2019.
12.
30
年末放出シリーズ その2♪(/・ω・)/ ♪
2019年夏ごろ収録
意識をハートにシフトさせるエクササイズ動画のサンプルになります。
心が忙しいとき、ざわざわする時、ハミングや瞑想で意識をからだとハートにシフトさせます。
収録内容
◇ハミングエクササイズ
◇ハートを開く瞑想
◇タッピング
ハミングの実習部分は もっとも小さく 優しい音を心掛けます。
そのためup主の声は聞き取りにくくなっています。(イヤホンでわかる音量レベル)
オープンザドアー というタイトルは、ずいぶん前にBBSを介して相談に乗ってくださった
バーバラ・アン・ブレナン系ヒーラーさんのホームページの名前です。
『今の状態をありのままに受け入れてあげてください』と言ってくださいました。
その後ヒーラーさんは亡くなりましたが、僕の旅が始まる前にもらったそのアドバイスに感謝しています。
今回のサンプル動画ではマインドトリップしすぎないように、なるべくソマティックな要素を盛り込みました。
観ながらするヨガ動画があるけど そのスピ版をイメージしています。
内容は ハミングエクササイズ10分と、ハートを開く瞑想10分 ほどです。
出来る限り小さーい声を出すハミングなので イヤホンでないと僕のハミングは聞えないかもしれないですが、聞こえなくても大丈夫です。(小さいハミング音の質を確認したい場合にはイヤホンでご視聴ください)
小さなハミングで背骨を震わすイメージで行ってみてください。音も前に押し出すというより 後ろ側に響かせます。
次に口を開けてハミングして、上口蓋部についてる舌をさげてゆきます。
音がンーー から アーに変化するのを観察してみましょう。
そのあとハートのエクササイズにうつります。
動画初で やや緊張しております:(´◦ω◦`):
気分転換にお使いいただければ幸いです。
ドアの向こうは森か 海辺か・・・ どちらがお好きですか?
2019.
12.
25
今年の8月にオプティマルのダブルセッションをブレインスパさんで体験しました。
通常の1セッション(33分)を、連続で二回おこなうものです。
このダブルセッションで 個人セッション回数は 12回目となった、、、
その後日談的な記事を一応書いたんだけど、ちょっとまとまりにかけ ただのスピ好きの雑記?みたいな・・感じになっちまい
これどこまでがオプティマルエフェクトなのかよくわからんじゃないか!というのと、 なんか 一部変なテンションになってるので
『ニューロフィードバックって結局ちょっと変な人になるのね きゃー(゚△゚;ノ)ノ』
という印象を与えるのもどうかと思い お蔵に入ってましたが 年末なので一応放出することにしました。
どうも変なテンションになったのも訳アリだったようなので
僕がもともと若干 変なだけであって オプティマルは 欧米でかなり普及してる脳トレです。米国のFDAにも認可されてます、はい。(全世界で6000台稼働中)
日本でも スピ系の探求者、企業経営者 アスリート アーティスト メンタルを改善したい人 などお子さんからシニアまで使用されています。
というのを 前置きしたうえで 以下↓↓↓(´∀`σ)σ
2019年 8月26日
オプティーダブルセッションのち、DAY12
脳をマシンにかけてきた件⑧ ダブルセッションはいかが?編
