2020.
04.
30
今・ここという場所には無数の周波数帯域が折りたたまれて存在している
そのことを教えてくれるのは 周波数をずらす作用を持つ 音 色 形態 言霊などだ と僕は思っていますが、もうひとつそれを端的に明かしているのは、時と場所を選ばずに訪れる神秘体験です。
エベン・アレグザンダーさんの「マップオヴヘブン」に紹介されているこのケースは、とても心に響くもののひとつで、そのロケーションが薄汚れた三等船室(おそらく20世紀初頭の) であったりするからかもしれません。
薄汚れた三等船室にいてもそれはそこにあるなら、これからどのような世界になっても それはきっとそこにあるのでしょう。
神なるものとつながっている、という認識、真・善・美はかわらずにあるという認識、天国は存在しているという認識、、、これらは今後を生きるに必須のものではないかと思っています。
以下の書籍より
それは数秒のことだったろう。
船室に光が満ち溢れた。眩しさに目がくらんで何も見えなくなったので、そうとしか表現しようがない。愛に満ちた、力強く輝かしい何者かの意図に包み込まれた感覚を覚えた。
あの時ほど謙虚な気持ちにさせられたことはない。また、あのときほど心が舞い上がって感じられたこともなかった。じつに奇妙な、圧倒されるような感覚に打たれ、全身に歓喜があふれて、人類は安泰なのだという思いに満たされた。
それにしても、ことばのなんと貧しいことか。安泰などというのは、哀れなほどに貧しいではないか。人間は一人残らず栄えある輝かしい存在であって、最終的には至福のなかへと帰っていくのだ。
美と、音楽と、喜びと、無尽蔵の愛と、言語に絶する栄光、それらを受け継いでいる存在なのだ。全員がそれらの継承者なのだ。
それを体験して50年以上が過ぎた今でも、頭上のガス灯がうすい暗い光を投げていた、薄汚れた三等船室の片隅にいた自分がありありと目に浮かぶ・・・荘厳なそのひとときはしばらくして消え去り、得も言われぬ感覚だけがあとに残された。
いまとなっては馬鹿げた響きに、こうして書いていながら赤面を禁じ得ないが、そのときの私は同室の全員に愛を感じ、だれであれ、その人のために命を投げ出しても惜しくない気持ちでいたに違いない。
※アリスター・ハーディー著 The Spiritual Nature of Man p53
この世界に見えるすべては、天国、命のブループリントの世界からの投影です。
また、小さな花の中に 広大無辺な天国が折りたたまれているともいえるのかもしれません。

2020.
04.
28
雨の日が好きだ。
雨の音を聴いてると 守られてる感じがする。
この絵の感じ、BGM 雨の匂いがするみたいでかなり好き。
傘を叩く雨の粒、アスファルトから立ち昇る匂い
音楽や Artで ざわざわしたところから少しだけ 周波数をずらす。
少しだけでいい、少しだけが大事.゚+.(・∀・)゚+.
2020.
04.
27
コロナ以前ダイアリー
なかなか世界全体がカオスな状態になっております((((;´・ω・`)))
去年からのノートを読み返していると、人がいかに人工的な都市構造の中にとらわれているか、その外が見えなくなっているかということを繰り返し 考えていたようでした。
コロナの問題も都市構造と切っても切れない関係にあるような気がしています。
これを機により 都市構造の管理の中に閉じ込められるか、あるいはひな鳥が羽化するようにこの殻を破って 生命系と直接つながった人が増えてくるのか、、、
選択の時は近づいてるような気がしています。
2020/4/27
2019/11/25
昨夜も8時過ぎるとPC スマホ落とし、キャンドルをつけた。
手帳や日記をぱらぱらめくる。
少し経つと ブレーカーを落として 暗闇にする。
急に静かになり雰囲気が変わるような。家電製品の音がないためか。
古代の闇を召喚する。
闇と炎は自然の一部だと思う。
もしも一生を作られた都市の 音や光 建物のなかで生きるならば それは牢獄に閉じ込められているようなものだ。
なぜなら「肉体」という自然が人工物によってとらわれているから。
森と海 天の川銀河 そんなものを 「むき出しの地球と宇宙」を 一生目にしないのなら。
でも、闇と炎を召喚することはここにいてもできる。
それに包まれていると 時の流れが 自分の生が リアルなものに変わる。
夜の匂いが違ってくる。
それはきっと余計な干渉場が消えて リアルなものが現れてきたからだ。
こうしていると
人間はいつか
あらゆる照明の失われた原初の暗闇の中で むき出しの宇宙と対面する、いつか、、、集合的に という気がしてくる。
本来 他の場所よりワイルドな場所などなかった。
どこも地球の一部であり 森や 川や 平原だった。
すべての場所は むきだしの地球だったのだ。
数百年以上前・・・街が立ち並ぶ前 田畑として切り開かれる前 この場所はどんな風だったのだろうか。
もしかするとビルや住宅の下にある大地は その記憶を残しているのかもしれない。
ありのままの自然があり 生き物たちがたくさん生きていた時代の方が ずっと長かったのだから。
そう考えると森の中にいるような錯覚を感じ 急に怖くなってきた。
寝る前に目を閉じると天狗のような存在がたくさん並んでいるようなビジョンが見えた。
闇には天然の幻覚性物質を分泌する作用があるんだろうか。
足元でむき出しの地球とつながり 頭上にはむき出しの宇宙があることを想像した。

