両国へリスニングに(トマティス体験)


   5/23記 5/27編集



 

  本日は完全に夏日、6月下旬くらいの体感です。

  やや暑いけど、僕はこれくらいの方が調子がよく、活動性がMAXになるのはこんくらいの気候でしょうか。

  ということで本日はトマティスを体験しにお出かけしてきました。

   Dr-tomatis.jpg
 
  トマティスとは、フランスの耳鼻咽喉科医アルフレッド・トマティス博士(1920~2001)が開発した、聴覚を胎内の状態に戻すことによりリセットして、ブロックされていた音の周波数帯域を聞こえるようにし、より完全な耳にするための方法です。これはまた、語学、音楽の上達、リラクゼーション、トラウマ治療、潜在能力の開発、発達障害児童のセラピーなど幅広い分野で応用されています。

 かつてはオペラ歌手のマリア・カラスがトマティスを受けたことは有名です。

  現在、ボイトレ再開しまして、地元の公園で地味に発声練習したりしてますが、図書館でトマティスに関する本に引き寄せられ読んでみました。



 で、思いました。「発声」と「聴く」ってことはふたつセットなんですね。
 どうしてもボイトレとかするとなると「声を出す」方にのみ意識が向いてしまいますが、トマティス理論によると「聴こえない音は発声できない」ということです。だから音楽をする場合、アウトプット以前に、音を脳にインプットしている耳がどのような状態であるかというのはすごく重要になるのではないかと。

 トマティスでは普通の聴覚テストでは詳しく測らない、周波数別の聴力をテストしてオーデイオグラムという表にします。

 なんとこれを見ると、パーソナリティの特徴などもわかるらしいですね。

 どの周波数帯の聴力がよいか、ということで例えば高音域が強く、低音域が弱い場合、精神文化への理解力などは深いが、肉体労働は苦手、行動力に欠ける。

 逆に、低周波の感度が強く、高周波ほど感度が鈍いという場合は、足腰は丈夫でからだは元気、行動力は十分、ただ細かなデスクワークは苦手、頑固で融通が利かない面も・・・なんていう傾向が現れるそうです。

 ホントなら面白いですよね~

 ちなみに前の方のようなオーディオグラムの結果を知性曲線、後者のような結果を行動曲線と呼ぶようです。

 人体各部に共鳴する音も周波数によって異なり、高周波ほど頭頂(8000ヘルツ)寄りに、低周波ほど尾てい骨寄(200ヘルツ)りに共鳴します。


 (尾てい骨の200ヘルツは、ドレミの歌のソ~は青い空~のソ(mid1G)とソシャープ(mid1G#)の間くらいです。
 胸部の1500ヘルツは、hihiGで、ドレミの歌のソから3オクターブ上、普通の歌い手には出ない声です。最後につけた動画でご確認くださいませ。
頭頂の8000ヘルツは、マライキャリーでも出せる音じゃありません。
 ただ誰にでも聴こえる音です。胎児は8000ヘルツの音の世界にいるとトマティス博士は言ってるようです。)


 そしてある音域にだけ音のカーテンと呼ばれる、ブロックがある場合があるようで、これは例えば幼児期のトラウマなどで起こるそうです。子供は先天的な障害がなければ、もともとみな完全な耳を持っていますが、つらい出来事があると、ある音を聞こえなくすることで、自分を守る場合がある。それが「音のカーテン」と呼ばれるもので、オーディオグラムでは斜線がひかれるエリアです。

 うーん、どうもトラウマというのはあれですね、たぶん聴覚だけではないんですが、サバイバルのために「知覚を制限する」みたいですね。だから不安が強いと、ある特定のポイントに関してはむしろ普通の人より知覚力が研ぎ澄まされたりすることもあるようですが、知覚でも思考でも全体的な広がりは失われます。

 知覚は限定的・固定的となり、思考や行動は強迫的・常同的(ループする)となるような気がします。
 動物たちの生存プログラムの名残が、人間の中で発動している状態です。

 で、面白いんですが、トマティスにより耳を初期化することでトラウマそのものが癒されることもあるらしいんですよ。
 発育トラウマというとどうしても、ヒプノなど潜在意識に働きかける系というのがメジャーですが、知覚器官を解放することによってそれが癒されるのなら大変興味深いことです。

 まだ、トラウマというと精神的な症状が出るという認識がメジャーで、知覚にも影響するということはあまり知られていません。

 僕らはおおむね、同じ世界を共有していると思っています。

 しかし、耳という器官ひとつとっても、ある人には聴こえている音が、ある人には聴こえていない。あるいは、ある人には右から聴こえ、ある人には左から聴こえている(音の定位能力の違い)ということがあるんですね。

 それを可視化して見せてくれるのが、オーディオグラムなわけですね。

 で、僕もまず、その検査を受けさせてもらいました。

 ヘッドフォンをつけて音が聴こえれば、左右聴こえた方の手を挙げるという簡単なテストです。

 僕はたぶん、知性曲線を描くのではないかと思いました。あと音のカーテンもあるんだろうなと。

 ってのは結構聴力とか発声に関するコンプレックスがありまして、騒音の中で人と話すのがものすごくイライラするくらい苦手だったり、なかなかこちらも騒音を飛び越えるような響く声が出せないとか、歌の先生に音程の悪さをダイレクトに指摘されたり(泣)しましたので。