セッション直後はダブルはもういい~~シングルで十分だー~ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3と思ったけど、2週間ほどたってちょっと消化できて来たのか もう一回ダブルもありか(-∀-)ニヤ と思うようになった。
このセッションは深いところで 何かが変わってる・・・脳のホロムーブメントが変化している・・ような
だから前回 トーラスのイメージが見えたり、日常の辛さを思い出したり いろいろあったんだけど、それって顕在意識で感知できるごく表層なわけで 変化の本質的部分じゃないのかもしれない。
大脳皮質よりもっと深い脳幹とかでデトックス反応などいろいろ起こってる可能性もある。
なので以下いろいろなトピックスについて書きますが オプティマルとの関係は不明です。
ダブルセッション以降の 顕在意識上での気づきや 興味の推移みたいなものとなります。
8月28日
雨だけど、涼しくて からだが楽。
九州の方で水害で特別警報が出てる。
武雄市 学生時代の知り合いが住んでたと思うのでちょっと心配だ。
8月に入ってから時々、メッタ(慈悲の瞑想)をやっている。
いろんなやり方があるけど、In deep さんのブログ(私たち人間の「意識」で「社会と地球と宇宙」を変える具体的な方法 Part.3) で紹介されていたフレーズを使ってみている。
メッタは脳科学的にはDMN(デフォルトモードネットワーク)の活動を低下させて、自己への囚われから自由にするそうだ。
確かにイライラしがちな時、不安な時 蒸し暑すぎて気分が悪いとかそういう時ですら、メッタをすると気分がシフトすることが多い。
この瞑想は「祈り」のような形をとっているので、実際に祈りとしての効果が現れれば理想的だけど そうならなくても これをする本人が心理的に利益を受けるのはほぼ間違いないのではないだろうか。
ダブルセッション後の翌日も、夜にメッタをちょっとやったあと、音楽を聴きながらオーストラリアの海岸をイメージしていると ふわーっといい感じで寝付いた。
ところが、その後もっすごい人間関係ギスギスMAXの悪夢を見て ハッ((((;゚Д゚)))))))と目を覚ます。なんか知人の普段穏やかな人からものすごいダメ出しをされ、自分も切れてなんか叫んでるみたいな夢だった。
うわ 夢か 夢でよかった~と思う。しかし
おい~ メッタとビーチのあとのこの切り替えし 急すぎっしょ(;д;)
その翌々日くらいも 心霊系の夢で 1:00頃目が覚めた。
今年初めの記事で書いたと思うけど セッション後は夢見が怖かったり 激しかったりする率がちょっとだけ高い。
多分デトックス反応的なものかなと思うけど。
セッション受け始めたころ、オプティーの英語情報が知りたいと、NeaurOptimal Side effect のワードで検索かけたことがあった。
海外の人が書いた オプティーの体験記事で、連続使用続けると悪夢を見て目覚めた という情報がたしかあった記憶。
(↑これは現在のNO3より ミラーリングの目が粗かった V2(前のバージョン)のことかも。現在のNO3はいちお毎日やっても問題ないらしい。)
でもグループワークでは1日4セッションもするけど、悪夢はなかったな~
僕の体感的には 他者の情報とはつながらず自分の脳波をミラーするだけの個人セッションの方が 浄化反応みたいなものは出やすい感じがする。
個人はきついので、グループの方が好き・・・という感想を持つ人もいるみたいだ(個人差あり)
連続でするとトラウマ倉庫の扉が大きく開き、抑圧していたものが出てくる?
