2015 KIMI まとめ



今年も残すところあと4日ほど。

  12・22日、冬至。恒例の朝日お迎えに行ってきました。

  木の枝で日の出をまつカラス君  

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 このすばらしい朝日のご利益で足が伸びました。びよ~~ん

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 そして足元にはきれいな霜の世界。 

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 カエデの種でしょうか・・・

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 今年の影響を受けた本。   


 今年はマインドのスイッチを入れる方法みたいなのを研究していたような部分があり、以下の二冊は参考になりました。


  『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』

  

  『ザ・マインドマップ』

 


  ↓こちらは、オリジナルのライフスタイルを組み立てるヒントに↓


『働かないってわくわくしない?』



  長距離歩行はあきらかにこの書籍に影響されました。

  『大峯千日回峰行』

  

 過酷な四無行の体験、行法中の怪奇体験、自然に敏感になり空気の匂いで台風がいつ来るか予測できるようになったりした経験、横に落ちてくる稲妻の話しなど読みどころ満載。

  『フィット・フォー・ライフ』

  

 小食、不食などに興味を持ちつつ、こちらの本を読み野菜、果物食が増えました。
 今のところ僕の場合は食べないというより、野菜果物+たんぱく質 もしくは炭水化物がいいようで
 夜はこんなメニュー(たっぷりサラダの上にコロッケや揚げ鶏が乗ってます)に+お酒とかが多いです。

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  野菜のおいしさを知ってから、ちょっとハマってるのがライスサラダ。
  作り方は簡単。
  あったかいご飯を用意。ほかほか湯気をたてるご飯の上に、アボガド、トマト、大根、ニンジン、葉野菜などを適当にスライスしトッピング。で、ドレッシングか好きな調味料をかけていただきま~す。
  セットに味噌汁かコーンスープでもあればなおよし。
  生野菜とご飯って意外と相性がいいんですよね。

  すっきり感+パワー感もあるお気に入りメニューです。
  是非、おためしあれ♪


 『季節性うつ病』

 


 秋冬に気力、思考力、体のエネルギーが激しく減退する季節性うつ病(SAD)に関する古典的書籍です。
 以前から季節の影響を受けやすいことは自覚していたけど、より一層その理解が深まりました。
 興味深かったことのひとつはSADの人の過食現象です。
 SADの傾向のある人は秋冬に炭水化物、甘いものなどへの食欲が大きく昂進するらしいのです。
 これはSAD患者は秋冬脳内のセロトニン濃度が減少するので、それを補うために通常よりも多くの炭水化物を取り入れたくなるのではないか・・・と書かれていました。 
 個人的には食欲が激増することはないのですが、秋冬は淡白すぎる食事だとどうも頭のスイッチが入りにくい感じはしてまして、割と肉やスイーツ、インスタントラーメンなどを春夏よりも食べたくはなるんですよね。
 そこんとこ小食がとにかくいいんだという思想とつきあわせると、なんだか矛盾を感じていましたが、どうもSADの人は炭水化物への反応が健常者と違うらしいです。
 通常は多量の炭水化物は眠くなるんですが、SADの傾向のある人は、炭水化物をとることにより元気になる傾向が高いらしいです。
 これを読んで、うーん食事の必要性は本当に人それぞれなんだなーと思うところがありました。
 ということで、ここんとこは、適度に間食を楽しむ生活をしたりもしています。

 それと人の健康って本当に、光りと闇と、天と地と環境と密接に結びついていて、その反応の人それぞれ違うんだなーと、この宇宙の連続性と相対性を感じさせてくれる。SADってそんな経験かもと思います。
 科学者が書いた本だけど、どことなくポエジーもある、すごくよい本ですね。








  『あるヨギの自叙伝』



 

 いわずと知れた・・ですがこれは一度は読んだほうが良いかと。
 気合が入り瞑想続けています。

  
  『わたし解体、はじめました。』

 


  3・11を機に肉の解体や、狩猟、自然の中でのコミュニティ生活を始めた畠山千春さんのエッセイ。
  鶏の解体(しめることも含め)、狩猟を始めるなかで新たな食や命に対する考え方感じ方を体験していく様子が、素直な文体でしっかり伝わってきてよかったです。いつか体験したいライフスタイルです。

  今年面白かった本。漫画編。

  基本最近はコミックはレンタルで読むことが多いですが、その中で結構当たりだったもの。

  『自殺島』

 


  自殺を試みたものたちが追放される島で、極限状態の中、生の感覚を取り戻していく若者たちの話しです。

  「わたし、解体はじめました」にちょっとつながる部分があるかも。

 なかなかエグいタイトルですが、それに似合わず中身は正統派の成長物語。
 かなりこういうジャンルとしてのストーリーテリングが巧みだと思いました。キャラも魅力的で引き込まれます。
 またサバイバルの豆知識なんかが時々描かれますが、それも結構勉強になります。まだ続刊中・・・


  『 聲(こえ)の形』



  小学生のときに聴覚が不自由な女の子をいじめていた主人公の少年。
  しかしその後自分がいじめのターゲットになり、次第に周りのものを信じられなくなっていく。
  やがて高校生になった彼は、自分がいじめていた少女と再会し、罪を償おうとするが・・・
  
  漫画賞受賞作品のようですが、これも最後まで展開が楽しめました。

  特に僕がなんかそれわかるーと思ったのは、主人公の内面の描写で、自分が心を開けないクラスメートには顔に×印がついてるという描写です。

 こいつは偽善者風で×、こいつは馬鹿で×、こいつは気取り屋で×・・・みたいに自分のジャッジで全員が顔が×だらけになっているのですが、この×がちょっとしたコミュニケーションでぺらっとめくれるという絵が、すごく、「なんかそれわかるー」と感心させられました。  


 今年はyoutubeでラジオを始めました。
  ご視聴いただいたみなさまありがとうございます♪
  トーク、朗読、ヒプノといろいろやってみました。
  中でも有名な文芸作品の朗読はやっぱりアクセス数が、公開時間と比例して着実に増えていきますね。
  こういうことを通じて自分がすばらしいと思うものを紹介できたり、他分野間のつなぎめになれるのはやりがいを感じるので、今後も続けてゆきたいと思います。
  

 ↓今年最後のおしゃべりを収録してみました↓

 


 ■パワースポット巡りが多かった今年
■江ノ島 高幡不動 湯島天神
■ロングウォーキングについて
■玉川上水遡行の旅
■山登り、大文字山は危険だ(笑)
■地の法則の支配力 その性質
■天の性質
■ガイドブックの情報と土地の多次元性
■すばらしい離島ガイドブック
■気学の方位について
■地の法則=相対性
■完結した宇宙を持つ聖地
■雛形理論とホログラフィ
■長時間ウォーキングで気づくこと
■水を巡るたび


 

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私的雑記 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2015/12/27 11:05

パルクール。知らんかった・・



youtube動画で最近、パルクールというスポーツを知り感動しました。

 街中の設備や障害物を使った身体鍛錬法みたいなものだと思います。

 フランスの元海軍将校であったジョルジュ・エベル(Georges Hébert)により提唱されたのが始まりだといい次のような理念を持つそうです。

 ■目的を持ち、子供から大人まで参加でき、秩序だっていて前進的で継続的な活動。

 ■完全な身体的発達を保証すること。

 ■身体の抵抗力を増強すること。

 ■すべての自然的な運動、不可欠な実用的運動の全てのジャンル(歩く、走る、跳ぶ、這う、登る、バランスをとる、投げる、持ち上げる、自衛する、泳ぐ)の良さをよく認識すること。

 ■身体活動の全ての面における能力や実用的運動における力強さを伸ばし、精神的にも身体的にも習熟すること。

 ■利他であること

 僕はこのBAZOOKA顎砕き選手権(笑)を見ててその考え方が何か気になり調べてみたのですが、動画を見て驚きました。

 9:00くらいにパルクールの選手が出ますが、いいとこまであご砕きます。

  

 
 パルクール忍者ってタイトルですが、まさにリアル忍者なんだな~

 アニメか、映画の世界に迷い込んだようですが、CGではないようです・・・

 神社の前で一礼する女子高生なんかホント漫画。


 

 なんで感動したのか?

 僕は昔から結構アクロバット的な体の動かし方が好きでした。

 ウォーキング、ランニングも好きなんですが飛ぶような舞うような軽い動きというものにいつも魅せられる部分がありました。

 平面的な動きではなく、立体的なムーブメントが好きなのです。

 と言ってもなかなか実際にそういう運動をするのは難しく、公園で人目を気にして木登りをしたりするのが限界でしたが・・・

 これ見てそんな自分の衝動を肩がわりしてくれたような爽快感を感じました。

 パルクールは立体的で忍者的なムーブメントを行うだけではなく、そのフィールドが自然や街中というのも非常にわくわくする部分です。

 いやー死ぬまでにバク転くらいはできるようになりたいと思います。

2,3日忍者修行のために隠れ里にこもる予定です(半分ホント)


私的雑記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/12/20 22:19

神の島 KUDAKA⑤

                                   
                               
                              那覇          



 
 
 県庁前では辺野古移設にからんだ政治演説をどこかの議員がしている。
 
 居酒屋の客引きがたくさんあふれ、店先にシーサーが、パワーストーンブレスが並び、沖縄民謡が店先から流れる。
  
 笑いさんざめきながら通りを練り歩く修学旅行生、カップル。
 
 那覇市国際通り。
 金曜日の夜。
 僕にとっては沖縄最後の夜。
 夜になってもやはり亜熱帯の気候で、Tシャツ一枚で十分な気温だった。
 
 国際通りを少し入った浮島通りにある、安い素泊まりの宿を予約していた。
 一泊食事なしで2500円という安さ。
 その割にはネットでのレビューがよかったから、こういうのも面白いかと沖縄最後のホテルにすることにした。

 久高島から那覇の国際どおりとはギャップがあり過ぎるかとも思うが、あの島にいたあとここに来ると、実際そのめまぐるしさは別世界のようだった。今日の朝、あの日の出を見たとは思えない。

