最近、なんでもない情報が深く、意味を持って話しかけてくる気がする時がよくある。
 
  

http://www.youtube.com/watch?v=lkMSauDzJZc&feature=related

私的雑記 | コメント(8) | トラックバック(0) | 2010/09/17 15:00

救世主入門とCrystal child Jessica

 君がこうだと断言すること
 それが
 君という役者が演じているドラマであり
 君はどのようなドラマを
 演じることもできるが
 ドラマのテーマがあるとしたら
 それは愛というすべてしかない


                          雨宮大慈 『救世主入門原典』の一節より

 僕がこうだと断言すること、それがいわば僕の意識の演じ、またそれが現実に投影されて創り出されて行くドラマであり、僕自身のマーヤであるとも言えるかもしれない。

 いろんな人が、これはこうだと断言する。
 それはいわゆる一般社会についての概念や、生き方に関するものかもしれないし、見えない霊的世界や神の世界に関することかもしれない。

 社会的なことで言えば、『新卒で就職し、いい企業に入らないと幸せになれない!』と両親に断言された子供が、その意識を受け継いで生きていくならやはりそれに沿ったドラマを経験することになる。
 それはもしかしたら、実際いい会社に入って、毎日充実した日々を経験しいい家庭を築くということかもしれないし、逆に自分が望んでもそのシナリオがうまく機能せず、そのことに葛藤し、傷つきまったく違った生き方を見出すと言うドラマになるかもしれない。どちらにしろひとつの断言をして、そのことへの思い込みが頑固であればあるほどドラマはドラマチックになる可能性もあるが、リスキーなものにもなる可能性もある。このふたつは等しい。ドラマチックとは、リスキーと言うことだ。

 昨日、今年のオウム教祖の娘さんが書いた手記を図書館で読んだ。
 そこには幼い時から閉鎖された空間の中で、父をいわば神として育てられたことによるトラウマや、異常な環境によって傷つけられたこころが読み取れる。 
 カルトや、教条主義的な宗教の特徴は、『断言』が無数にあるということだ。

 グルは神である、それゆえグルの権威には絶対に従わねばならない、肉は食べてはならない、俗世間の人と交わると「悪いカルマ」をもらう、ハルマゲドンがもうすぐ起こる、など。

 このような縛りが多ければ多いほど、概ねその組織は恐怖心によって運営される。

 多くの戒律には、こうしなさい→さもなければこうなる、というネガティブイメージが常に表裏一体となって存在するからだ。
 ただ、「戒律」といってもそれがどのような心によって作られたかということによっても人に与える影響は変わってくる。親が子を思う気持ちで作られたルールと、ただ自己の保身と他を支配するために作られたルールは、似通っていてもまったく異なったソースを持っている。
 だが「戒律=他から強制されたルール」は人の意識の変化とともに機能しなくなり、やがては過去のものとなるだろう。それは人の意識の段階がもはや過去とはまったく異なっており、他者に帰依すると言う形では自分が本当に納得することは困難になっているからだ。
 日本の預言書ひふみ神示では「戒律があるのは幽界の宗教」という言葉がある。
 僕らは僕ら自身のドラマを、その役回りを自分自身で発見せねばならない。
 役(ドラマ)は他者に押し付けられて、納得できるものではないからだ。

 ということを考えるなら、スピリチュアリティの世界というのは数多くの「断言」によって成り立っており、そこに埋没すればそれだけ自己を見失うという面もあるだろう。

 なぜならある面においてはスピリチュアルな世界でのパワーゲームが熾烈を極めているからである。
 ある一つの方法や、教師や、グッズや、そういったものを広めるということが目的なのか、それとも一人一人が自己の真実を見つけることに重心が置かれているかといことは、同じように見えても「他を思う戒律」と「保身のための戒律」と似た違いがある。
 
 教祖麻原氏の娘さんは、「無神論者になった」と書く。
 彼女は他のスピリチュアリティにも救いを求め、自称スピリチュアルカウンセラーたちに会ったりしたが、結果的には失望し一切の見えない世界をいったんすべて切り捨てるより他なかった。
 しかしそれはひとつのプロセスとして、必要な自己防衛だと僕には思える。
 そうした時に見えてくる、人間としての可能性に彼女は感動した。
 そして自分をくびきにつなぐことには、もう関わりたくないと思ったのだろう。
 それは自己を大切にするということでもあり、その上にすべてが築かれうる土台をしっかりと、愛情で満たすということの始まりとなり得る選択だったような気がする。

 多くの宗教が程度の差こそあれ、内なる自己の抹殺に加担したことは疑い得ない事実だと思うが、今後の未来を考えるとすべては『自由』へと向かわざるを得ない。宗教はより抽象的なレベルへと昇華されていくはずだ。抽象的というのは、まったく形のないリアリティを体現することを土台としたものであり、「断言」できる言語レベルの現実や、ルール、戒律、経典、組織形態は二次的なものであることが自明となるか、存在すらしくなるということを意味する。

