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03/30のツイートまとめ

haitakadori

http://t.co/KvJS85tpGD  「甲状腺癌10人」という福島の方々。あるお母さんに聞いたら、「それは23年の検査の結果、7人の検査待ちの子供たちがもう手術を受そして、郡山でも100人以上の子供たち、別の地区でも70名近くの子供たちが要検査まちだというではないですか
03-30 23:11

RT @2tarou: WINEPブログ 「馬がどんどん死んでいく。全部放射能のせいだ!」 (細川徳栄さん) http://t.co/23bHNiats6
03-30 22:48

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未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/03/31 00:00

03/25のツイートまとめ

haitakadori

RT @naminorizanmai: メルトダウン 現在の福島第一原子発電所の状況 / 小出裕章 http://t.co/64P2SFdT06
03-25 20:35

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/03/26 00:00

03/21のツイートまとめ

haitakadori

RT @kikuchiyumi: 田中優さんからのメッセージ: http://t.co/T7VlVtsLJG @youtubeさんから「福島の子どもたちの保養がどれだけ大事か。甲状腺ガンの子どもがついに3人見つかった。7人もグレー。本来100万人に一人しかならない病気。 ...
03-21 20:25

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/03/22 00:00

類型と『傷』

 1月からたまに、去年スピリチュアルリーディングをしてもらったHさんのサロンで、カウンセラー養成のワークショップみたいなのに参加している。→この記事参照

 前回は、ADHDやアスペルガーなどの発達障害、それに境界性人格障害について少し勉強した。

 その内容については以前PSW(精神保健福祉士)の勉強をしてた時に学んだことと結構かぶっていたんだけど、

 驚いたのはワークショップの資料にHさん自身が幼い時からADHDで大変苦労されたことが書かれていたことだった。

 ADHDは、発達障害(生まれつきの脳の機能障害のようなもの)の一種で特徴的な症状としては、いつも落ち着きがなくそわそわしていて、やらないといけないことに集中できない。児童の場合は、授業中じっと座ってられない。思いつきで行動しその影響がどこにどのように出るのか事前に考慮できない。やるべきことを先延ばしにして仕事が溜まっていく。共感能力に難がある場合があり、本意ではないのに相手を怒らせてしまったりしやすい、その結果孤立しやすい、などがある。

 Hさんは国際的な同時通訳者として活躍したり、セラピストとしてもいろいろな活動をされてるのでとても意外に感じられた。
 なんでもセラピストとして必要なコミュニケーションスキルなどは、後天的に意志の力で学習していったということだった。
 
 僕は身内にも、また知人にも精神障害や発達障害っぽい人が何人かいて、ここでまたHさんのお話しを聴き、そうとう自分は精神の機能不全、その結果の適応障害に縁があるのだな~(^_^;)と思った。

 僕自身も、軽く自閉的なプログラムが入っていて、学校や職場に適応しづらかったりすることがあるので、ここでその話しをまた聴くということは、自分の体質をもっともっと受容して、その特質を生かすほうに考えた方がいいのかなと思った。 

 もう10年くらい前、癒しに興味を持ち始めた頃、最初にあったスピリチュアルヒーラーに、

 「あなたの苦しみの原因について次に会う時までに瞑想しておきます」と言われ、結構期待していたのだが、次会った時に

 「・・・・体質ですね」と言われ、「えっ、それだけ(-_-;)」と若干がっかりしたことがあった。なんかごまかされてるような気もしたのだが今から思えば、ある意味的を得た答えだった。

 その頃僕には自分が生きづらいのは「癒されていないから」で、色々なヒーリングやセラピーを受ければ、きっと楽に、そして幸せになれるに違いないという発想しかなかった。だから前世とか、幼少時のトラウマとか何か変更可能な要因にしてくれないと、「体質・・・」なんてそこで話しが終わっちゃうじゃん、と思った。

 でも有名なバーニーの祈りにこういうものがある。


 神よ、

 変えることのできるものについて、
 それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
 変えることのできないものについては、
 それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
 そして、
 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
 識別する知恵を与えたまえ。



