haitakadori
RT @pinokiobox: 武蔵野市の給食でセシウム入りの牛乳が使用されなかった件について問い合わせした。「安全かもしれないが、保護者の心配を理解し、安心を優先した。ネギなどを少量使用する場合とは違う。200ミリリットルと、一人が取り入れる量も多い食品。単品で使用を取 ...
10-29 22:09
ある晴れた日、太陽と草の香りに誘われて打ち捨てられた果樹園の小道を入ってみた。畑は荒れており、トラクターにはつたが幾重にも巻きついていた。そこは誰も見向きしないような場所だった。物憂げな蜂の羽音が耳の横をかすめて、私は道端に目を向けるた。そこには気が触れた少女が座り込んでいた。
彼女は服が汚れるのを気にする様子もなく、畑の横の草むらにじかに腰を下ろして、笑い転げたり、なにかひそひそ話しをしてみたり、それは幸福そうにしていた。
私が「そんなところで何をしてるんだい?」と尋ねると、彼女は「みんなと遊んでいるのよ」と言った。私は彼女の見ている場所に目を向けた。そこはなんということもない光景があった。綿毛になったタンポポが二本風に揺られている。小さな黄色や、紫の花が咲き乱れ、蜂や蝶たちが花々の間を密を集めて忙しげに飛び回っていた。そして雑草の間には蟻がたくさん歩いている。
「ね?宇宙があるでしょ」と彼女は言った。彼女のいくらかたがのはずれた幸福そうな笑顔、そこからもう一度草むらに目を向けた時、そこにある無数の命の営みが一瞬私を圧倒した。そこにはすべてがあったのだ。彼女が一日中その草むらに座り込んでで幸福そうにしていようともそれはまったく当然のことだ。
「彼女は楽園にいる・・この子は楽園の子なんだ」そんな言葉が私の脳裏をかすめた。
「まるで楽園のようだね」という言葉が自然に口からこぼれた。
「そうよ、ここは私の楽園、みんな私のお友達なの。」と彼女は言う。
「君はいつもここに来るのかい?」
「うん、日が昇ったらすぐに来て、夕日が沈んでからお家にかえるわ。だってここほど素敵な場所ってないんだもん」と彼女。
「でもいったいどうしてここなんだい?蟻も蝶々もお花も、他のところにもどこにだってあるだろう?隣町の植物園なんかにいってごらん。きれいな花がいっぱいに咲き乱れてもっともっと素敵だよ。」と私は言った。
すると彼女は少しだけ顔を曇らせた。
「そんなところ行きたくない。だってここにすべてがあるもん。みんないるもん。ここが私の楽園なんだもん。どうして「もっと素敵な」場所へ行かなきゃならないの?
ある日、私がここに楽園があることに気づいたとき、ここにいるみんなも私に気づいてくれたのよ。みんな昔からの知り合いだったの。蟻も蝶々もお花も、私はタンポポが黄色い花から、綿毛になるのをずっと見てきた。もうすぐ種が旅立つんだからずっと見ていてあげなくちゃ。
だから私が楽園を見つけたのは、ここだから、他とは違うの。お兄さんの楽園はいったいどこなのかな?」
そう言って彼女はまた幸福そうな笑顔に戻り、黄色い花を撫でた。
その安心しきった様子は彼女が楽園にいることは間違いがないように思えた。
私が考え込んでいると、少女はもうすっかり私のことなど忘れたように花々と話しながらくすくす笑いをしはじめていた。
数月後、その果樹園は取り壊され舗装され、大きな駐車場へと変わった。
楽園も彼女もどこかへ消えてしまった。
私はその場所を通るたびに、駐車場の冷たい光をみながらあの楽園の子のことを思い巡らす。
名もなき草花や虫たちとあれほど愛し合っていた幸福そうな彼女の様子を、あの子はまたどこかに楽園を見出しているのだろうか?それとも小さな楽園とともに行ってしまったのだろうか?
そして私は、いったいどこで彼女のように無垢な笑顔でやすらげる楽園を見つけるのだろうかと。
2011年 10月25日