 でも僕はあまりいらいらしたりせず、ここをなるべく楽しもうと思った。

 僕は沖縄に旅をしに来たのであって、久高島と那覇を比べるためにやってきたんじゃない。

 いい悪いじゃない。ここは、ただ、こういう音と匂いの世界なのだ。

 久高島がああいう世界であったように。
 この世界にはここの良さがあり、クオリティーがある。
 東京とも久高島とも違う、夜の匂い。

 とは言っても、僕の頭はいまだ久高島でいっぱいで、まだ心はあのカベールや、ガジュマルのT字路や、星砂の浜をふらふらしていた。
 今日の朝夜明けをカメラに収め、帰路を辿ると、一本道に車が止まっていた。その横で誰かが道に出た草を刈っている。
 よく見ると前夜食事処「とくじん」でカウンターに座っていたNPOの役員の方だった。
 
「夜明けの太陽、独り占めにしてきたか。」とその人が言った。
 
「はいっ すごかったです。」と僕はまだ高揚した気分で答えた。
 
 僕があそこに行けたのも、こうやって環境を整える島の人の地道な日々の作業があるからに違いない。
 もし久高に住むとあのような光景もいつかは日常に組み込まれて、当たり前になっていくのだろうか?
 でも僕にとってあの光景が何か特別なものであったことは確かだった。

 東京での生活のこと、仕事のこと、もと同居人のことを忘れたわけではないが、何かそれらとはまったく別の軸が僕の中に出来たような気がした。天と地を結ぶ軸が自分の中を貫いているというような感覚だ。
 僕が僕であるという感覚を、相棒との関係や仕事の役割だけでなく、あの岬にいたとき経験したものとアイデンティファイすることにより、あまり今後のことが気にならなくなったのだ。
 あの太陽はきっと思い出の中にずっと残り続けるだろう。
 
 久高の宿泊先に戻ったあとは、8時半ごろには宿をチェックアウトして、11時の船の時間までまた徒歩で北の聖域を回った。まだ行っていなかったイシキ浜などに立ち寄った。

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  穀物伝来神話の残る島の東岸イシキ浜


 出発が名残惜しかった。
 なるべく長くいようとするなら13時の船でもよかったけど、あまり長居して島に慣れすぎてしまうこともまた嫌だった。
 今後、もしかするとまた何度か足を運び、いつかはそう思うようになるとしても、今は心の中の「神の島久高」を抱いて帰りたい。

  
 

 お昼前には安座間の港に着いたから、乗船所のおみやげやさんに入っていくと店員のおばさんは、僕が今から島に行くと思ったようだ。

 「いえ、今島から戻ってきたんですよ」

 「あら、じゃあ一泊とまったんですか。」

 「はい、静かで、すごくいいところでした。」

 「いいですよねぇ。私も行ったことはあるんですけど、泊まったことはないんですよ。」とおばさんは言った。

 そうか、こんな近くで働いてる人でも、そうなんだ。
 あんまり近すぎると、わざわざいつも目の前に浮かんでいるあそこで一泊しようとは思わないものかもしれない。
 夕方までは、電動の自転車を借りて、南城市のヤハラヅカサ、玉グスク、などを回った。これもみな琉球創始の神アマミキヨゆかりのポイントだ。


 
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 アマミキヨがつくったとされる玉城(タマグスク)

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 アミミキヨが沖縄本島に上陸した浜 ヤハラヅカサ

 電動とはいえ3時間くらい走った。早朝5時おきでカベールまでゆき、そのあと2時間ほどまた島を歩き、チャリンコ3時間、それから一時間バスに揺られて那覇へ。かなり疲れてるはずだが、気分は高揚している。

 僕は確実に沖縄に来てから元気になってはいるみたいだ。

 国際どおり裏のホテルは、マンションのワンフロアをホテルとして使用しているような感じで、なかなかの裏通り感とアジア感が前回だった。なぜだか、岩井俊二監督の映画「スワローテイル」のことを思い出す。
 このチャラさんの歌う大好きな歌が主題歌のだいぶ前の映画ですが・・・




 写真出せばわかってもらえるかもしれませんが・・・・

 雑居ビルのワンフロアが宿泊施設になっており・・・フロントもその一室に

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 中はいると結構キレイ

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 階段からの眺め

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 なんかバックパッカーがたむろすような、アジアの裏通り感がすごいんです。

 この裏通り感は、結構絵になっており嫌いではない。

 フロントのソファにはおかみさんらしき年配の女性と、ロングヘアーの20代くらいの男性が並んで座っていた。
 おかさんにチェックイン手続きをしてもらったあと、「この辺に惣菜とか安く買える店ないですか?」と尋ねてみた。
 するとロン毛の男性が「あーもうちょっと早かったら、、、もう閉まってるやろな・・・ホテル出て、こっち行ってここ曲がると市場があって」と、僕の開いたガイドブックを覗き込み鼻を突合せた格好で熱心に教えてくれる。 
 沖縄言葉というよりも、関西弁が強いような気がする。
 しかし堀の深い沖縄顔の男性とおかみさんのツーショットはドラマのワンシーンのように異様に二人ともキャラが立っていた。
 宿のおかみさんも長年この仕事をしてるのか、フレンドリーでかつ気遣いのある感じの方だった。
 ふたりとも「スワロウテイル」に出てなかったっけ・・

 おかみさんに案内されるままフロアの奥のドアを開けて中に入ると、ドアが3つ。あと玄関のすぐ横に流しやレンジ、ユニットバスのドアなどがあった。ここは共用スペースのようだ。
 でもいったん部屋に入ると、完全に空間はセパレートしており、まあまあ落ち着けそうな感じだった。


 

 こういう感じだけど、一応部屋内は禁煙らしく、フロアにベンチつき喫煙所があった。

 出かける前に一本吸おう。ぷか~~

 しかし、今回はリゾート風のプールつきホテルから始まり、お風呂とテレビのない久高島宿泊会館、そして最後がアジアの安宿風とバリエーションが豊かである。完全に巡礼者ではなく、バックパッカー気分になってきた。

教えてもらったお惣菜やさんは残念ながらもう閉まっていたようだけど、そのままあてもなく市場を歩き回った。
 
 公設市場の中は独特の熱気であふれている。

 日本であって日本ではないような。
 そうか、これはどちらかというときっとこれはバンコクとかアジアの市場の熱気に近いんだ。
 国際通りの喧騒はそれほど好きではないけど、一歩路地を入った公設市場はたくさんの匂いが充満しており、歩いていると少しづつその空気に酔っ払っていくようだった。
 
 人の暮らしの根本的生生しさみたいなものが凝縮されて、発散されていて、静かな離島を歩くのとはまた違う意味でパワーをもらい、元気になっていくようだ。
  
 快活な声が飛び交う中、夜光貝が白い照明を浴び、豚の顔が丸ごと店頭にさらされている。
 
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 市場の近くで軽く食事をしたあと(また沖縄そば笑)、少し部屋で飲もうかとコンビニに入った。
 
 お酒とつまみを買って、レジの前で待っているときだった。
 
 急に背中から首の後ろにかけてが、ひりひりとしてかっと熱くなった。
  
 目もなにかずきずきと痛み始める。
 
 何?

 わけのわからない症状に戸惑いつつ、お金を払ってコンビニを出る。
 やっぱり首が熱い。一瞬日焼けの症状かと思ったけど、手で触れてみても痛くない。
 あごのあたりに何かが詰まっているような感覚。
 わけのわからない症状に、何?俺、ここでぶっ倒れて死んじゃうの?という考えが過ぎる。
 久高島の異次元感を体験したあとでは、なにかこんなことが起こるのも妙につじつまが合っているように思えてくる。
 死ぬにはタイミングはばっちりのような気もする。
 
 昔パニック障害のような症状に悩まされたことがあるので、その変形か?とも思うがよくわからない。
 いつも比較的静かな生活をしてるのに三日間動き回りすぎたので、自律神経がショートしてるのか
 もしくはエネルギースポット巡りで、気のアンバランスが生じているのか
 部屋に戻ってしばらく横になった。
 酒を飲む気もすっかり失せている。
 さっきまでアングラ的で面白く見えた高層ビルの影の部屋が、突然、うらさびしく、陰気に見えてきた。
 最後の手段・・・セルフ・ヒーリング。
 横になって、深呼吸し、手を胸や頭部にかざしていると、少しづつ気持ちは落ち着き、変な熱感はおさまってきた。 

 さらに気分を変えるためシャワーを浴びようと部屋を出て共用スペースのあたりをうろうろしてるとおかみさんがやってきた。

 「ごめんね~廊下照明が切れちゃって・・・」

 「いえいえ大丈夫です。こういうところ初めてなんですけど、面白いですよね。ネットの評価も高かったですよ。」

 「ホント?よかった。そうそう、このあと外国人の子が入って来るけど・・・大丈夫かな?」

 おかみさんが口元に指をあてて、思案顔で僕を見た。

 「あ?そうなんですか。大丈夫です、大丈夫」と僕はあまり考えず返事した。そんなことより今僕は自分の頭が少し心配なのだ。

 シャワーを浴びて、ようやく買ってきたお酒を飲む気分になってきた。
 酔いが回ってくると、不安も麻痺して普通の気分になってきた。
 いったい何だったんだ?

