2010. 12. 30  
 2010年も、例のごとくあっと言うまに終わろうとしている。
 時間が加速化しているのかどうかはわからないが、去年の今頃に比較すると、いやーやっぱり学んだことが多い!というのが実感。あっという間だけど振り返ると濃いいというのがここ数年の特徴か。

 後戻りできない旅に出たという実感は2002年に東京に来てからずっとあるけど、この8年をひとつのサイクルとすると2002年から~2007年、あるいは2008年ごろまでとそれ以後というのまったく異なったサイクルに属しているような気がする。つまりここ3、4年と言うのは時代の流れも、自分の気づきもなんだか密度が濃いというかそんな気がしなくもない。
 
 人と関わることがあんまり得意ではない僕が、ヘルパーという人に密着して食事や下のお世話をするという仕事をする破目(ハメって言っちゃダメねw)になり、そのことによりどうも悟りとかそういうのを目指すということがなんかどうでもよくなったような部分がある。というか、僕が仕事上で見たり、聴いたりしたリアリティというものがなんだか果てしなくどろどろしてもおり、それでいてまた人間の姿というものを見せてくれるものであり、その印象と言うのが僕が何か悟りというものをなにかすごいものだと考え、それが目的だと思っていた頃よりも、深くこころをえぐってくるような感じだ。

 深くこころをえぐるというのはそれだけ、もう嫌になったとか、むかつくとか、そういう気分も体験するのだがまあうれしく感じることもあったりと、感情のアップダウンに翻弄されているのが正直今の状態と言える。どちらにしろ一人の生きた人間と12時間も密着して過ごすというのは、向こうもこっちも感情のバイオリズムがあるのでなかなか一筋縄ではいかない。

 とは言え、I先生の修道会にはほぼ毎月参加しており、I先生の存在というのがそういったぐちゃぐちゃした感情体験やディープさを経験してもなおそれらを包み込むような位置にあるということを実感した一年でもあった。自分のエネルギーを食べられたり、かく乱されたりということが多いと、あらためて修道会などですーっとクリアで、何かに満たされた状態になるということの不思議さがわかる。

 まあ、そもそも「M君、介護の仕事向いてるんじゃない?」とか焚きつけたのはそもそもI先生であったわけなので。(ちょっと自分でもやってみたいと思っていたのはあるが)かといってずっとこれを続けたいとまでも吹っ切れておらず、語学を勉強しようとしたり、スキンダイビングをやってみたりといろいろ手探りしている1年だった。

 他の事で言うなら、あからさまになんというのだろうか「光」にむかわさせられているようなそんな感覚も感じる年だった。それには時間は無限にはないというある種の切迫感の感じさせられるのだが。悟りとか覚醒とか言うとそういう二元性を越えたものだと思うが、なんか、ポジティブなものにものすごく接近させられるというか。これは去年の6月に奈良の檜原神社などを巡った姫乃宮亜美さんのツアーの後遺症を感じさせられるところでもあった。なんか非常にこころの中の枠がゆるくなり、I先生以外の人の語ることでも宇宙的情報システムからのメッセージと思えるものは積極的に取り入れられるようになった。

 あと夏の猛暑には命の危機を感じ、地球の状態がまた一段と心配になった。
 
7月の半ばから8月の終わりまで僕の頭は常に朦朧としており、かなり真剣に生きてることが苦痛になった。確かに統計的に気温だけ見るなら一度か二度高いだけかもしれないが、なにか普通の夏とはまったく違うものを感じた。だいたい、いくら毎年多少は夏ばてするって言ってもいきなり両側の歯茎から血が出始めたことなんてなかったからマジ怖かった。とにかくなんとかしようと首の周りに巻く冷たいスカーフを買ったり、ドライアイスを袋に入れて布でくるんで頭に載せたりといろいろ工夫した。もちろん休みの日は家にいれないので必ず、図書館かカフェかプールかどっかに避難した。

 僕はとりあえず、なんでこんなに暑いんだ、誰か教えてくれ、このままでは死んでも死にきれんとすがるように天気予報のお姉さんの説明に耳を傾けたが、いつも聞こえてくるのは「太平洋高気圧が・・・さらにこの上にもうひとつの高気圧が覆い、その結果この暑さが・・」と言うような説明ばかり。違うんだ・・・こっちが知りたいのは、なんで、今年だけこんなにおかしいかってことなんだ。どうもこの手の説明が多すぎるが、ネットなどで調べるとやはりあきらかになんか気象がおかしなことになってるということを示す情報が見つかる。例えば、