セリフとセリフの間の沈黙、殺気立ったひやっとするような間もあるし、あたたかな間もある。言葉にならない沈黙を埋めるのはその場の雰囲気のクオリティであり見ている者の想像力だ。
一方、現代のある方向性は「間」と「沈黙」を消去しようとしているように思える。
キラキラした照明や、大音量で空間を満たす音楽、そしてひっきりなしに流れるニュースと情報は一体何なのか?おそらく原因はふたつあり、「沈黙」は金にならない(真逆のことわざもあるけど)、ということと現代の人は人間の通常の性質を越えて「沈黙」を恐れているということにある。そして「沈黙」を恐れることは、死や喪失、そして何もないということの恐れを抑圧していることとつながっているのだろう。
なにか表層的な文化のみを見れば、僕にはいまあふれている多くのものに悲しみや、痛みの生々しさ、といったクオリティが存在していないように見える。そのかわりにどこかてらてらした、つくりものぽい印象のポジティブさやかわいらしさが糖衣のように覆っているが、その中身はものすごく空虚なあながあいてるようなそういうイメージだ。この「空虚さ」というのは、「沈黙」とはまた異なり「沈黙」を恐れ、へそを曲げているようなそういう心理から生まれているようにも思える。
悲しみを描くこと、告白することはネガティブではない。
それを覆い隠し、別のものに摩り替える方がどちらかといえばネガティブであるし、物事を正面からみすえずにそれを虚無化したり自他に対して破壊的になることがネガティブである。
悲しみを受け入れ切れるなら、それをごまかす必要はないのだ。
もし文化やアートが、生を誠実に反映したものであろうとするならば、生と同時に死もその中に映しださなければならない。するとそこには必ず闇、沈黙、薄明、空白といった性質が伴うだろう。それは感情的には悲しさやさびしさとして感じられるかもしれない。だがそれが、バランスをももたらす。
空白を描くために、線を引く、そういった思想はもう失われ、ただアーティストは自分の世界で必死に白紙や沈黙を埋めようとしているのだろうか。
もうひとつの原因は、現代社会はスピンすることで活力を維持している3グナで言えばラジャス型文明(シャブ的文明)なので、沈黙や、停止、空白はその対極に位置する。僕らはスピンすることは正しく、止まることは間違っているとどこかで思ってるふしがある。本当に止まるなら、スピンをやめてその回転軸に近づくことができるのだがそれをしない。それを恐れていることと、集合的にその習慣が確立されていないからだ。
余暇、休息、癒しもスピンすることに費やされることが多い。
休んだり、気分転換したりするのに本当はなにもいらない。ただ、スピンを「停止」して静かにしていればいい。「停止」することで新たなエネルギーが充填される。そして「停止」していることで知恵や、インスピレーションも生まれる。その中から本来は「動き」をするべきであり、スピンエネルギーのままに翻弄されて動いていれば、混沌としていくばかりだ。
しかしこのスピンが金をうむためには、何もないことよりも 何かがあるということを価値あることにせねばならない。だから、空白、闇、死、なにもないということについて、いつのまにかネガティブな意味づけがなされているのだろう。
でも考えてみれば何もないことはとっても素晴らしいことだ。
何もない空間があるから、僕らはここに存在できる。
なんかでぎゅうぎゅうに詰まってたらとてもいられない。
何もないスペースがなければ、そこには何も入らない。
何もない場所があるからそこには何かとても素敵なものが入ってくるかもしれない。
生まれるかもしれない。そのスペースを大事にして、騒音で埋め尽くさないようにすることが大事な気がする。
スピンエネルギーの声は大きい。
しかしスピンエネルギーとは別の小さな声で、何かが僕らにささやいている。
静けさの中ではそれが聞こえる。

