2020.
09.
21
スピ系でする瞑想は、光や、愛、もしくは大きな海、湖などのイメージを使うことが多いです。
人を包むもの、生かすもの、元気づけてくれるもののイメージを心に描き、フォーカスします。
それらはすべて最終回答であり、始まりであり、というような心の葛藤が終了している意識状態とシンクロすることを意図してると思われます。
僕も瞑想する時は、呼吸に集中するような「内容がないもの」と、「ポジティブな内容なもの」を気分に応じて使い分けています。
しかし、今朝公園を散歩しててちょっと思ったんですが、「確かに一元的なイメージはいいんだけど、もっと光と闇が混合したようなものは本当に使えないんだろうか・・・
例えば、森の中を歩いてると、樹に囲まれたあやしく美しい泉がありました・・・近寄っていくと 聴いたことのない生き物の声が聴こえます・・・果たして何が潜んでいるのでしょうか」
とか、そういう瞑想ってダメなのかなーー。
なんというか、現実っていうのは良いものとそうでないものがグラデーションを持ってます。だから、100パーセントの光とか愛ってまあ、想像することが難しい、リアリティを持てないこともままあります。
そうなんだったら、適度に不可解さや闇のイメージを入れていった方が その世界にフォーカスしやすいんじゃないかなーと、、、
とここまで考えて、施術者が、クライアントに、
「あなたは、フクロウの鳴き声だけが聴こえる、まっくらーい夜の森を歩いています。さっきからあなたの後ろをついてくる足音が聴こえます・・獣のような息遣いも聞こえてきます・・・あなたの手が少しづつ汗ばんできます 走ろうか、立ち止まろうか頭が目まぐるしく回転します・・・」
とかやってるとこを想像して、ちょっと笑ってしまいました。どんどんクライアントの眉間のしわが深くなっていく(笑
普通ダメじゃろ(*σ´Д`*)どう考えても
しかしまあTPOによっては 何かしらのダイナミズムを心にもたらすことはできるのかもしれないなーと思います。
というのは、瞑想のほかに、心に訴えかけるもののひとつとして 物語がありますが、
『物語』は必ず二元性によりなっています。
善と悪 愛と憎しみ 自由と束縛 成功と失敗 神と悪魔
こういう二元性がなければ、言い換えると、『闇』の要素がないと物語は成立しません。
悪役がいない サザエさんとかちびまる子ちゃんみたいな話であっても、必ず何かしらの問題とか 不足 トラブル そういう要素を触媒として 起承転結のストーリーが 展開するようになっていて、これは物語の法則です。
作品によってその負の要素は「世界が滅びそう」であるか「宿題を忘れた」であるかという 違いはあるのですが、ある意味でどちらも同じです。
どんなにファンシーな話しであっても、陰陽を行ったり来たりする波がないと成立しません。これがすごく面白いなーと思う点で、ミヒャエルエンデが確か「作家は必ず悪魔とも契約する」とかそういうことを言ってる理由だと思います。
その二元性の葛藤や行ったり来たり、を通じて主人公が成長したり、深い悲しみや感動が生まれるというのが物語の醍醐味ということになります。
僕はスピ系に興味を持つ以前に、こういう物語性にとても不思議さと魅力を感じていて、そういう意味でスピ性と物語性の関連なんかも折に触れてよく考えます。
一元的な愛 光は至上のものだけど、それを言語化して表現にするとき、光や喜びだけを描くと、何か嘘くさい作りものぽいものになる。
光だけを描いたスピ系の書物よりも、二元性に富んだ『物語』の方が 人の心を高め、感動させることが多い。
このパラドクスがとても面白いと感じます。
僕自身も二元性を用いて 一元性を指し示すような表現が どちらかというと好きです。
だもんで、冒頭のようなことをよく考えてしまうのですが、、二元性の表現である『物語』に人の心を高める力があるとすれば、光でもあり闇でもあるようなイメージも人の心を活性化するのかもしれない。
物語の原理を瞑想に生かす方法ってないのかな、と思いました。
どこかで書いたかもしれませんが、僕はミヒャエル・エンデの「果てしない物語」が相当好きです。
この本は僕にとって『物語』の原体験でした。
初めて読んだのが11歳くらいで、以後、大人になってからも時々手に取り 多分20回くらいは通読してるかもしれません。