【8月19日 AFP】世界気候研究計画(World Climate Research Programme)のガッセム・アスラー(Ghassem Asrar)事務局長と、世界気候研究計画の全体調整をする国連(UN)の世界気象機関(World Meteorological Organization、WMO)は18日、パキスタンの大洪水やロシアの森林火災に関連している「ブロッキング現象」と呼ばれる気流の変化について、緊急に調査する必要があると述べた。

 アスラー事務局長がAFPに説明したところによると、ブロッキング現象は大雨や熱波を増長し、同じ地域にとどめ、異常気象を引き起こす可能性がある。地球温暖化のもとではより頻繁に起こると考えられている。

 同事務局長によると、パキスタンの豪雨やロシアの熱波が発生する数週間前、欧州の科学者らが、それらを引き起こしたブロッキング現象を気流の中に突き止めた。

 アスラー事務局長とWMOは、ここ数週間で発生したパキスタンの豪雨、ロシアの熱波、中国の土石流、グリーンランドの棚氷分離はいずれも自然発生的な異常気象の基準にあてはまらないと強調する。

 WMOは声明で、これらの現象が規模、期間、発生範囲のいずれの面においても、「前例のない連続的な現象」だとし、「ブロッキング現象発生の頻度や期間が今後変化するのか否かの解明は、気象科学における急務だ」と指摘した。

 アスラー事務局長も、これは太平洋におけるエルニーニョ、ラニーニャ現象の役割の変化とともに緊急に解明しなければならない問題だとし、気候・気象科学における優先順位は「急激に変わりつつある」と指摘した。(c)AFP


   http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2749395/6089873

 といったものだ。
 まあこの記事でもなんでブロッキング現象が起こるかというのはよくわからないけど。

 とりあえずこの暑さを経験し感じたのは、地球の気候のカオス化があるボーダーラインを超えようとしているというような奇妙な落下感覚(ジェットコースターなどで落下時下腹部がひやんとなるような)だった。

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 上の図はメキシコ湾流の流れの速度を表した図だが、上は2004年9月のもの、下は2010年7月のものだ。見比べてみると赤い速度の速いしっかりした流れが減り、ところどころでぶつぶつ切れてさえいる。この海流の異変は今年の春から夏にかけて起こったメキシコ湾での史上最大の原油流失事故の影響ではないかという説もささやかれているようだ。もうメディアはほとんど報道しないがあれだけの未曾有の量の石油が流れ出したらそんなことが起こっても不思議ではないと思う。真相はどうあれ、地球の気候を安定させる海流の動きが異常であるというのは確か。

 この海流は暖かい海水をヨーロッパの方に運んでいるので、もしこれが鈍くなれば大寒波の襲来などの危険性があるという。実際11月の終わりから、北半球はそれぞれ記録的な寒波に見舞われている。これは海流の減退と関係あるんだろうか? 
 さらに南半球の真夏のオーストラリアでは雪が降っており、普通ならありえないホワイトクリスマスを迎えた地方もあるようだ。

 こういったニュースが続くと、『寒波ウォッチャー』になってしまうので、その事態はなるべく避けたいと思う。4月にメキシコ湾で原油流出があった時はしばらく『原油流出ウォッチャー』になってしまったからだ。その前年は『豚インフルエンザウォッチャー』になってしまった。とにかく頭の中に「ひふみ神示」やカヴァーロさんの話などがあるせいなのだが。普通、ばらばらに解釈するニュースを僕の頭が『量子的惑星変化』というキーワードでひとつにまとめてしまうのでたちが悪い。これは重症なのでなかなか治らないだろう。70とか80になっても。くるぞくるぞ~と老人ホームでなんか言ってるかもしれない。その症状とも適当に付き合っている。

 とにかく濃いい年であったことは確かなのだが、個人的な気付きのいちいちをここで書くことも難しい。
 
 どうでもいいが、最近ことに気になるには<蜂蜜>だ。

 相方のクリスマスプレゼントにシナジーカンパニーという会社のマヌカハニーを注文したのだが、なんか自分も無性に欲しくなって一瓶注文した。この蜂蜜、蜂蜜のクセに、一瓶4000円位する。僕はもともと健康食品の類には全然興味はないのだが、ホームページを見てるううちにそのポリシーや、創立者ミッチェル・メイの人生経験にこころ動かされ買ってしまった。メイン商品のピュアシナジーってのも買ってみた。デザインに幾何学図形が使われていて、全体の雰囲気がすごくきれいなのだ。このデザインの美しさに惚れたと言ってもいい。到着すると、付録のニュースレターに昔I先生の瞑想会に参加されていた宮崎ますみさんのインタビュー記事も載っていた。