 隣の部屋に誰か入ってきた。
 おかみさんが言ってた「外国の子」か?
 子供がはしゃいで走り回っている。男性の声と女性の声が交錯する。
 え~ここに家族連れ??マジかーー
 どうも中国人のファミリーらしい。
 
 おかみさんに「隣に中国人の親子連れが入ってくるけど大丈夫?」ってきかれたら
 
 「うーん、大丈夫かわかりません」ていったかもしれん。

 子供は走りまわるし、大声で喋ってるし、こりゃ寝れそうもない。
 またタバコを持って喫煙所へ向かう。
 チャイニーズファミリーはユニット場バスで親子入浴してるようだ。
 なんというか、たくましい。
 どうも今夜は寝付くまでアジアンナイトが続くみたい。 

  明日はもう東京か。とうとうもと同居人から旅行中にメールはなかったけど、一応報告だけと思い、久高島の虹の写真を添付して送っておくことにした。


                                  

                             驟雨と祈り



 雨が屋根や路地を激しくたたいている。

 ざーっとひとしきり猛烈に降ったかと思うと、少し静かになり、また勢いづいて降りしきる。

 熱帯のスコールのような降り方。

 旅行中の習慣で7時前には目が覚める。枕もとの携帯がチカチカ点灯して、メールが来たことを知らせている。

 開けてみると防災速報のメールで、津波注意報だった。

 九州の沖合いでM7クラスの大きな地震があったらしい。

 再稼動した川内原発の近くだ。

 テレビをつけるとNHKではその情報を繰り返し放送していた。

 なにかパリで銃の乱射や、爆発が複数個所で起きて数十人が死亡したというニュースも流れている。
 またISISによる新たなテロなのだろうか。詳しいことはわからない。

 僕はテレビを消して、また久高島のことや、カベールの朝日のことを考えた。
 まだしばらくは平和な気持ちでいたい。
 今日は土曜日。
 沖縄に来て、四日目。
 東京も今日はきっと雨。もと同居人は今頃、仕事に出かけるころだろうか。

 もう別々に暮らし始めて、一月半くらいが経とうとしてるけど、水・木が休みで金曜から火曜が出勤という彼女のシフトは頭に残っている。昨夜、久高島の虹をメールに添付して送ると、短い返事が来た。

 来週の木曜くらいに、お土産を渡すために久しぶりに会うことになるだろう。

 もう6年も自宅に通っている、カメラを借りた利用者のAさんにはお土産のハブ酒、他のヘルパーさんにはマンゴーケーキ。時々疲れてしまうこともあるけど、本質的にはやさしくて、面白い人だ。

東京には師匠もいる。もう10年以上、節目節目で会い、力になってもらっている。

 いつもウォーキングやランニングをする小金井公園の馴染んだ木々たちの姿。

 よく窓の外で、じっとこちらを見つめて餌をねだる半野良の三毛猫みーちゃん。 

 高層マンションの向こうから顔を見せる、冬至前の太陽。
 もと同居人がくれたサンキャッチャーがその光りを分光させて、パソコンのキーボードの上に虹を落とす。
 3年間住み慣れた部屋の見慣れた朝の風景。

 何もかもうまくいかないようで、やや嫌になってた東京での生活。
 でもまた僕はそこに帰って行くこといなる。
 僕と東京を結び付けてる糸はまだ多分、切れてはいない。

 カベールのような岬も、浜もないけど、やっぱり僕はあそこでも近所のクスノキやイチョウに挨拶しながら、朝の太陽を浴びるだろう。
 不安定な気候や、政治、地殻変動の不気味なうねりを感じながらもまたなるべく平穏に心を保ちつつ生きていくことになるだろう。

 希望という言葉が見つけにくい時代にどうやら僕らは生きているようだ。

 確かにまだこの日本では、家族やパートナー、子供たち、仕事、お金を稼ぐことや、自分の楽しみ、夢を ることを生きがい、希望として生きていくことは出来るのも事実だ。

 僕らを包むマトリクスはまだ晴れた日曜のような平和さとお気楽さを残してはいる。

 しかし、3・11で起こったように、それらが大規模マトリクスの変動によってあっという間に失われるというリスクも、
また少しづつ忍び寄っている。

 気候変動、地殻変動、経済、テロリズム、紛争、放射能などによる汚染、感染症などマトリクスを不安定化する要因は無数にある。100年に一度の大雨、1000年に一度の地殻変動がごくごく短期間の間に発生しており、国家レベルでのミーティングでも「気候変動」という言葉が使われ始めた。

 これらによって、マトリクスが不安定化するとき、一種の免疫機能のように構造体の連結、統制を強化することにより崩壊を防ぐ働きもまた生まれる。右傾化、管理化、全体化、ひいてはファシズムに至る一連の流れだ。

 それらの気配もまたマトリクス崩壊と対を成すように忍び寄っているように見える。

 皮肉なことに家族や資産、身の安全など個人的「希望」を守り、安定を求める衝動がより一層の管理下を進めることもある。

 崩壊か管理化か、どちらにしろ希望は見つかりにくい。

 そのプロセスの向こう側にある、「何か」本当の光りにフォーカスする必要があるのではないだろうか。
 きっと流れてくる雲の向こうに何か大きな光りが上り始めている。

 20代に東京に来てから13年が過ぎた。
 僕自身の東京での生活も、あの夜明けのようだった。
 新たな光りが現れたと思えば、あらたな雲がたくさんやってきてそれを覆い隠す。
 その繰り返し。
 あのような夜明けが僕の人生に、あるいは僕らの世界に訪れるのかわからないけど、いつか高く昇った太陽をみんなで仰いで見たい。すべてはよかったということを確認しあいたい。
  「天と地と人が 調和してありますように」 
 そんな言葉が自然と胸のうちから湧き出てきた。 
 激しい雨はいつの間にか止んで、チェックアウトのころには青空が顔を除かせた。
 さあ、飛行機の時間まで最後の観光に出発!
 那覇は今日も夏空が広がりそうだ。

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                            神の島 KUDAKA




 久しぶりに長い文章を書いてみたくなった。

 それだけの新鮮な体験を、沖縄と久高島は僕にプレゼンとしてくれた。

 帰ったら写真は動画にして、文章はブログに出してみよう。

 タイトルはやっぱり「神の島 久高」にしよう。神の島、神々の島、くだか、KUDAKA、久高。

 帰りの飛行機が離陸するのを待ちながら、シートに座ってそんなことを考える。

 ぱらぱらと雨が窓をたたき始めていた。

 僕はまたとりとめもなく、繰り返し思う。
 タイトルはやっぱり、神の島 KUDAKA 神の島・・・
 そう何度目かに思ったときだったろうか。
 自分でも予想もしなかった。感情が胸の奥から湧きあがってきた。
 神の島・・・そう繰り返すたびに、目から涙があふれ続けた。
 ひとつの鍵盤をたたくように、その言葉を思うと涙ががどんどん溢れついには頬を伝う。
 自分でもよくわからない涙。

 また旅立つというタイミングにあわせて、この土地と僕を結びつける糸が、ぴんと張り詰めて、互いのエネルギーが共振しあう。それとも単に感傷的になってるだけだろうか。 
 どちらにしてもあまりないことだ。
 いいんだ、僕は泣きたい。
 ずっとこんなに泣いてなかった。

 帰りも、僕の隣の席は「空席」。
 いったい僕は誰と旅をしてきたのだろうか。
 もと同居人とだろうか、それとも他の誰か、僕の心に浮かぶ人すべて?
 あるいは僕自身とだろうか。
 「君が誰かわからないけど、楽しかったね。」そう空の席を見て、心の中でつぶやいた。
 
 滑走路をゆっくりと走り始めた飛行機は、やがて突然その勢いを増して、巨体を大空へと持ち上げた。
 今日は曇っていて下の風景は見えない。
 でも間もなく久高島のすぐ上空を通過するだろう。

 ありがとう、久高、神の島。

 どうかいつまでも平和とともに在ってください。


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久高島 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/12/12 20:05

Radio update 12/11



シリーズ物の途中ですが、久高島の写真を動画化したものをあげてみました。

 いやーやりなれてない作業なので疲れました。。。結構時間かかってます。 

    

 
 それと加えて随分前にプレゼントでいただいた、バルナギータというバンドの曲を動画化してみました。
 すごくいい曲と歌詞で、何年もよく口ずさんできた歌です。
 特に「おろおろすることはない 世界はもぬけの空だ」って部分が大好き^^
 是非多くの方に知っていただきたい名曲です。

 「そして旅が終わったら」 演奏:バルナギータ

   



Haitaka Radio | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/12/11 21:18

神の島 KUDAKA④

                            
                             漆黒の夜


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 夕闇の中を宿に向かって歩く僕の心に、ひとつのアイデアがあった。
 それは来る前から考えていたことではあったけど、 
 明日、日の出前に起き出して、またカベールに行って、そこで日の出を迎えよう。
 その昇ってくる太陽をカメラにおさめようということだった。
 朝の太陽はさまざまな伝統で癒しと浄化の力が強いとされている。
 カベールで見る朝日はいったいどれくらいすばらしいだろうか。
 あの古代の趣をもつ植物群に覆われた岩場が、朝の太陽に照らされ色づいていくのを見るのは想像するだけでもこころ踊る。
 宿泊会館に戻ると、真っ先に翌朝6時ころにレンタルサイクルを予約した。
 夕方少し雲が増えてきていたので、心配なのは翌朝の天気。
 だが、ここまでくればもう朝日がみれるかどうかは久高島の宇宙にゆだねるしかない。
 もし万一みれなくても、もう随分美しいものを見せてもらったので、気持ち的には十分満たされていた。
 すでに僕は、ここに来れてよかったと思っていた。

