Somatic experience(ソマティック・エクスペリエンス)②



 ■定位反応と太陽電磁波



 リヴァイン博士の本を読んでいて、すごく気付くことが多かった概念のひとつに「定位反応」というものがある。

 「定位反応」とは著書の説明によると次のようなものだ。


 広い草原を楽しくぶらついていて、突然視界の隅に影が動いたと想像して見てください。
 あなたはどう反応するでしょうか?
 本能的に、あなたのそれまでの動きは止まります。あなたは少しかがんだ姿勢をとるかもしれませんし、自律神経系が活発になると心拍数もあがるでしょう。このつかの間の「停止」反応の後、あなたの目は大きく開かれます。影がどこにありなんであるかを見極めるために、意志とは無関係にあなたの頭は影の方向を向きます。自分の筋肉をかんじて見ましょう。筋肉はなにをしているでしょうか?

 あなたの首、背中、脚、そして足の筋肉が、体の向きを変えるため同時に働き、あなたの身体は本能的に伸び上がります。周囲全体を広く見渡そうとしてあなたの目は細くなり、骨盤と頭は水平に動きます。あなたの内的状態はどうなっていますか?影を見たことに対して自分の中で漠然と感じたり気付いたりすることはほかにあるでしょうか?ほとんどの人は警戒と集中を感じ、影が何なのか知りたいと思うでしょう。知りたいという欲求を刺激する興奮と期待があるかもしれません。起こりうる危険の感覚も存在するかもしれません。

 (中略)

偉大なロシアの生理学者イワン・パブロフは、彼の記念碑的研究である動物の条件付けの中でこうした定位反応について説明しています。彼はこの反応に固有の特徴を「shto eta takoe」反射と呼びました。これを文字通りに訳すのならば「それは何?」反射ということになります。しかし、より正確に言えば「あれは何だ」「ここではなにが起きてるんだ」「やっこさん、どうなってるんだい!」といったその反応に内在する驚きと好奇心を強調した意味になります。この二重反応(反応+欲求)は定位行動の主な特徴として広く知られています。人間やほかの動物にとって期待、驚き、警戒、好奇心、そして危険を察知する力は、こうした定位複合体から生じる、運動的、知覚的な気付きの現われです。



現象の正体を突き止め、認識しようとする定位反応はすべての動物にとって必要不可欠なものだけど、トラウマを受けた人の中ではこの定位反応があだとなっている。

トラウマ反応のひとつに
 


■過度の警戒 



がある。

通常、 定位反応→外的危険の認知→覚醒

となり、脅威が去ると覚醒レベルは下がるので、定位反応も終わる。

しかし過去のトラウマより起こる余剰エネルギーによって内的過覚醒→強迫的な定位反応(過度の警戒) が起こり、24時間体制の警戒モードに入ってしまう。


 過度の警戒は、危険に初めて対応するときに起こる過覚醒が、拡大された強迫的な定位反応を引き起こすときに起こります。このゆがんだ定位反応は非常に逆らいがたいため、人はたとえ外にある何かに対してではなく、内的な覚醒に対して反応しているときでさえ、危険の原因がなんであるか突き止めずにはいられないという気持ちに取り付かれるのです。

 覚醒が継続するとき(解放するのがあまりに恐ろしいため)、私たちはジレンマに陥ります。危険のもとを探さずにはいられない気持ちがしますが、その衝動は内的に発生したものであり、たとえ外の危険を突き止めたとしても、内的な覚醒は引き続きそこにあるため、その強迫的な過度の警戒状態は消えません。私たちはその危険のもとをしつこく見つけようとし(それはどこにあるのか)、それを特定しようとします(それは何なのか)。なぜならその探索こそが、神経系が覚醒したときに原始的定位反応が行うようにプログラムされていることだからです。問題は、多くの場合、実際の危険は何も見つからないことです。




 いつもその場にそぐわないほど強迫的な「危険はどこにあるのか?」「危険は何か?」あるいは「敵はどこにいるのか?」「敵は誰か?」反応が起こる。

 もちろんその場合、過度の警戒と暴走した定位反応の原因は単に内的過覚醒であるために、客観的な危機は存在しない。

 でもトラウマ反応下にあり、その認識がない人は、「いや外的危険あるいは敵があるはずだ」という認識からおりられず、常にびくびくしていたり、怯えていたり、危険情報を探し回ったり、身近な人間や近隣に対して敵意を投影したりするのだと思う。自分がうっとおしい(不快な覚醒感)のは「あいつのせいだ」あるいは「あの危険のせいだ」という特定ができれば、仮の安堵感を得ることができるからだ。しかしそれをそのまま行動化すると関係は壊れてしまう。

 トラウマを負っている人は、神経系覚醒レベルのベースラインが高いので、例えばコーヒー二杯飲んだ、とか最近性エネルギーが蓄積されている(むらむらしている)というようなことでも過覚醒、過度の警戒モードに入ってしまう。

 それだけではない。リヴァイン博士の本ではふれられていないけど、自然のエネルギーの影響もきっとある。
 満月、新月、低気圧、台風、寒暖の変化、太陽フレアに伴う電磁波、地殻変動前のエネルギー変異、未知の宇宙エネルギー・・・こういったものにもベースラインが高いPTSDの人は影響され、容易に限界値を越え、うつ、怒り、緊張、不眠、そわそわ、テンパリというモードに入ってしまうはずだと推測する。精神が不安定な人は満月になるとおかしくなる(Lunatic)とか、春は変な人が増えるとかっていうのはその現象を言ってる。

 神経系がタフで、回復力があって、余裕がなければ、あらゆる神経を刺激するエネルギーが飛び交いまくるこの世は、とかく生きつらいのだ。

 またこういう状態の人は、「なまず」的な役割を自然と果たしてしまう可能性があり、地震の前に体調が必ず崩れるというような人もいるのではないだろうか。体感で地震を予知できるような人の多くはかなりベースラインが高いのではないか。

 僕自身、太陽フレアの影響(他の自然現象全般も)をすごく受けやすいことは前から気付いていた。
 このことがわかる前は、きっと大規模フレアのたびに過覚醒状態になり、定位反応が活発になったはずだけど、危険の原因はみつからなかったはずだ。
 それは結構ストレスになる。内的に覚醒し自動的に警戒モードに入るのに、目に見える危険は見つからない。このジレンマがひどい場合は誰かに喧嘩をふっかけるかもしれない。フレア増大事に起きる事件や事故は、その強迫的な歪んだ定位反応の結果かもしれないと思う。
 
 「太陽のせいで人を殺した」というカミュの「異邦人」主人公ムルソーの不条理な言葉は、実は相当切実な意味を持っている。
 人は自然現象によってひそかにもたらされる過覚醒に対して、ゆがんだ定位反応と行動化を起こしてしまうことがある。が、それらの行動の理由はまったく理解される枠組みがない。エネルギーにやられていたことが原因のひとつとはみなされず、社会人として不適切なふるまい、みんな我慢してるのにお前何やってんだ?というようなことで切り捨てられる。切り捨てられれば当然本当の理由は理解されない。
 
 でもこの反応はもう少し社会全体が、自身や宇宙に対するアウェアネスを深められれば克服できるはずなのだ。

 ただ意志と忍耐だけで、システムに適応するのではなく、本当の意味での自己理解や他者理解、自然への理解があれば。

 天体マーヤのエフェクトがあると知ったあとは、「うーん、この調子悪さはまたフレアが起こってそう・・・!」と予測すると結構その通りだったりということがあるようになった。

 現在の活動状況はこのページで確認→http://swnews.jp/

 まだCクラス連発くらいならいけど、中規模のMクラス、大規模のXクラスとかが長期間続くと眠りが浅くなり、かなり頭もおかしくなりやすい。
 が、「フレアのせい」と認識すると危険を探す定位反応はいったん安心するので、少し救いになる。まったく原因がわからない焦燥感とか過覚醒ほど気持ちの悪いものはない。
 統合失調症などでも、かなりものすごい過覚醒が脳内で起こるので、それが敵に狙われていたり監視されているという妄想(ゆがんだ定位反応の結果)につながるのかもしれない。
 狂気の閉じ込めているエネルギーは本当にものすごいのだ。
 生きようとする根源的なエネルギーが姿を変えたものだから。

 ということで自分が自然エフェクトにもてあそばれやすいということはわかってたけど、そもそもの常時興奮レベルを下げるという発想はなかった。

 
 なぜそこまで太陽の爆発で興奮するのか?

