Radio update 9/20  エンデ 鏡のなかの鏡より 教室では雨がたえまなく降っていた。

  





   ミヒャエル・エンデ著 鏡のなかの鏡~迷宮~ を朗読しました。

   エンデは児童文学が有名ですが、この「鏡のなかの鏡」は一風変わった連作形式になっています。

  舞台設定も物語も登場人物の姿もシュールレアリズムの絵のようで、割と難解で大人向きです。






  エンデの父親はエドガーというシュールレアリスティックな絵を描いた画家でした。

  ↓これは「教室では・・・」に挿絵として使われたエドガーの絵です↓ 

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  「鏡のなかの鏡」は父エドガーに捧げられた作品です。

  
  今回朗読した「教室では雨がたえまなく降っていた」は
  
  僕の好きな密室劇タイプになっています。

  雨の降る教室に閉じ込められた性別も年齢もバラバラの人々、いや中には人ならざるものも交じっているようです。

  彼らは雨の降る教室で誰かを、おそらくは先生を待っているが、いくらか退屈してうんざりしている様子。

  決してここが好きではないが、いろいろな理由でここにいるしかないと思っている。

  さてさて、いったいこの不思議な空間で何が起こるのでしょうか?

  最近雨がずっと続いていますので、感情移入してもらいやすいかもしれませんね。


  登場人物


  ○医者の青年
  ○役人の男
  ○太ったおばあさん
  ○ウエディングドレスの女性
  ○アーモンド型の目の少女
  ○翼の少年  
  ○横たわる少年




     
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Haitaka Radio | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/20 17:04

耳と声日記 ③

  今年、5月から始めたヴォイトレ、ようやく曲を使った歌の練習に次回から入ることになりました。

  この5か月ほどにやったこと。

  ●ブレストレーニング
  ●50音調音
  ●音階練習
  ●おーいを叫ぶ練習  

 などなどで、月二回とはいえ、この内容のみで5か月は長そうに思えるかもしれないですが基礎とはいえ体や呼吸、発声、そして言葉に関して気づかされることが多く、正直もうちょっと基礎練習でもいいかなと思うくらいです。

 特に50音の発声に関して。知ってる人には常識だと思いますが、行によって口のどのあたりから音が出ているのかって微妙に違うんですね。

 たとえば、カ行は下の奥で息の阻害を作り(Kの状態)、そしてその阻害を解放し口があ(A)の口をしたときに「か」という音が生まれます。(舌の奥を口蓋につけず「か」と言ってみてください。無理ですね~)だから割と口の奥の方で生まれる音です。

 一方、ま行は唇で息を阻害し(Mの状態)、その阻害を解放しあ(A)の口をしたときに「ま」という音が生まれます。
 唇をつけずに「ま」と言ってみてください・・・無理ですね~ 「か」は言えるんですけどね。
 これは唇のあたりで生まれる音です。

 こんな風に行によって結構、異なっていて、この唇だとか、舌先だとかを使って音の生まれる場所を「調音点」と呼ぶらしいです。

 そしてこんな風に「調音点」の違いだけではなく、ま行やな行は鼻腔を使った鼻音は入るのでとても濃厚な響きになるだとか、や行 わ行は 二重母音なので (たとえば「を」 U+O 「や」 I+A )存在感があるとか、それぞれにすごく興味深い個性があることなど教えてもらったので、歌を歌う以前に、朗読だとか、また普通にしゃべる時にも結構知ってた方がいいのではないかと思ったりしました。

 うーむ、中学とか高校で「日本語の時間」をとって教えてもいいような気がしますけど。
 ていうかもっと早く知っておきたかった。母国語の発声のことですからねー
 文科省、プリーズ・・・!

