2011.
03.
29
二年前に書いた記事だけど、昨今の状況とかぶってる気がするのでまたあげておく
2011年 3月29日
2009年1月21日
先の投稿で、世界内世界に存在しているという事実が苦を宿していると書いた。
それはマトリクス内存在にとって、いつパールバティ(正のマザー)がカーリ(負のマザー)に変身するのかまったく予期できないからだ。
しかし、しばしば僕らはある種のマトリクスには盲目的にされており、それがカーリ化した時に初めてそのなかに生きていたことに気付くという事態になる。
例えば、そのひとつが「経済システムマトリクス」だ。
金融恐慌が進行するにつれて、メディアも今までの市場原理主義がいけないとか、米英中心のシステムや、実態のない金融カジノで金を増幅させてきたつけが回ってきたのだとかいろいろ言い始めたが、それまではその構造などメディアで真剣に取り上げられたこともあまりないし、僕らも素人が理解するには複雑すぎるのでその構造には盲目にされていた。
だがひとたびそれがカーリ化すると、そのシステムの矛盾をすべて一般人がかぶることになるわけである。矛盾は最初からあった。不運が重なったのではない。根本的に生き方がおかしかったのだと思う。その巨大なる矛盾の上に、僕らの生活は成り立っていたわけだ。
もうひとつ例を挙げれば、例えば日本人は諸外国に比べて、国家マトリクス内存在だという認識が希薄であると思う。また「日本民族」であるという自覚も薄い。逆に「日本民族としての誇りを持て!」なんてことを誰かが言うとちょっとヤバイ人に見える。
これに比べて独裁国家である北朝鮮や、民族的に大きな困難を背負わされてきたパレスチナの人々などはいやが上でも国家・民族的意識は強固にならざるを得ない。
そんな民族・国家意識などというものは争いの火種であるので、ない方がいいという意見もあるだろう。しかしその認識がないのが果たして本当にいいことなのか、僕にはわからない。
もし『国家』というものが存在しなければそれでいいだろう。
だが実際には現在、『日本』は国境線によって他と隔てられた、マトリクス(世界内世界)だ。
ということは常に、この世界内世界の状況によって、また他と分断されてることによって苦を背負う可能性を秘めているということでもある。それがはっきりするのは、困難な時代が訪れた時であるだろう。
この、「日本国家」のように潜在的に僕らを飲み込んでいるカーリに対してあまりにも無自覚であるのは、自分が肉体を持っていることに無自覚なくらい危険なことかもしれない。現在の日本はパールバティというより、透明化したカーリと言った方がいい不気味さがある。この透明存在の顔を目を凝らして見る必要がある。
『国家』は潜在的に危険なものだ。
それは原初の形態化、ビナーに苦の種が存在しているのと同じだ。
現代人の多くの人は、国家のみならず、組織というものへの不信感を強くしている。
『組織』とはミクロでは人間がふたり集まった友人や恋人関係であるだろうし、マクロでは多国籍企業や国家だ。その中でも『宗教組織』のイメージは悪い。
1995年、あの組織が起こした事件以来、人々は宗教組織(カルト)への警戒を強くした。
カルト組織への警戒感は、カーリ化したマトリクス内にとらわれる恐怖に基づいている。(誰もこんな言葉で考えないと思うけど)ネガティブマザーは、わが子をその腹の中に飲み込み、幽閉した後、破壊する。
実際あの教団の施設内では、小部屋への幽閉や、暴力、薬物によるマインドコントロールなどが行われていたとされる。
これは極端な例だが、人はある組織に入る時、自分の何かを・・心理的自由や金銭やその多いろいろ・・・を奪われる可能性を感じやすい。
この現代には、人間が構成する組織全般への根源的な不信感が広がっているように思えてならない。
組織にとっての理想は、ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンの精神だろう。相互扶助の精神だけが、組織をカーリではなく、パールバティ、正のマザーにする。そして、その組織は外側に開かれたもので、全体に対してもワン・フォー・オールとなる必要がある。
逆に、組織の一部が大勢の構成員を、心理的・物質的に搾取するシステム、または組織内部はまとまっていようとそれが全体に対して害を及ぼすような(詐欺集団のような)システムは負のマザーに支配されている。いくら組織が繁栄しても、それが全体の犠牲の上に成り立っているなら、構成員は自分自身をネガティブなエネルギーの中に閉じ込め、究極的には自己を損なっているからだ。(閉じ込め、破壊する)他を損なうことが、自己を損なうことになるのは、それは全体(他者)とは、最終的には自分自身であるからに他ならない。
カルト宗教、悪質企業、学級崩壊や家族崩壊。
このような現象は人から共同体への信頼を徐々に奪っていく。
引きこもりやニートという現象も、あらゆる共同体への不信感の拡大と無関係とは思えない。
彼らには大口を開けて、すべてを飲み込むカーリの「幻影」が見えているのだろう。
もし社会に出て働くということが、自分の感性もなにもかもすり減らして、病気になるほど労働するということであるとすれば、社会や、彼らがそこで働く「企業」というのは、「閉じ込め破壊する」カーリ以外の何物でもない。(もちろんこれは極端な見方ではあるが)