昔、「君、森田童子の雰囲気だね」と言われたことがwあるけど、この人の歌限りなく物寂しいが落ち着く。なんか現代から決定的に欠落した要素がこの人の歌にはあるような気がする。
森田童子「たとえばぼくが死んだら」
森田童子「ぼくたちの失敗」
haitakadori
RT @LSDove: 神秘の体験 キノコで性格が開放的に - SankeiBiz(サンケイビズ) http://t.co/yee9m38S via @SankeiBiz_jp
10-23 19:23RT @idonochawan: 「福島第一原発から漏れ出した放射線の総量が、結果的にチェルノブイリ事故で放出された量を超えてしまっている。世界の原子力事故災害史上、福島の事故が最悪である。」複数の専門家が指摘 - アルジャジーラ - 翻訳しました - http://t. ...
10-23 19:19RT @GoITO: 日本には「やりたくもない仕事を黙々と毎日こなす人」が一番偉い、という間違った思想があるような気がするのですよ。だから「好きなことをやってるんだから、対価は低くても構わないよね! だってそのぶん、ほかのひとが得られないやりがいがあるんですもの」というイ ...
10-23 19:18RT @hinoe_t: なぜ弱者と言われる女性の方が昨今、男よりも楽しそうなのかということについて哲学的思索を深めた結果、女子同士で可愛い可愛いと言い合って自己肯定感を高める文化があることを私は見出した。ゆえに男も「お前ってイケメンだよな!」「いや、お前こそ!」と言い合 ...
10-23 18:54
果てしない昏きみなもに 波紋が広がっていく
静寂の中 自分の胸に耳を澄ますと
愛が歌っているのが聴こえる
その声が僕に道を教える
僕の宇宙をどのように産むのかを
いくつもいくつも
果てなきみなもに広がる波紋
終わらない 音楽の中の音楽 楽章の中の楽章 愛の中の愛
この湖に石を投げ入れたのは誰?
10月23日
どんな荒々しい物事も
静寂なしにはない
それは現象発生の起点
何も起こらないと言う母体である
それは死だ
死とは生の終わりではなく
生のベース、基盤なのだ
死なくして、生はなく
虚空なくしてあらゆる天体や命はない
だとしたらなぜ、僕はそれを恐れるのか
僕はそこから生まれ そこへ帰る
僕の迷いは 海に対しての波のように
それゆえにあり
それを恐れるがゆえに持続し
僕の本質がそれであるがゆえに いつかそれに帰る
僕はなぜ 音のみを聴き 静寂を聴かないのか
すべての音ががそこから生まれる
その沈黙の音楽を
10月20日 早朝
この静けさには
すべての喜びもまた
悲しみも含まれているかのようだ
あらゆる喜びもまた悲しみも
そこから生まれて そこへ消えていく
静寂
それは喜びの兆しであり
悲しみのあとの安らぎでもある
すべての終わりと 始まり
それはここにある
10月18日
haitakadori
太古の神々を霊視して描かれた絵画 http://t.co/VAQfpfqL
10-21 15:49この人の絵、なんかすごすぎるわ・・・。すごくエネルギー強そう、http://t.co/YWvDrxVR 富士山麓の山中湖畔に拠点を構える画家、久保晴暉
10-21 15:45「たったひとつの真実見抜く、見た目はリカちゃん人形、頭脳は弁護士気取り、その名は名探偵@はいたか鳥!!」 http://t.co/ccElRFMl #shindankonan
10-21 12:52ドSで人に優しい人を想像し、混乱中。
10-21 12:07本名だと少しすくわれる結果に。ドSではないけど 【意味】 (1)ドSな (2)人にやさしい (3)アーティスト http://t.co/JDU3Z4Nk
10-21 12:03「@はいたか鳥」 【意味】 (1)妄想癖の (2)根性が腐った (3)ただのバカ http://t.co/JDU3Z4Nk
10-21 12:00
haitakadori
太古の神々を霊視して描かれた絵画 http://t.co/VAQfpfqL
10-21 15:49この人の絵、なんかすごすぎるわ・・・。すごくエネルギー強そう、http://t.co/YWvDrxVR 富士山麓の山中湖畔に拠点を構える画家、久保晴暉