もしそうなら 今回2連ちゃんでやったから、多少の強い反応は予測できる。
夢と言えば 口の中に絵馬がいっぱいぶら下がったカメレオンの夢とか クジラにでこをこつこつされる変わった夢を 今年の初めに見た。
サンシャインのプラネタリウム行ったあとだったかな。 そのクジラが 「命だけが 命を育てられます」 みたいなことを言ってた。
脳をマシンにかけてきた件④ セッションメモ
それを思い出していると アニマルコミュニケーションが気になり始めて ローレン・マッコールさんの『動物たちと話そう』を読んでみた。アニマルコミュニケーションは 動物たちとテレパシーで話す技術で こう書くと、すごいあやしい感じがするけど、症状を言葉で伝えられない動物たちの診療などに かなり実際的に役立っているらしい。
以前から 人はもともと動植物と話せると僕は思っているが、その方法を体系化して診療などに役に立ててる人がたくさんいるんだなーとちょっと驚いた。
そのテクニックでは まず「ハートスペース」という場所に意識をシフトさせる。ハートスペースは位置的には 心臓にあり とても静かで安らぎに満ちた場所だ。
その空間に 自分が安らげる 自然の景観を描き そこが動物たちとのコミュニケーションの舞台となる。
ハートスペースは 何よりも 自分が心地よく 楽しく 幸せを感じる場所でなければならないそうだ。
雑念のない状態が情報を受信する意識状態であることはわかっていたけど、、、そうか、ハートってのが やっぱりあらゆる存在とつながれる場所で、、、思考を離れ、そこにアクセスさせるのは「心地よさ」なんだな。
動物だけじゃなくて、ガイダンス的なものとか、昏睡状態の人とかのコミュニケーションも基本ここでつながれるんじゃないか!?と思った。
この場所では すべてはつながっており 僕らはお互いの一部のようなのだ。
ハート<愛>は世界の中心。
コミュニケーションする適当なアニマルがいないので、練習は難しいんだけど ハートスペースは頻繁に訪れてみようと思う。
アニマルコミュニケーションのテクニックは 複合的で魅力がある。
呼吸 グラウディングイメージ NLP的な誘導などが組み合わさっているらしい。
やはり瞑想と癒しにはソマティックな要素が必要。
そもそも呼吸を意識するという瞑想の王道的な入り方も ソマティックなものだし、ほかにヘミシンクのレゾナントチューニングのように「声を出す」というのも 通常のモンキーマインドから シフトするために使える。
そのほかプラーナを感じるのもいいと思う。
気功の抱木のポーズをしていると眠りに入りやすい。
ずっとこのポーズをしていると、全身がプラーナで包まれゆくのがわかる。
なんか、体感的にこういう感じ・・・・(またドラゴンボールかよw)

いや、こんな激しくないし 元気玉は打てないですよ
でも思考が静まりブオンブオンしてるエネルギー体の方に 意識がシフトする感じです。
からだが厚みをますような感じがする。
このプラーナ感覚は心地よい状態に入るための ランドマークになりそう。
8月 某日
なぜか 朝
「世界中のいろいろな風景を見ずには 死ねんわい!(ジジイ風)」
という気分ではね起き上がった。
今日はパスポートをとりにゆくのじゃあっ!!ォ━━(#゚Д゚#)━━!!えほえほえほっ
持ってたけど、ずいぶん前に失効していた。最後に出国したのはインドのデリー・・ずいぶん前・・・・
とりあえず パスポート、パスポートだ!!と心が騒ぎ続ける
いや、落ち着け 落ち着くのじゃ まあパスポートくらい手元に会った方がすぐ出国出来ていいけど、旅行するお金もないし 朝っぱらからこのテンションは不審じゃ・・・。のお ばあさんや
と思うが、役所に行ってとりあえず申請書だけもらってきた。
どこ行くんよ?? (´・_・`)
10月 3日
ダブルセッション→約一月半経過。
必要な情報とつながりやすい感がある。
服を着ずに秘境で生き抜くエド・スタフォードという偉大な人物を知ったw
とにかく人間に必要なものは フード シェルター ファイアー ウォーター (`・ω・´)
エドのすごいところは この環境で感謝や喜びを実践してるところ。敬意を持てば 物事はうまく進み始めるて言ってる。
↓これみながら カップ麺とか食べてごらんなさい とってもおいしいですよ↓
ヨガ、タッピング 、プラーナワーク、笑い、声、アロマ などなど 不安感 不快感をやりくりするアナログな方法が整理されてきた。
