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川の流れのように愛燦燦と999


 

 あらためて聴くと、すごいと思った。

 おばあちゃんが歌謡曲好で、よくテレビで一緒にNHKのうた番組を見ていたからか美空ひばりの歌声も記憶に残っている。

 カラオケで「川の流れ~」を口ずさんでみると、なんか「昭和」を生きた無数の日本人と意識がシンクロする感じ。たとえ考え方や趣味嗜好が違っても、同じ時代を生きた日本人ならこの歌を通じてつながれる。そう思わせる力がある歌だったんだろうなと。



ちなみに最近カラオケで歌い続けてるのはこれ(笑)
 ゴダイゴのgalaxyexpress999 が大好きでそれしか知らなかったけど、元祖のを聴くとハマってしまった。
 なんでこんなアニソンばっか歌ってるのかわかんないけど、歌詞がストレートで屈折してない
 (複雑な心理描写がない)のがマーヤにならなくていいのかなーとも。


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好きな歌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/11/30 23:08

11/28のツイートまとめ

haitakadori

「多発性硬化症は過剰に秩序がありすぎる状態だった。この病気にかかった人は過剰に多くの光を取り込んでおり、これで手一杯になった細胞がほかの仕事をこなせなくなっていた。協調の取れすぎた調和が個別性や柔軟性を失わせていた。」リン・マクタガート著 the zero point field
11-28 23:36

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/11/29 00:00

11/20のツイートまとめ

haitakadori

RT @nandemo662000: 「【必見】11/19 ヘレン・カルディコット博士 記者会見【 文字おこし】」 http://t.co/60DmDA8Y
11-20 19:51

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/11/21 00:00

11/13のツイートまとめ

haitakadori

@LSDove お久しぶりです。小学生のころ見に行きました^^最近もyoutubeで懐かしく見てたんですよ~。「大霊界2 死んだら驚いた!」のぐだぐだ感は前衛的なアートの域に達してます!ツッコミどころが満載。
11-13 17:03

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/11/14 00:00

専制君主 と KAN in my self


基本的に、人のいだく悩みは『お金』恋愛、家庭などの『人間関係』精神、肉体の『健康』、ふさわしい仕事は何か?などの『仕事』くらいにおおまかに分類されるのではないかと思う。
 だから占い師の人も経験を積めばある程度コールドリーディング的手法で、その人の悩みの核を言い当てたりすることはできるだろうと思う。

 ルイーズ・ヘイなどの考え方で言うと、これらのすべては表層的な問題で、もっと深い層にある「自分を愛していない」部分が原因であるという。確かに僕が今までにいろんな人と話す中では、自分がすごく好きだけど、こんな嫌な問題に巻き込まれているという人はあまり見たことがない。

 だから基本的には問題にフォーカスせずに、もっとその人の内部の微細な部分、愛と恐れの形に目を向けることが大事なことは確かだと思うけど。僕自身も日常で、「こんなひどい人がいて、こんなひどいことされた」という類の話しを聞くとやっぱり「へーそんな奴がいるのか、いやだねーひどいなあ」的な共感の仕方をしてしまい、ん?いいのか?(メ・ん・)?と思うことはある。

 すべては目に見えないレベルからの愛と、恐れから来ているとすれば、今目に見える現象化された現実、つまり過去にこだわり続けることに意味はない。でも人は、このもっともリアルな抽象世界を、無視してしまうことが多い。自分の愛と恐れを、表現することをとっても恐れている。

 大事なのは今、自分の全存在がどれくらい愛で満たされているか。
 そして愛以外のもの(恐れや怒り悲しみ絶望など)がたくさん見えるとすれば、それらをどれくらい愛で包んで、抱きしめることにより愛を拡大できるかということだと思う。

 前々回は<王>との関係性を書いたけど、実は自分自身の中にも独裁者や、専制君主が存在する。

 専制君主の特徴は、恐怖や、権威、名声、様々なタイプの力(体力、知力、発想力、情報力、美しさ)により人を支配しようとする衝動である。支配のために使われる力は、どんなものであれ暴力になる。