 
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 僕は決してシナジーカンパニーのまわしものではないが(笑)、ここの商品はとてもからだによさそうな気がする。ハニーは食べてみて、すごく芳醇な香りと味に驚いた。自然てすごいなーと思うと同時に、でもこのハニーも現地での害虫の発生により近々販売が終了するということで、ここでも地球環境の変化が影響してるのかと思った。
 蜂というのは、子供の頃何回も刺されたのでちょっと怖い生き物だが同時に興味深い生き物でもある。
 あんな規則正しい六角形の巣をつくるというのも、、、

 と、今年はだいたいそんな感じ。
 
 テレビは捨てたまま買ってないので、淡々と静かに年を越そうと思う。 

 来年もきっとどっちに転んでも濃い年になるんじゃないだろうか。



 ※以上、ワインコップに3杯以上飲んで書いてますので、文法的に多少おかしなところがあるかもしれません。

 皆様どうかよいお年を♪

 
2010. 12. 21  
 
 いわゆる『クラリオン星人』とコンタクトしているというマオリッツオ・カヴァーロさんが来日された時に講演会に参加させてもらったのは2008年の11月だった。あまりUFOコンタクティーの世界にはそれまで興味はなかったのだけど、折りしも脳内はアセンション情報でいっぱいであり、またこれは直観的に行ってみたいという感覚が強かったので参加した。

 ステージ上のカヴァーロさんはどこか悲しげだけど、誠実そうで、またちょっとした茶目っ気にもあふれた魅力的な人物に見えた。扇動的なところはなく自分の体験を淡々と語っているようだった。

 このところ、急にカヴァーロ氏の本を全部読んでおきたくなり一気に二冊くらい読破した。
 カヴァーロさんの本で印象的なことをいくつかあげると

 ①シャーマン的死と再生

 カヴァーロさんはエイリアンのリアリティと、通常のリアリティを往復することによってこの次元の自分やかつて描いていたささやかな夢をすべてぼろぼろにされたと語っている。そして自殺を考えるほど苦しんだ。しかしその苦しみは彼ら、エイリアンがしたことではなく自分の人間精神(プシケ)が彼らの侵入に反抗することで起こったものだ。今は宇宙や生命の秘密を明かしてくれた彼らに愛情を感じているという。

 これはシャーマンの死と再生現象を連想させる。シャーマンの道はあちらからの呼びかけによって起こることが多く、それを拒むと身体的な病などの症状に苦しむことがあると言われる。カヴァーロさんの場合もコンタクトは自身から求めたものではなく、アブダクション(誘拐)に近いものであり、指定された場所へ行くことに逆らえば逆らうほど激しい頭痛に襲われたという。

 シャーマンはしばしば長期の幽閉や、苦行のなかでまったく異なったリアリティに引きずり込まれ、その中で自分の肉体がばらばらにされたり、怪物に食われたあと、まったく新しく再生するという経験をする。いわば、古い自己が粉々にされ、あらたな自己として誕生するのだがカヴァーロ氏の体験はそのプロセスと似ているように思う。人が異なったリアリティに移行するのは、やはり同じような葛藤がつきものなのだろうか。

 カヴァーロさんが信頼できそうな理由は、この普通の人にとってはしゃれにならないプロセスを一人で経験しているからだ。メッセージだけで宇宙人の言葉を喋るチャネラーと違って、全心身的な変容とかかわりを求められたということが彼の言葉に深みを持たせている。ホイットリー・ストリーバーの『コミュニオン』などにも見られるとおり、エイリアン(異質なリアリティー)と付き合うには強い精神が求められる。彼らが手加減してくれれば別だが、向こうがすべてを見せれば見せるほどこっちはきついのかもしれない。だからもちろん、そこまで人間的リアリティーを破壊しない手加減された部分的コンタクト、、というのもたくさんあるはずなのだ。
  
 彼らはカヴァーロさんにはかなり、素でコンタクトしてきており、宇宙の現実に関してもかなり真相を明らかにしているように思われる。宇宙の現実は人間が受け入れられる程度に応じてしか明かされてこなかったと思うのだが、ここ現代に来てかなり全開のMAXパワーになりつつあるような気もする。