その「閉じ込め破壊される」事態を避けるために、自室というもうひとつの「子宮」にこもらねばならなくなる。だがTVやゲーム、好きな本やアニメに囲まれた部屋もそれが長期化すればやはり人を損なう母体となってしまう。彼はやはりカーリの悪夢にうなされて夜中に目を覚ますことになるだろう。
彼らが求めているのは、自己を受け入れ、育ててくれる、「何か」、「誰か」、言い換えれば女性性であり女神(ポジティブマザー)の力なのである。
自室という「子宮」はこの、人を成長・変容させる女性性の代用品なのだが、代用品とは言え、人が困った時に必ず女性性にすがるのは非常に興味深い。それにカーリも彼らに何かを必ず教えるのだ。
カーリは単に破壊者ではなく、厳しい教師の顔をも持っている。
僕は引きこもり状態の時、実際よくカーリ(ネガティブマザー)の化身が登場するような夢を見た。
大きな無人の屋敷をさまよっていて、薄暗い部屋にたどり着くと、そこには一人の女が描かれた絵がかかっているのだが、その顔は下半分だけがライトアップされ口元しか見えなかった。その口元は笑っていた。その絵は屋敷の女主人の顔だと思うのだが、僕は彼女が非常に恐ろしく感じたのを覚えている。床にはいまだ生まれざる胎児の写真が無数に敷き詰められていたからだ。
この他に、カーリ化する可能性のある、又はすでにしているマトリクスは以下のようなものが考えられるだろう。
①エネルギー供給システムマトリクス→例えば中東で戦争が起こると、石油は一気に高騰する。
②食糧供給システムマトリクス→日本に輸入が途絶えると、手に入る食料は激減する。
③ガイアマトリクス(地球内世界そのもの)→異常気象や天変地異の増加によりカーリ化する
①と②に関しては現在のマトリクスの仕組を変容させることで、カーリ化する危険性を減少できる。
例えばロシアから石油を直接輸入する、代替エネルギーの開発を急ぐ、食糧自給体制を確立するなど。
その為には、まずそのマトリクス内にいるという認識が必要になる。
なお前回、今回とマザーの否定的側面をカーリ、肯定的側面をパールバティと便宜的に書いたが本来このように分割できるものではないと思う。世界内存在として形態化することによって生まれる影響として、「閉じ込められ壊される」と「愛され育まれる」の元型的なふたつのパターンが存在し、それらは『世界内世界を形成する』という原初の女神の活動によって発生しているということを言いたかったに過ぎない。本来は、このふたつが融合したひとつの母性しか存在していないし、一見ネガティブなものにもポジティブな側面が必ずある。形を経験することが、形を超越する学習なのだ。だから形を持つことによって発生するネガティビティを知ることも当然重要となる。
そして形を越えた世界を垣間見させるのは、形の創出者であるところの原初の女神、至高のアニマ・マザー、「永遠の女性性」である。僕らは彼女の娘・息子たちだ。
最後にスタニスラフ・グロフのBPMの概念を書いて終りにしたい。
グロフはLSDセラピーや、過呼吸を利用して変性意識に人を導くホロトロピックセラピーを指導していく過程で多くの人が出産時の記憶に拘束されていることを発見し、これはBPM(Basic Perinatal Matrix)基本的分娩前後のマトリックスと名づけた。
BPM1は子宮の羊水に穏やかに浸っている状態で、その状態が心地よいものであれば胎児は「大洋的感覚」、二元性のないすべてと一体であるという感覚を感じている。平和、静寂、平穏、歓喜が体験される。しかし逆に状態があまりよくなければ、その体験は汚染された自然のイメージや、強制収容所のガス室で死んでいく囚人と自分を一体化させる。ここですでに、世界内にいることで発生する苦が始まっているのである。
続いてBPM2は子宮口が開く前に、子宮が収縮を始める段階だ。
この段階では平和な世界は終りを告げ、胎児は肉体を締め付けられる。マザーのカーリ的側面が顕著になってきたのだ。出口(子宮口)はいまだ開いていないのに、世界が自分を押し付けるように周囲から迫ってくる「出口なし」の状況だ。この体験は「敵意に満ちた世界に閉じ込められる」イメージとしてセラピーなどで浮上してくるという。
BPM3は子宮を追い出され、狭苦しい産道を進みながら誕生に向かって苦心する段階。
そしてBPM4で世界へと誕生する。
グロフは現代をBPM3の時代と呼んでいたと言う。
『BPM3とは、出生プロセスのもっともきつい局面であり、胎児が自らの死に相当する出産を前にして、著しい葛藤にさらされる状態を表している。このような状態では、超越(出産)への希求が高まると同時に、鬱積したエネルギーの劇的な消費を促すエロス的欲求や攻撃性が高まるとグロフは言うのである。こうしたグロフの見解は単なる推測によって産み出されたものではなく、サイケデリックな物質を使った臨床的な観察によって産み出されたものであることに注意してもらいたい。
我々は現在、エロスと暴力が社会に蔓延しているのを目撃している。こうした現象はある意味憂慮すべきものであり、世紀末的な現象として慨嘆する向きも多い。しかし、グロフの考察に従うなら、エロス的欲求や暴力衝動の高まりは、超越的欲求の高まりを示す一つの兆候とみなすことも可能なのである』
