2019.
10.
29
僕の愛読書である「喜びから人生を生きる!(Dying to be Me)」の著者アニータ・ムアジャーニさんのYou tube チャンネルがあることを知り 今年になってからよく観ています。
アニータさんはステージ4の末期がんから臨死体験をし、その時に無条件の愛と真の自己の世界を経験。意識回復後、ガンがあっという間に自然治癒してしまった方です。
アニータさんの話は、基本とてもシンプルなものだと思いますが、スピ系世界をなんとなくぼわーっと覆っている固定観念を覆す内容も多々あります。
例えば下の動画では アニータさんは 引き寄せの法則に関して話してて、
「私たちは思考によって引き寄せるのではなく 『私は何者か』によって引き寄せます。」と言っています。
思考が現実を作っているとすれば、スピリチュアル的な自己責任論が幅を利かせます。
僕はこれがあまり好きではありません。
これって下手すると「あなたの現実は あなたの思考の結果だから 自分が悪いんじゃん」ってことになってしまうわけですね。百歩譲ってそれはそうかもしれないとしても、その愛のない態度はちょっとどうなん?と思うわけです。
しかしアニータさんは述べます。
「病んでいたり 人生の辛い時期を経験している人に対して、私は絶対に、『あなたがこれを引き寄せたんですよ』とか『あなたのネガティブな考えがこれを引き寄せたんです』とは言いません。
また私は人々に そんなにネガティブでいてはいけないとは言いません。
痛みや恐れ 混乱 病を経験している人には これはあなたがより自分を愛することへの招待なのだと伝えます」
人間だからだれでも時には イライラしたり、気が滅入ったり 誰かに腹を立てたり 厭世的になったりもする。
でもそんな時、自分の思考・感情を責めたり、これじゃ悪いことが起こるなんて考えていたら 恐れのスパイラルに陥ってしまう。
そうではなく、ありのままの自分を許容して 認めてゆく。
人を許せなければ 許せる時期が来るまで待てばいいし、 それに人を許すよりも まず 誰かに怒ってる自分を許すことが大事。
何を感じ どんな考えが浮かぼうと 今ある状態の自分を受け入れて 愛する。
そして、肉体的自己という自分という存在の氷山の一角(tip of iceberg)だけではなく すべてとつながり、時空を超え壮大な旅をしているスピリットとしての自分の声にも耳を傾けて 大いなる自己を知ってゆく。
そんな風に、、、
良いイメージを持ったり ビジョンマップを作ったりというようなこと よりも、、、(それが無効というわけではないと思うけど、アニータさんも言ってるように作られたビジョンは 真の魂の望みよりも限定的で小さいかもしれない)
『私は本当は誰か』を知り 自分を愛していることが大事だというのです。
さて この 『私は誰か?』 というテーマが 結局は スピ系の探求の根本だと 僕は思います。
その問いは 『他者とはなにか?』 『神とは何か?』『世界とは何か?』という テーマともつながっています。
インドには 『汝はそれなり Tat tvam asi.タット トヴァム アシ .』 という言葉があり それ(tat)があらわす究極的な存在が、『私』の本質だと伝えられています。
普通に生きていると 肉体 ジェンダー 年齢 能力 仕事 収入 所有物 社会的ポジション 結婚してるかどうか 過去の経験 などがアイデンティティ(私) となっていて それを出ることは ありません。
アニータさんはそれらをレイヤー(アイデンティティの層)と呼んでいます。
真の自己は このレイヤーの奥の方に埋もれています。
この真の自己を見つけるために 古来から求道者は 独居して 俗世間を離れ 修行に明け暮れました。
俗世間を離れる理由は 俗世間では レイヤーが 自分であるというルールの下で 生活が営まれているからです。
お互いの真我を見つめあうことがなく、「レイヤーが自分で、レイヤーがあなただ」という 相互催眠状態にあるのが「俗」です。
またイエスが 「金持ちが天国に入るよりも らくだが針の穴を通る方がやさしい」 と言ったり 親鸞が 「善人なおもて往生せん いわんや悪人をや」
などと言ったのは レイヤーの価値観を 転倒させるためだと思います。
本当は 河川敷でホームレス生活をしていても ヒルズのタワーマンションに住んでいても その人の神なる自己の価値はまったく同じです。
だから実際的にはお金持ちももちろん天国に入れます。
ぼろぼろの服を着て一月くらいお風呂に入ってなくても 天国には入れます。
というか おそらく 天国の中に すでにいます。
僕としては お風呂にも天国にも入りたいですけどね・・・
お風呂に入るだけではなく たまには髪をカラーリングしたりしたいし、こぎれいな格好をしてたい 投稿したDAM友動画(カラオケ)にいいねがたくさんついているとやっぱりうれしい。お金も好きなことができるくらいは欲しいし たまには旅行にも行きたい!!
松本人志の「ドキュメンタル」がすげーわくわくする!!
カップ麺も好きだ!!