10-21 15:45RT @kibakoichi: そう実感します。RT @FiddleTamiko 平成に生きる人が、悲しい話、忌わしい話を極端にきらっているとは前々から感じていた。トラッドには人生の暗い面を歌ったものが多い。そういうお話や歌を、忌み嫌い遠ざけるのでなく、深い思慮を聴く人に ...
10-21 15:26「たったひとつの真実見抜く、見た目はリカちゃん人形、頭脳は弁護士気取り、その名は名探偵@はいたか鳥!!」 http://t.co/ccElRFMl #shindankonan
10-21 12:52ドSで人に優しい人を想像し、混乱中。
10-21 12:07本名だと少しすくわれる結果に。ドSではないけど 【意味】 (1)ドSな (2)人にやさしい (3)アーティスト http://t.co/JDU3Z4Nk
10-21 12:03「@はいたか鳥」 【意味】 (1)妄想癖の (2)根性が腐った (3)ただのバカ http://t.co/JDU3Z4Nk
10-21 12:00
haitakadori
RT @naminorizanmai: Reading:NHKニュース 東村山市 通常より高い放射線量 http://t.co/AJUMfhwv
10-20 13:16RT @KinositaKouta: 長野軽井沢。地元で報道。「軽井沢大賀ホール」の敷地内の高い線量。最大2.8マイクロシーベルト/時の計測。屋根からの雨が落ちる地面近くで上記の値が出ました。
10-20 13:13RT @Miu_Miu_Miu1: 地盤沈下は有るだろうと思っていましたが、横への移動がこれだけあるとは思いませんでした。@costarica0012 国土地理院HP参照:日本の地理を書き換えた。 日本列島は、東へ27cm移動、東京千代田区2,4cm沈下
10-20 13:06
haitakadori
受け入れれば、苦痛の半分は消える。抵抗すれば倍加する。
10-15 20:35私は私が体験している現実を、100パーセント受け入れます。ありがとうございます、感謝します。という、「祈り」
10-15 20:34内発的、主体的な行動はハート(直観)を起点としており、自動的、機械的な行動はマインドによる習慣と、リアクションを起点としている。主体的な行動は「僕はこれが好きだ」という認識をもとに判断すればいい。恐れはハートのささやきを聞こえなくさせる
10-15 20:29
haitakadori
matrixの基本的なコントロールシステムは、情報の入力とそれに対する条件付けではないかということが、一切の外的情報を遮断すると少しわかるような気がする。情報から支配されてない時内的自由があり、内的自由があるときに自身のハートのささやきが聞き取れる。
10-14 14:27
haitakadori
matrixの基本的なコントロールシステムは、情報の入力とそれに対する条件付けではないかということが、一切の外的情報を遮断すると少しわかるような気がする。情報から支配されてない時内的自由があり、内的自由があるときに自身のハートのささやきが聞き取れる。
10-14 14:27
haitakadori
RT @yoniumuhibi: 140字で書こうとすると纏まらないが、おそらく、今の資本主義世界の真実は、戦争か、革命か、先送りか、の三択なのではないかと、そんな直観を持つ。となると、誰でも先送りを選択する。当然のことだ。先送りして、先送りして、先送りできなくなったとこ ...
10-10 18:42RT @hama_kaze: 会社の中で一番遠くまで逃げたのが愛知の私だと思っていたら、さらに遠くまで逃げた社員がいた。彼はわが社に入社する前は、福一で放射線管理の仕事をしていた。先日会って、なぜそんなに遠くまで⁇と聞くと、「あんな数値はあり得ない。戻るなんてことは想像が ...
10-10 12:47
haitakadori
RT @hosshyan: 12本撮り、今、6本終わって休憩中~。この番組には「エプロン王子」って言われてるイケメン•フードコーディネーターがおるんやけど、実際ならばエプロンをしてる時点で、決して王子様では無い(笑)
