火蜥蜴かく語りき


  ラッサ ラッサ イーエーホー
  バリ バル バラ ハ バリ バル ホー
  ワム バム フーム ラム ダム フー
  
  炎はすみやかに 激しく
  燃える
  全宇宙の歴史を
  一瞬の燃焼のうちに語ろうとするかのように
  
  火はすべての記憶を
  知恵を持っている

  その膨大な叡智に
  この世のものは耐え切れず
  形態を焼き尽くされ 灰に帰る

  聴け 聴け 私の言葉を

  身振り手振りではどうにもならぬと
  火蜥蜴は千変万化姿を変える

  天に昇る竜となり
  火炎旋風となり
  炎の涙を流す聖母となる  
  鳳凰となり 明王となる
  牛となり 馬となり
  砂漠を歩むゾウムシとなる 

  ラッサ ラッサ イーエーホー
  ワム バム フーム ラム ダム フー

  はげしく せわしく 明滅する
  その光輝の内に 
  梃子の原理と 車輪の知恵と
  あらゆる物理学の公式を潜ませる

  文明はいくつも またいくつも
  火より生まれて 火に帰った
  
  千の文明と
  万の惑星の訓話をふまえつつ
  火蜥蜴は顔をゆがめ警告する

  私を業火へと変えるな 人よ

  私を破壊の炎とするな

  私がお前達に火をあずけた 太古の夜を 
  どうか 祝福させてくれ

カガリビ モチテ ウマレシ コトヲ ワスレタカ

  ラッサ ラッサ イーエーホー
  ワム バム フーム ラム ダム フー

  オマエノ ホノオデ オマエヲ ヤクカ

  オマエノ ホノオデ セカイヲ ヤクカ

  語り終えた 炎が 消え
  闇の帳が下りるとき
  始原の宇宙が 僕の部屋に広がった
  閉じたまぶたの裏側で
  火蜥蜴はいまだ語り続けている

  ラッサ ラッサ イーエーホー
  バリ バル バラ ハ バリ バル ホー
  ワム バム フーム ラム ダム フー

  オマエノ ホノオデ オマエヲ ヤクカ
  オマエノ ホノオデ セカイヲ  テラスカ  

  ラッサ ラッサ イーエーホー
  バリ バル バラ ハ バリ バル ホー
  ワム バム フーム ラム ダム フー



     150322_2243~01

                                     
    2015 the Vernal Equinox 

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詩集2(火水の子供たち) | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/03/29 09:27

死をコントロールする意味 秋山眞人



 


 最近、エハンさんとともに注目し動画をよく見ている秋山さんのお話し。

 「自殺」というテーマからスタート。

 秋山さんは時々テレビで見かける超能力者というくらいの意識しかありませんでしたが、いろいろお話を聴いてるととても考え抜かれてる方だな、というのはとても感じます。そんなわけでたまにお話しを拝聴しています。全部面白いですね。

 スピリチュアルな世界にありがちな感性至上主義ではなく、知性の面でも考え抜いて自分の言葉で話されてるというか、そういう方を僕はとてもリスペクトします。ポジティブなことしか言わないというのは簡単なんですね。

 そしてそれはどこかうそ臭いものでもあるのですが・・・あえてダークな側面のトピックを選んだとき、その人の本当の知性、感性があらわになる。そんな気がします。

 「死」への体験を、人の言葉ではなく自分の経験で語りなおせること。これはすごくポイントですね。

 死など存在しません。魂は永遠、学びによって高められていく。そんな風に言うのって簡単なんですが、要はどこまでが自分の実感かということですよね。僕はまだそんな風には語れませんし、そんな風に語ってしまうとすごくバカバカしい気がします。

 自分の実感からいつも語りたいと思います。

 以下秋山さんのお話。

 「今だから申し上げますが、一度若いと時に死のうと思ったことがあります。

 どうやって死のうと思ったかといいますとね、大量にお酒を飲んで 道路に大の字に寝て、朝までには車が轢いてくれるだろうと考えました・・・死のうとした僕の記憶に残ってるのは満天の星空でした。