 この体質はなにに起因するのか?

 どうすれば普通に生きて行く安定感が得られるのか?(一生このままなのか?)という謎が解けなかったのだった。



 でもSEの考え方に出会い、このエネルギー状態をシフトできる可能性が具体的に見えてきた。
 きっともともとエネルギーには敏感に反応してしまうほうなのだと思うけど、PTSD反応がそれを耐え難いレベルにまで高めてるような気がする。


 だから僕は自分のエネルギーバランスを変えるものすべてに対して、注意深くなってしまった。

 
 睡眠時間、食事、飲み物、性、職場環境、人間関係、ひとりでいられる時間、読む本、見るDVD、自然現象・・・・
 
 
 まあ神経過敏でなければ自分がこれだけ多種多様な現象の影響を受けてるってことに、気付かなかったかもしれない。

 んで、かなり引きこもりがちな生活をするようになった。

 僕は一種の修道生活をしていて、ここは修道院かと思っていたけど、どうやらPTSD避難用シェルター、回復施設でもあったのかも(笑)

 トラウマは人間のもっとも強い生命力が形を変えたものであるため敬意をもって扱う必要があるとリヴァイン博士は書いている。


 ならば敬意をもってトラウマ神 様を拝まねば 
 トラと馬が合体した姿の神様かな?(笑
 しかし日本語ってすごいね。トラウマってある意味、虎と馬が合体したものだもんなー。狩るものと狩られるものの相互作用。
 その正体は動物としての僕らの根源的パワーそのもの。


 自分の生命の力を敬い、トラウマが与えてくれた知恵を大事にしたい。



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セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/04/24 17:57

04/17のツイートまとめ

haitakadori

ブログ卵の中のKIMI更新しました!「Sommatic experience」http://t.co/0RIeEwmOOM
04-17 22:24

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/04/18 00:00

Somatic experience(ソマティック・エクスペリエンス)

 一昨年、個人リーディングをしてもらったHさんのところでSEセッションを受けてきた。

 個人リーディング記事→オーラリーディング in あざみ野


 一年ほど前から気にはなっていたのだが、なかなか重い腰があがらず、時間が流れていった。

 でもこれは僕にとって、とても重要な情報だった。
 今回のセッションで強くそれを感じた。

 Hさんのところではトラウマ開放メソッドとして他にTREも行っているということだけど、SEが気になっていたのは、Hさんに強く勧められてたこともあるけど、その神経系やトラウマに関する理論的な部分が自分の体験とぴったり符号していたからだった。

 SEは(somatic experience ソマティックエクスペリエンス)の略で、身体的経験というような意味合いになる、神経学者でもあるピーター・リヴァイン博士が主にトラウマを解放するために開発したセラピー技法だ。

 その概略を書いてみると、人の神経系には周知の通り交感神経と副交感神経がある。交感神経が活性化すると人は適度な集中状態や、目覚め、あるいは緊張状態になる。副交感神経優位になるとリラックス、くつろいだモード、眠りなどに近づく。

 交感神経の適度な興奮は仕事への集中などに必要だ。だから僕らは夜更かししすぎて眠い次の日なんかには、コーヒーを飲んででも交感神経を奮い立たせてオフィスに向かおうとする。

 しかし交感神経の興奮には上限値がある。
 極度のストレス状態、強盗に襲われる、災害に直面する、DVにさらされる、などでは交感神経のメーターはマックスに近くなり、人はいわゆるfight or flight状態、「戦うか、逃げるか」という行動に備えて呼吸を早くし、アドレナリンを放出する。
 生体としての僕らはそのような作用によって、緊急事態をサバイブするように設定されているのだ。

 しかし、交感神経の興奮はそれがマックスで、それ以上になると別の反応を示す。かたまる、気絶する、現実から解離するという反応だ。これもある種の防衛反応で仮死状態になることによって外敵をスルーするという最後の戦術なのかもしれない。

 動物の場合は気絶しても、危険がさるとまた何事もなかったように餌を探しに行ったりするが、人間の場合その交感神経の緊張、蓄積されたエネルギーは解放されないままに残る。動物の場合のように、簡単にリセットすることができないのだ。

 この神経系に蓄積されたエネルギー、そのことによって起こる慢性的な交感神経の緊張状態、これがよく言われるPTSD・トラウマ反応の正体らしい。

 「トラウマとは神経系に蓄積されたエネルギーである

 PTSDのない普通な状態は、何か突発的なストレスがあっても、時間がたてば平静な状態に戻る。わかりやすく書くと交感神経の基底値を0限界値を100とすると、会社で顧客にクレームをつけられて60まであがっても、昼休みにおいしいものを食べたり、まあ遅くても夜になってお風呂に入ったりすれば0近くまで落ちる。というこれが平常の状態。

 しかし、人生において何度もPTSD的経験を体験してきた人は交感神経の興奮値が高い状態のまま止めおかれている。いわばその時のショックがリセットされていない。何もなくとも常に70くらいの状態にあるのだ。

 だから、20くらいのイヤなこと、道でけつまづくとか、高校生が電車ででかい声でしゃべっててうるさい、とか、ドアがバタンと大きい音で閉まるとか、それくらいでも戦うか逃げるか状態に入ってしまう。戦うか逃げるか状態では心拍数が上昇し、呼吸は速くなり、筋肉は過度に緊張し、おさえがきかなければきっと怒鳴りつけたりしてしまうだろう。

 だから傍目にはちょっと人間として危ない人に映ってしまう。でも生体にとっては、動物としての僕らにとってはそこにはすでに70の危険があったから、30の刺激でその閾値を越えて戦闘か逃走モードに入るのはまったく不自然な行動ではないのである。

 また戦うか逃げるか状態を越えてしまい、スイッチが切れた状態、(じっとして動かない(うつ)、解離状態、ひどい時には失神)にもたやすく入ってしまう。

 通常の神経系の興奮レベルをベースラインというらしいけど、PTSD反応を持つ人はこのベースラインが高止まりしているらしい。

 そのPTSDによって上昇したままのベースライン(神経系の興奮レベル)を、蓄積されたエネルギーを解放・統合することにより低下させていくのがSEらしい。


 僕はこの話しを去年Hさん主催の自己成長のためのワークショップで聴いて、すごく自分の心身の状態がよくわかった。空理空論ではなく、自分の体験とすべてが符合するからだ。
 僕自身もかなりベースラインが高止まりしてることが理解できた。

 何度か自分の死を意識させられる体験や、また家族内でのDVを間接的に目撃したりしてることなどが原因かもしれない。

 そこのところはわからないけど、きっと僕は少なくとも10年以上はそういう状態で過ごしてきたと思う。


 リヴァイン博士はPTSDは、危機に直面したときに生体が起こす次の4つの要素を核にして症状が形成されていくという。

 ■過覚醒 (動悸や速い呼吸、動揺、睡眠困難、緊張、筋肉の震え、駆け巡る思考、不安発作)
 ■狭窄   (身体的な血管や筋肉、姿勢の収縮と、危機に対してだけ集中するために知覚範囲が狭くなる)
 ■解離   (内的感覚気付きの継続の崩壊、時空と知覚の歪みが生じる。軽いものは空想に没入してる状態、重いものは、多重人格障害。苦しみから逃れるために体や感覚から離脱する反応。見当識障害、記憶が飛ぶ、記憶喪失、ひどい物忘れ、起こっている現象の否認を伴うこともある)
 ■無力感に伴う凍りつき

 
 トラウマによる具体的な症状には次のようなものがある。

 ■過度の警戒(常に用心していること)
 ■侵入的イメージやフラッシュバック
 ■光、音に対する極端な過敏症
 ■多動
 ■過剰な驚愕反応
 ■悪夢
 ■唐突な気分変調 例 怒りの爆発 かんしゃく 恥の感覚
 ■ストレスに対する能力の減少(容易かつ頻繁にストレスで疲弊してしまう)
 ■睡眠困難
 ■回避行動(特定の状況を避ける)
 ■危険な状況にひきつけられる
 ■頻繁に泣く
 ■過剰な、あるいは減退した性行動
 ■記憶喪失、健忘症
 ■他人を愛し、慈しみ、親密になることができない
 ■死ぬこと、気が狂うこと、早死にすることにたいする恐怖
 ■ものごとに打ち込めなくなる
 ■慢性疲労 非常に低い身体エネルギー
 ■免疫障害や甲状腺機能不全などの内分泌障害
 ■心身症 特に頭痛、首や背中の痛み ぜんそく 消化器系の病気 けいれん性結腸 重い月経前症候群 
 ■うつ 今にも悪いことが起きそうな予感
 ■孤立感 疎外感 孤独 生きるしかばね
 ■人生に対する興味の減退
 