 今日、久高島に到着してから撮った写真を何枚か見直してみる。
 持ってきたのは一眼レフ風のオリンパスのデジカメ。 
 もうまる6年ほど仕事で自宅に通っているAさんという利用者の方が貸してくれた。
 Aさんは手足の自由がきかないが、写真が趣味で電動車椅子のテーブルにカメラを固定して、写真を撮るのが趣味だ。もう二回ほどレンタルスペースを借りて、自分で個展を開いたりもしている。
 そんなAさんが、ある時、新しいカメラに買い換えて以前のは使ってないからあげるよ、と言った。
 多少型は古いとはいえ、結構高価なカメラなので、もらってしまうのは気が引ける。
 仕事上、利用者の人からあまりものをもらわない方がいいというのもあるし、なんだかそんな高いものをただでもらうってのはやはり「重たい」。
 でも久高島に行くことに決めたとき、Aさんのカメラのことが思い浮かんだ。
 「そうだ、久高に行ってる間、カメラを貸してもらおう。お土産に何かちょっといいものを買ってけばバランスがとれるかな」
 そんなことを思う。
 と、ちょっと僕が神経質になるのは、Aさんとの関係の中で距離感がなくなればなくなるほど問題が発生しやすいという体験を何度かしてきたからだった。
 だから僕はリラックスして、オープンでありつつ、境界線ははっきりさせるということをずっと意識して仕事をしてきた。僕の中でよりそうということは、近寄りすぎず、離れすぎず、かつ心を開いているということだ。
 こういうような物をもらうということでも、そのバランスがおかしくなるということは十分あるので自然と用心深くなる。
 でもその一方で、もう6年ともなるとAさんとの間にある種の職業を越えた人同士の信頼関係のようなものも深まっているのも最近感じていた。
 だから人から人への好意として、純粋にAさんの申し出もありがたく受け取ってもいいんじゃないかというような気持ちもあった。 
 Aさんは快くカメラを貸してくれ、使い方を詳しく説明してくれた。

 「彼女と写真を撮るときはね、このセルフタイマーを使って、こうやって・・・いい記念になるよ」と
 「あはは、そうですね^^;(ずきずき)」
 
 というよな若干、複雑な気持ちになる会話もしつつ・・・・・

 そんなこんなでAさんのカメラとともに僕は旅に出ることになった。
 明日はそのカメラでどんな風景を捉えられるだろうか。


 久高島宿泊交流会館は島にある、唯一の民宿以外の宿泊施設で部屋数はもっとも多い。
 島に何件かある民宿に泊まるのも面白いかもしれないけど、一般のホテルに近い場所に泊まりたいと思うならここを選択することになる。
 ただあくまでもホテルに「近い」というだけで、夕食はなし、風呂もなし(シャワーのみ)、部屋は簡素で清潔な和室だがテレビなどはない。これはこれですっきりしてていい。
 交流会館は二階建ての建物で、一階には久高島の資料室がある。たくさんの写真や、昔の船が展示されている。
 皇太子夫妻もここに宿泊したことがあるらしく、お二人が座った座布団までもが展示されていた。
 男女別のシャワー室はあるけど、浴槽はない。食事は集落の食堂まで足を伸ばす必要があるようだった。



 交流会館に戻ると、そろそろさすが沖縄でも薄暗くなってくる時間になっていた。

 食堂のラストオーダーが七時か八時くらいと聞いていたので、部屋に戻って少し休憩すると、すぐに集落に向かった。

 もうあたりは真っ暗になっている。小さな明かりがところどころついてるだけで、道は相当暗い。

 さっきまで辿ってきたカベールから宿泊会館までの道には、その明かりすらないはずだ。

 今夜は新月直後だし、月明かりもあまりない。いったいあの空間がどれほど濃密な暗闇に閉ざされているのかと思うと少しぞくぞくするようだった。その闇の中にたくさんの人ならぬもの、死者、自然の精霊たちが目覚めうごめきだしている頃かもしれない。

 カベール岬の闇、闇の中で岩に砕ける波頭、ガジュマルの巨木があったT字路の闇、立ち寄ったうぱーま浜の闇、禁制のフボーウタキの闇を僕は思った。

 十数分も歩くと、徳仁港をのぞむ食事処「とくじん」に到着した。

 「とくじん」の窓からは明かりが漏れ、店の前には数十台の自転車が止まっており、一瞬、村中の人、観光客が夕食をとりに殺到してるのかと思ったが、よく見ると貸し出し用のレンタルサイクルだった。

 店の中はテーブル席に4,5人の女性グループと、年配の男性、それにカウンターには中年の男性が一人いるだけだった。テーブル席の年配の男性は島の人のようで女性たちに、何か戦争についての昔話を話し続けている。

 僕は疲れてたのもあり、そのグループとは距離をとってカウンターに座った。
 うん、戦争の話しは興味がなくもないけど、今はとりあえず、ゆっくり食事だ。

 僕が会った沖縄の中年以降の男性はおしゃべりな印象が強い。
 
 前に北谷に滞在していたとき、海岸で見知らぬ男性から声をかけられ、少し話していた。
 いや、話すというよりも僕がその人の話しを聞いていたという感じだった。
 米軍基地でバーテンダーとして働いていたこと、家族のこと、基地のこと、夕方の散歩のことなど話しが切れることなく延々と続き、興味深い話も多かったのだが、途中から僕はいったいどうやって切り上げればいいのかと悩み始めた。
 その方が特別おしゃべりだったのかもしれないが、沖縄の人のコミュニケーションはオープンかつ、とてもマイペースであるように思われた。
 そんなこともあり、少し離れたところに座ったのかもしれない。

 食事の注文は食券式。
 半年分の元気がもらえるというイラブー(海蛇)汁は久高島の名物だ。なんでもイラブーは海から上げられえさを与えられない状態でも何ヶ月も生きるほどに生命力が強いという。

 しかし1500円と少し値が張る。お刺身定食1200円、島野菜のてんぷらかー・・・うーむそれも捨てがたし。

 なんて散々悩んだ末に、結局沖縄ソバというべたべたなチョイスに落ち着いた。

 しばし待ってソバがやってきた。さあ~いっただきまーすと思った瞬間、 

 「どこにとまっとるの?」という声がした。
 おっ キターっ
 
振り返るまでもなく、カウンターにいた体格の立派な中年の男性が話しかけてきたことがわかった。
 
「あ、交流会館です」と僕は答えた。
 うぬぬ、今まさにそばをすすりこもうとした瞬間・・・・
 なんだかこの感覚前も感じたことあるな。
 そうか、だいぶ前にインドに行ったときか・・・小さな村の食堂だと主人がいきなり僕のテーブルに座って新聞読み始めたり、なんだかんだ話しかけてきて、ゆっくり食事がなかなか出来なかったんだよな。
 
「ああ、そうか。交流会館とか、久高島留学センター、のこと全部やってるNPOがあるんだけど、わしそこの役員」とその方は言った。
 
「あ、そうなんですか。お世話になってます」
 
確か、久高島振興会っていうNPO法人。ここに来る前にもそのホームページを何度か訪れ、カベールまでの道中使った地図はそのサイトでプリントアウトしたものだった。
 
「この地図、使わせてもらいました。」と僕は地図を広げた。
 
「ああ、サイトのやつか。それ、港で買うと50円する」
 
「そうですよね」と僕らは笑った。
 
 実は、これ五、六席あるカウンターの端と端で喋っている。
 なかなかの距離感。
 ソバをすすりながらかなり声を張らないと会話できない。
 NPOの男性は、元チャンピオン具志堅ようこうさんの奥さんや、今名前の知れている20代のウェイトリフティングの選手も久高出身であることなどをカウンターの端から時々教えてくれた。 

 「どっから来た?」

 「東京です。」

 「ああ、留学センターには渋谷からも来てる子がおる。不登校とかいじめにあってくる子もいるけど、だいたいよくなって帰っていく。」

 久高島には留学センターというのがあり、島外の小中学生を受け入れて一定期間集団で島の暮らしを体験させるという取り組みが行われているようだ。



 「ここに住んだら元気になりそうですね」とお世辞ではなく、かなり本気で僕は言った。

 「こちらご出身なんですか?」

 「ああ、生まれてから、ずっとこっちさ。」

 「今人口はどれくらいなんですか?」

 「200人ちょっとかな。」

 「やっぱりみんな顔見知りみたいな?」

 「うん、車がどっかの家に前に止まってたら、誰がどんな用で来てるのかもわかるわ」と男性は言った。
 
 「あ~はは」

 と相槌笑いをしつつ、わーやっぱり島の暮らしってのはそうなんだなーと思う。

 西表島などの離島でもやっぱ移住した人たちは、村の付き合いや年中行事などへの参加がとても大事だと語っている。特にこれほど小さな島の場合集落の中での結びつきはかなり緊密に違いない。

 仙人のように、洞窟にこもって暮らすのでもない限り、やはり自然の中で暮らすということは人との連携、そしてコミュニティの統一性が必要になってくる。

 久高島を訪れる前によそのお宅を訪れるように緊張したのは、ある種、いい意味でも悪い意味でもみんながバラバラに暮らしている都市部からある種内側で完結した世界に入っていくという緊張感もあったのだろう。

 当たり前のことだけど、久高島には北側の聖域だけではなく、人間の世界があるのだ。

 久高の自然の中を歩き癒されるのを感じたけど、島のコミュニティのことを考えると緊張感があるのはなぜだろう。

 もともと僕は、昔からイベントとかそういうのが苦手で、よく逃げていた。
 集合写真とか、嫌いだ。
 高校の文化祭は全日程休んだ。

 行事や守るべき暗黙の規則がたくさんある、閉じた世界というものに本能的に恐怖を感じる部分があるようだ。

 だから、あまり近所づきあいもなくみんながある種バラバラに暮らしている東京のような都市は、孤独感があると同時に僕を放っておいてくれるという安心感もある。

 でもどこかで、そういう自分の役割がはっきりしたコミュニティに属して、自然の中で暮らしたいという憧れのようなものもある。
 
 10代の多感な時期に久高島での生活を体験できる小中学生たちは、僕から見ればちょっとうらやましい。



 「あっちのテーブルあいてるよ」

 さっき女性グループ相手に戦争の話しをしていた白髪の男性が、席を立ちざま、僕に声をかけてきた。
 「あ、ここで大丈夫です、どうも」

 男性はカウンター近くにおいていた三味を手に取ると、穏やかな顔で店を出て行った。

 やがて僕も沖縄ソバを完食したので、「お先に失礼します」とNPOの男性に一声かけた。

 「ああ」という返事が返ってくる。
 店を出て、一人になると少しホッとした。
 でも三味の男性も、一見朴訥なNPOの人もきっといい人たちなのだ。




 夜も更けてきた。
 交流会館には屋上があるらしいので、登ってみた。

 風が強い。「とくじん」から帰るときは雨がほんの少しだけぱらついていた。空を見上げると雲が多いのかあまり星も見えなかった。これじゃ明日の朝日は難しいだろうか。

 港がある明るいほうから、北東の岬の方向へ目をやる。

 黒々とした森の輪郭があるだけで、やはりそこには明かりひとつなかった。

 僕は再び、カベールの闇、うぱーまの闇、ウタキの闇を思った。

 何かその暗闇はじっと見ていると、頭がずきずきしてきそうな、そんな圧迫感があるように感じた。
 何かがいる。
 あの中に何もいないはずはない。
 そう思わせる漆黒の闇。