 暴力により人をコントロールしようとする性質は、やはり恐れに基づいている。
 専制君主は思っている

 思い知らせてやりたい
 見返してやりたい
 悔しがらせてやりたい
 妬ませてやりたい

 と

 それは、そのままの自分では生きていけない、愛されず、敬われず、豊かになれず、人に屈服させられ支配されるという根本的恐怖に依る。

 だが、人を恐れさせたり、感心させたり、威圧すること、暴力により愛は勝ち取れない。なぜならそれは全く正反対のものだからだ。だから専制君主は常に恐れて、欲求不満を抱えることになり、さらに残酷になる。

 この独裁者は、僕らのこころの中に生きている。
 必要なのは革命を起し、彼らを断頭台に送り込むことではなく、彼らを受け入れて慈しむことだ。

 それは全部、僕自身だったのだ。


 僕はどれくらい愛を生き、どれくらい恐れに基づいた動機に突き動かされているのだろうか?
 それを振り返ったとき、いろんなものが見えてくる。


 現代の日本では、愛を十分に生きた結果、IT系企業の社長になるひともいるだろうし、看護師になる人も、主婦になる人も、また派遣社員で働いてる人もいると思う。その場合、自己愛と自己尊重に基づいた生活ならばお互いの立場の違いにまったく差異はないはずである。
 なぜなら、もうそこには「自分」と「他者」の間に『差異』を形成してその一段高いステップに乗っかって人をコントロールしなければ不安でたまらないという強迫観念がなくなっているからだ。
 だから、その自己愛に基づいた社長にとっては、看護師さんも、派遣社員もまったく同じ土台に立つ存在だと思う。逆に自己愛の強い派遣社員さんにとっても名声や富が今付随してなくても、それらがある人を勝手に自分より上に見て劣等感を抱くこともない。また劣等感の結果として、価値を反転させ貧しさや不幸、悲しみこそが神に愛されてる証だと主張する必要もないのである。(そう主張したい自分を愛することができれば)

 なぜなら最初に自己愛に満たされていて、劣等感を抱く必要がなければ、価値を反転させる必要もなかっかたからだ。劣等感も、優越感も、自己尊重という愛からずれることによって起こってくる同じひとつのもので、「平等」という見方を拒否する立場だ。

 お互いに差異を形成するという防衛機制がない時に、自由なコミュニケーションが成立する。


 一方恐れの世界に生きることで、医師になったり、弁護士になったり、教師なったり、主婦になったり、派遣社員になってる人もいる。だから基本的には、外側の肩書きを見て、その人が愛をどれだけ生きてるか、恐れをどれだけ生きてるかはわからないんですね。

 自分でそれをチェックする方法があるとすれば、どのような地位や立場の人とも自分が本質的にイコールであると思えるかどうか、ってことでしょうか。恐れを生きていると人は『差異』があることに頼るので、おそらくイコールにすることを受け入れられないでしょう。

 僕は・・・・完全には思えません、はい(((o(*゚▽゚*)o)))でも今はいいんです♪その自分を心から受け入れまっす。本当にそう思えるようにもっと自分を好きになりたいですね。

 そしてあとは自分の生活のどれだけが、愛と恐れによって動機付けされているか観察してみることでしょうか。

 例えば、今してる仕事を続けているのは、あるいは選んだのは愛によるのでしょうか、恐れによるのでしょうか。

 それをしてないと食べていけないから?
 本当はもっと興味があることがあるけど、今はこれくらいしか自分にはできないと思うから?
 やめたいけど、新しい仕事が見つかるか不安だから?
 肩もこり胃もいたいけど辞められない?
 