 そして、これ、一見歌とは関係ないようにも見えますが、サビに入る時とか、音程の変わる時に調音点や正しい調音法をほんの少し意識するとかなり音がとりやすくなった感じがします。

 「40年近く生きてきて、<ま>さえ言えない自分をしっかりみつめなさい(*`皿´*)ノ 」 

 てな感じで厳しく指導されて、何度か凹みそうになりましたが、現段階でも結構得たもの多いなーと思います。

 いやでも鼻音て鳴らすの難しく感じました。
 そして最近ちょっと部屋で、一人で小さく発声するとき「ま」行の官能性にはまっているのですけど。
 多くのプロの方はどれくらいの音を鼻から抜いて濃厚に共鳴させ、どれくらい口から出してクリアに響かせるかというバランスを調整できるみたいですね。たとえば口60パー、鼻40パーみたいに。

 まったく歌う以前の段階ですけど、こういう一音一音の音楽性みたいなものがあることを知れたのはすごくよかったなと思います。

 通ってるヴォイトレ先生、生徒さんに求めるレベルがかなり高い方だと思いますけど、でもそれだけにこっちも「趣味感覚」以上に気合を入れてやらざるを得ない部分もあり、行くたびに「道場」のように竹刀でぶったたかれて闘魂注入されてる感があります。こてんぱんに言われて凹むこともありますが、同時にいつも毒舌の裏に、音楽やお弟子さんを育成する情熱が感じられる先生です。


  

 

 今週はトマティスのCAVワークショップにも行くので楽しみです(o‘∀‘o)*:◦♪



耳と声日記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/19 21:27

Radio update 9/17 客観VS主観 お話会より



 9月2日のI先生お話会に参加して考えたことなど、話しました。

  


 ■お話会のタペストリー
 ■客観性は草食動物?
 ■月に行くとどうでもよくなる
 ■アニータ・ムアジャー二さんの体験を思い出す、アニータさんの臨死体験
 ■主観性の極まった危ない状態とは例えば・・・
 ■主客のねじれ
 ■「幻想」と客観性に対峙する必要性 
                                      
 ↑目次には先生の話しではなく僕が、勝手に考えたことも入ってます。


Haitaka Radio | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/17 22:28

フィールド<場>のマジック②

  エイリアンとロボット イン ハリケーン


  よく体験することですが、、、、

  ひとつの空間にたくさん人がいて、誰が一人が咳払いをすると、続いて「えへん、えへん、えへん」とあちこちで同じような音が連鎖的に発生する場合があります。

 自分もこれちょっと気になるので、僕はそれが「自分発」なのか「他者発」なのかたまに観察しています。

 人の動きに触発されてなんとなく行動しているのか、あるいは内的な衝動からきたものなのか。

 ちょっと天邪鬼なところがありまして、同調圧力で自分が行動を凍結していたりするとイライラしてきて、それを破りたくなることがあります。

 一方、集団の群れの中で同じような行動をしてると安心したりする部分もやはりあり、人間ってたぶんこのふたつの衝動を持っているのでしょう。

 同調圧力を跳ね返して『個』でありたいという衝動と、集団の中で調和して安心していたいという衝動

 ただこの『個』でありたい衝動は、生物学的には10パーセント程度に強くでるというような話し聞いたこともあります。

 そういう人はアウトサイダー気質がやや強く、同時にリーダータイプですが、長く同じような場にとどまってなんとなくなあなあでやって行くことを嫌う傾向にあるような気がします。

 リーダーであり、旅人であり、放浪者であり、既存の<場>の不適応者でもあり、新たな<場>の構築者であり、変化の触媒になるタイプです。いい意味でも悪い意味でも個性や<我>が強い。他との境界線も大事にします。

 数年前の海外ドラマ「HEROES」に「あなたはロボット?それともエイリアン?」というセリフがあるそうです。



 ロボットというのは言葉はちょっと悪いですが、既存の社会という大きな<場>の中でなんとなく自然に自分の役割を見つけて、それに従って生きていけるタイプであり、エイリアンというのは自分で自分の道を模索し深めて行くしかないタイプと言えるかもしれません。

 まあ、誰の中にもロボットとエイリアンがいて、どちらが今のところ強く出ているかという風に考えることもできるでしょう。 

 エイリアンは「反逆者」とは少し違います。

 「反逆者」は「ロボット」のアンチテーゼであり、社会に恨みを持っています。なので、それに復讐したり、ルールを破ったり、モラルを破壊することに生きがいを感じるわけです。