 東京の自宅でだって、うち中の明かりを消した後トイレにでも行くとき、何かいるんじゃないか?と思うことはある。
 でも窓から道路の明かりがかすかに差し込んでいるような暗闇ならば、気のせいだ、気のせい、と簡単に打ち消すことが出来る。
 
 何もいるはずがないじゃないかと。
 
 でもあの暗闇の中を一人歩むとすれば、きっとこう思うに違いない。
 
 何もいないはずがないじゃないか・・・って

 人口の光が一切ない森や浜辺はそう思わせるに十分な何かがあり、僕らの「何もいるはずがない」というおまじないはきっと通用しないんじゃないだろうか。
 頭がずきずきしそうな感覚を覚えながらも、僕の目はその闇に魅了され離れない。 
 普段お目にかかれない本物の暗闇があると思うと、不安を覚えつつもどうしても僕の心は暗い森にひきつけられていくのを感じた。

 明日は6時・・・いや5時半には起きてみよう。
 東京より30分くらい日の出は遅いとしても、きっと6時くらいには明るくなってくるはずだ。
 岬まで3キロほど。
 自転車で行く時間を考えると、やはり6時前には出発したい。
 まだ相当薄暗いだろうけど、少しづつ明るくなって、異界の闇を追い払っていくだろうから怯える必要はない。
 昨夜とは違い、この宿泊施設にはテレビはない。
 10時くらいにはもう寝てしまおと思った。


 携帯を見る。相変わらず、誰からもメールは来ていない。
 僕はもうきれいに彼女のことは忘れたほうがいいのだろうか。
 未練がましくつきまとい、嫌がられるような存在にはなりたくない。
 


 館内に若い女の子たちの声が響いている。かなり壁が薄いというか声が反響しやすい構造らしく、隣の会話もよく聞こえてくる。
 うっるさいな。
 お静かにっていう注意書きが部屋のテーブルにもあるのに・・・いつまで喋ってるんだろう。
 しかしこんなときのために、

 「たったらたったらた~ん♪サイレンシアぁ~~(ドラえもん風)」
 
 という秘密道具を持ってきている。要は耳栓。
 かなりの騒音もカットできる高品質の耳栓だ。
 騒音に弱い僕は、時々お世話になっている。
 ふたつの小さなスポンジ状のものを押しつぶして細長くし、耳に詰める。
 さあ、これで大丈夫だー、
 ところが気がゆるみ、少しうとうとしかけると、「きゃはははは」というような笑い声がサイレンシアを通過して飛び込んできて目が覚める。サイレンシアをスルーするとはなかなか手ごわい。

 うとうと・・・(きゃははははは)・・・はっ

 うとうと・・・(きゃはははは)・・・はっ

 うととと・・・(きゃはははは)・・・・・はっ・・・

 ・・・っていうか・・・昔の中国の拷問か!バカっっ

 眠りを何度も妨げられると、怒りが湧いてきて、さらに眠りを邪魔する。

 どんだけアホなんだよまったく・・・人に迷惑かけるって発想がないのかな・・・誰か注意してくれいないかな・・・一言言いに行こうか・・・でもそれも面倒くさい・・・

 無神経そうで、陽気にはしゃぐ、若い女子の集団。
 僕にとって異質で、苦手な生命体。 
 それは向こうにとっても同じかも。
 カメラをさげて祈りながらうろうろしてる30代の男。
 なかなか気持ち悪いかもしれない。

 考えてみれば僕は旅行中ずっと団体のグループや、カップルにイライラしてた。
 一人で旅をしてると気ままでいいけど、時々そんな気分になる。
 彼女らには、彼らには、あの岬も今島を包んでいる暗闇も関係ないんだろうか。
 ただ、思いつくまま喋り続け、時々嬌声をあげている。
 それはいいんだ、人それぞれだ。趣味嗜好の違い、まだ分別がないわけ。
 でもどうしてその無分別な人たちにこっちの眠りを妨げられないといけないんだろう。
 まだ20歳そこそこの女の子たち。もっと寛容でいたいのに、どうしてこんなにイライラするんだろう。自分が嫌になる。

 さっき「とくじん」で島の人と話してから、僕は妙に人のことを意識するようになっている。
 意識させられるようになっている。
 例えばサイレンシア着用の耳に強引に飛び込んでくる笑い声を通じて。
 星砂の浜辺や、蝶、無人の草原には無条件でうっとりできるけど、誰かが歩いてきたり、大勢人がいる食堂に入っていくと途端にこころにバリアができる。そんな僕の感性はどこかアンバランスでもっというと偽者くさい。
 僕が見てる久高島は、本当の久高島なんだろうか。ただ、明日には帰る観光客として、この島を自己満足的なフィルターをかけて眺めているだけなんじゃないだろか。

 そんな風に・・・・

 久高島の暗闇の中で、心の闇に飲まれそうになりながら、うとうとと、「はっ」を繰り返しているうちにいつの間にか眠りに落ちていた。

                          
                                 不死鳥の光



 日の出の太陽を久高の人々は神と仰いでいた。
 儀式でノロたちが歌う神歌ではそれを「七色の羽を持つ不死鳥」(ビンヌスゥイ)、「白い光りの羽根」(マジャバニ)と称えていたいう。
 何度も沈んでは、新たな光となってよみがえり、すべての生命を照らす。日の出はまさにフェニックスの新たな誕生のようだ。
 特にあのような濃密な闇がある世界では、日の出は本当に新たな蘇りを意味しており、神聖な瞬間に違いない。

 翌朝早朝五時前に起き出して、身支度をし、宿の前の喫煙所でタバコを吸いながら薄明るくなるのを待った。
 そろそろ6時になろうという時間なのに不死鳥の気配はまったく感じられなかった。
 大騒ぎ集団はさすがにもう眠り込み、館内は静かだ。
 体を動かし始めると、寝床の中にいたときの重たい思考は消えていく。
 夜空は晴れていてようやく満天の星空を見ることが出来た。
 しかしそれにしても夜明けが遅い。
 さすがに真っ暗な中を聖域に入っていくのは気が引ける。
 少し痺れを切らし、宿の裏側に回ると、東の空はわずかに白んでいた。
 宿の影になっていてわからなかっただけだった。 
 あ、行ける、これなら大丈夫そうだ。
 自転車にカメラだけを載せて、岬への道にこぎだした。
 ただ夜明けの光りは差し込んでいるものの、東の海上には雲がたくさん流れている。
 ちょっときれいな夜明けが撮れるか微妙。でも朝のカベールを拝するだけでもいい。
 島は、ここに宿る「何か」はきっと今も僕のことを見ているような気がした。
 僕の祈りも、僕の闇も、僕の希望も。
 僕はここに「含まれている」。

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 雲が流れ、風が海を渡っていく。

 早朝のカベールには、やはり誰もいない。

 恐竜時代の夜明けの海岸を、ひとり歩いているようなそんな感じ。

 遠くの対岸にぽつぽつと見える沖縄の明かりだけが今が2015年であることを遠慮がちに示している。
 僕はサンゴの岩肌に腰をおろして、日が昇るのを待った。
 やっぱり東の空は雲に覆われている。時間的には日の出のはずだが、おそらく水平線にかぶさる雲に隠れて太陽は見えなかった。
 しかし不死鳥の光りは、空を少しづつ焦がし始めた。東の空にかかるうろこ状のまだらな雲がじんわりと赤くなっていく。その下の雲も黄金に光り、あの向こうでは確かに壮大な光のショーが始まっているのがわかる。

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 間近の海面にも赤い光りの帯が現れ始めた。間もなくか・・・
 やがて水平線にかぶさる雲の上に、ほんの短い一瞬、オレンジ色の太陽が顔を出した。

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 あっ!と思い、シャッターをきった瞬間、すぐに南から流れてくる無数の雲にまた隠れてしまう。

 なかなか不死鳥はその全貌を現さない。

 とうとう巨大な帯状の雲の向こうに入ってしまった。 

 ああ、やっぱり今日は無理なのかな。

 あきらめかけていた頃、帯状の雲の上で強烈な光りが生まれた。

 僕は呆然とそれを眺めた。時間が止まり、宇宙の中に投げ出されたような気分だった。

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 不死鳥の誕生。

 そのつんざくような叫びが聴こえる。

 それはもはや時間が経ったため、夜明けのオレンジではなく、白熱した光りの卵だった。

 マジャバニ(白い光りの羽根)だ。

 もはや流れる雲に隠されることもない高度に上昇し、大空に君臨した不死鳥は神の原をその威光であっという間に染め上げていった。

 不死鳥はあの雲の向こうで力を蓄えていたのだ。そしてオレンジ色のひな鳥から、突如成鳥になって僕の前に現れた。

 カベールは僕に夜明けを二度見せてくれた。最初は夜明けの兆しを、そして次に二度目の本物の始まりを。

 それはこれまでになくドラマチックな日の出だった。

 何かが、僕の心の中の何かが言っていた。

 光りが昇るとき、たくさんの雲がやってきて、その姿を隠すだろう。 

 しかし光りは消えたわけではない。その向こうでいつも上昇し、少しづつ輝きをましていく。

 そして、やがて雲も届かない高度に達したとき、その真の姿を現すだろう。

 光りが昇るとき、たくさんの闇がやってきて、それを隠す
 僕らの人生にもたくさんの雲が次々にかかる。

 現れたと思った希望はつかの間光り、、また暗雲に閉ざされる。

 そんなことを何度も繰り返すうち、夜明けは来ないものと思い込む。

 しかしそんなはずはない。

 光りはすでに昇っている。

 僕らはもうすでに最初の夜明けを見たのだ。

 時が来れば、十分な高さまで、日が昇れば、その光りは僕ら自身の目にはっきり明らかになるだろう。 

 色づき始めたカベールのあちらこちらに向かって僕はシャッターを切った。

 神の原に朝が訪れた。

 不死鳥はその輝く羽毛で世界を抱いていた。 

 
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久高島 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2015/12/07 21:23