 最後になるほど、PTSDの症状が進行した状態で現れる傾向があるという。
 このリストにたくさんあてはまる場合は、神経系が余剰のエネルギーを抱えている、つまりトラウマを負ってる可能性を疑ったほうがいいと思います。

 トラウマ反応下の典型的な苦しみ

 「私は、何もかもが怖い。朝ベッドから起き上がるのも怖い。家から出るのも怖い。死ぬのが怖くてたまらない・・いつの日か死ぬことが怖いのではなく、あと数分のうちに死んでしまうような気がするのだ。私は怒りが怖い・・・自分の怒りも他人の怒りも。そこに怒りが存在していないときですら恐ろしい。私は拒絶され、見捨てられるのが怖い。私は成功するのも、失敗するのも怖い。私は胸が痛いし、毎日手足にしびれや震えを感じる。生理痛のような鈍い痛みから激しい痛みまで、ほとんど毎日のようにひどい激痛がある。ほとんどいつも、どこかが痛い。これ以上生き続けられないような気がする。頭痛がする。常に不安だ。息が苦しくて、心臓がドキドキして、自分がどこにいるのかわからずにパニックになる。いつも寒くて、口が渇いている。ものを飲み込むのがつらい。生きる気力も熱意もないし、なにか達成しても満足感はまったくない。毎日圧倒され、混乱し、喪失感を味わい、無力で、絶望している。私は、怒りとうつの爆発をコントロールできない。

 ここまでひどくはないけどこの多くがすごくよくわかる。

 特にあと数分のうちに死んでしまいそうな気がするってことは、とてもたくさん経験した。

 トラウマを負う理由は人様々だけど一般的には次のようなものがある。
 またこのような状況下でもトラウマを負わずに切り抜ける人もいるし、一見ほんのささいな出来事がトラウマとして神経系に残る場合もある。PTSD反応の重い、軽いはどういう出来事を経験したかではなく、どれくらいの負荷が神経系に残っているかが問題となる。

 ○戦争 自然災害 犯罪に巻き込まれる 交通事故 落下や転倒 溺れる 病気 医療処置 困難な出産 愛する人を失う ペットロス パワハラ セクハラ いじめ DV 親からの言葉や暴力による虐待  ニグレクト ドラッグ 身近な人の死を目撃する 家庭内の暴力を目撃する 家族がバラバラになる体験 


 災害や事故のような巨大なひとつのショックで生じたPTSDではなく、生育歴などいくつもの複合的な要素がからみあって発生しているPTSD的状態を「複雑性トラウマ」と言い、僕の場合もおそらくそれに該当するのではないかということを言われた。

 以前は頻繁に何度も、夜中に目を覚まし、「今にも死ぬ」という恐怖に突き動かされてもしもの時に救急車を呼ぶため携帯だけをもって、何度も真っ暗な夜の中へ飛び出して落ち着くまでながいこと歩き回った。

 騒がしいオフィスで働いてた頃は、職場で何もかも嫌で体が動かない麻痺状態や、唐突にこみ上げる怒りを抑えきれずキレてそのまま飛び出したとか、そういうことも二、三度あったし、友達にキレて怒鳴りつけるとかっていうことが20代最初くらいからたまに起こるようになった。普段冷静に見えるのでかなり怯えられる。 

 特にある程度のストレスがある状態で、さらにいらいらすることがあると、限界値を越えて制御不能になてしまうことがある。そうなると僕はキレるか(戦う)その場を去る(逃げる)かの反応をせざるを得ない。僕にとってその場を離れる、ということは自分の怒りが暴発するのを防ぐ手段でもあった。

 人といると神経が高ぶりすぎることが多いので、介護の仕事とかが続いたり、外に出かけなければならない用事が続くなどのストレスが多い時ほど、プライベートな時間、一人でいられる時間は本当に命綱だ。

 単に一人が好き、とかではなくそれがなければ自分を保てない。
 神経の興奮レベルを沈める時間が必要になる。

 そこのところを人に説明するのがすごく難しい。

 実家に帰ってさえ、しっかりした自分の空間とプライバシーが確保されていないと耐えられずやはり飛び出してしまったことがある。

 そういうことがあると、そのたびに自分は人間としてどこか決定的にダメなんだという激しい自己否定にも苦しんだ。そしてこの不快な緊張から逃れるためにアルコールやドラッグにも頼った。そのドラッグでまた基底値をあげるような恐怖体験もするわけだけど・・・
 アルコールは不快な過覚醒状態による緊張感を沈めてくれるのでつい頼ってしまう。

 今ではずいぶんパニックや、唐突な怒りの爆発は減った。でも得体の知れない緊張感と警戒感はもう僕の毎日の中で完全に日常の一部になっている。何か張り詰めているかあるいは、睡眠も浅いので、夜中に目が覚めてなかなか眠れず次の日はぼーっとしてるかでとても安定した状態が長期にわたって続きにくい。だから収入はもっと欲しいけど、仕事も安易に増やせない。行きももどりもできない煉獄のような場所で宙吊りになってる感覚をたまに感じる。わかってくれる人は少ないけど、バランスが崩れることが僕には何より恐ろしいのだ。

 Hさんははむしろキレてよかったと言う。
 キレるってことは、交感神経上限値の手前、戦うか逃げるか反応によって起こるわけだから、そこをキレないでずっと耐えしのいでいると限界値を超えて重度の鬱状態に移行する可能性があるかららしい。すぐにキレる危ない人か、もしくは鬱で固まってるかどちらも微妙な選択だけど、自分自身のメンタルヘルスだけで言えば溜め込み続けるよりもキレた方がましってことになるのかもしれない。相手には申し訳ないが。

 この神経系に関する考え方は、僕の自尊心を回復させてくれるものだった。
 それなら自分を許せる。
 そしてこのメカニズムがわかれば、それだけでも救いがある。

 こういう状態の僕にとって、今まで生きていく上で理性とか意志だけが頼みの綱だった。常に感情がテンパって張り詰めてることが多いから、人とコミュニケーションするにも、仕事をやりとげるにも、理性によって抑制をかけなければすべてがぐちゃぐちゃになってしまうという恐怖がある。だから平常はよくクールだとか、落ち着いてるとか、穏和な癒し系的印象をもたれることもある。

 が、それは僕が現実と軽く解離しつつブレーキングしてることが多いからだと思う。
 多くの場合、僕は単に耐えてきた。
 巨大な怒りや絶望感を制御するのは本当に、内的なエネルギーを疲弊させる。

 その理性や意志で状況をコントロールしようとしてたことが、感情との間にまた断絶を生んでいたように思う。今後は今まで以上に、泣いたり、笑ったり、喜んだり、怒ったりする自分を大事にしたいと思う。

 SEセッションにすごく手ごたえを感じたので、SEについて、トラウマについてピーター・リヴァイン博士が書いた本もさっそく取り寄せて読んで見たが・・・

 この本は・・・ 本っっ当にすばらしかった!!