 それとも

 未知の分野だけどとても興味があったから始めたのでしょうか?
 やってるといろいろな発見があって楽しいでしょうか?
 一日が終わった時疲れているけど、充実感もあって、辞めたいとは思わないでしょうか?
 仕事とは思えないほど楽しく、充実してるので、遊びと見分けがつかないくらいでしょうか?(←この域までくるとすごいですね)


 僕自身のことを書くと、リーディングの記事で書いたように介護ヘルパーの仕事はもうすぐ3年になるけど、今ちょっと新しい方向に進みたいと思い始めている。(それはHさんのリーディング通り)でも振り返るとこの仕事で学んだことはとても多かった。やってみたことに後悔はない感じだ。

 で、これを始めた動機というのを今から振り帰ってみると、そこに障害者福祉に対する立派な目標や理想があった、というわけではまったくない。ただそこに情熱がなかったかというとそうではない。どういう情熱かというと、自分の生への情熱、新しい経験、新しい自分への情熱があったことはあったと思う。

 そしてその結果、その望みはある意味かなえられていた。
 約一年間、ほぼ働かず家にこもり豚インフルの動向や、異常気象の情報、闇政府の仕組みについて考えたりしてた生活から一転。
  
 介護の一環として、

 裁判所やら、フォーク居酒屋やら、おもちゃ売り場やら、救急病院やら、AKBの生写真売り場やら、映画館やら、ジャズのライブやらを引き回されることになったのでした。そして私生活ではまず話さないような市会議員や、風俗のお姉さんと会話を交わす機会も何回かあった。ネタになる話しがいっぱいあるけど、あまりにプライバシー及び個人情報の侵害になるので書けないのが残念。

 いろいろな体験をさせてもらって感謝している。でも自分の進みたい方向を考えたとき、今度はどのような体験をできるかというよりも、どのような自分を表現したいかということをコアに仕事を選びたい。ヘルパーとして食事や排泄の介助をすることは絶対に誰かがやらなければいけない大切な仕事なんだけど、なんというかその仕事を続けてるうちに自分がもし選べるとするならやはりもっと心理的なサポートを中心にできる仕事がやりたいということに気づいてきた。これも肉体のサポートをやったからこそ気付たことのように思う。

 一段階深い(自他への)愛から選択すれば、一段階深い豊かさがあることに今は結構確信を持っている。
 短期的にはいろいろトラぶったり、困窮したりはあるかもしれないけど、最後にはKANが登場して歌ってくれると思う(笑)愛の報いは長期的なものだから。

 
   








セラピー&ヒーリング | コメント(15) | トラックバック(0) | 2012/11/13 20:16

オーラリーディング in  あざみ野

  テレーズの家、Hさんのオーラリーディングカウンセリングの一部。2012・11・2 あざみ野にて


spiritual1.jpg


Hさんのことは数年前にその著書で知る。
 過酷な親子関係や、もとご主人の虐待に近いモラルハラスメントを赤裸々に書かれており、よくこれだけのことに耐えてこられたな、と驚いた。

 Hさんの経歴、および自己紹介 

 今回、セラピー全般の勉強をちゃんとしてみようと考えていたところ、Hさんのサイトの参考文献やHさんの訳書にとても得るところが多かったのでオーラリーディング含むカウンセリングにを申し込んで見ることに。

以下Hさんの発言は通常書体、はいたかは太字で記します。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 まず私の方で感じることをいいますので、そのあと質問などをしてくださいね。

 (目を閉じて集中)

 ・・・・Kさんいろいろなことにやる気もあるし、結構真面目なタイプというか、いい意味で要領よくないというかすごく誠実な感じがしますね。

 ただ上の方からきた言葉っていうのが、今空回りしてる感じがすごく苦しいって。

 せっかくいろんなものを持っていらっしゃるんだけどそれが随所に生かされていなくって、もてるパワーがまだ全然生きてないっていうかね、、、

 あと。。。結構、怒りんぼうなんですかね(笑)
  
 「(;゚Д゚)! いやーそれはこの前別の方に言われたばっかしで。。。

 なんでかっていうとハートチャクラに、フラストレーションていうか、こん畜生みたいなものが溜まっているので、なにかちょっとしたことでイラってきたり、ちょっと癇癪ぽくなっちゃうていうかそれがあるので、これも可能なら取り除いて行きたいなていう感じですね。

 それから・・・

 いろんなことが前後してちょっと唐突なことも言ったらごめんなさいね

 Mさんは過去世とかそういうのもあるんじゃないかって思うタイプ?