 ・・・のですが。結果は予想外で、「耳、いいですよ」(ヤター)ということでした。バランスがとれた理想曲線に近いということ。

 理想曲線はイタリア人などに多いそうです。そう言えば濃厚なピザやワインは好きです(関係ないって)

 あ、カンツオーネも好きだよ(もういいって)




 ただ、左耳の高周波域に音のカーテンがかかってるエリアがありました。
 そして気導音(空気を伝わって感受する音)にくらべて骨導音(体内の骨から伝わってくる音)がちょっと不安定な曲線となりました。

 音のカーテンができる理由は様々ですが、常に自分の左側に何か自分にとって耳をふさぎたくなる人・ものがあったり、また左耳は女性とのコミュニケーションに対応しているので、女性トラウマという場合もあるらしいです。

 まあ、女性トラウマは割とあるんですけど、原因はよくわかりません。なんかブロックされてるみたいです。

 カラオケでよく左耳をふさぐいで歌うと、ましに歌える気がするんですが、それとも関係あるんでしょうかね~

 今回のこのリスニングテストは、無料です。(トマティス自体は結構高額何ですけどね)

 いやーこれいいですよ。
 オーディオグラムだけでもかなり自己理解が深まりますし、 
 担当の方もすごく明朗知的な感じで、すごくお話ししやすかったですし、お勧めしたいですね。

 入会などをごり押しされることもありませんでしたし。

 テスト以外にも出し惜しみする感じもなく、たくさんのことを教えていただきました。
 
 雑多な騒音が苦手(家電量販店のえげつない騒音など)という話をすると、それに対処する「聞き耳を立てる」というエクササイズを教えてもらいました。自分の耳をぴーんと伸ばしてる感じで、10センチくらい耳より上の位置で聴いているとイメージするそうです。

 すると、交通量が多い通りでも、車の「ぐおーん」という低音部分ではなく、しゅっしゅっっと風を切る音のような高音部分にフォーカスしやすくなるらしいです。人間にとって、より物理的な低音部分がより脅威を覚え、ストレスになりやすいらしいです。

 これは聴力が完全に受動的なものではなく、「選択できる(周波数帯域を)」ということを意味しています。
 「うるさい」というのは絶対的なもんじゃないんですね。聴き方を変えることもできると。

 面白いなーと思いました。実践してみようかと思います。ウサギ耳^^ 

 トマティス博士は聴こえてくる音の「高周波をとらえなさい」と言っていたようです。

 そして最後に、一時間だけ聴覚セラピーをお試しで聴かせてもらいました。

 いやーこれが、異様に気持ちよかったんですよね。こんだけ長々と書いてるのも、どうもあれにエネルギーをかなりもらった気がするからなんですが。

(これももしかすると、トマティス理論特有の考えかもしれませんが、脳は糖分などからだけエネルギーを補給しているわけではなく「外から聴こえてくる音」「自分の声」からもエネルギーを補給しているらしいです。

 だから、読経とか歌を口ずさむことはすごく、脳の働きに影響するってことです
。)
 
 簡単にいうとリクライニングチェアーに横になって、音楽を聴くだけです。
 曲は前半モーツアルトで、後半はグレゴリア聖歌です。
 頻繁に聴こえてくる周波数帯域が変更されます。(多分フィルターがかかったり、はずれたり)
 そうすると、モーツアルトの中音域だけが聴こえたり、高音だけが聴こえたりするんですね。

 完全に途中から深い瞑想状態になっていました。

 すごく平和で、美しい、草原のような風景が浮かんできたりして、とにかく気持ちよい状態を味わっていました。

 たぶんシータ波の状態ではなかったろうかと思います。

 終わって、外に出ると、すごくリセット感があり、明日の仕事や帰りの電車時間のことなんてなんにも浮かびませんでした。

 ただ夏空がきれいで、いいなーと。自分で瞑想もしますが、なかなかここまでリセットされないんですよね。最近は特にいろいろ悩みもありまして、夜も睡眠があさかったりで、思考が走り気味だったのがすごく落ち着いて、風景が新鮮に見えました。

 久しぶりの感覚でした。
 僕もヘミシンクとか、バイノーラルサウンド系のCDをよく聞きましけど、なんかそれとも違いましたね。

 うーん、単にグレゴリア聖歌が好きだからかなーその要因もあるかもしれませんが、とにかく気持ちよかったことは確かでした。

 この平和な気持ちよさはフローティングシェル(アイソレーションタンク)に入った時と少し似てるでしょうか。

 フローティングシェルは、明らかに母胎の環境再現でもあり、スタニスラフ・グロフいうところのBPM1の再体験的意味合いが強いです。トマティスの聴覚セラピーでは、少しづつ音にフィルターをかけて、胎内にいた時に聴いていた8000ヘルツの音のみが聞こえるようにします。これを長期間聴き続けることで、聴覚がリセットされるということです。