 「体質」は基本的に変えられないものである。それは「傷」ではないからだ。

 この生を生きる上で、神に与えられたか、自分で設定した基本プログラム。

 ある種の特異な「体質」によっては多くの苦痛が生まれるので、人はそれを否定したい、あるいは「治療」してしまいたくなる。 
 でも必要なのは、まずはそれを冷静に受け入れ、認めること、その体質で生きてきた自分を労ってあげることだと思う。そうすればその体質に特有の長所であるとか、今までよりも楽に生きる術も見えてくると思うからだ。
 「体質」は変えられないが、その体質への理解や、反応を変えることができる。
 変えられないものへの自分の反応を変えられることこそが、スピリットの自由さの証だと思う。

 一方、『傷』は治療することができる。それは体質というハードウェアを撹乱する、外部からのウィルスのようなものだからだ。
 深い傷もあり、浅い傷もあるからその全てが生きている間に治療できるかはわからない。
 生きていれば新たに傷を負う可能性もあり、むしろ、傷を負っているというのがこの世界を生きる存在にとって普通の姿でさえあるのかもしれない。

 わかりやすい『傷』としては災害や、事故、戦争体験、DVなどのトラウマによって陥るPTSDがある。

 これは傷の中でも、より生理的な反応が強く出るし、普通の生活にはっきりと支障が出る。

 眠れない、辛い記憶のフラッシュバック、不安の発作、神経過敏で怒りっぽくなる、抑鬱状態などだ。

 Hさんのワークショップで、トラウマに対応したエクササイズがあるという情報を教えてもらった。

 TRE(Trauma release exersise)という名前で、デイビッド・バーセリ博士という人物が開発したものだ。
 博士自身、深刻な戦争体験から重度のPTSDになり、正気を失いそうな状態から回復した経歴を持つ。
 TREはトラウマを思い出したり、メンタルに働きかけるセラピーではなく、からだの筋肉→脳へ働きかけることによってトラウマ反応を解放・リセットしていくという作用があるようだ。 

 TREの話しを聴いて、僕がたまになる夜中に飛び起きてしまうような症状というのは、かなりPTSDに近い色合いだし、より生理的なレベルで症状化してしまったものには肉体レベルから働きかけるものの方が効果的ではないかと思い本を買ってみた。

 バーセリ博士の本は、地福寺和尚さんのライブではないが、この世界はどんなことが起こっても不思議じゃないという考えを表明しているあたり、「うまくいく」だけを強調するスピリチュアル本と違い信頼できる感じがした。紛争の地を転々とし、多くの悲劇を見てきた中で開発されたエクササイズなので、実用的でしか有り得ないのかも。確かに未来に何が起きるかはわかったものじゃないけど、でも「今・この瞬間」のよろこびを台無しにしている傷を開放すれば少なくとも、この瞬間与えられている平和や穏やかな日常をしっかり受け止められるということを教えてくれる本でもある。

  現時点でどの程度自分のエネルギーが解放されてるのかわからないけど、とてもリラックスできるので、これは結構いいんじゃないかと思う。
      ↓↓↓
 





 「体質」ということに話しを戻すと、ADHDやアスペルガーに始まり、人の心身のハードウェアの性質を現す多くの類型がある。
 エンパス(人のエネルギーに共鳴しやすい)や、HPS(小さな刺激でも動揺しやすい)というのもあるし、スピリチュアル系になるとインディゴチルドレン(普通と異なった感性を持つ進化した子供たち)とか、ウォークイン(宇宙人の魂を持つ人)なんていうのもある。

 こういう類型論が役に立つのは、あ~ADHDだったのか、とか、インディゴチルドレンだったのかとか、
 宇宙人だったのか(((o(*゚▽゚*)o)))思うことで、自分の状態を受け入れやすくなるし、もしそういうひとつの類型についての本を読めば、より自分の個性についての理解や、対処の方法を学ぶことができるという点だろう。
 
 あと、自分は一人じゃなかった、地球上にはアスペルガーやADHDの仲間がたくさんいる!と感じられることも、こういう類型によるくくりに自分を入れるメリットだと思う。
 もちろん、これには現実離れした類型に自分を入れて自己満足したり(私は光の戦士の転生、課長は元魔族だ!とか(^O^)←極端)、類型に「甘える」ことによって逆に狭いアイデンティティにとらわれるというリスクもある。
 類型論というのは、より深い自己理解や、自己受容に用いられる場合にのみ役立つのだろう。

 しかしそれは擬似的なマニュアルだ。
 「私」のすべてはそこには書かれていない。
 言わば僕らは他に類似品のない宇宙で一台のバイオコンピュータで、出回っているのは「僕らに少し似た機種のマニュアル」でしかないのだ。それらを利用することはできるが、それらにとらわれると、あなただけにしかないシークレット機能を見逃してしまうかもしれない。