 「一ミリでも、一歩でも、あなたが面白いと思うものを見つけてみる。この観点が、あなたを救います。いや、救うどころか、さらに高みへと導くのです。

 最近、「人からどう見られてるかではなく、自分が人を、世界を、そして自分をどう見ているかが重要なのだ」。そう思う瞬間があったのですが、そのようなこともお話の中にありました。

 昨日かな?ちょっと驚いたのは、その秋山さんとエハンさんの対談本が出版されるとのこと。

 お~これは期待してしまう

 


 たまにこういうことあるんですよね。

 先に注目してた二人がリンクするとか。

 割と先見の明が僕にもあるのでしょうか(笑)

知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/03/20 22:05

HOW TO LIVE?


  自由の中で、どう生きるか


 joy of not working




 最近読んで面白かった本。

 「働かないってワクワクしない?」は、自由時間をどのように過ごすかについての本です。

 だいぶ前に出版された本ですが、この本のポイントは働いていない時間にこそ人生のエッセンスが存在しているのではないか・・・?と投げかけていることです。仮に失業したり、退職したときにできた膨大な時間をどのように過ごすのがもっとも満足できるかということについて考えています。

 この作者のアーニーさんは、週に数日働きrがつかない月、つまり三月から八月までのアウトドアにもってこいの季節は働かないといううらやましい生活をされているようです。


 僕が最初に膨大な時間に直面したのは、6・3・3の半義務教育を終えて大学に入学したときでした。

 普通僕らは小学生、あるいは3,4歳の幼稚園の頃から生活の枠組みを外側から提供されて育ちます。

 何時から何時は勉強、そして給食やお弁当、昼休み、午後からは体育、部活・・・というような感じで約12年間がたちます。そして時々行われるテストは、どれくらい提供された情報を暗記・応用できるかということを機軸に行われます。

 学校を終え、卒業すると、今度は通常は職場のフレームが待っており、それに基づいて毎日生きていきます。

 大学生活というのは、その合間で比較的自由時間が多い、一種エアポケット的な世界です。
 授業時間もそれほど多くはないので、提供されるフレームが相当ゆるく、個人の裁量に委ねられています。

 いきなりの価値転換をある意味求められるのです。
 しかし、6・3・3の義務教育のあとに、いきなり自由な世界に入っていくということは長年働いた人が急に退職してぼけーっとしてしまうようなリスクも潜んでいます。
 この自由というものに関しての洞察の低さと自主性の欠如が、結局は「適当に遊んですごそう」的な価値観を生み出したりします。
 いきなり骨抜きになっちゃうわけですね。
 学校と、就職の間の長い夏休み的にしか学生生活を捉えていないと、ここには結構なトラップがいくつも潜んでいるように思います。
 「自由」をどう生きるのかというオリエンテーションこそが必要なのかもしれません。

 「働かないって・・・」はそういう自由へのオリエンテーションの教科書になりそうな本です。

 自由に教科書なんていらないっしょ、せっかくノンフレームなんだから好きにすればいいじゃん?とも考えられますが、これは18歳そこそこの人にとってはちょっと酷かもしれません。

 だって僕らは普通、自由をどう生きるか、人生をどう充実させるかという教育ではなく、外側のフレームにいかに自分をはめ込むかという教育しか受けてこないからです。

 「引きこもり」の主な原因のひとつとして、そういった自分力の欠如があるような気がします。

 ノンフレームの時間を充実して過ごすには、ある程度の意志力と自主性、そして自分の深い望みを理解し、それに基づいて生きるということが必要です。
 
 もちろん、時にはだらーっとするのも楽しいですよね。
 好きなときに寝て、起きて、好きなものを食べて、ぼーっとテレビや映画を見て、一日過ごすっていうのも。
 そんな一日があってもいいと思います。
 でも一週間もそんなことをしてるとだらっとするのにも飽きてきます。
 好きなことを自由にすると言われると、往々にして人は、意思を低きに流してダラダラしてしまうという傾向があるようです。そしてこんな毎日むなしいけど、このサイクルから自分で抜け出せないという状態が「引きこもり」的生活の根っこにあります。