10-07 18:12RT @kibakoichi: ★東京はキエフ並み/東京が汚染され続ける現実★ http://t.co/tAh43ZWx 「平常値の215倍から395倍の放射性物質が降下。新宿のこの数字は、東京が完全に放射線管理区域である事を都が追認したデータ。それ以外にも清掃工場での飛 ...
10-07 17:30RT @kibakoichi: クリエイティビティを諦めてはいけない。これからグズグズに壊れて行く日本という国の中からこそ、自分が欲しいもの・見たいもの・感動するものを作り出す人々が、沢山生まれてくるべきだ。地震と津波と放射能汚染で酷いことになった時こそ、日本人の「生命力 ...
10-07 17:26RT @tadanoriyokoo: 人が見て嫌なことやっていると思っても本人はちっとも嫌でないこともある。でも本当に嫌なことを引き受けてみて、やっぱり嫌だなあと感じて、初めて何が嫌なことかが解るのだ。嫌なこともしないで、最初から嫌なことはしないと言うのは臆病かも知れない。
10-07 17:17
haitakadori
RT @GOSSIPS_Japan: 「時間には限りがあるんだから、他人の人生を生きるのはやめろ。他人の意見の騒音に自分の内なる声がかき消されてはダメだ。そして何より、自分の心と直感に従う勇気を持て。心と本能はすでに我々が本当になりたいものを知ってるからね。ほかのことは二 ...
10-06 19:07RT @sokohaka_fuzy: たぶんいま大川隆法が『ジョブズの霊言』書いてる
10-06 16:29
haitakadori
RT @hosshyan: おはよ~。「自分を磨きなさい」って良く言われるやんな~。確かに大事やけど、それに必死になり過ぎたら、細かいキズがいっぱい付いて、それで曇ってこっちからも向こうからも見えへんようになるで~。ガラスぐらい繊細やねんから、スポンジの"あっち側"使う感 ...
10-04 13:44RT @moomin_valley: なにもかも、たしかじゃないのね - トゥーティッキ
10-04 13:43
haitakadori
RT @moomin_valley: ぼく、ムーミンたちのことだって、煩わしく思うこともある。だけど、彼らとくらしていると、一緒でも、ひとりでいられるんだ。あんなに何年も、長い夏を、ムーミン谷で過ごしていたのに、ぼくは気づきさえしなかったんだ。ムーミンたちは、ぼくのこと、 ...
10-03 00:00
haitakadori
RT @kibakoichi: ベラルーシで現実を見てきた方の考察 ① http://t.co/AWYj8qzC http://t.co/IUgcXAyF http://t.co/U8Tq7ibw http://t.co/i1BFD6yL http://t.co/NLPHrBJm
10-02 23:46RT @kibakoichi: ベラルーシで現実を見てきた方の考察 ② http://t.co/vij4vXFC http://t.co/RYbqVLID http://t.co/3Rx8IT4H
10-02 23:46RT @ohashimasaki: 俺たちに悲壮な決意なんか必要ねえ。笑い倒せ。そんな大層なことなんかほとんどねえ。笑い倒せ。
10-02 23:42RT @ohashimasaki: いくら怒鳴ってもがなっても無駄だ。ワーワー言って馬鹿の襟首を掴んでもみてもどうにもならない。怒りは怒りのままで、恐れは恐れのままで、静かにくだらない場所を去ろう。自分たちで生きていくことを考えよう。古い制度と習慣にはなんの意味もなくなっ ...
10-02 23:42RT @gandhi_tamashii: 考えてみよう、ロンドンやニューヨーク全域の電気と水の供給を、誰かが止めたとしよう。その誰かは、24時間以内にこの巨大都市を支配下に置くことができるだろう。ここに市民生活の自由などない。(『ガンディー 魂の言葉』)
10-02 15:19
haitakadori
RT @moomin_valley: たいせつなのは、じぶんのしたいことを、じぶんで知ってるってことだよ - スナフキン
10-01 16:54
台風接近のせいかそれにしても波が高い。。。
海岸沿いの道を走りながら遠く前方を眺めると、堤防にぶつかった波でかすんでいる。