 でもそれら擬似マニュアルをうまく利用すれば、自分の個性への理解がより緻密になっていく。するとどこからがウィルスでどこからがハードウェアか、どこをアップグレードするかが少しづつはっきりしてくるように思う。 



セラピー&ヒーリング | コメント(6) | トラックバック(0) | 2013/03/18 21:17

2年目の記憶

 パソコン君が、少し息を吹き返したようなので久しぶりに更新しま~す。。

 近況報告的なやや散漫な記事になるかも(^_^;)

 



 3・11から2年が過ぎたけど、今年の3月はなぜか去年よりもあの日のことを思い出すことが多かった。

 ちょうど仕事でも宮城県南三陸町の作業所の所長さんの講演や、気仙沼地福寺住職のジャズ法話ライブを聴いた。節がたり説教ユニット カッサパというバンドの演奏だ。


 IMG_1272[1]


 ジャズ法話ライブというのは、主に震災のエピソードを交えた法話と、ジャズの演奏でなっているかつてないライブで、もちろんチャリティー。73歳とは思えない和尚さんの熱唱に大変心を揺さぶられた。最初と最後は、ジャズ般若心経で!(笑) 

 お人柄からにじみ出るユーモアを交えて話す和尚さんの歌と法話で印象的だったのは、全国からボランティアでやってきてくれた人たちが『お地蔵さん』に見えたという話し、みんな祈り祈られ、生かし生かされ生きている、という言葉だった。

 地福寺のサイト 

 

  南三陸の作業所「のぞみ」の所長さんは、あっという間に津波が建物に押し寄せ、水が天井下20センチまで迫るホールで水に浮いて難を凌いだという。それから高台にある高校に利用者さんとともに避難し、濡れた服を乾かしながら朝を迎えたこと、救助がくるまでの模様などを話されていた。翌朝も氷点下の気温だったが、『寒い』という感覚が衝撃のためなかったという。
 
 南三陸では、人口一万数千人の内、死者不明者の合計が1000人以上、
 建物の7割近くが津波で破壊されている。

 街の工場が大半壊滅したため、当初作業所で請け負っていた仕事がなくなってしまい、農地を借りて薬草などの栽培をみんなではじめた。それが作業所『のぞみ』の復活だったらしい。

 僕はうちにテレビがないこともあり、地上波での震災関連の番組はあまりみていないけど、今までPCで見れる動画については結構見てきたと思う。でもやっぱり、目の前にいる人の肉声でその日のことを聴くというのはまた違った体験なんだなと思った。

 これらの講演や、ライブを聴いて思ったことのひとつは『何を忘れてはいけないか』ということだった。

 僕が忘れたくても忘れられないのは、電気が消えたJRの駅。
 まだ夕方の6時前なのにシャッターが降りた、牛丼屋チェーンと大手スーパー。
 白々しい大本営発表の向こう側で、確実に破局的な事態が進行しているという気配。
 それがどこまで進行するか、予測さえもできないという不安。
 仕事中いきなり「計画停電」がおき、エアコンしか暖房がない部屋で、ガスコンロで暖をとり、部屋の中で白い息を吐きながら夕食のインスタントラーメンを作り、食事介助をした記憶だ。

 その時に思った、『これは始まりに過ぎないんじゃないか、日本はずっとこうなんじゃないか』という感覚だ。このようにして、いつでも物事は前触れもなく始まり、そして、僕らはそれに慣れていくのだろうという予感だ。電気がないこと、部屋の中でも寒いこと、常に地震が続くこと、放射能の脅威などに・・・

 幸いあれから2年が過ぎ、事態は僕が予感したようには進まなかった。
 相変わらず放射能はリークし続け、甲状腺がんが通常の発生頻度以上に発見され、3・11以前の数十倍以上の頻度となった震度一以上の地震は全国で今も続いている。

 それでもテレビでは相変わらずバラエティが放送され、桜の開花予報がなされ、僕は東京でなんとか生きている。それだけでも、僕には不思議に思えることがある。何か人智を超えた力が、本来のシナリオを改訂したのか、あるいは僕がパラレルワールドにでもぶっ飛ばされたのか。