2019/11/27 新月●
アマナよ カムナよ 大宇宙の父と母よ
すべての光の存在たちよ
私たちを守り あなたがたの光へと お導きください
ホピ族の創世神話によると 山の頂に立って創造主への賛歌を歌うものがいなくなった時 世界は滅びた・・・
創造主とはすべての生命の根源である
生命とは目に見えるものだけではない
つまりこの伝承は 「生命への敬いを持つもの」が誰もいなくなった時 この世界は火や水によって洗い清められたと言い換えられるのかもしれない。
人の心から 命を敬う心が消えた時・・・
たとえこの世界は続いていたとしても それはこの世界の終わりではないだろうか。
人はもう何百年も 森をひらき 川を埋めて 都市の中に生きてきた。
自分が食べるものを生命として見ることさえなくなった。
加工された食品が大量につくられて、もはや命を食べているという認識さえ持てない。
それでも人は 自然に郷愁を感じ 自分の子供をいつくしむことで 命を敬うこともできた。
文明の中にも浸透する命を尊んで生きることもできた。
子供を持つ母親がもっとも命を敬う心に近い位置にいる?
その子をいとしく想い 敬うことのなかに すべての命への愛が開かれてゆく余地がある。
2019/12/2
「サピエンス異変」を読んで
今まで僕がずっと感じてきた現代文明とのミスマッチ感。
それは自分自身の体質とか スピリットによるものだと思っていたけど。
連綿と続いてきたDNAと生体の悲鳴かもしれないと思う。
種としての人類自体が この急激な変化に機能不全を起こしている。
しかし、自我のレベルでは これは「自分」という一個人の責任、病理なのだという自責的思考をしてしまう。
これだけ急激にいろんな土地の いろんな価値の人と生きたり 人混みを経験したりすることも種の歴史から見れば ここ2,3世代に始まった異常事態だろう。
人はそれぞれ対人戦略のようなものもDNAに内在させている。
それは同部族と関わったり 敵を排除するためのものだ。
現在引きこもりと呼ばれる人々は この受け継がれた対社会戦略と 現代文明とのミスマッチを起こしているのかもしれない。
サバイバル戦略としては あまり人と関わらず ごく少数の人との結束の中で生きる というモデルは順当なものだ。
しかし 現代においては いくつもの異なったグループとの関係を強いられることが多い。
これが昔のDNA的特質が 強く出てる人にとっては 過負荷となってしまう・・・ということは考えられる。
大きな組織に属して働くことはあなたの魂の特質としては苦手ですね・・・・とKさんに言われたが、僕のDNAの特質がそうなのかもしれない。
現代の(特に都会の)音やリズム 波動に耐えるのもしんどいのに さらに満員電車に詰め込まれて コンクリートの中で一日働けというのは・・・
2019/12/23
デジタルカタストロフが起これば すべてのデータは失われる
極度にAI依存した世界に 自然災害とデジタルカタストロフ(EMP兵器など)が起これば
人は何もない状態で地球に放り出され、1から自然に教えを乞うしかない
情報と知識が物理世界と肉体に落とし込まれず 仮想空間に集中する危うさ。
かつて同じようなことがあった?
しかし完全にゼロからではなく 何者かが援助していた。
シュメールに残る記録、ドゴンの神話など。
「空から来た存在」が文明の基盤を人類にもう一度与えた?
AIへの依存はまだ完全には起こっていないが ITへの依存はもはや来るところまで来ていて 多くの人はスマートフォンにアイデンティティを奪われている。
肉体と生命 そして意識の力へのアウェアネスが同時に高まらなければ、人はAIに頼って仮想空間に生きることになるだろう。
人体とITとのインターフェイスはさらに密着して MATRIXとそうは変わらない世界になる。