子供の頃読んだとき、幸いの龍フッフールや、アトレーユ、変わる家のアイゥオーラおば様など魅力的なキャラクターに夢中になりました。
と同時に僕がワクワクしたのは、そこに描かれた闇でもあったことははっきり覚えています。
それはまず主人公のバスチアンが、「果てしない物語」をもって逃げ込む、かび臭い学校の屋根裏部屋であったり、絶望が支配する憂いの沼であったり、夢を掘る盲目の坑夫ヨルの坑道の闇であったりします。

「果てしない物語」には、子供向きの本としては どちかかというとはっきりと陰影の深い『闇』が描かれていて、それがとても魅力的でもありました。
子供はどうして、怖いものや ちょっと不気味なもの <闇>に対する感受性が大人よりも発達しているんだろう。
大人になった今思うと、子供が物語やアニメの中から<闇>を貪欲に吸収するのは、この世界のリアル<闇>への免疫を無意識のうちに開発しているのかもしれません。
子供の頃現実で本当のこの世の<闇>と遭遇すれば、トラウマになってしまう。それを一人で乗り越えるだけの力はない。
でも物語の中でなら<闇>を吸収することはできる。そこは架空の世界だし、善の力も存在する、だから薄められた距離感で、<闇>を内面化して、免疫力をアップすることができる。
どうも 物語の描く<闇>にはそういう作用があるような気がしました。
僕もそれらにたくさん助けられてきました。
愛される作家とはある意味で、素敵な<闇>の描き手でもあるのだと思います。

2020.
09.
15
神聖なる母、太古の母 ガイア。
2020.
09.
12
「ベロボディアの輪」の著者 オルガ・カリティディのアルバム。
ドラムやフルート 声、息遣い、その他名前のわからない様々なネイティブな楽器がたくさん使われ、有機的な音の刺激が脳を目覚めさせてくれる感じがします。知らない不思議な生き物がいっぱいの密林にいるような 研ぎ澄まされた感覚。
ロシア語のささやきが意味がわからないので神秘的^^
ガイアの懐の中へ、心の中にある澄んだ湖の奥へ、果てない空のむこう側へ・・・命の鼓動が導く方へ
1. Altai
4:38 2. Invocation
6:58 3. Spirit Lake
13:34 4. Kaichi (謎のマントラ?の詠唱)
22:08 5. Heartbeat (鼓動のようなドラムと 左右から聞こえるきらきらした音)
25:56 6. Ker Dupa (特徴的な息遣いの音 ウィスパーボイス)
32:28 7. Sky Dog
35:21 8. Chula
43:07 9. Shaman's Drum(冒頭の音なんだろう気になるな~重いドラムの音)
46:07 10. Altai (Reprise)
"Entering the Circle" by Olga Kharitidi and Jim Wilson featuring Geoffrey Gordon. Triloka Records, 1996.
From the CD back cover: "In her soul altering journey into the mysterious realm of Siberian Shamanism, Olga Kharitidi uncovered a treasure chest of spiritual wisdom which is beautifully documented in her book, "Entering the Circle".
In this recording, she and Jim Wilson created a tribute that remains true to the trance experience of the shaman of Siberia. This album includes trance songs amid ambient settings with flutes, hoop drums, dumbeks, kanjiras, Tibetan horn, keyboards, and Shamanic chanting."
2020.
09.