 それともこれは、おおきな変化の前の無風状態に過ぎないのか。

 多くの顔なじみを一瞬で波に持って行かれた地福寺の和尚さんは歌っていた。『波は今でも押し寄せている』と。
 東京の皆さん、「決して人ごとだとは思わないでください・・・」と。

 
 一瞬で物事は変わりうる、それが諸行無常、この世界の姿でもある。

 でも忘れないように努力したほうがいいこともある。

 2年目を迎えて、直接震災の話しを聴いてそう思った。

 その時に、どのようなことが命を救ったのか?
 命と、平和の価値
 すべての産業が波にさらわれた土地で、畑を始めること
 ボランティアの人たちが「お地蔵さん」に見えたこと
 助け合い 祈り合い 絆・・・
 何が正しいかを見抜く、『目』

 それらは忘れてはいけないような気がする。

 3・11が何者かの陰謀だと言う人たちがいる。
 そんなことは僕はわからないし、深く追求する気にもなれない。9・11の陰謀以上に検証が不可能な事柄だ。
 でももし、これが「サタンの陰謀」だという見方をするならば、その陰謀が大きければ大きいほど、そこには同じように巨大な神の意志と力が注がれるということもまた確かなのだろう。

 そして、その神の意志と力の果実こそが、僕らが忘れてはいけないことなのではないかと思う。


 2011年 5月
 小さなプレハブ小屋の作業所のぞみが、農地の中に再建された。
 京都の会社の出資で、その畑ではハーブが栽培された。
 青々とした緑の中に立つ小さな建物の前で、職員さんと利用者の人たちが並んだ写真がある。
 建物には「の ぞ み」と書かれてた白い紙が貼ってある。

 講演中スライドショーで見せてもらった、この写真が何かシンボリックに感じられすぎて、僕はなかなかスクリーンから目が離せなかった。



3・11以降 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/03/16 21:55

03/13のツイートまとめ

haitakadori

RT @furunosawako: ふと思ったんだけど、サイババ自身があんなふざけた髪形してたんだから、サイババフォロワ-が深刻にしてたらギャグだと思う。
03-13 23:11

地福寺(気仙沼市)からの情報発信: 節語り説教 ユニット カッサパ(三迦葉) http://t.co/xRm95qhkGa 東京武蔵野市でのライブを聴いた。73歳とは思えない和尚さんの熱唱に感動。痛みは早く癒されるに越したことはないけど、震災の教訓は忘れちゃいけない・・・
03-13 22:56

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/03/14 00:00

03/10のツイートまとめ

haitakadori

@miracleuribo  「気疲れしすぎて生きづらい!エンパス度診断」人の気持ちを感じすぎる。どうしても相手に合わせてしまう。そんな共感能力の高い人を「エンパス」と言います。http://t.co/j6dmAczALS ←これどう?
03-10 22:10

「気疲れしすぎて生きづらい!エンパス度診断」人の気持ちを感じすぎる。どうしても相手に合わせてしまう。そんな共感能力の高い人を「エンパス」と言います。http://t.co/j6dmAczALS http://t.co/eBs6njzSGV 結果→85点 俺火田七瀬だったのか笑
03-10 21:52

繊細過ぎて生きづらいあなたは「エンパス(共感力者)」かも http://t.co/5YQTWMq3xa @gogoogirlさんから  こういう概念があったのか~ コピーニューロンとかも関係するのかね
03-10 21:44

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/03/11 00:00

03/09のツイートまとめ

haitakadori

音波も観測者の鼓膜を経由して初めて「音」となるように、ゼロポイントからの思考波も私という観測者の存在なしには何の意味もない。
03-09 23:31

 「私たちの認識を変えるのは私たちの仕事ではなく、それを私たちに変わってかえてくれるよう(聖霊に)依頼するのが私たちの仕事です」愛への帰還 より
03-09 23:23

 結局『なまけものの悟り方」にあるみたいに、すべてのエネルギーに逆らわないことってのが大事なのかな。
03-09 23:17

嫌うこと、許さずにいることでその波動パターンと常に接触している状態になる。許すことで、エネルギーは解放され意識は明晰になる。
03-09 23:16

自分が嫌うことといつまでも一緒にいてしまう方法は、それを許さないことかもしれない。
03-09 23:14

 夢の中で、目覚めようとする時、すでに目覚めている人に向かって『私を目覚めさせてください』と頼むことを祈りという(?)起きれなくてもいい、ただこれが夢であると知っている明晰夢のリアリティとともに穏やかに生きられれば。 
03-09 23:12