 胎内の疑似環境をつくるという点ではどちらも似てますよね。
 タンクは感覚的に胎内の再現であり、トマティスは聴覚的な再現ということになる。

 これ組み合わせたらすごそうだけど、誰か作ってくれないかな。
 
 音と声、聴覚の世界は果てしなく深いですね

 発声とともに聴覚も探求していきたいと思います。 

 最後に音に関して面白かった動画をいくつか・・・ 

 高音厨普通にすごいな・・・ぼかーどっちかというと低音厨なので それでもこんなにでんけど

 低音厨の人、お笑い芸人の麒麟川島的なシブい低音っすね 合間のコメントが妙にかっけ~




 


 




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セラピー&ヒーリング | コメント(2) | トラックバック(0) | 2016/05/28 22:46

ボイトレで横浜へ



  このところ、時々、横浜近くまでボーカルのレッスンを受けにいったりしています。

  吉祥寺のコピスでたまたま↓の本を見つけて、一度会ってみたいと思ったのがきっかけ。

       


  本を読むと音楽から、教育、哲学まで知識の範囲がハンパなく大きい方で、なおかつ歌への情熱がすごく感じられて非常に印象的でした。

  で、本の文体のある意味ロジカルな感じから僕は完全に男性だと思っていたのですが、ミドルエイジの女性の先生でした。
  
  ↓この文体を読むと・・・↓

  
  私にとっての絶対的真理があなたにとっても絶対的真理であるとは限りません。
  絶対的真理などない、という人がいます。信仰(神の存在)こそが真理だという人がいます。理性(1+1=2であるという普遍的事実)こそが唯一の真理だという人もいます。 
 
  絶対的真理について議論しても仕方ないので、ここでの絶対的真理は、科学的に立証できる事実のことではなく、あなたが直観的に「事実」だと認めたものを「真理」としたいと思います。ですから、私が多くの疑問を投げかけることで、あなたが混乱し、パラレルワールドにでも迷い込んでくれたなら、私にとってはしめたものです。

 真理は自己の外にではなく内にこそあります。

 その壮大な光景にあなたは何を見るでしょう。あなたは、そんなスペクトル巨編の主人公です。2時間程度で完結することは不可能だと思いますので、ゆっくり気長なたびを楽しんでください。

 しかし、その難路の先に、美しき源泉があることを信じてください。


 僕は割りと文体からその人の性質を嗅ぎ取るのは得意な方だとは思うのですが。。。
 てっきり男性かと思い

  完全に予想を裏切られてしまいました。
  ということで大変才能豊かつ、個性的なパーソナリティの方だと感じています。

  え~と僕の歌はどちらかと言うと酷評されておりますが(笑)、

  そして30代後半なら「小僧あつかいする」と言われてたりしますが、若干M気質な僕にとっては、あまり今のところ「なんだこの~」と思ったりはしていません。なんか厳しい目のほうが今の自分には必要かもとも思ったり。 

 今日、うかがって面白かったのは、日本語の歌よりも洋楽のほうがむしろ歌いこなすのは簡単だという話しでした。

 日本語の会話は基本胸式呼吸、ネイティブスピーカーは腹式呼吸。これを胸式→腹式に直すだけでも大変です。

 加えて、英語には、単語自体にいわば強弱や色合いなどの音楽性があるけど、日本語の単語は複数のぶつ切りの文字が並んでいるだけなので、これを歌として通用させるまでのプロセスが英語よりもずっと大変だということでした。 

 それは日本語の母音は5つだけど、英語の場合は20種類ほどもあるところから来てるようです。
 これは五色のパレットで絵を描くのと、20色のパレットで絵を描くのとくらいの違いらしい。 
 そのため日本語の歌をそのままで歌うと、どうしても洋楽より平坦な印象になりやすい。なので、五色の色合いの中でそれらを混ぜたりして表現の多様性を磨いていくことが必要ですが、すごく初心者にはそれはレベルが高い。

 これが、洋楽のほうがむしろ簡単と先生が考える理由でした。
 「簡単」というのはメロディと歌詞だけを覚えることが、ではなく、人に聴いてもらえるレベルにするにはということだと思います。

 まあ、こういうことですよね↓



 あ い う え お という母音の5音が日本語の基礎となっているわけですが、まずこれらを純化して本来の音をだせるようになった上で、表現を磨いていく必要があるらしいです。

 僕は現在のところ、歌自体を練習するという域にあるとは思っていない部分がありますので、数ヶ月はボイトレの基礎をみっちり教えてもらうことになりそうです。経済的なことからもいつまで続けられるか微妙なところはありますが・・・

 どうも歌を歌いたいという以前に、本来の声を出したいというか、響く声、アピール力がある声を出したいという衝動がどうもあるようで、昔からこもりがちの低音ボイスでぼそぼそ喋ってると友人たちから「え?」とか「もっとでかい声で喋れ」とか言われることが多かったコンプレックスから解放されたいというのあるかも^^;

