ロバート・C・フルフォード著 「いのちの輝き(Dr.Fulfords Touch of Life)」を読みました。
著者は1997年、92歳でなくなるまで現役のオステオパシー治療家として活躍された方です。
この本と出会ったのは、エドガーケイシ―のリーディングと弟にカイロプラクティックの話しを聞いたのがきっかけでした。
弟は長年精神疾患の症状で結構大変な経験をしているのですが、カイロに通うようになっていろいろな症状がかなりやわらいできたらしいのです。
その時は ふーむ、そういうこともあるのか~と 思いつつ
先日、昨年末から気になっているエドガーケイシ―のHPを読んでました。
エドガーケイシ―は膨大なフィジカルリーディングというものを残しています。
これは個々の相談者の、主に健康上の問題に対して ケイシ―がトランス状態で 原因や対策について回答したものと言えるでしょう。
面白いことに フィジカルリーディングは 「よろしい 我々は ○○ の身体を捉えた」という言葉で始まっています。
「我々」という言葉から、リーデングの情報は 不可視領域の意識グループからきているような印象を受けます。
通常、彼らからだと こちらの肉体はよく見えないが、特殊な視力を使うとよくわかるようになる・・というようなそういうニュアンスを感じる。
なんかこの現実とは別周波数帯の現実から、この物理現実にある肉体というものに 何者かがフォーカスしようとしているという感じです。
またチャネリングでは その情報ソースが意識グループであるということはよくあるみたいです。(ハトホルの書もそうでしたが)
ドクタースピリットの集団なのかな?? よくわかりませんが^^
それで、フィジカルリーディングをざーっと読んでると、ある項目にこのような内容がありました。
「尾骨部位および腸骨神経叢における神経エネルギーへの圧迫と、腰軸への圧迫があるために、交感神経系と脳脊髄神経系との間の協調に歪みが生じたのである。
そのため、活動のためのインパルスがきわめて誇張されるようになった。
投与されてきた催眠剤の働きと、鎮静剤が状態を鎮めてきたこと、そこに暗示が加わったことでインパルスに従順性を作り出してきたが、この人が携わってきた活動――つまり、記事を分類したり編集する作業が、いくらか良好な協調を作り出してきたと言える。
しかし、われわれの見るところ、神経インパルスを補充するのに必要な要素を分泌腺内に作り出すことでエネルギーを賦活させるよう、神経インパルスと原形質(神経伝達物質の誘導体??)の根本的な反応であるところの要素を組織内に与えるならば、これらは身体で有効な働きをもたらし、精神的力とより良い協調を回復するまでに至るだろう。
これには、思いやりに満ちた内科医の監督の下に、尾骨と腰の諸中枢を調整することが必要である。
また、低い電気的波動によって金を体内に運ぶ治療によって、この人は精神的および肉体的に自分自身に対して活動的になるだけでなく――家族やこの人に関係する人々をおびえさせる者ではなく――周囲の人々にとっても助けになるだろう。
Q もともとの原因は何だったのでしょう。何がこの状態を引き起こしたのでしょう。
A 氷の上で転び、背骨の末端の尾骨を怪我したことだ。
Q 頭痛のもともとの原因は何ですか?
それらの怪我がもとで松果腺中枢に加えられた圧迫の反射である。」
これを読んで、弟の話していた内容がケイシ―リーディングによって図らずも裏づけられるような感じになりました。
カイロプラクティックに関しては、脊椎の歪みを矯正するというものかな?というざっくりとした知識しか僕にはありません。
僕自身もメンタル(脳活動)の不安定さとずっと付き合っていて、それを安定化させるには薬や、カウンセリング、トラウマ解放テクニックのようなもの、あるいは瞑想、肯定的思考のようなものとか、メンタルの不調にはメンタル的対処というか・・・
そういう思い込みが強かったので、骨格の状態が そこまで精神に影響しうるというのはちょっと目からうろこ的な感じでした。
やはり霊的なチャネリングのようなものは 症状の原因を より精神よりのものに特定するきらいがあると思います。
ネガティブな思考 幼児期のトラウマ とかから始まり カルマとか 憑依とか なんとか (若干やさぐれ感出てますねw)
いや、それはそれで、そういうケースも大いにあるとは思います。(実際 病気の原因としてケイシ―リーディングの中でもカルマは登場する)
ただ、医学的知識のなさをまったく露呈してしまって無責任さを感じるケースが多い っちゅーのも否定できません。
しかし このケイシ―のスピリットグループは 骨格とそれによる神経の圧迫 なんていう ものすごく物理次元よりの現実を語り、
