Vermillion  石川智晶



 vermillion 僕らは生きることにしがみついたけれど
  vermillion  それを格好悪いとは思わない



 「ぼくらの」というアニメのエンディングテーマ
 


 

 こちらはOP。歌詞がすごくイイ このセンスは結構ツボ

 


 



 
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好きな歌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/10/25 23:38

WHITE ATLAS

                        

                           
                     WHITE ATLAS


 「メキシコ人が太平洋についてなんて言ったか知ってるかい?あの海には記憶がないってさ。僕はその記憶のない海のそばで人生を終えたいんだよ
                                   S・キング 「刑務所のリタ・ヘイワース」より



 すべての時空に名前はない
 いつも
 君だけの真っ白な地図を持て
 必要ならばどこでも好きなところに線を引けばいい
 君の引いたその線は
 大国と大国を隔て
 武装した兵士と艦隊により守られる
 国境線と全く同じだけの
 意味と無意味さを持つのだから

 世界中のすべての山に
 君の好きな名前をつければいい
 すべての生命に
 君がふさわしいと思う名を与えればいい
 
 かつてあの空に輝くものは
 ラーと呼ばれた
 そして今太陽と呼ばれる
 これからも無数の名で呼ばれるそれを

 君はなんと呼びたいだろうか?

 名もなき時空を生きる
 名もなき命よ
 君たちはすべて
 永遠の名もなき命より生まれて

 20世紀と名づけられた永遠の中で
 偽りの輝く地球儀の据えられた
 四角い机で学び
 それのぞれの愛を生きる道を選んだ

 そこには無数の国があった
 無数の主義主張と 
 哲学と宗教
 暦があった

 無数の国があり
 あらゆる場所に線が引かれていることに慣れた君は
 永遠と無限を忘れた

 だけどもすべては滅びていく

 すべての文明が過ぎ去った廃墟で
 君は今 たったひとりガレキに腰掛けて
 流れる銀河を見ている
 無数の国も暦も失われた世界で
 君は白き地図に涙を落とし
 失われた国々のために泣くだろうか?

 そしてすべては生まれてくる

 すべての文明が始まる前の海辺で
 貝を拾いながら
 昇る朝日を見つめているとき
 神が君に小さな嘘をついた
 
 「見よ この海と太陽を
 今日からすべてが始まる
 本日を紀元元年とせよ

 世界を巡り 地に満ちよ
 
 あらゆる河に 山脈に

 お前の名を刻め

 時を刻め 

 日を 月を

 朽ちぬ岩に刻むのだ

 お前に白紙の地図を与えよう
 
 さあ これを手に

 無限の時空を創造せよ」
 
 君は震える手で
 白き地図を受け取り
 情熱の赴くまま
 小船ににはった帆を広げ・・・
 そして
 再び
 記憶なき海に
 漕ぎ出すだろうか?


詩集2(火水の子供たち) | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/10/20 21:43

修道会日記 2014 Oct


  久しぶりの長めの修道会日記ですが、やや濃い目の内容のため期間限定記事となるやもしれません。
   
 ではお楽しみください。

  2011年から2013年までお休みしていた修道会。
  昨年再び参加できるようになってから、今回で3回目になる。
  2010年から2011年はほぼ毎月参加していたことを考えるとずいぶんペースは落ちた。
  今回は、約半年ぶりってことになったけど、ひさしぶりに強烈に何かが来てすごかったが、その分あとがやや大変だった気がする。I先生はお昼から個人セッション×5ですでに修道会が始まる夕方には5時間ほど喋り続け状態で、ほとんど休憩もなく修道会に突入・・・というわけでいつものこととはいえかなり最初から酩酊バキバキ状態。そしてそのまま3時間喋り続けた(笑)いつも思うが超人的なべしゃりパワーである。
 