今日はサーフィンは、無理っぽいね

堤防を波が越えて、道路水浸し。こんな光景は初めて。やばくね~~か。
地元の人が「今潮引いてるのにこれじゃ・・・」と話してる。

そんなことを気にする様子もなく、道路わきの車の下ににゃんこが気持ち良さそうに寝ている。

そんなとこで寝てて大丈夫かー君?

何がにゃ?
と、またざっぱーんと波が防波堤に砕け、顔に塩辛い飛沫が降りかかる。うひ~~


こういう景色が好きだ。海沿いの国道を少し横に入った小道。向こう側が海。

高知市街を出たのが7時前。ゆっくりぶらぶらしてたのでそろそろお昼になってきた。
腹も減ったし、国道沿いの「海のレストラン」というお店に入ってみる。
学生の頃は高そうで入る勇気がなかったが、せっかくなので・・・

木造二階建てで、超雰囲気が良い。窓の外松林でその向こうオーシャンビュー。

かつおのたたきぶっかけうどん。680円。思ってたより、安くて、

うまいっ

セルフでぱしゃっ
桂浜に近づく頃、雨がぱらつき始めた。台風が来てるのはわかってるし、本来ここまで天気が持ったのがありがたいくらいなので仕方ない。それにこの雨に濡れながら走ってると、東京にいる時は原発事故の影響で雨には濡れないよう幾分神経質になってることを想い、こんな風に楽しく雨に濡れているのは久しぶりだなとうれしくなった。
風も強くなり、差していた傘が気をつけないとひっくり返る。
でも、それでもそんな天候の中をママチャリで走っているのが楽しかった。
雨はどんどん強くなり、いつの間にか服はぐしゃぐしゃになった。
ようやく市街地に戻り、チャリをホテルに返し、JR高知駅に行くともう何本かの列車が台風による豪雨で止まっているのが電光掲示板に。帰りの高速深夜バスは7時40分発でまだ3時間くらいある。うー服も靴下も濡れて寒い~~っ。゚(゚´ω`゚)゚。
どこかカフェにでも入ろうと、帯屋町アーケードへ
雰囲気が良さそうなので

ここにするか~

繁華街にあるけど、ウェイトレスさんとママさんが二人いるだけのこじんまりした落ち着いた雰囲気。
常連さんらしいおじいさんがカウンターに腰をすえママさんと砕けた感じで喋っている。
とりあえずブレンドを頼み、店のトイレ借りTシャツなど着替えられるとこは着替える。
しかし靴も濡れてるし、寒い~彡(-ω-;)彡ヒューヒュー
裸足で珈琲をすすっていると、ウェイトレスさんが「サービスです」と言って芋けんぴを持って来てくれた。
ぽりぽり、うまい、うまい。寒いと親切が身にしみるなー(笑)
メニューを見るとドリンクセットでホットケーキが650円であったので、これ晩飯にするかと追加する。
しばし待つとホットケーキと一緒に新たにあたたかい珈琲が出てきた。
「サービスです」 えっマジでー(´゚Д゚`)ンマッ!!
私は感動したぞ!!