公園で大きなケヤキの根っこに座る。
すぐにじわっと気持ちよくなる。裸足 樹肌があたたかい。
大きな存在に触れている。心地よさ 安心感。アーシング効果か。
生命との一体感みたいなものと 大きな存在に甘え 受け入れられているようで エロスも若干満たされる。
ケヤキ君にお礼を言って公園をあとにした。
生きとし生けるものはすべて 根や足で 大地とつながっている。
ケヤキ君の上に座り気持ちがいいのは、ケヤキ君とだけではなく 無数の命とつながれるからだろうか。
本当は誰でも生命との一体感を求めているが 現代文明に生きる人は アスファルトやコンクリートで命とのつながりを絶たれている。
自然界ではひとつの命に触れることは すべての命に触れることだけど、人の社会では一人との接触は その人との接触でしかないことになっている。
部屋、駅、電車、オフィスビルとスマホの中だけに生きていると 生命界 宇宙とのつながりを忘れてしまう。
最近 空よ 大地よ 命よ というように 祈りの中でフォーカスする。
すると街中でも 宇宙と大地 命を感じられる気持ちになる。
見えないだけで 星空はいつも頭上にある。
夜には闇と静寂を召喚する。
闇は自然そのもの。
その中に多くの現実を宿している。
闇の中で炎を見つめていると、生の実感とたくさんの時空の幻が見えるようだ。
都市の中でバックヤードに退いている 自然と宇宙にこんな風にしてフォーカスを試みる。
そして もっとも微細な命の根源・・・神は・・・すべての中に宿っている。

2020年 今年の元旦に撮影した 人のいない渋谷駅。
お正月以外では よほどとんでもないことが起こらないと渋谷がこんな風になるなことはないだろうな・・・と思ってた。

2020.
04.
26
この前訪れた久米島のドローン撮影動画。
BIRD'S VIEW 鳥の視点・・・
空から見ると・・・ボク 鳥 久米島の空を一緒に飛ぼう~~☆
2020.
04.
06
4年前に訪れて いつかもう一度来たいと思っていた、沖縄の久高島。
自粛ムードの中 なぜかこのタイミングで 再訪。
たくさんの命が迎えてくれました。
最初に遭遇したのは山羊。ォ━━(#゚Д゚#)━━!!


そして絡まりあう蛇とか・・・・(o゚□゚)o≪≪≪ワアァァァァァァッ!!

分岐路に立つガジュマルとか・・・

道端に並ぶアダンの実

宿泊施設のドアの前でラブラブの猫カップル(*゚ロ゚)(*゚ロ゚)(*゚ロ゚)

そして そして
カベール
あの岬に 帰ってこれた。゚(゚´Д`゚)゚。

たくさんの命の気配が満ちていて、夜には深い闇としじまが降りる島にいると 大丈夫だと思える。

僕らは もともと
命の中を旅する命だから。