 灰「空気感は変わりましたかね?前回のセッションのあと今年はすごいマーヤな年だと言う話で・・・」

 師「変わったよ!あのあと。M君が言ってた通り変わった。7月くらいに変わった。7月くらいに変な混沌としたのがなくなってきて、結構エネルギーがまっすぐ流れるようになり始めたよね。そう、良くなった。で、その後一回またあれ?ていう感じもあったけど、またちょっと戻ってきてる。でも・・・なんだろう・・・おかしいじゃん・・・この・・・天災系?噴火したりとかさ。祟られてるわな(笑)水責め、火責めじゃん。


灰: 「このままいい感じになるっていうあれですかね。7月より良くなったってことは」

師:「うーん、なってほしいけどねえ。どうなるかね。なんかやっぱりね、『おかしい』。おかしいのは変わらない。

 だから、2000年の頃にフォトンの影響かなんか知らないけどあれでスピリチュアルなエネルギーが高まったあの頃の時期からすると、低迷してきてるんだよね。でエネルギーが低迷して、もっとここから下がっていくのか、上がっていくのかっていう分かれ目みたいなところにいると思うんだけど、そりゃねこのまま上がっていって欲しいよね~

 富士山がぶわーって噴火したりとかさ、津波がぐわーって来たりだとかさ、日本沈没~みたいなそんなん最悪じゃ~ん、ねえ?それはマズイでしょうやっぱり~」

 I先生があまりにも笑顔で緊迫感なく話してるので、会場笑いに包まれ、「あのうれしそうなんですけど・・・・」と声も

 師:「そうなったらなったで俺の腕まくりのタイミングかな?とも思うけど、そうなったらそうなったでイヤなんだよ、俺は。どうなったってとにかくイヤやイヤやっていってるわけ(笑)どっちにしてもイヤなのよ。このままずっと生殺しみたいな状態が続くのもどうなんだって思うし、なんかそういうのがどかーんて来るのもいやじゃん?やっぱり。だからねーなんとも言えないよね。それくらいまで行かなければ人が目覚めないなら、それくらいまでいく可能性も当然あるし、そうならなくても人が気付くんならそうならなくてもすむかもしれないし、人が目覚めていくことと関連してると思うからね。特に今の時代はね・・・。だから、微妙。おかしい、おかしいって言ってたあの頃よりはいいけどね、全然」


 つながることとわかること




 参加者のSさんから「この前つながることとわかることは違うんだって話しされてたじゃないですか・・・」という振り

 I先生笑いながら、隣のIさんを見て「隣にいるじゃないですか~ガシガシにつながってるけどわかってないって言う人が。」と。

 師:「つながるっていうのは一種の前提なの。つながってないとわかるってことにはならないわけだ。で、つながり方にもいろいろあるわけ。俺達は3次元の世界に生きてるわけでしょ?でもここを越えたところに、4次元だったり5次元だったり、6次元とか7次元(7,8,9と続くが省略)とかあるわけじゃない結局。そのどの次元に自分がアクセスするか、例えば4次元や5次元でも宇宙人が住む次元があったり、パラレルワールドが存在する次元もあるかもしれないし、で、それぞれの能力者はだいたいどこかひとつとしかつながれないんだよ。」

 Sさん:「でも先生がつながってるのは大元ですよね・・・」

 師:「・・・そのはずだよ」

 Sさん:「で、そういう人たちはどこかの次元とつながってると」

 師:「そういうはずだよ。そこんところは僕達の理解の範疇を超えるんだよ。わかりえないこともある。ただ自分にとって与えられてるものは自分にとってはすべてだってことなんだね。だから自分にとって与えられてるものを自分はフォローするしかないわけ。でも自分にわからない世界があるんだってことはどっか片隅においておかないと、やばいことになっちゃうわけ。なんか、私はすべてを知ってるよ。。。みたいな、そういう人になっちゃったりとか

 で、そのつながるっていうのはどことつながるかというと、カルマだったりとか、神様の恩寵とかそれら「条件」によってつながるところは変わってくる。で、その中でつながることによってチャネリングする人がいたりとか未来の透視をする人がいたりだとか、タロットで人の未来を占ったりだとか、そういうことができるというのは起こるんだ。