12/05のツイートまとめ

haitakadori

田中一村の絵 https://t.co/Q3sdNv9j0T
12-05 22:01

この人、ええ目してはる。https://t.co/g1xD4JgVpE
12-05 21:55

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/12/06 00:00

神の島 KUDAKA ③

 
                              神の原へ


 カベール、
 すなわち、神の原とその岬は呼ばれている。

 神代のとき、琉球創生の神、アマミキヨが上陸したといわれる地。
 また岬の背後に生い茂るクバの森カベールムイは竜宮神の寄りしろであると考えられていた。

 言い伝えによると、この海の神は、壬(みずのえ)の早朝、二頭の若い白馬となり真っ白いたてがみを風になびかせて島を一周するいう。
 そんなカベールは、今なお重要な祭祀がおこなわれる地でもある。 

 カベール。

 久高に来る前から僕はその名の響きに魅せられてきた。

 カベールと口の中でつぶやくと、遙かさと甘酸っぱい懐かしさのような感情が湧いてくる。
 決してカマンベールではない、

 カベールだ。

 そこへ早く行ってみたい。
 久高島交流会館にチェックインし、ひとまず荷物を部屋に置くと、僕はカベールへ向かうことにした。
 オレンジ色の屋根の交流会館はちょうど集落の北のはずれにあたり、それよりも北は人が住むことが許されない聖域になる。
 岬まではおそらく三キロほどだろうか。
 往復しても6キロ。歩いて向かうことにした。

 少し歩くと道の両側にはただ原野が広がり、ところどころ立つ電柱のほかは何もなくなった。

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 近くからモーという声が聞こえてきて、少し驚く。牛舎があるようだ。
 それを過ぎると、電柱も電線もなくなった。
 どうやらこの牛舎が人工的な施設のある北限らしい。

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 気持ちいいほど何もない。そして何もないということがこれほど心地よく、わくわくすることなのだろうか。
 しかし、日が沈むとかなり完全に漆黒の帳が降りるに違いない。
 まだ三時を回ったころであり、時間には余裕があったが、暗くならないうちに帰ろう。
 
 北端の岬へ向かう島内の道は、およそ3本ある。
 島の中央部と、東西の海岸沿いに一本ずつ北へと向かう道があり、それぞれの道は何箇所か左右の分岐があり他の道にもつながっている。しかしコンクリートで舗装されているのは中央部の道だけだ。

 たまにレンタルサイクルで走る観光者や、島の人とすれ違う。
 そろそろ帰りの船の時間も押しているので、夕暮れが近づく日帰りの観光客も減りさらにさびしくなりそうだった。

 中央の道を数十分歩くと、左(西)への分岐があり、「フボーウタキ」と書かれていた。
 こ・これが噂の・・・
 フボーとはクバの樹のことであり、フボーウタキはクバの樹の拝所ということになる。
 フボーウタキは久高島を代表するウタキであり、以前は神の女が集う男子禁制の聖域だった。
 現在は島の外部の人間は、男性も女性も入場を禁止されている。

 「本当は怖い沖縄」に、この聖域にあやまって入りそうになった女性のレンタルサイクルが風もないのに突然ぶっ倒れたというエピソードが書かれていた。
 多分こっち行けばフボーウタキの入り口ってことで、この先入り口までは行ってもいいんだろうけど・・・
 でも気づいたら入っちゃってました。なんてことは避けたい。
 僕は徒歩だ。
 神様がイエローカードを差し出す自転車ぶったおしはないから、僕自身がぶっ倒れるということになったらいやだ。
 いくらかおそれおののきながら、フボーウタキへの分岐を息を殺しつつ通り過ぎた。
 さらに進むと、今度は、急激に俗っぽい名称の「ロマンスロード」への分岐(西)があった。
 久高島北部の観光ポイントはだいたい、イシキ浜、ヤグルガー、シマーシ、ウパーマなど、沖縄の言葉で命名されてるけど、たったひとつだけ、ある種場違いな「ロマンスロード」というポイントがある。
 観光向けに後付された名称ぽい。
 しかし、突然南の島のバカンス感が出て、安心できる名称でもある。
 いやーずっとなんたらウタキばっかりだと肩が懲りますからね。
 ロマンスロードに出ると、思わず息を呑む絶景が広がった。
 紺碧の海。

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 それまで両側に樹が生い茂る道が多かったから爽快感がある。
 ウエットスーツを着た女性がたったひとり、仰向けで波間にぷかぷか漂っている。
 そういえば近くにチャリがとめてあった。
 このロケーションの中、海を独占するのはとても気持ちよさそうだけど、ずいぶん勇気がある。
 ロマンスロードの名前どおりにカップルであふれていたらイヤになってしまいそうだが、見かけたのはマイペースに一人で海を楽しむこの女性の姿だけだった。

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 ロマンスロードが終わり、農道のような道を歩いていると、T字路に出た。
 異様に存在感のあるガジュマルの巨木が分岐点にそびえている。

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 この大木はこの場所で島の移り変わりをずっと眺めていたおじいさんのような存在に違いない。
 『わしゃ見てきたよ みーんな知っとるよ』
 明らかにそんなしゃがれ声が聴こえてきそうな存在感をたたえている。
 そこを曲がり少し歩くと、カベール岬への一本道に出た。

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 両脇にクバが茂る舗装されていない、砂利の道が一本、まっすぐに伸びている。

 その道を歩き続けた。

 いつか何かの映画の中で見たような道。

 どこかへと見知らぬ地へと向かう主人公が通り過ぎる道。

 大きな希望と郷愁をいだく舞台となるような道。

 そして、神聖な道。

 祭祀の時には、白装束の女性が列を成してこの道を岬へとむかったようだ。

 今は、僕と、空と、このまっすぐの道のほかには誰もいない。何もない。

 思わず空を仰ぐ。

 ふと不思議な気分に襲われる。

 大いなる何かのなかを、その何かとともに歩いてるようなそんな気分だ。

 波の音がまたいよいよ近づき、気づくと僕はカベールに立っていた。
 
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 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ここが

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    神の原・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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  ところどころに穴が開く、ごつごつぎざぎざしたサンゴの岩でできた一見荒涼とした岩場。

  だがそこにはカベール植物群と呼ばれるたくさんの植物が生えている。

  それらの植物たちはどこか太古の趣を宿しているように見え、この岬一体を時間を越えた特別な場所のように思わせた。ごつごつした男性的な岩場をユニークな植物たちが覆っている。

 人工物と言えば、岬の入り口に小さな看板があることと、歩くのを補助する砂袋が斜面にいくつか詰まれているくらいだ。

 何かの祭祀のあとなのか、観光が残したものなのか、岩場に白い石が規則正しく並んでいる。

 相変わらず辺りには、海と、空と、岩と、僕のほかは誰もいない。

 振り返れば生い茂る森が見つめ返してくる。

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 誰一人いない空間に同時に感じる、何かの存在感。

 この場へこれたことへの感謝を祈りながら、しばらくたたずんでいた。

  
 何がこれほど静かな喜びで心を満たすのか。

 カベールまでの民家も、自販機も、電線もない道を歩くことはとても楽しかった。

 蝶がたくさん飛び交い、浜辺にはヤドカリが這っていた、ごく普通のすすきが午後の空にむかって伸び、風に揺られていた。そんなすべての光景が完成された絵のように美しかった。

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 ここではすべてが僕に向かって話しかけてくるような、そんな風景との一体感が常にあるようだった。

 ひとり歩いてるのに、一人じゃない。命があふれている。

 僕はここに『含まれている』。

 村上春樹が小説「ダンス・ダンス・ダンス」の中で書いていた、そんな言葉を思い出す。

 到着してまもなく空に現れた虹のサインは、確かに「何かが」僕を見守ってくれているという感覚を与えてくれた。 思えば今までも、いくつかの聖地を訪れたけど、そんなサインをはっきりと感じたことは初めてだった。

 どんな立派な社におまいりする時も、僕は参拝者、観光者でありもっと言えばその他大勢の部外者だった。

 僕はそこに『含まれて』はいなかった。

 少なくとも、僕の意識としては。

 でもここは違う。僕はここに含まれているように感じる。

 虹なんて単なる自然現象だということもできる。

 でもこの感覚は理屈ではない。

 その虹が「いらっしゃい、見てるよ」というメッセージサインであるとその時の僕には素直に感じられたのだ。

 その虹を見ることによって、僕は今何者かに見守られ、この島に含まれている。という感覚を持つことができた。

 周りと融合するに努力を要さない特別な場所。

 なにひとつ人工物がないことが、これほど心を穏やかにするんだろうか。

 それとも噂でささやかれている久高島の特別なエネルギーに感応しているためだろうか。

 わからないが、着いて数時間で僕はこの場所が本当に好きになっていた。
 東京で悩んでいたことのいくつかが、ここではあまり実体のないことのように思える。
 この岬に立ち、海に向かっていると、天と地との間に、人として生きていることがはっきりとわかり、そのことここそがリアルで重要なことだと思えてくる。何もないことで、天地の存在感があらわれる、すると僕らはそれを思い出せる。