菅靖彦 著 『変性意識の舞台』より
もしや現在多くのものがカーリ化しているという事実も、エロス的アニマの増殖も、未知への誕生の生みの苦しみなのだろうか。そもそも誕生とは胎児にとっては古き世界の死である。自らは望むべくもない。しかしプロセスは「勝手に」進行する。多少体を締め付けられようとも、母なる宇宙への信頼が問われている。
西洋文明終末期の
最終的な崩壊と成熟の
人間性のプロセスは次のようになる。
1、マニピュラチャクラの否定。
すなわちエゴ・トリップの頽廃。
2、ムラダーラ・チャクラへの退行。
すなわち、セクシャルな事柄や麻薬の流行と、その反動としての超管理社会。
3、死もしくは狂気についての狂気的関心。あるいは、その反動としての社会的平和や宗教への熱狂。あるいは戦争と暴力。
ここまでで、ムラダーラチャクラへの退行の試みは、終息する。
つまり西洋文明の実質的崩壊である。
4、だが一部分では、
この崩壊を乗り越えて、真の成熟過程が進行する。
5、死についての非抑圧的な正常な関心。
6、そして
メンタル体、アナハタチャクラの爆発。すなわち超越的な慈愛と、純粋な瞑想行為の発現。
ダンテス・ダイジ 『アメジスト・タブレット・プロローグ』
2011年 3月29日
2009年1月21日
先の投稿で、世界内世界に存在しているという事実が苦を宿していると書いた。
それはマトリクス内存在にとって、いつパールバティ(正のマザー)がカーリ(負のマザー)に変身するのかまったく予期できないからだ。
しかし、しばしば僕らはある種のマトリクスには盲目的にされており、それがカーリ化した時に初めてそのなかに生きていたことに気付くという事態になる。
例えば、そのひとつが「経済システムマトリクス」だ。
金融恐慌が進行するにつれて、メディアも今までの市場原理主義がいけないとか、米英中心のシステムや、実態のない金融カジノで金を増幅させてきたつけが回ってきたのだとかいろいろ言い始めたが、それまではその構造などメディアで真剣に取り上げられたこともあまりないし、僕らも素人が理解するには複雑すぎるのでその構造には盲目にされていた。
だがひとたびそれがカーリ化すると、そのシステムの矛盾をすべて一般人がかぶることになるわけである。矛盾は最初からあった。不運が重なったのではない。根本的に生き方がおかしかったのだと思う。その巨大なる矛盾の上に、僕らの生活は成り立っていたわけだ。
もうひとつ例を挙げれば、例えば日本人は諸外国に比べて、国家マトリクス内存在だという認識が希薄であると思う。また「日本民族」であるという自覚も薄い。逆に「日本民族としての誇りを持て!」なんてことを誰かが言うとちょっとヤバイ人に見える。
これに比べて独裁国家である北朝鮮や、民族的に大きな困難を背負わされてきたパレスチナの人々などはいやが上でも国家・民族的意識は強固にならざるを得ない。
そんな民族・国家意識などというものは争いの火種であるので、ない方がいいという意見もあるだろう。しかしその認識がないのが果たして本当にいいことなのか、僕にはわからない。
もし『国家』というものが存在しなければそれでいいだろう。
だが実際には現在、『日本』は国境線によって他と隔てられた、マトリクス(世界内世界)だ。
ということは常に、この世界内世界の状況によって、また他と分断されてることによって苦を背負う可能性を秘めているということでもある。それがはっきりするのは、困難な時代が訪れた時であるだろう。
この、「日本国家」のように潜在的に僕らを飲み込んでいるカーリに対してあまりにも無自覚であるのは、自分が肉体を持っていることに無自覚なくらい危険なことかもしれない。現在の日本はパールバティというより、透明化したカーリと言った方がいい不気味さがある。この透明存在の顔を目を凝らして見る必要がある。
『国家』は潜在的に危険なものだ。
それは原初の形態化、ビナーに苦の種が存在しているのと同じだ。
現代人の多くの人は、国家のみならず、組織というものへの不信感を強くしている。
『組織』とはミクロでは人間がふたり集まった友人や恋人関係であるだろうし、マクロでは多国籍企業や国家だ。その中でも『宗教組織』のイメージは悪い。
1995年、あの組織が起こした事件以来、人々は宗教組織(カルト)への警戒を強くした。
カルト組織への警戒感は、カーリ化したマトリクス内にとらわれる恐怖に基づいている。(誰もこんな言葉で考えないと思うけど)ネガティブマザーは、わが子をその腹の中に飲み込み、幽閉した後、破壊する。
実際あの教団の施設内では、小部屋への幽閉や、暴力、薬物によるマインドコントロールなどが行われていたとされる。
これは極端な例だが、人はある組織に入る時、自分の何かを・・心理的自由や金銭やその多いろいろ・・・を奪われる可能性を感じやすい。
この現代には、人間が構成する組織全般への根源的な不信感が広がっているように思えてならない。
組織にとっての理想は、ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンの精神だろう。相互扶助の精神だけが、組織をカーリではなく、パールバティ、正のマザーにする。そして、その組織は外側に開かれたもので、全体に対してもワン・フォー・オールとなる必要がある。