  
 数日前、某有名ブログに貼り付けられていたCrystal child Jessicaという動画を見たが、未来の方向性というのはやはり彼女の意識のようになっていくんではないかと想像させられた。



http://www.youtube.com/watch?v=8_gz6zvQHUY&feature=player_embedded







 普通ありえないトンデモな話もたくさん出てきて面白いのだが、印象的だったのはそういう内容ではなく、彼女の世界観というか生きているリアリティだった。彼女は人に何かを押し付ける気がないのは明白だし、淡々と事実を語っていることが感覚的に伝わってくる。その内容は、多元的な視点を持っている。多元的な視点とは、
「これは、こうも言えるけど、こうとも言えるよね」ということ。そこでは自分を勇気付けたり、他者を説得するために断言する必要はない。次のようなせりふが彼女の言いたいことのポイントだと思う。

 インタビュアー:あなたが受け取ったメッセージと、それを持ってきた存在たちについて聞かせてくれますか?
         それはあなたにとって意味のある存在たちだったんですか? 

 ジェシカ:それが具体的だったことはないんです。彼らは私が「わかったわ。あなたたちは、プレアデス・・・」という風に特定できると思ったら急に「あれ?べつのものになっちゃった」という風なんです。だから決して特定できる感じではありませんでした。例えば「こちらはイエス様ね、こちらは仏陀」と言う風には。全然そういう風じゃありませんでした。それは融合のような すべてをひとつにまとめたようなそのなかに神が存在しているという感じだったんです。わかりますか?人がどんな癒しの信仰を持っているとしても、そのすべての役割を演じて 私たちに話しかけるんです。だからいつもその中には私のやり方と視点が入ってるんですよ。だから例え私が、この宇宙人たちが何者かわかったとしても、同じくそれは私たちのいろんな部分でもあるわけです。

 ジェシカ:わたしが宇宙人たちといてわかったことは、もし時間なんてものが存在しないのなら、過去も現在も未来もすべて同時に存在しているとすれば、これは幻想で ある意味時間はたくさんの静止画像の束に過ぎないってことですよね。そしてこのカメラはほとんど動いていないわけですよ。だからこの現実は目の錯覚なんです。私たちの心の中でも同じことが進んでいるからそう知覚するわけです。そして私たちが直線的に存在する時間を信じるよう教えられているとするなら、それは私たちにはいろいろな側面があって細分化されてるということなんです。だから未来バージョンの私たちというのも私たちの考え方の確率にかかってるんです。だから例えばグレイですけど、彼らは未来バージョンの私たち自身だたんです。そして人々が彼らについて感じたのはなんだか冷たくて、計算ずくなかんじでした。そしてそれはそのバージョンの私たち自身なんですよ。ほら私たちって集合意識としては戦争とかクローンや遺伝工学とかそういうことにたいして感覚が鈍くなってますよね。それと空気中の化学物質のせいもあって私たちが本当は誰か忘れてしまっていますし。グレイは何も感じないって言ってる人もいますよね。そういう意味ではグレイには感情と言うものがないんです。そしてそれは私たちの側面のひとつでもあるんですよね。

 爬虫類型宇宙人についてもそうです。私は他の人たちと同じような見方ではないんです。彼らは私たちに爬虫類脳があるので、それが現実化したものだと考えてしまうんです。そこがエゴのある場所で否定的な独り言の90パーセントはそこからくるといわれてますし、繰り返しや、マインドの重要な制御因子がある場所でもあります。わたしはエゴが悪いものだとさえ思わないんです。エゴは私たちの注目を集めるのに必死になっていて、私たちを安全に保つ義務があると考えているように思うんです。そしてそれは頑張っているんですが、今ではそれがどうしても私たちには必要だと言う理由を作るまでになってるんです。それでいまや私たちには保護するものからの保護が必要になっていてそれが私たちの社会のなかで 私たちのシステムにおいて鏡のように反映されているんです。もともとそれは保護のためのものでした。

 インタビュアー:あなたにコンタクトする存在についてですが、彼らにも個性があるわけですよね?

 ジェシカ:でも私自身はそこに焦点をあてたことはないんです。関心を持ったことも。私にとってはそれはちょっと邪魔な感じがするんです。例えば私たちはイエスについてさんざん議論してますよね。かれが実在したかどうかということで。でもそれってどっちでもいいことなんですよね、イエスの存在はメッセージだったんです。それがより大きな見方です。だから私がいつも注目してるのはその部分です。だから私は、そう、ルーク・スカイウォーカーでさえ、彼は実在の人物ではないですけれど、でもすごいですよね多くの人にひらめきを与えて、こころに届いていますよね。だからそれが私にとってこういったことすべてをやり過ごすやり方だったんです。ただもう直に核心に行ってしまうというような・・・。


 インタビュアー:では彼らはあなたの使命がなにか言ってましたか?あなたは知っていますか?