 自分自身が経験してきたことと何もかもが符合し、いろんな形をしたパズルの断片がひとつの絵になる感覚があまりに強く、深呼吸しながら読む必要がある感じだ。誰かの命を救う可能性を十分に秘めた本だと思う。

 本を読んでいてひとりでに涙が滲んできた箇所がある。

 それは博士がナンシーというクライアントにリラクゼーション誘導をしようとしていたときのエピソードだ。



 最初のセッションで私が未熟にも、まったくの善意から彼女をリラックスに導こうとしたとき、ナンシーはひどい不安発作に襲われました。彼女は麻痺し、呼吸ができないように見えました。彼女の心臓は激しく鼓動し、次にはほとんど止まってしまったようでした。私は非常に驚きました。私は地獄のふたを開けてしまったのでしょうか。我々はともに地獄のような状況に入り込んでしまいました。
 
 私自身も激しい恐怖を感じながら、それでもなんとか自分を保っていたとき、私の目の前に、虎が襲い掛かってくる幻が一瞬浮かびました。その体験に押されて、私は大声で叫んでいました。「あなたは大きな虎に襲われています。向ってくる虎をみてごらんなさい。あの木に向かって走りなさい、さあ、木に登って逃げて!」驚いたことにナンシーの足は走る動作をして震え始めました。彼女が血も凍るような叫び声を上げたので、通りがかった警官が何事かと立ち寄ったほどでした。彼女は小刻みに震えだし、やがて大きく震え、最後は痙攣するように激しく体を震わせてすすり泣きました。


 彼女はこのセッションをきっかけに快方に向った。
 このナンシーという女性は、幼い時に手術中の麻酔状態でトラウマを受けるような恐ろしい体験をした。
 その体験は脅威が迫ってるのに動けない、という状態に彼女を閉じ込めていてて、その時のエネルギーがパニック発作や広場恐怖症の原因になっていたというのだ。
 普通動物は、危険を感じたときにFight or Flight反応を起こし、逃げようとする。でも麻酔下のナンシーにはそれができなかった。
 そのときに蓄積されたエネルギーを解放するのに「虎」のイメージが、新たなる生命の危機が役に立ったのだ。その「虎」が彼女を逃走させ、手術時には逃げられなかったため蓄積された生命エネルギーを解放した。

 今では私は、彼女の回復を媒介したのは、子供時代の扁桃腺手術のドラマティックな再体験と感情的カタルシスではなく、彼女が受身で凍りついた硬直反応から、活発で成功した逃走へと抜け出したときに体験したエネルギーの放出だったことを知っています。虎のイメージが彼女の本能的で敏感に反応する自己を目覚めさせたのでした。私がナンシーの体験から得たもうひとつの深い洞察は、脅威の面前で人を成功に導く力は癒しにも役立つということです。これは体験の最中だけでなく、体験から何年も経ったあとでも同じです。

 「心と体をつなぐトラウマ・セラピー」より

 それにしても、このような状況で「虎が出ました!!」なんていう誘導をしちゃうリヴァイン博士の判断は何か神がかっている。博士の内的英知が促したのか、天使が虎のビジョンを吹き込んだのだろうか。どちらにしろ、どこかシャーマニックで普通の医療的な判断ではとっさにできない選択だ。

 僕が感動したのは、ナンシーが逃走に成功したということもあるけど、それを助けたのが「虎」であること。多くの人にとっての脅威でしかない動物であることだった。僕も時々も虎に襲われるという夢を見る。僕にとってもある種恐怖の象徴だ。

 その恐ろしい「虎」が僕が逃げたかったときに逃げ、戦いたかったときに戦えたことを思い出させ、恐れの中で凍り付いていた僕の命を、躍動の中へ解放してくれるのである。そのことを想うと光と闇が融合していくような深い感動を感じる。

 僕もナンシーのように自分の両足で地面を蹴って力いっぱい安全な場所まで逃げ出したかった記憶があるのかもしれない。

 多くの人にとって、脅威それ自体ではなく、自分の生命を尊厳を守るために戦えなかったという記憶、逃げられなかったという記憶(抑制された攻撃性や、逃走本能)が生命エネルギーを制限する問題となっているのだ
 「虎」はそれを解放してくれる。

 この本の原題は、「Waking the tiger 」<虎の目覚め>である。(虎を目覚めさせる・・かな?)
 それはきっと戦ったり、逃げたりする躍動的な動物としての僕らの目覚めでもある。

 硬直していた仮死状態から、逃走と戦闘反応への目覚め、それは感動的なことだ。
 動けないという状態よりも、命の躍動がそこにはあるからだ。

 SEを受けてみて、この枠組みをどのように神様的なことや意識の探求と統合させればいいのかちょっと迷っている部分がある。

 I先生のリトリートなどに行っても、集団宿泊のストレスなどで夜中に一種の、ここがどこかわからないっていう解離状態を起こし飛び起きたことがある(限界値越えちゃった状態)。神のエネルギーがあるはずなのにどうしてこういうことが起きるのかと思った。
 どうして、神様を強く念じたり、バキバキになったらそのあとパニックぽくなるのか意味がわからなかったけど、交感神経が限界超えちゃってたのだ。

 マーヤが全部原因という風に認識していたけど、その枠組みだけだとこのメカニズムの詳細がわからない。
 自分の生き辛さや心の状態について深く学ぶためにはもっと別の枠組みが必要だった。


 他にも、たとえば一度に好きなことをすべてやりなさい、みたいな自己実現系の本を読み、その通りに実行しようとして調子がおかしくなったってこともあった。これも、交感神経は楽しいことやおもしろいことでも跳ね上がり(スポーツ観戦やライブなどでも)、常にベースラインが高ければ容易にそれを越えてしまうと考えればつじつまが合う。

 楽しければいいってことでもないし、神様のことを考え続けていればいいってわけでもない。神経系のバランスを上手に保つことが僕にとっては重要で、その方法は人によって状況によって、まったく違うのである。楽しいことを全部するってこと自体が楽しくないこともある。


 楽しいから楽しいにきまってるだろ
 神だから一番すごいにきまってるだろ

 というロジックではなく、体感覚みたいなものがおしえる方向をもっと大事にした方がいいのかもしれない。

 簡単なことだけど、これがわかるまで結構時間がかかった気がする。

 スペースまほろばのN先生のブレスワークを受けたときに言われた、「幼いときにつらい経験をしてる人ほど、大いなるものにふれそうなときそれがとても恐ろしいものに思えてしまうみたいなんです」という言葉も、この神経系の仕組みとどこかでつながってくるのかもしれない。源からのエネルギーは意識を覚醒させる。

  源からのエネルギーっていうのは、意識を覚醒させるのがメインでいわゆるヒーリングエネルギーとはまた別のものなんだろうか。これはずっと前から考えてたことだけど。それが意識を現象世界を越えさせるってことだけに働くなら、やっぱり別物ってことになる。

 覚醒反応というのは、神経学的に言うと危機に対するリアクションとして、身体にその準備をさせるために起こる。ピーター・リヴァイン博士の著作にあったたとえでいうと、高さ100メートルの断崖絶壁を見ろしていると想像したときに体に起こるような反応だ。この危機状態での「覚醒」と、スピリチュアルな教えで語られる<覚醒>はもちろん意味合いが異なる。しかし、源からのエネルギーも、そして同じくPTDS反応下でも、同じような「眠れなくなる」というような作用が起こることを考えると何かしら共通点があるように思われる。

 僕の推測だけど、幼い頃からの経験などで、交感神経が慢性的にエマージェンシーにあるとき、その源からのエネルギーの覚醒作用が神経系にとって負荷になりすぎる(恐ろしく感じる)ということなのだろうか。
 PTSD反応下の人はやはり生体エネルギーが変動するセックスや、カフェインなどの興奮物質も、リラクゼーションさえも回避するようになることから考えるとこの推測は的外れでもないような気がする。そのような状態の人は恐怖に取り囲まれていて、エネルギーや意識がシフトするどのような変化も受け入れられないのである。
 
 源のエネルギーによって、ハートが開いたり、特殊な意識状態になったりってことがあったことも確かだ。でもその状態でも基本的に僕の日常は張りつめていた。昨日バキバキだと思ったら、今日はコンビニで固すぎるフランクフルトのことで思いっきりクレームを付けてましたなんて頃もあった。

 思うに、よりスピリットや意識に近い領域で起こる体験は肉体に近いレベルにはなんの変化も起こさないってこともあるのかもしれない。スピリットのレベルでものすごく成熟してたり、目覚めてる存在が寝たきりになってたりということは十分にある。覚醒してる存在が、コンビニでクレームつけることがあるかは知らないけど(笑)

 源からのエネルギー、その恩寵によって、僕が変わってないと言えばきっと嘘になるし、かといってすべてが癒されうまくいくようになったと言っても嘘になる。

 もし自分の意識だけを救済しようとするなら、PTSDだって関係ないのだろうか。僕にはわからない。
 肉体がどれだけひどい病にかかっていても人の意識は覚醒する。
 でも例えば、戦争体験によってトラウマを負って自他への暴力に悩んでるようなひどいPTSDの人がいきなり覚醒できるかは謎だし、覚醒したらその神経系レベルの反応が治癒するのかも謎だ。