逆に、組織の一部が大勢の構成員を、心理的・物質的に搾取するシステム、または組織内部はまとまっていようとそれが全体に対して害を及ぼすような(詐欺集団のような)システムは負のマザーに支配されている。いくら組織が繁栄しても、それが全体の犠牲の上に成り立っているなら、構成員は自分自身をネガティブなエネルギーの中に閉じ込め、究極的には自己を損なっているからだ。(閉じ込め、破壊する)他を損なうことが、自己を損なうことになるのは、それは全体(他者)とは、最終的には自分自身であるからに他ならない。
カルト宗教、悪質企業、学級崩壊や家族崩壊。
このような現象は人から共同体への信頼を徐々に奪っていく。
引きこもりやニートという現象も、あらゆる共同体への不信感の拡大と無関係とは思えない。
彼らには大口を開けて、すべてを飲み込むカーリの「幻影」が見えているのだろう。
もし社会に出て働くということが、自分の感性もなにもかもすり減らして、病気になるほど労働するということであるとすれば、社会や、彼らがそこで働く「企業」というのは、「閉じ込め破壊する」カーリ以外の何物でもない。(もちろんこれは極端な見方ではあるが)
その「閉じ込め破壊される」事態を避けるために、自室というもうひとつの「子宮」にこもらねばならなくなる。だがTVやゲーム、好きな本やアニメに囲まれた部屋もそれが長期化すればやはり人を損なう母体となってしまう。彼はやはりカーリの悪夢にうなされて夜中に目を覚ますことになるだろう。
彼らが求めているのは、自己を受け入れ、育ててくれる、「何か」、「誰か」、言い換えれば女性性であり女神(ポジティブマザー)の力なのである。
自室という「子宮」はこの、人を成長・変容させる女性性の代用品なのだが、代用品とは言え、人が困った時に必ず女性性にすがるのは非常に興味深い。それにカーリも彼らに何かを必ず教えるのだ。
カーリは単に破壊者ではなく、厳しい教師の顔をも持っている。
僕は引きこもり状態の時、実際よくカーリ(ネガティブマザー)の化身が登場するような夢を見た。
大きな無人の屋敷をさまよっていて、薄暗い部屋にたどり着くと、そこには一人の女が描かれた絵がかかっているのだが、その顔は下半分だけがライトアップされ口元しか見えなかった。その口元は笑っていた。その絵は屋敷の女主人の顔だと思うのだが、僕は彼女が非常に恐ろしく感じたのを覚えている。床にはいまだ生まれざる胎児の写真が無数に敷き詰められていたからだ。
この他に、カーリ化する可能性のある、又はすでにしているマトリクスは以下のようなものが考えられるだろう。
①エネルギー供給システムマトリクス→例えば中東で戦争が起こると、石油は一気に高騰する。
②食糧供給システムマトリクス→日本に輸入が途絶えると、手に入る食料は激減する。
③ガイアマトリクス(地球内世界そのもの)→異常気象や天変地異の増加によりカーリ化する
①と②に関しては現在のマトリクスの仕組を変容させることで、カーリ化する危険性を減少できる。
例えばロシアから石油を直接輸入する、代替エネルギーの開発を急ぐ、食糧自給体制を確立するなど。
その為には、まずそのマトリクス内にいるという認識が必要になる。
なお前回、今回とマザーの否定的側面をカーリ、肯定的側面をパールバティと便宜的に書いたが本来このように分割できるものではないと思う。世界内存在として形態化することによって生まれる影響として、「閉じ込められ壊される」と「愛され育まれる」の元型的なふたつのパターンが存在し、それらは『世界内世界を形成する』という原初の女神の活動によって発生しているということを言いたかったに過ぎない。本来は、このふたつが融合したひとつの母性しか存在していないし、一見ネガティブなものにもポジティブな側面が必ずある。形を経験することが、形を超越する学習なのだ。だから形を持つことによって発生するネガティビティを知ることも当然重要となる。
そして形を越えた世界を垣間見させるのは、形の創出者であるところの原初の女神、至高のアニマ・マザー、「永遠の女性性」である。僕らは彼女の娘・息子たちだ。
最後にスタニスラフ・グロフのBPMの概念を書いて終りにしたい。
グロフはLSDセラピーや、過呼吸を利用して変性意識に人を導くホロトロピックセラピーを指導していく過程で多くの人が出産時の記憶に拘束されていることを発見し、これはBPM(Basic Perinatal Matrix)基本的分娩前後のマトリックスと名づけた。
BPM1は子宮の羊水に穏やかに浸っている状態で、その状態が心地よいものであれば胎児は「大洋的感覚」、二元性のないすべてと一体であるという感覚を感じている。平和、静寂、平穏、歓喜が体験される。しかし逆に状態があまりよくなければ、その体験は汚染された自然のイメージや、強制収容所のガス室で死んでいく囚人と自分を一体化させる。ここですでに、世界内にいることで発生する苦が始まっているのである。
続いてBPM2は子宮口が開く前に、子宮が収縮を始める段階だ。