 でも悟るっていうのは基本的に神かSATANの恩寵がないと悟らないわけよ。

 ということで悟りというのは絶対者によってもたらされるものだけど、悟りっていうのは、自分に対する結論なんだよね
 。
 ていうことは、悟りっていうものは、自分の疑問だったりとか自分の探求の終着点にあるべきもの。。。ということはこれはひっくり返して考えると、自分の探求ていうのがすべて努力し尽くされてもうそこに到達してもいいって時期が来ない限り悟りは起こらないってことになる、ていうことは自分の人生で起こることだったりとかが今・ここで完全にフィットしなきゃいけないわけ。

 これ以上の何かが起こるのではなくて、今までの人生歩んできた結果によってここに辿りついたっていう・・・行為の終着点でなければならないってことなんだよ。
 だからIさんはすごいがっしりつながってるけど、究極のところわかるって感じにはならないって言うわけ。それは理由としては、Iさんの使命、Iさんがなすべきこと、Iさんはバツゲームって言ってるけど・・・あはは(笑)
 そのなすべきことと、わかるってことが多分同時発生的にくると思うのね。あ、すべてこのために自分の過去があったんやなっていうその究極的な得心だよね。自分の人生の全肯定。
 Yなんて結局それできちゃったんだもんね?「私の人生にはもう何もございません」みたいな(笑)

 Yさん:「はい・・・」

 師:「結局、俺達って言うのは生き物なんだよ。いろんな哲学だとかでいろんな理屈を言おうがなにしようがね。結局、どこかの環境の中で我々は生きてるってことなんだよ。ていうことは、それぞれの人が必ず固有の体験をそこでしているってことなんだよね。

 例えば禅なんかで、経験はない、だったりとか人生は幻である、無明であるいうけども、その答えに到達した人って言うのは長い探求と師匠たちの恩寵をいくつも経験した結果そこに到達して、そこに到達した時点でその真理を悟る。

 確かに「人生において経験はない」という結論の次元は存在するわけだよ。

 そればかりか、何もないんだよ。

 何もないって言う次元が存在するんだよ。

 でもそこに到達するためには、経験がないと到達できないわけ。だから我々にとって必要なのは経験をすることなんだよ。人間ていうのは。

 ということは経験の積み重ねが、自分の使命だったり自分がここに存在する役割だったりとか、そのことを明らかな答えとして見出すまで悟りは起こらないってことなんだ。

 つながるっていうのは今日明日からつながれるの、つながろうと思えば。

 悟りは最後に来る。だから覚醒は始まり、悟りは終わり。覚醒は覚醒の始まり、悟りは覚醒の終わり・・・・なんだよ。


 神とSATAN、朝日とおしっこ
 


 Sさん:「だからわかってない人でもつながってたらそれなりの文章が書けるってことですか?」

 師:「そうそう、ただわかってない人はどういう難点があるかというとそれが神なのかSATANなのかという見分けがつかないってこと。わかってない人からすると、神々しい体験をすると、それを神だと思うわけだ。わかってる人からすると、神々しい体験をしたときに、必ずしも神かどうかはわからない・・・ってことをわかってるわけ。

 自分がアイドルが好きだとするじゃん?アイドルが好きで、そのアイドルを見ている時って言うのは神々しいだけなんだよ。でも実際に付き合うってどういうことかっていったら、その「うんこ」とも付き合うってことになるわけ(笑)あはははは。人間はうんこするんだからね、「うんこ」と付き合うことになる。」

 Oさん:「うんこと付き合うわけじゃないと・・・(笑)」

 <場内笑>

 師:「あははははは。だから、両方セットでしょって話なんだ。もしかしたらトイレは行ったときに大好きな彼女のうんこの流し忘れがあるかもしれないそれ見たときに・・(食事中のかたもいるかもしれないので省略w)