 僕の経験では、PTSD反応下では焦燥感は強いけど、本当の意味で人生を俯瞰的に見て前向きに思考するということはできない。
 今日を乗り切るのに精一杯で、なりゆきまかせか、刹那的になる。

 ただその状態は常にエマージェンシーなわけだから、生か死か、人生とは、宇宙とは何か、ということにも思考が向く。

 客観的には、こいつ特になにも起こってないのになにを深刻になってるんだと思われるかもしれないけど、神経系がそのような状態から緩まないんだから仕方ない。深刻になりたくてなってるわけじゃないのだ。

 思考のスイッチをオフにできない。
 止めたくても、そのような思考が止まらなくなる状態がある。
 幾晩も、夜中に目を覚まし考え疲れるまで考えてから、僕は眠った。
 死刑囚がいやでもそのような思考になるのと原理的には同じなのだ。

 「明日はいよいよ死刑だから、体調を整えるためゆっくり眠るように・・・!」なんて看守さんに言われても無理な話し。

 ある意味でそれは究極的なものに近い状態でもある。
 V・E・フランクルが「夜と霧」で書いてるように、世界大戦中のユダヤ人収容所のような極限状態において精神的な目覚めを体験するような人がいるからだ。その人たちがリラックスしていたとはとても思えない。
 交感神経系が限界値に近い状態で起こる解離反応も、言葉を変えれば「幽体離脱」になったりもする。
 このように考えればPTSD反応もあながち人間経験のひとつとして否定すべきものでもないかもしれない。
 
 確かなことは神様ごとだけではなく、自分の癒しにも積極的に関わるように僕は<設定>されてるようだ。今までこのブログでも癒し系の記事と、求道系の記事をどちらも書いてきた。

 僕の生き辛さの理由についてもすべては<必然>、<設定>、<カルマ>、<マーヤ>あるいは<みこころ>だと思うけど、その成分の正体が近年少しづつクリアになってきたようだ。HSPだとか、PTSD反応だとか、そのマーヤの成分がよりはっきり見えてきた。

 「これはオレンジジュースだよ」とざっくりしか認識してなかったものが、その中に、果汁、とか甘味料、とか香料とか入ってるのがわかってくるように。そのそれぞれの成分や、その性質が見えてきた。

 基本的に<源>の恩寵に限界はなく、どんなことでも起こりうるし、僕のトラウマをあっという間にリセットすることだって出来るんだろうけど、なんだか僕はこういうことをしっかりプロセスを追って体験・あるいは勉強したほうがいいような設定みたいだ。

 これらすべてが意味があって起こっていて、いつかすべてがまとまることを僕は願ってるし、すべては源から流れきてることも信じていたいと思う。

 SEのセッション内容については、個人的すぎるため詳しく書くのは控えるけど、フォーカシングのような感情を体の中に位置的に特定し誘導によってそれらを見ていく方法と、これが肝だと思うけど自分の肉体を動かすことにより神経系のエネルギーを放出するようなテクニックがあったということだけ書いておく。ソマティックという言葉どおり精神性だけに偏らない、体感的な部分が多いことが気に入った。感情が、実際の肉体的な痛みなどと連動していて、体感と感情はわけられないということがよくわかる体験だった。


 ピーター・リヴァイン博士の著作は震災や事故あるいは生育歴で負った「複雑性トラウマ」で不安や、パニック発作などつらい状態を抱えてる人には是非一読を勧めたい↓
 絶対に重要な気付きがあると思います!

 
 waking the tiger

 「正直に言うと、私がこれまで立ち会った癒しの奇蹟の数々は、否定しがたいより高次の叡智と秩序の現れそのものなのです。宇宙の秩序をもたらす本質的な自然の叡智が存在すると言ったほうがいいかもしれません。それはどんな個人の歴史よりもはるかに強力なものです。有機体はこうした法則に従い、想像可能なもっともおぞましい体験の中さえも通り抜けて生きます。もし宇宙に神や叡智や虎がいなければ、こんなことがどうして起こりうるのでしょう。
 
 トラウマ反応を克服した人はしばしば、その後の自分の生活には動物的な面とスピリチュアルな側面の両方が存在すると話します。彼らはより自然になり、健全な自己主張や喜びを表現することへの抵抗が少なくなります。彼らは自分が動物であるという体験に共鳴しやすくなると同時に、自分がさらに人間らしくなったと感じます。トラウマが変容するとき、癒しが与えてくれる贈り物のひとつは、命に対する子供のような畏敬の念です
。」

 「Waking the Tiger -Healing Trauma」 BY Peter A Levine 1997


セラピー&ヒーリング | トラックバック(0) | 2014/04/17 22:21

情報断食実践篇③

 情報断食続き・・・長くなりすぎたのでふたつにわけました。

 ■ 神の情報場とそのコード


 あるスピリチュアルな教えやニューエイジサイエンスなどでは、神の情報場が真空中に充満していると考える。そのため、テレビ・ネット・本・DVDなどのメディアを介さずとも、実はそこからあらゆる必要な情報をダウンロードできる。

 あくまでも「原理的には」。

 でも全人類がそうなっちゃうと様々な種の情報を伝えるというミッションの人たちはたちまちお役ごめんになってしまうので、まあ一朝一夕でそんな風にはならないんでしょう。

 ただそのコツのようなものはきっとあるんだろうなと想像する。

 多くの直感的な学者や思想家は、内的思考や実験・研究の成果だけではなく、この真空の情報場とのコネクトにより重要な発見をしてきた。

 クリックはLSDの影響下でDNA塩基の構造を閃いたといわれている。
 またスティーブ・ジョブズもLSD体験により大きなインスピレーションを得ていたという。
 
 きっとクリック以前にもDNAというものをビジョンとして見たり体験したヨーギや神秘主義者はいたと思うけど、彼らはそれを化学的存在としてではなく、きっともっと生命的なもの、生きてるものとして体験したんじゃないだろうか。スピリットのあるもの、例えばらせん状に絡み合う二匹のドラゴンとして。

 LSDを含むサイケデリクス物質には確かに、非個人的な情報場と人の脳をコネクトする作用があると思うけど、ここでは
ドラッグ礼賛をするつもりはない。

 僕が思い出したのは、ベンゼン環状構造式を発見したアウグスト・ケクレは夢の中でしっぽをくわえた蛇、ウロボロスが見えたということだ。
 その円環的構造から、彼は構造式のひらめきを得たと言われる。

 ウロボロス↓

 
uroborosu.jpeg




 ベンゼン環↓



benzene.gif






 ウロボロスは、ある種秘教的なシンボルであり、きっと集合意識の中で力を持つアーキタイプのひとつだと思う。
 アーキタイプというのは時空を越えて、それ自身が命と意志をもつように様々な国や、地域、環境の人に夢や想像として語りかけてくる「形態・イメージ・記号」である。


 あまりにも自明すぎて、誰もがアーキタイプだと思わない存在もある。

 アニマ・永遠の女性ヒロイン・男性に学びを与えるもの

 ファウストのベアトリーチェであり、デミアンのエヴァ夫人であり、エヴァンゲリオンの綾波レイである存在は全人類が支配されている同じテンプレートの焼き直しなのだ。
 その存在により、ヒーローは、痛みや愛を知り、学び、また高められる。「永遠の女性が私たちを引き上げる」とファウストのラストで天使たちが合唱する、そのものだ。女性にとっては、永遠のキムタクとか永遠のブラピとか、永遠のマツジュンとか・・・それらはアニムスと言われる。

 アニマはイメージ的なアーキタイプだけど、ウロボロスは、尻尾をくわえた蛇というイメージであると同時に○という形状でも現せる記号的な、あるいは幾何学的なアーキタイプであるとも言える。

 △ とか + とか 卍 っていうのも記号的なアーキタイプだ。

 これらは、抽象度の低い単一の意味情報ではなく、より根源的な情報場から流れる情報もその中に含むことができるのではないだろうか。だからこそ、ウロボロスはベンゼン環そのものの象徴とはいえないにも関わらず、ケクレにとってはそこからインスピレーションを得ることができた。