フルーツ付きのホットケーキと、コーヒー二杯と、いもけんぴとこんだけで驚きの650円(笑)
感動した!!(二回目)
携帯が壊れたり、雨に打たれたりしたが最後になんかいい気分になれたことがうれしい。
気さくなママさんが、日本津々浦々のカフェの、マスターオブマスターに見えてきた(笑)
サービスにお礼を言って、一言二言話して店を出た。
いやーちょっとしたことだけど終わりよければ、すべてよしな気分になれる。
ちょっとした旅でもそういうとこある。
気持ちの中ですれ違った昔の知人にも、彼が呼んでくれたのでくることができたことこころの中で感謝した。
ひさしぶりの高知の自然と人は、優しかった。
ノスタルジーにふけるというよりも、海も河もまた新しい姿でそこにあって自分を包んでくれたようだった。
リフレッシュ!

市街地から海まで走った、レンタルママチャリ。
大学の時に5年半ほど過ごした高知県に、10年ぶりくらいに再訪した。
他のところに詳しく書いたけど、そこにいたときは半引きこもり気味で授業に出るのもきつい時があったから卒業するまで6年かかった。チェリーボーイ卒業のためあまり見込みのない女の子に振り回され続け、もんもんとしたりとりあえず痛いことが多かった。結局僕はチェリーよりも大学を早く卒業し、東京へ来た。
そんな土地にもいい想いではあって、そのひとつは高知の自然環境だ。
確か入学したばかりの頃、みなが新しい友人や、サークル活動などに夢中になってる頃、そういったものに一切縁がなかった僕は授業をサボり自転車で一時間半ほどかけて太平洋を見に行った。
高知市はその中心部、がっかり名所として有名なはりまや橋からでも自転車で一時間ほど走れば海が見れる。
また海のほかにもかなり大きな河が流れていたりと、東京では見れない雄大な自然の光景に触れることができる。
初めて道路を走り続け、その道路が終わったところに海が開けた時の感動とドキドキ感は今も覚えている。
道が終わり、無限が始まるポイントをその時初めて目撃した。
僕にとって最初の一年か二年、こころを慰めてくれたのは海や、河、山々のその自然だった。
原付バイクで行くこともあったけど、やっぱり自転車をこいでいろんな風景をスローに眺めながら海にたどり着く方が好きだった。何回行ったかは覚えていない。多分、卒業するまでに数十回はいろんな思いを抱えながら海への道を辿ったと思う。
今回高知へ行くことを決めたとき、ひとつのプランが思いついた。
初日は大学の時の知人に会う予定だったけど、二日目は自転車をレンタルして以前走った道を走ってみようと思ったのだ。懐かしい風景を味わうとともに、その時にどんな想いが浮かんでくるのかを観察してみようという感じもあった。
心配なのは天気だった。台風が来ている。
土曜の夜、東京駅八重洲口から高速バスに乗り約11時間かけて高知駅に到着した時すでに雨が降り始めていた。
あ~これじゃあ、せっかく来たのにサイクリングプランは消えたかなと少し憂鬱。
高知駅は改修され、駅前には坂本竜馬のあらたな銅像がたっていて、観光はとりあえず龍馬で押して行こう的な雰囲気が垣間見えた。しかし僕は正直竜馬はどうでもいい。海だ、海。竜馬は100年以上前に京都の宿屋でどろどろした政治的理由により殺されたが、海は今でもあるではないか。竜馬もいい加減忘れて欲しがってはいないか。
知人が車で迎えに来てくれたので、それに乗せてもらい竜馬空港(また竜馬wどうやら彼は高知の神のようだ。)までゆき九州から来たもう一人の知人を迎えた。それからひろめ市場へ行った。
新鮮なかつおのたたきを買って、公園で食べる。
その後大学へ行った。
いろいろな苦い記憶がよみがえるかと思ったがそうでもなかった。
確かにいろいろなことを思い出しはするのだが、なんだかもうそこは僕とはまったく関係のない世界になっていた。