09

僕がよく思うのは、僕らが生きているこの世界というのは、もしかするとあり得るパターンの中のひとつでしかなく、もしかすると非常ーーっにマイナーなものである可能性もあるのではないか?? ということです。
想像してみてください。
この文明というものが、どこかの熱帯のジャングルの小さな部族の集落であると。
その部族の中では、様々なおきてがあったり、タブーがあったり、またいろいろな祭事が行われたりしています。
そして、そこに生きる人々はみな、自分たちの価値観・生き方が唯一まっとうで正しいものだと信じているとします。
だからよそからの闖入者が何もしらずその掟を破れば、ぼっこぼこにされて、ワニのいる川に放り込まれるかもしれません。
それを見て、文明世界の僕らはなんてやばんな部族だと思うかもしれない。
でも、この欧米型の資本主義文明というものも、ただひとつの「パターン」でしかないと思うのです。どっちがよいとか、劣っているとか言う問題ではない。
ひとつの「部族」の中にいると、その<外側がある>ということをまったく忘れてしまうことになる。どっちかというと、そのことが怖いと思います。
<外側>とのコネクトするのは、その部族の中でのアウトカーストや、不遇な人々でであることも多いです。
多くの不遇な人々は、ただその部族内での自分への処遇を甘んじて受け入れ、一種の「穢れ」や「負け犬」、「貧者」としてのイメージを終生背負います。
すると、脳内でのセロトニン濃度なども低下して、部族内での「勝者」をただうらやましさと嫉妬で見上げるような状態に捨て置かれます。。。
しかし、その中の一部の人々は、自分の部族のリアリティを相対化して、それを越え、その外側とコネクトすることに成功するのです。
そのような人々はもはや『シャーマン』と言って良いかもしれません。
手塚治虫の名作『ブッダ』に、心を動物に乗り移させることがでいるタッタというキャラクターが登場します。
タッタは不可触選民バリアの子供です。バリアはけもの並みとされ、人間扱いされていないカーストでした。一方動物たちは人間の部族的意識の<外>にある、純粋な意識の中にあります。
タッタは、「自分が人間だなんて思ってたら 動物の気持ちはわからない」とかなんとかそんなセリフを言っています。
タッタの心は 部族的な支配構造に組み込まれていない。だからこそ、動物になれるのかもしれません。
「勝ち組」と思っていても、「負け組」と思っていても 部族の価値意識に取り込まれてしまい 動物になることを妨げるのです。


僕も昔から学校や社会のあり方にどうしても溶け込めない感が根強くあったので、精神のサバイバルのために、この『部族』の構造を無意識のうちになんとか相対化しようとしてたところがあります。
部族の法を犯すことはよくないことですが、法を相対化することは必要です。
ルールをわざわざやぶらなくていいけど、ルールを相対化する視点は必要だし、わざわざ非常識にならなくてもいいけど、常識の根拠のなさを知ることは心を自由にしてくれる 大事なことです。
そういう意識が、自分の中でこのパンデミック以降、もっと強くなってきたようで・・・・
「コロナ禍」と言いますけど、この禍々しき悪神が登場して、それと戦っているというストーリーが今組み立てられていて、神話の英雄たちの武器は剣とか杖とかですが、今の僕らの武器(=善)は マスクとか消毒スプレーとか リモートワークになっています。
やはり、このストーリーが全世界的に行われているということが 本当に人類史上かつてないすごいことです。
しかし、この先 ずっとこのストーリーが敷衍されるかと思うと、そっちの方が息苦しくなるわけで、この<外側>をサーチしようとする願望が強くなっているようです。
<外側>のひとつはガイアという場です。
まあ、ガイアにとってだけ言うならば コロナはなんの影響もないどころか、むしろ益しかないことですね。
個人的に、このガイアには複数の文明圏があって、そのいくつかは、僕らがいる文明とまったく異なったあり方をしているに違いないと思ってきました。
僕らのいるこの文明圏というのは 非常に大きく広がってるように見えるが 実はとっても小さい、特殊な世界ではないだろうか。
図書館をぶらっとしてる時に、たまたま手に取った本に、僕の考えてたようなリアリティが描かれていたので 中身を少しご紹介したいと思います。
1997年に出版された『ベロボディアの輪』という本です。
書いたのはロシアの精神科医の女性。
シャーマニズム、死と不死、ベロボディア(シャンバラ)伝説、発掘された女性ミイラ、人類の進化、時の相対性、高次の自己と結びつく方法 など、非常に多くのテーマがからまりあいアルタイの美しい自然を背景に展開していきます。