 このような幾何学形態、あるいは原型的イメージ群というのは、おそらく多重的に情報を提供できる、コードなのだ。だからおそらく人はコツがわかれば、それらを通じて非個人的な情報領域から情報をダウンロードできるのではないだろうか。

 そして、この場は、僕らの無意識にすでに語りかけているのだ。


 


 ■ヘキサゴン、かく語りき





 インターネットをしながら飲酒するという楽しみのひとつが封印されたので、DVDや漫画を少しレンタルした。

 前から見てみたかった70年代の海外テレビシリーズ「スタートレック」のVOL1をレンタルして見た。

 「LOST」なんて複雑なドラマをすでに見てるあとでは、もの足りないなかなと思いきや、結構ラストまで退屈せずに見ることができたので、さすがSFのクラシックだなーと思った。

 ただ、あとから思い返すと、これちょっとできすぎてるな・・・と感じる部分が何点か。

 第一話は、地球に向かって知性を持った巨大な雲のようなものが接近してくるということから話が始まる。

 このなぞの雲の正体を暴くため、カーク船長率いる宇宙船エンタープライズ号の隊員たちがその雲へと調査に向う。

 天文学的単位の大きさの「雲」というだけで何かワクワクするものを感じるが、このワクワク感は雲の正体がヴィジャーという知生体であり、さらにその正体が・・・あっと驚くものであるとわかるまで持続する。 

 ヴィジャーの正体・・・それはここでは書かないけど、ええ~そう来ますか・・・という結構ぶっ飛んだ発想。

 それはともかく僕が気になったのはヴィジャーという存在が一種の人工知能で、ロジックによって動いてるにも関わらず非常に女性的に描かれてることだ。ヴィジャーは自らが作り上げた一種の機械の小宇宙のような世界にいる。その機械宇宙へのエントランスはまるで女性性器のような形をしている。
 ヴィジャーはプラズマを通して、エンタープライズの女性乗組員をその内部にデータとして取り込み、アンドロイドに作り直してエンタープライズに送り込んでくる。ヴィジャーの目的は、自分の創造主を見つけ出し、その存在と合体することだった。このヴィジャーの意志を代弁するのがもと乗組員の女性であるということも、ヴィジャーが女っぽく見える理由だ。

 ヴィジャー本体への空間の入り口は巨大な六角形になっている。
 それは六角形の真ん中に円があるベンゼン環の略式と少し似ている。
 
 僕はそのシーンを見て、「わざと??」それとも「偶然??」と問いかけないではいられなかった。

 ちょっとマニアックな話しになるけど(もともとそういうブログですが)、以前I先生から絶対者の女性側面である「マザー」のビジョンの話しを聴いた。

 それは、母なる神が六角形の透明な板に乗り、地球に降りてくるというビジョンだったという。

 この六角形という形は、マザーそのもので、すべての生命にはこの六角形が潜んでいるのではないかとI先生は言っていた。

 これはI先生だけの説ではなく、宇宙のプログラムの基本形と言われるフラワーオブライフの中にも六角形が存在する。
 
life.jpg


life2.jpg


 ただ、六角形自体を、女性性や、マザー(母なる神)とはっきり結びつけた話しは僕はI先生からしか聴いたことはない。(もしかしたらあるのかもしれないけど)


 まとめると、●ヴィジャーは小宇宙の管理者である
       ●その小宇宙へのエントランスは女性器の形をしている。
       ●ヴィジャー本体部分は、六角形をしている
       ●それは創造者を探して地球にやってきた       


 以上なんだけど、これらの情報コードを次々とぶつけられると、僕の無意識は「マザー」のことを連想せずにはいられない。あとエンタープライズ号の操縦室にも六角形かヘキサゴンの装置があったような気がする。なんで??

 ひとつの可能性としてはスタートレックの製作者たちが何か神聖幾何学的なものに通じていて、このような六角形・女性性というコードをなんらかの理由で散りばめたということ。

 ふたつめは、元型的な力が、製作者の無意識を通じて、ひとりでにほとばしり出たということだ。

 それだったらすごい。

 だって元型はそれ自身を主張する、っていうことだから。

 それがどちらにしろ、こんな風に暗に潜んだ元型は見てる人の無意識をかなりヴァイブレートする。

 神聖幾何学などの知識がなくても、人間であれば、そこに暗に含まれている意味性に無意識が気づくからだ。
 表面的な意味性と、顕在意識では把握していない無意識レベルでの別の意味性の把握、それは複数のレベルで意識を振動させるので感動や深い印象を生む。

 例えば月と、魚を組み合わせた絵があるとする。

 そこにはそのふたつを結びつける「水」っていうファクターがある。

 でもこの水をあえて描かないことによって、感動が生まれる。

 僕らの意識は「魚」と「月」と「水」が含まれる集合意識の元型カテゴリーを知ってるからだ。


 その意味がはっきりわからないほどいいって言う場合もある。なんだかわからないけど、そのかたちとか、そのイメージには惹かれるっていう。サブリミナルテクニックに近いものがあるかもしれない。

 いまだに使われてるかどうかは知らないけど、あくどいやり方のCMでは、性的なイメージや暴力性を商品にしのびこませる。はっきりとはわからないが、全体のパターンのどこかに性行為や異性を連想させるものを忍び込ませるのである。そうすると、顕在意識ではわからなくても、無意識レベルで興奮が起こり、印象に残るのだ。この場合、露骨ではない・隠されている、ということが重要になる。
 その興奮の原因を意識が感知すると、興ざめするからだ。

 それがフロイト的な無意識領域へのメッセージだとすると、スタートレックのヴィジャーのような場合はユング的な無意識領域、元型世界へのメッセージになっている。
 元型的イメージ群は、形態・数・意味性・イメージより成り立つ広大な情報場、宇宙と人間意識の本源的プログラムなのである。

 タロットなどの元型的情報検索装置は、人間の織り成すドラマは時と場所が違えども、これら元型的情報の組み合わせで成り立っているってことを前提としているんだと思う。


 長くなったけど、

 こんな風に情報って、きっと無意識レベルでもかなり送受信されてると思うのだ。

 抽象度の低い物語は意識の単一部位しか振動させていない。

 複数のレベルで意識を振動させるような情報を取ったほうが、意識はよりインスパイアーされるのではないだろうか。

 実は遺跡や建築、神話なども、古代から残る人類の遺産と呼ばれる文化はすべてにおいてこのような多次元的、マルチレベルでの感動を発生させてるのだと思う。




未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/04/11 21:29

情報断食実践篇②


 情報断食の続き・・・テーマがばらけて長くなったのでふたつにわけました。


 ■ ニュースエフェクト


 これは実践する前からなんとなく感じていたことだけど、情報の中でもメディアを介したニュース的情報というものが、結構意識をブレさせる要素が強いということだった。それは、どういう種類のニュースであるかは関係ない。とにかくニュース的なもの。
 事件、事故、政治、経済、国際情勢、はては天気予報にまでいたるまで僕にとっては同じような性質を持っている。
 その特徴のひとつは、あたかも「あんさんががなにしてようが無関係に、世界ではこんなことが起こってまっせ~。これはしっとかへんとあきまへんで~~!えらいことなりまっせー」(大阪弁に偏見はありませんが)というように一方的に誰かさんがその重要度を選択したニュースをこちらに押し付けてくるということだ。
 
 確かにテレビなんか見てて、「緊急ニュース速報です」とか「たった今入ったばかりのニュースです」とかいわれると、「お?なんだなんだ~?」と心理的に前のめりになってしまう部分はある。
 しかし、本当に知っておかなければならない情報がどれくらいあるのか、かなり疑問である。そのほとんどは、知っていても知らなくてもほとんど実際の生活に影響しないと僕には思える。加えて、時には故意に誤った情報を流したり、ミスリーディングしようという操作さえないとはいえないからそうなるともう不正確な情報を現実と思うよりは、「見ないほうがまし」ということになる。