しかもその考え方が、カイロプラクティックとかの 全身の歪みが精神にも影響するという理論と合致していることが、、、
ものすごく、すごみを感じさせるんですよね。
以下精神疾患のリーディングに関する、日本エドガーケイシ―センターの解説です。
「 脳に原因があるとされたものはほんの数件であり、残りの大半は、実に「背骨の歪み」、とりわけ、尾骨と仙骨の歪みに原因を帰しているのです。
尾骨・仙骨の歪みが内分泌系に影響し、それが最終的に松果腺に影響する、というのがおおまかな見立てです。」
さらにケイシ―の治療に関する考え方によると
「また、神経系のバランスを回復させる方法として、ケイシーはオステオパシーという手技療法を非常に高く評価しました。
オステオパシーは、米国バージニア州生まれの医師アンドリュー・テイラー・スティル(1828~1917)によって創始された治療体系で、筋骨格構造のバランスを回復させ、神経の圧迫を取り除き、血液を体の隅々に行き渡らせることによって自己治癒力を高めることを目指します。
自然治癒力の低下が疑われる人は、優れたオステオパスの治療を受けることが大いに勧められます。」
ということで、、、やっと冒頭の本につながりました(笑
僕は「言語の響き」の感じで、直観が作用することが結構ありまして、、、
オステオパシー という単語を読むと すぐにもっと詳しく知りたくなり、、、
実はもう 施術も一回受けてきました。
それがかなり気持ちよかったので、さらに興味が沸き 上の本も買ってみたのです。
オステオパシーの施術体験に関しては また回をあらためて書くかもしれません。
「いのちの輝き」の著者フルフォード医師は、人体に関する知識と、臨床医としての研ぎ澄まされた皮膚感覚を持っていたようです。
それは文字通りの皮膚感覚・・・・一本の髪の毛の上に何枚も紙を重ねて、髪の毛がどこにあるのか指先の触覚で感知出来るほど。その感覚は、クライアントのからだの異常をからだの上から指でスキャンするのに必要だったそうです。
また真の意味で治癒に携わろうとする情熱を持っていたドクターであったことが、本を読むとわかります。

ロバート・C・フルフォード博士 (1905~1997)
クライアントの治療には まず話しを聴く時間が十分あることが大切であると博士は言います。
それは、治療に必要な情報を得るためであると同時に、クライアントに安心感と前向きな展望を与えるため、信頼を得るためでもあります。
そんな血の通った時間を十分取れない現代の医療(この本が書かれた90年代)を批判するとともに、それがシステム的に不可能な状態に追いやられてしまったことにも警鐘を鳴らしています。
僕も病院に行って、医師のそっけない対応に悲しい気持ちになり 行く前よりも具合が悪くなった気がしたことがなんどかあります。 子供のころは家の近くの、診療所の黒縁メガネのドクターの顔を見て、病院の匂いを嗅ぐと なんだかそれだけで元気になった気がしたんですが。
もちろん、いい先生がたくさんいるということもわかってはいますけど、、、機械のように扱われ ケミカルな薬だけを処方されるという一連の流れに入ること自体が なにかしら非常にしんどい。
何かが根本的におかしいと感じてしまうのです。
よく、代替医療の紹介の片隅には (これは医療行為ではありません)ということが書かれています。
しかし、僕は思うんですが、「話しを聴く」 ということが古典的な意味での医術の要であるならば、それが欠落した多くの現代医療は 極端にいうともはや医療行為とは呼べないのではないでしょうか。血が通わないのがデフォになっている。
もっとも生命力に満ちている必要のある癒しの場(病院)に 「命」がないことが多い。
逆に多くの代替医療の場での方が人間的な交流が行われる余地がある。(玉石混交だけど)
だからこそ、多くの人は「医療行為ではない」代替医療を求めるんですが、それは失われた「医術」を求めてるわけですよね。
今回オステオパシーの施術を受けて、約90分ほど身をゆだねながら、いろいろ世間話をしました。
「好きなビールはなんですか?」とか「何かスポーツやってましたか?」とか まあ他愛ない話しです。
でもそういう話しをしながら、手のぬくもりを感じていると、深く安らいでいくのを感じます。
オステオパシーの理論とはまた別の、もっとベーシックなことだけど、そういう安心感 病院では感じられない癒しの感覚がある。 少なくとも、血は通っている。
でもそれでも公的には「医療でない」と言わなければならない。
法的なこととはいえ、「なんか、おかしくね?」とはやはりいいたくなります。
今回「いのちの輝き」という邦題に、とても魅力を感じました。