 で、そういう日常のおしゃべりや、スピーチやらの自己表現の究極バージョンが、僕の中では歌、なんですよね。
 なんでかというと、そこで動く感情量、官能性のレベル、肺を出入りする空気の量、などが通常の日常のコミュニケーションよりも大きいからでしょう。
 そのような自己表現を出来るようになりたい(自分なりのレベルで)というのがしつこく願望として消えません。
 日常のおしゃべりのコンプレックスをさらにハードルが高い分野で挽回したがってるようなところがあるのかもしれません。


 子供の頃ドンジャラで大敗したので、人間競馬で大勝してやる!みたいな・・まーそういう部分もあるんでしょうね。

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 そして俺の前で焼き土下座しろ!みたいな(冗談です) 

 そんな感じで地元からは片道一時間くらいはかかりますが、定期的に通ってみようかなと思っています。

 先生の歌 ピアノとアカペラこんな感じ



 


 人前で歌えるレベルになれるかはさておいて、また自分の声表現に変化が起こりそうで少しわくわくしています♪


私的雑記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/15 23:42

Saga~ This is My Road カノン



 カノンさんの歌、いつ聴いても別世界に行ってしまいます。


 

 


 






好きな歌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/13 22:39

虹のパレードに寄せて③ FESTA散策

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気がつけば、周りの人たちが、パンティーを高らかとかかげてぶん回し始めていた。

なんだ、ここはどこなんだ・・・

そうここは代々木公園RAINBOW PRIDE のFESTA会場です。

5月7日の午後

ステージでHP HOPを演奏しているのは「西新宿パンティーズ」

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さっき、メンバーの男性が黒いバッグに大量に入ったパンティーを客席に向かって思い切りばら撒いたのでした。

我先にとパンティーをジャンピングキャッチして、幸運にもゲットした人たちはラップに合わせてノリノリで振り回し始めました。

空を舞うパンティーを見たのは、昔、ドラゴンボールでウーロンが神龍に「ギャルのパンティーおくれ~っ」とお願いした時以来かもしれません。

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↑この勢いがすばらしい



僕の方にも大量に飛んできたのですが、まだまだ修行が足りないのか、羞恥心が邪魔して、思い切り飛びつくことはできませんでした。ジャンプして口でくいついていくくらいの、ウーロン並みの情熱が必要です。

曲の合間に観衆のほうからも(もっと)「パンツちょうだーい!!」と声があがります。

それに答えてまたまた青い空を舞う、パンツ

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一瞬、なんじゃこれわ・・・とくらっとしたけど、会場の盛り上がりに乗せられて、僕もからだでリズムをとりながら聞いてました。演奏開始とともに、観衆がかなり増えたみたいなので、人気あるみたいです「西新宿パンティーズ」。

 (このブログでこんだけパンティーという言葉を多用することはこれが最初で最後でしょう)

普段は、下半身を露出したりすることも普通らしいけど、本日は子供もたくさんいる代々木公園でのイベントということでおとなしめになってるらしい。

風が少々強いけど、からっとした晴天で強烈な日差しが照りつけています。

フェスタに行くにあたって、こういうLGBTのイベントは始めてなので、どういう雰囲気なのかちょっと不安感はありました。

 しかし、連休中の代々木公園で開催されるんだし、多分、一般の人もお祭り感覚でたくさん来るような開かれた感じだろうなーと予測してきましたが、それは当たってました。

 飲食のお店もたくさんあって、縁日感覚でファミリーでも楽しめるのではないでしょうか。

 すぐ隣ではカンボジアフェスティバルもやっていて、ちょっと会場で迷えば、いつのまにかレインボーエリアではなくカンボジアエリアに入ってしまっていて、ステージ前でサルサ?踊ってる群集にまぎれてしまったり、なんかとっても素敵にカオスな感じです。

 暑くて、うるさくて、ぼーっとしますが、、、ちょっと楽しい。

 レインボーエリアの中は、ほとんどは見た目にはどの「色」の人か、あるいは一般の人か見分けがつきにくいですが、中にはわかりやすい「色」で歩いてる人もたくさんいます。

 からだを寄せて歩く、ゲイカップル、レズビアン
 背が高く派手な衣装のドラッグクイーンのような人
 レーザーラモンHGより、数倍ハードな格好をした太目のおじさんが、道行く人にキスをせがんでいます
 女装した男性も何人か
 以外と少ないような気がしたんですが、最近のきれいな女装子の方は一般女性と認識されるので気づかなかっただけかもしれません。
 中には男性とわかることはわかるんですが、とても女性的なオーラが出てて美しく見える方もいます。
 
 見た目のインパクトが強い人は動くランドマークみたいになっています。(動くから目印にはならないけど)

 「あ、大ハードゲイまたいる・・・3回目・・」みたいな

 えーと、僕はもちろん潜伏取材をするつもりだったので、まあまあ普通の格好で紛れ込んでいます。

 一回くらいナンパされるかと思いましたが、されませんでした(笑)
 