 「反逆者」は目線が社会ありきなのですが、エイリアンはまず「個」ありきなのです。

 エイリアンが常識から少しはずれた行動をするとき、それは社会に逆らいたいからではなく、「個」としての自分がそれを求めるからです。反逆しているわけではなく、おのずから「ずれていってしまう」のです。

 基本的には文明の発展は「個」を重視する方向に動き、人間の自我意識は強くなってきているようです。

 そうすると、分離感も強くなるので、何か大きな<場>に包まれたいという衝動もやはり強くなるでしょう。
  
 しかし、それは自我の強さに比例するようなより大きなもの、本質的なものでなければなりません。

 国家や組織のために死にたいなんて、もはや誰も思ってはいませんし、思うべきでもない気がします。

 強力な場で自我の昂進したを人間を包めるのは、ガイアという惑星的な生命の<場>なのですが、この場は前回の密室劇ではありませんが気候変動という「テーマ」を通してある種の「緊急事態場」で全人類をくくろうとしており、僕らはその中で協力し合うことを学ばざるを得なくなっているのかもしれません。

 エイリアンはもう逃げ道がないことに気づく必要があるし、ロボットはもはや自分の従うプログラムが有効ではないことに気づく必要があるのでしょう。

 そして、このドラマのシナリオライターは、エイリアンにもロボットにも等しく重要な役割を与えているはずです。



知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/16 10:51

フィールド<場>のマジック




今年に入り、一人暮らしを始めるようになり、やや路頭に迷っていた感もあった時、池にいくつかの石を投入しました。

 ひとつはインナーチャイルド、早期トラウマ、愛着障害などに関すること→あるカウンセリングルームを一度訪ね、そっち系の本を結構読みました。


 ひとつは、なんとか自分の技能で収入を得る道はないかという模索→WEBライティング、ライター全般に関して学びました。


 ひとつは、セクシャリティに関して→LGBTのイベント、講座に出席したりしました。


 ひとつは、歌、ヴォーカルトレーニング、聴覚セラピー(トマティス)に関して勉強し始めました。


 いくつかの石は投げこむと同時に、ほとんど手ごたえもなく水面下に沈み、いくつかの石はより大きな、たくさんの波紋を生み出しさらにその波紋が相乗効果でさらに大きな波紋となり、現在も振動し続けているというような感じです。

 投げ込んだ石はどれも自分にとっても長い間のテーマや、興味の対象であったものですが、それぞれ「行動」にうつすとまったく異なった「池側からの」リアクションや出会いの連鎖のようなものが起こります。

 それらを観察しつつ、どの種類の石をどれくらい投げ込むべきかを見極めつつ、実験してきたような印象があります。

 ひとつ思うのはやはり、「場」があるものとないものでは、まったく手ごたえが違うということです。

 「場」というのはある特定のテーマに関しての人の集まり、グループ、同好の会、最小単位としてはセラピストとクライアント、先生と生徒という二点間で成立する、生身の人間同士が相互作用して生み出している磁場と言いますか・・・

 その「場」との相性により、さらにそのテーマを突っ込んでいくかが決まってしまうような部分があるように思います。

 幼い時から~学生くらいまでの友人関係という「場」は特に特定のテーマを持っているというよりも、お互いになんとなく気が合うかとか、パワーバランス、生育環境が似ている、生理的気質による相性のようなものに基づいていると思いますが、大人になってからはある「テーマ」「社会的役割(仕事)」「趣味」「思想」などによって「場」が形成され、そこに複数の人が出たり入ったりするというような感じになりやすいと思います。
 
 僕は緊急事態などによって、まったく異質の経歴を持ってるもの同士が、密室的な状況下で協力せざるを得ないというようなドラマが好きなんですが 「ロスト」とかね、古い映画ですが「ポセイドンアドベンチャー」とか



 僕は 「ロスト」は震災を間に挟んでみてましたいので、特に印象深いドラマとなっています。
 ディープすぎて途中で挫折しそうになりますが、、、これはまちがいなく21世紀人が見ておくべきストーリー

 