 あのカベールへの道を歩いていたときに感じた、「何か」

 全長数キロの小さな小島だというのに、ここには宇宙を感じさせるエネルギーが脈打っているような気がした。

 
久高島 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/12/05 22:45

神の島 KUDAKA②

 サングーイ・アーキテクト


 画家の岡本太郎氏は久高のウタキについてその著書の中で「『何もない』ことの眩暈」と表現しているという。
岡本太郎氏が久高島のフボーウタキに入った時のこと。
 そこは久高島でももっとも中心的な御嶽のひとつだが、周りをクバの木などがが生い茂る中にぽっかり空いた空き地に過ぎないという。
 そのほかには、神霊の寄り代となる手に平大の自然石が数個並んでいるだけ(イビと呼ばれる)。
 この空き地に久高の神女たちはぐるりと輪になって座り、祭祀を執り行ったらしい。

 セーファーウタキのクオリティも、フボーウタキと同質の質素さだと思う。

 国内外の多くの聖地に見られるような、鳥居、手水舎、狛犬、社殿、神仏の絵や像、賽銭箱、おみくじ、お守り販売、などに代わるようなものがない。

 人工物といえば香炉や壺、石片、石畳くらいだろうか。
そこには聖なるもののシンボルが欠如しているという意味で、日本の寺、神社や、キリスト教の教会、イスラムのモスクとも異なる、別タイプの聖地だと言えるだろう。(聖なるものの像を禁ずるイスラムにも豪華な神殿は存在する。

 
 そこには聖なるシンボルの代わりに、濃密な自然の森と岩がある。
 セーファーウタキの神殿は自然そのものなのかもしれない。
 自然自体を神として交感していた、聖なるもののシンボルが生まれる前のアニミズム的な聖地。
 もしかすると僕らの祖先はそういったシンボルを介在せずとも、岩に森に宿る神を認識する感性を持っていたのかもしれない。ある種縄文的な感性とでも言えるだろうか。

 そのため、あえて仰々しい建物やシンボルをそこにおく必要がなかったのか。
 あるいは神聖な神々の空間に、そのようなものをおくということ自体に、ある種の穢れに似たものを見ていたのだろうか。
 その感性はそのまま、久高島の北部をなるべく手付かずの聖域として残すという感性と通ずるような気がする。
 

 その日の夜の宿泊先、豊見城市のホテルの一室でそんなことをぼんやり考えていた。
 値段がリーズナブルな割には、快適で見晴らしもいい部屋だった。
 フロントの前にはプールもある。さすがにこの季節、泳ぐ人はいないけど、プールの水面を南国の風が渡っていくのを見るのは気持ちがいい。
 普段見ないテレビもなんとなくつけて、ぼんやり見ながら、お酒を飲んでいた。
 朝方、元同居人に出したメールの返事は来ない。無意識に何度も携帯を見ている。
 せっかく沖縄まで来てるんだから、しばらくは忘れたいのだが、なかなか頭を離れない。
 観光中は気がまぎれるけど、こんな風に部屋で一人になると携帯が気になる。
 テレビでは何か気候変動に関する番組をやっている。
 このまま気候変動が進行すると、何十年か後にはスーパー台風がいくつも日本を襲うようになるだろうと専門家が話している。

 セーファーウタキのエネルギーは、個人的には僕のエネルギーを高揚させる方向に働いたようだった。
 なにかすごいものに触れたという感覚が残っていた。
 
 しかしそのあとがなかなか大変ではあった。
 僕はどうも予約するホテルの場所を間違えたようだ。
 那覇空港→斎場御嶽→一泊→久高島というルートであれば、御嶽の近くか少なくとも南城市の近場に宿泊するのがベストなのだが、中々値段が折り合うホテルが見つからなかったため、僕は豊見城市に宿を取ってしまった。
 ちょっと離れてるけど、バスかなんかで簡単にいけるさー・・・と、沖縄風楽観主義で思ってたけど。
沖縄のバス事情をよく理解していなかったようだ。
 斎場御嶽をでたあと、豊見城市のホテルに行くには、同じルートでバスターミナルまで北上し戻り、そこからまた南に下がるしかないことがわかった。
 那覇バスターミナルまで一時間、そこからホテルの最寄バス停アウトレットモールあしびーなまで40分ほど。
 そこから徒歩でさらに15分。
 朝の四時おきで、移動に移動を重ね、食事はほぼバナナ二本・・・。
 あしびーなについたころには、さすがにバナナ二本分のエネルギーは燃え尽きており、だんだんふらふらして頭もぼーっとしてきた。
 夜は近場で沖縄料理でも食べようと思ったが、いい店を探す気力もうせており、僕は近場の「大戸屋」に吸い込まれていった。「ここなら、全国同じ、安心の品質~~」とつぶやきつつ。
 まさか沖縄最初の夜ご飯が大戸屋になろうとは思わなかった。
 しかし、しかし、そこで食べた「チキン母さん煮定食」のなんと旨かったことか・・・。
 そして店員さんの出してくれたお茶のなんと温かかったことか・・・
 あんな旨い「チキン母さん煮定食」は東京にはなかった。さすが沖縄!
 多分極度の空腹のためだと思うが、いやー旨かった、大戸屋ご飯。
 そんなこんなで人心地ついたあとにホテルにチェックインした。

 少し休んでいるボーっとしてると、斎場御嶽で感じたエネルギーのようなものが、いまだに心身を振動させているような気がした。まれに調子を崩す人もいるということだったが、アップかダウンかといえば今のところ、僕の場合はアップに作用しているようだ。もしかすると、チキン母さん煮定食のエネルギーも若干入ってるかもしれないが・・・。

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 セーファーウタキに来る前にちょっと不思議なシンクロがあった。
 沖縄行きはLCCの値段や仕事のスケジュールなどで11/11に決めていた。
 問題はどういう順序で久高島やセーファーウタキを回るかということだったが、ネットで検索してると11月12日からセーファーウタキは数日間の休息日に入るということが書かれていた。
 休息日明けは、帰りの飛行機のあとだった。

 あっぶね~、ギリギリセーフ!

 11月12日の飛行機を予約してたらアウトだった。
 これでは嫌でも11月11日到着の日にセーファーウタキに参拝せざるを得ない。
 そして、その後久高島へ行くという日程になる。そんな風にある種オートマティックにスケジュールが決まっていったのだった。


 美しい直角三角形の形態をしたサングーイのゲート。
 それは自然岩によって成っており、意図的につくられたものではない。
 サングーイをくぐりぬけると、久高島が眺望できる遥拝所に出る。
 サングーイに人間の設計者は存在しない。
 しかしそのロケーションはなんらかの人智を超えた意思によって形作られた聖域のように思われる。 
 いったい斎場御嶽は、そして久高島はいつごろから聖なる島だったのだろうか。

 琉球王朝時代に、聞こえ大君という巫女と琉球王が久高島に参拝していたそうだからその聖地としての歴史は数百年以上あることは間違いない。
 常に宗教は政治と結びつき、国家の維持と他国との紛争のために利用される。久高島もそうしたさまざま政治的思惑とのかかわりの中である位置を与えられ、存続してきたこともまた違いない。
 それは伊勢、出雲、富士をはじめとする、そのほかの内地の霊性の地とも代わらないだろう。

 しかしあのサングーイが形成されたのはいったい何千年、何万年前のことだろうか?
 琉球王朝、その王朝が明治政府によって廃止され、日本が軍国化の道を突き進み、やがて沖縄にも久高にも米軍からの砲弾が飛び交い、焦土と化す。
 それらのめまぐるしい歴史的マトリクスを超越した時間軸に、サングーイを形成した「意志」は存在し、その同じ「意志」が久高を一種の聖域としているのではないだろうか。 
 それは神話的に考えるなら「他界・異界」からの意志であり、琉球ではニラーハラー、日本ではタカアマハラと呼ばれる。

 人間の意志が介在する以前に、ある土地というものは聖地として機能するように設定されている。

 人は岩や樹に宿る神を認識できたと同様に、ある土地に特有の強烈なエネルギーの場に対する感受性も研ぎ澄まされていたのだろう。その時代においては、聖地の証明は奇蹟ではなかった。きっと、あまりにも明白に感じてわかるものだったのではないかと想像する。

 セーファーウタキの「何もなさ」というのは、そのことに対する信仰というか確信にも基づいているのかもしれない。
 

                            KUDAKAへ


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 あざ間港発久高行きのフェリーは一日に6便出ている。

 久高→あざま港も同じ数だ。冬季・夏季によって最終便の時間は前後するものの、船数自体に違いはない。

 僕はセーファーウタキに参拝した翌日、バスに一時間揺られて、またこの静かな港にに戻ってきた。

 それにしてもこの辺の雰囲気はすごくのどかだ。

 前回滞在した辺りよりも、ずっと落ち着ける。

 国道沿いの歩道を歩いていると、青い羽根の蝶がひらひらと木々の間を舞っているのが見える。

 お昼ごろにはセーファーウタキ前のバス停に到着したが、久高へは14時のフェリーでわたることにして、それまでは付近の知念岬などをぶらっと歩いて回ることにした。
 ターコイズブルーの海を背景にして、パラグライダーがいくつも舞っているのが見えた。

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 そしてここからも久高島がはっきり見える。

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 今日は天気もいい。空は夏空。気温は、やはり暖かいというよりも明確に「暑い」というレベル。
 那覇に到着した時は思ったより長袖の人が多いようと見えたんだけど、あれはもしかすると防寒ではなく、日差しを防ぐためだったのかもしれないと思い始めていた。
 現に曇りがちの昨日、セーファーウタキを観光しただけで、僕の顔はじんわりと日焼けで赤くなっていた。
 11月でも南国の日差しは馬鹿にできない。


 出発の時間が近づくにつれ緊張感が高まってきた。
 今日は久高へ渡り、島の交流会館に宿泊する予定だ。
 いろいろな話しは聞いてきたものの、いったいどんな感じなのか予想できない。
 島という一種の村社会に入っていくというのも、大都市に観光に行くのと違い、どこかよそ様のお宅にお邪魔する感があるが、加えて久高の聖域としての特殊性が緊張度をいや増しに増していた。
 安座間港待合所には、もう数組の乗船客がいて、雑談の声が響き渡っていた。
 意外と若者やカップルが多いようだ。
 それを見ていくらか肩の力が抜けると同時に、ややうんざりもした。