 「はい、一通りそういう本は読んでます

 カトリック教会で修道士として修行していらっしゃる姿が見えるんですね。
 うーんと、多分ヨーロッパだと思うんですよね
 でも、イスラエルも見えるので。。。イスラエルにいたのかな。。。

 あの辺の一帯のあたりにいたと思うんですね。

 それで赤茶色っぽい砂漠の砂の風景が広がっているのが見えるので、そういうところで精神修行をなさっていて、すごく真剣に自分の能力とかそういうのを生かしていきたいって言う感じで取り組んでいる姿が見えます。

 それは今生にも持ち越しというか、きっとホントはすごく興味のあることを突き詰めてやっていきたいっていうか気持ちがすごくあるのかな

 
 え^っとね苦行してる姿見えてね、自分の体を苦しめて、それでいろんな悪いものを落として、新しい精神性に目覚める道筋になるんじゃないかと思って苦行してるみたいなんですけど、その名残が今も残っていて、なんか苦しい道を選んじゃうとかそれはちょっと癖になってるみたいなので、どこかでこんなに楽なはずはないとか、幸せだとたるんじゃう!みたいなそういう感覚があるんだとしたら、もっとリラックスしてもいいなと思いますね。


 どちらかというとスピリチュアルな道を探求していく人生を歩みたいみたいで、仕事としてもそういう道を歩めないかなというのがあるみたいなんです。Mさんの魂はそれをすごく求めている感じですね。究極的にはいろいろ知りたいとか極めたいという願いと、そういうもので社会に貢献する、そういう望みがあるみたい。

 で、過去も結構修行とかしてるので、今生でもそれは夢ではないと思うんですよね。どちらかというとそちらの方の道が開けてくるのかなって

 今お勤め?

 「はい、ヘルパーやってまして

 あーすごく感謝されてますね、で、むいてる仕事ではあると思います。

 ただMさんの中ではそれだけじゃなくて、もっともっと前に進んでいきたいていう時期に来てるみたいですね。


 「あまし働いてないので、時間はあるのですが、その時間有効に使えてない感じもします。何やろうかなーっていう感じで

 
 リーディングとか、カードを使ったコンサルテーションとかそういうのもやりたいんじゃないかなーとはおもうんですけど、
 
 「そうですね、あとカウンセリングやセラピー全般をもっと深く勉強してみたいというのはあります

 少ない人数を、ゆっくり診ていってあげるようなね、そんな風景が見えてくるんでそういうのが合ってるんだと思う。例えばなんか流行っちゃってね、千客万来じゃないけど、そういうことよりは、知る人ぞ知るっていうかね、ごちゃごちゃがちゃがちゃしないでじっくりじっくりていう感じに見えますね。

 「あと、一緒に住んでるパートナーとのことでなんですけど、一人暮らしが長かったせいもあるのか、ずっと一緒に生活するということにちょっと疲れを感じることが・・・

 あーわかる。Mさん一人の時間がとっても必要な人で、最低でも一日二時間は一人になれる時間がないとダメだと思う。Mさんに違う人になれっていう程無理なことはないわけじゃない?Mさん自体がプライバシーとか静かな時間とか、とにかく静かな時がとっても必要な方だと思う。うるさいところも苦手だし、人が多いのも全然好きじゃない。それはもう変わらない。それを無理して合わせようとすると、ホントにウツになっちゃうと思うんです。

 ちょっとご隠居みたいな感じのところがあって(笑)静かで緑が溢れているようなところで、畑やってでもいいから静かに本とか読んだりして暮らしたいっていうそういうタイプの方なんだと

 「・・・ちょっとあるかもしれないですね

 彼女のことを愛してないわけじゃないと思うの。彼女のことはとっても好きだし、一緒の時間もエンジョイしてるんだと思うけど、Mさんがプライバシーが必要なんですよ。ホントに自分の時間、静かな、、、で、疲れちゃうんですよね、人といると。

 彼女に対しても、本当に疲れちゃったら訳を話して、一人になれる時間が欲しいって言ったほうがいいと思いますね~。週のうち三日は一人になりたいとか、怒っちゃうかな?