 あのさ、Yさんて北海道の人がいてさー
彼は北海道にいたとき牧場でバイトしてたの。で、牛って50リットルくらいの牛乳を出すんだって。でも、5,60リッターのうんこするんだって。だから朝、牛舎行くと・・・・すごいんだよ。

 で、彼はこんな話ししてたよ。彼の覚醒体験の話聴いたの。

 そんなかでクソまみれになって掃除やってるとき、すぐ側にいた牛がじゃーっておしっこしたんだって。

 で、そのおしっこした時に向こうに朝日が昇ってきて、おしっこがキラキラキラーって輝いたんだって。その瞬間に目覚めちゃったんだってさ。

 ね、牛のうんこと格闘してる人が牛の放尿見て覚醒したっていうね、面白いはなしだねーって。そんなもんだよな、なんて言ってたんだけどね(笑)

 結局我々は学校入ったってきれいなビンに入った牛乳が並ぶわけじゃん。それってキレイな一面しか見てないけど、その現場にいる人たちはうんこと戦ってるってことなんだよ。どうだいこの話は?

 だからこの世って言うのは美しいものと汚いものが混在してるってことなわけ。だからそれがふたつあわせてバランスが取られるってことが大事なことなんだ。

 だから神々しいものがわーって出てきて「おー神だ」っていうのはだまされてる可能性がある。

 それよりもその中でSATANの働きだったりが見えてくるっていうのが覚者なんだ。覚者はSATANを熟知してるってわけ。だからわかってる人は基本的に騙されないのはそこに理由がある。

 だからM君がずっと昔に、リトリートのときに、先生神様とつながってるそのときの体験はどうしてこんなにデモニッシュな感じがするんですか?って聴いたことあったじゃん。」

 2008年の春のリトリートのとき確かにぼくはそんな質問をした。今では、なつかしい
 記憶がよく飛びそうなI先生、よくそんな前のこと覚えてるなーと思いつつ

 灰:「あ・・はい」

 師:「で、そのとき、そんなもんだよって言ったじゃない?で今日はKがこんな話ししたわけ。私が神様って思って向ってる神様はSATANかもしれないって。で、そうだよって俺はいったわけ、お前の神はSATANだ!みたいな(笑)あっはっは。そういう意味じゃなくてね。

 もしSATANであったとしてもその背後には神がいるってことを理解しておけば、例えそれがSATANだっていいじゃないかって話しを今日はしてたわけ。言ったらねKもM君が感じたのと同じように感じてるわけよ。なんか、神とつながってわーいと思ってるんだけど、なんかデモニッシュな感じがするから(笑)これSATANなんじゃないかって思って俺に質問してきたっていう。

 で、俺も自分の覚醒の瞬間っていうのはSATANに包囲されてたからね、やっぱり。完全にSATANか神か、どっちのウェイトでもってこの秤がひっくりかえるかっていう感じだった。だから、悟りって思いっきりSATANチックなんだよ。なぜかっていうと悟りの瞬間って両方を相手取るわけだから。で、その中で結局、すべては神のコントロール下にあるだとかということになるわけだけど、で、その時にそこに居並ぶSATANをばーって見るわけだよ。悟りって言う舞台では、神から、天使からSATANまで全員集合なの。チャンチャチャチャンチャンチャンちゃんラー♪おーいすってやつ(笑い)全員集合だよ。

 占い師や予言者はSATANにぐるぐる巻きにされてることが多いけど、結局、SATANがそこにいようが何しようが、その人につたえるべきメッセージを選択してるのは神なんだよ、結局。だからどことつながってようがそこではその人がいうべきことは必ず言わさせられるわけ。」

 師「で、他に質問ない?・・・ないよな。聞いた俺がバかだった。だいたい俺がダラダラしゃべてるんだったね、ここの修道会では。M君に質問したのが始まりだった、俺がなんか質問しなきゃいけないってマーヤになっちゃったんだね