ときわめて俗でジャンクな人間やっておりますが、、、
この時代のポイントは 俗な中で 自分を一層豊かにするために 「自分が誰か?」を見つけること あるいはそれを忘れないこと だと思います。
また別のちょっと重たい側面から言うと、
前回の記事で書いたように 社会意識に ∞宇宙からの圧力がかかっているので 外的なアイデンティティによって自分を立てようとすると今後ますますわけがわからなくなっていくんじゃないだろうかと思うのです。
突発的な自然災害などが増えると、、、おそらく ある人々は 物質的・経済的により安心なものを求めたり より強いリーダー もしくはシステムを求める。
一方で 真の自己を知っていたり 内面的に強い人も 自然と求められるようになる。
というのは真の自己とともにいる人は 揺らがない 恐怖にとらわれないからです。
恐怖にとらわれない人の周りにいると 自然と誰でも安心します。
たとえ巨大な台風が来ても そこは台風の目になるのです。
何かが起こり
世界最強の地下シェルターに避難できたとしても そこにいる人々が不安と 恐れで苛立ち 反目しあっていたらどうだろうか。
下手をすれば 安全な環境でも互いに傷つけあって終わる。
そうではなく
地上のどこにいても 愛や平和とともにいられる心が もっとも重要なシェルターであると 僕は信じています。
カオスというサイクロンの中心 Love , Peace, Who you are , G O D
そこがシェルターでもあり、次の世界へのゲート
そして そのような安心感を与えられる人々は 実は世界中にたくさんいるはず。
でも、自分自身が 氷山のように水面下に潜む 見えない自己に気づき それとひとつになっていくことが ここでも大事かもしれません。
2019.
10.
16
いやーなんか気候がおかしいすね、ホント。
現在東京17℃くらいで、どんより曇ってます。外出すると、肌寒いくらい。
一月以上ほとんど日が差さないような梅雨の後、連日35℃くらいの気温がまた一月以上続き、9月後半になりちょっと過ごしやすくなってきたか?と思ってると台風19号の襲来、と。秋晴れのさわやかさとかほとんど感じてないし。どうなってるのかな?
もともと天気の影響を受けやすい体質なので、今年はなんか地球についていくのがやっとみたいな感じでした。
特に、関東平野一帯の住みにくさがここんところ急速に高まってる気がしています。
まあスーパー台風が伊豆半島から上陸し、首都圏、そして東北を記録的暴風雨でなめていくという異例の事態も、そのことを象徴的にあらわしているように思えます。
今起こっていることをごくごく簡単に図で表現するとこのようなことではないかと思っています。
僕らは 宇宙に存在し、と同時に 地球の重力圏 生命圏ないで生きています。
からだは酸素を呼吸し、重力の影響を受けている。
その他 気圧 気温 磁場 宇宙線の影響なども受けています。
肉体はこの生命圏に生まれた時から存在して、相互作用している。
ですが、人のマインドは 文明圏にフォーカスしています。
そこには国があり 法があり 貨幣があり 社会システムがあり その他もろもろの 人が作り出した 価値や規則が多重に折り重なるように存在している。
人体を垂直に立てるとすると、↑宇宙方向 ↓地球方向 この上下のラインはどちらも『無限』へと続いている。

人の産み出した『文明圏』は、この中ではふたつの∞にはさまれた無限小です。
文明圏は宇宙の叡智とつながっていません。正確に言うとつながってる人はたくさんいるけど、それが文明圏全体にまだ反映していない状態です。
この硬直した文明圏に現在、上下ふたつの方向から∞の流入が起こっている。
言い換えると それがいわゆる磁場の変動であり 気流の変化であり 太陽活動の変化や 宇宙からのエネルギーの変化なのだと思います。
∞の流入により、文明圏はかく乱されます。
それはもう始まっていて そこに生きている文明社会の 僕らも やはりその影響を受けずにはいられません。
∞の流入により 現在の文明圏は 破綻するか もしくは どこかで∞との接点を見つけ それと折り合いをつけるような形で再構造化するかしかないでしょう。
もともと ガイア生命圏という場に生きている 人間の意識が 文明圏のみにとらわれていることがやはり問題だったような気がします。

2,3日前、地中の微生物の存在が いかに地球生命圏にとって必要かということをレクチャーした動画を見ました。
とっても目からうろこだったのが、微生物の多様性が貧しくなり 単一的になればなるほどに その土は弱くなり病気を発生させる
ということです。
逆に いろんなものを食べて いろんな生き方をしている微生物がたくさんの種類いればいるほどに その土は強く 豊かで 栽培に適したものになるようなのです。
これってまるで 社会と同じでわ・・・と僕は思いました。
社会が健全であるということは おそらく・・・いろんな価値観 いろんな体質 いろんな情熱を持った人が それぞれ許容されて、それぞれの場所で生きられる、のびのびしたものであること。
逆に 価値観が一辺倒になり みなが同じ方向しか向いていなくて 同じ餌を奪い合っているような社会は 貧しい土地と同じ状態にあるのではないか・・・講師の方もそうおっしゃっています。
多様性が許容される社会というのは フレキシブルでもあると思う。
いろんな場所に いろんな生き方の人が 網の目のように生活を営んでいる。そういう文明圏は おそらく∞の流入にも耐えて 変化していけるだけの柔軟性を持っているのではないでしょうか。
土の中の微生物は 目にも見えず 通常無視されるような存在でしたが 彼らが作物を育てるのに非常に重要だということが再発見されている。その結果 農業がより豊かなものに変わっていく。
それと同じように
この文明圏が生き残るカギは この文明圏が見過ごすか 無視してきたような たくさんの生命の声を その世界からの物音を
いかに拾ってゆけるか それにかかっているような気がします。