 あとMさん自体がご家族からのサポートをあまり得てない感じなんですよね。メンタル的に。
 Mさんは長男?
 じゃあ大変だったんじゃないの、成長の過程で。


 『まあ・・・それなりに・・・・大学出たあと実家に帰るのがちょっと嫌で、東京に来ました


 親御さんのMさんに対する態度が、お前はダメなんだ!じゃないけど、割と否定から入るっていうか
 それでMさんが自己価値観ていうか、自分はすごく素晴らしいんだとか、自分固有の夢があるんだとか、生き生きしてる感覚を結構ばしばしばしっとされてるんですね。何かがMさんの中で開こうとするとばしっ!みたいな感じでされちゃってるので、そこを取り返すことだと思いますね。でもそこは負の連鎖が起きてるだけなので、誰か一人が悪いというわけではないんです。


 本当の自分に寄って立つということができればすごくいいと思うんですね。
 すごく修行されてる修道士さんですとか、真面目に一生けんめいものごとを考えている、そういう良さがMさんの真の姿っていうか、、だからおとなしいとか、静かだって言われたら、「はいそうですけど、何か?」って言えるくらい、それくらいそれでいいんだっていう・・・・是非自分の個性が潰れないような場所を自分で作ってください。
 

 あとね・・・脈絡がないんですけど、海が見える街のシーンがすごく見える・・・

 遠くに青い海がばーって見える感じの・・・なんか、過去世なのかな・・・


 「この前沖縄に行ったのと、大学が高知で海の近くでした


 へ~沖縄いいですね。

 「ダイビングのライセンスをとりに

 そうですか~ダイビングいいですね。いろいろお魚見ました?

 「はい、綺麗でした。台風が来る直前で、、、ぎりぎり間に合った感じだったんですけど

 じゃあライセンスは無事取れて?オープンウォータとかそういうやつ?


 「そうです、そうです」 

 そうなんだ~またどこかいらっしゃりたいと思われるの?


 「そうですね、すごく良かったのでまた離島の方にも行ってみたいし、ホントに住みたいくらいだとちょっと思いました。


 あっそうか、じゃあそれだあ・・・心の中ではこういうところもいいなあって思ってるんだと思う。ホントに青い海がばーって見えるところなんですよ、で、高台みたいなところから見下ろしてて・・・

 オーラリーディングの時に見えてくるものって、まず願望があるっていうことと、あとまったく実現しないものは見えてこないんですよ。ということはそういう生活をしている可能性もあるってことですね。将来的に。

 「海の近くに住んで?」 

 そう、例えば、スピリチュアルカウンセリングを学ばれて、沖縄で開業、とかさ。・・・なんて夢のよう話ですけど、今の時点ではゆめ物語って思われるかもしれませんけど、、、そういうこと考えてるとちょっと幸せな気持ちになりません?

 「楽しいですね

 ね?それ、すごく大事なので、どう実現するかわからないけど、実現するって思って明るい気持ちで生きていたほうがいいと思うんです。

 「オーラの中にそういうイメージがある?海の見える街が

 そう、あるんです。





 
 (*゚▽゚*)感想(*゚▽゚*)


 最初の方にいきなり、おこりんぼう?とストレートに指摘され驚いた。
 7月のKさんセッションの時にも、「怒りという感情を解消するのが少々苦手」と若干遠まわしにw言われたばっかしだったから。まあ、そんなに見た目おこりんぼうなタイプには見えないと思うけど、わかる人にはなんも言わなくてもすぐにわかるんだなーと。というか、同居し始めてから、あれ?俺ってこんなイラっとするやつだっけ?と気づいた部分もある。一人でいるとなかなか見えない部分もある。

 で、この怒りが、自尊心とか自己愛のレベルとも関係があるということに気づき、それらを癒すワークとかもやったりしたけど、もとを正せば親との関係に遡るのかもしれない。ただ、10代の頃は父親とは口が聞きたくない時期もあったけど、今は親も丸くなったところがあるので以前のような許せないような感情はほぼなくなっているとは思う。いろいろ感謝していることも多い。例えば、最近幼い頃から中学生くらいまでの自分の成長を撮ったDVDを見直したけど記録に残しておいてくれたことがすごくうれしかった。