 本質的にすべてのニュースには、それと相対している自分の人生や、直接的リアリティを弱い立場に置き意識を眠らせるような作用を伴ってる気がしてならない。

 ST●P細胞の発見者がうそをついてるかどうかんて、全国民が考える必要がないことだ。
 当事者や医学の発展にとっては重要かもしれないけど、何も、今この瞬間、全員がこのテーマを考えなくてもいいでしょう。
 ところがニュースという場は、そういった個々のイベントは誰もが、それについて一家言持ってないと、時流に乗り遅れてるような雰囲気を醸し出す。全員で、これについて「さあ一緒に考えよう!」ゲームをさせられるのだ。そのへんの雰囲気が僕にとっては結構不気味だ。インタビューでマイクを向けられるとみんな結構良識的なことを答えている。ああーこういう感じになんなきゃ駄目なのねと思わされそうになるけど、ただ「興味ないです」「どうでもいいです」と答えた人たちは放送してもらえないというだけなのだろう。だが、興味ないです派を無視すると、まるで世界中があたかもその情報で大騒ぎしてるような印象を与える。これがニュース的リアリティのウソなのだ。無風地帯にいる人たちを無視していること。
 ニュースは、いつの世でもリアリティではなく、ニュース的リアリティを放送する。

 
 これは、メジャーソースのニュースだけではなく「ネットだけの情報」というやつも同じだ。メジャーソースでは流されない、こんな驚くべきことが世界では起こってる!系の情報もそれは同じで、今・ここ・自分を置き去りにしてしまうような作用を持っている。
 ということでアセンション系、アースチェンジ系の情報ももちろんカットし、なるべく世界は「ここ」だけという感覚を強めることにした。

 ニュース系だけは、結構意識的に全部ハジく。電車のドアの上のニュースをぼーっと見たりもしない。

 情報断食も半ばを過ぎた頃、仕事で外出中、たまたま薬局に置かれたテレビから「チリでM8,2の地震発生 日本にも津波の可能性」とかいうニュースが流れててげげっと思った。なんだか、こういう情報断食中に限り、引きが強いニュースが起こってたりしやすい。通常なら僕の中のアースチェンジ小僧が騒ぎ出すところだが、一緒にいる人に「うわーM8ってでかいですねー」というだけに留め、その後の情報も追跡しないことにした。 

 夜から雨が降り始めたが、天気予報も見てなかったので、傘も持ってきてなかった。
 うーん、どうすれば天気予報はみないけど、雨に濡れることを防ぐことができるのか。
 約0.001秒ほどですばらしい答えが閃いた。そうだ!折り畳み傘をリュックに入れておけばいいのだ!(笑) 
 雨が降ること前提で準備しておけばいい。
 天気予報で傘を持ってくかどうか決めなければいい。
 また夏に近づくとゲリラみたいな雨も降るだろうから、雨合羽も入れておけば完璧だ。

 明日寒いか暑いかは、明日の朝に自分の肌で感じればいい。
 
 地震もこれと同じで来ること前提で準備をしておけばいいんだろうと思う。
 予想とか、予言とかなんとかがあるから無駄に振り回される。
 正直、いよいよ来るぞ、来るぞー祭りには疲れてきた。
 地震もほかの天災も、来てからが勝負、来るまではなるべく考えないようにしよう。
 でも来ること前提で準備はしよう。
 いつ降るかわからないけど、必ず降る雨と同じように。

 そんな風に思った。

 うちに帰って漫画読みながら、ビール飲んだ。 


 ■3・11のない世界


 ふと思いついたことだけど、3・11が起こったことを知らないという人も日本には計算上数パーセントは必ずいる。

 幼すぎて理解できない赤ん坊や子供、知的障害や精神障害の人、同じように理解力を失ったお年寄り、山の中にこもっていたり、テレビもパソコンも家にはないし、人付き合いもないという極端な生活スタイルの人などである。数パーセントと言えども数百万人である。百万人は確実にいる。(日本の新生児人口約100万人、0歳~5歳までの合計が600万人。これに障害者お年寄り、極端な人などを加えると一千万人近くなるかも。10人にひとりのレベルだ)その人たちの意識内では3・11は存在しないのだ。
 僕らがこれだけ頭を悩ませ、悲しみ、政府や電力会社のシステムに怒り、怯えてもいた出来事が百万人の人々にとっては存在していない。
 僕らのリアリティは一般的な知性と常識を持つ、成人を対象としたものでしかない。

 3・11の日、ボロアパートの倒壊を危ぶみ、公園に避難した僕の目にはグランドで元気に遊ぶ子供たちの姿が見えた。
 彼らの目にはこの出来事の巨大さが映っていない。
 何かそのことにある種の救いのようなものを感じてる自分がいた。
 きっとたくさんの人たちが、それを知らない存在の、明るさに助けられただろうと思う。
 
 震災の直後宮城の方から、地震直後は停電などでテレビも何も見られなかったけど、情報が入っていろいろなことがわかるようにったときよりも心が落ち着いていたとコメントをもらったことがあった。

 3・11の災害史上例を見ない悲惨さは多く報道され知らされるけど、3・11を知らない存在がその期間どのような平和を生きていたかはもちろん知らされない。情報の無風地帯にいる人たちはその間どんな現実を生きてきたかを。でもそのパラレルリアリティをちょっと想像して、体験してみたい。そこにはどんな風が吹き、どんな考えが踊っていたのだろう。

 僕はもしかすると、体験してきたことと、単に情報として知ってることをもっとはっきり区別したほうがいいのかもしれない。

 3・11も知らない
 中国も北朝鮮も
 靖国参拝も
 冷戦も知らない
 原爆の投下や
 奴隷制度も知らない
 
 そんな存在の瞳が醜いとは僕はどうしても思えない。
 それは僕らがあこがれる瞳で、愛と共に、神とともにある瞳だと思えてならない。
 「知らない瞳」は安らぎを知ってる瞳だ。
 何も知らないのに知性を感じるのはそのためだ。

 このことにより少なくとも、「知ってること」と「知らないこと」は等価であるとは言えるだろう。 

 ましてや「知らないこと」を罪としてはならない。これは「知るべきだ」とある認識構造、リアリティを人に強要することはできない。知らない存在のかわりに、知ってる僕たちが世界について考える必要があるとしても。

 知らない存在たちは、やがて成長し、悲劇を知るようになるとしても。

 知らない存在たちの愛は、様々な形で、むしろ知らないことによってこそ世界に貢献できるのかもしれないから。

 知らない存在たちがいたからこそ、人類全体の心の平和が保たれてるのかもしれないから。

 一定数の知らない存在たちがきっと僕らには必要なのだ。

 「知」と「無知」のバランスはもうとられている。

 一度知ったことを忘れるのは容易ではないが、少なくともそれらを幻影として退ける自由が僕にはある。

 少なくとも、この瞬間は。

 この瞬間に平和を感じなければ、平和は永遠に訪れない




知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/04/11 21:27

情報断食実践篇①


 以前から外部からの情報入力を断つ、情報断食のことは何度か書いてるけど、食を断つ断食と情報断食は共通点が結構多い。本来、ネイティブアメリカンのビジョンクエストなどではこのふたつが同時に行われる。
 「食べたい」という衝動と同じように「知りたい」という衝動も人間にとって本質的なもので、生存本能や、もう少し高度なエイブラハム・マズロー的な自己実現欲求と結びついている。社会生活の中では適応の為に欠かせないものとなっている。

 問題は、今の世代に生きる人間は、「食べたい」という衝動と同様に「知りたい」という衝動も過剰に暴走してしまいがちだということだ。飽く事なき知識欲というと、いいものにも思えるが、情報の質を問わず、その取り入れ経路を問わず、取り入れる動機を問わず、闇雲に情報をいれ続けていると、食と同じように情報の消化不良に陥る。

 それは結構心身によくない状態なんだけど、食べ過ぎほどには問題にされないのは、きっと「情報」は物質的なものではないからだろう。形なきものなのでその影響力が過小評価されているのだ。

 でも本当はダイエット以上に、不要な情報をそぎ落とすということは大事なことだと思う。

 一般に小食や断食を行うと、体内環境がシフトしてエネルギーの消化吸収、心身の活動のためにどのような物質を使うかというメカニズムがシフトすると言われる。

 有名な例で言うと、脳の働きにはブドウ糖が必要だと言われている。だから食事でそれを取り入れないと脳のパフォーマンスが低下してしまう。そのため朝食は勉強や仕事に必須だという考えが生まれているのだ。