 ジェシカ:えーとそれは本当のところ、世の中にあるものではないんです。世の中に「これがジェシカあなたの使命です、と言われるものが存在していないとすると、ちょっと挑戦しがいがあるわけですが、彼らによるとそれはなにか私が創り出せるものだというんです。私が身に付けてきたことや物の見方で世界のみんなとそういったことをシェアできるように、それもただそれについて話すのではダメなんですって。自分が創造性そのものになっているという感じに、みんなが自分自身の真実を見つけるようにひらめきを与えなさいということなんです。例えば「私が信じてることをあなたも信じなくちゃ。だって私が正しくて、他は全部間違ってるんだから」というのではなくて、それぞれの人が通ってきた道を讃えて自分自身を信じられるようにすることなんです。すべての答えは自分の中にあるということ。




 イエスが実在したかどうか、どうでもいいというくだりは「13番目の瞑想」の中にまさに同じような話がでてくる。未だに僕らは本質的ではないことについてこだわりすぎて、十分抽象的な意識にはなれていない。この場合イエスが実在したかどうかが本質的でないことであり、抽象的なことがイエスの伝える愛、あるいはメッセージであると言える。もちろんメッセージも言葉にこだわりすぎずに、ハートで理解した時に抽象性を持つ。

 小説の登場人物になろうとしたことはなかっただろうか?
 もしそういう経験があれば
 君たちにもわかるかもしれない
 虚構の中の登場人物の方が
 心臓の鼓動をもつ人間よりも強く
 真実を語ることを


 ダイジ:例えばイエスキリストに君たちがあこがれたとする。するとそれはものすごく君たちに感銘を与えたとする。するとそれはまるで虚構の中で起こったことだろ。何の根拠もないだろ。勝手にイエスキリストのバイブルでも読んで、わあすてきなんだなと感じただけだろ。そして時には涙を流し、時には大笑いするくらい嬉しく、朗らかになるかもしれない。するとそれはまさに虚構の中で起こったことだけども、彼がそれを本当に感じ取った時にね、それは虚構とか現実と言う差別を全然持っていない。なぜもっていないかとと言うことは簡単なことで実験できるよ。普通の日常生活のなかで、もしそこに車に轢かれそうな子供が居たとしたらどうする?もしその虚構の中で本当に虚構とかなんとか抜きにね、その物語に触れていたら即座に飛び出すよ。たとえ自分が死んでも子供を助ける。ないんだ、虚構とか何とか、愛には

 虚構と現実を分けると言うのは、人間の生活レベルの中で、欲望レベルの中で仮に作ったものにすぎない。愛には虚構とか現実とか真実とかそんな分け方はないんだ。ただ愛がある。本当に感じ取る理由がどこから来ようと君の心の中がそれに本当に打ち震えるなら・・・
 
                                 「13番目の瞑想」より

 ジェシカという女性は、クリスタルチルドレンということだけど、僕はこれについてはあまり詳しくなくインディゴチルドレンのパワーアップした奴?くらいの認識しかないが、つまるところ20世紀後半から世界中で生まれてきている新しいタイプの子供たちということらしい。

 ジェシカの動画を貼り付けようと思っただけなのに、なんかオウムのことまで書いた長文になり、ダイジの言葉まで引用してしまったのは救世主入門の言葉と、ジェシカの考え方の思わぬダブり方と、そしてダイジが1970年代に「あと数十年で真我が直接転生してくる時代となる」と言ってたことなどが頭に浮かんだからで、そもそも両者を比較検討するのが妥当かもわからないがなんかつながってしまったのだ。 

 そしてその「真我が直接生まれてくる」、というのは悟った子供が生まれてくると言う意味ではなく、ハイヤーセルフ的な存在が直接受肉するということではないかと思う。その子供たちの意識の方向性が、人間全体の意識が変化していく方向性を暗示していると思う。

 それはすべての思考の制限を解除した、抽象性への飛躍ではないかと僕は思う。


 でもこれは文字通りの「子供たち」のことだけではないんです。
 これは同時に一人一人の「インナーチャイルド」のことでもあるんです。
 そして私たちが自分たちの神聖なる男性性と神聖なる女性性のバランスを取って統合すれば
 ・・・というのも長いこと男性性はこの惑星を支配しているエネルギーだったわけですし
 それが今度は女性のエネルギーがパワーを回復してくるところなので
 これまでに誰もインナーチャイルドほど虐げられてきた存在はないんですよね
 だから今度こそ彼らの出番なんです。このことは聖書にだって書かれています
 「子供の心を持ったものだけが 神の御国に入れるだろう」それと
 「子供が道を開くだろう」ここから私が理解するのは
  子供と言うのは私たちの太陽みたいなものです
 それが子供の呼び名です。だから「あなたは私の太陽」と言いますよね?
 そして私たちのうちの男性性と女性性を統合すると平和が生まれます。
 そして統合が起こるとインナーチャイルドが生まれるんです。
 そしてそれが私たちの中にそういった輝く光をもたらして・・・
 星を見ると私は 私たち自身を写していると思うんです
 つまり私たちは暗闇の中の光でもあるんですよね

                                  Jessica Schab
 




知覚、リアリティetc | コメント(2) | トラックバック(0) | 2010/09/06 13:55
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