 もうあとは自分の問題なので、それらをどうトランスフォーメーションしてくかってこと。

 過去世の「修道士」ていうのはまたこもり系のイメージがでてきた。
 まあ、このブログのカテゴリーにも「修道会日記」なんてのがあります(笑)
 グレゴリアンチャントも好きだし、はじめてのペヨーテトリップにはこれがBGMとして流れ、その中でイエスのことを考えていた。あと、幼い頃の家のとなりが教会だった。。。日曜学校毎週やってたな。一回も行ってないけど。

 うーん、「修道士」でもこれもちょっと感情が共鳴しました。
 具体的にはちょっとうるっとした(笑)
 イスラエルというのもちょっと気になる。
 その前の夜、ネットで『エッセネ派』という言葉がちょっと気になたので、エッセネ派の修道士なのかなとか思ったけど、エッセネ派ってのはよく考えたらユダヤ教なんだな。
 エッセネ派でググると、「天使」というワードがついてくる。
 あと最近気になるマゼンタ色のオーラソーマボトルにはなぜか、「エッセネ派の転生とつながる」と書いてある。エッセネ派は天使と交信する伝統があったなんて情報もあるので、この頃天使が気にになる自分としてはミニシンクロだった。
 
 エハンデラヴィさんのブログに、天使とエッセネ派についての記事見つける。


 あと、やっぱりここまで言われたら、カウンセリング・セラピー全般をもうちょっと真剣に勉強してみようかな。メンタルサポート、自分を好きになったり、自信を持つことを助けられるようなことをやれるといいなあ。自分のエネルギーを解放しつつそういう勉強をしてみたいと思った。

 最後に海のイメージ・・・・
 沖縄行ったばっかりだからやっぱりそれかなー。
 でも昔から海辺好きだから、そういうイメージ潜在意識にあってもおかしくない。
 2010年にもこういう記事かいてるし、ずっと前からあるんだろうな。↓↓↓

 2010年2月 ホタテのバター炒めの夢について→許しと祈り、イエスの影

 この頃からこういうビジョン大事にしようと思ってたんだな。
 去年の災害でそんなこと一時的に吹っ飛んでたけど。

 希望と、ビジョンを持って生きることって大事。




 マウイの夢見た、次の日くらいかな・・・リチャードバック:ダンテスダイジの「救世主入門」の一節が夢の中に出てきた。この箇所。

 ありありと想像せよ
 宇宙は美しく完璧であると
 救世主は
 君たちよりうまく
 それを想像するだけだ


 そしてなんかよくわからないがアメリカ西海岸とか、オーストラリアの海岸沿いの街とかなんかそんなイメージの場所が現れ、ラジオのDJがその街の名物料理について喋っている場面が出てきた。ホタテのバター炒めとかなんかそういうの。あれ、ホタテって北の海だけでとれるんだっけ?

 まあ、ホタテがどこで取れるかはおいといて、とにかくその海岸沿いの街のイメージと、上の『救世主入門』の言葉が妙にシンクロしていたのだ。その海岸沿いの街の印象は、陽気さと自由さで、僕がよくフォーカスしている現実とはまったく別の世界が存在している、あーいろいろな世界があって、そのそれぞれにいろいろな人が生きているんだなというような感慨を抱かせるイメージだった

 あーこういう世界もまあ、あるよねという感じ。
 ニュースばかり見てそれが、世界だと思い込めばこんな暗い気持ちになることはないが、宇宙にはいろいろな世界がある。
 例え大不況で、またいろいろ嫌な事件が起こったりしていても、熱帯の海では魚たちが泳いで、そして砂漠の夜には大きな月がかかり、カナダの針葉樹林では鹿が駆けているだろうし、北欧のフィヨルドはゆっくりと移動している。

自分の意識がフォーカスしてる部分をずらして、そういった次元の現実を見つめれば、宇宙は美しく完璧であるとも言える。

 そして、どこかよくわからない海岸沿いの街で陽気な人たちが、話しているレストランを想像すると言うのも良い。宇宙(世界)は美しく完璧であると想像することは、どこの現実に主に焦点を合わせるかと言うことと関係していることをその夢は教えてくれたような気がした。