 まあたとえば、医師 ギャンブラー、画家、村長さん、水泳の選手、土木工事技師、飲んだくれ、幼い霊感のある少女、引きこもりの青年、みたいな普通は混ぜないぐちゃぐちゃな組み合わせですよね。

 ハイジャックされた飛行機内とか、異次元空間に閉じ込められるとか、朝起きたらホテルをゾンビに包囲されてるとか(笑)まーなんでもいいんですけどね。

 そういう人々が、緊急事態という「場」で強制的にくくられ、そこで生まれてくるドラマというものに魅力を感じます。

 そんなドラマで、最初おたがいにぎくしゃくしてたり、差別意識に満ち足りしてるんですが、

 いつしか

 最初やっかいものだった飲んだくれがものすごい機転を利かせたり、プライドだけが高くいやな奴だった医者がとても自己犠牲的な行動をしたりすると、ゾクゾクしますよね。

 どうもこういうのって、特定のテーマを持たない、強制結合された「場」という意味では幼いころ~学生くらいの人間関係と似てるのかなってちょっと思います。
 敷いて言えば場のテーマは「生きるか死ぬか」になってしまうので、子供の友達関係なんちゅーぬるいものではないんですが、それでもより生理的かつ根源的なところでくくられているという点では共通するかと。

 さっきも書きましたけど、幼いころは、生育環境、パワーバランス、なんとなく好きか嫌いか、土地、などの要因によって「場」が形成されます。これはある種運命的というかカルマ的というか、自己意識で選択できるものではないので、その中に閉じ込められてるともいえるわけです。
 そういう意味で、「緊急事態場」とちょっと似ています。

 子供たちはその土地から、学校という「場」から自力で離れることはできない。
 それはすなわち、運命共同体であるということです。
 サバイバルゲームでもあります。

 最近幼なじみにあって思いましたが、彼とは「趣味」とか「テーマ」「仕事」などのくくりに関してはもうずいぶんかけ離れているんですが、てことは好きなサークルでばったりであったりすることは多分ないわけです。
 それにもかかわらず割と強いつながりか感じるというのは、僕と彼の関係イコール、僕とその土地の関係、その土地で過ごして共有する記憶との関係、という付加要素が強いのでしょう。

 
 
 えーとずいぶん脱線して自分でわけがわからなくなってきた感がありますが・・・・

 書きたかったこと、それは大人になってから参加する「場」というのはいろんなテーマや思想があるということですね。
 そして「場」をまとめあげ、統括しているリーダーが大きな力を持っていることもあります。

 いろんな「場」に参加するということは、それらの思想的内容をシェアすることであり、そうするように促す同調圧力も不可避的に発生します(意識的ではなくても)。

 たとえばカウンセリングルームにいくと、セラピーを受けてトラウマを解放すれば人生が変わっていくという考えを提示されて、セッションを受けることを勧められます。
 LGBTの講座を聴講すると、セクマイとしての自意識が高くなります。
 アセンション系の講演に参加すると、まもなく大災害が起こることは間違いないので、とりあえず水と食料の備蓄が大事に思えてきます。

 このような様々な「場」の影響力は、僕らを混乱させることもあります。

 特にそれらの構成メンバーが、幼児期の家庭や学校でのサバイバルゲームの影響を無意識に引きずっているという場合、そこで起こることは「テーマ」に沿ったお互いの向上ではなく、インナーチャイルド同士のパワーゲームや支配・被支配の関係であり、「テーマ」は消え去ってしまいます。かつてのカルト的団体などでよく起こったことではないでしょうか。

 と言って「場」≒人間関係をすべて避けていては、僕らは成長も、癒されることも、ないというのも事実です。

 不必要な場の同調圧力に影響されることなく、自分に本当に必要なものを取捨選択できる能力が必要なのでしょう。
 「場」に洗脳されない強さ。
 様々な「場」を必要に応じて出たり、入ったり、また「場」を構成する力というのでしょうか。