 僕は「引きこもり」状態からなんとか意志力を奮い立たせて、本屋さんでバイトを始めた時期がありました。
 2,3ヶ月ほとんど人と話してないような状態も頻繁だったので、最初はかなりレジに立つなんていうことはきつかったのですが、慣れてくるとバイトが与えてくれるフレームの中で過ごすことにより精神的には少し安定しました。そして、新しく入った女子学生に仕事を教えたりすることである種の先輩感すら経験することができたのでした。それは一種の「成功体験」として社会生活に関わる自信にもつながりました。

 こう書くと「ほらねー人はやっぱり仕事をして社会参加をせねばいかんのだよ」という結論になりそうですが、この文章の趣旨はそういうことでもありません、むしろ逆です。

 仕事をして人間的に成長したり、お金を稼いだりということは大事な経験だと思いますが、どうも問題は外側から提供されるフレームのない状態で、僕らが意図も簡単に自分を見失ってしまうということにあるように思うのです。だから多くの人は、仕事がなくなると新たなフレームを求めて就職活動にいそしみますが、これはお金の問題だけではないような気がします。生活の中にフレームがないという不安感がそうさせている部分もあるでしょう。

 ポイントは日本には、外側のフレームに自分をはめ込んだ状態と、だらっとした怠惰な暮らしの間がないことです。
 ウツや自殺率の高さ、就職できなかった学生の自殺などはそれときっと関係があります。

 日本人は社会的圧力にもんのすげー弱いんです。
 DNA的にもそうかも。海外から賞賛される協調性や秩序の負の側面、自我の欠如です。

 就職できなかった、ということは言い換えれば、「就職せずにすんだ」ということですよね。
 価値観を勝手に都合よく書き直せるということが、自分力であり、それは命を守る力なのです。
 何をしていても、生きてる状態が大事だという認識。
 価値観よりも存在を重んじる意識。

 こういうニュースを聞くたびに僕は「就職せずにすんだ」仲間が死んでしまったことへの悲しみを覚えます。
 これは彼らの無知であると同時に、家庭内や社会的圧力の後押しがなければ起こりません。
 ただの認識が、命をここまで左右するのです。
 
 きっと僕が意識だけタイムトラベルをして、昔に戻ったとしても、僕は同じコースを辿って本屋でバイトはしないでしょう。
 懐かしいからちょっとだけその雰囲気を味わってみたいなー
 あの頑固そうな店長の説教を聴いてみたいなーなんて思うかもしれないですが・・・
 今の自分の認識ならば、無理して外に出る必要はないとわかるからです。
 ただ、その頃の自分にとっては外に出て働ける、社会と関われるという自信が必要でした。
 それとどこかに属しているという帰属意識。
 多くの人が帰属意識を、労働の場に求めます。
 この社会で精神的に村八分になる、不適応になるという恐れは意外と単にお金がないということの恐れよりも強いのです。そして、自分としては入りたくない一群に、負けてる感じの一群に分類されてしまうのではないかという恐れですね。

 しかし、この分類の基準自体が外側のフレームであり、自分の命を守るという意識が勝っていれば、それには左右されません。(まー・・お前負けてんなーと言われたら、いい気持ちはしないかもしれないですが)

 このような恐れが、働いていない状態を何かとても陰惨かつ不幸なイメージで彩っているのです。

 でもなら働いている状態がよいイメージで彩られているかというと、そうでもありません。
 よく言うワーキングプアや、ブラック企業など労働にまつわる様々な問題と微妙な景気が職業全般に対するイメージを低下させています。10人に4人が派遣労働ならば、年金や保険料なんて払えません。払うことも出来ますが、そうすると、ほとんど生きるだけになり、将来になかなか希望も持てません。

 夢は正社員!なんていうCMは、個人的にはマジか・・・と思う昨今であります。

 なんで、夢は幸福でいること!にしないのかな。
 夢ってそういう抽象的で、ぼやーっとした感じのほうがよいですよ、きっと。

 多くの人はもしかすると働くのもイヤ、働かないのもイヤ、でも働かないで落ちていくのももっとイヤという意識状態で働いているのかもしれません。これは楽しくありませんよね。