 要点は、宇宙を完璧だと思いたければ、自分の好ましい宇宙に意識を合わせればいいということかなあ・・・。

 これは自分ひとりで妄想の中で遊んでるのではなく、きわめて現実的に意味があることだと思う。
 というのは「好ましい世界のイメージ」を持ってるかそうでないかで、まったく人は別の現実に生きているとも言えるからだ。
 自分の外側に広がる世界が、しめつけ、暴力をふるい、圧迫し、抑圧し、搾取し、最終的に殺してくるものと思うか 自分の外側に広がる世界が、包み込み、やさしく愛撫し、育み、魂を解放してくれると思うかでは体験する現実がまったく変わってくる。

2010・2・9



 Hさんは各界の有名人の通訳を努めたりしたキャリアウーマンだったということだけど、印象は、やわらかくて、母性的だけど無邪気な女の子のようなところも感じられる、安心できる雰囲気を持った方でした。




     

セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/11/11 20:40

王<キング>との関係性

 このごろ、自己愛とか、自己尊重に関しての記事をたまに書いてるけど11月2日にはテレーズの家のHさんのリーディング&カウンセリングを受けてきた。(この記録はまた後日アップしてみます)その刺激で気づいたこと。

 よく何をしていいのかわからない(何が好きなのかわからない)という悩みを持つ人がいる。これは、自分の真の特性、情熱と切り離されていることによる。なぜわからなくなっているかというと、根本的には本来の自分ではない自分に固執し、それを自分だと思っているからだと思う。ではなぜそういう思い込みが起きるのか、それを王<キング>との関係性という視点から考えてみる。

 王<キング>は権威者だ。それは成長期においては父親だけど、ここでは目上の男性や、仕事の上司、学校に行くようになると先生だったり、先輩だったり、あるいは頼れる親友(自分がリードされる立ち位置の友)だったり、メンター的な人物だったり、より大きい意味で父性を投影しがちな存在とする。また社会全体の集合的価値観や、流行などもそれにこちらが力を与える限りキングとなる。

             
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 まず親子関係に絞って語ると、<子>はそれぞれ独自の才能や情熱をある程度生まれながらに備えている。例えば音楽が好き、読書が好き、絵を書くのが好き、機械が好き、サッカーが好き、乗り物が好き、演技するのが好き、物語を作るのが好き、なぜ生きてるのか考えるのが好き、とかいろいろな「好き」が存在し、才能に関してもそれぞれいろいろな種類の才能がある。

 とにかく社交的に人と打ち解けて仲良くなるのが得意という才能もあるだろうし、内向的に物事を洞察するという才能もある、新しいものを作り出していくという才能、微妙な心の世界を絶妙に表現する言語の才能、お金の流れを動かす才能だったり、人を和やかな気持ちに出来る才能だったり、色彩感覚がとにかく抜群!とかだったり、いつも周りを明るい雰囲気にするのが得意な人、とかなんでもいいけど無数の才能がある。それは生まれながらに与えられたギフトでもある。ギフトとともに生まれていない、という人は存在しない。

 僕もこうやって何かを書くのが好きだし、それを楽しみに読んでくれてる人がいると思うと、とてもうれしい。そういうのがギフトなんだと思う。

 すべての<子>には好きなことと、その特質、才能、ギフトが存在する。そこまでは問題ない。

 問題は<王>にも<子>を見る、特有の価値観が存在するということだ。

 例えば、「学校の成績がある程度よくないと駄目だ」「文系の大学ではなく理系じゃないと駄目だ」とか、「医者にならないと駄目だ」とか「スポーツができないやつは男じゃない」とか「社交的な人間が一番よい」とかまあなんでもいいけど、、、

 <王>が<子>のありのままの才能や特質を認め、それらを愛している場合スムーズな成長が見込まれる。もしくは<王>の特質が<子>に近い場合、<王>には<子>の内面世界が理解できる。
 