 とにかく暑くて、人が多くて、あまり得意な環境ではありません。

 時々、喫煙所に行くけど、そこもたいてい満員。

 喫煙所に入る前年齢確認で身分証を出すと、手の甲にスタンプを押してくれます。

 なぜか「L」というスタンプです。

 うーんなんでLなんだろ。GとかBもあるのかな。単にLGBTの頭文字をとっただけだと思いますが、「L認定」されたような気分。そのLスタンプを見せると、二回目以降は出入り自由になるシステム。

 ブースを見ながら場内を回り、疲れたら喫煙所か木陰で休憩、ということを繰り返してるとすぐに夕方になっていた。

 NPO「ぷれいす東京」のブースで、HIV支援のボランティア募集について少し話をきかせてもらいました。

 HIVに関しては、ずっとどこかで気になっている部分があります。

 以前HIV陽性の知り合いがいました。
 それほど緊密に付き合ったわけではないのですが、いったいどういう気持ちなのだろうと想像をめぐらせることが多く、その後一度からだの関係になったことがありました。
 自宅に誘われ、手料理のなべでもてなしてくれて、お酒を飲み、かなりべろべろで一緒のベッドに入りました。
 僕の初めての同性との経験でもありました。
 僕は誘われた時に、彼が感染してると知っていました。
 でも雰囲気的に、問いただすことは出来ませんでした。
 それにどっちもかなり酔っ払ってました。加えて、僕が好きだというので用意してくれていた「ラッシュ」と言う吸引製のドラッグも入ってました。心臓がバクバクし、頭はさらに朦朧となり、まともに思考できる状態にはありません。
 そして彼はおそらく、僕が知ってるこということを、知らなかったのです。
 セーファーセックスであったので、それほど心配していたわけではありません。
 その後に受けた医療検診で、僕は陰性の結果がでました。
 ただ、その方は行為のときに僕に陽性であることを言ってくれなかったので、少しひっかかってもいたのです。
 セーファーなので言う必要がないということではないと思うんです。命に関わることなので。 

  今なら、こちらからでも切り出すべきだったと思いますが

 それに医療検査を受けるまでは、もしなにかの間違いで感染していたら・・・という気持ちもゼロではなかったです

 他人事としてしかとらえてなかった、ニュースでしか知らなかったHIVという病気が、いきなり距離をつめてきて、すぐ自分の身近に、もしかすると体内にいきづいているかもしれないというあの感覚は忘れることができません。

 でもすべての社会問題とはそういうものだと思います。気づけばいつ自分が当事者になっていても不思議はないものですよね。

 10代おわりから20代はじめまでずっと恋人もなく、ひきこもっていた僕にとってその彼との一度の関係は、ずっと離れ離れになっていた自分と他者との絆がつながれ、からだがつながれ、インナーチャイルドが安心する瞬間でもあったのです。
 誰かに甘えられるということ、からだを触れ合えるということ。
 一番即物的な方法ではあるけど、、、大事な思い出のひとつとして今も残っています。

  男性が好き、彼が好き、と言うよりも自分よりも大きな存在に、ただ抱きしめられたかっただけかもしれない。

  触れて欲しい、抱きしめて欲しい 本当に単純な欲求の充足です。
  注目され、愛され、守られてると擬似的に、一時的にでも感じることが出来る。
  そこから多くの人が性に依存していくのも事実ですが、その奥にある愛されたいという基本的欲求は誰にとっても真摯なものです。だから愛をもとめていて、死のようなものを突きつけられるというのは残酷なことです。


  そんなこともあり、HIVはずっと他人事とは思えない部分があったのです。 

 幸いHIVは治療法の進化により以前よりもずっと、感染後も元気にすごせる可能性が増えてきているようです。
 「ぷれいす東京」ではボランティアとしては自宅にうかがって家事をしたり、話し相手になるということをしたりするそうです。
 それならヘルパーの経験が少しは生かせるかな?と思ったりしました。


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 会場にはLGBTに関する、こころの問題を相談する機関を紹介するブースもありました。

 LGBTの世界は不思議ですね。
 どんな世界でも陰・日なたがあるのは当然です。
 ニューハーフショーや、メディアに出演しているオネエタレント、イケイケのゲイや女装子という存在があり、そういう人たちはショービジネスや水商売、芸能というシーンでプロパガンダ的な役割をしている。
 でもその裏側ではHIVを代表とするような、問題が口をあけている。
 LGBTの貧困率、そして自殺率は高いといいます。
 一見奇矯で、華やかなで、時折コミカルな世界の裏側にはそういう現実がある。
 やっぱりどうしても、性の問題、アイデンティティーの問題、まわりとの問題で悩んで自己否定に陥ったり、アルコール、セックスへの依存症になったりしやすいのかもしれません。HIVのところで書いた彼も、1週間に一度は記憶がなくなるくらい飲むと言っていたのを覚えています。僕もアルコール、薬物、その他への依存衝動は根強いものがありました。

  でも、いわゆるオネエキャラが人生相談の相手としてウケるのは、通常よりも自己否定に陥りやすい境遇を、力強く、時にはぎりぎりまで打ちのめされつつも、たくましく生きてきたからなのでしょう。