 しかしある研究によると、脳にブドウ糖が供給されない場合、ケトン体という物質が代わりに使用されるという。そしてケトン体をメインにして機能した場合、脳はアルファ波を増やし脳下垂体からは脳内麻薬の一種であるベータエンドルフィンを放出する。※ つまりケトン体を燃料にしたほうが心の幸福度は高まるかもしれない。

 ※甲田光雄著 「奇跡が起こる半日断食」より

 この例で推測できるように、人間の心身は一種類の栄養素だけで同じように機能してるのではなく、それらが摂取できない時は別の物質を使うことができるのだと思う。そしてこのシフトは、通常のブドウ糖が補給できないという状態において起こるのだ。
 外見は同じような人間に見えても体内のエネルギー循環の仕組みは人によってかなり大きく差があるんだと思う。

 現に青汁いっぱいで生きていたり、光だけで生きているという人もこの世界には存在する。それらの人は何をエネルギーとしているかということにそれぞれ違いがあるのだ。

 僕は今朝食なしで、コーヒーを飲みながら朝からこの文章を書いてるけど、特に支障なく書けてるのでブドウ糖が足りないという感じはしない。朝食があまり必要ないことは誰でもすぐに実感できる。 

 情報断食も断食と少し似ていて、外からのインプットを一時的に遮断することによって、情報処理のメカニズムが逆転するのだ。栄養源が、ブドウ糖からケトン体にシフトするように、供給を絶たれた外側からの情報に変わって、自分の思考や内的知恵、五感、第六感、宇宙からダウンロードされる情報がメインとなっていくのだと思う。

 肉体も、そして精身体・脳も、外側からのとり入れを断つことによって自家発電的な回路や宇宙・別次元からの回路が開かれるのだ。


 ■情報断食の種類

 断食にはまず水だけしか飲まない本断食にはじまり、野菜ジュースだけのもの、澄まし汁だけのもの、そばがきだけ食べるもの、フルーツだけ食べるものなどいろいろある。僕には、断食と普通食があるのではなく多くのグラデーションがある食のスペクトルが存在するのだと思っている。

 たとえばジャンクフードしか食べない人だっているだろうし、週に3度は焼き肉を食べにいくっていう牛大好き人間だっているだろうし、マクロビやローフードを実践してるひととか、特に意識はしてないけど自然に野菜しか食べない人とか、ほんとに無数のパターンがある。食事の回数だって一食、二食、三食、四食、五食・・・・といろいろあるだろう。

 同じように情報の食べ方にもいろいろなパターンがある。

 究極的には、どれが正しくて、どれが間違いってこともないだろうけど、ここでは断食の種類を情報断食のアナロジーに使いたいので、便宜的にジャンクフードや肉食はあまりよろしくないものとして書いてしまいます。

 まずジャンクフードのみの食事や、肉や甘いもの、スナック菓子を中心の過食に該当する情報食は

 暴力的なもの、猟期的なもの、ホラー、心霊、不調和、犯罪事件事故、あまりにエログロなもの、情報の質に関わらず、取り入れすぎの状態 ニュース性高いもの ゴシップ(人の醜聞)

 などで、なんというかそれらのアドレナリン的興奮に脳が中毒してる状態です。まあ、普通に考えてもこういう系統ばかり家族がみてるとちょっと心配にはなりますよね。ただ、こういうものにもたまにはインスピレーションがかきたてられるものもあるので一概に悪とは言えません。常識以下のものは、希に超常識へのジャンプ台になるからです。


 次に一日三食、肉魚野菜を食する普通食に該当するのは

 テレビ・ネット・新聞・週刊誌などもよく読み、話題の映画もドラマもチェックし、時にはちょっと深いテーマの本や文学作品も読んでみるという状態かもしれません。バイオレンス、ホラー、エログロはあんまりみません。これは一見バランスいいです。社会的常識と衝突するってこともないですが、知らないうちにその常識の毒にやられてるということもままあるスタイルです。食事は一日三食と洗脳されるようなケースですね。


 次に、菜食やマクロビに該当するパターン

 このパターンの人はマクロビや菜食の人が口に入れるものに意識的になってるのと同様、情報を入れるという行為自体に意識的になってます。
 無闇やたらに入れることの危なさを知ってるからです。 そのため自然と一方的に情報を流し込まれるテレビやネットからは距離ができ、使うにしても情報に洗脳されたり、依存しないように取捨選択を慎重に行います。それ以外では、ニュース性の低いもの、無時間的で精神性の高いもの、そこにこめられたアウェアネスが深いものを好んで食べます。ただ、少数派になってくるので一日三食や、肉食、ジャンクフードを毛嫌いしたりバカにしたりという傾向性も芽生えがちです(笑)


 次にいよいよ体をすっきりさせるために行う食事制限に対応するスタイルに入ります。おもゆや野菜ジュース断食などに該当する情報摂取パターンは

 ここでは、テレビ、ネット、本、DVDなどはすべてカットします。ノーメディアスタイルの実践です。必然的にニュース情報は落とされます。天気予報もみず、温度や湿度、空の様子をしっかり感じ、感覚で天気を予想してみましょう。月や太陽の動き、鳥や昆虫の動きに注意を払い、観察してみます。肉体感覚や感情のエネルギーに注意を向けます。取り入れる情報はおもに自分自身の五感と第六感、アウェアネスだけを用いたもの。人との会話による情報、いい音楽、知覚情報、直感情報、内的思考に限ります。退屈なときは自然の色やにおいを感じたり、散歩します。追憶にふけるのもありです。混乱してるときに2、3日やるとすっきりします。

 続いて水だけの本断食に該当するものは、

 これは基本情報野菜ジュース断食とおなじですが、他者エフェクトを限りなくゼロにします。一番親しい相手でもこの期間はコミュニケーションしません。通信機器はすべて電源を切り、しまっちゃいます。
 情報源は、自分自身の五感、六感(直感情報)、内的思考のみです。情報があふれる街中には行きません。買い物などはその期間分、事前にすませておきます。自然の中への散歩も適度にしてあくまでも自分自身と、あるいは大いなるものと向かい合うことを中心にします。できれば時計もしまい、外側から行動を規定しないようにします。これは相当煮詰まるかもしれませんが、その煮詰まり感自体をしっかりみつめて体験します。退屈感を楽しみます。すると退屈感とはある種エネルギーの充実感でもあることがわかります。日常的な思考が静まり、宇宙的な思考や、人生全体に関するアウェアネス、目的意識が現れます。食事も軽くするとより意識はクリアになります。


 最後に水すら飲まない完全断食に対応するもの。これは普通する必要がないもので、ヨガ行者や意識の探求家や物好きな人が実験する領域です。

 ここではノーメディア、他者エフェクトをカットするのは当然ですが、真っ暗な部屋や洞窟にこもるなどして五感による知覚情報すらカットしようとします。普通は一日でもキツいでしょう。一時間しかやったことありません(笑)
 無音、無視覚の空間にあるのは、触覚、嗅覚などの原始的感覚と、内的思考、第六感、直感情報のみになります。普通の人が長期間行うと、非現実的な思考や幻覚におそわれたり、五感が希薄になるためその補償作用として心霊的な領域に敏感になったりしてしまう危険性があるようです。
 ただすべてに偏在するものに目覚めた覚者は、このような情報入力が極度に少ない環境にほおりこまれても、堪え忍ぶことができると言われます。神という情報場は知覚情報が消えても決してなくならないから、確かにそうかもしれません。

 僕の感覚では視覚は、空間性だけでなく時間性とも結びついているため、アイマスクなどで短時間視覚情報をカットするだけでも微妙に意識が変わりリラックスできると思います。時間意識がゆるくなります。 

 以上が情報摂取形態のだいたいのパターンだと思います。僕は基本は菜食・マクロビパターンで、たまにおもゆ・野菜ジュース断食、一度だけ情報本断食を経験してみました。


 本断食は環境の設定が難しいので仕事が忙しかったり、家族がいるとなかなかできないですが、野菜ジュースならやりたいだけ一生でもできます。
 今回は、テレビ・ネットはなしで、メディアは本とDVDだけOKとして約10日ほど行ってみました。
 マクロビと野菜ジュース断食の中間型っす。



知覚、リアリティetc | コメント(2) | トラックバック(0) | 2014/04/07 23:05
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