<ネットの向こうの空>
同じように、昔ある程度楽しく付き合った知人たちと自分との価値観や考え方が著しくずれているような感覚がぬぐえなかった。それが苦しかった。夜中にホテルの部屋で突然携帯がブラックアウトしたまま動かなくなった。東京の相方とも連絡取れない。なんだかとても心細い気分になってきた。行く前にDVDを借りてみた、「イントゥ・ザ・ワイルド」と言う映画が思い出された。
<イントゥザワイルド>
それは家族や親しい人との絆を切り離し、アラスカの荒野へと向い、自己を探求する20代の若者の話で、実際にあった話しをもとにしている。こんな気持ちで、壊れた携帯を持って明日自転車で一人さまよえば自分も「イントゥ・ザ・ワイルド」の悲しい結末のようなことになりはしないかという馬鹿げた想いが湧いてきたが、いつもと違うホテルの部屋で天上を見上げているとそんな想いが一概に馬鹿馬鹿しいと切り捨てることも出来ないような気持ちになってくる。
翌朝6時過ぎにむくっと起き上がる。携帯は未だに死んでいる。
しかし7階の窓から外を見ると、街並みや雲が昇ってきた朝日に照らされきらめていいるのが見えた。
晴れてる!
当初の予定通り、二日目は皆がまだ寝静まっている7時頃にチェックアウトして、ホテルの自転車を借りて出発する。昨日あんな天気だったのに、晴れてるのがとてもうれしかった。きっと台風が来てるからそのうち天気は崩れるだろう。でも今はチャリでぶらぶら出来るくらい晴れてる。それだけで充分だ。

高知市街を流れる鏡川の上空を雲が流れていく。

いい感じに晴れて、爽やかな朝に。午前7時ごろ。

知らず知らず、早朝の静かな空気の中を足は昔住んでいたアパートへ向かう。
こんな時間帯に見ると、まるでそこはまだ自分の部屋で、ドアを開けて入っていってもなんら不思議はないように思えた。ドアの前にはこんなステッカーが貼ってあった。
「ようこそ!!」
本当に歓迎されている気がした。(笑)
近所をぶらぶらしたあとに、自転車で土佐道路を西へ西へと向かう。
よく昔行った海へのコースを辿り始めた。地図は見なくてもだいたい覚えていた。

緑の匂いが濃い。
「あーそうだ、この匂いだ」

小さな公園や街路樹ではなく、巨大な緑の集合体に囲まれているから感じられる濃い緑の匂い。
久しぶりに感じた。
その匂いに癒されていたことを思い出した。
さらに走り、かなり巨大な仁淀川にかかる橋を渡る。

仁淀川大橋からの仁淀川


仁淀川の近く、昔見つけたあまり人がいないスポットがある。
自転車を止めてそこへ向かう。


ただいま~、と思わずまわりの自然に声をかける。
遠くにトラックが一台止まってるだけ・・・


なんだか高知の空の青さや、雲の感じは東京と違う。
実際に色が違うのか、大気のエネルギーが違うのか、気分の問題なのかわからないがBlueが僕を包み込む。
とそこへトラックからでかい釣竿を持った男性が降りてきた。

じゃばじゃばと台風で水かさが増えている河の中へ

大空と雲と河と、釣り人、調和した光景
うーん、絵になる・・・・


しばらく河畔の風景と雰囲気に身を浸した後、あらためて海への道へ
小さなトンネルをくぐり抜けると、太平洋までもうすぐだ。

すぐそこで道が途切れている

あの向こうに・・・


到着っっ!イエぃ♪
ただいま♪♪
haitakadori
RT @hosshyan: 東京へ戻る新幹線で熟睡してて、ハッと起きたら白髪のおばあちゃんが通路から顔を覗き込んでてん!(驚)ドキッとして飛び退いて「な、なんすか!!!」「やっぱりあの人だ。テレビ出てる人(笑)」言うて立ち去りはってん。………テレビもチョット出てるけど、お ...
09-30 15:03