ではどうして自己否定感を持ちやすいかと言えば、これはやはり社会的な価値観の問題に他ならないと思います。

 自己否定に陥りやすい境遇、と書きましたけど、そうでなければならない理由はないのです。

 LGBTに生まれついたからと言って、自己否定に必ずしも苦しむ必要はない。

 自分のユニークさを賞賛し、多様な視点を育むきっかけにもきっとできる。
 僕もなるべく、与えられたすべてをギフトとして生きられるように願っています。

 社会的価値観に打ちのめされる必要はないし、少しづつ、それを変えていくこともできる。

 社会的価値観は常に変遷してゆくもの。

 ということは、僕らが性的少数者や多様な性のあり方への理解を広げれば、LGBTの人たちのメンタルヘルス向上に役立つということですね。

 非常に遠回りで、間接的な方法ですけど、人の意識が代わるということが結局一番確実な変化の礎の形成ではないでしょうか。


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 夕方になり、なんとなく喧騒に疲れてもきたので、代々木公園側への歩道橋をわたりました。

 暑くて、うるさくて、濃くて、でも元気をもらったような気分

 先ほどとは打ってかわって静かな夕暮れ時の公園では、いろとりどりのバラがたくさん咲き誇っていました。

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未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/08 18:34

虹のパレードに寄せて ②





 (続き)しかし、これもまた難しく、というのは僕自身いまだに自分のジェンダーが謎なんですよね~

 女性とつきあったことはあります。
 ついこの間まで、10年以上付き合っていたパートナーと一緒に住んでいました。
 他にも期間は短いですが・・・
 男性と付き合ったことはありません。
 でも、人数だけで言えば、体験自体は男性の方が多くなります。
 
 アイデンティティ的には、「男」メインでやっていますが、「女」人格が時々顔をのぞかせてきます。

まだあどけない小学生のころ、初恋は女の子でした。

 ショートカットの見た目ちょっとボーイッシュな女の子でした。

 この子と大きくなったら結婚したいと思っていたような気がします。

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 そのころ↑

 あ、今思い出したことがある。

 僕はちょっと変なんですかね~

 そのころ、近所の小さな神社に帰り道お参りしながらいつも「幸せな結婚ができますように」って言ってたんですよね^^小石を投げて鳥居の上に載ると願いがかなうみたいに、みんな言ってて、、よく石を投げてました。

 10才そこそこの男の子がする願い事?と今は思いますけど。

 他に、テレビアニメの「キャッツアイ」を見て、ああいう格好がしたいと思ったりしてました。

 

 いやいや、当時ですよ。今の僕の画像に想像でレオタードをかぶせないでくださいね。

 似合うわけないんだから・・

所持したりしてないですよ・・・

 あと女子向けアニメって違和感なく普通に見てましたね。
 割と好きです。女子向けのほうが恋愛志向でちょっとドキドキするというか

 再放送だった尾思うけどこの辺のアニメ?

 すっげー覚えてるこの歌

  






 なぜかうちにあった「キャンディキャンディ」も楽しく読みました。
 今でも、あんまりベタベタなのは読まないけど、「ガラスの仮面」やら萩尾望都さんの漫画やらはきれいで好きです。


  11、2才のころになると、結構男子にもウェットな感情を感じる自分に気づきました。

  クラスメートにハーフのなかなかカッコいい子がいましたが、彼が、「好きな子がいる」という話をしてるときに、思わず「それ女?」と尋ねてしまったことがありました。すると彼は笑って「男だったらおかしいやろ」(関西弁喋れるんですよね)と言いました。なぜ、そんなことを聴いたかと言うと、もしかすると、自分のことが好きなんじゃないかとなぜかその時思ってしまったんですね。
  
 と、同時に、クラスには好きな女の子というのもいました。
 転校してきた子で、ちょっと大人っぽくて、胸が大きいと男子に評判の子でした。(小6ともなると修学旅行とかでそういう話しをするわけです)

 小学生のころはそれでもそんなに悩んだり、自分が人と違うとも思わなかったんですけどね・・・

 悩みとか違和感が大きくなってきたのは、17,8くらいからでした。
 女性的になりたいという欲求があって、それと葛藤していました。

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 ゲイとトランスジェンダーの区別がまったくわからなかった10代、20代のころ、もしかして自分はゲイじゃないのかという内なるホモ疑惑に苦しんでいました。

 それはかなり強烈な自己嫌悪を伴い、半ばひきこもりになっていたのはそれも原因のひとつだったのです。

  どうも、自分は普通の男とは違う、何かあやしい、変態的な、汚い存在であり、あのまぶしいキャンバスの中に歩いて出て行く資格がないと思え・・・。

 だから一人自転車をこいで誰もいない海にばかり行ってましたし、自己嫌悪を忘れられるアルコールに頼ってました。

 最初はその内なる「何か」を抹殺して、まっとうな、普通の、健康的な男性になろうとしていました。

 しかし、どうしても「普通の男」になれそうもない気がしてきた時に、ゲイ向けの雑誌を買ってみました。

 やや捨て鉢気味に、もうゲイになってやろうかと思ったのです。
 ちょっとゲイの方に失礼な書き方になってしまいましたが、なんかそういう気持ちだったのです。
 ひとつ間違えば、僕は多分、売り専(ゲイ向けの風俗)で働いてたと思います。
 