この段階では平和な世界は終りを告げ、胎児は肉体を締め付けられる。マザーのカーリ的側面が顕著になってきたのだ。出口(子宮口)はいまだ開いていないのに、世界が自分を押し付けるように周囲から迫ってくる「出口なし」の状況だ。この体験は「敵意に満ちた世界に閉じ込められる」イメージとしてセラピーなどで浮上してくるという。
BPM3は子宮を追い出され、狭苦しい産道を進みながら誕生に向かって苦心する段階。
そしてBPM4で世界へと誕生する。
グロフは現代をBPM3の時代と呼んでいたと言う。
『BPM3とは、出生プロセスのもっともきつい局面であり、胎児が自らの死に相当する出産を前にして、著しい葛藤にさらされる状態を表している。このような状態では、超越(出産)への希求が高まると同時に、鬱積したエネルギーの劇的な消費を促すエロス的欲求や攻撃性が高まるとグロフは言うのである。こうしたグロフの見解は単なる推測によって産み出されたものではなく、サイケデリックな物質を使った臨床的な観察によって産み出されたものであることに注意してもらいたい。
我々は現在、エロスと暴力が社会に蔓延しているのを目撃している。こうした現象はある意味憂慮すべきものであり、世紀末的な現象として慨嘆する向きも多い。しかし、グロフの考察に従うなら、エロス的欲求や暴力衝動の高まりは、超越的欲求の高まりを示す一つの兆候とみなすことも可能なのである』
菅靖彦 著 『変性意識の舞台』より
もしや現在多くのものがカーリ化しているという事実も、エロス的アニマの増殖も、未知への誕生の生みの苦しみなのだろうか。そもそも誕生とは胎児にとっては古き世界の死である。自らは望むべくもない。しかしプロセスは「勝手に」進行する。多少体を締め付けられようとも、母なる宇宙への信頼が問われている。
西洋文明終末期の
最終的な崩壊と成熟の
人間性のプロセスは次のようになる。
1、マニピュラチャクラの否定。
すなわちエゴ・トリップの頽廃。
2、ムラダーラ・チャクラへの退行。
すなわち、セクシャルな事柄や麻薬の流行と、その反動としての超管理社会。
3、死もしくは狂気についての狂気的関心。あるいは、その反動としての社会的平和や宗教への熱狂。あるいは戦争と暴力。
ここまでで、ムラダーラチャクラへの退行の試みは、終息する。
つまり西洋文明の実質的崩壊である。
4、だが一部分では、
この崩壊を乗り越えて、真の成熟過程が進行する。
5、死についての非抑圧的な正常な関心。
6、そして
メンタル体、アナハタチャクラの爆発。すなわち超越的な慈愛と、純粋な瞑想行為の発現。
ダンテス・ダイジ 『アメジスト・タブレット・プロローグ』
2011.
03.
28
原発の事故に関して、以下のサイトの記者会見動画をよくみている。
原子力資料情報室
中継用Ustream URL
海外メディアもたくさん取材に来ており、既存マスコミでは聞けない突っ込んだ解説が格納容器の設計者から聞ける。冷却材喪失事故という、もっとも危ないタイプの事故が起こっていたようだ。もっとも危ないと言っても東京あたりの放射能レベル自体はたいしたことないみたいだけど。新宿区での測定結果が逐一アップされている。
あとここも勉強になる
武田邦彦氏のページ
メディアの情報を聞いてイライラするのは、こんな時に詳細に事実を発表しないからだ。
でもこれらの情報は僕には納得できる。
僕は武蔵野市に住んでるので、先週葛飾区金町の浄水場で高濃度のヨウ素が検出された時地域の防災スピーカーから、『水道水の乳児の摂取はひかえてください』というアナウンスが流れるのを先週聞いた。
僕はその水でコーヒーを作りながら、
まさか、自分が生きてる間にこれほど放射能が身近になることを体験するとは予想していなかった。と思った。
『すぐに影響は出ません』そんなことばを隠れ蓑にしつつ、気が付けばとても近くにあのテレビで見た65年前のヒロシマの光景の一部がにじり寄って来てるような気分だ。
浜岡原発とめてくれ~頼む。
あとコンビニとかスーパー、だいぶ戻ってきてるけどまだものは少ない。また二リットルの水がなくなった。カップラーメンはかなり戻った。なぜかずっと納豆がない。納豆好きなのに・・・・。節電でスーパーは薄暗い。あんまりぎらぎらしてるより僕はこっちの方が落ち着くが・・・
ここ一週間、『死ぬ時は死ぬ』という言葉をよく聴く。
マスコミからではなく、身近な人からだ。
僕が担当の利用者の人は夜中の余震に驚いたヘルパーに「大丈夫ですか!」とたたき起こされ、
「せっかく気持ちよう寝とったのに死ぬ時は死ぬんやから・・・ブツブツ」と言いながら、昔、同じ脳性まひの知人が目の前で心臓発作を起こし逝ってしまうのを見たという話しをしてくれた。
僕が前世療法をしたことがきっかけで知り合ったTさんは、去年の8月に福岡から東京に来たが、家族が心配してるので4月に一時帰省するという。ただTさん自体はあんまり心配してないように見えた。若干びびってる僕に、
「人間いつかは死ぬんよ~K君。朝起きて夜寝るくらい自然なことよ。それで死んだらとってもいい世界にいけるんだから。私は絶対気持ちよく死ねるとおもっとるけん。」と自分の死に自信を持ってるようだった。
手相を見てもらい、「まだ生命線切れとらんけん。大丈夫よ」と言われた。
マスコミも『安全、安全』というよりもまだ『死ぬときゃ死ぬんですよ』って言ってくれた方が好感が持てるかも。