 しかしそれ自体が愛のある場、エネルギーフィールド、関係性によって育まれないと芽生えてこない力なので、なかなか難しいものがありますが。

 人間関係が難しければ、海や草原、山などの大自然の<場>が僕らを自分自身にしてくれることもあるかもしれませんね。

 時に応じて良好な<場>に参加しつつ、

 同時に自分自身との間に、愛のある<場>を確立していこうという方向性は重要なコンパスになってくれるような気がします。


知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/13 12:52

KYOTO August 2016

 8/23記

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  京都府立植物園にて

  *注* 京都ぽい写真はあんましでてきません、悪しからず 

  今回もいつも使うLCCで成田→関空→京都という経路で帰省しました。

 運賃は新幹線よりも全然安いんですが、やっぱりドアツードアで7時間くらいかかってるってのがどうも、、、なかなか疲れました。

 初日はホテルに泊まり、翌日、京都駅近辺で評判のサルーテというローフードレストランに行ってみようかと思ったのですが・・・

 ホテルを出た途端、くらくらする熱気にやられて、、、いい加減にしか場所をチェックしていなかったサルーテを探す気も失せてしまい、これはヤバい、、どこか涼しいところに入らねばまともに思考できない・・・!

 と危機感を感じ、思わず入ったレストランで、普通にハンバーグを食べてしまいました。

 入ってからハンバーグ専門店と気づき、もうなんだか面倒くさくなりまして

 和風しそハンバーグを注文

 鉄板に載ったじゅーと焼けたのが出てきます、上にシソの葉が一枚載ってて和風な感じ。

 ってそこだけかい!

 はふはふ ぱくぱく ご馳走様でした

 普通においしかったです。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・しかし

 ローフード探してて、ハンバーグって・・・ははは~なんか僕こういうとこありますね。

 ・・・・・・・・・・そして

 目の真ん前、すぐ近くに初老の男性と、30代くらいの女性がテーブルに隣り合って座ってまして、まー隣同士ですわってるのも「ん?」と思いますが、あっきらかにイレギュラーな関係というのがわかる感じで、

 男性は女性に「わしが死んだら財産みんなやるわー お前はホンマにかわいい」みたいなことをずーっとしゃべくってるんですよ。すると女性が突然男性の頬を両手ではさんで思い切りぶちゅぶちゅやりだしたので、

 うげごぉあるぁあ(声にならない声)と思いました。

なに、コント?

 深夜のバーとかならわかりますよ、でも今、お昼12時過ぎ。お昼休みのビジネスマンもたくさん入ってくるような駅前のレストランです。

 いやいや別にいいんですけどね、法に触れてるわけじゃないし、結構(?)なことです。

 よく京都は世間体を気にするとか言いますけど、東京でもあまりみられない光景を目にしてしまいました。
 
 こんな愛人色を全開にして見せてるカップルって・・・

 どうもサルーテをあきらめて、ハンバーグ屋に入ったことで肉食の世界に迷い込んでしまったのでしょうか。

 これはいかん、いかーん

 母親に駅近辺にあるいい庭園の話しも聞いていたのですが、これ以上猛暑の中駅近辺をうろつく気にもなれず、市街地を脱出することにしました。

 そして清浄で、涼やかな地を求めて地下鉄に揺られること15分ほど、北大路駅下車。
 たどり着いたのが植物園だったわけです。
 
 植物園にはポケモンハンターがいっぱい。
 どうもその夜にあった幼なじみの話しでは、府立植物園、珍しいポケモンがとれるスポットらしいです。

 炎暑の中、植物の命が燃え上がる公園で幻影のモンスターを追う人多数。

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 蓮の花がきれいでした

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 暑いは、暑いですけど、緑が多いのでかなりましな体感。

 木フェチにはたまらない巨大なエノキがそびえています。

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 エネルギー交換 ぎゅいん ぎゅいん 

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 盛りを過ぎたバラ園の中央に、ものすごい迫力のヒマラヤ杉を発見。

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 ぐるっと一周


 すっかり癒されて、園を出るとすぐに鴨川河畔へ出られます。

 真夏の鴨川河畔。 

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 積乱雲立ち昇り、いい感じですが、暑い!!
 この日気温35℃くらいです。

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 鴨川にはこういう飛び石があって、対岸に渡れる場所があります。
 これは植物園から少し川沿いを北に歩いたあたり。

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 飛び石から上流を見ると、気持ちいい!