睡眠導入剤の量を半分にした。.゚+.(・∀・)゚+.わーい ヘルシ~~
お酒→まったく飲んでない。時々 たまにはワインか泡盛でも買おうかと思うが なんかめんどくさくてやめる。せっかく飲まない状態定着してるから このままでいいかなぁ。去年の今頃は まだ毎週缶をゴミに出していたっけ??。
職場の人が、僕も以前飲んでたス●ロングゼ●をよく飲んでるって言ってたので、「ありゃやばいですよー」とその理由を説明した。タカラ缶酎ハイに 変えると、依存度が減ったらしい。 うーあれは 危険だよな・・・安い合法ドラッグ
スーパーに売ってる酒缶類は大半 ちょっと・・・
飲むなら よいワイン 日本酒 泡盛 焼酎とかにした方がよい。
嗜好品は家で淹れる珈琲と ( ´ー`)y-~~ ぷかー
タバコ→アメスピメンソール1ミリ 7,8本(あんまし変わってない) 3ミリは強すぎて くっらくらする。時々異常にマズくなるけど吸ってる。これは今のところあまりやめる気なし。
飲まないこともありポテチなどのスナック類、まったく食べなくなった。
間食はおかず系のものの方がいいかも。
朝食は食べたほうがいい説を検証するため 毎朝 少量だけど 食べるようにしている。
モルモットと触れ合い癒されたりした。(井の頭自然文化園)

とかやってると・・・ (*゚Q゚*)
昨日 (いい意味で)ちょっとびっくりする サプライズ的出来事があった。
アンインストールが終わり ようやく 新たな形態が具現化してきた?? のかも。
結構いい流れになりそうなので 乗っていこうと思っている☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
よしゃまだ冒険は始まったばかりだっっォ━━(#゚Д゚#)━━!!




2019.
12.
21

トムソーヤで有名な 作家マーク・トウエインは以下のような文章である女の子を絶賛しました。
「かの不滅のアリス以来最も可愛らしく、最も感動的で最もゆかいな子the dearest and most moving and most delightful child since the immortal Alice」
この栄誉を受けた 少女の名は アン・シャーリー。
そう、モンゴメリーの名作『赤毛のアン』の主人公です。
アンの原題は Anne of Green Gables
Green Gables というのは アンの住む家で、直訳すると緑の切妻屋根のアン。
ある日 カナダのプリンス・エドワード島のグリーンゲイブルズで暮らす 兄マシュー・カスパートと妹マリラの年を取った兄妹のもとへ、孤児院から男の子がひきとられることになった。
年老いた二人は、農作業などを手伝ってくれる男の子が欲しかった。
子供が汽車に乗ってやってくる日 駅に迎えに来たマシューは ホームに立つ女の子 アン・シャーリーを見つける。
どうした手違いか 男の子を希望したはずなのに 送られた来たのは 赤毛の変わった女の子。
妹のマリラは、女の子は引き取れないという。
アンは大泣きする。
名前を尋ねるマリラに アンは 「どうせ一日しかここにいられないなら どうかコーデリアと呼んでくださらない・・」と懇願する。
アンは自分の姿や名前があまり好きではなく 空想の中でいつも「コーデリア」であることを想像していた。
アンの奇怪な欲求に 「どうもよくわからないねえ」と首をひねるマリラ・・・。

そんな感じで物語は始まり、アンのプリンスエドワード島での暮らし、親友との出会い、学校や教会、アンの悲劇的で愉快な「想像力」、マリラとマシューとの絆などを中心に 展開していきます。
と、いかにも物知り風に書きましたが
そうか、赤毛のアンってそんな話しだったのか!!
と 僕はここ一月の間に知りました。
きっかけはNetflixで 全話見れるので、何気なく第一話をクリックしてしまったこと。
1979年のアニメです。
赤毛のアンって、名前だけは有名だけど 全然っ知らないなー まあ子供名作劇場的なやつだろうし、素朴で癒されるかもなーみたいな感じで 観たんですが いや、こんだけ引き込まれるとは思わなかった。
「赤毛のアン」というタイトルから
先入観的に もっと乙女向けで、センチメンタルで、甘ったるい話しかなと なんとなくイメージしてたけど
いや、そんなことなかった!