 でも<王>に<子>の特質が見えなかったり、見えていても、それを<王>が価値あるものとみなさなかった場合には<子>は本来の自分の特性を価値なきものと考えるか、あるいは<王>の認める価値を懸命に伸ばそうと試みる。
 その場合も<子>が十分に強ければ自分の愛すること、価値を肯定し、<王>と自分はまったく別の存在であり、充実した生を生きるために本質的には<王>に認められる必要はない、ということを悟る。でも、最初からそのようなことをやってのける<子>は稀で、<王>の価値世界に屈するか、あるいは長期の葛藤の末に自己肯定に至るかどちらかだと思う。

 ではなぜ<王>にこのような力があるかというと、彼は生殺与奪の権利を持っていると<子>としての僕らはこころの奥で考えているからだ。彼にはパワーがある。彼の意志で生きるか死ぬかが決まる。彼に気に入られるかどうかが死活問題だ。もともと<王>はそのようなパワーが備わっているのだから、<王>が慈悲深いか、あるいは冷酷で気難しいかで<子>の恐れの度合いが決定される。慈悲深い王、冷酷な王、どちらも<子>にとっては生殺与奪の権限を握っているのであるが、慈悲深き王は、<子>が自分の気に入らないからといって殺してしまおうとは思わない。
 慈悲深き王は、あらゆる種類の才能や、情熱を理解し受け入れる目を持っているのだ。
 一方冷酷な王は、局所的な理解力しかなく、また異質な価値に不寛容なので、<子>にとっては恐れの的となるのである。

 このことが<子>が<王>に認められなければならないという思いで、自分自身のギフトを封印してしまう原因だと思う。つまり、自分が嫌いな理由、自分に価値を置けない理由、なにをやればいいのかわからない理由、それは生存欲求(恐れ)のためなのではないだろうか。

 僕らは単に生き残るという欲求(恐れに基づいた自分)と、自分のギフトを生かし充実して生きたいという欲求(愛に基づいた自分)が相克するフィールドに存在している。

 だから、<王>のもとを去るということは、ある種の「死の恐怖」が伴うのである。
 そしてそのぼんやりした「死の恐怖」を超えられた時に、人は<王>のもとを去ることができる。
 <王>のもとを去るとは、物理的にその人物との関係を断つことばかりとは限らない。
 相変わらずとても近くにいても、<王>の価値観に自分が適合していないと自己尊重が芽生えない心境から、自分で自分の真の姿をリスペクトして愛することに転換するのだ。
 それは自分が<王>を投影している人物の価値観に従う必要はない、そして権威者に認められなくても固有の素晴らい価値があるということに気づくことだ。


 例えば自分にとっての<王>がひょうきん者、道化師だけを偏愛していたとする。
 面白い人間、<王>を愉快な気分にさせる人間をとても気に入っていたとする。
 すると楽士や学者は、とても不安な気分になってくる。
 <王>はあいつが面白いとか、あいつがあんな滑稽なことをしたというような話ばかりをして、音楽や高邁な学説にはまったく耳を傾けないからだ。
 すると彼らのセルフエスティームは低下していく。音楽や学問なんかやってもしょうがないんじゃないか。私も、お笑いの勉強をしてみようか、<王>を笑わせるように。そうしてたくさんの臣民が<芸人>に転向する。
 だが生まれつきの道化師にはかなわない。かぶりものをしたり、熱湯風呂に入ってみたり、洗濯バサミで鼻をつまんだり、やりたいくもないことをやっている間に彼らの自己嫌悪はますます強くなり、本来のギフトは奥深く封印されるのだ。
 その時にふと気づく。
 
 今は現代だ。彼には、私をどうこうする権利も力もない。

 私は<王>がいなくても生きていける。

 私と<王>はまったく同等だ。

 私は音楽家だ、私は学者だ、お笑い芸人じゃない!

 私は<王>の機嫌を取るために生きてるんじゃない!


 そのように自分の価値を欺くのをやめ、自己の本性に目覚めた時、目の前にいるのは<王>の仮面を僕らによってかぶせられた一人の同じ<子>であることが明らかになると思う。
 本当の人間関係はここから始まる。 




セラピー&ヒーリング | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/11/08 18:10
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