 さてさっきの、 外側のフレームに自分をはめ込んだ状態と、だらっとした怠惰な暮らしの間ですが、

 間、というのは外側からのフレームに依存することなく、100パーセントの自由が与えられても自分の才覚でそこを充実した色で塗ることができる、ということです。そんな才能がある人が、これからの時代幸福に近い場所にいるような気がします。

 僕は幸か不幸か、平均的20代、30代よりもずっと労働時間が少ない生活を送ってきました。
 現在週の労働時間は多くて24時間~28時間くらいでそれを越えると調子がおかしくなります。
 社会保障費までは正直払えません。
 おかげで両親はなかなか安心させてあげられないのですが・・・

 もっとも昔はフルタイム勤務にも何度か挑戦しましたが、どちらも2,3ヶ月でウツ状態がひどくなり離脱しました。
 心療内科にいくとあっさりと坑ウツ薬を処方されましたが、そんなものを飲んで働き続けたくないので、辞めちゃいました。

 お金や生活の安定、帰属意識を求め外側のフレームに自分をはめようとすると、調子が悪くなる。
 そしてまた自分の部屋に振り戻される、ということを繰り返しました。
 そのうち、このノーフレームの空間にこそ何かすべきことがあるのではないか、ここでこそ意識を研ぎ澄ませられるのでは
ないかという結論にいたり、また社会と適度に関わるペースもつかめてきたわけです。
 
 どうも会社というものと相性が合わないようで、会社に毎朝でかける仕事は続かない(もって一年)のですが、お宅に伺うという今の仕事は5年以上続いております。そういうケースもあるわけです。自宅でできる仕事が一番向いてる人もいます。
 だから会社や役所に就職できないからって死んじゃダメ。探せばいいんです。生きる道、生きられる道を。

 まあそんなわけで、自由な時間に何をするか、どういうフレームを自分で作るか、なにをしてると自分は幸福なのかというテーマとはずっと取り組み続けてきました。

 その過程で気がつくと一日3時間くらい対戦型テトリスをしていた日々もありました。
 どうせもうすぐこの文明は崩壊するとか思って、その考えに振り回されていたのですが、それすらも外側からのフレームだったのです。そんな毎日の中で、何が不毛で何が充実か、という感覚がややわかってきました。

 また9・11や3・11のようなことが起これば、恐れに基づいた外側のフレームが優勢になるということも理解できました。
 幼稚園の子どもが何度も地震がまた起こると予言しましたが、ひとつも現実にはなりませんでした。

 だから生きる中で経験することは、何も無駄ではないのでしょう。

 仮にまもなく大災害が起こって死んでしまうとしても、それまではかけがえのない今を幸福に、平和に生きてる実感を味わったほうがよいのです。

 この投稿では、外側からのフレームなしにいかに生きるか、ということについて考えてきたことを少しシェアできればなと思います。


 大切ないくつかのこと



 ①自己理解と受容

 自分の個性、強み、弱み、生まれてきた目的、ミッションなどについて深く気付き、自分マニュアルを作成することです。
 そしてその個性を受け入れ、慈しみます。

 ②ビジョンマップ

 心を喜ばせること、楽しませることについての地図を作成して生きる指針にします。

 ③スピリチュアル&アウェアネス

 人生を振り返り、導きを受けてはいないか調べることを習慣にします。
 自分の人生やシンクロニシティの流れを注意深く観察して、信頼する。
 何を食べるか、どのような本を読むかなどに関して、自分がどう「感じて」いるかという感覚を研ぎ澄ませます。