 って言ってもね、どうしよね?(笑)M君なんかない?質問」

 灰:「いやーないっすね、、、今は出てこない」

 もう頭が働くなって来ていた。


修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/10/15 19:41

大いなるものとつながる


  前々回は「自分とつながる」ことについて書いてみましたが、今回はもうひとつの重要事項「大いなるものとつながる」ことについて書いてみます。

 神、宇宙、愛や叡智、高次の自己

 なんと呼んでもいいのですが、古来より人は人の知の及ばない実在を直観的に感知して来ました。

 太陽や月、星のめぐり、生命系の複雑さと秩序、それらにはある種の「知性」が内在しているとしか思えなかったからです。自然科学が還元主義的な手法により、すべての生命現象を偶然や自然淘汰で説明しようと試みても、やはり自分に正直に人生や宇宙を見ればそこにはある秩序や知性が息づいていることに気付かざるを得ないと思います。

 僕が思うには、すべての存在はその「大いなるもの」のエネルギーにより生かされているので、ある意味ではすべての存在は「大いなるもの」とすでにひとつにつながっていることは確かです。

 でも、重要なことはそれが僕らにとっての「知」に、より確かな認識となり、リアリティとなるということなのです。 
 「大いなるもの」により生かされているということと、それを知っていることとの間にはやはり違いがあるのです。

 なぜなら「大いなるもの」と個々の認識を通じてつながることが、個々の心の救いや、エネルギー、愛、知恵を受け取るパイプラインを築くことになるからです。

 先週師匠の夜の集いに参加したとき、「つながることとわかること(覚醒することの違いはなんですか?」という質問が参加者の方からありましたが、師匠の答えでは、

つながることは大前提、でもものすごくつながっていても、わからないということはある。わかるかわからないかはその人の人生のミッションにも関係がある。つながることは今日明日にでもできるんだよ。つながることによって個々の資質に応じた能力が開花する」というものでした。

 「大いなるもの」につながる方法はたくさんあると思います。
 多くの人が行う神社や仏閣パワースポットへの訪問も、おそらく真摯な気持ちで行えば僕らとそれをつなぐでしょう。
 他にも他者に奉仕するということを、大いなるものへ奉仕する意識で行えば、それもやはり僕らとそれをつなぐでしょう。

 またことさらに神や宇宙という言葉を意識しなくても、「大いなるものの」性質である純粋な愛や正義、創造性などの意識で生きている人はおそらくこのつながりの中でエネルギーを送られています。

 でも基本的には「自分とつながる」と同じように、「意識する」から始まり、理解し、受け入れ、愛するというプロセスを辿ることになると思うのです。その過程のどこかで、あちら側のエネルギーとつながる感覚が自ずから体得されていきます。

 古来からの伝統的な道では、この「大いなるもの」とのつながりを最優先課題とし、自己や日常的、物質的豊かさを捨て去るという方向性が選ばれてきました。

 でも、現代人のスピリチュアリティは、多くの場合その方法とはフィットしません。
 おそらく大きな流れとして、精神性と物質性の統合、大いなるものと自我の共存、というテーマがあるのかもしれません。現代はヒマラヤの奥にこもる覚者がいると同時に、市井の覚者が大勢求められているのです。

 求めて覚者にはなれなくても、「つながってる人」には求めればなれると思います。

 人類のスピリチュアリティの推移を別の例で見てみると、かつては自己犠牲、自分を殺し、他を生かすという行為が美徳でした。現在でもやはりそれは人の胸を打つし、英雄的行為としてみなされます。

 しかし、それを「最高なこと」ではなく、集合的なスピリチュアリティは「他を生かし、自分も生かす」という方向へと推移しているのです。ということは自分を殺し、他を生かすという方向性がこれ以上、必要以上に美化されることは、全体の成長にとって好ましくないからかもしれません。

 なのでこれと同じように多くの人にとって最初から「自分のことなんでどうでもいい、この世界には苦しんでる人がたくさんいる、自分なんか捨てて頑張ろう」という方向性はバランスのとれた道にはならないでしょう。そのように決断しても、何か満たされない心の埋め合わせとなっている可能性が大きいからです。