 ②多元的宇宙

 その宇宙の現実についてだが、カヴァーロさんは、僕らが見ているような物理的宇宙というのは実際には存在しているとは言えず(人間の意識的投影の産物)、その本質は周波数、バイブレーションであるという。また人間が生まれたり死んだりしているということも精神(プシケ)の誤認識によってそう認識されているだけだと言う。

 以下カヴァーロ氏の言葉を引用しよう。

 「僕たちがユニバースの実体だと信じ込んでいるユニバースって言うのは、本物のユニバースとはずいぶん違うんだよ。その真のユニバースとは、形而上学的と形容できるだろうね。現実の世界、本物の世界ではユニバースとは振動(バイブレーション)なんだよ。それは無数の「時の紐」であり、エネルギー波でもあるんだけど、僕たちの周りに在るすべてのものでもあるんだ。

 樹木や河、山脈はエネルギー波に過ぎない。僕たちの精神がそうしたものを具現化しているんだ。エネルギーを結晶化して形作り、それを積み重ねているだけなんだよ。

 僕たちはね、自らのアイデンティティーを自覚するために、形状と言うものを生み出していく必要があるんだよ。けど、こんなことしていられるのも、残りあと僅かだよ
。』


 ここ数年、僕は宇宙の「無限」というものがとても自分の身近にあるような気がするときがあり、一瞬その中を覗き込んでしまったような恐怖に襲われることが幾度かあった。「なぜ太陽は丸いんだろうか?いったい何億年前から生きているんだろうか・・」と考えたのをきっかけに宇宙の無限というものが急速に頭の中でインフレーションして、自分を完全に殺してしまうような恐怖に陥った。宇宙の無限の前で・・・僕はゴミどころか存在しさえしていないのでは?うー・・・これはただの病気かもしれない(笑)

 もう少しソフトな例で行くと、人は宇宙とか地球というものをものすごく薄っぺらいイメージでしか理解していないということをものすごく生々しく感じる瞬間がよくあった。宇宙ってなんか、暗い空間に、地球とか月が浮いてるとか・・・多分そんなんじゃない。そんなんじゃなく、宇宙は「ここ」だし、この中に無数の次元と存在とあらゆる可能性が凝縮されている。そして意識の進化とは、宇宙がものすごいということを徐々に認識していくことなのだ。

 『各人が輝くフォトンのような存在なのです。わたしたちが誤って宇宙と呼んでいるコスモスのエーテル層に、無秩序に投影されているフォトンです。ですから人間は「からだに輪郭を与え現在地を特定する意識に基づいて、自らの物理的な存在を認識していることになります。

 事実、人間は自分自身の観察者です。感覚を通して時空の座標が生み出されます。そうなると、数限りないパラレルワールドの投影像を見ることのできるビジョンが奪われてしまうのです。つまり、人間とは自らの意識を結晶化させているため、ひとつの場所、一人の実態、ひとつの時間にしか焦点が合わせられないでいるのです
。』

 この宇宙のより正確なイメージモデルに関しては、最近思うところがあったのでまた日を改めて書きたい。


 ③2012年に関しては意外と過激派?

 カヴァーロさんは、コンタクト体験について語ると同時にエイリアンから教えられた、そう遠くない未来の『大変化』についても語る。基本的には、まあよく聴く感じで

 太陽の周波数がまったく変わる
 銀河中心部からのエネルギーもそれに加わる
 それによる遺伝子体系の激変→周波数が合うと肉体・精神の変容が起こる

 なのだが発言はアセンション論者のなかでは、急進的かつ過激な方と言えるだろう。

 宇宙的周波数の変動により地球の環境は激動状態になる。
 彼は1986年の時点で、それから30~35年後に起こりうるイベントとしてあるクラリオン星人からそれを聴いた。

 『まもなくすると太陽では磁場の乱れが起こり、その結果、太陽系は長期的に不安定な状態に陥るとのことでした。これはすべて、周期的な成長プロセスの一端、つまり物質の周波数上昇を促す変化だというのです。現行の周期が終わる頃、太陽系において、地球の力場に打撃を与える未曾有の磁気嵐が発生するのだ、とスエルは明言しました。すると地球は燃える地殻の影響をまともに受け、徐々に悪化する気候変動に苦しむようになり、最後には、磁場に突如異変が起こるというのです。

 (過激なので一部モザイクw)