 ④ダウンシフトする

 あわただしい生活ではなくスローなリズムの省エネ型生活へ切り替えます。
 お金をかせぐことよりも、自由時間を大切にします。

 最後の長期休暇が大学生四回生の夏、その次は60歳の夏だよ!ってなんかおかしくないですかね。

 春と夏は働かないというアーニー・ゼリンスキーさん並みが当然とは言いません。

 でも 

 人生に少なくとも何度か、一月程度休めることがあってもいいんじゃないでしょうか。
 それすらも非常識とされる社会はやはりどこか問題があると思わざるを得ません。

 もしも、体やメンタルな不調があまりにもつらい時は、薬などでごまかしごまかし働くのではなく、休職・退職という選択を優先します。
 経済状況、扶養家族の有無などで一概には言えないことではありますが、収入や世間体よりも、自分の命、健康を守るということを一番に考えます。

 健康を犠牲にしてお父さんは僕を育ててくれたって知るとき、子ども達は本当にうれしいんでしょうか。。。
 自分の命を守ることは、家族のために働くことよりも、本当に男の面子が立たないことなのでしょうか。。。。。

 「お父さんは好きなことをして、僕をなんとか育ててくれた。豊かじゃなかったけど、毎日パパは楽しそうにしていた。」

 思い出としてどっちがいいでしょうか?

 ⑤フレームを相対化する

 すべて外側のフレームは人間がつくったもので、時と場所が異なれば意味をうしないます。
 現代と日本の価値観は一時忘れます。
 アウターフレームの洗脳装置であるテレビを捨てるのもよいでしょう。
 遥か未来人や宇宙人になって自分を見て見ましょう。
 あるいは、イヌイットの長老や、インドの隠者や、オーストラリアのアボリジニなら自分にどう言うかを考えて見ましょう。
 先になくなった知人や親族は自分を見てどう言うでしょう?

 どんなアドバイスが、声が、時を越えた場所から聞こえてくるでしょうか?
 
 その中で、浮かんでくる愛のある答えだけを真実として取り入れます。
 実際それは真実なのです。
 どうしてイメージの中の言葉が、現実の人間の言葉よりも説得力がないと言えるでしょうか。

 また逆に、昭和20年終戦直前、戦争に行きたくなくてどこかに失踪しようかと考えてる若者がいて自分を責めているとすれば、あなたはなんと声をかけるでしょうか?イメージしてみましょう。