 だから「自分とつながること」「大いなるものとつながること」このふたつをバランスの取れた形で行っていくことが現代にフィットしたあり方だと思います。

 もちろんその割合は人によって5:5でも、3:7でも、9:1でもかまわないのですが、個人的には「大いなるもの」のためのスペースを心のどこかに少しでも持っていることをオススメしたいです。

 覚醒した存在は大いなるもの10という意識で存在しており、それは大いなるものの他には何もない(あるいはそのほかはイリュージョン)という認識であり、それに基づいた生き方です。

 そこに至っていない僕らがまずそれとつながるためにはまず「意識する」 ことばでもイメージでも

 自分の知性やリアリティを遥かに超えた巨大な存在、秩序を思うことから始まります。

 ポイントはそれが僕らから遠くはなれたものではなく、僕らの人生や生命自体がそれに組み込まれているということでしょう。そしてこの巨大な秩序、生命の織物、宇宙の計画のなかで僕らは人生の役割や存在の意味を与えられていますが、はっきりとはそれを知ってはいないことがほとんどです。

 そのことにより、大いなるものに委ねる、という方向性が生まれます。

 もしも仮に人生が自我の色付けしたあらゆる視点から見て、行き詰っているように見えても、それは本当の行き詰まりではなくある宇宙的プロセスの一部であることは確かです。

 なので自分の「見方」を手放して、その宇宙的プロセスに意識をあわせたときに始めて現れてくる現実があるのです。
 それが神と共に生きる(つながって生きる)というリアリティです。

 僕は決して「大いなるもの」への真摯な探求者とは言えないと思います。
 
 気がついたら「大いなるものに」 バーカバーカと言ってたりします(ごめんなさい)

 それでも学んだことは多くあり、その中でも大事なことのひとつは、不幸や苦しみは外的な状況により起こるというよりも根本的にはその人間の認識に「大いなるもの」がないことにより起こるということです。

 その人の認識に神が出現した途端、状況に関わりなく人は救われるのです。

 そして完全にそのエネルギーと一体化していれば、ホームレス状態でもきっと笑いが止まらないであろうことは確信しています。

 そのような状態への一歩は、「大いなるもの」を思うことから始まります。
 それは小さな一歩だけど、それ以降の歩みと祝福をすべて含んだ一歩です。

 苦しいとき、それに意識を向けて、この出来事の意味は何か、どこへ私を導かれるのですか?と問いかけます。

 答えはあるかもしれないし、ないかもしれない。

 でもきっとそのことによりあなたの心には神と言うスペースが出現するでしょう。

 祈りの意味は、答えが返ってきたり、願いがかなうこと以前に、祈れるということ、それを意識できるということ、その福音にあるからです。



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セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/10/12 10:23

10/11のツイートまとめ

haitakadori

僕らを見つめるまなざし http://t.co/2HZGAor0a3 ブログ「卵の中のKIMI」更新
10-11 00:23

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/10/12 00:00

僕らを見つめるまなざし

               「あなたが求めているのは あなたを見ているものである」BY・・・・誰だっけ?



 僕らはいつも他者からの注意と関心、そして承認を求めています。

 と、同時に十分なそれらが自分には与えられていないと思ったり、自分はそれらに値しない、ということを恐れていたりもするのではないでしょうか。

 誰しもが成長する過程で、多くの人が嫌われたり、仲間はずれにされたり、影でののしられたり、社会全体から裁かれるのを目にします。
 そして自分はそんな事にはなりたくない。でもひとつ間違うと、自分も見捨てられ、相手にされなくなるだろうという恐れをも刷り込まれました。
 
 そして時には、大勢の中でスケープゴートを見つけ、陰口や批判をしているときに、「うん、自分は確かに【こちら側】にいる大丈夫だ」という安心感を感じたりするかもしれません。