すべてのテーマが断片だけのぞかせて、謎がたくさん残されているのですが、それもまた逆にリアリティがあるというか刺激的です。
以下は主人公が ロシアのアカデミーで開発されたある特殊な装置の中に入って、別世界の住人とコンタクトしたシーンからの抜粋です。謎の男性が彼女に、いくつもの世界が同時存在していることを語ります。
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「その通り。君がここにいることは君自身のためだけではなく、他の人たちにとっても重要なのだ。君が自分自身の住んでいる世界の多くの異なった側面についてほとんど知らないというのもあたっている。
君と時代を共にする人間たちは人類の一部が経験せざるをえなかったひとつの特定の進化が歩んだ道の結果なのだ。
君と同類の人間たちは大半が知的思考に結びついた特殊な人間性の性質を育んだ。
この進化の軌跡は、客観的現実とその法則が非常にきっちり固まっているという厳密な神話を生み出すことを要求した。
こうした認識の拘束は君たちが与えられた仕事をやり終えることを可能にしたが、他の点では君たちを限界づけたのだ」
「あなたが、私と同類の人々を人間という時、それはあなたが人間ではないことを意味するんですか?」
「いや。
私は人間だが、異なった進化の枝に属しているのだ。
君と同類の人間たちだけが人類の唯一の代表ではない。人類の内部には多様な流れが存在している。
その一つ一つが特定の任務を持っているのだ。
それぞれの流れは人間の潜在的可能性の異なった次元の探求を目指している。
みんな知覚が別々であるために、それぞれの流れは他の流れについて何も知らないんだ。
もちろん、相互的なつながりはあった。時々、文明全体が進化の方向性を変え、その結果、他の文明を発見し、結合した。
そのことが、君と同類の人間の歴史に、振り返ってもわからない不可解なギャップを残したのだ。
「君がここにいるのは、君の文明が信奉する現実と他の文明との間に相互作用がうまれている兆候だよ。
われわれの時間は互いに接近しつつあり、すべての異なった流れの最終的な融合がまもなく起ころうとしている。
人類全体がさなぎの段階を終えようとしているのだ。
毛虫が内部に形成されている蝶の身体に気づかず、将来の羽根についての知識をもっていないのと同じように、そこのことはまだ気づかれていない。羽根自体でさえ、飛行を始めるまではその意味を理解していない。君が信じるリアリティの流れに属する人々は確固とした新しい有機体を着実に形作ってきた。今、それが全容をあらわし、他の人類の流れと融合する成熟の時期を迎えつつあるのだ。
君と同類の人々は大きな個人的変容を経るだろう。
それは世界の終末のように思えるかもしれない。多くの点でそう見えるに違いない。なぜなら、古い世界の大半が実際に新しい存在によって置き換えられるからだ。
これまでの古い現実像や世界観が通用しなくなるため、それぞれの人間の心理学的な構造も変容するだろう。
君たちはこれまで知らなかった存在の側面を体験し、理解することを学ぶことになる。
あるものたちにとって、それはたやすく、ほぼ瞬間的に起こるだろう。他のものはストレスと苦痛を通して努力する必要があるだろう。古い世界観の枠組みにあまりにもどっぷりつかっているために、何も全然気づかぬものもいるに違いない。」
「われわれめいめいは個的な人格として独自な方向へと成長する側面を持っている。
けれどもわれわれの慈愛の自己について想いだしてもらいたい。
人生のひとつひとつの意味を意味の全体性へと統合する自己だよ。
同じことが人類全体にも等しくあてはまる。
人類をひとつの存在とみなせば、一つでありながらもそれは多くの顔を持っている。
しかし、あらゆる方向性を認識し、統合する純粋な慈愛の自己ももっている。
われわれが座っているこの場所がそこなのだ。」
興奮の波が私の全身を貫いた。「この場所がベロボディアと呼ばれるの?」
「それはさまざまな次元にまたがって存在し、いろいろな名称で呼ばれている」
『ベロボディアの輪~シベリアシャーマンの智慧~』原題:Entering the circle より
オルガ・カリティディ Olga Kharitidi 著 1997年

精神科医。ソビエト連邦時代シベリアの医師の一家に生まれる。精神科医となり、ノボシビルスクの国立精神病院に勤務している最中に、シベリアのシャーマンと出会い、古代の叡智を求めて、ウズベキスタンやカザフスタンへと旅をする。
2020.