 戦争に行け!そして国のために死ね!そう言う人はほぼゼロでしょう。

 いいんだよ、逃げても。

 君の感覚は当然だよって多分言うでしょう。

 でも若い兵隊に優しい僕らが、この現実ではいろんな人を、そして自分を現代のフレームでジャッジしてしまいがちです。

 いつの時代でも、その時代の「当たり前」が命を殺すのです。

 内的なフレームによって生きてる人たちのブログや、本をたくさん読みます。

 あるいは海外を実際に旅して、異なったアウターフレームに触れてみます。

 例えばインドでは、男性同士が仲良く手をつないで歩いていますが、これは別にゲイのひとたちじゃありません。一種の友愛の表現としてこういうスキンシップがあります。

 日本で男同士がお手つないで歩いてたらおかしいですが、これってどちらが正しいという問題じゃありませんね。

 こういうアウターフレームの違いを肌身で感じることが自由でいられる秘訣のひとつだと感じています。

 アウターフレームは異なるという認識→より深いインナーフレームの確立

 海外ではなくても、国内でも可能ですね。



 ⑥何かになろうとするのではなく、自然に自分らしく生きること




 このようなことがポイントとなってくるように思われます。


セラピー&ヒーリング | コメント(2) | トラックバック(0) | 2015/03/13 13:37

星よりも笛を



                           星よりも笛を




  美しきものへ



 満天の星空のもとの野で
 笛を吹きそぞろ歩くものに出会った
 そのものが笛をこよなく愛するを知り
 僕は問いかけた
 主よ
 あなたはあの
 渦巻く銀河と 
 そしてあなたの笛と
 どちらを先におつくりになったのですか?
 そのものはやわらかな口元を笛から離すと答えた
 友よ
 私はこの笛を深く愛し
 いつも吹いている
 そのことからわかるであろう 
 私はこの笛を最初につくりあげ
 そののちに
 あの星々をつくりあげた
 あの星は私の調べのためにある
 そう言うと 
 彼はまた妙なる音色を奏で始めた
 僕は再び問うた
 主よ
 あなたは足元のバラと
 そして大地と
 どちらを先につくられたのですか
 彼は答えた
 私は大地や金剛石よりも早く
 バラをつくりあげた
 バラの愛が
 この大地を生み 金剛石で彩ったのだ
 と
 彼は僕を見つめて言葉をつないだ
 星よりも笛を 大地よりもバラを
 妙なるもの 美しきもの 小さきもの を
 まずはじめに
 わたしはつくる 人の子よ
 なによりもまずはじめに
 私は お前をつくる いとし子よ
 私達のいる 今を 最初につくりあげたのだ
 そして 私達のいるこの世界を
 笛や 戦や 夜明けや 林檎を
 ともに夢見ることにしたではないか
 友よ お前は笛だ 
 私のもっとも愛するものだ
 彼はそれだけ言うと
 再び笛を口に当て
 妙なる調べを奏でながら去っていった
 その調べが遠く去り
 銀河の静寂だけがしんしんと降り始めたとき
 時は一度も流れてはいないことを知った
 
                           
                                                    2015 3 2

                         

                
                    krishuna.jpg

詩集2(火水の子供たち) | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/03/03 09:47


 


 エハンさん、ISについての見解。

 ニュース自体あまりみてないし、

 真偽はわかりませんが、40分~オバマの発言の言葉の使い方を批判するあたりからが熱いです。

 確かにそうだ。KILLなんて使うな。

 そしてラスト、こんなこと言っても実はしょうがない発言・・・

 「あんたは神なんだ この世って幻だよー」

 いいっすねー^^

 こういうダブルスタンダード?的なしゃべくり好きやなー

テレビが写さない真実~金融マトリクスからの覚醒 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/03/01 21:09

マイクロスリープ・メディテーション



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  誰でも仕事中などに一瞬ウトウトして、ハッと目を覚ますとすごく頭がすっきりしていたという経験があると思います。

  こういう束の間の睡眠は「マイクロスリープ」と呼ばれているらしいです。

  普通人間は数日間睡眠を断たれると、意識に障害が出始め、怒りっぽくなったり何かに集中するのが困難になります。
 
  でも稀に何日間もの断眠実験に挑戦して、成功する人がいます。
  ネットでさくっと検索してまず出てくるのは、264時間、11日間の断眠に成功したランディ・ガードナー少年の記録です。
  このような長期の不眠に成功する人は、マイクロスリープをうまく利用しているのでは?という説があります。

  ギネスなどの記録の場合、もちろん立会人はいるでしょうし、横になって眠ることは不可能です。

  でもマイクロスリープは数秒~十数秒単位でも起こり、多分追い詰められると立ったままでも起こります。
  ということは厳密に外から見て、その人が寝てるか寝てないかを判定するのはすごく難しいですよね。
  脳波で計測することは出来るかもしれないけど、瞑想の熟練者の中には目覚めたままでシータ波やデルタ派の領域に入る人もいるでしょう。

  一見外から見てわからないほどの睡眠でも、集中力を回復し、気分を安定させるパワーがあるからこそ、マイクロスリープだけで何日間も過ごせるのだと思います。

 だからどうも気分が落ち着かない、もやっとする場合には気を紛らわせようといろいろするよりも目を閉じて静かにしてるほうがいい場合があります。すると必要ならマイクロスリープが起こり、瞬時に意識がリセットされます。

 僕もずいぶんマイクロスリープ(早く言うと居眠り)の恩恵にあずかっています。

 このような充電間はいったいどこからくるのか、脳科学的にはいろいろ説明があるのでしょうがスピリチュアル的にあるいは意識学的にいうとどういう現象なのかということに興味があります。

 というのはそれが起こるときには、ある種別の世界の力により助けられてるような感覚を伴うからです。
 うーん、言い換えると別の世界に一瞬行くことにより・・・とも言えるでしょうか。
 多分実際、行ってると思うんですけどね。