 と、同時に心のどこかではその安心感が砂上の楼閣のようなものであることも知っています。

 敵や異端者、悪いやつ、ムカつくやつ、ダメなやつを設定して連帯感や安心感、承認感を得ることは結局はそれが無条件の連帯感や承認感でないために、潜在的にはよりいっそう愛されないという恐れをも強化するのです。

 それはこちら側(OKな側、愛される側)とあちら側(NGな側、愛されない側)を設定してしまったがために、生まれる居心地の悪さです。

 誰からも興味と関心を払われなくなることを僕らは恐れます。
 
 そのためにその恐れが大きければ大きいほどに、よりいっそうスケープゴートを探してこちらとあちらを設定したり、他者からどうにかして興味と関心を勝ち得ようとするコントロールドラマに巻き込まれていくのです。

 それほどまでに愛を求める衝動は強烈で、それが満たされないときの恐れも大きいといえるでしょう。

 確か中島みゆきの歌の歌詞に「愛の重さを疑いながら 愛にすべてをさらわれてゆく」というのがありますが(土用波)、これは「愛なんてない」を思って生きても、結局は愛されない恐れに基づいた現実を生きてしまうという、愛に表側からも裏側からも支配されている人のあり方を歌っているのだと僕は解釈していました。(よく考えたら作詞者の意図とは違うかもですが)
 
 結局は問題は愛は人からのみ、それも他者からのみ生じるという集合的な思い込みにあるようにも思えます。

 もしそうならば愛は限られており、結局はカップルや友人関係からあぶれるものが出て、人間関係は限りある愛という「資源」を勝ち得るための過酷な競争になるのです。

 多くの人が両親とのトラウマを生涯抱え続けるのは、子供にとっての絶対者である親の言動はその次元を超えた愛をもってしなければ修復が難しいからだと思います。子供にとってのメンタルなセーフティネットは、社会全体が、君は両親から愛されている、と同時に愛からも愛されている、という認識をもつことではなないかと思うのです。

 その愛は人から発すると同時に、空気中に常に遍満しているようなものです。
 あたかも空気中に、僕らへの関心と興味と、そして愛情が常に充満し、それを僕らが気付かないだけとしたらどうでしょうか?

 もし僕らが、それに気付くことができれば、恐れなく生き、注意と関心を惹くために人をコントロールする必要もないことに気付けるのでしょう。

 僕らはどうしても、愛を言葉や、贈り物や、優しげな行いや、肌のふれあいとして考えます。

 ということは、もしも日常に優しい言葉をかけてくれたり、プレゼントをくれる人がいなかったり、肩に手を置いたり、頭をなでたり、キスをしてくれる人がいなければ・・・そこには愛はないということになってしまいます。

 そして、愛がもらえない私は、価値がないという認識にまで時には至ります。

 でも本当にそうなのでしょうか?

 先日講演会に参加させてもらった、臨死体験後に末期の癌が全快したアニタ・ムアジャーニさん。
 アニータさんは、臨死体験中無条件の愛しか存在しない次元にいた話しを聞かせてくれました。
 その愛が、病を治療させた原因であるとアニータさんは考えているようです。

 直観医療者のクリステル・ナニさんも人は死後無条件の愛の空間に赴くということを著書の中で語っています。

 近年(2012年)全米を中心に注目された脳神経医エベン・アレグザンダー氏の著書「プルーフ・オブ・ヘブン」にもやはり無条件の愛の次元、創造主の次元のことが描かれていますが、この人も大腸菌性の髄膜炎というかなり珍しい病気から危篤状態に陥り、臨死体験を経て奇蹟的な回復を遂げた方のようです。

 その次元では僕らは何をしていても、していなくても、無条件に愛されて存在し、また僕ら自身がその愛のネットワークの一部となりその中で、すべてを愛しているようなのです。