 いやーお寺とかなんだとかいろいろあるんですけど、京都。

 この鴨川沿いの風景が一番好きかもしれません。

 子供の頃よくみた光景と、あまり変わらないというなつかしさもあるかもしれませんが。 

 京都へ一泊とか二泊で旅行される方は是非、京都駅や四条を離れた北の方にも足を延ばしていただきたいです。
 


 うちに帰ると父親がエアコンもつけずに、34~5℃の室内で走っていました

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 日々の日課のようです。
 数十分走ってると、だんだんランナーズハイになってくるらしいです。
 若干心配になりますが、まあ元気そうで安心しました。

 滞在予定は3、4日ほどでしたが、幼なじみにあったり、お墓参りに行ったり、どぶろくで酔っぱらった母と腕相撲をしたりしてる間に(からだの使い方を教えてもらってる間になぜかこうなった)あっという間に終わってしまいました。

 週末の夜に大阪に住んでる幼なじみが車で会いに来てくれて、ドライブがてら通った学校のあたりを走りました。

 幼なじみはもう10年くらい前に結婚してて、2児のパパで、愛犬一匹といつのまにかずいぶんライフスタイルがかけ離れてきましたが、一緒に通った高校のあたりを車に乗せてもらって走り、商店街で「ドラクエ買うときに学校サボってここ並んだなー」的な話をしていると、時間が経っているのか経っていないのかよくわからない不思議な感覚にとらわれます。  

 まー価値観やなんかはお互いずいぶんずれてきてしまっている部分は感じるところですが、それでも共通の思い出が人を結びつけるパワーというのは強いなと思います、

 瞑想がどうとか、ヨガがどうとか、不食がどうとか、ローフードがとかあまり話せる雰囲気ではありません。

 しかし、この幼なじみがよく言うのは、僕が高校生の頃割といろんな小説を読んでて、面白かったものは彼にも貸してたんですよね。その中でも「リング」の原作が衝撃的だった、めっちゃ怖かったという話はよくしてくれます。

 「あれ読んでたから映画は全然怖くないなー」と。

 確かに映画より小説の方が全然怖いと思いますけどね~
 貞子さんの呪いは

 昔から好きなものを人に読ませて、反応を見るのが好きだったようです(笑)
 彼の方は洋楽のテープとかをよくくれましたし。まあそんな風にお互いの人生を豊かにしてた時期があったと気づくのは、価値観のズレなどに気づくのを補って余りあるほどうれしいことです。

 あと彼に読ませた本で、こういうのがありました。なかなかしゃれにならない、すごい話しだったのを覚えています。
 角川ホラー文庫ですが、これはホラーちゅうかやや文学寄りだと思いますね。。。
 多感な年ごろに読んで、いろいろ考えさせられた小説です。

 

 割とグロイものを人に読ませるのが好きだったんですかね。

 ファミレスでポテトやピザをつまみつつ長時間喋ってました。
 もういいや、ローフードや食事制限・・・東京戻ってからにしよ

 次回こそ、ゆくぞ、サルーテ!!

 東京に帰る日、台風とバッティングしそうで少し心配でしたが、やや京都より曇ってるものの比較的穏やかな天候の日に帰れてよかったです。翌日は風雨で部屋に1日閉じ込められました。夕方、台風一過の空を撮りに出かけました。

 台風前後の空はいつ見てもドラマチックですごいですね、


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 昨今の状況では台風が好きとかいうと、かなり語弊がありお叱りを受けそうですが、嵐の前のもわっとした湿った雨のにおいを嗅ぐとなぜかいつも胸が高鳴るのを感じます。

 なんだかターミネーター第一作でサラ・コナーが、写真を撮ってくれた少年がスペイン語でなんか叫んでるのを聴いて、ガソリンステーションの親父さんに「なんて言ってるの?」と尋ね、「嵐が来るって言ってます」と答えをもらい「わかってるわ」とつぶやいた時の気分になりますね(なげーって)


私的雑記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/02 18:57
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