フルフォード博士は20世紀的な、機械論的なケミカル医療のパラダイムにとどまらず、生命とは何かということを生涯をかけて真摯に探求してきた方のように思えました。
僕は オステオパシーの権威の書いた本なので、もっと骨格の絵とか 専門用語とかがびっしりかと思っていました。
しかしそうではなく フルフォード博士の思索は
人体の周囲に広がる電磁場(生命場) から 想念と健康の関連性 トラウマの問題 運動 瞑想 植物を育てること 教育 など多岐にわたっています。
それを読むことで 生命力とは すべての根幹にあるものである、ということが垣間見える感じです。
以下ツイッターで紹介したセンテンス
#いのちの輝き #生命場 #ロバート・フルフォード
— Kou -M (@haitakadori) 2019年2月5日
生命場についておこなわれているの数多くの研究の中で、私はヴァレリー・V・ハント博士の研究に注目している。(中略)博士は人体そのものが ひとつの電磁場であるかもしれないという可能性を示す研究を発表した。
#いのちの輝き #生命場 #ロバート・フルフォード
— Kou -M (@haitakadori) 2019年2月5日
博士の実験は、電場と磁場がそれぞれ自由に調節できる特殊な部屋の中で、ダンサーを使って行われた。磁場が消されると、ダンサーはいつも熱狂的になり、支離滅裂な動きを示した。
#いのちの輝き #生命場 #ロバート・フルフォード
— Kou -M (@haitakadori) 2019年2月5日
部屋に残っている電場の影響でダンサーが神経障害を起こし、空間における方向感覚に異常をきたしていたのである。磁場をあげていくと、ダンサーは調和のとれた動きをするようになった。書籍「いのちの輝き」ロバート・フルフォード著より
#いのちの輝き #生命場 #ロバート・フルフォード #スポーツ
— Kou -M (@haitakadori) 2019年2月5日
わたしはいつも、からだがスポーツ向きだったらスポーツをすればいいと、子供の患者に言い聞かせている。スポーツ向きではないのに激しいスポーツをしたがる人がいるのは解せないことだ。
#いのちの輝き #生命場 #ロバート・フルフォード #向いてる運動
— Kou -M (@haitakadori) 2019年2月5日
すべての人のからだはその人固有の周波数で振動している。ヴァレリー・ハント博士の研究によれば、その固有の周波数はからだの潜在能力の指標でもあるという。
#いのちの輝き #生命場 #ロバート・フルフォード #向いてる運動
— Kou -M (@haitakadori) 2019年2月5日
つまり、周波数が低い人はフットボールや重量挙げのようなスポーツの分野で成功する可能性がある。だが、周波数が中程度の人の体はそれよりデリケートで、頭脳労働向きであり、思考力に優れている。
#いのちの輝き #生命場 #ロバート・フルフォード #食事法
— Kou -M (@haitakadori) 2019年2月5日
個人の特殊性を無視した、万人に通用する食べ方や完全な食事などというものはあり得ない。自分の特殊性が判明するまでは、感覚を磨き、からだの反応に注意を払いながらおいしいと感じるものを食べていればそれでいい。
#いのちの輝き #生命場 #ロバート・フルフォード #ベジタリアン
— Kou -M (@haitakadori) 2019年2月5日
いま、いちばん治しにくいのがベジタリアンなのだ。ベジタリアンのからだには非菜食者のからだほどの生命力がなくなっている。菜食主義という思想がいけないのではなく、いまの野菜がいけないのだ。
#いのちの輝き #生命場 #ロバート・フルフォード
— Kou -M (@haitakadori) 2019年2月5日
1935年、バー博士は自宅のキッチン前にある桃の樹に電圧計の電極をつけ、樹の内部と周囲の電位変化を記録する実験を開始した。(中略)博士はそれぞれの樹が電磁場に取り囲まれ、その電磁場は木の生命活動と正確に対応していることを発見した。
#いのちの輝き #生命場 #ロバート・フルフォード
— Kou -M (@haitakadori) 2019年2月5日
開花や落葉といった樹の生理活動、太陽の黒点活動、月の満ち欠けといった天体の動き、雨、雪、みぞれ、あられなどの気象の変化に対応して、電位が細かく変化していた。
霊的巨人であるケイシ―のリーディングが カルマや憑依にとどまらず骨格や神経の構造に収れんするように、人体の構造を知悉しつつ、生命の根幹は目に見えないところにあることを理解していたフルフォード博士。
目に見える命から 見えない命に至るまで そしてまた目に見える命に至るまで
僕らは大いなる命の円環の中にいることを思い出させてくれます。