 このような現象は、宇宙ではあたりまえのことで、数百万というスパンで幾度となく繰り返されてきているのだ、と彼は付け加えました。

 ですが、今回は普遍的周期(ユニバーサルサイクル)が終了を迎える時期と重なっています。よって、銀河の中心から届く量子エネルギーの強烈な波がわたしたちの住む太陽系を襲うので、新しい周波数場に則って遺伝子配列/惑星配列が再調整されることとなるのです


 未来に何が起こるかに関しては、みんな結構ばらばらだし、まあSF小説だと思って読んだほうがいいかもしれない。しかし僕がどうも引っかかる・・あるいは真実味を感じてしまうのは、もともとこういったものの方がアセンション神話の本流であるからだ。
 未来は決まってない式のポップなものや、たいしたことは起こらず、人の意識が代わっていきますというのは最近のものだと思う。いまだにアセンションについてもっとも突っ込んで述べていると僕が思うのは「ひふみ神示」であり、あれ以上のものはないのではないかと思う(もちろん真実かどうかはべつです)。

 カヴァーロ氏が宇宙人から聞いたという話は、匂い的に、すごく「ひふみ」に近い部分があるのだ。
 具体的に言ってもなんか、マニアックかつ黙示録的になりすぎるだけなのでやめるが、、、いまだにこういったメッセージを無視しきれないのはどうも僕の中に『それは起こる』という感覚が消し去れないものとしてあるからだと思う。昨今の異常気象・・・夏の熱波や、今真夏のオーストラリアでは雪が降り、欧州は記録的な寒波・・・を見ても地球のエネルギーがどんどんカオス化しているように思えてならない。 


  ④宇宙人と、絶対者=神

 質問者:君が出会ったエイリアンたちは、神や創造主とどのような関係を持っているんだい?

 カヴァーロ:親密な関係だよ。とっても密接な関係だと言える。ダイナミックで完璧な関係。彼らは神を信じているわけじゃない。彼らは神を感じている。神を体験している。彼らは神の肖像や信仰の類を必要としない。礼拝堂でさえ無用の長物なんだよ。なぜかというと、彼らの心のうちに礼拝堂があり、信仰があるからだよ。彼らの活動には永遠の意志が宿っているんだ。


 コンタクティが神、絶対者について語るのはよくあることなのだろうか?
 僕にとっては新鮮な感じがしたのだが。
 チャネリング的なものを含む宇宙ソースの哲学と、地球上の「久遠の哲学」はそのどちらもが真実であるならばどこかで融合する必要がある。しかもカヴァーロ氏の、あるいはクラリオンの語る、神の概念は僕にとっては受け入れやすいものである。宇宙のどこでも真理は同じなんてことになったら本当に素晴らしいと思うが果たしてどうだろうか?次のものは、宇宙のひとつの不変原理をあらわした彼らの言葉らしい。

 「ユニティーは原理である。自由とは生命である。正義、すなわち万物の調和とは、原理であるユニティーから生じた万物に、自らを見出すことである。あらゆる発現が普遍的であり、永遠であり、高潔な原理の現れである。ありとあらゆる存在が一つであり、万物である

 ここには最近僕が興味を持っている、ホログラフィックな宇宙観が読み取れる。
 ホログラフィックな宇宙観とは、簡単に言うと、部分には常に全体が宿ると言うこと、華厳経の世界であり、「一粒の砂に世界を」見るウィリアム・ブレイクの詩的霊的直観の世界でもある。

 またデイビッド・ボームという物理学者によると、この世界の個的現象というのは、それらを生み出すベースの世界ではすべて混ざり合ったユニティとして存在しているものだという。時空も個的存在もあらゆる法則もすべてがまだこの世界に発現していない状態を、ボームは仮説として「暗在系」と名づけた。

 クラリオンの教えは、古今東西の久遠の哲学と一致しているだけでなく、先端の科学者の一部が唱える理論とも一致しているように思える。

 本質的に、ぼくらは「個」ではなく「すべて」なのであるが、限定された自己を自己と思うシステム(自我)によりそのことが見えない状態になっている。


プロフィール

はいたか鳥

  • Author:はいたか鳥
  •  Only in silence the word,
     only in dark the light,
     only in dying life :
     bright the hawk's flight on the empty sky


     ことばは沈黙に
    光は闇に
    生は死の中にこそあるものなれ
    飛翔せるタカの
    虚空にこそ輝けるごとくに

    ゲド戦記 エアの創造より


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