大本営発表やスピリチュアル系の甘い言葉よりも、『死ぬ時は死ぬ』と言われた方が安心するのはどうしてか。 それはある意味もしかしたらスピリチュアリティのエッセンスだからかもしれない。
僕は昔スピッツが結構好きだったけど、ボーカルの草野正宗さんが、急性ストレス障害で活動を一時休止するという記事をネットで読んだ。余震や、連日の報道が原因らしいけどなんでも関西の方でもテレビの映像によってPTSDになりパニック障害的な症状を訴える人が多いらしい。
僕はもとからここ数年は不安障害の気があり、夜中に飛び起きることとかがたまにあった。
その原因は結局死や狂気、自我が壊れることの恐怖に起因しているものだったけど、それは外の世界に客観的な脅威があったわけではなかった。今、ある意味外側の脅威は前よりも実在してるとも言える。
しかし、それは結局突き詰めれば「イマジネーション」でもある。恐怖自体が「自分」をルーツとしたイマジネーションの産物だ。ただ今回の災害はあまりにも巨大で日本人の集合的な精神に、激しい一撃を加え、なにか社会の構成要素がぼろっと大きな断片となってこぼれ落ちたような感覚を与えた。その崩壊感が、実際に災害を身体で体感していない人の急性ストレス障害の原因であるような気がする。
僕自身の不安神経症的状態は、よくも悪くもなっておらず平常のレベルを保っている。
もともとちょっとおかしかったが、さらにおかしくはなっていないという感じ。
ただやはり3・11から一週間ほどは食欲全くなく、頭痛がずっと続いていた。
そのけがある人は、PCとメディアから数日遠ざかり身体を動かすとか、長時間歩くとか、自然と触れ合うとか、お風呂にゆっくはいるとか、そういうことを多めにした方がよいだろうと思う。
僕も気をつけている。
http://www.youtube.com/watch?v=DR04tuUqP10
なぜかこの曲の気分だ。
正宗ガンバ~!
http://www.youtube.com/watch?v=Eze6-eHmtJg
http://www.youtube.com/watch?v=5K8ZuLYG0yo&feature=related
2011.
03.
21
ネットをしばらく控えるつもりが、PWを忘れブログにログインできなくなり、更新を停止しているうちに非常に大きなことがおこってしまった。やっとPWがわかったのでログインできた。
この地震に関して、人工地震だという人がいやに多い。
それはどちらでもいいのだが、地震数日前より明らかに意識状態がおかしく、眠れない(眠りが浅い)日が続いていた。こんなことはあまりないのだが、太陽でハンパないフレア活動が起こっていたのでそれが原因で影響してきているのだと思っていた。テンパる感じと『変な物忘れ』が多かった。
先週末PTSD気味だったので2,3日京都に帰っていた。
弟と話すとやはり、震災前眠れない日が続いていたということだった。
前にブログで少し書いた、弟の知人超人M氏より地震の四日前「そろそろヤバイぞ」という短いメールが来たらしい。意味がわからないので「何がやばいんですか?」と電話で聞くと「あたりが水浸しになって建物がぺちゃんと潰れているイメージ」が頭からずっと離れないと言う。超人M氏は別にしょっちゅうこんなことばかり言ってる人ではなく『備えておけよ』と弟にも言ったので乾パンやらなんやらを買ったそうだ。まだ『建物ぺちゃん』のイメージは消えてないらしいのでしばらくは少し気をつけておいた方がいいのかもしれない。
震災前のエネルギー状態は明らかにおかしかったが、今のエネルギーがどうなのかは震災の後僕も大きな衝撃を受け、不安な時間を過ごしていたので、もうおかしいかどうかすらわからない。と言うと、弟も同意していた。でも太陽活動自体は今は落ち着いている。
3月11日は、前日が泊まりの仕事だったので、いつもの夜勤明けと似たような時間を過ごした。
前日眠る時に「聖杯に血が注がれる」というイメージがよぎり、変わったイメージなので「聖杯に血が注がれる」と忘れないように呟いておいた。聖杯は処刑されたイエスの血を受けたとされる杯だ。朝は爽やかだった。利用者の人との心理的な垣根が一瞬消えて、同じフィールドに溶け込んでいる感じがした。8時に上がり、国立のエクセルシオールでコーヒーを飲んだ。そのあと吉祥寺に行って一人カラオケ1時間した。お昼ごろには三鷹の自宅に帰り、ビールを飲みながらLost season2のエピソード1と2を続けて見た。見終わり少しぼーっとしようとこたつに横になりタバコを吸っていた。珍しく読んでいた長編小説、貴志祐介の「新世界より」をぱらぱらめくりつつ・・・
すると部屋が揺れ始めた。地震が多かったので、いつものやつですぐにおさまると思った。しかし、揺れはどんどん激しくなっていった。そして周りのものが落ちたり、倒れたりし始めた。その激しい揺れの中で、思考は『これがそうだ これがそうだ これがそうだ ついに来た』というようなところをループし、身体は麻痺していた。危ないから外に出よう、そう判断し動き出したのはもしかしたら揺れの峠を越えたあとかもしれない。木造アパートの二階の部屋から飛び出して、階段を駆け下り、外に飛び出すと、砂利敷きの駐車場に座り込んだ。座っていても地面がまだうねっている。右手にはまだタバコを持っていた。家から出てきた人がたくさんいる。揺れの感じから、多分東京直下型の地震ではないと思った。でも震源がどこであれ、かなりの被害がでてるに違いない。