そう言えば かの天才山田かまちも確か ノートに 「アン・シャーリーという女性は素晴らしい」みたいなこと書いてた記憶があるんだけど、マークトゥエインから山田かまちまで たくさんのクリエイティブな男たちのハートをもわしづかみにしている(笑)
やはり「赤毛のアン」の大きな魅力は アン・シャーリーのキャラクター自体にあるのかな。
僕は最初、「この子共かなり、サイコやな(。´・(ェ)・)」を思ってみておりました。
だって 妄想癖がえげつないし、キレると手が付けられないし うるさいし

早く送り返した方がいいんじゃね? みたいな (笑
とこもあったんですが、いつのまにかアンのペースに引き込まれ 相当泣かされる破目に。
風変りだけど 快活で明るいアンの魅力に グリーンゲイブルズは明るくなり 最初アンに厳しかったマリラも 「あの子のいない毎日なんて 考えられない」と独り言ちるようになります。
行く先々で波風を立てながらも 身寄りのなかった孤児のアンは見知らぬ土地で 少しづつ 周囲に受け入れられ 愛される女性に成長してゆく。
そのドラマがわがことのようにうれしく感じられる作りのアニメでした。
「アン」には 成長する時に避けられない 喪失とか離別も 子供向けアニメとは思えないほどしっかり描かれています。
成績が優秀だったアンはクイーン学院という高等部の試験に合格して グリーンゲイブルズをしばし離れることになる。
その前日の夜に 美しい服に身を包んだアンを見てマリラは 自分が愛したあの小さな赤毛の女の子が消えてしまったような寂寥感を感じます。
それにアンはこう答えます。

「マリラ 私はちっとも変わってないわ
ただ少しはさみを入れたり 枝を伸ばしたりしただけなんだわ。
本当の私はその後ろにいて 今までとまったく同じなのよ。
本当よ マリラ。どこへ行こうと どれだけ外見が変わろうと 心の中では これから先も ずっとマリラの小さなアンなのよ。
マリラとマシューの このグリーンゲイブルズの 小さなアンだわ。」
こんなことを言える子供は・・・・いない。
でも、これほど保護者側の心を打つ言葉もないような気がする。
しかも、実の子ではないというところがこのセリフをより感動的なものにしています。
アンとマリラのやりとりを聴いていたマシューはいたたまれずに 戸を開けて星空の下へ出てゆきます。
そしてこうつぶやきます。
マシュー「そうさのう(←マシューの口癖) あの子はそう甘やかされもしなかったようだ。
時々わしがおせっかいしたのも 別に害はなかったようだ。あの子は利口で綺麗で、それになによりいいことに優しい子だ。
私たちにはお恵みだった。
スペンサーの奥さんが間違えてくれて運がよかったというもんだ。もっともそれが運ならばの話しだが・・・
どうもそれとは少し違うようだ。
神の思し召しというものかもしれない。
全能の神が、わしたちにはあの子が必要だと 認めてくださったんだ。」
そう呟きながら夜空を見上げるマシューの目は聡明に輝いています。
このマシューさん、ストーリーの最初の方ではただの耄碌した素朴なじいさんという感じで

僕は見ながら「そうさのう、じゃねーよ おい(*`・з・´)」 とかマシューに毒づいておりましたが、話しが佳境に近づくに連れて存在感を増し、霊的に覚醒していきます(笑)
聡明なセリフを聴いて なんだか最初馬鹿にしててすみませんでした と謝りたくなりました。
カスパート兄妹にとって まったく縁もゆかりもない孤児の少女が こんなにもかけがえのない存在となることに 神の摂理を感じさせるという素晴らしいシーンで 思わずセリフをメモってしまいました。
木にたとえた変わっていく自分の背後に、変わらない自分がいるということをマリラに告げるアンの言葉も、とてもスピリチュアルだと思います。
どうして アニメの「赤毛のアン」が 今この時期に見て 感動したのかわからないのですが・・・・
あまりに厭世的で 刺激の強い昨今のアニメとか映画になじんだあとに こういうストーリーを見ると なんだか人が人であるってどういうことだったのかぼやっと想いだしそうな感じがするのです。
舞台となっているプリンスエドワード島の情景も癒されるし 素敵です。

これは、確かにフィクションなんだけど
20世紀初頭に書かれた19世紀の話しで インターネットはおろか 自動車も飛行機もなく ふたつの世界大戦も 核兵器もないころで
かといって科学技術(蒸気機関や印刷技術)が全くないわけでもないという・・・ちょうどいい感じの 文明の悪夢が始まる前の 人が素朴でいられた最後の時代の『夢』みたいな印象を受けます。
そういうところも魅力だったのかもしれません。
Netflixでは12月14日で残念ながら配信が終わりました。
でも、他にも見れるところはたくさんありそう。
原作も読んでみたい!!