 出会い系で、ゲイの男性にあったりもしました。
 だが、どうも違う感じがする。なんか、その世界に入れないのです。

 あとから気づきましたが、それはゲイの世界には♀という記号・イメージがなかったからでした。
 ♂と♂だけが絡まりあう世界に自分はいることが出来ず、そこでも違和感を感じる。

でもいっそ、パーフェクトなゲイであったらよかったのにと何度も思いましたよ。
そうすればこんなにあっちかこっちかみたいにいろいろ悩んだり、迷ったりしなくて良かったのにと。
かつての彼女とも100パーセントストレートな男として付き合いたかったとも思いました。

  のちにあるカウンセラー的な人物、(というかよく書いてるI師匠ですが)に、いっちっばん最初に会った時に、「精神的にレズなのでは?」と言われてはっとしました。(しょっぱなからなんちゅー話ししてるんだろ)

 そこで謎のピースがひとつみつかりました。

 つまり、性自認に女性性の部分があり、性対象も女性であれば、確かにレズビアンということになる。

 どちらかというと僕の嗜好は♀と♀のLの世界に親和性があり、ゲイの世界である♂と♂に溶け込めるはずはなかったのです。

 ただ、自分が女性になるとかなんらかの♀イメージが入ると、男性との関係は違和感はないので、正確にはMTFバイセクシャルと言えるかもしれません。また性自認が♂の部分も確かにあり、結構いまだ混乱してる感じです。

 I師匠にはその時に「最初見て、この子は女の子だなと思った」と言われて、ちょっとうれしかった思いでもあります。
 まだ20代でしたね~・・・(遠い目)

  なぜか師匠と最初に交わしたのはそういったセクシャリティに関する会話でした。

  また師匠以外にもたまに自分の中の「女性」を見てくれる人がいました。

  高校の時のクラスメートと談笑してる時、「Mはわがまなな<女>やな」とふといいました。他の男子が「いや、いや女とちゃうやろ」とふざけながら突っ込むと、彼は「ええんや」と笑うでもなく真面目な顔をしてました。
 いや、正直、キュンとしました(笑)
 わかってくれる人がいると思って。

 あとクラスで性転換したら似合いそうな男子一位にめでたく選ばれたり・・・

 他にも何度かそういううれしい言葉をかけられたことがあり、まあそれにすがって僕の中の彼女は生存を続けてきたのかもしれません。

 しかし逆に典型的な野郎扱いをされたり、昔からの知人に馴れ合った会話の中で「おっさん」とか「親父」とかギャグでも言われると「ひどい、何でそんなこというの・・・」と傷ついたりしました。
 正直、まだ「おばさん」と呼ばれたほうがいいかもしれません。
 でも説明できないんですよね、どうしてこんなに嫌な気分になってるかを。

 その後20代の終わりくらいから女装することに興味が出てきたりしました。
 女性として男性と会ってみたいとも思いました。
 でも、そのころには何年もつきあってる彼女がいたので、かなり欲求は自分なりにセーブしてたつもりです。
 ところが、時々、ぷちっと何かが切れて男性と浮気してしまうことが何度か。
 それが思いっきりバレたこともありました。彼女は本当は男が好きなんじゃないのかと疑っていたと思います。
 
 「本当」はどうなのか、いまだによくわかりません。
 ただいえることは確かに僕の中の「女性」は存在して、彼女を抹殺しようとすると、彼女は暴れまわるということです。これ以上男性化したくない、たまにはきれいな服でおしゃれしたいとささやくということです。

 なぜ彼女はいるのか、彼女は何者なのか。彼女はどうしたいのか?

 遺伝なのか、生育暦なのか、単なる趣味嗜好なのか

 その辺の謎を見極めつつ、今後も<僕>は、僕の人生に出会いと、混乱と、豊かさをもたらした<彼女>とつきあっていきたいと思っています。
 抹殺しようとすることはもうやめました。
 ここのところいろんな自分の生活の屋台骨が解体してきましたので、もう、月並みだけど自分に本当に正直に生きるしかないのかなーと思っています。

 まあセクシャリティは変わっていくものとも言うので、男とか女とかゲイとかトランスとか、今「決めないで」今のあり方で人生を楽しみたいです。今回書いたのはすべて過去のことです。



 明日は午後は多分晴れてまた暑くなりそうです。

 パレードに参加するかは未定ですけど、初夏の代々木公園でRAINBOW FESTAのブースをぶらーっと回ってみようかと思います。 


 
セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/06 20:57

虹のパレードに寄せて① TOKYO RAINBOW PRIDE2016


                       rainbow.png




 また更新にだいぶ時間があいてしまいました。

 一応元気でやっております。

 先日は、武蔵野市内で開催された「LGBTカミングアウトのためのコミュニケーション講座」というのを聴講してきました。

 この講座は5月7日、8日に代々木公園などで行われる<TOKYO RAINBOW PRIDE>の関連イベントとしてひらかれました。

 RAINBOW PRIDEというのは、

「 『東京レインボープライド』は、 LGBTをはじめとするセクシュアル・マイノリティ(性的少数者)が、差別や偏見にさらされることなく、より自分らしく、前向きに生きていくことができる社会の実現を目指すイベントの総称です。