部屋に戻りネットで見ると、福島沖震度7の文字。
しかしまだまだ大きく部屋は揺れている。気持ち悪いので、また外に出て、近所の公園に向かうことにした。
相方が新宿で友達と食事し、その後高円寺の岩盤浴に行くと言っていたので気になり大丈夫かとメールする。
酔いと、眠気は完全に飛んでいる。
携帯のワンセグでニュースを見ながら公園に行った。
公園では子供たちが遊んでいた。地震に怯えている様子もない。子供たちの様子をみていると、少し気持ちが落ち着いてきた。しかし、そこから少し離れたところでは女性が二人、北に向かって泣きそうな顔で手をあわせ必死に祈っている姿があった。東北に身内がいる人なのだろうか。また向こうの広場にリュックを背負った人たちが十数人集まってるのが見えた。家から避難してきたようだ。しかし一方グラウンドで野球をしている子供たち、そしてふざけあい笑いながら自転車で下校する中学生たちの姿もあった。
東京でも建物が倒壊し、死傷者がでているようだというニュースが携帯から聞こえる。
かなり巨大な地震であることは間違いない。
この規模だと京都の実家に無事であることを報告しておいた方がいいと思い当たるが、予想通り携帯はまったくつながらない。コンビニの前の公衆電話なら大丈夫だろうと考え、小銭を入れて電話する。手短に無事であることを伝える。京都では揺れは感じなかったようだ。え?なんのこと?という感じだった。
相方からメールが来ないので少し気になる。
新宿の被害情報はないので大丈夫だとは思うが。メールが込み会っているのだろうか。
mixiならメッセージが送れるのではないかとログインする。すると、地震発生後30分以内に相方もログインしている。ということはまあ大丈夫だろうと安心する。
JRは今日は運転しないらしい。ということは彼女は帰れなくなるので、早めにタクシーでも拾ってこっちに向かった方がいいのではないかとmixiからメッセージしてみる。
返事が来たのは夜の7時ごろだった。
mixiはチェックしてなかったらしい。僕の携帯にメールしても一切返事がないので、心配になり阿佐ヶ谷から三鷹へ歩き始めているということだった。だいたい四駅くらいある。僕も吉祥寺まで迎えに行くことにする。異常に冷たく、寒い風が吹きつけている。吉祥寺駅前は、バスを待つ人で長蛇の列が出来ている。
駅から少し離れた場所で落ち合い、三鷹に向かった。
相方は阿佐ヶ谷の駅で、電車を降りてすぐ地震に遭遇したようだ。
エスカレーターを降りているときに揺れが始まり、一緒に居た女性が腰砕けになってその場にしゃがみこんでしまったので介抱するのが大変だったようだ。頭の上では鉄骨の梁がぐわんぐわん揺れていたという。歩き疲れているが意外と元気そうでよかった。
家に帰りワンセグやネット見続ける。
I都知事がテレビで『震源が段々下に下がってきてる』とかシャレにならない事を言ってる。
この地震は普通じゃないという想いが強く突き上げてきて、眠れない。
震源が三箇所にもわかれ東京を囲んでいるようだ。
誰も予想しない異様な地殻変動の可能性を危惧する
普段会わない四国の知人などから、安否確認のメールが来る。
こちらも首都圏に住む知人にメール送る。
翌日はI先生やスタッフのMさんらが無事かメールで尋ねて見る。
I先生、花粉症に被爆し地震どころではないみたいな様子・・とのこと。I先生が深刻になってるとは考えにくかったがその返事を読みやはり・・・と思う。
公園で遊んでた子供たち思い出し、大丈夫だということにフォーカスするということがこの先重要になってくるような気がした。
この地震に関して、人工地震だという人がいやに多い。
それはどちらでもいいのだが、地震数日前より明らかに意識状態がおかしく、眠れない(眠りが浅い)日が続いていた。こんなことはあまりないのだが、太陽でハンパないフレア活動が起こっていたのでそれが原因で影響してきているのだと思っていた。テンパる感じと『変な物忘れ』が多かった。
先週末PTSD気味だったので2,3日京都に帰っていた。
弟と話すとやはり、震災前眠れない日が続いていたということだった。
前にブログで少し書いた、弟の知人超人M氏より地震の四日前「そろそろヤバイぞ」という短いメールが来たらしい。意味がわからないので「何がやばいんですか?」と電話で聞くと「あたりが水浸しになって建物がぺちゃんと潰れているイメージ」が頭からずっと離れないと言う。超人M氏は別にしょっちゅうこんなことばかり言ってる人ではなく『備えておけよ』と弟にも言ったので乾パンやらなんやらを買ったそうだ。まだ『建物ぺちゃん』のイメージは消えてないらしいのでしばらくは少し気をつけておいた方がいいのかもしれない。
震災前のエネルギー状態は明らかにおかしかったが、今のエネルギーがどうなのかは震災の後僕も大きな衝撃を受け、不安な時間を過ごしていたので、もうおかしいかどうかすらわからない。と言うと、弟も同意していた。でも太陽活動自体は今は落ち着いている。