「いま曲がり角にきたのよ。曲がり角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。それにはまた、それのすてきによいところがあると思うわ。その道がどんなふうにのびているかわからないけれど、どんな光と影があるのか―どんんな景色がひろがっているのか―どんな新しい美しさや曲がり角や、丘や谷が、そのさきにあるのか、それはわからないの」 アンシャーリー
赤毛のアン名言まとめより
↓第一話はこちら↓
2019.
12.
14
PCページ左の メールフォームが だいぶ前から使えなくなってるみたいでした。
フォームからコンタクトいただいていた方がいらっしゃったら お返事できずごめんなさい。
↓ご意見・お問い合わせなど なにかありましたら こちらのメルアドにご連絡お願いします。↓
haitakarainbow@ のあとに gmail.com をつけてお送りください。
よろしくお願いいたしま~す☆
2019.
12.
09
10代の頃から、時々感じる変な感覚がありました。
それは 「この時代に生きている」 ということが とても奇妙に思え 続いて なぜ? どうして?と疑問が湧いてくるような感じです。
水道の蛇口をひねれば水が流れ スイッチを押すと電気がつく テレビからは海外の戦争、政治の映像が流れている。
どうしてそういう状況の中に 今 自分の意識があるのだろう という不思議感がじわじわやってきます。
どうして 1600年代でも 1800年代でも 紀元前3000年でもなく 今なのでしょうか。
時代が変われば 水道も 電気も 魔法のテクノロジーにしか見えない。
ところが 僕はそれを今 当然とみなす意識状態にある それはなぜか。
∞の時の中に存在する ∞の文明のあり方の ミクロの点である 今ここになぜ 自分の意識があるのか
そういう感覚は 『異邦人的な』 意識だと思います。
「バンパイアハンターD」という小説の中に 確か 「われらはかりそめの客なのだ」という言葉がありました。
かっこいい 素敵な言葉ですが 人によってはこのかりそめ感を強く持っているように思います。
すると、確かに自分は20世紀末に生まれた この時代の人間だけど どこか お客さん的な意識 ・・・ というのか
旅行者が異国をさすらって風物を目にするような 一種の物珍しさとか 違和感のようなものをずっと持ち続けるのではないかと思います。
こういう認識はどこから来るのか
魂が宇宙人だとか 幼児期のこんがらがった経験の産物であるとか 適応障害によるとか
まあ いろんな説明は可能かもしれないのですが
スピリット的な説明をすると、自分は 文明にすっぽり飲み込まれ 包まれ 生きる というよりも
常に都市から離れて独居したり 宗教的な施設に入ったりして その時 その時の文明を 外側から眺めるような経験が多かったのかもしれない。
アウトサイダーというか 文明を強く客体化する必要があった隠遁者であったり 物書きであったり 僧であったり もしくはなんらかの理由で 都市(コミュニティ)の周辺部に追いやられた人々。 アウトカーストであったり 性風俗従事者であったり
そういう経験がたくさん 魂に刻印されていて 異邦人的な認識が習慣づいているのかとも思います。
社会不適応や引きこもり傾向のある人は 案外 そういう人生をたくさん生きているのかも。
それはそれで そうかもしれないんだけど 今 この本を読んでいて