その主なものとして、『パレード』『フェスタ』を主催し、『レインボーウィーク』キャンペーンを実施しています。

これらのイベントを通して、LGBT当事者並びにその支援者(Ally)と共に、「“生”と“性”の多様性」を祝福する場を提供しています。

日本では、人口の5~8%前後がLGBT当事者ではないかとされています。

決して少なくはない数であるにもかかわらず、まだまだLGBTの存在は可視化されているとはいえないのが現状です。

 『東京レインボープライド』では、様々なイベントを通じ、LGBT当事者が等身大の存在として広く社会で知られるようになり、当たり前に暮らしていけるよう努めていきます
。」


 というものです。(RAINBOW PRIDEホームページより)


 LGBTという言葉はこのところ随分メジャーになってきてますけど、雑に説明すると

 L→レズビアン G→ゲイ B→バイセクシャル T→トランスジェンダー  を意味して、そのようなセクシャルマイノリティ(性的少数者)に属する人たちの総称として LGBTという言葉があります。

 で、まー生まれ持ってそういうカテゴリーで人生を生きてきて、家族だとか大事な友人、職場などに本当の自分をさらけだした上で生活したいという時に、「カミングアウト」(自己開示)が必要となってくるわけです。

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 その講座と言うのはこういうデリケートな問題をカミングアウトする時に、カミングアウトする方、される方にどのような心構えがあれば、わかりあえるかということをテーマとしたものでした。

 正直、僕はそういうセクマイ(セクシャルマイノリティ)の方が集まる場というのは初めてで、結構緊張感が強かったのですが会場に入ると、まあごくごく普通の男女が座っていました。当たり前ですけど、見た目で明らかに人とは違うとか、おかしいという人はいないのです。マツコデラックスみたいな濃いキャラ(嫌いじゃないですが)で会場が埋まっていたら多分帰ってたと思います。

 ただ、先生はトランスジェンダーの方で、男性としてうまれているけど、女性として生きている方でした。
 髪の毛はロングですけど、背は結構高く、男性的なシルエットでもあり、メイクもされてるという感じで、一見するとメディア的な「おねえ」のキャラと<やや>少し近いかもしれません。

 でも違うんですね~~

 なんと先生には女性の彼女がいて、彼女との間に子供がほしいので、性適合手術、ホルモン療法などは受けてないと言われていました。

 ここまで読んで、LGBTにまったく詳しくない方は???となるかもしれまんせん。

 トランスジェンダーの中には、MTF(man to female)とFTM(female to man)があります。この講師の方の場合はMTF、つまり肉体は男性として生まれているけど、性的アイデンティティは女性と言うケースです。(精神医学の言葉では性同一性障害とも言います)

 MTFの方の中には、アイデンティティは女性で、恋愛や性の対象は男性という方がたくさんいます。
 これは理解しやすいですよね。
 自分が女性であり、男性に愛されたいということです。
 
 しかし、性自認は女性だけど、性の対象も女性という方もたくさんいて、MTFレズビアンと呼ばれます。
 他にも性自認は女性で、性の対象は男女両方だというMTFバイセクシャルもたくさんいることでしょう。
 
 ちょっとややこしいのですが、もともとLGBTのLGBまでは 外的な対象の嗜好性を意味する(男好き 女性好き 両性好き)であり、TranceのTはそもそも自分は男か女かというアイデンティティの問題であるので、概念の枠組み自体がちょっと違うわけです。
 LとGにはタチやウケ、リバ(リバーシブル)という性的に能動的、受動的、あるいはどちらもと言う役割のある意味男女分化という要素はあるのですが、性的アイデンティティ自体の転化は薄いのです。

   講師の方も、いろんな場で自分の立場を説明すると「じゃああなたははるな愛ちゃんみたいな感じなの?」というようなリアクションが返ってくることが多くて、結構困ることがあると言われていました。

 ここで個人的な話をしますと、僕自身もセクマイ的な傾向が強いと思います。
 だから、一般教養としてではなく、当事者意識でこの講義も聴講しに行きました。

 まあ、ブログとかで性別♂60% ♀40%と書いたり、なにげに小出しにカミングアウトはしてるんですが・・・

 といってもWEB上だけのことであり、WEB先行で知り合った人にはなんとなく理解してもらえますが、リアル先行で知り合った人にこちらから言い出すというのはハードルが高く、まだやったことはありません。

 WEBでも小出しにしか書いてこなかったので、LGBTウィークに寄せて、今回はなるべく詳細にカミングアウトしてみようと思います。 

 しかし、これもまた難しく、というのは僕自身いまだに自分のジェンダーが謎なんですよね~(続く)



セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/05 13:42
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