 おそらくは愛は宇宙自体の根源的な構成要素であり、人間の中に気まぐれに現れたり消えたりする、一感情などではないのです。 

 いつの日か愛が、光や重力や原子のように宇宙的な力であることが広く認識される日が来るかもしれません。

 それまでは、愛はヴェールの向こう側でその正体を隠しながら、僕らを操り続けるでしょう。
 
 もしそんな時代が来るまでにまだ時があるとすれば、あたかもすべてが自分を愛しているかのように、空気中に愛が満ちてるかのように日々想像力をもって生きてみるのはどうでしょうか。

 無条件の愛が誰にとってもリアルな時代にいる、というシミュレーション、ごっこ遊びです。

 大きな存在が、あるいは天使が、僕らにいつも語りかけている。

 例えばこんな風に

 「あなたがひとりで元気がないと感じるときに、私達と話していると考えてください。実際、私達はいつもあなたとひとつであり、あなたに話しかけているのです。

 私達に一定の形はありませんが、あなたが愛する形として想ってくださって結構です。
 エンジェルとして、妖精として、マスターとして、好きなアイドルとして・・・なんでもかまいません。
 あなたが愛を感じるということが重要だからです。

 そしてあなたには、絶えることのない注意と関心が注がれています。

 あなたが自分のことをどうでもいいと思ったり、絶望するときでも、あなたは私たちによって、いつも見つめられ、感じられているんです。あなたにはいつも関心を持たれる価値があります。

 なぜならあなた自身が、肉体と時空と自我を経験し愛を表現している私達の一員だからです。

 あなたがこの世界で為そうとしていることを私達はいつも応援しています




 それがリアルであるとき、想像力は、単なる空想ではありません。

 世界が丸いというリアルなイマジネーションがコロンブスの航海を助けたように、もしも神が、愛がリアルであるならばそのイマジネーションは実際に愛とつながる力があるはずです。

 この「ごっこ」を続けていると、時々これは単なる空想じゃないという喜びや安心感、エネルギーの高揚を感じるかもしれません。それは愛がリアルであるということの証なのではないかと思います。

 さて、この記事は、誰かが、あるいは何かが、いつどんな時もものすごく僕らに関心を持っているというのではないかというイマジネーションをもとに数日間書き進めてきましたが、さっきカフェで読み進んだエベン・アレグザンダー氏の「プルーフ・オブ・ヘブン」の中でこんな一節と出会いました。エベン氏は、臨死体験中に体験した創造主を、「オーム」と呼んでいます。ちょうど今日出会った、この記事の趣旨そのものでもあるこのセンテンスを引用し、終わりたいと思います。


 「確かに神は、科学が解明に努めながら明らかにしている、完璧な宇宙をあらわす数字の向こうに姿を潜めている。

 しかし逆説的ではあるが、オームにはそれと同時に豊かな情緒が備わり、その人間味はわれわれ以上であるとさえ言ってもよい。

 オームはわれわれの想像を絶するほどの深さと関心をもって、個々人の置かれている状況を熟知し、共感を寄せている。

 われわれが忘れてしまったものの喪失を承知していて、わずかな間でも神聖なつながりの記憶をなくした状態で生きることがいかに過酷であるかを、よく理解しているからなのだ。」 
                                       エベン・アレグザンダー


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 ヒーリングセッション再開しました 

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セラピー&ヒーリング | コメント(2) | トラックバック(0) | 2014/10/07 21:47

10/06のツイートまとめ

haitakadori

税金泥棒・気象庁-御嶽山噴火後に「噴火警戒レベル3」発表 http://t.co/6Hyj4g1HuI
10-06 22:14

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/10/07 00:00

10月スケジュール



 10月のヒーリング&カウンセリングスケジュールをアップします。

 カードなどによる現在の状況のリーディングと、ハンズオンヒーリングを行います。 

 アクセスは西武新宿線田無、JR武蔵境駅より

 料金は7000円となります。

 時間は朝10時からだいたい18時頃まで受け付けております。

 ご自宅や宿泊先への出張も可能です。

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 詳しくは ヒーリングセッション再開しました もご参照ください!

 心よりお待ちしております☆


141002_1414~01





セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/10/02 13:52
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