もうひとつの可能性として 異邦人の意識は僕らが穴居人の意識を持ち続けているためである という可能性に気づきました。
この本の最初の方に とても印象深いセンテンスがあります。
現代生活は、氷水に飛び込むくらい、人体に緊張を強いる。人体はみずからを現代生活から守り、またそれに対応して変容させてきた。
人類史上はじめてなじみのない都会の環境に放り込まれた私たちの大脳辺縁系は、すさまじいまでの神経緊張にさらされる。この環境は意識のレベルでは正常に思える。しかし無意識のレベルでは、伝統的な食糧源や水源がみつからないことから、私たちの原始的な脳は自分たちが過酷な砂漠に住むことを選んだと考える・・・
特にハッとさせられたのは
しかし無意識のレベルでは、伝統的な食糧源や水源がみつからないことから、私たちの原始的な脳は自分たちが過酷な砂漠に住むことを選んだと考える・・・
という一文です。
アスファルトで舗装され こぎれいに整えられ おしゃれなアイテムがたくさん販売されている店 が立ち並ぶ街・・・
でも そこに すぐにきれいな水が飲める池や川があるのか
食べ物となる 果樹 小動物 小魚が豊富にあるのか
身を隠して夜を過ごせるような安全な洞穴があるのか
そう考えると 答えはすべて NO になる。
アスファルトに プラスチック コンクリート 車と電線 騒音に電磁波エネルギーだらけです。
ホピの予言風に言うなら 台地は石の川(道路)と蜘蛛の巣(電線)で覆いつくされている。
人の数も 誰が敵で味方か 無意識が混乱して デスパレートになるほど多い。
ところが 意識のレベルでは 大脳新皮質の社会脳のレベルでは それはこうあって当然の 正常で心地よく感じるべき 場所、住みたい街ナンバーワン!とか言われたりする。
あふれる車やテレビ 夜間でも煌々としたLED照明 コーティングされた大地など 文明が今の形態になったのは
高度経済成長以降とするなら まだ60年足らず。多く見積もって100年としても。
人類の歴史が100万年とすると 100年は、0.01パーセント。
その歴史の99パーセントを 野を駆け 山を走り 食物を採取していた人類に 二世代足らずで しゃれにならん変化が起こりました。
その急激な環境・ライフスタイルの変動に人体が適応できず 悲鳴をあげている というのがこの本のテーマです。
この本を読んで あらためて 自分の中で生きる DNAの流れとか 穴居人の意識というものを考えました。
人の中に生きる穴居人的意識は この文明を故郷とは認識できない。
おしゃれな街の冷暖房完備のマンションに住んでいても、、、いや 住んでるからこそ 「古い脳」は自分が砂漠にいると認識する。
水場も果樹も、獲物もここにはないから。
だから 「異邦人的意識」は生まれるのかもしれない。
なんの装備も持たずに僻地に入り シェルター 火 水 食料をゲットする、 エド・スタフォードの「全裸サバイバル」が人気なのは 見てる人の穴居人的意識を高揚させ 生命力を刺激するからかも・・・
↑僕はこの動画を見ながら カップめんを食べたりしている変な人類ですが
自分の目の奥から この世界を見つめているのは 洞窟で火を焚く穴居人かもしれないと時々思います。
瞑想中に 水晶玉に映った 摩天楼群が流れていくイメージが見えたことがある。
水晶玉に映っているビル群は はかなげで 威圧感はなく ある一時代の情景の幻みたいだった。
もしかすると かりそめの客とは 僕らではなく この文明なんだろうか・・・
悠久の歴史を持つDNAからみれば 間違いなくそうだろう。