 小規模なゲシュタルト崩壊、シャーマニックな意識の転換のようなものがあのリフレッシュ感の正体では?と思うのです。

 僕はよくマイクロスリープに陥る瞬間を観察します。
 マイクロスリープ・メディテーションです。

 するとまず、意識がボーっとしてきて、ゼロの状態と僕が呼んでる状態になってきます。
 さっきまで気にかかってたこととか引っかかってたことが徐々にどうでもよくなり、手放されてる感じ。
 続いてさらに深まると見当識が喪失されます。
 まだ合理的な思考は目覚めているので、部屋にいるというのはわかってはいるのですがそのリアリティが薄れてゆき、自分の肉体やアイデンティティーも遠ざかり、<誰でもない感>を味わいます。

 次に、まったく状況設定の異なる現実に意識が引き込まれるのがわかります。
 通常<夢>と呼ばれるものですね。
 これは現実とまったく異なるストーリーとロジックを持っているのですが、眠りのある瞬間において意識がそちらの現実に置き換わってしまうポイントがあります。
 ここで観察をやめるとそのまま<夢>の論理に飲み込まれていくのですが、さらにしつこく観察を続けると僕の場合は、夢のロジックと現実のロジックを何度もいったりきたりします。人によっては覚醒夢に移行できる人もいるかもしれませんが、僕の場合はあまりそれは起こりません。

 でも、現実から見て非現実があっというまに現実になっていくということが面白いのです。
 シャーマンはこれを意識的におこなうことができます。(目覚めたまま、別の現実に入っていく)
 誰でもこれを、現実を非現実化するという作業を毎晩繰り返しています。

 面白いですよね~~

 僕から見れば、夢の原因とか分析よりも、この現実がゆらぐという現象こそが夢の神秘だと思います。

 胡蝶の夢・・・うつしよは夢、夜の夢こそまこと という発想も出て当然。

 このようなゼロの状態になることと、まったく別の世界に入ることが、あのリフレッシュ感の正体なのでは?と思います。
 真我のほうから瞬間的にエネルギーが流れ込むのかもしれません。

 人が眠る理由をエネルギー補給と考えると、眠らないマスターがいるのは、彼らは覚醒状態でそのエネルギーを常に補給できるからなのでしょう。

 このときに必要な情報も流れ込むことがあります。

 やはり眠りは脳科学だけでは解明できない謎があります。
 パラレルな現実というものを設定しない限り謎が解けないのは<死>おなじで、眠りと死はかなりイコールではないでしょうか。シータ波やデルタ派という脳波は、脳波のフラット、つまり死に近い脳波であり、この物理的次元の拘束からかなり解放された脳波です。そのため、<死>による知覚の拡大に近いものがある。

 夢になくなった方が登場するのは、それが彼らのいる帯域と共通した脳波だからでしょう。

 つまり僕らは毎晩、死んでるわけです(もしかすると毎瞬、かもしれません)

 インドの聖者ラマナ・マハリシは「お前さんは毎晩寝ているのに、どうして死ぬのを怖がってるんだい?」と言っています。
 
 不眠はある意味で、心配事などによる神経系の覚醒が原因で、覚醒時のフォーカスポイントがバラバラになるのを許容できないという状態です。問題が大きく、そしてリアルなので、その問題から意識をそらすことができなくなります。

 しかし実は、このゲシュタルト崩壊状態を許容し、別の現実に移行することを許せば、そこに答えや状況を耐えやすくするエネルギーがあるのです。

 通常は、ひとつの現実しか見えていない、というのが僕らの苦痛の原因のひとつではないでしょうか。

 これが問題解決よりも、しばしば単にリラクゼーションすることが有効な所以でしょう。
 瞑想はこれを意識的に起こそうとします。
 完全に眠りに陥ることなく睡眠時のシータ派やデルタ派の多い状態になることが、瞑想の結果起こります。

 でもそれは実は特殊な脳波ではなく、誰でも体験していることなのです。
 
 うたたねを意識的に行うとそれがわかります。

 オススメ♪

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セラピー&ヒーリング | コメント(2) | トラックバック(0) | 2015/03/01 11:14
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