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/03/10 00:00

抽象性の場(KAMIという意識場)

 すべての思想は、スピリチュアルなものも含め、言葉とは別の次元でコード化することが可能なんじゃないかと思う。
 それにはより抽象的な視点において、それらのエッセンスを抽出し、記号化することによりその情報体の本質を
 俯瞰することが用意になる。
 例えば、二元論、非二元論、一神教、多神教、などだ。一神教が非二元論とは限らないしいし、多神教が二元論に基づいているというわけでもない。多神教が様々な信仰形態を認めるため「寛容である」とは必ずしも言えないのである。すべてを包含する(非二元論的な)一神教のほうが寛容である可能性の方が強い。

 そして、これらの情報場は=意識場である。情報場は意識と結びついて初めて意味を持つ。

 それらのすべてはその情報場と完全に同一化した意識をもとにして発生しているものと、知的推論とイマジネーションによって成立しているものがある。

 この世界の根本構造は抽象性に有り、具象性はすべて抽象性に支配されている。

 現実は抽象より派生する。

 例えば「セブンイレブンで、ジョージアの缶コーヒーを買った」という情報は具象度が高い。
 資本主義のシステムはこの具象性同士がお互いに我を張り合うという感じになっているので、より目先の表層的な物事がいかにも大切に見えるようにデザインされている。それはテレビCMに見られる具象度だ。

 しかし、この情報は「店でコーヒーを買った」というより一般的な表現に置き換えることにより抽象度が高くなる。
 そうすると資本主義のシステムは、この抽象性の前に一時的に溶解する。
 店、の中にはローソンやファミマやそのほかの巨大スーパーや、個人商店も含まれるからだ。
 そしてそれらの固有名詞はすべて『店』という抽象性の中の、取替え可能な部分に過ぎなくなる。
 その現象が発生するタイムスパンも数十年から、数百年~それ以上に拡大する。

 続いて『買う』という表現も『得た get』 とすることにより、もらった、盗んだ、拾ったなどという現象も含むことができる。

 このようにこの現実の根底に働いているのは、抽象的情報場の世界であり、元型の世界でもある。
 シェルドレイク的な情報の形態共鳴場は、時空を超えて、『店でコーヒーを買う』という現象が成立しうるあらゆる時空に広がっているとも言えるのかもしれない。僕らがその行動を為すとき、その情報場と同調しているのだ。

 『買う』という現象についていえば、それはおそらく原始的な通貨が発生した何千年前から存在する『貨幣』という情報場に関わる現象だ。通貨の神マモンが存在するとすれば、それは『貨幣』による原始的な取引が始まったその時点から、未来のいつか『貨幣』が消滅するその時までのあらゆる現象を含んだ、ドル、円、ユーロ、ルピー、元、すべてを含んだ『貨幣』に関するあらゆる現象の総体、その情報場と言えるかもしれない。マモン神は時空を越えた、獲得と損失、豊かさと困窮、というドラマの立役者となっているのである。僕らがお金の存在を当たり前だとおもってること、それはこの情報場の力だ。
 『当たり前』と皆が思うということほど強力な君臨形態は、ない。

 トラディショナルな聖者はマモンを完全に悪役し、金を持たず清貧に徹することで、このマトリクスのおおきな存在を完全スルーして自由に至ろうとしてきた(異性も同じ)。しかし現代は、結構スピリチュアルな世界にも豊かさや、お金に感謝しよう、そして本当に楽しいことにそれを使おうという考えが起こってきている。それはあるいはマモンとスピリチュアリティとの関係性が新たなステージに入ったためかもしれない。

 ・・・・このような視点からで言うと、「神々」とは抽象度の高い、情報場であると言える。

 『貨幣』だけではなく、『芸能』であるとか、『恋愛』であるとか、『学問』であるとか、『旅』であるとか、
 それらに関する情報の集合体にアクセスする(信仰する)ことにより、インスピレーションや守護や力を得るということが昔から行われてきたことも不思議ではない。

 
 が、それには目の前の個別の「名」という呪(しゅ)をもった具象性に目を向けるのではなく、より抽象的に思考することで自分がどのような共鳴場とつながりたいかはっきりさせる必要がある。『芸能』とは何か?『貨幣』とは何か?『恋愛』とは何か?ということだ。単純な善悪二元論に陥らずにその現象の総体に隠されたイメージを、心の目で見る。