3月11日は、前日が泊まりの仕事だったので、いつもの夜勤明けと似たような時間を過ごした。
前日眠る時に「聖杯に血が注がれる」というイメージがよぎり、変わったイメージなので「聖杯に血が注がれる」と忘れないように呟いておいた。聖杯は処刑されたイエスの血を受けたとされる杯だ。朝は爽やかだった。利用者の人との心理的な垣根が一瞬消えて、同じフィールドに溶け込んでいる感じがした。8時に上がり、国立のエクセルシオールでコーヒーを飲んだ。そのあと吉祥寺に行って一人カラオケ1時間した。お昼ごろには三鷹の自宅に帰り、ビールを飲みながらLost season2のエピソード1と2を続けて見た。見終わり少しぼーっとしようとこたつに横になりタバコを吸っていた。珍しく読んでいた長編小説、貴志祐介の「新世界より」をぱらぱらめくりつつ・・・
すると部屋が揺れ始めた。地震が多かったので、いつものやつですぐにおさまると思った。しかし、揺れはどんどん激しくなっていった。そして周りのものが落ちたり、倒れたりし始めた。その激しい揺れの中で、思考は『これがそうだ これがそうだ これがそうだ ついに来た』というようなところをループし、身体は麻痺していた。危ないから外に出よう、そう判断し動き出したのはもしかしたら揺れの峠を越えたあとかもしれない。木造アパートの二階の部屋から飛び出して、階段を駆け下り、外に飛び出すと、砂利敷きの駐車場に座り込んだ。座っていても地面がまだうねっている。右手にはまだタバコを持っていた。家から出てきた人がたくさんいる。揺れの感じから、多分東京直下型の地震ではないと思った。でも震源がどこであれ、かなりの被害がでてるに違いない。
部屋に戻りネットで見ると、福島沖震度7の文字。
しかしまだまだ大きく部屋は揺れている。気持ち悪いので、また外に出て、近所の公園に向かうことにした。
相方が新宿で友達と食事し、その後高円寺の岩盤浴に行くと言っていたので気になり大丈夫かとメールする。
酔いと、眠気は完全に飛んでいる。
携帯のワンセグでニュースを見ながら公園に行った。
公園では子供たちが遊んでいた。地震に怯えている様子もない。子供たちの様子をみていると、少し気持ちが落ち着いてきた。しかし、そこから少し離れたところでは女性が二人、北に向かって泣きそうな顔で手をあわせ必死に祈っている姿があった。東北に身内がいる人なのだろうか。また向こうの広場にリュックを背負った人たちが十数人集まってるのが見えた。家から避難してきたようだ。しかし一方グラウンドで野球をしている子供たち、そしてふざけあい笑いながら自転車で下校する中学生たちの姿もあった。
東京でも建物が倒壊し、死傷者がでているようだというニュースが携帯から聞こえる。
かなり巨大な地震であることは間違いない。
この規模だと京都の実家に無事であることを報告しておいた方がいいと思い当たるが、予想通り携帯はまったくつながらない。コンビニの前の公衆電話なら大丈夫だろうと考え、小銭を入れて電話する。手短に無事であることを伝える。京都では揺れは感じなかったようだ。え?なんのこと?という感じだった。
相方からメールが来ないので少し気になる。
新宿の被害情報はないので大丈夫だとは思うが。メールが込み会っているのだろうか。
mixiならメッセージが送れるのではないかとログインする。すると、地震発生後30分以内に相方もログインしている。ということはまあ大丈夫だろうと安心する。
JRは今日は運転しないらしい。ということは彼女は帰れなくなるので、早めにタクシーでも拾ってこっちに向かった方がいいのではないかとmixiからメッセージしてみる。
返事が来たのは夜の7時ごろだった。
mixiはチェックしてなかったらしい。僕の携帯にメールしても一切返事がないので、心配になり阿佐ヶ谷から三鷹へ歩き始めているということだった。だいたい四駅くらいある。僕も吉祥寺まで迎えに行くことにする。異常に冷たく、寒い風が吹きつけている。吉祥寺駅前は、バスを待つ人で長蛇の列が出来ている。
駅から少し離れた場所で落ち合い、三鷹に向かった。
相方は阿佐ヶ谷の駅で、電車を降りてすぐ地震に遭遇したようだ。
エスカレーターを降りているときに揺れが始まり、一緒に居た女性が腰砕けになってその場にしゃがみこんでしまったので介抱するのが大変だったようだ。頭の上では鉄骨の梁がぐわんぐわん揺れていたという。歩き疲れているが意外と元気そうでよかった。
家に帰りワンセグやネット見続ける。
I都知事がテレビで『震源が段々下に下がってきてる』とかシャレにならない事を言ってる。
この地震は普通じゃないという想いが強く突き上げてきて、眠れない。
震源が三箇所にもわかれ東京を囲んでいるようだ。
誰も予想しない異様な地殻変動の可能性を危惧する
普段会わない四国の知人などから、安否確認のメールが来る。
こちらも首都圏に住む知人にメール送る。
翌日はI先生やスタッフのMさんらが無事かメールで尋ねて見る。
I先生、花粉症に被爆し地震どころではないみたいな様子・・とのこと。I先生が深刻になってるとは考えにくかったがその返事を読みやはり・・・と思う。
公園で遊んでた子供たち思い出し、大丈夫だということにフォーカスするということがこの先重要になってくるような気がした。