 なんだー他の観光地と同じだなー。

 なんとなく、なぜか僕一人でわけのわからない世界に入っていくというイメージを持っていたのだ。
 同船するとしてもスピリチュアル系バリバリの巡礼者みたいな人が多いのかと思いきや、集団で何かゲームの話しをしているやや秋葉系ぽい男性チーム、じゃれあっているカップルなど、一見たとえば国際通りですれ違うような観光客と変わりないように見える。
 ほっとすると同時に、なんかイライラもしてきた。
 なんで久高島への船待合所でゲームの話し?
 「君たちーちょこっと位は神の島にわたるっていう厳粛さをもってもいいんじゃないのー」と心の中で説教を始めそうになる僕は何様だ。壁には、島の石などは持ち帰らない、ウタキなどにはみだりに入らない、などのお願い事項が貼られている。

 まあ、この待合室、全員白装束で首や手首にをぐるぐる巻きにした巡礼者集団で埋め尽くされていても、それはそれで辛いもんがあり、逃げ出したくなるに違いない。
 心の中での説教はやめることにするが、うるさいのもいやなので一足先に乗り場へ出て、フェリーを眺めながら一服することにした。

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 30分ほどはフェリーに揺られていただろうか。

 遠くの水平線上に、細長く蛇のように伸びていた島影はじれったいほどゆっくりと大きくなり、やがて浜辺や港、鉄塔らしきものも見えてきた。

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 フェリーは久高島の得仁港に着岸した。

 隣り合って座っていた乗船客は、三々五々に分かれて港から集落への道を歩いてゆく。

 ガイドが着いているらしき集団、カップル、男性集団、こういう時はやはりグループのほうが安心感がありそうだ。

 この感覚、海外に行ったとき群れたくなる感覚と似てる。

 一応NPO久高島振興会のホームページから島のマップをプリントアウトして持ってきてはいる。
 しかし、急になんだか心細くなってきた。

 あやうく、ガイドがいる集団のお尻に着いて行きそうになったが、そこは思い直し、事前にプリントアウトしてきた地図を片手にまずは「最初にここで挨拶」と書かれている、外間殿(ふかまどぅん)へと一人向かうことにした。

 地図はゆるいイラスト風で、中心的な拝所や、浜辺、岬の名前などが記されている。

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  港近くに何件かレンタルサイクル屋さんもあるが、地図によると北端の岬まで歩いても一時間くらいらしい。
 まだ夕暮れまでには時間がある。 
 今日は徒歩で回ることにしよう。

 集落内は静かで、ほとんど住民の姿も目に入らない。
 小学校の横を通り過ぎるが、授業が行われてる様子もなく、子供たちの声も聞こえてこなかった。

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 いつのまにかあんなにたくさんいた乗船客もどこにもみえなくなり、僕はしんとした田舎道をひとりで歩いていた。
 道の両脇には木々が生い茂っている。
 道がよくわからない。

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 誰もいな~い・・・

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 誰もいな~~~~いよ・・・・・・・

 ちょっと静か過ぎてやや怖い。

 
 最初に会ったのは下校中らしい制服を来た女の子二人組み。
 僕を見ると、向こうから「こんにちは!」と異口同音に元気な声をかけてくれた。

 
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 迷いながら外間殿にたどり着き、そこで一応ご挨拶。
 ここでも自転車に乗った地元の方と遭遇し、「こんにちはー」と挨拶した。

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 そのあとまたぐるぐる。
 やぶの向こうに積み上げられた石の前で、なかなかの面構えの黒猫が僕をじっと見ている。

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 地図に載っている『大里家(うぷらとぅ)』の前に出た。
 『大里家』は島の始祖家のひとつで、もっとも古い家だという。
 僕はなんとなく島の地主的な人が住んでいる旧家なのかとイメージした。
 その前でお土産を売ってる人がいる。ちょっと宿泊先への道を尋ねてみよう。
 あれはもしや『大里家』の人々なのだろうか?しかし地主がパラソルの下でおみやげを売ったりするか?
 高貴なお方に私のようなよそ者が話しかけてもいいのだろうか。

 「こんにちは、お茶でも飲んできませんか?」とパラソル下のご夫婦らしきかたが言った。
 家の前には大きなガジュマルの樹がある。

 「あ、ありがとうございます。いただきます」

小型のタンクのバルブをさげて、プラのコップにお茶を注いだ。お茶は冷たく、レモンの香りがしてさわやかだった。

 「ここは大里家っていうんですよ」と奥さんが言った。

 「ああ・・・一番古いおうちだっていう・・・今でも人が住んでるんですか?」

と尋ねつつ、僕の目に映るのはどうみても廃屋でどうみても無人の、古い空き家だった。

 「いえ、もう誰もいないです。コーロだけがおいてあって、、コーロってあっちの言葉でなんていうんだろう?コーロ?香炉でいいんだっけ。わかります?」

 奥さんが笑われたので、僕も笑いながら、「はいはい、わかります」と答えた。お礼を言って大里家の中へ入ろうとすると入り口の木々の葉に蝶が羽根を休めていた。きれいなので何枚かカメラを向けてシャッターを押した。

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 蝶の写真を撮っていると、さっき港で別れたガイド付きの集団もどやどやと敷地に入ってきて、僕もそのあとに続いた。
 確かにうちの中には棚があり、いくつか香炉が並んでいるのが見えるだけだった。
 これはいったいどういう意味があるんだろうか?
 

 あとから勉強したところは、大里家(ウプラトゥ)という香炉だけが置かれた家は、普通に考えられている田舎の地主的旧家という存在とはまったく異なった概念の存在だった。どうも大里家は、島全体のルーツであるだけではなく、神話的な時間軸と日常的時間軸のつなぎ目のような家らしい。ただの古い空き家ではなく、祭祀の際にも回られるような聖域だ。

 久高島にはムトゥという言葉があり、草分けの家を意味する。
 集落の北側に位置するほど歴史的に古く、南に行くほど新しい。
 ムトゥの中でも最古の八家を「古ムトゥ」といい、大里家(ウプラトゥ)は中でももっとも古い。
 そして古いということは神々の世界、あるいは神々の時とのつながりが強いということでもある。
 
 久高島の穀物伝来神話にもウプラトゥの、シマリバーとアカツミーの話しがある。 
 イシキ浜で漁をしていたアカツミーが沖の方から流れてきた壷をみつけた。
 彼は壷を拾おうとしたが、沖に戻され、拾えない。
 そこでアカツミーが家に戻り、シマリバーに相談する。
 シマリバーはヤグルガーで身を清め、白い着物を着てもう一度挑めば取れると教えてくれた。
 言われたとおりにすると、壷はアカツミーの手におさりまり、中には麦、粟、アラカ、小豆の種が入っていた。

 この神話を持つ大里家は、「五穀世大里(グウクウクユーウプラトゥ)」「種世(サニユー)大里」と呼ばれている。

 また歴史的信憑性が高い話しとしては、大里家の娘、クゥンチャサンヌルの話がある。
 クゥンチャサンヌルは異界と交信する力を持ったシャーマンだった。
 その噂を聞いた琉球王朝の尚徳王(1441~69)は、久高島の彼女を尋ね、通っているうちに恋に落ちた。
 尚徳王がクゥンチャサンヌルとのロマンスに政治を忘れてしまってるうちに、城内で革命がおき、それを知った王は帰りの船中で海に身を投げた。これを知ったクゥンチャサンヌルは家の前のガジュマルで首をつり、あとを追ったというのだ。 

 そのガジュマルがまだ大里家の前に生えているものらしい。

 大里家を含む古ムトゥの家々は、それぞれひと創り神話、穀物伝来神話、島創り神話などを担い、そのルーツとなった神々を宿す寄り代となる。祭祀の際には、それぞれの神々が神職者におりて、創造のとき、つまり神代を再現するとされてきた。

 いまだ誰もいない大里家が残り、そこに香炉があるのは、それが根源の神々や祖霊の寄り代であるからだろう。

 オーストラリアの原住民アボリジニーは原初の神々が息づく神話的時空間を「ドリームタイム」と呼んだ。
 久高島では重要な祭祀の折に、その「ドリームタイム」が再現されてきたが、やはり特徴的なのは実際のそれぞれのムトゥがそれを担っているという「家」や血脈の生々しさではないだろうか。 

 もちろん理性的に思考するならば、これらの家々が実際に神々と密接なつながりを持つことを検証する方法はないのだが、尚徳王とクゥンチャサンヌルのエピソードなどを見る限り、何か秘められた力や役割をこれらの家々が持っていたということは確かなのかもしれない。

 こういうムトゥという概念は馴染みがないために、理解するのに少し時間がかかった。


 大里家を訪れたときは、その空き家や香炉の意味がよくわからず、ずあまり興味が持てなかったため、僕はガイド付き集団よりも先にそこを抜けて、さっき教えてもらった宿泊先へとさっさと向かうことにした。

 十字路で立ち止まり、ふと空を見上げて息を呑んだ。

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 あ・・・虹・・・・ 

 鉄塔と電柱の間に、虹のアーチのかけらが浮かんでいる。
 雨も降ってなかったのに。
 背後からどやどやとやってきたガイド付き集団もやはり虹に気づき、「お、虹が出てる、歓迎サプライズだな」と言って通り過ぎていった。
 久高島には虹がよくでるみたいだけど、僕にもこのタイミングはなにか特別なものに思えた。
 夢中で何度もシャッターを押す。

 すごい。。。やっぱここは神の島なんだろうか。
 
 やはりこの場所は何かが違う。
 虹は島の北端のカベール岬の方向に確かにかかっていた。


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久高島 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/12/03 14:16
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