 AKBとか嵐とかスマップとか和田アキ子の存在するのが「表芸能界」とすれば、『芸能』の情報場である『裏芸能界』が本当の芸能界かもしれない^^;

 ある分野でどれだけ力を発揮するかは、どれだけその情報場の全体性と深さを認識し、それと一体となるか(それに奉仕する)にかっているような気がする。美輪明宏さんのような人は、裏芸能会とものすごく密接にシンクロし『芸能』の深さと結びついてそうだ。

 抽象性がこの現実の根本構造であるため、元型的な絵は人の精神のより奥深いところに働きかけ、不思議な現象を起こす。そのような絵はより抽象的な情報世界のシンボルなのだろう。
 
 元型的な絵とは、人生における出会いと別れ、生と死、男と女、親と子、善と悪、光と闇、成功と失敗、力、希望、絶望、誘惑、成熟、などを表現したり、自然という情報場の抽象存在である、地水火風のエレメントを描いたものなどだ。

 タロットカードはそういった世界の情報検索装置として利用されている。
 易経はつながった線と、わかたれた線のふたつの組み合わせなからなっているので、この二元性に基づいた抽象度の高さがうかがえる。

 詩的言語もまた、このような元型世界を言葉によってえぐりだそうとする。
 昔好きだった、村野四郎の「鹿」という詩。



鹿は森のはずれの
夕日の中に じっと立っていた
彼は知っていた
小さい額が狙われているのを
けれども 彼に
どうすることができただろう
彼は すんなり立って
村のほうを見ていた
生きる時間が黄金のように光る
彼の棲家である
大きい森の夜を背景にして


 ここではっきり現されているのは、死と対置した時の生の甘美さ、日常の安らかさである。闇に包まれた大きい森の夜の中であっても、それが生の場である限り、額を狙われている者にとっては黄金に光った場所でしかありえないというある意味極限的な認識だ。そして死を前にしても気高さを失わず「すんなりと立つ」無垢なる存在の美しさと悲しさも読み取れるようだ。
 詩的言語があまりにシンプルで鮮烈なので、そのイメージは元型的絵画のようにはっきりと僕の脳裏に像を結ぶ。
 明らかに僕らは鹿に我が身を投影することで、そのような元型的場に触れて感動するのである。


 「生と死」の対置という抽象性は、人にとってもっとも強烈な印象を与えるリアリティだ。
 しかし「死の忘却」ということが習慣的になっているため、このように詩であるとか映画であるとかにえぐりだされないとなかなか普通は認識されない。

 死ぬのは「私」以外の誰か、というのが普通の認識だが、実際は死ぬのは「私」しかないのである。
 ではその「私」とはなんだろうか?

 元型的情報の場を越えて、実はもっとも深い部分においてこの世界を支配しているのは、「全体と個」「自己と非自己」「私とあなた」「神と人間」などという根源的抽象性ではないかと思う。
 すべては二元性、「わかたれている」という認識から派生した情報場であり、あらゆる欲求はこの原初の分離を埋め合わせようとする試みであるとも言われる。すべての問題は、時間・空間的に限定された「私」という認識を軸として発生しているように見える。

 そのため古来よりもっとも根本的な幸福や平和、解決を模索する人たちはこの「場」に挑んでいかねばならないことになっているようだ。それは「私」がどうなるか?ではなく、「私」とは何か?あるいはなぜ「私」は「私」と認識するのか、という問いへのシフトだ。

 これらの抽象性が解消(部分的にせよ、全体的にせよ)されたとき、「神」あるいは、あなたのない「私」という意識場が明らかになる。
 その意識場の認識は 「すべては神である」「すべては私である」「神しかない」「私しかない」「私は幻想で神だけが真実である」「時間も空間も、宇宙もない」「生も死もない」「生命だけがある」というようなものだ。

 この意識場は確かに存在すると思う。
 そしてその場の二次的な現れである聖霊(救済力、牽引力)によりすべての人の子(わかたれた認識を持つ者)を完全な至福の中へ引き込もうとしている。





知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/03/02 19:23

02/28のツイートまとめ

haitakadori

@furunosawako  い~え、ありがとうございます(^O^) 「動かされる」それもやはりおおきなポイントですね!
02-28 00:46

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/03/01 00:00
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