09.
03
ここのところ、8月の終わりから国のトップが辞任したり、ネットでは地震予言が流れたり雰囲気がなんとなくざわざわーっとしてる感じがします。
雰囲気だけではなくて、相次いできてる台風9号、10号の影響と 久しぶりに太陽で磁気嵐も起こったりして
僕は1日から2日にかけて、異様に体感が重い・おかしく いったい何の影響?? と思っていました。
負けないようにnetflixで 「コブラ会」を見て、静かなる闘志を燃え上がらせたりしています(なんでだ)
簡単に答えが出ないような問題が山積している時代ですが、もうこれは頭で考えていても仕方ないです。
体や強さ、生きる意志力というようなところからもエネルギーを開き、鹿威しの音を聴きながらサムライのような心境で生きて行こうと覚悟しています。
って・・・ちょっと言いすぎてますが、、、
いろんな動画を見て、心身がどんなモードにシフトするかという実験をしています。
通常アクション系の映画はあまり見ないんですが、急に 「ベスト・キッド」みたいなーと思って、netflixのページを開くとトップに「コブラ会」というのがバーンと出ていて、なんか説明読むとベスト・キッドの続き(34年後)をドラマ化したものみたいで、かなり驚きました。 主人公ダニエル、敵役ジョニーどちらも同じ俳優さんが演じています。
「コブラ会」というのは「ベスト・キッド」では主人公と敵対する空手団体。
それをあえて今回は主役に位置付けて スピンオフ的にその後を描いてるあたりにセンスを感じます。
こういうの好きなんですよねー 視点のシフト 悪役も視点を変えれば 感情移入できる人々になる。
34年前のトーナメントであごを蹴り上げられて敗北した悪役ジョニーが、再び空手というリソースにつながって人生を立て直してゆく話です。こっち視点で見ると、宮城道空手より 「コブラ会入りてー」ってなるから面白いですね。
最近よく思うこととして、、、
人を高めたり、癒したりする要素っていくつもあります。
お笑い番組を見て、げらげら笑うこと
自然の中にでかけてよい空気を吸い込むこと
満天の星空を眺めること
かわいい動物と触れ合うこと
人の役に立つようなことをしてみるとか
生命の多様性に 歴史のドラマに想いを馳せるとか
部屋を掃除して いらないものを思い切って処分するとか
体を使う 鍛える ボディアウェアネスを高める
これら全部は別々のことのようの見えるけど、「良いもの」とか「高めるもの」というのはつながっていて 多面体の宝石の一つの面とか 七色のスペクトルに分光する 「光」であるとか そういうことではないかと。
プラトンは『真善美』と言いました。
そのように、「立ち向かう強さ」や「意志力」というのも、その一部で色にするとレッドになるのかもしれません。
ドラマの中で宮城道空手では、「バランスがすべて」だと教えます。
その時々、あるいは人の個性によって レッドが必要だったり グリーンが必要だったり、イエローが元気づけてくれたりして、その色を補充することで全体のバランスがとれる。
そういう意味で 色のバリエーションというか、「真善美」のスペクトルの幅のようなものを補足しているというのは結構大事なことかもしれないなーと思いました。
その幅を理解しているほどに、困ったときでも自分に必要な処方箋が得られやすい。
虹の架け橋が 僕らが辛い状況を乗り越える 手助けをしてくれるのだと思います。
「コブラ会」。
見た後に 腕立て伏せをするモチベーションになるドラマですw